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今日の参議院農林水産委員会で農水官僚が知らなかった「小農の権利に関する国連宣言」の残りの仮訳

印鑰智哉さんのご連絡で、本日の参議院農林水産委員会で、現在ドラフト中の「小農と農村労働者の権利に関する国連宣言」の話題が出たが、農水省の官僚は誰一人、この宣言について知らなかった・・・との驚愕の事実が発覚しました。

詳細は、
印鑰さんのフェイスブックをご覧下さい。
https://www.facebook.com/InyakuTomoya/posts/2294271450599672

「川田議員は国連で進められている小農民および農村住民の権利宣言について農水省は知っているかを尋ねると、一人も手を上げない。さらに今年5月に外務省が宣言の反対の答弁を行ったことの問題を指摘した。日本の国会で議論もないまま、外務省が暴走して宣言成立に反対していたことを農水省は知っていたのかと川田議員が質問すると、農水省側はフリーズ、速記が止められる事態に。最終的に農水大臣が今後精査して対応すると述べたに留まった。」

速記が止まる!・・・ほどに知られていないというこの国連宣言。日本の農家の大半が「小規模農家」であることを考えれば、あり得んといいたいことですが、より驚きは、国連人権理事会の日本代表が、日本国を代表して話したことすら、農水省が知らないという現実。

良く考えてみてください。
「小農と農村で働く人びとの権利」は、何も日本以外の国、とりわけ南の国々を対象としているわけではありません。世界中の国連加盟国の小農と人びとを対象としているのです。

その意味で、所管は外務省だけでなく、農水省。なのに知らないという・・・・。
農水省の皆さんも、もう少し勉強しましょう・・・ということ以上に、外務省、どうしてこんな重要なことを農水省に相談せずに批判的な言動や棄権票を投じるんでしょうか。

これについては、過去投稿を。

国連人権理事会での日本政府スピーチを読み解く:「小農の権利に関する国連宣言」

http://afriqclass.exblog.jp/237966234/

こんな状態なので、私の試訳ものんびりやっている場合じゃないんですが、今、本の原稿と校正が2つ佳境を迎えており、かつあらゆる申請書に負われており、ちょっと終らせられない感じです。とりあえず、前文の訳はこちら。

試訳:「小農と農村で働く人々の権利に関する国連宣言」のドラフト(前文)

http://afriqclass.exblog.jp/237968762/

仮訳をしてくださった方の訳をとりあえずご紹介しておきます。
Fatalな間違いはなかったので、残りの作業としては、訳語を統一し、訳されていない部分を訳して完成させることかと思います。
何度も申し上げますが、匿名でこの作業をしてくださった方に心からの賞賛とお礼を。


============

第一条 小農と農村で働く人々の定義

1. 本宣言において、小農とは、自給のためもしくは販売のため、またはその両方のため、一人もしくは他の人々とともに、またはコミュニティとして、小規模農業生産を行なっているか、行うことを目指している人で、家族及び世帯内の労働力並びに貨幣で支払を受けない他の労働力に対して、それだけにというわけではないが、大幅に依拠し、土地に対して特別な依拠、結びつきを持った人を指す。

2. 本宣言は、伝統的または小規模な農業、畜産、牧畜、漁業、林業、狩猟、採取、農業とかかわる工芸品作り、農村地域の関連職業につくあらゆる人物に適用される。

3. 本宣言は、農地及び、移動放牧及び遊牧社会で働く先住民、土地のない人々にも適用される。

4. 本宣言は、その法的地位にかかわりなく、養殖産業の養殖場や農業関連企業のプランテーションで働く労働者、移住労働者、季節労働者にも適用される。


第二条 締約国の一般的義務

1. 締約国は、小農と農村で働く他の人々の権利を、その領域および領域外において、尊重、保護、実現しなければならない。直ちには保障できない本宣言の権利の完全実現を漸進的に達成するため、締約国は、法的、行政的および他の適切な措置を迅速に取らなければならない。

2. 高齢者や女性、青年、子ども、障害者を含め、小農と農村で働く他の人々の権利および特別な必要に関する本宣言の実施に関して、特別な注意を払わなければならない。

3. 小農と農村で働く他の人々の権利に影響を及ぼす可能性がある法律、政策、国際条約、他の意思決定の採用、実施の前に、先住民に関する特別な法律を無視することがないよう、締約国は、小農と農村で働く他の人々の自由意志に基づく、事前のインフォームド・コンセントを得るため、自らを代表する機関を通じて、誠意を持って、小農と農村で働く他の人々と協議、協力しなければならない。

4. 締約国は、人権義務に一致するやり方で、貿易、投資、金融、税制、環境保護、開発協力、安全保障分野も含め、国際協定および基準を具体化、解釈、適用しなければならない。

5. 締約国は、関連する国際協定と基準を、人権上の義務と一致するように、具体化、解釈、適用しなければならない。

6. 締約国は、本宣言の目的および目標の実現のための各国の努力を支援する国際協力の重要性を認識しつつ、この点に関して、適切な場合には、当該の国際、地域機関、市民社会、とりわけ、小農と農村ではたらく他の人々の組織と協力して、適切かつ効果的な措置をとらなければならない。そのような措置には以下のものが含まれうる。

a) 当該の国際協力は、国際開発プログラムを含め、小農と農村で働く他の人々を包摂し、利用可能で、かつこうした人々にとって役立つものにする。

b) 情報、経験、訓練プログラム、最良の実践についての情報交換と共有を含め、能力構築の促進と支援

c) 研究および、科学・技術知識へのアクセスにおいて協力を促進

d) 適切な場合には、技術・経済支援の提供、利用可能な技術へのアクセスとその共有を促進、(特に途上国に対して)技術移転を通じて

e) 極端な食料価格の変動と投機を抑制するため、世界規模で市場の運営の改善および、食料備蓄に関するものを含め、市場情報への時宜にかなったアクセスの促進

第三条 平等および差別の禁止

第四条 小農女性と農村で働く女性の権利

1. 締約国は、男女平等に基づき、小農女性と農村で働く女性が、あらゆる人権と基本的自由を十分かつ平等に享受し、農村の経済、社会、文化的開発を自由に追求し、それに参加し、そこから利益を得るように、これらの女性に対する差別を撤廃する適切な措置をすべてとらなければならない。

2. 締約国は、小農女性と農村で働く他の女性が差別を受けることなく、本宣言と、他の国際人権条約に定められた全ての人権、基本的自由を保障しなければならない。その中には以下の権利が含まれる。

a) 開発計画の作成と実施について、あらゆるレベルで意味ある参加をする権利

b) 家族計画についての情報、カウンセリング、サービスを含め、適切な医療施設にアクセスする権利

c) 社会保障制度から直接利益を得る権利

d) 機能的識字力に関する訓練、教育を含め、公式、非公式を問わず、あらゆる種類の訓練、教育を受ける権利、技術的熟練度を引き上げるため、あらゆるコミュニティサービスや農事相談事業から利益を得る権利

e) 雇用と自営活動を通じて経済機会への平等なアクセスを得るため、自助グループと協同組合を組織する権利

f) あらゆるコミュニティサービスに参加する権利

g) 農業信用取引、融資、販売施設、適切な技術にアクセスする権利、土地と天然資源にかかわる平等な権利

h) 既婚あるいは未婚であるかどうか、土地保有制度の違いにかかわらず、土地と天然資源への平等なアクセス、利用、管理を行う権利、土地と農地改革、土地再定住計画において平等または優先的に扱われる権利

i) ディーセントな雇用と、平等な報酬、手当を受け取る権利、収入創出のための活動に参加する権利

j) 暴力を受けない権利

k) 婚姻、家族関係に関して、法的にも実質的にも、平等かつ公正に扱われる権利

第五条 天然資源に対する権利と開発の権利

1. 小農と農村で働く他の人々は、適切な生活条件を享受するのに求められる、自らの居住地域に存在する天然資源にアクセスし、利用する権利を有する。小農と農村で働く他の人々は、これらの天然資源の管理に参加し、開発の利益を享受し、居住地域の保全の権利を持つ。

2. 小農と農村で働く他の人々は、開発の権利を執行する上で優先事項と方針を決定および作成する権利を有する。

3. 締約国は、小農と農村で働く人々が伝統的に保有、利用する天然資源のいかなる開発についても、以下事柄に基づいて認可されるように措置をとらなければならない。

a) 小農と農村で働く人々が個人および集団として関与し、技術的な能力を持つ独立機関が正当に行う社会環境影響評価

b) 小農と農村で働く他の人々の自由な、事前のインフォームドコンセントを得るための誠実な話し合い

c) 天然資源を開発する人々と、小農と農村で働く他の人々の間の、相互に合意した条件に基づき打ち立てられた、そのような開発の利益を共有するための手順

第六条 生命、自由、安全の権利

1. 小農と農村で働く他の人々は、生命、身体的および精神的インテグリティ〔不可侵性〕、自由、安全の権利を持つ。

2. 小農と農村で働く他の人々は、恣意的な逮捕、拘束、拷問、他の残酷かつ、非人間的または下劣な待遇や処罰にさらされてはならないし、奴隷にされたり、隷属状態に置かれてはならない。

第七条 移動の権利

第八条 思想、言論、表現の自由

第九条 結社の自由

第十条 参加の権利

第十一条 生産、販売、流通に関わる情報の権利

1. 小農と農村で働く他の人々は、自らの生産物の生産、加工、販売、流通に影響を及ぼす恐れのある要素に関する情報を含め、情報を要求し、受け取り、整備し、開示、知らせる権利がある。

2. 締約国は、小農と農村で働く他の人々が、自らの生命、土地、生計に影響を及ぼす恐れのある事柄において、意思決定への効果的参加を保証する文化的方法に合った言語、形式、手段を用い、透明かつ時宜にかなった、適切な情報にアクセスできるようにするため、適切な措置をとらなければならない。

3. 小農と農村で働く他の人々は、地元、全国、国際レベルにおいて、自らの生産物の質を評価・認証する公平かつ公正な制度を持つとともに、多国籍企業が制定する認証制度を拒否する権利がある。

第十二条 司法へのアクセス

第十三条 働く権利

1. 小農と農村で働く他の人々は、自らの生計をたてる方法を自由に選択する権利を含め、働く権利を有する。

2. 締約国は、小農と農村で働く他の人々とその家族の生計のため適切な水準の報酬を提供する、働く機会をもつ環境を構築しなければならない。農村において高い水準の貧困に直面する国において、他の部門において雇用機会がない場合、締約国は、雇用創出に寄与できるよう十分に労働集約的な食料制度を構築・促進するため、適切な措置をとらなければならない。

3. 締約国は、小農の農業と小規模漁業の特別な性格を考慮し、農村地域で労働監督官の効果的な活動を保証するため、適切な資源を配置することによって、労働法の順守を監視しなければならない。

4. いかなる人に対しても、強制、奴隷労働を求めてはならない。締約国は、小農と農村で働く他の人々、これらの人々を代表する組織と協議、協力して、女性、男性、子供の借金による束縛、漁民と漁業労働者の強制労働(季節労働者と出稼ぎ労働者を含む)、経済的搾取からのこうした人々を保護するため、適切な措置を取らなければならない。

第十四条 職場での安全および健康の権利

第十五条 食料への権利と食料主権

1. 小農と農村で働く人々は、適切な食料の権利と、飢餓を逃れる基本的な権利を有する。この中には、食料を生産する権利、最高の身体的・感情的・知的発育を享受する可能性を保証する適切な栄養を受け取る権利がある。

2. 小農と農村で働く人々は、食料主権を有する。食料主権は、社会的に公正かつ生態に配慮した方法で生産された健康によい、文化的に適切な食料に対する人々の権利である。その中には、決定参加の権利、自らの食料と農業システムを決める権利が含まれる。

3. 締約国は、小農と農村で働く人々と連携し、地元、全国、地域、国際レベルで、食料主権を促進、保護する公共政策および、他の農業、経済、社会、文化、開発政策との整合性を確保するメカニズムを作成しなければならない。

4. 締約国は、小農と農村で働く人々が、持続可能かつ公正な方法で生産・消費され、文化的に受容できる十分かつ適切な食料に対して、物理的・経済的アクセスをする権利を常に享受できるようにするとともに、将来の世代による食料へのアクセスを保障し、個人としても集団としても、彼らが物理的にも、精神的にも充実した、尊厳ある生活をおくれるようにしなければならない。

5. 締約国は、プライマリ・ヘルス・ケアの枠組みも含め、とりわけ、すぐに利用できる技術の適用、適切な栄養のある食料の提供を通じ、女性が、妊娠および授乳期間に適切な栄養を確保できるようにすることによって、農村の子供たちの栄養不良とたたかうため適切な措置をとらなければならない。また、親や子供たちをはじめ、社会の全ての構成員が十分な情報を提供され、栄養教育を受けることができ、子供の栄養と母乳育児の長所に関する基本的知識の利用において支援を受けることができるようにしなければならない。

第十六条 ディーセントな所得と暮らし、生産手段の権利

1. 小農と農村で働く人々は、自らと自らの家族のため、ディーセントな所得と暮らしを得る権利、生産用具、技術支援、融資、保険や他の金融サービスを含め、それらを実現するのに必要な生産手段を得る権利を有する。また、個人としても集団としても、農業、漁業、畜産を伝統的な方式で行い、地域社会を基盤とした市場を形成する権利を持つ。

2. 小農と農村で働く人々は、ディーセントな所得と暮らしを保証する価格で、地元、全国、地域の市場で生産物を販売するのに必要な運輸、加工、乾燥の手段や貯蔵施設を用いる権利を持つ。

3. 締約国は、小農と農村で働く他の人々とその家族が適切な生活水準を達成できる価格で自らの生産物を販売するため、十分かつ公平な市場へのアクセスと参加を促進・保障する方法で、地元、全国、地域市場を強化・支援する適切な措置をとらなければならない。価格は、小農と農村で働く他の人々、その組織が参加する公平かつ透明な手続きを通じて設定されなければならない。

4. 締約国は、自らの農村開発、農業、環境、貿易、投資政策とプログラムが、地元で生計をたてる選択肢の増加、環境持続可能な農業生産様式への移行に効果的に寄与できるようにするためあらゆる措置をとらなければならない。締約国は、可能な場合は常に、アグロエコロジー生産、有機生産、持続可能な生産および、農家から消費者への産直販売を促進しなければならない。

5. 締約国は、自然災害や、市場破綻など他の重大な混乱に対する小農の復元力を強化するため適切な措置をとらなければならない。

第十七条 土地と他の天然資源に対する権利

1. 小農と農村に住む他の人々は、個人としても、集団としても、適切な生活水準を実現し、安全、平和かつ尊厳を持って暮らす場所を確保し、自らの文化を育成するのに必要な土地、水域、沿岸海域、漁場、牧草地、森林を保有する権利がある。

2. 締約国は、婚姻関係の変更、法的能力の欠如、経済的資源へのアクセスの欠如がもたらすものを含め、土地所有権に関するあらゆる差別を撤廃・禁止しなければならない。特に、これらの権利を相続または遺贈する権利を含め、男女に対して平等に土地保有権を保障しなければならない。

3. 締約国は、現在法律で保護されていない、慣習的土地保有権を含め、土地保有権を法的に認知しなければならない。借地権を含め、あらゆる形の保有権はすべての人に対して、強制立ち退きに対する法的保護を保証するものでなければならない。自然の共有地及び、それと結びついた共同利用・管理制度を認知、保護しなければならない。

4. 小農と農村地帯で働く他の人々は、土地や常居所からの恣意的な立ち退きに対して保護される権利、または、活動に使用し、適切な生活水準を享受するのに必要な天然資源を恣意的に剥奪されない権利がある。締約国は、国際人権・人道法の基準に従って、立ち退きや剥奪に対する保護を、国際人権、人道法に則った国内法に盛り込まなければならない。締約国は、罰則措置や戦争の手段としてのものも含め、強制退去、住宅の解体、農地の破壊、土地と天然資源の恣意的没収と収用を禁止しなければならない。

5. 小農と農村で働く他の人々は、個人としても集団としても、恣意的または違法に奪われた土地に帰還する権利、自らの活動で用いられ、適切な生活水準の享受に必要な天然資源へのアクセスを回復する権利、帰還が不可能な場合には、公正・公平な補償を受ける権利を持つ。締約国は、自然災害または武力紛争、あるいはその両方によって土地を追われた人々に対して、土地やその他の天然資源へのアクセスを回復しなければならない。

6. 締約国は、(特に、青年と土地のない人々に対して)活動で用いるとともに適切な生活水準の享受に必要な土地と他の天然資源への広範かつ公平なアクセスと、包摂的な農村開発を促進するため、再分配のための農地改革を実施しなければならない。再分配改革は、土地、漁場、森林への男女の平等なアクセスを保証し、土地の過剰な集中と支配の社会的機能を考慮し、それを制限しなければならない。公有の土地、漁場、森林の分配の際には、小農、小規模漁民、他の農村労働者を優先しなければならない。

7. 締約国は、アグロエコロジーを含め、生産に用いられ、適切な生活水準の享受に必要な土地および他の天然資源の保全と持続可能な利用のための措置をとるとともに、バイオキャパシティ〔環境収容力〕や他の自然の収容力およびサイクルの再生のための条件を保障しなければならない。

第十八条 安全かつ汚染されていない健康に良い環境への権利

1. 小農と農村で働く他の人々は、安全かつ汚染されていない、健康によい環境への権利を有する。

2. 小農と農村で働く他の人々は、環境および土地または領域、資源の生産力を保全、保護の権利を有する。締約国は、この権利を保護し、差別することなく、小農と農村で働く他の人々のため、その権利の完全な実現のため適切な措置をとらなければならない。

3. 締約国は、気候変動とたたかう国際的義務を順守しなければならない。小農と農村で働く他の人々は、実践や伝統的知識を用いることなども含め、国および地元の気候変動適用・緩和政策の作成と実施に加わる権利を有する。

4. 締約国は、自由意志に基づく、事前のインフォームドコンセントなしで、小農と農村で働く他の人々の土地または領域に、有害物質を貯蔵または廃棄されることがないよう効果的な措置をとるとともに、国境を超える環境破壊がもたらす、権利享受への脅威に対して協力して対処しなければならない。

5. 締約国は、小農と農村で働く他の人々の権利の保護に直接、間接に寄与する環境法を実施することなどによって、非国家主体による有害な措置〔abuses〕からこれらの人々を保護しなければならない。


第十九条 種子の権利

1. 小農と農村で働く他の人々は種子に対する権利を持ち、その中には以下の内容が含まれる。

a) 食料と農業のための植物遺伝資源にかかわる伝統的知識を保護する権利

b) 食料と農業のための植物遺伝資源の利用から生じる利益の受け取りに公平に参加する権利

c) 食料と農業のための植物遺伝資源の保護と持続可能な利用にかかわる事柄について、決定に参加する権利

d) 自家採種の種苗を保存、利用、交換、販売する権利

2. 小農と農村で働く他の人々は、自らの種子と伝統的知識を維持、管理、保護、育成する権利を持つ。

3. 締約国は、種子の権利を尊重、保護、実施し、国内法において認めなければならない。

4. 締約国は、十分な質と量の種子が、播種を行う上で最も適切な時期に、手頃な価格で小農が利用できるようにしなければならない。

5. 締約国は、小農が自らの種子、または、自らが選択した地元で入手できる他の種子を利用するとともに、栽培を望む作物と種について決定する権利を認めなければならない。

6. 締約国は、小農の種子制度を支持し、小農の種子と農業生物多様性を促進しなければならない。

7. 締約国は、農業研究開発が、小農と農村で働く他の人々の必要に対して向けられるようにしなければならない。締約国は、小農と農村で働く他の人々が、研究開発の優先事項やその開始の決定に積極的に参加し、彼らの経験が考慮され、彼らの必要に応じ孤児作物や種子の研究開発への投資を増やすようにしなければならない。

8. 締約国は、種子政策、植物品種保護、他の知的財産法、認証制度、種子販売法が、小農の権利、特に、種子の権利を尊重し、小農の必要と現実を考慮するようにしなければならない。

第二十条 生物多様性の権利

1. 小農と農村で働く他の人々は、個人および集団として、生物多様性と、農業、漁業、畜産を含む関連知識を保全、維持、持続可能な方法で利用、発展させる権利を持つ。また、小農と農村で働く他の人々の生存と農業生物多様性の更新が依拠する伝統的農業、遊牧、アグロエコロジー制度を維持する権利を持つ。

2. 小農と農村で働く他の人々は、生物多様性の保全と持続可能な利用にかかわる自らと結びついた知識、イノベーション、慣行を保護する権利を持つ。

3. 締約国は、生物多様性と遺伝資源の枯渇を防ぎ、それらの保全と持続可能な利用を保障し、小農と農村で働く他の人々の関連する伝統的知識の保護と促進、これらの資源の利用から生じる利益の受け取りへの公平な参加のため、当該の国際協定の義務に則った適切な措置をとらなければならない。

4. 締約国は、遺伝子組み換え生物の開発、取引、輸送、利用、移動、リリースから生じる小農と農村で働く他の人々の権利侵害のリスクを制御、防止、削減しなければならない。

第二十一条 水と衛生の権利

1. 小農と農村で働く他の人々は、生命の権利とすべての人権の完全な享受のために不可欠な、安全で清潔な飲み水と衛生の権利を持つ。また、良質で、手頃な価格で、物理的にアクセス可能で、非差別的で、文化的およびジェンダー条件上も受け入れ可能な水供給制度と処理施設の権利を持つ。

2. 小農と農村で働く他の人々は、農業、漁業、畜産に求められる水の権利および他の水にかかわる生活を確保する権利がある。小農と農村で働く他の人々は、水と水管理制度に公平にアクセスする権利を持ち、水供給を恣意的に絶たれたり、汚染されたりしない権利を有している。

3. 締約国は、慣習的な地元社会に基づく水管理制度におけるものも含め、公平な条件で、水へのアクセスを尊重、保護、確保するとともに、特に遊牧民、プランテーション労働者、季節労働者(法的地位にかかわりなく)、非正規、非公式に移住し暮らしている人々など経済的に不利な立場に置かれたり、脇に追いやられた人々に対してなど、個人、国内、生産的利用のため手頃な価格の水と、処理施設の改善を保障しなければならない。

4. 締約国は、湿地帯、池、湖、川、小川などの天然水資源、流域、帯水層、地表水源を、過度の使用や、すぐにあるいは時間をかけて汚染をもたらす工場排水やミネラルおよび化学物質の集積など、有害物質による汚染から保護し、それらの再生を保障しなければならない。

5. 締約国は、第三国が、小農と農村で働く他の人々が水の権利を享受することを損なうのを防止しなければならない。締約国は、人間の必要、小規模食料生産、生態系の必要、文化的使用を水利用の優先事項としなければならない。


第二十二条 社会保障の権利

1. 小農と農村で働く他の人々は、社会保険を含む、社会保障の権利を持つ。また、当該の国際および国内労働法に基づき制定された全ての社会保障権を十分に享受する権利を有する。

2. 農村の出稼ぎ労働者は、法的地位にかかわりなく、社会保障に関して平等な待遇を受けなければならない。

3. 締約国は、社会保険を含め、小農と農村で働く他の人々の社会保障の権利を認め、国内の状況に則って、基本的社会保障制度の保証からなる社会的保護の土台を構築・維持しなければならない。この基本的社会保障制度を通じて、生涯にわたって、必要なすべての人が、基本的な医療、所得保障(これらは合わさって、国内において必要と定められる物品とサービスを効果的に利用できるようにする)を受けることを最低限保証しなければならない。

4. 基本的社会保障制度の保証は、法律で定めなければならない。公平、透明、効果的かつ金銭的に利用可能な苦情処理および不服申し立て手続きが明記されなければならない。国内の法的枠組みにより適合したものにするための制度を導入しなければならない。

第二十三条 健康の権利

第二十四条 適切な住宅の権利

第二十五条 教育と訓練の権利

第二十六条 文化的権利と伝統的知識

第二十七条 国際連合と他の国際機関の責任

1. 国際連合、国際および地域金融機関を含む、他の政府間組織の専門機関、基金、プログラムが、とりわけ開発支援および協力の実施を通じて、本宣言条項の完全な実施に寄与しなければならない。小農と農村で働く他の人々が、自らに影響を及ぼす事柄について参加を保証する財源を確保しなければならない。

2. 国際連合、専門機関、基金、プログラム、国際および地域金融機関を含む他の政府間組織は、本宣言の条項の尊重と、その完全な適用を促さなければならない。



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# by africa_class | 2017-12-06 03:32 | 【国連】小農の権利宣言

セラードの森の中で暮らす人びと:日本企業の大豆プランテーションのすぐ横で営まれるアグロフォレストリー

今日も寒いですが、トロピカルを懐かしがって「セラードの森」について。
今度のセラードの森は、後に日本の企業が購入した大プランテーションのすぐ近くの森について。
元々そのプランテーションがあった場所に暮らしていて立退きを迫られて各地を点々としていたご家族が、ルーラ政権の「土地改革」で土地をもらって、自給の生活を始めて10年近くが経過した暮らしぶりの様子です。

前回の記事に出てくる「川べりのコミュニティ」の若者たちが教会で出会って、この「土地改革で新設したコミュニティ(アセンセアメント)」に行って感動したという話を少ししました。自らの伝統農業の経験とアグロエコロジーを融合させ、発展させたおじいちゃんのお宅にお邪魔しました。

教会のセミナーには、このような背景の人達が沢山きていたのですが、なぜこのおじいちゃんのお宅にいこうとおもったかというと、教会の中庭で落ちていた果物から種をせっせと採っていたからです。

そのうち種の話は別途したいと思います。
で、このコミュニティは、日本企業のものを含め、周りを大豆プランテーションに囲まれています。が、ルーラ政権時に、土地なしになっていた農業労働者らが土地の占拠を行い、闘い続けた成果として、政府から土地が与えられたということで、原生林というよりは、この10年の歳月にせっせと種を植えてここまでの森になった部分が大きいということを念頭においていただければ。

つまり、植生は古来からあるセラードの森というわけではないのですが、セラードにある果樹を中心に植えた結果ではあります。アグロエコロジーの手法の中でも果樹は重視されてはいますが、ブラジルのセラード地域で実践されているそれは、とくにアグロフォレストリーに近いものが採用されています。その理由は前回書いたとおり、フルーツの種類があまりに豊富でかつ栄養価が高く美味しい・・・に尽きます。街で売る事ができることも重要な一要素です。

では、おじいちゃんがせっせと育てた「セラードの森」をどうぞお楽しみ下さい。

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これは、自宅から畑、畑から森、森からフィッシュポンド(魚の池)に向かっているところで、途中に養蜂の箱があります。ハチは蜂蜜や蜜蝋を提供してくれるばかりか、自然受粉においても重要な役割を果たしてくれます。

照りつけるようなブラジル北東部の太陽を浴びてきた身には、なんとも嬉しい木陰に空気の湿っぽさです。


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この木々を抜けると・・・

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出ました。自家製、フィッシュポンド(魚の養殖のための貯水池)。
ここには、アヒルも暮らしており、アヒルのふんが魚の栄養になっています。
掘る時にはショベルカーのヘルプをもらったとのこと。
ブラジルには、土地改革後の住民のための小口融資制度があるのです。

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池から自宅に戻る途中で振り返って写した写真。
遠くに見えるのはパパイヤの木々。パパイヤは採れば採るほど背が高くなるので、最後はこんな幹事にそびえ立つようになりますが、こんな背か高いのを見るのはひさしぶりかも。手前の低灌木の中にはコーヒーの木が。コーヒーの木は日陰が好きなので、少し日陰の部分にあります。

あとは、トウモロコシ、豆類、野菜類などもあちこちで栽培中。大豆は生産していない。種は遺伝子組み換えだし、したところで企業の量と価格に張り合えるわけもなく、かつ地元の人は食べないからです。あとは、ニワトリなども飼われていました。

ちなみに最初は大変だったけれど、ほとんど手入れもしていないとのことで、自然が勝手に育つのに任せているそうです。

自宅も手作り。2LDKのしっかりとした平屋。テレビも冷蔵庫もある。でも、やっぱ極めつけはコレ。家主がよんでも出てこなかったので、勝手に皆であがったら、これがテーブルの上にデーンとおいてあった。

運転手の青年が嬉しそうにゴクゴク飲んでた。つまり・・・

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放牧された牛のミルク。
犬とおじいちゃんで牛たちをコントロールしつつ、牛乳をふんだんに飲み、果物や魚を食べ、余剰を街に売りに行く生活。そうやって街に子どもたちが学校にいく際に使う家もプレゼントこの地域の「伝統的コミュニティ」の多くは、放牧をかつて営んでいた人達です。

ちなみに放牧地を含まないおじいちゃんの敷地面積は2ヘクタールほど。日本から行くとそれでも相当広く感じられますが、一人で手に負える範囲のアグロフォレストリーガーデンが維持されている感じがありました。

で、このコミュニティから少し行くと未だ森が残っており、かつての植生を実感させてくれます。これだけ見ても、JICAのいう「不毛な大地」とはかなり違う印象かと思います。そして、「閉ざされた地帯=cerrado」と呼ばれていた理由も分かるかな、と思います。

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しかし、このような森は道路沿いには、もはやほとんど残っていません。見える範囲だけでも1割以下ではなかったかと思います。それぐらい凄まじい森林伐採が行われたことが実感できます。

その結果、広がった風景とは?
この地域にくるまでの風景はこんな感じの大豆畑が延々と続いていたのでした。まさに裸にされた大地。保護林が申し訳程度にあるものの、この権利証もあちこちの農場に使い回しされており、実際の保護林の面積は極めて小さい。

実態としては、土地収奪の「免罪符」のように使われているので、「保護林を守ればいい!」という主張は先住民族やその他の昔から暮らしてきたコミュニティの人びとにとっては何の意味もないです。

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おじいちゃんのコミュニティのすぐ近くには日本企業が買収した大豆農場が。こちらは裏作のソルガムが植わっているので、みたところ土がむき出しには見えないので「緑」な印象がありますが、実態としては、おじいちゃんの森や昔からある森にみられた多様な生き物の生態系は皆無。

ひたすら土にソルガムだけが植わっている状態。土も直射日光をあびてぱさぱさ。なので、地下水を大量にくみ上げて水をやり続けている状態なのです。この企業も巨大な貯水池を準備していますが、ひたすら二種類の作物に水をまくだけ。そして、なにより、大豆は遺伝子組み換え。そして、農薬と化学肥料をがんがんに与えられている。
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おじいちゃんの畑には化学肥料は一切使われていませんでした。
豊かな森の恵みである葉っぱ、鳥たちのふん、常に湿った空気によって、土がよい状態になっているのでしょう。そして、その土にあった種を自家採取し続けた結果ともいえるし、土地・地域の気候にあったものしか育てていないからともいえます。

たった2種類の作物を輸出するために、あれほど豊かな自然が奪われている状態を、少し身近に感じていただければ。この農場で働いている人は数十人程度(しかも季節労働者)。土地面積はおじいちゃんの敷地の250倍でようやく500ヘクタール。おじいちゃんの家族は6人家族だったので、その家族が食べて暮らせて現金を入手して街に家まで建てられたことを考えると、小農やムラに暮らす地元の人びとを豊かにするという意味では、どちらのモデルが有効なのか、しっかり考えたいですね。

まずは知ること。
何が起きたのか?
かつてはどうだったのか?
オルタナティブはどんなものがあるのか?

今さらという感じは否めませんが、遅すぎることはない。
なぜなら、日本の官民がこの地域により関与を深めているからです。
まずは、そこから始めていきましょう。



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# by africa_class | 2017-12-05 09:06 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

見たことある?「セラード」の森:「川べりに暮らす人びとのコミュニティ」を守るには

12月に入ると俄然クリスマスのムードが盛り上がってくる。
とともに、寒さも増し、普通に毎日零下が続く。

だけど今日は熱帯(トロピカル)の話をしようと思う。
今、原稿用の写真ファイルを見てて、未だ紹介してなかった「セラードの森」の写真を紹介したいな、と思ったので。原稿に疲れたのでひと休憩も兼ねて。

なぜって、依然として日本の皆さんのイメージは「セラード=不毛の大地」ですよね?
でも、違うんです。
今日のお話と写真はそのことについて。

去年6月、ブラジルの市民社会から「すぐ来い」と言われたので行ってみた・・・報告です。1年半もかかってすみません。

なぜ呼ばれたのかというと、またしても「日本が・・・」だったのですが、これは過去の投稿をご覧下さい。要は、アマゾン周辺のセラード地帯から港に向かうインフラを整備して内陸部でガンガンに農業開発をする・・・MATOPIBA計画です・・・。詳細は以下の投稿を。

アマゾン周辺地域まで伸びるアグリビジネス:日本が関わるMATOPIBAを知っていますか?

http://afriqclass.exblog.jp/237969424/

未だ病気が完治していないので、とっても迷った。
ブラジルなんといっても二十数年ぶりだし…・。
そもそも、私、アフリカでも手一杯。
なんでラテンアメリカまで…。

でも、自分の目で見て、耳で聞いて、感じなきゃ・・・というのもあった。

「セラードの森」
なんとも神秘的な響きだ。

ということで、この投稿ではセラードの森を紹介。

まず基礎知識。

「セラード」の言葉の語源を考えれば、「不毛」などという言葉がいかに間違っているか明らかなのに、日本の援助関係者の流布するイメージのせいで、「セラード」を「森」に連動させてイメージする日本の人はほとんどいないでしょう。

JICAが使う写真が、きまって草ぼうぼう(何故かいつも枯れている…)の向こうにちらりとまばらな木々が見えるものだったりするので、このイメージが付きまとう。

自分の目で確認して下さい。
https://www.jica.go.jp/story/interview/interview_75.html
https://www.jica.go.jp/topics/2009/20090525_01.html
http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/ProSAVANA/oda/2012121405.pdf

でも、セラード=Cerradoは、Cerrar「閉じる」という動詞の受動態。なので「閉ざされた」。つまり、「濃い森によって閉ざされた地帯」の意味なのです。

エーーー?!

日本のアグリビジネスや援助関係者には是非驚いてほしいところ。

じゃあ、なんで殊更「不毛の大地」と呼称し続けるのか?
しかも、最初にそう呼んだ1938年フランス人探検隊の呼称を使い続ける「目線」が、本当に失礼千万かつコロニアルですが、その話は前にもしたし、また今度。

一点どうしてもいいたいのは、セラード農業開発の関係者が繰り返し使う「原野」という表現。これは「雑草や低木の生えている荒れ地や草原。未開拓で人の手の入っていない野原」の意味ですが、非常に恣意的な表現。Cerradoの語源を考えるだけでも、この地域が「野原」であるとは言えない。ましてや「荒れ地」…。

閉ざされた森林地帯のセラードは、アマゾンに次ぐ重要な森林地帯であるばかりか、生物多様性の宝庫。植物だけで1万種以上が確認され、セラード固有の植物がその45%を占める。動物たちも含め絶滅危惧種のホットスポットとなっているほど、自然豊かな地帯であったのが、アグリビジネスの進出で地球上で最も激しく森林伐採と土地収奪が行われているところの一つになっています。

Landmatrixのデータでも、世界4位の土地取引先がブラジルで、300万ヘクタールを超える(これは日本の総耕地面積に近い広さ)。すでに多くの土地が開墾されてしまっているので、新たな取引は森林や先住民族らが暮らす地域をターゲットにしていると考えられます。<=ここは詳細なる調査が不可欠。
http://www.landmatrix.org/en/get-the-idea/web-transnational-deals/

さて、その急速に奪われつつある森と水と土地の話はすでにしたので、今回紹介したいのは、「セラードの森」とそこで暮らす人びとの闘いについて。

まずは、セラードの森を。

といっても、アグリビジネスの恐ろしいまでの展開スピードで、現在残されている森は人びとが守ってきたものだけ。ですので、人びとが共に暮らしながら守る「里森」のようなものであって、手つかずの自然というわけではないことを念頭においていただければ。

また訪問先は、MATOPIBA計画の対象地であるマラニャオン州、トカチンス州、ピアウイー州の森。
まずは、先のブログ記事で少し紹介した(下記)、「川べりに暮らす人びと(リベイラオン)のコミュニティ」の話を最初に取り上げます。とくに、どうやってこの森が生き延び、今危機の中で守られているのかについて。

Thanksgivingに新書のスケルトンを終えて:「欲望という名の列車」から降りることについて

http://afriqclass.exblog.jp/238014098/

なお、川べりの植生なので「濃い森」ではありません。あしからず。

では、ピアウイー州とマラニャオン州の境の「川べりに暮らす人びと」のコミュニティの森と木々、果物、人びとの話を聞いてみてください。

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どの木も食べられる実がなる果樹で、人びとの大切な栄養の源になっている。とくに、子どもたち。

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そして、アフリカでもブラジルでも、人が集まるところには必ずある木。
もちろん、マンゴーの木もありました。マンゴーの木の下は、川のそばの、皆が捕れたての魚をさばいたり、グリルで食べるための憩いのスペースとして活用されています。

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まだ熟していないマンゴー。
ブラジルのマンゴーはモザンビークのものと違って鮮やかなオレンジ色で小さい。
モザンビーク北部のは白くて大きくて桃のような味。
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このコミュニティが守られてきたのは、川経由で船がないと近寄れないほど、濃い森に覆われていていたため。でも、最近は土地を狙った動きに「水源」を奪おうとする動きが加わって、このコミュニテイも頻繁に収奪の危険に曝されている。
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行政が勝手にこの土地をアグリビジネスに引き渡したのでした。
ブラジルでは土地収奪において行政の偽文書の役割は大きく、さらにこれを実力行使するために使われる常套手段が、ビジネス主が雇った武装集団による追い出し作戦。その中には地元警察官が含まれていること多々。このコミュニテイも、そのような武装集団に何度も襲撃されています。

コミュニティが助けを求めたのがカトリック教会。
隔離されたコミュニティにとって、NGOや弁護士は遠い存在。
警察も行政もアグリビジネスやギャングとグル。
教会しか駆け込む先がないのです。

その話の詳細は前の投稿を。
ただ、写真をここにも貼っておきます。
ブラジルの教会は「不正義に闘う教会」です。
クリスマスが近づくこの季節に是非その事を知ってほしいと思います。

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カトリック教会の「土地司牧委員会CPT」は、このコミュニティで会議をすることにしました。コミュニティや教会だけでなく、NGOや弁護士やその他の皆が「ウォッチしているよ」というメッセージも、隔離されたコミュニティには非常に重要だということです。
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ブラジルの憲法には、「伝統的コミュニティ」というカテゴリーがあり、その領域は本来権利が守られることになっています。これは、国連のファミリー組織であるILO(国際労働機関)の条約でもそうです。

これを日本の人が理解するのが難しいのですが、「先住民族コミュニティ」「アフリカ系コミュ二ティ」の総称ではなく、色々なところから来た人びとが何十年(何百年)にもわたって作り上げてきたコミュニティのことです。このコミュニティも、先住民族、アフリカ系、ヨーロッパ系など様々な先祖を持つ皆さんが暮らすコミュニティです。顕著な文化・暮らしを営んでいることがその条件で、このコミュニティもそれに当たります。

ルーラ政権の誕生で、これらの人びとは大学入学の優先枠(アファーマティブアクション)を与えられ、このコミュニティの何人かの若者も近くの大学で勉強しています。そこで、ある若者が州立大学の農学部で学んだ知識で菜園を始めたそうです。でも、その後、土地問題を一緒に取り組んだ教会の皆さんに学んだアグロエコロジー講座の方が役に立つと気づき、今菜園を変えようとしているそうですが、未だその途中ということで、恥ずかしがりながら菜園を見せてくれました。

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この「伝統コミュニティ」で農業が盛んでなかった理由は簡単です。
森が果物を与え、川が魚を与えていたからです。

北東部の人びとに「セラードに特徴的なことは?」と聞くと何人かは必ず「フルーツ!」といいます。それぐらいセラードのフルーツは住民に愛されている食べ物であり、飲み物でもあります。道路脇のスタンドには、大抵セラードのフルーツのジュースが売られています。

「食料」の話では、とかく農業がフォーカスされがちですが、「漁業」「酪農」もまた重要な生業です。そして、特に何もしなくても恵みを与えてくれる森の果物について、世界はあまりに軽視してきすぎました。

いずれこのブログで取りあげる「食料主権」において、漁業も狩猟も牧畜も非常に重要な役割を占めています。私たちはいつの間にか「食料」を「食糧」と置き換えてきました。このことの問題について、また改めて考えたいと思います。

さて、ブラジルにいる間にセラードのフルーツの名称を教えてもらったのですが、20は下らず、またアルファベットでどう書くのか不明なものも多く、ここで紹介することができません。。。が、北東部ではあちこちのアイスクリーム屋さんに、これらのフルーツのアイスがあります!

幸いセラードのフルーツの栄養価の高さや美味しさに目を付けた企業がありました。
「セラードからの美味しいもの」
http://www.deliciasdocerrado.com.br/
12種類のセラードの果物の味のアイスを販売しています。

実は、2011年からWorld Watch研究所が、野生の果実がいかに地球と人びとを救う可能性を秘めているかの調査と啓発活動を行っています。
http://blogs.worldwatch.org/nourishingtheplanet/about-us-2/project/

日本ではほぼ知られていないのが残念すぎるのですが、『ProSAVANA市民社会報告2013』の4章で紹介しているので是非ご一読下さい。(900円しますが売り上げはNGOに寄付される仕組みです)
http://www.dlmarket.jp/products/detail/263029

戦後、人類は自然が与えてくれる恵みを否定し、自分たちが人工的に創り出す食べ物こそに価値を見出し続けてきました。そうやって私たちの身体が蝕まれてきただけでなく、地球もコミュニティも蝕まれている現実を前に、「健康に食べる、命を繋ぐ、将来の世代に環境を手渡す」という観点から考えていかなければならないと思います。

さて、次はこのコミュニティの人達が、教会のアグロエコロジーの研修で出会った農民の森・畑をみて学びが沢山あったというので、その方の家にいったときの写真を紹介します。



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# by africa_class | 2017-12-03 02:22 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

Thanksgivingに新書のスケルトンを終えて:「欲望という名の列車」から降りることについて

年内に原稿を提出しなければならない新書のスケルトンが終った。
奇しくも、Thanksgivingday(ドイツ語風に全部くっつけてみた)。欺瞞に満ちた「勝者」の歴史の語りが、今年も繰り返されようとしている最中に。

「歴史」は、後にしてきたものだと思いがちだ。
しかし、実際は違っている。
「失敗/過ちの歴史」はあっという間に忘れられるというのに、「栄光の歴史」は繰り返し、繰り返し蘇り続ける。だから、歴史家の仕事には終わりがない。

歴史は今の写し鏡であり、今歴史をどう見るかによって将来をも規定する。
2017年末の日本と米国を見ながらそんなことを思う。
とりわけ、Thanksgivingの今日、日本の政治家たちがおかしな伝統や歴史認識を持ち出してきたことを眺めながら。

私たちはあっさりと歴史を忘れるというのに、自分たちのご都合主義に彩られた歴史解釈は手放そうとはしない。
だから、「歴史」は繰り返す。

今日は、北米の先住民族の辿った歴史を、征服した側の白人が語り直す日だ。
被征服側となった先住民族の側の物語は、メインストリームの語りには決してならない。少しばかり「良識派」のメディアがこの白人の創り出した物語を批評する記事を出したとしても。歴史が全体としてどのようなものとして動いたのか、征服者と被征服者の間で本当のところは何が繰り広げられたのかの話はされない。あれから何世紀経とうとも。

今書いている本は、途中からなんだかおかしくなっていった。

最初は今風に書いた。
テキストとして。
教科書的な。

でも、ブラジルの先住民族のお母さんの叫ぶような声が、テキスト的な出来事や解説の行間や文字間から、ぬるっぬるっと顔を出し始めてしまい、もはや止めようとしたところで勝手に話し始めてしまった。だから、そのまま自由に語ってもらった。

時に、長いものを書いているとき、そういうことがある。
博論のときはそうだった。

寒い兵庫の山奥で確かに聴いたアフリカの森を急ぐ住民の声。
ざわめき。
悲鳴。
押し殺したため息。
凍らした心。

最後の一文を書き終えた後、どうしたのだろう?
無限の多様なうめき声を、耳にしながらも、ただ呆然と眺めるしかできなかった。
いや、そこから遠く離れなければと必死だったかもしれない。

弾けなかったピアノは今でも弾けない。
でも、少しずつこうやって書けるようになっているとしたら、それでよいのだと思う。

職業としてテキストを書かなければならなくなって、耳にしていたはずの「ざわめき」を封印してしまう技術を身につけなければと必死だったように思う。普通の人は違うのかもしれない。器用な人は行き来できるのかもしれない。でも、私は大方の想定と違って、とても不器用な人間なのだ。そして、おそらく必要以上に真面目すぎる。だから、その融合も、行き来も、折衷も難しかった。

もう自分のための論文は書かない。
つまり、「業績」にもう一本を加えるのための論文も本も書かない。

要らないからだ。
そのつもりで入った研究や大学の世界。
分かっていたことなのに、いつの間に絡めとられてしまっていた。

ベルトコンベアーのようにあれもこれも書いて、書いてといわれて。
書きたいと思わないことを、
私が書くのではなくてもよかったことを、
ただ書き散らしてしまった。

最初は練習だった。
必要不可欠な。
そして、今も必要ではあるのだろう。
本当は。能力不足だから。
でも、最後は苦痛で仕方がなかった。
魂がそこにないままだったから。
いただいたお題、そのストーリーに魂を見出せなかったから。

いちいち論文に魂なんて込めなくていいよ。
私も他人にはそういっていたかもしれない。
でないと終らないから。
終らないと皆困るから。

でも、やはり人生は一度きりだと思う。
魂を込めるものと向き合える時間が、あとどれぐらいあるのか分からない。

小さな声がつぶやく。
モウ ナニモイラナイ。

大きな声でいってみる。
モウ ナニモイラナイ。


その途端に、書きたいことが山のように溢れるのだから、自分のあまのじゃくぶりに驚いてしまう。

大学2年生のとき、北東部ブラジルの干ばつに翻弄される家族の過酷な物語を読んだ。
Vidas Secas(干ばつ暮らし/乾いた生活/グラシリアーノ・ラモス、1938年)
ポルトガル語の購読の授業の教材だったので、かなりイヤイヤ読んだ記憶がある。まさか十数年後に自分が同じようなことを若者に押し付ける側になるとは・・・思っても見なかった20歳のときのこと。

まだ辞書片手に(しかもポルトガル語・英語辞書しかなかった時代)、遅々として進まない翻訳(というか想像の何か)。でも、小説から漂う過酷な自然との闘いを繰り広げる人間のチッポケさ、なんといっても喉の乾き、皮膚の乾き、暑さ・・・そういったものが言語の違いを超えて迫ってきたのを昨日のことのように思い出せるのは不思議だ。使われていた単語、表現、文章は一切思い出さないというのに。

今日、新書のスケルトンを書きながら、私の脳裏にあった情景はそれだった。
ブラジル北東部、セラード地域の広大なる大豆畑のただ中を、ひたすら車を走らせたときに触れたあの乾いた空気。灼熱の太陽。

と同時に、目をつぶると、次の瞬間、赤茶けた道から離れて、奇妙な形をした木々の間をいくと、湿った空気が鼻の中をくすぐるのが感じられる。あの乾燥した空気から一瞬にして隔離されたかの。砂漠を歩いて歩いてオアシスに到着した瞬間の、あの感じ。砂漠をそこまで歩いたことないのに。セラードの森だ。

森の中を歩きながら、子どもたちがどの果物がどう美味しいのか一生懸命話してくれる。
突然、森の中にバレーボールのポールとネット。
なぜか恥ずかしそうに年長の子がいう。
「神父さんの提案で」
「あ、そうなんだ。確かに横にチャペルがあるね」
手作りの、柱が8本にヤシの葉っぱで編んだ屋根の簡易チャペル。その前には十字架がある。
もぞもぞ年長さんがする。

同行していた若い男性が口を開く。
「土地を奪いにいきたビジネスの奴らからコミュニティを守る為にです」
「え?」
「ここをコミュニティが大切に使って活用しているということを見せることで、一方的にブルトーザーで壊しにくくしています」

こののどかに見える森の中にも危険が迫っていた。
「若い男達がいないのに気づきましたか?」
「確かに」
「ビジネスの奴らが雇ったギャングに脅されてみな出て行かざるを得なかったんです」
「あなたは?」
「コミュニティを守るために残っています」
「だいじょうぶ?」
「毎晩寝るところは変えてます。雇われているギャングは隣町の若者たちです。カネが皆の心を狂わせてるんです」

Vida Secaとは180度異なる豊かな緑の木陰で、彼はささやくように話す。
川沿いの森の民に見送られて向かった先は、隣州の先住民族の会議であった。

果てしなく続く赤茶けた大地。
延々と続くむき出しの。
喉の乾きが辛い。
バスが止まるたびに水を買う。

先住民族会議には200人を超える周辺地域の先住民族が集っていた。
4日間毎日会議だ。
大学キャンパスに野営をし、野外テントで議論をする。
キャンパスの庭でたき火をしながら調理をしている様は「さすがブラジル」としかいいようがない。
主催者いわく。
「なんで?公共の場だから公共の目的のために使えばいいだけ」

朝から晩まで、先住民族の老若男女がマイクをもって、時にもたないまま話を続ける。

汚染された水を飲み、自分より若い人達が癌で次々亡くなっていくと訴えるおばあちゃんたち。

清廉なる水は命の源だった。
それが今人びとの命を奪う汚れたものになっていると。
森と暮らしを守らんと立ち上がった男たちが、
手足を切り取られた姿で川に投げ捨てられていると。

小さな小さなしなびたおばあちゃんが、杖で地面をつつきながら叫ぶ。
「ついに白人たちは植民地支配を完成させようとしているのだ」
足踏みをしながら。
「森を殺すことで、私たちを殺そうとしている」
ドンドン。
「水を汚すことで、私たちを殺そうとしている」
地鳴りがする。
「私たちの勇敢なる息子たちを八つ裂きにして、先住民族を根こそぎ終らせようとしている」
低いうねりのような声がする。
「おのおばあが命をかけて、あんたらから森と水と息子を守る。弓矢に毒を盛って」
足踏みが止まらない。地響きのような。

このおばあちゃん独りではなかった。
女性たちが語る悲劇と決意は、議事進行役の年配の男性たちを困らせるほどの勢いだった。

女性たちの前に無言で並ぶ政府の役人や学者たちは、皆色が白い。
南部やサンパウロの訛で話している。

先住民族担当官に女性が詰め寄る。
「あんたたちを信頼した私たちが間違いだった」
「あんたたちがやったのはなんだったのか?」
「就任してから、一度だって私たちのコミュニティにきやしない。私たちのリアリティを知ろうともしない。」
「忙しい、忙しいって、何をやってるかと思ったら・・・
あの業者とご飯を食べることじゃないか!私たちを殺しにくるあいつらと」

会場となった野外のテントには風がびゅうびゅう吹き荒れる。
森を失ったこの地では、どんな風も容赦なく打ち付けるのだ。
おばあちゃんによると「自然の叫び」なのだそうだ。
自然の叫びは止まる事を知らない。
もう誰も自然の叫びを止められないところまできてしまった。

「欲望という名の止まらぬ列車」に、私たちは乗り合わせている。
ただし、その「欲望」は1%の人びとのものである。
それ以外は今日・明日の命をかけてその列車に振り回されんとしている。

この列車に乗りたくないといっても、列車は道行く先々のすべてのものを根こそぎ網にかけて引きずり続ける。

私たちはどうやったらこの列車を止めることができるのだろうか?
もう止められないのだろうか?
止めることで、別の何かが引き起こされるのだろうか?

だとしても。
たった一個のカタマリにすぎない私が応答する。
まずは降りてみること。
たった一人にすぎないとしても。

木々のところにいく。
迷ったときはいつもそうするように。


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# by africa_class | 2017-11-24 08:10 | 【徒然】ドイツでの暮らし

ブラジル・セラード日系農場と住民の水紛争:ニッケイ新聞を見ながら思ったこと

新書の執筆が佳境でして、なかなか色々手がまわっておりません。が、今日は、オランダに派遣されてきたゼミ4期生(だっけ?)が遊びにきてくれるので、放置しぱなっしの家の掃除を・・・と思ったら、田舎の家…手がまわらない。諦めたところです。欧州に現在2名、アフリカに3名、東南アジアに1名、米国に2名、オセアニアに2名、中東に2名、あと所在不明の人多数、その他諸外国と行ったり来たりの皆さんですが、日本国内でも北海道や島根にもいて、いつか皆を尋ね歩く旅をしたいなと思っています。もちろん、東京&首都圏で大活躍の皆さんも大いに応援しています。

このブログで紹介しているブラジル・セラード(バイーア州西部)で起きている日系農場と地域住民の水をめぐる紛争ですが、少しずついろいろ情報が出てきています。

その中に、サンパウロで発行されているニッケイ新聞の記事があります。
「ブラジル=五十嵐農牧を500人が破壊」
(2017年11月17日)

記事は、日系人である五十嵐氏が興した企業(五十嵐農牧畜株式会社として紹介)を全面的に支持する立場から書かれています。住民たちを「破壊目的の抗議グループ」とよんでいます。

サンパウロには、二つ日系新聞(日本語で刊行されている日刊紙)があり、一つがこの「ニッケイ新聞」。もう一つが、「サンパウロ新聞」です。

私は、ブラジルに留学していたとき、「ニッケイ新聞」の出している月刊誌でアルバイトをしていて、連載記事と写真を担当していました。また、ニッケイ新聞が出していた本の編集なども手伝っていました。

月から木まで遠いミナスジェライス州の大学で勉強し、木曜日の深夜バスで8時間かけてサンパウロに向かい、朝着いたらすぐに、日本人街を通って、新聞本社ビルに向かうのですが、毎回自分が映画の中のワンシーンを歩いているような、すごく不思議な感覚でいました。一度、リベルダーデ界隈に入れば、もうポルトガル語は必要ありません。日本語で話し、日本語で編集し、日本食を食べて、日本のカラオケで歌う。

日本人が留学生以外には日系人を含めまったく見当たらない町で、ブラジル人ばかりの中で暮らし、一日中ポルトガル語の嵐の暮らしでは(当時のパートナーの英語はさておき)、ほっとするような空間と時間でしたが、時に疑問を持たなかったわけでもありません。そのうち、サンパウロの下宿先を日本人の編集長のところから、ブラジル人のところに変えてからは、少しバランスを取りながら日系コミュニティとおつきあいさせていただけるようになりました。

アメリカの大学の先生と書いていた本の関係で、日系コロニア(ブラジルの日本人・日系人コミュニティ)について学ぶようになり、色々な人にインタビューし、農村部に足を運んで調査をして、その歴史や社会に魅了されました。どこにいっても優しく接してもらって、日本からわざわざ女独りで留学になんてきて、ブラジル人だけのところで暮らすなんて…と何度もビックリされました。軍政が終ってすぐの1991年とあっては、特に農村の皆さんにとって「コロニア外は怖いところ」というイメージが強かったように思います。日本から直接きた若い日本人は「価値が高い」から、もらいて沢山あるよと何度もおすすめいたただいたものです。

当時、私は、心やさしき日系コロニアの皆さんの語りたがらない歴史を調べていました。所謂「勝ち組」「負け組」についてです。最初は、ただ本のために材料を集めていたのですが、ミナスのブラジル人社会、サンパウロのリベルダーデ周辺の知識人社会や商売の皆さん、農村部のコミュニテイの皆さん、サンパウロのブラジル人社会、これらを行き来するようになって、次第に日系コミュニティ内部の多様性と亀裂、そしてコミュニティ外との接触と断絶に関心が移るようになったからです。

その後、ブラジルの北東部、アマゾン、ブラジリア、南部を訪問し、ブラジルのスケールの大きさと多様性に圧倒されるとともに、日系コロニア内部の表現のあり方が気になっていきました。つまり、昔からそこに住んでいた先住民族の皆さんを「カボクロ」と呼び、『カボクロだから出来ない」「カボクロだから盗む」「カボクロとは結婚させない」…これらの表現に、若かった私は打ちのめされてしまいました。

カボクロとは蔑称で、『世界大百科事典』では次のように説明されています。
https://kotobank.jp/word/%E3%82%AB%E3%83%9C%E3%82%AF%E3%83%AD-1155471
「現代のブラジルで,おもに下層の,無知な田舎者を指す。トゥピ語のcaá‐bóc(〈森から出て来た者〉の意)から出た言葉で,もともと混血者の意味はない。古くはインディオ自体や,特に白人社会に接触し,奴隷化され,キリスト教になじんだインディオを指し,やがては白人の土着した者や白人とインディオの混血者をも意味するようになった。元来軽蔑の意があるが,ナショナリズムが強まる風潮の中でブラジル国民性を代表させる語にも用いられる。」

私が暮らしていたミナスのアパートは、貧困層の人びとが暮らす地域にあり、仲の良い友人たちは北東部出身のアフリカ系の皆さんや先住民族をバックグランドにする人が多かったのです。貧しいながらも助け合って暮らす住民たちの中で送った日々は、その後私をアフリカに導いていきます。

日本に戻ってから、文献調査を開始し、国会図書館の移民資料室に通い、日系人の協会に行き、外務省の昔の担当者の方に会いに行って資料をいただき、先生方を尋ね歩き、なんとか卒論を終え、その卒論を土台に本のブラジルの章を完成させました。大学院1年生のことでした。奇しくも入管法の改正で数多くの日系ブラジル人、ペルー人が日本に入ってきた時期で、ブラジルでお世話になった恩返しにと思って、小学校に教育補助に行き、教育委員会のお手紙を翻訳し、これらの人びとを取材したメディアの通訳やコーディネイトをして、なんとか少しでも日本=南米の人的関係を発展させられたらな・・・と思っていました。

でも、ブラジルの日系移民研究に戻ることはありませんでした。
津田塾大学の博士課程に進んだ時、そこが移民研究の拠点でもあったことを知り、先生方に勧められもしたのですが、私にはどうしても「カボクロなんて」の表現に反発する気持ちを抑えることはできないと、その時はもうはっきり自覚していました。

私は、物事を見る時には、相対する視点で見ようとします。
「鳥の目」<=>「虫の目」
「森」<=>「一本の木」
「今・現在」<=>「人類史」
「権力」<=>「被抑圧者」
「常識」<=>「非常識」

実際は、これらは相対するものではなく、混じり合っているわけですが、意識的に自分の思考のプロセスとして、このような視角を取入れようとしてきました。上手く行かないことも多いのですが。でも、立場を取る必要があるときには、この思考プロセスは失わないものの、「虫」「一本の木」「人類史」「被抑圧者」の側に軸足を置くことを決めています。これは、そうでなければ、この人生をまっとうする意味がないと、すごく小さい時に決めてしまったからです。

世の中、どんな素晴らしい(とされる)社会でも国でも、「虫」「被抑圧者」の側の論理で物事がまわることは殆どあり得ません。これは歴史においてもそうで、今もそうで、これからもそうでしょう。このような側に立つことは勇気がいるし、損もする。決して大多数側にはなれない。でも、だからこそ、自分一人ぐらいはその立場に立とうではないか、そう決めたのが4歳のあの時なのです。

それから、迷いはしなかたものの、自分の無知・足りなさ・傲慢さ・修行の足りなさ・弱さによって、そうできなかったことも多いことは事実です。「先生」などという職業はそれに輪をかけてしまった。まだそれが乗り越えられていないのも自覚があります。でも、完璧がないとも知っています。自分の足をおきたいところを自覚して、少しでも役に立てればいいなと今は思います。そのためにも、学ぶことがまだまだ沢山ある!

このコレンチーナの「事件」をニッケイ新聞がそのように報じたい理由はよく分かります。そして、農場側・農場主・アグリビジネス経営者側からみたときに。でもどうでしょうか?この事件を、とくに人類史の中に位置づけ直したときに、見えてくる風景は劇的に異なります。

その風景こそを紹介するのが私の役目かもしれない、そう思っています。


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# by africa_class | 2017-11-19 00:01 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

【続報】ブラジル・セラードの日系農場とコミュニティ紛争:大規模集会

土曜日の住民大規模集会をお伝えするはずが、少し時間が空いてしまいました。

下記の記事の続報です。


ブラジル・セラードの日系農場とコミュニティ紛争:水問題でついに住民占拠へ

http://afriqclass.exblog.jp/237974421/


といっても現地から届いた写真を紹介するだけになります。

すみません・・・。


でも、間違いなく、皆さん驚きます。

というか、この私でも、自分の目を疑ったほどの、、、凄い人の群れでした。

特に、バイーア州西部といえば、本当に奥地。

そこにこんな数の群衆が連帯のために結集するとは。


このマーチは、膨大なる水の「収奪」をしているという「イガラシ農場」を占拠し、灌漑設備を破壊したコレンチーナのコミュニティの住民への連帯を示すために、街の人達だけでなく、周辺地域や全国から集まった民衆の様子だそうです。

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すでにFBなどで掲載済みの写真だそうですが(なので絵文字が)、とにかく凄い人です。道の奥の奥まで群衆。。。おそるべしブラジルの民衆パワー。皆さん、思い思いのプラカードを掲げていたり、手にもって歩いているのが、さすが民衆行動の本場ならではの雰囲気です。


この女性は、「私たちのセラードを大豆かジャガイモのために引き渡すのはもう沢山!」と掲げてらっしゃいます。表情の厳しさに、本気度がひしひしと伝わってきます。「もう沢山!」は赤字…。


皆さんが思う「ぶらじ〜る、ブラジル!私のぶらじる〜」というあの脱力感溢れる音楽の雰囲気とは異なるブラジルの姿がここにあります。といっても、皆普通に歩いたりせず、スローガンをリズムにのって、サンバのステップで歩いたりすることもあるので、そこはブラジル風味。でも、「やるときゃやるのよ!」が、やっぱり私のブラジル社会運動の印象。


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しかし、この農場が日本人移民が設立した企業によって運営されている日系農場であることを考えると、とても複雑な気持ちになります。


例えば、このお兄ちゃんたちのプラカード…。「そのジャガイモ、日本で植えろ!」のスローガンが、日の丸とともに描かれている。現在の会社のオーナーは2世。ブラジル人なのだけれど、やはり日本の背景が付きまとうのかと残念な気も。でも、一方的に水を奪われる側にしてみれば、どうしてもこのような感情をもってしまうのでしょうか。

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こちらのお姉さんたちもまた沢山のプラカードを掲げてらっしゃる。


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でも、最後の女性のイメージが一番パワフル。

手作りの水がめを頭に乗せた女性の、この決意溢れる表情も、胸に迫ります。

なんて書いてあるか分かります?


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「喉が乾いたまま死ぬより、銃弾で死んだ方がましだ」


それぐらいの危機的状況の中でコミュニティの人びとは暮らしており、やむにやまれずの行動だったことが、ここにもはっきり示されています。


その頭上を警察のヘリコプターが威嚇しながら旋回。


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この矛盾と対立は、ここだけの話ではありません。
スケールが大きくなり、目立っただけで、セラード地域で日常的に起きていることです。

それをもたらしたセラード農業開発に私たちの国・援助機関が関わっていたこと、そして現在も関わっていることについて、決して忘れてはならず、皆さんにぜひもっと関心をもってもらいたいと思っています。

この詳細は以下の記事を。

アマゾン周辺地域まで伸びるアグリビジネス:日本が関わるMATOPIBAを知っていますか?

http://afriqclass.exblog.jp/237969424/



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# by africa_class | 2017-11-16 07:17 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

ゴビンダさんのマリーゴールドが思い出させてくれたこと:春がいつか必ず訪れることを信じて

寒いです。雨は降っていないのだけれど、毎朝霜が降りているため、ついに畑の周りを彩っていたマリーゴールドが凍ってしまいました。

嫌なことを思い出してしまったので、今日は畑と森の中でせっせと冬支度をしていたところです。そのとき、凍ったマリーゴールドをどうしようかと思って(種を採ろうと思ってたのに間に合わなかった)、ふと「ゴビンダさん」のことを思い出しました。

東電OL事件で、えん罪によって15年間も刑務所に入れられていたネパールのゴビンダ・プラサド・マイナリさん(51)。再審無罪確定後、初めてネパールから来日し胸中を語ったインタビュー記事が、上記のHuffpostに掲載されました。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/11/12/touden-ol-15years_a_23274952/

記事の抜粋です。

「当時のことを話し始めると、マイナリさんは目を真っ赤にした。計15年間、身柄を拘束された拘置所や刑務所で、精神安定剤や睡眠薬を手放せなくなった。支えは「自分はやっていない」という思い。面会の支援者や弁護士、家族から届く手紙にも励まされた。

 小さなことに心の安らぎを見いだした。拘置所の窓から聞こえたハトのつがいの甘い鳴き声が愛のささやきのように感じられ、妻を思った。刑務所では、運動に出るグラウンドで、マリーゴールドの花が咲いているのを見つけ、看守に見つからないように1輪摘んだ。ポケットの中に隠して房に持ち帰った。マリーゴールドはネパールの祭りで首飾りをつくる花。房の中でこっそり香りをかぎ、ひとり故郷のことを思った。」


私も子どもの時、辛いとき、野の花、あぜ道の草に癒されました。

その匂いを嗅ぎ、虫を眺め、花びらや葉っぱの様子を眺めているうちに、すーーっと嫌な気持ちが和らいでいくのを感じました。頭上に飛ぶ鳥を見ては、鳥はいいな、自由にどこにでも行けて…と羨ましく思っていました。


決して自由がなかったわけではないのです。時間も与えられていたし、物質面では不自由がなく、他人から見ると羨ましい環境にいたと思うのです。けれども、日常的な暴力と権利侵害の現場に、行く所をもたない形でいるしかなかった子どもにとって、申し訳ないけれど、家は刑務所のような空間としか思えなかった。


私が、小学校にあがるまで、家の中でほとんど言葉を発しなかったのは、そういう理由だったのですが、なんからの障害か病気だといって親がいたく心配して先生たちに相談していたことを、後になって知ったときには、唖然としたものでした。つまり、そんなに理解されていないんだと。幼稚園のときから、誕生日もクリスマスもプレゼントは要らないからお金を頂戴といって家出のためのお金を貯めていたことも、家出セットを押し入れに隠していたことも、家族に話せたのは随分後のことでした。


親は親なりに頑張っていたと思うけれど、私が感じていた現実はそういうものでした。


その後、突然家族が崩壊してしまって、ポカーンと自由な空間が出来たので、もはや家出の必要はなくなったのだけれど、それまではちょこちょこと近場で家出をしたり(誰も気づかず)、祖父母のところに逃れたり(親には遊びに行くと)をしていました。最終的には、せっかく19歳で本格的に家を出て、新しい生活を始めたというのに、またしても、しかし今度は自分の選択によって、自由な空間を失ってしまったことに、後悔し続けた二十数年でした。


チェーン(鎖)を断ち切るということは、なんと難しいことなのだろう?

自分の中の弱さに何度も打ちのめされ続けたこれまででした。


今、このことを、すべてではないものの、ある程度笑いながら家族とできるようになったことを、嬉しく思います。いろいろあったけれども、それもすべて何らかのgift(ギフト)だったのだと、今では思えることが多くなりました。


マリーゴールドを見ながら、そんなことをつらつら思い出し、考えたのでした。

自然の中にいると、本当に色々なことが頭に訪れます。

ただ手を動かしているだけだというのに、流れるように想いやコドバや考えが訪れては消えていく。


雲のように。

風が強いときは、早く流れる。

風が弱いときは、ゆっくりと。

自然に翻弄されながら、身体も思考もゆらゆら揺れる様を、真冬の寒さの中ですら感じることができて、ただただ大声で感謝したくなります。


ゴビンダさんのようにいわれのない罪の責任を負わされて15年間も牢屋に閉じ込められていたとすれば、どんなに辛いことでしょうか。選択肢がなかったとはいえ、よく我慢できたなと本当に思います。


私だったら…。

胸に迫る苦しさを開放するため、凍ったマリーゴールドのもっていたはずの香りを求めて手のひらに花びらをおいて匂いを嗅いでみたのでした。


かすかに残るマリーゴールドの香り。

甘いような、不思議な香り。


この記事を読むまで、マリーゴールドがネパールのお祭りで使われる聖なる花だと知らなかったです。


マリーゴールドというか、タゲッテ(Tagetes)として知られている。

畑のお友達。


センチュウよけになるので、大根や人参などの横に植えます。

また、アブラムシよけになり、植物を元気にしてくれるので、畑のあちこちに植えているのですが、おいしいようでナメクジ様の大好物。油断すると全部食べられるので、大きくなってから移植しなければならなず手間がかかります。


子どもの頃のことを思い出すのは骨の折れる仕事。
今日はもう十分してしまったので、前に進みましょう。
幸い温室のマリーゴールドは生き延びているので、花びらを一片拝借して、枕元に置こうと思います。写真は温室(といっても何もヒーティングはないのですが)の中のトマトと一緒に植えているマリーゴールド。

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凍ってしまったマリーゴールド。。。

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そんな寒さでも、ドイツ生まれのふだん層は2年目の冬になるのに、こんなにがんばっている。すでに沢山の種も採らせてくれ、その横から出てきた脇目から、さらに新しい芽がドンドン出てきているという健気さ。負けてられないね。

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どんなに寒い夜も冬も、ただ生き延びることが、いつかの春につながると、実感を込めて思います。

春は遠いかもしれない。
でも、かならずくる。

もし、かつての私のように閉塞感ただよう辛い状況にいる人がいれば、いつか春がくることを信じて生き延びてほしい…ただただそう思います。

4歳のとき、真っ黒な日本海の水を眺めていた私のところに、ふと訪れた「何か」もそんな一言だったのかもしれないと、あり得ないものの、そう思うときがあります。自分の中の命の輝きを、そっと抱きしめてみてください。




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# by africa_class | 2017-11-15 02:25 | 【徒然】ドイツでの暮らし

解禁:自家製ヴァン・ナトゥール2017(自然派ワイン)

ワインを作るようになって3年目の冬がやってきた。
日本とドイツとその他の地域を行ったり来たりの数年なのだけれど、秋から冬にかけてのこの時期は、収穫期であることもあるし、クリスマス前ということで、ドイツに滞在することが多い。本当は、ドイツは5-6月が一番最高だということを、皆に伝えておきたいところだけれど、その話はまた今度。

この家に越してきたとき、勝手口に伸び放題のブドウの老木があって、風情はあるものの、剪定めんどくさそうだと思った自分を恥ずかしく思う。しかも、駐車場のジャリの一角に、申し訳程度に囲われた花壇から伸びている一本の老木。

肥料も水もなーんにもあげないままに最初の秋が過ぎた。
そして、大量になるブドウを眺めつつも、あの時は病気すぎてブドウを収穫しようという発想すら起こらず、家族が「ブドウがやばい。大量になってる」といっても、「鳥さんたちにあげればいい。いつも人間が食べなければと思う発想が間違っている」などと高尚なことを言い放っていた。ベットから…。

2年目の秋に、元学生たちがお手伝いにきてくれたので、「そうだワインを作ればいい」と思い付いた。ブドウを収穫してもらって、ひたすらブドウの実と枝を分けて、ボウルの中にぶち込む。そして、ブドウを素手で潰し、砂糖を入れて軽く蓋を閉める。

どぶろくづくりで培ったノウハウと『現代農業』の投稿記事を頼りに、見よう見ねで作ってみたのだけれど、なんか上手くいかない。やっぱり細部は自分の経験で培っていかなければならないのだと納得し、砂糖の配分、ぶどうの甘さ、混ぜる回数、室温などをボウルごとに変え、さらにボトルごとにラベリングして、味見をしてはノートに記すの繰り返しをした。

病気のわりに頑張ったが、そのうち面倒になってしまって、3年もののワインボトルが何個もリビングに貯蔵されたままの状態にある。

毎朝アルコール度をあげていくワインを味見するのは、そのうち辛くなって、じゃあ夜やればいいのに…夕方以降は病気のせいか起き上がれない傾向があって、味見もそのうちしなくなった。ノートも今となってはどこにいったのだろうか…という雑さ加減が、初年度の前半だった。

しかし。
恐るべし当時14歳が、母の情熱が萎え、すべてを放置していることに心を痛めたのか何なのか、ネット先生を通じてお勉強の上、こうのたまった。

「ママさあ、砂糖あかんっていつもいってたやん?」

ここはドイツ。
育ちは東京。
でも、我が家の共通語は関西弁だ。

「えっと・・・そうだけど・・・」

動揺する私。
子どもの矛盾を鋭くつくときの勝ち誇った表情、イキイキとした視線は、病気のときは辛い。

「だいじょうぶ。ママ」

勇気づけるような笑顔で語る彼。
丸顔だったはずなのに、いつの間にか父親に似て・・・

卵だ。

「砂糖入れなくてもちゃーんと発酵するんだって」
「するの?」
「するんだけど、その場合、完熟のあまいブドウじゃないといけないって」
「あまいよ、ブドウ」
「いや、ママは早く取りすぎたんだよ。もっと黒くなってから取らないと」
「黒いよ?」
「ママーーー、だいじょうぶだよ」

そうだった。
闘病中の私に、誰が教えたわけでもないのに、彼はいつもいつも同じ台詞を私にかけ続けてくれたのだった。その一言がどれほど私を救っていたのか、今になってぼんやりとしてきているのだけれど、決して忘れないために書いておかなければならない。

何年も「ママ、だいじょうぶだよ」を繰り返してくれた12-15歳までの息子よ、母は君の優しさを一生忘れないよ。そして、その間、君がすべてのことを我慢して、耐えてくれたことに、心から感謝したい。あの時、君は父親といつも衝突してて、窓ガラスがいっぱい割れたのだけど(内緒ね)、それは私にぶつけられない想いを、そんな風に解放せざるを得なかったということを、母は分かっていた。でも、どうすることもできなかった。情けなかったね・・・。親として。

話はワインだった。
ということで、14歳のワインを作ってもらうことにした。
そしてまたしても、ネット先生は、正しいということを私たちに証明してくれることになる。

私の収穫より1ヶ月も遅く収穫した彼のブドウは丸々と太り、真っ黒に光り輝いている。
「ママ、このブドウ食べれるよ。すごく甘い」
ワインの源としか考えてなかったために、一切果物としての価値を認めなかった私にとって、その一粒はやや勇気がいるものだった。でも、確かにびっくりするぐらい美味しく、普通に日本で買っていたような果物の味だったのだ。

そしてワインが飲めない彼は、せっせと私を呼んでは味見をさせ、砂糖なしでワインが出来ることを証明してくれた。そして、白ワインと赤ワインを完成させた。彼の言ったとおり、私のワインより美味しかった。

翌年から、私はビン詰めをやめて、味噌の壷を使って、砂糖なし+完熟ブドウでワインが出来ることを確認し、とにかく出来立て1週間ぐらいのものを愉しむことに戦略を切り替えた。なぜなら、しっかりとした味のオーガニック・ワイン(ヴァン・ナトゥール)が400円ぐらいで買えるヨーロッパにあって、あえて自家製で楽しみたいとしたら、発酵中のものだよねという結論に行き着いたから。

ただし、味噌樽、ボウルを総動員して作ってそのまま放置してしまって、お酢になってしまったり、酵素になってしまったものもある。お酢は調理に使い、やや出来の悪いやつは畑の活性剤に使い、酵素になったやつはどうしようかと迷って1年が経過してしまった。

で、今年は庭の木々に色々な病気が発生して、ブドウの葉っぱにもうつったのだけれど、今迄にないぐらいの量のブドウがなるわなるわ。。。確かに春先に米のとぎ汁を豆乳パックで育てた乳酸菌をあげたのだけれど、それ以外はしていない。とにかく誇張なしで100キロ以上はできているので、いま3度に分けてワインにしているところ。

で、1度目のワインが丁度できたところなので、解禁してみた。
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これは未だ発酵中(ブドウの皮も種もはいったまま)のもので、仕込んで1週間目のものの上澄みを掬ってグラスに。奥に見えているものは、息子が14歳のときに作ってくれた買い物かご(地域の伝統的工芸品)とモザンビークの農民にもらった豆を今日収穫したままに。なんで籠おいたかというと、その裏に、ツレの私物がてんこ盛りできれいじゃなかったので。

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底からかき混ぜて10分置くと、発酵が進んで泡あわが出てくる。
これが一番おいしいのです。
無濾過ワイン。
これが飲みたくて、ワインを作ってるようなもの。

あまりに美味しいのでもう3杯も飲んでしまって、仕事がまったく捗らない。
本当は、ブドウの木の写真など紹介しようと思っていたけれど、それはまた今度。

そして、ワインづくりのコツもいつかのせますね。
でも、気が向いたらブログなので…そこはすみません。
誰も教えてくれなかったけど、重要なのは、白くしぼんだ実と小さな枝を一緒に入れることです。

テーブルは、息子が15歳のときに作ってくれたオークの木のワインボトルかけ。実はこれが私の仕事机なのです。この机の下にバスクで買ったイランの手作りカーペットがあり、その上にマサイの毛布があって、その毛布の上で、ネコのお母さんであるニャーゴ様が横になっているわけです。

しかし、遅いな、17歳の調理人。。。あとは、17歳のメインディッシュだけなのです。

今日は自動車学校の日。
いつか、彼の運転する車に乗せてもらえる日がくるのかなと思ってたけど、もう目前。それも不思議です。

すでに、チキンの骨+庭のハーブ・スープと玄米は炊けており、畑の野菜もとってきた。薪ストーブだと、鍋に材料を入れてストーブトップに載せておくだけで、調理をしているという感じではなく、1分クッキングなのです。私から薪ストーブを取り上げたら、もはや調理できないかもしれない。

そうだ。御犬様のお墓にお供えをしてきました。
週末に遊びにきてくれる元ゼミ生のあなたが、気になってるといっていたので写真のせておくね。
自家製ワインとお墓があなたのお越しを待っております。
(息子から質問。「また、シャケとかカニとか背負ってくるの?」)

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あ、もどってきた。では、また。



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# by africa_class | 2017-11-14 04:40 | 【徒然】ドイツでの暮らし

こっそり共有:17歳の料理(その1)

今日、日本に暮らしていたときの近所のご夫婦が、はるばる遊びに来られた。亡くなった御犬様のお骨とともに。。。

御犬様は、ドイツの出身なので、ドイツの土に還りたいだろうということで、お骨はいま、リンゴの木の下に丁重に埋まっている。

そこには、ウサギのルル様や、交通事故で轢かれていたハリネズミ2匹、ネコどもにやられたネズミ様や、モグラ様もいらっしゃって、寂しくはなかろうと思うものの、果たしてお犬様は本当にドイツに戻ってきたかったのか、どうかについて考えあぐねている。

分骨なのでいいのだが、見ず知らずの私たちやその他の動物様たちとのいきなりの遭遇である。嫌な想いをしないでもらえるよう、お花がない季節なので、ドングリと松ぼっくりを、明日お供えしようと思っている。

息子は7年ぐらい会っていないこともあり、いきなり「おっさん」が出てきたので、たいそう驚かれたが、月日が経つのはなんと早いことだろうかと改めて思った瞬間だった。

しかし、一番驚かれたのは見かけではなかった。
17歳の彼が毎日、夕食と自分の翌日のお弁当を作っていると知って、唖然とされた。日本のお母さんたちにとって、「お弁当はお母さんが作るもの」のようだ。

スミマセン・・・。
誰に謝ってるのか分からないが、とにかく謝っておいた。

ドイツの小さなこの空間に突然日本がきたので、とりあえず日本式をやっておいて外れはない・・・カナ?日本にいても日本の人らしくない私だから、どうせやってみても付け焼き刃だが。もちろん、息子は、それを見逃さない。非常に怪訝な顔をして私をみるので、急いで付け加えた。

「昨日のご飯の写真を見せてみたら!」
気まずい時にはスマホがある。
これは万国共通。
どうよ、と思いはするが。

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17歳による「ヤキトリご飯2017 Nov 12 1st dish」
・カヤクご飯(サバの薫製+人参+白ネギ+高野豆腐+椎茸)
・焼き鳥
・サツマイモのフライ
・庭の野菜
・椎茸の串焼き(肉を食べない私用)

もちろん、盛りつけも自分。
立体的に見せることを最大限に。

でも、これで終っておらず、これもついてきた。

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17歳による「ヤキトリご飯2017 Nov 12 2nd dish」
・ジャガイモ&チーズのオーブン焼き(トッピングはザクロ)

で、これで終わりではなかった。
なぜなら、母は肉を食べないから…。

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17歳による「ヤキトリご飯2017 Nov 12 3rd dish」
・ワイルドサーモンとリネンシードパウダーの「つくね」
<=これに、母が作った味噌汁がついてる。

いや、私はサバの薫製でいいといったのだけれど、とにかく「つくね風」に作るのをマスターしたいということで、おまかせしたところ、これが出てきたのが、夜11時20分のことであった。

そして、ドイツでは直接照明は少ない。間接照明が普通。しかし、夜ご飯ともなればキャンドルライトが普通。とくに、冬のこの時期は。なので、、、闇鍋のような薄暗さで見えないかもだけれど。

しかし、せっかくの土曜日の夜を情熱をもって注いでできたものを、私たちはただ胃袋に収めてしまって、なんとも申し訳ないやら有り難いやら。

あまりに嬉しいので、褒めて褒めて褒めちぎって、それでも足りないからむぎゅっとしようとすると、さすがに17歳に毛嫌いされてしまった。

さて、元ご近所さんご夫婦から聞かれた。
「息子はご飯作らないし、作っても自分の分だけ。どうしたらこういう息子になるのかしら?」
ちなみに息子さんは30代。
時々こういう質問がくるのだけど、いつも答えに戸惑う。
一応、いつもの説明をする。
つまり、

1)2歳でMy包丁をプレゼント
2)台所はオープンキッチンで、料理はいつも一緒にしていた
3)どんなに散らかしても怒らず、なるべく独りでできるように手順を一通り一緒にした
4)原材料を一緒に確認し、入手するところから重視した
5)味噌づくりも、「母は力がないから出来ない」なとど言って、彼に踏んでもらったり、潰してもらう「担当」を任せてきた
6)安全に料理ができるようになると、一品から任せた

あとは、言わなかったけど、これも重要だったかもしれない
7)冷蔵庫の中身から「何か」をひねり出す作業を一緒にできるときはした
8)買い物から一緒に参加してもらって、食材から料理を想像する作業を一緒にやって、それを料理に反映させるようにした

そして、私が料理本やクックパッドをみて調理をしないことも重要なポイントなのかもしれない。

すると、即座に聞かれたことがあった。
「いつも褒めてた?褒めて育てた?」

そう。ばっちり褒めてた。
自分でやるときはいつも褒めてたけど。
でも、後片付けができない。
だから、「その時その瞬間」ではなく、後で改めて「後片付けまで入れて料理だね」ということをさらりといってたら、そのうち、自分で工夫して後片付けしやすいようなボウル遣いなどもするようになった。

と説明すると、やっぱり褒めて育てるのって重要だよね、という話になった。
ちなみに、3人のお子さんは皆さん立派に育ってらっしゃるので、別に何か心配があるわけではなさそう。ただキッチンを任せられないのが哀しいのだそうだ。

いや、そこにはコツが。
つまり、「任せられる」のは、誰だってイヤ。
義務っぽくなるのは、母だって。
だから、「自分からしたくなる」ような環境づくりにMAXの力を注げばいいのである。

つまり?

・母や父が頑張りすぎない。
・部分的にでも、一緒にやりつつ、その部分の彼らの工夫を褒める
・彼らのタッチが料理を変えるんだという実感を感じてもらう
・そのためには、りょうりにるーるを設けない
・むしろ毎日が実験!・・・創意工夫ありのアートなんだ!
ぐらいの勢いでやる
・成果物を振り返ってニンマリできるように写真化する
・彼らの頑張りを世間に発信する
<=イマココ

といっても、17歳は別にもうそんなこといわなくても、勝手に展開しているので、彼が食にどうして拘るようになったのかの話のほうが実は彼のモチベーション的には重要なのだが、それはまた今度。

頭出ししておくと、
「ケンコウ」「カンキョウ」「チャリーン」の三点。
おそるべし17歳。

とはいえ、部屋の掃除はからっきしダメ。
荷造りもダメ。
忘れ物多し。
この間日本に戻る時、荷造りしたバックを一つ忘れたまま旅立ってしまった。
故に着替えがなくて困った、コマッタ。
そういうときだけ子どものフリをするのも、どうかと思うが。

さて。
客人が帰った後も彼のQuestは続いた。
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17歳の「日曜サラダランチ2017」 Nov. 13 1st dish
・ザワークラウト+玉ねぎスライス+庭野菜+サバの薫製+酢漬けサーディンのサラダ

サワークラウトは私が庭のキャベツ(2期目)を10月頭に浸けておいたもの。なんかそれを使ってやりたいといっていたので、ただタッパーを渡したら、こうなって出てきた。

二品目は昨夜のツクネ。
そういえば、ツクネやフィッシュケーキは、彼が毎日のようにあれやこれやで工夫している。
舞台裏もお見せしてしまおう。
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これも、リネンシードの粉とワイルドサーモンを団子にしている。
味付けはカレー風味。
といっても所謂カレー粉を使うわけではない。
自分でスパイスを調合してる(が再現不可能らしい)。



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17歳のある時の夕食2017 Nov.
・リネンシード&ワイルドサーモンのフィッシュケーキ
・サツマイモと人参と大根の茹でたもの
・庭の野菜

写真が全体的にぼやけててすみません。
このように日々がんばる17歳でした。

下でお料理の音がするのを聞きながらこっそり書いたブログ。
彼に言わないでね。

なお、うちでヤキトリが可能なのは、薪ストーブですべてクッキングしているからです。

あ、下のは庭の野菜と鱈と卵とサツマイモで作った「私風ポルトガル料理」です。
これは本当はジャガイモで作るものなのですが、息子の依頼によりサツマイモで作ってみたら、こちらの方が断然美味しいです。お試しあれ。

赤と黄色のトマトは9月末に緑のものを収穫して、段ボール+バナナで完熟させたもの。
1.5ヶ月忘れていたので、しなびてしまいましたが、美味でした。
黄色のトマトはかなり立派に出来たので、種を採っておきました。

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Bom apetite !




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# by africa_class | 2017-11-13 04:37 | 【徒然】ドイツでの暮らし

ブラジル人神父ら22名の市民社会メンバーがジンバブエで投獄:ブラジル民衆運動とアフリカ

ただ今、ブラジルから連絡があり、全員が釈放され、ブラジル領事館にいるようです。(2017年11月10日現在)


ブラジルのラジオに流れた解放された鉱山被害運動MAMの女性リーダーのお父さん(国会議員)の感謝メッセージを聞きました。これがブラジルの政治史を振り返りながら、現在のジンバブエの政治社会状況を懸念する内容で非常に面白いのですが、娘の活動を「誇りに思う!」「この機会で彼女がいかに世界の皆とともに歩んでいるのかはっきりわかった」とのメッセージを発していて、人道支援をしていたり報道のためにイラクにいて人質になった日本の方々が集中バッシングを受けたあのときを思い出して、「あっ!これは本当に重要なメッセージ」と思いました。余裕があれば(ないが)、全文を訳したいと思います。


あと、お父さんのメッセージで、アフリカ中の大司祭やヴァチカンとルーラ大統領が直接ムガベ大統領とその周辺に働きかけたことを知り、さすがブラジル…おそるべしブラジル社会運動…と改めて思いました。(2017年11月12日現在)


昨夜、ブラジル人神父ら22名の中南米の市民社会メンバーがジンバブエで投獄された、ヘルプー!という情報が駆け巡り、夜中まで(ブラジルとの時差で…)、アフリカ<=>ブラジル<=>ドイツで、対応に追われていました。

すでに、BBC Brasilが第一報を流しています。


このブログとの関係では数点指摘しておきます。


【中南米の社会運動の活性化】

1)アフリカに先行して加速度的に進んだブラジルや中南米における鉱物資源開発やアグリビジネス投資による土地収奪問題は、住民や市民の側での主権者意識を目覚めさせるとともに、抵抗運動を育んだ。

2)これらの当事者・社会運動(労働者やその他)、それを支える教会、市民社会、学術界の連携は、時に国家権力をも掌握し、労働党政権や先住民族出身者の大統領選出などの動きを生み出した。

3)中南米における、社会運動と国家・政府・与党との結合は、多くの先進的な法制度や国家事業をもたらし、国際レベルでの各種の権利宣言の採択(先住民族に関する権利、開発の権利、現在の小農と農村で働く人びとの権利など)を実現した。

4)他方で、市民社会スペースの国家権力による介入の余地を生み出したり、選挙でこれらの連携先が負けると、報復に社会運動の弾圧が行われるなどの出来事が生じている(ブラジルの今)


【ブラジル社会におけるカトリック教会の役割】

1)以上の流れにおいて、「解放の神学」、カトリック教会が果たした役割は非常に大きいです。

2)軍事政権下で唯一、ある程度の自由がきいたのが教会でした。

3)そこで、おおくの運動が教会二庇護される形で進められました。

4)中でも、土地収奪と闘う教会の運動は、先駆的な試みを多様に駆使し、世界的に大きな影響を及ぼしました

5)土地紛争のデータの統計化、分析の一方で、社会の隅々にある教会のネットワークを通じて、危機が迫ったり、権利が剥奪された人びとに即座に対応しています

6)教会は住民と学者たちや様々なアクターの繋ぎやくもしています。

7)また住民のエンパワーメントのためのセミナーをあらゆる方法で行っており、問題だけでなく、その先(アグロエコロジーや食料主権の実現)のための活動も活発に行っています

8)何より、教会組織は世界組織でもあります。世界と連携しながら、情報を世界に発信し、また世界の支援を受けるなかで、自らの経験交流を各地に広めています。

9)最後に、ブラジルのカトリック教会が土地問題に深くコミットするようになったのは、セラードに日本とJICAがもたらしたPRODECERとの闘いによってでした。


【中南米の経験をアフリカへ】

1)以上の1990年代から一歩ずつ駒を進めてきた中南米における社会運動の経験は、ポルトアレグレでの世界社会フォーラムで、一気に世界に知られるようになりました。

2)そこで、アフリカ市民社会運動との交流も始まっていたのですが、その段階では「繋がっているだけ」という傾向がありました。

3)しかし、これまた皮肉にも、三角協力として開始したプロサバンナ事業、そしてモザンビーク北部でのVale社(三井物産)の石炭開発事業が、ブラジルとモザンビークの民衆同士を繋げる大きな役割を果たしました。

4)ポルトガル語同士ということもあり、これまでにない動きが生み出されています。


*この様子は、以下のFBでも紹介されています。

http://bit.ly/2vimdhk


5)特に、鉱物資源開発と大規模アグリビジネスの土地占領に抵抗する人びと同士で、大西洋を越えた連携が進んでいっています。


【今回の事件】

BBCの報道によると、次のとおりです。

1)この流れの中で、ジンバブエで金やダイヤモンドの鉱物資源開発に苦しむコミュニティのエンパワメんとのために、ブラジルと中南米から経験交流に22名が訪れていたそうです。

2)ブラジルからは、セラードでの農業開発、とりわけPRODECERとの闘いで最前線にたって頑張ったカトリック神父さん、ロドリゴ・ペレ神父(土地司牧委員会CPT)、鉱山被害運動(MAM)の2名の代表が地元コミュニティを訪問していたようです。

3)この中には、3名のブラジル人の他、南ア、ザンビア、ケニア、ウガンダなどの市民社会メンバーも含まれるようです。

4)コミュニティが鉱物資源開発のために退去を押し付けられていたそうです。

5)そのコミュニティをサポートしようと訪れていたところ、中国人の鉱山主が警察に通報し、警察はバスでやってきて全員を拘束。

6)現在、投獄されている模様。

7)駐ジンバブエのブラジル大使館やその他の大使館は、ジンバブエ政府に釈放を強く働きかけているところ。


Frei e ativistas brasileiros são presos em zona de mineração de diamantes no Zimbábue

http://www.bbc.com/portuguese/internacional-41950575


<=来年の総選挙を睨み、ジンバブエの政治・社会状況が急速に悪化している中で、このことが浮き彫りにしている沢山の問題についても、この記事は詳しく述べているので、ぜひご一読下さい。


【ブラジル市民社会から世界への緊急署名活動:声明】

本日、ブラジル時間2時までに署名を集めているそうです。

*団体署名となります。


Today, November 10, 2017, three comrades were arrested in Zimbabwe: Frei Rodrigo Peret, a militant of the Pastoral Land Commission of Uberlandia, Minas Gerais state, Maria Julia Gomes Andrade and Jarbas Vieira, the later two members of the Movement of People Affected by Mining (MAM) and members of the secretariat of the Committee in Defense of the Territories Facing Mining.

The group of Brazilians were participating in an exchange activity of the Brazil and Latin America Dialogue of Peoples and were arrested with 22 more people from five African countries who were part of the same delegation. They are detained at the central police station in the town of Mutare, which lies 270 kilometers from the capital, Harare, on the border with Mozambique.

The allegation for the arrest of the group is that they were violating a privately-owned area belonging to a Chinese mining company who exploits diamonds in the region, however, the activity was carried out in a community where about 6,000 people live.

THE BRAZILIAN EMBASSY IN ZIMBABWE ha
s already been activated, and is in contact with local police to gather more information. The Human Rights Division of the Ministry of Foreign Affairs in Brasilia is also following the case. The head of the Africa Department of that ministry has also been notified.

There is great concern with the situation of political instability in Zimbabwe. Several organizations and militants are mobilizing their networks to provide support and solidarity to their peers and the whole group.

【実は他人事ではない】

いま、「儲け至上主義」の世界の各地で生じていることですが、住民やコミュニティの権利を奪う側のビジネスと結託する各国政府の傾向が強まっています。そして、それに対抗しようとする住民や市民社会の側に多大な負担と犠牲が強いられています。


このような中で、市民社会のスペースは急速に狭まっていっています。

これは、日本でも感じられていることであり、モザンビークでもそうですが、そのほかでも同時進行している状態にあります。


これを受けて、国連人権理事会では次の様なガイドブックを策定しています。

http://www.ohchr.org/Documents/AboutUs/CivilSociety/CS_space_UNHRSystem_Guide.pdf


いずれにせよ、1%のための政治経済社会が国内だけでなく世界大で形成されつつあります。

99%がそれに気づかないよう、互いに反目しあい、足を引っ張り合い、権利が剥奪されても諦め、単純安価な労働者として考える余裕も抵抗する力も失い、むしろ大政翼賛の一こまを担うようにと、あらゆる方法での精神的働きかけがなされているところです。


日本はすでにこれが上手くいったケースとなりつつあります。

そのような中でブラジルから学ぶべき点も多いのですが、だからこそ弾劾後の政権や世界の権力者たちが、ブラジルの民衆運動にターゲットを絞って弾圧に協力しあっている可能性が感じられます。


続報がきたらお知らせします。


写真は、セラード農業開発の拡大(MATOPIBA)に反対する先住民族や教会の皆さんのマーチの様子です。

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# by africa_class | 2017-11-11 19:12 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

ブラジル・セラードの日系農場とコミュニティ紛争:水問題でついに住民占拠へ

 今日は土曜日。のんびりした空気がここドイツの田舎では漂っているのに、ブラジルとアフリカから矢継ぎ早に寄せられる情報に翻弄されているところ。
 さて。ブラジルからの緊急情報のリサーチをしている間に、さらにSOSの情報がブラジル経由で寄せられて、ややてんやわんやですが、現時点で寄せられた情報、調べたことを共有しておきます。

これはその前の投稿で紹介したMATOPIBA地域で起きていることです。
詳細は以下をまずご覧下さい。

アマゾン周辺地域まで伸びるアグリビジネス:日本が関わるMATOPIBAを知っていますか?

http://afriqclass.exblog.jp/237969424/

1. この1週間で起きたこと&その背景
末尾のソース(記事)によると、次のようなことが11月2日から現在まで起きているそうです。

【概要】
1)地理:ブラジル北東部バイーア州バレイラス地域のロザリオ郡コレンチーナ市
2)現場:「イガラシ(五十嵐)社(Lavoura e Pecuária Igrashi)」が所有するリオ・クラーロ農場(地元住民は「イガラシ農園」として言及)
3)日付:11月2日に発生
4)リオ・クラーロ農場を500-1000人の住民らが占拠し、農場の灌漑設備を破壊

【背景】
1)この地域はバイーア州最西部地域で、日本・JICAのPRODECERを経て、大規模開墾大豆を含む輸出向け穀物生産が拡大し続けてきた
2)水の大量利用により住民が生活に頼る水が不足
3)これについては、裁判や請願を含む様々なアクションがとられてきたが、行政はアグリビジネス側に立った
4)このたび、「イガラシ農場」での新たな灌漑設備の完成によって、さらに水が枯渇した
5)関与しているのは日本企業である

*コミュニティの弁護士によると、企業が1日に使う水量は1億リットルで、3万人が暮らすコレンチーマ市の300万リットルの何十倍にも上る。

【何が起きたのか?起きているのか?】
1)ついに周辺コミュニティの住民が立ち上がり、農場を占拠し、灌漑設備を破壊

*女性たちは、「私たちは誰も傷つけたくない。ただ生きていくために不可欠な水を取り戻したいのだ」と語る。

2)警察が出動
3)コミュニティと住民の権利を支援する運動が拡大
4)捜査開始に対して、全国から非難
5)今日全国から集まった人びとが集会を予定

2. 問題となっている「日系企業」(イガラシ社)とは?
報道と現地からの情報で、この企業が「イガラシ(五十嵐)社(Lavoura e Pecuária Igrashi)」であることが分かります。そして、現地の皆さんからは、日本のマネーが関わっているとの情報がくるのですが、明確ではありません。また、背景はあまり明確ではありません。そこで、日本語・ポルトガル語でのサーチをした結果、次のことが分かりました。

なお、「イガラシ社」のサイトは「現在メンテ中」と出ます。
http://www.igarashi.com.br/

【戦後日本人移民によるイガラシ社の設立と北進】
1)戦後、日本からサンパウロ州イビウにやってきた五十嵐氏
2)その後、サンタカタリーナ州に拠点を移す
3)1970年に会社を創業し(本社クリチバ)、種芋の栽培に取り組む
4)日本のセラード農業開発協力(PRODECER)の北進に伴い、
5)1992年にゴイアス州に農場(Fazenda Rinção de Alice)を開設
6)1995年にバイーア州にRio Claro農場を開設
*そのほか、Chapada Diamantinaにも農場を有する。

【イガラシ社の土地保有面積】
1)バイーア州に35,000ha
2)ブラジル全土、全体で50,000ha
*ちなみに、東京都面積は200,000haなので、その4分の1の広さ
3)今回問題になっている農場は、2500haぐらいのもののようです
(NGO情報による)

【何を生産しているのか?】
NGOの情報やメディアの情報、FB情報を踏まえると、
1)種芋やジャガイモを重視しつつ、
2)豆類、トウモロコシ(メイズ)、小麦など
3)これをセンターピボット方式で生産

【現在の所有者】
1)五十嵐氏と日系二世のお母さんの子どもであるNelson Yoshio Igarashi氏
2)北東部の農場、サンパウロ、クリチバを自家用ヘリコプターで飛び回っている、そうです。

【日本との関わり】
1)日本政府・政府系機関と日系移民の関係の強さを考えると無関係ということはないと思います。
2)農水省の助成をもらってブラジル・セラードのアグリビジネスの現状を日本との関係で調査をした筑波大学他の調査結果をみると、極僅かに選ばれた企業の一つが五十嵐農場となっています。ですので、一定の関係があると思われますが、詳細は不明です。
3)また、五十嵐ファミリーが、農場を北部に広げていくプロセスと日本のPRODECERへの関与(時期・場所)がある程度重なっているので、なんらかの関係はあったものと思われます。
4)特に、PRODECER II(1983年ー1993年)に対象となったのが、ゴイアス州とバイーア州のこの地域であったことも注目したいところです。が、直接関係があったかは不明です。

*しかし、いずれも現段階で推測にすぎず、この関係については、今後のリサーチが必要です。(私も忙しいので、誰かやってほしい・・・)

3. コミュニティ・住民はどのような被害を受けているのか?
なかなかメディアにはのらない情報なので、ここが一番重要かもしれません。
現地から詳細なるレポートとパワーポイントが届きました。
が、今それを全部紹介する余裕がないので一部だけ。

【イガラシ(サンタクラーロ)農場と灌漑】
1)水利用権を2015年1月27日に獲得
2)2,539haの自社農場のため大規模な灌漑設備を完成させた
3)「イガラシ農場」は、1日14時間182,203m2/一日の水を
4)サンフランシスコ川からくみ上げている。
5)周辺地域のコミュニティは水へのアクセスが困難な状況に陥っている

【住民・NGO等から提供のあった写真】
1)センターピボット方式の農業生産とは?
現在、この地域一体では次のようなパッチワーク状態にあるそうです。
真ん中あたりに丸が沢山並んでいますが、これがセンターピボット方式の生産様式です
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2)「イガラシ農場」で工事中の灌漑設備の写真

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3)結果として、水位が劇的に下がった川べりでは、このような状態が生まれているそうです。周辺は、伝統的に「川べりに暮らす人びと」のコミュニティが形成されており、暮らしが続けられないほどの打撃を受けているといいます。

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4. Water grabbing(水収奪)はLand grabbing(土地収奪)

日本でも少し「ランドグラブ」が注目されるようになった(かな?)のですが、ランドグラブ=土地の収奪だけを含むものではなく、特にアグリビジネスによる土地占領は、水の収奪と一体になって進みます。

理由は簡単。
農業には水が不可欠だからです。

日本では、ブラジルのセラードを「不毛の大地」だなどとよんで、まるで重要ではない扱いをしてきましたが、実際はアマゾンよりも生物多様性に富み、かつ南米中の大規模河川の源流がセラードに集中し、まさに「南米の水がめ、水のゆりかご」となっています。

そのセラードで水をぐんぐんアグリビジネスが使い、農薬で汚染したために、多種多様な問題が生じています。それは、地元社会に最も強烈な影響を及ぼすのですが、遠く離れたサンパウロで水がアクセスできなくなるほどに深刻となっています。

実は、米国でも、オーストラリアでも、水不足で農業生産ができないほどになってきているのですが、この背景には、気候変動・異常気象による深刻な干ばつだけでなく、地下水をくみ上げすぎたこと、さらに塩害が起きていることが影響しています。

つまり、今世界では、水と土地の収奪は同時展開していると考えるべきでしょう。
これについては、また紹介します。

最後に、この問題となっている地域で、アグリビジネスの地下水汲み上げにより、地面の陥没も各地で起きているとの写真を紹介しておきます。これらは、現在の工業的な大規模農業生産が、いかにコミュニティだけでなく地球を蝕んでいるのかを如実に示しています。

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今日の続報を待ちましょう。

【参考サイト】
破壊中の動画が地元新聞のサイトに掲載されています。
http://www.correio24horas.com.br/noticia/nid/destruicao-em-fazenda-causa-prejuizo-multimilionario-veja-video/

すでにこの「イガラシ農園」に対して住民が、以前から訴えをおこしていたようです。
https://www.jusbrasil.com.br/topicos/83367407/fazenda-igarashi

声明
http://cptba.org.br/cptba_v2/nota-cansado-do-descaso-das-autoridades-o-povo-de-correntina-reage-em-defesa-das-aguas/

支援の運動
https://www.noticiasagricolas.com.br/noticias/meio-ambiente/202211-cientistas-de-esquerda-fazem-mocao-a-invasao-da-fazenda-igarashi-em-correntinaba.html#.WgSpOUdpFsM

警察が捜査開始
http://g1.globo.com/jornal-nacional/noticia/2017/11/policia-investiga-invasao-de-fazenda-e-vandalismo-no-oeste-da-bahia.html



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# by africa_class | 2017-11-11 18:12 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

アマゾン周辺地域まで伸びるアグリビジネス:日本が関わるMATOPIBAを知っていますか?

 やっぱり畑に出て作業をしていたら、ブラジルから緊急連絡…。時差があるので、なるほどな、というところなのですが。

 日本が深く関わるブラジル・セラードの皆さんから緊急情報が寄せられています。今週の土曜日に何が起こるか分からない…ということで、日本も関係している可能性があるので拡散してとのことです。

 でも現地の情報をただ貼付けても、おそらく基本情報が日本語でよめる形になっていないので、よく分からない…と思うので、まずはこの地域で、日本との関係で今起きていることについて、背景を歴史と日本の関与に焦点を絞って紹介しておきます。


 なお、緊急連絡があった事件については、直接関係があるか不明なので、別個の記事にしておきます。


【歴史的背景:大豆を求める日本との関わり PRODECER→ProSAVANA/MATOPIBA】

 JICA(日本国際協力機構)の前身の国際協力事業団が、ブラジル・セラードを「不毛の無人の大地だ」と主張して農業開発協力(PRODECER)を行ったこと、その結果については、すでに詳しく紹介してきました。PRODECERには第一期、第二期、第三期まであり、大豆のプランテーション栽培の対象地は、どんんどん北上し、アマゾン周辺地域までいったことについても紹介したかと思います。

 その後、「PRODECERの成功をアフリカに」と称し、「緯度が同じで農学的環境が類似する」との想定でモザンビーク北部にProSAVANA事業が持ち込まれたことについても、このブログで紹介しました。しかし、モザンビークでの粘り強い反対運動に直面する中で、元々計画されていた「大豆フロンティア」をブラジルのアマゾン周辺地域に伸ばしていく政策が、より強固に推し進められるようになったことについては、未だ紹介していなかったかもしれません。この計画を、関係者らはMATOPIBA(マトピバ)とよんでいます。

 ジルマ政権の末期に、農場主協会のトップでもあったカーチャ・アブレウが農務大臣になり、MATOPIBAを国家政策として正式に採用し、日本の農水省大臣との間で、これを推し進める二国間合意文に署名しています。2016年2月のことでした。この前段に、安倍首相のブラジル訪問時(2014年7-8月)の声明があります。


その際に、PRODECER、ProSAVANAを賞賛し、このMATOPIBA実現のためのインフラ整備を約束しています。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/la_c/sa/br/page3_000872.html


 MATOPIBAは、セラード地域の中でも、PRODECERが「十分」には包含できなかったマラニャオン、トカチンス、ピアウイー、バイーア州をターゲットにした計画で、この地域はより深い森林に覆われ、アマゾンへの移行地帯であるとともに、数多くの先住民族やアフリカ解放奴隷の逃亡コミュニティ、伝統的なコミュニティが自然に頼って暮らす地域です。

 MATOPIBAは、ナカラ回廊におけるProSAVANA事業と同様に、内陸から港迄の一次産品輸出網を確保するというインフラ整備と農業開発が連動した計画で、アマゾンを横切る河川を使った運搬ルートなども念頭におかれています。この北部穀物輸送ルートの調査研究を行ったのがJICAです。


【セラードを守るための住民の運動】

 MATOPIBAについては、ブラジル内でかなり大きな反対運動が起こっています。ブラジルの主要な社会運動組織や当事者団体(先住民族、解放奴隷コミュニティ、女性運動、小農運動、土地なし農業労働者運動、教会)や市民社会組織(環境団体、人権団体)、そして大学・研究者・研究所が加わる形で、活発に活動を繰り広げています。


<セラードを守る全国キャンペーン・サイト>

http://semcerrado.org.br/

この中に、MATOPIBAに関するリーフレットが2つ掲載されています。

http://semcerrado.org.br/wp-content/uploads/2017/01/Folder-Matopiba-Cr%C3%A9dito-CIMI.pdf

http://semcerrado.org.br/wp-content/uploads/2017/01/Infogr%C3%A1fico-sobre-MATOPIBA-Cr%C3%A9dito-CPT.pdf

*必ずしも正確ではない点が部分的にあるのですが、現地からの視点ということで。末尾に表紙の写真を貼付けますが、見るだけで哀しくなります。


【MATOPIBAのその後】

 日本政府・JICAは、輸出型・官民連携の大豆生産・輸出を目指したProSAVANA初期計画の失敗を受けて、農業開発そのものには政府としては関わってはいません。といっても、分かっている範囲ですが。また日本の企業も当初は農場買収などでこれに参画しようとしていたものの、事業失敗の中で巨額の債務を抱え、現在はvalue chainのコントロールに焦点を移しつつあります。

 そして、ジルマ政権の崩壊と、アブレウ農務大臣の失脚を受けて、前政権の計画であるMATOPIBAは政治・外交の舞台から消えているように見えますが、実際のところはこの地域での土地収奪は、より内陸奥深くに伸張しつつある鉄道・道路などの交通網の整備に伴って、激しさを増しています。ここにきて、大豆などのだけでなく、ユーカリ植林も増えてきています。

 なにより、ジルマ前大統領の弾劾後に政権を奪取したテメル大統領は、農務大臣にブラジルの「大豆王」でありアグリビジネスの帝王と呼ばれるブライロ・マッジ氏を選ぶ一方、小農の農業を支援するためにルーラ政権時に創設された農業開発省を潰し、アグリビジネス優先の農業政策を強く打ち出しています。

 これらの結果、2014年頃から、ブラジル各地で、土地や水をめぐる紛争が激化しています。中でも、MATOPIBA地域を含むセラードやアマゾン周辺地域は、最も激しい紛争が起こっており、土地と森を守ろうとする先住民族のリーダーや市民社会組織のリーダーらが、次々に暗殺されています。ブラジルは、土地と森を守るために殺された人が世界で最も多い国となっています。


国際NGO・グローバルウィットネスの報告書

https://www.globalwitness.org/en/campaigns/environmental-activists/how-many-more/


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# by africa_class | 2017-11-10 04:41 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

試訳:「小農と農村で働く人々の権利に関する国連宣言」のドラフト(前文)

 今日はあまりに寒く、畑仕事をする気持ちが盛り上がらなかったため、関心のある人とない人といるでしょうが、趣味と実益を兼ねて、昨日紹介した「小農の権利に関する国連宣言」のドラフト文の前文だけ仮訳しておきました。

 つかったドラフトは、201736日に、国連総会に提出されたドラフトで、総会文書(A/HRC/WG.15/4/2)となります。https://documents-dds-ny.un.org/doc/UNDOC/GEN/G17/051/60/PDF/G1705160.pdf?OpenElement

 が、国連関連の宣言文で一番面倒なのが、「前文」なので、ここを避けて通りたい気持ちは山々だったものの、ここを飛ばすと意味がなくなるので、耐えに耐えて訳しました。

 途中までは、あるお方が下訳をして下さっていたので(感謝!)早かったのですが、その後は辛かった。一般向けには分かりやすく訳し直す必要がありますが、まずはそのままに近いバージョンでシェアしたいと思います。また、日本語の校正をかけていないので、最後まで訳せたら見直しします。誤訳など気づいた人は教えてね。

 また、「小農と農村で働くその他の人々」が正確な訳ですが、下訳者が「小農民と農村で働く他の人々」とされていたので、「小農民」を「小農」にして訳してあります。でも、「小農と農村で働く人々」でもいいかなと思っています。

(*なお、下訳者の方は農民団体の方なのですが(知る人ぞ知る)、お名前の掲載は遠慮したいとのことなので、残念ながら私のみの名前となっています。格調高い素晴らしい訳で、私の稚拙な訳が恥ずかしいほど・・・)

 ちなみに、読み始めてぞっとして、最後まで読んでぎゃーーというと思いますが、前文は「ピリオド(。)」が、最後の最後までなく、ずーーーと「コンマ(,)」と改行で文章が連なっていきます。なので、この宣言文の前文は、2.5頁全部が一つの文章…という悲惨なものとなっています。

 で、recalling,reaffirming, recognizing, convinced, concerned, alarmed, noting, という始まりが延々と続いて、recallingなんて4連発なわけですが、これらのどれを使うかで、国際的な意志の強さが変わってくるので訳もあまり弄れません。

 国際的な抗議文書であれば、condemnを使うかどうかが焦点になってきます。 そこを、notingとかに弱められることがままあります。このcondemnnotingかのたたかい・・・を延々と水面下あるいは議場で行うのが、国連外交だったりするわけで、なんともまあ・・・。

*****

==

作業部会の議長兼報告者による提案

小農と農村で働くその他の人々の権利に関する国連宣言(案)

(試訳:舩田クラーセンさやか[2017年11月10日版])

<前文>

国連人権理事会は、

 国際連合憲章、世界人権宣言、あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する条約、市民的及び政治的権利に関する国際規約、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約、女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約〔女性差別撤廃条約〕、発展の権利に関する宣言、全ての移住労働者及びその家族の構成員の権利の保護に関する国際条約、児童の権利に関する条約〔子どもの権利条約〕および、普遍的または地域レベルで採択された他の関係する国際条約に明記される原則の実現の促進を希望しつつ、

 すべての人権は、普遍的かつ不可分、関連し合い、依拠し合い、相互に補完し合い、同じ土台の上で、等しく重視されつつ、公平かつ公正に扱わなければならないことを確認し、一範疇の権利の促進と保護によって、他の権利の促進と保護を締約国が免れてはならないことを想起し、

 小農と農村で働く他の人々と、これらの人々に属し、彼らが生計のために依拠する土地、水、自然資源、領域との間の特別な関係および関わり合いを認識し、

 世界のあらゆる地域の小農と農村で働く他の人々による、世界の食料と農業生産の基盤を構成する過去、現在、未来の開発/発展と生物多様性の保全・改善に対する貢献、そして持続可能な開発のための2030アジェンダを含む国際的に合意された開発目標を達成するのに不可欠である食料主権の確保における貢献を認識し、

 小農と農村で働く他の人々が貧困と栄養不足に著しく陥っていることを懸念し、

 また、小農と農村で働く他の人々が環境破壊と気候変動がもたらす被害を受けていることを懸念し、

 農村生活におけるインセンティブの欠如や重労働を理由に、世界で小農の高齢化が進み、ますます多くの若者が農業に背を向けていることを懸念し、とりわけ農村の若者に対して、農村における経済の多様化と、農場労働以外の機会の創出の必要を認識しつつ、

 ますます多くの小農と農村で働く他の人々が毎年、強制的に退去、立ち退きを強いられていることに危機感を感じつつ、

 小農女性と他の農村女性が、経済の非貨幣部門における労働を通じてのものを含め、彼女らが家族の経済的なサバイバル(生存)における重要な役割を果たしていながら、借地権や土地の所有権、土地、生産資源、金融サービス、情報、雇用、社会的保護への平等なアクセスをしばしば拒まれ、さらには、頻繁に様々な形式や表現の暴力の犠牲となっていることを強調し、

 いくつかの要因により、小農および農村で働く他の人々、小規模漁民、漁業労働者、牧畜民、林業従事者、その他の地元コミュニティの声が反映され、人権および土地保有権が擁護され、それが依拠する自然資源の持続可能な利用が確保されることが困難になっていることを強調し、

 土地、水、種子、その他の自然資源へのアクセスが、農村の人々にとってますます困難になっていることを認識し、生産資源へのアクセスの改善と適切な農村開発への投資の重要性を強調しつつ、

 小農や農村でく他の人々が、生系が自然のプロセスとサイクルを通じて適応し再生するエコシステムの生物学的かつ自然的な能力を含む母なる地球と調和するとともに、それを支援する農業の持可能な践を促し担うという努力が支援されるべきであることを確信し、

 農業漁業およびその他の活労働者の多くに与えられる、生活金および社会的保をしばしば欠く、有害で取的な条件を考し、

 土地や自然源の問題に取りむ人々の人を促し擁護する人、体、機関が、さまざまな形迫や身体的一体性への侵害(暴力)を受けるリスクが高いことを念し、

 小農や村でくその他の人々が、暴力、虐待、取から直ちに救や保を求めることができないほど裁判所、警察官、察官、弁士へのアクセスが困難となっていることに注目し

 食料品に関する投機を懸念し、人の享受をなうフードシステムの寡占や不均衡な流通が増していることを受けて

 人々の食料主権へ利を保するためには、この宣言でめられている諸利を尊重し、擁護し、促することが不可欠であることを認識し、

 先住民族の利にする国連宣言を踏まえ、先住民族の小農や村部でく先住民族を含む先住民族が、自らの内的事項ならびに地元事柄にする自己を有することを確認する一方、 当該宣言のいずれの記述も、国家、人々、体、または個人に対して、国連憲章に反するいかなる行を行う利を暗示するものではなく、また主国家および独立国家の土保全または政治的一を全面あるいは部分的に解体またはなうことを許可するものでも促すものでもないことを強調し、

 開発/発展利が、すべての個人とすべての人々にとって、譲渡不可能な人権の一部を成し、これらの人々が、人権に関わるすべての権利と基本的自由が完全に具現化される経済的、社会的、文化的、政治的な展(のプロセス)に参加し、貢献し、それを享受することができる権利を有することを再確認し、

 これらの人々が、人する国際規約方に関連する条項の対象者であり、自然が自身にもたらすウエルネスと源のすべてにする十分かつ完全な主を行使する権利を有していることを想起し、

 また、労働切な労働する国際労働機関ILO)の規約告の広範なる体制(body)を想起し、

 食べ物への権利、土地の権利、自然源へのアクセス、その他の小農利に関する国連食糧農業機構(FAO)による広範なる取り組み、特に「食料と農業する植物遺伝資源にする国約」、ならびにナショナルな食料安全保障の文脈における「土地森林漁場利の任あるガバナンスにするボランタリガイドライン」、食料安全保障と貧困撲滅の文脈における「可能な小漁業保するためのボランタリーガイドライン」、食料および農業のための植物遺伝資源にする国際条約」、ナショナルな食料安全保障の文脈における「適切な食料への権利の漸進的な実現を支援するためのボランタリーガイドライン」を想起し、

 農地改革と開発する世界会議」とそれによって採択された「小農憲章」の果を踏まえ、農地改革と開発のための切な国家略の策定の必要性と国家開発戦略全体への合が強調されたことを想起し、

 小農と村でくその他の人々の人をより一層保し、この問題する既存の国権規範と基の一した解用を行う必要性を信し、

 小農村でくその他の人々の利について、次の宣言を厳粛採択する。


***

最後まで読もうとしてくださった皆さん、ありがとうございます。

27条まであるので、続きがどこまで訳せるか分かりませんが、とりあえずこの宣言文の傾向については朧げながら理解できるかと思います。

当初のドラフトからの変化について、色々気づいた点を書きたいところですが、これはまた今度・・・。


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# by africa_class | 2017-11-10 00:36 | 【国連】小農の権利宣言

国連人権理事会での日本政府スピーチを読み解く:「小農の権利に関する国連宣言」

我が家の庭の「楽園」について書いた途端にパラダイス(楽園)文書の話が出てきて、これはこれでどうしても書かなければならない点が多々あるのだけれど、未だ材料が十分でないので、その話の前に、前から世界的に話題になっていたことについて書いておこうと思う。

少し前に国連人権理事会で議論されてきた「小農と農村労働者の権利に関する国連宣言」について紹介した。

完成間近の国連「小農の権利」宣言、そしてモザンビーク小農の異議申し立て

http://afriqclass.exblog.jp/237279049/

7月に忙しい中投稿していたので、肝心の日本政府の対応を調べる余裕もなく、しかし後日、日本を含む世界中の仲間たちから「日本どうなっての〜!」のお叱りを受けて、びっくりしたのだけれど、なんと第4回会議が開催された5月15日(19日までジュネーブで開催)の冒頭に、こんな意見を表明していた。。。

第4回会合の詳細サイト
http://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/RuralAreas/Pages/4thSession.aspx

「議長殿、政府代表の皆さま、同僚の皆さん、そして市民社会のメンバーの皆さん」で始まる日本政府代表のスピーチ。

おや?…と思ってくださるのであれば本望。
最後にとって付けたようであるものの、しっかり「市民社会のメンバーdear members from Civil Societies」と述べている。これは、しかし、日本政府が特別なのではなくて、国連人権理事会という場、さらにいうとこの「小農権利国連宣言」が市民社会主導で…いや、もっと正確にいうと、小農自身が集って結成されている小農運動が主導する形で、国家間協議のテーブルの上にのせられ、ドラフト案まで辿り着いたという背景を知っていれば、当然すぎるかもしれない。むしろ、「同僚の皆さん」は不要で、先に「市民社会のメンバー」がおかれるべきだった。

日本政府代表は、最初に、議長に再度選出されたボリビア大使( Nardi Suxo Iturry)にお祝いを述べた後、次のように表明したのであった。(なお、この間の国際協議の場での中南米諸国の政府代表の重要な役割については、前に少し書いたけれど、また改めて書きたいと思う)。

「日本は、
人間の安全保障の観点から、小農や農村で働くその他の人々の人権を擁護し、それを促すことは極めて重要であると信じております。日本は、ODA(政府開発援助)のトップドナー(援助国)であり続けてきました。2013年を限っても、656百万米ドル(約745億円)がこの分野で拠出されています。農業・農村開発分野のトップドナーとして、日本は国際的に重要な役割を果たし続けます。

同時に、日本はこの宣言ドラフト全体に対するポジションを留保します。我々は、国際社会によって人権だと現在認識されるに至っていない、未熟な点が含まれているために、この宣言が適切ではないと考えているからです。

より重要な点として、小農やその他の人々の権利を守るためには、新しい宣言文をドラフトするよりも、すでにある人権メカニズム(human rights mechanisms)をより効果的に活かすべきだと、我々は確信します。

終わりに、私は、日本はあなたの努力に対し感謝を申し上げます。農村に暮らし働くすべての人々の人権状況の改善に向けて、この政府間ワーキンググループが、今週(の会合で)意義のある前進が得られることを祈っています。ありがとうございます。」


以上、下記サイトから筆者が仮訳。
http://www.ohchr.org/Documents/HRBodies/HRCouncil/WGPleasants/Session4/Japan-GeneralStatement.do

さて。多くの皆さんは、このスピーチに何ら問題を感じない?
丁寧だし、議論したらダメだとも言っていない。むしろ前進せよと言っているように思えますよね?
国際場裏におけるスピーチは、とにかく仰々しく、互いに褒めちぎり合いながら、しかし微妙な言い回しで、Yes, No, but....が展開される。

やや飛躍するが、私が修士課程で国際法を勉強した冷戦「終焉」直後の1993年(なんと24年前…)、担当教授が、国連の議論や国際法を一言一句訳をさせ、1ヶ月が経過しても、一つのマテリアルも読み終わらないので、イライラして、「センセー、この授業は英語の授業ですか?それとも国際法の授業ですか?」と喧嘩をうったことがあった。今思うと赤面だ。しかし、当時赤くなったのは先生の方で、タコみたいに真っ赤になって何かを口にしようとして、黙り込んでしまった…。

先生、もう30年近く経ってからでスミマセン。
本当にごめんなさい…。

一つの単語をどう訳し、どう理解すべきか否か。
各国代表の本音はどうなのか。
それがどのように国際法の制定過程に影響を及ぼすのか。

それを先生は気づいてもらいたくてやっていたと思う。
でも実質的な中身の議論をしたかった私は、前期の半年をかけても全容が掴めないことにイライラしぱなっしであった。しかも、受講生は2名のみ。

でも。その後、国連PKOの仕事をして、国際法や憲法や選挙法やその他の法的な手続きの文書を実地で読まざるを得なくなり、かつ修士論文を書くにあたって、国連総会や理事会での議論を追っていくうちに、これらの微妙な言い回しをどのように理解するか否かは、国際的な方向性を決めうる大変重要なことであったと気づかされるようになった。

今でも、先生に詫びながら、国連文書を読んでいるのだが、先生はそんなこと知らないだろう。国連のシンボルカラーの薄いブルーに諭されながら…。

この間、しばらく国連の議論や国際法から遠のいていたのだけれど、何を想ったのか、去年『植民地と暴力』という共著本を書いているときに、またそこに舞い戻ったのであった。(来年春に出るであろうこの本をお楽しみに。)そして、そこで取り上げた国際法のテーマとは、奇しくも、あの時読んでいた分野のものであった。そして、それは知らず知らずのうちに、私の人々と世界との関係の見方に、大きな影響を及ぼしていたのだ。

おそるべし、タコ先生。。。

さて、話を戻そう。

上記の日本政府代表の言いたい事を箇条書きにしてみよう。

1)日本は外交上の儀礼を熟知しており、ちゃぶ台ひっくり返すなんてことはしません。
2)しかし、小農たちの権利守るのに、宣言文なんて要らないじゃん?
3)そもそも、このドラフトに書いてあることは人権の概念といえないんじゃない?
4)大体、日本はこんな宣言なくったって、小農のこと一生懸命考えて支援してるからさー。
5)第一、日本は世界に冠たるトップドナーなんだから。
6)何度でもいうよ、「ト・ッ・プ・ド・ナ・ー」。わかった?
7)こーーーんなにお金使ってるんだから。なんせ745億円だから。
8)そんな巨額の援助、どこの国がしてるってーの?
9)小農支援とはいわないけど、農業と農村開発にね。
10)それぜーーーーんぶ、日本が提唱している「人間の安全保障」がらみだって思ってね。
11)「人間の安全保障」は人権のことなんだから。
12)要は、この宣言文、賛成しないよ。
13)とりあえず考えておくけどさ。
14)反対も賛成もしない。勝手に議論すればいいけど、でも口は挟むよ。

まあ、大体こんなところ?
やや言葉遣いが荒いことはお気になさらず。

出席していた小農や市民社会代表はそんな風に聞いたわけなので。もちろん、小農や市民社会代表といっても、もう何年も何年も国連の会議に出ているし、スピーチもする。国連トークはこなしている訳で、儀礼とか丁寧さとか外交チックな口調とか全部排除すると、真意はこれだと読み取ったわけです。で、びーーーくりして、どうなってるの?・・・と。

5月のスピーチから数ヶ月がさらに経って、日本は、表明したとおりの路線で、このワーキンググループを継続させ議論を前進させることについては・・・「棄権」した。米国などが「反対票」を投じる中で、最悪の選択肢をとらなかったということで、安堵はされている。

しかし・・・。
私は、このスピーチに、この間プロサバンナ事業でみられた日本政府やJICAの姿勢の、すごく本質的なものを見出してしまい、なるほどなーと思ったのであった。

(プロサバンナ事業ってなんじゃ?の人はこちらを)
http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/advocacy/prosavana-jbm.html

モザンビークの小農がJICAに「通じない」と感じている問題が、このスピーチに明確に込められている。すごーく分かりやすく、乱暴にまとめると、小農たちは次のようなことを疑問に思っている。

ア) 小農支援だとかいってるけど、小農やその運動に対して何をしてきたのか?反対する小農らの力を削ぐためにせっせと援助してきたではないか?カネで言う事をきかせようとしたではないか?

イ)小農の権利を守る、支援をするためとかいいながら、日本のコンサルタントが、遠いどこかでその方策を勝手に考えて書いたりしてるんだ。ちょっと農村を訪問して、ちょっと意見を聞いて、それで自分たちの頭が理解できる枠組みでしか書けない、リアリティから遠く離れたものを、どうして上から押し付けようとするんだ。

ア)については、『世界』の2017年5月号に詳しく書いたので、そちらを読んでいただければ。今、オンライン記事を準備されているとのこと。岩波書店、本当にありがたい!

イ)については、根が深い。もちろん、開発援助という枠組みが内包するコロニアルな前提が、如実に出ているのではあるが、それだけではない。JICAのいう「マスタープラン」なるものが、戦前の満鉄調査部の人物・経験に結びつきながら現在の日本の開発援助に脈々と受け継がれてきたことを、私たちはどの程度意識化できているだろうか?・・・という問いなのである。

このことはいつか研究書として、読み物として、まとめたいと思う。

日本から、あるいは開発援助産業の人達からみたら、モザンビーク北部の小農は貧しく、教育を受けておらず、支援を授けてあげなければならない存在に見えるかもしれない。しかし、彼らが生きてきた現実、そして彼らが日々直面する現実、さらには彼らがそれを乗り越えようと様々に工夫する創造力豊かな試みを・・・つまり、「援助の対象者」としての小農ではなく、「モザンビーク国の主権者の一員であり、社会変革の主体」としての小農を、本当に受け止められているのだろうか?

モザンビーク北部の「小農支援のため」と称して費やしてきた何十億円もの日本の資金は、彼らが彼らの国で主権を発揮でき、自分の力で政策を変えるだけの支援となってきただろうか?

むしろ、彼らの自発的で主体的な抵抗の力を弱め、剥奪し、彼らの権利を侵害し続ける政府の側を強化することに役立てられてこなかったろうか?

日本のコンサルタントに支払われた膨大な額(十数億円に上る)のことはさておき…。そのような巨額の資金が小農運動にあれば、一体何が出来たであろうか?

日本政府が立場を保留した「小農の権利国連宣言」の根幹には、まさに「小農のことは小農が決める」という基本理念がある。しかし、この根幹こそが理解されないまま、現在に至る。

プロサバンナ事業のマスタープランの最新版(Provisional Draft)には、3カ国市民社会が掲げてきた「農民主権」が言葉としてはいっているが、これが驚くほどに「主権」概念に根ざしていない。相も変わらず、「やってあげる」「これはしていい」調のテキストが延々と続くのであった。

援助関係者が「モザンビーク小農のために、小農のことを、『専門家として』、代わりに一生懸命考えてあげる」ことが、いかに彼らの権利を侵害しているかを理解することは、どうにもこうにも難しいようだ。

それは、私たちの国で私たち自身が、戦後70年以上も憲法に掲げてきた「主権在民」の精神を、本当の意味では理解せず、具現化してこなかったからに他ならない。

そして、苦難に直面する中、小農や農村に暮らす人々、土地をもたない人々自身が高らかに表明しようとしているこの権利宣言に対し、私たちの国は「立場を留保」し、「棄権票」を投じている。

しかし、国連総会での採択まで、可能性は残されている。
私たちは今一度、自覚的に考えるべき時を迎えている。

南の国々の人々や日本の農家に対する政策立案者・実務者・「専門家」・エリート、そして都市住民の意識の根っこにある傲慢さを。そして、私たちが「食べさせてもらっている存在」であるということの現実認識と、農民存在へのリスペクトのなさを。

このことを共に考えるには、たった2つの問いだけで十分。

「あなたは、今日、何を食べましたか?」

そして・・・
「その食べものは、どこの誰の、どのような苦悩と祝福を受けながら、あなたの命を支えているのですか?」


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追伸:
前回に引き続き、ブラジル・セラードでアグロフォレストリーを実践する女性の写真を。
なぜなら、これこそが現在に続く日本の小農への態度の原点を示しているから。

つまり、日本は、セラードを「不毛の無人の大地」と呼び、自らが必要とする大豆生産のために環境・地域社会を犠牲にすることを厭わなかったから。そして、その「成功」をバネに、モザンビークでのプロサバンナ事業が経ち上げられ、その後の混乱が生じてきたから。この話は、また今度。。。



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# by africa_class | 2017-11-09 05:05 | 【国連】小農の権利宣言

「楽園」から遠く離れてしまった私達として

畑仕事も終わり、翻訳もまずまずで、後数時間で空港に息子を迎えにいかなければならない。

この半年書こうと思って頭で書いていた文章が、なぜか突然溢れ出す。
乳飲み子だった彼を寝かしながら、毎晩頭で書いていた博士論文のときのように。

子が寝ると、そっと起きてPCに向かう。
暖房のない兵庫の山奥の部屋で、頭の中から溢れ出る情景と言葉をキーボードに落としていく。

あのときの情景は、モザンビークのミオンボ林の中を彷徨いながら解放戦争を生きる子どもたちの姿だったり、インド洋に浮かぶダウ船を自由に操る「海の民」の勇敢な姿だったり、ポルトガル人との混血の官使の下、素手で石や砂を集めさせられて鉄道を敷いていく男性たちの姿だったり、和平を祝い舞う女性たちの姿だったり、時空の彼方のものであった。

いま、言葉が頭から溢れ出る瞬間は、畑仕事から戻ってくる瞬間だったりする。
日々変化する何かとふれ合い、語らい合うと、感性の何かが刺激されるようで。でも、畑の中にいる間は「言葉」ではない。「感触」なのだけれど、家にはいった瞬間に、それが言葉になって空に舞い始める。

でも、それを目で見える文字に変換する時間などないほどに、色々なことに追われてきた。だから、一切「文字」にしてこなかった。自分のやりたいことを、自分のためにやることは、依然として得意ではない。これは、19歳のときに誰かと暮らし始め、母になってからずっと感じてきたことだった。

家族がいるということは何よりも代え難い幸せでありがたいことである一方で、自分の思考と言葉を一致させるには時間と空間の工夫がいる。他のことの忙しさもあって、自分のことは後回しが癖となり、どうにも上手くやりくりができなかった。

その上、病気になってから、一つ一つのことに、とても時間がかかる。
いや、やり始めるのに時間がかかるといったほうがよいいかもしれない。
残念に思うことは事実だが、それはそれでよかったのだと思う。

できないからだ・・・もう。
あれこれやりたいと思っても。
同時には。
その上、順番にしても、もう半分以上は確実に生きてしまったから。

そう思ったときに、一度だけの人生を、納得のいくように生きたいと思った。
いやあんた、自由に生きてたやん。
他人はそう思うかもしれない。
でも、私の実感は真逆だったのだ。
そこに人間の難しさと愚かさと闇があると思う。

私はもっともっと知りたいと思ってる。
学びたいことが山ほどあって、それについて語り合いたいと思ってる。

自然の中にいると、無知を自覚させられる。
しかし、この無知の自覚は、不思議なことに、大きな喜びをもたらしてくれる。
ああ、なんと私、人間、ヒト科動物は、本質が掴めないのだろう。
目で見て、耳で聴き、手で触るものでしか判断できないのだろう、と。

ここは楽園。

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ずっと薪割りコーナーで、皆のいうところの「雑草」が生い茂っていた場所。
今年春にイーちゃんがモザンビークの帰りにきて、ナオミちゃんとマーサちゃんがルワンダから遊びに来てくれたときに、一緒に畑にしたところ。今年は、日本とアフリカから8名が手伝いにきてくれたのだけれど、彼女たちの活躍なしには、畑の面積は広げられなかった。

先日東京からきた古い友人が、この広い畑と森と庭の中を歩き回りながら、このスポットが「楽園」なのだといってくれた。日陰で少しじめじめしているところなのに、ここによい空気が漂っていると。

ただの草むらだった楽園には、皆の想いが詰まっている。
人間だけじゃない。

農業関係の仕事についている彼女たちが驚いたこと。
この元気な野菜たちは、去年タネが出た段階の茎をそのまま刈り取ったレタスと大根とアマランサスを段ボールにぶち込んで放置して乾燥させていたのを、1年経って穂ごとバンバン叩いて蒔いて、土を被せて踏んで、枯れた草をばらばら蒔いただけだったりするのだ。半信半疑の彼女達がやって行ってから1ヶ月後がこれ。

いや、これが正しい方法だといってるんじゃない。
単に、忙しすぎて、きちんとタネを茎とか穂から分けて、叩いて干して・・・ができなかったからだけなのだけれど、これはある種私の中では実験的にやろうとしていたことでもあった。

その命に託してみればいいと。
命が応えようとすればこれに応えるだろうし、応えないとしても、別の命が応えるのだろうと。

そして見事にタネたちはこれに応え、いまとなっては、大根とアマランサスとレタスの草むらとなり、寒さの中で食卓に緑を添えている。(写真は8月頭)


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カボチャはドイツの固定種。
これは今年は買ったもの。
奥は、モザンビークの農民ママにもらったトウモロコシ。
ササゲとともに、すごい成長ぶりだ。
この話はまた改めて。

でも、森の中で農的営みを試みるというトライアル&エラーは、徐々に私たちをも変えてくれている気がする。
ビオトープでオタマジャクシとなった何万ものカエルが、今は森の畑の中で一生懸命虫を食べてくれるまでに大きくなった。この「王様」は、もう目が合っても逃げたりしない。

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命が命を支え、新たな命を生み出す。
そんな循環の中に、かつては私達ニンゲンもいたはずだった。

8月の情景と溢れた言葉を思い出しながら、あえて「楽園」から遠ざかろうとしているのは、私達自身なのかもしれないと思った土曜の午後のことだった。

いざ空港へ。




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# by africa_class | 2017-11-04 21:49 | 【食・農・エネルギー】

最も脆弱な生き物ヒトが君臨する世界で、キャベツの黄色い葉っぱを拾い想う。

畑でキャベツの悪くなった外葉を拾って、ふと思った。
ヒトは病気になった部位を自ら枯らして落として、再生することはできない。
植物やカメレオンや魚や、その他の生き物みたいには、と。

育てるまで知らなかったのだが、キャベツは尋常ではないぐらいに強い。
去年の収穫後のカブをそのままにしたら、徐々にではあるが、順々に次のキャベツを生み続けている。それだけでも、見ててすごいなーと感動もの。

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だけど、キャベツが、今年大量にお出ましになったナメ様が元気な時期に喰い散らかしてた葉っぱを、黄色く干涸びさせて、ポローンと地面に落とし、本体を蘇らせていくのを目の当たりにさせられると、生命力というのはこういうことだなと実感せざるを得ない。

落ちた葉っぱが見事に黄色くしなびてて、それも凄い。

と思って見上げたら、そうだ。
落ち葉もそういうことだったね。

寒い冬の間、無駄な力を使わず、エネルギーをしっかり蓄えるために、葉っぱが自らの意志のように落ちて行く。
まるで、そのことによって母なる幹を守ろうとするかのように。

そして落ち葉は美しいのだけれど、見事に枯れている。
雨の多いこの地域では、枯れるというのもまた技術のいること。
毎日しとしと雨がふるのに、すべての落ち葉はやっぱり枯れている。

すべて当たり前のことなんだろうけれど、ただただ感心してしまう。
うまくできてることに。
自然の摂理に。

人間も自然と生き物の一部だというのに、そんな芸当はできない。
そんな風に制度設計されていない。
いや、皺がいくというのは、そういうことか。
それはそれで納得だ。
若い頃は瑞々しい細胞から、徐々に水分を取り去っていって、「枯らす」のだ。
やはり土に還っていくプロセスの一環として。
自分を見ながら、そんなことを考える。

でも、やはりキャベツを見ながら、それでも・・・キャベツや植物は別格だと思う。
とても追いつくことはできない。
生き物として。

悪くなったところを枯らして落とし、再生に力を集中させるような仕組みを、人間の細胞も日々・24時間、一瞬一秒やってはいるわけだけれど、目に見えるほどの力でではない。

そもそも、このヒトは、服や住居なしでは寒い冬を生き延びられない。
あらゆる意味で、自然の中で生き延びるには、悪い条件を抱えた生き物だ。

ただ一点を除き。
知性だ。

道具を生み出し、集団で助け合うことで、悪い条件を補うだけの知性を持っている動物。
もちろん、進化のプロセスでそうなったわけだけれど。
脳は「進化」した。
しかし、類人猿になって以降、身体はそれほど大きくは変わっていない。
つまり、依然として脆弱性を抱えて、生きざるを得ない生き物のままだ。
色々な生き物の皆さんの支えを得ながら。

そう、このキャベツがそうしてくれているように。

キャベツ(ザワークラウト)はドイツでは人びとのソールフードだ。
だから、ドイツで手に入れた種子はすばらしい生命力で溢れている。

日本でザワークラウトもドキが流行っているという。
身体によいと。

そう、キャベツは身体にいい。
だから食べる。
私達ヒトの身体に取り込ませていただくのだ。
キャベツの生命力を。

そうやって、私達の身体はつくられ、維持されている。
キャベツだけではない。あれも、これも。
それぞれの生き物が、それぞれなりのレジリエンスを駆使しながら、生命を生み、育て、発展させている中で、ヒトはその一番いい時期にいい場所だけいただいているのである。

私達は、悪い条件を抱えて生きざるを得ない生物だ。
深刻な限界を抱えている。
でも、だからこそ他の生き物に頼らざるを得ない生き物でもある。
多種多様の。

それぞれが内に秘めたエネルギーや工夫や生命力を、ある瞬間に奪っている。
多くの場合暴力的に。
そして、今となっては、無駄に奪っている。あるいは、ヒト様の都合にあわせて改変し続けている。その土地の自然にあわせて自ら変わっていく力を本来もっているというのに。

自らの弱さを抱きしめることなく、他の生命からの恵みに感謝を忘れ、自己都合で、奪うことにしか余念がない。

量が足りないからと行われる自然への大規模介入は、あるものを生き延びさせる一方で、他の多くを犠牲にする。その結果、他との関係で生命力を維持していた生き物が、人間と瓜二つの脆弱性を内包していく。

弱々しく多くのヒトの都合(科学的なもの)が込められた「野菜」や肉を、私達の胃袋に入れ、身体の一部とし、満足しているわけだが、実のところ、私達の生命力をさらに脆弱化している現実には気づこうとしない。

結果、弱った私達が助けを求めるのは、もちつもたれつでやってきたはずの生き物の仲間たちではない。
その仲間たちの生命力の一部だけを刈り取って、応用した「医療」であった。
その「医療」もしかし、ヒトに永遠の命は授けられない。

そうやって、生物界最強の知性をもったヒトのお陰で、それが包含する脆弱性が他の生き物に転嫁されていっている。
そして、今、私達の惑星・地球は、もう後戻りできないところまできてしまった。
自分たちの脆弱性を理由に、しかし素晴らしい知性を授かったことを、自分を含む自然のすべてのために生かそうと思いもせず。

私達は強欲で傲慢だ。
そして、私達が創り出した世界は、止まらない脆弱性のサイクルに入っている。
このソリューションは、さらなる「科学」だという。
宇宙だというヒトもいる。


辺りはもうとっぷり暗い。
キャベツの黄色い葉っぱの束を、落ち葉とともに森の中に運びながら、ふと地面をみる。
薄く白い何かがあっちこっちに点のようにあって、1秒おきに光り輝く。
ホタルのメスだ。

ホタルのメスは飛べないそうだ。
もはや寒さのために生き残っていないオスに、ここにいるよと伝えているのだという。

暗がりの中で、森の土の芳醇なる香りを嗅ぎながら、先は長くはないであろうホタルのメスの命の輝きを見つめながら、ただどめどもなく流れる涙を、どうすることもできなかった。

私達は弱き生き物だ。
だから、他のいろいろな生き物の助けを借りずにはやっていけない。
そのことを、どこまで本当の意味で、理解してきただろうか?

キャベツの葉っぱに教えられたある秋の日のことであった。

(2週間前に書こうと思ったこと)







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# by africa_class | 2017-11-04 06:09 | 【徒然】ドイツでの暮らし

食に目覚めた17歳の息子とシリーズ(食と農)9巻本の刊行

ずいぶんご無沙汰してしまいました・・・。
今年は畑面積を大幅に広げ、ちょっと頑張りすぎた春から夏を経て、世界のあちこちに出没しつつ、なんとか落ち着きを取り戻しつつあると思ったところで、もう年末・・・。

17歳の息子が日本に行っている間にブログでもと思ってたのだけれど、もう帰国!
しかし、子が成長するスピードの凄まじさの一方で、親の自分が一進一退を繰り広げているのは、なんとも・・・ですが、逆に日々教えられる感じで、私もいつまでもグズグズしてられないな〜と思っている今日この頃です。

それにしても、この3年ぐらいの雑誌遍歴が凄まじい。
最初は、建築雑誌だった。
次に、インテリアデザインの雑誌だった。
そして、写真の雑誌になった。
と思ったら、女性服のファッション雑誌になった。
でも、つい最近はコレにになった。

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親が親なら、子も子で、とにかく「食」に目覚めたわけです。
で、彼のセオリーでは、「狩猟採取が人間と自然、地球に最も適している暮らしのあり方だ」ということで、森と畑に出没しては採取を愉しんでいたわけですが、さすがに池のコイやフナ100匹にも、ビオトープのカエルさんたちにも、蜂の子さんにも興味はないらしい。

でも、とにかく食べ物にこだわり始めた。
そのこだわりは尋常な感じではなく、亜熱帯ですらないドイツで、亜熱帯か熱帯のものを食べたがった・・・。温暖化はまだそこまでいっていないというのに。

エンゲル係数が急カーブというか直線を描いたところで、父親のまったがかかった。

ある時、当時16歳は哀しそうにつぶやいた。

「自然が豊かなところに暮らす野生動物はいいな・・・」
「目指してるのは、パプアニューギニアとかの暮らしなんだ」
「へ?」
「人類は貧乏になった」
「はあ・・・」
「自然に委ねられなくなった」
「そうね・・・」
「でも、考えてみたら動物園のゾウはいいな」
「へ?!」
「いっぱいタダで果物がもらえるから」
「・・・・さっきまでの話と違うやん!」
「あの果物には農薬ついてんのかな・・・」
「えっと、それは・・・」
「安いもん喰わせてないかな・・・」
「えええーーーーと」
「人間はズルい。ゾウが分からないとも思って!」
「はあ・・・」

翌朝、当時16歳はスコップと鍬をもって自分のためのサツマイモ畑のためにざくざくがんばった。
ここはどこ?というほど、素晴らしいブリティッシュガーデンだった庭は、飢える楽園の野生動物になりたい若いヒト科のオスによって、やや暴力的に「サツマイモ畑」に変貌を遂げさせられていた。

買うカネがなく、納得のいく食べ物がないいなら自給だ。
それは正しい。
ハハが、そんなことは、もう13年もがんばってるやん。

で、結局、サツマイモから蔓を出させて移植したのは、この私。。。
一個やったら、全部やったつもりになるのが、この年齢の特徴でして。
後まで想定して行動してよ、、、、まあ無理か・・・。

しかし、My Foodへのクエストは続く。
学校の給食が耐えられないと言い始めたのだ。
この文句は数年前からずっとだったが、ついに給食を辞め、毎日弁当を持参すると宣言した。

「おべんとう」・・・。
日本の、しかし私のように「スボラ母」にとって、これがどれほどのプレッシャーか!
わざわざドイツくんだりにきて、もう高校も終りかけてる息子にこれを宣言されるとは想いもよらず、身構えた。

「あ、ママちなみに、オレが作るから」
「あ、、、、、そ、そう?」
「だいじょうぶ!(ニコリ)自分で食べたいもの作りたいし」
「そうよね。そうよね」

とりあえず、こういう自主性が出たときは無限に褒めるに限る。
「じゃあ、ママはお弁当箱買おうかな!」
「うん。お願いする。でも特大のものね」

との会話をした後、奴はアフリカに旅立ち、その後日本、そして私が日本に出たので、そのことをすっかり忘れていた。
で、日本からこちらに戻ってくると、本当だった。
17歳1ヶ月の息子は、毎日お弁当のために夕食まで作っていたのだった!!!!

こういうときは、やはり褒めるに限る。
もう褒めて、褒めて、そして頼るに限る。
というか、実際のところ感動して、褒める以外なかったのだ。
だって、世の親は、毎日夜ご飯に何を食べさせるかで、かなり翻弄される。
もちろん、夜に温かいものを食べない伝統的ドイツ家庭以外は・・・。

でも、うちはサッカー・写真少年が作る。
だから、彼がサッカーを終ったり、写真の作業が終らないと、食べられない。

そして、私の翌日のお昼ご飯まで作ってくれるようになった時点で、「これは本気」と理解した。

なんだ。そういうことなんだったら、早くいってよ。
とにかく二人で「食と農」の分野でがんばることを誓った。

なので(展開についていけない方すみません)、今息子は秋休みの2週間を東京で過ごしている。
毎日違うレストラン、バー、カフェ、パブ、フードトラックで、焼き鳥やらケバブやらムール貝やら、パエーリャを売っているらしい。高校2年生17歳。来年は卒業だが、卒業制作がコレだそうだ。
つまり、来年の6月の卒業制作発表会までに、「フードビジネスを興す!」プロセスが卒業制作だと。。。

息子は嫌っているが、シュタイナー学校は、その意味でよかったと思ってる。
本人も内心はそう思っているが、学校がいかんせん狭すぎた。
同じ先生とクラスメートと11歳からずーーーっと一緒というのは、さすがにキツい。

で、フードビジネスのその先は?
というのは、私は聞かない。
だって、その先の人生を生きるのも、責任を負うのも、本人だからだ。

ドイツで大学に入るのは日本どころではない難しさだ。
日本にはあらゆる大学がある。
自分の能力にあわせて行けばいい。
が、ドイツでは、大学受験資格をとるのが至難の業なのだ。
いわゆるアビトウア、バカロレアというやつだ。

で、食に目覚めた野性動物になりたい17歳は、大学はもういいといっている。
いつか行きたくなったら勉強して自分の力で行くよ、と。

なるほど。
大学で教えた私と、今大学で教えている彼の父親は、それ以上は言わなかった。
「I see.」
わかったでもなく、いいねでもなく、それはダメでもなく。
なるほど。

実際のところは複雑だ。
「大学ぐらい出てないと・・・」
の言葉が過らないわけではない。

でも、彼を見つめる。
小屋も解体して立て直せるし、家具も作れるし、器も作れる。
畑も耕せるし、料理もできるし、服も縫える。
写真も撮れるし、編集もでき、ホームページも作れる。
世界のどこでも生き延びられるだけの機転もある。
確かに、「勉強」という意味では適切な学校ではなかったかもしれない。
でも、「生きる力」という意味では、もう準備万端だ。
17歳になったばかりの若者に、そう言えるとすれば、それは素晴らしいことなのだと思う。
自分の17歳時と比べても。

彼の人生だ。
彼に任せよう。
任せられるだけの若者になれるように、そこに全力をあげたはずだったから。
彼が彼の人生を彼の手で切り拓けるように。
2歳で包丁をプレゼンとしたのは、そういう理由だった。
0歳児の彼をアフリカに連れていったのも、それが理由だった。
どんな難しい話でも、彼を子ども扱いしなかったのも、そのためだった。
彼のどんな一言も、彼のものとして、否定しないできたのも、それが理由だった。

そして、食べものが命と社会、自然に関わる重要なものだと言い続けたのは・・・
自分でその場で採った新鮮なものほど美味しいものはないと言ったのも・・・
おそらく私だ。
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(エビは池からではないが・・。)

彼は彼の世界に羽ばたく。
私達は後ろ姿を眺めながら、無事で健康であってくれれば、ただそれでいい。

人生に苦労はつきものだ。
それが当たり前。
闇雲にいわゆる「幸せ」を追い求めたり、「他人がどう思うか」を基準に考えるのではなく、自分の考えに基づいて失敗しながら送っていけばいいのだ。

なんの話だったか・・・。

そうだ。食と農だ。
で、グローバル化と食農問題。
でも、やっぱりこの話は、My Food, Our Foodから始めないといけないと思ってる。
その理由をいずれは書こうと思うのだけど、今日はこれにて失礼。

玄関のぶどうでワインを仕込まないといけない。
毎年やっているうちに、仕込んで1週間目が最高だと知ってからは、熟成ができないのだけど。
もちろん、熟成ワインは美味しい。
でも、あえて自家製ワインを作るのであれば、ボトルや店で味わえないものをと思う。
これぞヴァン・ナトゥールの極み。
世界でどこにもない、My Wine, Our Wine。

で、伝えたかったことに辿り着く迄に、またしてもこんな長旅をしてしまった。
いいたかったことは一つ。

2018年11月から、食と農に関するシリーズ本を9巻出していきます。
世界最高峰の研究者たちが執筆した一般向けのブックレット。
近畿大学の池上先生と京都大学の久野先生との企画。
明石書店からのシリーズ刊行となります。

お楽しみに!



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# by africa_class | 2017-11-03 05:13 | 【食・農・エネルギー】

完成間近の国連「小農の権利」宣言、そしてモザンビーク小農の異議申し立て

皆さん、国連人権理事会で2010年から議論されている「小農と農村で働く人びとの権利に関する国際連合宣言(通称、「国連・小農の権利宣言」)」を知っていますか?2ヶ月前に書き始めて終わらなかった投稿を、なんとか今日は完成させます!

【現在、宣言採択に向けた最終調整中】
同理事会では、今年5月に第4回セッションが開催され、宣言のドラフト(草案)の議論が活発になされており、ついに国連総会での宣言採択に向けて急ピッチで修正が続いています。
http://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/RuralAreas/Pages/4thSession.aspx

これは、「国連・先住民族の権利宣言」に続き、「南の国々」に留まらず、世界的に大きな大きな意味をもってくる国際合意となっていくものと思われます。

【画期的な点:「小農」であって「農民」でない点】
この宣言はあらゆる意味で画期的なのですが、一番画期的なことは、宣言タイトルが「小農(peasants)」である点、つまり「農民(farmers)」でない点です。

日本では、一般にも、専門的な方々にも、あまりに馴染みのない用語、議論、前提かもしれません。

私も、元々学問的な関心を持っていたとはいえ、むしろ社会活動の中でこの重要性に気づかされ、そのスピーディな国境を超える動きについて行かざるを得ない状態になり、日々の小農運動やその支援者らとのやり取りの中で理解を深めてきました。なので、まだまだ…な状態ですが、日本でこれに取り組んでいる方がほとんどいないこともあり、一応、現時点での私の理解をシェアーしておこうと思います。

【日本への示唆〜突然の種子法廃止の今だからこそ】
日本でも、TPPやEPA等の多国間・二国間協定の中での農業・農産品をめぐる議論、突然の種子法の廃止、遺伝子組み換え種の侵入可能性、水資源の民営化の問題等、農地集積の可能性等、1990年代からアフリカ・アジア・ラテンアメリカ地域の小農らが直面してきた課題がふってきている状況なので(農協解体など日本特有のものもありますが)、より世界の動きをしっかり認識しておく必要があると思います。それが、破壊的な構造的な傾向であれ、主体による抵抗・ポジティブな動きであれ。

ぜひ、多くの日本の農家の皆さん、NGOの皆さん、学生さんや若い研究者の皆さんに知っていただき、活用できるところがあれば活用していただければと思っています。

【国連「小農宣言」の3つの背景】
この宣言とその背景を理解するには、1990年代に世界のとりわけ南の国々で小農や農村部住民が直面した現実、そしてこの厳しい現実の中から生まれ、世界に広がったトランスナショナル(国境を超える)当事者運動(小農だけでなく、女性、若者、先住民族、伝統的コミュニティの運動)、そして、これを受けて変容していった国際的な議論の場でのディスコース(言説)の展開、これを後追いしていった国際機関の動きを把握する必要があります。

以上を簡単に整理すると、この宣言は、次の3点を背景として国際的な議題(アジェンダ)に上り、議論がなされ、ついに正式な国際規範として合意される一歩手前に至った…と言えるかと思います。

1) 「小農」が世界で占めてきた歴史的・政治経済的・社会的・文化的意味
2) 「小農運動」自身のイニシアティブでこの国際規範形成を導いてきたこと
*特に、La Via Campesina(ビア・カンペシーナ)の16年に及ぶ努力
http://www.eurovia.org/the-time-is-ripe-for-the-recognition-and-protection-of-peasants-rights/
3) 21世紀の現代世界において「小農」が直面する深刻な状況が待ったなしであること。

このことが、この「小農宣言」の骨格(構成)に、如実に反映されています。
この宣言ドラフトは、2007年に国連総会で採択された「国連先住民族の権利宣言」に大変似た部分があるのですが、あれから10年を経た現在ということもあり、さらに前進した部分があります。

*先住民族の権利に関する国連宣言(外務省の仮訳。但し数カ所問題あり)
http://www.un.org/esa/socdev/unpfii/documents/DRIPS_japanese.pdf

【小農宣言ドラフトの構成】
第3回セッションに提出されたドラフトは大変興味深いものです。

その構成を見るだけでも、この宣言の形成の背景や基本的な思想が明らかになります。
誰も訳してくれていないので、仕方ないので仮訳掲載しておきますが、条文中身と国際法に則った訳語に適応させていないので、あくまでも参考程度に見ておいて下さい。

第1部:定義・基本理念
第1条:小農と農村地域で働く人びとに関する定義
第2条:国家の責務
第3条:尊厳、平等、反差別
第4条:ジェンダー平等
第5条:自然資源(のアクセス)に関する主権、開発、食料主権(food sovereignty)に関する諸権利

第2部:実体的権利
第6条:農村女性の権利
第7条:生命、自由、身体、人格権の安全(保証)
第8条:国籍に対する権利、法的存在としての権利
第9条:移動の自由
第10条:思想、意見、表現の自由
第11条:結社の自由
第12条:参加と情報(のアクセス)に対する権利
第13条:生産、販売、流通に関する情報(のアクセス)に対する権利
第14条:正義/司法へのアクセス
第15条:労働の権利
第16条:仕事場での安全と健康への権利
第17条:食べものへの権利
第18条:十分な収入と暮らしへの権利
第19条:土地やその他の自然資源(のアクセス)への権利
第20条:安全で清潔で健康的な環境への権利
第21条:生産手段(のアクセス)への権利
第22条:たね(種子)(のアクセス)への権利
第23条:生物多様性(保全)の権利
第24条:水と衛生に関する権利
第25条:社会安全保障(のアクセス)への権利
第26条:健康に関する権利
第27条:住居に関する権利
第28条:教育と研修(を受ける)権利
第29条:文化に関する権利と伝統的な知識(知恵)
第30条:国連とその他の国際機関の責務

【ドラフトへの日本の皆さんの持ちうる違和感について】
さて、この構成を見て、日本の皆さん〜研究者であれ、国際協力の実務家であれ、政策形成者であれ、NGOの方であれ〜多分とても違和感があると思います。

ここに良くも悪くも日本と世界の遠さ(一部に断絶)が示されています。
「南の国々」つまり「途上国」の小農は、日本の多くの方に、「まずしく低生産の教えてあげなければ(救ってあげなければ)ならない小規模・零細農民」として認識されてきました。あるいは、「地域にはり付いて伝統的な暮らし・生産をしている人びと」に見えるかもしれません。もう少し、色々知っている方なら、「ランドグラブ(土地収奪)の被害者」として認識されているかもしれません。

つまり、いずれにしても、ある種の「客体化」「被害者化」された存在として認識され、位置づけられており、「国際規範形成の最前線をいく主体」としては認識されてはこなかったと思います。

もちろん、これらの人びとの全員がそうというわけではありませんし、主体として、あるいは各国内・世界での現実が厳しいからこそ、このような宣言を必要とするに至った背景があるわけであって、ただやみくもに「すごい!」といっているわけではありません。

これは、私が長らく取り組んできた植民地支配を受ける人びとが反植民地運動を導き、脱植民地化を成し遂げ、独立を達成するプロセスにおきた議論を彷彿とさせます。当時、「植民地支配を受けている人びとが独立の準備ができているか否か?」が、植民地宗主国や国際会議場、そして植民地支配を受ける側の人びとの間ですれ起きました。そのことは、今年出る本に書いているのでまた今度。

いずれにせよ、言いたかったのは、「主体として準備が出来ているか否か」という議論自体が、1948年の「世界人権宣言」と1960年の国連非植民地化宣言(「植民地と人民に独立を付与する宣言」)以降の現代世界において(本来は古代からではありますが、国際法上という意味で)ナンセンスだということです。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.html
http://www.unic.or.jp/activities/peace_security/independence/declaration/

【日本の開発援助、特に農村開発に関係する方にこそ】
さらにいうと、軍事・一党支配体制が終焉した90年代以降のアフリカ諸国ですら、いずれの国も民主的な政治体制を採択しており(その実質的な意味はさておき)、「主権在民」を基本理念とする憲法を有し、これらの人びとは、それが「小農」であれ「貧困者」であれ、これらの人びとは、「国家の主権者」として、国政・自己の決定権を有する存在であるのです。

国連先住民族権利宣言以降、世界的には、開発援助もまた、この点に留意する形で変容しつつあるのですが、その点において日本の援助は、制度上も実態も、何より関係者の意識も、昔のままの状態を引きずっている点については既に何度か指摘してきました。

日本は農村開発に関わる援助案件が大変多いですし、それだけに関係者数も多いです。
だからこそ、これらの基本的な理解、国際潮流の変容に敏感でなくてはならないと思います。

他方、現実には、世界的にも、国政の中でも、社会内でも、パワーリレーション(権力関係)において、小農の皆さんが最底辺に位置づけられてきたことは事実であり、その結果として小農自身がそのメンタリティーと限界を有してきているのも現実です。

【なぜ宣言を作るのか?〜国際規範にひっぱってもらう必要】
しかし、(またしても)だからこそ、外部者が、Status Quo(現状)を追認する、あるいは多くの場合それを増強する形で、援助を行ってはならず、「植民地・人民独立付与宣言」が果たしたように、「先住民族宣言」あるいは今後「小農宣言」が果たしていくように、国際規範にひっぱってもらう形で、これらの人びとが主権を発揮できるような社会づくりに、共に取り組んでいかなければならないでしょう。

まさに、そこがあえて「国連宣言」を作る理由であり、意義なのです。

それは、「規範にひっぱってもらって行動をする」ことを苦手とする今の日本の人びとにとって、なかなか理解しがたく、難しい点であることは間違いありません。でも、戦後すぐの日本の市井の人びとには、これがあったと思います。平和な日本、平和な世界を作っていこうという。(脇道に逸れるので、これ以上はこの点はここに書きません)

そして、日本の私たちにいかに難しくとも、国際合意となると、それを守っていかなっくてはならなくなります。なお、日本は国連人権理事会の理事国として、この「小農宣言」づくりの場にも出席しており、その意味では「知らぬ存ぜぬ」は通らないです。

【ドラフトの特徴】
ここまでで時間を使いすぎてしまったので、後は駆け足で。
では、何故「小農・農村の働く人びと『だけ』権利を宣言?」という疑問への対応です。

ここが分からない・・・とすれば、そこがまさに日本が世界(国際場裏だけでなく、南の国々の人びとの現実)から「遠い」ということを意味しています。非難しているわけではなく、まずはそれを理解しましょう。

私たちは、食べ物やエネルギー資源、一次産品の大半を南の国々に依存しています。その多くは、農村部の住民の暮らしに影響を与える形で生産・輸送されています。それにもかかわらず、私たちがもっともこのことに疎いとすれば、それは私たちが世界の重層関係の中で有利な立場にいることに胡座をかいているからです。そして、そのことに一般の人びとが関心がないだけでなく、その関心を喚起するための努力を、メディアも市民社会も研究者も怠ってきたから、あるいはしてきたが力不足だったからといえます。

さて。
「南国々の農村住民・小農」とは誰か?
これは、この宣言ドラフトの条文と前文に、「反差別」と掲げられていること、そして「平等」「尊厳」という言葉が並び、「権利」「主権」が強調されている点に、これは如実に反映されています。そして、「ジェンダー平等」と「女性」がとりわけ強調されている点にも。

つまり、この宣言の前提に、過去から続く現代世界の重層的な社会構造の中で、小農と農村地域で働く人びとは、その主権者としての権利を剥奪される、あるいは軽視され、最も差別的な扱いを受けてきたし、現在も受けている・・・そして、それは世界人権宣言やその他の国際法・規範に反している(したがって国際的に努力する必要がある)という共通認識によって、この宣言は策定されているのです。

この権利剥奪・差別状況というのは、意識の上での問題だけではありません。現実に、この構造の中で、現在世界の農村部で土地を含む自然資源収奪が多発しているからこそ、今現在のモーメントに、火急に(そのわりに遅いといえ)、この宣言が策定されようとしているのです。その代表事例が、ランドグラブ(土地強奪/収奪)問題です。これについては、別の本を書いているので、又その時に。

すっごい古いですが…こういうのを書いてました。
http://afriqclass.exblog.jp/i38/

いずれにせよドラフトを読んでいただくのが一番です。また翻訳する時間があればしてみます。
そして、第二部の論点も非常に重要な点なので、こちらもまた紹介しますね。

【最後に〜立ち上がる小農たち】
2012年にモザンビークの小農運動と出会い、一緒に活動を開始してから、私自身も学びの連続でした。この出会いの中では、辛いことも多々ありましたが、私を様々なところに導いてくれました。

このことによる学びについては、『世界』5月号に一部書いたので、そちらをご覧下さい。
そして、ついにモザンビークの小農の皆さんが、JICAに異議申し立てを正式に行い、本審査に進んだと聞きました。

*プレスリリース:「日本の政府開発援助/ODA「プロサバンナ」事業の対象地住民 11 名(小農男女)による JICA への異議申立が本審査に進む」
https://www.facebook.com/%E3%83%A2%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%AF%E5%B0%8F%E8%BE%B2%E5%BF%9C%E6%8F%B4%E5%9B%A3-1060343997409346/?hc_ref=PAGES_TIMELINE

モザンビークの独立は、小農が植民地解放闘争を戦うことなしには実現しませんでした。
小農にとって、そのことの意味するところは、あまりに重く深いのです。

この誰にとっても辛い「プロサバンナ」の経験が、モザンビーク北部の小農のみならず、アフリカの・アジアの・ラテンアメリカの小農、そして日本の小農、世界の農村地域で働く人びとの主権と尊厳を、日本の私たち・皆さんが深く深く理解し、共により平等で公正なる社会・世界の形成に尽力するための大切な経験となることを心から願っています。

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              ブラジル・セラードの小農




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# by africa_class | 2017-07-23 00:36 | 【国連】小農の権利宣言

森友問題、プロサバンナ問題を考える>アーレント「悪の凡庸さ」とグラス「玉ねぎ」を糸口に

森友学園問題によって明るみになった、現政権が着々と築いていた構造の問題。これを、現代アフリカ政治学から読み解く作業の続きですが、一旦休憩。今日発刊された『世界』の最新号「モザンビークで何が起きているのかーーJICA事業『プロサバンナ』への農民の異議と抵抗」に書いたこと、紙幅の関係で削らなければならなかったことを含めて、別の角度から考えてみたいと思います。

『世界』の記事は、次の小農リーダーの発言から始まります。
「JICAによる介入により、肉と骨にまで刻み込まれるような傷を毎日感じています」。
「JICAに伝えます。私たちは、もう秘密を知ってしまいました」。

(2016年11月28日、院内集会でのモザンビークの小農リーダー)。

私は、『世界』編集部から依頼をもらった時に、かつてノーベル文学賞作家ギュンター・グラスが『玉ねぎの皮をむきながら』で行ったように、この「秘密」を玉ねぎの皮を一枚ずつむくように迫っていこうと思いました。

そして、玉ねぎをむき続けて最後に残った芯の部分。
グラスにとってのそれは、「ナチスの親衛隊であった」という封印してきた過去でした。

では、モザンビーク小農が「知ってしまった秘密」という、今私たちの手元にある「玉ねぎ」の芯にあるものは何だったのか?・・・それが『世界』記事の文字数を超えてしまったところで少し書いたことであり、このブログで最後に紹介するものです。


なお、この作業で参考にするのは、ハンナ・アーレントの『全体主義の起原』とアイヒマン裁判に関する一連の論考です。キーワードを先に紹介しておきます。

「匿名による支配」
そして、「悪の凡庸さ/陳腐さ/平凡さ」
最後には、それは一人ひとりの人間としての特質の放棄ー「思考停止」ーの問題に。
(が、今農繁期でして、太陽が出ているために、誤字脱字多しのまま、見直しもないまままたしても掲載することをお許し下さい。)

さて、まずは森友学園問題から。
国会で森友学園問題が追求され始めた今年2月から3月にかけて、政府側の答弁に立たされ続けたのは、現在の財務省理財局長でした。しかし、学園に小学校建設用地買収の許可を与えたのは、前の理財局長(現国税庁長官)とされていたわけですが、現理財局長は繰り返し「前任者に確認する必要はない」「記録は破棄された」と壊れた機械のように言い続けていました。

この「前任者と資料隠し」は、なかなか面白い現象だと思って、見ていました。
(勿論、面白がっている場合ではないのですが…)

結局、当の前理財局長が国会に出てきたのは、籠池理事長の「証人喚問」後で、しかも「参考人招致」に留まり、核心に触れる発言は一切なし。この前局長は、安倍首相の「お膝元」山口県の出身で、このポスト(理財局長)で直々に首相に面談は珍しいといわれる中、何度も官邸を訪れており、大抜擢人事として現職についたのでした。

前の投稿では、これを「ネポティズム/縁故主義」として紹介しました。ガバナンスの問題に直結する大問題ではあるのですが、事態はもっと深刻だと考えられます。

この政権下では、過去の自民党政権下においても、やられてこなかった「介入」と「人事」の問題が、繰り返し指摘されています。

特に、「独立性・公平性」を重視しなければならない、国家と社会、国民に大きな影響を与える機関ーー日本銀行、NHK、最高裁裁判所ーーの人事に、政権側はあからさまな介入を行い、「お友達人事」がされてきました。そして、その効果は絶大なものでした。

なお、ナチス・ドイツにおいても、中央銀行と裁判所人事への介入、政府メディアの掌握は、民主主義・民主的統治を壊し、独裁・全体主義を生み出す上でなくてはならないステップでした。かつて、「ナチスに学びたい」といった閣僚がいましたが、しっかり手順が踏まれているようにも見えます。

1945年に敗戦によってナチス・ドイツや軍国日本の体制が崩壊してから70年が経過しました。私たちは、21世紀という新しい時代を生きるはずだったのに、少なくとも日本で起きていることは、戦前戦中の日本で起きたことやドイツで起きたことと似通ってきました。これは、一体どういうことでしょうか?

これを、皆さんと今後も一緒に考えていきたいと思っています。

今回は、その第一段階ということで、アーレントを手がかりに考えましょう。
さて、『全体主義の起原』から。
この本の第二部では、帝国主義時代における支配が、政治や法律による公的なプロセスを経てなされた決定を通じた統治(ガバンナンス)ではなく、次々に出されていく法令、そして「匿名性を帯びた役所や官僚による統治/支配」になっていったプロセスが描き出されます。

この「匿名性を帯びた役所や官僚による統治/支配」がミソです。

私は、2012年夏に、モザンビーク小農運動の要請を受けて、日本の援助「プロサバンナ事業」の問題に関わるようになって、本当に沢山のことを学ばせてもらってきました。その後、長い闘病生活に入ったために、なかなか色々できないままでしたが、いつかこのプロセスで学んでいることを、事業そのものの問題だけでなく、それを超えて、事業が問題を生み出す構造や意識を含めて考察したいと考えてきました。

テーマとしては、「開発援助にみるコロニアリズム/ポストコロニアリズム」など様々にあるのですが、いつかまとめられる日がくればと思っています。で、2014年春頃だったでしょうか、外務省とJICAから、プロサバンナの意見交換会(2013年1月より、2ヶ月に一度開催)の公開記録から個人名を削除してほしい(でなければ開催しない)・・・との要請がNGOによせられてきたときに、アーレントのこの指摘について考えるようになりました。

なぜ、外務省とJICAは、国際協力事業の話し合いの記録から、個々人の名前を削除したいのか?
そのことによって得られることは何なのか?
そのことによって失われることは何なのか?
・・・そのようなこと考え始めました。

勿論、政府の側からは、「ざっくばらんに話したい」との理由も申し添えられました。しかし、本音は、「自分の発言に責任を持ちたくない」、「自分のものだと分かる形で記録に残したくない」ということであろうと、誰もが思うでしょう。その意味で、この援助事業が問題案件である、あるいは記録に残ると問題化するような発言をする意図がある、と言っているようなものなので、それはそれは重要な論点ではあります。が、私は、この「匿名性の主張」の問題の根っこは、もっとずっと深いように感じていました。

病気の間中、なかなかまとめて書けるには至らなかったので、原稿依頼がきたときに、なんとかこの部分を含める形で書けないかな、と。残念ながら、紙幅の関係から削る必要があったので、このブログでは、少し考えたことを書いておこうと思います。

外務省やJICAの担当者が「匿名性」を求めた背景には、そこにはアーレントがアイヒマン裁判で指摘した「自分の決定ではない」、あるいは「たまたまこの担当をさせられているだけ」で、「職務を遂行しているだけ」であり、「個人の責任を負わされたらたまらない」、との意識があったと思われます。

今、安倍昭恵さんをめぐり、「公人」と「私人」の議論がありますが、多くの官僚や独立行政法人の職員は、同じように「切り離し可能なもの」として使い分けているかと思います。しかし、アーレントは「なぜ私たちはガス室にあれほど多くの人びとを送り込み続けたのか」を考えるプロセスの中で、「自分」とは何か、「人間」とは何か、「責任」とは何かを追求していきます。

そして、結論を先に述べてしまうと、「立場で切り分けられない自分という一人の人間がいる。職務であろうとなかろうと、それをやるということは、自分がやったことであり、その責任は自分にある」と考えるようになります。(後で詳しく説明します)

なお、私は、JICAでプロサバンナに関わった人たちの、「他者を助けたい」と考えた純粋な想いを否定しません。国際協力を志してJICAの一員となった多くの人達が、素晴らしい善意に溢れる人達であることを良く知っています。多くの教え子もまた、そうやってJICAの一員となっていきました。

(なお、「他者を助ける」という物言いの根っこの問題性[主権の侵害]については、別の機会に書きたいと思います。)

しかし、この政権以降のJICAは、国家・政府・政権の一翼としてシステムの中に組み込まれる形で「開発援助/国際協力」を進めており、かつて組織としても一人ひとりの職員、あるいは各部門がもっていた(もとうとしていた)、主体性・自主性・多様性・倫理観といったものを、失っていったように思います。

多くのJICAの関係者はこう言いました。
「止められるのであれば、とっくに止めている」。「政治案件です」「少しでも皆さんがおっしゃるようなものにするため、努力しています」と。

その想いを否定しているわけではありません。
しかし、そう言いながら、2012年末から現在までの4年半の間にやられていたことが何であったのか、知ってしまった今、やはり、これに関わった一人ひとりの皆さんにはしっかり考えてほしいと思いますし、それぞれの責任が問われなければならないと思っています。そして、「何があったのか」については、『世界』に詳しく書きました。

大半のことが明らかになった今、JICAの皆さんが「純粋な気持ち」を強調しながら、裏でやっていたことの矛盾を、この事業という狭い視点からではなく、歴史的経験を踏まえて、より大きな構造から捉えようとしてみたいと思います。それは、日本の開発援助、(半)行政組織、働く一人ひとりが抱えている構造的課題を、炙り出してくれる可能性を秘めている作業だと考えています。つまり、日本の国家と社会、国民一人ひとりの「今」の一端を浮かび上がらしてくれるのではないか、と。

アーレントの分析を続けます。
彼女は、この「官僚制による支配」を「誰でもない者による支配」と呼ぶようになりました。
「匿名性」の影に隠れて、しかし国家や社会、人びとに決定的な意思決定が日常的に恒常的にされ続ける統治のあり方は、一見「支配」だとは見えません。官僚など当の本人たちも、よもや自分と自分の業務が、ある種決定的な意味や結果をもたらすことに繋がる何かを直接やっているとは思わないし、ましてやそれを「支配」だとは思わないでしょう。

だからこそ、大きな方向性さえ決まってしまえば、粛々と物事が進められていく。その際には、個々人の葛藤や矛盾は呑み込まれていき、これを自らの問題として考えず、責任をとる必要もないと考える「誰でもない」「匿名者」が「職務」としてせっせと方向性の維持に献身していった結果として、大きな力をもって破壊が構造的に生み出されていきます。

これを、アーレントは、ドイツが「反ユダヤ主義」を経て「帝国主義的膨張」に向かい、「全体主義」を構築するプロセスを第一部から第二部、第三部という手順で、丁寧に描いているのですが、ここはややこしいので省きます。

ただしキーワードだけ、今後使う可能性が高いので、取り出しておきます。
対外膨張主義が真理であるという思考
+人種主義(選民意識と排除の意識)
+官僚制(意思決定の匿名性)
=すべてが必然(宿命)として捉えられる(「この道しかない」)

つまり、「必然/宿命性を帯びた方向性」を与えられた「誰でもない者」が、せっせと行う日々業務によって、全体主義体制が支えられるという主張です。そして、アーレントの思想の肝であると考えられる点としては、「人間の無意味化」という考えがあります。

つまり、多数の命を扱うような重要で破壊的な政策や事業にたずさわっているにもかかわらず、その遂行者(官僚やその他)による個別のアクションや判断、責任は、当人自身によって「無意味なもの」と捉えられているため、罪悪感や抵抗感を持つことなしに、進められるという話です。つまり、「誰でもない者」が「意味をもたない(決定しているわけではないと考えられる)作業」を通じて、自己と他者を「無意味化」していくプロセスを、「誰でもない者による支配」として示したのです。

これが、「独裁」や「専制」と、全体主義が異なる点です。
今話題の「忖度」にも繋がる点ですが、真実を霧の中にしてしまう問題があるので、これをもっと、ではそのように「忖度」に敏感に反応してしまう個々人の官僚の構造的・個別的問題はどこにあるのか・・・まで、考えているのがアーレントの特徴です。

そして、官僚の「忖度」の大前提として、社会の中で「群衆化」される個々人の存在がいる。さらには、その政策的被害にあう人びと(例えば、沖縄の反基地運動で座り込んでいた人びと)もまた「無意味化」されます。

アーレントは、「強制収容所のなかでの人間の無用化」と「世界の中で現代大衆が味わう自己の無用性」が、関連しあって展開していったのが、この全体主義の特徴だったといいます。そして、全体主義は、犠牲者側の人格だけでなくシステムの中で加害を行う側の道徳的人格も破壊する。ガス室や粛正は忘却のシステムに組み込まれ、死も記憶も行為も、無名で無意味化する。

そして生じたのは、善悪の区別の崩壊でした。

個々の人間の特性や自発性はないものとされ、人間そのものを全体的に支配すること、そのためシステムでもって人間を作り替えていこうとすることが、全体主義の特徴であり、これが独裁や専制とは異なっていた点として明示されます。(この論点は、今の日本にあてはまるのでまた今度。)

体制が制御できない個人の多様性や自発性、つまり「人間の複数性」は「悪」とされ、具体的な「NO」あるいは抵抗の声や運動は、「悪」として叩き潰されるだけでなく、生まれてくる前に抹消されるべきものとして、「余計な者」(存在してはならない者)とされていくといいます。そして、ユダヤ人、ロマの人びと、障害者、野党の人達が殺されていきました。

この本の後に、『エルサレムのアイヒマン』がNYTで連載されます。
アドルフ・アイヒマンは、ナチ親衛隊かつ「ユダヤ問題」の専門家として注目され出世し、秘密警察のユダヤ人部門の担当者を経て、占領地のユダヤ人の強制収容の移送指揮をとっていました。戦後、アルゼンチンに逃れたが、イスラエルに捕まり、1961年にエルサレムでの裁判が開始します。

アイヒマンは、繰り返し官僚用語を使って、自分の意志でやったことではない。決めたのは自分より偉い人達である。したがって、自分には責任がないと言い続け、彼個人の責任を認めようとはしませんでした。この言い訳は世界中から侮蔑され、罵倒されました。多くは、アイヒマンやその他のナチの指導者や関係者が、サディスト的狂人や怪物であると考え、極刑を与え、罰することを求めました。ただ、アーレントは違いました。それでは本当の悪が炙り出せないと考えたのです。

アイヒマンが「偉い人たちが決めたことを遂行するだけの自分には罪がない」と主張し続けたことを受けて、「必然的な義務」としてなされたとき、「悪は悪として感じられなくなる」・・・それこそが「人類最大の悪だ」と説いたのです。

彼女はさらに思考を深め、アイヒマンのような人びとが「命令に服従しただけ」と語り続けることに対して、「服従ではなく、命令を支持した」と言うべきだと主張します。そうでわければ、「人間という存在」に備わってきた、「思考する(できる)主体」としての特質、尊厳と名誉が取り戻せないーーつまり、自ら「無用化」してしまうことになり、人間性を放棄することになるーーと主張しました。

また、役人が自らを「歯車」と位置づけ、実際にそうだったとしても、結局その罪が裁かれる際には、「一人の人間」としてである現実も突きつけました。

そして、「仕方なかった」「職務を離れなかったのは悪い事態を避けるため」「留まることで、より責任を引き受けた」との主張に対して、これは「不参加・非協力の可能性の放棄」であったと断定します。

そして、ホロコーストのような「世界最悪の悪」を生み出した根底には、一人ひとりの思考停止状態(自己なる対話の不在)による、「体制への支持・協力」があったと結論づけたのです。

この厳しい追及が向けられた先は、何も「官僚」だけではありませんでした。
ただ何もしなかった、そして抵抗しなかったすべての人に向けられたのです。


以上、では私たちの「玉ねぎ」の芯に残ったものは何か?

おそらく個別には、あえてここで書く必要はないと思います。
それはなにもJICA関係者に限ることではなく、私たち国民の一人ひとりもまた、これに連なります。

そして、強調したいのは、モザンビークで起きたことは、沖縄で今起きていることと同時代性を有しているということです。

沖縄で起きたこと。
「軍属(元海兵隊隊員)」による性暴力と殺害を受けて「治安維持のため」と称して全国から沖縄に送り込まれたマスクと匿名性の影に隠れた機動隊員による反基地建設への反対運動への暴力的弾圧。
地域社会に「賛成派」を創り出すために投じられた巨額の税金。
「賛成派」を取り上げる御用番組の制作。
これらを命じる人達は遠くにいて、手を汚さない。

そして、これが可能な背景には、日本政府と沖縄の圧倒的非対称的な関係があります。
暴力的に併合された過去。
そして、本土決戦の犠牲になった沖縄。

日本の政府やJICAの「国際協力」が、構造上、決して水平的な関係ではなく、垂直的な関係で行われるように。
そして、決定的な関係の非対称性に、資金が伴うことによって生み出される権力性・暴力性に、私たちはどの程度自覚的であり得るでしょうか?

この構造の中で、何重にも客体化され、国家暴力の直接の対象となる沖縄やモザンビークで抵抗する人びと。自ら思考したからこそ、抵抗を決め、立ち上がる人びとを、全体主義はもっとも嫌います。その主体性、自主性、複数性、個別性こそが、全体主義や「誰でもない者の支配」を揺るがすからです。何より、「日々の業務が前に進まない」ことは、官僚的支配の最大の「悪」ですから。

しかし、責任をJICAだけに押し付けてもいけない。これは日本の現政権の姿を表すとともに、無関心を決め込む私たち日本の社会、国民の姿をも表しているといえます。たった1週間の滞在で見破った小農の一言があまりに重いです。

「申し訳ないが、言わせて下さい。JICAがモザンビーク国民を傷つけているとすれば、それは日本国民がそうしているのです」

小農はもう十二分に頑張りました。沖縄の人びとがそうであるように。
本当の課題は、私たちの国家と社会にあるのです。
ボールは私たちにこそあるのです。
詳しくは、『世界』を読んで下さい。
https://www.iwanami.co.jp/book/b286018.html

あるいは、NGOや市民の皆さんの渾身の情報箱を
http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/advocacy/prosavana-jbm.html
http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/ProSAVANA/
http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/
https://www.facebook.com/%E3%83%A2%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%AF%E5%B0%8F%E8%BE%B2%E5%BF%9C%E6%8F%B4%E5%9B%A3-1060343997409346/?hc_ref=PAGES_TIMELINE

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# by africa_class | 2017-04-09 00:32 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

日本の「アフリカ権威主義政治化」現象?〜森友学園問題からの一考察(その1)

お待たせしました。一応「専門」なので、もう少しまとめてからと思っていたらあっという間に時間が経過。
大学を辞める直前にやっていた研究が、「民主選挙下のアフリカの(独裁)権威主義体制の研究」でした。日本国際政治学会にも論文を掲載していただいていたところで、次はモザンビークとルワンダを比較政治学的にアプローチしようと思っていたところ、色々なことが起こったといこともあるし、世界的にはすでに沢山の方が研究されていることもあり(私でなくていいやん)、止めてしまったところでした。

しかし、現代アフリカ政治学のバックグラウンドが今の日本政治の分析に役立つ(かも)時代がくるとは・・・予感あがったものの、思ったより早くきたな・・・というのが正直なところの感想です。

が、まだ日本については(も)勉強不足なので、あくまでも「森友学園問題」で明らかになった情報を、「現代アフリカの独裁・権威主義体制の研究」を踏まえて、考えたことをいくつか記します。ということで、あくまでも私としてこう解釈したという程度の試論的なものなので、頭の体操的にご笑覧いただく程度でお願いします。

で、長い説明が苦手…という方は「まとめ」を作成してくださった方がいらっしゃるので、そちらをどうぞ。
https://togetter.com/li/1092200

多分、先にTwitterに書いたことを貼付けておいて、その上で何故そう考えたのかを説明していくことにします。140文字x何回かの投稿なので、読みづらくてすみません。

===
舩田クラーセンさやか@sayakafc
2017-03-19 16:48:12
ちなみに、一連の出来事を踏まえると、これは典型的なネポティズム(縁故主義)。アフリカの独裁/権威主義国によくあった/る政治手法です。つまり権力を握る者(大統領夫人含む)が自分の近辺の者に次々に便宜を図る<=未だこの用語が使われないのが疑問。

↓で、アフリカの国々のネポティズム(縁故主義)はバッドガバナンス(悪い統治)の根幹問題として、西側援助国(日本も)も糾弾。政権交代を前提とする民主化支援(野党支援)に援助を出してたのは、これが背景です。長期政権は腐敗しネポティズムが蔓延るからと。<=今の日本の政権に符合しません?

↓ルワンダ大虐殺の社会背景にはヘイト的国民運動が。これを奨励したのがフトゥ至上主義の与党。危険は「内なる敵(少数トゥチ)」とその同盟者(周辺諸国)からと煽動。世銀IMFによる緊縮財政で暮らしが悪化した民衆の不満を吸収。が、真の狙い=「民主化による政権崩壊回避」←似てますよね。

↓#森友学園 問題で分かったのは、政・官・財・教育・宗教・地域を巻き込んだ「上から下までの一大運動」が既に展開されていたということ。森友=籠池問題だと本質を見失う。この「運動」は、冗談の様だが「戦前戦中社会の復活運動」であり、改憲を頂点に着々と進んでた。運動にとり教育は肝だった。

↓だから収賄的な便宜供与問題だと思込むと見誤る。「トップからボトムまでの戦前回帰運動」として展開され、関わることで縁故者になれ、ネポティズム/縁故主義故に、様々な便宜が図られる。ルワンダ虐殺時に形成された新家産(親分=子分)国家体制に酷似。繋がった人間関係の網が持ち場で運動遂行。

↓「運動」である以上「思想」と「敵」は肝。必ずしも金銭授受の必要なし。ただ「仲間意識=縁故」とそれへの「恩・従」は不可欠で、この体制が「パトロン=クライアント/親分=子分関係」と呼ばれる由縁。親分にくっつけば怖いものなし。後「自分(国と言換え)の為に死ねる子分教育」が必要に=森友

今の日本の現象を説明できるもう一つの政治学用語があります。「公式野党」です。「競争制/選挙制権威主義」の国によくあるのですが、「野党なのに(の機能を使い)大統領や与党の補完的な役割を果たす政党」。どの党と言いませんが!
===

さて、大前提としてお伝えしておきたいのは、「アフリカ=独裁」という訳ではありません。
また「未開=独裁」でもありません。

サハラ以南アフリカの古い社会では、むしろ「民主的な意思決定=コンセンサスビルディング」を重視する政治体制を取っていたケースがほとんどです(勿論例外もあります)。それが、16世紀以降のヨーロッパ世界の進出による奴隷貿易を経て、王政に移行していったり、巨大な権力をもった王が出現したことについては忘れてはならないでしょう。ここら辺のプロセスは、近刊本でも少し触れますが、『アフリカ学入門』第一部第一章を見ていただければ。

また、独立後のアフリカ諸国の「独裁」(一党支配であれ軍事独裁であれ)は、植民地支配と冷戦構造下においてなされた植民地からの独立という文脈で敷かれた体制であり、「植民地国家=白人独裁」とある種の親和性がありました。

さらにお伝えしておかねばならないのは、現在のアフリカ諸国が、この冷戦期(90年代まで)の独立国家体制を現在引き継いでいるという訳でもないということです。

冷戦後の90年代には、アフリカでも「民主化」の圧力が内外から高まり、ほとんどの国で複数政党制に基づく民主的な選挙が導入され、多くの国で政権交代が実現していきます。以来、アフリカ諸国の大半が、民主選挙制度を導入しています。

90年代以来、日本を含む西側諸国は、これを「民主化支援」「ガバナンス支援」と呼び、資金を出して応援してきました。アフリカ諸国自身も、「民主化とガバナンス改善」は、貧困撲滅に不可欠だとして、互いの評価を行ったり、大統領が憲法に反して再選を果たそうという時には「賢人会」を派遣するなど、様々な努力を行ってきました。

世紀の変わり目、2001年にアフリカ諸国の重債務が帳消しされたり、貧困半減を掲げたミレニアム開発目標が世界各国に合意され、進められるようになった背景には、以上のような「自浄努力」があってのことでした。

私は、この時期のアフリカの「民主化・ガバナンス改善・貧困削減」などに、アフリカの政府や市民社会、世界の機関や市民社会とともに関わりました。多くの国が、暴力的な紛争や対立、虐殺などを経ての平和構築の中での民主化の試みということで、すごく前向きなエネルギーに満ちあふれていました。とにかく、市民社会と女性が元気でした。

しかし、2007年ぐらいから急速に時計の針が逆回転していくようになりました。

この背景には、債務が帳消しされ、大型援助が相次ぐ中、地下資源が集中し若者人口の多いアフリカが、「地球上最後のフロンティア」としてアフリカが注目されるようになったことと関係しています。リーマンショック後の世界で行き場を失った世界のマネーがアフリカに集まったこともありますが、中国やインドの進出とそれに負けじと進出を始めた日本や西側諸国、その他諸々の国や民間のアクターたちの流入が、アフリカ政府のガバナンスを一気に悪化させていきました。

「公平で民主的なガバナンスによる健全な発展」という青写真は、あっという間に「資源投資をテコにした経済成長による貧困削減」という日本政府が大好きな青写真に取って変わられて、援助・投資合戦がアフリカ大陸中で繰り広げられました。せっかく帳消しされた債務が、再び急増していき、日本のバブルの時のように、口約束だけで次々に巨額の資金が貸し付けられるという状況が各国で進んでいきます。

そして、地下資源、農地、鉄道、港湾設備、水・・・もう国家の資源・利権で売れるものは何でも、各国エリートらによって、国内外の資本に売られていきました。マジックワードは「民営化」。90年代以降のプロセスが、加速度的に極まったのがこの時期でもあり、そのプロセスで、大統領と政権与党が、権限・権力の集中を強めていきました。

あれほど「民主的ガバナンス支援」に熱心だった欧州諸国も、リーマンショック後の経済低迷に直面する中、自国の投資に有利な条件を確保しようと、ガバナンスを重視しなくなりました。この時期、欧州各政府や委員会などに、この方針転換の問題を指摘しましたが、皆モゴモゴいうようになりました。

そして、当初は民主的に選ばれたはずの野党やその指導者、あるいは何度かの競争選挙も勝ち抜いてきた比較的ガバナンスのよかった政権与党関係者(家族を含む)が、次々に「政治家=起業家」として経済活動のあらゆるシーンをコントロールするようになっていきました。

ただ注意しなければならないのは、この現象は冷戦期の独裁と違っている点です。
というのは、どの国も、一応は複数政党制に基づく民主選挙をしなければならない。
そして選挙監視団もくるので、一応は選挙不正はバレない程度に抑えなければならない。
しかし、汚職への国民の不満は明らかなので、選挙に負けないようにしなければならない。

つまり、競争的な選挙の下で、自分たちの利権を守り抜く体制を構築する必要に迫られたのです。
そこでとられた手法には様々なものがありました。

ここで詳しく書く余裕がないのですが、この体制を政治学上の概念・用語として次の様に呼びます。
Competitive/Electoral Authoritarianism=「競争的/選挙権威主義」という体制です。
この中で日本でも参照できる面白い現象として、以下のものがあります。
1) 不平等な競争の土俵
2) 公式野党
3) メディアの操作

分かり易いので2)から。
2)は、「政府公認野党」というか、表面上は「野党」で「連立政権」には参加しないものの、実際の機能としては「政府パートナー野党」(御用野党)として動きます。彼らが共通の敵とするのが、「本当の野党」で、この野党の躍進を阻むためであればいくらでも手を組みます。ただし、表面上は対立しているように見せかけるので、手を組む際には、かなり隠された形で行われることが多いです。

1) 最後の部分と関わる点ですが、与党が「公式野党」との連携を重視するのが選挙制度や議会運用という、競争の現場(討論や選挙自体)ではなく、その前の条件づくりの部分です。与党の権限と「野党」の賛同を得て作られた与党再選に有利な制度の構築によって、「本物の野党」が政権奪取鵜するのを難しくするのです。

3) これはいう迄もないですよね。選挙の前にはお金が飛び交います。「本物のメディア」は鞭によって懲らしめます。例えば、国家の権限を使って、ラジオ局や新聞社の閉鎖、発刊停止、裁判などあらゆる手法が取られます。あるいは、取るぞとの脅しがかけられます。

飛ぶ交うお金としては賄賂もありますが、読者数が少ないアフリカの新聞では広告収入が大変重要になってきます。その中に、政府の広報、政府系機関や企業の広告などがあります。この撤退をちらつかせたり、あるいは増やしたりということでコントロールがなされます。

いずれも、一見すると、制度上は法を守っているように見えるので、批判が難しくなります。上手い政権ほど、正面衝突を避けて、これらの手法を駆使して、長期権威主義体制を構築していきます。東南アジアの国々が参照されることが多いです。

私の日本国際政治学会の論文は、ゲブーザ政権の二期目(2004年〜2009年)を、この理論を使って分析したものでした。

さて。以上を読んで、なんか日本と似ている・・・と思いませんでしたか?
「競争的権威主義」こそ、「戦前・戦中回帰の現代バージョン」と言えるかもしれません。

ただし、私の2012年時点のモザンビーク政治分析には、本当はやりたかったもものの出来なかった点が残りましたす。それは、「競争的権威主義」の行き着く先でした。勿論、研究というものは起こってからしかできないものです。しかし、私は研究だけをしているわけではありません。予防原則に基づいて、政策提言という観点から警鐘を鳴らしたいと思って活動をしてきました。

特に、日本が巨大なドナー・投資家としてアフリカ、特にモザンビークに大きな影響を及ぼすようになった今はなおさらです。私が注目したのは、都市・農村を含む上から下までの「大政翼賛体制の構築」の進展でした。これは、モザンビークの文脈では、一党支配時(あるいは共産主義時代)にも試みられたものでしたが、ゲブーザ二期目には、その時代よりも上手く機能するようになったように見えました。この理由が、投資や援助、権限や昇進を使った「褒美」によるものです。(共産主義の時代は「鞭」に力点があった)

一応ここまでは、現象としては分析に入れたものの、そこから更に関心がルワンダの政治にいってしまったので、少し深みが欠けたまま現在に至ります。

また、この後2013年4月にモザンビークで武力衝突が再燃するので、「競争的権威主義体制の限界」についてもう少し書き込まないといけないな・・・と思ったまま現在にいたります。この作業は、今後やっていこうと思っています。

で、日本の話はどこ?森友はどこだーーー?
という方々には申し訳ない限りの長い前段。失礼。

さて。「競争的権威主義」がどんなにバッチリ以上の3点セットを上手くやろうとしても、このようにやりたい放題で汚職腐敗が蔓延していくと、人々の不満は高まります。その不満は思いがけないところから噴出していきます。そして「本物の野党」を利する結果となってしまうことがあり得ます。

(例えば、モザンビークの例では、「公式野党」として操ってきたRENAMOが、突如「本物の野党」のような動きをしてしまって、制御できなくなった・・・という問題が生じました。)

そのリスクこそ、政権与党の防ぎたい最大のものです。
で、いくつかの方法が取られます。

さて、この先はモザンビークの話というよりも、ナチス・ドイツ、サラザールやフランコ政権下のポルトガルとスペイン、戦前・戦中の日本、虐殺直前のルワンダ、そして現在のいくつかのアフリカの国々で進行している出来事を参考にした話です。

ただし、繰り返しになりますが、時代は回帰しているようにみえて、大前提が違っている点に注目しなければなりません。それは、「独裁・全体主義」がフリーハンドで出来た時代と異なり、冷戦後90年代以降の世界では、たとえ「アフリカ」でも、「競争的選挙」が大前提となっているという点です。

その意味で、日本で今着々と進む「運動」もまた、それが大前提となってのことなのです。

「競争的民主主義下における権威主義体制の構築」を真に目指すとしたら・・・つまり、「競争的選挙が何度あっても与党が政権の座に留まり続けるにはどうしたら良いのか?」という問いに応えようとするのなら、重要なことは何だろうかというのが、ここから先のお話です。

そして、事例は日本以外のところから引っ張ってきています。

さて。その点において、「本物の野党」あるいは「本物の野党になりうる勢力」潰しは最大のものです。

これは、諜報組織やコンサルティング企業(軍事・諜報・情報・PR<広告代理店>)を使ってやられることが多いのですが、最近分かってきた手法の一つに「co-optation」や内偵者の活用というのがあります。アフリカの多くの政権が、英国やイスラエルの諜報組織やその関係者が作った企業と契約を結んで、盗聴やら何やらの活動を行っていることが、BBCやアルジャジーラによって暴露されています。

この際には、「野党」だけでなく、潜在的に野党になりうる市民社会組織も含みます。
有名な事例としては、南アフリカANC政権が、イスラエルの企業を使って、かつての反アパルトヘイト運動の同志であり現グリーンピース・インターナショナルのクミ・ナイドゥーの通信を傍受していた事件があります。なお、これがバレたのは、イスラエルの元諜報組織のトップが内部対立の末に、全部バラしてしまったしたからです・・・。

(日本で進むあらゆる法制度も、この方向で進められているものと考えて良いかと思います。)

そして、もう一つ同時並行的にやられることが、日本でも戦前・戦中でみられた全国津々浦々、あらゆる組織に入り込んだ「全体主義的体制」の構築です。これは「上からの運動に呼応する下からの運動」として全国的なものとして行われていきます。

これが効果的に進展するには、「共通の敵」と「共通の宗教のような信仰」が必要となります。

20世紀が「ナショナリズムの世紀」であったように、「国家主導型大衆運動」には「ナショナリズム」がつきものでした。そのナショナリズムは、狭い意味の「民族主義」が活用されます。つまり、「我が民族は選ばれし特別な民族」であるという賞賛から始まって、それが「傷つけられている/脅かされる可能性がある」という物語が多用されます。

勿論、経済がよい時、未来に希望が持てる時にはこれは効果がありません。
これが効果をもってくるのは民衆に不満が高まる時です。

そして、その時こそ、「競争的権威主義体制」を牛耳る政権与党にとって危険な瞬間です。
なぜなら、甘い汁を沢山吸って、国家を私物化して、色々な手法を駆使して国民の目を欺いてきたことが、もしかしてバレてしまう危険が高まる時期だからです。あるいは一気に不満の矛先に自分に向かっていく可能性が高まるからです。

そして、「競争的」であろうとなかろうと、古今東西老若男女の「権威主義者」たちは、政権を失うことを異様に怖れます。

それは、自分たちが手を染めてしまったあらゆる汚い手段を熟知しているからです。
政権を失ってしまったら報復されるかもしれない。
あるいは何でも思い通りになるパワーを手放せないという禁断症状故かもしれません。
しかも、これらの為政者らと手を組んでやりたいようにやってきた仲間達も、これが心底怖いです。
なので、強力なスクラムを組んできます。

(話は若干逸れますが、カネや利権、あるいはこのような権力を手放す怖れを抱いた多種多様の人々の集まりの方が、理想のために集まる多種多様な人々の集まりより、結合力は強いです。なので、「野党(連立)がふがいない」と見えるのは、本物志向の野党であればあるほど、理念先行になってしまって合意できないからです。)

高い教育を受けた(多くは外国に通じた)経済・行政のエリートらが御用大衆運動を完全にバカにしながらも、旗ふり役になったり、資金を投じるのは、これらとの同盟が、「競争的権威主義」を継続させるためには不可欠だからです。この「エリート」と「浮かばれない大衆」の結合は、非常に重要な点です。

(今ニュースを見ていても、どうしてエリート財務官僚とあの大阪のおっちゃんたちが繋がるのか分からないかもしれませんが、ここは肝だったりするのです。

でも、あの一家の反乱に見られたように、エリートは本当の意味では大衆を信用していません。というか、お互いをも本当には信用していませんが、金と利権と保身といった共通の守るべき価値があるので結合できるし、お互い弱みを握り合っているのでそう簡単には裏切れない。)

なので、いつ寝返るか分からない民衆の不満の矛先を、国内体制から逸らすため、常日頃から「共通の敵」に向けておく必要があります。そのために手っ取り早いのは、「内なる敵」の存在です。

「内なる敵」、「スケープゴート」は、全体主義や権威主義体制においてほとんど常に現れてきます。

それは、ある人種、ある民族、ある宗教・・とにかく、その国・その社会でマイノリティで、マジョリティの深層心理の中で優越感を刺激する一方、忌み嫌われる何かの要素があればいいのです。あるいは、歴史的には対立がなかったところに、対立の物語を作り出すことでも構いませんが、これらのマイノリティの逆襲もそれなりに怖いので、これらの人々が圧倒的に不利な条件というのが必要です。つまり、国政参加権を持たないとか、圧倒的に数が少ないとか、見た目が違うとか。

さて。
しかし「内なる敵」だけでも不十分です。
特に、政権にとっての危機の時代(経済が悪くて民衆の不満が根強い)には、「内なる敵」につながった「外部の敵」の存在が重要になってきます。「内なる敵」が連れてくる「外部の敵」の物語。これは、相当なインパクトがあります。興味深いことに、ドイツでも、ルワンダでも、日本でも、近隣諸国との関係でこれは利用されました。その際には、歴史的な物語が大々的に使われます。

特に、「国体」「国家」「国民」「国土」が危ないという物語は、かなり効果があります。

その他、「運動」の要にいる人達にとって、利権と優越感(差別意識)は「甘い汁」として機能します。
ここに、ネポティズム(縁故主義)が登場してきます。
そして、パトロン=クライアント関係(親分=子分関係)も。
そして、この説明は力つきたので、又今度・・・・すみません。

一点だけ補足しなければ。
以上のように「アメ」だけでは、不十分だという点です。

法制度の改変や実際の介入によって政治組織や社会組織を鞭で圧迫したとしても、あるいはネポティズムで国の隅々まで同盟者を子分として配置しようとも、個々人の「批判的精神」「自立した個」もまたある日火を吹き、瞬く間に民衆の不満を吸収して政権を打倒してしまう可能性を秘めています。

拡散はメディアのコントロールである程度可能ですが、内面までコントロールしないと安泰とはいえません。なので、内面に浸透するツールが重要になってきます。宗教や信仰、教育です。

したがって、独裁・権威主義体制は、一人ひとりが個として確立しないような、体制の「臣民」として従順なる僕としてしか存在しえないような教育を必要とします。そして、それは個別のある学校の点としての教育であっては効果がありません。全国的な「体制」とならないと意味がないのです。

権力を絶対に失いたくない権力者は、小さな穴すら怖れます。
小さな穴を防ぎきるためには、大きな毛布ですっぽりとそれを覆う必要があるのです。
これが、法制度・警察・教育なのです。
教育なしには貫徹できない。
洗脳に近いことをイメージしてもらえば、大体それで良いかと。

今の大人達をここから従順にするのは無理なので、次世代から始めなければならない。「洗脳」である以上、早ければ早いほど良いわけで、最終的な到達点としては権力側に批判意識をもたず、同化でき、命令にどこまでも従い、いざとなったら自己犠牲してまで体制を支えられる若者が必要となります。

これは、実は「外の敵」に対抗するためではありません。
そのように見せかけて、実際は国内の自らの体制を守る為です。
そして、「内なる敵」も実は単なるイメージのためのものであって、そもそも彼らは政権の脅威ではありません。数が少なすぎ、大多数と違いすぎて力を持ち得ないからです。

本当の敵は、政権奪取しうる「本物の野党(とその可能性をもった勢力)」なのです。

さてさて。
長くなりました。

で、森友でした。
森友があからさまに示してくれた現象は、以上のような「競争的権威主義」と「危機時の独裁・全体主義体制」で採られた手法が相当程度、日本の中で進捗してきたということでした。

これを単なる「収賄」とか「お友達利権」とかの軽い言葉で済ませるのはあまりにナイーブでしょう。あるいは、そういう風に済ませてしまいたい人達がいるのでしょうが、実際はもっと根深く・広い現象として捉えられるべきです。

つまり、2017年の日本では、すでに深刻な形で、以上の恐ろしい社会体制への移行プロセスを邁進してきたということです。すでに、ボタンのスイッチは押されており、上から下までの運動として、これが全国津々浦々で進んでいるということです。

ここには政官財+教育+宗教+メディア+地域社会が密接な繋がりを築いていっている。そして、まだこの運動は、数としてはマジョリティを構成していないものの、国家権力・権限・資源と結びつく形で、「メリット」が大きいために、見かけ以上の力を発揮し続けています。そのことが、社会不安と不況の時代に、大きな魅力となって、大多数の迷える若者や大衆を動員していく可能性が大いに高まっている。

官僚や財界の皆さんは、このような運動を心ではバカにしながらも、利用することのメリットが大きいのでおつきあいして、自分の利権を貪っている状態にあります。でも、運動が崩壊したら真っ先に逃げるのはこの方々でしょう。そして、もう一点注目したいのは、この運動が男性中心に展開しているという点です。

続きは今度。
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# by africa_class | 2017-03-23 01:24 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

この春、初めて「先生」や「親」になる皆さんへ

今年もカモのつがいが池に戻ってきた。
そして、近所では桜が満開のところがチラホラと。
我が家の庭の桜3本は、それぞれ違う調子。
嬉しかったのは、突風で倒れた桜の木が、倒れたままちゃんと花を咲かせてくれたこと。
満開の素晴らしい桜なのですが、天気が悪くて良い写真が撮れません…。

さて、他のことを書くつもりだったのだけれど、一つ伝えておきたくて先にこれを。
この春、初めて「先生」や「親」になる皆さんへのメッセージ。

桜を見ると思い出すのです。
幾度かのこの季節を迎えた時の気持ちについて。
きっと皆さんもそうでしょう。
それぞれに人生のドラマがあって、思い出がある。
心弾む想い出から、辛い別れの思い出まで。
緊張した入社式とか、夢破れた合格発表とか。
大切に育てた子どもたちを送り出した朝とか。
あるいは、未だ小さかった子どもの手を引いて通った学校の門とか。

わーーーっと溢れる沢山の光景や想いに、私もまたいっぱい満たされてしまいます。
池凍る深夜に突然消えたコブが、近くの畑で遊んでいた…との目撃情報をツレがもって帰ってきた時、「生きててよかった」という想いとともに、私もまた一つ学んだなと思ったところでした。

そして、ふっと思い出したのです。
初めて大学の教壇に立った時のことを。
阪神淡路大震災後3ヶ月も経たないあの寒い朝。
神戸からJRに乗って京都に向かったあのときのことを。

震災のために大学院の卒業式もなく、論文の口頭試問すら吹き飛んでしまって、突然震災ボランティア生活に突入して数ヶ月を過ごしていた私は、良くわからないままに修士号しか持っていないのに、大学で非常勤講師の仕事を始めたのでした。

依然として倒壊した建物ばかりの神戸や伊丹、尼崎から電車が大阪に入ると、あっという間に景観が変わっていきました。京都に辿り着くと、もはや震災などなかったかのようで、自分の身の置き場というか、身のこなし方が分からず、夢の中を歩いているような感じがありました。

それは、大学の中でも同じで、震災とはまったく関係なく、自分が学生が終わったのか終わっていないのか良くわからない状態のままに、突然年齢の変わらない大学生を教えるハメになって(しかも下手な英語で・・・)、軽いパニックになっていた。

あまり思い出したくない過去だけに、記憶が定かではないけれど、自分の不安や未熟さを覆い隠すかのように、おそらく私は傲慢な態度で学生たちに挑んだと思う。授業は、「国際関係論」と「異文化コミュニケーション」。もはや何を教えたのかまったく記憶にないのだが、後者については捕鯨について取り上げた記憶がある。

1年教えて、私は勉強しなきゃ・・・と心底思って、フルタイムのお誘いを断り、東京に行って博士課程に進んだのであったが、自分の中が「空っぽだ」という感じばかりが残った1年であった。教えようとしてみて初めて分かった、自分の無知に、その後もずっとつき合ってきたように思う。

それから5年。
母になる直前のある時、関西時代の仲間からハガキがきた。
すでに2人のお子さんのママ。
そこに書いてある一言が、おそらく私をずっと救ってきてくれたと思うので、皆さんに伝えておきたいと思う。

「さやかさんはお母さんになります。赤ちゃんが生まれてきたら、このことを思い出して下さい。つまり、赤ちゃんがゼロ才であるように、さやかさんもお母さんゼロ才だということを。一緒に育てばいいのです。」

その方もまた、この言葉を先輩ママから教えてもらってずいぶん救われたということで、私に贈ってくれた。私がどうにも頑張りすぎる性分だと知ってのことだったと思う。

彼女の教え通り、私は「ゼロ才ママ」として子育てに向かうことができた。
そう思った瞬間に、とても伸びやかな、広がりのある空間にこれたような、そんな気持ちに満たされたことを昨日のように思い出す。

息子もゼロ才。
私もゼロ才。
一緒に育てばいい。

そして、今、
息子は16歳。
私もママ16歳。
一緒に育っているように思う。
とっくの昔に背を追い越され、そして最近はあらゆる意味で追い越された感があるが。

そして、東京外大に着任した春。
私は同じことを誓ったのだった。
「ゼロ才先生」でいいじゃないか、と。

教室を開ける。
新入生が教室いっぱいにいる。
「皆も新入生だけど、私もゼロ才先生なんで、よろしく」と。
そう言った瞬間に、すごく吹っ切れるものがあった。
学生にとっては迷惑極まりなかったろうが。。。

面白いもので、こういう先生だからといってゼミにきてくれた学生もいる。
が、この代の学生には、色々苦労をかけた。
自分も彼らも手探りで、なんというかまったくもって申し訳ない感じがする。

その後、「11歳先生」になってしまって、どこか怠慢になっていたと思う。
まあ、潮時だったのかもしれない。

いつも心に「ゼロ才の自分」を持つことは重要だ。
そこから広がるワクワクとするような可能性に、自分も周りも組織も全体も開かれておくためにも。

ということで。

おめでとうございます。
「ゼロ才ママ」「ゼロ才パパ」「ゼロ才先生」たち。
鎧兜を下し、深呼吸をして、まずはヨチヨチ歩きを。

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# by africa_class | 2017-03-21 22:53 | 【観察日記】猫ママの子育て

レクチャー&交流会3/5@大阪「いまモザンビークで何が起きているのか?〜」

1年ぶりのレクチャーを行います。
【レクチャー&交流会(3/5 in 大阪)】
「いまアフリカ・モザンビークで何が起きているのか?
~『日本のための資源・利益』が奪う小農の未来とオルタナティブの可能性」

今回は、3/5に大阪で開催されるイベントのお知らせです。
ぜひ、ふるってご参加下さい。

(転載・転送歓迎)
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レクチャー&交流会(3/5 in 大阪)
「いまアフリカ・モザンビークで何が起きているのか?
~『日本のための資源・利益』が奪う小農の未来とオルタナティブの可能性」
http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-entry-233.html
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【日時】:2917年3月5日(日曜日)17時~20時
*レクチャー:17時~18時半、交流会:18時半~20時
【場所】:Cafe TIPO8 http://www.cafetipo8.jp/
【住所】: 大阪市北区中津5ー2ー9
【アクセス】: 大阪駅から徒歩10分、阪急中津駅から徒歩10分。
(*梅田スカイビルのお向かいです)
【講師】:舩田クラーセンさやか
(明治学院大学国際平和研究所研究員/元東京外国語大学准教授)
【参加費】:2500円 (モザンビークの幻のコーヒー[ビコ]、ハーブ茶、軽食付き)
*レクチャーのみ:1500円(ハーブ茶つき)
*交流会のみ:2000円(ビコ・軽食つき)
(*「一苗サポーター」の方はレクチャー&交流会あわせて2000円です)
【定員】:30名 (ぜひ交流会と共にご参加下さい)
【申込み】:以下URLにお名前・ご連絡先(メール)をご登録下さい。
https://ssl.form-mailer.jp/fms/166a9da5492496
【主催】:カフェモサンビコ・プロジェクト
http://cafemozambico.blog.fc2.com/
【協力】:モザンビーク開発を考える市民の会
http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/
【お問い合わせ】:カフェモサンビコ・プロジェクト 事務局
cafemozambico<@>gmail.com
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私たちが大好きだったモザンビーク。
だから応援してきた。
でも、たった5年ほどでモザンビークは劇的に変わってしまいました。
そのことに日本も無関係ではありません。
私たちは、これからモザンビークとどうつき合っていいのか、戸惑いのただ中にいます。

このレクチャー&交流会では、参加者の皆さんと次のようなことを一緒に考えたいと思います。

・今モザンビークで何が起きているのか?
・それに日本はどう関わっているのか?
・現地の人口の大半を占める小規模農民たちはどう感じているのか?
・どのようなオルタナティブが可能なのか?
・私たちはどのような未来をどのような形で創っていきたいのか?
・モザンビークの人びとと一緒に何ができるのか?

ぜひ、沢山の方にご参加頂ければと思います。
レクチャーの後に交流会を行います。
「コーヒー非生産地」とされてきたモザンビークですが、在来種のコーヒー「ビコ」をご試飲頂けます。
ふるってご参加下さい。

【講師からの概要】
私たちは、食料・エネルギー源・原材料の多くを海外に依存しています。
でも、これらの資源を提供してくれる国の社会・人びと・環境にどのような影響を及ぼしているのかについて、あまり考える機会はないかもしれません。そして、これまでアジアを重点的に資源開発してきた日本が、アフリカに進出して、何をしているのかについても、あまり耳にすることはないでしょう。

アフリカには54カ国あります。
その中でも、南東部アフリカにあるモザンビークが、日本の経済開発の「最重点国」となっていることはご存知だったでしょうか?

日本は、2009年にモザンビーク北部のナカラ回廊沿い地域で、鉱山(石炭・天然ガス)・農業(プロサバンナ事業)・インフラ(鉄道・道路・港湾)開発に大々的に取り組むことを決定しました。2014年1月には安倍首相が19企業・機関を引き連れてモザンビークに行き、「ナカラ回廊開発に5年間で700億円を供与」を約束しています。

あれから3年。
日本政府は、2015年に292億円の円借款を行った他、数十億円規模の無償援助を続けています。日本企業各社は、内陸部で石炭を掘り、海上で天然ガスを採掘し、鉄道や港湾設備の新設・改修に関わっています。

しかし、モザンビークでは、2013年から武力衝突が再燃する一方、数々の暗殺・脅迫事件、ガバナンスの悪化、土地の大規模な収奪が頻発しています。日本企業が進出する炭鉱地区から1万人を超える難民がマラウイに流出している他、去年は石炭貨物列車が攻撃されています。

その最中に、モザンビーク前大統領と国防省(現大統領が当時の大臣)が関与した「隠れた&消えた巨額融資」問題が発覚し、IMFや西側各国は融資や援助を緊急停止して、政府のガバナンス改善のために力を合わせているところです。しかし、日本はどこ吹く風で大規模投資と援助を繰り返しています。

先日来日した農民組織のリーダーたちは、一連の日本が関わる「ナカラ回廊開発」に「NO!」を表明しています。なぜなら、石炭やアグリビジネス、植林・鉄道開発によって多くの土地を奪われている他、農業援助プロサバンナ事業で人権侵害や市民社会への分断介入が続いているからです。

国際開発学会での農民たちの発言に対して、日本の開発研究者が「開発に犠牲は付きものではないのか?」と問いました。それに対して、ある農民リーダーはこう問いかけました。
「日本の皆さんが決めることですが、皆さんは幸せですか?皆さんは苦しみの開発にYESなのですか?」
「私たちは、苦しみ/哀しみの開発にNO。幸せのための開発/発展のプロセスにYES」と。

この農民リーダーは、東京だけでなく原発事故に苦しむ福島と限界集落化しつつある兵庫県中山間部を訪問しています。そして、地元の農家の皆さんと語らう中で考えた結果、以上のように答えたと言います。

2011年3月11日に起きた東日本大震災は、日本の私たちに「犠牲を伴う開発」について、多くの問いを投げかけました。モザンビークで私たちの援助や投資がもたらしている現実は、他人事ではありません。と同時に、「日本の食料・エネルギー・利益をどうするのか」という疑問もあるでしょう。

それを乗り越えていくためのヒントを、モザンビーク農民の声を紹介しながら一緒に考えていきたいと思います。

【講師プロフィール】
舩田クラーセンさやか
(明治学院大学国際平和研究所 研究員)
元東京外国語大学大学院准教授。「紛争/暴力と平和」の専門家として、アフリカー特にモザンビークの歴史・政治社会・経済を研究してきた。2012年、モザンビーク農民組織の要請を受けて、日本とブラジルが同国北部(ナカラ回廊)で実施するProSAVANA(プロサバンナ)事業、ナカラ経済回廊開発、そして土地収奪の問題に取り組むようになる。現在は、グローバルな食と農・暴力をめぐる諸問題の研究に従事する一方、国際的な学術グループや市民・当事者間のネットワークづくりをサポートしている。また、エネルギーと食料の自給の実践、ハーブや薬草の研究を積み重ねつつ、「里森生活」を合い言葉に、森の薪と枝だけで調理中。主著書に、『モザンビーク解放闘争史』(御茶の水書房、日本アフリカ学会奨励賞)。共著に『The Japanese in Latin America』(Illinois UP、全米The Choice50選)、編著に『アフリカ学入門』(明石書店)など。

【参考サイト】
*「モザンビーク開発を考える市民の会」のブログ
http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/
*「アフリカ日本協議会(AJF)」の関連サイト
http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/ProSAVANA/
*「日本国際ボランティアセンター(JVC)」の関連サイト
http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/advocacy/prosavana-jbm.html
*市民による「モザンビーク小農応援団」のフェースブック
(上記の来日農民の皆さんの声などが満載です)
https://www.facebook.com/%E3%83%A2%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%AF%E5%B0%8F%E8%BE%B2%E5%BF%9C%E6%8F%B4%E5%9B%A3-1060343997409346/?hc_ref=PAGES_TIMELINE

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国際開発学会@広島大学で発表するモザンビーク市民社会の代表の様子。
私の故郷ニアサ州の農家の息子さんです。
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# by africa_class | 2017-02-16 03:12 | 【記録】講演・研究会・原稿

大雪と子猫の巣立ち、息子の電動ひげ剃りの衝撃とともに。

今年の冬は厳しい冷え込みで、水深2メートルの池も、ビオトープも氷が張りっぱなしだった。
ハリネズミもすっかり冬眠したようで、まったく姿を表さない。
そんな冬だが、息子が自分で電動ひげ剃りを買ってきた。

夜は零下なのに確実に春が近づいている。
鳥たちが忙しいのも、木々がふっくら莟をつけはじめたのもそれを物語っている。

ある時気づいたのは、野良猫用の飲み水を野鳥たちも必要としていること。
ドイツの田舎という意味では、ちっぽけなクラーセン家の池やビオトープであるが、この水がこの近辺を飛び回る野鳥に不可欠なものだったことを知る。

そして、寒い冬の朝に、息子がひげを剃るようになったと思ったら、二匹のオスの子ども猫たちが巣立って行ってしまった。

2年前の夏、生まれたばかりの五匹の子猫は、母猫ニャーニャによって、隣の薪小屋から一匹ずつ口でくわえられ、今は亡き義父のぽんこつBMW(35年もの…)のボンネットに連れて来られたわけだけれど(多分そう)、去勢手術の時に三匹はオスで二匹はメスと分かった。

黒と白の「バットマン」的模様の母猫ニャーニャの子だから、二匹は真っ黒、三匹はまだらで、とにかくいつもじゃれあい、仲が良く、庭や森で刈りを一緒にし、このままずっとこの子たちはこの庭で成長するのだと、いつの間にか思い込んでいた。

甘えん坊の「コブ」は、寂しくなると二階の仕事部屋に、玄関の藤棚を伝って上ってきて、二階の窓の外に座って私に会いにきてくれた子だったが、あまりに外で寝るには寒いだろうと思って夜は家で昼は外でと何日か過ごした後、ある満月の夜に戻ってこなくなった。

そして、メスの子猫たちは外の冷気を嗅いだだけで、「いいわ・・・家にいる・・・」とひるんで、「家猫」になった。母猫ニャーニャはトイレは外、寝るのは家と決めているようで、トイレはとにかく外でしか出来ない。これを尻目に、娘達はすぐにトイレをマスターした。ただし・・・庭の土を最初に入れなければならず、やっぱり土の上でしたいらしく、ある朝、小さい植木鉢の中にやっていた。しかしどうやって?!

そういえば、この家にくる前は、トイレは市販の工業製品を使っていた。
ビーズの大きな玉と下にシートを組み合わせるタイプ。
これが凄く高くて、かつゴミになるのが悩みだった。
しかもパルプ・・・森林伐採。。。
日本では、所謂「ネコスナ」がかつては人気だったが、あれは燃やせない。
猫歴30年を超える中で、色々試してきたものの、確信をもっていえるのは一番いいのは「木屑を固めたペレット」であるという結論。

特に、生ゴミと落ち葉のコンポストがあるというのもあるが、匂いの面でも掃除の面でもこれに勝るものはないとこの3年ほどは思っている。ぜひ、騙されたと思って、一度使ってみてください。猫たちのストレスもずいぶん軽減されると思う。

と、また脇道に逸れました。
3匹のオス猫のすべてが巣立ち(家出?)、息子のように可愛がった愛猫のぴーちゃん(男子)を亡くし、去年の今頃は7匹いた猫が、メス猫のみ3匹になって、色々考えたのは・・・

「人間の息子」とも、「もう長くは過ごせない」という現実。
小さい時は、早く大人になってくれないかと祈るように毎日思っていたのに!
身勝手ですね。

いざ、子猫たちで「巣立ち」を実際に経験してみて、こんな辛いものとは思いもせず。。。
一緒にすごせる時間がカウントダウンになって途端に、ガツーンときた。

「こぶ」がいなくなったのが、息子が3週間のインターンシップでアメリカにいっている時だったからかもしれないけれど、とにもかくにも、3人の家族から息子が旅立つと、こんな感じなのだというのを初めて経験して、一気に年を取った気がしてしまった。世の親もこうだったのか・・・。

救いなのか、どうなのかは不明だけれど、ドイツの学校教育のシステムでは、大学に行くにはアビトゥア(大学入学資格)が不可欠で、学校が終わった後も皆1年は自分で勉強して、試験を受けることになっていて、外国語は2つが必要で、かつ長い論文を書かないといけない。しかも、そもそもドイツ語は母語とはいえない息子にとって、なかなかハードルが高いために、義務教育の12年生を来年終えたら、別の学校で2年は勉強ということなので、3年は家から通うらしい。

ぎりぎりセーフ。
今迄、私の子どもとの関わりのイメージは、「あれもこれもしてあげたい」という欲求を、いかに引き算して、根本的に彼が必要としていることは何なのか…を突き詰めて、それを手伝うことであった。

ツレが完全に「やってあげる型」(つまり足し算ばかり)だったこともあり、私迄そうすれば追いつめるだろうと思って、引き算ばかりに集中してきた、、、、が、ここにきて少しぐらい「足し算」させてもらってもいいのかな、と思うようになった。今更なのだが。

それは、息子がこの前、色々あって疲れ果てた私に、フルコースのディナーを作ってくれたことでそう思ったのだった。すべて自分で考え、作った創作料理。

・ジャガイモと人参、パプリカのソテー
・サーモンのムニエル
・これに、庭のハーブで作ったクリームソース

16歳にして、これはなかなかのものだと親ばかながら関心した。
もう「引き算」「足し算」など考えずに、もっと普通の関係を築いていくべきだと感じた瞬間だった。ある意味、私はツレの「足し算子育て」に子どもが駄目になってしまうのではないかという恐怖を持ちすぎたのかもしれなかった。なにせ、彼自身がそういう風に育てられてきたから、それが「当たり前」すぎて、議論するにもあまりにもエネルギーを使うので、いつしか役割分担と考えるようにしてきた。

家族で価値がまったく違う親を持つ子どもは不幸かもしれないと思いながら。
でも、実際は、それが息子にとってはトレーニングだったかもしれない。
つまり、多文化共生の。
いや、共生していないか。共存?

「重い親」の呪縛、衝突が耐えない異なる価値感の親から、彼自身が軽やかに解放されつつあるのを見て、なんだか私の「親としてどうあるべきか」の問いも、もはや妥当性を欠いた押し付けがましいものなのだと感じるようになった。私もまた、解放されなければならない。いや、私こそが?

こうやって、猫の親がとっくに終えている子離れを、「人間の親」である私は、少しずつ学んでいくのだろう。いや、学んでいかなければならない。

そんなことを思った冬緩むお昼のこと。
勝手口から「たーだいまーー」と聞こえてきたので、これにて失礼。

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# by africa_class | 2017-02-15 21:52 | 【観察日記】猫ママの子育て

「超えられない壁」を持つ幸せについて

トランプ当選から大統領就任まで書いていなかったとは。
そして気づいたら2017年になっていた。
もはや新年の挨拶というわけにもいかないので、今年もよろしくお願いいたします。
それだって、あまりに?

年末年始と、例の本の原稿を粗稿から最終稿にするのに、本当に手間取ってしまった。病気になってから、一個ずつしか片付けられない人になってしまって、とにかく全てに時間が厖大にかかる。同時にやろうとすると混乱が襲ってくる。そういうぐちゃぐちゃの糸を、一本ずつ深呼吸しながらほぐしていくのだけれど、それがどうしてもほぐれない時もある。

ということで、140文字なら軽く書けても、ブログ一つを書こうとしても、それなりに気合と勢いが必要なために、「書こうかな」と思っても戸惑いのまま数週間があっという間に経ってしまうということが続いている。

まあ、家族がチョロチョロしていたらブログなんて書く気分じゃないというのもあるが。

本当は、新書の原稿と、翻訳の仕事を片付けないといけないのだけれど、まったく気分が乗らないので、しかも家族がいないこともあり、ブログを開いてみた。なんか書けそう?

<と書いてアップしないうちに、家族が戻ってきてしまった。「しまった」というのはないだろうが、色々事情があり、やはり「しまった」なのである。>

そもそも皆さんに「書けた!」と報告したはずの学術本の原稿…。これを最終稿にするのに、あれから数ヶ月かけてしまったのでした。

どうしてかというと、これを書くのであれば、あれもこれもちゃんと読み返さなければと思っていた本がどうしても気になって、それが講じて、私の思考(という偉そうなものではなく、試行錯誤)は、ついに1899年に遡ってしまったからでした。

この年号をいうと、アレね・・・だと思うのですが、そしておそらくイマどき?・・・となってしまうかもしれませんが、あれらの古典に潜り込んで、ああでもなく、こうでもなく考えに考えたわけです。なのに、結局のところ最後は注に入れただけで終わってしまった、という無惨な結果に。まあ、予想はしていたものの(力不足すぎて)。

もうこの本の完成を3年も待ってくれている恩師が、あれからさらに数ヶ月・・・最終稿を待たせたものだから、呆れ果てたと見えて、まあ締切がある訳でもないから、と。

これはやや信号灯った感のあるお返事で、さらに焦る。

でも、先生にはその時点では1899年問題のことは伝えていなかった。1899年から1920年代までがどうしても、すごく重要なのに、蓄積がなさすぎ、勉強不足すぎて、とにかくのたうちまわった。光が差し込んで朧げながらみ見えたものが、かすんでいく。その繰り返しで、ついに悪夢まで見るようになったので、とりあえず手放した。注にぶち込んで。

脱稿。ついに提出。
が、返事がこない。
やっぱり、あかんかった?
学生の頃からの繰り返しだが、こういう不安を感じられるのも、自分が教師という仕事を一度してしまうと、とても新鮮で有り難いことだと気づかされる。

無謀にも、最終の章では、本全体がターゲットとする19世紀末から70年代までのアフリカ史に、冷戦後を付け加えて今起きていることの現象を歴史的に振り返えってみようとした。しかし、そのためには、19世紀末を真正面から取り組み直さないと出来ない・・・のであった。

なぜ19世紀末?
それは、暮らしと活動経由で行き着いてしまった「食と農の問題」に研究でも関わるようになったことと大いに関係している。

当然、これまでだって戦争と暴力の起源を19世紀末以降の世界史・地域史に求めてきた以上、「食と農の問題」であろうと何であろうと、そこにいつも立ち返るのだけれど、最近は歴史を前提にしないとしても、やはり19世紀末の問いとそれを乗り越えようとして試行錯誤された思想の数々は、もっと参考にした方が良いと思うに至ったりました。

これらの思考の軌跡(今となっては「理論」と呼ばれる)を参照しつつ、また19世紀末から現在までの展開を考えていくとして、その際に私なりの関心事である「国家」「暴力」「民衆/小農」の光を当てていくと、何が起こるか?

それは、もう凄まじく深く広い世界が立ち現れるわけです。探究心がどうもおさえきれないほどわき起こってくるのに、これに挑むだけの能力・気力・時間があるかといわれたら、即座に回答できる。

「ない」。
ここに足を踏み入れたら、出てこれないだろうな。
でも、入ってしまおうか。

と、うろうろしているうちにお正月が過ぎて、断念=>注という情けなさなのでした。

でも、去年の半分は実は、アフリカではなく、日本の19世紀末を眺めていた。ようやく一巡したのだと思っている。

日本から南米に行って、南米からアフリカに行き、ヨーロッパを問い、そして今アジアに向かい、日本を問うという展開に。いつかこの日がくると思っていたのだけれど(それがどうしてかは思い出せない)、学術が私を導いたのではなく、先祖のある物語と、ブラジルの先住民族やアフリカ系の人びとの悲鳴によってであったということは、意外であり、予想もしていなかったことなのですが、とにかくそういうことだった。

二十歳の頃をすごしたブラジルに、日系ブラジル人の調査で一度行って以来、ずっと帰っていなかった。あの寂しさと愛をたっぷり抱えた人びとのところから脱出しないと、「人生は終わってしまう!」と真剣に思ったから。だから二度と戻らない決意だった。でも、人生とは不思議なもので、まったく違う理由でブラジルを再訪し、先住民族の年老いた女性の一言で、我に返ったのでした。

「私はブラジルを知らなかった」と。
今でも十分には知らないのだけれど。
ただ、彼女の一言を聞いた瞬間、世界史の波のようなものに、ざぶんと頭から浸かってしまったような、そんな「気づき」が押し寄せてきたのでした。

そう。それは、「支配」に関することの。
人類が「支配する側・される側」に分かれて、それが「独立」で終わらなかったことの。
そしてこの21世紀初頭の今にこそ、「支配」が強まるという逆説的な現実の。
「支配される側」の声が、吹けば飛ぶ木の葉のようにかきけされていく暴風雨の吹き荒れる空気感の。
「支配する側」の自覚的な、無自覚的な、鉄のような揺るぎのなさの。
あざけりと、救世主のような奢り。
あるいは、世界で犠牲を生み出してなお魅力に満ちた「開発のロマン」に酔いしれて?

「トランプ前後」の世界では、「旧支配者」側のコロニアリズムが急速に進んでいて、だからこそこれをどう捉えて、どう投げ返すのかという点が、ますます重要になってきたと感じている。

それが、沖縄の辺野古の人びと、アフリカの小農、ブラジルの先住民族、アメリカのパイプライン反対の先住民族、いずれの人の闘っている根っこにある問題は、まさにこの「歴史的な支配・被支配」が作り出してきた構造からディスコースのすべてまでを含む。

そんなこんなを考えていたら、先生から「読んだよ」のメール。
しかも、意外なことに、先生もまた、同じ時代に行き着いていたようで、同じ本を手にとって色々と考えていたという。といっても、レベルがまるで違う「色々と考える」な訳ですが。

そして私が日本に置き忘れて引用できなかったある著者の四巻本に取りかかっている、と。私は一巻もののことだったんですが、先生。ああ、恩師がいるというのは、なんと幸せなことなんだろう。決して乗り越えられない高いそびえ立つ壁が前にあるということの幸せを噛み締めた瞬間だった。そして、この幸福感に安住していてはいけないのだろうけれど。

それにしても冬のある季節に暮らすことのメリットを切実に感じた冬だった。去年から畑面積を広げたこともあって、春・夏・秋は本当に忙しかったから、この極寒の冬は有り難かった。依然として池は凍っているけれど、もう木々の莟が膨らんできた。マイナス5度以下が続いても、春が近づけば、木々の莟はちゃんと膨らむという自然の摂理に、ただただ感動する毎日です。

なんか支離滅裂の文章になりましたが、まあご勘弁を。
またーーー次は、意外とすぐ書けるかも?
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# by africa_class | 2017-02-03 08:39 | 【記録】原稿・論文

「ポスト真実=2017年の言葉」とこの10日間と私たち

オックスフォードの「今年の言葉」は、「ポスト真実 post-truth」であった。
http://www.bbc.com/japanese/38009790
BBCの解説はこうだ。
「オックスフォード辞書によるとこの単語は、客観的事実よりも感情的な訴えかけの方が世論形成に大きく影響する状況を示す形容詞。今年6月のブレグジット(英国の欧州連合離脱)と11月の米大統領選を反映した選択だという。」

しかし、この現象は長らく日本と世界の現実であった。
ただ、加速度的に勢いを増していることもまた現実である。
この10日ほどは特にそう感じざるを得ないことが多かった。

「ポスト」とついていることの意味はサマザマであろう。「『真実』の後」をどう解釈するかは、もっとじっくり考えてみなければならない。ただ、この10日ほど、日本、ロシア、シリアをめぐるあれやこれやは、そのことを考えるきっかけを提供し続けた。そして、ベルリンでのクリスマスマークトでの出来事。

少し振り返りたい。

**

沖縄で、皆が怖れていたことが起きた。オスプレイが墜落したのである。しかし、それが「墜落」なのか「着水」なのか「不時着」なのかで、日本のメディアは忙しい。そうこうしている内に、大破した機体は日本政府の現場検証もないままに、米軍にせっせと回収されてどこかへと消えていった。

>「事実」を認定する手法を、主権者であり住民である日本の、沖縄の人びとは失ったのだ。

その直後、シリアではロシアに支援された政府軍がアレッポに進攻する最中、山口にプーチン大統領がおくれて到着したことについて、温泉に入るの入らないので日本のメディアが騒いでいる。

>NHKは、到着しないプーチンの専用機の「不在」を延々と映し続けた。さらに、重要なのは「温泉」ではなかった。なのに、「温泉」や「おもてなし」や「夕食の献立」が、より重要なものとして日本中の人びとに流布され、心をとらえた。

同じ日、米国のワシントンDCでは、オバマ大統領が今年最後の記者会見を行い、大統領選挙の結果に大きな影響を与えたという「メール問題」に、ロシア、とりわけプーチン大統領が関与していたと批判し、報復処置を講じることを宣言した。

>メールをハッキングしたのがプーチン大統領だとしても、問題になるメールを書いたのは米国民主党自身であったこと、メールの内容自体は事実であったについては、特に言及されることはない。他方で、ロシアにバックアップされた無数の「プロ・トランプサイト」が、偽情報を流し続けたことも明らかになった。その偽情報は、FBからFBヘ、TWからTWへと飛び火し、拡散されるにしたがってそれを「真実」として信じた人が増えていった。「事実」を織り交ぜた「創作」ほど、人を捉えるものはないという、いつかの誰かの指摘は、ここでも本当となった。

プーチン大統領とご一行が領土問題を一ミリも譲歩するどころか、現実には4島がロシアの主権の及ぶ範囲内であり、「ロシアの法律にのっとって共同開発」を行うこと、「日本企業はロシアに税金を払うべきだ」と言い放って立ち去った後に、なぜか安倍首相はテレビに出まくって、「歴史的外交敗北」という明らかな事実とは真反対のことを壊れたレコードのように繰り返し唱え、それがいつの間にか日本の多くに「事実」として受け止められている。そして、それを言う程に、自分でも事実だと思い込んでしまっているかの様子が観察されるまでになっている。

>心理学者らは、人間の記憶が都合よく改ざんされてしまうことを、すでに指摘してきた。しかし、ことは「個人の記憶の改ざん」ではなかった。ことは、1億人を超える人びとの一国家の過去と未来を繋ぐはずの決定的な話においての出来事だった。

>ロシア文学の最高峰の一つであるドストエフスキーが、19世紀末の小説でポリ・フォニーの手法を多用したように、「北方領土問題」もポリ・フォニー化した万華鏡模様の様態を示しつつある。ただし、これは小説ではなかった。ポリ・フォニーは平行線を辿るのではなく、ある種の決着がみられたのである。つまり、日本政府はロシア側からの談話その他を否定しないことによって、現実にはもう二度とあの4島が戻ってくることはないことが決定的になった。しかし、ポリ・フォニー的なナラティブは、国内向けのポーズとして、レコードがたとえ割れるところまで壊れたとしても、繰り返し奏でられ続けることであろう。「現実」が実体化し続ける中で。

この最中に、実はニューヨークの国連安保理で、シリア問題についてロシア・シリアを非難するかどうかで大議論が取り交わされ、英米仏独イタリアカナダは、非難声明を発表した。

>しかし、現在もG7の一員である日本はそこに名を連ねなかった。「不在」がまたしても意味をもった。
積極的に非難声明を回避したのか、ただそこに存在せずだったのかは明らかではないが、アジアの國として唯一「価値を同じくする西欧諸国のサロン=G7」に参加してきた自負をかなぐり捨ててまでの、ロシア接近であった。とはいえ、それによって日本が得たものは何もないどころか、戦後グレーゾーンとして維持してきた北方領土の主権と3000億円の経済協力が奪い取られたのであった。では、何の為の大騒ぎだったのか?今となっては、「真実」のその先の、なんとなく領土が返ってくるかのイメージのための騒ぎだように思える。

シリア・アレッポから大量の難民がバスで移動を開始したところで、バスが突然爆破されて多くが犠牲になったことが報道される。その少し前には、トルコで爆弾テロが起きたばかりであった。そして、今度はトルコの警官がロシアの大使を撃ち殺したのだった。その直後にスイスでは、モスクが襲撃にあって死傷者が出ていた。その一報に懸念が高まっていた矢先に、ベルリンのクリスマスマークトにトラックが突っ込んで、12名が犠牲になった。

>このことを直ちに「世界は怖いところだ」「難民は治安悪化をもたらす」というナラティブが、各地で家庭で語られていくことになろうが、それに抗うために最前線にいるのは「難民」ではなく、ドイツの政治家たちであったりする。これらの出来事が、バラバラの、個別の事態に見えて、根っこにおいて同じものから発せられていることについて、ドイツ人だからこそ敏感である。それは、かつてこの国の人びと自身が内に抱え、社会に抱え、世界に流布していたものだったからに他ならない。それは、「他者への不寛容と怖れ」、そして自己中心的で奢った優越感であった。

***

トランプの大統領当選を経て、「ポスト真実 post-truth」が「今年の言葉」に選ばれて、もはや世界は「真実」よりも「偽情報」の方が影響力を持つ時代に突入したという。そして今日も、様々な勢力の支援や資金を受けたアクターらが、「偽情報」であれ「特定情報」であれを流すのに余念がない。

人類は、多様な情報へのアクセスを可能とする夢のようなツールを手にしたというのに、30年が経ってみると、結局のところ人びとはそれを活かすどころか、それに呑み込まれる状態に陥ってしまった。自由と多様性を謳歌したのは一瞬の出来事だった。カネと力が、すべてを決定づけるだけの手法を手に入れたのだ。

いや、そんなに難しいことではなかった。「不安と不満と受動性」さえあれば、あるいはどこかに「負のパッション」があれば、後は火をつけるだけだったのである。いつかのドイツや、いつかの日本や、いつかの米国や、いつかの世界中でみられたアレである。「共通の敵」さえ作り出しておけば(それが「誰か」は時に変容するとしても)、既存権力は安泰なのだ。そして、スパイスとして、偽の情報と本当の情報が入り交じった薬味をふりまいて、人びとの目と耳と嗅覚と口と頭を忙しくすればよかった。

ややヤバくなると、芸能人や有名人の不祥事を垂れ流せばいい。人びとは喜んでそのネタに飛びつくだろう。そして実際、こんな沢山のことが起きた1日の後に、日本のテレビが喜んで飛びついたのは「芸能人のおしっこ」の話題だった。

人というものはそんなもんだ、というのは易しい。
そして、確かにそれはそうなのであろう。

しかし、私たち人類は、紆余曲折を経ながら、一歩前進三歩後退を繰り返しながらも、よろよろと少しずつジリジリと歩みながら、何かを学んできたはずではあった。いや、学んだつもりだっただけかもしれない?

シニカルになり、傍観者となり、批評家になることは簡単だ。
最初に悲劇が起き始めた時に、多くの人がそうなったように。
「まさか、そんなことは」「それは大げさだ」と。
しかし、気づいた時は手遅れだったのだ。

そして、私たちは「手遅れ感」の中で「ポスト真実」を生きている。こんな風に、仮想空間と現実空間が交差する、事実と虚偽がごちゃまぜになり、強い者・ずる賢い者が勝利して当然の、空間に変貌を遂げていきつつある。

21世紀的な「ポスト真実」の今。
これはしかし、いつか来た道でもあった。
「真実」を人びとが喜んで手放す時、その先に立ち現れたのは、決まって「戦争」であった。

戦争が近づいている。
その予感が胸騒ぎとともに収まらない。

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ベルリンで大惨事があった前日のクリスマス・マークトにて。

それでも日々の暮らしを諦めない。
その手触り、実感、感謝…それこそが「ポスト真実」への根本的な対抗軸だから。

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# by africa_class | 2016-12-21 06:42 | 【考】21世紀の国際協力

近刊本の草稿を終えて(「アフリカの解放と今」について)

すごくご無沙汰してしまいました・・・。
あれから移動が続き、さらに書けない原稿をいくつも抱えて、長めの文字を気軽に書くことが憚れてしまって、ずーーーと放置してしまいました。

(一点、重要な点を書き忘れていたので加筆します。「アフリカの小農」についてです)

原稿は未だ終わっていません…。
出版社に約束した締切を3度踏み倒していますが(陳謝)、一応草稿は終わったので、後は最終化のみとなりました。なにせ、学術的な執筆は3年ぶりのこととあって、本当にもだえ苦しみました。

しかも、10年前に手放したはずの博士論文のテーマを、「アフリカ」「南部アフリカ」「アフリカの人民/民衆/人びと/小農」そして、当時はまったく持てていなかったいくつかの理論の中に位置づけながら改めて、幅広い層の読者に書き下ろす…というのは、最初想定した以上に難しいことでした。

博論は、モザンビークの歴史(戦争と平和)に関するものでした。
当時は楽観すべき政治経済社会状況でしたが(2006年)、私の中では歴史の流れを見て懸念せざるを得ない点が多々あり、その意味で悲観的予測に基づいて書きました。書いた後、当時の某首相に渡した時に、「もっと未来のことを書いてほしい」と言われました。私もその時そう思う一方で、未来はいつも歴史の延長上にしか立ち現れないとも思っていました。

なので、新しい本は、「アフリカの植民地解放と現在」に関するもので、最後の章は、【独立という名の平和と繁栄はきたのか?】に焦点をあてています。これは、アフリカに限らず、日本のことも念頭において書きました。

2016年11月現在、残念ながら十年前の悲観的予測のほとんどすべてがあたってしまいました。途中、何度もそうならないで済むかもしれない「分岐点」のようなものがありましたが、そのすべてが悪い方に突破されていきました。

この感覚は今の日本についても同様です。
いつか書いたことですが、2008年頃より東京外大での「アフリカ平和・紛争論」の授業で、日中戦争の特に「民衆動員」を取り上げていたのは、まさに同じような「歴史の継続」と「悲観的予測」に基づくものでした。

本全体は、共著者のお力が大きいのですが、冷戦構造、アフリカ、ヨーロッパ、アジア・ラテンアメリカをまたぐ、壮大なるものになっています。私の担当した3つの章については、博論で触れながらも、十分に深めることができなかった点が中心となります。

担当したのは、アフリカ、南部アフリカ、モザンビークです。
いずれも植民地化・脱植民地化プロセス、そして冷戦を論じました。
今回は、かなり国連やOAUも焦点化しました。
そして、独立から40年近くが経った現在の状況を見据え、解放運動の指導者と小農の関係にも重点をおきました。それは、依然として、サハラ以南アフリカ(南アを除く)の多くの国々の圧倒的多数の人びとが、モザンビークと同様に、農村部で「小農」と分類される人びとだからです。

博論の後に取り組みながらも、どこにも発表できなかった史料分析も今回はできました。やりたかったこと全てではないですが、アメリカ、英国、ポルトガルのアーカイブズで得た史料を新たに使うことができました。また、さらに10年が経過してオープンになった史料やそれらに基づく最新の研究も少しは参照することができたと思っています。

そして、一番苦しんだモザンビークの章は…1980年代末に起きた「主権の危機」(IMF/世銀の構造調整計画の前身となるプログラムの受容)とその後に焦点をあてて、論じました。この点については、気になりながらも、今まで発表した本や論文で十分に触れることができなかった点です。現在、モザンビークで起きていることの源流がそこにあると思っています。そして、残念ながら、日本もこれらの「起きていること」と無縁ではない状態にあります。これは、博論執筆時とは大きく異なる点かと思います。

この本を書く約束をしたのは3年前のことだったと思います。
未だ病気が悪化する前で、その時はすぐに書けるような気がしていました。
有り難い話だったのに、そして申し訳ないことに、その「すぐ書ける」故に気持ちの中で新しさがなかったように思います。

病気の間中、書けないことが申し訳ない…と思いながら、10年後の今書くとしたら、「アフリカの人びとの解放と独立」について私はどう書くべきなのだろうか…という問いを悶々と考え続けることができました。そして、3年前より、2年前より、1年前より、今だから、「こう書かかれるべき」という思いが具体化されて、なんとか一つの章にまとまりました。

その意味で、共著者には多大なるご迷惑をおかけし、未だかけている状態ですが、私の中では、過去と現在、未来を繋いでくれる、非常に大切な仕事になったように思えています。すべてを一旦捨てたからこそ、切り拓けた気もしています。ようやく、様々な自分の分散してきた思考やテーマやアプローチや行動が、一つのものになる第一歩とできたように思います。

床に臥せって「浪費」したかに見えた厖大な時間と日々…3年近く…が、いかに豊かな実りのために不可欠なものであったのか、少し分かってきました。色々な機能障害(特に、記憶障害)との闘いが続いていますが、忘却もまた必要だったのだろうと思うようにしています。

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長野で有機農家をされているフォロワーさんに頂いた花豆が花を咲かせました。
おばあさまの代から大切に受け継いできた豆(つまり100年の時を命のバトンのリレーをしてきた…)だそうで、丁度100年の世界を振り返った書き物を一つ終えた(草稿だが)私には、なんとも感慨深いものがありました。

今、息子が新しいブログを作成してくれています。
当面、並行すると思いますが、引き続きよろしくお願いします。

この先、3つの国際学会で発表があり、しかも英語・ポルトガル語・日本語…なのですが、どの論文も終えてないので(涙)、もう破れかぶれになりかけていますが、ほどほどに頑張ります。

3章の理論の部分を明確にするためにも、これらの学会発表が不可欠で、集中砲火を受けること覚悟で、発表してきます・・・。

所謂「紛争後平和構築」の研究から離れたことを心の底から嬉しく思っているのですが、10年ほど、「民主化」なども、それを念頭において研究してきたために、今取り組みたいことの理論的基盤を獲得するには、未だ未だ時間がかかり、かつとっても難しい…です。
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# by africa_class | 2016-11-07 01:12 | 【記録】原稿・論文

【募集】Activist-Scholar養成講座2016 ~土地・水・森林・天然資源・紛争・環境と人びとの主権~

こちらも更新できず、すみませんでした。
まったく手が回らなかったのですが、2017年2月後半に第一回のものをGRAINのデヴリン・クエック氏と一緒に、京都と東京で開催することになりました。また、サポーターに、Journal of Peasants Studiesの編集長&ISS(国際社会科学研究所、ハーグ)教授のJun Borras博士が加わってくださることになりました。お楽しみに〜。


帰国後、思った以上に忙しい毎日で、なかなか色々手が回っていないのですが、この数年間ずっと温めてきた構想を、2月のボラス先生に頂いた「はじめの第一歩」の後押しを受けて、少し動かし始めることにしました。詳細は以下のサイトをご覧下さい。なお、ボラス先生の講演の議事録をほぼ逐語でまとめたので、是非ご一読下さい。
http://afriqclass.exblog.jp/22658501/

今日は、「グローバル課題に取り組む日本のActivist-Scholar養成講座」を始めようと思った背景を、紹介しようと思います。当然長いので(苦笑)、面倒な人は末尾の正式な案内文だけお読み下さい!
http://activistscholarjp.blog.fc2.com/blog-entry-1.html

モザンビーク・ブラジル・日本・世界の当事者運動やNGOなどの市民社会組織、研究者らと密度濃く協働するようになって4年近くが経とうとしています。その中で、本当のほんと〜に沢山のことを学ばせて頂きました。正直なところ、自分の病気なども重なって、本当に辛く厳しい4年間ではありましたが、人生のこの時期にこれを学べて本当に有り難く思っています。その中でいつも感じていたことは、「グローバル課題に取り組み世界的に活躍できる日本のActivist-Scholar」を早急に養成しなければ…ということでした。

実は、私は本務校(東京外国後大学)での高等教育において、これ(Activist-Scholar)の養成をまったく目指しませんでした。それは、このブログで度々書いたように、自分のActivismを教室に持ち込みたくなかったからでした。また、学部教育においては、scholar養成もあえて目指しませんでした。修士論文(あるいは修士課程に受かる)レベルの卒業論文を前提に指導はして、実際に皆それをほぼ実現しましたが、一旦は「学校」を出て世に塗れお金を貯めてから、Scholarになるべきと思ったらそうすればいいという立場を取ってきました(この理由は別に書いたので繰り返しません)。また、大学院の教育ではScholar養成というには大学院の体制に問題が有りすぎたので、なかなか難しいものがありました。唯一、それらしいことをしたのは、各学会のジャーナル誌の査読や編集においてでした。他方、市民社会の活動においては、確かに早稲田大学に研究所を設置させて頂き、シンクタンクNPOを結成し、その中で若手研究員を数十人育てました(というか若者たちが勝手に育ちました)。ただ、彼女・彼らは主に「実務家」(国連や国際機関、JICA等の職員、開発コンサル)を目指していたし、アフリカ政策(援助を含む)のシンクタンクであったので、ある程度の「縛り」の中でしか若手の今後に関わることができませんでした。そしてそれには後悔なく、あの時の研究員らの世界での活躍を見るにつけ、本当に嬉しい気持ちでいっぱいになります。

こう考えてみると、私もいつの間にか、学会・大学・自分立ち上げた組織の枠組みに縛られて、それに自分のやりたいことを適応させる形で日々を生きていたのだと分かります。すでにある設定の中で出来ることをやろう…という「改良主義的運動」ですね。それはそれで重要であり否定すべきではないし、あの時の自分にできたことの範囲もまたそこまでだったと理解しています。

しかし、その後世界はあまりに難しい場所となってしまいました。
2004年から2008年まで、ボノたちと援助の3倍増を求めて活動していたのはあまりに呑気すぎた…とも言えるほど。この10年弱の間に、世界もアフリカも日本も、社会の根っこの深い部分で深刻な課題を抱え込むようになりました。そして、世界のあちこちで、脆弱性を抱えた人びとが最後の拠り所としてきた自然と土地の争奪が、暮らし・コミュニティ・人びとの命や尊厳すら奪うところまで追い込まれる状態が生じています。

一方で、人びとはただやられっぱなしではなく、世界でこれに抵抗する先住民族、小農、女性らの運動がいくつかの成果も生み出してはいます。しかし、マネーや権力の力はあまりに強く、展開があまりに早く、すべては後追いになっている状態にあります。そして、社会正義のための運動はますます人びとの連帯に基づく世界規模の協働を不可欠としていますし、その協働はより高度化しつつあります。

このようなせめぎ合いのただ中に放り込まれたまま4年を生きてきて切実にいつも感じていたのは、「日本」の姿があまりに見えないという点でした。これは、日本の官民の動きが知覚・把握・認識・理解されづらいということもありますが、日本の研究者や市民社会組織の姿についても同様でした。勿論、古くからの人的・組織的ネットワークはある。国際会議や声明にはそれなりに日本の団体も参加している。しかし、世界で起きている現象への具体的な情報提供や戦略づくりへの参画という点では、分野にもよるものの、十分な貢献ができていると言い難い状況にあります。

これは当然、日本に特徴的な以下の問題に起因しています。
・市民社会の意義が理解されていないこと&スペースの狭さの問題
・研究者と活動家の分断、NGOなどの活動の社会的広がりの限界
・NGOに資金的余裕がなく故に人的余裕がない(とりわけ政策やアドボカシー活動に必要な資金や人材を持続的な形でキープできない)
・言語の問題。日本語でのやり取り・資料が多く、英語での発信が重視されていない。さらには英語プラスアルファの言語を使える人が少ない。

日本では、この問題はいつも「卵が先か鶏が先か」の議論に帰結します。つまり、堂々巡りの議論になってしまうのです。日本のNGOはお金がないから…に陥ります。そして日本のNGOをいくつも設立・運営してきた身として、そこの切実さは辛いほどに共有しています。今日もまた数十万円の赤字を埋めるために書類を一つ書いたところですから。

でも、Bertaさんが亡くなった時(http://afriqclass.exblog.jp/22589869/)、私はやはりもう待っている場合じゃないんだ。自分たちの境遇を悲しんでいる場合でもないと強く思ったのです。丁度その数ヶ月前から、世界のいくつかの国・地域の人びとから頻繁に色々な要請を受けるようになって、様々な悲鳴のような声を聞き、これを放置できない…しかしもう自分のキャパを超えている、しかも自分がこれらに対応する最適任者でもないと実感したのです。なので、いつものやり方を取ることにしました。つまり、最初の一歩を「手弁当」で始めることです。

私は、外大を辞め、「最終講義」をするように、日本の教育界にも学術界にも未練がありません。肩書きにも、キャリアパスにも、成功したり賞賛されることにも関心がありません。そういう言い方をするととても生意気に聞こえるかもしれませんが、大人になってからの25年間を、自分を優先することなく生きてきました。周りにどう見えていたかは分かりません。しかし、何一つ自分のためにやったことはなかったし、そういう利己的なことに関心があったのであれば、このような生き方は選んできませんでした。場面場面で、色々な誘惑もあったものの、すべて損する側を選びつつけて生きてきました。勿論、それが結局自分のためになっていたという事は否定しませんが!損得考えて生きていたとしたら、この25年間のいずれの活動も行動もやっていなかったでしょう。

一通りのことに取り組んで思うようになったのは、あの時の自分のレベルではそれが精一杯だったものの、ここから先はもっと違う大胆でクリエイティブなやり方で、あらゆる制限や自粛を盛り込まない形でやってみようと思い立ちました。その中には、自分の中の心と魂の声にもっと耳を傾けるというものがありました。社会のためもいいけれど、自分が病気になるようじゃあ元も子もない、と。それで一旦日本を離れる決意をしました。

しかし、この決意に反比例するかのごとく、今度は世界から私のところにありとあらゆる問い合わせやお願いやお誘いが集中するようになりました。そこで、日本に情報を投げて協力を呼びかけるようになったのですが、やればやるほど、それを受けとったり、受けとりたい、関わりたいと考える層の人びとがいないことに気づきました。厳密にいうと、個別にはいるのですが、緩やかなネットワークにすらなっていない。なので、いきなり緩やかなネットワークにすらならなくてもいいので、このようなことに関心があるかもしれない個別の人びとに「ヒント」を提供する形で、「こんなんもあるよ」「こんな考え方もあるよ」という紹介をしようと思ったのです。で、「紹介」では足りないので、ついでに「養成」もしてみよう、と。

というのは、世界からのニーズばかりでなく、日本の若者達のニーズとして、それがあったのです。日本には、日本のみで通用する論理と作法というものが、実はあります。それは日本の独自性としてとても評価されるべき点ですが、同時に「自己満足」「井の中の蛙」をもたらすばかりでなく、「知の体系の再生産」を招き続けます。日本にいるとある種の居心地良さがあるわけですが、それは与えられた枠組みを熟知してその枠の中でやるべきことをやればいいというものによります。そこを踏み外し始めると途端に感じる違和感というか排除された感…に容易に耐えられる日本の人は多くはないでしょう。しかし、「知」における先人たちの蓄積に対し、心底リスペクトをもって接するということは、本来的にはそれを壊して新しいものを創造するぐらいでなければならないと思うのです。二番煎じ、孫引きではいけない。足りないものを補完するだけでもいけない。勿論、まったく踏まえずに新しいものを作るつもりが、単に不勉強ということも良く有ります。なので、そういうことをいっているわけではありません。

ここら辺はまた長くなりそうで(すでに長いので)、とりあえずここまで。
若い皆さんの情熱と時間と体力と気力、柔軟性をもって、先人たちへのリスペクトに根ざしながらも、今世界で同時代的に起きている現象について、脆弱な立場にいる人びとの主権に視座をおき(つまりは自分の主権を見つめ直す作業も含め)つつ、批判的思考(仲間に対しても)を失わず、科学的・実証的に現象を調査研究し、世界の動向を構造・システムの中で(理論を含め)把握する、そんなアプローチを共に考え、紡いでいけないかなと思ったのです。勿論、本来大学院という場でやるべきかもしれませんが、先ほど述べたように私はそれを学会から完全に自由な場で、思考のプロセスの一環として少しやってみるぐらいのことはしていいんじゃないかな、と思うのです。

当然、大学院生たちは指導教員を優先すべきでしょう。
でも、少しぐらいオルタナティブを試してもいいと思うし、いずれ世界に出ていくのであればなおさらです。覗いてみる・・ぐらいの軽い気持ちでいいんです。

来るもの拒まず、去る者追わず。
人生一度きりなんで、それぞれバリアーを取り払って、可能性やオルタナティブを知ってもらいたい。そして、願わくば、皆さんの内に秘めたパッションや能力を、人びとのために使ってほしい。ただそんな感じに思っています。関心があれば、是非どうぞ。(日本語が以上乱れているのは承知していますが、眠いのでこれにて失礼・・・)



(転送・転載歓迎)
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【参加者募集】
グローバル課題に取り組むActivist-Scholar養成講座2016
~土地・水・森林・天然資源・紛争・環境と人びとの主権~

http://activistscholarjp.blog.fc2.com/blog-entry-1.html
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1. プログラム
【基礎編】
第1回:「日本のActivist-Scholarの可能性と世界的なニーズ」

講師:舩田クラーセンさやか(明治学院大学国際平和研究所研究員)
コメンテイター:西川潤(早稲田大学名誉教授)、渡辺直子(日本国際ボランティアセンター)
場所: 東京都台東区上野(詳細は末尾)
日程:2016年4月11日午後or12日午後
*参加希望者とともに設定します。(詳細は末尾)
参加費:2000円(資料代込み)

第2回:「世界に通用するリテラシー&批判的思考の向上」
*各自のリサーチプロポーザルを持参(希望者のみ)。
*いくつかの事例を課題として出します。
時期:2016年5月(後半予定)
参加費:2000円(資料代込み)

【実践編】
第3回:「世界にインパクトを与える論文・レポートを書くヒント(1)」

*各自の書いたものを持参(希望者のみ。日本語でもOK)。
*Journal of Peasants Studiesの論文を課題に出します。
日程:2016年11月(予定)
参加費:3000円(資料代込み)
使用言語:日本語
*第1回参加者のみ

第4回:「世界にインパクトを与える論文・レポートを書くヒント(2)」
講師:デブリン・クエック(国際NGO・GRAIN)
日程:2016年度後半(11月か2月)
参加費:3000円(資料代込み)
使用言語:英語
*第1回・3回参加者のみ
*世界で最も早くランドグラブ(土地収奪)の問題に警鐘を鳴らすレポートを2009年に発表。グローバルなアジェンダ設定、政策転換に大きな影響 を 及ぼした。2013年6月のTICAD V(第5回アフリカ開発会議)に際した来日に続き2度目の来日予定。本養成講座のサポーターとして、実践編を担当。

第5回:「世界規模でデーターリサーチを行うコツ(1)」
講師:デブリン・クエック(国際NGO・GRAIN)
日程:2016年度後半(11月か2月)
参加費:3000円(資料代込み)
使用言語:英語
*第1回・3回・4回参加者のみ
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2. 趣旨
グローバリゼーションが世界の隅々に影響を及ぼすようになって久しいところですが、ここ数年その影響は根深いものとなって、人びとの暮らしや地域 社会に急激な変化をもたらしています。変化にはポジティブなものもありますが、アジア・中南米・アフリカの小農や先住民族の命と暮らしに視座をお くと懸念せざるを得ない状況が生み出されています。とりわけ、2008年以来、顕著なグローバル現象となった土地、水、森林、地下資源などの資源 の争奪/ 収奪は、各国内部における地図の書き換えをもたらすほどの強度と深度を伴いながら、最も脆弱な状況にある人びとやコミュニティに困難をもたらして います。

このような困難の一方で、各地の先住民族や小農、土地なし農業労働者などの当事者らが立ち上がるだけでなく、国内・地域内・世界の他の運動や市民 社会組織と連携しながら、抵抗・対抗・代替案の提示といった多様な活動を展開しています。近年では、これらの運動は、国連やその他の国際会議を舞 台として様々な条約、ガイドラインや原則などの策定を実現するなどの成果も出していますが、運動のリーダーたちが暗殺・投獄を含むあらゆる形の迫 害や脅迫などの人権侵害に直面しています。

私たちは、日本の研究者・市民として、このような世界的変化にどのように関わるべきでしょうか?
日本のグローバルな資源争奪における関わりについては、直接的なものもありますが、その大半は見えづらい間接的なものとなっています。ただし、こ れは日 本だけの傾向ではありません。資本の国境を超えた結びつきが進む一方で、世界的な運動が台頭するという現象の中で生じている世界的な傾向であり、 争奪から命・暮らしを守ろうとする人 びと・運動に大きな限界を与えるようになっています。そのため、当事者運動もまた、世界レベルで進む同時代的な共通現象の理論的把握の一方で、よ り高度な調査研究(情報収集や分析)の能力、国際場裏での高い交渉能力が求められるようになっており、これを支える人たちもまたこれらの能力が不 可欠となっています。

このようなグローバル現象における「日本の現状」と「日本の関わり」について、世界的な関心は決して低くはありませんが、日本からは、このような 関心に応えるだけの研究や活動などの成果が世界に出ていっていないのが現状です。本養成講座を通して、現地の立ち上がる人びと共に歩む世界的な研 究者の育成に寄与することができればと考えています。

*Activist-Scholarは、オランダにある社会科学国際研究所ISSのサトゥルニーノ・ジュン・ボラス(Satrunino Jun Borras)教授が提唱する「活動と研究を融合させた主体」にヒントを得ています。ボラス教授は、現在Journal of Peasants Studies編集長を務める他、国際的な運動であるTNIの研究員も務めています。本養成講座に参加される皆さんは、本年2月20日に東京大学 で行われたボラス教授の講演会(「グローバル化における社会正義と研究者」)の記録をお読み下さい。
http://activistscholarjp.blog.fc2.com/blog-entry-2.html

3. 2016年度:基礎編 第1回詳細
第1回:「日本のActivist-Scholarの可能性と世界的なニーズ」
    ~今後の準備のヒントとして


講師:舩田クラーセンさやか(明治学院大学国際平和研究所研究員)
コメンテイター:西川潤(早稲田大学名誉教授)、渡辺直子(日本国際ボランティアセンター)

場所: 東京都台東区上野5-3-4 クリエイティブOne秋葉原ビル内
   (部屋は参加者に個別案内致します)

日程:参加希望者とともに設定します。以下の日時のご都合をお教え下さい。
(*なるべく具体的に都合を教えて下さい。全く駄目か調整可能か等)
 4月11日(月)正午~14時 (  )
 4月11日(月)14時~16時 (  )
 4月12日(火)正午~14時(  )
 4月12日(火)13時~15時(  )

対象:日本語・英語が読み書きできる、いずれ世界で日本のActivist-Scholarとして活躍したい人。
*英語の読み書きは自己判断。今後の努力含む。
*もう1外国語出来ればより望ましい。
(最優先言語:ポルトガル語・スペイン語)
(その他:中国語・フランス語・その他東南アジアの国々の言語)
*年齢、国籍は問いません。(学部3年以上)
*日本語が読め、「日本のグローバル課題における役割」を意識できること。

参加費:2000円

参加申込み:4月6日(水曜日:正午まで)
以下の(1)~(6)までをメール(activist.scholar.jp<@>gmail.com)下さい。
(1) お名前、(2)ご所属、(3)参加可能日時、(4)現在の研究テーマ、(5) 簡単な自己紹介&何故参加したいと思ったのか、(6)講座への具体的な要望があれば是非。
*これら内容については個人情報として厳重に扱います。
*遠方の方への対応を調整中です。
(東京に来れないが参加したいという方は連絡下さい。)

【お問い合わせ】
Activist-Scholar養成講座2016事務局
URL http://activistscholarjp.blog.fc2.com
メール:activist.scholar.jp<@>gmail.com

【講座サポーター】
大林稔(龍谷大学経済学部名誉教授)
デブリン・クエック(国際NGO・GRAIN)
西川潤(早稲田大学名誉教授)
舩田クラーセンさやか(明治学院大学国際平和研究所)

(2016年3月29日現在。続々追加していきます)

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# by africa_class | 2016-03-30 01:52 | 【講座】Activist-Scholar

【記録】ボラス教授講演会「グローバル化における社会正義と研究者」

世界最先端の研究動向をまとめた上に、今後の日本の学術界・社会活動においても、とても貴重な講演だったと思ったので、当日の講演部分の記録をほぼ逐語でまとめました。(*一部分かりづらいところはPPTのテキストで補足しました)

質疑応答部分もかなり重要な点があったのですが、それは写真や地図などのアップを含める形で4月下旬にバージョンアップします。やはりライブで参加するに越したことはないほど、エネルギー溢れる講演会でしたが、是非以下を読むことで少しだけ追体験して頂ければ。

ここで紹介されている研究蓄積や動向について知りたい、学びたい人は、Journal of Peasants Studies (http://www.tandfonline.com/loi/fjps20#.VvqdBnB5mC4)のサイトを覗いてみて下さい。多くの論文がフリーで読めます。後は、次の投稿で紹介する「Activist-Scholar養成講座」に関する案内をご覧下さい。


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講演記録
サルトルニーノ・ジュン・ボラス教授講演会
「グローバル化における社会正義と研究者〜南と南、南と北、運動と研究を繋ぎ続けて」


日時:2016年2月20日(土)13 ~15時
場所:東京大学駒場キャンパス
主催:
•「有機農業とコミュニティの深化」(科研代表:中西徹、科学研究費補助金・基盤研究(B))
•「グローバル土地収奪下における持続可能な地域発展のためのアフリカ小農主体の国際共同調査研究」プロジェクト(代表者:大林稔、助成:トヨタ財団研究助成プログラム)
共催:
モザンビーク開発を考える市民の会、国際開発学会社会連携委員会
式次第:
(1) 趣旨説明  受田宏之(東京大学准教授)
(2) 講演 サトゥルニーノ・ジュン・ボラス(ISS教授)
(3) ディスカッサント 
清水奈名子(宇都宮大学准教授 / 日本平和学会理事 / 福島原発震災に関する研究フォーラム・メンバー)
舩田クラーセンさやか(明治学院大学国際平和研究所研究員 / 元東京外国語大学准教授)
(4) オープンディスカッション

【講義記録】
土地取引のポリティックスと農をめぐる関係性の変容(agrarian change)のダイナミックス:
背景から探求の核心へ、様々な結び付きを捉える
社会正義を志向する活動家=研究者(Activist-Scholar)に向けて

1. 活動家=研究者の挑戦(Activist-Academic Challenges)
本日の議論の大半は、今日の学術調査と活動のあり方をどのように考え直すべきかについてのものである。両者を時に切り離し、時に一体として話をしたい。
 
これらの議論は、過去20年ほどの現地調査に基づいている。その多くがアジア地域、特にフィリピン、インドネシア、ベトナムであり、最近はこれにカンボジアとビルマが加わる。また、最近では、中国南部での調査や国境周辺の地域も研究している。国境を超えた活動が、政治経済や環境にどのような影響を与えるかに焦点をあてている。
 
この他、アフリカでも長年にわたり現地調査を行ってきた。例えば、マリ、ジンバブエ、南ア、ナミビア、モザンビークである。(モザンビーク北部の)プロサバンナに関する調査はやっていないが、これは皆さんにお任せしたい。他方、モザンビーク南部のガザ州で行われていた砂糖プランテーションの事業ProCanaについては調査している。また、南米については、ブラジルとコロンビアで長年調査をしている。

昨今の私の関心は、トランスナショナルな農民運動(Transnational Agrarian Movements)に関するものでもあり、彼らがいる場所に私も出掛けて行き調査をしている。

本講演の主なメッセージは、二つある。

①広い意味での政治経済(環境政策も含む)が相互に結びつき合いながら、絡み合い、収斂していく場を、特定の土地取引の事例の文脈(背景)として扱うだけでなく、「調査 /分析の主要な中身」とも位置づけ直すことにより、システマティックな調査研究イニシアティブを遂行することが重要である。

②そのことによって、土地志向の資本蓄積過程の特徴と軌跡の包括的な理解が可能となるだけでなく、これらの動きを規制したり、貧しい人たちの資源コントロールの権利を彼らの状況に応じて守ったり、促進したり、回復することを試みるのである。

これらを踏まえ、以下の点を再考することは、活動家=研究者が行うべき研究や活動に対し、深い示唆を投げかけるだろう。

(i) 気候の正義、農地 / 農民の正義、食の正義、労働の正義、アドボカシー活動といったセクターを超えた収斂に向けて:これらのセクターはそれぞれに重要でエキサイティングであるものの、セクター相互の関係性を研究するとすればどうなるのか?

(ii) より幅広く、より複合的で、かつより多階級で多元的なアイデンティティからなる政治と政治的連携に向けて:状況への対応の中で、社会正義を求める多元的な前線が形成されつつある。

(iii) より幅広く、より複合的で、かつ多元的なアイデンティティの政治と政治的連携に向けて:状況への対応の中で、社会正義を求める多元的な前線が現在形成されつつある。

(iv) 半球間の分断 (南北 / 南南)を超え、より大きな国際的なアジェンダとアクションのためのプラットフォームづくりに向けて:従来の南北、南南という言葉や関係にとらわれず、これを再考すべき時がきている。この理由は、現在世界大で見られる質的変化によるものである。

(v) これらの課題についてのより大胆に政治化され歴史化された見方に向けて:もっと政治
化され歴史化された見方が必要である。

(vi) 客観的・主観的でラディカルな活動とプログレッシブな学術サークルに向けて:客観主義者と主観主義者は互いにアレルギーがあるもしれないが、主観的なラディカル活動家であるか、あるいはプログレッシブな学術サークルの所属者であるかは重要ではない。それぞれ異なる闘いを行いながらも、客観的アライアンを構築できるはずだ。意識すれば、協働できるはずだ。

2. ランドグラブ(土地収奪)について

2.1. ランドグラブ研究に関する2つの潮流
現在の「ランドグラブ」について科学的な意味で語るのであれば、それは2008-2009年に現れた。以来、活動=研究の場においては、大きくいって2つの潮流が出てきた。まずは、「第一波(何が起こっているのか知ろうとする)」は2009年から2010年のものであり、訳が分からないものを知ろうとする時代として位置づけられる。これに尽力したのは研究者よりもNGOであった。彼らは、何が起こり始めているのか、誰が何をやっているのか、誰が土地を失っているのか、事実は何なのかについて把握しようとした。そして、これは戦略的に重要な役割を果たした。また、研究アジェンダ全体の枠組みを問い直すことに役立った。これらは主としてメディアによる報道、NGOによるレポートによってなされた。ただし、これは短い期間の潮流に留まった。

次の段階の「第二波(理解を深める)」は、何が起こっているのかの向こう側について我々自身が考えさせられる中から出てきたものである。ランドグラブが起きているとしたら、それはなぜ問題なのかという問いである。例えば、韓国企業がマダガスカルで130万ヘクタールの土地を取得しようとしたら、何が問題なのかという問いである。土地取引がもたらす影響(示唆)はその国にとってどのようなものなのか?土地だけでなく、労働関係、暮らし、環境に対する影響と示唆は?この土地取引は、駄目なことか、良いことなのか?それらは逃れ難いことなのか?これらの問いを、個別のケースに関する調査研究を深めることで検討していった。

ランドグラブ研究の科学的な調査の成果はこの「第二波」に集中しており、我々の理解を深めることに役立った。特に、今日のグローバルな水、土地、森の収奪——つまり、「資源(リソース)ラッシュ」——の特徴を理解する試みに貢献した。これらは、ケーススタディ志向のリサーチであり、現在でもランドグラブに関する調査の中では圧倒的多数を占める。その多くが、国別、テーマ別に行われているものであり、例えば土地取引が労働関係やジェンダー関係の変化にどのような役割を果たしているのかなどである。あるいは、企業活動に注目した出版活動もなされ、何が起こっているのかの理解が深まった。

2.2. 空想ではなく現実に起きている現象としてのランドグラブ
しかし、全ての土地取引計画がそれらを推し進めていた人たちの構想通りの方向にいったわけではなかったという点は重要である。そして、このような推進者が必ずしも最初のレッテ張り(「悪者」)通りであった訳ではなかった。当初の推測が必ずしも正しかったわけではなく、これらの投資を歓迎したコミュニティがあったことも事実である。しかし、もちろん肯定的な結果がなかったことも多かった。ここで言いたいことは、最初の推測とは異なって(土地取引の)結果は多様であるという点である。

ところが、科学的な調査を経てはっきりしたのは、世界的なランドグラブ現象は空想の産物などではなく、現実に起こっていることであったという点に確証が得られたのである。ランドグラブはNGOや活動家がでっち上げたものなどではなく、実際に起こっている現象であり、想像以上に多くの人びとに異なる、しかし深い影響を及ぼす一方で、人びと同士、社会同士を、国境を超えて繋ぎ合っているのである。我々それぞれの場で生じている出来事同士が、互いに繋がっている時代に生きているのである。

3. ランドグラブの典型事例

3.1. カンボジアでの2万ヘクタールの土地の収奪
これを示すために、2010年にカンボジアで行った調査を紹介する。これは、カンポンシュガーハウス社が住民から摂取した2万ヘクタールの土地の一部。

この企業はフン・セン首相のもので、タイからの投資によって運営され、ヨーロッパの消費者のための甘味剤用にサトウキビのプランテーション栽培が行われるようになった。ヨーロッパから特恵待遇を受けている。土地の取得にあたっては、最初は20haだけが対象とされ、「この土地は空き地であり、かつ耕作可能」と言われていたという。

3.2. ランドグラブの典型的なナラティブ
ランドグラブを巡っては、いつもこのようなナラティブ(話)がついてくる。

「今日の世界には複合的な危機があるが心配しなくていい。なぜなら、これらをすべてを解決する手法があるからだ。その解決策とは、空き地、未耕作地、未開地、耕作限界地(empty, under utilized, under used and available marginal land)があるのだから」。

世界銀行は洗練された計算を行い、世界で最低でも4億450万ヘクタールの耕作限界地の利用が可能であると宣言した。森林面積や人口密度を変数に加えると、17億ヘクタールまでその面積を増やすことができると述べている。つまり、現在の全世界の耕地面積が15億ヘクタールであることを念頭におくと、 その気になれば耕地面積を二倍に増やせるということである。万一これらの土地を使っても問題はないし、住民移転も気にしなくていい。なぜならこれらは耕作可能地である以上、使う者が土地を奪っても大丈夫である。このような言説が、グローバルな土地収奪の背景にはある。

3.3. カンボジアで実際に起きたこと
2万ヘクタールは空き地だと称して、ブルドーザーがきた。しかし、その土地には実際には農地が広がり、村があり、千人以上の住民が暮らしていた。これを、全部ブルドーザーが潰していった。

しかし、政府や企業は「法的には問題なし」という。行政上は、ここに住民がいないことになっているからである。だから、住民が築いたものはすべて焼かれ、破壊される結果となった。人びとは補償もないままに、土地から追い出された。なぜなら、政府から見ると彼らは法的な権利を持たない者、違法居住者とされているからである。
今このような現象が全世界的に起きている。このような工業化、近代化されたサトウキビのプランテーションによって、住民の所有関係、暮らし、労働のすべてが変容してしまった。

4. ランドグラブ研究の「第三波」と相互作用

4.1. 現在生じている「第三波」
土地取引と農地/農民研究に新しい世代の調査研究が生まれつつある。ここでは、特定の土地取引や国別研究を超えて、非常に重要な問いが検討されている。つまり、これらの動態の相互作用、絡み合い、収斂、流出、縺れ合い、相互連結(interaction, intertwining, convergence,spill-over, entanglement, interconnection)に関するものである。
おそらく、The Journal of Peasants Studies(小農研究ジャーナル)の「グリーン・グラビング(green grabbing)」に関する最新号は、この新しい研究傾向の草分け的な役割を果たすことになるであろう。

4.2. 5通りの相互作用の紹介
次の5通りの相互作用が特定できる。

① 空間的Spatial
② 政治経済的Political-economic
③ 政治生態学的Political-ecological
④ 構造的・組織的Institutional
⑤ 時間的Temporal

しかし、これらは互いにオーバーラップするものである。実証的にそのもつれ状態を示すのは難しいが、理論的アプローチとして試みてみたい。

5.空間的相互作用とは?

5.1. オーバーラップする土地への関心
ランドラッシュの原因として、アグリビジネス投資や農業生産に焦点を当てることは人気の手法であるが、実際には巨大な面積の土地取引は水力発電や二酸化炭素排出権をめぐる工業的な森林プランテーションが行っていることが多い。昔からある森林地帯を激変させているのは、工業的な植林プランテーションの方であり、これこそが食料生産や農業生産による収奪よりもランドスケープ(景観)の変化を生じさせている。また、露天掘り方式の鉱物資源開発も同様である。さらに、気候変動の緩和と適応(climate change mitigation and adaptation)の言説は、土地に誘引力を与える結果、そのコントロールを不可欠とした。

その結果、それが気候変動の緩和策であろうと、農業・食料生産であろうとも、工業的植林プランテーションの拡大であろうとも、いずれも「同じ土地/テリトリー」について述べることになる。まさに、「同じ土地への関心」が喚起され、オーバーラップするのである。

5.2. 事例(カンボジア・ビルマの地図)
これは、カンボジアのNGO・LICADROによる大変興味深い地図である。
これ(左図)を見れば分かるように、多様な業種の異なる投資家が、同じ土地を目指してやってきて、互いに隣に分け合う形で利用している状態が分かる。

これ(右図)はビルマ南部の森林地域の地図。しかし、「フリーゾーン(zona livre)」として政府に認識され、誰でも希望する主体に土地のコンセッションが与えられた。その結果、大体がゴムの植林あるいは油ヤシのプランテーションに変貌した。この地域を車で通り抜けるには1日かかるが、行けども行けども、これらのプランテーションしか見えない状態になっている。

これらの事業は、ビルマ軍関係の企業とマレーシアや中国の企業とが結びつき合いながら進めている。さらに、この広大なる土地摂取は、気候変動の緩和策と森林保護の一環としてなされているのである。

5.3. 土地を分け合う異なる利害者
当初、同じ土地をターゲットにしている以上、これらの異なる目的を持った利害者らは、土地のコンセッションを争っているに違いないと考えられていた。しかし、現地での科学的な調査によって明らかになったのは、土地の競争や奪い合いではなく、交渉し分け合っているという事実であった。つまり、彼らは彼ら同士でどのように上手くやればいいか分かっているのである。
ビルマ南部の地図には既に新しいものが出ており、大きな環境保護組織、アグリビジネス企業、鉱物資源開発企業が、どのように同じ地域を交渉によって分け合ったのかが分かるようになっている。

5.4. 環境保護組織の力の強化
大規模な環境保護組織は力をつけつつある。気候変動の緩和の文脈によって、より力を得るようになっている。先ほど紹介したビルマ南部では、一つの環境保護組織が、実に220万エーカーにも及ぶ森林保護の権利を一事業のために取得した。その結果何が起こるかというと、保護区となった地域に暮らしていた住民を追い出すことになっていくだろう。なぜなら、「住民=森林の破壊者」だという前提(推測)があるという典型的な考え方を、これら組織が持っているからである。しかし、実際は3万ヘクタールの土地への投資家よりも、このように巨大な環境保護組織の方が住民生活にはネガティブな影響を及ぼす可能性が高い。

このように事態はより複雑であり、懸念されなければならない。しかし、環境保護組織が気候変動の緩和といった言説によって力を付けた状態のものと一緒に仕事をしなければならないことは、容易ではない。
ビルマ南部の住民だけでなく、世界中の住民が、このような新しい状況に直面している。つまり、セクター間(気候変動の緩和や環境保護、農業開発)並びに言説が交差し合い、絡み合っているのである。

6. モザンビーク南部ProCANAの事例から見えてくること

6.1. モザンビーク・ProCANAの事例
ここも、空き地で耕作限界地であるが耕作可能の土地としてとして、英国ベースの企業に99年のリースで3万ヘクタールもの土地の権利が与えられた。しかし、実際にはここは空き地などではなく、1万1千人の人びとが暮らしていた。政府にとってはいないことになっている住民であった。さらには、この地域は古代から続く放牧地域であった。

6.2. ランドグラブにおける放牧・移動農耕
ランドグラブにおいては、牧畜民族の地域と移動農耕を営む人びとの地域が主要なターゲットとなっている。その他、高地、手工業的な産業がなされている地域、焼き畑地域である。この際、「貧しい人たちは効果的に資源(土地)を活用できない」との主張によって、貧しい人たちの土地が盗まれ、工業化することで「効果的な活用」が奨励される。さらには、気候変動の緩和や環境保護という名目が加わる形で、「資源(森林)を破壊する」として貧しい人たちから土地が奪われている。

6.3. 土地だけでない水源の収奪
モザンビークのこの事例は典型事例であった。そして何が起こったのか?
企業は3万ブルトーザーですべてを平坦にしてしまった。住民たちは「モザンビークは広いのになぜここなんだ?」という問いを投げかけたが、それには理由がある。これは、決して偶然の出来事ではなかった。
ここには、モザンビークの最も近代的なダムの一つマッシンジール・ダムがある。干ばつが発生しやすい地域であるが、この企業は干ばつ時にもこのダムから優先的に水を得られる権利をもらっていた。しかし、この川の下流には多くの小規模農民が暮らし、農業を営んでいる。つまり、下流の農民の水を犠牲にしてでも、サトウキビプランテーションに水は供給される条件があったのだ。

6.4. 空間利用について
このリンポポ川流域の空間には、1万1千人の住民が暮らしていたが、これらの人たちは戦争からの避難者であり、森に暮らすようになった人びとであった。次に、野生動物保護の事業がきた。それが成功したため、象が増えすぎた。その結果、これら1万1千人の避難者らは森から追い出され、象に空間が与えられた。ここまでは、野生動物保護プログラムでよく起きる話である。以上の結果、住民らは今回話している土地に移住を余儀なくされた。しかし、この土地は、まさに政府がProCANA社に与えたのと同じ土地であり、さらに牧畜民が通う場所であった。さらに、下流には水へのアクセスの小農の問題がある。

つまり、この3万ヘクタールの土地をめぐる話には、戦争、リンポポ川流域の森林・野生動物保護、サトウキビプランテーション投資、牧畜民、ショクエの下流の農民の水の問題が相互に密接に絡み合っていたのである。これらは、沢山の知識を要する話であり、したがってアドボカシー活動を複雑化させる話である。一つのストーリーだけでは包摂できない、相互に絡み合った話である。

7. 今後の研究・活動へのチャレンジ

7.1. 政治的アプローチと枠組みの再考の重要性
以上の事例は、実証的・分析的であるだけでなく、政治的なアプローチが不可欠であることを示している。そして、この現象は世界各地で起きていることであり、政治経済、農業経済、政治環境、政治経済、政治生態学、自然/環境保護などの多様なアプローチを総動員する必要を生じさせている。ここから言える事は、研究と政治的活動の両方をどのような枠組みに入れ直すかについて検討が迫られているという点である。

7.2. 民主的土地ガバナンスへの難しいチャレンジ
とりわけ重要な点は、これらの点が民主的土地ガバナンスに難しいチャレンジを与えているという点である。国家と社会、あるいは社会勢力、社会階級のいずれの合体物が、どの空間を、どのような規範とルールに基づき、どのような機能を求めてコントロールするのか?どのようにして、この資源紛争の解決において、真に貧困者志向の社会正義を伴った結果を保証することができるのか、という問いである。

7.3. 政治経済の相互作用:レーダーの下で
象徴的な事例、つまり研究者や活動家らのレーダーの下に起こっていることに注目しなければならない。多くの調査や活動のターゲットは、1万から4万ヘクタールを超える土地取引、あるいはブルトーザーが実際に動いているモーメントに行われる。多くの場合、巨大企業、特に世界的に知られている企業についての調査をやりたがる傾向にある。そして、それは十分に意味のあることである。

しかし、このロジックでは、資本蓄積が政治経済プロセスのより深く、遠いところまで到達している現実を把握できない。なぜなら、これらの動きは、研究者や活動家のレーダーの下で生じている現象だからである。大企業ではなく、可視化された動きでもなく、そのために嘆願書を出す先すらない。企業に対してETO(Extraterritorial Obligations)を主張することもできない。これらはレーダーの下にあって、不可視化されており、まさに見えないために対応が不可能となっている。これらは、世界中の高地、特に移動農耕の地域で起こっている。

レーダーの下で起きる収奪:ビルマ北部の事例
ビルマ北部のシャン州は、中国と国境を接している。最初は森に囲まれた地域であり、人びとは移動農耕を営んでいたが、数年以内に写真のような状態になった。つまり、ゴムの木のプランテーションが乗っ取った様子である。象徴的な外国の大企業がこれを起こしたわけではない。大規模な土地取引やコンセッションが与えられたわけではない。しかし、数年でこのようにラディカルな変化がもたらされた。一体何が起こったのか?

これらの土地を入手したのは、個人である。ビルマで市民権を持っている人たち。あるいは、ビルマの貧困者だが豊かな中国の親戚をもっている人。起業家的中国人もいる。この起業的中国人は、中国とビルマ政府の二国間合意「ケシ代替産業奨励」事業の一環で、中国政府から補助金を得てゴムのプランテーションを始めた。ケシ栽培以外であれば何をしてもいいという補助金の枠組みに基づいている。

調査の結果分かったプロセスは次の様なものだった。まず一人の中国人がコミュニティに来て、小さな土地(25エーカー)がほしいといってきた。住民は貧しかったから土地を売った。しかも、とんでもない安い価格で。それが繰り返され、結果として200エーカーもの土地を得たところで、ゴムの木を大量に植え始めた。住民らが驚いてそれを止めようとしたら、政府や軍が弾圧してきた。さらには、住民らの圧力をかけて、これまでの移動農耕や焼き畑、放牧などの暮らしのあり方に介入し始め、これらを禁じ始めた。しかし、これらは、住民の暮らしの根幹部分を形成していたために、禁じられた途端に生活が立ち行かなくなってしまった。そのため、残りの土地を同じ中国人に売り渡してしまった。たった1年で、一つの村の2万5千エーカーもの土地がこの中国人のものとなった。

7.4. 国際、調査、活動から遠い場所で起きていること

しかし、これは例外的なことではない。より多くの数の村で同じことが起きており、住民たちに深い、しかし悪い影響を及ぼしている。国際的な規制、自由で事前の十分な情報が与えられた合意形成(FPIC:Free, Prior and Informed Consent)の届かないところで起こっている。活動家が把握できない場所、研究者が興味ない所で起きている。

東南アジア中で、アフリカで、南米でも起きている。例えば、ボリビアのサンタクルースでは、普通のブラジル人が土地を次々に買っている。ウルグアイでも同様。象徴的な大企業ではなく、普通の人びとの購入というプロセスによって住民の土地が奪われていっている。

これらは、学術的な調査、政治的なアドボカシー活動からも遠い場所で起きている。しかし、よく観察すると、これらの動きがいかに根深いところまで社会に影響を及ぼしているかが分かる。

ビルマの事例の話はここで終わらない。なぜなら、村には2万エーカーの共有林があった。しかし、ゴムのプランテーションのため、自分の森を売ってしまったため薪が手に入らず、家も建てたり補修できなくなった。そこで、ついに住民らはコミュニティの森を伐り始め、森を完全に失った。しかし、この森は暴風からコミュニティを守る唯一の手段であった。このように、土地取引によって溢れ出てくる(スピルオーバー)影響も考慮に入れなければならず、研究や活動に多くのチャレンジを与えている。

8. 資本の相互浸透

8.1. 中国南部で生じる多様な資本による土地収奪
世界中で中国はいつも「悪者」として描かれる。しかし、我々の調査により、その中国でも広西自治区(Guangxi)で大規模な土地収奪が進んでいることが分かっている。これは、中国企業や政府だけでなく、外国の企業が関与している。例えば、スウェーデンとフィンランドの合弁企業。インドネシアと台湾の合弁企業などが、工業的植林プランテーションやサトウキビプランテーション事業を展開しているのである。これらの事業は、村の住民との対立を生じさせている。たった10年で信じられない規模にまで拡大した。

これら土地収奪をしている10企業の内6企業は外国のものであるが、内4企業はタイの資本である。つまり、相互作用は一方通行のものではなく、資本蓄積の流れや資源コントロールもまた一方通行ではなく、相互浸透のプロセスであるといえる。資本は、利益が得られるのであればどこでもいく。これは、重要なポイントである。

8.2. 国境を超える一次産品ブームとの相互関係:資本を解釈する
ラテンアメリカで土地収奪の調査をすると、中国や湾岸諸国やヨーロッパの資本ではなく、「超南米企業TLC(Trans-Latino Companies)」とも呼ぶべき姿が浮かび上がってくる。アルゼンチンがブラジル、ブラジルがパラグアイ、チリが、、、、といったダイナミックなプロセスが発生している。つまり、国境を越えた資本蓄積のプロセスが展開されているのである。

伝統的なストーリーに対し、資本こそが自然資源を搾取しているのではないかという挑戦が投げかけられている。これは、活動や調査をする上での重要な視点である。帝国主義諸国やそれらの強国の企業のみではなく、中所得国や企業が重要な役割をしているのである。カンボジアやラオスで土地を集積しているのは、中国ではなくベトナム人なのである。

これらのことは、活動家に困難を投げかける。ベトナム企業の問題にどうやって取り組むのか活動家は分からないからだ。これらの企業には会社のロゴもない。不可視化された活動である以上、どのように取り組むべきか。日本やオランダ企業が投資しているとなればできる活動が、ここでは不可能となる。しかし、これこそが今広がっている現象である。このような状態で、グローバルなガバナンスの原則や道具(透明性、規範、行動原則)は、これらの新しいタイプの投資家やホスト国でどのように機能させうるのか?難しいチャレンジである。

このようなタイプの投資は、日常的な形態の土地集積の大規模な拡散を生じさせている。そして、農村地域に侵入し、農民社会を死なせていっている。このような状況は、古い手法ではあるものの社会正義志向の土地政策、例えば「土地取引の上限を法で定める」ことを必要とする。しかし、これは主流派が最も嫌うものである。

8.3. 労働移動を追跡する
地域内における土地志向の資金フローを追跡することと、セクターや国境を超える多元的な労働移動を追跡することは別々のことである点は重要である。

再び中国南部の広西自治区。近年、中国の内陸部でも労賃が上昇し、中国人はもはやサトウキビの収穫したくない。そのため、8万人のベトナム人が国境を超えてサトウキビを収穫するために季節労働にやって来る。極めて低い賃金で酷い労働環境にもかかわらずである。元々、このような労働形態は、ブラジルで行われていたものである。同国の北東部の貧困者が何万人と毎年移動して農業の季節労働を行い、収穫期が終わると戻って行く。この労働形態が世界の他の地域に拡散しているのである。

9. 「チェーンのチェーン=ウェブ」として捉える:「フレックス・クロップ」

9.1. 「フレックス・クロップ」とは?
ここで強調したいのは点は次の点である。我々が、土地収奪のプロセスや地域資源の持ち出し、資源から派生する利害関係を追いかける時、大抵食料生産やバイオ燃料生産に関心を寄せる。それはそうあるべきある一方で、違うと言わなければならない。なぜなら、現代世界においてこのことを考える際には、関わりの全てを考察しなければならないからである。我々は、これを「フレックス・クロップ(Flex crop)」と呼び、捉えようとしてきた。

伝統的に、企業はフレックスな作物、一次産品の多様な利用方法に関心を寄せてきた。しかし、気候変動の現代という時代において、これは課題と政策が絡み合いながら連携し合い、商業的な意味を持つようになった。これは、技術革新によるものでもある。つまり、フレックスの可能性が広がったのだ。サトウキビは砂糖だけでなくエタノールにもなる。パーム油もい同様で、この典型である。工業的価値の高い食料・餌・燃料(Food, Feed, Fuel) に変貌を遂げたのである。

9.2. 「チェーンのチェーン=バリューウェブ」として捉える
この結果何が生まれたかというと、よくバリューチェーンといわれるが、「チェーンのチェーン(Chain of chains)」つまり「バリューウェブ(網の目、Web)」が生み出されたのである。企業は、その時に食用油の方が価格が高いとなれば、食用油としてパーム油を売る。バイオディーゼルにした方が高いとなればそのようにして売る。これは、活動家にとって難しい課題を投げかける。

例えば、ヨーロッパでパーム油の問題をバイオディーゼル問題としてのみ闘おうとすると困難に直面する。なぜなら、インドネシアは「バイオディーゼルなんてそれほど輸出していない」と反論できるからだ。実際にそうだ。インドネシアから輸入しているパーム油は食用油としてのそれである。それはバイオディーゼルとしての輸入ではないからだ。しかし、食用油として輸入されたものが、一夜のうちにバイオディーゼルに加工されることもある。これを、「バイオディーゼル・コンプレックス」と呼ぶ。

このような事態は、ガバナンスを考える時により複雑になる。活動家が従来型のシングル・チェーンに焦点を当てすぎる現状は、活動に限界を生み出す。チェーンのチェーンに焦点を当てる、つまり「バリューウェブ」として捉える必要がある。

10. 予備的な結論として

10.1. 相互作用を主要分析対象とする:現代世界における資本蓄積の意味・チャレンジ
このような絡み合いは今まで調査されてこなかったわけではないが、背景(文脈)として扱われてきたにすぎない。多くの論文で、これらの点は2、3パラグラフ程度の言及で終わり、すぐにケーススタディが後に続くという形式であった。それはそれで良いのだが、これを調査研究の主要な分析対象と位置づけ直せば、違ったものが見えてくる。つまり、現代世界における資本蓄積の意味とは何か、そしてそれはどのように統治可能なのかという問いが立ち上ってくるのである。それは、研究者であれ、活動家であれ、同様である。

10.2. 資本をど真ん中に置き、関係性を見る
資本は利益が生み出せる場であればどこでもいく。これは単純なことで、資本というものは拡大再生産ができるところがあればそこにいくものなのだ。これまでは、強国・帝国主義国が貧しくガバナンスの弱い国に行くという言説が主流であった。しかし、今起きていることは、相互関係の中で互いが浸透し合う形であらゆる現象が生じているということ。資本(キャピタル)のロジックを使って分析をしなければならない。検討のど真ん中に資本を置き、それをめぐる関係性をみていくことを念頭において分析をする必要に、ますます迫られていくだろう。

10.3. 実現しなかったが変わった社会関係
当初報告されていた巨大土地取引の多くは実現しなかった。マダガスカルでの130万ヘクタールの土地取引も実現しなかった。プロサバンナも同様の部分と未だ分からない部分がある。Procanaの3万ヘクタールの事業はキャンセルされた。なぜなら企業は資金を集められなかったからである。マレーシア企業が行おうとしていたフィリピンでの150万ヘクタールの事業も同様である。

このように実現しなかった土地取引は、現地の社会関係や社会に対して何も変えなかったと言われることもある。しかし、これは事実ではない。ProCanaは事業としてはストップしたが、何も変えなかったわけではない。社会関係を深刻に再構成してしまった。結局、ブルド―ザーは3万ヘクタールを真っ平らにしてしまったのだ。人びとはすでに土地から追い出された。

10.4. 「何も起きていない」ものを統治するチャレンジ

レーダーの下で起きている現象は、何も起こってないようだが、実際には見えないところで何か深いことが起こっている。共存できなかった何かが起こっている。では、このように見えないものをどうやって統治するのか?見えるものであれば統治を試みることができる。だから象徴的なケースというのは何かアクションを起こしうる。一方、外から何も見えないにもかかわらず、深いところで何かが起こっているという時、これをどうやったら統治可能なのか。過去5年の間に起きていることは、複雑で、古くて新しい現象といえる。

10.5. 貧しい人たちのために仕事をするというバイヤス
今重要なのは、厳密で科学的かつ学術的な仕事で、現地の人びとの政治的イニシアティブを支援することに根ざしたもの。世界的現象をどう多様に(再)解釈するかに貢献するだけでは十分ではない。より拡大された社会正義のために世界を変えていこうとする仕事が求められている。勿論、最も簡単なのは、現地調査をして解釈をしてただその成果を出版すること。その出版物が高い引用件数を誇り、10年がんばれば、もう頑張らなくていいポジションが得られる。それは皆がやろうとすることで、ある種容易である。我々は、解釈に留まらず、実際に変化をもたらす仕事をしなければならない。そして、ただ変えるだけでもいけない。変化は、貧しい人たちの持続可能な暮らしをもたらすようなものでなくてはならない。このようなバイヤスを持って調査・活動をすべきと考える。

一方、現地も含め、活動やキャンペーンをするのであれば、十分な理解と知識を得なくてはならない。ただ議論するだけでは足りない。また、学者と活動家は二項対立的な関係で捉えられることが多い。しかし、本来対立関係である必要はなく、もっと相互に妥当性を持ち、接近しなければならない。現在の世界的現象——つまりグローバルなエンクロージャー(土地の囲い込み)ーを解決し、もう一つの世界を実現するには、客観・主観のアライアンスが不可欠である。学者が活動家と話したくないとしても大丈夫。彼らの仕事が活動を下支えすることもある。仲間でなくとも、たとえ敵同士であって。議論の空間とプラットフォームをもっと広げていかなければならない。

11. 最後に

11.1. セクターを超えたアプローチに収斂させる
土地問題活動家であろうと、環境正義活動家であろうと、セクターを超えて収斂させるべき。今は気候変動が切り離せないほど絡み合っている。分離したアプローチは何も達成できない。食料に関する議論もまた気候変動と絡んでくる。これはチャレンジである。

11.2. 複雑化する階級・アイデンティティの政治を乗り越える
複雑な階級、アイデンティティ政治を乗り越える必要がある。労働問題は、土地や農民問題と通常は同じように扱えない。ブラジルの運動は極めて稀なケース。MST(土地なし労働者運動)と労働組合とが一緒に運動を率いるというのは珍しいことである。これは、異なる階級同士の協働である。

このような事例は、伝統的な半球同士の連帯—つまり南北・南南——にも問いを投げかける。日本はかつて貧しい国々に対して「お兄さん、お姉さん」として振る舞った。世界的の課題への贖罪意識があった。連帯に基づいてこれを乗り越えようとした。勿論これは日本の社会の伝統として重要であるが、今の収斂された世界においてはこれでは足りない。なぜなら、あなたの課題は私の課題となったからである。また逆もしかり。あなたがどこの何者であろうとも、インタナーショナルなアジェンダと連動するしかない時代になったのだ。これは、学者であっても活動家であっても同様である。

以上から、冒頭見せた収斂していくべき5点を再度紹介して終わりとしたい。

(i) 気候正義、農地/農民正義、労働正義、アドボカシー活動などの異なるセクターの超越
(ii) より幅広く、より複合的で、かつ多元的なアイデンティティの政治と政治的連携
(iii) 半球間の分断 (南北/南南)を超え、より大きな国際的なアジェンダとアクションのためのプラットフォームづくり
(iv) より大胆に政治化され歴史化された見方の奨励
(v) 客観的・主観的でラディカルな活動とプログレッシブな学術サークル構築
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# by africa_class | 2016-03-30 00:23 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

NHK青山教室で講義(4/11夜):「アフリカにおける資源の呪いと日本」

NHKのラジオ番組で講義を聞いていましたが、受講生を募集しているようなので、記録のためにも掲載しておきます。いまいちよくわからなかったのですが、そうそうたるメンバーではないですか…。ご関心があれば是非。

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NHK文化センター 青山教室
https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1102830.html

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CR日曜カルチャー
国際社会の中の日本PartⅡ


講師:
米川正子、塩尻宏
舩田クラーセンさやか、酒井啓子

会員 3,456円 一般(入会不要) 4,320円


1回受講可能です。学校帰り、お勤め帰りにもどうぞ。

地球温暖化、難民、金融危機、宗教宗派対立など国家の枠をこえた問題が噴出している中、日本人も世界各地のNGOや国連機関を舞台にさまざまな現実と向き合っています。その活動を見ると、それぞれの国の歴史的な背景や今日の社会がかかえる諸問題が浮き彫りにされて見えてきます。現場で活動する人たちが直面している各国の事情、設立したNGO、NPOが抱える問題などの報告も交え、世界の中で、日本という国や、日本人自身が今何をなすべきかをともに考えることで、これからの日本のグローバル社会におけるあり方を考えていきます。3年前に催した講座の第2弾です。



3月21日(月・祝)18:00~19:30
「アフリカの難民~なぜ犠牲になっているのか」
 立教大学特任准教授 米川正子(元UNHCRコンゴ駐在)
3月28日(月)18:00~19:30
「アラブの春・その後 ~リビアの場合」
 元外交官・駐リビア大使 塩尻 宏
4月11日(月)18:00~19:30
「アフリカにおける資源の呪いと日本~モザンビークの場合」
 元東京外国語大学准教授 舩田クラーセンさやか
4月18日(月)18:00~19:30
「イラク・シリアはどうなるのか~ISと国際社会」
 千葉大学法政経学部教授・学部長酒井啓子


備考

この講座は原則402B教室で開きます。講座内容は、NHKラジオ第2の「カルチャーラジオ」の収録をします。番組制作にご協力くださいますようお願いします。1回受講できます。


放送予定:4月の毎日曜日20:00~21:00ラジオ第2放送「カルチャーラジオ」(全4回)



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# by africa_class | 2016-03-19 22:31 | 【記録】講演・研究会・原稿

【カフェ&ハーブトーク】 私たちのCuras(暮らし&治癒)・食・農・エネルギーから考える日本・ アフリカ・世界の今そして未来 〜最終講義in Osaka〜」

決定しました。以下、ぜひふるってご参加下さい。
なお、Curasは、ポルトガル語のcurar(治す・癒す)から。私が「暮らす」と書いていたら、大学時代の同級生がこう当て字してくれたのだけれど、凄く良いと思って、今後これを使っていこうかと思います。現役生のポスターも届きました。最終講義後に同じ会場で行われる「カフェ・モサンビコParty」も是非よろしくお願いします。

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【カフェ&ハーブトーク】
私たちのCuras(暮らし&治癒)・食・農・エネルギーから考える
日本・ アフリカ・世界の今そして未来
〜元東京外国語大学舩田クラーセンさやか准教授の最終講義in Osaka〜」

日時:2016年3月26日(土曜日)16時半~18時
場所:Cafe Tipo 8  http://www.cafetipo8.jp/
(大阪グランフロントのすぐ前です)
大阪市北区中津5丁目2番9号
TEL: 06-6136-3184
参加費:1,500円(カフェビコブレンド、ハーブ&野草茶、お土産あり)
定員:30名 
お申込み:3月25日[金]正午までに下記メールアドレスにお申込み下さい。
(お名前・ご連絡先メールアドレス)
cafemozambico@gmail.com
主催:カフェ・モサンビコ・プロジェクト
http://cafemozambico.blog.fc2.com/

カフェ・モサンビコ・プロジェクト代表でもある舩田クラーセンさやかさん(元東京外国語大学大学院准教授:2004年〜2015年)の最終講義の関西版です。4月9日(土)に東京にて開催される「最終講義」(http://afriqclass.exblog.jp/22545316/)を関西でも開催してほしいという要望にお応えし、最終講義の中でも「食・農・エネルギー」と「日本とアフリカ、世界の関わり」の部分に焦点を当てた企画を考えてもらいました。

国際関係学の中でアフリカや世界の平和・戦争・開発の問題を考えてきた研究者が、なぜ食・農・エネルギーの問題に実践的に取り組むことになったのか。そして、いま日本で進行中の社会問題とアフリカや世界で起きている現象がどのように「地続き」であるかについて、関西風味で一般向けに面白く分かりやすくお話頂きます。

その上で、ドイツでの「里森」・ビオトープ・菜園・薪クッキングストーブ・発酵を活用した生活実践を紹介してもらい、オルタナティブとしての「日々の暮らし&治癒(Curas)」の可能性を、ドイツ直送のハーブや野草茶を頂きながら一緒に考えます。

また、モザンビーク北部の村のママたちや現地大学生たちと共に取り組む在来コーヒー(ビコ)の試飲も可能です。世界でカフェモサンビコプロジェクト&Tipo8でしか味わえない「ビコ・ブレンド」、ぜひお楽しみに!

このカフェ・モサンビコ・プロジェクトの説明については、同日同会場にて18時からパーティを開催しますので、あわせてご参加頂ければ幸いです。パーティの方は、コヒーの専門家によるプレゼンや学生による現地報告あり、音楽あり、クイズありの大人でも子どもでも楽しめる内容となっております。こちらもあわせてご参加下さい。
詳細→http://cafemozambico.blog.fc2.com/blog-entry-30.html

<カフェ・モサンビコ・プロジェクトParty>
日時:3月26日(土)18時〜20時@Cafe Tipo 8
参加費:2000円(軽食・飲み物つき)

パーティのご参加についても同じ予約メールで結構です。
*但し、「最終講義・パーティ参加」「最終講義のみ参加」「パーティのみ参加」などとご明記下さい。
cafemozambico@gmail.com

皆さまのご参加を楽しみにお待ちしております。

2016年3月10日
カフェ・モサンビコ・プロジェクト一同

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# by africa_class | 2016-03-12 06:38 | 【協力】カフェ・モサンビPJ