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近刊本の草稿を終えて(「アフリカの解放と今」について)

すごくご無沙汰してしまいました・・・。
あれから移動が続き、さらに書けない原稿をいくつも抱えて、長めの文字を気軽に書くことが憚れてしまって、ずーーーと放置してしまいました。

(一点、重要な点を書き忘れていたので加筆します。「アフリカの小農」についてです)

原稿は未だ終わっていません…。
出版社に約束した締切を3度踏み倒していますが(陳謝)、一応草稿は終わったので、後は最終化のみとなりました。なにせ、学術的な執筆は3年ぶりのこととあって、本当にもだえ苦しみました。

しかも、10年前に手放したはずの博士論文のテーマを、「アフリカ」「南部アフリカ」「アフリカの人民/民衆/人びと/小農」そして、当時はまったく持てていなかったいくつかの理論の中に位置づけながら改めて、幅広い層の読者に書き下ろす…というのは、最初想定した以上に難しいことでした。

博論は、モザンビークの歴史(戦争と平和)に関するものでした。
当時は楽観すべき政治経済社会状況でしたが(2006年)、私の中では歴史の流れを見て懸念せざるを得ない点が多々あり、その意味で悲観的予測に基づいて書きました。書いた後、当時の某首相に渡した時に、「もっと未来のことを書いてほしい」と言われました。私もその時そう思う一方で、未来はいつも歴史の延長上にしか立ち現れないとも思っていました。

なので、新しい本は、「アフリカの植民地解放と現在」に関するもので、最後の章は、【独立という名の平和と繁栄はきたのか?】に焦点をあてています。これは、アフリカに限らず、日本のことも念頭において書きました。

2016年11月現在、残念ながら十年前の悲観的予測のほとんどすべてがあたってしまいました。途中、何度もそうならないで済むかもしれない「分岐点」のようなものがありましたが、そのすべてが悪い方に突破されていきました。

この感覚は今の日本についても同様です。
いつか書いたことですが、2008年頃より東京外大での「アフリカ平和・紛争論」の授業で、日中戦争の特に「民衆動員」を取り上げていたのは、まさに同じような「歴史の継続」と「悲観的予測」に基づくものでした。

本全体は、共著者のお力が大きいのですが、冷戦構造、アフリカ、ヨーロッパ、アジア・ラテンアメリカをまたぐ、壮大なるものになっています。私の担当した3つの章については、博論で触れながらも、十分に深めることができなかった点が中心となります。

担当したのは、アフリカ、南部アフリカ、モザンビークです。
いずれも植民地化・脱植民地化プロセス、そして冷戦を論じました。
今回は、かなり国連やOAUも焦点化しました。
そして、独立から40年近くが経った現在の状況を見据え、解放運動の指導者と小農の関係にも重点をおきました。それは、依然として、サハラ以南アフリカ(南アを除く)の多くの国々の圧倒的多数の人びとが、モザンビークと同様に、農村部で「小農」と分類される人びとだからです。

博論の後に取り組みながらも、どこにも発表できなかった史料分析も今回はできました。やりたかったこと全てではないですが、アメリカ、英国、ポルトガルのアーカイブズで得た史料を新たに使うことができました。また、さらに10年が経過してオープンになった史料やそれらに基づく最新の研究も少しは参照することができたと思っています。

そして、一番苦しんだモザンビークの章は…1980年代末に起きた「主権の危機」(IMF/世銀の構造調整計画の前身となるプログラムの受容)とその後に焦点をあてて、論じました。この点については、気になりながらも、今まで発表した本や論文で十分に触れることができなかった点です。現在、モザンビークで起きていることの源流がそこにあると思っています。そして、残念ながら、日本もこれらの「起きていること」と無縁ではない状態にあります。これは、博論執筆時とは大きく異なる点かと思います。

この本を書く約束をしたのは3年前のことだったと思います。
未だ病気が悪化する前で、その時はすぐに書けるような気がしていました。
有り難い話だったのに、そして申し訳ないことに、その「すぐ書ける」故に気持ちの中で新しさがなかったように思います。

病気の間中、書けないことが申し訳ない…と思いながら、10年後の今書くとしたら、「アフリカの人びとの解放と独立」について私はどう書くべきなのだろうか…という問いを悶々と考え続けることができました。そして、3年前より、2年前より、1年前より、今だから、「こう書かかれるべき」という思いが具体化されて、なんとか一つの章にまとまりました。

その意味で、共著者には多大なるご迷惑をおかけし、未だかけている状態ですが、私の中では、過去と現在、未来を繋いでくれる、非常に大切な仕事になったように思えています。すべてを一旦捨てたからこそ、切り拓けた気もしています。ようやく、様々な自分の分散してきた思考やテーマやアプローチや行動が、一つのものになる第一歩とできたように思います。

床に臥せって「浪費」したかに見えた厖大な時間と日々…3年近く…が、いかに豊かな実りのために不可欠なものであったのか、少し分かってきました。色々な機能障害(特に、記憶障害)との闘いが続いていますが、忘却もまた必要だったのだろうと思うようにしています。

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長野で有機農家をされているフォロワーさんに頂いた花豆が花を咲かせました。
おばあさまの代から大切に受け継いできた豆(つまり100年の時を命のバトンのリレーをしてきた…)だそうで、丁度100年の世界を振り返った書き物を一つ終えた(草稿だが)私には、なんとも感慨深いものがありました。

今、息子が新しいブログを作成してくれています。
当面、並行すると思いますが、引き続きよろしくお願いします。

この先、3つの国際学会で発表があり、しかも英語・ポルトガル語・日本語…なのですが、どの論文も終えてないので(涙)、もう破れかぶれになりかけていますが、ほどほどに頑張ります。

3章の理論の部分を明確にするためにも、これらの学会発表が不可欠で、集中砲火を受けること覚悟で、発表してきます・・・。

所謂「紛争後平和構築」の研究から離れたことを心の底から嬉しく思っているのですが、10年ほど、「民主化」なども、それを念頭において研究してきたために、今取り組みたいことの理論的基盤を獲得するには、未だ未だ時間がかかり、かつとっても難しい…です。
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# by africa_class | 2016-11-07 01:12 | 【記録】原稿・論文

【募集】Activist-Scholar養成講座2016 ~土地・水・森林・天然資源・紛争・環境と人びとの主権~

こちらも更新できず、すみませんでした。
まったく手が回らなかったのですが、2017年2月後半に第一回のものをGRAINのデヴリン・クエック氏と一緒に、京都と東京で開催することになりました。また、サポーターに、Journal of Peasants Studiesの編集長&ISS(国際社会科学研究所、ハーグ)教授のJun Borras博士が加わってくださることになりました。お楽しみに〜。


帰国後、思った以上に忙しい毎日で、なかなか色々手が回っていないのですが、この数年間ずっと温めてきた構想を、2月のボラス先生に頂いた「はじめの第一歩」の後押しを受けて、少し動かし始めることにしました。詳細は以下のサイトをご覧下さい。なお、ボラス先生の講演の議事録をほぼ逐語でまとめたので、是非ご一読下さい。
http://afriqclass.exblog.jp/22658501/

今日は、「グローバル課題に取り組む日本のActivist-Scholar養成講座」を始めようと思った背景を、紹介しようと思います。当然長いので(苦笑)、面倒な人は末尾の正式な案内文だけお読み下さい!
http://activistscholarjp.blog.fc2.com/blog-entry-1.html

モザンビーク・ブラジル・日本・世界の当事者運動やNGOなどの市民社会組織、研究者らと密度濃く協働するようになって4年近くが経とうとしています。その中で、本当のほんと〜に沢山のことを学ばせて頂きました。正直なところ、自分の病気なども重なって、本当に辛く厳しい4年間ではありましたが、人生のこの時期にこれを学べて本当に有り難く思っています。その中でいつも感じていたことは、「グローバル課題に取り組み世界的に活躍できる日本のActivist-Scholar」を早急に養成しなければ…ということでした。

実は、私は本務校(東京外国後大学)での高等教育において、これ(Activist-Scholar)の養成をまったく目指しませんでした。それは、このブログで度々書いたように、自分のActivismを教室に持ち込みたくなかったからでした。また、学部教育においては、scholar養成もあえて目指しませんでした。修士論文(あるいは修士課程に受かる)レベルの卒業論文を前提に指導はして、実際に皆それをほぼ実現しましたが、一旦は「学校」を出て世に塗れお金を貯めてから、Scholarになるべきと思ったらそうすればいいという立場を取ってきました(この理由は別に書いたので繰り返しません)。また、大学院の教育ではScholar養成というには大学院の体制に問題が有りすぎたので、なかなか難しいものがありました。唯一、それらしいことをしたのは、各学会のジャーナル誌の査読や編集においてでした。他方、市民社会の活動においては、確かに早稲田大学に研究所を設置させて頂き、シンクタンクNPOを結成し、その中で若手研究員を数十人育てました(というか若者たちが勝手に育ちました)。ただ、彼女・彼らは主に「実務家」(国連や国際機関、JICA等の職員、開発コンサル)を目指していたし、アフリカ政策(援助を含む)のシンクタンクであったので、ある程度の「縛り」の中でしか若手の今後に関わることができませんでした。そしてそれには後悔なく、あの時の研究員らの世界での活躍を見るにつけ、本当に嬉しい気持ちでいっぱいになります。

こう考えてみると、私もいつの間にか、学会・大学・自分立ち上げた組織の枠組みに縛られて、それに自分のやりたいことを適応させる形で日々を生きていたのだと分かります。すでにある設定の中で出来ることをやろう…という「改良主義的運動」ですね。それはそれで重要であり否定すべきではないし、あの時の自分にできたことの範囲もまたそこまでだったと理解しています。

しかし、その後世界はあまりに難しい場所となってしまいました。
2004年から2008年まで、ボノたちと援助の3倍増を求めて活動していたのはあまりに呑気すぎた…とも言えるほど。この10年弱の間に、世界もアフリカも日本も、社会の根っこの深い部分で深刻な課題を抱え込むようになりました。そして、世界のあちこちで、脆弱性を抱えた人びとが最後の拠り所としてきた自然と土地の争奪が、暮らし・コミュニティ・人びとの命や尊厳すら奪うところまで追い込まれる状態が生じています。

一方で、人びとはただやられっぱなしではなく、世界でこれに抵抗する先住民族、小農、女性らの運動がいくつかの成果も生み出してはいます。しかし、マネーや権力の力はあまりに強く、展開があまりに早く、すべては後追いになっている状態にあります。そして、社会正義のための運動はますます人びとの連帯に基づく世界規模の協働を不可欠としていますし、その協働はより高度化しつつあります。

このようなせめぎ合いのただ中に放り込まれたまま4年を生きてきて切実にいつも感じていたのは、「日本」の姿があまりに見えないという点でした。これは、日本の官民の動きが知覚・把握・認識・理解されづらいということもありますが、日本の研究者や市民社会組織の姿についても同様でした。勿論、古くからの人的・組織的ネットワークはある。国際会議や声明にはそれなりに日本の団体も参加している。しかし、世界で起きている現象への具体的な情報提供や戦略づくりへの参画という点では、分野にもよるものの、十分な貢献ができていると言い難い状況にあります。

これは当然、日本に特徴的な以下の問題に起因しています。
・市民社会の意義が理解されていないこと&スペースの狭さの問題
・研究者と活動家の分断、NGOなどの活動の社会的広がりの限界
・NGOに資金的余裕がなく故に人的余裕がない(とりわけ政策やアドボカシー活動に必要な資金や人材を持続的な形でキープできない)
・言語の問題。日本語でのやり取り・資料が多く、英語での発信が重視されていない。さらには英語プラスアルファの言語を使える人が少ない。

日本では、この問題はいつも「卵が先か鶏が先か」の議論に帰結します。つまり、堂々巡りの議論になってしまうのです。日本のNGOはお金がないから…に陥ります。そして日本のNGOをいくつも設立・運営してきた身として、そこの切実さは辛いほどに共有しています。今日もまた数十万円の赤字を埋めるために書類を一つ書いたところですから。

でも、Bertaさんが亡くなった時(http://afriqclass.exblog.jp/22589869/)、私はやはりもう待っている場合じゃないんだ。自分たちの境遇を悲しんでいる場合でもないと強く思ったのです。丁度その数ヶ月前から、世界のいくつかの国・地域の人びとから頻繁に色々な要請を受けるようになって、様々な悲鳴のような声を聞き、これを放置できない…しかしもう自分のキャパを超えている、しかも自分がこれらに対応する最適任者でもないと実感したのです。なので、いつものやり方を取ることにしました。つまり、最初の一歩を「手弁当」で始めることです。

私は、外大を辞め、「最終講義」をするように、日本の教育界にも学術界にも未練がありません。肩書きにも、キャリアパスにも、成功したり賞賛されることにも関心がありません。そういう言い方をするととても生意気に聞こえるかもしれませんが、大人になってからの25年間を、自分を優先することなく生きてきました。周りにどう見えていたかは分かりません。しかし、何一つ自分のためにやったことはなかったし、そういう利己的なことに関心があったのであれば、このような生き方は選んできませんでした。場面場面で、色々な誘惑もあったものの、すべて損する側を選びつつけて生きてきました。勿論、それが結局自分のためになっていたという事は否定しませんが!損得考えて生きていたとしたら、この25年間のいずれの活動も行動もやっていなかったでしょう。

一通りのことに取り組んで思うようになったのは、あの時の自分のレベルではそれが精一杯だったものの、ここから先はもっと違う大胆でクリエイティブなやり方で、あらゆる制限や自粛を盛り込まない形でやってみようと思い立ちました。その中には、自分の中の心と魂の声にもっと耳を傾けるというものがありました。社会のためもいいけれど、自分が病気になるようじゃあ元も子もない、と。それで一旦日本を離れる決意をしました。

しかし、この決意に反比例するかのごとく、今度は世界から私のところにありとあらゆる問い合わせやお願いやお誘いが集中するようになりました。そこで、日本に情報を投げて協力を呼びかけるようになったのですが、やればやるほど、それを受けとったり、受けとりたい、関わりたいと考える層の人びとがいないことに気づきました。厳密にいうと、個別にはいるのですが、緩やかなネットワークにすらなっていない。なので、いきなり緩やかなネットワークにすらならなくてもいいので、このようなことに関心があるかもしれない個別の人びとに「ヒント」を提供する形で、「こんなんもあるよ」「こんな考え方もあるよ」という紹介をしようと思ったのです。で、「紹介」では足りないので、ついでに「養成」もしてみよう、と。

というのは、世界からのニーズばかりでなく、日本の若者達のニーズとして、それがあったのです。日本には、日本のみで通用する論理と作法というものが、実はあります。それは日本の独自性としてとても評価されるべき点ですが、同時に「自己満足」「井の中の蛙」をもたらすばかりでなく、「知の体系の再生産」を招き続けます。日本にいるとある種の居心地良さがあるわけですが、それは与えられた枠組みを熟知してその枠の中でやるべきことをやればいいというものによります。そこを踏み外し始めると途端に感じる違和感というか排除された感…に容易に耐えられる日本の人は多くはないでしょう。しかし、「知」における先人たちの蓄積に対し、心底リスペクトをもって接するということは、本来的にはそれを壊して新しいものを創造するぐらいでなければならないと思うのです。二番煎じ、孫引きではいけない。足りないものを補完するだけでもいけない。勿論、まったく踏まえずに新しいものを作るつもりが、単に不勉強ということも良く有ります。なので、そういうことをいっているわけではありません。

ここら辺はまた長くなりそうで(すでに長いので)、とりあえずここまで。
若い皆さんの情熱と時間と体力と気力、柔軟性をもって、先人たちへのリスペクトに根ざしながらも、今世界で同時代的に起きている現象について、脆弱な立場にいる人びとの主権に視座をおき(つまりは自分の主権を見つめ直す作業も含め)つつ、批判的思考(仲間に対しても)を失わず、科学的・実証的に現象を調査研究し、世界の動向を構造・システムの中で(理論を含め)把握する、そんなアプローチを共に考え、紡いでいけないかなと思ったのです。勿論、本来大学院という場でやるべきかもしれませんが、先ほど述べたように私はそれを学会から完全に自由な場で、思考のプロセスの一環として少しやってみるぐらいのことはしていいんじゃないかな、と思うのです。

当然、大学院生たちは指導教員を優先すべきでしょう。
でも、少しぐらいオルタナティブを試してもいいと思うし、いずれ世界に出ていくのであればなおさらです。覗いてみる・・ぐらいの軽い気持ちでいいんです。

来るもの拒まず、去る者追わず。
人生一度きりなんで、それぞれバリアーを取り払って、可能性やオルタナティブを知ってもらいたい。そして、願わくば、皆さんの内に秘めたパッションや能力を、人びとのために使ってほしい。ただそんな感じに思っています。関心があれば、是非どうぞ。(日本語が以上乱れているのは承知していますが、眠いのでこれにて失礼・・・)



(転送・転載歓迎)
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【参加者募集】
グローバル課題に取り組むActivist-Scholar養成講座2016
~土地・水・森林・天然資源・紛争・環境と人びとの主権~

http://activistscholarjp.blog.fc2.com/blog-entry-1.html
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1. プログラム
【基礎編】
第1回:「日本のActivist-Scholarの可能性と世界的なニーズ」

講師:舩田クラーセンさやか(明治学院大学国際平和研究所研究員)
コメンテイター:西川潤(早稲田大学名誉教授)、渡辺直子(日本国際ボランティアセンター)
場所: 東京都台東区上野(詳細は末尾)
日程:2016年4月11日午後or12日午後
*参加希望者とともに設定します。(詳細は末尾)
参加費:2000円(資料代込み)

第2回:「世界に通用するリテラシー&批判的思考の向上」
*各自のリサーチプロポーザルを持参(希望者のみ)。
*いくつかの事例を課題として出します。
時期:2016年5月(後半予定)
参加費:2000円(資料代込み)

【実践編】
第3回:「世界にインパクトを与える論文・レポートを書くヒント(1)」

*各自の書いたものを持参(希望者のみ。日本語でもOK)。
*Journal of Peasants Studiesの論文を課題に出します。
日程:2016年11月(予定)
参加費:3000円(資料代込み)
使用言語:日本語
*第1回参加者のみ

第4回:「世界にインパクトを与える論文・レポートを書くヒント(2)」
講師:デブリン・クエック(国際NGO・GRAIN)
日程:2016年度後半(11月か2月)
参加費:3000円(資料代込み)
使用言語:英語
*第1回・3回参加者のみ
*世界で最も早くランドグラブ(土地収奪)の問題に警鐘を鳴らすレポートを2009年に発表。グローバルなアジェンダ設定、政策転換に大きな影響 を 及ぼした。2013年6月のTICAD V(第5回アフリカ開発会議)に際した来日に続き2度目の来日予定。本養成講座のサポーターとして、実践編を担当。

第5回:「世界規模でデーターリサーチを行うコツ(1)」
講師:デブリン・クエック(国際NGO・GRAIN)
日程:2016年度後半(11月か2月)
参加費:3000円(資料代込み)
使用言語:英語
*第1回・3回・4回参加者のみ
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2. 趣旨
グローバリゼーションが世界の隅々に影響を及ぼすようになって久しいところですが、ここ数年その影響は根深いものとなって、人びとの暮らしや地域 社会に急激な変化をもたらしています。変化にはポジティブなものもありますが、アジア・中南米・アフリカの小農や先住民族の命と暮らしに視座をお くと懸念せざるを得ない状況が生み出されています。とりわけ、2008年以来、顕著なグローバル現象となった土地、水、森林、地下資源などの資源 の争奪/ 収奪は、各国内部における地図の書き換えをもたらすほどの強度と深度を伴いながら、最も脆弱な状況にある人びとやコミュニティに困難をもたらして います。

このような困難の一方で、各地の先住民族や小農、土地なし農業労働者などの当事者らが立ち上がるだけでなく、国内・地域内・世界の他の運動や市民 社会組織と連携しながら、抵抗・対抗・代替案の提示といった多様な活動を展開しています。近年では、これらの運動は、国連やその他の国際会議を舞 台として様々な条約、ガイドラインや原則などの策定を実現するなどの成果も出していますが、運動のリーダーたちが暗殺・投獄を含むあらゆる形の迫 害や脅迫などの人権侵害に直面しています。

私たちは、日本の研究者・市民として、このような世界的変化にどのように関わるべきでしょうか?
日本のグローバルな資源争奪における関わりについては、直接的なものもありますが、その大半は見えづらい間接的なものとなっています。ただし、こ れは日 本だけの傾向ではありません。資本の国境を超えた結びつきが進む一方で、世界的な運動が台頭するという現象の中で生じている世界的な傾向であり、 争奪から命・暮らしを守ろうとする人 びと・運動に大きな限界を与えるようになっています。そのため、当事者運動もまた、世界レベルで進む同時代的な共通現象の理論的把握の一方で、よ り高度な調査研究(情報収集や分析)の能力、国際場裏での高い交渉能力が求められるようになっており、これを支える人たちもまたこれらの能力が不 可欠となっています。

このようなグローバル現象における「日本の現状」と「日本の関わり」について、世界的な関心は決して低くはありませんが、日本からは、このような 関心に応えるだけの研究や活動などの成果が世界に出ていっていないのが現状です。本養成講座を通して、現地の立ち上がる人びと共に歩む世界的な研 究者の育成に寄与することができればと考えています。

*Activist-Scholarは、オランダにある社会科学国際研究所ISSのサトゥルニーノ・ジュン・ボラス(Satrunino Jun Borras)教授が提唱する「活動と研究を融合させた主体」にヒントを得ています。ボラス教授は、現在Journal of Peasants Studies編集長を務める他、国際的な運動であるTNIの研究員も務めています。本養成講座に参加される皆さんは、本年2月20日に東京大学 で行われたボラス教授の講演会(「グローバル化における社会正義と研究者」)の記録をお読み下さい。
http://activistscholarjp.blog.fc2.com/blog-entry-2.html

3. 2016年度:基礎編 第1回詳細
第1回:「日本のActivist-Scholarの可能性と世界的なニーズ」
    ~今後の準備のヒントとして


講師:舩田クラーセンさやか(明治学院大学国際平和研究所研究員)
コメンテイター:西川潤(早稲田大学名誉教授)、渡辺直子(日本国際ボランティアセンター)

場所: 東京都台東区上野5-3-4 クリエイティブOne秋葉原ビル内
   (部屋は参加者に個別案内致します)

日程:参加希望者とともに設定します。以下の日時のご都合をお教え下さい。
(*なるべく具体的に都合を教えて下さい。全く駄目か調整可能か等)
 4月11日(月)正午~14時 (  )
 4月11日(月)14時~16時 (  )
 4月12日(火)正午~14時(  )
 4月12日(火)13時~15時(  )

対象:日本語・英語が読み書きできる、いずれ世界で日本のActivist-Scholarとして活躍したい人。
*英語の読み書きは自己判断。今後の努力含む。
*もう1外国語出来ればより望ましい。
(最優先言語:ポルトガル語・スペイン語)
(その他:中国語・フランス語・その他東南アジアの国々の言語)
*年齢、国籍は問いません。(学部3年以上)
*日本語が読め、「日本のグローバル課題における役割」を意識できること。

参加費:2000円

参加申込み:4月6日(水曜日:正午まで)
以下の(1)~(6)までをメール(activist.scholar.jp<@>gmail.com)下さい。
(1) お名前、(2)ご所属、(3)参加可能日時、(4)現在の研究テーマ、(5) 簡単な自己紹介&何故参加したいと思ったのか、(6)講座への具体的な要望があれば是非。
*これら内容については個人情報として厳重に扱います。
*遠方の方への対応を調整中です。
(東京に来れないが参加したいという方は連絡下さい。)

【お問い合わせ】
Activist-Scholar養成講座2016事務局
URL http://activistscholarjp.blog.fc2.com
メール:activist.scholar.jp<@>gmail.com

【講座サポーター】
大林稔(龍谷大学経済学部名誉教授)
デブリン・クエック(国際NGO・GRAIN)
西川潤(早稲田大学名誉教授)
舩田クラーセンさやか(明治学院大学国際平和研究所)

(2016年3月29日現在。続々追加していきます)

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# by africa_class | 2016-03-30 01:52 | 【講座】Activist-Scholar

【記録】ボラス教授講演会「グローバル化における社会正義と研究者」

世界最先端の研究動向をまとめた上に、今後の日本の学術界・社会活動においても、とても貴重な講演だったと思ったので、当日の講演部分の記録をほぼ逐語でまとめました。(*一部分かりづらいところはPPTのテキストで補足しました)

質疑応答部分もかなり重要な点があったのですが、それは写真や地図などのアップを含める形で4月下旬にバージョンアップします。やはりライブで参加するに越したことはないほど、エネルギー溢れる講演会でしたが、是非以下を読むことで少しだけ追体験して頂ければ。

ここで紹介されている研究蓄積や動向について知りたい、学びたい人は、Journal of Peasants Studies (http://www.tandfonline.com/loi/fjps20#.VvqdBnB5mC4)のサイトを覗いてみて下さい。多くの論文がフリーで読めます。後は、次の投稿で紹介する「Activist-Scholar養成講座」に関する案内をご覧下さい。


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講演記録
サルトルニーノ・ジュン・ボラス教授講演会
「グローバル化における社会正義と研究者〜南と南、南と北、運動と研究を繋ぎ続けて」


日時:2016年2月20日(土)13 ~15時
場所:東京大学駒場キャンパス
主催:
•「有機農業とコミュニティの深化」(科研代表:中西徹、科学研究費補助金・基盤研究(B))
•「グローバル土地収奪下における持続可能な地域発展のためのアフリカ小農主体の国際共同調査研究」プロジェクト(代表者:大林稔、助成:トヨタ財団研究助成プログラム)
共催:
モザンビーク開発を考える市民の会、国際開発学会社会連携委員会
式次第:
(1) 趣旨説明  受田宏之(東京大学准教授)
(2) 講演 サトゥルニーノ・ジュン・ボラス(ISS教授)
(3) ディスカッサント 
清水奈名子(宇都宮大学准教授 / 日本平和学会理事 / 福島原発震災に関する研究フォーラム・メンバー)
舩田クラーセンさやか(明治学院大学国際平和研究所研究員 / 元東京外国語大学准教授)
(4) オープンディスカッション

【講義記録】
土地取引のポリティックスと農をめぐる関係性の変容(agrarian change)のダイナミックス:
背景から探求の核心へ、様々な結び付きを捉える
社会正義を志向する活動家=研究者(Activist-Scholar)に向けて

1. 活動家=研究者の挑戦(Activist-Academic Challenges)
本日の議論の大半は、今日の学術調査と活動のあり方をどのように考え直すべきかについてのものである。両者を時に切り離し、時に一体として話をしたい。
 
これらの議論は、過去20年ほどの現地調査に基づいている。その多くがアジア地域、特にフィリピン、インドネシア、ベトナムであり、最近はこれにカンボジアとビルマが加わる。また、最近では、中国南部での調査や国境周辺の地域も研究している。国境を超えた活動が、政治経済や環境にどのような影響を与えるかに焦点をあてている。
 
この他、アフリカでも長年にわたり現地調査を行ってきた。例えば、マリ、ジンバブエ、南ア、ナミビア、モザンビークである。(モザンビーク北部の)プロサバンナに関する調査はやっていないが、これは皆さんにお任せしたい。他方、モザンビーク南部のガザ州で行われていた砂糖プランテーションの事業ProCanaについては調査している。また、南米については、ブラジルとコロンビアで長年調査をしている。

昨今の私の関心は、トランスナショナルな農民運動(Transnational Agrarian Movements)に関するものでもあり、彼らがいる場所に私も出掛けて行き調査をしている。

本講演の主なメッセージは、二つある。

①広い意味での政治経済(環境政策も含む)が相互に結びつき合いながら、絡み合い、収斂していく場を、特定の土地取引の事例の文脈(背景)として扱うだけでなく、「調査 /分析の主要な中身」とも位置づけ直すことにより、システマティックな調査研究イニシアティブを遂行することが重要である。

②そのことによって、土地志向の資本蓄積過程の特徴と軌跡の包括的な理解が可能となるだけでなく、これらの動きを規制したり、貧しい人たちの資源コントロールの権利を彼らの状況に応じて守ったり、促進したり、回復することを試みるのである。

これらを踏まえ、以下の点を再考することは、活動家=研究者が行うべき研究や活動に対し、深い示唆を投げかけるだろう。

(i) 気候の正義、農地 / 農民の正義、食の正義、労働の正義、アドボカシー活動といったセクターを超えた収斂に向けて:これらのセクターはそれぞれに重要でエキサイティングであるものの、セクター相互の関係性を研究するとすればどうなるのか?

(ii) より幅広く、より複合的で、かつより多階級で多元的なアイデンティティからなる政治と政治的連携に向けて:状況への対応の中で、社会正義を求める多元的な前線が形成されつつある。

(iii) より幅広く、より複合的で、かつ多元的なアイデンティティの政治と政治的連携に向けて:状況への対応の中で、社会正義を求める多元的な前線が現在形成されつつある。

(iv) 半球間の分断 (南北 / 南南)を超え、より大きな国際的なアジェンダとアクションのためのプラットフォームづくりに向けて:従来の南北、南南という言葉や関係にとらわれず、これを再考すべき時がきている。この理由は、現在世界大で見られる質的変化によるものである。

(v) これらの課題についてのより大胆に政治化され歴史化された見方に向けて:もっと政治
化され歴史化された見方が必要である。

(vi) 客観的・主観的でラディカルな活動とプログレッシブな学術サークルに向けて:客観主義者と主観主義者は互いにアレルギーがあるもしれないが、主観的なラディカル活動家であるか、あるいはプログレッシブな学術サークルの所属者であるかは重要ではない。それぞれ異なる闘いを行いながらも、客観的アライアンを構築できるはずだ。意識すれば、協働できるはずだ。

2. ランドグラブ(土地収奪)について

2.1. ランドグラブ研究に関する2つの潮流
現在の「ランドグラブ」について科学的な意味で語るのであれば、それは2008-2009年に現れた。以来、活動=研究の場においては、大きくいって2つの潮流が出てきた。まずは、「第一波(何が起こっているのか知ろうとする)」は2009年から2010年のものであり、訳が分からないものを知ろうとする時代として位置づけられる。これに尽力したのは研究者よりもNGOであった。彼らは、何が起こり始めているのか、誰が何をやっているのか、誰が土地を失っているのか、事実は何なのかについて把握しようとした。そして、これは戦略的に重要な役割を果たした。また、研究アジェンダ全体の枠組みを問い直すことに役立った。これらは主としてメディアによる報道、NGOによるレポートによってなされた。ただし、これは短い期間の潮流に留まった。

次の段階の「第二波(理解を深める)」は、何が起こっているのかの向こう側について我々自身が考えさせられる中から出てきたものである。ランドグラブが起きているとしたら、それはなぜ問題なのかという問いである。例えば、韓国企業がマダガスカルで130万ヘクタールの土地を取得しようとしたら、何が問題なのかという問いである。土地取引がもたらす影響(示唆)はその国にとってどのようなものなのか?土地だけでなく、労働関係、暮らし、環境に対する影響と示唆は?この土地取引は、駄目なことか、良いことなのか?それらは逃れ難いことなのか?これらの問いを、個別のケースに関する調査研究を深めることで検討していった。

ランドグラブ研究の科学的な調査の成果はこの「第二波」に集中しており、我々の理解を深めることに役立った。特に、今日のグローバルな水、土地、森の収奪——つまり、「資源(リソース)ラッシュ」——の特徴を理解する試みに貢献した。これらは、ケーススタディ志向のリサーチであり、現在でもランドグラブに関する調査の中では圧倒的多数を占める。その多くが、国別、テーマ別に行われているものであり、例えば土地取引が労働関係やジェンダー関係の変化にどのような役割を果たしているのかなどである。あるいは、企業活動に注目した出版活動もなされ、何が起こっているのかの理解が深まった。

2.2. 空想ではなく現実に起きている現象としてのランドグラブ
しかし、全ての土地取引計画がそれらを推し進めていた人たちの構想通りの方向にいったわけではなかったという点は重要である。そして、このような推進者が必ずしも最初のレッテ張り(「悪者」)通りであった訳ではなかった。当初の推測が必ずしも正しかったわけではなく、これらの投資を歓迎したコミュニティがあったことも事実である。しかし、もちろん肯定的な結果がなかったことも多かった。ここで言いたいことは、最初の推測とは異なって(土地取引の)結果は多様であるという点である。

ところが、科学的な調査を経てはっきりしたのは、世界的なランドグラブ現象は空想の産物などではなく、現実に起こっていることであったという点に確証が得られたのである。ランドグラブはNGOや活動家がでっち上げたものなどではなく、実際に起こっている現象であり、想像以上に多くの人びとに異なる、しかし深い影響を及ぼす一方で、人びと同士、社会同士を、国境を超えて繋ぎ合っているのである。我々それぞれの場で生じている出来事同士が、互いに繋がっている時代に生きているのである。

3. ランドグラブの典型事例

3.1. カンボジアでの2万ヘクタールの土地の収奪
これを示すために、2010年にカンボジアで行った調査を紹介する。これは、カンポンシュガーハウス社が住民から摂取した2万ヘクタールの土地の一部。

この企業はフン・セン首相のもので、タイからの投資によって運営され、ヨーロッパの消費者のための甘味剤用にサトウキビのプランテーション栽培が行われるようになった。ヨーロッパから特恵待遇を受けている。土地の取得にあたっては、最初は20haだけが対象とされ、「この土地は空き地であり、かつ耕作可能」と言われていたという。

3.2. ランドグラブの典型的なナラティブ
ランドグラブを巡っては、いつもこのようなナラティブ(話)がついてくる。

「今日の世界には複合的な危機があるが心配しなくていい。なぜなら、これらをすべてを解決する手法があるからだ。その解決策とは、空き地、未耕作地、未開地、耕作限界地(empty, under utilized, under used and available marginal land)があるのだから」。

世界銀行は洗練された計算を行い、世界で最低でも4億450万ヘクタールの耕作限界地の利用が可能であると宣言した。森林面積や人口密度を変数に加えると、17億ヘクタールまでその面積を増やすことができると述べている。つまり、現在の全世界の耕地面積が15億ヘクタールであることを念頭におくと、 その気になれば耕地面積を二倍に増やせるということである。万一これらの土地を使っても問題はないし、住民移転も気にしなくていい。なぜならこれらは耕作可能地である以上、使う者が土地を奪っても大丈夫である。このような言説が、グローバルな土地収奪の背景にはある。

3.3. カンボジアで実際に起きたこと
2万ヘクタールは空き地だと称して、ブルドーザーがきた。しかし、その土地には実際には農地が広がり、村があり、千人以上の住民が暮らしていた。これを、全部ブルドーザーが潰していった。

しかし、政府や企業は「法的には問題なし」という。行政上は、ここに住民がいないことになっているからである。だから、住民が築いたものはすべて焼かれ、破壊される結果となった。人びとは補償もないままに、土地から追い出された。なぜなら、政府から見ると彼らは法的な権利を持たない者、違法居住者とされているからである。
今このような現象が全世界的に起きている。このような工業化、近代化されたサトウキビのプランテーションによって、住民の所有関係、暮らし、労働のすべてが変容してしまった。

4. ランドグラブ研究の「第三波」と相互作用

4.1. 現在生じている「第三波」
土地取引と農地/農民研究に新しい世代の調査研究が生まれつつある。ここでは、特定の土地取引や国別研究を超えて、非常に重要な問いが検討されている。つまり、これらの動態の相互作用、絡み合い、収斂、流出、縺れ合い、相互連結(interaction, intertwining, convergence,spill-over, entanglement, interconnection)に関するものである。
おそらく、The Journal of Peasants Studies(小農研究ジャーナル)の「グリーン・グラビング(green grabbing)」に関する最新号は、この新しい研究傾向の草分け的な役割を果たすことになるであろう。

4.2. 5通りの相互作用の紹介
次の5通りの相互作用が特定できる。

① 空間的Spatial
② 政治経済的Political-economic
③ 政治生態学的Political-ecological
④ 構造的・組織的Institutional
⑤ 時間的Temporal

しかし、これらは互いにオーバーラップするものである。実証的にそのもつれ状態を示すのは難しいが、理論的アプローチとして試みてみたい。

5.空間的相互作用とは?

5.1. オーバーラップする土地への関心
ランドラッシュの原因として、アグリビジネス投資や農業生産に焦点を当てることは人気の手法であるが、実際には巨大な面積の土地取引は水力発電や二酸化炭素排出権をめぐる工業的な森林プランテーションが行っていることが多い。昔からある森林地帯を激変させているのは、工業的な植林プランテーションの方であり、これこそが食料生産や農業生産による収奪よりもランドスケープ(景観)の変化を生じさせている。また、露天掘り方式の鉱物資源開発も同様である。さらに、気候変動の緩和と適応(climate change mitigation and adaptation)の言説は、土地に誘引力を与える結果、そのコントロールを不可欠とした。

その結果、それが気候変動の緩和策であろうと、農業・食料生産であろうとも、工業的植林プランテーションの拡大であろうとも、いずれも「同じ土地/テリトリー」について述べることになる。まさに、「同じ土地への関心」が喚起され、オーバーラップするのである。

5.2. 事例(カンボジア・ビルマの地図)
これは、カンボジアのNGO・LICADROによる大変興味深い地図である。
これ(左図)を見れば分かるように、多様な業種の異なる投資家が、同じ土地を目指してやってきて、互いに隣に分け合う形で利用している状態が分かる。

これ(右図)はビルマ南部の森林地域の地図。しかし、「フリーゾーン(zona livre)」として政府に認識され、誰でも希望する主体に土地のコンセッションが与えられた。その結果、大体がゴムの植林あるいは油ヤシのプランテーションに変貌した。この地域を車で通り抜けるには1日かかるが、行けども行けども、これらのプランテーションしか見えない状態になっている。

これらの事業は、ビルマ軍関係の企業とマレーシアや中国の企業とが結びつき合いながら進めている。さらに、この広大なる土地摂取は、気候変動の緩和策と森林保護の一環としてなされているのである。

5.3. 土地を分け合う異なる利害者
当初、同じ土地をターゲットにしている以上、これらの異なる目的を持った利害者らは、土地のコンセッションを争っているに違いないと考えられていた。しかし、現地での科学的な調査によって明らかになったのは、土地の競争や奪い合いではなく、交渉し分け合っているという事実であった。つまり、彼らは彼ら同士でどのように上手くやればいいか分かっているのである。
ビルマ南部の地図には既に新しいものが出ており、大きな環境保護組織、アグリビジネス企業、鉱物資源開発企業が、どのように同じ地域を交渉によって分け合ったのかが分かるようになっている。

5.4. 環境保護組織の力の強化
大規模な環境保護組織は力をつけつつある。気候変動の緩和の文脈によって、より力を得るようになっている。先ほど紹介したビルマ南部では、一つの環境保護組織が、実に220万エーカーにも及ぶ森林保護の権利を一事業のために取得した。その結果何が起こるかというと、保護区となった地域に暮らしていた住民を追い出すことになっていくだろう。なぜなら、「住民=森林の破壊者」だという前提(推測)があるという典型的な考え方を、これら組織が持っているからである。しかし、実際は3万ヘクタールの土地への投資家よりも、このように巨大な環境保護組織の方が住民生活にはネガティブな影響を及ぼす可能性が高い。

このように事態はより複雑であり、懸念されなければならない。しかし、環境保護組織が気候変動の緩和といった言説によって力を付けた状態のものと一緒に仕事をしなければならないことは、容易ではない。
ビルマ南部の住民だけでなく、世界中の住民が、このような新しい状況に直面している。つまり、セクター間(気候変動の緩和や環境保護、農業開発)並びに言説が交差し合い、絡み合っているのである。

6. モザンビーク南部ProCANAの事例から見えてくること

6.1. モザンビーク・ProCANAの事例
ここも、空き地で耕作限界地であるが耕作可能の土地としてとして、英国ベースの企業に99年のリースで3万ヘクタールもの土地の権利が与えられた。しかし、実際にはここは空き地などではなく、1万1千人の人びとが暮らしていた。政府にとってはいないことになっている住民であった。さらには、この地域は古代から続く放牧地域であった。

6.2. ランドグラブにおける放牧・移動農耕
ランドグラブにおいては、牧畜民族の地域と移動農耕を営む人びとの地域が主要なターゲットとなっている。その他、高地、手工業的な産業がなされている地域、焼き畑地域である。この際、「貧しい人たちは効果的に資源(土地)を活用できない」との主張によって、貧しい人たちの土地が盗まれ、工業化することで「効果的な活用」が奨励される。さらには、気候変動の緩和や環境保護という名目が加わる形で、「資源(森林)を破壊する」として貧しい人たちから土地が奪われている。

6.3. 土地だけでない水源の収奪
モザンビークのこの事例は典型事例であった。そして何が起こったのか?
企業は3万ブルトーザーですべてを平坦にしてしまった。住民たちは「モザンビークは広いのになぜここなんだ?」という問いを投げかけたが、それには理由がある。これは、決して偶然の出来事ではなかった。
ここには、モザンビークの最も近代的なダムの一つマッシンジール・ダムがある。干ばつが発生しやすい地域であるが、この企業は干ばつ時にもこのダムから優先的に水を得られる権利をもらっていた。しかし、この川の下流には多くの小規模農民が暮らし、農業を営んでいる。つまり、下流の農民の水を犠牲にしてでも、サトウキビプランテーションに水は供給される条件があったのだ。

6.4. 空間利用について
このリンポポ川流域の空間には、1万1千人の住民が暮らしていたが、これらの人たちは戦争からの避難者であり、森に暮らすようになった人びとであった。次に、野生動物保護の事業がきた。それが成功したため、象が増えすぎた。その結果、これら1万1千人の避難者らは森から追い出され、象に空間が与えられた。ここまでは、野生動物保護プログラムでよく起きる話である。以上の結果、住民らは今回話している土地に移住を余儀なくされた。しかし、この土地は、まさに政府がProCANA社に与えたのと同じ土地であり、さらに牧畜民が通う場所であった。さらに、下流には水へのアクセスの小農の問題がある。

つまり、この3万ヘクタールの土地をめぐる話には、戦争、リンポポ川流域の森林・野生動物保護、サトウキビプランテーション投資、牧畜民、ショクエの下流の農民の水の問題が相互に密接に絡み合っていたのである。これらは、沢山の知識を要する話であり、したがってアドボカシー活動を複雑化させる話である。一つのストーリーだけでは包摂できない、相互に絡み合った話である。

7. 今後の研究・活動へのチャレンジ

7.1. 政治的アプローチと枠組みの再考の重要性
以上の事例は、実証的・分析的であるだけでなく、政治的なアプローチが不可欠であることを示している。そして、この現象は世界各地で起きていることであり、政治経済、農業経済、政治環境、政治経済、政治生態学、自然/環境保護などの多様なアプローチを総動員する必要を生じさせている。ここから言える事は、研究と政治的活動の両方をどのような枠組みに入れ直すかについて検討が迫られているという点である。

7.2. 民主的土地ガバナンスへの難しいチャレンジ
とりわけ重要な点は、これらの点が民主的土地ガバナンスに難しいチャレンジを与えているという点である。国家と社会、あるいは社会勢力、社会階級のいずれの合体物が、どの空間を、どのような規範とルールに基づき、どのような機能を求めてコントロールするのか?どのようにして、この資源紛争の解決において、真に貧困者志向の社会正義を伴った結果を保証することができるのか、という問いである。

7.3. 政治経済の相互作用:レーダーの下で
象徴的な事例、つまり研究者や活動家らのレーダーの下に起こっていることに注目しなければならない。多くの調査や活動のターゲットは、1万から4万ヘクタールを超える土地取引、あるいはブルトーザーが実際に動いているモーメントに行われる。多くの場合、巨大企業、特に世界的に知られている企業についての調査をやりたがる傾向にある。そして、それは十分に意味のあることである。

しかし、このロジックでは、資本蓄積が政治経済プロセスのより深く、遠いところまで到達している現実を把握できない。なぜなら、これらの動きは、研究者や活動家のレーダーの下で生じている現象だからである。大企業ではなく、可視化された動きでもなく、そのために嘆願書を出す先すらない。企業に対してETO(Extraterritorial Obligations)を主張することもできない。これらはレーダーの下にあって、不可視化されており、まさに見えないために対応が不可能となっている。これらは、世界中の高地、特に移動農耕の地域で起こっている。

レーダーの下で起きる収奪:ビルマ北部の事例
ビルマ北部のシャン州は、中国と国境を接している。最初は森に囲まれた地域であり、人びとは移動農耕を営んでいたが、数年以内に写真のような状態になった。つまり、ゴムの木のプランテーションが乗っ取った様子である。象徴的な外国の大企業がこれを起こしたわけではない。大規模な土地取引やコンセッションが与えられたわけではない。しかし、数年でこのようにラディカルな変化がもたらされた。一体何が起こったのか?

これらの土地を入手したのは、個人である。ビルマで市民権を持っている人たち。あるいは、ビルマの貧困者だが豊かな中国の親戚をもっている人。起業家的中国人もいる。この起業的中国人は、中国とビルマ政府の二国間合意「ケシ代替産業奨励」事業の一環で、中国政府から補助金を得てゴムのプランテーションを始めた。ケシ栽培以外であれば何をしてもいいという補助金の枠組みに基づいている。

調査の結果分かったプロセスは次の様なものだった。まず一人の中国人がコミュニティに来て、小さな土地(25エーカー)がほしいといってきた。住民は貧しかったから土地を売った。しかも、とんでもない安い価格で。それが繰り返され、結果として200エーカーもの土地を得たところで、ゴムの木を大量に植え始めた。住民らが驚いてそれを止めようとしたら、政府や軍が弾圧してきた。さらには、住民らの圧力をかけて、これまでの移動農耕や焼き畑、放牧などの暮らしのあり方に介入し始め、これらを禁じ始めた。しかし、これらは、住民の暮らしの根幹部分を形成していたために、禁じられた途端に生活が立ち行かなくなってしまった。そのため、残りの土地を同じ中国人に売り渡してしまった。たった1年で、一つの村の2万5千エーカーもの土地がこの中国人のものとなった。

7.4. 国際、調査、活動から遠い場所で起きていること

しかし、これは例外的なことではない。より多くの数の村で同じことが起きており、住民たちに深い、しかし悪い影響を及ぼしている。国際的な規制、自由で事前の十分な情報が与えられた合意形成(FPIC:Free, Prior and Informed Consent)の届かないところで起こっている。活動家が把握できない場所、研究者が興味ない所で起きている。

東南アジア中で、アフリカで、南米でも起きている。例えば、ボリビアのサンタクルースでは、普通のブラジル人が土地を次々に買っている。ウルグアイでも同様。象徴的な大企業ではなく、普通の人びとの購入というプロセスによって住民の土地が奪われていっている。

これらは、学術的な調査、政治的なアドボカシー活動からも遠い場所で起きている。しかし、よく観察すると、これらの動きがいかに根深いところまで社会に影響を及ぼしているかが分かる。

ビルマの事例の話はここで終わらない。なぜなら、村には2万エーカーの共有林があった。しかし、ゴムのプランテーションのため、自分の森を売ってしまったため薪が手に入らず、家も建てたり補修できなくなった。そこで、ついに住民らはコミュニティの森を伐り始め、森を完全に失った。しかし、この森は暴風からコミュニティを守る唯一の手段であった。このように、土地取引によって溢れ出てくる(スピルオーバー)影響も考慮に入れなければならず、研究や活動に多くのチャレンジを与えている。

8. 資本の相互浸透

8.1. 中国南部で生じる多様な資本による土地収奪
世界中で中国はいつも「悪者」として描かれる。しかし、我々の調査により、その中国でも広西自治区(Guangxi)で大規模な土地収奪が進んでいることが分かっている。これは、中国企業や政府だけでなく、外国の企業が関与している。例えば、スウェーデンとフィンランドの合弁企業。インドネシアと台湾の合弁企業などが、工業的植林プランテーションやサトウキビプランテーション事業を展開しているのである。これらの事業は、村の住民との対立を生じさせている。たった10年で信じられない規模にまで拡大した。

これら土地収奪をしている10企業の内6企業は外国のものであるが、内4企業はタイの資本である。つまり、相互作用は一方通行のものではなく、資本蓄積の流れや資源コントロールもまた一方通行ではなく、相互浸透のプロセスであるといえる。資本は、利益が得られるのであればどこでもいく。これは、重要なポイントである。

8.2. 国境を超える一次産品ブームとの相互関係:資本を解釈する
ラテンアメリカで土地収奪の調査をすると、中国や湾岸諸国やヨーロッパの資本ではなく、「超南米企業TLC(Trans-Latino Companies)」とも呼ぶべき姿が浮かび上がってくる。アルゼンチンがブラジル、ブラジルがパラグアイ、チリが、、、、といったダイナミックなプロセスが発生している。つまり、国境を越えた資本蓄積のプロセスが展開されているのである。

伝統的なストーリーに対し、資本こそが自然資源を搾取しているのではないかという挑戦が投げかけられている。これは、活動や調査をする上での重要な視点である。帝国主義諸国やそれらの強国の企業のみではなく、中所得国や企業が重要な役割をしているのである。カンボジアやラオスで土地を集積しているのは、中国ではなくベトナム人なのである。

これらのことは、活動家に困難を投げかける。ベトナム企業の問題にどうやって取り組むのか活動家は分からないからだ。これらの企業には会社のロゴもない。不可視化された活動である以上、どのように取り組むべきか。日本やオランダ企業が投資しているとなればできる活動が、ここでは不可能となる。しかし、これこそが今広がっている現象である。このような状態で、グローバルなガバナンスの原則や道具(透明性、規範、行動原則)は、これらの新しいタイプの投資家やホスト国でどのように機能させうるのか?難しいチャレンジである。

このようなタイプの投資は、日常的な形態の土地集積の大規模な拡散を生じさせている。そして、農村地域に侵入し、農民社会を死なせていっている。このような状況は、古い手法ではあるものの社会正義志向の土地政策、例えば「土地取引の上限を法で定める」ことを必要とする。しかし、これは主流派が最も嫌うものである。

8.3. 労働移動を追跡する
地域内における土地志向の資金フローを追跡することと、セクターや国境を超える多元的な労働移動を追跡することは別々のことである点は重要である。

再び中国南部の広西自治区。近年、中国の内陸部でも労賃が上昇し、中国人はもはやサトウキビの収穫したくない。そのため、8万人のベトナム人が国境を超えてサトウキビを収穫するために季節労働にやって来る。極めて低い賃金で酷い労働環境にもかかわらずである。元々、このような労働形態は、ブラジルで行われていたものである。同国の北東部の貧困者が何万人と毎年移動して農業の季節労働を行い、収穫期が終わると戻って行く。この労働形態が世界の他の地域に拡散しているのである。

9. 「チェーンのチェーン=ウェブ」として捉える:「フレックス・クロップ」

9.1. 「フレックス・クロップ」とは?
ここで強調したいのは点は次の点である。我々が、土地収奪のプロセスや地域資源の持ち出し、資源から派生する利害関係を追いかける時、大抵食料生産やバイオ燃料生産に関心を寄せる。それはそうあるべきある一方で、違うと言わなければならない。なぜなら、現代世界においてこのことを考える際には、関わりの全てを考察しなければならないからである。我々は、これを「フレックス・クロップ(Flex crop)」と呼び、捉えようとしてきた。

伝統的に、企業はフレックスな作物、一次産品の多様な利用方法に関心を寄せてきた。しかし、気候変動の現代という時代において、これは課題と政策が絡み合いながら連携し合い、商業的な意味を持つようになった。これは、技術革新によるものでもある。つまり、フレックスの可能性が広がったのだ。サトウキビは砂糖だけでなくエタノールにもなる。パーム油もい同様で、この典型である。工業的価値の高い食料・餌・燃料(Food, Feed, Fuel) に変貌を遂げたのである。

9.2. 「チェーンのチェーン=バリューウェブ」として捉える
この結果何が生まれたかというと、よくバリューチェーンといわれるが、「チェーンのチェーン(Chain of chains)」つまり「バリューウェブ(網の目、Web)」が生み出されたのである。企業は、その時に食用油の方が価格が高いとなれば、食用油としてパーム油を売る。バイオディーゼルにした方が高いとなればそのようにして売る。これは、活動家にとって難しい課題を投げかける。

例えば、ヨーロッパでパーム油の問題をバイオディーゼル問題としてのみ闘おうとすると困難に直面する。なぜなら、インドネシアは「バイオディーゼルなんてそれほど輸出していない」と反論できるからだ。実際にそうだ。インドネシアから輸入しているパーム油は食用油としてのそれである。それはバイオディーゼルとしての輸入ではないからだ。しかし、食用油として輸入されたものが、一夜のうちにバイオディーゼルに加工されることもある。これを、「バイオディーゼル・コンプレックス」と呼ぶ。

このような事態は、ガバナンスを考える時により複雑になる。活動家が従来型のシングル・チェーンに焦点を当てすぎる現状は、活動に限界を生み出す。チェーンのチェーンに焦点を当てる、つまり「バリューウェブ」として捉える必要がある。

10. 予備的な結論として

10.1. 相互作用を主要分析対象とする:現代世界における資本蓄積の意味・チャレンジ
このような絡み合いは今まで調査されてこなかったわけではないが、背景(文脈)として扱われてきたにすぎない。多くの論文で、これらの点は2、3パラグラフ程度の言及で終わり、すぐにケーススタディが後に続くという形式であった。それはそれで良いのだが、これを調査研究の主要な分析対象と位置づけ直せば、違ったものが見えてくる。つまり、現代世界における資本蓄積の意味とは何か、そしてそれはどのように統治可能なのかという問いが立ち上ってくるのである。それは、研究者であれ、活動家であれ、同様である。

10.2. 資本をど真ん中に置き、関係性を見る
資本は利益が生み出せる場であればどこでもいく。これは単純なことで、資本というものは拡大再生産ができるところがあればそこにいくものなのだ。これまでは、強国・帝国主義国が貧しくガバナンスの弱い国に行くという言説が主流であった。しかし、今起きていることは、相互関係の中で互いが浸透し合う形であらゆる現象が生じているということ。資本(キャピタル)のロジックを使って分析をしなければならない。検討のど真ん中に資本を置き、それをめぐる関係性をみていくことを念頭において分析をする必要に、ますます迫られていくだろう。

10.3. 実現しなかったが変わった社会関係
当初報告されていた巨大土地取引の多くは実現しなかった。マダガスカルでの130万ヘクタールの土地取引も実現しなかった。プロサバンナも同様の部分と未だ分からない部分がある。Procanaの3万ヘクタールの事業はキャンセルされた。なぜなら企業は資金を集められなかったからである。マレーシア企業が行おうとしていたフィリピンでの150万ヘクタールの事業も同様である。

このように実現しなかった土地取引は、現地の社会関係や社会に対して何も変えなかったと言われることもある。しかし、これは事実ではない。ProCanaは事業としてはストップしたが、何も変えなかったわけではない。社会関係を深刻に再構成してしまった。結局、ブルド―ザーは3万ヘクタールを真っ平らにしてしまったのだ。人びとはすでに土地から追い出された。

10.4. 「何も起きていない」ものを統治するチャレンジ

レーダーの下で起きている現象は、何も起こってないようだが、実際には見えないところで何か深いことが起こっている。共存できなかった何かが起こっている。では、このように見えないものをどうやって統治するのか?見えるものであれば統治を試みることができる。だから象徴的なケースというのは何かアクションを起こしうる。一方、外から何も見えないにもかかわらず、深いところで何かが起こっているという時、これをどうやったら統治可能なのか。過去5年の間に起きていることは、複雑で、古くて新しい現象といえる。

10.5. 貧しい人たちのために仕事をするというバイヤス
今重要なのは、厳密で科学的かつ学術的な仕事で、現地の人びとの政治的イニシアティブを支援することに根ざしたもの。世界的現象をどう多様に(再)解釈するかに貢献するだけでは十分ではない。より拡大された社会正義のために世界を変えていこうとする仕事が求められている。勿論、最も簡単なのは、現地調査をして解釈をしてただその成果を出版すること。その出版物が高い引用件数を誇り、10年がんばれば、もう頑張らなくていいポジションが得られる。それは皆がやろうとすることで、ある種容易である。我々は、解釈に留まらず、実際に変化をもたらす仕事をしなければならない。そして、ただ変えるだけでもいけない。変化は、貧しい人たちの持続可能な暮らしをもたらすようなものでなくてはならない。このようなバイヤスを持って調査・活動をすべきと考える。

一方、現地も含め、活動やキャンペーンをするのであれば、十分な理解と知識を得なくてはならない。ただ議論するだけでは足りない。また、学者と活動家は二項対立的な関係で捉えられることが多い。しかし、本来対立関係である必要はなく、もっと相互に妥当性を持ち、接近しなければならない。現在の世界的現象——つまりグローバルなエンクロージャー(土地の囲い込み)ーを解決し、もう一つの世界を実現するには、客観・主観のアライアンスが不可欠である。学者が活動家と話したくないとしても大丈夫。彼らの仕事が活動を下支えすることもある。仲間でなくとも、たとえ敵同士であって。議論の空間とプラットフォームをもっと広げていかなければならない。

11. 最後に

11.1. セクターを超えたアプローチに収斂させる
土地問題活動家であろうと、環境正義活動家であろうと、セクターを超えて収斂させるべき。今は気候変動が切り離せないほど絡み合っている。分離したアプローチは何も達成できない。食料に関する議論もまた気候変動と絡んでくる。これはチャレンジである。

11.2. 複雑化する階級・アイデンティティの政治を乗り越える
複雑な階級、アイデンティティ政治を乗り越える必要がある。労働問題は、土地や農民問題と通常は同じように扱えない。ブラジルの運動は極めて稀なケース。MST(土地なし労働者運動)と労働組合とが一緒に運動を率いるというのは珍しいことである。これは、異なる階級同士の協働である。

このような事例は、伝統的な半球同士の連帯—つまり南北・南南——にも問いを投げかける。日本はかつて貧しい国々に対して「お兄さん、お姉さん」として振る舞った。世界的の課題への贖罪意識があった。連帯に基づいてこれを乗り越えようとした。勿論これは日本の社会の伝統として重要であるが、今の収斂された世界においてはこれでは足りない。なぜなら、あなたの課題は私の課題となったからである。また逆もしかり。あなたがどこの何者であろうとも、インタナーショナルなアジェンダと連動するしかない時代になったのだ。これは、学者であっても活動家であっても同様である。

以上から、冒頭見せた収斂していくべき5点を再度紹介して終わりとしたい。

(i) 気候正義、農地/農民正義、労働正義、アドボカシー活動などの異なるセクターの超越
(ii) より幅広く、より複合的で、かつ多元的なアイデンティティの政治と政治的連携
(iii) 半球間の分断 (南北/南南)を超え、より大きな国際的なアジェンダとアクションのためのプラットフォームづくり
(iv) より大胆に政治化され歴史化された見方の奨励
(v) 客観的・主観的でラディカルな活動とプログレッシブな学術サークル構築
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# by africa_class | 2016-03-30 00:23 | 【考】土地争奪・プロサバンナ問題

NHK青山教室で講義(4/11夜):「アフリカにおける資源の呪いと日本」

NHKのラジオ番組で講義を聞いていましたが、受講生を募集しているようなので、記録のためにも掲載しておきます。いまいちよくわからなかったのですが、そうそうたるメンバーではないですか…。ご関心があれば是非。

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NHK文化センター 青山教室
https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1102830.html

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CR日曜カルチャー
国際社会の中の日本PartⅡ


講師:
米川正子、塩尻宏
舩田クラーセンさやか、酒井啓子

会員 3,456円 一般(入会不要) 4,320円


1回受講可能です。学校帰り、お勤め帰りにもどうぞ。

地球温暖化、難民、金融危機、宗教宗派対立など国家の枠をこえた問題が噴出している中、日本人も世界各地のNGOや国連機関を舞台にさまざまな現実と向き合っています。その活動を見ると、それぞれの国の歴史的な背景や今日の社会がかかえる諸問題が浮き彫りにされて見えてきます。現場で活動する人たちが直面している各国の事情、設立したNGO、NPOが抱える問題などの報告も交え、世界の中で、日本という国や、日本人自身が今何をなすべきかをともに考えることで、これからの日本のグローバル社会におけるあり方を考えていきます。3年前に催した講座の第2弾です。



3月21日(月・祝)18:00~19:30
「アフリカの難民~なぜ犠牲になっているのか」
 立教大学特任准教授 米川正子(元UNHCRコンゴ駐在)
3月28日(月)18:00~19:30
「アラブの春・その後 ~リビアの場合」
 元外交官・駐リビア大使 塩尻 宏
4月11日(月)18:00~19:30
「アフリカにおける資源の呪いと日本~モザンビークの場合」
 元東京外国語大学准教授 舩田クラーセンさやか
4月18日(月)18:00~19:30
「イラク・シリアはどうなるのか~ISと国際社会」
 千葉大学法政経学部教授・学部長酒井啓子


備考

この講座は原則402B教室で開きます。講座内容は、NHKラジオ第2の「カルチャーラジオ」の収録をします。番組制作にご協力くださいますようお願いします。1回受講できます。


放送予定:4月の毎日曜日20:00~21:00ラジオ第2放送「カルチャーラジオ」(全4回)



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# by africa_class | 2016-03-19 22:31 | 【記録】講演・研究会・原稿

【カフェ&ハーブトーク】 私たちのCuras(暮らし&治癒)・食・農・エネルギーから考える日本・ アフリカ・世界の今そして未来 〜最終講義in Osaka〜」

決定しました。以下、ぜひふるってご参加下さい。
なお、Curasは、ポルトガル語のcurar(治す・癒す)から。私が「暮らす」と書いていたら、大学時代の同級生がこう当て字してくれたのだけれど、凄く良いと思って、今後これを使っていこうかと思います。現役生のポスターも届きました。最終講義後に同じ会場で行われる「カフェ・モサンビコParty」も是非よろしくお願いします。

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【カフェ&ハーブトーク】
私たちのCuras(暮らし&治癒)・食・農・エネルギーから考える
日本・ アフリカ・世界の今そして未来
〜元東京外国語大学舩田クラーセンさやか准教授の最終講義in Osaka〜」

日時:2016年3月26日(土曜日)16時半~18時
場所:Cafe Tipo 8  http://www.cafetipo8.jp/
(大阪グランフロントのすぐ前です)
大阪市北区中津5丁目2番9号
TEL: 06-6136-3184
参加費:1,500円(カフェビコブレンド、ハーブ&野草茶、お土産あり)
定員:30名 
お申込み:3月25日[金]正午までに下記メールアドレスにお申込み下さい。
(お名前・ご連絡先メールアドレス)
cafemozambico@gmail.com
主催:カフェ・モサンビコ・プロジェクト
http://cafemozambico.blog.fc2.com/

カフェ・モサンビコ・プロジェクト代表でもある舩田クラーセンさやかさん(元東京外国語大学大学院准教授:2004年〜2015年)の最終講義の関西版です。4月9日(土)に東京にて開催される「最終講義」(http://afriqclass.exblog.jp/22545316/)を関西でも開催してほしいという要望にお応えし、最終講義の中でも「食・農・エネルギー」と「日本とアフリカ、世界の関わり」の部分に焦点を当てた企画を考えてもらいました。

国際関係学の中でアフリカや世界の平和・戦争・開発の問題を考えてきた研究者が、なぜ食・農・エネルギーの問題に実践的に取り組むことになったのか。そして、いま日本で進行中の社会問題とアフリカや世界で起きている現象がどのように「地続き」であるかについて、関西風味で一般向けに面白く分かりやすくお話頂きます。

その上で、ドイツでの「里森」・ビオトープ・菜園・薪クッキングストーブ・発酵を活用した生活実践を紹介してもらい、オルタナティブとしての「日々の暮らし&治癒(Curas)」の可能性を、ドイツ直送のハーブや野草茶を頂きながら一緒に考えます。

また、モザンビーク北部の村のママたちや現地大学生たちと共に取り組む在来コーヒー(ビコ)の試飲も可能です。世界でカフェモサンビコプロジェクト&Tipo8でしか味わえない「ビコ・ブレンド」、ぜひお楽しみに!

このカフェ・モサンビコ・プロジェクトの説明については、同日同会場にて18時からパーティを開催しますので、あわせてご参加頂ければ幸いです。パーティの方は、コヒーの専門家によるプレゼンや学生による現地報告あり、音楽あり、クイズありの大人でも子どもでも楽しめる内容となっております。こちらもあわせてご参加下さい。
詳細→http://cafemozambico.blog.fc2.com/blog-entry-30.html

<カフェ・モサンビコ・プロジェクトParty>
日時:3月26日(土)18時〜20時@Cafe Tipo 8
参加費:2000円(軽食・飲み物つき)

パーティのご参加についても同じ予約メールで結構です。
*但し、「最終講義・パーティ参加」「最終講義のみ参加」「パーティのみ参加」などとご明記下さい。
cafemozambico@gmail.com

皆さまのご参加を楽しみにお待ちしております。

2016年3月10日
カフェ・モサンビコ・プロジェクト一同

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# by africa_class | 2016-03-12 06:38 | 【協力】カフェ・モサンビPJ

今世界で「開発」をめぐって起きていること:人びとから奪われる土地・資源・暮らし・命

昨夜、ベルタさんの団体COPINHのNelson Garciaさんが殺されたとの一報が入ってきて、なかなか眠れない一夜となりました。(3/16)

http://www.telesurtv.net/english/news/Another-Member-of-Berta-Caceres-Group-Assassinated-in-Honduras-20160315-0049.html

ただ、オランダのFMOはダム建設への資金を緊急に止める発表を昨日行いました。勿論、未だ安心できません。(3/17)

FMO suspends all activities in Honduras effectiveimmediately

https://www.fmo.nl/k/n1771/news/view/28133/20819/fmo-suspends-all-activities-in-honduras-effective-immediately.html


日本語の署名文があるとATTAC Japanさんに教えてもらいました(多謝!)。どうぞこちらで内容を確認の上ご署名(団体)下さい。

http://www.labornetjp.org/news/2016/1457748899671staff01


日本では話題になることすらない中米の小国ホンジュラスで起きた先住民族の環境・人権活動家の殺害事件。しかし、今この件は、現在開催中の国連人権理事会(UNHRC)でも話題になっているものです。

国連あるいは国連人権理事会では、先住民族の権利が長年にわたって議論されてきて、先住民族に関する合意文書が総会で採択されるほどになっており、現在は「農民と農村労働者の権利」について具体的な条文の内容が議論されているところです。その最中におきた事件とあって、世界的な抗議アクションが様々に繰り広げられているのですが、日本語ではほとんど話題になっていないので、このブログでまず初歩的な情報を共有しておきます。

なお、今回殺害されたホンジュラスのベルタ・カセレス(Berta Cáceres)さんの事件は象徴的な事件ではありますが、実は2002年から現在までのたった14年間で少なくとも千人近くの環境や土地を守る活動家が殺されているのです。しかも、この傾向は強まっています。


TNI(Transnational Institute、在アムステルダムの国際機関)からベルタさんの写真を頂きましたので掲載します。

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TNIなど多くの国際団体が、この件で国際署名を集めています。是非、日本の団体も以下の国際声明に署名団体として参加して下さい。(個人の署名ではなく団体署名を集めています。締切はないそうです)
「International condemnation of the murder of indigenous leader Berta Cáceres in Honduras」
https://www.tni.org/en/article/international-condemnation-of-the-murder-of-indigenous-leader-berta-caceres-in-honduras

TNIは、この分野で大変重要な役割を果たしてきたのですが、日本ではあまり知られていない国際機関かもしれません。"TNI's Mission:TNI envisions a world of peace, equity and democracy on a sustainable planet brought about and sustained by an informed and engaged citizenry." (*今後日本との関係を強化したいそうなので、また別途紹介します。インターンをしたい人[無給]がいたら私に連絡下さい。)また、この分野の重要な国際団体として日本に知られていない団体としては、FIAN Internationalもあります。両団体ともこの分野の国連の動きにかなりコミットしているのですが、これらについてはまた紹介しますね。

さて、この件はホンジュラス、あるいはベルタさんの事件に留まらない、私たちの暮らし・国のあり方(政策・投資・援助・政治)にも直結しているので、5度目の3月11日を迎えたの今、じっくり共に考えて頂ければと思います。まず、英国ガーディアンの記事が一番まとまっているのでそれを紹介します。

==ガーディアン(2016年3月4日)=========

ベルタ・カセレス(Berta Cáceres)はここ10年間に殺された数百人の土地収奪への抗議者の一人となる:2015年は土地を守ろうと闘う環境活動家(その多くが先住民族)が歴史上最も多く殺された年となる。

http://www.theguardian.com/environment/2016/mar/04/berta-caceres-environmental-activists-murdered-global?CMP=twt_gu

ホンジュラスの活動家であるベルタ・カセレスが木曜日に殺された。2002年から少なくとも1000人以上が殺され続けている環境と土地を守ろうとする抗議者の一人として。NGOのグローバル・ウィットネスは、2015年はもっとも殺された人数が多い年になるだろうと公表した。

ベルタ・カセレスを思い出そう。

「私は人権闘士であり、絶対に諦めない」

グローバル・ウィットネスによると、2014年に世界中で週に2名の割合で、鉱山開発・水力発電ダム・違法罰しに関わる紛争で殺人事件があったという。そして、その4分の3が南米で失われた命だった。

グローバル・ウィットネスのビリー・カイテ(Billy Kyte)は次のように述べた。「我々は、土地や天然資源をめぐる収奪合戦の盛り上がりを目の当たりにしている。つまり、より多くの企業が先住民族の暮らす土地を目指してどんどん侵入を続けている。

中でも、ホンジュラスは開発プロジェクトに対して抗議するには、世界で最も危ないところであり、2010年から14年までの4年間で実に101人以上が殺害される結果となった。
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この報告書を書いた国際NGO・Global Witness(グローバル・ウィットネス)は、「紛争ダイヤモンド」「紛争木材」の問題に世界に先駆けて取り組んできた団体で、アフリカ諸国における「資源の呪い」に起因するガバナンス問題などにも積極的に取り組んできました。

そして、2015年に発表された「How Many More?」(後何人殺されたら?)が示した衝撃的なデータは、世界に驚きと懸念を呼び起こしました。つまり、「2014年時点で、少なくとも116人の環境活動家が世界中で殺されており、その数はその年に殺されたジャーナリスト数の二倍であり、その40%が先住民族であった」というものでした。その殺人の多くが遠方のコミュニティで起こっており、ほとんど知られず調査もされないままだといいます。
https://www.globalwitness.org/en/campaigns/environmental-activists/how-many-more/
しかも、2015年はその2014年を超える数になるというのです。
以下、Global Witness 2015の地図。
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同報告書は、殺人だけでなく、所謂「開発」と呼ばれるプロジェクトに抗議をする人たちに対する脅迫・攻撃・犯罪などの暴力や弾圧のグローバルな傾向を分析しています。また、これらの環境・人権活動家らが、「国家の敵」や「テロリスト」として描写され糾弾され、裁判にかけられつつある危惧される傾向についても指摘しています。

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# by africa_class | 2016-03-12 03:44 | 【考】土地争奪・プロサバンナ問題

【追加】最終講義などのテーマ・内容・形式

一般枠は定員オーバーのため締め切られたそうです。
招待枠も定員をかなりオーバーしたため、実行委員会からSTOPかかりました…すみませんが、IWJの中継でご覧下さいませ。(3/22)

<配信日時> 2016年4月16日(土)18:00~21:00頃まで
<配信チャンネル>IWJチャンネル6
http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=6

「最終講義in関西」のご希望が複数あり、仲間達が以下の企画を準備してくれました。
決定しました!(3/16)
私たちのCuras(暮らし&治癒)・食・農・エネルギーから考える
日本・ アフリカ・世界の今そして未来
〜元東京外国語大学舩田クラーセンさやか准教授の最終講義in Osaka〜
3/26日16時半〜18時@大阪グランフロント前
カフェtipo8
(http://www.cafetipo8.jp/)
詳細→http://afriqclass.exblog.jp/22590021/

以下は、東京での一連のイベントの詳細。
「最終講義」の狙いや背景に関する、詳細は以下をご覧下さい。
http://afriqclass.exblog.jp/22545316/

素敵なポスターが届きました。(3・17)
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この投稿では、その後に学生(元)たちとのやり取りで決まったコンセプト等について紹介しておきます。なお、事前準備に35名ほどが奔走してくれていますが、学部・院ゼミ生だけでなく、余所のゼミ生多数…感謝感激です(未だ全員分ではありません)。実行委員会の皆さん修正点があればお願いします。

全体運営:井上・大田・山・小川
広報:小林(マ)・平野
ロジ:鈴木(ケ)・吉村
受付:串田・大久保・栢野
舩田分身:アブ・高橋(ミ)

0. ちびっこ対応
担当:元FnnP(福島乳幼児妊産婦ニーズ対応PJ)チーム:柴田・中村+2名
*保険には入っていませんので、その点よろしくお願いします。
*本チームは最終講義等でぐずられたお子さんに対応する他、懇親会時に同じ部屋の中で一緒に遊びます。

1. 拡大ゼミのこと(13時〜15時)
「このモヤモヤは何だ!?〜私たちと日本・世界を考える+α」
ファシリテーター:舩田・山岡・金井

「このままでいいのかな…」そんなモヤモヤを持ちつつも、日々に追われて立ち止まる余裕もなく走り続ける日本の私たち。「私たち、日本、世界はどこに向かっているのか…」そんな不安と懸念について少し口にするものの、あんまり周りの反応はない。あるいは、反応があっても、互いにそれ以上は深められない。その先が続かない。

「本当に何もしなくていいのかな…」と思っても、次が踏み出せない。そもそも「次」は何なのか。そんなモヤモヤが続く。でも、自分なりのアクションをしていないわけではない。あるいは、それもできないのがモヤモヤの一因である。あるいは、積極的に色々なところでやっているけど、もっと仲間を増やしたい。特に、自分の普段出会うサークル以外の人たちと話してみたい。そもそもなんでこんな日本なんだ、世界なんだ、私たちなんだ…を考えたい・深めたい。みんなどう思ってるの?

この「拡大ゼミ」では、そんな皆さんと一緒に、「私たちと日本と世界の今とこれから」をワイワイ話しつつ、「次」を共に考えてみる機会としたいと思います。既に20名弱の一般参加者の「自称若者」の皆さんが登録されています。未だ空きは十分あるので、是非ご参加下さい。「人前で話すの苦手」「自分の考えを表現するの苦手」「参加型は…」…という方も大丈夫。外大生がそうでした(笑)。見知らぬ同士4人1チームに分けてこの「拡大ゼミ」の大半は行われます。

*「自称若者」なんで、誰でも参加できます。他ファシリテーターからは、「あえてテーマ設定から若者を取りました!」との伝言です。
*開始15分前(12時45分)にお越しになることが可能であれば、是非お願いします。時間が2時間と限られているのと、最初に一人ずつでしてほしいワークがあるので、早めに来られる方は先にこのワークを各自始めておいてもらいます。
*午前10時から「最終ゼミ」をしています(担当:崎山・山成・小林(奈))。元ゼミ生で未だ連絡ない人は以上サイトに連絡を(参加できない人には何か「特別対応」があるそうです。)

2. 食事のこと (19時〜21時)
「食べて見つめ直す、いのちのこと、自分のこと、世界のこと。」
舩田先生直伝レシピで、旬の食材をあますところなく、自然のちからを最大限に使った、手作り料理をご堪能ください。
食事:土屋・斎藤+新村+2名の女子と2名の男子

「いのちの繋がりを感じさせる旬の食材を使った料理」というキーワードをいったら、まず旬の食べ物を調べてくれました。そこから発想した料理の数々です。
普段捨てているかもしれない野菜や果物の一部も「丸ごと」使ったレシピです(一物全体)。栄養価の高い皮の積極的な活用は、オーガニックや自家採取の野菜&果物&山菜だからこそできること。以下の出所の食材を活用します。

*舩田クラーセン家ガーデンからくるハーブ&野草
*ドイツ・ヨーロッパのオーガニック食材
*東京近郊のオーガニックな旬の食材
*島根県石見銀山で採取する食材(直前まで滞在予定)
http://www.gungendo.co.jp/
http://www.takyo-abeke.jp/
*モザンビークの在来コーヒー「ビコ」
http://cafemozambico.blog.fc2.com/
*その他、縁の方・場所から

これを機に、ハーブ・乾燥・発酵・出汁のちからを借りたお料理を、若い人たちに覚えてもらえればと思っています。今から、元ゼミ生たちは「おうち初ぬか漬け」を開始。スープストックやマヨネーズも手作り手法を伝授しました。スローですが、忙しい皆さん(私)に応用可能なように手間をかなり省いています。後日、レシピを公開します。ベースは舩田が資格を持っているマクロビオティックスですが、厳密なフォロアーではないのでご心配なく。

3. 懇親会のこと 19時〜21時
乾杯の音頭:吉田昌夫先生
音楽(10分):三浦 フラメンコギター
アフリカンダンス(10分):中屋・澤田(妻夫)・風間+ゼミ全員

舩田が最も尊敬する吉田昌夫先生に乾杯の音頭をして頂けることになりました。吉田先生の励ましとご支援なしには、ここまでくることはできませんでした(涙)。
懇親会の基本は、お食事&お飲物(!)を楽しみながら、参加者同士、元ゼミ生たちや私たちと歓談して頂ければ〜なのですが、後半に音楽とダンスを少しずつ披露してくれるようです。日本全国、北海道から鹿児島まで散らばった元ゼミ生たちが、海外からも駆けつけ披露してくれるそうです。お楽しみに。

4. 展示と販売 
販売担当:鈴木(ヤ)・小林・平野+森川・鈴木(レ)・井上(サ)
壁面担当:今村・小出
作家:海(来日が決まりました。)&まりお

【販売】
次のものを会場で販売します。15時半からの最終講義前の14時半ぐらいから販売が可能か聞いてみます。拡大ゼミ中ですが大丈夫でしょう…。
1)海の作品:木工&キャンドル
2)石巻のお母さんたちの手作りの品々
外大東北復興支援隊が通っていたコミュニティの皆さんの手作り品
3)舩田の本:『アフリカ学入門』などを著者割価格80%
4)ドイツから持参のハーブの応用バージョン:
・アフリカン布に入ったハーブ・ポプリ
・樹木の葉っぱを活用したエコ食器ソープ(手作りセット)
・キッチン周り&窓をすっきり奇麗にハーブビネガー
・ハーブティー(ブレンド済み)、野草ティー(ブレンド済み)
5)作家「まりお」の作品
*1)の収益の一部は象の保護に。4)の全収益は、2つのNGOに寄付となります。
【展示】
・午前の「最終ゼミ」、午後の「拡大ゼミ」の結果を展示します。
 今の「若者」たちが考えていることを是非見て頂ければ。
・食材やレシピ、飲み物の紹介を展示します。

5. 飲み物 休憩時間&懇親会時間
担当:塩谷・斎藤(マ)・安達・佐野
こちらの基本コンセプトも食事と同様。

【休憩時間】
舩田がドイツと島根県大森と兵庫県で自家採取して持参するハーブや野草を、5種類のブレンドでお試し頂きます。以下の用途にあわせて作ります。
・「やる気が起きない」、「緊張してしまう」、「疲れが取れない」、「女性ならではのお悩み(2種類)」、「デドックス(健康茶)」。担当者らが自分で試しながら挑みます!
【食事の時間】
・オーガニックな日本酒
・縁の地のどぶろく
・手作り梅酒
・オーガニック・ルイボス茶
・カフェ・ビコ(詳細は上記)
*お酒類の積極的な差し入れ、お待ちしています!…とのことです。勿論可能な範囲で〜。
*お子さん限定でフレッシュなジュースが可能か調整します。
*マイカップ(あればタンブラー)是非持参下さい。

6. ゴミゼロを目指して「Eco & Clean」班…
担当:木下+陸上部チーム2名

こちら是非ご理解とご協力をお願いします。
食器等はリサイクル可能なところから取り寄せます。
コップがややハードルが高いので持参できる方は是非。
展示販売用の袋等はすべて再利用品となりますが、ご容赦下さい。

7. 最終講義 15時半〜18時半

音源・映像・画像:加藤・田村・鈴木(ケ)

肝心の「最終講義」なんですが…。前半は音源と映像と画像をふんだんに使うプレゼンを作成したものの、自分では技術力がないのでこちらもヘルプを頼みました。後半は、一方的に話します(ごめんなさい…)。双方向をご希望の方は「拡大ゼミ」へ!「自称若者」なんでどなたでも参加可能です。質問やコメントは紙で対応したいと思います。

「小さな物語/歴史と大きな物語/歴史が交差する場に立ち続けて〜アフリカの小農と日本の私たちの『主権と解放』に関する歴史的考察」を6部構成で…。

1部: 少女
2部:大きな歴史と小さな歴史、事実と虚構の交わる場
3部: 社会と世界、そして自分
<休憩>
4部:日本と学術・大学、「日々アフリカ」を生きてみた
5部:すべて捨てたら見えてきたもの
6部:グローバル化の世界・社会における命・尊厳/主権・解放:アフリカの小農と日本の私たちの今とこれから

今アタマにあるものを書き出したら…3時間で終わるのか…なので、当日質問受付られません…ごめんなさい。後1ヶ月あるので、ここから削いでいく感じで。。。背景になる文献・音源・映像源は後日ブログで紹介します。

【1部】
・午前8時15分、鐘が鳴る
・少女は三輪車に乗って
・小高い丘のガジュマルの下で
・越境「向こう側」

【2部は秘密】

【3部】
・命が果てる…ことの意味
・命の輝きを知る
・「知る」を超えて感じる、触れる、理解する
・取り憑かれてみる
・地球/人類/世界/生き物の歴史&システム/構造の末端として
・根っこをもって生きるということ
・歯車化を拒絶する

【4部】
・空気は読めてもあえて読まず/楽な道は通れてもあえて茨の道を
・火中の栗はあえて拾うべくしてそこにある
・中立ではなく、独立・公正である意味
・紛争・衝突を否定しない、回避しない
・歴史を生きる人びとと共に歩む
・植民地解放戦争を再考する:解放の意味
・援助でも協力でもなく
・人びとの主権意識から自分の主権を問い直す
・科学・実証主義・Vigorous Factsを愛す
・あえて立場を取る
・バイアスを可視化する
・proとconの螺旋的思考展開を応援する=対話

【5部】
・未熟さを抱きしめる
・魂の抜け殻になる
・すべてを捨ててみる
・「偉い人」にならず、構造・制度の囚人にならぬよう
・生物である自分を受け止める
・屍となるために生きる
・ご先祖様候補として世界を眺める
・捨て「すぎる」
・やり残したことを発見する

【6部】
・生きること:頼り・頼られるということ
・世界各地から届く叫び
・再び「開発」における主権と解放の意味を問う
・平和・抵抗・暴力を再訪する
・世界の「ご先祖様」からの命と権利のバトンを握りしめる
・無力感と孤立感を超えていく出会い・喜び
・日々、食・農・エネルギーのオルタナティブを生きる
・「消費」からの撤退が鍛える想像力/創造力
・全ての命に愛と尊敬と誓いを

どうなることやら…。
立派な話はしません。
失敗だらけの、傷だらけの、おかしな話ばかりです。
そこから見えてきたことを、そのままお伝えします。
正解ではなく、思考のあるがままに。
そして、特に前半は「話」ではありません。
お楽しみに…。

では、今日のところは以上です。

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# by africa_class | 2016-03-09 20:46 | 【記録】講演・研究会・原稿

【最終講義(舩田クラーセン)】「小さな物語/歴史と大きな物語/歴史が交差する場に立ち続けて」4/9@代官山

より詳しい内容を以下に掲載しました(3月9日)
http://afriqclass.exblog.jp/22581068/


<=定員オーバーのため、一般受付は終了したそうです(3/18)。
*「招待者」の皆さんも既に定員オーバーで実行委員会の悲鳴があがっていますので、大変申し訳ございませんが締め切らせて下さい…。どうしても…という皆さんのみ私宛にメール下さい。(3/23)


「最終講義」の部分のみ、IWJからの提案によりインターネット録画配信が決定しました。

<配信日時> 2016年4月16日(土)18:00~21:00頃まで
<配信チャンネル>IWJチャンネル6
http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=6

久しぶりにお会いすることを楽しみにしています。

2016年3月1日
舩田クラーセンさやか

(転送・転載歓迎)
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ValedictoryLecture by Dr. Sayaka FUNADA CLASSEN
元東京外国語大学 舩田クラーセンさやか准教授 最終講義&懇親会


小さな物語/歴史と大きな物語/歴史が交差する場に立ち続けて
〜アフリカの小農と日本の私たちの『主権と解放』に関する歴史的考察〜


2004年〜2014年まで、東京外国語大学で教えられた舩田クラーセンさやか准教授の最終講義&懇親会を、下記の要領で開催いたします。

「最終講義」は、標題の「小さな物語/歴史と大きな物語/歴史が交差する場に立ち続けて」というテーマで、先生の「これまで」がふり返られます。特に、後半部分は、「アフリカの小農と日本の私たちの『主権と解放』に関する歴史的考察」が話されるそうです。講義の手法としては、学術・教育に留まらない、「クリエイティブな何か」になるとお知らせ頂いています。どうぞご期待下さい。

また「拡大ゼミ」は、日本の若者(自称OK)が自分と社会/世界との関係について、他の若者たちと共に考える場にしたいとのことで、先生がゼミ生とともに培われたメソッドが活かされます。さらに、「懇親会」では、先生が育てたハーブや野草を使った多国籍なメニューやお茶・お酒をお楽しみ頂けるとともに、ご子息のキャンドル&木工作品の展示販売も行われます。(*詳細は別添の先生からの補足をご覧下さい

2年にわたる闘病生活を経て、新たな地平に立たれつつある舩田先生の日本での「最後で最初」の講義、是非ふるってご参加下さい。



【日時】2016年4月9日(土曜日)

・拡大ゼミナール 13時〜15
・最終講義 15時半〜18時半 (開場15時)
・懇親会 19時〜21時

【場所】 Goblin. 代官山
東京都渋谷区恵比寿西1-33-18 コート代官山 B1F

【アクセス】代官山駅3分、中目黒駅5分、恵比寿駅7

http://goblinspace.jp/goblin-daikanyama/

【参加費】
・最終講義・拡大ゼミ参加費 2000(学生:1000)
・懇親会のみ参加費 4000(学生:2000)
・最終講義+懇親会:5500(学生:3000)

詳細は末尾をご覧下さい。

懇親会への差し入れ・お酒の持ち込み大歓迎です!

【定員・参加申込】

定員100名(を超えました…)。満員御礼、招待枠も含め、既に締め切りました(3/23)。
<配信日時> 2016年4月16日(土)18:00~21:00頃まで
<配信チャンネル>IWJチャンネル6
http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=6
後日中継配信をご覧下さい。

【プロフィール】

国際関係学博士(津田塾大学)。1994年に国連モザンビーク活動に従事した後、日本学術振興会特別研究員、津田塾大学国際関係学研究所所員を経て、2004年に東京外国語大学に着任。2008年に准教授。現在、明治学院大学国際平和研究所研究 員。所属学会は、日本国際政治学会、日本アフリカ学会、日本平和学会、人間の安全保障学会、国際開発学会。

 数々の社会活動に従事。代表的なものに、神戸市中央区震災ボランティア、モザ ンビーク(洪水被害者)支援ネットワーク、TICAD市民社会フォーラム、アフリカ2008キャンペーン、福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェク ト等がある。

 著書に、Japanese in Latin America2004, Illinois UP*全米The Choice: Academic Outstanding Titles 2005)、『モザンビーク解放闘争史』(2007年、御茶の水書房*日本アフリカ学会研究奨励賞)、The Origins of War in MozambiqueAfrican Minds)、 編書に『アフリカ学入門』(2010年、明石書店)、『平和研究(平和の主体論)』(2015年、早稲田大学出版会)。7匹の猫母。薬草ハーブ研究。日々、食・農・エネルギー 問題に取り組む。

研究業績詳細:

https://www.linkedin.com/in/sayaka-funada-classen-7abb8493

https://www.researchgate.net/profile/Sayaka_Funada_Classen

*ご出席の方には、舩田先生の「徒然:私の履歴書」を3月 下旬にお送りします。

【主催】

元東京外国語大学 舩田クラーセンさやか准教授 最終講義&懇親会 実行委員会

【お問い合わせ】

下記アドレスまでご連絡お願いします。
africa_seminar2016@yahoo.co.jp 


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最終講義

「小さな物語
/歴史と大きな物語/歴史が交差する場に立ち続けて
〜アフリカの小農と日本の私たちの『主権と解放』に関する歴史的考察〜


この度は、最終講義に関心を持って頂き、誠にありがとうございます。少し補足が必要だと思った点を、私(舩田)の方から書かせて頂いております。例のごとく少々長いのですが、よろしくお付き合い下さいませ。


1. 最終講義・ゼミ企画の背景

「最終講義(ゼミ)」をやりたいと思った理由はつあります。

* 一つ目は、病気の悪化により意図せずして突然大学を休職し、その後思い切って退職してしまったので、途中で学生を放り出すことになってしまいました。そのために、「最終ゼミ」を開催することで、少しでもこれを埋めることができればと思いました。

* 二つ目は、随分お世話になったのに、以上の理由から皆さまにまったくご挨拶もしないまま、ほとんど「消える」ように日本を後にせざるを得なかったので、近況をお伝えし、ご挨拶をする機会とさせて頂ければと思いました。

* 三つ目は、大した実績があるわけでもない上に、突然辞めて「最終講義」はないだろうと思うものの、当面日本の大学に関わることもないと思うので(恐らく)、これを人生のある種の「区切り」とし、これまでをふり返りつつ今の立ち位置を見つめ直し、皆さまのお力をお借りして、今後の10年を構想したいと思いました(できるかは別として)

* 四つ目は、以前から考えていたものの、あえてやらなかった型破りの講義を、私が最も避けてきた「双方向型でない非参加型一方的スタイル」でやってみたいという理由によります。うまくいくか分かりませんが、私にとっての旅立ちの一歩ともなる機会を頂いたので、実験的にやってみたいと思います。温かく見守って頂ければ幸いです。

* 五つ目は、研究・教育・活動の根っこにある「暮らし」について、学生たちに色々な場面で紹介してきたものの、震災後はそれが叶わなかったこともあり、わずかながらでも紹介することができればと思い、贅沢ながらキッチンのある会場を借りてもらいました。


2. 最終講義の内容

「最終講義」をやりたいと思った時、では「何を話すのか」という点について色々迷いが出てきました。通常の最終講義では、多くの先生が学問的な到達点についてお話になると思いますが、私の場合はそのような到達点があるわけでもなく、かつやってきたことがあまりに多種多様な上に学問分野も広すぎて、3時間頂いても、一つに絞って話すことは難しいということに気づきました。

 また、色々あった11年でしたので、2年ほど床に臥せっている間に、これまでの研究すべてに関して疑問に感じるようになってしまい、もはや今までしてきた研究をまとめる気持ちすらなくなってしまっている自分に気づきました。また、退職時が病気の小ピークだったこともあり、最終講義をやるなど考えることすらできない状態でした。今も本調子ではないのですが、少なくとも「やりたい」という気持ちが出てきたことに感謝しています。

 このように一旦捨てた(見放された?)はずの研究活動でしたが、少し元気になってきた途端、世界や日本の多様な背景の人たちからの依頼が急増してこれらを考えたり対応しているうちに、今の世界/日本の構造的・主体的問題がおぼろげながら見え、自分が取り組むべきことがまだあるように思えてきました。 

 ここ2ヶ月ほど、これまでの活動・研究を基盤として新たな何かを創造する手応えを感じるようになったのですが、まだ「感覚」にすぎないそれを皆さまにご披露するにはもう少し時間がかかるということにも気づきました。その上、それは必ずしも「研究」「教育」の枠にはめられないのです。

 これらのことを改めて考えた時、一旦は「最終講義なんて無理」との境地に至ったのですが、何も今更肩肘を張る必要もないと思い直し、そういう自分の状況を過去から現在、現在から未来に向かうプロセスとしてご紹介すればいいのではないかと考えるようになりました。その際には、「研究」「教育」あるいは「社会活動」「暮らし」という、20年ほど取り組んできたアクション間の垣根を取っ払って、一人の人間として今考えているところをもう少しクリエイティブに紹介するのが良いのではないかと思うようにもなりました。

 そんな私の我が侭を受け止めてくれる多くの元ゼミ生・院生といった「仲間」に支えられ、今回は学術的な講義だけでなく、音楽・画像・映像を使った「なにか」を準備しているところです。通常の最終講義でなされる言葉の上での「自分史」は、「私の履歴書」という主観的長文にまとめました。参加者の皆さまに事前(3月下旬頃)に送ってもらいますので、よろしくお願いいたします。

 この作成にあたって参考にしたのは、日本経済新聞の最終面に連載されている「私の履歴書」です。似て非なるものではありますが、今後に向けて自分のこれまでをふり返る作業としては、とても良い機会となりました。自分でも呆れるような右往左往ぶりの「履歴」でお恥ずかしい限りですが、当日の講義では極力「説明」を省くので(何故かは内緒)、参考になればと思います。


3. 懇親会での食べ物や飲み物

震災までは、菜園や採取による自給に近い暮らし(春〜秋)、幼少期からの関心事であったハーブや薬草を生活に取り入れてきました。「土」の魅力に取り憑かれた半生でもありました。しかし、原発事故の発生もあり、すべてを買う生活になり、加えて諸事情により病気が悪化したこともあり、一旦東京での生活を断念しました。

 せっかく自然環境のよい村にきても、思った以上にダメージが深く、何ヶ月も寝込む毎日でした。それでも、畑や森に出られる時は出て、やれる範囲のことをやれる時だけやっている間に、植物たちは他の生命とのバランスの中で自由気ままに育っていきました。自然とはまったく良くできたものだ…と感心している内にあっという間に年月が過ぎていきました。

 そんな調子で放置していたら、ラベンダーとローズゼラニウム、ディル、セージなどが大量に収穫できたので、ご希望の皆さまにお分けします。自家採取した種もご希望であればどうぞ。用途にあわせたハーブパック・お茶も可能な範囲で準備します。(いずれも結果は保証しませんが!)

 薪クッキングストーブを導入したこの1年間は、調理のすべてを庭と隣の森の枝と薪だけで賄った1年でもあり、「里森」と田畑とキッチンを繋げることの手応えを感じました。キッチンの真ん中に設置されたストーブには、いつも野草の煎じ茶とスープベースが煮たっていて、その温かな炎とともに、どうしても治らなかった病気を徐々に治していってくれました。課題ばかりが注目される日本の地形ですが、山林森に恵まれた日本ならではの暮らしには、未来への手がかりがあると思います。そのためには、「キッチン」が肝だと思っています。子どもでも大人でも、食べずに生き延びることはできません。このことについて、懇親会を通じてお伝えできればと思います。

 懇親会にご来場の皆さまには、庭で勝手に育った野草とハーブを使ったオリジナルレシピの料理を一品はご提供できればと考えています。味噌・ぬか漬けに留まらず、お酢まで手作りする程に発酵を愛しているので、一品は発酵を活用したものにしようと思います。これらはスローで素朴な料理になると思いますが、ゼミ生たちは別のものも用意してくれるでしょう。お楽しみ下さい。

 持参する薬草・ハーブは、講演の際の休憩時にお茶として飲んで頂けるように準備してもらいます。皆さまの当日の体調にあわせ、気分を盛り上げるお茶、不安を和らげるお茶、スッキリするお茶、女性のホルモンバランスに良いお茶などの中から選んで頂ければと思います。


4. 海のキャンドル・木工作品について

着任当初は4歳であんなに小さかった息子も15歳、180cmを超える大男に成長しました。彼が幼い頃に色々なことが発生し、いつも心配で仕方がありませんでした。それがもうすぐ16歳。ドイツでは、16歳でお酒が飲め、「大人」扱いです。ふり返ると「子育て」とは、「親育て」なのだと実感し続ける16年でもありました。まったく不甲斐ない親で、子どもに迷惑ばかりかけた上に、この苦しい2年間をそばで支え続けてもらいました。

 至らぬオヤでありセンセーでしたが、大学での11年とあわせ、子どもや学生の皆さんの人生の貴重な時間(とき)を共に過ごさせてもらった喜びを、今改めて噛み締めているところです。教育とは、すべからく「教えているつもりで自分が育てられる」ことなのだと確信しています。他方、果たして皆の「自分育ち」に何か役立つことができたのか甚だ疑問ですが、「互いに頼り合うこと(支え合う前提として)」の重要さは身を以て見せられたと思います。

 親が情けないと子は育つもので、お小遣いをあげなかったら、自分で稼ぐようになりました。豊かな自然に育まれ、ものづくりが大好きな少年に成長し、日々あらゆることにチャレンジしています。問題は、後片付けができない(!)上に、関心が次々に変化していき、まったく続かない点ですが、「私の履歴書」を改めて読み直して、自分がそうであったことに気づきました。現時点での彼の手仕事に触れていただければ。

(以下、作品の一例)

http://afriqclass.exblog.jp/21554826/ 

http://afriqclass.exblog.jp/21611855/


5. これからの一歩として

ところ変われども、今後は震災後に奪われてしまった(あるいは奪ってしまった)根っこのある暮らしを徐々に取り戻しながら、ライフワークとなる「戦争/暴力と平和、食と農、核とエネルギー、日本・モザンビーク・アフリカの課題」に主体的に関わり続ける一方、世界での運動・研究・教育・日常にクリエイティブに参加していきたいと思っています。(なお、例の10年プロジェクトは進行中です)


6. 最後に

東京外国語大学(外大)には11年間にわたり大変お世話になりました。多くの先生方には「たった11年」。でも私とっては言い表すことができないほど長いながい11年でした。そして、その11年の間に、素晴らしい若者たちと出会う機会に恵まれ、笑い喜び、憤り、嘆き悲しみながら、表現し難いほど豊かな時間を過ごすことができました。学生や同僚の皆さんには心配をかけるばかりの11年でしたが、いつも支えてくださったことに心から感謝いたします。

 今では仲間であり、同志であり、ファミリーとなった(元)学生たちとこれまで一緒に考えたこと、やってきたことをふり返りつつ、今後を皆さまと「妄想」したいと思います。閉塞感漂う日本と世界の昨今ですが、これから先の未来を若い人たちと共にどのように可能性を切り拓いていけるのか、ぜひ一緒に考えていただければ幸いです。

 新年度早々のお忙しい時期とは思いますが、しばし日常を離れて、共に不思議な時空を過ごして頂ければと思います。お世話になってきた皆さまも、お会いしたことのない皆さまも、ご参加お待ちしております。

 

2016228

舩田クラーセンさやか


追伸:

当日イベントのお申込みは次のサイト(https://ssl.form-mailer.jp/fms/fe25f1fa418312、ご質問は主催者の実行委員会(africa_seminar2016@yahoo.co.jp)までお願いします。




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# by africa_class | 2016-03-01 22:01 | 【大学】アフリカゼミ(3・4年)

4月9日(土)に「最終講義」を行います。

第一弾広報が届いたので共有します。

卒業生たちの提案力・行動力・結束力の凄さを思い知る今日この頃です。一応日時・場所・プログラムぐらいはお伝えしておいた方が良いだろうということで、共有しておきます。ゼミ生同士のネタ出しの結果がとても楽しかったです。あくまでもゼミは彼ら主体なんで、私はお手伝いに徹っします。「東京鬼ごっこ」というアイディアもあったようで、実際はこれが一番やりたいかもですが、次回企画で…。

「拡大ゼミ」では、悩める若者同士の素晴らしい出会いになるといいですね。社会と自分・他者との関わりについて考えるワークになるようですよ〜。(元ゼミ生らで案を練ってます)

私は講演の方を主担当。
そこは、音楽・映像・写真を使いつつ、世界史的展開の中におけるちっぽけな自己の奮闘を数々の過ちを含め、赤裸々に語ろうかと思っています。世界と日本にこういう「アホ」がいたと思ってもらえるだけでも、皆の日々とこれからの奮闘に何か寄与できることがあれば…。なので、学術=活動=日常=空想が螺旋状にぐるぐる渦巻く話になっていくこと間違いないので、学術トークを期待される方はまた別の機会に。

(第一弾広報)
===================================
元東京外国語大学 舩田クラーセンさやか先生 最終講義

1.主催
東京外国語大学アフリカゼミナール&院生(2004年〜2014年)有志一同

2.日時 
2016年4月9日(土)
・一般向け最終講義:15時30分〜18時30分
・懇親会(どなたでも参加可能):19時〜21時

3.場所 Goblin. 代官山
東京都渋谷区恵比寿西1-33-18 コート代官山 B1F
(代官山駅から徒歩3分、中目黒駅から徒歩5分、恵比寿駅から徒歩7分)
URL http://goblinspace.jp/goblin-daikanyama/

4. タイムテーブル
13:00 拡大ゼミナール
     (若者向けの内容となります ※自分が若者と思う方はご参加いただけます)
15:00 一般向け講演会受付開始
15:30 一般向け講演会開始
18:30 一般向け講演会終了
19:00~ 懇親会

5.参加費
講演会・拡大ゼミ参加費 :2000円(学生:1000円)
懇親会参加費 :4000円(学生:2000円)
講演会+懇親会:5500円(学生:3000円)
※差し入れ・お酒持ち込み歓迎

6.参加申し込み
下記フォームよりお申し込みください
(4月8日まで受け付けておりますがお早めにお申し込みください)
https://ssl.form-mailer.jp/fms/fe25f1fa418312

7.ご質問
下記アドレスまでご連絡お願いします
Mail: africa_seminar2016@yahoo.co.jp
========

(以下は更新なし)
2013年度の終わり、病気が悪化し、ゼミを途中で放り投さざるを得なくなってもうすぐ2年が経過しようとしています。病気休職したものの、ちっとも病状が良くならない苦しい1年間を経て、思い切って大学を辞めたのが2014年度の終わり。ゼミ第9期生、10期生、11期生には、本当に迷惑をかけ、最後まで論文指導のできなかった大学院生達には本当に申し訳ない思いで一杯でした。

でも、京大からお越しになった島田先生、坂井先生の素晴らしいご指導のもと、皆立派に成長し、巣立っていくこととなりました。一番しんどい時に、休むこと&辞めることを快く認めてくださった先生たち(これにはアフリカだけでなく、ポルトガル語教員の仲間達も含まれますが)、学生の皆さんに、心から感謝申し上げます。

そして、長い冬にもようやく春のような兆しが訪れ、日によってばらつきがあるものの、後一歩というところまできました。ふりかえってみると、とにかく全てが止まった・停滞の2年でしたが、家族と友人、仲間達に支えられ、なんとか苦境を乗り越えることができそうなところまできました。みんな、本当にありがとう。

2年前にも、1年前にも、とてもやろうと思わなかった「最終講義」。
でも、これから先、当面日本で教えることもないだろうと思った時に、やはりケジメをつけたいなあと思うようになりました。現在、2016年4月9日に開催の方向で、元ゼミ生たちが準備してくれています。

元ゼミ生たちが私のあれやこれやの我が侭に協力してくれているのですが、私の中では途中で立ち去らなくてはならなかったゼミ生たちと「最後のゼミ」を、先輩たちの助けを借りながらやりたいと思っています。そして、ゼミ生以外の若い人たちと語らい合う空間も、お願いしました。ただそれは、「私=>若者」ということではなく、「アフリカゼミファミリーpresents」という形でできないかな、とお願いしています。

ファミリーといえば、私が大学に着任した時4才だった息子は今年16才。すでに、185センチを超える、足のサイズ29センチの大男(おっさん)となりました。初期ゼミ生たちにはあまりに衝撃でしょう。小さな頃から息子と遊び戯れてくれていたゼミ生たちは、結婚も出産もとにかく早く、続々と「孫」が産まれています。先日も、三期生から産んだ翌日に喜びの声を届けてもらい、若い人と関わる仕事というのはなんと幸せな仕事だったのだろう、と実感しているところです。そして、今日は家族同然の四期生(が出たのは何期じゃ・・・)彼から、結婚のお報せが。

そんなファミリーにも同窓会として是非活用してほしいものです。
ただ、後半は一般向けの講演会を予定しています。

というのは、私あえて授業で一方的にしゃべるというスタイルを排除してきたもので、本当は伝えたいこと沢山あったのだけれど、まったく伝えないできたからです。このことは既に何度か書いたので、繰り返しませんが、「問い」を投げかけて、共に考える方式をとっていたので、「先生さぼってるー」感が否めませんでした。なんか、授業構成も内容もすでに押しつけである以上、中身の進行まで押し付けるのはなんか「アカン」という重しがありまして、1年に一度だけゼミ生対象に講義しただけで11年を終えてしまったのです。

なので、これまた我が侭なんですが、「一方的に話す機会」を勝手に設けてほしいとお願いして、一般公開部分は一方的に講義します!といっても、多分無理なんで、後ろの方はざっくばらんなオープンなやり取りができたら、あるいは懇親会を設けてもらえれば、とこれまた注文をつけてしまったところ。

まあ、学生時代から「企画もの」については、びしばし指導していたので、大丈夫だよね?
とこれまた勝手に押し付けてごめん。
でも、参加した皆が後悔しないような、なんか未だかつてない楽しいものにしたいと思っています。

詳細は、会場とりが難航しているらしいので、それが決まったらまた告知します。とりあえず、4月9日の午後から夕方は是非私たちと共にお過ごしくだされば嬉しいです。若者で関心がある人は、「拡大ゼミ」を午後の早い段階でやると思うので、楽しみに。(ゼミ生でなくとも、外大生でなくとも、もはや学生でなくても、「若者」と思えば大丈夫)。





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# by africa_class | 2016-01-27 22:20 | 【記録】講演・研究会・原稿

再び戦争に向かっていくモザンビークと日本の私たち

悲しすぎて、立ち上がれない。
UNCHR(国連難民高等弁務官事務所)は、ついにモザンビーク北部テテ州からの難民の流出を発表した。

2016年1月15日
「マラウイに到着するモザンビーク人の数が急増」
http://www.unhcr.org/5698dbff6.html

マラウィのムワンザ郡に、続々と難民が到着しその登録者数は1297人で2分3は女性と子どもたち。そして、900人が難民登録を待っており、さらにマラウイのより南方に400人近くの難民が到着しているという。そして、これはFRELIMO政府と最大野党RENAMOの間の紛争で生じているとされるが、このブリーフィングの記事に「未確認情報」としてではあるが、家を焼かれた難民らの証言として、政府軍関係者がレナモを匿っていると考えられた人びとを襲っていると書かれている。去年半ばより難民が到着し始めたが、ここにきて加速化した。


実際2015年半ばの時点で、2000人の難民申請者が確認されている。http://www.unhcr.org/pages/49e485806.html


政府軍関係者の襲撃については、Voice of Americaでも報じられている。去年の7月に始まった戦闘で700名以上がマラウイに逃げていたが、難民によるとミリシア(民兵)らによる大量殺戮から逃れているという。そして、新たに設置された難民キャンプに既に2500名が収容されているが、難民らはFRELIMO政府の兵士らがレナモ兵を匿っていると疑う親戚の家々を焼き討ちし親戚を殺していると話している。

2016年1月11日
「モザンビークの難民がマラウイに逃げている」

http://www.voanews.com/content/mozambique-refugees-flee-to-malawi/3139815.html

Refugees are entering daily at the newly established Kapise ll camp in Malawi's Mwanza district. It is home to more than 2,500 refugees. Refugees tell stories about people they believe are FRELIMO government fighters torching their houses and killing their relatives on suspicion of hosting RENAMO fighters. Flora Emberson is one of them.


かと思ったら、1月20日、RENAMO事務局長(国会議員)の暗殺未遂の一報が飛び込んできた。突然、武装集団に襲撃され、現在も重傷で護衛官は殺害されたという…。RENAMOのスポークスパーソンは、政府による「国家テロ」と批判。国家人権委員会は、これを強く抗議し、原因究明と武力紛争への影響を懸念する声明を出している。

http://www.dw.com/pt/secret%C3%A1rio-geral-da-renamo-manuel-bissopo-baleado-no-centro-de-mo%C3%A7ambique/a-18994319


1992年の和平合意から24年。

せっかく平和が訪れ、雨季の今は農民たちが種まきに忙しい時期。

1977年からの戦争で、160万人もの難民が近隣諸国に逃れ、マラウイは最も激しい戦闘が行われたモザンビーク北部に囲まれていたこともあり、小さな国ながら多くのモザンビーク人難民を受け入れた。私が、1994年に国連PKOの政治・選挙部門のスタッフとして赴任した時、丁度マラウィからニアサ州に難民が自力で帰還しているところに出会った。

UNHCRやIOMの手続きを待てば、帰還セット(鍬・バケツ・種・食料)がもらえるというのに、この家族(といっても30名ぐらい)は何ももらうこともせず、とにかく一刻も早く故郷に戻りたいと、移動を開始していたのだった。粥のような薄まったトウモロコシの粉を溶かしたものをすすりながら、「自分たちは農民だ。「難民」じゃない。故郷に戻ったらすぐに種を撒いて自分の手で作った新鮮な食べ物を食べるのだ」と語っていた。もう10年近くも逃げていた人びとの、心の底からの叫びのような声だった。

その後、UNHCRやIOMのトラックで奇麗な服を来てバケツを持って現れた人たちとて、同じことを語っていた。戦時中に延び放題になっていたボサボサの葦のような草を刈り、それを寝泊まりする小屋や貯蔵庫やトイレに仕立て上げ、あっという間に広大な畑にしていった人たち。戦争と暴力への償いや、正義や、報復や、そういうものを求める被害者が多い中で、モザンビークの人びとは「忘却する」という選択をした。

「あれは戦争だった」「戦争が悪いのだ」

そういうことで、コミュニティ内部の対立、経験した凄まじい暴力、餓えに苦しみ、失った命・手・足・・・そのようなものすべてを「忘れる」ことで乗り越えようとした人たち。日々の生活の再建への努力が、それを手伝った。

いい悪いではなく、彼ら・彼女らがそういう選択をしたこと、国としてもそうだったことを、モザンビークを知っている人なら腑に落ちてしまうかもしれない。かといって、本当に「忘れられたのか」といえば、決してそうではなかった。そのことは、十数年経っても決して人びとの心の中から去ることはなかった。

まだ戦後間もない時、マラウイ方面から大きな炎が上がったことを、地域の人びとが教えてくれた。

10年近くモザンビークの難民を受け入れてきた難民キャンプが焼却されたのだという。マラウィの論理からすると、「消毒」のようなニュアンスがあったようで、それはそれで失礼なことだという意見が出されもしたが、モザンビークの元難民たちにとって、それは退路が経たれたような、だからこそ前に向かって歩んでいかなければならない・・・というメッセージのような、仕切り直しの何かを意味したという。


それから24年目を向かえようとする今、20年以上の時を経てマラウィに出来たモザンビークからの難民のための難民キャンプを再開せざるを得ない状態がうまれたという。モザンビークで最も重要な人権・平和活動家であるアリス・マボタ弁護士も急遽ジュネーブに呼ばれ、現在国連で議論をしているところである。

そして、これらのことはどれぐらい日本の関係者、日本の人びとに知られているのだろう。

このブログでも、新聞記事でも、テレビ番組でも、このような事態になる危険性を何度口にしただろう。しかし、それは無駄だった。

モザンビークの貧富の格差は社会的不正義としてではなく、「開発・経済成長がススメば農民も豊かになるから不満も減る」というフレリモ政府側の主張に対し、地下資源と援助への賛同ほしさに、お墨付きを与え続け、前のめりにガンガン投資・援助を注入し続けている。あるいは、目をつぶっているというよりは、積極的にこのような「開発軍事独裁」の道を支援している節すらあるといっては言い過ぎだろうか?


勿論、レナモの襲撃やこのような挑発は許されるものではない。

しかし、モザンビーク政府がこの間やっていることは、平和と民主主義への確かな歩みを、逆行させることであるばかりか、モザンビークの人びとが10年の歳月をかけて勝ち取った独立を通して目指したことすら否定するようなことである。つまり、モザンビークの人びとの主権の回復と土地へのアクセスの保証である。

テテの地図を見ればわかる。

何百万人ものの小農が暮らすこの州面積の大半が石炭の鉱区として多種多様な企業にコンセッションが与えられている。小農は非自発的移転を余儀なくされ、補償はわずかばかり。立派な家が立てられた住民も、結局は耕せる農地が奪われ、鍬も入らないような石ころだらけの「代替農地」を前に、飢える一方である。

ナカラ回廊沿い地域では、2009年に日本・ブラジル・モザンビークの3カ国が構想し奨励した通り、国際アグリビジネスがリ大挙詰めかけ、食用だけでなく飼料・油のための安価な大豆の大量生産のために、広大な土地を次々に奪っている。植林プランテーションのために政府から何十万ヘクタールの使用を許可されていた企業などは、その一部を大豆生産に切り替えている。すでにナカラ回廊沿い地域の何千農民家族が土地を追われ、餓えに直面しているが、これが「ナカラ回廊開発」の行き着く先であった。

「プロサバンナ」に関しては、モザンビーク農民連合の頑張りも有り、3カ国市民社会や国際社会の関与もあって、公式には「小農支援」に転じたことになっているが、あの2009年の構想、2012年10月まで推進されてきた「肥沃な土地・豊富な水・安価な労働力があり、未だ化学肥料の多用や連作による障害・農薬汚染による害虫の耐性が出て来ていない、ナカラ回廊地域に海外投資を入れ、ブラジル・セラードの経験を大いに活用して、大豆・穀物の一大産地にして、日本の支援で改善されるナカラ回廊&港に新たに設置する穀物ターミナルを使って、世界中の市場に供給する」というプログラムは、モザンビーク政府や投資家らにしっかりと継承され、まさにその通りになっている。

有り余っていたはずの未開墾地…がないことは、ようやくJICAも認めたが、今度は小農らが土地不足と森林伐採の主犯だと名指しするマスタープランで、とにかく緑の革命が不可欠でそのためには民間企業とのWIN-WINが必須とされ、民間企業の進出と契約栽培が日本の援助でやはり支援されなければならないという論理が展開される。

しかし、既に民間企業もまた、国際社会における土地収奪への厳しい視線を意識して、「小農との契約栽培」や「外部資材の支援」という名目で、アフリカ中の内陸部の肥沃な土地の地域に入り込んでおり、まずはドナー諸国や国際機関の資金援助を得て活動しつつ、いつの間にか「企業活動の安定のため」と称して大規模な農地の摂取を開始するというパターンが顕在化している。「安くで作って高くで売る」が基本の穀物企業であれば、当然すぎるほど当然な動きであるが、これを前のめりで「小農支援」と称して支援する日本の援助は、確信犯でないのであれば、ナイーブなのか脇が甘いとしかいいようがない。

そして今、権力者として甘い汁を吸うようになった者たちのGREEDのために、国民の圧倒的多数であり、FRELIMOの存在理由であり権力基盤であったはずの小農の犠牲が生まれている。ついに、ナンプーラ州知事は、農民がプロサバンナによる土地収奪に怯えているが心配無用。なぜなら、同州には80万ヘクタールもの未開墾地があるのだ・・・と宣言するに至った。
日本の援助の現実を踏まえずにイケイケドンドンの時代の空気とともに、進められ宣伝しまくられたアイディアは、こうして当事者である日本の援助者らが手を引いた後も、「止まらぬ歯車」として前に前に進められ、2012年10月にUNACが声明で懸念した通りの、「土地収奪・土地なしコミュニティの出現・農薬と化学肥料の汚染」として何より「土地と環境の守護者である農民の主権の剥奪と対話からの排除」が行われる結果となっている。

問題が発生するまでは、「日本の手柄」として繰り返し、広く喧伝されてきたこの援助も、今となっては「受益国政府のオーナーシップ」の影に隠れて、「日本はあくまでも側面支援」を強調する。故に、その責任は、現在も日本の援助関係者は認めておらず、誰がどう果たすのかも明らかではない。どうせ被援助国の「一義的責任」なのだ。


日本が世界に誇るトヨタ生産方式。

私はトヨタの回し者というわけではないし、トヨタという企業のすべてに賛同しているわけではない。しかし、その「生産方式」で言われていることには、沢山のヒントがあると思うのだ。

いつぞやか書いたが、その肝はカンバンではない。

(なぜカンバン方式ばかりが世間に知られ、賞賛されたのか全く意味が分からない。「見える化」のお陰だろうか)

原資現物現場でもない。

むりむらむだでもない。

いや、それらのどれもが重要だが、「改善は永遠なり」なのだと思う。

つまり、到達点がないのだ。

不良品の割合をどこ迄減らすかという「リスクマネージメント」の概念に対して、トヨタは「ゼロを目指す」といって憚らない。その心は、「改善は永遠であり、継続は力」だからだ。終わりなき努力に対して、「0.5ぐらいは仕方ないんじゃないか」という設定自体が間違いなのだ。

つまり理想を大いに皆で掲げ、そこに限りなく近づくことを共通の目標とする。駄目だったら、駄目な理由を考えることが重要。でも、最初から「0.5でいい」と設定すると、駄目だった理由も基準が「0.5から」になりかねない。「0」の理想にひっぱってもらうことが、時に重要なのだ。

勿論、それはしんどい。

労働者にそれを求めるのも、酷ではある。そこに問題が生じる。

しかし、同時にここには「ある組織の学習」のヒントも含まれていると思う。

特に、問題が発生した時、「自分で判断しない」という標語の含蓄は深く広い。また、根本原因を解明するための別チームが駆けつけてくるというのも、示唆するところが大いにある。

なぜなら。

失敗を侵した人には、本当の意味でルートコーズを見極めることができないからだ。自分で判断してしまう。その際には、当然ながら「失敗を認めたくない」という心理が働く。自分は客観だといくら言い張っても、本当の意味でトータル&根本原因をみることはできない。だから、第三者のチームが駆けつける必要がある。

日本の援助機関だけではない。あらゆる組織で、「失敗が認められない」「失敗の当事者が依然として仕切り続けている」場面はないだろうか?政治だってそうだ。原発だってそうだ。そして、良く振り返ってみれば、これはまさに戦前にっぽんと同じなのだった。

戦後70年経ったというのに、戦前に回帰している日本の我々。

モザンビークが戦後24年で、戦争時に戻ろうとしているからといって驚いてはいけないのかもしれない一方で、日本の今は自分でまいた種である一方、モザンビークの現状は我々にも大いに責任がある以上、やはり見過ごしてはならないのだと思う。


だから、「改善は永遠なり」…その一言を、組織のトップたちが、静かに一人、自問自答の思いを込めて呟くだけでもいい。大きく深呼吸をして。そして目の前に拓けてくる景色は、どんなものだろうか?

少なくとも、今の自らの姿ではないのではないだろうか。


かくいう私も、それが不可欠である。

そんなこんなの土曜日の夜。


後日談…

尊敬する人から記事を教えてもらった。

「英国の政治家にとって、アフリカへの援助は我々の理想主義と寛容の賞賛されるべきエンブレムとなった。しかし、もし我々の資金が、本当は助けるべき人たちに害を与えているとしたらどうさろう?」

"The refugee who took on the British government:

For British politicians, foreign aid to Africa has become a cherished emblem of our idealism and generosity. But what happens when our funds harm those they are meant to help?"

http://www.theguardian.com/world/2016/jan/12/ethiopian-refugee-who-took-on-the-british-government

美しい物語のような出だし。流れるような英文が、人びとの物語を紡いでいく。しかし、その紡いでいく物語は、あまりに悲劇の度合いを深めて行く。どこまで悲劇は続くんだ。苦しい。息が詰まるような、理不尽で、許し難い物語。上からの開発計画が、どのようにして人びとの日常を奪っていき、命を奪っていったのか。長老やお父さんたちはどのように、先祖代々の土地と暮らしを守ろうとしたのか。そして、どのように破れ死んでいったのか。残された人たちは、どんな思いで何千キロを歩いて難民キャンプまで辿り着いていったのか。


20年前の話ではないのだ。

我々の「今」の話。


今となっては難民キャンプに「難民」として集うエチオピア南部の人びとの、まだ5年も経過していない物語。なのに、どれほどのものを彼ら・彼女らは、失ってしまったのだろう。故郷で、何十年、何百年と受け継いできた、多くの知恵、命、暮らし・・・それらをもう取り戻すことはできない。戦争による暴力ではない。災害による喪失でもない。「援助者」らに支えられたある開発独裁国家の開発計画によって故郷を追われた人びとの喪失。


そして、これを調査した米国と英国の援助機関(USAID、DFID)は、その調査レポートを隠蔽し続けた。英国議会の介入にもかかわらず。そして、ある日こっそりとDFIDの図書館頁に掲載されたかと思ったら、また消されていた。。。


この記事を教えてくれた人が、私のこの投稿を読んでいたのかどうかは分からない。でも、あまりにも符号する数々のことに、読み進めるのが苦しくなるほどだった。そして、記事の途中のまとめの一言が胸に突き刺さる。


Too big to fail....

失敗するには大きすぎる。


人の、コミュニティの、過去と今と未来における命・暮らしを壊してもなお、援助機関にとってはそれは「失敗」ではないのだ。本当の「失敗」とは、彼らがそれを組織として認めてしまった時に初めて発生する。だから、「失敗」を「失敗」として認めない限り、組織としては失敗ではないのだ。だから、証拠は隠さなければならない。。。その一方で、「成功」は大々的に宣伝されなければならない。


記事を読んで思ったこと。

勿論、利権や様々な連動する問題や関係があるのだろう。

だから、失敗を認められない。

認めたら、大変なことになる…。


しかし、私は思う。

本当は違う、と。

大きすぎるから失敗が認められないのではない。


はっきりしている。

Too small to fail.
(Too small to accept own failure.)
むしろ、ちっちゃすぎるんだ。

人も
組織も

そのことに、気づけるかどうかなのだ。




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# by africa_class | 2016-01-24 06:43 | 【情報提供】モザンビーク

【案内】グローバル化における社会正義と研究者/グローバルな農地収奪と規制レジーム

グローバル・レジューム転換の第一線で大活躍のジュン・ボラス先生が、2月21日開催の京都国際シンポジウム(二つ目の案内をご覧下さい)のために、日本にいらっしゃいます。この機会に、以下のようなイベントが東京大学でも開催されます。こんな貴重な機会は滅多に(二度と?)ないかもしれないので、いずれのイベントもぜひお見逃しなく!

私も、先生に同行して帰国します。


(転載・転送歓迎)
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【サトゥルニーノ・ジュン・ボラスISS[社会科学国際研究所]教授講演会】
グローバル化における社会正義と研究者-南と南、南と北、運動と研究を繋ぎ続けて-

http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-entry-185.html
*************************************************************

【日時】2016年2月20日(土)13時〜15時
【場所】東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム1
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_17_j.html
【使用言語】英語
【参加人数】60名
【参加方法】2月18日(木)正午迄に、下記のサイトでお申込み下さい。
https://ssl.form-mailer.jp/fms/b05ea46d411961
お名前、 ご所属、ご連絡先(メールアドレス)、ご要望等をご記入下さい。
【参 加 費】500円(資料代 *学生無料)
【主催】
・「有機農業とコミュニティの進化」(科研代表:中西徹、科学研究費補助金・基盤研究(B))
・ 「グロー バル土地収奪下における持続可能な地域発展のためのアフリカ小農主体の国際共同調査研究」プロジェクト(代表者:大林稔、助成:トヨタ財団研 究助成プログラム)
【共 催】
モザンビーク開発を考える市民の会、国際開発学会社会連携委員会
【式次第】
(1) 趣旨説明  受田宏之(東京大学教授)
(2) 講演 サトゥルニーノ・ジュン・ボラス(ISS教授)
“Land politics, agrarian movements, and scholar-activist work, then and now: limits, possibilities & challenges”
「土地政治、農民運動、学者=活動家と してのこれまでの活動:限界と可能性、 そして挑 戦」
(3) ディスカッサント 
清水奈名子(宇都宮大学准教授 / 日本平和学会理事/ 福島原発震災に関する研究フォーラム・メンバー)
舩田ク ラーセンさやか(明治学院大学国際平和研究所研究員/ 元東京外国語大学准教授)
(4) オープンディスカッション
(5) 閉会挨拶  佐藤寛(国際開発学会前会長)

【研究会趣旨】
今回来日されるサトゥルニーノ・ジュン・ボラス(Borras)教授は、食と農をめぐる議論・運動の世界的第一人者であり、「フードレジーム論」「食料主権」「土地収奪(ラ ンドグラブ)を含む土地問題」「小農運動の抵抗」といった国際理論の最前線で、多様な役割を果たしてきました。アジア・アフリカでの実証調査をもとにその成果を理論化しつつ社会に還元する一方、世界大で 運動と研究、教育、実務を繋ぐ数々のシンポジウム・集会や出版活動を企画するなど、その検証力、構想力、フットワークとネットワークには目を見張るものがあります。

ボラス教授は、自他ともに認める「Scholar=Activist(学 者= 活動家)」であり、「Activist-Scholarship(活動家—学者 的営み)」という言葉を掲げ、世界の貧困者・小農の側に立場を置いて活動を繋いでこられました。現在オランダ・ハーグの社会科学国際研究所(ISS)で 農 地・農民研究を教える一方、数多くの国際学術ジャーナルや出版企画に携わっています。この原点は、1980年代から関わり続けるフィリピンや世界の農村での社会運動への深い関与 があ り、1900年代には国際小農運動であるビア・カンペシーナ(La Via Campesina)の設立に尽力しています。

今回、ボラス教授をお迎えして講演会とラウンドテーブル(円卓会議)を開催する理由は、原発事故後の日本においてこそ、先生 の提唱する「活動家—学者的営み/学者=活動家」という生き方について知り、学ぶ機会があればと考えたためでした。

2011年3月11日の東日本大震災とそれに引き続いて起きた原発事故は、日本に暮らす多 くの人びとにこれまでの「常識」を問い直す契機となりました。

「客 観性」「中立」「第三者」といったポジショニングを重視する日本学術界に対し、あえて「活動家としての主観的自分」にポジションを置 きながら、「実証性」「厳密さ」「公正さ」「批判性」「主権/当事 者 性」をもとに研究・教育・社会活動を行うボラス教授から、原発事故後の日本の研究者が学べる点は多いと考えます。また、日本の市民や運動 の担い手も、先生の越境的活動を通じて、どのように研究者や世界との結びつきを創造し、共によりよい未来を紡いでいけるのか、ヒントが得られることと思います。

鋭い批判的精神を持ちながら、常に笑顔と優しさ、ウィットを絶やさない先生のお人柄に、一人でも多くの方に触れて頂く機会となれば幸いです。

主催者一同

* なお、ボラス教授は、翌2月21日に 「京 都国際シンポジウム:グ ローバルな農地収奪と規制レジーム~日本と極東の視点から~」にて、「土地収奪」 に関する研究発表を行われます。是非、あわせてご参加下さい。詳細→http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-entry-186.html

【略歴】Saturnino Jun Borras(サトゥルニーノ・ジュン・ボラス)教授
フィ リピ ン出身。オランダ・ハーグの社会科学国際研究所(International Institute of Social Studies:ISS、エラスムス大学ロッテルダム校)教 授。中国農業大学(北京)兼任教授。Journal of Peasant Studiesの創刊者であり編集長としても活躍。

国際的な土地問題政策に関するネットワークLand Deal Politics Initiatives (LDPI)の共 同 コーディネイターを務めるとともに、次の国際学術ジャーナルや出版企画の編集に携わる。Journal of Peasants Studies、Canadian Journal of Development Studies、Journal of Agrarian Change、Alternatives Sud、Routledge-ISS Book Series on Rural Livelihoods、Routledge Critical Agrarian Studies Book Serie、ICAS (Fernwoood) Book Series: Agrarian Change and Peasant Studies。

ジャー ナル論文:
・Borras, S.M., Franco, J.C., Isakson, R., Levidow, L. & Vervest, P. (2015). The rise of flex crops and commodities: implications for research. Journal of Peasant Studies.
・Edelman, M., Baviskar, A., Borras, S.M., Kandiyoti, D., Holt-Gimenez, E., Weis, T. & Wolford, W. (2015). Introduction: critical perspectives on food sovereignty. Journal of Peasant Studies, 41 (3).
・Borras, S.M., Franco, J.C. & Monsalve, S. (2015). Land and food sovereignty. Third World Quarterly, 36 (4).
本:
・Edelman, M. & Borras, S.M. (2015). Political Dynamics of Transnational Agrarian Movements (book for release in late 2015). Halifax: Fernwood.
・Borras, S.M. (2008). Competing Views and Strategies on Agrarian Reform ¿ volume 1: International Perspective. Honolulu, Manila: University of Hawaii Press, Ateneo de Manila University Press. Winner, National Book Award (Social Sciences), Philippines, 2009.
・Borras, S.M. (2007). Pro-Poor Land Reform: A Critique. Ottawa, Canada: University of Ottawa Press.



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# by africa_class | 2016-01-16 07:16 | 【記録】講演・研究会・原稿

今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(3):「第5次琉球処分」としての辺野古新基地建設

さて、やっと本題に入ります。
この記事から読む人は、以下もあわせてどうぞ。

■今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(1):
沖縄/琉球、薩摩と私

http://afriqclass.exblog.jp/21839406/

■今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(2):
「Positive Peace(積極的平和)」と「ProActive Peace(積極的平和主義)」の違い、そして沖縄の今の世界史的意義」

http://afriqclass.exblog.jp/21871804/

さて、私が(1)で、現政権による辺野古への新基地建設の強行を「第二次琉球処分」だと書いたところでしたが、「実は「第五次琉球処分」です」というご指摘を読者から頂き、以下の記事を紹介頂きました。月刊誌『まなぶ』と執筆者の新垣毅さんの許可を頂いたので、転載いたします。ご理解ありがとうございます。

どうぞ皆さん、ご一読いただき、どんどん拡散下さい。
その際は、クレジット(新垣毅「沖縄の自己決定権を考える」『まなぶ』2015年10月号より転載)をお忘れなく。

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新垣毅「沖縄の自己決定権を考える」

『まなぶ』2015年10月号より転載


黒船は琉球にも来た

 1854年、米国の遣日全権大使マシュー・ペリーは「黒船」を従えて来日し、江戸幕府と条約を結びます。日本として初めて結ぶ国際条約・日米和親条約です。このペリー来航は、日本が近代国家の道を歩むきっかけとなった大事件としてよく語られています。一方、あまり知られていないのですが、実はペリーは、その4カ月後、琉球国とも修好条約を結びました。琉球国を国際法上独立した主権国家として認識していたのです。

 その後、琉球はフランスとオランダとも、修好条約を結びます。これら3条約こそが、後述するように、1879年の「琉球処分」といわれる、日本の琉球国併合の歴史的意味を左右する重要な要素となるのです。

 今から136年前の1879年3月27日、首里城(現在の那覇市首里)。明治政府の命を受けた松田道之処分官は、琉球国の官員たちを前に「廃藩置県」の通達を読み上げました。随行官9人、内務省官員人、武装警官160人余、熊本鎮台兵約400人を伴っての厳命でした。兵士らは首里城を占拠して取り囲み、城門を閉鎖しました。このとき琉球王国は約500年の歴史に幕を下ろします。これが「琉球処分」といわれる出来事です。

 明治政府はその7年前、天皇の下へ琉球の使者を呼び、琉球藩王の任命を抜き打ちで一方的に実施しました。天皇と琉球の王が「君臣関係」を築いたことにして、天皇の名の下で琉球国の併合手続きを着々と進めました。その後、琉球からさまざまな権利を奪い取る「命令」に琉球が従わないとして、最後は軍隊で威嚇しながら一方的に「処分」したのでした。

 琉球国の国家としての意志を無視して一方的に併合し、国を滅ぼした明治政府のやり方、すなわち「琉球処分」は後々、現在まで、時代の重要な歴史的節目節目で、沖縄に対する日本政府の態度を批判する言葉として生き続けます。

 1952年、サンフランシスコ講和条約の発効により、第2次世界大戦の敗戦国日本は米国の占領状態から脱し、「独立」を果たします。しかしそれと同時に沖縄は日本と切り離され、米ソ対立を中心とする冷戦の前線基地にされます。米軍は沖縄で日本軍が造った基地を再利用しただけでなく、民間住民の土地を銃剣とブルドーザーを使って接収していきました。沖縄島は「浮沈空母」といわれるような米軍基地の要塞となっていきました。沖縄がこのような軍事植民地といわれる状態になったのは、1947年に天皇から米側に伝えられた、いわゆる「天皇メッセージ」がきっかけといわれています。内容はこうです。

 「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう希望する。これは米国に役立ち、また日本を防衛することになる。…米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借―25年ないし50年、あるいはそれ以上―の擬制(フィクション)に基づくべきだと考える」

 それは、日本に主権を残しつつ、ソ連など共産主義圏の脅威に対抗し、沖縄の「軍事基地権」を米国に長期にわたり提供するという内容でした。これは沖縄を軍事基地化したい米側にとって格好の提案となりました。しかし、沖縄にとっては、日本の独立と引き替えに、米軍へ「租借地」として引き渡される屈辱的出来事となりました。後に、沖縄の人々はそれを「第2の琉球処分」と呼ぶようになりました。

 その後も「琉球処分」は続きます。「第3」といわれる出来事は、1972年の「沖縄返還」(日本復帰)です。米軍の統治下に置かれた沖縄では、米兵に女性がレイプされたり、米軍機が小学校に墜落して児童ら18人が死亡したりするなど、人権侵害や米軍機事故が相次いでいました。こうした状況を変えたいと沸き起こったのが、日本への復帰運動です。米軍による権利侵害を前に、さまざまな権利を保障する「日本国憲法への復帰」を志向するようになります。

 ベトナム戦争が激しくなった1960年代後半になると、世界的な反戦運動と連帯し、「反戦復帰」という様相を帯びていきました。ベトナムと沖縄を行き交う米兵の犯罪が凶悪化・多発化しただけでなく、爆撃機をベトナムに送る沖縄は、ベトナムの人々から「悪魔の島」と呼ばれたのです。沖縄戦の経験を持つ沖縄の人々にとって、戦争の加担者となるのはとてもつらいことでした。

 ベトナム戦争を背景に、復帰運動は70年ごろには「基地のない平和な島」を目指し、在沖米軍基地の「全基地撤去」をスローガンに掲げるようになります。

 ところが、日米首脳で合意した沖縄返還協定の内容は、ほとんどの米軍基地がそのまま沖縄に残り、なおかつ米軍が自由使用(やりたい放題)できるものでした。これに、沖縄の知事をはじめ、多くの人々が反発しました。「基地のない平和な島」という願いを無視して軍事植民地を継続させた日本政府の態度は「第3の琉球処分だ」という声が、復帰運動のリーダーたちから上がりました。

■第4の「琉球処分」

 そして今、「第4の琉球処分」と呼べる出来事が進行しつつあります。

 名護市辺野古での新基地建設や米海兵隊のMV22オスプレイ配備をめぐって、沖縄県民は大規模の集会や主要選挙で反対の民意を示し、日本の民主主義制度のあらゆる手段を使って訴えてきました。しかしその民意が政府の政策に反映されるどころか、一顧だにされない状況があります。

 最近、沖縄の主張は強く、強固なものになっています。転換点となった出来事の一つは2013年1月28日の政府への「建白書」提出です。建白書は、米軍普天間飛行場の県内移設断念とオスプレイの配備撤回を求めたもので、沖縄県内市町村全ての首長、議会議長、県議会議長らが署名し、首相官邸で安倍晋三首相に手渡しました。「沖縄の総意」を示した歴史的行動でしたが、政府側は“無視”しました。

 その年の12月、米軍普天間飛行場の「県外移設」を公約に掲げていた当時の仲井真弘多知事が、公約を破り、新基地建設に向けた辺野古沖の埋め立てを承認しました。県民は強く反発します。翌年11月の沖縄県知事選では、「県外移設」を公約する翁長雄志氏が約10万票の大差を付けて仲井真氏を破ります。直後の12月の衆院選では沖縄全4選挙区で、翁長氏を支え「県外移設」を公約する候補者が当選しました。「沖縄の民意」は明確に出たのです。しかし、その直後から日本政府は辺野古での新基地建設作業を強行しました。

 こうした状況を見ますと、沖縄は日本の民主主義制度を享受できない地域なのかと疑いたくなります。このような形の訴えを打ち砕かれたら、沖縄の人々はいったいどうすれば自分たちの未来を担保できるのかという思いが広がっているのです。

 最近の安保関連法案を見ますと、憲法9条の理念がなし崩しにされています。米国の統治下で沖縄の人々が目指した「平和憲法への復帰」という願いも、実現どころか、遠のいているという見方さえできるでしょう。日本が「戦争のできる国」になれば、戦争や紛争で真っ先に標的にされるのは、基地が集中する沖縄です。「基地が有る所が最も危険」「軍隊は住民を守るどころか殺しさえする」―。これらが沖縄の人々が学んだ沖縄戦の教訓です。

 万人余が犠牲になった沖縄戦や、戦後も長期にわたり基地被害を経験してきた沖縄の人々が、子や孫に〝負の遺産〟を残したくないという強い思いから、今、湧き起こっている新たな動きが、沖縄の自己決定権行使を志向する行動です。それは、もはや憲法だけではなく、国際法に訴える形で登場してきています。

■自己決定権とは

 自己決定権は、国際法である国際人権規約(自由権規約、社会権規約)の各第1部第1条では、集団的決定権として「人民の自己決定権」を保障する規定があります。日本語では一般に「民族自決権」と訳されていますが、沖縄では沖縄戦における住民の「集団自決」(強制集団死)を連想する「自決」という言葉が含まれているため「自己決定権」という言い方が一般的です。

 自己決定権は、自らの運命に関わる中央政府の意思決定過程に参加できる権利です。それが著しく損なわれた場合、独立が主張できる権利でもあります。

 国際法学者の阿部浩己神奈川大学教授によると、この自己決定権は今や国際法の基本原則の一つとなっており、いかなる逸脱も許さない「強行規範」と捉える見解も有力だそうです。

 沖縄がいま、直面している大きな問題は名護市辺野古への新基地建設問題です。外交や防衛に関しては、国の「専権事項」とされていますが、それらの意思決定過程に、沖縄住民の民意を反映させようというのが自己決定権の行使です。

 沖縄住民の運命に深く関わる問題が政府の「専管事項」とされているので、全国で叫ばれている地方分権論の枠組みでは限界があります。突発的な衝突を含めて、尖閣諸島で紛争が起きれば、観光産業など経済も含めて真っ先に巻き込まれ、なおかつ影響が大きいのが沖縄です。中国脅威論が扇動されればされるほど、当事者として沖縄の人々の危機感は高まるのです。

 では、沖縄の人々は、国際法でいう「集団の自己決定権」を行使する主体となり得るのでしょうか。国際法で規定する「人民」は、一義的な定義はないようですが、沖縄の場合、客観的条件や自己認識で当てはまる要素がたくさんあります。ウチナーンチュ(沖縄人)というアイデンティティー(自己認識)が強く、米軍基地集中という差別的状況、琉球王国という歴史的経験、固有性の強い伝統芸能や慣習、しまくとぅば(琉球諸語)という言語的一体性、琉球諸島という領域的結びつきもあります。

 

■「琉球処分」の意味

 そこで私が最も強調したいのが、沖縄の人々が持つ「琉球処分」という集団の歴史的経験と、その意味です。先の話に戻りましょう。琉球国が外国と結んだ修好条約が重要となります。

 複数の国際法学者によりますと、3条約を根拠に、琉球国が国際法上の主体であったことが確認できます。すると、「琉球処分」という出来事は、国際法であるウィーン条約法条約第条「国の代表者への脅迫や強制行為の結果、結ばれた条約は無効」とする規定に抵触するので、琉球併合の無効を訴えることができるというのです。加えて日米両政府に対し、謝罪、米軍基地問題の責任追及などだけでなく、主権回復を訴える戦略が描けるとも指摘しています。

 ウィーン条約法条約とは、条約に関する慣習国際法を法典化した条約のことで、1969年に国連で採択され、80年に発効されました。日本は81年に加入しています。琉球併合当時、すでにこの条項についての国際慣習法は成立しており、それを明文化した条約法条約を根拠に、事実上、さかのぼって併合の責任を問うことが可能だというのです。「廃藩置県」の通達が、ここでいう条約と見なせるそうです。

 私がこの3条約と琉球併合の関係に焦点を当てたのは、それらの歴史は決して単なる過去ではなく、現在の沖縄の状況を国際法の中に位置付けることが可能となり、さらに国際法を生かして主権回復や自己決定権行使を主張する議論の地平が開かれるからです。

 私は昨年5月から今年2月まで「自己決定権」をキーワードにした連載「道標求めて―琉米条約160年 主権を問う」を琉球新報の紙面で書きました。開始直後から反響が大きく、読者の励ましの声にも支えられ、百回を数える長期連載となりました。連載は6月に書籍『沖縄の自己決定権―その歴史的根拠と近未来の展望』にまとめ、高文研から出版されています。三つの条約や「琉球処分」の歴史、自己決定権を主張する沖縄の展望について詳しくまとめてありますので、興味のある方は、ぜひ読んでいただきたいです。

 連載の狙いは主に二つありました。一つは、足元の歴史を掘り起こすこと。二つ目は海外の事例から学べる素材を集め、国際社会との連携を模索することでした。歴史を掘り起こすことが時間軸で考える縦糸とすれば、国際社会への取材は思考空間を広げる横糸の関係です。

 海外の取材でも得るものが多かったです。スイスの国連人種差別撤廃委員会やスコットランドの独立住民投票、米国ら独立して20年の節目を迎えたパラオ、そしてEU(ヨーロッパ共同体)の本部があるベルギーを取材しました。

 国連は2008年に「琉球/沖縄人」を「先住民」と認め、2010年には米軍基地の集中は「現代的人種差別」だとして、日本政府に改善を求めています。

 EU(欧州連合)の要・ベルギーの取材では、沖縄が東アジアの「平和・交流の要」になる可能性を念頭に置いて取材しました。国境を超えた地域共同体の本部は小国に置いた方が、大国の利害調整に優位だといいます。日本国内で実現に向けて叫ばれてきた「東アジア共同体」がもしできるのなら、その本部は沖縄にこそふさわしいという確信を得ました。

 人口約2万人しかいない島国・パラオがどうやって大国アメリカから独立を勝ち取ったのか。スコットランドの独立運動とも通ずるのが、市民による粘り強い草の根運動です。何度も挫折しつつも、アイデンティティーの基盤を再構築し、国際世論に訴える運動を継続していました。今の沖縄の課題にも通じます。

 取材を通して率直に感じたのは「沖縄は自立する可能性だけでなく、独立する資格さえ十分持っている。問題はそのビジョンを、現状打開や県民の幸せのためにどう生かしていくかが課題だ」ということでしだ。

■沖縄が目指す将来像

 沖縄の人々にとって、今、大きな課題になっているのは、名護市辺野古の新基地問題だけでなく、沖縄の将来を描く大きなビジョンです。

 沖縄はいま、東アジアにおける「軍事の要」の役割を担わされていますが、そうではなく、琉球王国時代にアジア太平洋地域に展開した交流・交易の歴史的経験を生かし、人や文化、観光・物流などの文化・経済交流を促進してアジア諸国の架け橋となる「平和の要石」こそ、その姿といえます。沖縄の自己決定権追求は、長期的に見れば、決して日本本土への恨みつらみでも、日本との分離を目指す〝離婚〟でもないと思います。むしろ、日本の平和にも貢献する姿こそが重要です。平和の要の役割を担うため、その重要なパフォーマー=主体となるために自己決定権は重要な権利なのです。

 日本はいま、歴史教科書や「従軍慰安婦」問題などの歴史認識問題、尖閣や竹島など領土紛争の火種を抱えています。これらの問題の解決に向け、沖縄は対話の場になれると思います。対話が実現できれば、沖縄だけでなく、日中・日韓をはじめ東アジア全体の平和構築にとって有益です。

 人、モノ、情報のグローバル化の進展に伴い、経済・政治などの分野でEUやASEANのような国境を超えた地域統合が進むなど国家の壁は低くなりつつあります。いたずらに中国の脅威をあおり、ナショナリズム高め、国家間の壁を高めるのは、世界のすう勢に逆行する行為だと思います。摩擦が激化すれば、真っ先に危険なのは沖縄です。

 人やモノ、経済の交流が進めばそれ自体が安全保障になるとの考えもあります。世界は冷戦の東西対立の時代から協調の時代に入り、大局から見れば、東アジアもその世界的潮流の中で信頼関係の構築が求められているのです。

 沖縄には今、アジアからの観光客が街にあふれています。県の総生産に占める基地関連収入の割合は、1950年代には50%を超えていましたが、今は基地に絡む振興費を加えても、わずか5%です。北谷町美浜や那覇新都心地域では米軍跡地利用が成功し、雇用や経済効果は基地だったときと比べて飛躍的に伸びました。基地は沖縄の経済にとってむしろ「阻害要因」との認識が県民の間で広まっています。

 国境が低くなるにつれ、「交流拠点」に向けたチャンスが大きくなっています。米軍基地の跡利用で国際機関を誘致するなど国際情勢を踏まえ、沖縄がどのような東アジアのビジョンと自分らの将来像を提起できるか―。その青写真とともに求められているのが、まさに沖縄の自己決定権の行使なのです。




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# by africa_class | 2015-11-26 23:13 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(2):「Positive Peace(積極的平和)」と「ProActive Peace(積極的平和主義)」の違い、そして沖縄の今の世界史的意義

沖縄・辺野古で事態が緊迫しています。
この連載も、もう一歩前に進めないといけません。

元々、辺野古への新基地建設(移転というべきでない)の問題、そしてそれへの沖縄の人びとの抵抗と政府の弾圧については、「私・私達自身の問題」としてずっとフォローしていて、このブログでも何度か取り上げてきました。

■長い夜にブレない生き方について考える〜ガンジーの「ノー」の価値論と「五日市憲法草案」、そして沖縄

http://afriqclass.exblog.jp/21326990/

以下のブログ記事を掲載してから、とても反響が大きく、本腰を入れてやらねばならん…と考え、しかし療養中のため、少しずつ勉強を深めているところです。

■翁長知事の国連人権理事会でのスピーチ&日本政府代表の反論+所感(分析にかえて)

http://afriqclass.exblog.jp/21666952

その勉強のプロセスを、公開しながら進めていくことで、今迄、これらの問題について知らなかった、関心もなかった、無関係だわ・・・と思っていた皆さんにも、一緒に考えていただきたく、この連載を始めました。

■今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(1):沖縄/琉球、薩摩と私

http://afriqclass.exblog.jp/21839406/


深刻な事態が現地で進んでいるのに、亀のようにノロい歩みではありますが、ご容赦下さい。
さて、私は以上のブログ記事(1)で、今回の辺野古への新基地建設の強行が「第二の琉球処分だ」と書きました。

しかし、私が不勉強なことに、沖縄では「第五の琉球処分」と言われていると知りました。
沖縄の人びとが直面してきた、そして現在も直面している現実の一端ですら、分かっていないことを知るに至りました。「知らないですむ」ことこそが、マジョリティの特権です。だから、常に「知ろうとすること」、いつでも耳を傾ける姿勢を持つ事が不可欠です。

「第5次琉球処分」について紹介しようと記事を書き始めて、私は一つ重要なことに気づきました。それは、このことをそのままここで紹介しても、沖縄にいない人びとに十分に伝わらない可能性です。

沖縄の人びとの現実と、それ以外の日本の人びとの現実の、深く断絶した認識の差こそが、現在の暴力的な新基地建設を可能としている背景である以上、このことを十二分に指摘しないと、「ある人たち<=>我々」の問題構造が乗り越えられない…そう思い至りました。

なので、そのことをまず書きます。

今、沖縄以外の日本のどこかに暮らし、沖縄/琉球の出身ではない私たちは、東京から送られてきた機動隊らが、身体をはって新基地建設に抗議する地元の方々(おばあやおじいも含む)を暴力的に取り締まっているか知っているでしょうか?あまりに暴力的な取り締まりだから、沖縄県警に属する若者たちにはできないだろうと、わざわざ凄い税金を使って何百人もの機動隊が沖縄に送られ、高級リゾートに宿泊しながら、毎日地元の皆さんを弾圧しているのです。

「現実に被害を被っている【ある人たち】がいるのに、知らないですませられる」構造こそが、構造的差別、ガルトゥング的にいえば、「構造的暴力」となります。これを、日本では、「フラットな皆同じ」「区別することが差別につながる」「知らせることで差別になる」という奇妙な論理ですり替えがちですが、これは「文化的暴力」と呼ばれるものです。

世界的には、「積極的平和(Positive Peace)」とは戦争のない状態だけでなく、このような構造・文化的暴力のない状態を指し、安倍さんがいう「積極的平和主義(ProActive Peace)」という武力介入の考え方には真っ向から反対するものです。この点は、ガルトウング博士が来日した際に詳しく述べているので、以下の記事をどうぞ。

「積極的平和」の真意 ノルウェーの平和学者、ヨハン・ガルゥングさん
http://www.asahi.com/articles/DA3S11931897.html
「積極的平和、沖縄から提案を」カルトゥング氏が講演
http://www.asahi.com/articles/ASH8Q65QJH8QTPOB003.html

私は、安倍政権によって「積極的平和主義」なる用語が掲げられた時、危ういな…と思いました。為政者が「ポジティブなイメージのある用語」を使って、「まったくその正反対の事」をし始めると、そしてそれがたいしたオプジェクション(異議・抗議・抵抗)にもあわずにスルスル・・・といってしまうと、大変強度の強い暴力が発生することが、現代世界史が教えるところだからです。

原爆の開発も、「戦争を早く終わらせて人命を救うため」でした。
その結果、当時35万人ほどが暮らしていた広島で、4ヶ月以内におよそ14万人の死者が出ました。
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1111638957650/index.html
長崎では、分かっているだけで73,884人、重軽傷者74,909人、行方不明者1,927名います。
http://nagasakipeace.jp/japanese/atomic/record/scene/1103.html
米国では、長年にわたって以上の通説「原爆は米国人の命を救うのに不可欠だった、役に立った」という考え方が主流でしたが、最近これに変化があり、長年にわたる被爆者の皆さんの活動の成果としても、「人道に反する行為だった」と考える人が若者に増えています。

ヨーロッパ諸国による「キリスト教の普及による哀れな原住民の救済」も、結局のところ、植民地支配の隠れ蓑として使われ、「勤勉さを学ぶための矯正のための労働」は、子どもを含む住民らの無償奉仕労働(プランテーション等での奴隷労働)を意味することが非常に多かったのです。

ある国家の為政者、とりわけ強権的な思考・志向の強い者達が、自分を「世界の救世主」的な存在として位置づけ、これを大きな言葉で繰り返し唱え、何らかの政策とともに実行に移そうとする時、甚大な被害が生じることは、現代史だけの特徴ではなく、人類史に繰り返しみられたことです。

為政者らが自分を「救世主的な存在」に位置づけて、人びとを動員する時、「これを阻もうとする者=敵」は勿論のこと、身内における一つ一つの被害は「大きなビジョンに対して小さなこと」として位置づけられ、踏みにじられていきます。しかし、動員される人びとは、自分が踏みつけられる側になり得る、あるいは既に踏みつけられているという現実に気づかず、「強いリーダーに酔いしれる」ことで、自分の苦境やコンプレックスを忘れたいために、これを「他者の問題」としがちです。

あるいは、「大きなビジョンの歯車」として、嬉々としてその役割を果たそうとするかもしれません。「私のような者が、何か素晴らしい歴史の大事の一部として関われる」ことに、自らのこれまでの人生の挫折を払拭する機会と感じるかもしれません。リーダーらが、その素晴らしさを煽れば煽るほど、そのポジティブなイメージや力は、ぐいぐい求心力を強めます。

このような動きに対抗する側にこそ「歴史の大事の運動」としての利と正義があったとしても、「〜にNOという」という運動は、「〜を素晴らしいという」という運動に対して、大衆の理解を得るのは簡単ではありません。社会が危機的になればなるほど、強権的な為政者が登場しやすい状況が生まれます。たとえ、それが為政者ら自身が作り出した危機であっても、いえだからこそ、彼らは批判を回避するために、新たなスローガンを強固に推し進めることで、人びとの目をそらし、批判を交わし、敵は批判者であり、また外にいるのだ・・・という状況を自ら作り出します。その際には、実態以上に、宣伝のための活動に力が入れられます。

このような状況の中では、為政者のスローガンのほうが優勢となり、抵抗者は対抗力を勝ち得ないとすれば、積極的に為政者に協力しない層の人びと(大多数の場合が多い)もまた、「反対しない、異議を唱えない=思い込みの中立の立場」をとり、選挙に行かない、ただ政府が与えてくる仕事をコツコツする…ということ等を通して、結果的に為政者のシステムを支える機能を果たします。

いつかハンナ・アーレントの「全体主義の起源」やアイヒマン裁判の分析を紹介しましたが、これが、ナチスドイツの壮大なる民族抹消プロジェクト「ホロコースト」を可能とした背景です。

■(その2)大学生のスピーチに思う。「名を伏せた者たち」が進める全体主義の今。
http://afriqclass.exblog.jp/21487530/

これらのことを考えると、明らかに武力介入を伴った考え方を包含するにもかかわらず、それを「積極的平和主義」等という言葉で包んで、そしてそれは憲法と真逆の考え方であるにもかっかわらず、政策として強固に推進しようとするときには、いい加減、私たちは自らの国の歴史と他国・世界の歴史から、ピンとこなければならなかったのでした。

しかし、実際はそうではなかった。
なぜなら、この「積極的平和主義」が行き着く戦争や暴力への加担の被害を被るのもまた、直接的には「私たち」ではないから。見知らぬ地域の国の、見知らぬ誰か。部隊の駐留によって日常的な人権侵害に怯える住民ではないから。あるいは、基地の存在によって攻撃の対象となるかもしれないわけではないから。

むしろ、武器輸出で儲けられるかもしれない。新しいビジネスチャンスかもしれない。となれば雇用が増え、消費がアップするかもしれない…いい加減、破綻したトリクルダウン的経済効果を、非正規雇用者の割合が初めて4割になった今も、多くは気づいておらず、「企業が富めば国が富み国民も富む」との幻想を抱いていることには、驚きます。

【朝日新聞】非正社員、初の4割 雇用側「賃金の節約」 厚労省調査
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151104-00000051-asahi-bus_all
厚生労働省が4日発表した2014年の「就業形態の多様化に関する総合実態調査」で、パートや派遣などの非正社員が労働者にしめる割合が初めて4割に達した

1987年には15%にすぎなかった非正規雇用、若者の間ではずっと前に4割となっていたわけですが、その理由が「賃金の節約」という誠にストレートな回答となっており、他方企業の内部留保金は過去最高を更新する中、その矛盾する論理が、トリクルダウン理論などまったく機能していないことを証明しています。

【日経ビジネス】今や300兆円、企業の「内部留保」に課税案が再浮上?http://business.nikkeibp.co.jp/welcome/welcome.html?http%3A%2F%2Fbusiness.nikkeibp.co.jp%2Fatcl%2Freport%2F15%2F238117%2F092400007%2F
「その内部留保の増加が止まらない。財務省が9月1日に発表した2014年度の法人企業統計によると、金融・保険業を除く全産業の期末の利益剰余金は354兆3774億円と1年前に比べて26兆4218億円も増えた。率にして8%の増加である。

純利益は10%も増加。最大の要因は企業が稼ぐ利益自体が大きく増えたこと。1年間の純利益は41兆3101億円と10%も増えた。」


このようなまやかしのスローガン・政治が可能となっている理由。
まさにそれは、あらゆる策略によって自己検閲してしまっている牙を抜かれたメディアのせいであり、「疑問を持ち、自分の頭で考える」機会を十二分に創造してこなかった教育のせいでもあるし、離合集散を繰り返す政党政治のせいでもあります。しかし、根本的には、未だに日本が「同調圧力を使った集団催眠の罠」を自覚的に乗り越えられていないことからきていると思います。どこかで、多くの日本の私たちは、「自由と民主主義」が怖いのです。

自由に考えろといっても、選択肢もあまりないし、あれこれ考えなくとも、強いリーダーに任せておけばいいじゃないか。
「よく国のことを考えている(と思わせる)」政治家や専門家や役人に任せたい。
「せっかく国のためにやってくれている人たち」の足を引っ張る奴は許さん。

という、実態なき「国」その実「一部の特権層の既得権益の存続と発展」を、支えてしまうことになるのです。
だから、2015年の終わりに、日本の人びとこそ、パウロ・フレイレの『被抑圧者の教育学』を手にとってほしい…そう思って以下の記事を書きました。

■今、再び『被抑圧者の教育学』を読む(その1)〜若者/「抑圧なんかされてない」「飼いならされた」あなたへ

http://afriqclass.exblog.jp/21839228

私は、今危機的な状況にある日本の中で、多くの人が沖縄の人びとに学ぶことこそが、もしかして唯一残された希望であるかもしれないと考えています。沖縄の人びとの長い歴史に裏打ちされた経験から紡ぎ出されている「意識」こそが、主体としての権利の能動化、つまり「主権者」としての自覚を育み、踏みつけられても踏みつけられても、日常の近い場で日々のあらゆる闘いを実践し続けているところに、今私たちが真剣に学ばないとしたら、もうとっくに手遅れだけれど、もっと手遅れになると思うからです。

今、沖縄の人びとが実践していることは、「日本の平和と自由と民主主義の最後の砦」を守る行為なのだということを、私たちは決して忘れてはいけないし、知り、そこから学ばなくてはならないと思います。

また、ガルトゥング博士が沖縄にPositive Peaceの拠点としての可能性を見いだしていることの意味は、第二次世界大戦後、とりわけ冷戦期の60年代以降に発展してきた国際平和学の成り立ちと発展からすると、とても納得のいくものなのですが、この点についてはまた別に論じたいと思います。

一言付け加えると、先の戦争で甚大なる暴力を経験した沖縄の人びとが、既に「平和の主体」として自らを位置づけ直し、沖縄という場を「平和の拠点」と転換させることで、自らの尊厳と発展の足場を築き、日本・アジア・世界に貢献しようとされていることは、沖縄内、日本内に留まらず、アジアと今の暴力の連鎖が止まらない世界のあり方にとっても、世界史的な展開としても、大きな意味と意義があるということです。

これはガルトゥング的平和学でいうところの「トランセンドtranscend」であり、AとBの敵対から戦争に発展しがちな紛争を「超越的に転換」することをヴィジョンとして設定し、それに引っ張ってもらう手法です。これは、授業でも色々やりました。つまりAかBの勝利か敗北を目的化しない、かといって妥協を目指すのでもない手法です。

詳細→http://afriqclass.exblog.jp/i23

理不尽な暴力を経験したからこそ、平和や自由、民主主義の価値を知り、その実現のために尽力する崇高なる役割を果たして着た偉人を、私たちは沢山知っています。

他方、理不尽な暴力を経験し続けたからこそ、世界構造や現状を暴力的に転換したいと切望して別の暴力に手を染める人、絶望してこれに追従する人も、私たちは知っています。911やパリ連続攻撃で、それを目の当たりにしました。

その意味でも、沖縄の人びとの非暴力直接行動の実践は、同時代的な世界大の意義を持っており、これはそのような文脈でも理解されるべきなのです。

次に、本題の「第五の琉球処分」について。

今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(3):「第5次琉球処分」としての辺野古新基地建設

http://afriqclass.exblog.jp/21871996/

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# by africa_class | 2015-11-26 22:10 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

【とりあえず】一連のパリ襲撃とその後(Aftermath)を受けて今考えたこと:これまでの研究からの所感

やらなきゃいけないことは山ほどあり、かつ始めた2つの話を続けなければとも思うが、自分がこれまで専門(War/Conflict & Peace Studies)として研究してきたことを踏まえると、今これを書いておかないと…と思い、急遽ブログを立ち上げる。とりあえず、この間twittしたことを貼付けておく。息子がサッカーに行ってるこの隙に。

11月13日金曜日夜にパリで起きた一連の襲撃について、じっくり考える余裕がない中で、一連の情報のRTと所感を書いてきた。投稿日時は、大体のもので、パリ時間です。

一番重要なことは、このような事件が「新しい現象ではない」ということ。
日本は今迄牧歌的に過ごせてきたので、「新しいもの」に見えるかもしれないのだけれど、そして安倍政権の外交・安保政策の転換により「差し迫ったもの」のように見えるかもしれないのだけれど、冷戦期からの現在までで、ヨーロッパを含め、世界で起きてきた現象。

何よりも、911後に行われたアフガン戦争、そしてその後のイラク戦争の後の世界においては、常態化しつつある現象といえるわけです。これは、NY、ロンドン、マドリッドといった私たちに身近な街で起きていただけでなく、中東でもアジアでもアフリカでも起きていたことで、私たちがそれらの事件を忘却していたか知ろうともしていなかっただけで、2001年以降の世界の現実だったのです。

でも、それもまた冷戦期、あるいは脱植民地化のプロセスで、世界各地で起こっていたことに根っこがあります。世界各地における戦争に限らない暴力化は、勿論遡ろうと思えばどこまでも遡れるわけですが、第二次世界大戦期に発達の端緒があり、その後冷戦で「発展」し、911で「進化を遂げた」といっても過言ではなく、「テロ」と呼ばれる事件は必ずしも、「東側」「解放勢力」「反体制勢力」「過激派」によるものだけではなかったのです。冷戦期は、アメリカや西側諸国の警察・軍・その他が関与するものは大変多く、前者による「テロ」が自分の存在をアピールするためにこれを誇示する一方で、後者のそれは隠されなければならないため、世間には広く知られないままできたのです。

巷では「陰謀論」というレッテル張りをして、これらの歴史的事実から目をそらせたい人もいるようですが、アメリカの凄いところなんですが、これらの「暗殺」「政権転覆事件」「テロ」等の秘密行動の記録を、時期がきたら広く公開し、政府自ら記録編纂をして本にまとめたりしているのです。なので、「ないところに陰謀説を持ち込んでる」というのは、まったく当たらず、そういうことをいう方々は、不勉強としかいいようがありません。

実際、日本で国際関係やアメリカ外交史を専門にしているような人たちでも、ここら辺の「負の歴史」にはまったく関心を寄せず、表で語られている歴史だけを集めて、アメリカの外交政策を没批判的に持ち上げる人がいるんですが、「栄光なるU.S.A」にどこまでも忠誠なその姿は、可哀想なほど。アメリカ外交を見るのであれば、その外交の結果を見なくてはならず、その際にアメリカからのみ見たところで、本当に見た事にならんのですが。確かに、アメリカは広いですけど、世界はもっと広いんですが…と言いたい。

植民地支配の歴史を、植民者からのみ見て分析するのがおかしいように。
被植民者の側からもまた、見なければならないわけです。
つまり、相互作用の中で見なければならない。

アメリカの政治家たちですら、イラク戦争を正当なる戦争などとはもはや言わなくなったのに、なぜか日本の「国際関係」専門家の一部は、未だに「正しかった」等と言い続けているのは、なんとも衝撃的なことで、本来に本の学術界がこれらの「専門家」に挑戦しなければならないのに、日本の学会は予定調和的な場所なので、「エライ先生」たちにただの学術論争ですら挑むことが不可能な現状がある。象牙の塔ですね。

学術界がしっかりしないので、こういう人たちを為政者たちは喜んで「活用」し、あたかも「学術的にお墨付きを得た」とする余地を生んでしまっている。学術界内では論争しないのに、そうなればなったで、先生達は出て来た「政策」に対し、これまた「専門家」として新聞やテレビで文句をいったり書いたりするわけです。でも、決して大元の「大専門家」を批判したりはしない。そんなはしたないことだし、お世話になったこともあるし、何よりそんなことしたら村八分だから。

話が脇に逸れました…。
私が、各種学会の理事や委員を降りた理由はこれです。
中で頑張らなかった訳ではないですが、中から変えるのは無理だという結論です。
今後の展望については、また書きます。

さて、アメリカとその同盟国が世界で何をしてきたのか?その理由は何か?そして、その結果、世界の各地の人びとからどう見られているのか、これを理解しないで、911後の世界の危機は語れないし、悪の連鎖は断ち切れません。

が、アメリカとその同盟国の一部、そしてその背後にあるものは、そもそものところ本当に「平和な世界」「中東の平和」を目指しているのか?…そこはまた、議論の余地があるところです。これもまた陰謀論的な意味でではなく、実際の世界大の軍事産業の問題を分析から排除して、「政治」「外交」だけをみても、本当のところは分からないのです。

私たちの世界は、冷戦が終わった時に、これらあらゆる困難を乗り越えるだけの可能性を手にしていました。
しかし、それがあっという間に消えていってしまった。
湾岸戦争、アフリカで多発した紛争の数々、旧ソ連の諸国や旧ユーゴ…。
そこで再びナショナリズムや領土の問題が生じたわけですが、勿論内部要因は非常に重要である一方、もう一度思い出さなければならないのは、ダレがどのようにこれに関わったのか?
武器はどこからどのようにきたのか?

これらの紛争は、現在にも繋がるアクターたちの出現・発展・連携を生み出していきました。
そして、今があります。

勿論、今回のパリ攻撃は、手法・規模・場所という点で、今迄よりも危機感を高めるような事態であるものの、このようなことはフランスや同盟国、その他に予想されていたわけで、実際に起きてしまったとはいえ、各国、特にシリア戦争に関与しているフランスであれば、それなりの予防策とプランがあったはず。突然起こったように見えて、実際は起こりうるものとして対応されてきていたはずで、ではその前提で、なぜこのような発生の仕方、対応の仕方なのか…というところが、報道されていないだけに重要になってきます。

特に、13日金曜日の夜に連続の被害が発生して、夜中の間中はその全容を明らかにする事に追われていて、犯行声明が出たとしても、依然として全容解明に追われる中で、週末中の日曜日にシリアで報復のための軍事攻撃が行われ、月曜日に「憲法改正と大統領権限の強化」と大統領が主張するとしたら、何かがおかしいのです。

一番の問題は、911と同様、個々の被害が生じた犯罪(程度が大きいとはいえ)を、「国家」が乗り出してきて、「戦争」という形に持ち込んで対応することです。「遠い街でのテロ被害」と「原因と考えられる遠くの紛争状況」とを同一のものと捉えて、後者に介入すれば前者が解決すると考えるのは、あまりにナイーブです。両者の首謀者が同じとしても、別個の現象であり、別個に扱われる必要があります。

勿論、以上はISILや犯罪者らの擁護ではありません。
重要なことは、いつも「紛争と平和」の授業でいったことですが、目で見える「点」だけにフォーカスしてはいけないこと。
「ある事件」「あるアクター」「ある結果」だけに注目するのではなく、何故その「事件」は、そのタイミングで、そこで、そのアクターで、そのような形で発生し、その前には何が起きていたのか、そしてそれを取り巻く状況はどのようなものであったのか、その結果のリアクションが示していることは何なのか、これら一連のことでメリットを受けたのは誰なのか、デメリットを受けたのは誰なのか、

このような時間・空間軸の広がりと複合的な視点の中で、理解しようと務めないといけません。また、「誰の声が報道され、誰の声が報道されないのか」・・・そしてそれは何故かも、しっかり見極めないといけません。

世界が複雑化したのではありません。
冷戦期の世界は、ある程度いつもこうでした。
私たちが、前よりも多くの情報を手にし、多角的に考えるきっかけを手にしたという幸運の一方で、もっと身近にこれらのことを考えなければならないほど暴力行為のただ中に自ら身を投じていってしまう政権を持ってしまったという不幸によるものです。

もうサッカーから帰って来たので、文章を見直す暇もなく、、、これにて失礼します。

==============

11月13日金曜日深夜
劇場内の死者は118名だったので、合計140人の犠牲者が出ている模様。
<=報道によってばらつきがあったが、実際の死者数は120名だったが、病院で亡くなっている人もいるので増えていく可能性がある。

心からご冥福をお祈りします…。本当に悲しく、悔しい。そして、この後起こりうる様々な暴力的な反応に。それは更なる暴力を確実に生むから。911とその後の対テロ戦争が何をもたらしたのか。暴力の連鎖を断ち切らないと。

11月14日土曜日午前
私も昨夜から考えていました。同時進行するシリアでの空爆による無差別殺戮の死者、パレスチナの若者たちの処刑…我々はなぜ同じように嘆き悲しみ弔わないのか、と。命・死の重みを同じに受け止める先に、この仕組まれた分断と暴力を乗り越えるヒントがあると思います。

11月14日土曜日午前
こういう時に勇ましく言ったりやったりするんでなく、日常を紡ぎ続けるのもすごく大事。一人ひとりが平和を望み、命を想い・育み・悼む普段/不断の努力、向こう側の誰かの苦悩・嘆きと喜びに共感し輪を広げる試み、鋭い批判と深い洞察で見抜く力こそが、絶望の淵の希望だと…。

11月14日土曜日夜
パリ攻撃が、報復やフランス/西欧社会の不安定化だけを狙ったものだと捉え、反撃の為大掛かりな暴力を準備するのであれば、911後のプロセスを悪い形で上書きすることになるだろう。首謀者とその背後にいる人々・構造にとってこの「反応」を引き出す事こそが目的。更にこれを期待する産業がある。

11月15日日曜日午前
ああ…思った通り、フランスは挑発に乗り、シリアを報復攻撃…。ISILの拠点を攻撃というが、子どもだって女性たちだって住んでいる。これこそが、パリ襲撃事件の狙いであり、まんまと策略に嵌る。テロ再発を予防したいのであれば、報復は戦略として妥当でないのは明らか。

11月15日日曜日午前
結局、フランス政府が守りたいのは「市民」ではなく、「メンツ」であったことが露呈。世界の我々も、「フランス国家に連帯」ではなく、「パリの犠牲者を含めた理不尽な加害・犯罪の犠牲者に哀悼と連帯」であるべきだった。フランス国家に被害者としての正当性だけを与える事に。

11月16日月曜日夕方
ほらね、どんどんきてる→「フランスオランド大統領は「大統領権限を強化するため、憲法の一部改正を求める」と」 911後のアメリカと同じだが、展開が非常に早い。未だ3日目なのに。事件の背景要因分析・対策検討すら不十分のまま、なし崩し的。

11月16日月曜日夕方
本当に仏市民を守るのを優先するならまず原因特定が必要。急ぎの安易な復讐は新たな危険を招くだけ。これ程急ぐのは対ISILではなく、仏国民や国際世論が好意的な内にやりたい放題に着手しておきたい。その心は「(パリ攻撃は)仏政権のシリア攻撃のせい」との批判を回避。

11月16日月曜日夕方
これに騙されるフランスの議員や市民は、新たな犠牲を覚悟するしかない。最も古い民主主義国の市民としての力量が試されている。為政者がナショナリズムを煽る時、大抵よからぬ政治的意図がある。自らの問題の隠蔽か、挑戦者を抑え込みたい。戦争に向かった時と今の日本がそれ。

11月16日月曜日夕方
あるいは、見えないところで準備されていた「何か」のせいという可能性は払拭できない。冷戦期から現在まで、世界で起きる「事件」の背後には、表面上で見えるより、もっと複雑で多様なアクターが関わるより大きな意図や利害が作用していることが多い。これが例外とは言切れず。






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# by africa_class | 2015-11-17 03:39 | 【学】戦争/紛争/暴力・平和論

今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(1):沖縄/琉球、薩摩と私

ツレが日本から大量の荷物を持って帰って来た。
大地を守る会で買った熊本の無農薬玄米、豆腐を作る為のニガリ、お団子を作るためのクズ粉…。しかし、大地で扱っていないため、ぬかと麹を注文し忘れ、昨夜味噌をつくったら、もうなくなってしまった…。麹なしに我が家の料理は貫徹せずなので、苦境だ。

さらに、実家からも大量の荷物が。私の母から息子へのオヤツやパジャマ、私に5本指ソックスと腹巻き(日本でしか買えない!)、そして家族のために「ムラサキ醤油」が…。

これは九州の人にしか分からないと思うが、醤油は甘くなくてはいけない。

千葉出身の若者に「薄口醤油」を買ってきてと頼んだ時に、「え?醤油に濃口と薄口あるんですか?」と驚かれたが…あるんです。関西(特に京都)の人間にとって、「薄口醤油なしの食生活」はあり得ません。さらにいってしまうと、関東の醤油は塩味がキツく、出汁っぽい味がしないのが辛い。

が、鹿児島出身の母と京都出身の父というあり得ない両親のミックスとしては、「ムラサキ醤油」も「薄口醤油」も「濃口醤油」も必要なので、キッチンの棚にはやたら醤油の瓶が並ぶのだが、遊びに来た人に料理の際「醤油とって!」と軽く頼むと、皆驚き、「え?何?これ?どれ?!」となる。

さて、ツレが持って来た90キロの荷物はこれらで終わることがなかった。
(多分、彼の宿泊していたホテルは驚いたことだろう。日本全国からあらゆる小包がたった2泊の客人のために届いたのだから。しかも、ツレがあまりに忙しかったため、わざわざ段ボール箱に梱包してくれたほど…日本のホテル、万歳!)

届いたのは、沖縄県からの小包と、東京の本屋屋からの小包。

その両方の小包に、本が一冊ずつ入っていた。
奇しくも、同じ時代…19世紀末の琉球の話が載っている。


琉球新報社・新垣毅(編)(2015)
『沖縄の自己決定権:その歴史的根拠と近未来の展望』高文研

松下志朗(編)(2008)
『南西諸島資料集(第二巻):名越左源太』南方新社


前者は、このブログの読者の方がわざわざ送ってくださった本。

後者は、ずっと前からほしかった本で、沖縄で起きている事態を見ているうちに、大学時代にやりかけて途中で放り投げてしまったことを、そろそろ少しでも何かを始めた方が追いと思ったからだった。その理由の一つとしては、先日母方の叔父が急逝してしまって、最後の大叔母も長くないかも…さらに叔母が入院…とあって、いよいよまずいと焦ったのもあった。

これまでも、沖縄の皆さんとの交流は、色々なレベルであった。10回は訪ねた大好きな地域。だが、本当の意味で交流らしい交流が始まったのは、実はこの2ヶ月のことであった。ブログに以下の記事を投稿してから、沖縄の多様な層の方々からご連絡を頂き、少しずつであるけれどやり取りをさせてもらっている。

その中で、わざわざ沖縄から『沖縄の自己決定権』を送って頂いたのだった。

2015年9月22日:

翁長知事の国連人権理事会でのスピーチ&日本政府代表の反論+所感(分析にかえて)

http://afriqclass.exblog.jp/21666952

自分でもその反響に驚き、未だにその理由が理解できていないのだが、今度沖縄に行く時に、皆さんとの交流の中で色々教えてもらおうと思っている。

前回2014年は体調のこともあり、5日ほどしかいられず、辺野古も高江も駆け足でしか行けなかったが、出会う人出会う人に沢山の話を聞くことができたことは本当に貴重な経験だった。また、共同編集していた日本平和学会の本の表紙用に高江に掲げられた「命どぅ宝」の写真を撮影でき、以下の協議会で親川志奈子さんのお話を聞けたことは、なんという幸運だったろう。彼女の話は議事録で確認できるので、以下の外務省サイトで是非。

平成25年度(2013年度)NGO・外務省定期協議会
「第3回ODA政策協議会」

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/oda_ngo/taiwa/oda_seikyo_13_3.html
(2)外務省・JICAにおける先住民族に対する政策のあり方について
  【親川 志奈子 Okinawan Studiese 107】
  【和田 充広 外務省 国際協力局 NGO担当大使】

さて、頂いた『沖縄の自己決定論』。あまりに面白くて、一気読みした。
特に、冒頭からの近現代史の部分は、推理小説を読んでいるようなそんな疾走感があって、自分が知っているはずの史実の問題が別の角度からどんどん暴かれていって、ストーンと落ちるものがあった。

歴史や歴史小説が好きな人は日本に山ほどいるので、そういう人にも気軽に手に取ってほしい一冊だ。私の幼少期には、「ヒミコの墓はどこ?」「邪馬台国は奈良か、北九州か?」「豊臣秀吉の隠した財産はどこ?」等という本が、山ほどあったのだが、同じ位の熱意を持って、この本を手に取ってほしい。そういう間口の広げ方は、凄く重要だと思う。

大丈夫。
この本の紹介はそこで終わりではない。

この本は、今、暴力的に辺野古に新基地が作られようとしている正にその瞬間だからこそ、読まれるべき本である。琉球の歴史を十分に知る機会がなかったかもしれないウチナンチュー(沖縄以外にいる人びと、世界のウチナンチューも含む)、そして、とりわけサツマ(鹿児島)の人たち、沖縄以外の人たちに読まれるべきものである。

なぜなら、今歴史が繰り返そうとしている、まっただ中に私たちは生きているから。
そして、私たち一人ひとりが、過去は変えられないとしても、そしてその自覚がないにせよ、今と未来は変えられるだけの力を、本来持っているから。

今なら、未だ間に合う。
この過ちを止めさせるのに。
でも、この後は間に合わないかもしれない。

だから、まず私たちは、かつて沖縄/琉球で何が起こり、それは何故だったのか、現在にどのように繋がっているのかを、どうしても知らなければならないのだ。

琉球「処分」という言葉が指すように、「誰が誰を何の権限を持って処分したのか」、今でもその「処分」という言葉を使い続けることは妥当なのか?なぜ、1世紀以上が経っても、未だにあれをカッコなしで琉球処分と、書き・話すことができるのか?

それ以前に、なぜ薩摩藩がとんでもない重税を琉球の人びとに課し、徴税できたのか?
なぜ、琉球王国内にあった奄美大島は薩摩藩直轄になり、今は鹿児島県なのか?

なぜ、朝鮮半島への侵略と植民地支配は、「併合」等という言葉でもって未だに説明されるのか?
なぜ、安倍総理は今年夏の談話で、戦争の加害はわずかでも言及し詫びたのに、植民地支配についてはまったく言及しなかったのか?

(この点は以下のブログ記事で紹介してます)
http://afriqclass.exblog.jp/21548918/

私たちは何一つ、知らなかった事に、問いすらもとうとしなかったことに、今更気づくのである。
知らないでいられたとしたら、それは支配する側、つまり歴史を記述する側にいたからであり、あるいは被支配を見えなくされていたからである。

この本は、あるいは近現代史を琉球・沖縄の視点で見直した時に、まったく地平が立ち上ってくることに気づくだろう。それはとても苦しいことであるが、同時に、この戦後最悪の政治状況において、一筋の希望でもある。

「知らないでいること」…で責任を逃れようとしがちな私たちである。
特に、都合の悪そうな事実からは、目を背けがちである。


しかし、「知ろうとしないでいること」自体が、「加害」であり「罪」であり、責任を伴うことを(無作為の作為)、今ここで理解しないとすれば、取り返しがつかないことになるだろう。それは、「沖縄/琉球」と自分との関係においてだけのことではなく、このままいくと暴力的支配の構造が日本全体の下から上までにはびこって、再び大規模な愚かな過ちを繰り返すことになるだろう。

このことは、既に別の記事で書いた。
■大学生のスピーチに思う。「名を伏せた者たち」が進める全体主義の今(その1)。
http://afriqclass.exblog.jp/21484478/
http://afriqclass.exblog.jp/21487530/

沖縄の皆さんは身体をはって、これを止めようとしているのに、私たちはあまりに無自覚すぎる。翁長知事が、春先、菅官房長官に対して「問われているのは日本の政治なんではないですか?」という趣旨のことをいっていたが、まさにそうなのだ。問われているのは沖縄ではなく、私たちだというのに、依然としてその自覚すら十分ではない。

でも、今なら間に合う。
しかし、その最後の段階に入りつつあると思う。
そのことの理由は別に書く。
だから、多くの皆さんにこの本を手に取っていただきたく、章立てを紹介する。

『沖縄の自己決定権:その歴史的根拠と近未来の展望』

*沖縄は、なぜいま、「自己決定権」を求めるのか
I. 琉球の「開国」
 1. ペリー来航と琉球
 2. 列強各国・中国・日本と琉球

II. 琉球王国ー「処分」と「抵抗」
 1. 「処分」の起源とその過程
 2. 手段を尽くしての抵抗・急国運動
 3. 「処分」をめぐって

III. 沖縄「自己決定権」確立への道
 1. 国際法から見る「琉球処分」
 2. 「琉球処分」をどう見るかー識者に聞く
 3. データでみる沖縄経済
 4. 経済的自立は可能かー識者に聞く

IV. 自己決定権確立へ向かう世界の潮流
 1. スコットランド独立住民投票を見る
 2. 非核、非武装の独立国・パラオ
 3. 沖縄を問い続ける国連人種差別撤廃委員会

V. 「自治」実現への構想
 1. わき起こる住民運動
 2. 「自治州」から「独立」まで

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内容については、あまりに息子の作業がうるさいのと、一個記事をあげたばかりなので、今日は無理な感じ。先にこの本を紹介したかったのだけれど(今の緊急性を考えて)、フレイレの書いたことを紹介してからが良いと思った。その理由は、また今度書く。

なお、私がこのブログで、「学者らしく」プレーンな解説に徹するということをせずに、延々と日常や思い出話がおり混ぜているのには理由がある。ウザい人たちが多いだろうが、それがウザい場合は、どうか学術論文や本の方を参照してほしい。あえて、こういう書き方をしているのは、「一私人として、何をどう感じたから、どう書いたのか」の舞台裏まで見せてしまうことで、「遠いどこかの先生のおっしゃるクールな有り難いお話からお勉強しよう」という受動的な読み方をするのではなく、皆さんの隣の誰かの日常的・思考的な試行錯誤を知ってもらうことで、何かもっと身近なレベルから主体的に考えてもらうきっかけに(それが反面教師、あるいは批判であっても)、なってほしいと思うから。

その理由は、先ほどフレイレの『被抑圧者の教育学』の記事で是非。

今、再び『被抑圧者の教育学』を読む(その1)〜若者/「抑圧なんかされてない」「飼いならされた」あなたへ

http://afriqclass.exblog.jp/21839228/

または、以下の投稿。
長い夜にブレない生き方について考える〜ガンジーの「ノー」の価値論と「五日市憲法草案」、そして沖縄
http://afriqclass.exblog.jp/21326990

さて、何故私が「南西諸島史料集」なるものを同じタイミングで手に取ったのか、何故あの「所感」を書いたのかを、紹介しておかねばならない…と思って、書き始めたのだが、さすがに1日二つの記事は書けそうになく、これにて失礼するしかない感じ。まったくすみませぬ。



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# by africa_class | 2015-11-16 06:19 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

今、再び『被抑圧者の教育学』を読む(その1)〜若者/「抑圧なんかされてない」「飼いならされた」あなたへ

お待たせしました。
パウロ・フレイレの不朽の名作『被抑圧者の教育学』です。

(誰も待っとらんわい、と聞こえてきそうですが…)
(*時間のない人は最後のメッセージだけどうぞ)

そして、私の我が侭を聞いてくれるのであれば、マリア・ベターニャの「朝の鳥/1977年」を聞きながら読んでほしいのです。意味が分からないとしても。

Pássaro da Manhã/1977 - Tigresa - Maria Bethânia


新訳本を出された三砂先生が、「日本においても、開発・発展・国際協力といった分野に興味を持つ人に取ってはマスターピースと呼ばれるような一冊となっているし、教育、医療、演劇、貧困、差別等の多くの分野で人間の解放と自由について考える人たちに大切にされてきた」と紹介しています(311頁)。

それにしても、前回更新からエライ時間が経ってしまいました。
というのも、またしても体調不良を起す中で、ツレが出張に行っていたり、ゲストラッシュが続き、さらに通い猫のニャーニャに未だ子どもなのに(!)5匹の赤ちゃんがいたことが発覚し、ついでに庭と畑の収穫と冬支度が同時進行し、断片的にしか思考できなかったためです。

しかし、少し元気になると、次々に「前世」の約束が追いかけてくるのは…辛いですね。なのに、新しい約束が、思っても見ない人びと・レベルからプレゼントのように手渡されると、なんとも嬉しさよりも悲しさが募ります。あ〜あ。。。この日本社会での「借金状態」を、なんとか今年度内に片付けたいと心から思っています。皆さん、すみません…。

で、まだ難しいものを書く元気がないのと、息子が突然始めた古家(築100年)の床の研磨がうるさく…でも、耳栓して本の紹介ぐらいできるかな…ということでいくつか紹介を。

底本は、三砂先生の新訳で蘇った以下の本です。
パウロ・フレイレ(三砂ちづる訳)『被抑圧者の教育学』亜紀書房
Paulo Freire "Pedagogia do Oprimido" 1968.


フレイレを少し紹介。
三砂さんのフレイレと本の紹介、翻訳の苦労(ノルデスチ話法とアカデミック記述の合体というらせん構造)、そして先生自身のノルデスチでの母子保健協力の実践が「ヒューマニゼーション」という考えに到達したプロセスを書いた「あとがき」は、とても良いので是非一読を。

1921年ブラジル北東部(ノルデスチ)ペルナンブーコ州レシフェ市生まれ。法学部で法律を学び、弁護士に。その後、地元レシフェ市で文字の読み書きができない貧しい農民たちに、自己変革とそれを通じた社会変革のための「意識化(conscientização)」の手段として、識字教育を奨励し、社会的に大きな変革の兆しをもらたした。その結果、1964年の軍部によるクーデーターで、国外追放となり、亡命生活中にこの本を執筆する。その後、UNESCOで識字教育推進に関わる一方、ブラジルの民政移行に伴い、サンパウロ市の教育長等を歴任し、スラムでの識字時教育を推進。

教育実践、教育学だけでなく、開発、保健医療、政治など多くの分野に影響を与えた。エンパワメントの概念・言葉は、彼によるもの。


なお、この本のタイトルが「教育学」という点で、多くの人はひいてしまう、自分に関係ない本と受け止める可能性がありますが、実は、内容はそれを超えています。私も、学部生の時代に手に取る際に躊躇したのはそれが理由でした。それでも何故読んだかというと、当時どこにいっても多くの人がこの本を言及していた、ブラジル人が書いたものなのに知らない訳に行かない…という消極的な、悲しい理由によるものでした。が、いかんせん、三砂先生も書いてらっしゃる通り、読み進めるのが難しい本…です。そこは、三砂訳が楽にしてくれているので、是非新訳をお手元に。

さて、誰に読んでほしいか?
1. 街角に出始めた(出ようかと思う)若い皆さんに、

本の扉に書いてあるフレイレのメッセージを読めば、今の日本のとりわけ若い皆さん、街角に繰り出した皆さん、繰り出そうか出すまいか悩んでいる皆さんが読むべき本であることが理解されると思います。

「この世界で、引き裂かれている者たち、抑圧されている者たちに、この本を捧げる。そして、引き裂かれている者たちを見いだし、彼らと共に自らをも見いだし、共に悩み、共に闘う、そういう人たちにこの本を捧げる」

2. 日本社会の最前線で活躍するミドルズ、「被抑圧者」なんかじゃないという方々に、


そして、次の文章は、日本社会の最前線で活躍する皆さん、自らの生活に必死で本なんか読んでられねーよ、という皆さん、あるいは私は「被抑圧者」なんかじゃないから関係ない、という皆さんにも、これが必読書であることを示していると思うのです。

(8頁)
コースの参加者が、「意識化することは危険だ」という言い方で、「自由への恐怖」を表すことが、本当にめずらしくなかった。「批判的意識というのは、なんというのかな、それはアナーキーで危険のことのような気がする」


3. 「被抑圧者の意識化なんて、危険だ!」と考える皆さんに


あるいは、週末に起きたパリでの同時多発「テロ」を見て、被抑圧者の「意識化」は危ないことである。過激派思想を生み出すと主張する人たちに、45年前にフレイレがどういっていたか知ってほしいと思います。

9頁)
「不正な状況があるとしても、その状況の下で苦しんでいる人たちがはっきりとその不正の状況を"認識"しない方がよいのではないか」
、となる。

(しかし、)人びとを「破壊的な狂信」にかりたてるのは、意識化ではない。意識化はむしろ逆に、人びとが主体として歴史のプロセスに関わっていくことを可能にし、狂信主義を避けて一人ひとりを自己肯定に向かわせる。


「意識化によって社会的な不満を表現する道がひらかれるということは、こういった不満が抑圧状況のうちにはっきりと現存する、ということを示している」

これは、重要なことです。「自己肯定」を切実に必要とする被抑圧者らが、歴史において、日本でもドイツでも世界でも、どのような破滅行為に邁進していったのか、自分より「劣る他者(集団)」をスケープゴート化することで、いかに「偽りの自己肯定感」を得ようとしたのか。それが、今再び、日本で蘇ろうとしている現実を目の当たりにして、よけいにそう思います。

4. 戦争を経験しなかった今世代の皆さんに
あるいは、「飼いならされてなんかおらん!」と憤慨する皆さんに

私たちが向かうべきは、自己肯定感を持てないような家族・社会・国家・世界のあり方であるにも拘らず、それを社会課題として昇華させないで分断された個人のそれぞれの内面に深く刻み込むことで、支配する者たちの言いなりになる人の群れが準備され続けてしまう。つまり、「飼いならされた人びと」の創出・・・が、この本の最も挑戦しようとしている点です。

その意味では、日本の戦争を経験しなかった世代のあらゆる人びとにこそ、この本は読まれるべきだと思います。

日本は、近現代史において、「権力による飼いならし」は無縁の経験ではなく、その行き着く先が一連の戦争でありました。多くの戦争経験者は、これに気づき、自らの思考を転換させていきました。しかし、その世代の大半は、もはやこの世におられないか、引退されてしまいました。そんな重しがなくなった途端、かつての日本の風潮が戻ってきて、今「飼いならし化」が再び強まっており、気づかない間に社会・日常のあらゆる場面で「刷り込み」が進んでいます。

が、おそらく「飼いならされてる」なんて、失礼な!と憤慨してらっしゃることでしょう。だとすれば、是非この本を批判するために読んでほしいと思います。


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が、その前に・・・!
キー概念である「意識化」、そしてその後の「エンパワメント」とは?

この説明は本にないので、ここを理解しないと、全然通じないので、以下私の経験も含めて紹介しておきます。

日本の大学・大学院で国際協力に関心のある日本の学生を教えていると、必ず皆「エンパワメント」という言葉や概念に触れ、首をかしげながらも、惹かれて、やたら多用します。

私は、これを勿論良い事と思って、眺めます。
ただ、質問はします。
「エンパワメントって何?」
そうすると、大抵の場合、フリードマンの引用をスラスラと言ったり、書いたりしてくれます。
その時、フレイレまで遡ってくれるのなら、もう言う事はないのですが、大抵そうではありません。知識として、フリードマンにインスピレーションを与えたということは知っていても、何故そうなのか…までは行き着いていません。

なので、次のような質問を投げかけると、途端に皆立ち止まってしまいます。

「エンパワメントって、あなたの今の状態において、どういう関係性を持つ?」
「あなたはエンパワーされている状態?だとすれば、どういう状態にあるの?その理由は?」

ここでスタックします。
それでいいのです。
日本で「フツー」の学生生活を送ってきた人なら、このような問いに答えるだけの経験をしていないと感じるのが当然ですし、考えたこともなかったというのが一般的なのですから。とても幸運なる育ちをしてきた人といえるでしょう。あるいは、エンパワメントされうる存在として考えた事がないほど辛い人生だった…ということかもしれません。

「途上国の女性、あるいは貧困者のエンパワメント」
の問題に惹かれるものの、何故自分がそのテーマに無性に惹かれるのか分からない日本の女学生は非常に多いです。それらの人たちは、自分は「良い立場にいて」、「エンパワーされなければならないのは自分ではなく彼女たちだ」という前提があります。

その論理の底辺に重要な役割を果たすのが、「経済的な貧困」です。1日1ドル(1.2とか1.5とか2とか)以下で暮らす人びとである以上、これは「エンパワー」された状態とはいえず、だから経済成長による「エンパワメント」が必要だ、と…。(この論理の飛躍については、さすがにあまりないと思っていましたが、最近国際開発分野の博士後期課程の学生の書いたものを読んで、さすがに驚いたため、一応書いておきます)

多くの善良なる日本の若者が、アジアアフリカラテンアメリカの「貧困」問題に関心を寄せ、「貧困者のエンワメント」のために、自分が何かしなければ!と考えていることは、素晴らしいことです。私もかつてそうでした。その想いが、世界の中でも所謂「途上国」にばかり足を運ぶ契機となりました。

しかし、そこで私が気づいたことは、「他者のエンパワメント」を語るには、「deprived(権利剥奪/デパワーされている)状態」を理解しなければならない・・・つまり、その人を取り巻く社会政治経済構造を掴む必要がある、そしてそれは多くの場合不可視化されており、かつ文化・慣習によって本人自身がそれを甘受している状態にある・・・ということでした。そして、その論理でみていったときに、日本の私たちが、果たして「エンパワーされた状態」といえるのか、そもそも自分たちの置かれた政治社会経済の構造下の状況を、「剥奪」と呼ばないまでもどこまで理解しているか…という問いに打ち当たりました。

つまり、フレイレが書いているように、「意識化」(気づき)の問題、つまりは「剥奪されている状態」の構造的な把握と、それを変革せんとする意思を抜きに、エンパワメントは語れないのです。

日本語の「意識化」では、これが上手く伝わりません。
かといって、ポルトガル語さらに意味が伝わりません。
自分なりの言葉で補うならば、
「自己の考え・生活に内包されてしまった社会的・政治的・経済的な構造や矛盾を理解し、それらの構造を変える変革主体として目覚めること」
とでもいいましょうか・・・・。
私も、もう少し考えてみます。

おそらく、私が個人として「世界に出て行って、困っている人を救う」ぐらいの勢いでいたのが(恥ずかしい…)、ガラリと変わったのは、1991年のブラジル・サンパウロのスラムでのHIV/エイズと共に生きる人びとと過ごしたボランティア活動の経験によってでしょう。

今から思えば、本が出て未だ22年しか経っていない時期で、民政への以降直後で、すでにフレイレはブラジルに戻ってきていました。サンパウロ市政は、極めて革新的で、フレイレも教育長を務めましたが、保健衛生分やでは感染者・患者の主権に沿った行政を展開しようとしていました。それを促すだけの市民の運動があったのです。

その後、予算配分を住民が決める方針など、住民主権や自治体の「自治」等先駆的な政策がブラジルの一部の都市で展開していき、最初の世界社会フォーラムをホストするなど、ブラジルの市民・社会運動は、世界的に大きな役割を果たして行くことになりますが、私は本当に偶然にも、ただ「途上国での生活をしたい」&「ポルトガル語が使われている国に留学したい」という単純な理由で、ブラジルに行き当たり、そして民政後の躍動するブラジル社会の様子に触れることが出来たのでした。

ブラジルには、私の居場所がないことを知って、一抹の寂しさを覚えたことは事実ですが、他方でなんともいえない感動を感じました。勿論、当時も今でもブラジルに問題は山積していますが、ブラジル人が解決するだけの主体として既に立ち現れていたし、それが試行錯誤の長い道のりだとしても前に進んでいくものと思われ、そこに私が果たせる役割はないな、と思いました。(勿論、実際は違ったかもしれませんが)

私は、学生たちが大学の有償化政策に反対して行ったデモに参加した時に、特にそれを感じました。言ってること、掲げているプラカードは限りなくラディカルなのに、まったくカーニバルのようなお祭りっぽい、楽しい様子で、老若男女が歩いているのです。勿論、皆がリズムを様々な楽器や即席楽器(コカコーラの瓶や缶を棒やナイフで叩く)で刻み、繰り返し繰り返しシュプレヒコールをしながら練り歩く。

日本でも、原発反対のデモでも当たり前になったあの光景は、1991年のブラジルで既に日常でした。

それを、経済的な成長の成果だ、という人がいます。
日本の援助のお陰だ、とも。
しかし、労働党政権が2003年以来政権の座についている事実を、表面上で理解するとしても、社会に通底する主権意識の定着(意識化/エンパワメントの成果)抜きに、今のブラジル政治・社会は語れないと思います。
そして、その点において、日本の官民がブラジルにしたことは、多くはないこと、時に軍事政権側についていたことを、忘れるべきでもないでしょう。

サンパウロのスラムの集会所で寝泊まりしていた時、そこが集会所であるが故に、あらゆる人がやってきて私と話をするわけですが、いつも彼らは「お前はどう思うんだ?」と聞いてきました。勿論、米国やヨーロッパに行っても、同様の質問をされます。しかし、決定的に違ったのは、その先があったということです。
「お前は、どういう経験から、そういってるんだ?」

当時、20歳か21才でしたが、その言葉に答えるだけの経験など持っておらず、彼らの過酷な人生に比べれば、取るに足らない経験ばかりで、なんと答えていいやら・・・でも、彼らがいわんとしていたのは、経験の過酷度のことではなく、「私が、何故そのように考えるに至ったのか?」という「社会の中で生きる主体としての私の気づき」を問いたくてのことだった、と後々気づきました。

そこから私は、学術的な論文でも、「it is said」を使うのをやめました。そうやって容易な手法に逃げるのを。
「私の言葉」で語ることを、そしてそのために、「私としての経験」を紡いでいくことを、していこうとしました。そして、サンパウロで目の当たりにした、HIV/エイズと共に生きる人びとが、それまで家族・社会・自分自身から疎外され、隠れて生きていたのを、自ら起ち上がり、互いに連帯し、他の人びとと連帯していくプロセスの中で、社会政治を変え、社会全体に夢と希望を与えたプロセスを、決して忘れないようにしようと思ったのです。

これらの当事者運動が様々に勃興し、連帯し、ブラジル社会と政治を変えて行くプロセスがありました。しかし、為政者となった運動主体たちが、どうなっていくのかは、ブラジルでも南アフリカでも、今鋭く問われていますが、それに対抗する運動もまた過去の経験を踏み台に新たに始まっていくのだな、と思う毎日です。

フレイレの実践と本がこれらにどの程度、直接・間接的な影響を及ぼしていたか・・・については、私は十分知りません。ただいえることは、1960年代という重要な画期に、彼が行った様々な実践や本を通じての共有がなければ、ブラジルだけでなく世界の多くの人びとの「エンパワメント」は、もっと時間がかかり、もっと違ったものになった可能性があると思います。

しかし、そのような恩恵について、日本の私たちが十分それを自らのものにしようとしたか、というとここは疑問です。今でも、「エンパワメント」という言葉が、カタカナ以外で置き換えられないように、「意識化」がどうしても「内面的な気づき」に終始した理解で限定されてしまうように、私たちは依然として、「フレイレ前/解放の神学の前のブラジル」と同じ状態にあるといっても過言ではないかもしれません。

その意味で、1日1ドルの「貧困者」が、個人として1日3ドルの収入を得るようになったからといって、「エンパワーされた」といわないことについて理解されないこと、「政治」を抜いたところで貧困と開発の問題を語りたがる日本の関係者の存在は、不思議な事でも何でもないのです。

アフリカの農民組織を、「政治目的のアソシエーション」ではなく「経済理由での結合のコーペラティブに昇華させるのが援助の役割」とおせっかいを焼きたい日本の善良なる援助関係者の皆さんは、フレイレ後に生きる南の農民たちの「意識化」「エンパワメント」の試行錯誤をまったく理解していないばかりか、それを阻害している現実すら見えないことを露呈させています。これは、アフリカ諸国の為政者らにとって、とりわけ農民運動によって権力の座に押し上げてもらったいくつかのアフリカ政権にとって、とても都合の良い事であることもまた、おそらく理解せぬまま、「アフリカ政府(農業省)の要請による、政策による」といって、お墨付きを得た援助と主張されることでしょう。他方のアフリカのいくつかの国の権力者にとっては、口うるさい、しかし人数の多い農民組織を分断し、「デパワー」するために、これら「善良なる援助者らのおせっかい」を利用せんと、「経済だけが目的の農民の結合体」づくりをもっともらしく掲げ、それにカネまでも出させるという試みをやっている訳ですが…。

政府がやることは「政治抜きのこと」であって、政府のやっていることに反対することは「政治」と考える日本では、到底エンパワメントを本当の意味で理解する日はこない可能性があるわけですが、エンパワメントを本当の意味で理解する若者が一人でも増え、自らの社会の変革に取り組む糧となれば、と以下本を紹介します。
(前置きがエライ長くてごめん・・・まあいつものことだが)

が、忠告。
本を図書館で借りる、あるいは買って、全文読んで下さい。
あくまでも、気づいた点の抜粋です。

この本の章を紹介します。
序章
第1章:「被抑圧者の教育学」を書いた理由
第2章:抑圧のツールとしての"銀行型"教育
第3章:対話性について
    ー自由の実践としての教育の本質
第4章:反ー対話の理論


みて分かる通り、ドンドン手強くなっていくのが分かるかと思います。
なので、全部を一度に紹介するのは・・・断念しました。
まだ本調子でない私には、荷が重すぎますので。。。。

今日は、前章の説明をしており、そこで終わりにします。
なお、三砂先生の訳は間違いなくすばらしのですが、やや伝わりづらい点があるので、所々補足を()で入れています。特に、ポルトガル語は主語を省きがちなので日本語と同じなんですが、こういう場合は補足した方が読み手に読みやすいので、いちいち補足しています。

(10頁)
自由への怖れをもっている人の多くは、その怖れを意識しておらず、そんなものは存在しない、として直視しない。心の底で自由を怖れている人は、危険な自由よりも日々の安定に隠れようとする。

しかし、実際には、(…)巧妙なやり方で、無意識のうちに、この自由の恐怖をカモフラージュしてしまう傾向のほうがむしろ強くなっている。(ある人たちは、)自由を擁護するふりをして、自由を怖れないかのようにとりつくろい、作為的な言葉を広げていく。

こういった人たちは・・・自由の守り手であるかのような、深くまじめな雰囲気(を醸し出す)。こうなると、自由というものが、現状維持(されるべきもの)ということに見えてしまう。

だから意識化というプロセスを通じて、(この)現状維持に(は)問題がある、ということが議論され(始め)るようになると、(これらの人たちによって)本来(真の意味で)の自由はつぶされ始める。


この後、セクト主義や狂信性の問題が延々と続きます。
恐らく、全共闘時代の方々でも嫌気がさしてしまうような記述の仕方かもしれません。
しかし、今の日本で何らかの運動や活動をしている人たちには、是非読んでほしいです。これは、所謂「左」でも「右」でも、宗教でも同じです。

もう一点、注意してほしいのは、フレイレが「ラディカル」という言葉を使っている点です。
これを「過激派」と間違って捉えられる危険が出ているので、あえて書いていますが、ここでいうラディカルは「根本的な理解に基づいた革新的な行動」というニュアンスのもので、もっと広がりのあるポジティブなものです。訳が難しいので、三砂先生も「ラディカル」のままで記載されています。

決して、「過激派思想」と混同しないように!それを避けるために、延々とセクト主義批判が展開されています。一点だけ、手がかりになる文章があるので引用しておきます。

(12頁)
セクト主義は狂信性に基づいていて、結局いつも人間の思考を骨抜きにしてしまう。
ラディカルであるといことはセクト主義とは違う。
ラディカルであることは、常に批判されることを怖れず、批判によってより成長していくものだから、創造的(クリエイティブ)なプロセスである。


セクト主義は神話的ともいえる内向きの論理で構成されるため、人間を疎外していく。
ラディカルであることは批判的であることだから、人間を自由に解放する。
自由とは、人間が自ら選んでそこに根をもち、はっきりとした客観的な現実を変革するための努力をし、その状況により深くコミットして行くことではないだろうか?


私は、ここのこの本でフレイレが言いたいことの多くが含まれていると思います。

(15頁)
(右であれ左であれセクト主義は)未来を立ち上げるどころか、両者ともに「安全なサークル」に閉じこもり、そこから外に踏み出すこともなく、自分なりの真理に安住してしまう。未来を作り上げるために闘い、未来の構築のリスクを負う、といった真理とは違う。


最後のメッセージが、私は好きです。
1968年秋に亡命先のチリ・サンチアゴで書かれた序章ですが、今特に街角に出ようかどうか迷ている若い皆さんに読んでもらいたい文章です。

(16頁)
世界と対峙することを怖れないこと。
世界で起こっていることに耳を澄ます事を怖れないこと。

世界で表面的に生起していることの化けの皮を剥ぐことを怖れないこと。

人びとと出会うことを怖れないこと。
対話することを怖れないこと。
対話によって双方がより成長することができること。

自分が歴史を動かしていると考えたり、人間(他者)を支配できると考えたり、あるいは逆の意味で自分こそが抑圧されている人たちの解放者になれる、と考えたりしないこと。

歴史のうちにあることを感じ、コミットメントをもち、人びととともに闘う。

そういうことだけだと思う。


もう一冊どうしても紹介したい本があるので、フレイレ本の紹介(その1)はここまでです。
では、またいつか、次を・・・。



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# by africa_class | 2015-11-16 02:45 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

デモから熱意をもって学び始めた若者から学ぶ秋

先月、オランダの研究所で博士候補の学生たち(といっても世界中からきた活動家兼院生たちで、皆相当の年齢だが…)を前にレクチャーした後に案の定体調を崩してしまい、さらにお客さんラッシュと農繁期に突入したところで、突然7匹のネコのママになってしまい、そこに今度はいくつかの研究所からのインタビューとブラジルの大学院の学位論文審査も重なり、バタバタとする毎日だった。

この1ヶ月書こうと思って書き始めて終わらなかったことを、勢いにのせて終わらせようと思う。家族が釣りにいっているこの隙に…。

それにしても、久しぶりに研究所や大学院で先生達や学生たちと触れ合って、「研究」の空気を吸って、「ああ私は本当に研究が好き(だったん)だなあ」と実感する日々である。

***

安保関連法案を巡る攻防が佳境のある日、
教え子からメッセージがきた。

卒業後も関わることの多い彼らだけれど、彼らからのメッセージはいつも心に温かな何かを灯してくれる。そういう時、「大学の先生」をさせてもらったことに感謝の気持ちで一杯になる。子育てもそうだが、彼女ら・彼らの人生のある一瞬を、密度濃く、互いに悩みな がら関わらせてもらえたこと(もらえること)に、有り難さでいっぱいだ。親が、先生が「育てる」のではない。「共に育つ」のだ。親として、先生として、育 ててもらった。依然として足りないままだけれど、確実に彼女・彼らに育ててもらったと実感する毎日だ。

他方、正直にいってしまえば、在学中私はどこかで学生たち(ゼミや外大だけを意味せず日本の他の大学も含む)の社会・政治に対する「受け身」な姿勢に少しばかり残念な感じをいつも持っていた。それ以前に、同業者であった大学の先生や研究者に対しても同じがっかり感を持っていた。

世界・社会の一員として、世界・社会問題や政治にどっぷり浸かりながら、研究や活動をする世界の若者や研究者と交流する機会が多いこともあって、この「断絶感」が腑に落ちなかった。(多分、あまりロールモデルが身近にいないせいもあると思うので、今度世界の"Activist-Scholar[アクティビスト研究者]"について取り上げる)

しかし、多くの人は誤解していたと思うが、そしてこのブログでも度々書いてきたが、私は教室で活動の話をしたことはない。デモや抗議活動に学生を誘ったこともない。あくまでもブログやツイッターで、「ただの一人」としてしかやらないことを鉄則としていた。勿論、イベントの手伝い等は誘ったけれど、あくまでも機会としてであり、講演会等にきて話を聞いて自分で考えてほしいためであった。

自分で気づく。
自分で考える。
自分で行動する。

他人の押しつけや、煽動であってはいけない。

それではまったく意味がない。
本当に意味がない。

だから「主張」ではなく、「問い」を投げかけなければならない。


それにしたって、日本がこんなに社会としても国家としても大変な状況に陥っているのに、どこか「ひと事」な同僚や学生たちを前に、正直なところあきらめ感を抱いていたことも事実だった。「このままいくと大変なことになる」…そう気づいて何年も何年も警鐘をならし続けたのだが、「政治」は遠いところのことで、それに関わることは「中立でなくなる=偏ること/面倒なことになること」という前提は強固だった。

(*日本政府や日本の人がやたら使いたがる「中立」という言葉の問題は、また別のところで。世界的には、「中立性」よりも「公平性」が重要であること、時に「中立性」は被害者を犠牲にすることをどこかで書かなければならないと思っている。)

「皆が気づいた時には遅い」

それが、戦前の日本でも、ナチスが台頭したドイツでも、歴史が私たちに教えてくれたことであり、せめて「学びの館」にいる我々ぐらいは、誰よりも早く気づき、論じ、考え、行動すべきと思っていた。しかし、日本的な同調圧力の強さ、あまりにも影響を受けやすい脆弱な学生を前に、あるいは活動をしながら研究・教育をしているが故に、あえて学会や学内で、踏み込むことは避けた自分がいた。

いや、他の人からみたら「相当踏み込んでいる」ように見えただろうし、実際のところ、学内・学会内で「出る杭」をかって出てはいた。その結果として改善したこともあったし、変わった人もいたし、沢山のリパーカッション(「打たれる」)も受けた。でも、それらのフィールドで、私の主体的な判断として、そこまで踏み込んだわけではなかった。社会活動・運動は別であるが。

学生に対しては、「踏み込む」ことはあえて避けて、私のどうしようもない試行錯誤な「背中をみて」、何か疑問に思って考えるきっかけになればいいな・・・とは思っていた。つまり、「先生アホやな・・・黙っておけば得するのに」とか、「街頭に立って声あげる暇あれば、論文の一つでも書けばいいのに」とか。「先生のアホさ加減」に反発し、疑問に思ってくれれば、これ幸いと思っていた。そして、それが「いま」の気づきにならなくても、「いつか」自分が社会の中で、国家の中で、困ったことに出会った時に考えるきっかけになれば…そう思った。

正直にもう一つ書くと、日本の大学と学術界から一旦身を引いたのは、自分の体調やその他のこともあるけれど、この一方的で身勝手な「がっかり感」からきていた。これは社会に対しても同じだった。「じゃあもっと頑張って変えればいいじゃない」…という20代、30代を突っ走って来た。しかし、心身ともにそれに疲れたのだと思う。

でも、私は間違っていた。
そして、私の浅はかな、勝手な、愚かな考えを、今詫びたいと思う。

これまた1年生の時からもう9年近くつき合ってきた卒業生からのメッセージ。彼は、本当に真面目に勉強に取り組む学生で、いつも一番前の席にいて、質問はしないものの鋭い答案やレポートをいつも提出していた。でもあまりに真面目なんで(すまん)、アフリカに独りで武者修行に行ってとても変わった。率先して皆の面倒をみて(including me)、あれやこれやのイベントを的確に仕切ってくれた。意識がすごく高い学生であったが、でも社会に飛び込む…という点では二の足を踏んでいる感があった。卒業後は、大企業で「フツーのサラリーマン」をしている彼。その彼からの先月のメッセージ。

**
仕事と並行して国会前のデモ活動などにも参加しています。何年か前、舩田先生の家で一晩中話していたことが急速に現実のものとなっていく様子に底知れない恐 ろしいものを感じます。

民主主義とは何か、憲法とは何か、政治とは何か、いかにして生きるか、まさか卒業してから卒論を書いている時以上の熱意で勉強をす ることになるとは思いもしませんでした。

毎日のように流れてくる本当に子供じみた政治関連のニュース(報道されないことのほうが重要になってきましたが) を見るにつれ、自分が生きている社会が如何に未熟なのかを見せつけられて悲しくなります。

ただ、足元のこの社会を変えていく、自分が変わることを諦めるつ もりはありません。なにかわからない大きな力に勝つ方法はわかりませんが、負けない方法は大学時代に教わりました。

学ぶこと、学び合うこと、相手に敬意を 払うこと、語り合うこと、それがゼミの仲間以外とも少しづつですができるようになってきました。また、先生ともお話ししたいです。」
**

なぜ私が詫びているかは、もう分かったと思う。

あわせて、「デモを怖い」「デモなんてやっても変わらない」といっていた若者が変わっていった様子をまとめたとても良い番組を見つけたので、ぜひご視聴を。

■2015年10月11日

「デモなんて」 SEALDsの若者たち/テレメンタリー2015

http://www.at-douga.com/?p=14722

なお、私のところには、「アフリカで社会的起業をしたい」という若者が沢山相談にきたし、実際元ゼミ生の多くもそれをしようと考えているが、彼らのいう「社会」とは、「社会問題」とは一体なんなのか?いつも疑問に思わざるを得なかった。

彼らの頭の中には、「世界/アフリカの貧しい人びと・子どもをビジネスでWin-Winに救いたい」というイメージが強烈にあるのだが、彼らの考える「貧しさ」とは一体何なのかいつも疑問に感じていた。それは、自分の社会の闇にきちんと向き合って得たものではなく、どこか表面的な「どこか誰かの貧しさ」というイメージに振り回されたもののように思えたからだ。そのようなイメージの中で行動する自分もまた、イメージにすぎない。自分の社会の中の闇に向き合うことなしに、その闇と自分との関係を考え・直接的な意味で感じることなしに、どうやって他の社会の闇に主体的に関われるのか?…厳しいようだが、そして今の私がいう権利などないが、かつて「アフリカでの社会的起業」を奨励していた私である以上、書いておかねばならない。

自分の社会で「貧しさ」を考える気はさらさらないのに、「アフリカの貧しさをなんとかするために国際協力したい」という日本の若者が多いことにびっくりする。しかし、実はこれは若者に限らない。「開発の専門家」によくある姿勢だし、「国際開発の研究者」にも同様である。

彼らの眼差しには、「6人に1人の子どもが貧困」状態にある衝撃的な日本の現実は見えないようである。あるいは、地方開発の象徴だった原発が爆発しても、依然として汚染水を地域に地球に垂れ流し続け、「除染」という名の「移染」による廃棄物が積み上がったままでも、子どもの被ばくが放置されても、生活が困窮化する避難者がいても、教訓を学ばないまま原発が再稼働されても、「日本型開発モデル/ガバナンスモデル」は「成功」だとして、検証なしに「国際協力」し続けようという。

ルワンダの虐殺には関心があるのに、日本軍による中国での大量殺戮についてはまったく関心がない。アフリカにおける戦争と平和・平和構築には関心があるのに、日本・沖縄における戦争と平和・平和構築には関心がない。一体私たちは、「どこの誰として」余所の殺戮・戦争・暴力・平和と関わろうとしているのか?

そんな問いに、同業者からも、学生たちからも、たいした反応はなかった。

でも…原発事故の後、若者たちは静かに、悩みながら、深く深く考えていたのだ。私を含む大人達が知覚すらし得ないところで。自ら表明することなく、疑問をあきらめることなく、じっくり考え、社会と政治のあり方を見つめ、大人達を見つめ、そして立ち上がった。

ごめんね。
私もやっぱり「上から目線」でしかなかった。

また、研究者の中には、60年代末から70年代の学生運動に関わった人も多く、だからこそ距離をおいてきたことも事実だろう。それでも、研究者たちも、土壇場で立ち上がった。

私もまた、目で見えるものだけを前提にしていたのかもしれない。
自分の奢ったものの見方を反省するところひとしきりである。


まだ立ち上がっていない若者や研究者の方が勿論多い。
それは、今後もそうだろう。
でも、最前線のすぐ横で眺めていた人びとが立ち上がったことは、最近の日本では非常に珍しいことであり、かつこの末期的な状態の中では大きなことだと思う。

なお、以上のメッセージの中にある「一晩中話したことが現実化する」とは、卒業生たちが泊まりにきたある晩に、即興で一つの短編小説を口述した話のこと。

実は、現実の方がファンタジー化しているために、現実の危機を説明するには、ファンタジーを使った方が良いというのがここ数年の私の結論であった。息子の誕生以来、絵本を読むかわりに、夜な夜な即興で物語を作って聞かせたが、いつも息子は話し始めて数分で寝てしまうので、unfinishedな話ばかり…。しかも、自分も寝落ちしてしまうので、話を覚えておらず、翌日また別の物語を始めてしまう。それと同じ要領で(?)、帰る電車やバスがなくなって泊まっていった卒業生たちと話しながら、即興である物語を紡いだ。

(*なお、私は文章を書く際には二通りのやり方をする。このブログの駄文のように、書きながら考える手法。もう一つは、頭で全体を「書いて」しまってからテキスト化する手法。博士論文は妊娠・産後の最中でPCにまったく向かえなかったので、後者の手法で(この手法は、家族でも自分の目で見る迄意味が分からないらしい…が、見たらなるほどな手法)。この夜は、その折衷バージョンだった。)

その時、集った卒業生たちは「社会ムーブメント」について議論していた。なので、意地悪くも、「社会ムーブメント」がどのような可能性と限界をもっているのか、権力がそれをどう怖れて、どう壊していこうとするのか、その結果何が起こるのか…をその場にいた人たちを登場人物として一気に物語った。

舞台は「ブッククラブ」。
そこに集う6人の若者男女。

日本の歴史を振り返り、社会や人びとのあり方を考えた時に、大きな組織・運動では、運動が進むにつれて主義主張が交錯し分裂してしまうか、権力側に一気に悪用されてしまうので、一人ひとりの気づきと自立&そのような人同士のオープンな連帯(一極集中ではなく、分散型の多種多様な自発的な運動の緩やかなネットワーク)を育むことが必要…ということで、日本の皆が不勉強すぎることもあり「ブッククラブ運動」をすればいいよ、というところから話を始めた。

そして、「でも…」というところから、ファンタジーになっていった…。

いつかちゃんとテキストに落とさないといけないのだけれど、現実がすでに前にいっているので、まあいっか。面白いことに、同じ趣旨で、アンゴラでブッククラブについて分析する記事が出た。

Daily Maverick(南ア)
「分析:アンゴラの政権に脅威をもたらすブッククラブ」

"Analysis: The book club that terrified the Angolan regime"

http://www.dailymaverick.co.za/article/2015-06-25-analysis-the-book-club-that-terrified-the-angolan-regime/#.Vhnvyc55mKJ
Question: How subversive can a book club really be? Answer: It depends on the fragility of your regime. If you are Jose Eduardo dos Santos, then it’s a very subversive hobby indeed. Guns don’t scare the Angolan president – his are bigger anyway – but ideas are a much more dangerous proposition in a state that rests on such precarious foundations. By SIMON ALLISON.

そう。
独裁はブッククラブ的運動は怖いのだ。

でも、権力側による外から中からの破壊・分断、自らの内部崩壊もまた、歴史が教えてくれる教訓。一人ひとりが解放され、気づき、考え、行動できる・・・日本社会では今まで十分には重視されてこなかったし実践されてこなかった「市民になること」を、ここで手にできるか否かが、日本の現在と未来の分岐点となるだろう。

それに気づき、動いている若者・同僚たちに、心からのエールとお詫びを。
前から書いて途中になっている、フレイレの『被抑圧者の教育学』についてそろそろ本格的に書きたい。

そして、若者の不安と解放については、昨日の投稿を。

「今日結婚するメグミちゃん&みなへのメッセージ:脱「草の根ファシズム」のヒントとして」

http://afriqclass.exblog.jp/21727201

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# by africa_class | 2015-10-11 19:19 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

今日結婚するメグミちゃん&みなへのメッセージ:脱「草の根ファシズム」のヒントとして


この週末、メグミルクが結婚するという。

卒業式で素肌にマサイの毛布をまとって卒業証書をもらったメグミちゃん。北海道で高校の先生をしている。
「先生、天職です!毎日幸せです!」
そんなメールをいつかくれた。心の底から嬉しかった。

メグミちゃんは、高校生の時訪れたケニアのスラムで、大変な生活の中でも、子どもたちが笑顔だったことがあまりに衝撃で、「なぜ笑顔なのか?」を問いとして抱いたままゼミにきた。

その子どもたちの「笑顔」は心からのものか?
たまたま出会った子どもたちだけがそうだったのか?
訪問先に秘密があるのか?
訪問の仕方(間に入った人)との関係は?
そもそも「笑顔」とは何か?
誰がそれを「笑顔」と定義するのか?

きりのない突っ込みは可能だけれど、そして本人にも誰にも言わなかったけれど、その問いはすごく良いものだと思った。卒論テーマとして学問的に良いと思ったのではない。学術的には上記のように前提を特定していく必要があって、社会か学的に追求するには困難な問いである。でも、一年生の時からずっとこれを唱えてきた彼女に4年目の夏がきても異論を口にすることはなかった。

(そもそも、学生のテーマ選択は本当に自由。ここに口を挟むのは絶対にやってはいけない。勿論変えた方が良いテーマであることは多い。でも、変更もまた学生の選択であって、大げさかもしれないけれど彼女ら・彼らの一生に関わることである以上、そこは重要。これは執筆途中の大学1年生向けの本で詳しく説明したい。いつか…)

なぜか?
私には、その問いが彼女の人生の中で、あるいは彼女と共に教室にいる学生たちの人生にとって、とても重要な問いに思えたからだ。そして、この社会が切実に必要としている観点が含まれている。何より、私がゼミでやろうとしていたことと、実はとても合致していた。

そして、メグミちゃんは、卒論を通してというよりも、その問いと、彼女がその問いを発するに至った背景と、そしてそれを乗り越えようとする前向きな姿勢によって、自分と周りを解放していった。「解放」という言葉が、この点についてはとてもしっくりくる。結局は、これは「自己と他者の解放」の話なのだ。

私のゼミにはなぜか「何か」を抱えた学生たちが集う傾向があった。
ただ明るいのではない。
ただ「良い子」なのではない。
ただ斜めにみているのではない。
表面でみえるものとは別の「何か」…を抱えた若者たち。

考えてみれば、ゼミ生だけでなかった。
今の日本の若者というのは、そういうものなのかもしれない。「何か」を抱えながら、迷いながら、右往左往しながら、しかし、表面上は「フツーの若者」らしくふるまっている。あるいは、いつの時代もそうなのかもしれない。

ただ、今の若者は、中学校の窓ガラスが、先輩たちが投げた机で破れていた…なんて時代のすぐ後に中学校に入った私たち、あるいはバブル最後の時期でイケイケドンドンな時代の空気を吸った者たちとは、何かが違っている。昭和なお父さん、おじいちゃんが鎮座した「イエ」が押し付ける規範としがらみを、肌で感じ、覚えている世代と、現在の若者とは何がが。

一見無限の「自由」の中の不自由さや古びた拘束力と、たった独りで内面において闘うことを余儀なくされた若者たちの、苦しさ。誰に対しても、親はもとより、「友達」とも本音を語らないことが当たり前となった彼ら。

若い人たちが自分の本音を友人たちにも語らなくなったのはいつからなのだろう?
「いじめ」は誰の身にも、いつでも、起こりえる。
そんな不安が、若者たちが自分の本当の考え・想いすら隠してしまうほどに、それ故に無関心・無気力にさせてしまうほどに至ったのは、いつからのことだろう。

みな、どこか悲しい目をしていた。
そして、不安そうな目を。
自信満々にみえても。
何かを暴かれるのを怖れているような、そんな目を。

大学に着任して3年目。
私は、ゼミで学問を「教える」のを止めた。
手順は教える。
書いたものを学問的に批評する。
しかし、ゼミの機能として、「場」の創造を優先させようと決意した。

そのことは既に何度も書いた。
書いてなかったことは、「新しいソーシャルネットワークの場」あるいは「社会関係資本を育む(あるいは実感してみる)場」としての試行錯誤の部分について。

勿論、そういう「場」が苦手な学生も多く、違和感をもったまま、あるいは嫌な思いを抱いて卒業していった学生もいただろう。勿論、ゼミに入る前から何度も説明し、「このゼミには入らなくていい」と宣伝し、すでにゼミ生になっている人たちに相談するように提案してきた。それでも、あうあわない…はあるので、そこの部分は完全には私の責任というわけではないが、ある種実験的な部分があったのは事実で、その点では申し訳なかった。

ゼミではすべてをpeer(相互)にやることを前提とした。
言うは易し、機能させるには横軸と縦軸がうまく噛み合ないといけない。その意味では、初期のゼミ生たちの頑張りがなければ本当の意味でネットワークとして機能しなかったろう。

それでも一声かけなければならない場面は当然沢山あった。
毎年繰り返し言った言葉。
それは、他でもない、「頼ることを覚えること」であった。
そのことが「自分を「解放」してくれるだろう」ということ。

実は、日本のどの年代の人にも言えることだが、「信頼関係」「助け合いの関係」を想定する場合、自分は「助けてあげなければならない主体」であって、「助けられる側」とは考えない傾向が強い。ある時期、なぜか各地の「市民大学」(多くの場合9割方退職された方々の集い…)に呼ばれることが多く、そこでの社会関係資本を数える参加型ワークでも確認したが、受講生の圧倒的多数が「〜してあげる」「手伝ってあげる」という言葉や行動については思い至るが、では「自分が頼る側である」という意識は希薄で、「頼れる人」をカウントしてもらったら極端に少なかった。

究極的には、「他人/親戚に頼るぐらいだったら我慢する/お金を払ってでも/死んだ方がまし」ぐらいの勢いなのだ。これは、老若男女そうだった。頼る先も、若者も年配者も直系、一等(二等)親まで。「迷惑をかけたくない」「面倒をかけたくない」…そういう方があまりに多かった。

社会がそういう人ばかりだとどうなるか?
「頼り頼られる助け合い、信頼関係」など夢のまた夢。
義務かおつきあいでしか、関係ができない。

となるどどうなるか?
つまり、「ボーリングを一人でする」ことになる。
社会関係資本(ソーシャルキャピタル)論の創設者ロバート・パットナムいわく、「コミュニティの崩壊」、そして「草の根民主主義の衰退」である。
(このことは、また別の機会に書きたい。)

そして、不安のままの孤立は、自信喪失と他者への不信を生み出し、自己解放からも遠ざけ、かたくなな自分を作り出す。それは、いつかの日本の「草の根ファシズム」を再び出現させるだろう。

そして、それを喜んで創出・悪用するのは、あの時も現在も、豊かな民主主義の土壌を育むことなどまったく求めていないどころか、それを自分たちの収奪のために潰すことを厭わない権力者たちなのだ。翼賛体制を再び構築するのに好都合な社会が、不安と相互不信、疎外の中で生み出されている。

だから、権力者らのこのような悪巧みを乗り越え、一人ひとりが自分として解放され、互いを支え合い主体的によい社会にしていくためには、「自分の殻を破って頼ってみること」が必要なのだ。

しかし、「頼ること」は難しい。
「頼られる人になること」よりも。

実はこれは重要なポイントだと今でも思っている。何故なら、「頼られる人/頼りがいのある人になろう」とすることは、道徳的にも社会的規範としても教わる。だから、少々無理すればできる。でも、「頼ること」を奨励する場面はほとんどなく、「頼ること」を普通にあるいは奨励してくれるようなロールモデルもいない。したがって、多くの人が「頼り方」を知らない!(そういう私もそうだったが…)

だから、多くの日本の人にとって、「頼ってみる」「自分を投げ出してみる」・・・ことが何より未知の世界であり、考えが及ばず、やり方も分からず、やろうとしても苦痛なだけの行為であった。

でも、頼ってみた経験がなければ、頼らられる(頼ってもらう)ことの意味は本当には理解できない。身を委ねたことがなければ、身を委ねる側の気持ちは分からず、だから身を委ねてもらうこともできない。「頼り頼られ」という言葉がさしているように、まずは「頼り」である。だから、「頼ってみて」・・・を繰り返し、繰り返し、言い続けた。それでも、頼れないでいる。それぐらい、「頼ってはいけない」という思い込みはパワフルなのだ。それでも、頼ることを体感しないまま卒業してしまった学生が、数年経って突然「頼る」宣言をして驚くこともあったので、「頼ること」の重要性は言い続けなければならないかもしれない。

ゼミは「野生動物保護区」と呼ぶほど多様な生態に満ちあふれていて、よくできたもので、必ず「おせっかいさん」的な学生が一人はいて、皆の面倒をよくみてくれる。だから、そのオーラがついつい頼ってしまう雰囲気を作り出すこともあり、でもそういう学生は学生で自分は頼れないでいることもあるため、そこも根深いものがある。

メグミちゃんの問いは、そのまま私がお金だけでは測れない資本である「社会関係資本」=「頼り頼られる関係」の価値を、体験としても、実験としても、学問としても、ゼミのみんなで共に考えるよい機会を提供してくれたと思う。留学に行く一人ひとりに歌を贈ってくれたメグミちゃんの「無限のgivingな心」の根っこにあった寂しさは、もう癒されただろうか。

人生の伴奏(走)者を得て、きっとこれからも沢山の歌を多くの人に届けてくれることと思う。そして、かつてのメグミちゃんたちのような気持ちを抱える沢山の若い人たちに、暖かい光を灯してくれることだろう。


メグミちゃん、おめでとう。
と同時に、すべての(元)学生に、おめでとう&ありがとうを。
(この記事は、メグミルクをねたにしているけれど、実際は一人ひとりに向けたものです)

若き日に頼ることを教えてくれたモザンビーク北部農村のママたちに、あわせて感謝したいと思う。

なお、最近30代に突入したという卒業生たちから立て続けにメールをもらった。

みんなで仕事や色々な悩みを話しました。抱えている問題は別々のようで、実は根本はなんだか同じなように思えてきました。これからどのように生きて行きたいかを、30代になった私たちは20代とは違う視点で考えるようになってきたのかなと思います。色々ありますが、大変な時もそのままの自分の姿を見せられる友人がアフリカゼミでできたことが嬉しいです。」

違った場所(時に国で)まったく異なる仕事や人生を歩んでいる卒業生たちが、こんな風におり触れて、本当の自分の姿で、自分の悩みや想いや希望を、語り合っている…ことは、本当に嬉しい。「大学」という場は、学問を探求する場でもあると同時に、やはり一生涯の仲間を育む場所でもあるのだということを、改めて感じている。

「人」は二人の人が背中合わせになって初めて「ひと」になる。一人で生きられないからこその人であり、社会であり、世界であり、地球であり、生命であるのだということを、紅葉深まるドイツの秋を眺めながら噛み締めたい。

「頼よる関係」…は自然との関係においてもそうだ。
現代において、人は自然を制服しているつもりかもしれないが、結局はどの大災害でも自然を前になす術がない現実を目の当たりにしている。自然が人を頼るのではなく、人が自然に頼っているのだ。そのことを一瞬足りとも忘れてはならないと思う。知らず知らずに頼っている自分を発見し、それを受け入れるところから、きっと本当の関係が見えてくるし、だからこそその関係を本当の意味で育むことができると思う。(ここは少し言葉足らずだけれど、今太陽が出て来たので畑仕事に!これにて失礼・・・)

最近の日本に再び蔓延しつつある「草の根ファシズム」が、本当の意味の「草の根民主主義」によって乗り越えるには、まずはこの一人ひとりの不安と孤立(疎外)を脱することが不可欠であって、そのためには信頼でき異論を唱え合える開かれた仲間同士の連帯へと向かっていかねばならないと思う。

その意味でも、みなの経験は希望なのだと知ってほしい。
そして、一人でも多くの人を巻き込んでいってほしい。
路上でがんばる若者たちが、こういうプロセスを経て連帯の力を得たことにエールを送りたい。
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(木こりのツレの置き土産があるが、それは気にせず…日陰はもう寒いので、太陽にあわせて薪割りの場所を移動しているのです)

本当は別のゼミ生のメッセージについて取り上げようと思っていたのだけれど、畑でこのことを思い出して先に書いておいた。続けて、別の学生のメッセージについて。
「デモから学んだ若者から学ぶ秋」
http://afriqclass.exblog.jp/21729533


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# by africa_class | 2015-10-10 22:49 | 【大学】アフリカゼミ(3・4年)

翁長知事の国連人権理事会でのスピーチ&日本政府代表の反論+所感(分析にかえて)

*注1(21日夕方):急いで3度ほど聞いただけで、訳したので間違っていたらすみません!録音があればもう少し正確に訳せるのですが…。
*注2:
self-determinationは、「自己決定権」ではなく、国際法上通常使われる「自決権」としています。ただ、沖縄の背景・現状・皆さんの想いにおいては「自己決定権」の方が良いでしょうが(詳細は末尾の「所感」、国連人権理事会総会という場の性格を考えると「自決権」であるべきなのでそう訳しました。またこの点は後日ブログで改めて書きます。
『沖縄の自己決定権』(新垣毅編、高文研)が出ているそうなのでご一読を。>
2015年2月16日の
沖縄国際大学でのフォーラム「道標(しるべ)求めて―沖縄の自己決定権を問う」の動画→http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-238976-storytopic-1.html>
*注3(21日夕方):両者の主張を聞いての私の所感は末尾に入れています。夕食を作りながらなのでまた明日見直します。
*注4(22日3時):私の所感に加筆。安倍政権・日本政府だけでなく、沖縄出身ではない我々の責任にも言及しました。
*注5(22日正午):英文や訳文が出てきました。録画と原文にそって修正すべき点を加筆(青色)しておきました。致命的な訳し間違えはなかったと思います。
*注6:なお、西洋語から日本語に同時通訳的に訳す場合と文章を翻訳する場合では、訳の手順が異なります。テキストの翻訳をする場合は、装飾部分を前にもってきて文章に統合する形で訳すと滑らかですが、同時に訳す場合は間に合わないので2つの文などに切り離して訳します。簡潔さを要求するビジネス英語では、日本語の装飾に次ぐ装飾満載の文章は嫌がられるので、通常においてもこれぐらい切っておくべきでしょう。が、ポルトガル語やフランス語となると日本語と似た状態になりますが。なので、以下は、あくまでも聞き書きの訳ということでこのままにしておきます。日本語文としては成熟さや美しさが欠けています。
*注7(24日午後):どうやら日本政府代表が、「人権理事会での取り扱いはなじまない」と理事会後に(日本のメディアに対して)表明していたようです。この点についての所感をさらに末尾に付け加えました。
また、国連人権理事会年次総会2日目に行われた「島ぐるみ会議」の再反論の全文も掲載しています。

【琉球新報】「人権と関係ないというのは本当に残念」 知事、政府に反論

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249301-storytopic-3.html
*注8(同上):本日、翁長知事が、日本外国特派員協会で記者会見を行っており、日本政府代表の反論についてとてもまっとうで、私たちも学ぶべき事実や論点を披露されています。すべての方に視聴して頂ければと思うので、是非リンク先の動画をご覧下さい→https://www.youtube.com/watch?v=96Gtk9mqLqI
*注9(10月12日)このような話題・分析をより読みたい方は
例えば以下の投稿をご笑覧を。(外務省のサイトから「植民地支配」に関する記述が消えたそうなので、かなり確信犯だと思いますので、改めて分析をします)

「一括掲載:安倍首相談話の分析〜被抑圧者の視点を含む現代国際関係史からの考察」

http://afriqclass.exblog.jp/21548918/


【原典】
動画(沖縄タイムス):http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=133925
原文:http://www.okinawatimes.co.jp/photo_detail/?id=133924&pid=961964
訳文:http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=133924


【琉球新報】自己決定権、人権「しっかり伝えたい」 知事、国連演説へ

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249216-storytopic-3.html
市民外交センターは国連登録NGO。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/peacetax/

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国連人権理事会 年次総会 2015年9月21日 ジュネーブ
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【翁長知事のスピーチ】
議長:次は市民外交センター

議長、ありがとうございます。
私は、翁長雄志、沖縄県知事です。
世界の皆さんに辺野古に関心を寄せてほしい。
沖縄の人びとは、その自決権を蔑ろにされている状態にある。
(この最後の2文はくっつけた方が良い)

第二次世界大戦後、米軍は我々の土地を武力で収用(強制的に接収)し、軍事基地を建設した。
我々は我々の土地を自らの意思で提供したことはない。

沖縄は、日本の0.6%の面積を占めるに過ぎないにもかかわらず、73.8%の米軍基地(在日米軍専用施設)が沖縄に集中する。
戦後70年、米軍基地は、多くの事件・事故を起こし、環境破壊をしてきた。
我々の自決権や人権が蔑ろにされてきた。
我々の国は、国民の自由、(平等が抜けてました)、人権と民主主主義を保証しておらず、そんな国がどうして他の国々と価値を共有できるだろうか。(<=大体あってたかな)

日本政府は現在、新しい基地を、辺野古に、美しい海を汚して(埋め立てて)でも建設(作業を強行)しようとしている。過去1年間、すべての選挙で沖縄の人びとは繰り返し基地建設に反対の意思を示してきたにもかかわらずである。

私は、この新しい基地建設に対し、あらゆる手法を使って阻止する所存(覚悟)である。

今日このような機会を頂き、話ができたことに感謝したい。

【日本政府代表からの反論】
日本政府代表として反論の権利を行使する。
市民外交センターを代表してスピーチした沖縄県知事の発言に反論する。

日本の政府にとって、国家の安全保障は、国民の平和な生活を維持する上で最も重要な課題である。安全保障を巡る状況が急激に深刻化している現在においては、特にそうである。

日本政府としては、米軍駐留による負担を軽減することは最優先課題である。米国政府との協力によって、いくつかの負担軽減策を取ってきた。例えば、今年3月、米軍の施設に使われていた土地51ヘクタールを返還した。また、日本政府は、沖縄の経済振興をするために、沖縄をアジアのハブとして位置づける努力もしている。また、日本政府は、沖縄県との間でハイレベル協議を設置し、この件について話し合ってきている。

米国海兵隊飛行場の普天間からの移設は、米軍の存在(抑止力)を継続的に保証する一方、それに関わるリスクを排除するため、唯一の解決策である。普天間基地は人口集中地にあるからである。

そして、この普天間基地からの移設計画は、歴代沖縄知事によって、1999年、2000年、2013年にエンドース(承認)されてきたものである。また、辺野古での基地建設のための許可は、仲井眞・前沖縄県知事から法的に合致する形で与えられたものである。日本政府は、今後も関連法・制度のもとに、この移設を適切に進めていく。

なお、移設にあたっては、自然・生活への環境インパクトを鑑み、環境インパクトアセスメントもしている。

日本政府は、今後も沖縄への十分な説明を継続していく所存である。

*録画がアップされたようです→https://www.youtube.com/watch?v=oceiZSnYLAc
夕食を作らねばならないのでこれにて失礼。後日正確な訳をアップします。


【両者の演説を聞いての所感】

日本政府代表の「反論」は、翁長知事のスピーチの根幹である「自決権」(「選挙で繰り返し示された民意」)の侵害について、一言も反論できておらず、日本政府が繰り返し国内でやっている説明を繰り返しただけで、国際的には通用しない文言が列挙されているに過ぎません。これでは、人権理事会に集う人権エキスパート達に、次のような印象を与えたと思います。

日本政府は、
「反論になっていない」=「翁長知事の主張をスルーした」
「沖縄の人びとの訴えに不誠実である」=「人権侵害の訴えに真剣に取り組もうとしていない」

具体的には例えば、以下のものです。
1)「負担低減やってる」
<=といって出て来たのは51ヘクタールの返還のみ。

2)「経済振興やってる」

<=これを自決権の反論として使うのであれば逆に人権エキスパート達の反感を買うでしょう。というのも、国連で「自決権」という言葉を使う場合は特にです。当然ながら、戦後の国連は「植民地支配」「他民族支配」「人種差別・隔離政策」に厳しく対応してきた過去があるので、「経済振興しているから自己決定権は後回しで良い」という論理は、コロニアルなものとして受け止められます。
*この場面では決して、決して、決して…触れてはならない言葉でした。

3)「対話してる」
<=じゃあ何故知事が市民社会枠を使ってまで、国連人権理事会総会で演説しなければならなかったのか?に応えておらず、日本政府の「自決権」に対する反論のなさを鑑みても、この「対話の無効性」を明確に示す結果となりました。
*私なら「対話してきたが」として反論材料にしますが。

4)「説明を継続する」
<=出た!…の感がありますが、問題は「説明」ではなく、相手(沖縄)の民意や自決権に対してどう対応していこうとするのか?という検討であって、一方的な感じが否めず、人権や対話の尊重ができていない国であることが逆に露呈してしまっています。

いずれも、「してやってる感」=「上から目線」が濃厚な反論ですね。

内向きな論理でしか反論もできない日本政府…あーーーあ。
この反論させられた外務省職員が翁長知事の言葉を受けて「自分の言葉」を語れないのは日本の外務省・政府のあり方の問題が根底にあるので気の毒ではありますが、国際社会の共感を呼ばない、あまりにも稚拙な反論だったと言えるでしょう。

あえて言えば、この日本政府の反論は、官邸との調整で先にカタマっていたものであり(文言の細部も含め)、その意味で、ベクトルの方向として、日本政府に向けたものであって、国際社会に向けたものではなかったといえると思います。(まあ、日本政府・外務省によくあるパターンですが)

一方、翁長知事の訴えは、かつて植民地支配された国々・人びと、人権を重視する国々・人びとの胸にきちんと届いたと思います。また、彼がジュネーブまできて訴えなければならなかったという事実、そして国連人権理事会の年次総会という場でこれが繰り広げられた時点で、「国際世論に訴えたい」という目的を持って演説に望んだ翁長知事やその周辺の勝利ともいえます。

<=誰でもいつでも話せる場ではないので。

そして、国際的には気づかれないだろうけれど、事情を知る者として「ああ日本政府・外務省らしく、本当に不誠実・不公正で嫌だな」という点は、「基地移転計画が3度歴代知事に承認されている」という部分。

翁長知事の辺野古移設反対の土台を崩そうという論理で出てくるのですが、「辺野古への移設」は仲井眞知事以外に承認された事実はないのに、あえて辺野古という文言を使わずに「基地移転計画」という言葉を主語に使うことで、ギリギリ「ウソ」と言われないように細工しながら、「彼以外の知事は承認してたからやった」かのように反論している点です。

国際舞台でも繰り広げられる不誠実でセコイ日本政府の手法に、本当に悲しくなります。

【所感への加筆】
最後に、「何故国連人権理事会の年次総会でこの案件(辺野古新基地建設)を取り上げることができたのか?」という点について、多分不思議に思っている皆さんは多いと思います。

これは、かなり長いスパンで沖縄の人びと・市民社会が取り組んできた国内外の活動の蓄積の成果です。これ以前に気が遠くなるような活動の数々があったのですが、説明が長くなるのでまた別の機会に取り上げます。

キーワードは、もしかして日本の皆さんには聞き慣れないかもしれない「自決権(self-determination)」があります。しかし、これこそが第二次世界大戦後の世界を、とりわけ国連の場(特に総会)を、大幅に変えてきた論理です。おそらく、皆さんも、世界史の授業や教科書で学んだことでしょう(日本史でほとんど取り上げられないからこそ今回の問題に繋がってくるのですが…この論点も改めてどこかで書きます)。

沖縄の人びと・県政がこの「自決権」を使い始めたことは、世界史的な連続性があり、琉球史・日本の近現代史上、とてつもなく大きな大きな意味があります。

*ただし、「民族自決権」とくくることについては翁長知事は慎重なので、ここは要注意です。これには色々な立場が沖縄の中でもあるので。http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=133383&f=cr

安全保障関連法案を巡る政治のあり方への疑問が、「国民主権」「主権在民」の基本に注目する動きを生み出していますが、沖縄の人びと、そして翁長知事が「国民主権」ではなく、あえて「自決権」という言葉を使っている理由を、日本の政府だけでなく、沖縄以外の人びとが理解しないのであれば、事態はもっと緊迫していくと思います。

現状においては、安倍政権の数々の強権的な振る舞いが一番の問題です。しかし、根本原因には、長年にわたる私たち自身の意識・無関心・無理解・真剣な対応のなさがあります。

大戦時の犠牲、米軍統治もそうですが、その前史である薩摩藩の支配、「琉球処分」、から紐解いていかないと、永遠に理解ができないでしょう。

この点について、知事らが参加したシンポジウムは手がかりになると思います。


【沖縄タイムス】翁長知事、沖縄の苦難の歩み切々 国連でシンポ

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=133935
「琉球処分から説き起こした。…キャンプ・シュワブゲート前での県警による市民の強制排除、海上保安官の暴力を示した。参加者は真剣な表情で見入った。…「反米でも反日でもない。基地をこれ以上造らないでほしい、というのは過大な要求ではない」と訴えた。8月に沖縄を訪問した国連人権理事会特別報告者のビクトリア・タウリ・コープス氏もシンポに出席。「沖縄の人々には自己決定権がある。この不正義を正さないといけない」と、援護射撃した。」

そして、冒頭に紹介した24日の翁長知事の日本外国特派員協会での記者会見は、大変短いのにすべての論点が明確に説明されているので、沖縄や駐日米軍基地の歴史を十分知らない皆さんにはおすすめです。いつもながら、すばらしい通訳者の方が通訳されているので英語の勉強にもなります!
→https://www.youtube.com/watch?v=96Gtk9mqLqI

私は、沖縄出身ではなく、かつ薩摩の関係者として、国連人家理事会総会でこれを訴えなければならなかった翁長知事とその後ろにいる140万もの沖縄の人びとに、深く深くお詫びしたいと思います。と同時に、翁長知事をはじめとする皆さんの決意と勇気に最大限の感謝を述べたいと思います。私たちは、日本国内で沖縄の人びとの叫びを十分に受け止め、この問題を解決できなかった事実を重く受け止め、なんとか責任を果たしていかなければならないと思います。

世界に恥ずかしいのは、安倍政権・日本政府だけでなく、私たち一人ひとりでもあることについて、今一度共に考えて頂ければと思います。


【所感への追加加筆〜日本政府代表による「人権理事会になじまない」発言】
会議後、嘉治氏は記者団に知事の演説について、人権理事会での取り扱いはなじまない、との見方を示していた。」(琉球新報 9月23日)

日本政府代表が本当にそう考えるのであれば、国連人権理事会の場で、正々堂々とそう表明すれば良いのです。しかし、知事演説に対する最も重大な反論であろうこの点について、日本政府代表は理事会議場では一言も触れず、総会が終わった後に日本&沖縄向けに言った点がさすが「二枚舌外交ニッポン」ですね。

なぜ議場で日本政府代表はその点を追求しなかったのか?
それは簡単。
人権「後進国」日本では通る論理かもしれませんが、国際的にはまったく通らないからです。

当然ながら、人権侵害を訴えている人がいる場で、しかもそれを訴えること自体が国連人権理事会に認められている以上、「それは人権侵害ではない」と述べるのは「セカンド侵害」です。

それを分かっていて、あえて議場で発言せず、しかし国内向けにそのように発言してメディアに報道させた点がこれまたセコイ。しかし、このような場外での抑圧的言動は、むしろ日本政府の人権意識の低さ、沖縄の人びとの基本的な権利を尊重する気のなさを露呈しまい、更なる反発を呼ぶ結果となってしまったと思います。

以下、知事の会見でのコメントと2日目に再度理事会総会で市民社会からの日本政府代表への反論全文を掲載しておきます。

【琉球新報】「人権と関係ないというのは本当に残念」 知事、政府に反論

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249301-storytopic-271.html

「翁長知事は22日午後(日本時間同日夜)、国連欧州本部で記者会見し、知事の国連人権理事会での演説について日本政府が「軍事施設の問題を人権理事会で取り扱うのはなじまない」などと批判したことについて、県民は米軍基地から派生する事件事故、環境汚染や騒音などに苦しんできたとした上で、「人権と関係ないというのは本当に残念だ」と反論した。」

【島ぐるみ会議】FB
9月22日国連人権理事会年次総会
https://ja-jp.facebook.com/shimagurumi


***
議長、ありがとうございます。


この場を借りて、先住民の権利に関する分科会において発言をする機会を与えてくださったことに感謝を申し上げます。さらに、国連特別報告者のビクトリア・タウリコープズ氏にも今年8月に我々の故郷、沖縄を訪れてくださったことに心より感謝を申し上げます。


日本政府が発表したコメントのいくつかの点について説明をさせていただきたいと思います。
第一に、沖縄集中する米軍基地負担の軽減策の一環として今年3月に51ヘクタールを返還した、と日本政府は発言されました.しかし、51ヘクタールというのは在沖米軍基地面積のわずか0.2%にすぎません。


次に、日本政府は、基地建設に必要な埋め立てについて、仲井真元沖縄県知事より承認を得て、関係法令に基づき行われていると発言しましたしかしながら、第三者委員会はこの承認手続きについて検証を行い、その手続きが法律上瑕疵があると結論付けました。現翁長雄志県知事は、その承認取り消しに向けた手続きを進めています。建設の継続は法律違反となります。


また、日本政府は経済振興策を負担軽減策の一つであると発言しました。しかし、経済振興策で人権侵害が軽減されることはありません。だからこそ翁長知事は、国連人権理事会で訴えるためジュネーブまで来たのです。


安全保障の重要性により人権の重要性がないがしろにされることがあってはなりません。





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# by africa_class | 2015-09-22 00:26 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

薪クッキングストーブと木工作品:森の木々への母と息子のパッションから

恵みの雨がしとしと。
サッカーを2日1度するTeen男子の家庭としては、晴天でないのは悲しいものだが、緑がシャキッと蘇っていくのを見るのは愉しい。昨日はこの1週間毎日しなければ…と思いながらまたしても寝込んでいたため出来なかった冬野菜の種まきをようやくした。久しぶりの雨に濡れた土の匂いは、素晴らしく心を落ち着かせてくれる。よく出来たもので、クローバーがこんもり茂っている土ほど良い香り。自然農法でよく使われるクローバーだが、マメ科故に根粒菌が窒素を固定してくれ、土壌が豊かになる。クローバーではないものの、似た葉っぱ(しかし黄色い花)をつける草があるところも同じ。これなんだろう…。

一つひとつ、すべてが勉強の毎日だ。
春も夏も1年に1度しか来ないものだから、後元気なうちに何度の春と夏を経験できるのだろう…と考えると、過ぎてしまった何度かの春と夏が切ないぐらいに愛おしい。もっと大切に、充実した春や夏を過ごせばよかった。あれも作ってみればよかった…などと考え始めるのはよそう。

はかなくも、たくましい命を今日もいただきながら、そんなことを思う。

普段は所謂「雑草」も抜き取るまではしないために、またザーサイでもレタスでも丸ごととるなんてしないために、「命を奪った」感は少ないのだが、丸ごと使うタンポポだけは、「奪った」感が拭えない。勿論、そこかしこに広がっているから「足りない」感はまったくないのだが。

そういえば、息子は家で食べる自家製レタスやキャベツとスーパーで見るそれらが同じものだと長い間思わなかったらしい。というのは、自家製のものは、丸ごととって食べたりしない。いくつかのものの外側の葉っぱを少しずつ少しずつ収穫して食べるために、お互いをリンクさせることができなかったのだ。「冷凍カット野菜」が袋に入った状態しかみたことのないアメリカの少女が、ドイツで丸ごとあったニンジンを見て驚いたように…。

自給自足をすると、同じ時期に同じ種類の作物を作ることの無駄、丸々収穫してしまうことの問題に直面する。モザンビーク北部のお母さんたちは、品種を使い分けて収穫時期をずらしているのに納得する。勿論、我々には冷凍庫と冷蔵庫、オイルにビネガーに砂糖という保存に使えるものが身近にある。でも、そんなに何でも一気にできると困ってしまう。

去年、3本の木に洋梨が2百個もなって、本当に困った。
洋梨のコンポート、洋梨のタルト、洋梨のジャム、洋梨のビューレ…あらゆるもので保存を試み、最後は地下室に貯蔵してみたが、1ヶ月もたなかった。あれは悔しかった。が、最後は洋梨のカレーを作ったのだが、これがウソみたいに化けてくれて、何も言わなかったら、「水っぽいジャガイモかウリ?」な感じ。カレーにリンゴを入れるというところから発想したのだけれど、「ものは試し」だと実感したところ。リンゴよりも洋梨の方が断然美味しかった。日本では超高級品の洋梨。しかも、日本の洋梨には農薬がついてることが多いが、完全無農薬の洋梨はとっても貴重。だけれど、一度になる…のがたまらない。しかも地上3メートル以上も上に…。

リンゴの木も古く木登りしないと届かない場所にリンゴがなる。
選定の仕方を考えれば良かったんだろうが、何せ前の住民が植えたものだからどうしようもない。なので、とりあえず消費量の多いリンゴを、色々な品種の苗を入手してみた。息子の生物の先生が農家なので、無農薬のリンゴの木がタダで手に入った。
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下草刈りを何度言ってもしてくれないので、この後自分でやったのだけれど、こっちの鎌と日本の鎌の概念が違いすぎて今でも鎌がなく、大きなハサミのようなもので草刈り…つまり効率悪し。

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で、これらのリンゴと木登りして子どもたちがとったリンゴ。右側の5つはすでに虫食いにあってた。でも大丈夫!リンゴは用途がとっても広いので、とりあえず喰われた部分だけとって、小さくしてみた。薪ストーブに火がついていたので、とりあえず条件反射で黒砂糖と煮始めた。

病気療養が1年半以上も続く私が、なんとか家の家事をこなせているとしたら、とにもかくにもこの薪ストーブのお陰。どんな料理も「切る・ぶち込む・混ぜる・放置する」…だけだからだ。後は、土鍋と土瓶、Fisslerの鍋のお陰かな。Fisslerの鍋では、本当にごく僅かな水ですべてが蒸せる。

Fisslerのステンレス鍋
https://www.fissler.jp/jp/products/pots/pot_top.html
Fisslerを使った無水調理の方法
https://www.fissler.jp/jp/cooking_tips_culinary_trends/study_of_dry/brief_study_of_dry.html

このポイントは、「美味しさ」「ビタミンを壊さない」だけでなく、無水(というが極僅かな水での)調理ということは、あっという間に調理が終わるということ。つまりエコなのだ。他の鍋では入れた野菜の上まで水を入れて煮ないと煮れない。となると入れた水を沸騰させるのに時間がかかり、その分の余分なエネルギーがかかる。

ジャガイモを丸ごと煮るのに普通の鍋でかかる20-30分が、この鍋では10分程度。ほうれん草なら完全無水で2-3分という優れもの!初期投資は高いが、我が家では20年間同じ鍋。全然古びないし、後20年は余裕でいけるだろう。これまで使った20年で計算しても年2千円。普通の鍋でかかる水代・ガス(or電気)代を考えれば、楽々元が取れる。一家に1つあれば十分。Fisslerの圧力鍋が日本では人気だが、実は我が家はステンレス鍋で全て貫徹。なので、圧力鍋を買うかステンレス鍋を買うか迷ったら、出番の多い後者をおすすめしたい。(*が、我が家は肉をまったく食べなが魚は食べる「エセベジ」なので、圧力鍋の出番がそもそもない…という特異な事情もある)

でも、やっぱり薪クッキングストーブが全ての根幹である。
なので、今日も雨な上に昨日農作業をしすぎて身体が言うことを聞かないので、ずっと前から書きたかった薪クッキングストーブの話。

前にも書いたが、ドイツでも戦後薪ストーブは部屋を温めるためだけに使われ、台所で使うなどということはまったくなくなってしまった。万一あっても、ほとんど飾り的な役割かやはり暖房と温かいお湯を常に沸かしておくためにあって、これだけで調理のすべてをこなす人はほぼいない。なので、ストーブや煙突の専門家が我が家にきては驚くのだった。
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去年の冬に台所に入れてから、冬でも、春でも、夏でも。
外が35度を超えても、調理は薪ストーブのみ。といっても、ドイツの家は外断熱で石の家なので家の中は冷蔵庫のように涼しい。なので問題なし。

しかも、ドイツのキッチンといえばIHばかり。つまり電気!!!となると、土鍋も使えないし、コトコト煮るのも難しい。焼き魚なんてもってのほか!でも、一番原がたったのはケーキやパンを電気で焼かないといけないこと!!!敷地内・外に森が広がる田舎に住んでいるのに、バイオマスを使わないなんてあり得ない。いつまでここにいるか分からないものの、とにかく心身の健康のためにも(!)薪クッキングストーブを買ってみよう。ということで買ったのがこれ。このストーブは北イタリア製。展示品を買ったので1500ユーロ(19万円)ぐらい。でも、煙突がそれを超えるのが痛い…。

が、こちらは電気代が非常に高いので(月1万円ぐらい *ただし、高く感じるのは我々が日本でOMソーラー&ガスで月2千円も払えば十分以上だったからもある)、クッキングのすべてのプロセスから電気を省くと1.5年で元がとれる計算。しかも、セントラルヒーティングを動かさなくとも1階は温まる。なので煙突代を含めても、3年で楽々元はとれるのだ。

でも薪ストーブはとにかく煙突が全て。二重構造の長く上に延びた煙突を年に2度しっかり清掃しないと、火事になるのを覚えておいて下さい。ドイツの家は石の家なので総簡単には火事にならないものの、日本は木星だし、家が密集しているので、とにかく煙突でケチらないことが何より重要。清掃は専門の業者に任せた方が良い。ドイツは法律があって、年に2度専門家に掃除してもらわないとストーブを設置できない。そもそも、煙突とストーブの監査役がいて、彼のOKが出ない限り使えないというのも凄いが、それだけのものであるとまずは理解してほしい。その大前提さえこなしてしまえば、後は愉しい薪ストーブライフ。使い方のコツはまた今度。

今日は、食べ物の話。
で、大量の虫食いリンゴをどうしたのか?
ベリーのソースと同じことだけれど、果物を煮る時重要なのが、コレ。でも、日本では知られていないことが多い。ドイツでは、わざわざケーキコーナー等にもっと細かい奴が売ってある。これは、私の自家製…というか、去年剥いて食べた後の無農薬オレンジの皮を捨てずに切って天日乾燥させたもの。
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ただの甘さを超えたさわやかな上品な味にしてくれる。
問題は、無農薬のオレンジを入手することが難しい点…。
甘夏とかはっさくとかでも良いので是非近所に木があったら、譲ってもらおう。大抵収穫せずに木にならせたままのお宅が多いので。

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で、シナモンを入れてほっておけば、薪ストーブが勝手に焦げもせずに3時間後これを作ってくれた。1日冷蔵庫に入れたので見てくれは悪いが、すっごく美味で、子どもに珍しくとっても褒められた。

■「リンゴの?」の作り方
(1)リンゴを一口サイズに切る
(2)熱湯をほんの少し鍋の底に敷いた上にリンゴと黒砂糖を入れる
(3)木べらで焦げないように軽くかき混ぜる
(4)蓋をして5−10分して水分が出てきたら、
(5)シナモンスティックを入れて一回混ぜて、蓋をしておく
(6)20分ぐらいしたら、干したオレンジの皮を入れて混ぜて蓋
(7)後は放置
<=しっかり形が残ってシャリシャリしたのが良ければ20分ぐらい加熱し後は保温調理
<=上記は途中で忘れてしまったので…3時間ぐらい加熱した状態のもの

これだけだと超甘いので、以下のものの上にちょっとのせる程度が良いと思う。
*バニラアイスクリーム
*甘くない生クリーム
*ヨーグルト
*クッキー

この「リンゴの?」の素晴らしいのは、家中甘酸っぱい素晴らしい幸せな香りに包まれること!薪ストーブでこれを作る利点は、「砂糖が焦げないこと」に尽きる。ガスでもIHでも、色々試して来たが、どんなに弱火でも鍋の中身は長時間放置すると焦げるもんだ。けっこう頻繁に混ぜないといけない。なので「完全放置」は不可能だった。

しかし、薪ストーブなら薪の大きさで火加減だけでなく、火が持つ時間を調整できる!この場合、大きい薪を一本入れて下の空気孔を少しだけしめておくと、1.5時間はことことと煮ることが可能。薪が燃え尽きても、ストーブ自体は温かいので、そこから余熱調理が1時間ほどできる。スープやソース、煮込み料理が好きなのに、無精者には、ここが最大のポイント!

ああ、薪ストーブに行き着くまで、何度鍋を焦がしたろう…。
日本は家が狭いのとキッチンがリビングだったので仕事も何もかもそこでしていたので「鍋を忘れる」ことは稀だったが、それでもゼロではなかった…。なので、煮込み料理は「保温クッカー」を使っていた。つまり、10分ガスレンジで加熱したカレーを、そのまま保温クッカー(ただの大きな魔法瓶をイメージしてくれれば)にぶち込んで6時間。

サーモス社のシャトルシェフ
http://www.thermos.jp/product/list/shuttlechef.html
これもお値段ははるが、子どもが大好きなカレーやシチューを作るには、fisslerステンレス鍋でもそれなりに時間がかかる。何より、「翌日のカレーの方が美味しい!」という皆の実感の根拠は、じっくり煮込む方が美味しいというのが理由。なので、前夜あるいは朝に5-10分程度調理して、後はシャトルシェフに入れておけば帰宅時にまだほのかに温かくて、少し温めるだけのおいしいカレーが完成する。我が家は、炊飯器もポットも電子レンジもない家なので、土鍋でご飯を炊くのだが時間がないだろうという日は朝のうちにシャトルシェフでご飯を炊いておいた。

が、これ日本から持ってくるのを忘れた…。こちらではキッチンはキッチンなのでどうしてもずっとはいられない。なにせ布団から基本的に出るのが難しい状態が続いたので、鍋を弱火にして放置…焦げた匂いで気づく、、、という恐ろしい事態が何度も生じた。なので、病気の者にはとっても向いている調理具としては、薪ストーブを超えるものはない。

日本では、シャトルシェフを使ってヨーグルトも自家製していた。長らく牛乳を使ったヨーグルトを家で作っていたが、ドイツには豆乳ヨーグルトがあって、家でも作れるんじゃないか…と狙っていた。丁度、「リンゴの?」を作った時間帯がお昼と夜の間だったため、ご飯を作るには時間が早すぎたので、みそ汁の出汁を取るのと、豆乳ヨーグルトとパン粉を作ることにした。(といっても、いずれもただぶち込み、放置…)

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これまた写真が横になっているが…。

■豆乳ヨーグルトの作り方
うちは牛乳を飲まない家なので、基本は豆乳で。
ただし、牛乳を使って、普通の市販のヨーグルトでも同じ要領で自家製ヨーグルトが作れる。まあ、日本では「ヨーグルトの素」となる粉が売っているが…。

(1)自然色品の店にある豆乳ヨーグルトを買ってくる
<=牛乳ヨーグルトでも、自然食品の店にあるものの方が菌が強いのか、作りやすい。
(2)その食べ尽くした後の容器に新しい豆乳を入れてよく振る
<=不安な人は、4分の1ぐらい残したものを活用
<=この時点でバニラ味の豆乳を入れるとバニラ味のヨーグルトに
(3)それを煮沸消毒した瓶いっぱいに詰めて振る
(4)ストーブの端っこの保温コーナーに置くだけ
(5)約7時間ぐらい放置すると、良い感じにとろとろになる
(6)ただ冷蔵庫に入れて、少し冷やすのと少しかためる
ベリーソースや上の「リンゴの?」をかけて食べると、とっても美味で上品なデザートに。

*バニラ入りの豆乳が売っていない場合は、
<=バニラビーンズを豆乳に入れて少しの間温める
*薪ストーブがない場合は、
(1)鍋に70度ぐらいのお湯を入れる
(2)その中に瓶ごと入れておく
(3)適宜熱いお湯を足して温度を保つ
(4)20分ぐらいしたらバスタオルと毛布でくるんで5時間ほど放置する
<=この時、保温クッカーがあればそれを活用

で、薪ストーブのトップには、いつも土瓶に薬草茶、お湯、そして昆布が入った水の鍋がのっている。基本和食なので、出汁にはいつも出番がある。前の日から水につけてストーブの上においておけば素晴らしい出汁が。ちなみに、昆布はやはり「日高昆布」が一番よい出汁がとれる。粘りがあるし。しかも、出汁をとった後でも、厚みがあって旨味は残っていて、これを刻んで他のものに使っても未だ美味しい。
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焼きおにぎりだって、トルティーリャ(メキシコの)だって、お好み焼きだって焼ける。しかも、真ん中のリングを取ると、直火で中華鍋も熱せる優れもの。
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けれど重要なのは、身近に里山や森があるということ。薪を買ってもいいけれど、枝ぐらいは集めたいもんだ。でも、日本中の山林は荒れ果てている状態にある。多くのご家庭で、すでに薪ストーブは使われていないし、自分で薪割りをする余力もない事も多い。荒れ放題の山林が、生物多様性を減じさせ、野生動物の食べ物を減らしてしまって、里に降りてくることも多くしている。タダで薪や枝を頂く代わりに、山の手入れをしてあげるときっと喜ばれると思うのだが。
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腐っていた木々をチェーンソーで伐った後、森の木々は元気になったし、下に生えてくるものが多様性を帯びるようになったと息子がいう。

家から200メートルのこの森にきたのは初めて。それすらなかなか出来ないような状態なので。でも、息子が、森の木を伐ったら、光がさすようになって色々な生き物が元気になってる!と興奮して話にきて、かつこの苔のような不思議な緑のぶったいとその横の植物が、どうしても気になってみてほしいという。・・・ので、ついてった。
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通れるように丸太の橋を…。しかし結局落ちたので意味ないが。
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元々鶏とウサギ小屋だった納屋は、現在森の薪でいーーーーぱい。この後さらに2人の男達はがんばった。こういうのはさすがに私にはまったく無理だ。
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森の中で朽ちたり腐った木々は薪になるだけでなく、息子の木工の材料にも。そして出てくるおがくずが、薪クッキングストーブの着火の材料になる。使い捨ての着火マンなんて要らない。マッチがあれば。

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森の木で器を製作中。
やりたいの分かるけど、注文の品…未だだったよね…。
かなり言い訳していたが、やっと半年前の注文の品である棚を完成させた。
スケッチブックの手書きの「へ?」というものしか見ていなかっただけに、出て来たものをみてそれなりに驚いた。

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上にも棚を付けてと言われたので、自然食品の店のスペースをみて、柱などをよける形でスペースを活用した方が良いなと思った息子は、以下のようなデザインに。前よりずっといい。

で、この棚皆に喜ばれ、250ユーロでお買い上げ頂いた!
今迄で一番沢山のお金を払ってもらった。あまりに嬉しかったのか、さっき一枚ずつ数えて一人ニヤニヤ…していたが、130ユーロはすぐに父に没収…の憂き目をみた。借金ね。私への300ユーロは…この棚の上におく商品をなんとか終わらせるところから。しかし、棚が出来た途端に満足感があるのか、途端に器の作業が止まった。
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なお、このアクロバティックな棚、納品したらぴったりはまったそうな。
測ってもいないんだけど、ちゃんと頭に焼き付けたから…と。
あかんやろ、それ。。。。
結果オーライすぎる。
人生そんな甘いもんちゃいまっせ、にいさん。

そういうところが修行が足りなすぎる…正直なところ、ちゃんとした修行をしてほしい。でも、こういうのも本人の自覚に任せるしかないと思っている。

というのも、私はピアノで辛い想いをしたからだ。
高度成長期、女の子はピアノを習うものという呪縛が母世代にあったようで、とにかくピアノを姉妹全員が習わされた。田舎だったもので、ピアノのあるお宅に、都会からピアノの先生が通うというスタイルで、一人30分ずつしかレッスンの時間がない。しかも、その先生はやたら厳しく、間違えると手を叩くのだ。まだ10才にもなっていないのに、間違えると叩かれる。この恐怖でピアノが弾けなくなってしまった。しかも、先生は誰一人ピアニストになれそうにない田舎の私たちに、それはそれは英才教育をしようとした。何度も何度も基礎を叩き込んで、それが終わるまで次に進めない。曲に親しむことができないまま、機械的に指が正確に動く迄何度も何度も同じところをさせた。なので3年生になる頃には相当弾けたが、嫌で嫌で仕方なくて姉がやめるついでに私もやめた。

母は怒ってピアノに鍵をかけ、その鍵をどこかへやってしまった。
家が貧しかった母はどんなに欲しくてもピアノを買ってもらえなかった。だから、授業の終わった音楽教室で独学でピアノを覚えた人だった。だから、私を身ごもって高校の体育の教師を続けられなくなったため、辞める時の退職金で、念願のピアノを買った。それだけに、母は傷ついたのかもしれない。「もうピアノなんか弾かなくてもいい!」そう怒って、鍵を隠した。

何年か経って、たまたま家の裏に声楽とピアノの先生が引っ越して来た。そこから聞こえる音色に、ある時雷にうたれたようにピアノが弾きたくなった。プロになれるわけもないし、なりたいわけもないから、ただ自分が弾きたい音楽を弾けるようになりたい…。そう思ったのだ。しかし、ピアノの鍵はないし、母はもう絶対ピアノは習わしてくれないという。

そのお宅には可愛い3才の娘さんと産まれたばかりの赤ちゃんがいた。特に、上の娘さんは私になついている。ひらめいた・・・(そう当時からひらめいたのです)。子守りとピアノのレッスンを交換したらいいんじゃない?親に相談もせずに、先生のところに直談判に行った。中学校1年生のころのことだった。今考えるとええ度胸しとんな〜という気がするが、実は先生も困っていたのだ。レッスンの間、誰も子どもたちの面倒をみてくれないので、ピアノの部屋に子どもたちをおいてレッスンで集中できない。かといって中学1年生に頼むか?というのもあるが、何故か先生は任せてくれた。それを大学に入ってブラジルに行くまで続けた。6年間になる。

結局、ピアニストになるような技巧も才能もない私だが、自分の弾きたい曲を弾くという願いはかなえることができた。その経験があって、息子に「基本をおさえてからやってほしい」という想いを持ちつつも、「奏でたい音を奏でられることが原動力と持続力なんではないか」と思って、余口を挟まないように努力している。ただ、作品の出来上がりについては、消費者としてまったく容赦なく批評するが…。どうすればよくなるかについては、本人の自覚を待つのみ。辛いが…。

一応、紙に色々デザインは書いているのだが。偉いアバウト…。
デザインブックというか、スケッチブックは家具や器やなんやらのデザインだらけ。最近は、「時計が作りたい」と言い出した…。
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で、死ぬほど沢山の時計のデザインを描いていらっしゃる。ついに、おじいちゃんの懐中時計まで分解してしまった…。

彼の愛読雑誌がこれ。
建築・家具の雑誌。高いので買ってあげられない…ので、売り上げからせっせと買っている。確かに、広告に時計がよく出ているものの…そこ?しかも今?やっと専用の売り場が出来たのに?!
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「家具」というと、2年前ウサギを家の中で飼うために作った小屋が最初だった。
そして、去年引っ越してから最初の作品はこれだった。半分壊れた日乾し煉瓦を集めて来て、納屋に捨てられていた防水シートをハサミでジョキジョキして作った小さな池。この中に小さなコイがいる。
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そこから木工へどんどん向かっていったのは、木々に囲まれていたことが大きいと思う。

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木への愛は半端じゃない…と本当の意味で理解したのは、彼のカメラのデータをもらった時だった。なんせこのこぶの写真が何十枚とある。
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こんな風に、違った種類の木の板の表情だけでも200枚は撮っている。
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で、あのコブはこうなった。
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やっぱりパッションが必要だ。
自分の心のど真ん中に。
あなたのパッションは?

声をかけても振り向けないほど没頭してしまう「何か」を、大切にできるといいですね。



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# by africa_class | 2015-09-04 07:14 | 【徒然】ドイツでの暮らし

モザンビークでのジャーナリスト暗殺と国会前抗議の地続きの今、考えてほしいこと。

金曜日(2015年8月28日)、モザンビークで、最も尊敬されるジャーナリストの一人であったパウロ・マシャヴァ(Paulo Machava)独立新聞(Diario de Noticias)編集長が暗殺された。カステルブランコ先生(国立大学経済学部教授、IESE[経済社会研究所]創設者)と独立系新聞(MediaFax)編集長の裁判(8月31日)直前の、「これでもか」という脅し。マシャヴァ編集長は、この二人の訴追に対して反対キャンペーンの先頭に立っていた。26日に、モザンビーク・ジャーナリスト連合の抗議声明を取り纏めた矢先。朝6時にジョギング中に走り去る車の中から撃たれて死亡した。

ついに心配していたことが起きてしまった…と、あまりにもショックでまたしても寝込んでしまった。

「アフリカだから…」等としたり顔でいうなかれ。
そんなことを言う人は、いかにアフリカの多様性、モザンビークの固有性を知らないか、理解・知識のなさを露呈するだけだから。

ゲブーザ政権の二期目(2004年以降)迄、モザンビークは表現の自由においてはかなり進んだ国であり、ジャーナリストの暗殺はカルロス・カルドーゾ(2000年)以来、40年の歴史で2人目にすぎないのだ。そして、偶然の一致ではほとんどないと思うが、マシャヴァはカルドーゾ暗殺事件をずっと追い続けてきた。

外務省にもJICAにも日本企業にも何度も言って来た。
モザンビークは坂道を転げ落ちるように人権状況を悪化させている、と。特にこの2,3年は酷い状態で、その2,3年に日本の官民がモザンビーク政府・エリートに対して行っている支援や投資はその遠因の一つであることも指摘してきた。いわゆる「資源の呪い」だ。

しかし、これらの機関の人々は耳を貸さないばかりか、「人権状況は悪化していない」等と繰り返していた。すでにこの点は紹介したのでそちらを参照下さい。現実を受け止めず、現実に沿った対策がたてられず、「耳障りのよい情報」に依拠して戦略をたてる癖は、戦時中と同じだ。そして、その根拠として引っ張ってくるデータの問題はSTAP細胞問題と変わらない。

■プロサバンナの衝撃的な出来のマスタープランを材料として、大学1年生の基礎ゼミをする。

http://afriqclass.exblog.jp/21527387/

でも、実のところ、私は「オオカミおばさん」であればいいと思っていた。私の論文執筆の際の「将来展望を楽観的に持ちつつ、悲観的に分析する」という姿勢の結果であり、これ以上は悪くならなければよい、と。でも、モザンビークに関わる皆さんには伝えておかねば、と。

残念ながら、事態は予測した通りに悪化してしまった。
途中で期待がなかったわけではない。

今年1月にニュッシ政権が誕生し、同じFRELIMO党の支配が40年間続いているとはいえ、前政権が強めていた独裁に近い権威主義的傾向・暴力の方向性は転換するかもしれない…と多くが期待した。実際、同政権の閣僚は、FRELIMO党内の幅広い層の人を集めており、「対話」の重要性を繰り返し強調するニュッシ大統領への市民社会やFRELIMO党員の期待は大きかった。

しかし、現実には、2015年に入って次のようなことが発生していたのである。
(NGOのサイトからの抜粋。詳細は以下のURLを)
http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-entry-173.html

【2015年1月のニュッシ政権誕生以降起きていること】
① 2月:国立公園でのサイ密猟を取材中の国際ジャーナリスト2名の拘束と訴追
② 3月:野党案を支持したシスタック教授(憲法学)の暗殺
③ 6月:与党FRELIMO事務局長の汚職を報じた独立新聞に賠償命令
④ 6月:前大統領の退陣をフェースブックで要求したカステルブランコ教授(経済学)と2独立新聞編集長の訴追決定 *8月31日裁判 
<=内1新聞の編集長(Canal de Mozambique)は病気で国外のため訴追を免れる。
⑤ 8月26日:モザンビーク・ジャーナリスト連合は④上記訴追の中止を要求
⑥ 8月28日:最も尊敬されるジャーナリスト&新聞のマシャヴァ独立新聞編集長の暗殺
(⑤の実現に尽力)

多くの人は、「シスタック教授の暗殺」で初めてモザンビークの人権問題や「言論/表現の自由」の問題に注目したかもしれない。しかし、実際は徐々にじわじわと色々な兆候が出ていたのだ。今日は詳しくは書かない。以上のリストを見れば、言論抑圧がクレッシェンド(徐々に強化)されていった様子が明らかだろう。

これは、AP通信の取材に対する全国ジャーナリスト連合の会長Eduardo Constantinoの以下の一言に明確に表れている。

AP通信(2015年8月29日)
http://bigstory.ap.org/urn:publicid:ap.org:e01c374d143140659135a0e206957d89
「我々の国のジャーナリストらを黙らせようというさらなる試みだ(once more a way of trying to silence journalists in our country)」
南部アフリカ・メディア研究所は、次のように語る。
「マシャヴァの殺害は、『報道の自由を妥協させる恐怖の空気』を作り出した。」

このようなモザンビークの状態について、FRELIMO党の創設者の一人であり、1964年から独立まで英語ニュースの編集者であり、独立後内務大臣を努め、ザンベジア渓谷開発事業の総裁を務め、日本にも来たことのあるセルジオ・ヴィエイラのメッセージは、一読に値するものである。なお、ヴィエイラ元大臣は、汚職に手を染めるゲブーザ大統領の批判を繰り返したために、党の中で孤立を余儀なくされ、数々の脅しにあっている。

ヴィエイラ元大臣のメッセージについて、私が知ったのは、次のCanal de Mozの記事であった。ともに訴追の可能性がありながら、病気で編集長が裁判を免れたCanal de Mozであるが、二人を応援するために最前線で言論の自由の危機に立ち向かっている。

Canal de Mocambique 2015年8月27日版

A reflexão de Sérgio Viera e a deCastel-Branco têm dois denomina-dores comuns: a saturação peran-te a destruição do projecto de umpaís, em nome de um nacionalis-mo cínico acumulador, excluden-te, oleado pela ganância desmedi-da e por um desrespeito profundopelas noções de República, Esta-

do, suas instituições e cidadãos.


今日は訳する元気がないが、カステルブランコとて、17才の時にFRELIMOに入り植民地解放闘争に身を投じ、ゲブーザ前大統領と共に武器を取り、独立後は経済学者として教鞭をとりながら、歴代政権、ゲブーザ大統領のアドバイザーであった。モザンビーク政府のど真ん中で働いてきた人たちが、今の政府の状態をこのように述べているのは凄く重要である。逆にいうと、彼らはFRELIMOのど真ん中の人間だったからこそ、比較的「安全に」批判ができたのである。

「ある国の破壊のプロジェクト」


そう。独立の半分以上の期間、この国を見つめてきた私の感じているのも、その点なのだ。人権侵害、汚職、バッドガバナンス、民主主義の後退、権威主義化、軍国化・・・色々な言葉を使わざるを得ないが、どの言葉も今モザンビークで複合的に起こっている現象を捉まえることはできない。

「どんな苦境も希望を胸に立ち上がってきた「人びと」の国」

国は乗っ取られたのだ。
Greed(貪欲さ)に満ち満ちた為政者とそれに群がる輩によって。

そしてそれを支える中国・インド・日本。
勿論、アメリカや世銀や欧州の一部の国も批判は免れない。
しかし、少なくとも彼らはモザンビーク政府の耳の痛いことを公然と指摘できる。一報、中国・インド・日本は、自分の国が人権問題を抱え、権威主義やバッドガバナンスの体制故に、政官財の汚職まみれ故に、ガバナンスや人権問題、平和の危機について何一つ問題提起することがない状態でいる。このことは、モザンビークの為政者らに「人権、人権とうるさい国以外にも支援してくれる国がいる」という開き直りの姿勢を可能とさせる。

問題は、「ガバナンス」という無味乾燥な言葉で想像するものを超えている。

モザンビークでは、このような「国の破壊」をなんとかしようと、憲法が保障する言論の自由と結社の自由を使って、なけなしのカネと勇気で立ち向かう大学教授やジャーナリストたちが存在する。農民運動や社会運動、人権活動家、教会の人びと。「モザンビークの良心」ともいえる一群の人たち。かつては、FRELIMO党の中にも、政府の中にも、政府メディアの中にも沢山いた…。彼らの捨て身の努力があって、モザンビーク社会の正義はギリギリの、ごく僅かな最後のスペースにではあるが、保たれている。

なのに、これらの人びとを「外国の操り人形」「反乱者」「野党支持者」とよんで、弾圧するのを黙認する投資家・外国政府…そして、日本政府とJICA。

そのことが「モザンビーク社会の最善・最良の部分の人たち」を、いかに危険に追いやり、裸で政府に対峙させるか、そのことが結果として「国の破壊」に至り、汚職まみれの金満不正国家を生み出すか、繰り返し書き、述べてきた。この人たちとこそ、日本政府やJICA、企業や市民社会は、連携・連帯すべきところなのに、目先の「資源ほしさ」「メンツ」、あるいは「政府とだけやってればいい」の浅はかさ、あるいは理解のなさ故に、組むべき相手ではない相手たちと今日も悪行を重ねる。

詳しくは以下。

■敗戦直前に燃やされた陸軍資料、そしてマフィゴ代表の死とプロサバンナ。12団体「緊急声明」から考える

http://afriqclass.exblog.jp/21539066/

絶望してはいけない。
最前線で身体をはって闘う人びとがいる以上。

カステルブランコ教授は、昨日の裁判で、当然ながら無罪を主張するとともに、ゲブーザ大統領に退陣を迫った理由として、彼とその家族の汚職の数々を一覧として裁判所に提出するという行動に出た。暗殺長後の、あまりに勇気のある…正直なところ涙が出た。

BREAKING: Castelo Branco lists Guebuza's businesses, tells court how he wrote his speeches in 1977, Mozambique

http://www.clubofmozambique.com/solutions1/sectionnews.php?secao=mozambique&id=2147491324&tipo=one

大統領を辞めても巨大な利権を獲得したゲブーザ前大統領とその家族の影響力は健在である。それなのに、あえて彼らの汚職の数々をモザンビーク司法、社会、世界に問題提起したのだ。。。

彼は、裁判所でこう述べた。
「1980年代はゲブーザも理想を共有できる相手だった。しかし、今の彼は解放闘争の理念を侵害する人に成り果ててしまった。しかし、私は今でもこの理念を胸に生きている。 」

日本では知られていないのかもしれないが、ゲブーザ大統領家族はアフリカで最も裕福な一家の一つにのし上がった。それもこれもすべては「民営化」という言葉を使いつつ、国の権益を切り売りしてのことだった。ここら辺の話は、NGO主催の勉強会で使った資料を参照されたい。

【報告・資料】緊急勉強会「安倍総理が訪問するモザンビークで今起きていること~和平合意破棄後の援助、投資」
http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-entry-62.html

多くが、人びとの犠牲の上に築かれたビジネスである。その象徴が、プロサバンナの初期構想そのままの事業といわれるザンベジア州グルエ郡ルアセ地区で行われているAgroMoz社による大豆生産がある。ブラジルの大豆生産企業と組んで、ゲブーザ大統領の投資会社が多なっている大規模大豆生産は、地域の人びとの土地を奪い、人びとは恐怖に各地に拡散して、避難者生活を送っている。そして、この会社が空からまく農薬のせいで、子どもたちにすでに健康被害が出ているという。

■プロサバンナの問題を一括掲載している報告書は以下
https://www.dlmarket.jp/products/detail.php?product_id=263029
■日本の4NGOによる報告書は以下
http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/advocacy-statement/data/proposal%20final.pdf

なお、モザンビークの市民社会によって、この会社を含むナカラ回廊沿いの土地収奪の数々について、農民の声を紹介する動画が作製され、公開されているということなので、以下参照されたい。
https://www.youtube.com/watch?v=ptH1j_ye-oA&feature=youtu.be
http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-entry-174.html

本当は英国の研究所にいたカステルブランコ教授は帰国して裁判を受けなくとも、亡命することもできた。ポルトガルの国籍だって簡単に取れる。しかし、彼は7月のインタビューで、そんなことをしたらもう一人を危険に曝すし、何よりモザンビークを愛している市民として、危機に陥る言論の自由をなんとしてでも守らねばならない、との決意で裁判のために帰国したのだった。

そして、彼らを守ろうと、立ち上がったのも独立時の理念を共有し、モザンビークを良い国にしようと闘い続けてきた人びとであった。Abdul Carimo Issaは、裁判官であり、検察官であり、FRELIMO国会議員であり、法制度改革技術チームのトッップであるが、「ゲブーザ前大統領の尊厳を傷つけようという意図どころか、この公開書簡はこの国が現在直面する危機へのクリティカルな貢献である。 書簡を読むと、これが我々はもっと改善できるのに、できていないことへの絶望が読み取れる」。彼も身の危険を顧みず、証言したのだ。

モザンビークには、未だこのような人たちが残っている。
彼らが大統領や政府にこびを売って同じように儲けるのはとても簡単だ。別に独立系新聞などで危険に曝されなくともいい。政府が起訴した人を守ろうとなどがんばらなくていい。大多数の「官製」ジャーナリストは、なかなかキャンペーンに賛同しなかったという。大学の教授たちも、今となっては政府の言う通り、企業の言う通り、プランを作ればいい。黙ってればいいのだ。そうすれば、コンサルタントやアドバイザーとして重宝してもらい、カネはがっぽり入る。子どもたちも、親戚も、留学させてもらえるし(奨学金応募に値するかどうかすら政府が決定)、そもそも睨まれることなどない。暗殺の脅迫も受ることもないし。

しかし、個人の利益のために、あるいは自分だけを守ることを是としない人びとが、まだこの国には残っているのだ。もう最後の一握りであるにもかかわらず、彼らは最前列で声を上げている。UNAC(モザンビーク全国農民連合)だってそうだ。なのに、プロサバンナによって、そのUNACを排除・分断させようとしてきた3年間だった。詳細は、NGOのサイトの以下の資料。

■ProSAVANA事業で長引き、悪化してきた諸問題に関するNGOの見解と資料一覧
〜なぜ援助を拒否したことのなかったモザンビーク農民や市民社会は、日本政府とJICAにNoといい、怒っているのか?〜
http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/activities/201508prosavana.pdf

今、日本の国会前で起きていることも、そうだ。
皆、怒っている。
怒るべくして怒っている。
モザンビークの農民と同様、主権を踏みにじられたからだ。
沢山の血を流して得た平和の時代に制定された憲法で、主権在民が書き込まれているというのに、それが目の前で踏みにじられているからだ。

日本では今、自分の不利益を引き受けてまで若い人たちが身体をはっている。それに先生達、大人達が心を揺さぶられ、ようやく動き始めたのだ。無私の心は人を動かす。それに比べて、日本もモザンビークも、世界も、あまりに私利私欲の追求者によって牛耳られている。その犠牲になっている人びとは、それでも騙されたままである。現状は、これらの為政者がいなくなると悪くなる、、、と信じ込まされて。自らが立ち上がることを度外視するあまりに。

■大学生のスピーチに思う。「名を伏せた者たち」が進める全体主義の今(その1)。
http://afriqclass.exblog.jp/21484478/
http://afriqclass.exblog.jp/21487530/

そういう私でも「イケイケドンドン」でもいいかな、という時期もなかったわけではない。チヤホヤされて嬉しくない人はいないだろう。しかし、その時に、モザンビークの農民たちのところで毎年修行させてもらい、また権威主義の国日本内で市民活動をしていたからこそ、狭いサークルで利己的に生きる限界に気づくことができた。

■長い夜にブレない生き方について考える〜ガンジーの「ノー」の価値論と「五日市憲法草案」、そして沖縄
http://afriqclass.exblog.jp/21326990

今、私たちは本当に岐路に立っている。
目の前は崖だ。
人類が世界のあちこちで闘い勝ち取ってきた、大切なたいせつな価値を、自らの手で、一時の狭い欲望にかられてこれを破壊しつくすのか、否か。

モザンビークで起きていることも、日本で起きていることも、地続きで起きている。
世界は常に連動していたのだ。
そして今はまさにもっと同時進行である。

あなたの理解、あなたの立ち位置、あなたの一歩、あなたの一言、、、すべて世界という大海に投げられた小石のように、輪を広げ、広がって行くことを想像してみてほしい。

国会前のあなたの姿は、日本の多くだけでなく、世界の多くの人を勇気づけたということを、今一度日本の皆が認識してくれたとしたら、モザンビークの危機もいつの日か共に乗り越えられるかもしれない。

決して自分のためでなく、人びとの権利と幸福ために、最期の最期まで闘い続けた、モザンビークの
・「憲法の父」故ジル・シスタック教授に、
・「農民の父」故アウグスト・マフィゴUNAC代表に、
・「ジャーナリズムの父」故パウロ・マシャヴァ編集長に、
とその家族に、心からの哀悼の意を表したい。

A Luta Continua.
(闘いは続く)


*なお、マフィゴ代表のご家族やUNACへの連帯メッセージと香典は以下のサイトで受付中(9月10日まで延期中)です。
https://docs.google.com/forms/d/1c--v5-ruK4VuQBCiFVq_WMKhbNISilVQro_ALLzpxlY/viewform?usp=send_form


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# by africa_class | 2015-09-02 02:55 | 【考】21世紀の国際協力

桜島噴火の一報に接し、ドイツでブラックベリーのソースを煮ながら考えたこと:人間の傲慢さと自然への畏敬の念について

祖父は幼少の頃、桜島の大噴火によって故郷を追われた。
突然の火砕流が屋敷を襲い、お手伝いの方におぶわれて小舟に乗って、父母の安否も知らぬまま逃げたという。丁度100年前の出来事。その後も灰はつもり続け、屋敷の門構え、敷地にあった神社の柱のてっぺんが10センチほどにょきっと出ているだけだ。一家はすべてを失い、桜島に戻ることなく、曾祖父が教師をやって食いつないだ。

曾祖母の一家に婿養子として入った曾祖父は、薩摩武士の家系の人で、当然ながらもはや武士では食べていけず、教養をかわれて海を渡って桜島に婿に行った。地域あっての暮らしだった曾祖母の一家。曾祖父のようなどこでも使える技能を持った人が家族にいなければ、鹿児島市での避難生活でもっと苦しんだろう。
(なお、薩摩による奄美大島を含む琉球の支配の問題については、いつか書きたい。サトウキビのプランテーションを薩摩藩が強いた結果、多くの人々が餓えで亡くなった。このことは、凄く多重にも深い問題を含んでいる)

生前、祖父と一度だけ桜島に行った。
なかなか行きたがらなかったので、皆で説得して。
子どもたちははしゃいで噴火跡をみたがったのに、祖父は黙って遠くを見つめるばかりだった。祖父にとっては、素晴らしい故郷、我が家。それが一瞬にして火砕流に呑み込まれ、のんびりとした自然豊かな暮らしが、避難一家となっての生活に切り替わった。祖父が口癖のように、「噴火さえなければ…」をいっていた。

最後に桜島に行ったのは、祖父の妹、大おばちゃんが未だ元気だった5年前のことだ。東日本大震災が起こる1年前に、なぜか息子を連れて桜島に行こう、そう思った。祖父の言葉を一番聞いてきた大おばさんが元気なうちに…そう思って。屋敷跡の前にはお墓が広がっていた。しかし、墓石は倒れたり、傾いたりで、避難が地域にもたらしたインパクトは暮らしだけでなく、歴史の継承であるのだとつくづく感じた。

あの海に面した素晴らしい温泉宿だった古里は廃業したらしい。噴火の影響もあるが、日本どこでも田舎が消滅しつつあることが、本当に気がかりだ。急速に廃れて行く日本の田舎と、相次ぐ火山の噴火、そして地震。突発的な大雨の影響も大きい。そしてこれは日本だけの現象ではない。今迄以上に人災と天災の間を生きて行く私たちとして、どのように自分たちの今迄「当たり前」にしてきたことを問い直し、新しい「当たり前」の価値を紡いでいくべきか、そんなことを考える毎日だ。

いつか日本の田舎に戻る。
その時まで精進しなければ。

とはいえ、肝心な自分の体調が思わしくなく、低空飛行ならではの視点で。でも、これはこれで、とても残念なことであるが、同時にすごくよいことだと思っている。なにしろ人間は過度に活動しすぎる。特に私は…。農でもそうだ。ついがんばってしまう。自然に任せるべきところまで踏み込んで、もっと早く、もっと大きく、もっと多く、もっと人様にとって美味しく、奇麗であれ、と自然に要求する。そのことがより加速度を増し要求度を上げた商品としての食を消費者に求めさせ、それが生産者を追いつめ、やりきれなくなって担い手を失っている。結局、工場のような生産方式が、このような「お客様」の要求を満たすには効率がよい、となる。かくして、私たちは自分たちの命を育む食のすべてを、ビジネスに委ねようとしているのだった。

(この全体をFood Regime論が明らかにしているが、これもまたいつか紹介する。)

だから、今の日本や世界の状況に疑問を持つのであれば、自分の「食」(そしてエネルギー源)からなんとかしなければならないのだが、そう書いた瞬間に、ある種の「しんどさ」を感じる人もいるかもしれない。なにせ日本の人たちは、頑張り屋だから、溢れる情報のいずれもが、「がんばろう!」のねじり鉢巻をしない限り手がでないような…そんな圧倒的な様子を醸し出している。

でも、私がいってるのは、たった一つのパセリの鉢から始まる物語なのだ。

そこから窓辺にプランターを置いて葉もの野菜を育てるのはどうだろう?苗のまま買って来たプチトマトでもいい。調子にのって、ベランダにゴーヤを這わせてもいい。さらに調子にのって、玄米を水につけて数日後出た芽を使ってバケツ稲を育ててもいい。

家に花や観葉植物を飾るように、食べ物を育て、愛で、食せばよいのだ。

ただし、自然の中にいない植物は当然弱い。
ここをクリアーするには、ある程度の頑張りが必要。
ただ、レタス系、ゴーヤ、パセリも虫に強い。
そういうものを選ぶということも重要。

実は、私のハーブの暮らしは東京でのアパート暮らしから始まり(関西に帰省の度に鉢を持ち帰った)、ついに小さいものの土地のある家を持った時にどんどんエスカレートした。あれもこれも試したくてうずうずして、草木灰と竹灰を作るために子どもたちに穴掘り競争してもらい深く掘った穴で燃やして煙が出過ぎたり、あんな猫の額のような土地でようやったわ…というぐらいあれもこれもした。有機農業の色々な手法を試して、その度に手応えがあって、結構な満足感があった。

土地が狭いとどうしても、それぐらいやらないとロスが大きいので、過干渉になる。これは、子どもの数が少なくなった現在の日本のご家庭と同じか?我が家も子ども独りなので、かなり気をつけたつもりだが過干渉になっていたかもしれない。

努力はそれなりの結果を出す。
しかし、前にも書いたが、そら豆を育てていて、アブラムシとの闘いを繰り広げ(牛乳、コーヒーの出がらし、ニンニク、灰)、ある時一切合切を止めた時に、自然と大丈夫になった時に、ある種の境地に達したのであった。もしかして…私やりすぎてた?

もちろん、自然農法も知っていた。
でも、本当の意味で、それを心の真ん中で理解したのは、病気になったことが大きかったと思う。また、自然農法のためには、ある程度の土地の広さと、環境(木々たち)が必要なことも、あったと思う。東京の真ん中で、やはり自然農法を実践するには、なかなか難しいものがある。やれることはやってみた。粘土団子、藁を活用すること、前の作物が咲いている最中に次の種を撒く事。でも、言葉で学び、一部取り入れながらも、本当の意味では心の中でストーンと落ちるところまでは至らなかった。

福岡正信さんの「わら一本の革命」は、世界中に影響を与えた本だ。
http://i-yo.jp/
福岡さんの軌跡
https://www.youtube.com/watch?v=aBtaRJvvsK0
世界に大きな影響を与え、何言語にもなっている
https://www.youtube.com/watch?v=XSKSxLHMv9k
木村さんの「奇跡のリンゴ」の方が、今の人たちには知られているかもしれない。
https://www.youtube.com/watch?v=avFe15j_Gv8

去年の春にこの家に来て、田舎故にとんでもなく広い敷地を前に、「がんばって家族の食料を生産しなければ」という想いに駆られたものの、今より症状が悪く、思えば思うほど畑に出られない毎日だった。とりあえずコンパニオンプランツ同士を撒いて、藁をかぶせておいて、後は水やりも含め天に任せた日々。

でも、自然は勝手に循環を導いていった。
つい先日までトレーラーハウスがあった場所に撒かれた森の土、藁、刈り取った草、種…いつの間にか、苗を攻撃しようときた虫達を食べるてんとう虫やありがきて、その虫達を食べるカマキリやカエルがきて、そのうち花が咲いたら鉢達がきて、そして毎日少しずつ美味しい収穫物を食卓に提供し、そして種になって、でも種採りをして春に撒くつもりが、あまりに体調悪く、そのままにしながら、冬がきた。ことのほか寒い冬で、何度も雪がつもり、霜がおり、凍結した…のに、春がきたら勝手に芽吹いた。芽吹いたものを収穫しながら放置して日本に戻って帰国したら、今度は次の収穫を準備してくれていた。

泥だんごと一緒。
種は芽吹きたいところで芽吹くものだ。
芽吹きたいときに。

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去年、道ばたにこぼれたルッコラの種が、勝手に芽吹いた様子。
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まったく別の場所で去年収穫したザーサイが、芝生のど真ん中に作ったハーブガーデンの中に出現した様子。

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で、これらを収穫した。
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コンポストの土が十分熟してなかったので、そこらにあった穴に放り込んでおいたら、どうやらジャガイモの芽が勝手にジャガイモの苗に…。それに薪ストーブの灰をかけている。右横はあきのげし。これぐらいの状態は、そのままサラダにしたり、みそ汁の具材にする。タンポポの葉と比べ、癖がなくて食べやすい。

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ここは、去年からまったく種まきしなかった一角。ここ1週間の雨で、ネギに、ルッコラ、わさび菜、タンポポ、おそらくラディッシュが芽吹いている様子。

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ちょっと写真が悪いが、ネギ・ルッコラ・ニンジン・タマゴ・キノコ・イワシの缶詰で作ったサラダ。ネギとルッコラとイワシの缶詰は相性がすごぶるよい。で、このネギも今年はまったく植えてないので、冬を越したもの。それだからか、みじん切りにするにはあまりに涙が止まらないほどの刺激で、タマネギを超えるほど・・・なので、みじん切りにできなかった状態。

でも、これらが可能だったのは、種が固定種・在来種だから。
F1ではこういうわけにいかない。
一番重要な命の源である「たね」。
これが、今遺伝子組み換えやなにゃらによって、規制されようとしている。(けど、今日は未だ復調してないので<だからブログなんか書いてる>いずれ・・・元気になった時に。いつかわらかんけど)私たちは、土のこと、水のことばかり気にしてるけど、本当は種がすごく重要ということ…をいつか書きたい。そして、今グローバルなビジネス戦略によって、それが脅かされて、決定的なところまできていることも。

自然に畏敬の念を感じるのは、これだけではなかった。
あまりにトゲだらけの蔦に覆われた敷地の果ての森に、沢山の倒れた木があって、薪にするために家族総出で斧を持って森を切り開きにいった。茨の道というのだろうか…。が、この「厄介なトゲの蔦」の正体がやっと分かった。
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なんと、ブラックベリーの一種、ブロンベリ(「棘の灌木」)だった…。去年、これが「邪魔」でとにかく見つけては刈ってしまったので、畑にも庭にも実はならなかったのだ。なんと愚かな!!!私の魔の手を逃れた森の奥で、とんでもなく大量に実を付けていた…。
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ざっと2キロは収穫できた。125グラムで2.99ユーロなので、すごい!
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豆乳とアイスでスムージーを。添えたのはローズゼラニウムの葉っぱ。香りが素晴らしく、気持ちを盛り上げてくれる。
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ベリーを摘んだ後は、枝を収穫。この枝を薪ストーブで燃やし、ベリージャムを作る。薪ストーブは間接的に温めるのでジャム作りには本当にうってつけ。焦げないし、忘れても、薪を入れなければ勝手にストーブが止まる。じわじわ煮出すので、本当に相性がいい。
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で、出来上がり。
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あ、横だがまあいっか。ヨハネスベリーとブラックベリーのソース。それぞれ黒砂糖と去年のビオオレンジの皮を干したものを煮出したもの。バラは、いま旬だけれど、体調が悪くて蒸留できないので、もう少し元気になったらローズウォーターを作る為に乾燥させている。

ということで、家族全員、あちこち傷だらけだけれど、自然の恵みに感謝感激の毎日。
本当は池に大量の魚が育っており、これを食べるのであればさらにエンゲル係数が減らせるが、ついでに大量の草が出るのでヤギを飼ってチーズでも作れば…そこまでは、やめておこう。

人間の(私の)無知なる介入が、いかに多くの可能性を閉ざしてきたのか…反省しきりの今日この頃。


草一本、人間が作ってるのではない。
自然が作っているのだ。

(by 福岡正信)


追伸:
私の自然農やその他の試行錯誤は個人的なものであって、援助どうこうの「あるべき姿」だとまったく思っておらず、それぞれの農民が考え自らの方向性を決めていくものだと思っていますので、あしからず。とはいえ、アフリカの農民らの営みから学んだことはあまりに多いことは、またの機会。







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# by africa_class | 2015-08-28 00:36 | 【徒然】ドイツでの暮らし

12才でキャンドル作家、14才で木工作家になった息子から、「好きこそものの上手なれ」

先日15才(中3)になった息子の最新作(末尾)。
別にシュタイナー学校に行っているからといわけではない。
お友達の多くは、ネットゲームに嵌っている。

ただ、前から大好きだった木工に本格的に目覚めたきっかけは、クリスマスバザーに学校に木工のアーティストが来て、木ろくろを体験して、実際に木工の作品がどんどん売れるのを目の当たりにしたから。関西人なもんで、「売れる」ということは、彼の中で非常に大切。

この半年で3500ユーロ(50万円)ぐらいは売ったが、ほとんど大型機械と材料代に消え、未だ借金が3万円ぐらい残っている。しかし、さらに大型の機械がほしいそうだ(まずは300ユーロ、5万円弱返してね)。今日は彼に最後の2枚の写真を掲載するように頼まれただけだったんだけど、彼の作品の変遷を紹介してしまおう。

まず12才の時にキャンドルを製作し始めて、それを販売し始めた。
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一緒に作っていた友人とキャンドルを作って、地元の自然食品の店2つで販売したのだけれど、こういうの二人だと上手くいかない。ましてや当時小学校6年生!結局、息子がほとんどを製作し、上手くなってしまった。だと二人ではやれない…なので開店休業中。ごめんなさい。
http://kidscandle.exblog.jp/

せっかくキャンドル専用の小屋もあるのに、キャンドルを置く台を木で作りたくなった。
2013年春、こんな風に作ってみた。
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でも物足りない。
森に転がっている腐った木を使って作りたいといった。
2013年クリスマス、小さな木ろくろをパパにプレゼントでもらって、作り始めた。

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そして、朽ちた木への愛は続き、ボウルはとにかくよく売れた。
(しかも材料代ただ!)
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が、ロクロを回すのに飽きたのか、雨ざらしになっていた板で家具を作り始めた。板をじーーーと見て、何を思ったのか、ワインラックをデザインした。

そして、このデザインと雨ざらし感を気に入った26才の青年が購入してくれた。彼のアパートの壁。ドイツはレンタルの家・アパートでも、平気で壁に穴があけられる。というのも、入居時に全員が壁をはったり塗り直すから。それにしても、彼の写真ぶれとんな…。

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この青年は続けて、テーブルを注文してくれた。
地元の製材所にいった。桜の木の肌があまりに奇麗で、テーブルにしかしたくない、と。ちょっと割れ目があったんで、見よう見まねで…蝶ちぎりを入れてみた。

彼の技術はすべて日本から買ってきた本とYoutube。じっといくつも動画をみて、納得いくまでみて、それからそれを試してみる。当然、失敗が多い。練習してから本番に向かうことができない子どもなもんで、失敗を積み重ね、今では少し学んだ…と思いたい。

右奥の窪みは、私のアイディアで、他の作品で彫刻刀で削ったもの。そもそも、夜はパンしか食べないドイツ人。せめて盛り上がるお皿を、と思って、チーズやハムやスモークサーモン、プチトマトやキュウリを載せるオブジェを製作してクリスマス商品として売ってみたら、これが結構売れた。その応用編として、青年は、この窪みをこのテーブルにもほしい、と。
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この後も家具に燃えに燃えたが、家具って売るのが難しい。ギャラリーがあるわけでも、Web販売しているわけでもないから。要請に従い、パンフレットを作ってあげたが、本人的にはWebがないと嫌らしい。ふーん、勝手にせい。

自然食品の店で売ってくれるので小物の方が売りやすい。
なので、結局作っては途中で放り投げる感じの家具が、家のあちこちに…。まあ、大変な田舎なのでスペースはあるんで、いいけど。いつか完成させてね。

せっかく、自然食品の店が、彼の作品コーナーを正式に作ってくれるというので、その棚の注文が入った。なのに、なんか気乗りしない。というか、斬新すぎるデザインをしたはいいが、強度の問題で壁にぶち当たったまま、解決できず、毎年恒例のアフリカに行ってしまった。その残骸は今でもリビングに放置されている…。
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彼の愛する野生動物たちの写真。本人曰く、人間より動植物の方が好き、だという。そういう彼が撮る猛獣たちは、どこかかわいい。が、どうやって撮ったの、これ?と思っていたら、いつの間にか、さらに借金してズームレンズを買っていた。だから、早く棚完成させなきゃ、息子よ。

そういえば、アフリカに出発する直前、5月のこと。急に色のついた作品を作りたがるようになった。春に日本に帰った私が、染色の本を買い込んできたのをみて、「色」に目覚めた。春なので、庭中がいろ、色、彩で、ぱっと明るくなったからか。で、花びらを集めた。しゃくなげの赤は特に気に入ったらしい。
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で、染めてみた。その前に、染色の本を読んで、他の作業も必要だと分かり、試行錯誤の結果、定着をよくするために、栗の実の皮を集めて煮出した液体に豆乳を加えたものに漬けてからやった。豆乳は牛乳だった方が良かったと思う。なのでかなり淡い色になった。ただ、桜の木のボウルには桜色が良いかもしれない。もう一度染め直して、それからウォルナッツオイルがいいかな。

でも、こういう色好きな人もいるかな。
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本人のイメージは、もっと鮮やかな色だったようで、これまでの自然(食用)オイルを離れて、色鮮やかなオイルを使いたがった。ほっておいたら、いつの間にか自分で注文した英国の塗料が届いた…。いや、父親がしたのだろう。化学物質過敏症の私が反対するのを知っているので。

色が先かデザインが先か聞くのを忘れたが、アフリカの土鍋がモチーフと思われる。彼の中には、日本・アジア・アフリカ・ヨーロッパの不思議なものたち(現代に限らない)のフォルムが、何層にも蓄積している。

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土台にあるのは、その前に嵌っていた家具作りの一貫で製作したベンチ。実は、このベンチ…何を思ったのか、ある日トップに葉の彫刻が表れた。本人曰く、「いつも思ってたんだけど、ただのツルツルとかの表面ってつまらんやん」。ああ、、、そうよね。でも、ベンチって、座るもんやん???どうせやるんやったら、テーブルにしてーな…は呑み込んだ。自由な発想って、とにかく大事。この歳になると特にそう思う。もはや、そんな自由さ、枯渇してるもんで。

でも、ベンチに彫刻してる間あったら、棚完成させてよ…で小物作って売ってよ…でないと借金かえってこんやん(ついでに利子つけてね!)と思いつつも、これも呑み込み、本人に任せる、まかせる。

同じ系列の塗料で、黒だけで塗ってみた作品。とっても渋い、素敵なものが出来た。これは、彼が尊敬して止まない私の長年の友人・モザンビークの建築家にお土産として持参したらしい(私は行ってないんで)。谷崎の陰影礼賛をポルトガル語に訳したほどだから、彼は大喜びしてくれたそうな。

ただ、この写真…ぶれるね。今迄私が撮っていた写真を初めて自分で撮るようになった。が、どうもピンぼけする。その上、ライティングがダメらしい…。で、今度は商品撮影の本を日本で買って来て、ああだこうだ言い始めた。特別なスクリーンだとか白いライトが買いたいと言い張るが、他のもので代用できるはずとここは譲らないでおいた。なんせ借金返してね、まず。

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とにかく、本人はWebを作りたい。
が、買ったWeb製作のためのソフトが全て日本語。マニュアルも日本語…。読めない。漫画以外の日本語は…。ふりがな打ってないし。でも、根性でなんかやってる。最初は手伝って!!!と毎日拝まれたが、超音痴の私には無理と悟ってくれたのか(obviousか)、自力でなんとかがんばっている。とにかく、かっこいい写真がほしい。が、銀行にカネはゼロ…棚を作らないので作品が載せられず、作品が売れないから、カネもない。悪循環!なのに、Webと撮影に嵌っている…。

ようやく悪循環に気づいたのか、白い画用紙を使って、あれやこれや試し始めた…。なんか写真上手くなってきたから、今度はもっと本格的な、機能的なボウルではなく、アーティなボウルが作りたくなった…そうな。で、塗料ではなく、柿渋のような、でももっと濃くでる方法は…と色々検索しているうちに出会ったのが、「アンモニア」。

ここまで来ると、もはや結果しかつき合えない。
で、以下の写真をメールで送ってきて、「ブログに載せといて」…とのことなので、載せてみました。なんか、凄い高度なことになっている…。


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どこまで進化するのか、彼は。
好きこそものの上手なれ。
読めない日本語も、なんか読んでしまうところは、やはり卒論指導と一緒で「目的」がはっきりしていた方が、後は手段として割り切ってがんばれるものだ。

それが手段を目的化すると、まっったくつまらない。
そんなことを息子で実証してどうするんだ、、、と思うが、まあそのうち彼が反論するでしょう。
ひとまず、以上どうぞ、ご覧あれ。

そうそう、こんなことばっかりやってるわけではなく、ちゃんと毎日学校にも、週3回サッカーも通っています。が、友達と遊ぶ時間、ネットゲームをする時間なんかはないねえ。まあ、こんな趣味の15才、ドイツといえどもいるわけではないので、話題がまったくあわない。日本にいても同じだったろうけれど、本人は当初それを気に病んでいたものの、今となっては忙しすぎてそれどころではない感じ。まあ、時々お友達とお泊り企画をやっているんで、まあほっておいてもいいかな。

それより、卒業生にこのArtセンスはどこからきたの?と質問された。それはずばり、小さい頃から「ほんまもんごっこ」をしていたのです。

雑誌や本、写真集、博物館に美術館、町や森を散歩しても、海に行っても、いつもどれ(何)がどういいのか/悪いのか、彼と一緒に語り合ってた。同じ風景でも、時間が違って、太陽の光の加減が違っていたらもっとこうだよね、ここの感じがもう少しこうだったらどうだっただろう…などと、二人の会話の「ごちそう」部分は、いつもそこだった。勿論、彼が「いい」と思うものと、私が「いい」と思うものは、いつも一緒だったわけではなく、そのポイントも違っている。だけど、それぞれの「いい」と思うポイントの理由を尋ねあうのが、凄く重要だったんだな、と今ふりかえって思う。

その時、所謂西洋っぽいものを見る事は少なかったかもしれない。もっと自然なもの、根源的なもの、素朴なもの、そういうものにとても惹かれていたのだけれど、その後日本の伝統的な手の込んだものや骨董に嵌り始めて、もう少し彼も私も惹かれるものの範囲が広がったように思う。今、ヨーロッパにいるから、こちらのデザインも大分興味がわいて来たよう。

でも、根っこの部分では、シンプルなものへの愛が濃いようだ。本人曰く、「ママ、今時代はミニマリスティックなデザインがいいんだから」と。じゃあ、君の部屋をミニマリスティックな感じになるように片付けてよ。というと、どこぞやに消える息子であった。

さらに、子どもの頃ずっとテレビがなかったもんで、彼は沢山の絵を描いていたし、牛乳パック等の不要品で色々作ってたし、毛糸で編み物もしていたし、泥だんごで恐竜を作ったり。頭の中のイメージを、そのまま手で作り出す…そういう時間を沢山過ごした。

ドイツに5年生の時に来たばかりのときは、アルファベットも読めず、高校に入る直前で勉強も大変で、かつマンモス公立校で辛かったと思う。でも、秋に移ったシュタイナー学校は、そういう彼が積み重ねて来たアートを中心に据えたプログラムで、彼は自分の居場所を見つけ、自由に羽ばたいていった。・・・羽ばたきすぎて、先生と喧嘩しすぎて、学校に呼び出されること多しだが。

まあ、まだ15才。
すべてを辞めて、別の道に行ったっていい。
それにしたって、ある程度勉強は…必要だよね。
がんばれ、15才。

部屋掃除してね。

===
そうだ。
私と息子の会話は、大体2才ぐらいから現在まであまり変わっていないことについては、留意点かもしれない。政治の話も、社会問題も、とにかく彼と話してきた。勿論、話の深さや表現の仕方は年々変わって行ったが。なぜ2才かというと、その頃から彼が「どうして?」を連発するので、一つ一つお互いに「どうして」を言い合っていったら、普通に社会問題や政治問題に行き着いていったからだったのだ。

どうして、皆電車に乗ると携帯ばかりみるの?
どうして、アフリカの子どものお洋服は破れているの?
どうして、新宿に段ボール敷いて寝ている人がいるの?
どうして、コンビニの電気は明るいの?
どうして、農薬のついた食べ物は安いの?
どうして、ドイツの空港では皆タバコすってるの?

子どもの「どうして?」はするどい。
「どうしてでもいいじゃん」「いつか分かるよ」と答えれば楽かもしれない。でも、子どもの「どうして」にきちんと向き合うと、すごく勉強になる。こちらも「どうして?」と聞くと、さらに素晴らしい深い会話となるのだ。

大抵の親や周りの大人達は、「こんな小さい子と何話してんの?」という顔をしたし、口にも出した。けれども、息子以外のお友達で試してみても同じだったが(そして最近、教え子の3才の息子さんに試してみても同じ結果だったが)、子どもたちは2−3才ぐらいから「なぜか」を語ることができるのだ。そして、その「なぜ」はとっても独創的で、本質的で、素晴らしいことが多い。とにかく、目から鱗が落ちる事多々。

ただ、こちらが、「なぜ」に関する勝手な「正解」を押しつけ(る姿勢すらみせ)さえしなければ。重要なのは、こちらが答えを知っていて、あっちが知らない…という前提を決して持ち込まないこと。その時点で、純粋な子どもたちは親や大人が想定する答えを探り、それにあわせた「正解」を口にしようとがんばってしまう。あるいは、反抗期なら、その真逆を身体いっぱい表現しようとする。そのどちらもが子どもらしい反応であり、それ自体を否定するわけではないが、大人としてもう少し違ったリアクションがあり得ることを頭の隅にでもおいておいてほしい。

子どもには、すごく早くから色々なことを見抜き、自分で考える力がある。ただ、それを言語として表現して外に伝えるのが、とても難しい。だから、彼らの言葉や何やらの表現を待たず、こちらの答えを即座に押し付け続けると、子どもたちも「そういうものかな」という思考停止に流れていってしまう。だから、「どうして?」という何気ない一言、そしてそれへの彼らなりの表現をじっくり待ち、どんな答えも否定しないで耳を傾けることが凄く重要。大抵、「どうして?」の後にも、「どうして?」が続いていくが、子どもの思考というのは長続きしないし、飽きてしまう事も多いので、「今日はここまでで、今度また聞かせてね」と伝えておくと、実はその子はその後も何らかの形でずっと考え続けていることが多い。

子どもたちのそんな粘り強さを、面倒くさがって「はいおしまい」としないで、持続的に発展していく方向にベクトルを向けられないものか。子守り代わりにテレビやDSや携帯ゲームやIpadを与えている限り、そこは難しく、彼らが知的楽しみを自分中に見いだせるようにするには、親や大人達もまた、自分の中の知的楽しみを、子どもとともに発見していかねばならない。

その意味で、子どもに教えるどころか、教わること多しなのだ。




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# by africa_class | 2015-08-17 04:02 | 【徒然】ドイツでの暮らし

一括掲載:安倍首相談話の分析〜被抑圧者の視点を含む現代国際関係史からの考察

安倍首相談話が発表された。
タイトルはとても良い。
「終戦70年。歴史の教訓から未来への知恵を学ぶ」
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2015/0814kaiken.html

なのに、何だ…。
「歴史の教訓」の把握のしぶりがおかしい。
世界史の展開にそのすべての理由を求める始末…。
「主語がないからお詫びがない」と騒がれているようだが、それもそうだが、その前提となる「何故謝らなければならないようなことになったのか?」の原因分析が、まったく他人事。しかも、歴史的事実を、都合のよいところだけピックアップして、「だから日本は世界の潮流に乗ってしまって、途中で道を踏み誤ったんだけど、それも経済のブロック化で追い込まれたからだよ〜」となっている。

詳細はまたテキストにしたいが、とりあえずつぶやいたことだけ貼付けておく。

この談話の土台となった「21世紀構想懇談会 報告書」
2015年8月6日
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/21c_koso/
なるほど「20世紀=帝国主義」から始まっていてこれ自体は妥当だが、日本の帝国主義・植民地支配に関する検討が一切ない…。

この分析は今度にして、以下談話だけみたところの分析。


【安倍首相談話1】アジア・アフリカの被植民地支配者の視点から20世紀の国際関係史を振り返ってきた者として、こんな談話が世界に発信されたのが今も信じられない。誰も助言せず?日露戦争の5年後に日本がしたのは朝鮮併合。なのに「日露戦争は、植民地支配の下の…人々を勇気づけました」とだけ。

【安倍首相談話2】中国や南洋諸島も植民地支配していったプロセスは完全オミットし、突然「満州事変」「国際連盟からの脱退」が言及。背景に世界文脈を述べても良いが、首相談話として最も肝心な主語と動詞がナイ。日本が誰に何をした結果何が生じ、何を問題と認識し、談話する?

【安倍首相談話3】日本によるアジアの植民地支配の歴史を全く言及せず、「戦場になったアジア」へのお詫び、「将来も侵略/植民地支配せず」を述べているだけ。「植民地支配は他もやったからやったまで」と。「あの時殴ったけど、みんなもしたよね」とこの期に及んで、何それ?

【安倍首相談話4】「アジア・アフリカの人びとに勇気を」は「植民地支配者側ではない同じ有色人種」と受け止められたから。が、すぐに支配者側に転じたし、日本が「抑圧された有色人種の真の解放者」でなかったのは歴史事実。アパルトヘイト下南アで「名誉白人」にしてもらってた。

【安倍首相談話5】1961年以降、国連決議(経済制裁含む)が何度もなされた南アに対し貿易国No1になったのも日本。70年遡らなくともつい最近91年のこと。アフリカの解放において、日本は常に支配者側に。百年前「支配下のアフリカに勇気を与えた」なんて傲慢すぎる。

【安倍首相談話6】アフリカの解放を中国が支援の最中、日本は植民地・アパルトヘイトの支配者側に立った。歴史事実として、日本政府が「有色人種の解放」を率先したことはなく、他のアジア人の犠牲を強いても「欧米諸国」に同一化しようと。今のヘイト問題の根っこが見える談話。

【安倍首相談話7】結局、弱き者の犠牲の上で自らの「繁栄と(見せかけの)平和」を得ようという、戦前と冷戦期の日本政府の行動パターンは、底堅い連続性を持って安倍政権に継承されていることが、嫌中・韓やヘイトの煽動、安保法案、この談話からも明確に。米国は熟知の上利用。

【安倍首相談話8】彼の「ブレーン」の世界史認識も誤り。前パラで「アフリカ」を入れておいて、「第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり植民地化にブレーキがかかった」は、歴史事実ですらない。アフリカにおいてはWWI中・直後から実効統治が進み人びとの苦難が。

【安倍首相談話9】「植民地化にブレーキ」の後は、「国際連盟の不戦条約=新国際秩序」で、「日本はこの「挑戦者」となり進むべき針路を誤り戦争への道へ」とある以上、どう読んでも「日本も植民地保有帝国として列強へのクラブ参加」を否定しておらず、過ちは「戦争」のみ。大日本帝国への憧憬か。

【安倍首相談話10】「国際秩序の挑戦者となった過去を胸に刻み、自由、民主主義、人権の基本的価値を堅持し」←戦前、国内でこの3点が弾圧され、声が挙げられなくなった先に「国際秩序挑戦」があった。なのに「経済ブロック化」だけが原因指定。今まさに日本内で3点を弾圧中。

【安倍首相談話11】「戦場の陰には深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちが…」では、日本語としてもヘン。「戦場の陰」って何?「戦場」は場所に過ぎず、「女性を傷つける」主語になり得ず。「戦争の陰」のはずで、それでもあまりに曖昧だが、未だ責任が示唆。あまりに姑息だ。

分析するつもりなかったが、あまりに衝撃すぎた。誰だ、こんな助言したのは。都合のよい偏った世界史(20世紀)認識。「被害者の側に寄り添う」ようでいて、実際のテキスト全体の内容は、そうなっていない。国際的な信用を失う書きぶり。公式見解では皆、本音いわんだろうが…。


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# by africa_class | 2015-08-15 06:20 | 【考】21世紀の国際協力

倫理Ethicsと道徳Moralについて、他者に影響を及ぼすことが前提の開発援助から考えてみる。

夏は忙しい。
夏野菜や果実を収穫し、草を刈り、冬野菜を植え、水やりも頻繁に…。
しかも、収穫は同時一斉なので、ジャムにしたり、ソースにしたり、オイルやビネガーに漬けたり、乾燥させたり、しかも化け物のような大きさなので、茎や根っこ等の処理にも困る。そんなところに、息子の学校が始まり、早起きする彼にあわせて(かつドカ食いが戻って)、何度も食べ物を供給し続ける…・となると、何も捗らない。そろそろ仕事もしなければ、ということでバイトの仕事が山のように積み上がる。

が、文句はいえまい。
子どもたちがサッカーに行き、水やりも終わり、猫たちも餌を食べ、薪ストーブが勝手に調理をしているので、先日以下の記事を書いている時に付け加えたかった「倫理Ethics」について、あくまでもメモ書き。

■敗戦直前に燃やされた陸軍資料、そしてマフィゴ代表の死とプロサバンナ。12団体「緊急声明」から考える

http://afriqclass.exblog.jp/21539066/

あえて「道徳Moral」という言葉を使わなかったのは、使ってもいいのだが、個々人について 書いてはいるものの、やはり個々人の集合体である「政府」「JICA」「開発コンサルタント企業」等、それなりのグルーピ ングの中でやっている業務に関する話だから。やってもやらなくてもいい個人の趣味や遊びではなく、集団の仕事としてやっている。

だから、「倫理 Ethics」はどうなっているんですか?
「倫理綱領」はないんですか?…・となる。
何故なら、個々人の「道徳モラル」は最低・最後・最大の砦で あるものの、そこまで行き着く前に組織の倫理綱領というものが明確であれば、防げるものが沢山あるから。

人も組織も過ちを犯す。だから予防のために、あるいは問題が起きてしまった時に問題を拡大・悪化させないための前持ったルールと方策の明文化が不可欠。そして、それをそこに所属する者個人個人が守らなければならない、、、という自覚を持つ必要がある。これは、とっても立派なJICA「環境社会配慮ガイドライン」があるのに、どうしてプロサバンナ事業にみられる不正に満ちた行為が継続するのか…という問いの答えの一つとして重要な論点だと思う。勿論、これほど大規模で強い社会的影響を及ぼすプラン(事業まで想定されていた)作成が前提となっているのにカテゴリがAではなく、Bにされてしまっていたことも関係していないわけではないが、個々人の名前が消された状態で事業が遂行されるに至って、「倫理要綱」の問題に行き当たった。

倫理要綱は、どの組織にあるえわけではない。多くの学術組織は、パワハラ、アカハラ、セクハラの問題に直面して、そして最近ではSTAP細胞やらが起こったために、急ぎでここら辺を整備している。
最も大きな学術グループである、日本学術振興会には、「科学の健全な発展のために-誠実な科学者の心得」というテキストが準備されている。
https://www.jsps.go.jp/j-kousei/rinri.html
実に122頁。
キーワードは、「誠実さ」「健全さ」「公正さ」。
な〜んだ、という感もあるだろうが、具体的に読むと分かりやすい。

このように急ぎ整備されている諸学会の「倫理綱領」。日本国際政治学会(http://jair.or.jp/documents/code_of_ethics.html)にこれを導入するきっかけは、若手からの強い要望があったと聞く。そして、それに横やりを入れた「重鎮」がいたということも。ここに、「倫理要綱」をめぐる政治力学が如実に反映される。

つまり、倫理要綱整備の根っこにあるのは、「パワー」の問題なのである。(1)そのような要綱を整備しない限り、長年にわたって培われてきた可視化されにくい権力構造の中で生じる不正・不公正・人権侵害・ハラスメントを、明文化することで抑止する。そして、(2)問題が顕在化した時にこれに対応する際の指針とする(例えば学会退会要請等の処罰)。

つまり、個々人の「道徳モラル」に頼ることの限界と危険が、明確に認識されている点が重要である。日本のあらゆる場面で、可視化されづらい構造・文化における「パワー」の問題は、組織や個人を腐らせてきたが、近年これが悪化しているように思う。個々人にも、所属組織にも、余裕がなくなってきたからだろうか。ここら辺は深く考察したいところだ。

日本文化人類学会(http://www.jasca.org/onjasca/ethics.html)や日本社会学会(http://www.gakkai.ne.jp/jss/about/ethicalcodes.php)、日本政治学会)には早い段階から「倫理綱領」はある。しかし、援助・開発研究を行う研究者・実務家の集まりである国際開発学会にないのが、大きな疑問である。日本アフリカ学会にないのは、それぞれが属するディシプリンの倫理綱領を使うからだろうか?やっぱり、集合体として持っていた方が良いと思う。評議員を辞任した私が言う事ではないが。これらの学会が、すでに準備していたら、失礼。

もし、日本の研究者同士ですら、このような不可視化された難しさがあったとしたら、開発援助研究、あるいは開発援助の実務においてはいかに?所謂「途上国」と呼ばれる国々で、「専門家」「援助国の研究者」として調査や実務をする側にいるとして、これらを「される側」との関係には、明らかにパワーの問題が生じる。「される側の農民や住民」の場合は、さらにこれに、ローカルなパワーの問題が覆い被さることになる。しかも、日本の援助は、相手国政府を通じて行うものである以上、日本の援助者が「される側の農民や住民」の側に直接与することは構造上よしとされていない。

日本の援助関係者は、しかし、これに無自覚・無頓着なことが多い。「善意」でやっている…という前提だからか、あるいは現地政府関係者としかやっていないからか。外務省に至っては、「援助は政治とは関係ありませんから!」「政治分析の話は個別の援助事業の議論に不要なんです。そういう話を持ち出すことそのものが政治です!」…と仰せになるほど…。ここら辺については、高橋清貴さんのコラムが参考になる。

***********

会報誌『Trial&Error』

ODA ウォッチ: プロサバンナ事業 第9 回(2014年10月20日)
「政治力学に無垢を装う「開発」の虚構のなかで」
http://www.ngo-jvc.net/jp/perticipate/trialerrorarticle/2014/11/20141113-2.html
JVCさんの以下のサイトには、他の記事や情報も満載。
http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/advocacy/prosavana-jbm.html
**********

このような当然として存在する「パワー」の問題を、「見えない、見ないように」している現状こそが、今回のプロサバンナ事業をめぐって延々と起きていることの根っこにあることを、是非これを機会に深く分析し、検討し、話し合い、教訓として将来に活かしてほしいと思う。きっと、そのようなプロセスを経て、よくなるものもあると思う。それが、たとえそれぞれの現在の組織に活かされないとしても(本当は活かしてほしいが、限界があるのも知っている。私とて、外大を本当の意味では変えることができないまま後にした以上)、関わった一人ひとりの「次」に活かされることを切に望んでいる。

なお、多くの場合、「パワー」は持っている側には見えないものだ。また、その把握も解決も、「パワーの構造」がある以上、本当の「公平さ」を実現するには、「持たざる側」の訴えの方にこそ力点を置かねばならない。この「当たり前」が、日本では、人の理解においても、社会や組織の理解に根付いていない。大学のパワハラ・セクハラ事例に関わってみても、実感としてそう思う。だから、「セカンドレイプ」のようなことがずっと起こり続けている。これは、「慰安婦」問題についても同様である。もしかして、私たちの社会は、「弱者の訴え」に対する理解を、以前よりもっとずっと失っているのかもしれない。

原発事故やSTAP細胞の件は、研究者の倫理について世論の注目を喚起したが、「不祥事」への対策の方が先行してしまって、その後それに呼応するだけの制度整備やプラクティスが、学術界を超えて起こっているとは言えないのが、本当に残念だ。

他者に多大な影響を及ぼすことが前提の開発援助において、Ethicsの重要性は今一度注目されていいと思う。

なお、日本の開発援助研究は、しがらみの多いインナーサークルでやられることが多く、とても残念に思う。「レポート」ではなく、学術を標榜する以上、日本文化人類学学会の倫理要綱第9条は参考になると思う。これは、日本の開発援助者にとっても、重要な理解であると思う。

************
9条 (相互批判・相互検証の場の確保)
われわれは、開かれた態度を保持し、相互批判・相互検証の場の確保に努めなければならない。また、他人の研究を妨害してはならない。
*************

相互批判・相互検証なしに、前進なし。
それを封じ込めるような風潮があるのが、嘆かわしい。
日本の大学や研究が、1部を除き、世界的な評価を獲得できない理由は、まさにこの点にある。各種学会内あるいは業界内、つまりムラ、にある「予定調和」を創造的破壊していく若者の到来が望まれて久しい。同時に、そのような若者をWelcomeする度量が、それぞれの組織・重鎮にほしい(倫理要綱整備&遵守を)。

安保関連法案にみられるように、日本国家も末期症状。
声が挙げられるべき場所は国会前だけではない。
新しい風は、日本の学術界にも、その他にも必要とされている。
SEALDsが、日本の大学の先生たちを街角に誘導し、目覚めさせたように。

気骨のある若者、是非。


なお、倫理規定を一括集めているサイト
http://www.geocities.jp/li025960/home/topics/c04.html

ドイツでは、原発を完全に止める結論に至るにあたって、「倫理」は非常に重視された。それは、キリスト教の国だからというだけでもない。ここは、また深めたいと思う。

追伸:
「思考や善行によっては愛は生まれない。思考の全過程を否定することから行為の美が広がり、それがすなわち愛なのである。それがなければ真理の祝福はない」(by Krishnamurti


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# by africa_class | 2015-08-13 02:18 | 【考】土地争奪・プロサバンナ問題

敗戦直前に燃やされた陸軍資料、そしてマフィゴ代表の死とプロサバンナ。12団体「緊急声明」から考える

*JICAへのNGOのインタビューで(8月末)、「農民招聘はキャンセルになった」とのことでした。どこかで誰かが頑張ったのでしょうか。その見識と努力に敬意を示したいです。ただ、もっと早く具体的に招聘にうつる前に止めていれば、マフィゴさんも急逝することなどなかったのではないか…と残念でたまりません。(2015年9月2日)

今日、本当は別のことを書きたかったのですが、残念ながら今、私たちの税金を使ってJICA・外務省がモザンビークで行っていることがもたらしている現実が酷すぎて、書かざるを得ません。おそらくそれぞれの組織内部の人も全てを知らされているわけではないと思うので、このブログで書いておきます。

マフィゴ代表の遺族とUNACへの連帯メッセージは以下のサイトで9月10日まで募集中。
https://docs.google.com/forms/d/1c--v5-ruK4VuQBCiFVq_WMKhbNISilVQro_ALLzpxlY/viewform?usp=send_form

少し書きましたが、マフィゴ代表はプロサバンナと無関係に亡くなった訳ではありませんでした。詳細は、昨日発表された、この記事の最後に貼付けさせてもらう外務大臣、JICA理事長宛に緊急声明「プロサバンナ事業における農民の分断と招聘計画の即時中止の要求」をご一読下さい。また、起草者の方にもらったメッセージを貼付けますので、それもあわせてご一読下さい。(末尾)

本当はこの話は、土曜日に以下の記事を書く時に書きたかったことでした。

「プロサバンナの衝撃的な出来のマスタープランを材料として、大学1年生の基礎ゼミをする。」

http://afriqclass.exblog.jp/21527387/
しかし、マフィゴさんを静かに悼みたかったので、今日の今日まで書けませんでした。

関係者の皆さんは、「自分のせいじゃない」と思いたいと思います。でも、本当にそうでしょうか?「組織」のせいですか?「モザンビーク政府」のせいですか?「外務省」のせいですか?「今の政治」のせいですか?「過去のレール」のせいですか?「反対する農民の自業自得」ですか?「他のドナーはもっと酷いことやっている」ですか?「自分たちは精一杯やっている」ですか?「知らなかった」のでしょうか?「関係ない」のでしょうか?本当に?

何度も書きますが、ナチスドイツがホロコーストをやれたのも、日本が戦争に突き進んだのも、一人ひとりが「組織の論理」を「やるべきこと/やってはいけないこと」の倫理よりも優先し、それが束になって推進力になり、破綻するしか止める方法がないところまで自らを導いた結果ではなかったでしょうか。私たちの国は、本当の意味では、自らの植民地支配も戦争も、真の意味での原因追求や検証・考察や総括を行わないまま、1947年に開始した冷戦構造の中の「逆コース」によって、「臭いものに蓋」をしてきました。

例えば、NHKスペシャル「原爆投下 活かされなかった極秘情報」(2011年)
http://www.nhk-ep.com/products/detail/h17419AA
是非視聴下さい。Dailymotionでやっています。
政府・軍がどのように米国の原爆開発や米軍機の接近の情報を隠蔽したり、使わなかったのか、そして敗戦が濃厚になるとどのようにして一切合財の資料を燃やし続けたのか、今のいままで黙っていた皆さんが、90近くになって口を開き始めた。その理由は、また日本が同じような道を歩もうとしているとの危機感からでした。最後の5分で、上司の命令で、彼らの過ちがすべて書かれている資料を燃やし続けたある証言者が言います。
「それが、日本なんです」…そして悲痛な表情でいうのです。
「だから繰り返します」と。

日本の援助もまた、日本政府全体の戦前・戦中・戦後の底辺にある変わらない姿勢・流れの中に位置づけられるのではないか…とある時思うようになったのですが、その疑念を何度も何度も払拭しようとしてきながら、20年経過して、「それが、日本の援助なんです」に行き着きつつあります。沢山の素晴らしい個人の皆さんとの出会いと交流を経て、その方一人ひとりの素晴らしさは脇に置いても、なお、やはり今起きていることが指し示している根本的な問題を軽視も無視もできない気持ちになっています。皆さん自身はどうなのでしょうか?

皆さんは、「人としての生き方」として、納得されているのでしょうか?皆さん方の子どもたちに恥ずかしくない生き方をされているのでしょうか?これまで行って来たことは、皆さんの名で堂々と言えることですか?あるいはお名前が出てくる資料を、胸を張って日の下にさらすことができるでしょうか?あるいは、今日もどこかで部下に黒塗りをさせるのでしょうか?自分の責任を逃れるため?組織を守るため?あるいは、自分は関わらなかったと思いたい?一体、何のためにそんなことに時間と労力を割いているのでしょうか?それも我々の税金です。

そして、それらの資料の一切合切は私たち国民のものです。
皆さんのメモですら、そうなのです。本来は。この国でなければ。

日本が過去から学び(必ずしも悪いことばかりでない)、未来の日本と世界の大人達に、その教訓を引き渡していくために、不可欠なものです。今いろいろあって出来ないとしても、いずれ歴史の検証を受けなければならないものです。それは、時代が変わり、もっと公正なる目線でそれら資料を再検証できるかもしれないし、違った視点で見る事によって隠れていた可能性が発見できるかもしれないからです。

「燃えカスであっても粉々にして、灰になるまで潰せ」
と命令を受けた方の時代、70年前と、今の日本はどれぐらい違っているでしょうか?

さて、今日頂いた、この声明の起草者の想いに耳を傾けて下さい。
そして、じっくり声明を読んで頂ければと思います。

【起草者から】
農民を分断する「農民招聘」計画の問題に対処していたUNAC(全国農民連合)のマフィゴ代表は、テテ州の自宅から問題が起こっていたザンベジ州の現地まで空路、陸路で10数時間かかるところを往復し、二度目に行って協議にあたっていた最中に体調が急に悪くなり、病院に運ばれましたが、同日8月5日に急逝されました。

「小農の父」と慕われて、全国の農民、そしてモザンビーク社会、国際的にも広く尊敬されていたマフィゴさんの突然の死に、悲しみが広がっています。

プロサバンナ事業の問題が、マフィゴさんの心身に負担をかけ無理を強いていたことを考えると、日本の私たちは、悲しみだけでなく、悔しさと、ご家族やモザンビークの人々に申し訳ない気持ちで心が痛む日々です。

マフィゴさんは2013年に二度にわたり来日し、日本政府に農民の意見を尊重した計画にするよう訴え、農民運動の精神を私たちに示してくれました。

そのような状況の中で出された緊急声明です。拡散いただき、一人でも多くの方にこの問題と要求を知っていただければと思います。


【緊急声明】
==============
岸田文雄外務大臣殿
田中明彦JICA理事長殿


【緊急声明】
プロサバンナ事業における
農民の分断と招聘計画の即時中止の要求


2015年8月10日

政府開発援助(ODA)「プロサバンナ事業(日本・ブラジル・モザンビーク三角協力による熱帯サバンナ農業開発プログラム)」を強行するために、モザンビークの農民を分断させようとする外務省・JICAの試み、および「農民招聘」計画は、モザンビークの民主主義と発展の礎を後退させる軽挙な行為です。私たちは異議を唱え、その即時中止を求めます

***

 これまで、同事業に対して、その裨益者となるべき現地のモザンビーク農民から強い反対の声が上がったことを受け、同事業の主たる援助国である日本の納税者である私たちは、外務省・JICAと協議の場を設け、農民の声を伝える努力をしてきました。しかしながら、外務省・JICAは表向きには「対話」を重視する素振りを見せながらも、その一方で反対する農民組織を分断するような工作を行っています。

 現地からの情報によると、外務省・JICAは現在、UNAC(全国農民連合)の加盟組織であるザンベジア州アルト・モロクエ郡農民連合の代表(与党関係者)を、プロサバンナ事業の一環として、農業副大臣らとともに、8月中に日本へ招聘することを計画だといいます。しかし、7月に来日したUNAC代表団の外務省・JICAとの協議、および7月24日の日本のNGOと外務省・JICAの意見交換会においても、「農民招聘」はもとより、農業副大臣の来日計画についての説明は一切ないまま、現在に至っています。

 UNACは、モザンビークを代表する広範なる市民社会組織とともに、3カ国政府に対し、プロサバンナ事業の「一時停止と抜本的な見直し」を一貫して要請してきましたが、政府側が事業強行のためにこのような声を押しつぶす行為を繰り返したことを受けて、昨年より全国プロサバンナ反対運動が立ち上がるに至っています。しかし、それに対し3カ国政府は、UNACの加盟組織(全国で2400組織が加盟)に焦点を当て、プロサバンナの関連事業により融資や資材(水ポンプ・製粉機)供与を利用した「一本釣り」活動と、それによる農民の分断を画策してきました。

 この中には、製粉機の貸与を強要されたナンプーラ州モポ郡農民連合の例があります。最終的に同農民連合は受け入れを拒否しましたが、アルト・モロクエ郡農民連合は製粉機の貸与を受け入れました。同連合の代表は与党の熱心な党員であり、日本に招聘することによって「UNAC加盟団体の中にもプロサバンナ事業に『賛成農民』がいる」と宣伝し、事業推進の糧とする意図は明白です。実際、他の農民たちの説得で来日を取り止めないよう、モザンビーク政府が身分証を預かっているほどです。

 UNACはモザンビーク農民を代表する組織として政府も認める存在であり、これまで様々な農業政策の形成プロセスや事業実施に携わってきました。1987年に設立されたUNACが、援助事業に反対の声をあげるのはこれが初めてです。反対に至る過程では、地域レベルおよび全国的な検討と協議が長い時間をかけて積み重ねられてきました。このことを無視して、分断を助長するような介入行為を援助国である日本が行ってよいのでしょうか?この外務省・JICAの試みについて、次の三つの観点から強い異議を唱えます。

 第一に、プロサバンナ事業を強行するために引き起こされる人権侵害や農民の分断が、現地の民主主義を後退させ、農民を危険にさらしていることです。モザンビークが独立を獲得したのは40年前で、その後も外国の介入によって生じた武力紛争により16年にわたり国が二分され、100万人の死者がでました。1992年の和平合意後、日本を含む国際社会は同国の平和と民主主義の定着に貢献し、当事者団体の勃興、市民社会の活発な活動に根ざした民主的なガバナンスが前進しつつありました。しかし、プロサバンナ事業が合意された2009年頃より、モザンビーク政府のガバナンスは急速に悪化し、国内外の批判にも関わらず、政府与党による人権侵害は後を絶たない状態になっています。プロサバンナ事業の強行は、現地政府を農民組織と対峙させ、非民主的ガバナンスを助長し、反対する農民への人権侵害を多発させてきました。今回の「農民招聘」はそれを追認し、農民らはより危険にさらされます。

 第二に、現地の農民の分断を図るような試みは、政治的考慮を欠き、もっとも忌むべき行為です。プロサバンナ対象地域は、武力紛争において最も激しい戦場となった地域であり、現在も与野党の勢力は拮抗し、対象19郡中7郡で野党が勝利し、与党の勝利は5郡に留まっています。そのような政治状況下で、UNACは党派を超えた農民の連帯・独立組織として、農村社会において重要な役割を果たしてきました。同事業がUNAC内外の与党関係農民を使って行っている分断行為は、農民による主体的な平和主義を壊すものであり、援助国として最低限のモラルを日本政府が欠いていることを国内外に示すことになります。また平和主義を標榜するODAをその目的から外れて使うことであり、二重の意味で私たち主権者に対する説明責任を欠いています。

 三に、「開発」の視点に立っても、こうした農民の分断工作は、稚拙極まりないものです。人口の大多数を占める小規模農民は、モザンビークの経済や社会の礎であり、将来を担う主役です。その小規模農民を縦横につなげ、主体的かつ積極的にモザンビークの農業と農民の生活の安定を図ろうとしているのがUNACです。他の援助国政府・機関もUNACをモザンビークの農民を代表する組織として尊重し、協議・協力しています。そのUNACが、プロサバンナに異議を唱えるからといって、分断し、力を削ぐような試みを行うことは、開発を阻害する「反開発」的行為に他なりません。とりわけ、「農民の組織化」が農業開発の肝として認識されている昨今にあっては、まさに時代に逆行するものです。

 今回、外務省・JICAがプロサバンナの「賛成派」としてUNAC加盟組織の代表を日本に招聘する計画は、モザンビークの非民主的ガバナンスを助長するとともに、「分断の歴史」に苦しめられてきた農民や社会に動揺を与え、混乱や紛争をもたらす恐れがあります。また同国の開発の主体となる農民やその運動を弱体化させるものです。そのような企みのために、私たちの税金によって支えられるODAを使うことは到底許されることではありません。

 以上の理由から、私たちはプロサバンナ事業がこの間行ってきた農民分断のあらゆる試みと今回の「農民招聘」に異議を唱え、これらを即時中止することを要求します。

特定非営利活動法人 アフリカ日本協議会
特定非営利活動法人 日本国際ボランティアセンター
特定非営利活動法人 オックスファム・ジャパン
モザンビーク開発を考える市民の会
No! to Landgrab, Japan
ATTAC Japan
NPO法人 AMネット
ムラマチ・ネット
ウータン・森と生活を考える会
NPO法人 地産地消を進める会
特定非営利活動法人 WE21ジャパン
農民運動全国連合会



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# by africa_class | 2015-08-11 20:08 | 【考】土地争奪・プロサバンナ問題

プロサバンナの衝撃的な出来のマスタープランを材料として、大学1年生の基礎ゼミをする。

この話題は久しぶり。ちょっと色々ご無沙汰していたから。
でも、「モザンビーク小農の父」アウグスト・マフィゴさん(UNAC・モザンビーク全国農民連合代表)が、火曜日に急逝されたこともあり、そしてそれがプロサバンナ事業をめぐる様々な不正の中でもとんでもない問題と関わっていることが明らかになって、やはり書かずにはいられない。ただし、今日はその不正…については、書かない。皆に尊敬された素晴らしい闘志であった「農民の父」の死を悼みたいから。
後日書いた詳細は→http://afriqclass.exblog.jp/21539066

「私たちは、ゆっくり、確実に、一歩ずつ発展したいんです」
政府のプロパガンダしか報じなかったNHKが撮ったインタビューでのこのメッセージが、急に思い出される。
今日は彼の話はここまでにしたいと思う。悲しみと悔しさで、涙が止まらなくなるから。なお、NGO有志で、ご遺族とUNACの皆さんへの日本からの連帯メッセージやカンパを呼びかけています。もしよろしければ。
http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-entry-170.html

で、マスタープラン…。(こっから厳しくなります。関係者の皆さん、すみません。でも耳に痛い話に耳を傾けてこそ、前進はあると思います。権力・カネを握った側、援助して「あげる」側にいる限り、見えないもの、見たくないものを見る機会を提供するのが、このブログの役割の一つなんで。反論があれば、是非。互いに切磋琢磨できれば。後、周知の事実と思い説明不足でしたが、この問題も、コンサルの問題という訳でなく、元々の誤った想定に基づく事業立案・推進・強行、TORの設定等、まずはJICA・外務省の問題なので皆さん誤解なきよう。)

プロサバンナ事業の3本の柱の2つ目として、2011年度から始まり、現在まで4年の歳月をかけて作られたもの。日本が最大の拠出国で、これまで5億円以上のお金が使われ、他のレポート等はすべて英語版があるのに、そしてこのマスタープランの素案は、日本のコンサルタントが英語で書き3カ国政府が合意したものなのに、その後モザンビーク政府が調整した完成版(公開版)については、ポルトガル語版しかない・・・という。あまりに不透明なので、繰り返し繰り返し要請をして、ようやく出て来たのが、日本語(参考訳)。
http://ajf.gr.jp/lang_ja/activities/prosavana_mp_jp.pdf

でも、これもおかしい。何故日本語訳が英語訳に優先されるのか?そもそも英語版で作成され、微調整されたとしても合意された内容・文言は英語版である。そちらに手を入れる方が絶対コストも時間もかからない。さらに言ってしまえば、ポルトガル語から英語の翻訳の方が簡単でかつ単価は安いし、日本の関係者は皆英語が読める。日本語(参考訳)が、2015年6月に突然出てくる2ヶ月前には、JICAや外務省の責任者たちは胸をはって「良いマスタープランになりました」と宣伝し、あちこちで説明を行っていた。しかし、コンサルも、JICAでこの事業の関係者らは一部を除きポルトガル語が出来ない。なのにどうやって最終版の内容を把握したの?・・・普通に考えれば、英語版は「ある」。それでも、英語版は「ない」と言い張る。じゃあ、確実にあると分かっている元のバージョンを公開してみたら(正誤表を付けて)?という呼びかけに対して出て来たのが、日本語(仮訳)…。

そして、もう一つ重要な点として、英語であれば、世界のより多くの専門家の意見が得られる、というもっとずっと大きなメリットもある。それでなくとも、世界的に不透明な事業として散々批判されてきたのに、そのような批判を払拭する良い機会なはずではないのか?…それが普通のリアクションというもの。それほどまでにして、事業に関わる人たちですら読めないポルトガル語版、日本人以外は読めない日本語版しか公開しない時点で、「ああ、やっぱり世界的な専門家には読まれたくないのね」…とあらぬ疑惑をかけられてしまうことを引き受けてまでも、やはり英語版は「作成しない」らしい。でも、世界の皆さんもgoogle訳でマスタープランを読んでおり、よけいに「??」を募らせてしまっている。プロサバンナを世界的に宣伝してきたのは、日本政府・JICA自身であって(OECD/DAC釜山会議等、「クリントン国務長官に褒めてもらった!」とJICA年次報告に)、その最大成果のはずの「マスタープラン」を世界に発表する気すらないのは何故?間違った理解のまま、世界に受け止められる事の方が、日本の国際イメージとしてもまずい。あるいは、「本物」を発表した方が国際イメージがより下がる、ということ?!当然、日本政府はお得意の、「モザンビーク政府が拒否」との説明で、都合の良いときの「オーナーシップ論」に逃げ込んでいる。「JICA環境社会配慮ガイドライン」を熟読を。この件はまた今度。

さて、それほどまでに、国際的に理解されることが望まれていないらしいマスタープランくん。5億円もかけて(実際はそれを超えているが)作ったのだから、もっと胸を張って良いはずだ。

大学の先生をしたり、論文査読や入試審査をする立場で給料をもらってきた以上、この力作、出て来た以上は、公平なる目で、「取るところを取る」つもり(正当に評価すべきは当然する!)で読み始めた。しかし、最初の1章で…衝撃が大きすぎた。

このマスタープラン、ポルトガル語で204頁の超大作。現地の関係者ら(行政官ら)ですら、全文は目を通さず、30頁程度のキレイ話のみの要約の、さらに11スライドパワポぐらいしか把握していないという。そんな状態で、サイトに全文を発表してから20日後に農村レベルで公聴会をしたもんだから、凄い騒ぎになった。当然ながら、この急がれた手法で皆が思った事は、農民たちに内容をちゃんと理解してほしい訳じゃないのよね…と。最も事前の時間を取らなきゃいけない農村部を、真っ先に実施なんてあらゆる意味でおかしい。

で、やはり公聴会では、反対や疑問を唱えそうな農民は排除され、政府職員や与党関係者が過半数を超えただけでなく、制服・武器携帯した警察までが同席し、勇気を振り絞って異論を口にした農民たちは、その後政府関係者からストーキングされ、プロサバンナのカウンターパートに「賛成に転ずる、と一軒ずつ家を廻って宣伝してこい」と命令され、拒否すると「投獄するぞ」と脅迫を受ける事態に…。→http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-entry-152.html
つまり、「プロサバンナってステキ!農民は大歓迎!早く始めてね〜」という声を集め、それを宣伝に使い、事業を推し進める材料とすることが目的だった。詳細は、現地社会の広範なる層から各種の声明が出ている→http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-category-16.html

天然資源(土地を含む)の切り売りで儲ける政府関係者のガバナンス悪化で、民主主義が後退し、人権状況が悪化するモザンビークで、こんなことを黙認したり(奨励したと思いたくないが…)することが、何をもたらすのか理解できないのかな?あるいは、理解していても強行突破のためには目をつぶる…流れ?それとも、自分が信じたい情報しか頭に入らないため?結局、現地に出張でしか行った事のない、現地の新聞も読めない外務省担当者が、「世銀報告では数値は悪くなっていない」…から大丈夫だ、と。一同、「せ、せ、、せぎーーん?!?」。

本来在外公館や外務省・JICAのやるべき仕事だが、彼らが読めない新聞を日本の市民社会が翻訳し、資料を整理し、分析まで提供してあげても、「ありがとう。別の見解もあるけど、こういう状況がある(とされいる)のね」、ということもできず、「良い数値」をどっかから探して来て「だから大丈夫」の根拠に…。要は、現地や日本の市民社会に反論できれば良い?あるいは、強行突破故に、実態など把握する気がないということ?又は「現地政府は上手くやっていて、支援や投資は問題ない」というストーリーが崩されてしまっては、せっかく安倍首相が現地に日本企業を大勢連れて行って、巨額の援助(700億円!)と投資をすると決めたのに、と?まあ、日本政府は、同国で武力衝突が起きている最中に、中国とインドと同様、抗議や非難声明を発表しなかった唯一の国だし、ね。しかも、その最中に、のこのこと首相が出掛けていっているし。うーーむ。

で、マスタープラン。日本の7名の研究者・NGO関係者で行った内容面の分析は、「第12回プロサバンナ意見交換会(外務省・JICAとNGOの間)」で、披露されAJFのサイトに掲載されている→
http://ajf.gr.jp/lang_ja/ProSAVANA/12kai_shiryo/ref9.pdf

ここでは、私の衝撃だけ。さっきの世銀報告書の話。多様な資料の一つとして参照するとしても、それだけを根拠に「=人権状況は悪化してない」と結論するのは、「議論の作法」「基本のキ」としてまず「?」。うちのゼミでそんな発表や反論する学生がいたとしたら、ぼこぼこにされていただろう←「大学1年生向けの本」で詳しく説明するので乞うご期待。

日本では、「政府が●といえば正しいんだ」「著名な先生(学術的正当性を持った人という訳ではない)がそういっているから間違いない」…という主張がされがちなだけでなく、許容されやすい。主張の信憑性を高めるために一つでももっともらしい論文や機関の名前を引用しておけば、まあいいだろう…そういうことになりやすい。しかし、本来は、先に主張がくるべきではないのだ。まずは、状況把握があり、分析があり、結論がある。したがって、嫌いでも、多様な資料に当たらなくてはならない。その際には、権力を持っている側の言い分ばかりを見ていると、確実に見誤ることになる。

で、MPの驚きは、次のようなストーリーの全面展開!
1)ナカラ回廊地域の農業のすべての問題は現地小規模農民の農業のあり方のせい!
2) 特に、森林伐採と土地不足は、「移動・休閑」農業のせい!
3)小農はあちこちで「休閑」農業はダメ、「定着農」を!
4) 当然生産性は上がらないから品種改良種子・化学肥料・農薬等を購入(「緑の革命」)できるよう支援してあげる!
5)15年後の30年迄に4割の小農(160万人)が「近代農業に転換」が目標さ。

で、デキル学生ならイライラして次の問いを投げるだろう。
1) 回廊の森林伐採と土地不足とは、具体的にはどの様な現象?
2) その実態と原因はどのように調査され、分析された?
3) 地域の小農が営む農業とは?移動・休閑農に一括りできる?
4) 以上の1)〜3)のために前提として使われた調査メソッドは何?
5) 調査法を導き出すための先行研究の整理は?((森林伐採、土地不足、現地農民の営農形態)
6)各調査の結果はどうで、何に基づきどう分析?
7) 抽出課題の解消に取りうる手法はいくつ、どんな?
8) それら手法の内一つを選ぶ際の、基準は?
9)その際に参考事例研究はどれで、批判は把握され、論争をどう踏まえ、結論としてこの手法を導き出した?

まあ、学部生でも思い付く問い。もう少しデキル学生なら「権力/アクター分析」「時代設定」を重視するだろう。でも、これらの一項目も全く触れられていないのが、このマスタープラン!参考文献一覧もついてなければ、注も200頁に10個以下。つまり、根拠をもった論理展開がまったくなされていない。本来の展開は、次のようなものであろう。学術である必要はない。
1) 先行研究の整理(テーマ、地域、リサーチ手法を含)
2) リサーチの実施と結果の取り纏め
3) リサーチ結果を踏まえた課題の整理
4) 3)迄を示しながらの原因分析手法の検討と分析
5) 説得的な原因分析に基づく多「解決」手法の検討
6) 多様な手法検討を経た説得的な「解決」手法の提示
7) その上での、具体的なプロジェクトの提案
*1)2)は不開示のインテリムレポートにある可能性が高いが、MPでは3)も4)も5)も6)もない。突然1結論・1手法が示され7)に飛ぶ。TOR、PDMやSWOT分析の問題は別の機会に。
 
こうなると文書としての「クレディビリティ(信頼性)の著しい低さ」、を自ら認めてしまうことになる。百歩譲って政治文書なら仕方ないが、これは政治文書なのか?(<=実際に、現地の研究者・市民社会の皆さんは、ただの政治文書だから読む価値すらなし…と考えている)。でも、それでは納税者として腑に落ちない。だって、マスタープランの予算の大半は、「調査」に使われたはずだからだ(レポートは不開示問題については今度)。5億円で、政治文書を作られても。それならそうと最初からいえば、農民や市民社会も納得はしないが、期待もしない。対話の成果として作ったからそんな根拠ありません、という反論もあり得そうだが、であればどのようなものが「対話の成果」なのか明示すればいいわけで、多様な意見のどこをどう、何故反映するのかについての考察も不可欠である。

結局、調査をしようがしまいが、結論は先に決まっていた。「小農の今の農業のやり方がダメなんだ」「だから我々の考える援助と投資が必要なんだ」
・・・・これも安倍政権下の日本の農政の議論の仕方だから、日本の役人には違和感ないのかな。だったら「農民主権」とか言わないでほしい。紛らわしいから。「援助をしてあげる善良な僕らは、君たちよりずっと知ってて、分かってるんだ。だってブラジルのセラードやタンザニアでがんばったんだから。君たちは分からないようだから、僕たちが全部教えてあげるよ!大丈夫、まかしとけ〜。君たちのやり方を完全に変えればいいんだ。なにせ、君たちのやり方だと「靴も履けない」からね。土地も奪われないように、登記手伝ってあげるね(実際は登記しなくても権利あるのに)。そうだ、そうだ、今の農民組織上手くいってないよね、だから僕たちがやってあげる(すでにある反対派の農民組織には分断工作するけど)」みたいな・・・・風にしか、モザンビークの農民組織には感じられない。

さてMP。「結論先にありき」は、過去に出て来たMP関連文書でも明白。批判の都度、微妙に表現が変わっていくものの、根っこの結論は強固な一貫性を持って来た。つまり、「現地農民は何も知らない、海外投資と『緑の革命』で救済してやらねばならない対象」。この点の変遷を議論の正確性のため列挙しておく。
1. 当初(2012年秋のUNAC批判開始以前)は、農民らが「持て余している」土地を「投資に使ってもらう」ことが前提。(もっと最初は、誰も使っていない土地がたんまりあって、投資を待っている・・・という前提だったが!)<=この主張はJICAサイトに沢山残っている。
2. 批判を受けて、今度は、
a) 農民がうろうろするから土地が足りない!という話になり、
b) 農民は決まった土地のみで生産をし、緑の革命型の農業に転換、
c) そのために土地の権利を登記するのを手伝ってあげる。
d) 余った土地は、「土地銀行(Land Reserve)」として集めて、
e) 投資家にあげようね、という話だった。

<=GRAINのリークと分析声明→https://www.grain.org/article/entries/4703-leaked-prosavana-master-plan-confirms-worst-fears
3. この路線がリークされてしまって大騒ぎになったから「投資家」「土地銀行」の件、「非自発的住民移転をさせるクイック・インパクト・プロジェクト」が消された「コンセプトノート」なるものが、2013年9月に突然発表。a),b),c)だけが残り、d)とe)が消えた。分析→http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-entry-68.html
「土地不足と森林伐採は小農の農地拡大で起こっている!」・・・が強調されるようになったのもこの時期。しかし、まさに同時期に植林・アグリビジネス(特にプロサバンナの構想に呼応した大豆大規模生産)で何万ヘクタール単位で土地が奪われていっている事実は?(教えても長らくJICAは否定した)。また、森林の大規模伐採をやっているのは誰?・・・現農業大臣がザンベジア州の州知事時代に中国企業と組んで違法伐採・輸出に関与していたと、Africa Confidencialにすっぱ抜かれているのも、教えたが??勿論、こういうことは一切書かれていない。注にも、ね。悪いのはすべて小農だから。さらに、小農がうろうろしない緑の革命型の多投入農業は、「持続可能」で「環境保全型」の農業なのだという。へ?
4. 批判に「応えるため」、「農民主権」「家族農業」「小農支援」等の言葉がちりばめられているマスタープランが出来上がったが、前提はまったく変わらず・・・・a), b), c)の展開だけが、さらに強調。そして、「緑の革命」への転換は、当然ながら、普通の小農はできない。自家消費用の穀物の種や肥料を買っていたのでは、ほとんどの小農、つまり女性たちは、債務を負うことになる。なので、今度は机の上の分類上小農を3つの階層にわけ、大多数の「典型的小農」とカテゴライズされる人たちではなく、「中核農民」というおかしな用語(原語ではEmergent Farmers、しかし英語ではCore Farmers)を用いて、要は政府与党に近いそこそこの規模の土地を確保してクレジットにもアクセスできる中規模農民に近い極僅かな農民にターゲットを絞って支援、となった。まあ、今風にいえば、JICA的「成果」が見えやすいよね、こういう人たちに限れば。ここら辺は、詳細なる分析をモザンビークの皆さんがしているので譲りたい。

このMPには、さらに不思議が満載。さっきも少し書いたが、あまりにキータームの定義(その定義の根拠となる議論の提示)がないか、ズサンで、これにも衝撃を受ける。詳細→http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/ProSAVANA/12kai_shiryo/ref8.pdf
これを瑣末なことと考えているとしたら、国際感覚なさすぎ。いずれのタームもかなり論争があり、国際的なアリーナでの論争を経て一定の定義に至ってる。しかし、MPでの使い方はほとんどそれらの真逆→例)「緑の革命=持続可能でエコ」。「ゾーニング=アグロエコロジカル」…驚き。「家族農業」はFAOを少し出しただけで、後は家族単位の農業経営のことに…国際家族農業年(YIFF)で強調された社会政治経済的文脈で全く捉えていない。一番の極め付きは「農民主権」。「栽培作物の選定は農民が行う」という当たり前のこと(じゃなきゃ植民地支配でしょ!)についてのみ適応。実際のプロサバンナのプラクティスが、農民の主権・基本的人権を踏みにじり続けている点は?(詳細は以上)

で、今回大学1年生向けに良い材料を提供してもらったと思っているのは、さっきの世銀報告書と類似の次の点。
ポルトガル語版を読んでの、考察を詳しく書く。英語版が出て来ない理由が見えてくるかもしれない。これ世界に出したら、そりゃ…。全面根拠なしか根拠が「?」な主張だけ。逆にポルトガル語でOKというのは、ポルトガル語圏の市民社会や専門家たちなら気づかないということ?あるいは、私が知らないだけで、日本の開発調査案件のマスタープランって、普通にこんな感じ?…違うよね。あるいは、コンサルさんたちも苦しいところで、先に結論(TOR)が与えられていたので、止むなくこういうのを引っ張って来た…。多分そうだろう。

その意味では可哀想だ。もっと悪い組織・人たちは別にいる。が、先日書いたように、各々の責任が問われるのだということを、ナチスドイツのホロコースト後の世界に生きる私たちは自覚しなければならない。未だ若い学生の皆さんには、学生としても社会人としても真似せず、以下を反面教師にしてほしい。ああ、、内容に入る以前の話で、あまりに情けない。

MPで 唯一、根拠が注に参考文献として示されているのが、この文章→「家族農民の大半は気づいていないが、現在の自らの農業のあり方が、大規模な深刻な環境破壊を誘発する可能性が高い。これは、世界の他の地域で実証されていることである」。
・・・MPが基礎を置く「農業開発の課題とその原因」が、この1文に全て集約され、しかも「各地で実証されている!」と太鼓判が押されている(ちなみに日本語訳にはこの注はない)。
  ヘ?2008年以降のグローバル現象(農業投資による土地・水・森林強奪)を踏まえてRAIとかいってるんだとしたら、何故そこはオミットしてしまう!?時代区分的にも、規模面でも謎過ぎる。でも、そんな風に言い切れるだけの根拠が注の2文献ね。じゃあ調べてみよ。が…見ての通りURLがわざわざ飛べない状態。しかも英語の原文タイトルがなく元の論文に行き着けず。さらには出版年がナ・・イ。
・FAO, Florestas e crises em Africa – Mudanças no Cultivo de pousio emAfrica, http://Equipa de Estudo.fao.org/docrep/r5265e/r5265e06.htm,
・Rajiv Ranjan and V.P. Upadhyay, Problemas Ecológicos devido ao cultivo de pousio, htttp://Equipa de Estudo.iisc.ernet.in/currsci/nov25/articles 12,htm
 
本来のあるべき記述の作法は次の通り。()にポルトガル語訳を入れてもいいが。
-FAO (1980), “Changes in shifting cultivation in Africa”, FAO Forestry Department.(http://www.fao.org/docrep/r5265e/r5265e06.htm)
-Rajiv Ranjan and V. P. Upadhyay (1999) “Ecological problems due to shifting cultivation” (http://www.iisc.ernet.in/currsci/nov25/articles12.htm)
 常識的な引用の仕方をすれば一目で分かるが、FAOの論文は1980年(35年前)、R&Uは16年前のもの!当然ながら、その後膨大な数の関連の研究があり、これらの論文の主張に反対する研究も数多くある(いずれもが実証研究)。特に、後者は、発表後すぐさま批判の的となっている。なのに、あえて「実証済み」として、この論文(16年以上前のインド!)を「根拠」として自己正当化するところが謎だ。時々、院の入試でこの手のペーパーがあるが、その段階で「事実への誠実性」の欠落した学生は、どんなに指導をしても論文が書けないし、論理的・説得的に議論もできない。

確かにR&U(1999)は、 熱帯雨林の消失の「元凶」として、移動農耕や人口増加率のいずれか(あるいは両方)を挙げている。しかし、これはあまりに単純化された精度の低い分析だとして、すぐ後のGeist&Lambin(2001)に一刀両断されている。つまり、原因分析においては、「経済・制度・国家政策要因の複合的要因」を、地域の固有性に基づき実証的に検討すべき・・・と152の事例研究を根拠として示されているのである 。
Helmut J. Geist & Eric F. Lambin (2001) “What Drives Tropical Deforestation? A meta-analysis of proximate and underlying causes
of deforestation based on subnational case study evidence”, CIACOLouvain-la-Neuve 2001, LUCC.
その後は、この手法を採用する研究が大半で、最近になればなるほどRanjanらのような主張は学術的根拠を失っており、引用すらされない。だから、執筆者たちは、35年前のFAOと16年前のこの論文しか示せなかった?そして、それを隠そうとした?<=なんか推理小説になってきた。

2001年論文は、森林伐採や土地利用に事例研究の際に不可欠な検討すべき原因を、「経済」「政策・制度」「技術」「文化(社会政治)」「人口動態」に分けて各項目2から6つのチェックリストを列挙している。この論文にすべて賛成という訳ではないが、この程度のチェックリストを踏まえて分析されていないとおかしい。また、2001年に批判された1999年の論文の主張に与するのであれば、当然2001年の研究の否定から入られなければならず、1999年論文の方が優れていたからあえて引用したというのならば、それはどの点についてなのか示さなければならないし、是非知りたい。

万が一にも、「主張が先にあって、それにあう論文を後付け的に探した」「この論文しか知らず」・・・であれば、そしてそれを隠そうとしていたのであれば、マスタープランの中身以前に、「事実把握への誠実さ、健全性」において深刻すぎる問題を抱えている人たちのもの、と言わざるを得ず、MP全体のクレディビリティはゼロ以下となる。結局やっぱりプロサバンナ、ね・・・・との結論しか導けないことに。これを胸を張って宣伝している外務省・JICAは確信犯なのか、何なのか。<=学術的に分析した点は今度。
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# by africa_class | 2015-08-08 02:03 | 【考】土地争奪・プロサバンナ問題

大学1年生向けの本:執筆秘話(その1)

家族が来襲し忙しい。
昨日はトマトになんとか支柱を立てた…。私がいない間に勝手にトマトの横にキュウリを植えるという不思議をされてしまったので、キュウリをなんとかせねばならぬ・・・。トマトと共に植えるべきは(コンパニオンプランツ)、ニラ、バジル、パセリだと伝えたのに・・・大きく葉っぱを広げたキュウリのせいでパセリも枯れ枯れ。

3月に外大を辞めた。その理由は色々あって既に書いた。
http://afriqclass.exblog.jp/21252293/
書いてないことの一つに、教室に留まらない、国内に留まらないもっと広い層の学生と色々したいなあ、と感じるようになったこともあった。勿論、外大の教員をやりながらも不可能ではないけれど、目の前の学生に全力投球してしまう私としては、物理的にそういうシチュエーションから自分を切り離すことは必然だった。

なので、今、日本の大学1年生向けに本を書いている。
ずっと前に着手して、卒業生が出る度に「いつかその本を贈呈するね」と約束して早8年が経過。本腰を入れたいと思うのようになった。が、他に既に出版社が決まっている学術書や一般書があって、それをやらないでやってる場合か・・と良心の呵責もある。ブログ書いてる場合じゃないが・・・学術はやっぱもっと気合いと良い体調が必要。これを万一みてる関係者・・・すまん。気持ちが向かないと、やっぱりなかなか一事が万事片付けられない(言い訳だけど)。なお、「大学1年生向け本」は未だ出版社を探してないから、関心があればご連絡を。

私が作ろうとしている大学1年生向けの本は、「大学で学ぶ」のは何故なのか、それはということはどういうことなのか、その先に何を見据え、何をどうしておくべきなのか・・・についてのもの。誰もなかなか教えてくれないテクニカルな部分も、何故そうなのかも含めて紹介しようと思っている。なので、「スピリット(精神)」「メンタル(心)」「アプローチ(心構えを含む)」「アクション(行動)」「レヴュー(振り返り)」があって、「自分と社会/歴史との関係性(連続性)」を重視したものとなっている。

このような本を作ろうと思った背景を少し紹介しておく。それは、日本以外の国々での大学(院)教育や研究・学術の位置づけに触れてきたことと関係している。

例えば、今ヨーロッパのある国の大学院生たちが私のレクチャーを企画してくれている。音頭をとってくれているのがブラジル人の博士課程の学生だというのも嬉しい。2年前に英語やポルトガル語で論文を発表するようになってから、世界の色々な国の若者から沢山の問い合わせがくるようになった。中には厳しいコメントもあるが、彼女・彼らのそういう率直さが凄く嬉しい。しかし、下手な英語・ポルトガル語での執筆を支えてくれているのも、ボランティアでプルーフリードしてくれる若者たちだ。そういう風にコレクティブに学術論文が「つくれる」のも素晴らしい。自分の書いたものが「社会のもの」になる感覚は、日本の学術界の要望に応えて書き散らした論文や原稿では得られなかったものだ。勿論、そこで先輩たちに鍛えてもらったから今日がある。

忘れもしない、1999年…初めてアジア研究所の依頼で書いた論文の酷さ…。日本語は支離滅裂で論理的一貫性は欠落し、とにかく何がいいたいのか分からない…。せっかく機会をもらったのに、たった2ページが書けない。。。穴があったら入りたい程のものを、研究所の皆さんが本当に丁寧にコメントくれ、修正案を示して下さった。中にはほとんど同い年の研究者もいて、正直自分の出来なさ加減がショックだった。彼は今でも理路整然として素晴らしい論文を書く。皆さまのお陰で一応学術論文のイロハに従って書けるようになったものの、言いたい事は山ほどあるのに、短いものにまとめる能力がないのは、相変わらずだ…。成長しないんだね、私。

でも、現場が好きで実務(国連PKO)からこの業界に入り、学者になるつもりが全くなかった私としては、そして修士までディシプリン教育をまったく受けられなかった外大出の私としては、こういう先輩たちの支援と励ましがなければ、とてもじゃないけれど研究者として人を教えるなどという立場には立てなかった。だから、日本の学術界の、特にアフリカ学会の、こういうコレクティブに仲間を育てるスタイルは本当に重要だし、今後も続けられるべきものである。

が、この年齢になって、記憶から消したりたいパーツを思い起こしてみれば、実際はもっと前に沢山の人に沢山のことを教わっていた事実にふと突き当たった。あまりにも拒否感が強すぎて完全に忘れ去っていた多くの出来事…。本当は、「ゼロ」なんかではなく、本当に多くの人びとに多くのことを教えてもらっていた。このような「自動記憶抹消」とそれを思い出すことの苦痛といった衝動から逃れるのにも、実に20年近くの歳月が必要だったのだね。

実は、先日書いたブログに出てくる「お父さん」は米国のとある国立大学の現代史の教授で、私は彼の同僚である中南米現代史の先生と、20才の若さで何故か共同研究をしていたのだ。そのきっかけは何だったかすら記憶にないが、私が日本人で英語とスペイン語とポルトガル語を「(怪しくも)話せて」、その前年にメキシコに行って、次にブラジルに留学に行くと聞きつけて、ペルーのフジモリ大統領の伝記を書いていた彼が、もう一人の社会学者との3人での共同研究と本の企画を持ってきたのだった。要は日本語が読める人が必要だったんだね。

あんまり気乗りしないままに(その後も同様、だって学者になるつもりがまるでなかった)、「でも約束したから」という理由と出版社の契約書にサインしてしまったからというだけの理由で、何年か共同研究し、学部の卒業論文をそのテーマで書いて、それを英語にして、その時期に日本に急速に流入していた日系人の調査をして、で本が出来た(The Japanese in Latin America, Illinois University Press)。が、まるで学問のイロハを分かっちゃいなかったし、あまりに中途半端な感じだったので、イリノイ大学からくる印税の小切手を一度も換金しないで現在に至ってしまった。

あの最中は自覚がなかったが(そして今の今まで)、でも、今振り返るとこの経験は凄く自分の中に根をおろしていたことに驚く。

彼は、アメリカの公文書館に行っては1990年初頭に50年ルール(通常30年ルール)で開示され始めた、本来は厳しく開示が限定されていた軍や警察の資料を、山というほど入手して、片っ端から読んでいた。そもそも大学2年生の私にはその意味がよく分からず、彼の知的興奮と眼鏡の奥で光り輝く好奇心を眺めながら、現場であるラテンアメリカでの現地調査を重視しない彼を批判的な目でみていた。でも、彼は在米のペルーから連れてこられて収容された日系人へのインタビューを開始していて、もう一人の共著者である社会学者と地道にインタビューを積み重ねていた。その際に聞き取った調査票の束を前に、彼は途方に暮れていて、取ってきたもののデータ整理できない自分を嘆いていた。「彼はこの本を完成させないと准教授から教授になれないんだよ・・・彼が少しでも怠け者の自分を乗り越えたら素晴らしい学者になるのに」、とお父さんはおっしゃっていた。

確かに彼は「(学問に)怠け癖」がある人だった。3人の子どもたちと遊ぶのが何より好きで、遊びといっても走る・泳ぐ・飛ぶ・・・だった。そして、よく子どもたちに本を読んでいた。そのまま寝てしまうことも多々あった「よきお父さん」であった。

でも、彼はマラソン選手だった。
そして、彼は学問の社会的意味に拘った。
だから、自分の昇進よりも(つまり本を書くよりも)、もっとがんばったのは、自分の学術的なリサーチの成果を社会運動に提供することだった。アメリカにおいて、日系人の収容はよく知られているが、ベルー等の南米にいた日系人が米国に連れて来られて収容所に入れられていた事実は当時知られていなかった。

今でこそNHKでもドキュメンタリーが放映され、以下のように当時の事を語るインタビューが視聴できる。
http://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/624/
http://www.discovernikkei.org/ja/interviews/profiles/32/

でも、当時はそういう状況ではなく、彼の研究もまた補償運動の皆さんと二人三脚であった。微力ながら、私もお手伝いしたりした。1999年にビル・クリントン大統領が謝罪をして補償を約束するまで、現代史を共に生きる歴史家として、彼が果たした役割は大きかった・・・と、今頃になって思う。

しかし、ブラジルにスラムでの貧困の問題をスラムの中から考え・研究するために行きたかった私としては、なんともコミットするほどに心が動かなかったのである。歴史アプローチよりも、社会学的アプローチに関心があり、究極的には過去のことではなくアクチュアルな平和と暴力の関係に切り込みたかった。アメリカ社会に関心がなさすぎたせいもあったかもしれない。冷戦が終焉するしないのあの時期、中南米からみたアメリカは「介入者」として見えたし、まだ「唯一の大国」としてブイブイいわしていたころで、「ああ、やだな・・・」と思ってしまう何かが蔓延していた。なにせ、1989年夏、18才の大学1年生夏に独りで向かった先がインド、そして当時は第三世界とよんで間違いのないスペインとポルトガルだった・・・という始末。

彼があれほどのこだわりと粘りを見せたのは、彼自身がアイルランド移民二世だったこともあるという。自分の問題意識に根ざした研究は、すぐには花を咲かせず、社会運動に没頭したとしても、必ずいつの日が大輪を咲かせる日がくるもんだ、ということも彼から学んだと思う。

賛成できないことが大半のアメリカであるが、底力のように凄いところは、色々なものを呑み込みながら、プロとコン(賛成と反対)がぶつかりあうことをよしとして、物事を前進させようという気概がある点である。だから、見せてもらって公開文書には、ばっちり個人名も残っているし、その人が在職中にとっていたメモ用紙までそのままファイルに残されている。というか、ファイルごと残っているのだった。軍とか警察とか、安全保障関係のものほど、きちんと整理されて公開されている(隠されているのもあるだろうが、かなりの程度30年、50年ルールを過ぎたものは公開)のである。そして、それらの記録の詳細を知らなくても、司書の人に相談すれば凄くがんばって色々リストを出し、資料を出してくれる。そういう経験を、大学2年生程度の私が出来た事自体、感謝してもしきれない。

実はそれから18年ほどが経過した4年前に、ワシントン郊外の米国アーカイブに行って冷戦期の米国の対世界戦略とアフリカ政策関連の文書を調べている時、もう退職した先生が会いに来てくれた。私は自分の本を渡しながら、先生との共同研究がいかに私に大きな影響を与えたのか、あの時は自覚がなさすぎて、ただ世界の現場に行きたい一心で十分感謝できなかったけれど、今日ここに自分があるのは先生のお陰だとすごく強調したら、先生ときたら、「でも僕のお陰というより、君は息をせずに25メートルのプールが往復できたからね。つまり、我慢強いから」・・・だった。

先生には、先生の子どもたちと私のあの競争が凄まじい印象だったらしい。私も未だ若く、そういうことにこだわりをもってた・・・。でも、私が息をせずに長時間潜れる理由は別にあった。幼子の私が海に身投げしようと考えた理由とも絡むがそこはさておき。あの子たちももはや家庭をもって各地で活躍している。でも、先生は照れくさかったんだと思う。先生のこういうひょうひょうとした、利己心の薄い、故に「怠け者」なところは、心底尊敬する。先生は、アンデスの山々が似合う先生だった。

もう一つ先生との共同研究で学んだのは、当時日本では未だワープロ全盛期にあって、「インターネット?メール?それなに?」の時代に、メールでやりとりしながら共同研究を進めるということが当たり前のものだった点だ。そして、先生が米国中南米歴史学会のメーリスで、ある学説やある新刊本について、コメントを書くと他の人たちがそれをさらにコメントして、一つの学説が、遠隔で、でもリアルタイムでどんどん鍛えられていくのを、目にしたことも刺激的だった。(と同時に意味が分からなかった。どうして、一つのメールを全員が読めるのか・・・どうして今書いたメールがどこでも後でも見れるのか・・・など。説明されても一向に分からなかった。。。)

今ドキの学生なら驚かないだろうが、なにせ当時「ポケベル」の時代。ポケベルに「カイシャ」と出ると、公衆電話に走って会社に電話した時代なのだ!携帯なんて自動車用のものしかない時代。その原理がどうしても理解できない私は、先生が、何故パソコンを常に立ち上げていて(これもワープロ世代には驚きだった)、そこに入ってくるメールを気にして仕事をしていたのか・・・横目で眺めていた。正直、そんな箱の中、顔が見えない相手とのやりとりに時間使ってる場合かよーーー天気いいから子どもたちとプール行きたい・・・の心境だった。思えば、彼との年の差は20才以上。子どもたちとは6才だった…。しかも相手は博士で、准教授。こっちはただの英語もろくに出来ないアジア人の日本の学部生だった。なのに、本当に一点の曇りもなく、対等に接してくれた。アメリカには時々そういう人がいる。公平な人びとが。

他方、お母さんとプロテスタントの教会にいって、哀れな東洋人(赤子的)と扱われた時には心底腹が立ったし(まあそれぐらい英語が出来なかったから仕方ないのだろうが)、「白人として哀れな有色人種には優しく接しなければならない」という押しつけのようなものを嗅ぎ取って嫌気がさした。聖書を学ぼうの会も、正直辛かった。日本の植民地支配はあからさまな人種差別に基づいたものであったことが多いが、20世紀後半のヨーロッパのそれは時にそれが家父長的な様相を身にまとっていた。キリスト教の普及という正当化の論理が使われていたこともあろうが。どちらがどうではなく、そういうものの根っこにある人種差別意識というのは、私の中で強い印象を与えた。

その経験から、米国の人種差別とブラジルのそれの違いについて意識するようになっていった。アフリカンビートへの関心から、おのずとアフリカンアメリカンの歴史に、そして北東部ブラジルのコミュニティに、しまいにアフリカまで辿り着いたのだが、これらすべては偶然ではなかったように思う。アフリカに行くつもりがこれっぽっちもなかった私が、ブラジルで学んだポルトガル語のお陰で、国連の仕事でアフリカ(モザンビーク)に行けたことは、偶然であったが今思えば必然だったのかもしれない。

だから若い頃に、「自分はこうだ」とか「これが好きだ」「これしか興味がない、したくない」という考え方はしない方が、可能性が広がって、自分のちっぽけな脳みそでは思いもよらなかったような機会に恵まれると思う。

抹消していた記憶が戻ってくると、洪水のようだ。
あの夏、先生の家の芝生に水を撒いた後の青々しい匂いとか、プールで飛び散った水滴がキラキラと輝いた感じとか、あの3人の子どもたちの歓声とか、昨日のことのように思い出す。なのに、どの子の名前も、その顔も思い出せない…。

あの共同研究の中で、私は「論争」というものを学んだ。
全ての事柄には論争があるのだということを。
そして、それは決して悪いことではなく、多様な角度で眺め、多角的に議論することで、物事は前進していくのだということを。それに慣れるのは容易ではなかった。日本人にとって「和をもて尊しとなす」のが当たり前である以上、相手が間違っていると思っても、おかしいと思っても、それはのみこんでしまうのが美徳であった。若い女性ともなれば、なおさらのことであった。

しかし、クリティカルな目線、実証に基づいた議論は、それが誰であれ当然のこととして受け入れられる世界に、少しばかりの間であるが、浸ることができ、そのことの重要性と可能性の一端を垣間みることができた。そこがカクテルパーティであろうとも、招かれた知人宅のバーベキューの場であろうとも、「あなたはどう思う?」「どうして?」・・・そう聞いてくれる大人達に、どれぐらい考え・語る機会をもらったことだろう。

でも、彼はあれやこれや「教え」たりしなかった。ただ一緒に執筆していただけだった。私の書くものにまったく口を出さず、「ブラジル・日本担当」というだけが決まり事だった。最初は戸惑った。何から手をつけていいかもわからず、膨大な参考文献リストの海の中で溺れそうだった。でも、英語文献で書かれていることと、日本語文献で書かれていることのギャップに気づいた私は、英語文献ではほとんど書かれていない明治期の日本の移民史にはまっていった。今から思うと、英語文献の世界で「自分だけができること」を追求した結果だったかもしれない。

明治の日本人がどうやって外に目を向けて海を渡っていったのか?また、冷戦終了直後の「国際化」を叫ぶ日本にあって、若者として、一人一人のライフヒストリーや声に心惹かれたというのもあった。国会図書館には膨大な量の資料があって。移民文庫については資料室があった。全体の閲覧室の無味乾燥な雰囲気と比べ、その空間が居心地良かったというのもある。休みになると関西から出ていって、朝から閉館までひたすら資料を読んだ。外務省に移住課があって、そこの皆さんにもインタビューに行き、資料を借り、日系人協会でもやはり同様だった。

私が最も惹き付けられたのは、これら「戦前移民」たちの手記や俳句や和歌であり、送り出した側(日本政府関係者)の会議の議事録であった。そして、英語文献をよみながら、そして彼と議論しながら、戦前の日系移民が新大陸への他からの移民と決定的に違っていたことについて思い至ったのであった。
つまり、「出稼ぎ」という言葉に示されている戦略である。

米国や中南米側からみたときに、「移民(移住者)Migrants」と一括りにされてしまう彼らが、実は「いつかは日本に帰るつもりの出稼ぎ者/人(sojourners)」であったこと、その結果ホスト国と日本と自分たちとの関係が、他の国や地域からの移民と著しく違う点であったこと、そして、そのことが第二次世界大戦直前から最中、そしてその後に及ぼした影響の大きさ・・・これらは日本人であればある程度推測できることが、英語の学術界では十分に理解されていないことが私には逆に驚きだった。

そこから私の関心はブラジルで生じた「勝ち組」「負け組」の衝突に向かって行った。この現象を、英語世界の人たちに分かる形で提示したい・・・と思ったのである。(大学の卒業論文は結局これをポルトガル語で書いたものであった。しかし、その100ページを超える大作も、引っ越しの際にどこぞやに行ってしまい、もはや幻のものとなってしまった…)。

また、日本向けには、初期の南米出稼ぎ者が、必ずしも困窮した人たちがいったわけではなく新天地で自分を試したいという野望を持った人たちが多かったことなどを突き止め、先行研究を引用しながら、一人一人の環境や想いを歴史的動態に繋げようと試みた。私が稚拙な英語で送るそれらのレポートを、彼は丹念に読んでは質問を返してくれた。それに基づいてさらにリサーチを進めていった結果、当初の予定とは大幅に逸脱する章立てとなってしまった。

結果、当初3人で書いていたこの本が2人の本となっていった。何故ならもう一人は南米をフィールドとする社会学者で、日本の歴史なんか興味ないのに本がどんどんそっちの方向に行くのに耐えられなかったからだ。出版社からも、日本の部分が長過ぎるとクレームがきたのに、彼は「ある歴史条件の中で、人が海外に向かい、滞在者となった後、移民になっていくプロセス」への私のこだわりにつき合ってくれた。本の表紙の写真を彼が提案してくれたときに、そのこだわりをいかに彼が共感し、共有してくれていたのか分かって、すごく感動したことを覚えている。

学部を終え、大学院に通いながら1年ほど追加で調査・執筆して、私の役目を終え、私はこれで一生学問と関わることもないな、という確信とともに、そして当時のパートナーに指輪を返し、戦争を終えたばかりのモザンビークに旅立った。その後も、本の最終化のプロセスであれやこれやがあったのだけれど、そのパートナーとのあれやこれやのもめた時期でもあったため、一切合切を記憶から抹消してしまっていた。。。今思えば、若かったなー。そこまで一生懸命忘れようとする必要はなかったのに、と。

でも、以上の色々を今日まで忘れてしまっていた理由には、本当の意味では自分のものに出来ていなかったことだったからということもあると思う。見よう見まねで、ただ流れに身を任せ、本を書いた。もはや恥ずかしくて読み直すことすらできない本を・・・。この本は、そのほとんどを担った彼のお陰で米国の学術本の選書トップ50に選ばれ表彰され、未だに米国中南米史学会から招待がくる。でも、それは本当の意味では私の実力ではないし、内実を伴ったものではなかった。その申し訳なさから、4年前まで彼に連絡を取ることすらできなかった。

人生というのは予期しない曲がり角を準備してくれるものだ。
モザンビークからかえった24才の私は、国連の次の仕事に行くか迷っていたのだけれど、自分のどうしようもない英語能力や専門知識の欠如をなんとかせねばんと考え、米国の大学院に行ってなんか学位ぐらいは取っておいた方がよいかな、などと考えていた。まあ、よくあるパターンの発想だ。それで修士論文を英語で書いておいた方がよいなということで、これまたどうしようもない英語でつらつら書いて出した途端に、阪神淡路大震災にあったのだった。

続きはまた今度・・・。
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# by africa_class | 2015-07-30 21:52 | 【大学基礎】批判的思考for1年生

三つ葉のトースト、生き延びるということ。そして、愛と若さについて。

病気の残存から1日1個ぐらいしか出来ない。
なので、今日は敷地の奥の森の自生しているヨハネスベリー(ふさすぐり<黒いのはカシス>)を摘みに行って、今ジャムと夕飯を作っているところで、後はストーブがやってくれるため、暇なんでこれを書いている。
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本当はパウロ・フレイレの『被抑圧者の教育学』について書こうとしていたのだけれど、勝手気ままに書いていたら、ぜんぜん違う話(根本は同じだが)になってしまったので、そのままにしておく。

薪ストーブの良いところは、同時に鍋とグリルが使えることだ。なので、同時に夕ご飯も。今夜も手抜きで、庭のハーブで作ったサラダに、ミツバ&トマトトースト、組み合わせ的にとってもあわないと考えられる具沢山のみそ汁。これらを、同じストーブで、寝る前に飲むハーブティ(今は季節側ミントに凝っている)のためのお湯とともに準備中。というか、ストーブが勝手に準備している。

「薪ストーブ」という名前から「薪」ばかりに目がいくが、枝も立派な燃料。そのことに気づいてからは、ストーブでの調理は凄く楽になった。

なお、群生するミツバと翌日冷えてしまった手作りパンをなんとかしなきゃ・・・の一心で編み出したレシピ・ミツバ&トマトピューレ&ガーリック&チーズのトーストはおすすめの一品。子どもが小腹を減らすとこれを出せばボリューム感から満足してくれる。
今日は独りなので、さらに手抜きをして、こんな感じに。
・庭に群生中のミツバを刻んだもの
・昨夜の残りの海の幸&ガーリックトマトソース
・これに細かくちぎったチーズ
を買ってきたパンに載せを、グラタン鍋に並べてぶち込んだだけ。

以前作った時のもの(オーブンに入れる前)
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お味噌汁も具沢山な理由が、去年秋に自分で作った味噌の大豆自体が具沢山…。あまりにしんどくて、でも味噌が手に入らないドイツの田舎なんで、無理矢理味噌を作ったため、機械も踏みつぶすのもやめて、ただ手で潰した(踏みつぶすにはそのための袋を用意したりだし、機械を使うと後洗わないといけないので大変)。その結果、茹でられた大豆くんたちはつぶれきれておらず、ほとんど半分に砕いたぐらいの形態。なかなか味噌らしくならなかったが、10ヶ月を経て良い感じに。なので、みそ汁の味噌自体が大豆のつぶがもりもり…。でも、私こういう味噌実は好き。そこに、買い物に行けない時のために干しておいた今年の夏の収穫物、つまり化け物となったダイコンたちをただぶち込んだ。自慢じゃないが、凄く美味なみそ汁。この1品と玄米でお腹いっぱいになる。

家事はスピードが母からの家訓。
忙しすぎるが丁寧な暮らしがしたいという矛盾する自分と生活を成り立たせるために、「手間自体を愛さない」、「省ける手間は省く」、「今の手間がいざという時の楽さに繋がるのであれば、やる」ということをモットーにしてきた。こういう時に役立つもんだ。

でも、19で家庭を持った私は、どんな忙しくても、レトルトとか冷凍食品とかそういうのに頼ったことはないし、電子レンジも持った事もないし、トースターも炊飯器も持ってないし、まあ人から見たら、「手間やのー」ということはあるだろうが。要は、楽しめる範囲での手間を楽しんでいる。また、暮らしの基本が「循環」であることも、譲れない。これも、私の中では「抵抗の実践」の一形態だから。

さて、本題。
ここまで書いたら、ジャムが出来そうだ。
何の話だったか…。
そうだ、抵抗だ。

私に取って、以上のような日々の暮らしの色々は「抵抗」そのもので、思考と実践の両方を繋ぐもの。当事者性というのを私が持つとしたら、「生活者」というところからしか始まらないから。「学者然」としていた方が、個人的には遥かにメリットがあるけれども、そんなメリットを得て送る人生なんて何の意味もない。墓場にカネもメリットも名声も持っていけない以上、より問われるのは「どう生きたのか?」であって、「何を所有したのか?」ではないから。

死が切実に近かったから、今を生きる・自分らしく生きることに早くから目覚められた。もし、いじめや、自分が必要とされていないとか、自分が生きても何の意味もないと考えている若い人がいたら、いいたい。

そんなこと絶対ないよ、と。
あなたの命には、沢山の意味があるのだよ、と。
生きていれば、必ず本当に大切なことに行き当たる、と。
今、そう感じられないとしても、だったらそう感じられるところまで生きてみよう、と。

私は4つの時に、海に身を投げようとして、ギリギリのところで思いとどまった人間だ。当時、港のある漁村に暮らしていた。なぜ思いとどまったのかは、未だに思い出せない。ただ、「救われた」という実感だけが胸の中に残っている。目の前に横たわる暗い海のあの感じだけが記憶にある。

成人した後、そこを再び訪れた時、あまりにも村がちっぽけで、海も穏やかで浅く、拍子抜けしたことを思い出す。19才のあの時でも、あそこに足を向けるのはとても辛く、当時婚約していた彼に付き添ってもらって初めてそこまで行けたのだった。そういえば、あの彼も元気だろうか。籍こそ入れてなかったものの、彼の家族には本当の娘のように沢山の愛と支援を頂いた。ブラジルでの調査費を出してくれたのは彼のおじいちゃんで、彼のお父さんには学問的なアドバイスを、お母さんには女がプロとして生きることを、沢山教えてもらった。おじいちゃんとお母さんのお葬式に行けなかったことは今でも悔やまれるのだけれど、お父さんに本を送れたのはせめてもの償いかもしれない。お父さんには今年こそ、会いに行きたいと思う。

若さとは厄介なものだ。
とりわけ、幼い頃に刻み込まれた痛みを解消できない間は。
自由に沢山のチャレンジをしたい自分と、同時に愛されることで安心したいという自分の間で揺れ動く10代と20代前半を経験し、それがもたらした多方面の問題に、申し訳ない想いがある。今となっては、その「若さ」を苦笑したり、微笑ましく思えるが、当時はとても深刻だった。23才の終わりに、すべてを捨てて戦後直後のモザンビークに行ったのは、大変な決断だったけれども、心からよかったと思う。

女の子たちが、自己肯定感から男性に愛されることでなんとか自分の不安を埋めたり傷を癒そうとしているのを見るつけ、かつての自分を思い出す。

そんな彼女たちにいえることは、
それもまた仕方ない、ね。
ということ。

もっと強くなんなさい、とおばさんがいうのは簡単だ。
でも、試行錯誤をしてみないと、分からないものだから。
覚えておくべきは、自分の中にはちゃんと力が備わっているという真実。
他人の「愛」のように思えるものに、依存しなくても大丈夫。
あなたは、ちゃんと自分をいつか受け入れられるから。
その時、本当に解放されるのだよ、と。
自分が自分で与えていた呪縛から。

私が、ブレない自分の話であのようなことを書いたのは、そういうことだった。
「長い夜にブレない生き方について考える〜ガンジーの「ノー」の価値論と「五日市憲法草案」、そして沖縄」
http://afriqclass.exblog.jp/21326990

自分の中に軸がない限り、他人がどう思うか、他人に愛してもらえるのか、そこにばかり気が向いていってしまうことについて、私自身が経験をしてきたから。これは息子にも、多分伝わっていないと思うけれど、伝えてみた。「ふーん」としかかえってこなかったけれども。

恋愛は人を成長させる。
だけれど、まずは自分が自分を受け入れられないと、それはどこか誤摩化しになってしまって、本当の意味での自分の人生にはならないことを、頭の隅においてもらえるといいな。

まずは生き延びること。
そして、自分を受け入れること。
そして、その経験をバネに、他の人びとのために役立ててみること。
そして、時に始めた場所に戻ってみること。
愛し愛された人びとに感謝すること。

そんなところ?
偉そうにいえる私ではまったくないけれど、とりわけ私の友人たちは苦笑していることだろう!散々迷惑かけたから・・・。

でも、歳を取るということは何と素晴らしいことか、と納得している間に煮沸消毒していたジャムの瓶も乾いたようなので、ジャムを完成させる。

今日は、リースリング。
甘すぎるから嫌いだった。
安いワイン風で。
でも、ここドイツの風土にとってもあうワインなんだ。
これも年の功かな。
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# by africa_class | 2015-07-28 04:30 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

(その2)大学生のスピーチに思う。「名を伏せた者たち」が進める全体主義の今。

ということで昨日の続き。
先に(その1)を読んでね。
http://afriqclass.exblog.jp/21484478/

といっても、ハーブ畑に大量に生い茂ったあらゆる草との今朝の格闘で、今実は疲れ果てている…。いなかった1ヶ月の間に野菜たちも化け物とかしていて、本当はもっと早くに秋野菜を植えなきゃなのにまずは夏野菜とお友達の草たちからなんとかしなきゃ・・・でもしんどい・・・で、ここまで来てしまった。農には、お天気・人手、心身ともの健康と時間が必要だということをつくづく感じる毎日。

しかし、放置がよろしかったのか、野菜も草も、そもそも植えてあった木々も、今は花真っ盛り。天国のように色とりどりの庭。見るだけなら、素晴らしい色合い。絵に描きたいほど。一年のごく僅かな出棺だけのこの眺めを堪能したい。けれども、油断すると種をまき散らすのでまた来年大変なことになる・・・が、今はこの花々に、ハチがぶんぶん、モンシロチョウもぶんぶん。切るに切れない。
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せっかくだから、前から挑戦したかった養蜂を来年はやってみよう。ラベンダー、アジサイ、ディル、アザミ、シロツメクサ、コンフリー・・・の花の蜜を吸ったハチの蜜って、どんな味がするのかな?という興味から。

「ハチ」というと、子どもの頃は怖かった。家でも学校でもすごく脅されていたし。でも、ハチに囲まれて暮らしてわかったことは、ハチもまた彼らの感性と論理があって、こちらが彼らの邪魔をしない&しないオーラを出しておけば、ほっておいてくれるということ。「邪魔しないオーラ」って何?・・・というと、「気を消す」感じ?ぶーんと飛んで来ても、何もせず、ただ気を消す。動きたければ、そーーーと引く感じ。すると、ハチもすっといなくなる。このあうんの呼吸を呑み込むと、ハチさんが群がっている花も少しだけお裾分けさせてもらえる。

またしても、続きのはずが前に進んでないわい。

で、1年以上前に何を書いていたか?・・・というと、日本平和学会に頼まれて『平和研究(早稲田大学出版会)』というジャーナルを編集していた。それは、『平和の主体論』という特集号になったのだけれど、そこに後書きを書かなければならなかった。だから、ナチス時代のドイツで形成された全体主義の問題について、今の日本と重ね合わせた文章を書いた。ハンナ・アーレントを引用しながら。「後書き」は、こう始まる。

 「東日本大震災とその後の東京電力福島第一原発事故から3年が経過した。そんな2013年末、小さな映画館で公開された映画が評判を呼び、異例のロングランとなった。「ハンナ・アーレント」と題されたその映画を、2013年の日本社会が欲した理由は何だったのだろうか。
 ハンナ・アーレントHannah Arendtは、ユダヤ系ドイツ人として生まれ、ナチス・ドイツの迫害から逃れ、アメリカで「全体主義の起源」をはじめとする多くの著書を記した政治哲学者である。
 全体主義体制は、第二次世界大戦あるいは東西冷戦の終焉にいおって、一部を除き「終わったもの」として久しく受け止められてきた。1990年代以降の世界における複数政党制民主主義の急速な拡散、移動手段や通信技術の発達による多様な情報へのアクセスの拡大ーーこのような時代に再び全体主義について考える必然性はどこにあるのだろうか」。

日本平和学会(編)『平和研究ー平和の主体論』早稲田大学出版会
http://www.waseda-up.co.jp/series03/post-711.html
(表紙の写真は、2014年2月にNGO・外務省定期協議会・ODA政策協議会で沖縄に行った際に、沖縄の高江で撮ったもの。モザンビーク農民の土地を奪われる苦しみと不安を、沖縄の人びとはよく理解してくれた。苦悩というのは他者の痛みへの共感と連帯の土台になりうるものなのだ、と改めて尊敬を込めて感じた)

この本が出てすぐ、その「後書き」が、現実に生じたことを先取りしていたため、このブログに駄文を書いていたのであった。そして、布団の中で書いたそれは、誤操作で見事消えてしまった…。でも、それでよかったのかもしれない。物事にはそういう思いがけない出来事があって、それぞれに「意味」があると思う。

で、1年前何故その駄文を書いていたのか?
それは、外務省JICAとNGOの「対話」の記録から、政府側が個人の氏名・肩書きを削除してきたと聞いたからだった。この対話は公開のもので、それまで記録は記名入りで掲載されていた。それが去年5月に突然、名前が消されて、「外務省」とか「JICA」とかの書き方にされていたと聞き、「あっ」と思ったからだった。

この記録をめぐっては、当日全く発言されてもいないことが事後的に書き加えられたり、当日言ったにもかかわらず(そして逐語議事録が提供されているにもかかわらず)「記憶にないから」と削除されることもあるという。さらには、NGO側の発言箇所にまで、丁寧にも、直接修正を加えてくれるというから厄介だ。一般には、こういうことは「記録の改ざん」とされかねないが、これらの機関ではどうもそうではないらしい・・・。違うと思いたいが、あまりに日常化しているということだろうか?こういう細かい芸当が得意な者ほど組織内で重宝され、評価が高いのも、税金で彼らのサラリーを支えている側としては「?」が大きい。

当日発言したことは、後で変更可能で、そもそも誰が話したかすら分からないようにできる・・・税金で支えられている援助事業の公開の話し合いの場で求めること自体が、一般市民には謎だ。透明性を高め、説明責任を果たすのは義務であり、責任であり、「市民の要求によること」でも「追加的なこと」でもないはずなのに?

つまり、自分の発言に個人として責任を持たない、持ちたくない、ということだと受け止めるしかないのだが、他に何か理由があるだろうか。でも、これも一度でも組織に生きたことのある者なら、きっと理解できる論理だろう。つまり、彼らだって可哀想なんだ。

彼らの論理では、このような問題事業を、好きで担当しているわけではない。たまたまそういう役目が回って来ただけで、運悪く担当になって、自分の名前が記録に残るのは迷惑だ。そもそも発言だって、個人の発言というわけではなく、組織のためにしぶしぶやってることだ。なのに、自分の発言としてもらっても困るし、自分の将来にも関わる、そいうことのようだ。これに同情する気持ちがないわけではない。渦中の栗をあえて拾った人もいるし、改善しようと努力している人たちが何人もいるのも知っている。そして、その人たちの努力に率直に敬意を払いたい。でも、だからこそ、名前を伏せるなんてことはあってはいけないと思う。名前を載せるのも憚れるような、そんな「問題事業」を始めたのは誰なのか、どの組織だったのか? 皆が自分の名前を隠して歩く限り、本当の意味で良くはできない。今良くできなとしても、教訓として未来に学ぶ時に、これでは学びようがない。

実際、政府の公開文書からはある種の人たちの名前がごっそり消されている。本当に丁寧にすべてのページから削除されているのだ。その人たちの名前を探して黒く塗るだけでも大変な作業である。これもまた税金である。そんなことをする理由は何なのか?「個人に不利益がある」ということを主張するが、名前が隠されなければならないほどまずいことをしてきたのもそれら本人ではないのだろうか。

そして、このような「自己の責任放棄」こそが、現在のあらゆる日本の問題に通じている以上、個人として同情はするがそれをよしとはできない。また、このような無責任体質によって、現地で人びとが苦しい目にあっているのなら、なおさらである。(それについては、今度は外務省・JICAですらなく、モザンビーク政府の「オーナーシップ」の責任にされている…!)

もう一点興味深いことは、1年前、個人名が削除されるようになっただけでなく、外務省やJICAの個人が良心に基づいて行った率直な発言は、事後的に組織的に削除されたことであった。つまり、個人の発言は許されておらず、組織の方向性に合致した言葉だけを話し、記録に載せることだけが許されるということのようである。

つまり、任期の2−3年がすぎたら、別の者に任務が置き換えられる以上、そこに個性など挟んではいけないのだ。つまり、「置き換え可能な塊」として存在しなければならない。

でも、本当はそうじゃないはずだ。
人は誰だって自分らしく働きたいし、貢献もしたい。
にもかかわらず、「名前を消す」「発言を消す」ことを主張するということは、そういうことを意味する。相手があることなのに、自分は匿名性に隠れる。時間が経ったら次に向かうだけ…人びとの暮らしは続いていくというのに。

この一切合財を最初知った時、何かの手違いかなんかかと思った。しかし、結局「記名を無記名に」するために、何ヶ月も政府側が粘り続けた様子をみて、彼らにとって自分の名前が記録に残るか否かがそんなに重要なことなのだ・・・・ということを、心底驚いたが、理解した、そして、これは、ある特異な例外的なケースではなく、2014年の現実ーー悪化する日本の統治体制の現実ーーとして、ある種の合点がいった。

そして、私が思い出したのが、『平和研究』に書いていたハンナ・アーレントの「自己の無用化」、つまり「誰でもない者による支配」の話であった。

そのシンクロさ加減に、さすがに心臓がぎゅーーーと締め付けられる想いだ。当の本人たちはそんな風にはみていないと思うけれど。2013年全般に問題なかったことが、2014年には重視されていく。この転換というのは、例えば2013年末に秘密保護法が成立し、その後原発最稼働し、安全保障関連法案提出までの流れを歴史的背景として眺めるならば、さほど違和感がないことなのかもしれない。

そして、これは外務省やJICAだけの話では当然ない(そしてこれらの組織の全員がというわけでもないことは、明白だろうが一応記しておく)。これらは、単なる一例にすぎず、広く日本に蔓延している問題なのだ。ここが一番の味噌である。詳細は上述の「後書き」に書いたのだけれど、ここでも少し(大いに?)披露したい。

**

アーレントは、「独裁体制のもとでの個人の責任」で、「なぜ服従したのか」ではなく「なぜ支持したのか」こそが問われなければならず、一人前の大人が公的生活の中で命令に「服従する」ということは組織や権威や法律を「支持した」事を意味し、「人間という地位に固有の尊厳と名誉を放棄した行為である」と断定する。そして、これらの「人間としての尊厳と名誉を取り戻す」ためには、まずは「服従」と「支持」の違いを考えなければならない、と主張する。

つまり、「仕方なく」「組織がそう求めるから」「上が命じるから(命じないから)」という言い訳に対し、「一人前の大人の人間としては不名誉で自己の尊厳を放棄した言い訳にすぎない」ことを痛烈に批判する。そして、結局それは「服従」ではなく、「支持なのだ」と結論づける。つまり、「自分の意志や意図ではないしぶしぶの受け身の行為(=服従)」と本人が認識しようとも、それは組織や全体の中で「積極的な支持」にすぎず、個としての責任が問われることなのだといっているのである。

確かに、消極的な行為であろうと、積極的な行為であろうとも、「従った行為」の果てにはその体制が支えられ、揺るがないという結果のみが立ち現れる。戦後多くのドイツ人は、自分たちも犠牲者であったと強調し、ホロコーストについて問われれば「知らなかった」「何も悪いことしなかった」「直接は何もしていない」・・・ということも多かった。しかし、まさにこの「積極的に支持はしなかった、ただそこにいて従ったにすぎない"one of them"の束」こそが、あのような政治社会体制を可能としていたのである。

そこに目を向けないのであれば、いつまでも自分の責任はないことになり、良心の呵責もないだろう。何より、自分は特定の個人として何もしなかったのでもなく、命令に従ったのではなく、あくまでも圧倒的多数の一人(One of them)にすぎなかったのだらから・・・との論理が可能である。そもそも、もっと責任のあるエライやつらがいたし、奴らの責任は明白だ。その影で奴らはいい目にもあった。皆それが誰か知っている(ヒトラーやその他)。一方、庶民にすぎない、「組織の歯車」にすぎなかった役人の私の名前は、どこにも書かれていない。直接殺戮の現場にいた収容所の看守だったわけでもない、と。

私のドイツの家族もこう口を揃えた。
「いつも気の毒に思っていた。私たちは差別なんて決してしなかったし、密告もしなかった」、と。「じゃあ、助けようとしたの?体制に抵抗しようとしたの?」という問いには、「そんなことは不可能だった」と。「不可能になる前に何かしなかったの?」という問いには、「分からなかった。急に一気にナチスが社会を国家を乗っ取ったから」と。これは、日本の多くの人の感覚と同じだろう。

これをアーレントは「自己の無用化」と読んだ。
「自分が行ったこと(行わないこと)と、その結果は無関係」という多くの人がもっている感覚。「私ぐらい…」「私なんて…」の一言に象徴される。これが庶民レベルで展開する問題もそうであるが、官僚レベルで行われることの影響は深く重い。彼女は、これを「誰でもない者による支配」と呼んだ。

自分を「自己のない=誰でもない者(Nobody)」が、国家や社会の制度部分を担い・回すことによって総体として現れる支配構造、それが全体主義であった。

善良なる市民感情、あるいは「仕事をしているだけだ」との想いをもった官僚感情を前に、それでもハンナ・アーレントは「人としての責任」を問い続けた。そうしない限り、再び全体主義は他者を破滅させるために蘇ると見破っていたからだ。彼女は、マッカーシズムに荒れる米国社会と、ソ連の国家体制、そして何より大虐殺を経験したはずのユダヤ人が作りつつあったイスラエル国家の体制を見ながら、これらの著作を書いた。アーレントは、人間は繰り返し過ちを犯すだろうという確信を持っていたから、筆を緩めず、彼女の考える書くべきことを書くべき手法で書き続けた。仲間からも厳しすぎると非難されても、なんらかの配慮で書くべきことの表現と中身を妥協することで、彼女の考える真理から遠ざけられてしまうことを畏れた。彼女は、まさに筆一本で闘っていたからだ。

アーレントが非難を受けた理由は、ホロコーストが悪の権化のような狂った憎むべき個人によってではなく、「凡庸なる(普通の)個人」によって行われたことを主張したからであった。あのような想像を絶する人類史上まれに見る犯罪が、「凡庸なる悪」という言葉で総括された時に、ホロコーストのサバイバーやその遺族の衝撃は大きかった。さらには、ユダヤ人協会の一部の者が自らの安全のために、体制に協力していたということを指摘したときには、その反発たるや凄まじいものがあった。

しかし、アーレントは、自らの理解、言葉、主張を変えなかった。なぜなら、本質は、人間とその社会の持っている傾向の問題にあって、この理解に行き着かない限り、犠牲者の名の下に(「ユダヤ人だから」)、あるいは「解放者」の名の下に(アメリカ)…今度は次の全体主義が準備されてしまうことが見通せたからであった。

この「誰でもない者(名前のない/伏せられた者)による支配」の根っこにある元凶を、彼女はあぜんとするほど平易なあっけない言葉で示した。つまり、「思考停止」である。

「思考停止」という言葉は、若者の間で長らく流行った言葉だった。
だから、日本ではあどけないニュアンスがある。
しかし、アーレントのいう「思考停止」はもっと根源的なものがある。人間が人間である理由は、人間には思考が可能だからだ・・・という前提において、「思考停止した者」とは「人間の尊厳と名誉を放棄した者」になる。

アーレントの結論はこうだ。
この「思考停止した凡庸なる人」こそが、世界最大の悪であるホロコーストを可能にした。
つまり、思考停止は悪なのだ。「自称普通の人びと」のそのような思考停止こそが、世界最悪の「悪」を招く。

きっと多くの人にはあまりにものあっけなさに、な〜んだ、と思うかもしれない。しかし、アーレントの話はもっと奥行きがあるのだ。

「人間」が「思考停止する」とどうなるかというと、「交換可能な塊」にすぎなくなる。もはや名前のある特定のあなたという人間でなくてもよくなる。労働力であり、官僚であり、全体の中の機能だけが重要となる。となると、「複数制」が否定され、一人が倒れても次が準備されればよく、あなたでなくても別の人でもいい。組織は続き、体制は続いていく。それもこれも、「名のあるあなた」は、「思考を停止し人としての尊厳を捨てて体制を温存させている=支持しているから」である。そして、この体制には、「よそ者」が生み出され、「全体」が優先さsれるが故に排除が目的化する。ナチスドイツの場合は、ユダヤ人や共産主義者等がその対象となった。これらの完全排除が全体の保全のために目的化される。

このプロセスを、アーレントの教え子であるヤング=ブルーエルは次のように説明する。
「全体主義は政治(的空間?)を破壊する統治形態であり、語り・行為する人間を組織的に排除し、最初にある集団を選別して彼らの人間性そのものを攻撃し、そこからすべての集団に同じような手を伸ばす」という(2008)。

つまり、体制にとって、自らの頭で考え、声を上げ、能動的に行為する主体を、ある種のレッテル貼りでその存在自体を排除してしまえば、社会を押さえ込むことができるというのである。

人間に与えられた自分の頭で考える・・・ことに目覚めた人びとが、「交換可能な塊」から脱し、自分の尊厳と名誉と責任において自分の名前で語り始めた時、そこに全体主義が破れる可能性が芽生えるものの、圧倒的多数の「思考停止の交換可能な塊となった人びと」がこれらを「よそ者」とレッテル貼りして完全排除をしていくことで、体制は加速度的に出来上がっていく。

日本においては、立上がる人びとを「左翼」「過激」「プロ市民」「中国からカネをもらっている」等と呼んで。

しかし、この話はそこで終わらない。
なぜなら、「他人事」として傍観していた「凡庸なる人びと」「統治側にいる誰でもない者=官僚」のところにも、全体主義の支配は及んでいくからだ。自分らしいことが、一つずつできなくなっていく・・・そんな不自由な社会が、いつの間にか自分を蝕んでいく。それでも、体制が崩壊するまでは安全だろうと思うかもしれない。しかし、全体主義が行う「よそ者」としてのレッテル貼りは、いつどこで自分や自分の家族に牙を剥くか分からないのだ。今日は統治の側にいる自分が、いつか逆転することすらあり得る。全体主義とは、個々の人間の幸福など目的にしない以上、明日は「我が身」かもしれないのだ。

名前を失い塊となり思考停止することを厭わない人たちが、国の統治を行い、同様なる凡庸な人びとが、これを支持する限りにおいては、犠牲となる人びとを生み出すことを必然とし、人類最悪の犯罪すら可能とするのだ。そして、これは遠い昔の話ではなく、今目の前で進行していることだと考えるのは、私だけだろうか?

エルサレムでアイヒマンは、体制や組織が下した決定を歯車として役割を果たしただけで自分の意志ではなかった以上、自分の責任ではなく、自分が個人としてさばかれるのはおかしいと主張した。彼は、自分の昇進ばかりを気にして、ただ粛々と仕事をこなした。その結果が、大量のユダヤ人の収容所への輸送であった。

それに対して、アーレントは、そのような言い訳をするアイヒマンについて、「(人間)主体としての自己放棄」こそがまさに「全体主義を生み出した悪」なのだと説明した。

映画「ハンナ・アーレント」の最後のシーンに、彼女が学生たちの呼びかけたことがある。

自分自身で思考する。
それが人間を強くする、ということ。
思考の営みは職業的思想家のものではなく、全ての人びとが日々必要とするものであり、他方そうやって得られた思考で関わるべきは「自分」ではなく「世界」に対してである、ということ。

だから、私は、2015年7月の暑い夏に、日本の大学生たちが、「思考停止」を脱して自分たちの頭で考え、「自己無用化、塊化」を避けて、自分の名前を堂々と語り、すべての可視化できる記録に残しながら、自らの言葉で語ったことを、賞賛せずにはいられないのだ。

彼らが失うものがないから・・・などという批判は無用だ。
今の学生がどこまで就職の不安を抱えて生活しているか、大人達はしりもしないから。
今の大学が、学生の活動にどこまで口を挟んでくるかも、知りもしないから。

私たちは、ただ、過去の歴史と、歴史の葛藤から紡ぎ出された豊かな著作と、若い人たちの躍動的抵抗から、頭を垂れて学ぶべきときなのだ。

全体を恐れ、その中に埋没し、隠れている場合じゃない。
今、このクリティカルモーメントにおいて、日本の「人としての尊厳を持つ唯一無比のあなた」が問われている。

「あなた」は、「置き換え可能な塊」なんかじゃない。
「あなた」は、「思考停止」なのかしていない。
自分だってNGOのように自由に発言し、行動したいと考えているのも知っている。
本当は、「あなた」は、素晴らしい独立した考えの持ち主で、自己保身や自己承認のためだけに働いているんじゃなくて、一人の人間として物事を変革できる「力」を持っていることを、私は知っている。
そして、苦しい想いを日々重ねている事も知っている。
行き場のない怒りを抱えているのも知っている。
その少しでも、表に出すことが、今必要なんじゃないのかな?


1年も経ったのに、この話を再び書こうと思った理由は、学生のスピーチだけでない。立教の声明を読んでのことだった。
「「戦争」とは決して抽象的なものではありません。具体的な名前をもった若者たちが戦場で向かい合い、殺し殺されることを意味します。そして、子どもたちを含む多くの戦争犠牲者を生み出し、いのちの尊厳を踏みにじるものです。1945 年までの戦争への反省の上に立って戦後日本が国是としてきた平和主義に逆行し、日本に戦争への道を開く安全保障 関連法案の可決に、私たちは強く抗議し、法案の即時廃案を要求します。 」

ノーベル賞学者の益川教授がこう述べている。
日経:物理学者・益川敏英氏「学問より人類愛せ」(戦争と私)
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO89240270T10C15A7000000/
「虫も殺せないような人が平気で人を殺せるようになってしまうのが戦争だ。組織の中で動いてしまう。だから恐ろしい」 「科学者は放っておいたら自分の研究室で研究している方が面白い。本人にそのつもりがなくても、自分が開発した技術が戦闘機に使われるようなことも起こりうる。それに気付いたら科学者は社会に報告すべきなんでしょうね。でも普通はしない。だから集会や社会に連れ出したらいいんだ。すると、平和が危ういということはすぐに分かるんだから」

学者や科学者だけではない。
援助を含めた政策立案者も遂行者も同じだ。
自分机や会議室の中にある世界で物事を想定している限り。

ここに書きたかった本質が表されている。
国家の政策は、一人一人の生命と幸福と財産を操るほど力を持ちうるものだというのに、その想定される対象には名前と顔がない「女性」「若者」「農民」「貧困者」を対象とする。それを司る側もまたトップ以外は名前なき役人・軍人らの塊によって遂行される。行為自体が、被害を招きかねない複雑なプロセスは軽視され、「戦争(殺し合いにかかわらず)」、「援助(政治を伴うものであるにもかかわらず)」と抽象的に表現される。

だから、決定とプロセスを主権者・主体の側に戻していくしか、方法はないのだと思う。
先人たちの屍と犠牲の上の民主主義の時代に暮らすというのは、そういことなのだ。
私たちは、名前を伏せるどころか、名前を取り戻すところから始めなくてはならないのだ。そんなことを考えた夏の夜長だった。

ハンナ・アーレントについては、以下の参考文献。
矢野久美子『ハンナ・アーレント』中央公論新社。
映画については、以下のオフィシャルサイト。
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/


*なお、ここに書いてあることを本当の意味で理解したら、そんなことはあり得ないはずであるものの、過去に起きた出来事が懸念されるので(あえてここで何が起きたかは書かないものの)、念のため書いておくのですが、この内容を「悪用」しないようにしてください。物事には多様な見方があって、そこに論争があって、そして社会は発展していくものなのです。

おやすみなさい!
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# by africa_class | 2015-07-27 00:21 | 【考】民主主義、社会運動と民衆