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さようなら、日本の「普通教育」。シュタイナー学校に行くことになった息子と「魂の鳥」

ドイツに「留学中」のもうすぐ11歳の我が子ですが、同国では11歳になると「中学生」です。まだまだ甘えんぼの息子が、秋から中学生とは・・・。ドイツでは気持ち悪がられる「添い寝」からまだ卒業できていないのに・・。彼ではなく、私が!

さらなるハードルとして、子どもたちは、「中学校」入学前に、将来大学に進学するのか、専門職に就くのか決めなければなりません。こうやって階級社会が固定化されるのですね・・・。
 
ドイツ語は普通にできる子も、アルファベットは読み書きできず、かつ筆記体がまだまったく読めず、ノートが取れません。さすがに、大学に続く中学には入れてもらえそうになく、どうするか悩んでいたところ、ドイツの実家から車で20分の村の森の中にシュタイナー学校があることが分かりました。

自慢じゃないけれど、勉強が得意ではない子。でも、1年生から唯一いつも自信をもって出来たのが、美術と体育。しかし、日本は美術も時間内に終わらせる必要があります。テレビのない家で育った息子は、ものづくりは得意中の得意。お魚の入っていたトレーで、玩具や立体的な飛びだす絵本を創ります。でも、時間内でやろうという発想はありません。「創りたいから創る」子なので、当然、お魚の鱗をつくるのも、一つ一つ丁寧に作ります。すると、時間切れ・・・。幸い、沖縄出身の美術の先生が、そんな子どもを1年時から見守ってくれたため、美術が好
きなまま大きくなりました。

4歳の頃から、アフリカの未舗装のがたがた道を四駆で走りながら、スケッチブックにひたすら絵を描き続けるような子どもでした。そして、迎えた小学校・・。毎日繰り返しの漢字テストに、持ち物チェック。「人と同じ」を朝から夕方まで求められ続ける毎日。いつの間にか、「人と違ったことをする」ことを恐れる子どもに育ってしまいました。外国人の父親はいざ知らず、「あまりに余所のお母さんと違うママ(私)」にすら、学校に来るなというようになりました。学校が終わっても、自由にボールが蹴れる原っぱもなく、公園でも校庭でも、ボール遊びは禁止です。いつしか、子どもたちは家の中でひたすらDSをする毎日となってしまいました。

そんな毎日を疑問に感じつつも、日本で育てるのだから、いつか本人が困らないように日本式に育てないと・・・と私たちも肩ひじ張っていたように想います。でも、3・11が起こりました。
 
他のご家庭とは、比べ物にならないほど恵まれている息子ではあります。でも、我が子なりに苦しみつつ、大きく成長しようとしています。

お試しでシュタイナー学校に行ったその日の夜、子どもは「魂の鳥」という物語を作り、「魂の鳥」の絵を描いてくれました。

 この鳥は、「怒っているときの魂の鳥」。今回のことで怒ってる。
さようなら、日本の「普通教育」。シュタイナー学校に行くことになった息子と「魂の鳥」_a0133563_23125698.jpg


 こちらの鳥は、 「嬉しいときの魂の鳥」。
さようなら、日本の「普通教育」。シュタイナー学校に行くことになった息子と「魂の鳥」_a0133563_23124318.jpg


 そのどちらもが、海くんの心の中に住んでいるといいます。
この絵を見たときに、彼のそばにいられない自分をどこまでも情けなく感じました。と同時に、自分で自分を表現し、自分をみつめようとしている息子の今とこれからを、ただ見守るのも親の役目なのだと思いました。彼自身の心であり、彼自身の人生だから。いつか、この苦しみが、この怒りが、そしてそれらを乗り越えたという自信が、彼の大きな宝であり、支えになる時がくるでしょう。

シュタイナー教育と初めて出会ったのは、1991年。ブラジル留学中のこと。サンパウロのスラムにボランティアに行ったときに出会ったのが、ドイツ人のウテさんがやっていたモンチアズールの学校でした。その時、自分に子どもが出来たら、シュタイナー学校に連れて行こうと思ったことを20年もかかって思い出しました・・・。
http://www.cribrasil.org/blog/monteazul/cat5/

もはや、日本の「普通の」教育に、私たちは戻ることはないでしょう。そのことに、思いがけず、今気づけたことを、心より感謝しています。

大学の先生なのに・・・しかも国立の・・・、と思われるかもしれませんが、大学の先生だからそう思うのです。小学校から始まって、中学、高校とつながる教育の最高峰が大学です。あんなに努力して大学に来た学生たちの「生きる力」の弱さを見て、そして、少なくない数の学生たちが、引きこもったり、精神疾患をもって大学を去るのを見て、社会に出て1年以内に会社を辞めてしまうのを見て、結局のところ、「人とつながり、自分の頭で考え、人と共に生きる」ことを学ぶ方が重要なのではないか・・・と思うのです。

そして、3・11やその後の原発事故は、知識ではなく知恵が、追従ではなく批判精神が、不安ではなく行動が、必要であることを如実に示しました。そして、日本が日本だけでこの世界の中、地球の中に存在しているわけでは全くないことを。なのに、日本は日本しか見えてないことを・・。
 
「こんなに沢山の人が死んで、苦しんで、これを何かにしないと、意味がない」・・本当は無理にいっているのかもしれません。でも、そういって、頑張っている息子に、教えられることの多い2011年です。

私の「魂の鳥」も、今夜は「怒りの鳥」ではなく、「幸せの鳥」で眠れそうです。海くん、ありがとう。夢で会おうね。
by africa_class | 2011-07-11 23:50 | 【徒然】深大寺日記
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