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組織は変われないーとしたらどうるすか?:アメーバ―的組織をどんどん作ろう

昨日成田に向かうバスの中、成田から香港、香港からヨハネスブル
グ(現在、ヨハネスブルグ空港)に向かいながら考えていたこと。そ
れは、珍しく、家族のことでも、アフリカのことでも、福島のことでも、
なく日本社会にある政府から政党、学校から企業、NGOなど、あり
とあらゆる「組織」のことでした。
 私は小中学校ともに生徒会のメンバーとして(さもありなん?)、生
徒の希望を学校改革につなげようと日々努力していました。でも、兵
庫県の田舎の学校。何かを変えることは容易ではない。ただ難しい
だけでなく、理不尽・不条理を日々経験し、結果的に何一つ変えられ
ないまま高校に進学。以来、学校改革に関わるなどということは「考
えない」と心に決め、高校・大学は最低限の関わりで済まし、市民活
動に勤しんできました。
 アイディアとやる気、仲間がいれば何でもできる市民活動は本当
に魅力的で、高校の後半から、ありとあらゆる団体に関わったのです
が、いずれの団体も時間が経つにつれ、当初のVisionやMission
を忘れ、「団体が存続するための活動」に転化していったり、改善提
案に対して感情的な反論や反発をするばかりで「変わる」ことができ
ないのを目の当たりにしました。まさに、小中学校で接した先生たち
の姿と同じ。
 結論からいうと、「組織は自分では変われない」ということでした。
もちろん、世の中に「絶対」はなく、がんばって変わった組織もいく
つかあるでしょう。ただ、これらの「変われた組織」そして何よりそれ
ら組織のリーダーたちにはある種の共通性があるように思います。
それは、Learning from errors(失敗から学ぶ)姿勢です。つま
り、「errors(失敗)」を「隠したい問題」としてではなく、「学習させて
くれる有難いリソース」として捉える考え方です。だから人の「批判」
すらも資源・活力に変えてしまうバイタリティがある。
 とはいえ、現代日本の本当に多くの組織ー政府であれ、政党で
あれ、民間企業であれ、NGOであれーは、「変わらなきゃ」いけな
いのに「変わる」ことが出来ていません。私が覚えているだけでも、
もう20年も前から(ちょうど日本が坂道を転げ落ち始めた時期)、
もっとも切実には10年も前から、いや非常に切実にはここ数年前
から「変化」を迫られています。
 20年前とはいいません。せめて数年前に着手していれば回避
(せめて緩和)できた様々な課題に、我々は「待ったなし」状態で直
面してなお、各界のリーダーたちが「変われない」ことを目の当たり
にしています。それは、何故なんだろう・・・。これが移動しながらつ
らつら考えた私のテーマです。
 私が導き出した結論は、次のようなものです。

「組織は、そこに留まることを目的化してしまう人々によって硬直化
し、変わることはできない」
「社会の変化の中で、組織の存在意義(VisionやMission)が常
に確認され、それを共有する人たちによって担われるのでなけれ
ば、腐っていく」

 ある組織に属する人びとにとって、「変わること」「変えること」こ
そがコストなのです。今までの自分のやり方の批判を聞くのは堪
えがたいことだし、「そうやって今より悪くなったらどうするんだ」と
反論することは常に可能です。この種の人たちが大半を占めたり、
この種の人たちに対してリーダーシップを取れる人がいない組織
は、いずれは滅びます。
 現在、日本が直面する多くの問題は、日本社会が「ある組織の
死」を受け入れられない点に起因しています。戦後は確かに何か
ら何まで必要でした。そこでドンドン作っていった無尽蔵にある
公的・私的な組織が、今要らない(ただ無駄になっている)だけで
なく、あることで他のニーズに応えるべき組織作りの足かせにな
っています。つまり、「刷新」の妨げになっているのです。
 これらの既に時代と社会にマッチしない、したがってそもそもの
存在意義をはたしていない組織が、日本中に点在しています。
いえ静かに点在しているというより、「組織の存続」のためだけに
存続し、生き残りのために新しいものが出てくるのを潰すことを
仕事にすらしている組織もあります。電力企業を見ればわかり
やすいかと思います。
 もちろん、これらの組織には多くの人が勤めており、簡単に
潰せなどということは出来ません。が、彼らはまだ「変えられる」
時に変えよう、変わろうとしたでしょうか?いつものやり方を続
けることだけに専念してこなかったでしょうか?政府や学校と
比べ、企業はもっとシビアです。自分たちのための自分たちに
よる組織であっては、「お客様」は離れていき業績が悪くなるの
で、変化の契機は多くあります。それでも大きな企業ともなれ
ば、簡単に潰せない、あるいは利権があれば、生き残りにお金
が動くので、権力者たちは救う道を選びます。政府機関がど
ういう状態にあるかは、皆さん目の当たりにしている通りです。
 どんなに多くの人が勤めていても、その組織が現在の社会
に不可欠なニーズを満たしたものでなければ、政府がいかに
お金をつぎ込もうとも救うことはできません。「組織の死」を緩
慢にする程度の違いしかありません。現在の私立大学の改革
スピードに比べ、国公立のスピードの遅さは同様のことです。
 とすれば、どうしたらいいのか?
 やはり、徹底的に初心に戻るしかないのだと思います。つま
り、こういう時代だからこそ、「何のために存続するのか?」を
構成員全員で徹底的に議論し、もう一度VisionとMissionを
確認(練り上げ)つつ、現状の強みと弱みを冷静にテーブルの
上に並べ(人のせいにしあうのではなくその両方が組織のリソ
ース<資源>として受け入れ)、いつまでに誰が何をどうやる
(what & how to do by when by whom )を決定し、
それを愚直に進めていく・・・しかないのではないでしょうか?
このプロセス、この決定に反対な人は組織を去るしかない。
 しかし、今まで色々な組織に関わってきましたが、正直なと
ころ、このような取り組みを真摯にできる組織は皆無に近い
のです。何故か?おそらく、人間は「変化」が怖い、あるいは
嫌いなのでしょう。崖っぷちにいても、そこから落ちるまで、
「まだ大丈夫なんじゃないか・・・・」というwishful thinking
で自分を励ますことに時間を費やす方が、「じゃあどうしたら
いいか・・・・」に尽力するより楽なんです。
 皆さんの所属している組織や同僚、仲間にも、同じ傾向は
ないでしょうか?
 日本にいても、一歩日本を出ても、世界が急速に変化して
いることが分かります。単に経済的なことだけでなく、日本社
会ひとつとっても、今までの前提が通用しない事態が、社会
の隅々からどこまでも発生しています。このような先が見通
せない時代の到来に対して、私は日本の人びとや組織がま
すます「自分の居場所たる組織の存続にだけ拘っている」よ
うに写ります。
 これを危惧して、あらゆる変革を中でも外でも試みてきま
した。でも、残念ながら「変わらなきゃ」をプッシュするだけで
はダメなんですね。そこで、私がここ十数年試してみている
ことを紹介します。
 もはや既存の組織には社会の要請に応えるだけのセンシティビ
ティ(感受性)も、気概(やる気)も、先を見通す目も、覚悟も、リーダ
ーシップも残されていないようです。ならば、自分たちでどんどん
応えていけばいいのです。
 十代から市民活動に関わってきたことをすでに書きました。25年
を経て、確信をもっていえることは、やはり市民活動は素晴らしいと
いうことです。社会のニーズにあわせ、仲間(3人でいいのです)さえ
いれば、今日からでも始めることができる。インターネットがある時
代、お金すらいならいかもしれない。仲間と共有できるVisionがあっ
て、明確なMissionがあり、それを達成するための期限と手法、計
画があれば、立派な市民団体です。
 ただし、ここで気を付けたいのは、「市民活動=よい組織」ではな
いという点です。特に、日本の市民組織は、「創設者や初期メンバー
の思い入れやリソース、がんばるんば」だけで存続していることが
多いからです。
 確かに、「継続は力なり」です。でも、その「団体の名称・形」に拘
りすぎて、Missionをcomplete(完了)させられない、Visionに
近づけないのであれば、覚悟を決めて解散し、次に道を譲るべき
なのです。NGOだけでなく、多くの組織が、「リーダーが変われば
何か変わるだろう」という前提に立ちがちですが、残念ながら、人
が変わっても構造が変わらないことの方が多く、期待がぬか喜び
に変わることも多いです。政権交代がそれでした。
 したがって、私の提案は、市民たちが、VisionとMission、そし
て活動期限とゴールを明確にもって、クリエイティブで、ダイナミッ
クで、何よりfunctional(機能する)新しい組織を、どんどん身軽
るに作っていくこと・・・なのです。
 その際、注意しなければならないのは、その活動がうまくいった
からといって、Missionが完了している、あるいは別の方向に行っ
ているのに、その組織の存続にこだわってしまう・・・ことにありま
す。多くの組織の失敗はここにあります。一度作った以上は、
「もったいない!」と思ってしまうようです。
 ここに罠があります。「組織の存続」がMission化する論理が
、まさにこの「もったいない!」に集約さrています。Missionが
残っていれば続ければいいです。でも、もう終わったのであれば、
意気揚々と華々しく解散して、次のMissionに向けてまた呼び
かけを行えばいいのです。
 活動のプロセスで、必ず仲間の間で不一致が生まれます。でも
それを否定するのではなく、この活動ではここまで一緒にやって、
別の活動ではこの仲間のこの部分に関心を持った人とやる・・と
変えていけばいいのです。つまり、変化を恐れたり否定するので
はなく、変化と多様性を前もって取り込んでおくということです。
 つまり、「アメーバ―的組織」をプロジェクトベースで創っては
壊す(別のものにアメーバ―展開する)のはどうでしょう?
 私が考え出した市民活動(会社でもそうですが)のto be(ある
べき姿)は・・・・・次のようなものでした。
===================================
①Always Only One Vision(いつも一つだけのビジョン)
②one or several Missions (一つないし二三のミッション)
  *No more than 3 Missions.
③determined duration (決められた期間の活動)
④以上の3つの前提に賛同する人々との協働
====================================
 ①が一つに限っているのは、組織に危機が訪れるとき(必ずあり
ます)、「何のためにやっているのか?」という根源的問いについ
いて働いている人、集っている人、サービスを受けている人が
同意していないと、組織はスタックするからです。
②①と同様ですが、3つ以上のミッションを一つの組織が担うの
は、組織内のリソース配分においても意思決定においても、
互いの重要度を競い合うことになって、組織内に混乱をもたらし
ます。理想的にはのは、一つの最重要ミッションがあって、他の
小さなミッションがそれを支えるという構図です。
 また、別の最重要ミッションが出てきたらどうするか・・・ですが、
そのために③があります。
③については、多くの組織は存続期限を決めていません。そうし
ない方がいい組織は沢山ある一方で、やはりだからこそ期限を
決めておくべきと考えます。これはリーダーが全力を尽くすため
だけでなく、①と②とも関係しています。活動をしていく中で、当
初想定していたVisionやMissionsとは異なった点への関心が
高まることが往々にしてあります。その際、それを組織の根幹に
位置づけていもいでしょうが、そうすると①に集った人たちはつ
いていけないことも多いのです。なので、③は必要です。組織が
終わることが前提にされていれば、いくつかの別の組織が生ま
れることもプログラム化してしまえ、まだ組織があるうちにその
ような展開をサポートできるからです。
 組織に集った様々な人たちも、活動のプロセスを経て学んだ
こと、好きになったこと、気になったことを踏まえて、好きな次の
活動に参加すればいいし、自分が今度はリーダーになっても
いいのです。
 実は、私はこれをTICAD市民社会フォーラムで試行しまし
た。そして今、福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクトでも
試みています。2000年にモザンビーク洪水被害者支援ネット
ワークを立ち上げ、それをモザンビーク支援ネットワークに変
え、その後農薬援助の問題については、2KRネットワーク(食
糧増産援助を問う市民ネットワーク)を分離独立させ、アフリカ
援助部分については、TICAD市民社会フォーラムを2004年
に立ち上げ、2007年にはアフリカに関わる市民団体の連合
組織としてTNnet (TICAD NGO Network)を組織し、アフ
リカプロモーションのためには、「アフリカ2008キャンペーン」
を立ち上げたのは、実はこのような認識があったからです。
 こう書くと、私がNGOをつくるのが大好きな人に思えるかも
しれません。実のところ、そうではありません。私は誰にも信
じてもらえないと思いますが、内向的な人間で、一人でいる
ことが大好きです。モザンビークの歴史資料館で20世紀初
頭のかび臭い史料を読んでいるとき、畑で一人土と戯れて
いるときが一番楽しいのです。
 では、なぜやるのか?・・・他にやる人がいないからです。
ですので、「最初の一人」にはなりますが、皆がやるようにな
れば、私はいつも撤退してきました。それが、以上の③と関
わる重要なポイントでもあります。長くやると自分と組織を同
一化することもありますし、自分の過ちに気づけなくもなる。
一歩ひいたところから眺められる余裕を常にどんなときも
持っておかないと、自分もまた社会をよくしようとしていたは
ずなのに、逆のことに加担しかねない・・・のです。
 私が活動を実際立ち上げるかどうかの指針にしていること。
1.自分のビジョンにマッチしているか?
2.ミッションの中に入った活動か?
3.社会に切実に必要とされていながら、誰もやりたがらない、
  やろうとしないことか?
4.一緒にやってくれそうな仲間がいるか?
5.家族(はん&海)は賛同してくれるか?
 以上だけなのです。5.は当然としても、4.は非常に重要で
す。4.がいるということは不可欠です。なので、私はいつも
活動のアイディアが浮かぶと、周りにやたら話しまくります。
「仲間」になりえないと一般に思われそうな人にも話します。
その反応をみながら、活動を立ち上げても大丈夫か確認す
るのと、「社会に切実に必要とされているか」も図ります。そ
して、仲間がいて、社会に切実に必要とされているのに、誰
もやろうとしてこなかったのであれば、お金はついてきます。
 この最後の「お金」なのですが、多くの人に良く聞かれます。
あるいは多くの人はこう言います。「お金がないから出来な
い」と。でも私はまったく異なった発想をします。「ニーズが
あり、賛同があるのであれば、お金は必ずついてくる。」
 これはほぼ信念となっています。市民活動でも、商売でも。
重要なのは、最初からお金がないとしても、
(1)価値のある活動をすること、
(2)きちんとした組織運営をすること、
(3)社会への発信を怠らないこと。
そうすれば、お金は後からついてきます。
 そして、私がもう一つ重視していることは、「必ず人を雇う」
という点です。それは私が本業をもっているからでもありま
すが、自分の弱点も熟知しているからでもあります。この弱
点は、しかし、一緒に働いてくれる人がいればかなりカバー
されます。また、以上の(1)~(3)をきちんとするためには、
たとえインターンやボランティアや仲間がいても、その中核
にスタッフがいないと不可能です。
「NGO/ボランティアだから仕方ない」
という言い訳は、せっかく変えたい社会からの賛同を逃す結
果を招きます。私たちはただ活動を成功させたいのではなく、
市民の自由な発想・活動が社会そのものをも変える可能性を
追求したいときに、このような言い訳をしなければならない事
態が一度でもあると、信用を失います。
 多くの団体が、ある一定のサークルを出られなかったのは、
このような「アマチュア意識」のせいでした。何かを効果的に
変えるには、多様な層の人に参加してもらわなければなりま
せん。「がんばっても成果の出ない活動」「持ち出しばかりの
活動」・・・は多くの善意を疲弊に変えてしまいます。
 なので、これを仕事としてくれる人材が常に真ん中に必要
だと私は思っています。
 と、ツラツラと書いてしまいました。前から書きたいと思って
いたことです。NGOの仲間や当時のスタッフやボランティア
やインターン、応援してくださったさまざまな層の皆さんに、
私のポリシーをいつか伝えたいと思っていましたが、書いた
のは初めてでしたね。
 うまくいくときも、いかないときも多々あります。そんな時に
変わらず支え続けてきてくれた仲間たちにこの場を借りて
感謝申し上げます。皆がいなければ、以上のどの活動も
やろうと思わなかったし、やれなかった。
 そして、私が次から次へと作っては壊してきたこれらの
団体に、メゲずに支援をし続けてくれた多くの皆さん、心か
ら感謝します。私が、「組織はその存続のためにだけ存続
してはダメ!」と冒頭に書いているのは、皆さんの存在のお
かげです。私がモザンビークという言葉を出そうと、TICAD
というわけのわからない言葉を出そうと、はたまた福島という
言葉で組織を作ろうと、皆さんは変わらず応援してくれました。
 そこに、私は答えがあると思っています。
 かつては、組織的蓄積とかメモリー(institutional
memory)の重要性が繰り返し叫ばれてきましたが、私は
「組織」への蓄積よりも、「人」への蓄積(それも一人の人にで
はなく、group of people (人の集まり)への創造的蓄積)
こそが、これからの時代の鍵だと思っています。
 組織になったと思ったら、別のものへ成長していく、でも、
組織の間はプロとして責任ある行動をしてミッションを完了させ
っつ、また別の人たちと別のものを作る・・・そんなアメーバ―
的組織こそ、市民活動の醍醐味です。これを発展させれば、
かなりよい経済活動も作れると実は思っています。
 今後ともどうぞよろしく。
by africa_class | 2012-02-27 18:34 | 【311】未来のために
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