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一挙掲載月刊『英語教育』連載コラム「アフリカの中の英語、英語の中のアフリカ」(その1)

今日はかなり原稿が捗らなかった日なんですが、共著本『現代アフリカ
と国際関係』の担当章の骨子は出来たので、ヨシとしなければなりませ
ん。そして今、今年度の研究成果をとりまとめ中・・・がしかし、あんなに
書き散らしたのに、コラムや巻頭言・・・ばっかりでした。研究成果には
到底なりませんね~。でも一般に向けた発信が2011年は何より重要
だったので、これもヨシとしておこう。(あっ、英語本先月出版したのでし
た・・すでに遠い昔・・・のよう。)
 すでに「斑(まだら)脳」状態なので、今年1年間書き散らしたものを、
このブログでも一挙投稿しておきます。(すでに紹介したものもあるの
ですが、すみません。記録ということで一挙に再掲しておきます)
 まずは、去年1年間追い立てられた連載コラムの紹介。文字通り、
ドイツに、アフリカに、追いかけてきた・・原稿。
 全国の英語の先生(中高大)が読む月刊誌『英語教育』(大修館)の
「アフリカの中の英語、英語の中のアフリカ」というコラムなんですが、
丁度1年が終わったので、全部掲載できます(最新号でなければ掲載
OKということなので)。
 そして、このコラム。書店や編集者の予想を裏切り(!)、読者アンケ
ートで好きなコーナーの上位に選ばれたそうです~。(英語の先生たち
への「挑戦状」として書いたので<今明かす!>、何故かは不明です
が・・・あまりに突拍子もなかったからかも。。。)
 なお、紙面に掲載されたものはワードでないので、提出原稿です。校
正が十分入っていない文章であることを予めお伝えしておきます。本物
については、次のサイトをご覧の上バックナンバーをご注文下さい。
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『英語教育』2011年1月~2012年1月
連載コラム「アフリカの中の英語、英語の中のアフリカ」

http://www.eigokyoikunews.com/store/eigokyoiku.html
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舩田クラーセンさやか(国連PKO活動等に参加後、2004年より東京外国語大学でアフリカについて教える。英語・ポルトガル語・スペイン語・関西弁、そして怪しいドイツ語・マクア語を話す。)
 
■第一回アフリカの中の英語
この新コーナーのタイトルを見て、皆さんが最初に思い浮かべるのは何だろう。「英語の中のアフリカ」といえば、英語に取り入れられるようになったアフリカ起源の言葉や表現の紹介となろうか。例えば、なぜか日本語だと思われがちな、Okra(オクラ)など?では、「アフリカの中の英語」は? 
おそらく、本誌の読者の多くが首をかしげていることだろう。そもそも、アフリカ人の話している「あれ」は、「英語」なのか…ピジン英語に違いない、と?なにせ日本から「遠いアフリカ」である。英語の達人の皆さんであろうとも、アフリカ21カ国の公用語が英語だという事実をご存じないかもしれない。しかし、世界で最も多く英語を公用語とする国が集まっている地域、それはまさしくアフリカなのである。
「そんなことを言っても、実際そんなに使われてないんでしょ?」とのご指摘は、当っていて、その実そうでもない。確かに、人口の6割が農村に暮らす多くのアフリカ諸国では、公用語と指定されていても英語が普及しているとは言い難い状況にある。しかし、あなどることなかれ。公用語が英語ということは、街で見かける標識、お役所の書類から国営放送や新聞、高校や大学での教育言語まで、すべて英語なのである。つまり、都市に居る限り、英語は他の国と同様、普通に使われている。
 ということで、本連載では、これまでナゾに包まれてきた「アフリカの中の英語」を、徐々に明らかにしていきたい。ただし、「そんなことを知って何の役に立つんだ」という方もいるだろう。そんな皆さんに是非お伝えしたい。それは今、世界のビジネスシーンあるいは国際会議の最前線で話される「英語」は、もはや日本で学ぶような米国か英国の英語ではないということを。名古屋で開催された世界生き物会議(COP10)で見られたように、「途上国」出身者が、それぞれの訛りのそれぞれの英語で堂々と演説するのが当たり前の時代なのだ。「英語のグローバル言語化」が進んだ結果、英語の多様性が進み、国際交渉の現場では多様な英語は日々の現実。どんな訛りであっても、その人が言わんとしていることを正確に掴むことこそ、求められている。その観点からすると、「アフリカの英語は英語じゃない」などとは恥ずかしくていえない21世紀である。
 では、「アフリカの英語」って?これについては、次回以降をお楽しみに!

■第二回 英語留学先としてのアフリカ
最近、英語留学先のひとつとして、アフリカ大陸を選ぶ学生が出てきていることをご存じだろうか。依然、数としては少ないものの、文科省の発表では、アメリカへの留学が減る一方、アジア・アフリカ方面への留学が増えているという。留学以外にも、企業やNGOへのインターンシップという形態でのための渡航を希望する学生も増えている。私のゼミ生も、ケニア、ウガンダ、ルワンダといった英語圏、エチオピアやモザンビークといった非英語圏で活躍中(あるいは活躍予定)である。
 長年アフリカにかかわってきたこの私にさえ、数年前には想像できなかった事態である。しかも、アフリカは物価が高く、決して「安上がり」というわけでもない。休学してまで行くとなると、卒業が遅れてしまう。それでもでは、なぜ学生はアフリカを目指すのか?
 それは、社会がもはや「英語だけ」ができるだけの学生を求めてはいないからである。世界は急速に変貌を遂げ、「欧米諸国&日本=勝ち組」vs「途上国=負け組」という構造ではなくなりつつあるのを、若い人たちは敏感に感じている。新興諸国市場への進出に焦る日本企業にとって、英語力は勿論のこと、サバイバル能力や交渉力を有した学生は即戦力として重要である重宝される。日本と同じ豊かな欧米各国への英語留学では、自己変革を余儀なくされるような経験に結びつきづらい。だから、学生はアフリカへ向かうのである。
アフリカ留学には、もうひとつ積極的な意味があると私は考えている。それは、「英語至上完璧主義」からの脱却である。おそらく、受験での挫折が影響しているのだろうが、私の周りには「英語が苦手」という若者が非常に多い。しかし、実際はみな結構英語が出来るのである。思いきって使ってみれば、あっという間に上達しそうなのに、知識はあるのに、使いもせず苦手だと思いこんでいるのである。もったいない。
 そんな呪縛から解き放たれるには、アフリカはとても良い所である。アフリカ人の大半が、バイリンガルどころか、4つ以上、人によっては8つもの言語を操るマルチリンガル。なんといっても、1500もの言語が話される大陸である。このようなスケールで考えると、日本でよく聞く「英語好き」か「英語嫌い」かなんて、なんと小さなことか。の狭さがはっきり見えるのではないだろうか?最終目標を「英語を極めること」に持っていくから、コンプレックスになるそこに行き着けないと駄目という気分になる。3つぐらいの言語の習得を目標としたら、「英語ぐらい」という気分にもなろうというものというノリも可能。そうなればシメたもの。呪縛から解き放たれ、もっと楽しい英語学習も可能かもしれない。
 ということで、若者よ、来たれアフリカへ。

■第三回インビクタス」~3・11後の日本に捧げる詩
今号の草稿を準備したのは、去年末のことだった。3・11が日本を襲うことになるとは夢にも思わなかった時期。そして今、日本が未曾有の危機に直面する中、これを書いている。日本の「インビクタス」たちのために。
インビクタス(invictus)は、「負けざる者」の意味。結核によって障害を負い、大きな挫折と苦しみを抱えながらも、詩の創造によって自らを奮い立たせ、多くの人を力づけた19世紀末の詩人William Ernest Henleyの詩に後から付けられたタイトルである。
 なぜ、これが「アフリカの中の英語」かと言えば、この言葉を現代に蘇らせた人物こそ、南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領だからだ。マンデラは反アパルトヘイト運動の指導者として、27年もの間、監獄に収容された。しかし、この詩を胸に、希望と不屈の精神を決して失わなかったという。そして、1994年、全人種参加の総選挙によって、大統領に就任する。「囚人から大統領へ」…不可能を可能にしたその秘密が、この詩であった。
I thank whatever gods may be
For my unconquerable soul 
(…) I am the master of my fate 
I am the captain of my soul.
神に感謝しよう
負けざる魂を授かったことを
我が運命を決めるのは我なり
わが魂を征するのは我なり (抜粋)
 この詩がさらに世界的に有名になったのは、去年公開されたクリント・イーストウッドの映画『インビクタス~負けざる者たち』による。映画では、黒人を抑圧し、自分を監獄に閉じ込めた白人たちを許し、人種間対立を乗り越えるため尽力したマンデラの姿が描かれている。
 運命に逆らうことはできないようにみえる。失ったものは元に戻らないかもしれない。しかし、「わが魂」は自分だけのもの。「その後」を決めるのは我々自身。
 3・11の前よりももっといい日本に。それこそ、マンデラから学ぶべきインビクタスの心と思う。We are the masters of our own fate.

■第四回 3・11後にアフリカからの届いたメッセージ
今回の震災後、世界中から安否確認や哀悼、そして励ましのメッセージを頂いたが、一番多くのメッセージを送ってくれたのがアフリカの人々だった。私にはそれは驚きだった。というのも、私の普段関わっている人の多くがインターネットへのアクセスを持たないからである。そんな友人たちが、震災発生後すぐにインターネットカフェに向かってくれたのだ。い、メッセージを送ってくれた。しかも、震災発生から3日以内に。
 メッセージは、カメルーン、ブルンディ、モザンビーク、ベナン、ルワンダ、ケニア、南アフリカ、ザンビアなどの国々からで、その多くが英語で書かれていた。半分は英語を公用語としない国々である。メッセージを一人でも多くの日本人に届けようとるため、英語で書いてくれた。
 これらアフリカからのメッセージにはある種の共通した特徴がみられる。「がんばろう」ではなく、必ず「心はそばにあるよ」という共感や「連帯」が表明されている点である。
 今まで、私は、研究や市民活動を通じて、アフリカの人々が苦難に直面したときに見せる思いやりや連帯を、目の当たりにしてきた。アフリカの歌の多重性のように、相手の心のひだに寄り添う人たちの優しさに羨ましさを感じ、力をあわせて苦境に立ち向かう連帯の姿に勇気づけられてきた。
 奴隷貿易、植民地支配、戦争、飢餓、貧困…そんな過酷な毎日を生き抜いてきた人々だからこそのしなやかな知恵(強さ?)。だから、「平和ボケ」の現代ニッポンで育ってきた私が、その仲間に入ることはあり得なかった。そばでそれを見せてもらって感激するだけだった。
 しかし、3・11を経て、アフリカから送られてきたメッセージを読み、私たちは今、彼らに仲間として招き入れられているのだと感じている。象徴的には、ベナンの友人ギュスターブのメッセージがある。
 「あなた方の歩む道のりを照らす力になりたいと望んでいます。そのことを是非記憶に留めてください。」
私たちは、今までアフリカに対して、何かを教える立場にあると思い込んできた。しかし、この複合的危機と苦難に直面して、私たちの歩む道のりを照らす進むべき道を示す力を持つのは、アフリカの人たちなんじゃないか…そんな風にも思えてくる。
 人は一人では生きられない。一国だけでも存在できない。我々は、結局のところ、他者に、社会に、世界に、大きな自然に生かされているのだ、と痛感する毎日である。
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by africa_class | 2012-03-28 21:24 | 【記録】講演・研究会・原稿
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