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再録「アフリカは『国際社会』に含まれないのか?」(日本国際政治学会ニューズレター)

今関西の実家にいます。子どもたちが遊びに行ったので、以下
のイベントを視聴しながらブログ更新中。途中で止まっていた
各種原稿の再録・整理を続けさせてくださいませ~。
■緊急市民自治講座「震災がれき広域処理を考える」
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『巻頭言~アフリカは「国際社会」に含まれないのか?
~人びとの「熱狂」から考える~』
『JAIR Newsletter(日本国際政治学会ニューズレター)』
125号2010年9月日本国際政治学会、1-2頁
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今、アフリカ・ルワンダにいる。昨夕訪ねた「ジェノサイドの丘」に吹く冷たい風が、この1週間聞き取った人びとの話に、妙なリアリティを与えて迫ってくる。数日前には、比較研究のため滞在していたモザンビークで、食料価格高騰に端を発した若者の暴動が死傷者を出しているという。
暴力を拡大し、暴力の中で高まる人びとの「熱狂」。このアフリカの市井の人びとの「熱狂」に対して、国際政治学はどうアプローチしてきただろうか。中でも、「国際社会」を研究の射程に入れてきた本学会の会員は、このような「熱狂」をどう見つめ、どう分析し、どう解説するだろうか。「向こう側」の人びとの心情の吐露として?「国際社会」が対処しなければならない困った出来事として?「国際社会」のミッションを妨害するものとして?あるいは「先進諸国」によって構成される「国際社会」の活動対象として?
確かに、「国際社会」は、「世界の困り事」に一致団結して取り組む「責任ある母体」として、それらの平和化に頭を悩ませ、人びとの「熱狂」に途方に暮れ、対処を試みてきた。最近では、「保護する責任(R2P)」も提唱されている。そのような「国際社会」の中に、アフリカを位置づける人はほとんどいないだろう。むしろ、アフリカは「国際社会」の枠外に配置され、対象化されてきた。しかし、問いたい。このような「熱狂」に、「国際社会」はすでに関与してきたのではなかったか、と。となれば、「国際社会」という世界大の社会からアフリカやその人びとが排除される論理は何か、と。
 ルワンダでの1994年のジェノサイドも、16年に及んだモザンビークの武力紛争も、お互いに対する殺戮であったように見えて、実際にはその時代の国際関係の中でのみ起りえたことであり、武器や通信機器の供与に始まり軍事訓練に至るまで、諸外国の関与なしには、暴力の組織化と続行は不可能であった。またすでに明らかな通り、これらの暴力を、植民地化、そして冷戦のただ中で進行した脱植民地化プロセスに位置づけることなく理解することはできない。したがって、アフリカの人びとの「熱狂」もまた、重層的で複雑に絡み合う国際関係と世界史的動態の中で説明されなければならないはずである。
 しかし、アフリカは「国際社会」に含まれるどころか、それに対置され、「国際社会」の統合性と主体性を支える役目を負ってきた。ここアフリカでよく囁かれるように、「国際社会が国際社会であるためには、『アフリカ』が必要なのだ」。アフリカの人びとの「熱狂」もまた同様に。
 そもそも、現在の我々は、人びとの「熱狂」を、「遅れた地域」に特有なもの、民族(「部族」)的なもの、あるいは一国内のものとして捉える傾向にある。しかし、このような「熱狂」を、「国際社会=先進諸国」の我々も経験してきたのではなかろうか。しかも、それは一国的なものに留まらなかった。かつての日本での「熱狂」ですら、当時の国際関係の中で生じたことであった。それは歴史上の出来事で、現在は起り得ないと断言できるだろうか。では、9・11直後の合衆国で見られたあの「熱狂」は?
 21世紀を迎えた現在、アフリカの農村や街角で生み出される人びとの「熱狂」もまた、世界大の関係性の中に位置づけないのであれば、十分な分析が得られるとはいい難い状況が生まれている。逆に、我々が世界に実存するはずの一地域を客体化し続けるのであれば、もはや世界の全体像を把握することは不可能となりつつある。それがたとえアフリカの市井の人びとの「熱狂」であろうとも、「国際社会」がすでに内包するものとして、我々と同じ地平に位置づけるとき、国際関係の理解に新しい地平が切り拓かれるだろう。このことは、「国際社会」⇔アフリカ地域、国外⇔国内、国際⇔地域に分断されてきた、我々の学問にも、大きな刺激をもたらすに違いない。
 我々が無意識的に排除してきたアフリカを「国際社会」の一部として取り入れることは、今まで知っているつもりであった世界とその歴史を、新しい光の中で捉え直す機会を与えることになろう。さらには、「彼らの熱狂」が、我々自身に潜む「熱狂」の危険に気づきをもたらし、何度呟いても十分すぎることのない「Never again」という一言を立ち上らせ、過去から学ぶことができるはずの生物としての人間の原点を、我々のもとに再び取り戻させてくれるのではないだろうか。 (東京外国語大学大学院)
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by africa_class | 2012-04-01 15:09 | 【記録】講演・研究会・原稿
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