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冒頭だけ紹介:「『ODA見返り論』からの脱却を」『外交』「国際援助の新戦略:アフリカ」2012年3月12号

暴風雨ですね・・。
少し体調が悪い上に、家に閉じ込めている四匹の子豚たちがうるさ過ぎ
て仕事に専念できないので、この1年の論文・原稿の整理・掲載の最後
をやっておきます。現在、販売中の雑誌『外交』の論文なので、冒頭だけ
紹介しておきます。全文は、『外交』最新号でお読みください~。
http://www.gaiko-web.jp/
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『外交』「国際援助の新戦略:アフリカ」2012年3月12号
「『ODA見返り論』からの脱却を」 128~133頁
舩田クラーセンさやか(東京外国語大学)
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戦争終結20年、活気あふれるモザンビーク
今、この原稿をアフリカのモザンビークで書いている。同国で最も僻地とされる北部4州1700キロを駆け抜けたが、道中目にした光景に今でも驚いている。道路は依然大部分が舗装されていないものの、どんな僻地にも携帯電話のアンテナが建ち並び、真新しいガソリンスタンドが完成し、農作物や商品をいっぱいに積んだ自転車を漕ぐ男たちが道路に溢れる。
 一方筆者がゼミ合宿で毎年通う日本の中山間部。訪れる度に、路線バスが廃止され、小学校が廃校になり、畑は放棄され、中心街の商店のシャッターは下りたまま。道行く人は、腰の曲がったおばあさんの姿ばかり。まさに対照的といっていいほどの光景である。しかし、モザンビークがいつもこんな風に活気溢れる国だったわけではない。
 筆者がこの国を初めて訪れたのは1994年。16年に亘った世界でも類を見ないほどの醜い戦争直後のことであった。百万人が死に、人口の実に三分の一が難民・避難民となり、大量の武器と子ども兵を残した戦争の爪痕は深刻で、地雷によって道路網は寸断、学校や病院の大半が破壊され、商店は空っぽ、人びとは痩せこけ、その表情には不安がありありと浮かんでいた。
 あれから18年。あの時筆者が出会ったモザンビークは、もはやここにはない。この国は見違えるほどに復興を果たし、世界に模範として称賛されるまでに変貌を遂げた。特にここ数年、国内各地でボーキサイト、天然ガス、石炭などが確認され、これらの天然資源や広大な農地を狙った外国企業の進出ラッシュが相次いでいる。

依然深刻な社会的課題と経済成長の裏で広がる格差
ただし早合点してもいけない。モザンビークは依然世界最貧国の一つであり、GDP比で182カ国中122位、貧困者(一日一ドル以下で生活する人)は国民の6割を占める。2015年までの達成が国際公約となっている国連ミレニアム開発目標(MDGs)については、幼児や妊産婦の死亡率も依然高く、HIV/エイズの感染率は判明しているだけで15歳~49歳人口の1割を超え、最大10万人近くがエイズで死亡している。人口が2千万人程度のこの国にとって、そのインパクトは非常に大きいものがある。
 安全な飲料水へのアクセスがある人口割合も農村部では29%に留まっており、経済成長の恩恵が人びとの生活向上に還元されていないことが分かる。人口の大多数を占める農村住民の暮らしは依然厳しく、天候や親の健康状態次第で、子どもたちは飢え、女の子たちが身売りをしなければならない現実に変わりはない。表面上の経済成長の一方で、社会課題の解消にはほど遠い状態にあることが分かる。
 経済成長に伴って生じつつある問題も深刻である。海外からの投資ブームの影で、利権を有するごく一部の「持てる者」と大多数の「持たざる者」の格差は急速に拡大している。さらに、投資に絡む腐敗や権力の濫用、選挙不正の結果、社会全体の不満は高まり、独立以来同一政権下で安定を保ってきたこの国でも、2010年には失業中の若者による大規模暴動が首都で発生し、都市機能が麻痺した他、死傷者が多数出ている。
(続きは原文を)
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by africa_class | 2012-04-03 16:14 | 【記録】原稿・論文
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