久しぶりに投稿します。
今日は、私が何故原発の問題に関わるかについて、環境や経済の論
点からではなく、暴力と平和の観点から考え、紹介したいと思います。
原発は、非エコなだけでなく、戦争や暴力、不平等の問題に大きく関わ
ったものでもあります。
例えば、世界構造の中で原発をみてみると、原発を推進している国の
大半は核兵器保有国です。これらの国はまた小型武器の輸出国でもあ
ります。アメリカ、フランス、ロシア(旧ソ連)、中国です。そしてこれらの
国は国連の常任理事国として、世界的な出来事の対処の決定権すら
持っています。新興諸国で原発を持ちたがる国の多くもまた紛争の火種
を抱えている国でもあります。
一瞬にして生命を絶やしてしまうほどのエネルギーを持った核兵器は
暴力を前提とする国家には限りなく魅力のあるものであり、原発はその
第一段階として不可欠なものとして認識されています。核問題で現在問
題視されている国々にイランや北朝鮮がありますが、いずれの国も核兵
器の第一段階の技術としての原子力発電に多大な資金を投じてきたわ
けです。
あれほど大規模な原爆の被害を経験した日本が、原発を持ちたがっ
た理由の一つに、「核兵器製造・保有を可能とする技術の確保」があり
ました。これは当時から囁かれていたことですが、最近ようやく日本国
外の公文書が明らかになるにつれ確証が得られるようになった史実
です。(NHKの番組など)
ですので、「核の平和利用=原発」というキャッチは、世界の現実ある
いは歴史において相応しい認識ではなく、原発は究極的な兵器である
核兵器と一直線で関わっているものだという認識をまずは持たねばなら
ないと思います。
そして、ウラン鉱山の開発は、世界中で多大な人体・環境汚染を起こ
してきました。例えば、コンゴやジンバブエ、オーストラリアです。それ
らの鉱山の多くが辺境の地にあり、住民の健康被害は長年にわたって
無視されてきました。
それは、原発の立地場所が、電力を大量に消費する場所(例えば東京
や大阪)ではなく、より遠くの「地方」にされてきた歴史と符合するものが
あります。原発立地場所周辺の子どもの白血病の発病率はそうでない
地域の10倍にのぼることも、ドイツ・日本での疫病調査から明らかにな
りつつあります。
つまり、原発は、戦争という直接的暴力の観点からも、社会的不平等
という構造的暴力の観点からも、暴力に密接にかかわった技術といえ
ます。
原発問題を、日本国内のように、単に環境問題、エネルギー問題、国
内政治・利権問題と捉えてしまうと、以上のような世界規模の軍事・利権
・暴力ネットワークを軽視することにつながります。
このような暴力的な世界において、平和の一歩をどこからか踏み出し
ていくためにも、「原発ゼロの日本の実現」は非常に大きな意味を持っ
ているといえるでしょう。