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人間の安全保障と沖縄オスプレイ反対運動~2012年9月末に考えたこと

うまくいえないけど、嵐のような月末だった。先々週アフリカから帰国して、ドイツに行って、水曜日にドイツから帰国して、金曜日に原子力規制委員会前抗議に参加して、土曜日と日曜日は人間の安全保障学会のため名古屋に行って、台風が迫る中東京に戻って、沖縄・普天間基地前でオスプレイ反対のため頑張る人びとの運動に心動かされてる。(その間に論文や学生相談や会議に次ぐ会議があったのはさておき・・・)

 この1か月以内、アフリカでも、ドイツでも、日本でも、学会でも、ずっとずっと考えていたこと。それが、「人びとを守らない国家」についてだった。しかしそれを、今日までの学会で語られていたような、外部者による「R2P(Responsability to Protect)」で語るつもりはない。
 内部者が、内発的に、「民衆を守らない国家」をどうするのか?
という問いであった。
 と同時に、この国の人たちが、3・11にあっても、オスプレイの配置にあっても、日中を衝突させても、最後の手段である生活保護を取り上げても、依然「国が我々を守ってくれる」と漠然と思っていることを、どう理解したらいいのか・・・について考えている。これについては、まだ十分考えがまとまっていない。

 いずれにせよ、今夜リアルタイムで同時代にこの国に生きる者として、以下の市民の抵抗運動を目の当たりにして、書き散らしたことを記しておこうと思う。なぜなら、私のように大学という場で教える立場で「センセー」と呼ばれる者は、日常生活において、闘う側にいる人たちについて限りなく「鈍感」になることは可能だから。あえて、今夜の、魂が共鳴して、肌がヒリヒリするような痛みを、明日忘れるべきでないと思うから。
 そして、あまりに疲れて、かつ英語の原稿を書いているので、またしても清書する間とエネルギーがなく、ツイットしたことをキリバリしておきます。時系列のままにしてあります。誤字脱字も沢山あるけれど、率直に思ったことをそのままに。ただ、今夜一番考えたかったことについては、前に取り出し、加筆しておきます。そして、一番伝えたいのは最後のところに(いつもながら長くて失礼)。

■この瞬間、「国家の安全保障」「地域の安全保障」のためとの欺瞞の下に設置されてる普天間基地(実際は米国のため)の前で、「一人ひとりの命と静かな暮らし」のために立ち上がり、闘い続けている、素手の、怪我をしてなお動かない、沖縄の皆さんを目の前にして、私たち日本の研究者は、「人間の安全保障」について何がいえるのか。
■この瞬間、「国家の危機」を理由として、事故の被害に対応せず、平気でこの事故をなかったことにし、事故の責任を帳消しにし、事故原因だった「安全神話」を復活させようとする権力の前で、直撃する台風を怯え、見えない敵と生活の中で闘い続ける福島とその周辺の地域の子どもを持ったご家族に対して、私たち日本の研究者は、「人間の安全保障」について何がいえるのか。

 これらの問いこそ、昨日・今日の人間の安全保障学会で、私が問題提起すべき点だった。そして、それをしないままに名古屋から帰ってきてしまったことに、深く、深く、恥じ入っている。
 しょっぱなの講演会で、武者小路先生はとても沢山のヒントをくださった。現代人類の試行錯誤がぎゅっと掴み取られ、最後は911と311からの教訓、そして人間の可能性へ昇華した。そして、平和の権利の中に、「不正義を行う国家アクターに反抗し、拒否し、協力しない権利」が含まれるという深い、深い指摘をされた。そして、911と311後の知識人のあるべき姿として次の二種類を挙げられた。
①「自由に浮く知識人(フリードマン)」→政治的立場を取らず市民のためにアドバイスをする
②「有機的知識人(グラムシ)」→人びとの側に立ち人びとの希求を引き出し組織化に尽力する。

 ①でもいいけれど、問題は自分は①だと勘違いしてる学者が多いこと。また、②は日本では党派性があると誤解されている点が非常に問題。例えば、日本でも世界でも、人びとの側に立つと、共産党員(アカ)と呼ばれ迫害される歴史があった。あえて共産党員になる人もいるけれど、そうじゃない人も多い。「人びとの側」に立つことが一つの政党、主義に押し込められ得るわけもないのに。
 私は、①と②の両方を時にとる。でも基本は、②を心がけてきた。
 もともと、私は実務肌だ。思ったら即行動。その意味で学者の世界にちっとも向いてない。そんな私が、実務世界から学術世界に来て、そのまま学術世界に踏みとどまる決意をした背景(実務も同時並行でやってるものの)、それはグラムシやホブズボームの「有機的知識人organic intellectuals」論に共感し、その役割を果たすことの重要性を知り、その困難に挑戦しようと考えたから。(*エリック・ホブズボームは現代史研究で非常に卓越した論考を多数発表してきた。でも私の一番おススメは『革命の時代』。いわゆる「革命的革命」ではなく、民衆の草の根の抵抗などが取り上げられていておススメ)
 市民として実務サイドで試行錯誤してきて、今起こっていることを、目に見えるままに理解して行動してはいけない・・・と思うから。「なぜ起こっているのか」を、もっとふかーーーいところから、そして大局的なところから、と同時に人びとに寄り添う立場から、考えるにはどうすればいいか・・・には「学」が必要だと気付いたから。が、哀しいかな、まだまだ修行が足りな過ぎて、実務と学が結びついているように思えないこと多々。
 仕方ないので、とりあえず以上を宿題という形で「問い」として置いておき、今夜書いたことを貼り付けておくだけにしておきます。

【沖縄Ch1】普天間基地野嵩ゲート/ Anti-Osprey rally in front of Futenma Base http://www.ustwrap.info/multi/iwj-okinawa1::iwj-okinawa2::iwj-okinawa3 …
■けが人が出ている模様です。女性たちが警察に「心を忘れないで」「お巡りさんになった時、人を傷つけたかったわけじゃないでしょ」「人を助けたかったはず」と繰り返し、繰り返しよびかけてます。
■救急車が警察の強制排除で怪我させられた人を連れて行きました。女性が静かに繰り返す。「誰のためのオスプレイですか?警察もこんなことしたくないはず。誰がやらしてるんですか?こんなことが起きて嬉しいのは誰ですか?」
■こんな重要なこと、テレビは放映していない(←NHKが政治組織や組合の活動だとのアナウンスを入れて少し取り上げただけとの情報が。ごく一部の「過激派」や『特別な人」がやっていると情報操作しようという魂胆)
■最前線の沢山の女性たちがいます。警察に静かに話しかけています。が、警察が…。
■米軍が配備したい危険な戦闘機のために、反対する多くの普通の非暴力の人びとを、日本の警察が暴力を使って取り締まる。独立系メディアが頑張ってるお蔭。切られる前に自分の目で確かめて。
■若い女性が無理やり連れて行かれました。おばあたちが、「なんでこんな暴力するんだ。説明しなさい」「この暴力はどういう根拠ですか?紙もってきてください」「正義を守るために警官になったはずじゃないの?これは正義ですか?」
■なぜ当事者の異論に耳を傾けない?なぜ対話しない?なぜ急ぐ?なぜ反対を押し切る?何の誰のため?…オスプレイも、原発も、すべて同じ構造。米国・日本の政治家・官僚・企業・メディア…すべて戦後自民党政権下で構築され、民主党になろうと変わらなかった。
■最後の最後まで残ってるのは独立メディアIWJ(今強制排除中)。現場で本当に何が起こってるかをずっと報道し続けた。これぞジャーナリズム。NHKのように情報操作の為「政治組織の=ごく一部の勝手な行動」との注釈を付けず、最前線で、現場の様子をただただ流し続けた。
■彼らは、扇動するためではない。今起こっていることをそのまま伝え、皆が自分の目で見て、自分の耳で聞き、自分の心で感じ、自分の頭で考え、共に生きる人間としてどうすべきなのかを決め、行動するための材料とスペースをあげているにすぎない。ボールは、私たちにある。けれど、そのボールを現場から投げ、繋いでくれている。
■そして沖縄タイムス記者も最後まで抵抗して報道を続けています。全国テレビ、新聞は何をしてるんでしょう? 沖縄タイムス記事→http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-09-29_39583 … 市民の皆さん、自然発生的にまた歌を歌ってらっしゃいます。大飯の時のように抵抗のタイコがあれば…。
■非暴力の市民に対して、警察は何のためにこんなことしてるんでしょう。ガード前の市民を大量の警察が腕を組んで、わざと押し付けています。女性の悲鳴、男性の危ないという声が響いています。
■フォローしてくださっている国会議員の皆さん、何故黙ってるのですか?すぐ動いて下さい。皆さんの選挙区でないからといって、これを許すのですか?与党であってもなくても、国民の代表として警察の暴力に対し、動いて下さい。

他人事だと思っている皆さんへ
■今、沖縄で、普天間基地前で、福島で、その周辺で起きていることが、他人事だと思っている人も多いでしょう。でもイジメの構造と同じ。自分が「強い側」にいる時には気づかない。「強い側」だと思い込んでるけど、隙を見せるとポイ捨てになる社会。イジメと一緒。傍観者も加害者であり、将来の被害者です。
■これほど人びとの声に耳を傾けず、対話せず、誰のためかも分からず、米国や政府・業界関係者だけで決めたことを、暴力的に断行する…政治の国/社会に暮らしていたとは、この私さえそこまでの自覚はなかったように思います。その意味で、沖縄や福島の人びとの絶望を、本当の意味では理解していなかったのかもしれません。こんなことが許されるのであれば、国家権力は、誰に何でも出来るでしょう。
■他方で、立ち上がる人びとがいて、世界に報じる独立系メディアがいて、自分の事と考える市民がいる。それを忘れないでいよう。

■人類は、何百年も奴隷として売られ、両大戦で8千万人近くの人が亡くなって、植民地解放のために十数年の戦争をして、アパルトヘイトも50年近く続いて…、人びとが諦めたら、今でも何一つ解消していなかったでしょう。「諦めない」のが最大の抵抗なのです。

■東京で何不自由なく生きている人たちは、あるいは不安に怯えて自分ばかりに気持ちを集中して生きている人たちには、何故この人たちが身体をはって闘っているのか、分からないかもしれない。この人たちが、自分のためじゃなく、自分の子どもたちや仲間たちのためだけじゃなく、私たちの分も闘ってるんだ、ってこと。

■今は分からないのかもしれない。でもあなたが、人生の中で、どうしようもなく、理不尽な扱いを、受けた時に。その時、周りに誰も、寄り添っても、声を挙げてくれる人もいなかった時に。今ここ(普天間基地前)で、あの時の大飯原発前で、毎週官邸や全国で、抗議する人たちがいたという事実、そしてその姿を思い出してほしい。

■あなたが、世界と社会の不条理に、打ちのめされて、途方に暮れて、どうしようもなく独りぼっちだと思った時に、あなたの絶望、あなたの闘いが、あなた一人だけのものではなかったことを、思い出してほしいと思う。そして、そうやって絶望の淵から立ち上がり続けてきた人たちがいたことを、何故諦めずにいられたのかを、知っておくためにも、今わからなくても、目をしっかり開いてみておいてほしい。
by africa_class | 2012-10-01 01:20 | 【考】人間の安全保障
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