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【今、安全保障を考える1~12】北東アジアの仲の悪さと米国世界戦略の歴史的背景(日本を中心に)

少し時間が経ちましたが、いよいよ米国が「第三者」の顔をして出てきました。そのことの背景も含め以下、是非どうぞ。
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昨夜書いたツイットを再録しておきます。140文字にあわせて書いたので、ブログ用にはもう少し修正して再録すべきですが、今日は8時間授業や学生相談だったので疲れすぎて再録だけにしておきます・・・。

 この間一応専門の安全保障についてずっと考えてる。日本では「安保」と略され、軍事の問題にすり替えられてしまう。安全の保障…きちんと書けばはっきりする。つまり危険(対立)を減らせばいい。これは、軍事の話ではなく、外交・交渉の話。
 それが、「安全の保障」話が、直ちに軍備話になることこそ、冷戦型思考で米国に刷り込まれた思考。それを、冷戦が終わっても自ら脱却できないところ(為政者・官僚・メディア)に、日本の不幸がある。

 1945年、多くの国民が戦争の愚かさに気づき、一人一人が権力に翻弄されない強さを持ち、周辺諸国民との連帯を目指すことの意味を考え始めた。しかし日本はアジアでの共産主義伸張を食止めるための「最前線」に位置づけられ、隣人との間に楔(日米同盟)が打ち込まれた。
 今日本で語られる日中関係話から冷戦ファクターが完全に抜け落ちる。東西(米ソ)対立構造下、熱戦となった朝鮮半島を目前に、占領下日本・韓国は米国の代わりに、隣国ソ連・北朝鮮・中国と対峙させられ続けた。各地の米軍基地は日本を守るためでなく、米世界戦略の一環であった。

 その証拠に沖縄の海兵隊が一番「暗躍」したのは、ベトナム戦争、イラク戦争であった。彼らは元々は対ゲリラ戦の訓練を受けており、海に四方を囲まれる島々からなる日本の防衛に適していない。憲法違反の日本の再軍備化は、以上米国の冷戦戦略の中で米国の主導&カネで行われた。

 戦後日本の軍事抵抗を恐れ、軍事的占領(45-52年)した米国が、日本で芽吹き始めた民主主義を弾圧し、再軍備化を進めるという「逆コース」を40年代末から開始。52年に日本全権回復なるも、「安保」に関する基本構造は変わらず、米世界戦略の一旦を担わされ続ける。

 憲法によって禁じられている軍備を日本が持つことができたのは、戦後直後の食糧難の時期に、米国政府が行った無償の食糧(小麦)援助の「お蔭」。米国内でだぶついた小麦を日本政府は無償で譲り受け、この小麦を国内市場で売り払うことで、国庫に入れなくてすむ「隠れ資金」を日本政府は手にした。これを使って準備されたのが、自衛隊の前身であった。(なお、小麦援助には、日本人の主食を米からパンに変えようとする意図があってのことでもあった。米国の強さとは、まさにこの全方位の戦略性にある)

 同様の食糧援助は他の親米政権に行われ、各政府の隠れ資金として、対外より自国民主化・社会主義勢力弾圧のため機動隊や軍隊設置・増強のため使われた。同食糧援助を真似て日本がつくったのが食糧増産援助(2KR)で、米国政府の指示に従い世界の親米政権に供与された。

 日本は援助ですら米国の指示に従わねばならず、非親米政権に勝手に援助を出すことは出来なかった。逆に、共産主義国の軟化を米国に代わって促すために米国の指示で日本の援助が出されたことも。

 そんな属国である日本が、外交・軍事政策で唯一持っていたカードが「憲法上の制約」であった。自民党政権ですら、あの冷戦期に、それを盾に米国への完全なる追従を躱したこと多々。それを今、ポスト冷戦世代の自民党二世たちは、「カードの放棄」に必死である。

 依然米国の占領下にいるが如くの日本が、あの冷戦期にすら手放さなかった、自律のため最後に残された「平和憲法」というカードを、「今」自ら放棄し、米軍の戦争を戦場で支える等ということを、「日本の安全保障」と呼ぶのは、世界知らずの、平和ボケの極み。

 冷戦後の米軍の敵は何か?「自作自演の対テロ戦争」と「平和な北東アジア」。理由は簡単。冷戦後、多極化が進む世界で最重要国であり続けるため、また用済みになったはずの米軍の存在理由のため、世界は常に危険でなければならず、それを資金援助する同盟者が不可欠だから。

 世界中で戦争をしかける米国の身勝手な政策こそ、世界の人びとの反米意識を強め、テロを一部で正当化させ、世界を危険にした。その米国と「集団自衛権」を持つなどと宣言することは、今まで世界で好感を得てきた「平和憲法の国の民=日本人」の安全を奪うことを意味する。

 米軍は勿論日本を守らない。米国外交の狙いとは自国利益を世界規模で増大化することに如何に世界を巻き込むか、にある。トモダチ作戦だって終わったらお勘定が届いた。基地だって「居てもらってる」のではない。彼らの世界戦略要地の基地の維持を我々に支払わせてるのだ。

 これら全てが可能なのは、仲が悪い日中、日韓、冷戦の遺物・北朝鮮があるから。しかし米国がいようといまいと、北東アジアで日本がどう生きていくのか、どのような関係を創造するのかは、日本自身が持つべき構想と答え。日米同盟の名の下それを怠ってきたから、こうなる。

【補足】
なぜアフリカが専門のはずの私がこんなこと?私の本当の専門は「平和のための戦争研究」。これを「場」としてアフリカと日本で考えてきた。博論は、冷戦期が一番の焦点で、アフリカ農村だけでなく、米国・英国・ポルトガル・モザン・タンザニアの政府・軍・警察の公文書を調査をしてきた。
 、イリノイ大学出版の最初の本The Japanese in Latin Americaは、大戦期に中南米からの日系移民が米国で抑留されたプロセスを暴いた本。実は、米国海軍士官大学の歴史学の教授と共に、米政府・軍の史料、インタビューを元に書いたのです。この本はドキュメンタリーにも。
 以上、食糧・食糧増産援助が、日本やその他の国々の軍備や親米政権の選挙活動に使われたことは、援助問題に関する市民活動の中で、やはり資料を請求して分かったこと。
 唯一米国にも良い所があるとしたら、「どんな史料も残し、整理し、公開し、後世の検証に委ねる」点。公に使える官僚が資料を捨てるのは犯罪。
 大学時代のラテンアメリカの日系人の研究も、援助問題の市民活動も、やってる時は「本業からみたら余分」に思えた瞬間も多々あった。今思うのは、「人間の成長に無駄なものは何一つない」ということ。特に失敗や回り道は成長の糧に。そのことを要領よく生きろとの圧力に負けそうな若者にこそ伝えたい。
by africa_class | 2012-10-03 01:12 | 【考】人間の安全保障
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