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追悼:泉かおり氏(2012年8月29日「女たちの一揆」スピーチ書き起こし)

私の日曜日の朝はこの悲報で幕あけた。

●杉原浩司(緑の党・脱原発担当) ‏@kojiskojis
【追悼・泉かおりさん】「非常時だと認識して、前倒しで行動すべき」「走りながら学ぶしかない」~岩上安身さん( @iwakamiyasumi )による泉さんへのインタビュー動画(2011年8月14日、約6分)
→http://www.ustream.tv/recorded/16604532/highlight/194403
●満田夏花 ‏@kannamitsuta
「Shut 泊」の泉かおりさんが亡くなった。原発を止めるために、自分を焼き尽くすように、あらゆる手段でたたかい続け、走り続けた。たくさんの元気をもらった。涙がとまらない。泉さんの思いを実現するために力をつくしていきたい。
●白石草 ‏@hamemen
Shut泊の泉かおりさんがお亡くなりになったという悲しいニュースが届きました。信じられない思いです。悔しさと残念さ。ご冥福をお祈りします。去年8月、泉さんが「女の一票一揆」を呼びかけた際のビデオです。ぜひご覧ください。
→http://www.youtube.com/watch?v=kbY1Q6V5fUw&feature=youtu.be


長年にわたり、FAO(国連食糧農業機関)の南部アフリカのヘッドとして活躍し続けた泉かおりさん。どこにいっても「かおり知ってる?」と聞かれ、誰だろう…と思っていたら津田塾大学の先輩だった。吉田昌夫先生のご紹介で私が副代表を務めていたTICAD市民社会フォーラムのNLに寄稿頂いた。

帰国され北海道にいらっしゃると聞いていたものの中々お会いできず、日本国際政治学会の学術大会で北海道に行ったとき津田の先生たちと初めてお会いした。すっごくシャープで、でもユーモアに溢れ、なんて魅力的な人だろうと。ある時、かおりさんからメールが飛び込んできた。一緒にやろうと。そして長い電話での会話があった。

福島からお母さんたちが座り込みに来るのに、何もしないわけにいかない、と。被害を受けた福島のお母さんたちにそこまでさせて、私たちが何もしないわけにいかないじゃないか、と。東電を使っている東京の我々として、この一言は重く、重く響いた。
→http://afriqclass.exblog.jp/13811632/  

福島から避難してきている子ども家族の支援だけじゃ、足りないのだ、と悟った瞬間だった。
→http://fukushimaneeds.blog50.fc2.com/

泉さんが代表を務めていた泊原発を止めるための活動「SHUT泊」
→http://shuttomari.blogspot.jp/

なのにかおりさん、実は癌だった。運動を新たに立ち上げた以上、最後までまっとうしたかったようで、誰にも言わず、ギリギリまで入院をためらった。皆で説得してようやく入院。あの時、もっと早く休めるように出来なかったか…と今でも後悔している。癌は早期発見・早期処置が基本である。

子どもたちをおいて逝かれた。仲間たちも。さぞ無念だったろう。講演の模様を拝見させて頂いた。(末尾に下記お越しを貼り付けました) 

命を削って活動されていたのが良く分かる。でも悲観に暮れてはいけないとも思う。かおりさんが一番それを望んでない。権力、国際、アフリカ、日本と地域を、徹底して人びとの側に身を置いて闘った人生。

世界と渡り合い、尊敬され、理知的で、機転が利いて、実行能力をもち、カネや地位に惑わされず、人びとの側に立ち続け、その間を繋げられた女性、泉かおりさんこそ、皆が目指すべき「グローバル人材」だった。

世界でも、アフリカでも、北海道でも、当事者としてよく生きた。
心からご冥福を祈ります。

気兼ねなく少しお休みください。
そして、今後も子どもたちと、仲間たちを温かく見守ってくれることを確信しています。

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選挙で脱原発!~「女たちの一票一揆ネット」発足
2012年8月29日
*原稿もみずに一気に語られました。
http://www.youtube.com/watch?v=kbY1Q6V5fUw&feature=youtu.be
「日本に長くいなかったこともあるけれど、真剣に国会中継をみたのは20ミリシーベルトに関する国会審議であった。それぐらい政治に関わってこなかった。311以来、世界がひっくりかえったと思う皆さんは私だけじゃないと思う。私は25年間外国で暮らし、原発のない国でのほほんと暮らし、311で本当に世界がひっくり返り、それから気が狂ったように走り続けてきた。

皆想いは同じだと思う。やれることはすべてやってきた。原発事故から1年半、女たちは立ち上がり、20ミリシーベルト撤退交渉。福島の女たち、全国の女たち、10月10日の女たちの座り込みが今も続いている。9月には、福島の女たちとアメリカに行き、「原発事故を起こし、収束もしないまま、子どもたちを放射能に晒しながら、安全な原発をつくる」と国連の首脳会議の場で発言した野田総理に、そんな発言をさせるものかと国連本部前に駆けつけ、スタンディングデモをやった。アメリカのワシントンの原子力規制委員会に行き、委員たちに福島の現実を伝え、子どもたちの絵をみせ、子どもたちのメッセージを伝え、女たちのハンストがあり、現在に至る。

何故、私が今ここに立っているか?請願を出し、陳情を出し、座り込みをやり、ハンストをやり、デモをやり・・・やることすべてやり尽くしてきた。そして、6月1日から福島の相談会に出かけ、たったの2日間の間に1000人の親子が駆けつけた。夏休みの間、子どもたちを少しでも遠いところに連れて行きたいというお母さん。母子心中を考えたというお母さんもいた。札幌に避難していたはずのお母さんが息子が福島に帰りたいといってとうとう福島に戻りましたといっていた。福島の状況も刻々と変わって行っている。今までの保養ではやっていけないところまできている。

そして6月7日、福島の女たちが官邸に押し掛け、総理に福島の女たちの声が届くようにと。そして、その翌日、なんと野田総理は再稼働を決めたのです。いい加減にしてください。

総理、国会議員、政治家は、私たちの負託を受けて、国民の民意を反映させるために政治をやっている人達ではないのですか。主権者は私たち。70%から80%がもう原発いらないといっているのに。しかし、今日の新聞は断層があっても原発再稼働といっている。どこまで国民をバカにしているのでしょうか。

3月11日~19日の間、アメリカは福島の上空を飛び、高線量を測った。アメリカから日本の外務省に報告が来た。それを文科省に伝えたら、なんといったか?「アメリカはこの情報を国民の伝えていいのか?」と聞いた。国民が危険に晒されているときに、アメリカの許可なしに情報を出せない日本政府とはいったいなんなのか?

福島から最初のフェリーに乗って苫小牧に行き着いた時、若い女の子は言った。すべてを捨てて逃げてきて、それでも、「反対っていっていいのだろうか」と。学校でそんなこと教わらなかったから、と。

今まで沢山の外国人、報道陣沢山来た。一言は、「日本人は何故怒らないのか?」と。でも、日本人は怒っている。福島の女たちも怒りを遮れないところまで。

私は、もうモグラたたきは沢山だと思っています。もう政治を変えるしかない・・・・そう思っている。今沢山の女たち、全国の女たちがそう思っています。私たちは候補者を探しています。国政選挙はちょっと、政治があまりにも遠い。でも、まず第一は候補者を出すことです。ダメな政治家を落とす。頑張っている政治家を応援する。政治を変えるには、私たちがまず政治を担うという自覚から始まらなければならない。

一時保養に来た福島の子どもたちの多くに呼吸器系の病気が続出している。福島の1,2,3,4号機すべて危険。活断層があっても再稼働するといっている。国政選挙いつやってくるか分からない。さて、私たち国民に準備があるのでしょうか。私たち、一人一人が考え、行動するべきと思う。

実は私は25年間外国に住んできました。北欧、アフリカ、独裁政治のジンバブエ。ノルウェーでは社会民主主義の政治の中、閣僚の半数以上は女性、7つある政党の内、5つの政党の党首は女性。松葉づえの環境大臣も、シングルマザーのエネルギー大臣も、最年少国会議員は26歳。そういうことが可能である。

そして、ジンバブエ、ムガベ大統領の独裁政治の国に7年間暮らしましたが、野党に投票したら家を焼き打ちされ、殺される人が続出した。選挙の度に死傷者がどんどん出る。私たちも、選挙ごとに10日間の準備をして逃げる準備をして暮らしていた。それでも女たちは、命がけで子どもたちのために諦めず、一票を投じるために投票所に並び続けた。反対票を投じたら食料援助ももらえない。それでも、女たちは子どもたちの未来のためにやれることをやっていた。私たちもやってきた。私たちもやれると思います。

私は、311後、日本に民主主義がなかったのだと初めて知りました。アメリカの方ばかりを見て。原発ばかりじゃない。TPP、オスプレイ。民主主義があったら、こうなことまかり通るわけがない。そして国民は、政治は遠い、政治は遠い、政治は汚いという。だからこうなったんじゃないのでしょうか?政治を変えずに原発を止めることは出来るのか?出来ないと思う。

本当に福島の相談会の様子をみて、30万人の福島の子どもたちを守るには、札幌で保養していても仕方ないと思った。国会の半分を、原発を止め、子どもたちを避難させりょうという議員で埋め尽くすかないと思った。そこから出てきた女たちの一揆です。

1年半が経って、運動の疲れが出ています。いろんなことをしたが、あまり成果が出ていないと思っているかもしれない。政治を私たちの身近なものにし。一人一人が主権を自覚し、取り戻す。主権者であることを再確認するしかない。今追い風である。

今、日本の女たちが何とかしたいと思っている。7月19日、国会包囲に20万人が集まった。私もいました。ここにいる沢山の女たちと私も。これを逃しては日本を変えられない。

今、私たちの暮らしと、子どもたちの命と未来を守るために、私たち大人の女たちが何ができるのか。政治を変えるためにどこから始めるべきか。人任せにせず、自分で智恵を絞り、他の女たちとつながり、男たちとつながり、政治家たちとつながり、今一歩を踏み出すべきだと思います。これから長く長く続く闘い。第一歩にしたいと思います。皆さん、よろしくお願いします。今日は思いっきり話していただきたい。是非、全員に一言いって帰っていただきたい。ここで得た意見をもって、帰った地元でできることをやってください。よろしくお願いします。

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by africa_class | 2013-03-17 12:32 | 【考】民主主義、社会運動と民衆
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