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表現の自由を憂い、エチオピア女性ジャーナリストから学ぶ「人の生は短い。だから私は真実を語る」

日本の「報道の自由度」が今年ついに22位から53位に急落したとの報道がありました。知ってましたか?今日は、その話を手掛かりに、今年「報道の自由賞」を受賞したエチオピアの女性ジャーナリスト・Reeyot Alemu、「本当のことを書き続け」て逮捕された26歳の女性について語りながら、日本における「国民の知る権利」と「表現の自由」の憂うべく現状を共に考えます。

「遠いアフリカ」のことではありません。
そのようにみえて、「日本の私たち」のことです。

彼女はArthur Schopenhauerをこう引用しました。
"life is short.(人の生は短いが)
But truth works far.(真実は遠くまで届く)
Lives long.(そして長く生き続ける)
Let us speak the truth."(だから私たちは真実を語ろう)
(The World as Will and Representation, Volume I)

■英語ですが授賞式の様子(彼女不在のまま)
http://www.youtube.com/watch?v=O1z7d6z-S_w

元NHKの大貫 康雄氏によると、日本のランク急落の背景は次の通り。
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http://no-border.asia/archives/8287
5月3日は「世界報道の自由の日(world press freedom day)」とユネスコ総会で定め、加盟国に報道の自由を促進し、言論の自由の保障を義務付けているが、現状は理想にほど遠い状況だ。毎年、この日に合わせて『ユネスコ・国連教育科学文化機関』が「報道の自由賞」の授賞式を行い、また国際NGO『RFS(国境なき記者団)』が世界179カ国の「報道の自由度」一覧を発表している。

日本は黄色に色分けされたが、1年前の22位から31位下げ53位に急落。(閉鎖的な)記者クラブ制度が依然改革されていないなど、名指しで警告されている。

民主主義(の質、水準)が以前に比べて悪化している国としてイタリア、ハンガリー、ギリシャ、アルゼンチンと共に日本が名指しで警告対象になった。

RFSはまた、昨年の22位から53位に降下した日本について(政府・公的機関の)透明性の欠如、福島第一原子力発電所事故と放射能災害に関する情報公開を尊重する態度はほとんどゼロに等しいと手厳しい批判をしている。さらに問題点として、最後に原子力産業報道で“検閲”(誰によるのかは言及せず)が行われていること、(閉鎖的な)記者クラブ制度が依然として改革されていないことなどを挙げ、以前は良い評価を受けていた国の急降下は警告すべき現象だとしている。

アジア・太平洋地域では、ニュージーランドが最も報道の自由が保障されている国のひとつとして8位、オーストラリアが26 位、パプア・ニューギニアが41 位、台湾が47 位、韓国50 位。
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これって深刻な事態では?日本のメディアはどう報道したのだろう?と思って検索にかけてみたのですが、No Boarderの大貫氏のこれしか出てこない・・・。それ自体が示しているものもある。。。批判は耳が痛いとは思いますが、今一度「何のためにメディアがあるのか?」を考えてほしいです。勿論、一番問題は日本政府・公的機関ではありますが、マスコミもまた、耳を傾けるべき指摘は沢山あると思います。

私はアフリカニストなのでアフリカのランクも確認してみると・・・。日本より上位は7か国!
ナミビア(19位)、カーボベルデ(25位)、ガーナ(30位)、ボツワナ(40位)、ニジェール(43位)、ブルキナファソ(46位)、南ア(52位)よりも下位でした。ニジェールやブルキナファソより低いとは・・・いや失礼。そりゃそうかもしれません。
http://en.rsf.org/press-freedom-index-2013,1054.html

でも、残念ながら私、この結果に驚かないかも・・・。
今とても気になっていること。
それは、日本社会が全体として「ものを言いにくい状態」が生まれつつあるという点です。特に、国家権力や権力が行う政策に絡むこと、原発事故直後とは異なり、問題を指摘する人達が声をあげづらい空気が醸し出されつつあるように思います。

多分、多くの日本の人達は、「自然の減少」、つまりいわゆる「風化」や日本得意の「忘却力」によるものと思っているでしょうが、勿論それがある一方で、そうなるように色々なアクションがとられていること・・・には、なかなか気づかないですよね。

今、日本で何が起きているのか?
例えば、異論を述べる人達、道端で声をあげる人達への意図的な逮捕や拘束、裁判や、職場での嫌がらせ等です。モザンビークだけではないのです。既に、「がれき焼却」をめぐっては、私立大学の先生が逮捕される事態までになっています。勿論、この先生は、社会の大きな声によって、釈放され大学にも復帰されていますが、このようなことは先生やその周辺の人達を怖がらせて黙らせるために行なわれた、国家権力や警察による介入だったことは明らかです。

異論に耳を貸せない人達が国家権力を握った時、日本でかつて何が起こったのか?
目で見えなくとも、「全体の空気でなんとなく異論がいいにくい状態」が、なにをもたらしたのか?
声を上げ続けた人達を「非国民」と呼んで、見捨てた社会が行き着いた先はなんだったのか?

何故戦争から70年近く経って、「いつか来た道」を遡っているような不安を感じなくてはならないのでしょうか?あるいは、70年「も」経って、お得意の「忘却力」で全て勝手に忘れたのでしょうか?

私は70年前には生まれていませんでした(多分!)。
でも「あの時代」を過ごした人達が、原発事故後これでもかというほど集会を企画したり、歩いたり、抗議活動にかけつけたりするときに、必ずおっしゃっているのが、「戦後60年以上が経て、こんなに悪い時代は今までなかった。今日本は危ない状態になりつつあります」ということ。あの穏やかでにこやかな瀬戸内寂聴さんの、その強い言葉にドキッとしませんか?
私はします。

そして、戦争の研究をしてきた者として、実際そうだと思わざるを得ないようなことが、まさにこの皆が暮らす日本で日々起きていると感じています。それは、単発に起きているというより、大きな流れにようになってきているように思われるのです。そして、若い人達をはじめ、社会はそれにまったく自覚的ではない。そのような隙間に、色々な法案や試みが進められています。一つずつ、一つずつ、「国民の知る権利」「表現の自由」「報道の自由」「結社の自由」そういったものが、公式・非公式に奪われていっています。

国家や政策の透明性やアカウンタビリティを高めるための市民らの努力が、「特定政治勢力の動き」や「個人的なクレーマ-」と同じレベルに矮小化され、周辺化され、そして忘却されるように仕向けられた結果、得をするのは一体誰でしょうか?

決して社会ではありません。大多数者はそのようなことにより、知る権利を奪われ、国や政策を良くするための積極的な機会を失い、自らの権利を奪われていく一方、ある特定個人や特定の利益集団、国家権力の周辺に群がっている既得権益者だけは生き延び、太っていくでしょう。しかし、最大の犠牲者になり得る大多数者こそが、このような自分の権利を狭めていくシステムを支え続ける傾向にある・・・のが、日本の特徴です。

なぜなら、「お上/大きなもの/権威のあるもの/主流に逆らうべきではない」と子どもの頃より教わってきたから。「既に決まりきったこと」「そうであることと思いこまされていること」を疑問に思い、自分で調べて、考え直し、新しい提案をするというプロセスよりも、「出題者の立場に立ってテストを予想し、回答を想定する」ことに幼少期から繰り返し進められてきた結果、自分の属する組織やシステムを刷新していくことが非常に難しい。その基礎がない。

日本の教育は、批判的精神を育み、調べ、自分の頭で考え、柔軟にオプションを想定し、結論を導くという作業を放棄していると前から思っていましたが、子どもが途中でドイツの学校に行くことになって比べることができるようになった今、特にそう思います。教育の最終工程にいる私たちの責任は限りなく重いと思います。そこに焦点をあわせて、受験というツールによって、教育が組み立てられる日本ですから。

「問いを持つ」・・・・学びにおいてこれほど重要なことはないにもかかわらず、日本では「疑問を持つ」ことよりも「今はとにかく持たない」ことを奨励されがちです。受験でも、日々の生活でも、仕事でも、就職でも。そうやって一人一人が疑問を持たないように生き続けた結果が、今の日本のこの状態です。

「疑問を持ってもどうしようもない」「どうせ変えられない」「面倒なだけ」「辛くなるだけ」「他人と違うことばかりやってられない」「大人にならなきゃ」・・・色々理由はあるでしょう。「今までの当たり前」「どうせ変わらないもの」にチャレンジすることは、勇気がいることでしょう。損をするように思えることも沢山あるでしょう。

でも、皆が皆それから背を向けて、「ちっぽけな自分」の「ちっぽけな利益」ばかりを後生大事に守っているつもりになり、「とりあえず自分の周りはどうでもいい」という態度を続けるのであれば、社会はもっとひどいところになるでしょう。いや、なっていたでしょう。先人たちの誰かが、損をしても、自分の得にまったくならなくとも、一生懸命他者や社会のため(本人たちがそれに気づかず、感謝せず、時にバカだと思っていたとしても)、に行動し続けてくれたから、今狭くともスペースが私たちに残されている。でも、それも「誰かがやってくれる」と胡坐をかき続けた結果、もはや風前のともしびです。

若い人として何ができるのか・・・?
まずは、やはり批判的精神を育み、問い続けること。そして知ることだと思います。知ろうとすること。「一番前」に行く勇気がなくったって大丈夫です。「前でがんばっている人達」を応援することだって、大きな力になります。

とにかく、「問い」を持つことは是非し続けてほしいと本当に思います。そして、小さな輪でもいいから、誰かとその「問い」を共有し、話してみること。そういう積み重ねが、「このままでいいんだろうか」「本当にそうなのか」「何かできないのか」・・・というサイクルになっていって、皆の最初の「問いを持つ」というささやかな試みが、何かの行動につながっていくことになると思います。

さて、またしても前置きが長くなりました。
以前ツイッターで紹介しましたが、今日は、この「世界報道自由の日」の2013年度の受賞者であるエチオピアの女性ジャーナリスト、レーヨット・アレム(Reeyot Alemu)のことを紹介したかったのです。ドイツでは時間がなくてツイッとで終わってしまったのですが、日本でほとんど知られていない女性なので、これを機に是非しってほしいと思います。

■ユネスコ「2013年度世界の報道自由賞」の紹介。
”Ethiopian journalist Reeyot Alemu wins 2013 UNESCO-Guillermo Cano World Press Freedom Prize"
http://www.unesco.org/new/en/media-services/single-view/news/ethiopian_journalist_reeyot_alemu_wins_2013_unesco_guillermo_cano_world_press_freedom_prize/#.UkcG6tKpVRm
Ethiopian journalist Reeyot Alemu wins 2013 UNESCO-Guillermo Cano World Press Freedom Prize

■2012年度「ジャーナリズムにおける勇気賞」受賞の紹介。
http://iwmf.org/honoring-courage/2012-courage-in-journalism-awards/awardees/reeyot-alemu.aspx

先の大貫さんの記事によると、「アレムさんは高校で英語を教えながら週刊紙を出版し、貧困の問題、その原因、政府の腐敗、不正、女性差別などの政治問題、社会問題に鋭い筆を奮い、政府に“テロリスト”として逮捕、投獄された。政府から反政府的言論をやめるよう圧力を受けるが拒否。刑務所は衛生状態が極端に悪く、アレムさんは体調を崩し入院。手術を施されるが翌日、回復しないうちに刑務所に戻されているという」。

酷いです。
本当に。でも、だからこそ知らねばなりません。学ばねばなりません。
彼女が何をしたのか?
そこまでの仕打ちを受けるだけのどんなことをしたのか?

「本当のことを書いた」のです。

多分、のんびり生きてきた日本の学生の皆さんには「へっ?」・・・かもしれません。
しかし、人間の歴史において、ものを書き始めてからというもの、過去においても、現在においても、
権力側にいる人達が一番怖いのは、「嘘を書く人」ではありません。
「本当のことを書く人ほど怖い」のです。

少々訂正。
勿論、民主的な手法によって人びとに力を負託されている人達にとっては、「本当のこと」は痛くもかゆくも、ましてや怖いことではありません。一方、既得権益にしがみつくことでカネや力やメンツが保ってきた人達ほど、「本当のことを書き言う人」は目障りであり、消し去りたい相手なのです。

なぜなら、彼らは知っているから。
自分の「力」に正当性がない、ということを。
自分のやり方が支持されていない、ということを。
だから「嘘で塗り固めたお城」を維持し続けなければならない。
だからこそ、「本当のこと」が、いちいち胸に刺さるのです。
だから「本当のことを語る人、書く人」を黙らせたい。

”Reeyot Alemu: Ethiopia's Jailed Truth Teller”
http://www.thedailybeast.com/witw/articles/2013/04/18/reeyot-alemu-ethiopia-s-jailed-truth-teller.html
■アルジャジーラの英語番組が一番分かりやすい
「ジャーナリズムxテロリズム」
http://www.youtube.com/watch?v=9hEkd3ZTKco
いかに、「テロリズム」という言葉が、権力に本当のことを隠すために利用されているか。


でも、彼らは恐れながら、薄々知っている。
真実はどんなに曲げても、曲げても、歪められ切れないことを。
だから、より一層怖いのです。
これらの不安が、彼らを「本当のことを言う奴を黙らせたい」衝動に導きます。

裸の王様は恥ずかしい。
だから、「裸だ」という人が目障りなのです。
裸なことを認めれば、もっと良い関係が待っているというのに・・・。
裸に気づき、服を着る努力よりも、「裸だ」という人を黙らせることにこそ血道をあげる・・・。

しかし、アレムさんがいったように、
「本当のこと」・・・というのは、どんなに上手く捻じ曲げても、必ず残っていきます。
今消えたように見えても、別の形で必ず残って、必ず表に出てきます。
だから、「本当のことを書く人」を遠ざけて、彼らの権力の「時間」を延ばすことが重要なのです。
でも、いつか彼らは退場を余儀なくされるでしょう。
どんなに権力者らが、それを求め工作しても、真実は人々の目の前に、いつか現れるからです。

そのことを歴史家として驚きをもって見つめてきました。
こんな資料残っているはずないだろう…というところに残っている。
こんな話、聞かせてはもらえないだろう…という話が語り継がれている。
そして、埋もれたこれらの声や資料を、丹念に丹念に掘り起こす人達がいる。
すべては、「過去の過ちを繰り返さないように、よりよい社会と世界のために」と、いつも、どこかで、思って、汗をかいてくれる誰かのお蔭で。

アレムさんは未だ20代だというのに、「本当のこと」を掘り起し、書き続け、このような状態でも意志を曲げず、世界にメッセージを送り続けています。
“I believe that I must contribute something to bring a better future,” Alemu said in an earlier interview with the IWMF. “Since there are a lot of injustices and oppressions in Ethiopia, I must reveal and oppose them in my articles.” Alemu said one of her “principles” is “to stand for the truth, whether it is risky or not.”
http://iwmf.org/honoring-courage/2012-courage-in-journalism-awards/awardees/reeyot-alemu.aspx

権力者は、そのことが怖いのです。
彼女を、どんなカネや力やニンジンでもっても、Corruptできないことが。
彼女を、どんなやり方でも諦めさせられないことが。

彼女は何故諦めないのでしょうか?
想像でしかないのですが、
それは、彼女が誰かにいわれてやっていることではないからだと思います。

ユネスコは彼女をこう讃えました。
“exceptional courage, resistance and commitment to freedom of expression.”
でも、彼女はこう讃えられるためにやっていないと思います。
彼女は彼女の生き方としてやっていることに、誰かが褒章をあげることは真の意味で出来ない。
と同時に、それを他者が奪うことも出来ないのです。

日本政府に「開発の優等生」として讃えられるエチオピアですが、同国に現存する「貧困と格差」に対し声を上げ続けた一人の若い女性が、「テロリスト」と呼ばれて今日も監獄に入れられたままであることを、私たちは目を瞑らず、しっかり知り、そこから学びましょう。
http://allafrica.com/stories/201309051138.html

■受賞にあわせて作られた番組
http://www.youtube.com/watch?v=Ce4fkD7drmA

彼女の監獄からのメッセージ
"Journalists are the voices of the voiceless. That's why I wrote many articles reveals the truth of the oppressed ones. I always stand firmly for my profession."

日本の皆さんに知ってほしい。
そして、今一度考えてほしい。
私たち一人一人の生き方。
共に創造しようとするよりよき未来。
いつもモザンビークの仲間たちがいうように。

More just, democratic and better society & world.
私たちは出来ると思うのです。
立ち止まり、自らの過ちに気づき、笑い、手を取り合って前に進もうとするのであれば。

今日もがんばりましょう。
人生は短い。
だけど、真実は遠くまで。
だから、今日も真実を語りましょう。
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by africa_class | 2013-09-29 03:01 | 【考】民主主義、社会運動と民衆
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