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安倍総理が訪問する「アフリカの光と影ーモザンビークを中心に」

今日から安倍晋三総理が中東アフリカ諸国を訪問。
アフリカはモザンビーク、エチオピア、コートジボワール。
資源、中国けん制、国連安保理の理事国入りのための票目当てと・・・。

安倍首相、中東アフリカ歴訪へ 資源確保狙う
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140109/plc14010907520003-n1.htm?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

安倍首相がアフリカへ 国連安保理入りへ票固め
http://www.huffingtonpost.jp/2014/01/08/shinzo-abe-non-permanent-security-council-japan_n_4563105.html?ncid=edlinkusaolp00000003

いずれにせよ、「何かと引き換え」であることは間違いない。
故に、「手土産」を持参される。

人材育成施設:エチオピアに1号…首相歴訪合意へ
http://mainichi.jp/select/news/20140109k0000m010087000c.html
次は、モザンビーク向けの何かが発表されるだろう。
現地新聞の報道では、「インフラ、農業、教育」の分野の協力の文書締結といわれている。

しかし、かつて『外交』に書いたけど、日本の「見返り外交」がアフリカにおいて成功したことはなかった。その理由は単純明快。アフリカ諸国にとって、「日本とだけ仲良くする」理由は何もないから。

「『ODA見返り論』からの脱却を」『外交』「国際援助の新戦略:アフリカ」2012年3月12号
http://afriqclass.exblog.jp/14976062/

あるアフリカ大使がそっと囁いた。
「どうして日本の政府関係者って、『中国か日本かみたいな選択がそもそもあると思いこんでるんだろうね』」と。
その心は、「両方と付き合うにきまってるじゃないか」。
そして、「中国と日本が競争しあってくれるのは大いに結構。選択肢が増えるし、条件もよくなる。でもだからといって、我々の外交や政策において『どちらか一方のみを選択』なんてことは、そもそもあり得ない」、と。

かなりの本音。
でも、これでもまだ建前。
本当のところ、アフリカにおいて、日本が中国と同じレベルで競争することがいかに不可能か、両国の現状、世界情勢を勘案し、アフリカと長年付き合って来れば容易に分かること。(だから中国がいいといっているわけではない)。が、これはこれで一大テーマなのでこの点についてはまた今度。

今アフリカで起きていること、モザンビークで起きていることは、世界と連動している。この日本社会の変化とも。そのことに思いを巡らせて書いたのが、先月(2013年12月)に出たばかりの「神奈川大学評論」最新号の原稿。一部だけ紹介しておくので、是非最新号の「アフリカ特集」を手に取っていただきたい。豪華執筆者らによる沢山の面白い原稿が集まっています。

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『神奈川大学評論』第76号「特集 アフリカの光と影」
2013年12月発行
http://www.kanagawa-u.ac.jp/publication/criticalessay/
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「アフリカの開発と経済~モザンビークから」
アフリカの今と日本の私たち:天然資源と食、そして援助


舩田クラーセンさやか
(東京外国語大学大学院 准教授)

1. はじめに

「光が強いほど影が濃くなる」
自然の当然の摂理であるものの、「言い得て妙」と最近感じることが多い。

今、世界で最も脚光を浴びる地域である一方、依然多くの問題を抱えるアフリカ。なかでも、モザンビークは空前の投資ブームを迎え、来年1月には安倍晋三首相が日本の総理大臣として初めてモザンビークを訪問する。

今、アフリカで何が起きているのだろうか。本稿では、「アフリカの今」を、「光と影」の両方を踏まえ、日本との関係を軸に検討する。事例として取り上げるのは、今日本で最も注目を集めるアフリカの国・モザンビークである。

2.「成長しないアフリカ」から「世界の成長株のアフリカ」へ
(1)急速に経済成長するアフリカ

アフリカ(本稿ではサハラ以南アフリカ)が「成長しない大陸」と呼ばれて久しい。実際、統計(一人当たりGDP)をみてみると、アフリカ経済が成長しない間に、他の「途上国」地域(ラテンアメリカ、中東北アフリカ、東南アジア)が「追い抜」いて行く様子が顕著である。現在でも、講演会で聴衆に聞くと「アフリカ=貧しい」以外のイメージが出てこないことも多い。

しかし、2002年来、アフリカの実質GDP成長率は、世界水準を超え続けている(IMF, 2009)。この傾向は、2008年9月のリーマンショック以降も続いており、毎年10%近くのGDPを記録し続ける国も多い。GDPがマイナス基調か1%以下が続く「成長しなくなった日本」からは、驚くべきことであろう。アフリカといっても、サハラ以南だけでも49か国ありこれらを一括りで論じるべきではないが、傾向としていえることは、高い成長率を示す国の多くが天然資源の豊っかな国である。

(略)

(2)アフリカを必要とする日本

このように急激に重要度を増すアフリカを狙い、日本企業は「多様で豊富な資源の輸入元としてのアフリカ」と並び「最後の巨大市場としてのアフリカ」にも目を向け始めている。しかし、統計をみて明らかなように、輸出入のいずれにおいても「日本の出遅れ感」は否めない。JETROの各種の統計が示すように、2003年以降に急増するアフリカの輸入の多くがEU諸国からのものとなっており、伸びが顕著な取引は中国やアフリカ諸国同士のものとなっている(JETRO, 2010)。

特に、中国の対アフリカ輸入総額の伸びは留まるところを知らず、この傾向は外交・経済において中国をライバル視する日本の官民にとって「脅威」と捉えられている。

実際、2013年6月に横浜で開催されたTICAD V(第5回アフリカ開発会議)の表のキャッチフレーズは「躍動のアフリカと手を携えて」であったが、真の狙いとして「中国に対抗したアフリカ首脳の取り込み」があったことが報道等でも確認することができる。なかでも最も注目されたのが、モザンビークであった。

(略)

3.日本の官民の脚光を集めるモザンビーク~エネルギー・食料危機
(1)資源開発と二国間投資協定

 これを象徴する出来事がTICAD V初日の6月1日、日本・モザンビークとの間で提携された二国間投資協定(「投資の相互の自由化,促進及び保護に関する日本国政府とモザンビーク共和国政府との間の協定」」であった。

外務省がその意義を強調するように、これは「(サハラ以南アフリカ諸国)との間で初めて署名された投資協定」であり、モザンビークで「世界最大規模の天然ガス田が発見されるとともにアフリカ最大といわれる石炭資源が存在」し、同国が「我が国民間企業による開発が進んでいる資源国」だから締結したという(外務省サイト)。

実際、新日鉄住金は、ブラジル企業のヴァレ(Vale)社や多国籍企業リオ・ティント(Rio Tinto)社が操業する同国中北部テテ州で石炭の採掘権を獲得している。一方、三井物産は米国アナダルコ(Anadarko)社と組み、同国北端インド洋沖に発見された世界最大級の天然ガス田の権益を獲得している(日経新聞2012年5月16日)。

(略)

日本が、モザンビークの天然ガスに大きく注目する理由は、東日本大震災の影響も大きい。元々、日本の海外へのエネルギー源依存度は、96%(原発を除くと84%)であった。2011年の原発事故の発生は、日本にエネルギー源の多角化を求めさせ、アフリカへの関心を高めさせることとなった。

(2)日本向け農作物の生産地としての注目

 日本の官民にとってのモザンビークの魅力は「天然資源」に留まらない。石油や資源価格の高騰だけでなく、2008年に穀物価格が急上昇したことは、食料自給率(カロリーベース)が4割にすぎない日本にとって深刻な危機をもたらした。特に、100%近い量を輸入に頼るトウモロコシと大豆、そして8割を超える小麦の安定的供給は、「国民生活の安定に不可欠」として、外務省や自民党内に「対策室(本部)」が立ち上げられるほどであった(NHK, 2010)。この危機の中で、政府関係者が注目したのがブラジル、そしてモザンビークであった。

(略)

食料価格の高騰を受け、世界的にアフリカへの農業投資が注目される2009年9月、日本・ブラジル・モザンビークの三か国は、「世界の食料安定供給のため使われていない広大な未耕地を有効活用するため」、プロサバンナ事業を行うことを合意する(調印文書)。

これをJICA World(2010年)は、「ブラジルと協力してモザンビークで大豆生産を援助」と発表し、事業の主眼が大豆などの輸出作物にあることが強調されていた。紙幅の関係で詳細を紹介できないが、本事業の形成過程を検討した結果、同事業の狙いが、①国際的プレゼンス向上、②日本への大豆、③モザンビークやブラジルとの連携の強化が目的だったことを明らかにしている(舩田クラーセン, 2013)。

4. モザンビークにおける貧困と格差、狙われる土地、そして政治暴力
(1)広がる格差と社会不満

 世界でも日本でも、眩いばかりのスポットライトを集めるモザンビークである。しかし、光の下に生み出されている影は、濃く、そして光をも陰らせるようになりつつある。

TICAD Vの二か月前の2013年4月、モザンビークを国連人権委員会の「絶対的貧困報告者」のセプルヴェダが訪問した。彼女は調査を終え帰国する際の記者会見で、「2011年だけで34億米ドル(261新事業と97既存事業)の投資があり、同国は世界で最も早く成長する10か国の一か国となっている」が、貧困者の数は増えてさえおり、「モザンビークの幅広い層の人びとが、過去20年間得てきた利益が公平に分配されるべきと感じていること」を強調した(Sepúlveda, 2013)。

今年の国連開発計画(UNDP)『人間開発報告書2013』も驚くべき結果を発表している。つまり、世界(187か国)で最も人間開発上問題のある国の第二位(185位)としてモザンビークがリストアップされているのである。

2008/9年のモザンビークの貧困率は54.7%であり、2002/3年の54.1%から増えるなど貧困削減は停滞し、貧困人口も990万人から1千170万人に増加している(MDGレポート2010)。貧富の格差を示す数値として開発されたGINI係数は、民衆の不満から社会の不安につながりやすいとされる0.4を超えている(統計によっては0.45)。

さらに注目すべきは、2008年以降にみられる民主化の明確な後退である。2010年、FreedomHouseなどは同国を「選挙民主政」のリストから外し、「アノクラシー国」として掲載している。さらに、ゲブーザ大統領の二期目(2009年)以降、政権全体のガバナンスは悪化の一途を辿り、不透明な投資案件が次から次へと明らかになっているほか、住民の生活を犠牲にした資源開発、それを批判する住民や市民社会への弾圧などが社会不満を高めている。

なお、ゲブーザ大統領とその家族の国家資源を活用した蓄財ぶりは、「Mr Guebusiness」と揶揄されるほど国際的にも知られるほどとなっている(Mail&Guardian, 2012年1月6日)。

この結果、首都マプートでは、2010年9月に住民らの暴動が発生し、3日間にわたって首都機能が停止した。10人が死傷したこの暴動の原因は、直接的には食料価格高騰への貧困層の不満とされているが、根底には現政権やその周辺への強い不満があった。

その直後に起きた北アフリカ地域での「アラブの春」は日本でも有名であるが、その前にサハラ以南アフリカ各国で、広がりゆく貧富の格差や不正に対する民衆の不満が爆発的に広がっていったのである。ただし、モザンビークの場合、民衆の不満は都市部だけのものではなかった。

(2)農民の手から次々に収奪される土地

独立直後の1977年から16年間の武力紛争で百万人もの死者を出したモザンビークでは、人びとは1992年来の和平と安定を大切に生きてきた。全土が焦土と化した国を建てなおしてきたのはこのような人びとの弛まぬ努力であった。しかし、ゲブーザ政権の二期目以降の急速な海外投資の流入は、ごく一部の権力中枢の懐を多いに潤したが、大多数者を置き去りにしただけでなく、彼らの命と暮らしすらも犠牲にし始める結果となっている。

(略)

ランドグラッビングについては・・・・なかでも、モザンビークは世界5位に位置づけられ、216万ヘクタールが取引されている。なお、日本の全農地面積は456万ヘクタールで、モザンビークではその二分の一近くの土地が数年で投資家の手に渡ったことになる。世界銀行はこの現象について「ガバナンスの脆弱な国で起きている」と総括している(World Bank, 2010)。

 これらの多くの土地は、①鉱物資源開発、②バイオ燃料作物、③植林プランテーション、④大規模輸出用作物栽培のために、タダ同然の金額で外国企業に譲渡されている。このプロセスについて、モザンビークを事例として検討する。

新日鉄住金が進出する「アフリカ最大の石炭埋蔵量」を誇るテテ州、特に進出先のモアティーゼ郡には、多くの外資が進出し、地域の大半が鉱区に呑みこまれている様子が分かる(Human Rights Watch, 2013)。ヴァレ社では、2000家族の移転がなされ、これに抗議する住民らの運動は、今年6月には同社の石炭輸送路封鎖に至り、同社は操業一時停止に追い込まれた(Reuters, 2013年5月23日)。これに対し、警察が暴力的な介入を行う等予断を許さない状態が続いている。

三井物産が進出するインド洋沖の近くのカーボデルガード州パルマ市でも、住民との間で衝突が起きているが、その調査を実施しようとした研究者が警察に拘留されるなどの事態も生じている(Terra Vivaサイト)。

(略)

(3)小農らによるプロサバンナ事業への反発と強権化への抵抗
 このような流れの中で、「日本の耕地面積の3倍もの熱帯サバンナが広がるモザンビーク」への、援助と投資を組み合わせたプロサバンナ事業が華々しく打ち上げられたが、これに対し現地小農らの強い反発が表明された。

モザンビーク最大の農民組織(2,200組織の連合)であり、小農の権利を擁護するために1987年に結成されたUNACは、2012年10月11日にプロサバンナ事業に対し抗議声明を発表する(UNACサイト)。その後、この抗議にはモザンビーク社会を代表する女性・宗教・農民・開発NGOなど23団体が合流し、ついにTICAD V直前の2013年5月28日。「プロサバンナ事業の緊急停止」を求める公開書簡が、日本・ブラジル・モザンビークの首脳(首相・大統領)に宛てて発表される(Farmlandgrabサイト)。

これは、独立から38年間もの間同一政党が権力を握るモザンビークにおいて歴史的に例のない事態であり、先述の通り強権化しつつあるゲブーザ政権に対する社会の最初の明確な抗議として記されることとなった。

(略)

プロサバンナ事業は、日本では援助事業として捉えられがちであるが、モザンビーク社会では、現政権の二期目を象徴する「国民不在」「投資偏重」の「国民の権利を犠牲にしてでも私利を追求する国政」の象徴的事例として広く理解されてきた。

実際、ゲブーザ大統領のファミリー企業はブラジル企業と組み、同事業対象地(ザンベジア州グルエ郡)にて3000ヘクタールもの土地を取得し大豆生産に乗り出している。この土地を耕していた200を超える農民が得たものは、1ヘクタール当たり1600円程度の「補償金」であった(筆者の現地調査)。

このように、「農民不在の大規模農業開発事業」は、援助の問題を超え、モザンビーク政府の非民主的な政策形成、投資偏重の開発戦略の証左として現地社会では受け止められているのである。

現在、JICA等の日本政府関係者らは、「プロサバンナ事業=小農支援であり、土地収奪を行わない」と強調するが、農民らに抗議されるまで同事業と連携して立ち上げられることになっていたナカラ・ファンドは、同じ対象地(ナカラ回廊)で「30万ヘクタールの土地確保」を打ち上げ世界から投資を集めようとしている。

同事業の立案形成から現在まで主導権を握り続ける日本政府にとって、当初の想定を超える事態が次々に生じている。しかし、現地市民社会が求めるように、事業の中断も抜本的な見直しもできない理由として、日本政府関係者は非公式の声として次のように語っている。

「事業を中断したり見直すということは、他の投資案件でも中国の進出を許すことになる」。

これは、本年10月21日にモザンビーク国軍が最大野党党首の拠点を軍事攻撃し、22日に同党が和平合意を破棄するという政治・軍事的危機に対し、20を超える援助国の中で唯一日本、そして投資国の中でも中国が、ゲブーザ政権に対し声明を発表していないことに象徴されている。

一方で、モザンーク市民社会は国内各都市で大規模な平和マーチを実施し、政権への批判を強めている。

5.おわりに
以上、モザンビークの事例を通じて、「アフリカの光と影」の現在、そして日本との関係――とりわけ私たちの暮らしに不可欠な「食」「エネルギー」との関係――を明らかにしようと試みた。

「光」が全体を照らさず、ごく一部だけ輝かせ、闇を深めている様子は、アフリカだけのものではない。

ここ日本でも急速に貧富の格差が拡大し、「子どもの貧困」がOECDに加盟する先進国35カ国中9番目に高いとの結果が発表されている(UNICEF, 2012)。しかし、日本の一人当たりGDPはこれらの中で4番目に高いのである。つまり、豊かさは子どもに還元されていないことになる。

日本が今アフリカに対して行う援助や投資のアプローチの根本に、自国内での不平等の格差を「経済成長さえすれば」という論理で放置してきた昨今の現実が横たわっている。

モザンビークをはじめとする、アフリカの民衆の苦悩に日本も関わっている現実を知る一方で、彼女ら・彼らの苦闘から日本が学ぶべき時代が到来している。今鋭く問われているのは、3・11後の私たちがここ日本でどのような暮らしを紡いでいきたいのか、共にどのような世界を構築していきたいのかなのである。
by africa_class | 2014-01-09 09:09 | 【記録】原稿・論文
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