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日本人がアフリカ研究することの意味。空気読めるけど読まず、自由に書き続ける今日的意義

とにもかくにも、この3週間は卒論と採点、学年度末の授業のことと、メディアに追いかけまくられる日々と、報告書や論文の完成で、体調が悪いことを差し引いても、ちょっと「ない」状態が続きました。多分一息つけるまで後数歩・・・となりましたが、締切を伸ばしただけの原稿が後4本・・・。むりだ・・・が、もう延期無理ですよね?!出版目前のマンデラ元大統領追悼本のみ先にやります。やっぱり教え子がいつの間にか編集者になって連絡くれると、断れないもんで。
 子どもの頃、「売れっ子作家になって締切に追われる姿」を夢想しましたが、「なんかちゃう」上に、カネにまったくならん。投入する努力に対して、割の合わない言論生活。これで食べていくことは無理ですね~。

でも、そんなもんなのでしょう。
むしろ、「書きたい事を書ける喜び」
そして、「それを読んでくれる人がどこかにいてくれる喜び」
に感謝しています。

そういうことはカネにならない。
だから自由なんだ、と今更ながらしみじみ有難く感じています。

この間ありとあらゆる圧力や嫌がらせもありましたが、カネや名声、業界のために生きてきたわけでなく、生きていくわけでもない以上、結局のところ気にせず書き続けることができました。

学生にいつもいっていますが、「空気は読めた方がいいけれど、あえて読まないことも重要」なのです。私は、前からそれを実践してきましたが、ますますそう思います。若者にはやや高度なので、日本の大人の皆さん、ぜひ積極的に「空気をよめるが、よまん」を実践してください。そうすれば、社会や組織が風通しがよくなり、続く若者が深呼吸できるスペースが広がります。自分のために「よまん」のではないのです。

私、どうしても誤解されがちな損な性格なんでしょうが、「自分のためにやっていること」ほとんどありません。勿論、「他人の為にやってやってる」という傲慢さは問題です。まわりまわって「自分のため」になるもんですが。だから犠牲とも思っていませんが。「自分のために生きる」んであれば、もっとのんびり楽しく生きてるし、そもそも権力や権力構造と闘ったりしませんし。専門家然、先生然として生きた方が、金銭的にも名声とか肩書きとか、得るものが多いわけです。

好き好んでではないですが、他に立ち上がる人がいなければ、やはり不正義を前に知らぬふりをして生きることは、一度きりの人生において、私がしたい生き方ではありません。「器用に世渡り上手」に生きれないわけではないですが、そうやって現状や現在の構造を支え続けて人生を終わるのは、私のしたい生き方ではないのです。他人から「バカやなあーーアイツ」でいいんです。なので、葬式では、アメリカ南部の黒人霊歌を楽しく歌ってて送ってください。そして、皆の生き方や社会の在り方の問題、夢やビジョンを語り合って、見知らぬ人や旧知の人と出会い、連帯を紡ぎ出す場にしてくれればいいのです。

と、何故かゼミ生の結婚式続きだったので、そんなことを卒業生に伝えました。会の仕切はユーリちゃん、会計はトモミちゃん、ロジがエミちゃんと決まっています。まあ、長生きするんで皆も元気で長生きね。

結局、一番息苦しい人達のために、率先して上の人が頑張らないと、権力:パワーというものはいつも虎視眈々と自由を狭め、仕舞に奪おうと狙っているものです。それが、国家であれ、社会であれ、組織であれ、大学であれ。うるさい奴は抹消・・・の方が楽なんです。だったら、皆でうるさくなろう!?

「独立して或る」ということが、いかにも難しい昨今の日本や世界で、言論の自由を守るために、それが出来るはずの大学にいる皆さんは、もっとそのことに自覚的であってほしいと思います。社会は、ただ大学で授業したり入試するために皆さんを支えているのではなく、学会という狭いサークルで発表したりその組織運営に専念することだけでもなく、皆さんの暮らすもっと広い社会への不断で普段の不動の寄与にこそ期待をしているのだ、と。

でも、日本の大学も、合議制や教授会権限をはく奪する動きが加速化しており、また全体として「空気読む」場となってしまい、もはや言論の自由の砦ではなくなりつつあるのは事実だと思います。でも、いえだからこそ、頑張りどころなんだと思います。

そもそも、アフリカの大学も研究所も、すごい圧力の中言論の自由を守ろうと命がけの先生たちがいる。モザンビークもそう。私達、そのことを忘れているかもしれない。

その意味で、インターネットの時代は本当に有難い。
こうやって、書いた瞬間にネットに掲載され、見ず知らずの人達に読んでもらえる。急ぎ書いている駄文なので、いつもしかし・・・ごめんなさいーーー状態なのですが。そこはご愛嬌。

プロサバンナの報告書に感激してくれたマスコミの方や同業者から、出版を強く勧めていただいたのですが、私のモットーは「情報と知識と分析は社会に属する」ですので、日本の出版物がネット上になかなか掲載されない現実に歯がゆさを感じており、やはり誰でも自由にアクセスできて、自由にいつでもダウンロードして読めることに重点を置きたいと思うのです。

●だから私の博論の英語版はケーブタウンの出版社が22ドルでソフトカバーに、そしてただでダウンロード可能にしてくれました!でも、これも日本の出版社の協力あってこそ。
http://www.africanminds.co.za/?dd-product=the-origins-of-war-in-mozambique-a-history-of-unity-and-division

●そして、今回のProSAVAN市民社会報告
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立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点に掲載中
2014/01/15 
「ProSAVANA市民社会報告2013ー現地調査に基づく提言【暫定版】」
http://www.arsvi.com/i/ProSAVANA_findings_cso_tentative.pdf
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他方、紙の本や冊子になっている意味はすごくあると思うし、紙の新聞大好きです。なので、基礎のテキストや資料はネットからダウンロードでき、教科書的なものや手元においておきたいもの、あるいはプレミアムをつけたものを紙で提供できればと思っています。

今本の構想いろいろあるのですが、4年前から着手している『モザンビークを知る●章』すら終わらせていないので、順番に・・・・。体調が万全であればなんとかなった多くのことを、諦めるか、延期するしかなく、忸怩たる思いです。その最中に、色々入ってくるので、リスケに次ぐリスケ。編集者さん、、、、執筆者の皆さん。。。。すみません。

さて、日本人の私が何故日本にいてアフリカ研究や教育や調査や発表を行うのか・・・私は丁度20年前にモザンビークでの国連活動から帰国して考えたのはそういう問いでした。今でもこれに疑問がないわけではありません。特に、アフリカ人の若者の教育を10年携わって来て思うのは、「日本の者としての私のポジションの自覚をどこに持ち・置くのか」なしに、あまりに甘い・・・と。

これを学会や同僚や色々な人に投げかけてきたんですが、皆どこか「他人事」でした。無理もありません。日本とアフリカの関係があまりに希薄で、アフリカ社会への影響が目に見えない以上、「何をそんなに気負って」という理解が当たり前だったんです。が、その時もそれからも、本当は日本の影響は決して小さくありませんでした。2000年にモザンビークの援助で許与して大量在庫になった農薬の問題に関わってから、それを如実に感じてきました。

そして、今、安倍首相の訪問で、いよいよ、日本のアフリカ研究者や関係者は、自らの立ち位置を問い直す機会が訪れていると思います。

私は、自分の研究者としての技能を、それが未だ未熟なものであるという自覚のうえで、しかし、モザンビークの農民と民衆の現在と未来のために役立てる覚悟で日々を送るようになりました。博士論文を書いていたとき、それを日本語や英語の本にしているときも同様でしたが、途中、日本社会にアフリカを広める活動、あるいは業界に頼まれた論文をコナスことに必死になってしまい、初心を少しばかり忘れていたように思います。

私は、これらの仕事を、日本の非モザンビーク・アフリカ人として、やろうと奮闘しています。その点において、私の中で、不十分ではあるものの心に残った仕事は、原発事故と水俣のことを踏まえて、ブラジルのセラード開発とモザンビークのプロサバンナについて書いた以下のものとなりました。

モザンビークの研究所から原稿依頼を受けた時、私は初めて、自分が何故研究者となろうとしたのか・・・の意義を理解しました。実務の世界に飛び込んでいた私が、世界構造や国家と現場の人びとの声や暮らしの相克を他者が分かるように示すことこそが使命と思って学術世界にきたものの、それが出来ている実感がなかっただけに、20年を経て、ようやく「その時」が来たのだな、と思ったわけです。

それは私の議論が正しいということではなく、モザンビークや世界、日本について自らが調べ、書いてきたことを、モザンビーク社会で参照し、議論してもらうこと・・・(それが正しくても間違っていても)に貢献できるところまで来たことについてです。それは、しんどいことでもあります。自分の一言一句が、当事者にどう受け止められているのか・・・研究者同士以上に厳しく問われるからです。でも、そのようなクリティカル・レヴューに基づくクリティカル・ディスカッションこそが、互いの思考を鍛えますし、オープンに物事を徹底的に議論してよくするきっかけを作りますし、何より、それこそが「学問の意義」なのです。

当たり障りのない二番煎じのことを言ったり、書いたりすることが学問なら、それは不要です。火中の栗を拾わないのであれば、社会に研究者が貢献できる幅は狭いです。勿論、リアクティブになれということではなく。わたしも20年深い谷底に潜って、それから今言論をやっているわけで、あと少ししたらまた潜ることになると思います。自己検証が必要ですし。

そして、私に論文を書くように勧めてくれ、掲載してくれた研究所の所長は、今、独裁化一歩手前のモザンビークの国家権力との闘いを繰り広げています。脅迫も日々続いています。そして、もう一つの研究所の方では、論文を掲載するかどうかに当たって、止めるように政府から強い圧力があったと聞いています。

それでも、これらの研究所も研究員たちも、そしてその周囲の市民らも、身体をはって私の論文を訳し、校正し、記載してくれました。「学問とは、ポレミカルイシューに材料を提供するものだ」と。同時代にこの「生きづらい時代」を生きる、しかし前よりも今よりも少しでもよい社会を・・・との想いで頑張るモザンビークの、世界の、日本の研究者、市民社会、農民の皆に、日々学ぶばかりです。

この間、かつでは農薬問題、それからTICADパス問題、そして今回のプロサバンナ事業・・・へのアドボカシー活動で、失うものも多かったのでしょうが、ただ研究者然として遠巻きに見ていたとしたら得られない数々の仲間、そして深い批判的な理解を、自問自答の毎日を得ることができたことに、心より感謝しています。

何よりも、私は「愛」と「信頼」の社会的意味を、再び学んだのだと思います。いつの間にか、独りよがりで生きていたかもしれない・・・・勝ち馬に乗って・・・・自分に急ブレーキをかけ、社会や国家や強い者に虐げられる側に徹底して寄り添う苦悩と喜びに、ヒトが「人=つまり支えあって生きる」意味、ウブンドゥの精神を、ただの軽いノリのタスケアイではなく、もっと深く、辛く、広がりのある連帯を、知るようになりました。

これが愛であり、哀しみであり、希望であり、絶望であるのだと、生物と人類の長い歴史とこれからの、根っこの部分なのだと、そう思うようになりました。

これからもよろしく。

●古いものは英国のOpen Univ.のサイトにまとめてくれています。
http://www.open.ac.uk/technology/mozambique/
1番目の論文"Analysis of the Discurse and the Background of ProSAVANA"
http://www.open.ac.uk/technology/mozambique/sites/www.open.ac.uk.technology.mozambique/files/files/ProSavana%20Analysis%20based%20on%20Japanese%20source%20%28FUNADA2013%29.pdf
2番目の論文”Fukushima, ProSAVNA, Ruth First"
http://farmlandgrab.org/uploads/attachment/Fukushima%20ProSAVANA%20Ruth%20First%20%28IR%20Final22July2013%29.pdf
これは、モザンビークのIESE研究所の依頼で書いた論文の英語版で、ポルトガル語は以下のサイトに3本に分けて掲載中。
http://www.iese.ac.mz/?__target__=publications_ideias

●最新のものはモザンビークの研究所(Observatorio de Meio Rural)に英語とポルトガル語で掲載中。
http://omrmz.org/
"Post-Fukushima Anatomy of Studies on ProSAVANA"
mrmz.org/index.php/95-publicacoes/observador-rural/168-observador-rural-nr-12-post-fukushima-anatomy-of-studies-on-prosavana-focusing-on-natalia-fingermann-s-myths-behind-prosavana

あとは、プロサバンナに関するポータルはこちらに一括あります。
http://farmlandgrab.org/cat/show/827

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以下が、モザンビークの研究所のエディターが書いたこの論文の紹介です。
これまた長い論文ですが、渾身の力作です。
(が、途中古いファイルと入れ替わっていて今調整中ですが)
ぜひ、ご一読下さい。

東電福島第一原発事故と水俣病の話をどのように参考にしたのか・・・2000年の農薬問題と、自分が留学していたブラジル・セラード地域のこと、そして20年間通い続けたモザンビーク北部でのプロサバンナや土地収奪をどう見ているのか・・・色々思考してみました。

"Post-Fukushima Anatomy of Studies on ProSAVANA"
By Sayaka Funada-Classen

Documento de Trabalho
Observador Rural
Numero 12 Dezembro 2013

Women rice farmers association, Mozambique. (Photo courtesy of IFDC)
This text is part of a debate about ProSAVANA and deals mainly with the article “The myths behind the ProSavana” (“Os mitos por trás do ProSavana”) written by Natalia Fingermann, published by the Instituto de Estudos Sociais e Económicos (IESE), series IDeIAS, Nº 49, on 29 May 2013. The reader can access this article from IESE's webpage.

The text we now publish in the Observador Nº 12 do OMR is more than just a debate between the two authors. Based on a detailed analysis of the ProSavana documents and on field research, Sayaka Funada-Classen deals with several areas, such as:

The evolution of the philosophy and speeches about the ProSavana.
The positions of the three involved parties (the governments of Mozambique, Brazil and Japan).
The possible incoherence and incompatibilities for implementing fundamental aspects of underlying the ProSavana.
The aspects to take care and alerts for precaution that should be considered when implementing the project.


Sayaka Funada-Classen also analyses the possible relations of the ProSavana and other mega-projects being implemented in the area of the Nacala corridor.
Due to the importance of the theme, the OMR publishes this text as a contribution to the important debate about the ProSavana. Although the project is at the final stages of preparation, the author calls for the principle of "precaution approach" that enables to foresee future damages, considering also similar case-studies (comparative method).

Click here to download - Post-Fukushima Anatomy of Studies on ProSAVANA: Focusing on Natalia Fingermann’s "Myths behind ProSAVANA" (PDF)

(Em portugues)

Dr. Sayaka Funada-Classen is currently an Associate Professor at Tokyo University of Foreign Studies (TUFS) and has been working and doing research in Northern Mozambique since 1994. She has been chairperson of Needs Response Project for Fukushima’s Pregnant Women and Infant Children (FnnnP), since April 2011.

Her previous works on ProSAVANA: “Analysis of the discourse and background of the ProSAVANA programme in Mozambique – focusing on Japan’s role – and “Análise do Discurso e dos Antecedentes do Programa ProSAVANA em Moçambique – enfoque no papel do Japão – are available at http://farmlandgrab.org/post/view/21574 in English, and http://farmlandgrab.org/post/view/21802 in Portuguese. - See more at: http://farmlandgrab.org/post/view/23049-post-fukushima-anatomy-of-studies-on-prosavana-focusing-on-natalia-fingermanns-myths-behind-prosavana#sthash.WwkixBXh.dpuf
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by africa_class | 2014-01-24 15:15 | 【記録】原稿・論文
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