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モザンビーク農民の声に触れて、今日感じたこと、そのまま

ドイツに戻って来た。
生命に家も畑も敷地も覆われていた。
命の内に秘めた力に、ただただ圧倒され、自分のちっぽけさ加減に無力感に教われる。
でも、近づいてこれらの生命に触れてみたら、その躍動的で深く渋い輝きに心を奪われた。

命とはウソのないものだ。
ウソと誤摩化しに塗れた東京での日々を後にして、その真理がじわりと心の中の温かな明かりを灯す。
農民の声がこだまする。

私たちのことを勝手に知らないところで決めないで。
私たちの「農民」の名のもとに進めないで。
あの人達には心がない、と。
心で聞くことができない、と。
私たちはただ自分のこれまでやってきた農業を続けたいのです、と。

そして、モザンビークに帰られたその朝、私たちにこう告げた。
「私たちは農民です。だからたとえ投獄されようとも、殺されようとも、闘いは続くのです。私が殺されても、他の者が続けるでしょう」と。

想いも寄らぬ一言に、私は訳す事すらできなくなった。
命を育んできたママであり農民である彼女の、そんな決意と一言に、驚き、圧倒され。
そんな想いをさせてしまった「援助」という名の「支援策」に、それを税金で支えている日本の市民として、ただただ申し訳なく、頭を垂れたままで。

経済成長の名の下に、進めてきた数々の開発政策。
その結果、どんな日本が今誕生したのだろうか。
命が育まれるのが困難な、幸せを感じることよりも不安を感じることの多い社会に。
頼る者が誰もいない砂漠に。
かといって独力では生き延びられないコンクリートジャングルに。

別の道を辿ることを放棄し続けて来た私たちの目の前に広がる廃墟と化した農村コミュニティ。
なのに自分たちが来た道が正しいと、モザンビーク農民に押し付ける。
それでも、コスタさんたちは笑顔だ。
どんな厳しい局面でも、持ち前の機転と笑顔を忘れない。
立派な農民たちを前に、「スーツ組」は何か感じてくれたのだろうか。
自分の腕一本で生活を支え、子どもたちを学校にやってきた農民の自信。

こういう農民こそを応援するのが、我々の援助ではないのか?
彼らを様々な工作で困らせたり、脅したり、内部分裂するようにバラマキをしたり、そういうことのために使われるために「援助」、税金があっていいのか。

彼らがプロサバンナに批判の声を上げた2012年10月以来、日本国内のダムや原発やそういった公共事業でやられてきたのと同じ論理で、「反対派崩し」「賛成派創出」が繰り広げられてきた。行政・JICAには当たり前のことなのかもしれないが、モザンビーク農民からは考えられないことばかりの連続だった。「国際協力」のはずの案件で、農民を貶めるような数々の出来事。

ガバナンスの悪い、民主主義が後退し、軍事主義が台頭するアフリカの国で、そんなことがどのような帰結を導き出すのか、考えてみれば分かることである。農民らは暗殺すら畏れる事態になっている。その責任をどう取るのか?これまで通り、「受益国の一義的責任/オーナーシップ」を隠れ蓑にするだけなのだろう。それを承知で進められた数々の「推進事業」。これも税金で出ている。

今の日本の農政や政治のあり方と援助も地続きなのだろう。
70年前、日本は世界に尊敬される国になろうとした。
そして今、その決意と努力のすべてを投げ捨てて、世界や隣人に嫌われ・戦争しても自分の利益だけを確保すればよいとの利己的な貪欲さを全面展開する国になろうとしている。
いつかきた道ではない。
なぜなら、あの時十分な形で民主主義も自由も情報もなかった。
今、私たちは先人たちの加害と犠牲と努力によって、前提の上ではすべてを手にしている。
しかし、それを一切内実化する努力を怠り、いつの間にか制度すら内部から切り崩され、どんな道理のあわないことにも囚われの身として黙認せざるを得ない一歩手前になっている。

土地に生きる農民たちの自信と決断の潔さとは、真逆の自信のなさと不安のなかに生きて。

モザンビークの農民はいう。
だいじょうぶ。明日の食べ物は土地と自分で生み出せる。
もちろん、足りないものもたくさんある。
でも、一方の私たちはそんな満ち足りているのか。
彼らの笑顔に、そんな一言を突きつけられているように感じたのは、私だけだったろうか?


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TBSのNEWS23で農民の声が紹介されたので。
2015年7月21日
「日本の大規模ODA、モザンビークの農民らが中止訴え」
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2545734.html
「アフリカのモザンビークで日本政府が進めているODA=政府開発援助の大規模開発プロジェクトについて現地の農民たちが来日し、中止を訴えました。いったい、何が起きているのでしょうか。」
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****2015年7月9日********
まったく書く余裕がないので、とりあえずTwittしたことを貼付けておきます。
私は、「教師の仕事」についても、本来「必要とされなくなること」が目標であるべきと思っている。「先生として求められること」に喜びをおきすぎることが、その目的を考えるに、いかに不健全なことか!親もそうだ。ただし、親というのは年を取るから分かりやすい。かつて威張っていた親も、いつか弱々しく、小さくなり、子どもたちに頼らなければならない。そうやって新旧交代の機会がある。


申し訳ないが、日本の「援助産業」はもはや末期的。そもそも援助が要らない世界の構築、援助者の仕事・稼ぎ・栄誉がなくなることが目的でないのか?そのためにどうすればいいかこそ、本来知恵を絞るべき点。要るといってもらうためにあらゆる工作を積み重ねて来た結果が、これだ。

7 分: @sayakafc 「日本の援助者」であれば平気なのかも?土地に暮らし自分の手で暮らしを支え、課題に直面しつつも共に乗越えんとする農民たちに「オルタナティブを出せ」と。他の人の社会に勝手にやってきて、当事者に何て台詞?日本のあなたの暮らしはそんな立派?援助で支えられる生活なのに?

17 分: モザンビーク独立40周年を迎えた。半分以上の歳月を北部の農民らと共に歩んできた。が、その21年の経験をしても「ホンマモン」の人から学ぶことが多く、自分の無知を恥じる。「センセー」「第一人者」と呼ばれることを捨て去り、ただ裸の私・Sisterとしてある時に得る理解は、次元が違う。

26 分: 明学講演会では、農民たちが作っている食べ物の多様性、それらを作り続けるためにどのような総意工夫をしているのか、どう調理するのかまで、沢山の写真とともに農民自身が説明。最後にエステバンさんが問うた。「JICAは私たち農民が貧しくて救わなくてはならいという。本当か?」と。胸に沁みた。

31 分: @sayakafc 今日がその最後の機会。参議院議員会館にて16時〜18時「「なぜ、現地農民は異議を唱えるのか?」日本の農業開発援助(ODA)・プロサバンナ事業に関する現地報告と声明発表。申込み締切は9日午前10時迄。未だ間に合う→http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/

33 分: @sayakafc 訳していて涙が出そうな瞬間、実はそんなにない。でも今日、農民たちの心の底からの経験に裏打ちされた一言一言に、切なく申し訳なく、他方感動。当事者ならではの本物の言葉。援助や開発を本や頭でしか理解していない若者、先達にこそ、聞いてほしい。「援助くれ!」以外の声を。

36 分: 明学での講演会終了。モザンビーク北部でコスタさんやアナパウラさんが営む農の姿に沢山の人に触れてもらい、本当に良かった。また、何故彼らが「小農支援」のはずの援助事業に反対を唱えるのか、凄く明確な話に目から鱗だった。本来は支援がほしいと言いたいところを、胸に迫る。明日その最後の機会
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by africa_class | 2015-07-09 01:38 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ
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