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12才でキャンドル作家、14才で木工作家になった息子から、「好きこそものの上手なれ」

先日15才(中3)になった息子の最新作(末尾)。
別にシュタイナー学校に行っているからといわけではない。
お友達の多くは、ネットゲームに嵌っている。

ただ、前から大好きだった木工に本格的に目覚めたきっかけは、クリスマスバザーに学校に木工のアーティストが来て、木ろくろを体験して、実際に木工の作品がどんどん売れるのを目の当たりにしたから。関西人なもんで、「売れる」ということは、彼の中で非常に大切。

この半年で3500ユーロ(50万円)ぐらいは売ったが、ほとんど大型機械と材料代に消え、未だ借金が3万円ぐらい残っている。しかし、さらに大型の機械がほしいそうだ(まずは300ユーロ、5万円弱返してね)。今日は彼に最後の2枚の写真を掲載するように頼まれただけだったんだけど、彼の作品の変遷を紹介してしまおう。

まず12才の時にキャンドルを製作し始めて、それを販売し始めた。
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一緒に作っていた友人とキャンドルを作って、地元の自然食品の店2つで販売したのだけれど、こういうの二人だと上手くいかない。ましてや当時小学校6年生!結局、息子がほとんどを製作し、上手くなってしまった。だと二人ではやれない…なので開店休業中。ごめんなさい。
http://kidscandle.exblog.jp/

せっかくキャンドル専用の小屋もあるのに、キャンドルを置く台を木で作りたくなった。
2013年春、こんな風に作ってみた。
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でも物足りない。
森に転がっている腐った木を使って作りたいといった。
2013年クリスマス、小さな木ろくろをパパにプレゼントでもらって、作り始めた。

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そして、朽ちた木への愛は続き、ボウルはとにかくよく売れた。
(しかも材料代ただ!)
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が、ロクロを回すのに飽きたのか、雨ざらしになっていた板で家具を作り始めた。板をじーーーと見て、何を思ったのか、ワインラックをデザインした。

そして、このデザインと雨ざらし感を気に入った26才の青年が購入してくれた。彼のアパートの壁。ドイツはレンタルの家・アパートでも、平気で壁に穴があけられる。というのも、入居時に全員が壁をはったり塗り直すから。それにしても、彼の写真ぶれとんな…。

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この青年は続けて、テーブルを注文してくれた。
地元の製材所にいった。桜の木の肌があまりに奇麗で、テーブルにしかしたくない、と。ちょっと割れ目があったんで、見よう見まねで…蝶ちぎりを入れてみた。

彼の技術はすべて日本から買ってきた本とYoutube。じっといくつも動画をみて、納得いくまでみて、それからそれを試してみる。当然、失敗が多い。練習してから本番に向かうことができない子どもなもんで、失敗を積み重ね、今では少し学んだ…と思いたい。

右奥の窪みは、私のアイディアで、他の作品で彫刻刀で削ったもの。そもそも、夜はパンしか食べないドイツ人。せめて盛り上がるお皿を、と思って、チーズやハムやスモークサーモン、プチトマトやキュウリを載せるオブジェを製作してクリスマス商品として売ってみたら、これが結構売れた。その応用編として、青年は、この窪みをこのテーブルにもほしい、と。
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この後も家具に燃えに燃えたが、家具って売るのが難しい。ギャラリーがあるわけでも、Web販売しているわけでもないから。要請に従い、パンフレットを作ってあげたが、本人的にはWebがないと嫌らしい。ふーん、勝手にせい。

自然食品の店で売ってくれるので小物の方が売りやすい。
なので、結局作っては途中で放り投げる感じの家具が、家のあちこちに…。まあ、大変な田舎なのでスペースはあるんで、いいけど。いつか完成させてね。

せっかく、自然食品の店が、彼の作品コーナーを正式に作ってくれるというので、その棚の注文が入った。なのに、なんか気乗りしない。というか、斬新すぎるデザインをしたはいいが、強度の問題で壁にぶち当たったまま、解決できず、毎年恒例のアフリカに行ってしまった。その残骸は今でもリビングに放置されている…。
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彼の愛する野生動物たちの写真。本人曰く、人間より動植物の方が好き、だという。そういう彼が撮る猛獣たちは、どこかかわいい。が、どうやって撮ったの、これ?と思っていたら、いつの間にか、さらに借金してズームレンズを買っていた。だから、早く棚完成させなきゃ、息子よ。

そういえば、アフリカに出発する直前、5月のこと。急に色のついた作品を作りたがるようになった。春に日本に帰った私が、染色の本を買い込んできたのをみて、「色」に目覚めた。春なので、庭中がいろ、色、彩で、ぱっと明るくなったからか。で、花びらを集めた。しゃくなげの赤は特に気に入ったらしい。
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で、染めてみた。その前に、染色の本を読んで、他の作業も必要だと分かり、試行錯誤の結果、定着をよくするために、栗の実の皮を集めて煮出した液体に豆乳を加えたものに漬けてからやった。豆乳は牛乳だった方が良かったと思う。なのでかなり淡い色になった。ただ、桜の木のボウルには桜色が良いかもしれない。もう一度染め直して、それからウォルナッツオイルがいいかな。

でも、こういう色好きな人もいるかな。
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本人のイメージは、もっと鮮やかな色だったようで、これまでの自然(食用)オイルを離れて、色鮮やかなオイルを使いたがった。ほっておいたら、いつの間にか自分で注文した英国の塗料が届いた…。いや、父親がしたのだろう。化学物質過敏症の私が反対するのを知っているので。

色が先かデザインが先か聞くのを忘れたが、アフリカの土鍋がモチーフと思われる。彼の中には、日本・アジア・アフリカ・ヨーロッパの不思議なものたち(現代に限らない)のフォルムが、何層にも蓄積している。

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土台にあるのは、その前に嵌っていた家具作りの一貫で製作したベンチ。実は、このベンチ…何を思ったのか、ある日トップに葉の彫刻が表れた。本人曰く、「いつも思ってたんだけど、ただのツルツルとかの表面ってつまらんやん」。ああ、、、そうよね。でも、ベンチって、座るもんやん???どうせやるんやったら、テーブルにしてーな…は呑み込んだ。自由な発想って、とにかく大事。この歳になると特にそう思う。もはや、そんな自由さ、枯渇してるもんで。

でも、ベンチに彫刻してる間あったら、棚完成させてよ…で小物作って売ってよ…でないと借金かえってこんやん(ついでに利子つけてね!)と思いつつも、これも呑み込み、本人に任せる、まかせる。

同じ系列の塗料で、黒だけで塗ってみた作品。とっても渋い、素敵なものが出来た。これは、彼が尊敬して止まない私の長年の友人・モザンビークの建築家にお土産として持参したらしい(私は行ってないんで)。谷崎の陰影礼賛をポルトガル語に訳したほどだから、彼は大喜びしてくれたそうな。

ただ、この写真…ぶれるね。今迄私が撮っていた写真を初めて自分で撮るようになった。が、どうもピンぼけする。その上、ライティングがダメらしい…。で、今度は商品撮影の本を日本で買って来て、ああだこうだ言い始めた。特別なスクリーンだとか白いライトが買いたいと言い張るが、他のもので代用できるはずとここは譲らないでおいた。なんせ借金返してね、まず。

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とにかく、本人はWebを作りたい。
が、買ったWeb製作のためのソフトが全て日本語。マニュアルも日本語…。読めない。漫画以外の日本語は…。ふりがな打ってないし。でも、根性でなんかやってる。最初は手伝って!!!と毎日拝まれたが、超音痴の私には無理と悟ってくれたのか(obviousか)、自力でなんとかがんばっている。とにかく、かっこいい写真がほしい。が、銀行にカネはゼロ…棚を作らないので作品が載せられず、作品が売れないから、カネもない。悪循環!なのに、Webと撮影に嵌っている…。

ようやく悪循環に気づいたのか、白い画用紙を使って、あれやこれや試し始めた…。なんか写真上手くなってきたから、今度はもっと本格的な、機能的なボウルではなく、アーティなボウルが作りたくなった…そうな。で、塗料ではなく、柿渋のような、でももっと濃くでる方法は…と色々検索しているうちに出会ったのが、「アンモニア」。

ここまで来ると、もはや結果しかつき合えない。
で、以下の写真をメールで送ってきて、「ブログに載せといて」…とのことなので、載せてみました。なんか、凄い高度なことになっている…。


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どこまで進化するのか、彼は。
好きこそものの上手なれ。
読めない日本語も、なんか読んでしまうところは、やはり卒論指導と一緒で「目的」がはっきりしていた方が、後は手段として割り切ってがんばれるものだ。

それが手段を目的化すると、まっったくつまらない。
そんなことを息子で実証してどうするんだ、、、と思うが、まあそのうち彼が反論するでしょう。
ひとまず、以上どうぞ、ご覧あれ。

そうそう、こんなことばっかりやってるわけではなく、ちゃんと毎日学校にも、週3回サッカーも通っています。が、友達と遊ぶ時間、ネットゲームをする時間なんかはないねえ。まあ、こんな趣味の15才、ドイツといえどもいるわけではないので、話題がまったくあわない。日本にいても同じだったろうけれど、本人は当初それを気に病んでいたものの、今となっては忙しすぎてそれどころではない感じ。まあ、時々お友達とお泊り企画をやっているんで、まあほっておいてもいいかな。

それより、卒業生にこのArtセンスはどこからきたの?と質問された。それはずばり、小さい頃から「ほんまもんごっこ」をしていたのです。

雑誌や本、写真集、博物館に美術館、町や森を散歩しても、海に行っても、いつもどれ(何)がどういいのか/悪いのか、彼と一緒に語り合ってた。同じ風景でも、時間が違って、太陽の光の加減が違っていたらもっとこうだよね、ここの感じがもう少しこうだったらどうだっただろう…などと、二人の会話の「ごちそう」部分は、いつもそこだった。勿論、彼が「いい」と思うものと、私が「いい」と思うものは、いつも一緒だったわけではなく、そのポイントも違っている。だけど、それぞれの「いい」と思うポイントの理由を尋ねあうのが、凄く重要だったんだな、と今ふりかえって思う。

その時、所謂西洋っぽいものを見る事は少なかったかもしれない。もっと自然なもの、根源的なもの、素朴なもの、そういうものにとても惹かれていたのだけれど、その後日本の伝統的な手の込んだものや骨董に嵌り始めて、もう少し彼も私も惹かれるものの範囲が広がったように思う。今、ヨーロッパにいるから、こちらのデザインも大分興味がわいて来たよう。

でも、根っこの部分では、シンプルなものへの愛が濃いようだ。本人曰く、「ママ、今時代はミニマリスティックなデザインがいいんだから」と。じゃあ、君の部屋をミニマリスティックな感じになるように片付けてよ。というと、どこぞやに消える息子であった。

さらに、子どもの頃ずっとテレビがなかったもんで、彼は沢山の絵を描いていたし、牛乳パック等の不要品で色々作ってたし、毛糸で編み物もしていたし、泥だんごで恐竜を作ったり。頭の中のイメージを、そのまま手で作り出す…そういう時間を沢山過ごした。

ドイツに5年生の時に来たばかりのときは、アルファベットも読めず、高校に入る直前で勉強も大変で、かつマンモス公立校で辛かったと思う。でも、秋に移ったシュタイナー学校は、そういう彼が積み重ねて来たアートを中心に据えたプログラムで、彼は自分の居場所を見つけ、自由に羽ばたいていった。・・・羽ばたきすぎて、先生と喧嘩しすぎて、学校に呼び出されること多しだが。

まあ、まだ15才。
すべてを辞めて、別の道に行ったっていい。
それにしたって、ある程度勉強は…必要だよね。
がんばれ、15才。

部屋掃除してね。

===
そうだ。
私と息子の会話は、大体2才ぐらいから現在まであまり変わっていないことについては、留意点かもしれない。政治の話も、社会問題も、とにかく彼と話してきた。勿論、話の深さや表現の仕方は年々変わって行ったが。なぜ2才かというと、その頃から彼が「どうして?」を連発するので、一つ一つお互いに「どうして」を言い合っていったら、普通に社会問題や政治問題に行き着いていったからだったのだ。

どうして、皆電車に乗ると携帯ばかりみるの?
どうして、アフリカの子どものお洋服は破れているの?
どうして、新宿に段ボール敷いて寝ている人がいるの?
どうして、コンビニの電気は明るいの?
どうして、農薬のついた食べ物は安いの?
どうして、ドイツの空港では皆タバコすってるの?

子どもの「どうして?」はするどい。
「どうしてでもいいじゃん」「いつか分かるよ」と答えれば楽かもしれない。でも、子どもの「どうして」にきちんと向き合うと、すごく勉強になる。こちらも「どうして?」と聞くと、さらに素晴らしい深い会話となるのだ。

大抵の親や周りの大人達は、「こんな小さい子と何話してんの?」という顔をしたし、口にも出した。けれども、息子以外のお友達で試してみても同じだったが(そして最近、教え子の3才の息子さんに試してみても同じ結果だったが)、子どもたちは2−3才ぐらいから「なぜか」を語ることができるのだ。そして、その「なぜ」はとっても独創的で、本質的で、素晴らしいことが多い。とにかく、目から鱗が落ちる事多々。

ただ、こちらが、「なぜ」に関する勝手な「正解」を押しつけ(る姿勢すらみせ)さえしなければ。重要なのは、こちらが答えを知っていて、あっちが知らない…という前提を決して持ち込まないこと。その時点で、純粋な子どもたちは親や大人が想定する答えを探り、それにあわせた「正解」を口にしようとがんばってしまう。あるいは、反抗期なら、その真逆を身体いっぱい表現しようとする。そのどちらもが子どもらしい反応であり、それ自体を否定するわけではないが、大人としてもう少し違ったリアクションがあり得ることを頭の隅にでもおいておいてほしい。

子どもには、すごく早くから色々なことを見抜き、自分で考える力がある。ただ、それを言語として表現して外に伝えるのが、とても難しい。だから、彼らの言葉や何やらの表現を待たず、こちらの答えを即座に押し付け続けると、子どもたちも「そういうものかな」という思考停止に流れていってしまう。だから、「どうして?」という何気ない一言、そしてそれへの彼らなりの表現をじっくり待ち、どんな答えも否定しないで耳を傾けることが凄く重要。大抵、「どうして?」の後にも、「どうして?」が続いていくが、子どもの思考というのは長続きしないし、飽きてしまう事も多いので、「今日はここまでで、今度また聞かせてね」と伝えておくと、実はその子はその後も何らかの形でずっと考え続けていることが多い。

子どもたちのそんな粘り強さを、面倒くさがって「はいおしまい」としないで、持続的に発展していく方向にベクトルを向けられないものか。子守り代わりにテレビやDSや携帯ゲームやIpadを与えている限り、そこは難しく、彼らが知的楽しみを自分中に見いだせるようにするには、親や大人達もまた、自分の中の知的楽しみを、子どもとともに発見していかねばならない。

その意味で、子どもに教えるどころか、教わること多しなのだ。




by africa_class | 2015-08-17 04:02 | 【徒然】ドイツでの暮らし
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