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【とりあえず】一連のパリ襲撃とその後(Aftermath)を受けて今考えたこと:これまでの研究からの所感

やらなきゃいけないことは山ほどあり、かつ始めた2つの話を続けなければとも思うが、自分がこれまで専門(War/Conflict & Peace Studies)として研究してきたことを踏まえると、今これを書いておかないと…と思い、急遽ブログを立ち上げる。とりあえず、この間twittしたことを貼付けておく。息子がサッカーに行ってるこの隙に。

11月13日金曜日夜にパリで起きた一連の襲撃について、じっくり考える余裕がない中で、一連の情報のRTと所感を書いてきた。投稿日時は、大体のもので、パリ時間です。

一番重要なことは、このような事件が「新しい現象ではない」ということ。
日本は今迄牧歌的に過ごせてきたので、「新しいもの」に見えるかもしれないのだけれど、そして安倍政権の外交・安保政策の転換により「差し迫ったもの」のように見えるかもしれないのだけれど、冷戦期からの現在までで、ヨーロッパを含め、世界で起きてきた現象。

何よりも、911後に行われたアフガン戦争、そしてその後のイラク戦争の後の世界においては、常態化しつつある現象といえるわけです。これは、NY、ロンドン、マドリッドといった私たちに身近な街で起きていただけでなく、中東でもアジアでもアフリカでも起きていたことで、私たちがそれらの事件を忘却していたか知ろうともしていなかっただけで、2001年以降の世界の現実だったのです。

でも、それもまた冷戦期、あるいは脱植民地化のプロセスで、世界各地で起こっていたことに根っこがあります。世界各地における戦争に限らない暴力化は、勿論遡ろうと思えばどこまでも遡れるわけですが、第二次世界大戦期に発達の端緒があり、その後冷戦で「発展」し、911で「進化を遂げた」といっても過言ではなく、「テロ」と呼ばれる事件は必ずしも、「東側」「解放勢力」「反体制勢力」「過激派」によるものだけではなかったのです。冷戦期は、アメリカや西側諸国の警察・軍・その他が関与するものは大変多く、前者による「テロ」が自分の存在をアピールするためにこれを誇示する一方で、後者のそれは隠されなければならないため、世間には広く知られないままできたのです。

巷では「陰謀論」というレッテル張りをして、これらの歴史的事実から目をそらせたい人もいるようですが、アメリカの凄いところなんですが、これらの「暗殺」「政権転覆事件」「テロ」等の秘密行動の記録を、時期がきたら広く公開し、政府自ら記録編纂をして本にまとめたりしているのです。なので、「ないところに陰謀説を持ち込んでる」というのは、まったく当たらず、そういうことをいう方々は、不勉強としかいいようがありません。

実際、日本で国際関係やアメリカ外交史を専門にしているような人たちでも、ここら辺の「負の歴史」にはまったく関心を寄せず、表で語られている歴史だけを集めて、アメリカの外交政策を没批判的に持ち上げる人がいるんですが、「栄光なるU.S.A」にどこまでも忠誠なその姿は、可哀想なほど。アメリカ外交を見るのであれば、その外交の結果を見なくてはならず、その際にアメリカからのみ見たところで、本当に見た事にならんのですが。確かに、アメリカは広いですけど、世界はもっと広いんですが…と言いたい。

植民地支配の歴史を、植民者からのみ見て分析するのがおかしいように。
被植民者の側からもまた、見なければならないわけです。
つまり、相互作用の中で見なければならない。

アメリカの政治家たちですら、イラク戦争を正当なる戦争などとはもはや言わなくなったのに、なぜか日本の「国際関係」専門家の一部は、未だに「正しかった」等と言い続けているのは、なんとも衝撃的なことで、本来に本の学術界がこれらの「専門家」に挑戦しなければならないのに、日本の学会は予定調和的な場所なので、「エライ先生」たちにただの学術論争ですら挑むことが不可能な現状がある。象牙の塔ですね。

学術界がしっかりしないので、こういう人たちを為政者たちは喜んで「活用」し、あたかも「学術的にお墨付きを得た」とする余地を生んでしまっている。学術界内では論争しないのに、そうなればなったで、先生達は出て来た「政策」に対し、これまた「専門家」として新聞やテレビで文句をいったり書いたりするわけです。でも、決して大元の「大専門家」を批判したりはしない。そんなはしたないことだし、お世話になったこともあるし、何よりそんなことしたら村八分だから。

話が脇に逸れました…。
私が、各種学会の理事や委員を降りた理由はこれです。
中で頑張らなかった訳ではないですが、中から変えるのは無理だという結論です。
今後の展望については、また書きます。

さて、アメリカとその同盟国が世界で何をしてきたのか?その理由は何か?そして、その結果、世界の各地の人びとからどう見られているのか、これを理解しないで、911後の世界の危機は語れないし、悪の連鎖は断ち切れません。

が、アメリカとその同盟国の一部、そしてその背後にあるものは、そもそものところ本当に「平和な世界」「中東の平和」を目指しているのか?…そこはまた、議論の余地があるところです。これもまた陰謀論的な意味でではなく、実際の世界大の軍事産業の問題を分析から排除して、「政治」「外交」だけをみても、本当のところは分からないのです。

私たちの世界は、冷戦が終わった時に、これらあらゆる困難を乗り越えるだけの可能性を手にしていました。
しかし、それがあっという間に消えていってしまった。
湾岸戦争、アフリカで多発した紛争の数々、旧ソ連の諸国や旧ユーゴ…。
そこで再びナショナリズムや領土の問題が生じたわけですが、勿論内部要因は非常に重要である一方、もう一度思い出さなければならないのは、ダレがどのようにこれに関わったのか?
武器はどこからどのようにきたのか?

これらの紛争は、現在にも繋がるアクターたちの出現・発展・連携を生み出していきました。
そして、今があります。

勿論、今回のパリ攻撃は、手法・規模・場所という点で、今迄よりも危機感を高めるような事態であるものの、このようなことはフランスや同盟国、その他に予想されていたわけで、実際に起きてしまったとはいえ、各国、特にシリア戦争に関与しているフランスであれば、それなりの予防策とプランがあったはず。突然起こったように見えて、実際は起こりうるものとして対応されてきていたはずで、ではその前提で、なぜこのような発生の仕方、対応の仕方なのか…というところが、報道されていないだけに重要になってきます。

特に、13日金曜日の夜に連続の被害が発生して、夜中の間中はその全容を明らかにする事に追われていて、犯行声明が出たとしても、依然として全容解明に追われる中で、週末中の日曜日にシリアで報復のための軍事攻撃が行われ、月曜日に「憲法改正と大統領権限の強化」と大統領が主張するとしたら、何かがおかしいのです。

一番の問題は、911と同様、個々の被害が生じた犯罪(程度が大きいとはいえ)を、「国家」が乗り出してきて、「戦争」という形に持ち込んで対応することです。「遠い街でのテロ被害」と「原因と考えられる遠くの紛争状況」とを同一のものと捉えて、後者に介入すれば前者が解決すると考えるのは、あまりにナイーブです。両者の首謀者が同じとしても、別個の現象であり、別個に扱われる必要があります。

勿論、以上はISILや犯罪者らの擁護ではありません。
重要なことは、いつも「紛争と平和」の授業でいったことですが、目で見える「点」だけにフォーカスしてはいけないこと。
「ある事件」「あるアクター」「ある結果」だけに注目するのではなく、何故その「事件」は、そのタイミングで、そこで、そのアクターで、そのような形で発生し、その前には何が起きていたのか、そしてそれを取り巻く状況はどのようなものであったのか、その結果のリアクションが示していることは何なのか、これら一連のことでメリットを受けたのは誰なのか、デメリットを受けたのは誰なのか、

このような時間・空間軸の広がりと複合的な視点の中で、理解しようと務めないといけません。また、「誰の声が報道され、誰の声が報道されないのか」・・・そしてそれは何故かも、しっかり見極めないといけません。

世界が複雑化したのではありません。
冷戦期の世界は、ある程度いつもこうでした。
私たちが、前よりも多くの情報を手にし、多角的に考えるきっかけを手にしたという幸運の一方で、もっと身近にこれらのことを考えなければならないほど暴力行為のただ中に自ら身を投じていってしまう政権を持ってしまったという不幸によるものです。

もうサッカーから帰って来たので、文章を見直す暇もなく、、、これにて失礼します。

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11月13日金曜日深夜
劇場内の死者は118名だったので、合計140人の犠牲者が出ている模様。
<=報道によってばらつきがあったが、実際の死者数は120名だったが、病院で亡くなっている人もいるので増えていく可能性がある。

心からご冥福をお祈りします…。本当に悲しく、悔しい。そして、この後起こりうる様々な暴力的な反応に。それは更なる暴力を確実に生むから。911とその後の対テロ戦争が何をもたらしたのか。暴力の連鎖を断ち切らないと。

11月14日土曜日午前
私も昨夜から考えていました。同時進行するシリアでの空爆による無差別殺戮の死者、パレスチナの若者たちの処刑…我々はなぜ同じように嘆き悲しみ弔わないのか、と。命・死の重みを同じに受け止める先に、この仕組まれた分断と暴力を乗り越えるヒントがあると思います。

11月14日土曜日午前
こういう時に勇ましく言ったりやったりするんでなく、日常を紡ぎ続けるのもすごく大事。一人ひとりが平和を望み、命を想い・育み・悼む普段/不断の努力、向こう側の誰かの苦悩・嘆きと喜びに共感し輪を広げる試み、鋭い批判と深い洞察で見抜く力こそが、絶望の淵の希望だと…。

11月14日土曜日夜
パリ攻撃が、報復やフランス/西欧社会の不安定化だけを狙ったものだと捉え、反撃の為大掛かりな暴力を準備するのであれば、911後のプロセスを悪い形で上書きすることになるだろう。首謀者とその背後にいる人々・構造にとってこの「反応」を引き出す事こそが目的。更にこれを期待する産業がある。

11月15日日曜日午前
ああ…思った通り、フランスは挑発に乗り、シリアを報復攻撃…。ISILの拠点を攻撃というが、子どもだって女性たちだって住んでいる。これこそが、パリ襲撃事件の狙いであり、まんまと策略に嵌る。テロ再発を予防したいのであれば、報復は戦略として妥当でないのは明らか。

11月15日日曜日午前
結局、フランス政府が守りたいのは「市民」ではなく、「メンツ」であったことが露呈。世界の我々も、「フランス国家に連帯」ではなく、「パリの犠牲者を含めた理不尽な加害・犯罪の犠牲者に哀悼と連帯」であるべきだった。フランス国家に被害者としての正当性だけを与える事に。

11月16日月曜日夕方
ほらね、どんどんきてる→「フランスオランド大統領は「大統領権限を強化するため、憲法の一部改正を求める」と」 911後のアメリカと同じだが、展開が非常に早い。未だ3日目なのに。事件の背景要因分析・対策検討すら不十分のまま、なし崩し的。

11月16日月曜日夕方
本当に仏市民を守るのを優先するならまず原因特定が必要。急ぎの安易な復讐は新たな危険を招くだけ。これ程急ぐのは対ISILではなく、仏国民や国際世論が好意的な内にやりたい放題に着手しておきたい。その心は「(パリ攻撃は)仏政権のシリア攻撃のせい」との批判を回避。

11月16日月曜日夕方
これに騙されるフランスの議員や市民は、新たな犠牲を覚悟するしかない。最も古い民主主義国の市民としての力量が試されている。為政者がナショナリズムを煽る時、大抵よからぬ政治的意図がある。自らの問題の隠蔽か、挑戦者を抑え込みたい。戦争に向かった時と今の日本がそれ。

11月16日月曜日夕方
あるいは、見えないところで準備されていた「何か」のせいという可能性は払拭できない。冷戦期から現在まで、世界で起きる「事件」の背後には、表面上で見えるより、もっと複雑で多様なアクターが関わるより大きな意図や利害が作用していることが多い。これが例外とは言切れず。






by africa_class | 2015-11-17 03:39 | 【学】戦争/紛争/暴力・平和論
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