そして、ホンジュラスに焦点を当てていた最中に、ベルタさんの殺害事件はあったのです。
2015年にGoldman Environmental Prizeを受賞したホンジュラスの活動家ベルタさんの以下のインタビューが紹介されています。
「彼らは私を付けねらい、私を殺す、誘拐すると脅し、私の家族を脅迫してきた。これが私たちが直面していることです」ゴールドマン環境賞のサイトにベルタさんの言葉が紹介されています。
http://www.goldmanprize.org/
「私たちの命を川の保護に捧げることは、我々の人間性と惑星に命を吹き込むことなのです
私たちレンカにとって、この川は聖なる川で、女性のスピリットが暮らしています。」http://www.goldmanprize.org/blog/mourns-berta-caceres/
ベルタさんならではの言葉です。
ベルタさんは、ホンジュラスのグアルカルケ川(Gualcarque River)で推進されていた巨大水力発電ダム事業アグア・サルカ(Agua Zarca)の影響を受けるコミュニティ・人びと・環境を守るための運動を率いていました。彼女は、この地域の影響を受ける先住民族(レンカ)の出身である一方、「ホンジュラス先住民族評議会(Council of Indigenous Peoples of Honduras :COPINH)」の代表でもありました。
グローバル・ウィットネスや同賞のサイトでは、2013年にすでに彼女の3人の仲間達が殺害されており、繰り返し攻撃対象となってきたことを述べています。彼女に対してでっち上げられた刑事事件の存在、彼女の子どもたちが危険のために国外に脱出しなければならなかったこと、そしてついに彼女が自宅で撃たれて殺されたことが分かります。
2009年に軍事クーデーターが起こり、現在でも政治的混乱が続いています。軍事政権誕生後、この小国で49ものダムが建設される計画が立てられ、レンカの人びとが暮らし、聖なる川として大切にしてきた川にダムを作る計画が承認され、土地のコンセッションを中国企業に提供したところから話が始まります。人びとは事前に十分な情報を与えられた形でコンセンサス形成に参加(FPIC原則)しておらず、反対を決め平和的なデモストレーションや国会への訴えなどを開始したものの、軍が暴力的に建設事業を進めていきました。人びとの畑はブルトーザーで壊され、人権侵害が多発する中、ついに地元コミュニティは道路封鎖を行い、コミュニティと人びとの暮らし、川と自然を自主的に守り始めました。これに対して、次々に住民らが殺されていきました。この中で、世界銀行はこの計画から撤退します。
詳細は、以下のゴールドマン環境賞のビデオがよく纏まっているのでご覧下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=zh9Sn9oJR94
「この闘争を始めた時、川が私に語りかけているのを感じた。難しいが、私たちは勝利するだろうと」
これに対して、依然としてAgua Zarcaに出資しているフィンランドの年金機構は次のような声明を出しています。
http://www.finnfund.fi/ajankohtaista/uutiset16/en_GB/agua_zarca/2016年3月7日
「FINNFUNDは環境活動家の殺害を非難する。批判された水力発電プラントには開発責任がある」
この声明では次のことが記載されています。
追悼の声明としては非常に自己中すぎて、失礼で野蛮、衝撃的ですらあるのですが、あまりに典型的なものなので(そしてどこかで聞いたことがある!?と思ったあなたはかなりの「通」か、このブログの愛読者だと思います[多謝])、是非その論理展開をよく理解していただきたいので全部訳しておきます。
1) Finnfundが出資する事業であることを認めている。
2) 衝撃的な事件であり糾弾する。
3) 殺人者とその目的に関する情報は矛盾する。
4) ホンジュラスの政治状況は緊張のあるものであり、残念ながら同国には政治暴力の強い文化がある。
5) COPINHはホンジュラス政府による天然資源の搾取に対して、先住民族の権利が侵害されたと抗議してきた。そして、Agua ZaRCA水力発電事業を繰り返し批判してきた。
6) 反対運動では暴力も使われた。ただし、これについては対立する説明がなされている。
7) この事業は、FInnfundだけでなく、オランダ Netherlands Development Finance Company (FMO)も出資しており、すべての関係者の声に耳を傾けることと、平和裏に問題を解決する重要性を強調してきた。
8) この事業を進めるホンジュラス企業DESA (Desarollos Energéticos, S.A.)はベルタ・カセレスの殺害を公的に非難している。
9) の殺害者が誰なのか公式の情報はない。犯人が正当なる裁きを受けることを望む。
10) Finnfund and FMO は出資者として、この事業と批判の間の状況をなだめようとしてきた。
11) そしてこの事業の社会・環境責任の管理の改善を先導してきた。
12) その結果、この事業と周辺のコミュニティは顕著に改善した。
13) そのため、大多数の地元コミュニティと住民がこの事業を支援している。
14) COPINHの支援者の大半は一つの村に限られる。
15) このプロジェクトに関して誤った情報が拡散されている。
16) 批判と異なり、このプロジェクトは農地の喪失や非自発的移住を伴っていない。
17) プロジェクトに必要な土地は自発的な土地の売却(売りたいと望む人たちと買い手)によってなされており、土地の権利の移譲は注意深く行われている。
18) この地域の村や住民は情報を提供され相談を受けており、Free, Prior and Informed Consent: FPICの原則に基づいている。このプロジェクトのサイズを考えるとやられないような手法である。
19) 当初いわれていた中国の建設会社はプロジェクトから撤退しており、現在はCOPRECAというコスタリカの会社が契約を受けている。この会社は地元の文化と慣習に詳しい。
20) また、批判に反してプロジェクトの事業は当初の計画から顕著には拡大していない。
21) むしろこの事業に批判的なコミュニティとの衝突を避けるために、川の一方に集中させてある。
22) そのため、コミュニティや先住民族の土地はプロジェクトに取得されていない。自然資源へのアクセスは制限されない。
23) サンプランシスコ・デ・オジュエラ市というプロジェクトが今進行している川の左岸には、先住民族のテリトリーはなく、コミュニティのいずれも先住民族の村と認識していない。
24) FINNFUNDがこの事業に参加している理由は、この事業がもつ大きな開発効果のためである。
・ホンジュラスはラテンアメリカで最も貧しい国であり、投資を深刻に必要にしている。
・Agua Zarcaは年間94GWhの電力を生み出し120,500のホンジュラスの農村世帯、つまり50万人に電気を届ける。
・この事業は再生エネルギー事業であり、ホンジュラスの二酸化炭素排出量を年間61,000トン減らす。
・グアルカルキ川流域は人口密度が低く、山がちな農村地帯である。そこにプロジェクトは建設事業により何百もの雇用を生み出し、完成後は40人の仕事を提供する。
・地元の住民は、DESAの自発的なCSR事業によって利益を受ける。改善された道路、飲料水のシステム、学校への寄付、研修プログラムなどである。また電気が供給される。
・ホンジュラスは輸入された石油に頼った電気を生産しており、このダムが完成した暁には国の財政が大幅に改善される。
(フィンランドの投資機構<同国外務省管轄>の声明より)
なるほど・・・死んでもなお、ベルタさんのお墓に泥をかけ続ける卑怯な声明ではあります。
それでも全訳したのは、ここに書かれている「もっともらしい」主張が、土地や自然資源収奪の際に全世界共通で使われている論理展開に満ち満ちているため、是非これを理解してほしいと思ったからです。
当然ながら、恐ろしく突っ込みどころ満載な「冷戦期思考」ですが、それがある程度「もっともらしく」響くぐらいに、この世界も社会も先祖帰りを遂げている…という現実こそ、私が指摘したい点なのです。(なお、再生可能エネルギーや二酸化炭素排出を総合的に考えるのであれば今更巨大ダムでもないでしょうが…。そもそもその結果起こされる生態系の破壊をどうやって持続可能だというのでしょうが…という点はまた今度。「二酸化炭素排出」の考え方がいかに世界を壊しつつあるのかについても…また今度)
より深刻なのは、これら政府や企業や投資のあり方以上に、これを許している社会・世界のあり方だという点について、あえてここで問題提起したいと思います。そして、それを可能にしている大多数の一般の私たち、それが北の側であれ南の側であれ、もはや私たちの先祖たちが長い年月をかけて闘い得てきた権利すら、その無関心によってかなぐり捨てつつある現実を、共に考えたいのです。
かつて人類は、「〜人種」「〜民族」「〜国家」のためと称して沢山の殺戮に手を染め、暴力をふるってきました。そして、それらに権力だけが関わったのではありませんでした。一般の市民もまた時に驚喜して、時に怖れから積極的に参加してきました。その背景には、多くの場合経済的な不安が心の中、社会の中に巣くっていました。「【自分たち】の生活を守る(生活防衛)」という考え方が、【あの人たち(時に人としてすら考えられなかった)】の犠牲をも可能にしてきました。その根っこには、無関心と無気力と焦りと不安がありました。その結果として起きたのは、【あの人たちからの収奪】ですみませんでした。結局のところ【私たち自身の収奪】に行き着きました。つまり、命・身体・心のコントロールを経た戦争・国家暴力への加担です。しかし、その結果得られた「富」とはどんなものだったでしょうか?そのために「守られた」ものは何だったのでしょうか?実際は、「奪う側の論理」に身を任せて自分たちの安全を確保しようとしたにもかかわらず、自分たちの守りたかったものすら差し出す結果となったのです。そして、それに気づいて行動した時には、すでに遅かったのです。権力側だけが牙をむいてきたのではありませんでした。家族や親族や隣人や、職場の人たちや、社会全体が、「非国民」の烙印を押し、不正義に対して立ち上がった人たちを時に見殺しにし、時に排除していきました。
カナリアは、環境の変化を最初に教えてくれるといいます。しかし、カナリアは一鳥もいなくなるまでに、私たち自身の手で見殺しにしてしまいつつあるのです。
そして、一ついえるのは、歴史が繰り返しているということです。
しかも、現在そのサイクルは恐ろしく短くなってしまいました。
環境や土地、人びとの権利を守ろうとすることが、どのような論理で弾圧を受けるのか…そのことは、現在モザンビークのナカラ回廊沿い地域で明確な形で示されています。これについても、別に改めて書きます。
3月11日の本日この投稿をどうしても完成させたかった理由はもう一つあります。
東電福島第一原発事故直後の「誰の何の為の開発なのか」という問いが薄れた日本ですが、今一度日本を見渡してください。「開発」と呼ばれたものが現在の日本社会と人びとにもたらした結果は何を物語っているのでしょうか?どんな未来を語っているでしょうか?特に地方は?未来を描くには、そこに「ひと」がいなければなりません。「ひとびとと社会」を中心に考えなかったハコモノ開発の行く末を、私たちは一足早く見てしまいました。
原発も作り、ダムも作り、橋も高速道路もトンネルも大量に作りました。しかし、今地方から人が消え、学校が消え、コミュニティが消え、住所が消えようとしています。せっかくの巨大なインフラが、日本各地で使われることもないままにただ劣化していっています。そして、場合によって人びとの生活・暮らしを脅かしています。まさかもう60-70年代の「開発モデル」で一度右肩上がりの経済成長が可能だなんて思っている人がいるとしたら、あまりに凄いことです。が、これもまた今後。
もちろん、日本だけの現象ではありません。
ヨーロッパ自体がリーマンショック以来劇的に経済偏重主義になり、世界中で問題投資を増やしているのです。そして、「難民危機」と呼ばれる現象によってこれはますます強まっていくことが予想されているだけでなく、実際に現実のものとなりつつあります。世界は、もはやガバナンスや民主主義や平和を重視する考え方が後退し、弱者や多様な人びとの立場に立つことが危険すら伴う場所になっていこうとそています。いや、なっていることが今回も明らかにされたと思います。
ここにあげられている共同出資者であるオランダFMOの前で抗議行動が3/8に行われました。その際には、FMOの担当者(当然女性!)がわざわざ外に出て来て要請文を受け取り、調査を早急に行うと約束し、中に招き入れようとしたとのことでしたが、そこはヨーロッパ。さすがな対応も、そんな手の内はわかってるわいと南米中心の市民たちが構わずブラジルの抗議サンバ太鼓にあわせて即興でチャントを作って唱え続けたそうです。
FMOとオランダ開発銀行に事業からの撤退を要請する声明。"Dutch development bank FMO/Finnfund: withdraw from deadly project in Honduras"
https://docs.google.com/forms/d/1XlVxcPpUAvFJxnKC3Tz-SnUNAi-czHXwwXYgwocposQ/viewform?c=0&w=1
国際女性デーであった8日には、世界中で同時抗議行動がなされました。
そして、今日も国連人権理事会とその周辺で様々な活動がなされています。
3月10日:Oral statement of Raffaele Morgantini, representing CETIM at the plenary of the Human Rights Council, where he mentions directly the need of justice in the case of Berta Caceres:
http://www.cetim.ch/le-meurtre-de-berta-caceres-ne-doit-pas-rester-impuni-2/ http://www.cetim.ch/el-asesinato-de-berta-caceres-no-debe-quedarse-sin-castigo/3月9日:The videos made by Luca during the Side event
http://justice5continents.net/fc/viewtopic.php?t=11093月11日check also FoEI Press Release:
and longer FoEI press briefing distributed today in Geneva
この他に、OXFAMもキャンペーンを開始しました。
End the violence, stop the Agua Zarca dam
(暴力を終わらせ、アグアサルカ・ダムを止めよう)
https://act.oxfam.org/international/end-the-violence
このサイトで、「
The regional Central American Bank for Economic Integration (CABEI), the Dutch development bank FMO, Finnfund from Finland, and the Voith-Hydro (Siemens) engineering partnership from Germany」の関与も示されています。
さて、ガーディアンの記事は続きます。
ホンジュラスだけでなく、ブラジル、特にアマゾンの熱帯林地域における土地と環境を守ろうとする人びとの殺害件数がうなぎ上りになり、2002年から2014年の間に少なくとも454人が殺されています。
勿論、最も有名殺害事件がシコ・メンデスの1988年事件です。
infamous murder of Chico Mendes この他、コロンビアの80人の暗殺、ペルーの57人、メキシコの45人が続きます。
この南米諸国の次に、東南アジア地域が多くの人びとが亡くなっており、環境・人権活動家にとって最も危険な国はフィリピンであり、84名が殺害、タイが21名となっています。そして、勿論これらの数字は実態を遥かに下回っている数であり、アフリカや中国、中央アジア、中東では市民社会やメディアの自由がないためにまったく状況は把握できていないといいいます。
特に、日本との関係で注目すべきは、ブラジルです。
この点については明日書きます。訳せませんが、ガーディアンの最後の部分です。
Raimundo dos Santos Rodrigues – Brazil
Farmer and adviser to the Chico Mendes Institute for Biodiversity Conservation, Raimundo dos Santos Rodrigues was shot 12 times and attacked with a machete in an ambush when returning home on a motorbike with his wife in Bom Jardim, Maranhão, on 25 August 2015. According to local reports, two assassins fired at the couple as they crossed a bridge, hitting both. Dos Santos Rodrigues died but his wife survived. He was renowned for denouncing illegal loggers working in protected indigenous reserves and had received numerous death threats for his activism. His murder remains unsolved.
ベルタさんの死が象徴していることは、限りなく深刻です。
誰かの犠牲のもとに行われる経済開発が、一人の人生や多くの生命を奪って終わるのではなく、社会・国家・世界全体のあり方(平和・民主主義・助け合いの社会/文化)までをも変えていっている現実を、私たちは311で気づき始めたのではなかったのでしょうか。
まだ皆さんに知ってもらいたい情報のみしか書いていません。
思考を深めるべき長い夜となりそうです。
TNIから頂いた在りし日のベルタさんの写真です。
A luta continua.
彼女たち、彼らの主権の闘いは、日本の、そして世界の私たちのそれと地続きであることを共に考え、行動できればと思います。