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「ポスト真実=2017年の言葉」とこの10日間と私たち

オックスフォードの「今年の言葉」は、「ポスト真実 post-truth」であった。
http://www.bbc.com/japanese/38009790
BBCの解説はこうだ。
「オックスフォード辞書によるとこの単語は、客観的事実よりも感情的な訴えかけの方が世論形成に大きく影響する状況を示す形容詞。今年6月のブレグジット(英国の欧州連合離脱)と11月の米大統領選を反映した選択だという。」

しかし、この現象は長らく日本と世界の現実であった。
ただ、加速度的に勢いを増していることもまた現実である。
この10日ほどは特にそう感じざるを得ないことが多かった。

「ポスト」とついていることの意味はサマザマであろう。「『真実』の後」をどう解釈するかは、もっとじっくり考えてみなければならない。ただ、この10日ほど、日本、ロシア、シリアをめぐるあれやこれやは、そのことを考えるきっかけを提供し続けた。そして、ベルリンでのクリスマスマークトでの出来事。

少し振り返りたい。

**

沖縄で、皆が怖れていたことが起きた。オスプレイが墜落したのである。しかし、それが「墜落」なのか「着水」なのか「不時着」なのかで、日本のメディアは忙しい。そうこうしている内に、大破した機体は日本政府の現場検証もないままに、米軍にせっせと回収されてどこかへと消えていった。

>「事実」を認定する手法を、主権者であり住民である日本の、沖縄の人びとは失ったのだ。

その直後、シリアではロシアに支援された政府軍がアレッポに進攻する最中、山口にプーチン大統領がおくれて到着したことについて、温泉に入るの入らないので日本のメディアが騒いでいる。

>NHKは、到着しないプーチンの専用機の「不在」を延々と映し続けた。さらに、重要なのは「温泉」ではなかった。なのに、「温泉」や「おもてなし」や「夕食の献立」が、より重要なものとして日本中の人びとに流布され、心をとらえた。

同じ日、米国のワシントンDCでは、オバマ大統領が今年最後の記者会見を行い、大統領選挙の結果に大きな影響を与えたという「メール問題」に、ロシア、とりわけプーチン大統領が関与していたと批判し、報復処置を講じることを宣言した。

>メールをハッキングしたのがプーチン大統領だとしても、問題になるメールを書いたのは米国民主党自身であったこと、メールの内容自体は事実であったについては、特に言及されることはない。他方で、ロシアにバックアップされた無数の「プロ・トランプサイト」が、偽情報を流し続けたことも明らかになった。その偽情報は、FBからFBヘ、TWからTWへと飛び火し、拡散されるにしたがってそれを「真実」として信じた人が増えていった。「事実」を織り交ぜた「創作」ほど、人を捉えるものはないという、いつかの誰かの指摘は、ここでも本当となった。

プーチン大統領とご一行が領土問題を一ミリも譲歩するどころか、現実には4島がロシアの主権の及ぶ範囲内であり、「ロシアの法律にのっとって共同開発」を行うこと、「日本企業はロシアに税金を払うべきだ」と言い放って立ち去った後に、なぜか安倍首相はテレビに出まくって、「歴史的外交敗北」という明らかな事実とは真反対のことを壊れたレコードのように繰り返し唱え、それがいつの間にか日本の多くに「事実」として受け止められている。そして、それを言う程に、自分でも事実だと思い込んでしまっているかの様子が観察されるまでになっている。

>心理学者らは、人間の記憶が都合よく改ざんされてしまうことを、すでに指摘してきた。しかし、ことは「個人の記憶の改ざん」ではなかった。ことは、1億人を超える人びとの一国家の過去と未来を繋ぐはずの決定的な話においての出来事だった。

>ロシア文学の最高峰の一つであるドストエフスキーが、19世紀末の小説でポリ・フォニーの手法を多用したように、「北方領土問題」もポリ・フォニー化した万華鏡模様の様態を示しつつある。ただし、これは小説ではなかった。ポリ・フォニーは平行線を辿るのではなく、ある種の決着がみられたのである。つまり、日本政府はロシア側からの談話その他を否定しないことによって、現実にはもう二度とあの4島が戻ってくることはないことが決定的になった。しかし、ポリ・フォニー的なナラティブは、国内向けのポーズとして、レコードがたとえ割れるところまで壊れたとしても、繰り返し奏でられ続けることであろう。「現実」が実体化し続ける中で。

この最中に、実はニューヨークの国連安保理で、シリア問題についてロシア・シリアを非難するかどうかで大議論が取り交わされ、英米仏独イタリアカナダは、非難声明を発表した。

>しかし、現在もG7の一員である日本はそこに名を連ねなかった。「不在」がまたしても意味をもった。
積極的に非難声明を回避したのか、ただそこに存在せずだったのかは明らかではないが、アジアの國として唯一「価値を同じくする西欧諸国のサロン=G7」に参加してきた自負をかなぐり捨ててまでの、ロシア接近であった。とはいえ、それによって日本が得たものは何もないどころか、戦後グレーゾーンとして維持してきた北方領土の主権と3000億円の経済協力が奪い取られたのであった。では、何の為の大騒ぎだったのか?今となっては、「真実」のその先の、なんとなく領土が返ってくるかのイメージのための騒ぎだように思える。

シリア・アレッポから大量の難民がバスで移動を開始したところで、バスが突然爆破されて多くが犠牲になったことが報道される。その少し前には、トルコで爆弾テロが起きたばかりであった。そして、今度はトルコの警官がロシアの大使を撃ち殺したのだった。その直後にスイスでは、モスクが襲撃にあって死傷者が出ていた。その一報に懸念が高まっていた矢先に、ベルリンのクリスマスマークトにトラックが突っ込んで、12名が犠牲になった。

>このことを直ちに「世界は怖いところだ」「難民は治安悪化をもたらす」というナラティブが、各地で家庭で語られていくことになろうが、それに抗うために最前線にいるのは「難民」ではなく、ドイツの政治家たちであったりする。これらの出来事が、バラバラの、個別の事態に見えて、根っこにおいて同じものから発せられていることについて、ドイツ人だからこそ敏感である。それは、かつてこの国の人びと自身が内に抱え、社会に抱え、世界に流布していたものだったからに他ならない。それは、「他者への不寛容と怖れ」、そして自己中心的で奢った優越感であった。

***

トランプの大統領当選を経て、「ポスト真実 post-truth」が「今年の言葉」に選ばれて、もはや世界は「真実」よりも「偽情報」の方が影響力を持つ時代に突入したという。そして今日も、様々な勢力の支援や資金を受けたアクターらが、「偽情報」であれ「特定情報」であれを流すのに余念がない。

人類は、多様な情報へのアクセスを可能とする夢のようなツールを手にしたというのに、30年が経ってみると、結局のところ人びとはそれを活かすどころか、それに呑み込まれる状態に陥ってしまった。自由と多様性を謳歌したのは一瞬の出来事だった。カネと力が、すべてを決定づけるだけの手法を手に入れたのだ。

いや、そんなに難しいことではなかった。「不安と不満と受動性」さえあれば、あるいはどこかに「負のパッション」があれば、後は火をつけるだけだったのである。いつかのドイツや、いつかの日本や、いつかの米国や、いつかの世界中でみられたアレである。「共通の敵」さえ作り出しておけば(それが「誰か」は時に変容するとしても)、既存権力は安泰なのだ。そして、スパイスとして、偽の情報と本当の情報が入り交じった薬味をふりまいて、人びとの目と耳と嗅覚と口と頭を忙しくすればよかった。

ややヤバくなると、芸能人や有名人の不祥事を垂れ流せばいい。人びとは喜んでそのネタに飛びつくだろう。そして実際、こんな沢山のことが起きた1日の後に、日本のテレビが喜んで飛びついたのは「芸能人のおしっこ」の話題だった。

人というものはそんなもんだ、というのは易しい。
そして、確かにそれはそうなのであろう。

しかし、私たち人類は、紆余曲折を経ながら、一歩前進三歩後退を繰り返しながらも、よろよろと少しずつジリジリと歩みながら、何かを学んできたはずではあった。いや、学んだつもりだっただけかもしれない?

シニカルになり、傍観者となり、批評家になることは簡単だ。
最初に悲劇が起き始めた時に、多くの人がそうなったように。
「まさか、そんなことは」「それは大げさだ」と。
しかし、気づいた時は手遅れだったのだ。

そして、私たちは「手遅れ感」の中で「ポスト真実」を生きている。こんな風に、仮想空間と現実空間が交差する、事実と虚偽がごちゃまぜになり、強い者・ずる賢い者が勝利して当然の、空間に変貌を遂げていきつつある。

21世紀的な「ポスト真実」の今。
これはしかし、いつか来た道でもあった。
「真実」を人びとが喜んで手放す時、その先に立ち現れたのは、決まって「戦争」であった。

戦争が近づいている。
その予感が胸騒ぎとともに収まらない。

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ベルリンで大惨事があった前日のクリスマス・マークトにて。

それでも日々の暮らしを諦めない。
その手触り、実感、感謝…それこそが「ポスト真実」への根本的な対抗軸だから。

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by africa_class | 2016-12-21 06:42 | 【考】21世紀の国際協力
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