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「超えられない壁」を持つ幸せについて

トランプ当選から大統領就任まで書いていなかったとは。
そして気づいたら2017年になっていた。
もはや新年の挨拶というわけにもいかないので、今年もよろしくお願いいたします。
それだって、あまりに?

年末年始と、例の本の原稿を粗稿から最終稿にするのに、本当に手間取ってしまった。病気になってから、一個ずつしか片付けられない人になってしまって、とにかく全てに時間が厖大にかかる。同時にやろうとすると混乱が襲ってくる。そういうぐちゃぐちゃの糸を、一本ずつ深呼吸しながらほぐしていくのだけれど、それがどうしてもほぐれない時もある。

ということで、140文字なら軽く書けても、ブログ一つを書こうとしても、それなりに気合と勢いが必要なために、「書こうかな」と思っても戸惑いのまま数週間があっという間に経ってしまうということが続いている。

まあ、家族がチョロチョロしていたらブログなんて書く気分じゃないというのもあるが。

本当は、新書の原稿と、翻訳の仕事を片付けないといけないのだけれど、まったく気分が乗らないので、しかも家族がいないこともあり、ブログを開いてみた。なんか書けそう?

<と書いてアップしないうちに、家族が戻ってきてしまった。「しまった」というのはないだろうが、色々事情があり、やはり「しまった」なのである。>

そもそも皆さんに「書けた!」と報告したはずの学術本の原稿…。これを最終稿にするのに、あれから数ヶ月かけてしまったのでした。

どうしてかというと、これを書くのであれば、あれもこれもちゃんと読み返さなければと思っていた本がどうしても気になって、それが講じて、私の思考(という偉そうなものではなく、試行錯誤)は、ついに1899年に遡ってしまったからでした。

この年号をいうと、アレね・・・だと思うのですが、そしておそらくイマどき?・・・となってしまうかもしれませんが、あれらの古典に潜り込んで、ああでもなく、こうでもなく考えに考えたわけです。なのに、結局のところ最後は注に入れただけで終わってしまった、という無惨な結果に。まあ、予想はしていたものの(力不足すぎて)。

もうこの本の完成を3年も待ってくれている恩師が、あれからさらに数ヶ月・・・最終稿を待たせたものだから、呆れ果てたと見えて、まあ締切がある訳でもないから、と。

これはやや信号灯った感のあるお返事で、さらに焦る。

でも、先生にはその時点では1899年問題のことは伝えていなかった。1899年から1920年代までがどうしても、すごく重要なのに、蓄積がなさすぎ、勉強不足すぎて、とにかくのたうちまわった。光が差し込んで朧げながらみ見えたものが、かすんでいく。その繰り返しで、ついに悪夢まで見るようになったので、とりあえず手放した。注にぶち込んで。

脱稿。ついに提出。
が、返事がこない。
やっぱり、あかんかった?
学生の頃からの繰り返しだが、こういう不安を感じられるのも、自分が教師という仕事を一度してしまうと、とても新鮮で有り難いことだと気づかされる。

無謀にも、最終の章では、本全体がターゲットとする19世紀末から70年代までのアフリカ史に、冷戦後を付け加えて今起きていることの現象を歴史的に振り返えってみようとした。しかし、そのためには、19世紀末を真正面から取り組み直さないと出来ない・・・のであった。

なぜ19世紀末?
それは、暮らしと活動経由で行き着いてしまった「食と農の問題」に研究でも関わるようになったことと大いに関係している。

当然、これまでだって戦争と暴力の起源を19世紀末以降の世界史・地域史に求めてきた以上、「食と農の問題」であろうと何であろうと、そこにいつも立ち返るのだけれど、最近は歴史を前提にしないとしても、やはり19世紀末の問いとそれを乗り越えようとして試行錯誤された思想の数々は、もっと参考にした方が良いと思うに至ったりました。

これらの思考の軌跡(今となっては「理論」と呼ばれる)を参照しつつ、また19世紀末から現在までの展開を考えていくとして、その際に私なりの関心事である「国家」「暴力」「民衆/小農」の光を当てていくと、何が起こるか?

それは、もう凄まじく深く広い世界が立ち現れるわけです。探究心がどうもおさえきれないほどわき起こってくるのに、これに挑むだけの能力・気力・時間があるかといわれたら、即座に回答できる。

「ない」。
ここに足を踏み入れたら、出てこれないだろうな。
でも、入ってしまおうか。

と、うろうろしているうちにお正月が過ぎて、断念=>注という情けなさなのでした。

でも、去年の半分は実は、アフリカではなく、日本の19世紀末を眺めていた。ようやく一巡したのだと思っている。

日本から南米に行って、南米からアフリカに行き、ヨーロッパを問い、そして今アジアに向かい、日本を問うという展開に。いつかこの日がくると思っていたのだけれど(それがどうしてかは思い出せない)、学術が私を導いたのではなく、先祖のある物語と、ブラジルの先住民族やアフリカ系の人びとの悲鳴によってであったということは、意外であり、予想もしていなかったことなのですが、とにかくそういうことだった。

二十歳の頃をすごしたブラジルに、日系ブラジル人の調査で一度行って以来、ずっと帰っていなかった。あの寂しさと愛をたっぷり抱えた人びとのところから脱出しないと、「人生は終わってしまう!」と真剣に思ったから。だから二度と戻らない決意だった。でも、人生とは不思議なもので、まったく違う理由でブラジルを再訪し、先住民族の年老いた女性の一言で、我に返ったのでした。

「私はブラジルを知らなかった」と。
今でも十分には知らないのだけれど。
ただ、彼女の一言を聞いた瞬間、世界史の波のようなものに、ざぶんと頭から浸かってしまったような、そんな「気づき」が押し寄せてきたのでした。

そう。それは、「支配」に関することの。
人類が「支配する側・される側」に分かれて、それが「独立」で終わらなかったことの。
そしてこの21世紀初頭の今にこそ、「支配」が強まるという逆説的な現実の。
「支配される側」の声が、吹けば飛ぶ木の葉のようにかきけされていく暴風雨の吹き荒れる空気感の。
「支配する側」の自覚的な、無自覚的な、鉄のような揺るぎのなさの。
あざけりと、救世主のような奢り。
あるいは、世界で犠牲を生み出してなお魅力に満ちた「開発のロマン」に酔いしれて?

「トランプ前後」の世界では、「旧支配者」側のコロニアリズムが急速に進んでいて、だからこそこれをどう捉えて、どう投げ返すのかという点が、ますます重要になってきたと感じている。

それが、沖縄の辺野古の人びと、アフリカの小農、ブラジルの先住民族、アメリカのパイプライン反対の先住民族、いずれの人の闘っている根っこにある問題は、まさにこの「歴史的な支配・被支配」が作り出してきた構造からディスコースのすべてまでを含む。

そんなこんなを考えていたら、先生から「読んだよ」のメール。
しかも、意外なことに、先生もまた、同じ時代に行き着いていたようで、同じ本を手にとって色々と考えていたという。といっても、レベルがまるで違う「色々と考える」な訳ですが。

そして私が日本に置き忘れて引用できなかったある著者の四巻本に取りかかっている、と。私は一巻もののことだったんですが、先生。ああ、恩師がいるというのは、なんと幸せなことなんだろう。決して乗り越えられない高いそびえ立つ壁が前にあるということの幸せを噛み締めた瞬間だった。そして、この幸福感に安住していてはいけないのだろうけれど。

それにしても冬のある季節に暮らすことのメリットを切実に感じた冬だった。去年から畑面積を広げたこともあって、春・夏・秋は本当に忙しかったから、この極寒の冬は有り難かった。依然として池は凍っているけれど、もう木々の莟が膨らんできた。マイナス5度以下が続いても、春が近づけば、木々の莟はちゃんと膨らむという自然の摂理に、ただただ感動する毎日です。

なんか支離滅裂の文章になりましたが、まあご勘弁を。
またーーー次は、意外とすぐ書けるかも?
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by africa_class | 2017-02-03 08:39 | 【記録】原稿・論文
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