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大雪と子猫の巣立ち、息子の電動ひげ剃りの衝撃とともに。

今年の冬は厳しい冷え込みで、水深2メートルの池も、ビオトープも氷が張りっぱなしだった。
ハリネズミもすっかり冬眠したようで、まったく姿を表さない。
そんな冬だが、息子が自分で電動ひげ剃りを買ってきた。

夜は零下なのに確実に春が近づいている。
鳥たちが忙しいのも、木々がふっくら莟をつけはじめたのもそれを物語っている。

ある時気づいたのは、野良猫用の飲み水を野鳥たちも必要としていること。
ドイツの田舎という意味では、ちっぽけなクラーセン家の池やビオトープであるが、この水がこの近辺を飛び回る野鳥に不可欠なものだったことを知る。

そして、寒い冬の朝に、息子がひげを剃るようになったと思ったら、二匹のオスの子ども猫たちが巣立って行ってしまった。

2年前の夏、生まれたばかりの五匹の子猫は、母猫ニャーニャによって、隣の薪小屋から一匹ずつ口でくわえられ、今は亡き義父のぽんこつBMW(35年もの…)のボンネットに連れて来られたわけだけれど(多分そう)、去勢手術の時に三匹はオスで二匹はメスと分かった。

黒と白の「バットマン」的模様の母猫ニャーニャの子だから、二匹は真っ黒、三匹はまだらで、とにかくいつもじゃれあい、仲が良く、庭や森で刈りを一緒にし、このままずっとこの子たちはこの庭で成長するのだと、いつの間にか思い込んでいた。

甘えん坊の「コブ」は、寂しくなると二階の仕事部屋に、玄関の藤棚を伝って上ってきて、二階の窓の外に座って私に会いにきてくれた子だったが、あまりに外で寝るには寒いだろうと思って夜は家で昼は外でと何日か過ごした後、ある満月の夜に戻ってこなくなった。

そして、メスの子猫たちは外の冷気を嗅いだだけで、「いいわ・・・家にいる・・・」とひるんで、「家猫」になった。母猫ニャーニャはトイレは外、寝るのは家と決めているようで、トイレはとにかく外でしか出来ない。これを尻目に、娘達はすぐにトイレをマスターした。ただし・・・庭の土を最初に入れなければならず、やっぱり土の上でしたいらしく、ある朝、小さい植木鉢の中にやっていた。しかしどうやって?!

そういえば、この家にくる前は、トイレは市販の工業製品を使っていた。
ビーズの大きな玉と下にシートを組み合わせるタイプ。
これが凄く高くて、かつゴミになるのが悩みだった。
しかもパルプ・・・森林伐採。。。
日本では、所謂「ネコスナ」がかつては人気だったが、あれは燃やせない。
猫歴30年を超える中で、色々試してきたものの、確信をもっていえるのは一番いいのは「木屑を固めたペレット」であるという結論。

特に、生ゴミと落ち葉のコンポストがあるというのもあるが、匂いの面でも掃除の面でもこれに勝るものはないとこの3年ほどは思っている。ぜひ、騙されたと思って、一度使ってみてください。猫たちのストレスもずいぶん軽減されると思う。

と、また脇道に逸れました。
3匹のオス猫のすべてが巣立ち(家出?)、息子のように可愛がった愛猫のぴーちゃん(男子)を亡くし、去年の今頃は7匹いた猫が、メス猫のみ3匹になって、色々考えたのは・・・

「人間の息子」とも、「もう長くは過ごせない」という現実。
小さい時は、早く大人になってくれないかと祈るように毎日思っていたのに!
身勝手ですね。

いざ、子猫たちで「巣立ち」を実際に経験してみて、こんな辛いものとは思いもせず。。。
一緒にすごせる時間がカウントダウンになって途端に、ガツーンときた。

「こぶ」がいなくなったのが、息子が3週間のインターンシップでアメリカにいっている時だったからかもしれないけれど、とにもかくにも、3人の家族から息子が旅立つと、こんな感じなのだというのを初めて経験して、一気に年を取った気がしてしまった。世の親もこうだったのか・・・。

救いなのか、どうなのかは不明だけれど、ドイツの学校教育のシステムでは、大学に行くにはアビトゥア(大学入学資格)が不可欠で、学校が終わった後も皆1年は自分で勉強して、試験を受けることになっていて、外国語は2つが必要で、かつ長い論文を書かないといけない。しかも、そもそもドイツ語は母語とはいえない息子にとって、なかなかハードルが高いために、義務教育の12年生を来年終えたら、別の学校で2年は勉強ということなので、3年は家から通うらしい。

ぎりぎりセーフ。
今迄、私の子どもとの関わりのイメージは、「あれもこれもしてあげたい」という欲求を、いかに引き算して、根本的に彼が必要としていることは何なのか…を突き詰めて、それを手伝うことであった。

ツレが完全に「やってあげる型」(つまり足し算ばかり)だったこともあり、私迄そうすれば追いつめるだろうと思って、引き算ばかりに集中してきた、、、、が、ここにきて少しぐらい「足し算」させてもらってもいいのかな、と思うようになった。今更なのだが。

それは、息子がこの前、色々あって疲れ果てた私に、フルコースのディナーを作ってくれたことでそう思ったのだった。すべて自分で考え、作った創作料理。

・ジャガイモと人参、パプリカのソテー
・サーモンのムニエル
・これに、庭のハーブで作ったクリームソース

16歳にして、これはなかなかのものだと親ばかながら関心した。
もう「引き算」「足し算」など考えずに、もっと普通の関係を築いていくべきだと感じた瞬間だった。ある意味、私はツレの「足し算子育て」に子どもが駄目になってしまうのではないかという恐怖を持ちすぎたのかもしれなかった。なにせ、彼自身がそういう風に育てられてきたから、それが「当たり前」すぎて、議論するにもあまりにもエネルギーを使うので、いつしか役割分担と考えるようにしてきた。

家族で価値がまったく違う親を持つ子どもは不幸かもしれないと思いながら。
でも、実際は、それが息子にとってはトレーニングだったかもしれない。
つまり、多文化共生の。
いや、共生していないか。共存?

「重い親」の呪縛、衝突が耐えない異なる価値感の親から、彼自身が軽やかに解放されつつあるのを見て、なんだか私の「親としてどうあるべきか」の問いも、もはや妥当性を欠いた押し付けがましいものなのだと感じるようになった。私もまた、解放されなければならない。いや、私こそが?

こうやって、猫の親がとっくに終えている子離れを、「人間の親」である私は、少しずつ学んでいくのだろう。いや、学んでいかなければならない。

そんなことを思った冬緩むお昼のこと。
勝手口から「たーだいまーー」と聞こえてきたので、これにて失礼。

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by africa_class | 2017-02-15 21:52 | 【観察日記】猫ママの子育て
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