畑でキャベツの悪くなった外葉を拾って、ふと思った。
ヒトは病気になった部位を自ら枯らして落として、再生することはできない。
植物やカメレオンや魚や、その他の生き物みたいには、と。
育てるまで知らなかったのだが、キャベツは尋常ではないぐらいに強い。
去年の収穫後のカブをそのままにしたら、徐々にではあるが、順々に次のキャベツを生み続けている。それだけでも、見ててすごいなーと感動もの。
だけど、キャベツが、今年大量にお出ましになったナメ様が元気な時期に喰い散らかしてた葉っぱを、黄色く干涸びさせて、ポローンと地面に落とし、本体を蘇らせていくのを目の当たりにさせられると、生命力というのはこういうことだなと実感せざるを得ない。
落ちた葉っぱが見事に黄色くしなびてて、それも凄い。
と思って見上げたら、そうだ。
落ち葉もそういうことだったね。
寒い冬の間、無駄な力を使わず、エネルギーをしっかり蓄えるために、葉っぱが自らの意志のように落ちて行く。
まるで、そのことによって母なる幹を守ろうとするかのように。
そして落ち葉は美しいのだけれど、見事に枯れている。
雨の多いこの地域では、枯れるというのもまた技術のいること。
毎日しとしと雨がふるのに、すべての落ち葉はやっぱり枯れている。
すべて当たり前のことなんだろうけれど、ただただ感心してしまう。
うまくできてることに。
自然の摂理に。
人間も自然と生き物の一部だというのに、そんな芸当はできない。
そんな風に制度設計されていない。
いや、皺がいくというのは、そういうことか。
それはそれで納得だ。
若い頃は瑞々しい細胞から、徐々に水分を取り去っていって、「枯らす」のだ。
やはり土に還っていくプロセスの一環として。
自分を見ながら、そんなことを考える。
でも、やはりキャベツを見ながら、それでも・・・キャベツや植物は別格だと思う。
とても追いつくことはできない。
生き物として。
悪くなったところを枯らして落とし、再生に力を集中させるような仕組みを、人間の細胞も日々・24時間、一瞬一秒やってはいるわけだけれど、目に見えるほどの力でではない。
そもそも、このヒトは、服や住居なしでは寒い冬を生き延びられない。
あらゆる意味で、自然の中で生き延びるには、悪い条件を抱えた生き物だ。
ただ一点を除き。
知性だ。
道具を生み出し、集団で助け合うことで、悪い条件を補うだけの知性を持っている動物。
もちろん、進化のプロセスでそうなったわけだけれど。
脳は「進化」した。
しかし、類人猿になって以降、身体はそれほど大きくは変わっていない。
つまり、依然として脆弱性を抱えて、生きざるを得ない生き物のままだ。
色々な生き物の皆さんの支えを得ながら。
そう、このキャベツがそうしてくれているように。
キャベツ(ザワークラウト)はドイツでは人びとのソールフードだ。
だから、ドイツで手に入れた種子はすばらしい生命力で溢れている。
日本でザワークラウトもドキが流行っているという。
身体によいと。
そう、キャベツは身体にいい。
だから食べる。
私達ヒトの身体に取り込ませていただくのだ。
キャベツの生命力を。
そうやって、私達の身体はつくられ、維持されている。
キャベツだけではない。あれも、これも。
それぞれの生き物が、それぞれなりのレジリエンスを駆使しながら、生命を生み、育て、発展させている中で、ヒトはその一番いい時期にいい場所だけいただいているのである。
私達は、悪い条件を抱えて生きざるを得ない生物だ。
深刻な限界を抱えている。
でも、だからこそ他の生き物に頼らざるを得ない生き物でもある。
多種多様の。
それぞれが内に秘めたエネルギーや工夫や生命力を、ある瞬間に奪っている。
多くの場合暴力的に。
そして、今となっては、無駄に奪っている。あるいは、ヒト様の都合にあわせて改変し続けている。その土地の自然にあわせて自ら変わっていく力を本来もっているというのに。
自らの弱さを抱きしめることなく、他の生命からの恵みに感謝を忘れ、自己都合で、奪うことにしか余念がない。
量が足りないからと行われる自然への大規模介入は、あるものを生き延びさせる一方で、他の多くを犠牲にする。その結果、他との関係で生命力を維持していた生き物が、人間と瓜二つの脆弱性を内包していく。
弱々しく多くのヒトの都合(科学的なもの)が込められた「野菜」や肉を、私達の胃袋に入れ、身体の一部とし、満足しているわけだが、実のところ、私達の生命力をさらに脆弱化している現実には気づこうとしない。
結果、弱った私達が助けを求めるのは、もちつもたれつでやってきたはずの生き物の仲間たちではない。
その仲間たちの生命力の一部だけを刈り取って、応用した「医療」であった。
その「医療」もしかし、ヒトに永遠の命は授けられない。
そうやって、生物界最強の知性をもったヒトのお陰で、それが包含する脆弱性が他の生き物に転嫁されていっている。
そして、今、私達の惑星・地球は、もう後戻りできないところまできてしまった。
自分たちの脆弱性を理由に、しかし素晴らしい知性を授かったことを、自分を含む自然のすべてのために生かそうと思いもせず。
私達は強欲で傲慢だ。
そして、私達が創り出した世界は、止まらない脆弱性のサイクルに入っている。
このソリューションは、さらなる「科学」だという。
宇宙だというヒトもいる。
辺りはもうとっぷり暗い。
キャベツの黄色い葉っぱの束を、落ち葉とともに森の中に運びながら、ふと地面をみる。
薄く白い何かがあっちこっちに点のようにあって、1秒おきに光り輝く。
ホタルのメスだ。
ホタルのメスは飛べないそうだ。
もはや寒さのために生き残っていないオスに、ここにいるよと伝えているのだという。
暗がりの中で、森の土の芳醇なる香りを嗅ぎながら、先は長くはないであろうホタルのメスの命の輝きを見つめながら、ただどめどもなく流れる涙を、どうすることもできなかった。
私達は弱き生き物だ。
だから、他のいろいろな生き物の助けを借りずにはやっていけない。
そのことを、どこまで本当の意味で、理解してきただろうか?
キャベツの葉っぱに教えられたある秋の日のことであった。
(2週間前に書こうと思ったこと)