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2017年 11月 09日 ( 1 )

国連人権理事会での日本政府スピーチを読み解く:「小農の権利に関する国連宣言」

我が家の庭の「楽園」について書いた途端にパラダイス(楽園)文書の話が出てきて、これはこれでどうしても書かなければならない点が多々あるのだけれど、未だ材料が十分でないので、その話の前に、前から世界的に話題になっていたことについて書いておこうと思う。

少し前に国連人権理事会で議論されてきた「小農と農村労働者の権利に関する国連宣言」について紹介した。

完成間近の国連「小農の権利」宣言、そしてモザンビーク小農の異議申し立て

http://afriqclass.exblog.jp/237279049/

7月に忙しい中投稿していたので、肝心の日本政府の対応を調べる余裕もなく、しかし後日、日本を含む世界中の仲間たちから「日本どうなっての〜!」のお叱りを受けて、びっくりしたのだけれど、なんと第4回会議が開催された5月15日(19日までジュネーブで開催)の冒頭に、こんな意見を表明していた。。。

第4回会合の詳細サイト
http://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/RuralAreas/Pages/4thSession.aspx

「議長殿、政府代表の皆さま、同僚の皆さん、そして市民社会のメンバーの皆さん」で始まる日本政府代表のスピーチ。

おや?…と思ってくださるのであれば本望。
最後にとって付けたようであるものの、しっかり「市民社会のメンバーdear members from Civil Societies」と述べている。これは、しかし、日本政府が特別なのではなくて、国連人権理事会という場、さらにいうとこの「小農権利国連宣言」が市民社会主導で…いや、もっと正確にいうと、小農自身が集って結成されている小農運動が主導する形で、国家間協議のテーブルの上にのせられ、ドラフト案まで辿り着いたという背景を知っていれば、当然すぎるかもしれない。むしろ、「同僚の皆さん」は不要で、先に「市民社会のメンバー」がおかれるべきだった。

日本政府代表は、最初に、議長に再度選出されたボリビア大使( Nardi Suxo Iturry)にお祝いを述べた後、次のように表明したのであった。(なお、この間の国際協議の場での中南米諸国の政府代表の重要な役割については、前に少し書いたけれど、また改めて書きたいと思う)。

「日本は、
人間の安全保障の観点から、小農や農村で働くその他の人々の人権を擁護し、それを促すことは極めて重要であると信じております。日本は、ODA(政府開発援助)のトップドナー(援助国)であり続けてきました。2013年を限っても、656百万米ドル(約745億円)がこの分野で拠出されています。農業・農村開発分野のトップドナーとして、日本は国際的に重要な役割を果たし続けます。

同時に、日本はこの宣言ドラフト全体に対するポジションを留保します。我々は、国際社会によって人権だと現在認識されるに至っていない、未熟な点が含まれているために、この宣言が適切ではないと考えているからです。

より重要な点として、小農やその他の人々の権利を守るためには、新しい宣言文をドラフトするよりも、すでにある人権メカニズム(human rights mechanisms)をより効果的に活かすべきだと、我々は確信します。

終わりに、私は、日本はあなたの努力に対し感謝を申し上げます。農村に暮らし働くすべての人々の人権状況の改善に向けて、この政府間ワーキンググループが、今週(の会合で)意義のある前進が得られることを祈っています。ありがとうございます。」


以上、下記サイトから筆者が仮訳。
http://www.ohchr.org/Documents/HRBodies/HRCouncil/WGPleasants/Session4/Japan-GeneralStatement.do

さて。多くの皆さんは、このスピーチに何ら問題を感じない?
丁寧だし、議論したらダメだとも言っていない。むしろ前進せよと言っているように思えますよね?
国際場裏におけるスピーチは、とにかく仰々しく、互いに褒めちぎり合いながら、しかし微妙な言い回しで、Yes, No, but....が展開される。

やや飛躍するが、私が修士課程で国際法を勉強した冷戦「終焉」直後の1993年(なんと24年前…)、担当教授が、国連の議論や国際法を一言一句訳をさせ、1ヶ月が経過しても、一つのマテリアルも読み終わらないので、イライラして、「センセー、この授業は英語の授業ですか?それとも国際法の授業ですか?」と喧嘩をうったことがあった。今思うと赤面だ。しかし、当時赤くなったのは先生の方で、タコみたいに真っ赤になって何かを口にしようとして、黙り込んでしまった…。

先生、もう30年近く経ってからでスミマセン。
本当にごめんなさい…。

一つの単語をどう訳し、どう理解すべきか否か。
各国代表の本音はどうなのか。
それがどのように国際法の制定過程に影響を及ぼすのか。

それを先生は気づいてもらいたくてやっていたと思う。
でも実質的な中身の議論をしたかった私は、前期の半年をかけても全容が掴めないことにイライラしぱなっしであった。しかも、受講生は2名のみ。

でも。その後、国連PKOの仕事をして、国際法や憲法や選挙法やその他の法的な手続きの文書を実地で読まざるを得なくなり、かつ修士論文を書くにあたって、国連総会や理事会での議論を追っていくうちに、これらの微妙な言い回しをどのように理解するか否かは、国際的な方向性を決めうる大変重要なことであったと気づかされるようになった。

今でも、先生に詫びながら、国連文書を読んでいるのだが、先生はそんなこと知らないだろう。国連のシンボルカラーの薄いブルーに諭されながら…。

この間、しばらく国連の議論や国際法から遠のいていたのだけれど、何を想ったのか、去年『植民地と暴力』という共著本を書いているときに、またそこに舞い戻ったのであった。(来年春に出るであろうこの本をお楽しみに。)そして、そこで取り上げた国際法のテーマとは、奇しくも、あの時読んでいた分野のものであった。そして、それは知らず知らずのうちに、私の人々と世界との関係の見方に、大きな影響を及ぼしていたのだ。

おそるべし、タコ先生。。。

さて、話を戻そう。

上記の日本政府代表の言いたい事を箇条書きにしてみよう。

1)日本は外交上の儀礼を熟知しており、ちゃぶ台ひっくり返すなんてことはしません。
2)しかし、小農たちの権利守るのに、宣言文なんて要らないじゃん?
3)そもそも、このドラフトに書いてあることは人権の概念といえないんじゃない?
4)大体、日本はこんな宣言なくったって、小農のこと一生懸命考えて支援してるからさー。
5)第一、日本は世界に冠たるトップドナーなんだから。
6)何度でもいうよ、「ト・ッ・プ・ド・ナ・ー」。わかった?
7)こーーーんなにお金使ってるんだから。なんせ745億円だから。
8)そんな巨額の援助、どこの国がしてるってーの?
9)小農支援とはいわないけど、農業と農村開発にね。
10)それぜーーーーんぶ、日本が提唱している「人間の安全保障」がらみだって思ってね。
11)「人間の安全保障」は人権のことなんだから。
12)要は、この宣言文、賛成しないよ。
13)とりあえず考えておくけどさ。
14)反対も賛成もしない。勝手に議論すればいいけど、でも口は挟むよ。

まあ、大体こんなところ?
やや言葉遣いが荒いことはお気になさらず。

出席していた小農や市民社会代表はそんな風に聞いたわけなので。もちろん、小農や市民社会代表といっても、もう何年も何年も国連の会議に出ているし、スピーチもする。国連トークはこなしている訳で、儀礼とか丁寧さとか外交チックな口調とか全部排除すると、真意はこれだと読み取ったわけです。で、びーーーくりして、どうなってるの?・・・と。

5月のスピーチから数ヶ月がさらに経って、日本は、表明したとおりの路線で、このワーキンググループを継続させ議論を前進させることについては・・・「棄権」した。米国などが「反対票」を投じる中で、最悪の選択肢をとらなかったということで、安堵はされている。

しかし・・・。
私は、このスピーチに、この間プロサバンナ事業でみられた日本政府やJICAの姿勢の、すごく本質的なものを見出してしまい、なるほどなーと思ったのであった。

(プロサバンナ事業ってなんじゃ?の人はこちらを)
http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/advocacy/prosavana-jbm.html

モザンビークの小農がJICAに「通じない」と感じている問題が、このスピーチに明確に込められている。すごーく分かりやすく、乱暴にまとめると、小農たちは次のようなことを疑問に思っている。

ア) 小農支援だとかいってるけど、小農やその運動に対して何をしてきたのか?反対する小農らの力を削ぐためにせっせと援助してきたではないか?カネで言う事をきかせようとしたではないか?

イ)小農の権利を守る、支援をするためとかいいながら、日本のコンサルタントが、遠いどこかでその方策を勝手に考えて書いたりしてるんだ。ちょっと農村を訪問して、ちょっと意見を聞いて、それで自分たちの頭が理解できる枠組みでしか書けない、リアリティから遠く離れたものを、どうして上から押し付けようとするんだ。

ア)については、『世界』の2017年5月号に詳しく書いたので、そちらを読んでいただければ。今、オンライン記事を準備されているとのこと。岩波書店、本当にありがたい!

イ)については、根が深い。もちろん、開発援助という枠組みが内包するコロニアルな前提が、如実に出ているのではあるが、それだけではない。JICAのいう「マスタープラン」なるものが、戦前の満鉄調査部の人物・経験に結びつきながら現在の日本の開発援助に脈々と受け継がれてきたことを、私たちはどの程度意識化できているだろうか?・・・という問いなのである。

このことはいつか研究書として、読み物として、まとめたいと思う。

日本から、あるいは開発援助産業の人達からみたら、モザンビーク北部の小農は貧しく、教育を受けておらず、支援を授けてあげなければならない存在に見えるかもしれない。しかし、彼らが生きてきた現実、そして彼らが日々直面する現実、さらには彼らがそれを乗り越えようと様々に工夫する創造力豊かな試みを・・・つまり、「援助の対象者」としての小農ではなく、「モザンビーク国の主権者の一員であり、社会変革の主体」としての小農を、本当に受け止められているのだろうか?

モザンビーク北部の「小農支援のため」と称して費やしてきた何十億円もの日本の資金は、彼らが彼らの国で主権を発揮でき、自分の力で政策を変えるだけの支援となってきただろうか?

むしろ、彼らの自発的で主体的な抵抗の力を弱め、剥奪し、彼らの権利を侵害し続ける政府の側を強化することに役立てられてこなかったろうか?

日本のコンサルタントに支払われた膨大な額(十数億円に上る)のことはさておき…。そのような巨額の資金が小農運動にあれば、一体何が出来たであろうか?

日本政府が立場を保留した「小農の権利国連宣言」の根幹には、まさに「小農のことは小農が決める」という基本理念がある。しかし、この根幹こそが理解されないまま、現在に至る。

プロサバンナ事業のマスタープランの最新版(Provisional Draft)には、3カ国市民社会が掲げてきた「農民主権」が言葉としてはいっているが、これが驚くほどに「主権」概念に根ざしていない。相も変わらず、「やってあげる」「これはしていい」調のテキストが延々と続くのであった。

援助関係者が「モザンビーク小農のために、小農のことを、『専門家として』、代わりに一生懸命考えてあげる」ことが、いかに彼らの権利を侵害しているかを理解することは、どうにもこうにも難しいようだ。

それは、私たちの国で私たち自身が、戦後70年以上も憲法に掲げてきた「主権在民」の精神を、本当の意味では理解せず、具現化してこなかったからに他ならない。

そして、苦難に直面する中、小農や農村に暮らす人々、土地をもたない人々自身が高らかに表明しようとしているこの権利宣言に対し、私たちの国は「立場を留保」し、「棄権票」を投じている。

しかし、国連総会での採択まで、可能性は残されている。
私たちは今一度、自覚的に考えるべき時を迎えている。

南の国々の人々や日本の農家に対する政策立案者・実務者・「専門家」・エリート、そして都市住民の意識の根っこにある傲慢さを。そして、私たちが「食べさせてもらっている存在」であるということの現実認識と、農民存在へのリスペクトのなさを。

このことを共に考えるには、たった2つの問いだけで十分。

「あなたは、今日、何を食べましたか?」

そして・・・
「その食べものは、どこの誰の、どのような苦悩と祝福を受けながら、あなたの命を支えているのですか?」


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追伸:
前回に引き続き、ブラジル・セラードでアグロフォレストリーを実践する女性の写真を。
なぜなら、これこそが現在に続く日本の小農への態度の原点を示しているから。

つまり、日本は、セラードを「不毛の無人の大地」と呼び、自らが必要とする大豆生産のために環境・地域社会を犠牲にすることを厭わなかったから。そして、その「成功」をバネに、モザンビークでのプロサバンナ事業が経ち上げられ、その後の混乱が生じてきたから。この話は、また今度。。。



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by africa_class | 2017-11-09 05:05 | 【国連】小農の権利宣言