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カテゴリ:【大学】国際ボランティア論( 11 )

国際ボランティア論受講生へのお返事(4)~批判に終わらずオルタナティブ(おもしろい事)をどんどんする

明日はゼミ合宿なものの朝は比較的ゆっくり目なんで続きを書きます。
人として生きる際に考えるべき、What and Whyの次のHowの続
きです。How の中に、市民社会の一員としての自覚の話がありまし
た。それは、ボランティア論を考える上でも、生きていく上でも、当事者
論と同様に非常に重要なポイントだと思います。
 私はかつて大洪水があったモザンビークの被災者の方々の支援の
ためのNGOを設立し、シングルマザーの支援を行っていました。当時
博士課程の学生で、妊婦・・・関西に住んでいました。いろいろ限界は
あったものの、阪神淡路大震災のボランティア仲間たちが手伝ってく
れて140万円ほどを集めて現地の友人とともにサポートをしていまし
た。大きな金額ではありますが、現地で何かやろうとすると限界のあ
る金額でもあります。
 そんな最中、日本が何十年にわたって供与した農薬が野ざらし、
雨ざらしになっているという情報を現地NGOから得ました。調べて
みると、戦争中に戦争が最も激しい地域に向けて出荷されている。
しかも同じ農薬が何年も同じ額だけ送り続けられていました。年間
10億円近くのお金が何年も。
 140万円の直接届ける支援も重要。でも、それでサポートできるの
は10世帯未満。一方、この数百億円もの税金による「国際協力」を
正し、人々の役に立つように変革できればどれほど多くの人をさぽー
とできるか・・。そう考えたのです。
 当時は、アドボカシー活動という言葉が日本で定着していなかった
時代です。これについて取り組むことは正直言って躊躇がなかった
わけではありません。しかし、モザンビークに関わっている数少ない
日本人の一人として、またすでに国際協力を仕事としていて政府に
問題提起すらできない人たちと比べて自由である身として、何もし
ないという選択肢は自分の中ではなく、またやるからにはこの援助
を変えるところまでやらないのであれば、家族のためにも意味がな
い・・・と考え、相当やりました。結果、日本の援助の歴史において
かなり珍しい出来事とされているのですが、農薬援助そのものを
ストップさせることに成功しました。(世界中に対するもの)
 その後、問題は農薬援助、農業援助というカテゴリーのものだけ
でなく、対アフリカ政策でもある・・・と考え、今度はアフリカ政策を
本当にサポートを必要としている人たちの役に立つものに変えるた
め、TICAD市民社会フォーラムを立ち上げました。これも、大変で
したが、業界的にはかなりの成果をあげることができました。
 しかし、政府の担当者が変更になる、与党が変わる、マスコミの
関心が下がると一緒、市民社会がしっかり協力しあい続けない・・
などの理由で、せっかくの「成果」も元通りになったり、現場そのも
のには大きなインパクトを及ぼせない現実を目の当たりにしました。
 2009年で団体を閉じるまではとにかく頑張り続けるしかなかた
のですが、それ以降に「国際協力」あるいは「アフリカ」について
私が決断したことは、これからはODAにあまり付き合っても仕方
ない。もっと自分が信じる、オルタナティブをどんどん実践して、
新しい方法をみせていけばいいかな、と思ったのです。
 そのときのキーワードは、「おもろい」かどうか。なぜなら、おも
しろいことには人は参加したがるからです。そして、そこにマーケ
ットがあることを意味することが多いです。以来、せっせといろいろ
な形でオルタナティブを、国際協力についても、日本の社会問題
についても、示してきたつもりです。
 この話はまたしっかり描きますが、政府の監視・提言は不可欠
です。しかし、このようなオルタナティブづくりがあってはじめて
バランスがとれるのではないか、と思いました。
 反対もするけど、新しいものを創りつづけていく。それこそが、
社会変革の原動力になりうると、今は思っています。
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by africa_class | 2012-01-21 00:29 | 【大学】国際ボランティア論

国際ボランティア論受講生へのお返事(3)~どう生きるのか?国家、市民社会と私たち、そして地球・世界

なかなか続きが書けない毎日ですが、この時間は津田に向かっていた
時間なので(授業は終了!)、続きを書いてみます。なおレポートです
が、後から届いた4年生を除き、来週木曜日までには教務に届けられ
そうです。なお、授業アンケートですが、教務でやることは不可能なの
で不要と言われました。でも、それだと皆の授業のご批判・感想聞けな
いので、各自手書きでもいいので書いたものを(無記名でOK)、教務に
預けてくれますか?(これについては伝えておきます)本務校では、アン
ケートはウェブ上でするので失念し申し訳ない。

さて、What and Whyまで来ましたね。
最後の皆さんとの授業で書いてもらったVision&Missionじっくり見せ
てもらい、皆さんが何故この授業を取ろうと思ったのか、最後まで取り
続けたのかがよくわかりました。とってもいいVisionをもってますね。お
そらく、恥ずかしくて言葉にしたこともなかったと思いますが、夢や軸を
持って生きていく素晴らしさを実感してもらえれば。Missionはまだまだ
かなり考えて、行動していく必要がありそうですね。
 ●人として、●女として、●学生として、●社会の一員として、●団体のメン
バーとして、●職業人として、●ボランティアとして・・・多面的な自分を意
識して、それぞれ書いてみて、そこに人生のどの段階でやるか入れて
みると将来計画づくりに役立ちます。わがゼミ生はこれを年に2度やる
のですが、就活組は混乱中・・・・そして、留学組は空白が・・・。そういう
ときどうするか?動く!しかないのです。どんどん動いて、人と話して、
それからでいいと思います。ちなみに、VisionもMissionも将来計画も
常に変わるものです。私の人生もかなり行き当たりばったりなんで、そ
の点は念頭においてください。
 ここまでくると、後はHOW、When、Whereです。恐らく、Howが決
まるとほかが決まってくるので、Howだけ書きます。

 人生の指南書であれば、ここで「国家」の話はしないでしょう。まして
や、日本であれば「市民社会」については言及しないことが多いでしょう。
でも、Visionをよく眺めてみてください。そのVisionを本気で実現した
ければ、自分や自分の周りだけでなく、自分の職場・学校・近所だけで
もなく、国家や世界とどう関わるべきか・・が重要になってきませんか?
 多くの学生が将来構想としても関心事としても国際協力をテーマにも
っていることもあり、国際協力とボランティアを重ねあわせて考えてい
ましたね。結局、国際協力を国家マターとして捉え直した人も多かった
ですし、いや、国家やボランティアは誰がやるかの違いだけという人も
いました。開発援助(ODA)という巨額のお金、青年海外協力隊とい
う大規模「ボランティア集団」がいるために、国家とのかかわりは無視
できないほど大きく、その部分は「ボランティア論」から考える必要はな
い、という結論を出した人も多かったです。
 本当に???
 そもそも、「国家」とは何ですか?「国家」とは誰ですか?この「国家」
なるものを動かしているのは誰?その権利を有するのは?
 [「国家」=「政府」/「与党」「政権」etc=我々から遠いもの]
としていませんか?主権在民のこの国の一員であり、民主主義国で
あれば、「国家」もまた私たちが構成し、支えているものではありませ
んか?
 もちろん、実態としては(ファンクションとしては)、そうなっていません。
「国家」=権力であり、私たちは主権者とはいえ、強固な権力構造を前
に大多数の想いが届かない現実を日々目にしています。福島原発事
故とその後の不条理、Bad Governanceがそのことを明白にしてい
ます。(詳しくはツイッターでsayakafc@)。
 このような「国家の暴走」に対して、国民国家体制を早くに構築した
ヨーロッパでは、「市民社会(あるいは社会)」がそれに対抗するもの
」として考えられてきました。あるいは、国家の中に、「政府」と「政府
に抗する社会」が含まれてきたのです。(ちょっとややこしい話です
が、またじっくり書きます。)
 日本では、しかし、「市民社会=社会」と考えている人は少ないで
しょう。アフリカでも同様です。私たちは自分たちを「市民」と自覚し、自
分たちの社会を「市民社会」と認識しているでしょうか?おそらく、否で
しょう。それは、「抗国家性(国家に抗う気概・力)」が日本の市民にも
社会にも著しく低いからです。主権在民であるにもかかわらず、自分
の権利、自分の責任(義務ではなく)に目覚めている人は稀です。それ
に基づいて行動している人はさらに稀。そういう人たちは、すぐさま「反
政府」と名付けられ、家族・社会・仲間から白い眼で見られます(ある
いは見られると思いこんでいる)。
 だから、日本の社会はこうなってきたのです。世界でも。でも、多くの
国・地域で、今変革が起きつつあります。そして、このように変革を呼
び込み、歴史を結局動かしてきたのは、人々の気づきだったのです。
植民地支配が当たり前だったアフリカで、黒人は白人と同じトイレに入
れなかった合衆国で(いずれもつい40-30年前)、女性に参政権がな
かった世界で、現在そのどれもが「ありえない」ことになっているとした
ら、それはそれに異議を唱え、行動を起こした人たちがいたからです。
●自分の置かれている構造的抑圧状況への気づき
●自分の持っている権利への目覚め
●それに気づいた者同士の共感、連帯と行動
●社会が変わる
こそが、エンパワーメント論の創設者ブラじるのパウロフレイレ(『被
抑圧者の教育学』の著者)
 逆にいうと、気づかない、気づいても気づかないふりをする、つなが
りあわない、行動しない・・・私たちの日本では、結束が固い権力構造
に対して、ふけば飛ぶような存在です。権力やお金を握っている人た
ちには、それを守る理由があり、守るための資源もあり、日々それを
一生懸命する余裕があります。多くの人たちにとってそれこそがJO
Bなのです。それに対抗しようとすれば、ごく少数者のばらばらの動き
では不十分極まりないですね。
 市民社会とは、「ばらばらの市民の構成する社会」という意味もあり
ますが、欧米では、Civil Societyという場合、「市民が集まって作る
集団・組織(NGOやAssociations、ボランティア団体)、労組)の
集まり」として認識されることが多いです。さらに「抗国家性」を重視し
て、メディア、野党を入れる人も多いです。「非国家性」を重視すると、
犯罪集団も入れる人が出てくるのですが、それはここでは脇に置き
ましょう。
 つまり、Civil Societyとは、市民が互いにつながりあって、国家を
監視したり、よい方向に導いたり、自分たちのために役立てたりして
いる「場」なのです。何が言いたいかというと、市民同士がつながり
あって初めて意味を持つのが社会であるということです。また、社会
そのもの、権力そのものを変えようとしてはじめて、「市民」になると
いうことなんです。
 まあ、これは勝手な定義ですが、多くの皆さんが、ボランティア(個
人)とボランティア団体(NGOやNPOなど)を混同する傾向がありま
した。そして私は自分の活動をボランティアと呼ばないと書きました。
その理由を書きます。
 社会、地球、国家の抱える課題が目の前にあり、国家が暴走して
人々を傷つけ続けて、既存の市民社会が何もしない状態にあるとき、
「気づいている」市民の責務として、問題提起し、仲間を募り、連帯
し、市民社会の一員として行動するために立ち上がることは、あたり
前の行為であって、さらにいうと「奉仕」や「無償性」の論理とは交わ
らないことだからです。
 また、「お互い様」というのはそうではありますが、それも違和感が
あります。むしろ、国家の暴走に対して、一市民としてこれを放置し
てしまっては、もっと酷いことになること・・・を危惧しての行動といえ
ます。となれば、自発性・公共性については確かにそうなのですが、
ボランティアという言葉の響きにはない「抗国家性」を考えると、私
の行動は、市民社会の一員としての行動に他ならないのであって、
それをボランティアとは呼べない・・・と思うのです。否、ボランテ
ィアと呼ぶと、本質と問題を見失ってしまいます。
 国家に無批判な一方、国家がやるべきなのにやらなかったこと
を「ボランティア」が肩代わりし続けては、社会はより悪い方向に
行きます。市民として、国家の在り方を正していきつつ、国家の
補完のためではなく、社会のやるべきこととして当事者によりそ
うことが、あるべき姿ではないか・・・と考えています。国家に無批
判な「奉仕」は、結局、目の前の人をその時ヘルプできたとしても
同じような苦労を抱えた人を再生産し続けることに加担しかねま
せん。だからこそ、当事者とともに社会を変える(その意味で我
われも当事者である)ことこそ、必要だと思っています。
 だから、私は「国際ボランティア論」を教えることに躊躇があり、
市民の活動を「ボランティア」ともう呼ばないのです。もちろん、み
なさんがどう考えるか、どう定義するか、どう呼ぶかは自由です。
ただ、皆さんには、ただ「個個人でばらばらにボランティアをやっ
て、何かやった気になる」のではなく、市民社会の一員として、他
とつながり、あるいは他とつながるための団体を立ち上げたり・・・
していってほしいな、と思っています。
 (ちなみにNGOをつくるのは簡単です。またこれについては説
明しますね。私の周りには団体作りに励む若者急増中。今日も
某団体の企画書チェック。批判ばかり書いたけどダメだからじゃ
ないよ。よくなると思ってだよ。そこ誤解なきよう。)
 ということで、Visionを実現するためには、まず一人一人が「気
づく」ことが重要であり、「目覚める」必要もあり、かつ「つながって
いき」、「行動につなげる」・・・というプロセスがくっついてくるという
話でした。何か団体作りたくなったあなた。やってみたら?
 ちょと時間がなく、これから福島乳幼児妊産婦にーず対応プロ
ジェクトのMTGなんで(すでに遅れてごめん)、また読み直してわ
かりづらい点は補足しますね。<=無事終了!首都圏チームの
来年度計画を立てました。
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by africa_class | 2012-01-19 13:21 | 【大学】国際ボランティア論

一人一人が自分の身体と命の主人公(当事者)になる:「生きる」ことの根幹と多面性

今回は、脱原発世界会議の報告ツイットでも紹介した被ばく医師の
肥田舜太郎先生(95歳)の一言を考えてみたいと思います。
 「逃げられない人はどうするか?自分が自分の健康の主人公にな
り、ひたすら自分の身体の免疫を強めること。早寝早起き、睡眠、労
働、遊び、Sexを節度を守って行うこと」
 この一言の中に、私が3・11以来学生の皆さんとやり取りをしてき
て持ってきた違和感の謎がやっと解けた気がします。つまり、皆さん
は、「日々の生活、あるいは社会の当事者」としての自覚も薄いよう
ですが、「自分の身体と健康、命の当事者」としての自覚も薄いの
ではないか・・・ということについてです。
 3・11の夜、私たち家族はNHKラジオで福島原発の事故を耳にし、
その夜のうちに避難を決めて翌朝西に向かって出発しました。その
際、近所の人にも、ママ友にも、学生にも、卒業生にも、友人たち
にも声をかけて皆も避難するか準備するように提案しました。多くの
人は特に心配せず(政府やテレビ、専門家が大丈夫と繰り返すの
で)、そのまま東京に残りました。もちろん、それはそれぞれ事情が
あるでしょうし、私たちは恵まれていたからそれが出来たということ
も可能でしょう。また、逃げるだけでなく、内部被ばくがまったく重視
されていない時期ではありましたが、内部被ばくの問題を伝え、少
なくとも雨に濡れないように伝えました。(ちなみに私は関西に避難
先を3月21日には立ち上げ、学生の避難も呼びかけました)
 何人かの学生は全国に避難しましたが、大多数の学生たちは
都内に残りました。 驚くべきことに、内何人かの学生は、「雨にず
ぶ濡れになった~」あるいは「行くとこないから仕方ないよね~」
「どうせ逃げられないし」「子供が変になっても仕方ないもん」、と
言ったり書いたりしていたことです。そして、今回津田の学生のコメ
ントの中にも、「しかたないし」という一言がありました。
 最初は報道をうのみにしているのかな・・・と思ったのですが、途中
から気づいたのは、彼(女)らが、自分の健康・身体にそもそも関心
が弱い・・・ということでした。いえ、自分を大切に思っていない可能
性について気づいたのです。また、これらの学生に共通の傾向とし
て、問題を「人のせいにしがち」という側面も見受けられます。ただ
し、私の周りの学生ですから、何か活動などはしている学生たちで
す。でも、こと自分の健康・食べるものにあまり興味がない。
 肥田先生の一言でわかったのは、「自分の健康の主人公になる」
という考えがそもそも念頭にないこと・・・がその理由の一つなんじゃ
ないか・・ということです。
 自分の命(健康・身体)の主人公にならずに、生活や社会の主人公
になることは難しい・・・肥田先生の一言は、ここのところ実践面で
とっても逆転していた私にも痛いbut有難い一言でした。
 日本では、「自分を大切に」というと、すぐ「自分の気持ちを大切に」
と誤解されることがあり、本当はどうにでも転びかねない「自分の気
持ち」を後生大事に、ああでもない・・・こうでもない・・・と悩みドツボ
にはまって出られなくなる人が多いのですが、むしろ、「自分の命
を大切に」と言い換えた方がいいかもしれないですね。
 なぜなら、「自分の命が喜ぶことをしよう」とすると、おのずと自分だ
けをベースに考えられなくなるからです。また、ただ座っているという
こともできなくなります。そして、社会や環境のことも気になってきま
す。隣人のことも。
 「ただ健康にいいことをしなさい」・・ということではなく、「自分の命の
主人公になる」ことによって、「自分の生活・人生・周りの社会や環境
の当事者になる」ということなんです。
 そして私・・・ここのところそれが疎かでした。はい。確かに私の
モットーは以上のようなことだったはずが・・・。
 今日こそは、18時までに家に到着してゆっくり夕食にします!とい
うのも、家には、「大地を守る会」http://www.daichi.or.jp/の食
品が待っているからです。お正月海外に行っていたため家に食材が
なく、近所のスーパーで買っていたものの、おいしくなく、またどこの
誰がどう作っているのか??という疑問が湧きすぎて、どうしても料
理のやる気が盛り上がらず、かなり手抜きな毎日でした。これが体
調を崩した理由の一つ。(あとはもちろん、睡眠不足!)
 同会とは、1997年よりかれこれもう15年のお付き合いに。「肉を
食べない野菜がごちそう!」な私には欠かせないもの。そして、自分
で野菜を庭で自給するようになってからは少しのお付き合いだったの
が、庭で作れなくなった2011年3月からまたずいぶんお世話に。
当初は放射能測定をしていなかった同会も、今はしっかりとした体制
を整えており、子供向けの野菜セットなどを販しています。
 なんといっても、この団体は、消費者と生産者をつなぐばかりでな
く、食を通じて社会を変えようとしてきた団体。加藤登紀子さんのお連
れあいだった藤田さんがつくった団体。実は、現在の家のすぐそばの
倉庫での野菜販売が最初だったそうな。長年にわたって、原発にも
反対してきた団体でもあります。
 「生きる」ことは、このようにも多面的。
「ボランティア活動」というある日・ある時間・ある場所というある種
生活から切り取られた枠の中ですることよりも、「生きる」ことから
派生する様々なことを一主人公(当事者)として取り組めば、それ
は自分の命にも、社会にも、環境にも喜びを与えられるんじゃない
かと思います。(ボランティアするなという意味ではなく、生活の
一部として当たり前にやればいいという意味です。東北に行くのも
当たり前に週末行って、あるいはまとまった休みを取っていけば
いいということです)
 ということで、「どうせ仕方ない・・・」の皆さん、自分の命にもっと
注目してみましょう。耳を傾けてみましょう。免疫というものはすば
らしいもので、こちらの呼びかけに応えてくれるものなんです。
(応えてくれないほど免疫さんを困らせると私のように甲状腺の
病気が悪化したり、風邪をひいたりします。)
 肥田先生、ありがとう!

 そして、これは家に帰る途中に思い出したこと。HIV/エイズの
感染についても、皆さん刹那的です。「たぶん大丈夫だろう」
「かかっていたとしても仕方ない・・・」「怖いから調べない」という
気持ちになっていませんか?日本では、新規HIV感染者が増え
続けています。
http://redribbon.yahoo.co.jp/know/02.html
 誰がHIV感染者かどうかは分からない中で、まずできること
は自分の身を守ること。そして、自分が感染していないか調べる
こと。していなければ今後はとにかく身を守ってください。感染し
ていれば落ち着いて、もはや死ぬ病気ではないので早めの対応
を心がけてください。早めに知れば、症状を軽くするための免疫
強化などたくさんのことができます。
 死なない病気とはいえ、かかってしまえば大変な苦労です。
とにかく防げるのに何もしない・・・ということはないように!!
タバコを吸っている人は、それもまた問題外ですね。生きたくて
も生き続けることができなかった2万人以上の人の無念を胸に
禁煙がんばって。
 なお、一人で禁煙できないものです。禁煙外来というのが大き
な病院などにあるので、専門家とともに頑張ってみてください。
私の父はヘビーな喫煙者で、肺がんになっても平気さみたいな
ことを豪語していた医者でした。でも、肺がんになってからは、
本当に心身ともに弱って、退院後も寝たきり・引きこもり状態で
す。今では「なんであんなに吸いたかったんやろう・・・」といい
つつ、取り戻せない健康を、人生を嘆いて、毎日死にたいと
しか言いません。まだ72歳。ドイツの「義父」は71歳で家の
ローンを組み、現在97歳で一昨年ローンを完済。人はそれぞ
れ違いますが、「どう生きる」のか・・本当に重要と思います。
 以上のことは、特にHIVエイズの感染予防については、大学
の授業のすべてで口を酸っぱくして言ってきましたが、津田で
は言うのを忘れてました。教師の仕事だと思っていってるんじゃ
なくって、人生の先輩として言っています。その点誤解なく。
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by africa_class | 2012-01-16 17:43 | 【大学】国際ボランティア論

国際ボランティア論受講生へのお返事(2)~何のために生きるのか?Vision&Mission

日本に月曜夜に到着したものの、ドイツやポルトガルで毎日走ってた
のが嘘のような余裕のなさ。1年間続けた雑誌のコラムの最終稿、ウ
ェブ上の原稿、英語本の校正・・・どれも冬休み中に片付けるつもりが、
今年は卒論・修論ともに数が多く、離ればなれの子供とじっくり過ごし
たため、さらには「義父母」の世話もありまったく手つかずでした。
 でも、続きをどう書こうかな・・・とずっと考えていました。書きたいこと
がはっきりしていても、相手伝わるように伝えることは難しいからです。
皆さんのguessを一読してもらえればわかると思いますが、同じ年頃
の同じ大学(都内私立女子大)の女学生onlyとは思えないほどの
バラエティ。言葉で伝わるのはどうせ30%だということなんで、でき
る範囲で書いてみます。
 さて、前回書いた最後のことは、Visionとなります。Visionもまた
英語ですし、概念的には西欧的なもの。でも、あえて私はすべての
授業(ポルトガル語の授業ですら)で、皆にVisionとMissionを考え
てもらいます。
 その理由は、皆さんのボランティアの定義付けや議論でも多々出て
くる視野の狭さに自分で気づき、それを乗り越えてみてほしいからで
す。大半の学生の皆さんの話は、「私、I、わたし・・・」がいっぱいです。
もちろん私も、私を主語で語っています。でも、ここでいっているのは、
主語としての私ではなく、目的語あるいは形容詞、装飾語としての
「私」です。例えばこうです。
 「ボランティアといっても、見返りを期待して当然。お金を求めるの
ではないけれど、精神的充足感やスキルアップはほしい。そうじゃな
いとモチベーションがアップせず、続かない」
 「自分の出来る範囲でやることがボランティアだ」
 「自己犠牲してまでやることじゃない」
 皆さんが書いていることは、私も基本的に同感ですが、危惧も感じ
ています。皆さんのいう「自分の」「メリット/できる範囲/犠牲範囲」って
なにに基づいていますか?皆さんの持っているお金の量?時間の量?
皆さんの気持ち?好き・嫌い?直観?そして、それらは変わらない、
変えられないものなんですか?
 今、就活を初めている人たちは、「自分のやりたい仕事・やりたくない
仕事」「自分に向いている仕事・向いていない仕事」を軸に就活をしよ
うとしていませんか?でも、その「自分」って誰?どんな自分?
 私の考えでは、「自分」なるものはかなりの程度変えられます。とい
うか、人も社会も変えられないとしても、自分ぐらいは変えられます。
もちろん根本的に変わらない部分はあるのですが(家族からみたら
私はまったく変わっていない!)、でも以上で出てくる皆さんの「嗜好」
「視野の範囲」ぐらい変えられそうではないですか?
 だとすればそれを基準にすべてを決めるのは(特にやりもせずイメ
ージだけで)、何か変ではないでしょうか?
 自分はちっぽけです。卑下してくださいということではありません。
一人の人間の頭も身体も一個だけ。人生はいつまであるかわからな
い。そんな自分が、一人で生きていけるわけではない環境で、自分だ
けをターゲットに、自分だけの感覚を頼りに生きるのはまず無理でしょ
う。そう気づいてしまっておののいて引きこもってしまうこともあるでしょ
う。だからどうするのか?
 自分ばかりを見つめて、自分の内面にばかり答えを探して、足踏みす
るのではなく、Visionにひっぱってもらうのです。Visionなんていわれ
ても・・・と最初はいうと思います。こうあったらいいなという世界像のこ
とですが、今までの経験から、どんなに理想を持っていないという人で
も何からの理想は持っているいえるでしょう。そもそも、なぜ皆さんは、
たった2単位のために、私のどうでもいい国際ボランティア論なんてと
ってるんですか?二度もレポート書かなきゃだし。何かあるんです。
溺れている子供がいれば、どんな子どもであっても自然と飛び込んで
しまうように。それが何か考えてみてください。
 きっと皆さん一人一人がもっている何らかのVisionを、暗い夜空の
道しるべにすればいいんじゃないかな。もちろん、Visionが一つとい
ってしまえばそれは宗教になります!多様でいいのです。変わっても
いいのです。そして、それを実現するために人生において何をするの
か(Mission)ですね。日々の生活の中で実践することもあれば、
仕事の中でやることもあるでしょうし、すべてを統合してやることもあ
るかもしれません。ちなみに、いつもいいことばかりすることは不可能
でしょうし、実際のところ、Visionというのは「星」といったようにそこに
到達することはできないでしょう。でも、見上げるものがあったほうが、
あるいは暗い海に浮かぶ小舟が皆さんだとしたら、海の中ばかりを
見つめるよりいいんじゃないかな。
 頭上の星を意識できれば、色々なことがつながってきます。自分が
海に流す一滴の油の意味。その遠い星の下方にあるもっと身近な星
もやっぱり大事なこと。隣にいるかもしれない同じ星を見上げる仲間。
目指す星と自分のいる海の距離。自分の乗っている小舟の頼りなさ。
どんどん色々なことが気になって、自分の一挙一動、感じ方・考え方
がすべての周りの事象と連動することを実感してこないでしょうか?

 私にとっては、それが「生きる」ということです。

 要は、自分ではないもののために生きようとしてみた時、最終的にそ
れが自分を生かすことになるんだということがいいたかったのです。
なぜなら、それが自分の生きる「場」を用意することになるから。「我
想う我あり」・・・とはここが相当違います。社会の一員とみながいいま
す。でも、本当に皆さん社会の一員ですか?だとしたら、どの社会の?
どういう一員ですか?
 今年は「絆」という言葉があちこちで重視されました。もちろん、私も
共感します。でも、この絆はどの絆ですか?そもそも、「絆」という漢字
は「縛る」ことを意味します。「しがらみ」です。古い構造の「しがらみ」が
ここまでの破たん状態・災害状態に直面してなお、日本社会を変えよう
とする動きを強固に跳ね除けています。みなさんがつながりたいのは
誰とですか?何のためですか?どんな未来のため?
 バッテリーがなくなったので今回はここまで。
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by africa_class | 2012-01-12 02:02 | 【大学】国際ボランティア論

国際ボランティア論受講生へのお返事(1)~人間だから、生きることについて

本当は昨日書くはずが、「義母」が倒れてしまったので今日になり、
さらにこれから飛行場に行くので簡単にしか書けなくなってしまいま
した。とりあえず子供たちがサッカーから帰ってくるまで書いてみま
す。
 また、ブログでの質問に答えてくれた津田の学生さん、ありがとう。
それも踏まえながら、お返事を書きます。が、かなりの程度、恥ずか
しい話になりますが、そもそもこのブログでとっても個人的なことも
含めて書いているのは、結局のところ「教育」とは「何かを教える」こ
とではなく、「反面教師」的な部分も含めアカラサマにして、それぞれ
に考える材料を提供することだ・・・と考えているからです。それは、
ゼミ生が教えてくれたことで、「私みたいになりたい」とか「私のよう
にはやれない」・・・と口にするのを聞いて、これでは絶対いけない!
と思ったからです。もちろん、もはやそんなこというゼミ生いません
が!!!!
 なお、初めに断っておきますが、私は何の宗教・政治団体にも
属していません。垣根なく色々参考にしてきましたが。
 で、以下の3つの質問に対する私なりのお返事です。
1.なぜ福島の乳幼児・妊産婦のニーズ対応をしているのか?
2.なぜ寝る間を惜しんで、持ち出し状態で活動をしているのか?
3.なぜこれをボランティアと呼ばないのか?
==
 いずれの問いの答えもただ一言で表せます。
 「人間だから」
 な~んだ、、、、とがっかりきていると思いますが、それ以上でも
それ以下でもありません。授業の冒頭で皆さんに聞きました。
「目の前にアフリカの子供が川で溺れていたらどうする?」と。
「ほぼ全員が飛び込んで助ける」と答えました。なぜですか?
多くの人が答えに窮しました。これがキリスト教の人であれば、
宗教的な答えをすぐに口にしたに違いありません。儒教の人で
あれば、道徳的なことを口にしたかもしれません。伝統社会に
生きる人なら、なんらかの伝統を口にしたでしょう。
 良くも悪くも現在の日本社会には、このような問い、生きていく
ための基本の基本となるような宗教・道徳・社会集団上の規範
がありません。だからこそ、私たちは直観で色々なことを口にす
るのですが、直観故にそれ以上ではありません。今日は助ける
けど、明日は助けないかも・・・水が深かったら助けないかも・・・
など、各種の条件を考え始めます。
 私はこの点について、ずっと考えてきました。宗教的にも、世
界の多様な文化や伝統を学んでも、結局のところ、行き着いた
のは、「人間だから」の一言でした。
 どんな社会でも、人が人を助けるのは当たり前です。特に、困
っている人を助けるのは。それを身を以て経験してきました。
「いつ助けるのか」「どう助けるのか」は多様でも、「助ける」こと
自体は当たり前としたら、それは人間が人間だから・・・と思いま
す。
 なので、私は、皆さんが指摘するように、「女である、日本人で
ある、子供がいる、教師である、学者である、専門家である、当事
者である・・・」以前に、「人間である自分」を重視したいと思います。
 もちろん、お返事はこれで終わりません。
 「人間である自分」が、「何のために生きるのか?」について考
えたいと思います。私は幼い頃身近な人の暴力に苦しんできて、
4、5歳の頃に海に飛び込もうと考えました。その時、踏みとどま
ったのは、人生を捨てるぐらいなら、この人生を使えばいいじゃな
いか・・・とも思いました。以来、何のために生きるのか?を考え
て日々を送ってきました。
 日本にも世界にも来世や死後の世界を信じる人がいますが、
私は人生は一度きりと考えています。次があってもいいけれど、
それをあてにして「この」人生を無駄にすべきとは考えていませ
ん。同様に、宇宙に地球のオルタナティブを求めて、巨額の宇宙
開発費を投じて、現在の地球の課題(貧困や飢餓、環境問題)
を軽視する「ロマン」には否定的です。
 私たちは、有限の命、有限の世界・地球・・・を抱えているから
こそ、自分の生き方・社会の在り方に取り組むことができます。
それが人間だと思います。他方、人間は、互いを憎し合い、殺し
合い、動物世界の頂点に立って動植物を貪り食い、かけがえの
ない有限の地球を日々痛めつけ、破局を招く技術を「先端」技術
として有難がっています。
 人間は尊い生き物である一方、地球史上最悪の傲慢な醜い
生き物でもあります。私もその一部です。
 でも、私が自分も含めた人間に絶望しないのは、人間には、
「変える力」がある・・・と信じているからです。信じる・・・というの
はとにかく信じるという意味ではなく、「物事のあくまでも前提とし
て信じようとしている」ということです。
 私は、戦争や貧困や暴力の中で、絶望の中で闘いをやめなか
った多くの人たちのことを学んできました。これらの人たちがいな
ければ、社会も世界も地球も、もっともっと悪いところになってい
たでしょう。そして、それは何も著名な人、特別な人たちではなか
ったのです。歴史に名を残さなかった多くの「普通」の人たちです。
 そのような人たちの歴史を一つ一つ掘り起こしながら、その人た
ちとの対話(勝手な)の中で、人間の限界と可能性を学んできま
した。
 私たち人間は愚かです。でも、私たち人間に開かれた可能性を
すべての生命の上に君臨していると思い込み、実際そのような
立ち振る舞いをしている人間だからこそ、最大限使わなければ
ならないと思います。謙虚になることから始めることも含め、その
ように自分たちを変えられる可能性を、全生物のためにも願いた
いと思いますし、それが務めとも思います。(時遅し・・・になりつ
つあるとはいえ)
 このような存在の人間として、そして一生がどこで終わるかわ
からない人間として、何のために、どう生きるのでしょうか?
 もちろん、それぞれの考えがあり、私は皆さんの分まで答え
ようなんてこれっぽちも思っていません。それぞれが人生の目
的を考えればいいことですし、そんなこと考えたくなければそれ
で構わないと思います。ただ、私は、以上に述べた人間の愚か
さ、限界と可能性を踏まえ(現状においては愚かさの方が大きい
故に)、
 「自分が属し有限でもある社会・世界・地球がよくなるために
生きていきたい」と考えています。
 その際、「よくなる状態」あるいは何をターゲットにするか・・・
については、私は「平和」をライフワークにしようと考えてきま
した。それは、偶然にも私が広島原爆の投下日に生まれたこ
とや暴力を経験してきたこととも関係していますが、その「平和」
は単に「戦争のない状態」を意味するのではなく、ガルトゥングが
いうような「構造的暴力のない状態(社会的不公正がない世界)」
をもターゲットにしています。
 私が肉食を止めた理由も、そこにあります。
 次に、「どう生きるか」についてですが、皆さんの指摘の中で、
「仕事」「専門」「私生活」などの言葉が使われていました。Job
(報酬のある仕事)とWork(ライフワーク)の違いの指摘もあり
ました。私にとって、これらには垣根はありません。すべては、
「人間として生きていく」上で、同じことなのです。
 皆さんの定義によると私のJobは大学教員としての職になり
ます。しかし、私の中でこれはworkなのです。なぜなら、結果
的に生活の糧を得ていますが、Jobとして報酬を目的とするの
であれば民間企業で幹部として働いた方がずっとお金になる
からです。そして、私が皆さんのレポートをあそこまで添削した
り、コメントをつける理由は、これがjobだからではありません。
私が「完璧主義者」だから、細かい点も添削していると思った
津田の学生さんもいましたが、そうではありません。
 ここまで書いたところで子供たちが帰ってきました。続きは、
また日本で~。
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by africa_class | 2012-01-08 20:36 | 【大学】国際ボランティア論

3つの問いへの私のお返事の前に、追加の質問(あなたは何のために生きていますか?)

お返事を書くつもりだったのですが、もう少し寝かした方がいいと
思い、まずは受講生の皆さんの意見をじっくり読んでもらってお
いていいでしょうか?明日にはお返事書きます。
 その上で、追加の質問について考えてみてください。ちょっと
学問的な話から、人生観まで・・・。

(1)ボランティアの由来
①ボランティアが英語では志願兵という言葉に由来すること
と、②ボランティアが奉仕やチャリティなど、キリスト教を由来
する概念から出発していることと、現在日本でみられるボラン
ティア、あるいはボランティア論との関係とは?

(2)あなたは誰ですか?

(3)何のために生きているのですか?

(4)あなたの夢はなんですか?

(5)あなたはその夢をどう実現しようとしていますか?

余裕がある人は、追加でぜひメールください。
(これを授業で聞いたらかなり引くと思ったので、まずは
このような形式にしています)
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by africa_class | 2012-01-06 23:22 | 【大学】国際ボランティア論

津田学生の推測(その3):なぜこれをボランティアと呼ばないのか?

そして、これが最後の質問への津田の学生の推測です。
これもまた、当たっている部分も、外れている部分もありますが、
とっても興味深い!
 1.2.3.とも、考えていなかったこともあり、勉強になります。
これは授業で少し話したこともあり、かなり当たっている点も多い
のですが、後一歩かな。ただし、「ボランティアは趣味」ではあり
ません!!!(まあ、人からみたらそうかもしれないけど、私の
心づもりとして)
 ちなみに、別にあたってても、いなくても、どっちでもいいんです
が・・・。皆さんがどう考えているかを踏まえた方がわかりやすく説
明ができるかな、と思ってのことです。

===========================
3、どうしてボランティアと呼ばないのか
誰かがやらなければならないことであるため。また、妊産婦さんたちがその影響についてあまり知らず、ニーズというものを明確に持っていないため。
わたしが定義したボランティア自主性、非営利性、公共性、相互性の面に当てはまるが、最終的な問題として当事者が決める。ボランティアといった他人がこの問題に取り組むような感覚ではなく、自分の問題としてかかわっていらっしゃるから。
2でも述べたように、生活の ひとつしてボランティアを行っているため、意識して自分が与え与えられているという活動ではなくなっているということから、ボランティアと呼ばないのかな と思います。もしくは、”ボランティア”という総称によって、なんらかの枠組みの中でしか活動できなくなる、ボランティアの一般的な定義でしか自分がボラ ンティアをしているということにならないということになるため、敢えてこの活動に名前をつけないのかなと思いました。
問1、2でも述べてきたが、私たち個人も社会の一員であって、社会に守ってもらっている。市民社会に生きている限り、親族や地域社会という枠組みはとっぱらって、当事者として社会の問題にとりくんでいかなければならない。だから、「隣の問題は隣のもの」という考えではなく、社会の問題は社会の構成員である全員で考えるのが当たり前である。だからボランティアする側、される側あるいはする側、してもらう側というものはそこにはない、すべてはお互い様なのだ。だからこそ船田先生は自分がやってきていることをボランティアだと思っていないのだ。
ボランティアの根源に、有難迷惑とも呼べる、「善意の意識」があると考えていて、それとこの活動とは上記の理由から違うと考えるため、ボランティアとは呼ばない。
当事者であると考える以上、サポートをする側される側は常に変化し、先生が自分が一方的に援助をしていると考えていないから。
ボランティアの定義により異なってくるが、便宜上ボランティアの定義を、当事者のニーズに応えることのみに限定し、支援する側の押しつけと思われるものは含まないとすれば、当事者の望みだけではなく、自分の専門性や意見を当事者に反映させて、ニーズ以上の行為を行っている可能性がある。さらに、今の福島の乳幼児・妊産婦のおかれた弱い立場をよりよくするために今ある社会の制度を変えようと直接働きかける社会運動に近いものであることから、あえてボランティアと呼ばないと考える。*3一方ボランティアが、他者のために見返りを期待せずにサービスを提供するボランティアの規範ともいえる考え方は、ボランティア活動の実践と経験をしばしば拘束させ、悩ます誘引ともなっている*4というボランティアの側面から考えると、福島の乳幼児・妊産婦サポートをそのようなステレオタイプ的な考え方から切り離したいという主旨をふくんでいるともいえるだろう。
-親戚/親しい人がサポートされる側に含まれているので-「してあげる」というより「させてもらう」という姿勢で関わっているため-何かして当然という理由があるから-心理的な距離が近いから(近所の人に必要があれば手を貸すのと同じ感覚?)
③なぜ先生はそれをボランティアと呼ばないのか?
→当事者意識が強いから。(家族の助け合いの場合はボランティアとは呼ばないため、人類をみな家族と考えているから。)→それを仕事の一環とみなしているから。
 ボランティアを定義したり、授業内でボランティアについて議論したりしたときに、家族や友人にはする思いやりの行動を、それを超える他人にしたときに、行動はボランティアになる、と私は考えていました。しかし、先生の当事者に関しての話を聞いて、私の周りの人と先生の周りの人の範囲が違うのではないかと思いました。私は友人を超えると、関係の薄い他人だととらえていましたが、先生は自身も社会の当事者であり、同じ社会の人とは繋がりがあって、私の、友人と他人を線引きしているラインが、先生はもっと自分を中心としたときに遠くにひかれているのではないかと思います。そのため、先生はボランティアを無関係の他人にしている、とは思っておらず、家族や友人にする思いやり行動を、同じ社会に生きる人にしているだけと考えているために、ボランティアとは呼ばないのではないかと思います。
ボランティアを「問題を抱えている人達を、その問題を抱えていない人たちから手助けすること」と仮定すると、先生は福島の問題を同じ日本国民として当事者意識を持って福島に暮らす人々と同じように抱え、解決していきたいと考えているからだ。先生は福島の問題の外側にいるのではなく、彼らと同じ側に存在し、彼らとともに人生を歩んでいくという想いがあるため自身はボランティアではないと考える。こう考えていくと「ボランティア」という言葉が存在しない社会が、本当に相手のことを考え、自分もその境遇にいる意識で共存していく地球市民の社会であるように感じる。
②と同じになってしまうのですが、先生自身は、ボランティア活動を無償の行為と考えており、このプロジェクトを通じて、先生は、喜びや充足感を得られることができるため、有償行為となり、これはボランティアではないのでは?と考えるようになったのではないかと推測します。
先生は、子供は親だけではなく、社会と子ども自身に育てられるものだと考えている。現代の日本は「モンスターペアレンツ」という言葉が存在するように、自分と自分の子供さえ良ければすべてよしと考える親がいたり、教育の責任を学校だけに求めたりする親がいる。確かに学校は一つの社会ではあるけれども、社会のすべてではない。自分さえよければいい、というのでは社会は成り立たない。子供は親の所有物ではない。「子は宝」という言葉があるが、親だけにとっての宝ではなく社会にとっても宝である。そうすると、社会に育ててほしい、愛する自分の子供だけれども、その社会には問題がたくさん存在する。だから先生は、自分の子供に直接「やってあげる」のではなく、よりよい社会づくりを目指し、そのもうひとつ先に息子のことを置いて見ているのではないだろうか。「お互い様」という言葉がある。社会が自分の子供を育ててくれる、だから社会の構成員である先生は他の子供たちを育てる必要がある。支援を「する」側でもあり「される」側だから先生は自身の支援活動をボランティアと呼ばず、「お互い様」という気持ちで活動しているのではないだろうか。ママコミュニティに見られるような、「あなたの子供のこと見ているよ、だから何かあったときは私の子供もよろしくね」というお互い様の精神が先生の活動からは見られるように感じた。
それは「ボランティア」で活動できる範囲を超えているからではないでしょうか。先生が行っている活動は授業中のディスカッションで出た「個人の可能な範囲で」「無償」「自発的」などのボランティアを表すキーワードにすべて合致する活動ではない気がします。またレポート作成時に呼んだ参考文献の中のどの「ボランティア」とも違いました。「無償」ではないし「個人の可能な範囲」というよりは個人でできること以上の活動をしているので、これはボランティアとは呼べないのではないでしょうか。
volunteerとは、[志願]という意味をもつラテン語voloからきた言葉であり、「無償で行う奉仕活動をする人」(大辞泉より)という意味をもつ。しかし、「福島の乳幼児、妊産婦のサポート」を奉仕活動ではなく、ある意味自分の「義務」「責務」と感じているならば、その活動が、周りからみたら「ボランティア(活動)」と認識されうるものであっても、自分で「ボランティア」とは呼ばないだろう。また。問2でも述べたように、自身を問題当事者の1人であると考えるならば、「ボランティア」という言葉は不適切ではないだろうか。それが多くの行政措置、民間ボランティアの支援がありつつも後の健康状態にもかかわる深刻な問題であり、先生が「これこそニーズがある」と考えているからである、と推測する。被災地には様々な種類の活動があるが、特に福島でのボランティアは原発事故により注意が必要である。福島にとどまる人々の放射能への注意はもちろんだが、特に妊婦はおなかの中の子供への影響、乳幼児は小さいときに浴びる放射能への心配などがあり、避難にもさまざまな困難が伴う。またただでさえ小さい子を持つ家庭はそれ以外の家庭より気を使うことが多い(苦労することもある)が、それは母親であり、小さい子供を持ったことのある人がことさら良くわかる事情であるため、子供を持つ一人の母親としても、この活動を行っているのだと思う。このサポートは市民社会の中の課題の一つであり、自分を中心とした「社会」の問題であると判断したためサポートを行っていると考えられる。
対象者は市民社会の中の一部であり、「助ける」という感覚ではなく「当たり前のこと」だと考えているからだと推測する。対象者が少し離れた地域(福島やそこから引っ越した場所)にいても、同じ「市民」の一員であるという意識を持っており、このような長引く非常事態に継続的に深くかかわっていくのは、「ボランティア」としてではなく「市民」として関わるからである、と考えている。
地震や津波などの自然災害と違い、原発というのは私たち人の手によって作り出され、使われてきた。そう考えると、福島の人々が苦しんでいる状況を作ってしまったのもまた私たちにある。また、福島の人々が原発と隣り合わせの生活をしていたからこそ、首都圏に住む人々は自由に電気を使えていたという事実を知ると同時に、その恩恵を受けてきた私たちが福島のために行動を起こすことは、当たり前のことであって、ボランティアとは呼べないから。
問い2でも触れたように、先生が諸活動=好きなこと、やらずにはいられないことを通じて元気や勇気をもらっているためボランティアとは呼ばないのだと思います。先生の諸活動を見聞きして、本当に好きなことを自身の気持ちに正直に、自身のことのように捉え活動しているとの印象が強くありました。そのため、先生は上述活動あってこその先生、舩田クラーセンさやか、というひとりの人であり得るのだと思います。先生は上述活動によって生きがいを感じ、生かされているのではないかとも考えます。
③ボランティアというよりも、先生の一つのライフワークとなっているから。趣味の一つとして活動を行っているため、ボランティアとは呼ばない。
自分がやりたいからやっているので、それをボランティアとは考えていないから。ボランティアとしてとらえた時点で、「何かをしてあげている」と感じてしまうが、先生はそうは思っていない。
不安を抱えながら生活する乳幼児や妊産婦を含む家族の悩みに寄り添って、対象者の望むサポートをして将来の世代が安心で安全な環境の中で育まれることを願いを込め支援しているので、ボランティアとは呼ばない。福島での地震は日本にとって大きな衝撃であり、先生はその問題に無関心でいることはできなかった。乳幼児・妊産婦サポートの分野を選んだのは、 実は先生は子どもをアフリカで生んだ経験があり(妄想です・・・)その際に、サポートを受けたためと、その分野のサポートの大切さを実感したからである。
②と③が上手く分けて考えることができなかったので、まとめて回答してみます。ボランティアと思っていない背景には、②の問いであった寝る時間を削ったりお金も持ち出すという自分の時間や体力を自発や使命感以上にその活動 に注いでいるからではないかと考えます。また、自分の時間や体力を想像以上に(いい言葉が見つかりません)事態であり、そこには自発的どうこうの問題より ももっと差し迫った事態、問題(当事者の視点から)として捉えているからではないかと考えました。また、先生のお話によれば、学生時代の頃から NPO/NGOの活動に携わっており、もしかしたら先生にとってはこのような活動は生活の一部化、趣味化しているのではないかとも思いました。
 ボランティアと呼ぶこと、先生の行為を名づけることに意味を感じていないのだと考える。だから、他人からみてその行為がボランティアだとしても関係ない。自己認識として、ボランティアと意味づける必要がないのだと考える。また名づけることで「ボランティア=OO」という概念に縛られる。先生の行っていることはもっと自由な幅を持つ行動であると感じた。
 この活動は、以前私が提出したボランティアの定義に当てはまっており、それをもとにすると、ボランティアと定義づけられる活動である。しかし、この活動をボランティアと呼ばないのは、これも個人の考え方によるが、この活動を、して当たり前のものだと考えており、ボランティアを行っている、という考えが無いからだと考える。
Q1、Q2を踏まえ。「子供」を守る、ということは先生からしたら「当たり前」のこと。それが特別だとも、慈善活動だとも感じていない。だから福島での活動のことを「ボランティア」だと思っていない。いうなら息をするのと同じくらい特別でなければ、意識してすることでもない。
現場がよりよい方向に向かうよう支援しているのは、自分もその当事者とともに現状を打破したいという思いがあり、 同じ立場に立っているからこそボランティアをしているとは思わないから。
好きでやっていることで、趣味のようなものであるから。自身がサポートされていたときの恩返しのような行為でありまず自分の意思があり次に相手の意思を鑑みているから。そこで、ある意味利己的行動といえるため。
⇒ ボランティアだと思います。中学校時代のボランティアは「決められた時間」(例:10時)に「決められた場所」(例:高齢者施設)行って「決められた活動」(例:話し相手)をして「決められた時間」(例:16時)帰るという枠の決まったものだったが、舩田先生の提示するボランティアは決まった枠もありますが  ルーティンワークではない点で中学校の課外授業とは違います。ボランティアはというと無私無償の行為という理想がありその活動をしている人は崇高な人のイメージがいつの間にか形成され、まるで宗教家の奉仕活動のように思えますが、先生の活動はボランティアでもあり高度な  専門活動でもあると思います。
当たり前の行為だと思っているから。
そもそもボランティアをする側・される側で分けて考えていないから。困っている人がいると知ったなら、それをなんとかしようと考えるのが当たり前で、その行為に力関係が発生するような名前を付けるのは適切なことではないと考えるから。
船田先生は乳幼児・妊産婦のサポートを当事者として行っているからだと考える。
第三者のために、活動をしているというよりは、乳幼児の母(だった人)の中の1人、妊産婦(だった人)の中の1人として、同じ立場の人々のために活動をし貢献しようと考えているから。
ボランティアは第三者的立場から物事を考えようとする人々であり、当事者とは一致しないのではないかと考えた。
それを使命のように思っていらっしゃり、当たり前のことと考えていらっしゃるのだと思います
報酬があるから、何らかの見返りがあるから。(精神的?研究の一環?データを取ってる?乳幼児の追跡調査?とか)人として当然の助け合いだから。自分たちが行っている行為が「ボランティア」という一言で収まってしまうのが嫌だから。
 「福島のお母さんたちが最後の砦としてこどもたちを守っている努力に未来を」見ているから。  「そして、自分の責任の問題を超え、この問題に関わることによって、日々勇気をもらっている。  だから、今日も福島の子どもたちのことを一生懸命やる。自分のこととして。」という記述からわかるように 「自分のこととして」この問題をとらえているから
ボランティアではなく自分も社会のアクターとして社会に還元するのが当たり前だと考えていらっしゃるから。ボランティアの定義の一つとして、自分ができる範囲で活動を行うということがあると考える。しかし、船田先生は、寝る間も惜しんで、持ち出し前提で活動を行っていることから、自分ができる範囲での活動でないと思う。そのため、船田先生は自分の活動をボランティアではないと考えていると思う。
 ボランティアは相互成長を生むものがおおいが、先生がいまなされているのはニーズにこたえるために一方的に提供しているもの=支援であるから ボランティアは無償でおこなうもの、金銭面の動きがあまりないものであるが、 このプロジェクトの場合、莫大なお金がうごいているから。
福島の人々だけでは解決できない問題に手を貸しているという意味で先生が意識されずともボランティアにあたるのではないか。
これをボランティアと呼ばず、自己負担もしながら行っているのはCSR「企業の社会的責任」つまり会社が負担を負いつつも、より良い社会の為に行うものでボランティアとは区別される行為が存在するが舩田先生は福島の乳幼児・妊産婦のサポートを「個人の社会的責任」だととらえて行動しているから。
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by africa_class | 2012-01-06 22:20 | 【大学】国際ボランティア論

津田学生の推測(その2):なぜ寝る間も惜しんで持ち出しも前提でやるのか?

長くてすみません。第二問の学生の推測です。
 これも、当たっている部分もあるものの、かなり外れている
ものもありますが、面白いです。
 活動にお金がないからというのは、なるほど。想定していた
推測ではないですが、それは一理あります。が、質問の意図
はもう少し違ったところに・・・。むしろ、皆さんの「できる範囲
でやるのがボランティア」という定義へのアンチテーゼとして
出した質問です。
 で、大体の答えが、これまた「外れ」です!

========================
2、なぜ寝る間も惜しんで持ち出しも前提で行っているのか
母親として持っている知識や物があるので-今まで、福島の災害のような緊急援助が必要な現場を見てきていて、どう行動すべきか知っているので-人として何かしたいと考えているので(ある種のボランティア精神?)
補助金が払われるわけでもなく、支援体制が充分なわkではないから。
福島で起きた問題が先生にとって「他人事」ではなく、一人の市民としての当事者意識を持っているから。
 ボランティア相互的な関係が求められるものであり、どちらかだけがGiveしているわけではなく、お互いに何かを得ながら共生していくものなのではと思いま す。舩田先生は”ボランティア”という枠組みで活動しているわけではなく、共生し、私生活の一部として活動していらっしゃるのかなと考えました。だからこそ自分の寝る時間なども惜しんで活動できるのかなと思います。
社会で起きている問題は社会の一員である個人も担わなければならない。社会に守ってもらっている分、私たち個人も社会にできることはするべきである。普通の人であればこのような意識は低いと思う。しかし、船田先生は当事者意識が人より強いのではないだろうか。また、誰かを救いたいという一方的なエゴではなく、社会の一員として助け合うのはお互い様だと考えているからだと思う。そして、何よりもボランティアというものに心の底から惹かれているからだと思う。先生が国際協力にいつ出会ったのかはわからないけれど、学生時代からこのようなことをずっと考えてきているのには情熱が必要だと思う。情熱を持つ対象は人それぞれである。船田先生の場合は、情熱を持ち続けるだけのバイタリティと行動力、これらの力を十分に発揮するステージが国際ボランティアという場所だったということではないだろうか。また、巨額のお金を使うことができるのは、家族という受け皿がしっかりしているからだと思う。絶対的貧困にあり、一日に家族を食べさせるのがいっぱいの人に寝る間も惜しんでお金を使ってボランティアすることはできない。自分の生活がある程度のレベルで保障されているからこそ行える仕事だと思う。私の疑問は自分一人の命と引き換えに大勢の命を救うことができると言われた場合、船田先生は自分の命をささげるのか否かということだ。自分ができる範囲内でのボランティアでは当事者意識や市民社会という点が抜け落ちていて甘いかもしれない。しかし、だからといって自分の情熱のために自分の命まで懸けられる人はそういないと思う。強い自分の哲学と情熱があるからこそ、船田先生はボランティアに従事できているのだと考える。
ありがとう、と「自分がしたことに対しての見返りを求めて行う活動」ではなく、かつ「自分がやりたいから」という理由だけで行っている活動ではないから。
決してしてあげているのではなく、当事者としての意識があるからと考えられる。今回の原発事故で大変な目に遭っている乳幼児・妊産婦のことを他人事と捉えるのではなく、自分自身も当事者としての意識を持っているから、寝る間も惜しんで、持ち出しも前提でやることができる。
1の答えと同様に自分自身も彼女たちの立場であったことがるため(被災し・していない関係なく一人の母として)そして今も母として子どもがいる立場であるため、部外者としてではなく当事者意識を持って取り組んでいるから。困ったときは周りの人のサポートが必要で、そのサポートは常に得るだけのものでなく与えることもできる。
この非常事態において何かしなければならないし、だまって見ていられないという性分がおそらく大半かと思われる。これは性分なので説明のしようがない。しかし、一人でも多くの人が弱者に対して関心を寄せる、目を向けることによって社会のしくみを変えることができると信じている面もあると思う。現代社会のなかで失われつつある人と人とのつながりの大切さを人材育成も含めて次世代に伝えていくことが先生の使命だと考えているから、取り組めるのではないかと考える。
→当事者意識が強いから。(自分がやらなくてはという責任感が強いのではないか。)→やりがいを感じているから。
 先生は、その活動が好きだし、充足感も得ているから。自分の好きなこと、興味のあることには誰でも打ちこむもので、先生のそれが、誰かのサポートをすることだったりするのではないかと思います。
それは、アフリカへの支援活動や学校の授業の準備がありながらも、先生が福島の女性たちに代わってできることであると考えるからだ。今回の福島第一原発の問題では、福島の女性たちだけでなく、その外側にいる人々の協力が不可欠でその人々がどれだけ当事者意識を持って活動するかで福島の人々の励みと日本社会の方向性につながると思う。実際に私も3回宮城県石巻市を訪れ、泥かきや家屋の片づけ、仮設住宅の集会所のお手伝いをさせてもらったが、日々時間が経つにつれてニュース番組でも取り上げられることが少なくなりつつある。東北の現状は日本国内で起こっていることであり、現在もそれは変化しながらも続いていることであり、それがよい方向へ変化していくためには東北の人々だけでなくまずは日本国民である私たちも彼らとともに復興に向けて動き続けることが不可欠であると感じた。
 先生自身が、お子さんと離れて暮らしており(ブログからの勝手な推測ですが…)乳幼児や妊産婦さんの気持ちに寄り添う思いがとても強く、多くのものをその活動に取られてしまっても、先生自身は、そのことで救われる部分もあるのではないかと考えます。遠くに離れて暮らす家族の応援もあり、その家族に対する気持ちを表現しやすいプロジェクトなのではないかと考えます。
 一般的には、こうした支援活動(ボランティアと呼ばれるものだが)は、「自分の仕事とは別に」行われるものだと定義される。自分の仕事とは別となると、自分の日常生活に支障をきたさない程度に支援をするという意味だともいえるが、その支援する時間を日常生活から出さなければならない。支援活動をするとき、必ず何かを犠牲にしなければならなくなるのである。先生は、乳幼児・妊産婦のサポートをする必要性を上述の設問1で書いたように感じていて、その活動に社会的意義を感じているのではないだろうか。だからこそ、時間やお金や労力を使ってサポートしているのだと思う。その人たち一人一人のニーズに応えるという「その個人またはその家族」を対象にした活動ではあるけれども、それは結局社会をサポートすることにつながると考えているのではないだろうか。子供を育てることに時間とお金と労力がかかるのは前提である。だから、社会のものともいえる子供をもつ家族をサポートしていくのに持ち出しを前提として活動しているのではないだろうか。先生にとって、当たり前という感覚でいるのかもしれない。
先生の活動の背景には「達成感」や「自己満足」を超えた何かがあるのだと思います。それは使命感とも義務感とも違う気がしますが、なんと呼んでいいのは正直わかりません。私はこれまでの自分のボランティア活動を「達成感」や「自己満足」の枠の中でしかやってこなかったし、やってこられなかったと思っています。自分で経験したことのない気持ちならばわからなくて当然かもしれませんが、とにかく私が知っている感情とは違うと思います。そこにはこれまでのアフリカでの活動や研究全般で得た経験が大きく影響していると思います。授業中のお話やブログの内容を踏まえると自分の時間をたくさん使って活動に取り組まれているのは明らかですが、それは「自己犠牲に酔っている」というのとも違う気がします。きちんとした答えは出ないのですが、「自己満足」でも「自己犠牲」でもない何かがそこにはあるのだと思います。
長期的に取り組むべき課題であることに間違いはないが、それでも早く手をうつ・早い支援やサポートというものが現場では求められている。1日でも早い解決に達するために、削れる時間をぎりぎりまで削って取り組むべきではないか。また、サポート活動の中で必要経費をどこかへ申請して得ようする場合、町や県、国などに申請する場合が多いと思われるが、申請から認定、実際にお金がおりてくるまでには、相当の時間がかかるし、そもそも認定されないことも多々ある。そのため、活動経費含めその他諸々自前になることは想定できる。それでも、「自分のやるべきこと」と思うのならば、自己負担も惜しまないのではないだろうか。私自身、3月から数回宮城県へ行き復興支援活動に参加させて頂いている。当たり前だが、交通費・現地での食費、宿泊費は自己負担である。周囲から、「なんでそんな得にならないことをやるのか」「自分のお金や時間を犠牲にしてやる意味はあるのか」と聞かれたこともある。しかし、「こんな犠牲払って辛い」と思ったことはない。それは、活動自体が苦に感じないということもあるが、家も家族も無事だったのに、同じ日本にいながら、家も家族も失った人たちを遠くから見ているだけ、という方が耐えられなかったからだ。微力なのは分かっているが、少しでもプラスになるのなら続けていきたい。また、原発被害というのは何も福島県だけの問題ではない。津波のように被害が明確に分かるわけではないが、目に見えないからこそ恐ろしいし、日本に住む我々の問題といえる。すなわち、我々自身もこの問題の当事者といえるからではないか。
その活動を待っている、それに生活が懸かっている人々が大勢いることを理解しているからであると推測する。また授業だけでなく学生の指導などで社会人よりも忙しいため、このサポートに割ける時間は通常ならば多くはないと考えられるが、なんとか時間を生み出して取り組むことで、サポートメンバーの意欲も向上し、支援者からの承認も得やすくなるから(認められやすくなるから)である。
まず、福島で起きた原発事故は福島だけの問題ではなく、原発に頼ってきた日本とそのことに対して、こういった事故が起きるまで懐疑的にならなかった私たちにも問題がある。ゆえに、私たち一人一人が向き合っていかなければならないことだから。また、子どもを育てるのは親の役目であるとともに、地域社会や日本全体で将来を担う子どもたちを育てていく必要がある。したがって、お母さんたちが子育てするうえで厳しい状況に置かれていたら、それを助ける義務が同じ日本に住む私たちにはあるため。
「せずにはいられない」という思いから活動をしているのではないかと思います。
活動すると同時に、交流をもつ人々から勇気や元気をもらうことで、舩田先生は先生自身でいられるのではないでしょうか。先生の帰る場所や生活の糧になっているのが上記問い1などの活動を含めたボランティアなのではないかと考えます。
嫌々やっているものでもなく、むしろ好きでやっていることなので寝る間も惜しみ、睡眠不足もそれほどまでに苦痛とは感じずにいられるのではないでしょうか。
②出産時の大変さを自分も経験しており、地震後の状況が優れない中での妊婦の支援が必要だと感銘を受けたから。
船田先生にとっては、ボランティアというのはライフワークなのではないかと考えました。寝る間も惜しんで、持ち出しも前提で、となると相当な自己犠牲精神が必要となりますが、そこまでしてでも得るものがあるから、そしてそのニーズのある人々のためになら頑張れるのではないかと思いました。
寝る間を惜しんでも、持ち出し前提でも、それらの活動を自分自身がやりたいと考えるから。やりたくなければ、やらないと思う。
子どもはこれからの未来へ向けての希望であり、その宝を守り手助けしたいという願いがあり自分の人的ネットワーク等を出来る限り用いて対応したいと考えているから。
自分のことに使う時間は惜しまない。福島の乳幼児と妊産婦を自分のこととして考えるからこそ、寝る間を惜しみ、持ち出しも前提でやっているのだと考える。
これは個人の考え方によるが、舩田先生が、乳幼児・妊産婦へのサポートを最も重要な責務だと考えているためだ、と考える。乳幼児や妊産婦には、より早く、また継続的な支援が必要とされている。これは、例えば妊産婦であれば、一人ひとり出産時期なども異なるため、いつどんな問題が起きるのか分らず、常にその対応を考える必要がある。このように、迅速で継続的な対応が必要となる活動であるため、寝る間もなく、持ち出しも多くなる活動であるが、この問題の解決のためには、自分の時間を惜しまずに使うという覚悟のもとで、この活動を行っているのだと考える。
自分の子供であれ、他人の子供であれ、みんなのものである「子供」を守り、サポートすることは睡眠時間が無くなろうが、「不利益」をこうむろうが、先生の中でそれだけのpriorityがある。
活動をやらずにはいられないほど、自分のこととして問題を捉えているから。
1、と同様に自身が同じ立場にあった際、寝る間も惜しんで持ち出しもしてサポートされた経験があるから。
必要だから。何をするにもどんな人と関わると関わるにしても自らの財産や時間、体力などを捧げて活動しないと組織は成り立たないと思います。支援の対象者(受け手)は無料または少額の出費で様々なサービスを受けられますが、支援する側は支援する人と対象者の2倍資金も労力も用意する覚悟がないとボランティアはできないと思います。
自分の行動が日本の未来につながるから?
一般的にボランティアと呼ばれる活動は、個人の余裕に基づいて行うものではなく、苦境に置かれている人がいると知ったならばなるべく早くその状 況から人々を救わなくてはならないと考えているから。また、自分に与えられるものがあるならば、それを持っていない人に分けるということは当然の行為であると考えるから。
船田先生は第三者であるというよりも、自らも妊娠・出産・子育てをした(している)本人として活動をおこなっているからだと考える。時と場所が変われば、被災した乳幼児・妊産婦と同じ立場に立つ可能性が大いにうるため、他人のこととしてではなく、自分のこととして活動を行っているので、寝る間も惜しみ、持ち出しも前提で行っているのだと考える。
  私だったら「人の為に」そこまでできないと思います。ですが、自分が当事者の一人であれば、または誰か親しい人がそのような境遇に置かれてい たら、そうすることに疑問を持たなくなるのではないかと思います。舩田先生が、ご自身も当事者であり、福島の乳児や妊産婦をご自身のコミュニティの一部? と考えていらっしゃるからだと思います。 
自分を必要としている人がいるから。人生は短いので今しかできないことは睡眠時間を割こうともやるべきと感じているから。「ありがとう」の一言があるから。(精神的な報酬として)同時平行でいろいろなことに手を付けているから、24時間では足りない。
  「怒りを一人でため込んでも健康に悪い上に、非生産的なので、actionを起こしている」から。  「ただ感情的になっているだけで終わるならば、結局子どもたちの健康問題を放置することになるので、活動によって、一人でも多くのお子さんたちの役に立ちたいと」願っているから。
 そこにいる人に対してボランティア・被ボランティアを超えた関係を築いていらっしゃるから。
活動を行う意義を見出したうえで、活動しているからであると考える。福島の活動でも、原発の影響が乳幼児・妊産婦に与える影響を理解したうえで、福島の人々のニーズを把握し、活動の必要性を感じているからだ。さらに、このような活動をすることで、さまざまな人に出会えたり、自己成長になるというメリットも感じでいると思う。
自分が妊婦を経験した経験から大変さをしっているから、妊婦が放射能に汚染されてしまうことによってうまれてくる子どもにも影響があると考えるから、 3、そこにニーズがあり、だれもやっていないから。
1の理由に対する情熱や信念がそうさせているのではないか。
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by africa_class | 2012-01-06 22:17 | 【大学】国際ボランティア論

津田学生の推測(その1):なぜ福島の乳幼児・妊産婦のニーズに対応しようとするのか?

ということで(意味が分からない場合は先の投稿を先にお読み
ください)、第一弾。メールできたのですが、ファイルに入って
いたり、箇条書きが崩れていたりで、結局2時間も費やしてしま
いました・・・。
 授業でも配布しますが、皆さんの推測です!なかなか読み
応えがありました。あたっている部分もあれば、驚きの推測も
あり、面白かったです。
 が、大半が「ブーーー(外れ)」でした。
 なお、「福島に知り合いがいたから」・・・は、完全なる間違い
です。活動を開始して、多くの友人・知り合いができましたが!
==================================
1、何故福島の乳幼児・妊産婦のニーズに対応しようとしているのか?
-ご自身も母親であり、乳幼児・妊産婦の持つニーズを把握しているので-福島に知り合い/親しい人がいるので-相互扶助-どこかの団体の方/個人的にお願いされたので
放射能の乳幼児、そして妊産婦さんの影響が大きく、それに対するサポートが十分でないため。
先生が女であり、妻であり、母であるから。
日本において「ボランティア活動」というものが積極的に行われるようになったのは、阪神大震災のときからだということを文献で読みました。今回の東日本大震災も、日本での震災だといっても、日本には数多くの外国人が存在します。避難所には、日本人だけでなく各国の被災者達が集まったと聞きまし た。その中でも乳幼児をもつ両親、妊産婦の方達は、限られた施設や範囲の中での出産、育児はとてもたいへんなことだと思います。あくまで私の推測ですが、 舩田先生はその「多文化社会における被災地での出産、育児」という、一歩間違えれば「生死」にかかわるという重要な課題についてとりんでいるのだと私は考えました。 先日、在日ブラジル人が避難所で、みんなを励まそうと歌を歌ったところ、多くの日本人がそれを「不謹慎」ととらえ、いざこざが生じたという事 実を、あるセミナーにおいて伺いました。同じような「多文化間における違い」は、育児、出産においても必ず生じると思います。文化の違い、環境の違い、被 災地という不安感から育児や出産に与える影響は大変大きいのではないでしょうか?そのようなものがストレスとなり、出産に影響を及ぼしたり、もしくは誤っ た放射能の知識(乳幼児に対する放射線の汚染はどうなのか等)を得てしまったりするかもしれません。在日外国人だけでなく、福島の乳幼児をもつ女性達はみなが心配でしょう。女性の悩みはデリケートあものであればあるほど、女性に頼りたいと思うものです。だからこそ舩田先生はご自身が女性であるということ、 また現在のような困難な状況における出産の緊急性が高いという観点からこのサポートをしていらっしゃるのでは?と私は思いました。
 個人は市民社会に属する一員である。つまり、社会で起きている問題に個人も当事者として関わる必要がある。これを前提とすれば、今回の原発事故は市民社会(個の集まり)が原発を支持していた当事者なのであるから、その後始末も当事者である個人がする必要だと考えているからではないか。また、乳幼児は親族内だけの「宝」ではなく、社会にとっても「宝」なのだ。そして、妊婦さんは社会の宝である子供を授かっている。お母さんはおなかの中の赤ちゃんを守ることに自分のすべてをかける。だから社会はそのようなお母さんたちの体を守る必要がある。社会の未来を背負った子供たちを育てていくのは親や教師だけでなく、社会全体にも責任がある。だから、その社会の一員として個人も行動をする必要がある。このようなことから、船田先生は福島の乳幼児や妊婦の支援をしている。また、お子さんを生まれた経験が大きく影響しているのではないだろうか。子供を持つ人の原発に対する不安は実際に子供を産んだ人でないとなかなかわからないと思う。事実、私は放射線の恐怖というものはあまり危惧していない。もし食物で内部被ばくしたとしてもしょうがないと考える。しかし、母親はそうは考えないだろう。自分の子どもを必死で守りたいと思うのが親である。そのような子を守りたいという親心を代表しているのだと思う。
船田先生自身、母親という立場であり、その意味ではサポートされる側である立場の人と同じ、当事者であるから。
 この未曾有の大惨事を行政だけで収拾できるはずはない。多くの被災者のなかでも社会的弱者は尚且つ周縁におかれる可能性が高い。乳幼児・妊産婦も同様に大多数を優先させる対応のなかでは見過ごされがちであり、当事者である自分たちや仲間の声を届けにくい位置にある。その声に耳を傾けることができるのがNPOやNGOであると考えているからではないかと考える。*1 またサポートに必要な専門性*2を自ら持ち合わせている、また同様に仲間がいること、サポートの経験も豊富であり、当事者目線でサポートできる体制が概ね整っているからということも実現可能な一因になっていると思われる。
舩田先生自身が出産を経験し、一人の母であるから。私が想像するに、先生自身が子どもを生んで、育てる際に一人では決してなしえたことではなく周りの人たちの手を借りた経験を持っているからこそ、被災地で子どもを生んで育てる母たちのために何か手を貸したいと思ったのだと思う。
現地で原発被害を受ける方の中でも特に弱者とされる人々、つまり「最も支援の手を差し伸べたい人々」だと考えているから。また将来性がある人々を支援する活動であるから。自分の出産のときに周囲の人からサポートを受けた経験があるから。
先生は、福島のことも自分のこととしてとらえているから。授業で、当事者意識、それもボランティアの当事者だけではなく、社会の当事者としての意識が低い、ということをおっしゃいましたが、そのことを考えると、先生は自分の家族が困っていて、それに手を貸すのと同じように、乳幼児・妊産婦のサポートをしているのではないかと思います。
今年3月11日に起きた未曾有の大地震の影響を大いに受けた福島県。津波の被害を大きく受けた宮城県、岩手県とは異なり、福島県は特に福島第一原発の放射能汚染に今後の人生を左右されることとなった。小さな子どもたちを抱える母親たちにとっては特に重要で早急に解決すべき問題である。しかしこの問題は、これまでになかったような大きな地震に加え、福島県に原子力発電所が立地されており、それが津波によって破壊された偶然の出来事であったともいえる。そしてその発電所から供給されていた電力を使って生活していたのは関東に暮らす私たちも同じ境遇である。それにも関わらず、福島第一原発の破壊によって大いに生命を左右されているのが福島に暮らす人々のみであっていいのか。私たちができることとは、少しでも彼らと同じ境遇に寄り添うことで彼らとともに生活を営んでいくために彼らに協力することではないのか。そして彼らと同じく子を持つ母親であり、子を想い活動する彼らの一助になりたい。つまり、福島第一原発の問題は他人事ではなく、先生自身も彼らとともに問題を解決していきたいという当事者意識がある。そう考えたため、サポートしているのだと思う。
 阪神・淡路大震災の時、先生は神戸市中央区のボランティアを行っており、震災ボランティアに力を入れて活動しているからではないかと考えます。今回、2011年3月11の東日本大震災で大きな被害を受けた福島に対して、阪神・淡路大震災でのボランティア活動経験を活かして取り組んでおられるのではないかと考えます。
授業で先生のお話を聞いていると、現在先生の子供は東日本大震災での原発事故による放射能から逃れるためにドイツに住んでいて、パートナーもドイツの方のようである。自身の研究テーマはアフリカで、まさに家庭と仕事、ともに国内に留まらないグローバルな環境だといえる。しかし現在先生は国内での震災に伴う福島第一原発事故で被害にあっている乳幼児・妊産婦のサポートを行っている。一つには、先生自身が日本人だからだといえるだろうが、日本であれアフリカであれ、国内国外関係なく、原発による乳幼児・妊産婦のサポートが必要だと感じたから支援を行っているのではないだろうか。先生はブログで、子育てとは「子供が大きくなったとき自主自立して、自分の人生をしっかり歩んでいけるようお手伝いをすること」を目指すべきだと主張している。 福島での原発事故は、子供にとって脅威であった。将来を担う子供たちが放射能の危険に侵されている。それにもかかわらず、政府や東電の態度は「まあ落ち着いて。大丈夫、大丈夫。」と何とも無責任な態度をとってきた。特に乳幼児・妊産婦への影響は大きい。「子は社会の宝」だと乳幼児・妊産婦ニーズ対応プロジェクトのホームページでも、先生のブログでも強調している。子供はその家族のコミュニティだけでなく、さまざまな「社会」の中で存在している。子供は社会とその子供自身のものである、と先生はブログで書いている。安心した「社会」で育てるためには、前提として安心した社会環境が必要である。 「ニーズ対応プロジェクト」としているのも、支援「する」側の自己満足にならないように、「される」側が何を求めているのかという「される」側の求める声に耳を傾けたいという思いからであろう。支援「する」側「される」側のニーズとその供給が一致しなければ、支援は効果がなく、むしろ迷惑になる。 子育ては「お手伝いするもの」だ。だれかが一人で責任を抱えてするものではない。だから先生は、乳幼児・妊産婦とその家族を対象にしたプロジェクトを、子をもつ一人の母親として、社会の一員として、お手伝いをしているのだと思う。
 はじめに先生ご自身が母親であるという点が乳幼児・妊産婦の問題に関わる理由の重要なポイントだと思います。自身で妊娠・出産・子育てを経験されているからこそ、子どもと母親が置かれている福島での現状に関心が向いたのではないでしょうか。次に「子ども」をこれからの未来を担っていく大切な存在であると認識し、守っていくべき存在であると捉えているのではと考えました。したがって原発事故の被害を受けている人の中でも乳幼児・妊産婦のサポートに力を注いでいるのではないでしょうか。
船田先生ご自身が子どもをもつ一母親として、また一教育者として社会における子どもの重要性を認識しておられるために、被災者支援で特に乳幼児、妊産婦に焦点をあてているのではないかと考える。
先生が大学の先生という立場である以前に「母親」という側面をももちあわせているからではないでしょうか。「母親」という立場になってから初めて分かるきづきにより、現地のお母さん方の気持ちがより一層私たち「学生」よりも身をもって感じられるからではないかと思います。また、サポートをせずにはいられないという先生の気持ちが、福島県の乳幼児、妊産婦のサポートを自分のこととして取り組む姿勢に表れているのだと思います。
先生の親友が福島に住んでいて、看護師をやってて、乳幼児・妊産婦のサポートをはじめて誘われたから。
船田先生は恐らく自分がしたいか否か、自分の正義感からサポートを行っているという部分もあるとは思いますが、それよりも必要だと考えたからやっているのではないかと考えております。NPO宇宙船地球号の山本さんが以前言っていたのですが、本当のプロのボランティアは自分自身の興味関心に基づくのではなく、そのニーズがある人のためにしなければいけない事なのだ、と。船田先生の専攻は元々アフリカであることから、アフリカに対する興味は深いと思うのですが、福島に関しては身内や知り合いに福島の方がいらっしゃるならともかく、そうでないならば、このような動機に基づかれて行っているのではないかと考えました。
被災地支援があらゆる形で行われている中、乳幼児・妊産婦に対するサポートは不十分であり、かつそのサポートを必要としている人々がいると判断したから。また、自身の経験から(先生はお子さんを出産した経験があると思うので)考えて、自分が妊産婦もしくは乳幼児を抱えている時に被災したらと考えると、その大変さが理解できるから。
 原発事故後、放射能汚染による健康被害の不安を抱えて避難している乳幼児や妊産婦のニーズを把握して、それらのニーズに対応していきたいと考えているから。
当事者か、当事者ではないか。その境界線を引くか引かないかは個人の考え方である。この授業を通して、私はその境界線を自分のすぐ近くで都合のいいところに引いてきたことを知った。おそらく先生は境界線を引いておらず、引く必要性も全く感じていないのだと考える。だから、福島の乳幼児と妊産婦は先生にとって、他人事ではなく自分のことであり、「当事者」なのであると考える。当事者であるから、サポートをする。これが理由であると考える。
東北地方太平洋沖地震において、東北地方は大きな被害を受け、現在でもその復興活動が行われているが、その中でも特に深刻な問題となっているのが、福島の原子力発電所における、放射能漏れの被害である。近隣住民の方々は避難所への避難を余儀なくされ、自宅を失っただけではなく、精神的な不安も抱えている方々が多くいる。以上のような状況の中で、舩田先生がなぜ、その中でも乳幼児・妊産婦のサポートを行っているかというと、乳幼児や妊産婦の方々は、身体が発達中であること、胎児への影響や将来の妊娠時への影響が考えられることなど、特に放射能の影響を受けやすいと考えられ、また、精神的にも最もナイーブな時期にあり、身体的、精神的に特に多くの問題を抱えているためだと考えられる。また、妊産婦の方々には、出産やその後のケアなど、専門的な知識が必要であり、そういった知識を持つ専門家へのアクセス支援などの細かい支援が必要となってくるが、こういった支援は、政府だけでは行き届いていないのが実情であるため、妊産婦の方々のニーズに応え、サポートする必要があると考えたためだ、と考えられる。
先生は現在ドイツにいる子供と離れて暮らしている。子供の面倒は夫だけじゃなくドイツの近所の人や周辺の人が協力してみてくれている。また、先生の研究しているアフリカでは子供はみんなの子供、という認識が持たれている。先生もまたその価値観に共感している。したがって、先生の中では「子育て=地域でする」「子供=みんなの子供」という前提が成り立っている。だから、先生は福島の、most vaunuable victemsである乳幼児、妊婦のサポートを行っている。
同じ女性、母親であるからこそ大変さがわかるため、サポートしようと思ったから。
教授自身が母親であり子供が乳幼児であったり自身が妊娠していた際にサポートがあって助かった経験から。震災を受けて苦労している福島の人を目の当たりにして、実は教授自身も被災者でありサポートされた経験があるから。
原発事故で緊急に支援が必要な人たちで自力では解決困難だから。日本の社会から見ると、組織の構成員だから。(相互扶助、組織の自助努力として) * 私の卒業した看護大学の教授によれば、仕事には2つあってwork(一生涯をかけて学ぶための仕事)とjob(生活や経済を安定するための仕事)があるそうです。舩田先生の活動はworkだからだと思います。舩田先生のように直接支援する人もいれば、原発反対の署名をして間接的に支える人もいると思います。直接と間接の差は対象となる人たちのコミュニティーに属しているか、キーパーソンがいるかなどで決まると思います。 (コミュニティーに所属していたり、キーパーソンがいるほうが直接支援しやすいと思います。その人の立場にも寄りますが、舩田先生は対象者に近い立場に立って活動しているのではないかと思います。)* 乳幼児、妊産婦さんの支援をしているのは母性関係に関心があるからか、これまでの活動で対象者を安全な場所に保護する活動をしていたからではないかと思います。
日本や世界の未来を支えるのは子供たちであり、その子供を支えるのは母親だから。子供は日本の宝であるから。
行政や政府は原発に関する状況を隠蔽し、良い報道しか表に出していない。なので、自分たちで今回の事故においていちばん弱い立場に置かれている福島の妊産婦と子供のために適切な情報を得て、彼女たちの健康を守る措置は今緊急で行わなくてはならないことだから。
また、政府や報道による情報に惑わされて国民が無関心にならないように呼びかけている。
また、未来ある子供たちのために、上の世代として当然のことであると考えているから。無関心でいることができなかったから。
船田先生は以前(または現在)小さな子供を育てており、自らが妊産婦であった経験もあるため、福島に住むそのような人々が望む状況改善のサポートをしたいと考えたのではないかと考える。自らが当事者であった(ある)ため、妊娠・出産・子育てをした中で得た経験を生かすことができるのではないかと考えたのだと考える。 他のどのような立場の人間よりも、同じ立場の人間のほうがニーズを理解しサポートできると考えたため、乳幼児・妊産婦のサポートを選んだのだと考える。
すべては想像ですが、先生ご自身も育児や妊娠・出産のご経験があり、現在福島の乳幼児や妊産婦が置かれている現状に納得が行かず、変えたいと思っていらっしゃるのではないかとおもいました。
女性だから。女性の目線でニーズを考えられるから。出産を控えた妊婦さんたちがより快適にストレスを感じずに過ごしてもらいから。日本の出生率を支えるため。妊婦さんには食糧や住まいなどいった緊急性の高いもの以外に、必要なものが多いから。(粉ミルク、オムツ、ストレスや不安を解消する場など)子供は日本の財産だから、そして今後その地域を復興していく主役になるから。
 こどもは社会の宝だから。
あんまり深い理由はない。でも地震が生じて何らかのニーズができたので、ご自身もかかわりを持ちたいと思っていらっしゃるから。あるいは先生も子育てをしたときに周囲の人に助けてもらうことがあったため、福島から来ている人の何らかの助けになればと思っていらっしゃるから。
 船田先生が福島での活動を行っている理由は、使命感から来ていると考える。まず、母であるという使命感である。船田先生は、母であるため、もし自分が福島で同じような被害に遭っていたら、そこから出たいと考え、それを誰かがやってくれたらうれしいと感じるからである。母であるからこそ、福島の母たちの考えを理解でき、それを母である自分が行おうと考えている。もう一つは、政府などがやろうとしないため、自分がやる必要があると考えているからだ。船田先生はNGOなどでの活動経験が豊富であるため、自分ならこのような活動ができると考えている。「自分がやらなかったら、だれがやる」という使命感から、船田先生は活動を行っている。
妊婦さんの引っ越し・ケアには通常より最新の注意を払って行わなければならない。けれどもそのケアが不足していると気付いた そしてそのケアのニーズがあったため舩田先生は動いている。
今回の原発事故は、そのきっかけは震災だったかもしれないが、その後の対応が後手後手にまわり被害が拡大したことに関しては人災であった。特に放射能というのは特に子ども、乳児に大きな健康被害を及ぼしたり奇形児が生まれたりする。先生は母であり、妻であり女性であり子どもは社会の宝という考えをお持ちでいらっしゃる。私たちのコミュニティーの一部である社会、ましてや我々を構成する要素として大きなウェイトを占める日本というなかで起きた人災で宝である子供が犠牲になるのを見逃せない。そういう意味で援助をなさっているのではないかと考えた。
原発による電力によって皆が恩恵を受けており、第一原発の事故が起きるまで危険性を声高に叫ぶ人も現在ほどはいなかった。むしろ、原発は埋蔵資源の少ない日本にとって都合の良い最高の発電方法のようにもてはやされ、推進されていたように思う。しかし、地震により事故が起き、とりかえしのつかないことになってしまった。先生は事故が起きるまでの原発問題に対しての態度を後悔し福島に関わる行動をしたいと思った。そこで先生自身が子を持つ母であり妊娠出産育児を通して沢山の人に助けて貰った経験がありいつか恩返しがしたいと思っていたことと放射能は細胞分裂の盛んな成長期の人間ほど悪影響があり、将来を担う子ども達を放射能から守りたいと思ったということが有ったため、特に福島の乳幼児・妊産婦のサポートをする事にした。
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by africa_class | 2012-01-06 22:11 | 【大学】国際ボランティア論

2011年度国際ボランティア論での新しい試み(私と福島ニーズ対応を事例として)

数年前から隔年で国際ボランティア論を津田塾大学で教えています。
これで3度目の開講になりますが、本年は3・11の影響からか、90名
が履修。本務校でも、活動でも、研究でも、家族でも、生活(!)でも忙
しい私には、とても荷が重いことですが、恩師や先輩の依頼が断れな
かったということもあり、どうにかこうにか頑張って通ってきました。
 でも、毎年の授業が終わる頃に、受講生の皆さんのレポートを読む
度に、この授業をやってよかったと心から思い、当初固辞した自分を
後悔します。2011年は学生にとっても私にとっても特別な年。それだ
けに時間・労力としても、内容面についても、チャレンジが多かったで
すが、2011年に開講できたこと、多くの皆さんが沢山のレポート(非
常勤ではおそらくありえない2度のレポートと1度の課題)に最後まで
真剣に取り組んでくれたこと、皆さんから学ぶ点が本当にたくさんあっ
たことに、感謝しています。
 私が皆さんぐらいの年齢の頃(21歳)、国際ボランティア活動を推進
するNGOを結成し、色々な活動を展開していました。多くの失敗と迷惑
をかけた多くの皆さん・・・でも多くのことを学び、その後たくさんの国内
外のボランティア活動を行ってきました。
 でも、私はこれらの活動をもはやボランティア活動とは呼びません。
したがって、津田の先生方の有難いご指名にもかかわらず、この科目
名の授業の講師を引き受けることに、非常に抵抗があったのです。で
もそこは、津田。ボランティアを推進する内容ではなく、徹底的に考え
直すことを各自が主体的に行う授業でもいいですよね、国際協力なる
ものが嫌いになってもいいですよね?という「脅し」を、「それはとっても
いいね~」と多くの先生方から背中を押してもらいました。

 そして、私はこの授業では、「答え」を「与えない」授業とすることを
心に決めてやってきました。
 なぜなら、もう多くの受講生の皆さんが気づいたと思いますが、ある
一つの「答え」などないからです。否、一つの「答え」があると思うべき
ではないからです。
 とはいえ、受験勉強になれた皆さんは、「それらしい答え」を求めま
す。でも、それに「答え」ては、私の考えの押しつけになります。です
ので、あえて「私」と「その経験」を題材にして、「私の考え」を述べよう
と思いました。が、時間がなかったこともあったのですが、それもまた
気持ち悪い・・・ということに気付いたわけです。
 となれば、徹底的に私を、皆さんが「ネタ」にして考えてくれた方が、
私も話をしやすいな・・・・そう思い付いて、今年初めての企画として、
次の質問について考えてもらいました。

1.なぜ舩田は福島の乳幼児・妊産婦のニーズ対応をしているのか?
(アフリカ研究者であり、国際協力の活動をしてきた)
2.なぜ舩田は寝る間を惜しんで、持ち出し状態で活動をしている
  のか?
3.なぜ舩田はこれをボランティアと呼ばないのか?

 いずれも、皆さんがあげていた国際ボランティアの定義=①国境
や国籍、②メリット、③できる範囲の支援、④奉仕etcを、私をネタと
して考えてもらうためです。
 皆さんの答えを全部以上3つの問いに分けて整理したので、これ
からこのブログで紹介していきます。そして、最後の投稿で、私の考
えを述べたいと思います。
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by africa_class | 2012-01-06 22:04 | 【大学】国際ボランティア論