ブログトップ

Lifestyle&平和&アフリカ&教育&Others

afriqclass.exblog.jp

カテゴリ:【311】未来のために( 57 )

長い夜にブレない生き方について考える〜ガンジーの「ノー」の価値論と「五日市憲法草案」、そして沖縄

たまたま目にしたこの言葉に、しばし立ち止まった。

「きっぱりと、心の底から発した「ノー」という言葉は、単に相手に合わせて、ましてや面倒を避けるためについ言ってしまった「イエス」に比べたら、はるかに価値のある言葉である。(『ガンディー 魂の言葉』)」


今の日本に、不可欠な言葉だと思ったから。
「相手に合わせる」
「空気に合わせる」
そうした方が、日本という国だけでなく、多くの国・社会で、格段に生き易い。

「はい」
とまで言わなくとも、何も
「いいえ」
なんて言わなければ、損することは少ない。

なのにあえて「No」という。
そして、ガンディーは「Yesよりはるかに価値のある言葉である」という。

これは、日本の多くの自分を「フツーの人」と思っている人にとって、理解不能な考え方かもしれない。むしろ、多くの人は辛くても、嫌でも、「YESといっている自分を褒めてほしい」と思うかもしれない。どんなに賛成できなくても、仕事だから仕方ない。どんなに嫌でも、嫌いな上司につき合って飲み会行ってる。笑顔で話してる。私ってエライでしょ?・・・そんな具合に。

そう。貴方はエライ。
その我慢もエライ。
それは褒められなければならない。

でも、それは社会全体を総体として見た時に、本当にそれでよいのだろうか?
あるいは、一度しかない人生を「自分」としてどう生きるのか?という問いを目の前においたときに?

それでも、やっぱりこれでいい。
そう答えるかもしれない。

でも、そうやって、日本社会は、あっという間に、坂道を転げ落ちるように、戦後、いや戦時中から、戦前からも、時に沢山の時に極僅かの人たちが命をはって獲得してきた大切な土台を、失ってしまった。

もはや、「失いつつある」とすらいえないほどに。

それは、日本の人びとが、あらゆる場面で、
それが、職場であれ、家族の中であれ、社会の中であれ、選挙であれ、
「おかしい」と思った時に、それを問わないまま、放置したこと、
「そりゃないだろ」と思った時に、誰かが声をあげてなんとかしてくれるだろう、と放置したこと、
積極的なYesでもNoでもなく、「そのままにしたこと」が、
この結果を生んだのだ。

「そのままにする」って、簡単だ。
「自分は責任を問われない」・・・はずだから。
しかし、本当にそうか?

ナチスドイツにおけるホロコーストも、圧倒的多数者はその論理で知らぬふりであった。隣人がガス室に送られるのを、「きっと安全なところに輸送されたのだ」「私のせいじゃない。私だって苦しんでいるんだ」「ユダヤ人に生まれたのが運の尽きなだけだ」等として、問うことなく、日々の生活を営み続けた。

そんな人びとの束が「社会」であった。
国家と同調する社会。
虐殺マシーンと化した国家を支える人びとの束、社会。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
そういうことなんだ。

日本でもこのようなプロセスに対する深い理解と社会の一員としての痛恨、未来に向けた誓いというものが、それなりにあった70年だった。それが土台にあって、世界に尊敬される日本のメリットを享受してきたのだ。アニメのお陰なんかじゃない。

しかし、そのような土台も蓄積も、あっという間に消えていきつつある。
これは、一体いつどこからどうして始まったのか?

きっと、私たちは、「土台」故に、空気のようなものとして受け止め、それを育み続けることを、怠ってきたということもあるだろう。と同時に、「グリード(貪欲さ)」に塗れた一部の人びとの欲望が、もはや止められないところまできているというのに、そのことに私たちはあまりに無自覚で、あまりにナイーブすぎた。そんなところまでは、ならないだろう。誰かがなんとかしてくれるだろう・・・と思っているうちに、外堀は埋まっていたのだ。

80年前と同様。
日本でも、ドイツでも、他の国々でも起きたように。

そして、今、「嫌だ!」「駄目だ!」という声を上げること自体が、あり得ないほど大変な時代が、再び到来している。70年間の歩みは、あっという間に歴史の針を逆走させ、かつての「あの不安」が、社会に蔓延している。

多くの人が、あの時は仕方なかったという。
しかし、その状況を生み出したのも自分たちだった。
そして、Noという声を上げる人たちを、時に差し出し、時に黙殺したのもまた、仕方なかったのだ、と。
一つの「No」を黙殺し、自分の中の小さな「No」をあきらめていく中で、社会はすべてが「Yes」一色とならなくてはならなくなってしまった。そこに、小さな如何なる「No」もあってはならなくなった時に、起きることははっきりしている。「No」となりうる人びとを殲滅しようとする論理と行動の正当化、そしてその実施である。

あるグループの被害は、しかしいずれ大多数の被害に拡大していく。
そのときもまた、多くの人が、「気づいてみたらもう遅かった」となり、その被害をただ「仕方ないもの」として引き受けていくのであった。

ロシアンルーレットのように、
自分の番にならなければ、
自分の損にならなければ、
考えすぎなければ、
自分のことだけに集中していれば、
なんとかなるだろう、
とも思っている。

あるいは、
「和」という日本の美徳を脅かすものは、けしからん、となるかもしれない。

では、
その「和」とは何か?と問われても、多くの人は答えられない。
それを強調する者ですら。
「和」の裏には、「強者の秩序論理」があって、歴史において少数者が抑圧に活用されてきたことなど、知ってはいけないから。当の強者ですら、意識しないままに、これを利用していることすら多い日本だから。

歴史の学徒として、150年ほどの世界と日本、アフリカの動態を眺めてきた者として、今「戦後」の最もクリティカルなモーメントに生きている、と感じる。前に前に進んできたかの人類が、今再び台頭してきた「グリード」の推進力に魂を持っていかれた一部の人たちによって、「逆コース」に向かおうとしている。これを支えるのが、おこぼれをもらう少数の取り巻き達、Noを言わない事で現状維持が可能と考える「賢い者たち」、薄々気づいているが自分には被害が及ばないだろうと考える圧倒的多数の「静かな人たち」によって、この動きはますます推進力をもって、進んでいっている。

そこで、「No」をいうことは、あまりに危険で、あまりに影響が大きい。
それを取り締まるだけの法的手段、前例まで、ここ数年に蓄積されてしまってもいる。
歴史は、「過ちの教訓」を与えるだけでなく、「どうやったら上手くいくかの教科書」すら提供するものだから。つまり、戦前のやり方を学んだ人たちが、大いに21世紀的にそれを活用しているというのに、人びとの側には、それを乗り越える歴史の参照事例をもたないのだ。

何故なら、日本は戦争に負けるという事によってしか、自らを解放できなかったから。
ドイツも同様であった。

だから、ドイツでは、歴史を学びながら、未来に同じことが起こる可能性を前提として、市民らが何をすべきなのか、法はどうあるべきなのか、国家と社会の関係はどうあるべきなのか、問い続けてきたのだ。

しかし、日本は、解放をただ有り難がり、もう二度としませんという誓いによって、これは守り続けられると思っていた。社会として、歴史に参照事例を持たない私たちは、せめて国家の論理によって消されてきた人たちの試みをもっと知ろうとすべきであった。そこで得られたはずの沢山の教訓と希望は、ごく一部の研究者やグループの読み物の中に書き記されているとはいえ、社会のものにはなってこなかった。NHKの朝ドラや、日曜日の大河ドラマで、これらの人たちが取り上げられたことなど、なかったのだ。

皮肉にも、日本の現在の憲法のオリジンが、日本の皇后によって言及されない限り、知られていないことの現実にこれは表れているし、彼女がこのモーメントに、あえてギリギリの手前のところでこの談話を披露したことの意味に、自分たち市民・市民社会の不甲斐なさに、頭を垂れるより仕方がない想いである。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h25sk.html
「5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」


不思議なもので、彼女はまったくぶれていないのだろうが、世間がぶれてしまっていつの間にか彼女が最先端を歩かざるを得なくなっている。

放射能汚染物質は、ますます海を大地を汚し続けているというのに、そしてそれはどうやって収束するのか皆目誰にも検討がついていないというのに、それを問題とする人がおかしいという空気が日本では生まれている。

おかしなことをおかしい・・・といえない空気。
おかしなことをしている人たちこそが、開き直ってエライかのように振る舞っている空気。
嘘をついても、それを言い逃れさえすれば良い。
嘘も繰り返しいえば、そのうち皆あきらめるか、そんなもんかと思い始める。
かくして、今日も、大人達は平気で嘘をつき、自分で作ったルールを破り、それでも自分たちは正しいのだと主張する。

そんな空気は、いつの間にか子どもたちにも吸い込まれていて、親も教師も子どもたちを制御することすらままならなくなっている。

でも、これは私たちが生み出した社会、子どもたちなのだ。
私たちは、皆もはや何が「正しく」て、何が「間違っているか」が分からない世界に生きている。
なんでも「あり」なんだ。
自分さえよければ、自分がまず重要。
その肥大化した自分が、社会の中でぶつかり合い、そしていつの間にかもっと大きく肥大化した「自分」のために生きる人たちに利用されている。そのことによって、実のところ「自分」は大切にできない社会が生まれているというのに、気づかない。

気づかない、というのは幸せなことだった。
社会がそれなりに回っているときには。
今は、気づかざるを得ない場面が、ますます増えていっている。
しかし、その「気づく」は、それを本来解決するための未来の方向ではなく、それをより極めさせるようなネガティブな守りの方向に、向かっていくようになるだろう。

不安というものの作用とはそういうものだから。
不安とともに生きるのは辛い。
明日ははっきり見えている方がよい。
そして、嘘でも未来は明るいといってほしいものだ。
信じることで救われたい。
Yesということで、相手にも受け入れてほしい。
Noだなんて、もってのほかだ。

不安とは、パワフルなものだ。
そして、底なしである。
それを打ち消そうと人びとがすることの多くが、大抵真逆の効果をもっていたりする。
特に、それが集団心理になった時、不安を解消しようとする行為の多くが、「他者」とこれらの人びとが名付けた個人・集団への暴力を伴うことは、歴史が示して来た通りであった。そして、それを知ってて活用する一部の「グリード」があったことも。

今の日本は、おそらく、その一歩手前にいるのだと思う。

だから、戦後の日本で、今ほど「No」ということに、価値があるモーメントはない、と言い切ることができると思う。それは、道ばたのノーかもしれないけれど、自分の日々過ごす場でのノーかもしれないし、会話の中のノーかもしれない。テレビを消してしまうノーかもしれないし、買い物のときのノーなのかもしれない。

そして、私たちは、その「ノーたち」を、他者に語り始めていくしかないのかもしれない。「やっぱりこれはおかしいよね」「やっぱりこれは受けいられないよね」、そんな言葉を、つぶやいていく。

でも、本当に重要なのは、その「ノーをいえる自分」であって、そこには一つ重要な点がある。
「ノー」といえる自分は、自分をまずは抱きしめてあげなければならない、ということ。

自分が自分として立つ・。
そのためには、自分を受け入れてあげなければならない。
ヒトがどうであれ、自分を愛してあげなければならない。
そのままの自分を。
ヒトと比べての自分ではなく、
なりたかった自分でもなく、
今のどうしようもない自分を。
間違いだらけで、足りないところだらけの自分を。
自分自身にすら隠してしまっている自分を。
どこからか引っ張り出して、抱きしめてあげなきゃいけない。

もう何年もベットの下に落ちっぱなしになって忘れていたウサギの人形のように、
しっかりただ抱きしめてあげなきゃいけない。

そこからしか始まらない。
自分が愛せない私だからこそ、ヒトの愛に依存するのではなく、ヒトの何かを奪うことで不安を満たそうとするのではなく、自分をまずは受け入れることによってこれらの誘惑を乗り越えなければならない。

かつて私がそうじゃなかったなんて、いわない。
自分がそうであったからこそ、書いている。
そのことに気づくのに、とてもとても長い時間が必要だった。
辛い想いも沢山必要だった。
ウサギの人形はいつもそこにあったのに、気づいてあげられなかった。
でも、気づいてしまったら、そしてそれを抱きしめたのなら、もう大丈夫。

その時初めて、自分以外の他者の痛みに、本当の意味で共感できるのだと思う。
ヒトの痛みを自分の痛みと感じ、ヒトの喜びを自分の喜びと感じた時に、得られる世界の豊かさに、圧倒される想いである。

そして、自分が自分の足で立った時に、次に問われてくるのは、その足が一体どこに着地しているのか?ということ。自分の足は一体誰の側に立っているものなのか、ということ。

社会は多様な人から成り立ち、多様な立場と多様な見方がある。
そして、おそらくそのどれもが正しいのだと思う。
しかし、時に、求められているのは、どこに、誰の側に、何故、立つのか?ということに関する決断であり、それについてはやはり試行錯誤が必要なのだと思う。

私は、「負ける側」に立とうと決めて生きてきた。
そして、それを損だなんて、思ったことは一度もなかた。今もそう思ってない。
ただ、それは難しいことであって、とても沢山の努力がいることなのだ、と今痛感している。

「負ける側」から見えてくる世界は凄まじく豊かで深い。
そしてそこからは「勝つ側」もよく見えるし、世界の構造もよく見える。
他方、「勝つ側」にいては、その一部が押し付けてくるものの見方しか見えない。
だから、「負ける側」に軸足を置くことは、すごく豊かな思考のプロセスを提供してくれることなのだ。
アフリカの歴史を学ぶことがそうであったように。

今、沖縄で起きていることは、私にそのことの意味を訴えかけてくる。

「なんでもありの価値観の時代」に生きる私たち世代は、一見すべての価値がフラットにみえるこの世界の欺瞞を、「負ける側」に身を寄せることで知り、ある価値のために闘う人たちから学ぶべきところを学ぶことすらできないで、彼らを「ごく一部の他者」扱いにするのだとしたら、彼らが最前線で闘っている社会の価値の意味を、私たち自身が踏みつけ続け、自分たちの未来を実際のところ閉ざしているということに、今気づかないとしたら、もう本当に手遅れなんだろう、と思う。

今日も地球の片隅で、愛するが故に価値あるノーをつぶやく。
そして、つぶやきながら、大地に感謝して、命の糧を頂く。
その往復運動が、人類の歴史の歩みの中で、いかに世界各地でやられてきことなのだと、いつかもっと具体的な形で皆に知ってもらえる方法はないか、と考える夜である。

息子達がサッカーの試合で遅い夜に〜。
あ、、、帰って来た・・。
[PR]
by africa_class | 2015-06-10 04:35 | 【311】未来のために

特定秘密保護法案が衆議院を通過した翌日。日本の子どもたちへの懺悔と決意。

2011年3月11日に東日本大震災が起こって、そしてそのあと原発事故があって、そして事故が及ぼしうる被害を隠そうとした政府があって、それから原発は相も変わらず安全だという神話が出てきて、その度に、日本の子どもたちの皆さんに謝ってきたね。

そして、2013年11月27日。
「特定秘密保護法」という法案が衆議院を通過した翌日、
またしても、日本の子どもたちの皆さんに、謝ることになってしまいました。

まずは、この強行採決の様子を見て下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=p4fDVWqPbH8&feature=youtu.be
特定秘密保護法案の衆院・国家安全特別委員会で怒号の中強行採決の瞬間

こんな日が来ることを、
多くの人は予想していなかったといいいます。
でも、私は予想していた。

歴史を学んできたから。
だんだんこの国が、その権力中枢にいる人達が、権力を失う危険性を察知して、「うるさい市民」を黙らせることによって少しでも権力を堅持し続けようとするのを、間近でみてきたから。

自分自身が、そのような圧力に繰り返しあってきたから。このブログの読者であれば、そのことはよく分かるかと思います。この間、ブログに書けないことも沢山起こりました。これからも起こっていくでしょう。でも、人類の歴史においてよりよい社会や世界のために闘ってきた多くの人々、数々の試練を生きているアフリカの女たちが、そんなことで諦めてはいけないことを教えてくれるのです。これを読んでいただければ。
http://afriqclass.exblog.jp/18695532/

だから、繰り返し繰り返しその危険を述べてきたつもりだったし、大学の授業でもあえて「日中戦争における民衆の動員プロセス」を取り上げてきた。

この2年半はその可能性が増していく一方で、たくさんのことをしてきたつもりだった。
でも、全然力が足りなかった。
まったく、全然足りなかった。

世界で勝ち取られていく人びとの平和と民主主義の一歩、一歩。
あたかも日本が以前より「危ない状況」にあるかのように煽り、真逆に走って突き進む日本を、私たちは今確実なものとして、未来の世代に手渡そうとしている。

ナチスを経験したドイツが、別の道を歩み続けているのを知っているから故に、ますます私たちは一体何をやってきたのだ、何をやっているんだ・・・と自問自答する日々です。

ナチスドイツがやったこと、それと同じことをしようとしていることを看破した池田香代子さんの記事を読んで下さい。
http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51966844.html
「(ドイツの)ワイマール憲法がいつの間にかナチス憲法に変わった」というのは、麻生副総理の世迷い言だ。当時もっとも民主主義的だったこの憲法は、全権委任法の強引な成立で空文化されたのだ。改憲を回避し、からめ手から憲法を骨抜きにする。これが、「ナチスの手口」であり、安倍政権はここから「学んだ」と思えてならない。」

皆さんが大きくなったときに、「なんであの時もっと大人達はやってくれなかったの?」そういう時がくるでしょう。あるいは、もうその時の皆さんは、「国家に飼い慣らされる」状態で、気づきもしないかもしれません。このブログだってあるかどうかわからないけれど、その時のためにも、あるいは次の選挙の時のためにも、11月27日の前後に何が起きたのか、この映像を見て下さい。

http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1683
「アリバイ作りなのか」 秘密保護法・福島公聴会
ourplanet 投稿日時: 月, 11/25/2013 - 19:30
福島の皆さんが、全国の皆さん、そして未来の子どもたちのために、どれだけ身体と言葉を振り絞って、この法案を止めようとしてくれたのか。その言葉の一つ一つを、想いの深さを、その根っこにある深く刻まれた傷に、耳を傾けて下さい。そして、それが東京にいる私たちの「電気」・・・のために生じたことであったことを、そして全国有権者の関心の薄さのためであったことを、心に刻み込みましょう。

福島の桜の聖母短期大学教授二瓶由美子先生の言葉に心の底から同意します。(30分頃から)
「わたしたちも原発事故の加害者です。声を上げてこなかったから」
「学生を守る立場から、子どもたちを守る立場から、この法案に同意できない」
先生は、福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクト立ち上げ時からご協力頂いてきました。大人としての責任を決して、「他人事」にせず、福島に暮らしながら自らを「加害者の一人」として呼び、皆のため献身を続ける先生に、今回も沢山を学ばせて頂いています。

昨日、外務省との「ProSAVANA事業の意見交換会」に出席した学生が、「先生、大人ってどうしてこんなに汚いのですか?」、と。切実な面持ちで。「この社会は、そんな汚い大人ばっかりなのですか?」と。本当にそう思って当然だよね。(このことについては別記事で)。返す言葉がないね。私たちの税金が、どんな人達のどんなことのために、どんな風に使われ、それがさらにどんな風に誤魔化されるために費やされるか。

でも、こんな濁流のような中で、小さな小さな小石であっても、そこにふんばり、頑張り続ける大人達がいることもまた、皆に伝えておこうと思う。人類の歴史が教えてくれるのは、こういう人達のがんばりが「最後の砦」であったこと、そして次の時代の学びに不可欠な「アンカー(碇)」であったことだから。

これを報道し続けてくれる小さな小さな市民のためのメディアが、Our Planet TVさんや、IWJさんやhttp://www.iwj.co.jp、田中龍作さんやhttp://tanakaryusaku.jp/、その他の皆さんの努力があったことを、知ってほしいと思います。

何より、市民たちが身体をはってこれを止めようとしてきたことを、大手メディアや政治家や政党らが動きが鈍い中、どれだけ沢山の市民たちが連日連夜活動してきたか、を。
http://fukurou.txt-nifty.com/himitsu/cat23621881/index.html

今、世界の国際機関や市民が私たちの将来を危惧して声明を送ってくれています。また紹介します。世界の目からみたら、日本が今突き進む道は、戦後「世界の中で名誉ある地位を得たい」との世界に賞賛されてきた憲法の精神を、かなぐり捨てる行為であり、驚き・嘆かれていることを、これこそが日本の安全保障を弱めていくことを、知ってください。
■国連人権理事会・特別報告者の批判
http://mainichi.jp/select/news/20131123k0000m030094000c.html
フランク・ラ・ルー特別報告者(グアテマラ、表現の自由担当)は22日、日本の特定秘密保護法案について「内部告発者やジャーナリストを脅かすもの」との懸念を表明、日本政府に透明性の確保を要請した。国連人権高等弁務官事務所(本部スイス・ジュネーブ)が報道声明で発表した。「内部告発者や、秘密を報じるジャーナリストを脅かす内容を含んでいる」と法案を批判。
■ヒューマン・ライツ・ウォッチ
http://www.hrw.org/ja/news/2013/11/25

友人との喧嘩を暴力が解決することを当たり前にする社会・・・を私たちは決してあなたたちに手渡してはならないと、心から思います。

====
ごめんね、
日本の子どもたち。
あなたたちの未来のため、
開かれた、風通しのよい、
間違った時には間違ったと認め、
批判を改善に役立てられ、
もっとずっと素晴らしい、
そんな国ではなく、
問題も、過ちも、何一つ口にできない、
暗黒の国家を、
手渡す一歩手前に、
私たち大人たちが、
平気でいて。

あなたたちのためにも、
諦めない。
諦めてはいけない。

一人の日本の大人の約束として。

ふなだくらーせんさやか
[PR]
by africa_class | 2013-11-27 18:02 | 【311】未来のために

若者の皆さん、自分たちの力に気づき、目覚めよう。上の世代は利己主義の猛省を。 #若者こそ投票を!

本学着任から9年。あれやこれやの授業で、私が試みてきたこと。それは、学生の皆さんに「知識」や「スキル」を与えることではなく、「学生ひとり一人のエンパワーメント」、そして総合的な「人間力の向上のサポートだった。思いの外、長文になってしまったが今考えていること。ぜひ最後までお付き合いください。

■私の教育マニフェスト(2010年版) 
http://www.tufs.ac.jp/ts/society/africa/manifesto.html
「エンパワーメント」や「人間力」といっても、勉強しなくていいということではありません。人間力を向上させるには、よくアンテナをはり、よく学び、よく読み、よく考え、よく行動し、よく協力し、よく書き、よくふり返らなければならないからです。そして、何より自分自身の人生と生活、そして世界や日本や地域といった社会の中で、「当事者」にならなければなりません。人(先生)任せの勉強、人(親)任せの生活、人(友人)任せの行動、人(社会)任せの生き方では、人間力は培われません。自分の人生・生活・社会の主人公(「当事者」)として自立するための、第一歩を踏み出す。
 「自分が求めるもの」ではなく、「自分が求められるもの」とは何なのか。この発想の転換こそ、今必要とされていることだと思います。それを知るためには、独りコンピュータの前に座っていても、自分の感覚や考えに答えを求めても、何も見つからないでしょう。なぜなら、「他者」、そして社会との関わりがなければ、その答えは見つからないからです。是非、大学のキャンパスから一歩も二歩も足を踏み出してほしいと思います。あるいは、大学の中にもたくさんの機会があります。
 なぜなら、何事においても答えは一つではないからです。どこから見るか…で、すべては変わってきます。たった一つの脳みそ、身体しかないわたしがみなさんに教えられることは、ごくわずかです。そして、わたしの見方はわたしのものであって、世代の違うみなさんがもつ視点から見たときに、必ずしも妥当ではないかもしれません。何より、ここから先はみなさんが自分の力で人生を社会の中で生きていくのであって、自分で考え、自分の見方を育む一方、別の人の考えやものの見方から学ぶという双方向のやり取りこそ重要です (続きはHPへ)。」

 そして、外大生の一部は見事に変わったと思う。それは外語祭を見ればわかる。勿論、外語祭実行委員会の頑張りもあったけれど、従来の「部活」「サークル」に留まらない、学生の主体的なグループ化や活動が、しっかり示された。
 ゼミ生をみていても、心の底から成長したと感じる。もはや、私など不要だと思うほど。先輩が後輩にしっかり伝統は受け継がれ、皆が自主的に、主体的に動いている。
 今年後半のゼミ生が自分たちで作ったビジョンはこうだ。

■3年生のビジョン
目標:自立と助け合い
○自立とは:自ら動く/目的意識を持つ
○助け合いとは:相互扶助/頼るに足る信頼関係/互いのことに興味を持つ(自分のことに一生懸命にならない)
○その結果、自分たちがどうなるのか:立派な先輩になる/4年生に負けない
→つまり:本質を見抜く力をつける/批判力をつける
■4年生のビジョン
目標:【社会を変えるための人間力と仲間を手に入れる】
ーみな、現状の社会に何かしら違和感を覚え、変えたいと思っている。それを達成するために私たちに求められているもの、それは総合的な「人間力」と支え合える「仲間」である。

 「若い人たちは変わる力を持っている」
 これが、この大学に着任して9年、心の底から思うことだ。
 この素晴らしい「力」を、しかし、彼ら自身が気づいていないこと多々。大人たちが、長年にわたって、「いかに出来ないか」を強調しすぎたせいだと思う。
 自分や互いの「もっている力」に気づく。
 そして、「その力」を開花させる。

 それこそ、子どもから若者に関わる私たちの与えられた大きなミッションだと思う。

 しかし、大学を見ても、世間を見ても、親たちを見ても、そんな風に若者のことを思ってる人はあまりに少ないという現実にぶち当たる。若者の力を信じないからこそ、「自分たちの世代だけの安心」を求める利己的な傾向があることは事実だ。
 311前の1年間、私は都内の諸大学や各地の「市民大学」「市民講座」の講師をした。そこで、「困っている人がいたら助けるか」どうかの質問に、大人たちは軒並み「NO」というのに対し、圧倒的多数の若者が「YES」と答えた。「若者は自分勝手だ」という思い込みのある人には意外な結果かもしれない。
 勿論、若者たちは現実を知らず、親のすねをかじっているから安易にYESと答えられるのだという意見もあろう。退職後の方が多い市民講座において、先行きの不安を沢山お持ちで他人のことなど・・・という方も多いだろう。しかし、市民講座の多くは裕福なエリアで開催され、参加者の多くは大企業の海外経験者であった。その人たちをして、「他の困っている人への感度」の低さに、私は現在の日本社会における世代間格差の本質が横たわっていると思う。
 そんな大人たちの利己的な姿勢は、必ず下の世代に影響する。せっかく、今「他者への思いやり」を持っている若者たちも、大人たちが創り上げてきた社会が彼らを犠牲にする形で成り立っていく事実に気づいたら、どのような「共に生きる社会」が描けるだろうか?
 今、若者は夢が描きづらい社会に生きている。それは大人たちがそのように繰り返し口にするだけでなく、大人たちによる「自分たちさえよければ」の政策の帰結からも明らか。

●未来を奪う教育予算の少なさ(OECD下位&平均10%に対し日本4%、大学への奨学金は給付型ではない)
●雇用形態(非正規雇用当たり前、特に若者層の二人に一人は非正規雇用か失業中)
●社会保障の在り方(現在60代と20代の社会福祉に支払った額ー将来受けられる額の差は1億円という試算も→http://blogos.com/article/51386/)

 そのいずれもが、10年後、20年後、30年後、破綻することは確実な状況である。なのに、相変わらず作り続けられるコンクリートの塊(道路、ダム、公共施設、住宅)、そしてリニアモーター!トンネル事故で明らかになったことは、これ以上のコンクリートを増やすことではなく、補修・維持のために予算を振り分けていかないと、人の命すら奪われてしまうということ。でも、ゼネコンや地域票、利権のため、政治家も官僚も、このようにお金を浪費し続けたい。
 せっかく「コンクリートから人へ」という素晴らしい転換を掲げた民主党の2009年の政権交代は、地元土建・自治体・官僚・御用学者によって巻き返された。その明らかな例が八場ダム。
 もはや、多くの若者はそんな社会から撤退を始めている。なぜなら、今の若者たちは、既に40%が年金を払っていないからだ。さらに、不登校、ひきこもり・・・。これらの若者たちが社会のリーダーになる20年後、どんな社会が待ち受けているだろうか?それを準備しているのは、今の大人たちなのだ。

 卵が先か、ニワトリが先か・・・。
 つまり、若者が変わるべきか、大人たちが先に変わるべきか。

 この論争の答えをずっと考えてきた。そして私の答えは311後は明快だ。旧構造の転換は重要である。そこに関わる人たちにも変わってほしい。がしかし、その壁の厚さは凄まじいもので、ともすれば消耗しきってしまう。がしかし、冒頭に書いたとおり、「若者の自らで変わる力」は柔軟で、素晴らしく、しかも未来がある。
 
 だから、人間力を向上させつつある若い皆さんに、次の課題を呼びかけたい。
 それは、「社会の一員としての当事者性を存分に発揮する一つの手法」としての、選挙への参加である
 必ず投票に行こう。そして大人たちをびっくりさせよう。
 60代以上の投票率は20代の投票率の2倍である。

 
 人口がそれでなくとも少ない20代なのに、この投票率の低さが、若者の未来への国策の投資(予算配分)が疎かにされている原因である。また、皆さんのさらに下の世代である子ども世代への投資(子育て、教育etc)もまた無視される背景にある。そして、皆さんたちの未来に多大な不良債権を負わせることになる原発を、まだ再稼働・新設しようなどとする政策についてよく考えよう。

 「原発が安価で安定している」などというプロパガンダが嘘だったことは、既にはっきりしている。日本に54基の原発は必要なかったことがはっきりした(現在2基だけ稼働、しかも2基がなくても夏は乗り切れた)。原発が必要だと言っているのは、原発政策からお金を儲けてきた人たちであることに気付こう。それは、電力会社であり、政治家であり、原発関連企業であり、高級が取れる天下り先を確保したい官僚であり、御用学者であり、多大な広告料収入を得てきた広告会社であり、マスメディアなのだ。
→http://www.47news.jp/CN/201107/CN2011072201000982.html  (「自民個人献金、72%が電力業界 09年、役員の90%超」)
→http://mainichi.jp/select/news/20121202mog00m010019000c.html  (「民主党が「原発ゼロ」をマニフェストに盛り込み、「働き場を奪われかねない」と反発。労組内には候補者推薦の条件として原発存続を求める動きもあるなど、民主候補者に事実上の「踏み絵」を迫っている」)
→http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/423601.html (「北海道電力の現役社員の身分のまま、道議や市議を兼務している「社員議員」が9人。市議の8人は議員報酬以外に同社から給与。人件費として電気料金に反映されており、「議員活動を電力利用者に支えさせる形」」)

 しかも、地震大国の日本にあって大半の原発は活断層のそばか真上に作られている。原発事業主にも、官僚にも、御用学者にも、政治家にも無視されてきた。しかも、大飯原発の調査は選挙の争点化を避けるために「活断層」と否定できないとするものの、動かされたまま調査は止まっている。調査前は、原子力規制委員会委員長は「グレーだったら黒」「グレーだったら止める」と言っていたのに、だ。
→http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012110502000158.html (「大飯原発調査 活断層見方強まる 結論は持ち越し」)
→http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012120202000096.html (「敦賀原発 敷地内断層「大変活動的」」)

 次の大規模地震にまた被害が出る可能性は否定できない。東日本大震災ですら事前に予測できなかった。それが明日だとして誰に分かるだろうか?何より、原発業界はあれほどの事故を起こしたにもかかわらず、猛省もなく、相変わらずの「ずさん管理」「情報隠ぺい」体質からの脱却はない。住民の安全をこれらの業界や政府に任せておく危険性には、福島の事例ではっきりした。
→http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20121205-OYT1T00481.htm?from=tw (「もんじゅ点検不備9700件…書面化せず延期」)

 そして、福島原発事故の賠償も廃炉も何も進んでいない。膨大な移染(除染ではない)処理の費用も含め10兆円を超えるという試算が既に東電から出ている。島根県が1億円を超える賠償を東電に請求したが、このように今後東電や国が想定していない賠償要求は続くであろう。なにより、生活を突然奪われた福島県16万人の避難者への生活の保障も賠償も十分に行われず、国策・企業行為の失敗のつけはすべて普通の人びとが負っている状態にある。しかも現在、原発規制委員会委員長に就任した田中俊一氏(国会の同意なし)は、自主避難者への賠償に反対した人物。被害者になってなお、賠償もされず、このような不公正と闘わねばならない人びとの苦しみを「他人事」にしないために下記映像をぜひ。
→http://mainichi.jp/select/news/20121201k0000m040048000c.html  (「島根県は、東京電力福島第1原発事故で肉牛の放射性セシウム濃度検査などに費用がかかったとして、東電に総額約1億2500万円の損害賠償を請求すると発表」)
→http://www.youtube.com/watch?v=JXXRBJjH4bQ (「原子力損害賠償紛争審査会(18回)後半 ラスト3分42秒。自主避難者への賠償が決定した後、閉会間際にわざわざ能美会長からマイクを奪い、自主避難者の目の前で「賠償はすべきでない」とのメモ読み上げ。怒る福島の方々、叫ぶ女の子の姿も」)

 東電の賠償・福島第一の廃炉総額は10兆円ですら足りないかもしれない。日本の原発の保険を民間でもはや引き受ける人たちはいない。原発は税金なしに維持できない高額な電力なのだ。それをはっきり示したのが、ドイツ企業のシーメンスの原発事業からの撤退。福島原発事故を受けて、ドイツ政府が脱原発を決定したのを受けて、民間単体では利益が出ないどころか、リスクを含めて商業的メリットがないと判断し、潔く撤退。それぐらい原発事業への税金の拠出は膨大である。しかし、日本ではそれらの金額を積算しないで「原発は安い」といっている人たちがいる。政府、政治家、御用学者、メディア・・・彼らは、まず信用できない。
 何より、日本にも世界にも、これらの原発から出てきた廃棄物処理の安全な技術を持たず、「トイレのないマンションに暮らす」状態にある。これ以上、原発を動かせば動かすほど、この処理は困難で、高額になる。「安定的な電力」という欺瞞は、「出口」を予想せずに戦争に突入した戦前の日本と変わりない。安全に廃棄物処理ができないで、「安定的な電力」といえるとしたら、それはもはやプロパガンダで脳みそがやられているのか、あるいは分かっててあえて利己的な思惑のためにいわれているに過ぎない。そして、最終処理が何も決まっていない以上、おの汚染物質と未来永劫不安と共に暮らしていくのは、将来の世代なのだ。

 以上は福島の犠牲(今だに16万人以上が避難生活)を受けて、私たちが学んだことであった。そのことを、特に東電管内にいる我々、あるいは大量電力の消費地でありながら原発という危険物を引き受けてこなかった私たちが肝に銘じるべきことの数々である。

 以上は、「たかが原発」の話ではない。この国は、過去の戦争において、簡単に人びとの命を犠牲にしてきた。311後、原発の問題、脱原発の難しさ、放射能汚染を軽くみようという圧力の数々・・・をリアルに目の当たりにして、私は自分の「平和のための暴力研究」が、いかに不十分だったか思い知った。
→http://www.kahoku.co.jp/news/2012/11/20121130t61011.htm (「福島県が県民健康管理調査検討委員会の事前会合に当たる「準備会」に関する部分を削除したことが県の関連文書で分かった。文書の開示請求を受けるのを避けようと、準備会の存在を隠した可能性がある」)

 日本社会の、声が小さい子ども、若者、女性、社会的弱者を犠牲にする仕組みは、ここまでも腐敗し、人の命と健康と幸福を蔑にするものだったということに目が覚める思いだった。原発も、第二次世界大戦も、若者と子どもの未来の軽視も、すべて同じ根っこに起因する。
 特に、「特攻隊」と称するものに若者をあえて乗せるなどという愚策を行った。何故将来のある若者を、大人たちが始めた戦争の犠牲者にしたのか?美談で済まさず、今一度その背後にある思惑を考えてほしい。戦争を始め、推進した人たちは、自分たちは犠牲になる気などさらさらなかったのだ。自分たちはどうせ年齢で、要職により、最前線になど行かなくてもいい。そういう者たちが煽ったのだ。煽る時、特攻隊を美談にして、もっと若い者たちを動員しようとした。「若い血が流された」と皆の怒りの矛先を「敵」に集中させたが、そもそも「それほどの素晴らしい若者を率先して死なせたのは誰だったのか?」を問うてほしい。しかも、戦況が限りなく悪いことを隠してのことであった。
 そして、今、同じように大人たちが、自分では戦場にも行く心配もなく、徴兵にも応じる必要のない年齢の政治家たちが、「国防軍」「徴兵制」「核武装」などと口走っている。21世紀、戦争が民衆を犠牲にすること、バカらしさを熟知したはずの今、このような事態が訪れるなどとは思ってもみなかった。
 
私たちが今目にしているのは、
①戦前から変わらない国家の肥大化とそれに群がる官政民財学メディアの利権構造、
②その構造が崩れる可能性に直面し(グローバル化や政権交代)、一致団結して反撃するため、形振り構わぬやり方で構造維持に力を併せている姿、
③以上の権力による一人ずつの人間の命の軽視、
④そして民衆自身の無自覚無関心、である。


 311後、これとの闘いを、私は上の世代の端くれとして引き受けなくてはならないと腹をくくった。でも、下の世代である若者の皆さんには、①~④の自覚の上で、新しいものを一緒に創ってほしいと思っている。そして、若者と同様に、女性たちにも。

 批判だけでは何も生まれない。
 でも、批判しないと今の状況は悪化するだろう。
 だから、今日も批判しながら、新しいものを創り出そう。


 新しいものを創り出すときに、皆さんのような若者と女性たちのもっている力は素晴らしい。
→http://wan.or.jp/group/?p=2347(例えば、「全国おばちゃん党始動式に参加して~「福祉」「人権」「おっさん政治」をめぐり議論炸裂」)

 私はそれに希望をみているし、期待してもいる。まだ先は長いけれど、今丁度よい機会が到来している。東京都知事選挙と衆議院選挙である。こんなに注目された選挙はなかなかないし、新しい動きが既に沢山出てきている。どうせ後12日。皆さんの将来はもっと長いスパンで考えるべきことであるけれど、この選挙の結果は後5年も続いてしまう。その時、皆はもう家族がいるかもしれない。5年後の自分の生活を考えて、今を大切にしよう。

 若い人が今回の選挙に際して出来ることの5点、
(1)なんといっても投票に行こう!
●期日前投票を大いに活用しよう!

投票日当日に用務や仕事がある人は5日~15日まで「期日前投票」が可能。住民票がある選挙区の期日前投票所で朝8時半~夜8時まで普通に投票が可能。
●下宿中の皆さんは実家に帰ろう!
下宿中の大学生の皆さんの大半は住民票を実家の住所に置いたまま?ぜひ実家に電話して選挙管理委員会から届く投票案内を取り置きしてもらい、来週末は実家に行こう。そして、その前に家族ともよく議論しよう。勿論投票は秘密で、それぞれの決断が反映されるべき。私がいいたいのは、投票の中身ではなく、親世代というこの社会の要になっている50代以上の人たちに、若者の皆さんが挑戦する良い機会だということ。全ての若者がそうすれば、変わると思わない?50代以上の人たちは、皆多かれ少なかれ「誰かの親」であることを考えれば?

(2)候補の選挙事務所に行ってお手伝いしよう!
若者の特権は、時間と体力。どうせ12日程度。近くの(選挙区でなくてすんでいる近くでも大学の近くでもOK)候補者の選挙事務所に行って、ボランティアを申し出よう。本当に社会勉強になる。大学と下宿や実家しか知らない、あってバイトしか知らない「世間」の枠を、一気に「社会」に広げられる良い機会。こんな良い機会を活かさなくてどうする?
 問題は誰の?というところ?
 プロの政治家の事務所よりも、市民から今回立候補している候補者のところが色々な人も集まっていて勉強になるだろう。
 身近にそういう候補者がいない場合は以下で探すのもいい。
「脱原発つうしん簿」各選挙区の全議員にアンケート実施。自分や気になる選挙区をクリックすると議員のアンケート結果が分かる。→ http://giintsushinbo.com/

(3)暇はないがカネはある場合
学生には無理でも会社等で働いている人にはこれも有効な手段。税控除が受けられるので、ぜひ市民派の立候補者たちを支援しよう。というのも、日本で選挙に出るには小選挙区だけで300万円もかかり、立候補のハードルが非常に高いから。多くの候補者が300万円を集めきれていない状態で、さらに選挙運動の費用が重くのしかかっている。1000円でも5000円でも1万円でもいいから、寄付をしてあげてほしい。

(4)でも何より選挙について、政策について話そう!
若い人をみているとあえて政治や政策マターの話題を避けてる様子が良く分かる。「政治的に見られるのが嫌」、「他人と違っているのが嫌」、「変わった人と思われたくない」、「こういう堅い話題で聞いている人がシンドくなるのが嫌」、「会話が重いのが嫌」など色々言い分はあるだろう。でもだから、皆さんの投票率は、60代の半分になってしまい、皆さんの将来を誰も考えない。
 感傷面での「恥ずかしさ」や「群れる安心」を捨てて、「個」になることこそ、皆さんの人間力向上になるし、これからの激動の社会で生き延びる糧になるだろうし、何よりそのことによって社会が全体として良くなるきっかけになる。
 皆さんは一人の若者であると同時に、周りの人に影響を与えられる立派な社会の一員であるし、皆さんより下の世代のリーダーでもある自覚を持とう。

(5)そのためには複数の新聞を読み比べよう!
公職選挙法が古すぎて、投票を呼び掛ける有権者への電話やビラ貼りは許されているのに、インターネット上での候補者の情報アップはFBもツイッターもブログもすべて禁止されている。となれば、マスメディアだが、民間TVは大量の宣伝費を必要としており、原発等の産業界への配慮から自民党支援。NHKも同様に「政権放送」となているため、過去の政権与党の自公、今の政権の民主への配慮が凄い。
 なので新聞の出番だが、各新聞の政治へのアプローチは正反対で片方だけ読んでいると、ネガティブっキャンペーン合戦も凄いので、判断を見誤るだろう。特に、(a)ヨミウリと産経は報道の正確さを欠いており、主義主張にあわせた報道が目立つので、家でこれらを取っている人たちは、あわせて(b)朝日と毎日のいずれかをこの期間は必ず読もう。そして、(a)でも(b)でも、是非あわせて読むべきは、(c)東京新聞。原発報道でも賞を取るなど、一人一人の立場に立った報道を志しており、広告収入も少ないので権力批判を恐れない良い記事が多い。

■最後に■
 権利とは誰かがくれるもんじゃない。きっとまだ「子ども」気分が抜けない皆さんは、「権利はあって当たり前」「権利なんてなくても大丈夫」・・・などと思っているだろう。あるいは、皆さんの親世代も同様にそう思っているかもしれない。
 でも世界史を思い出してほしい。古今東西、世界のいずれの社会でも、人びとはこうやって権利を闘い取ってきた。そしてそれは手を緩めるとすぐに奪われてしまう権利だった。
 2012年末の今。1945年のWWII後、先人たちが一生懸命守って来てくれた「平和」「自由」「民主主義」のいずれもが、危機に瀕している。今、有権者である皆さんは、これを私たちと一緒に転換するあらゆる力を備えていると思う。

 以上のいずれの権利も憲法に書き込まれている。社会科の授業以外で改めて読んだことがないと思うので、是非これを機会に読んでみよう→http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html
 気負わなくていい。まずは「最初の一人」になるのを恐れず、大いに選挙について政治について、政策について、周り、家族、その他と大いに話してみよう。そのために、よく調べ、よく考え、よく論じてみよう。皆さんの将来、皆さんの権利。皆さんの他の誰か・・・に期待するのではなく、「威勢のいいヒーロー」に期待するのではなく、一人一人が主人公の社会の創造に、今こそ立ち上がる時なんだと気付いてほしいと思う。

*なお以上のことはツイッターでデータや出典を明記する形で示してきたので(原発のこと、政官財学メディアの癒着、国防軍、憲法、世代間格差など)、そちらを遡っていただければ→@sayakafc
*その他、以下参考まで。

1)選挙事務所を手伝おう!キャンペーン&情報提供
http://miraisenkyo.wordpress.com/2012/11/30/support/
2)facebook「選挙事務所を手伝いに行こう!」
市民のお手伝いを募集している事務所情報を掲載・シェアするための公開グループ
http://www.facebook.com/groups/564636013553912/
3)「#投票なう」キャンペーン
期日前投票に行って「#投票なう」しよう!
http://miraisenkyo.wordpress.com/2012/11/22/now/
4)市民がやっていい選挙活動をまとめました
http://miraisenkyo.wordpress.com/2012/12/02/ok/
5)有権者に対する情報提供
脱原発つうしんぼ(結果の公開がはじまっています)http://goo.gl/ZYNCm
総選挙でグッバイ原発 http://vote4it.info/
脱原発議員総覧 http://goo.gl/hF4IC
6)選挙に関わる全国の様々な取り組みのリンク集
http://miraisenkyo.wordpress.com/2012/11/15/link/
[PR]
by africa_class | 2012-12-04 01:38 | 【311】未来のために

ドイツでのある一日から:生活に密着した「主権在民の具現化」と「社会関係資本」の日々実践の重要性

義母入院もあり休暇を取ってドイツにいます。来年中学生になる息子の進路(日本に帰るか否か)の話し合いも継続中。こちらは急速に秋。昨日は一日中寒空で過ごし、やっぱり風邪を。
ツイッターで書いた意見ですが、分散しているのでまとめ、写真をアップしてみました(ネットの調子が悪いので後でアップします)。

昨日は、ドイツの「主権在民」を自分で具現化するパワー(ピープル・パワー)を感じた1日でした。その根幹にあるのは、「新旧コミュニティ」の重要性、つまり「社会関係資本(ソーシャルキャピタル)」を自ら創り出す、あるいは継続させることの重要性です。昨日1日、子どもの行事に参加したことを基に、大学時代から日本で市民活動を21年やってきて思うところを書いてみます。

(1)マンモス公教育がダメと思ったら廃校を改装しシュタイナー学校を招致(保護者・教員がセルフビルド)
(2)村寄合いの場としてサッカークラブを全村で設置・維持(村人が少年試合ですら応援に)
(3)新興住宅地で地縁作りのため隣人祭り(オクトーバーフェス)

(1)子どもの通うシュタイナー学校のオープンスクールに参加して
シュタイナー教育(日本以外ではヴァルドルフ・シューレ)については
→http://altjp.net/classification/article/94(日本語)
→http://www.iaswece.org/index.aspx(英語/ドイツ語)
世界に1000校あり、ドイツでは公的な教育機関として認められています。

ドイツでも公立学校は問題が多いです。大人数の教育(といっても日本みたいに40人学級は当然ありませんが)、詰め込み方式、没個性教育…これらに問題を感じる大人たちが、あちこちでオープンさせているのがヴァルドルフ・シューレ(シュタイナー学校)です。
 子どもが通う学校は、村の少子高齢化で廃校になった古い校舎を譲り受け、保護者や教師、賛同者たちが自らの手でセルフビルドしたもの。そう聞くと、なんかボロ校舎をイメージしますが、素材は安くても自然素材を徹底。木、コルク、紙、自然塗料(アウロ社)。
a0133563_1973987.jpg

旧い校舎の上に、工作室(木工・裁縫・図工)を増設。木の壁は単なる巾木を貼っただけ。
a0133563_19194440.jpg

天井も断熱材を留めただけ。省けるところは省きます。とはいっても窓枠は断熱性の高い3重窓。機能重視。
a0133563_21495417.jpg

そしてエネルギーも自然エネルギーを中心に。この時天気が悪かったものの、屋根上の太陽光パネルが頑張っています。「見える化」して子どもにも環境教育。
a0133563_2144250.jpg

ドイツらしく機械も使いますが、「手仕事」を重視しているため、「糸をつむぐ・織る」などもします。
a0133563_21474678.jpg

何事も整理整頓なところがドイツ・・・。


(2)各コミュニティにあるサッカー・クラブ
「たかがサッカー、されどサッカー」
子どもがサッカーを始めるまで、サッカーが紡ぐコミュニティの結束についてまったく関心がありませんでした。けれど、地元の深大寺で子どもが地域のサッカークラブに入り(小学校のではなく)、年齢を越えた仲間意識、大人たちの飲み会などをみて、「束縛ではなく、応援したいからする新らしいタイプのコミュニティ」の可能性が見えてきた部分もありました。が、結局大人たちの仲間割れで終わってしまったのを残念に思っていました。おそらく、「新旧コミュニティ」が繋がっておらず、またそれらをうまく繋げるファシリテーターがいなかったせいだと思います。
 ドイツは地方分権化・衛星都市化(核となる地方都市が国中に散らばって同心円状に村々が囲む)があらゆるレベルで進んでおり、日本のように一極集中&長距離通勤は稀です。街中で働いていても、生活水準の高い(広さ・食べ物・安全・コミュニティ)村に暮らす家族が多いです。子育て世代も村から出る人達もいますが、むしろ村に住みたがる傾向もあり、地方分権&衛星都市機能は、村が継続していく重要な背景となっています。
 その前提ではありますが、このような村の暮らしと結束にとって、地域のサッカー・クラブは非常に重要な役割を果たしています。これは子どもが実際にサッカークラブとして、街のものではなく、近隣の村のクラブに入ったことで見えてきた特徴でした。サッカークラブといっても芝生のフィールドと更衣室と倉庫があるだけ。でも、さらに重要な点は、バーがフィールドに面して設置されていることです。休みになると、子どもたちの練習や試合を眺め、お酒やコーヒーを飲み、交流するために村中の人達がやってきます。子どものサッカーをネタに、よくそこまで話が弾むなあ・・・と思いつつも、皆一生懸命。その際に、クラブ運営やコーチ不足のことなど調整していっています。
 そして当然、サッカーだけでなく、コミュニティの課題や祭りの話し合いも出てきます。重要なことは、「男たちに集まる場がある」という点。日本のように、「男飲み」が「居住地を離れた都市の職場で同僚と」となると、地域や家族から遠く離れていきます。「飲みは憂さ晴らし」であっても、地域でやれば、もっと積極的な意義を付与することができます。大手資本(居酒屋チェーン)に回収されないし、地域経済の活性化にも繋がりますし、長時間移動しなくてもいい。気が向いたら、サッカークラブの横の居酒屋に寄って、語り合う。それらの居酒屋は閉ざされた空間ではなく、妻たちも、子どもたちも、しょっちゅう立ち寄る。そこで、家に誘い合い、食事ということも。つまり、「休日・退職後の居場所&活躍の場」、「コミュニティへの定着の機会」が、サッカークラブ&居酒屋という最強コンビで生み出されているのです。
 ちなみに、「村のクラブ」といっても立派なブンデス・リーグ所属組織。1次リーグから10リーグぐらいまであるのですが、この村のクラブは第7リーグ所属。幼稚園生から大人まで、いくつものチームが所属し、お兄ちゃんたちもまた小さな子の試合を観に来ます。

(3)隣人祭り
このような昔からある村のサッカークラブを舞台とする旧コミュニティの一方で、新興住宅街も作られています。そういうところでは、人びとはどのようなコミュニティ創造を試みているのか。これはどこでも・・・というわけではありませんが、年間行事が非常に重要な役割を果たしています。
 ①5月祭り、②10月祭り(日本でお馴染みオクトーバーフェス)、③クリスマス前の祭り(クリスマス・マークト)です。①については、既にこのブログでも紹介しました。基本的に、いずれも農業と宗教にあわせた暦で動いており、その点で日本のお祭りとよく似ています。
 ①は日本で知られておらず、②はバイエルン(ドイツ南部)のものばかりが知られています(あのテントや居酒屋でビールジョッキを手にしている民族衣装の女性たちの姿)が、いずれもコミュニティのお祭りで、①②の時期が近づいてくると、通りにコミュニティのテーマカラーやシンボルの旗や飾りが登場します。
 古いコミュニティなら、集まる場が確保されていることも多いのですが、新興住宅地ではそれもないので、持ち回りで「ガレージを居酒屋として解放」する形が多いようです。昨夜行ったのは、本格的でコミュニティでテントを借りています!このお代は、ビール代にプラスアルファする形で回収します。なにせ、オクトーバー・フェスはビールのお祭り。
a0133563_19474763.jpg

 ここで、同じ年代の者同士、年齢を越えた交流、子育て世代の情報交換、介護情報交換、いろいろなソーシャルな関係づくりが行われていきます。もちろん、真面目な顔をしてというより、音楽はがんがんかかっているし(やっぱり60年代、70年代の・・・)、ビールは次から次へと消えていくし・・・基本は楽しむこと!そして、それぞれが「メイン」「穀物」「サラダ」「デザート」とわりふった手料理を持参し、お皿も自分の家族とゲスト分は各家族と徹底しており、ごみが出ません。これが可能なのは、「近所」でやるから。

===
 という1日を過ごし、以下のようにふり返りました。
昨日であったドイツの人たちは、日々生活で直面する教育やコミュニティ等の問題を、①互いに話し合う場をもち、②行政を動かし(行政は「お上」でなく自分たちのもの)、③動かなければ自分たちで動かす=「暮らしと社会の主人公は私たちだ!」の意識が徹底しており、皆、政治・経済・社会問題に関心&一家言ありました。
 日本の市民社会には、この「根っこ=日々暮らしとの接合=コミュニティ」が欠けていた。暮らしの場を共有しない遠隔の志を共にする者の活動だった。通信革命でバーチャルコミュニティが可能に。私自身それを存分に活かした10年でした。特に、距離と時差のあるアフリカ・日本・世界の市民社会間の連携が促進でき、一緒に政策提言・アドボカシー活動が出来たのも、インターネット(メール、スカイプ、ML)のお蔭でした。
 しかし、2008年のTICAD IVが終わった時に、何かが足りないと思いました。都市中心の活動に終始し、社会的広がりに欠けたように感じましたし、根無し草的な気持ちにもなりました。だから暮らしの場・深大寺コミュニティにコミットすることで新しい市民活動を模索し始めました。
 そんな時に震災と原発事故が発生しました。日本国内でも、この震災によってコミュニティへの注目が喚起されました。また、事故後発生した反(脱)原発・瓦礫運動は暮らしの場での市民活動を、「当たり前」にしていきました。そんな「暮らしの場」と運動の接合点を持たない都市住民には、「金曜日・官邸前」という場(コミュニティ)が誕生した。暮らしの場からは程遠いけれど、ネット上で繋がって終わりでなく、具体的な一人ひとりの人同士の意志と声と温もりとの触れ合い、交流の場が紡ぎ出されました。
 これらの運動・活動の原点は「命を守る」「暮らしを守る」ということでした。これは、とてつもなく単純なもので、かつ強い意志に基づくものでした。ただし、この「命・暮らしを守る」というスローガンは、かつて家族だけ、コミュニティだけに通じるものであり、かつ国家・為政者に絡め取られた時、戦争になりました。それが今、尖閣諸島をめぐる衝突で危機に晒されているとはいえ、国家と利権者が奪う「命と暮らし」に対して、見知らぬ者同士が新コミュニティを立ち上げる契機を提供しています。
 そして、その主役は「お母さん、お父さんたち」であり「おじいちゃん、おばあちゃんたち」であり「おねえさん、おにいさんたち」である。そして、都市に限らず、かつ小さくとも、それぞれの生活の場で生まれています。そのことを、これから先何があろうとも、忘れないでいたいと思います。
 だから思うのですが、今日本各地で起きている地殻変動のような新しい動きを、小さくてどうなるか分からないものであろうとも、寄り添って、応援したいと願っています。そこにこそ日本の未来があると思います。従来の右肩上がり経済成長路線感に基づく利益誘導型政治で何が起こるか、私たちは知りました。原発事故だけでない。あれほどの大々的補助を受けたテレビメーカーが、存続の危機に晒されていることにもそれは明らかです。
 納税者の税金が原資である国の政策・補助金にしがみ付く一方で、「経済が崩壊する」と脅しをかける日本の経済界。そして癒着する政党・政治家・官僚に、私たちの命と暮らし、決定を弄ばれるべきではないと思います。世界はそんな甘くはありません。日本国内にしか目を向けず、自分たちを変えようともせず、相変わらず昔のやり方で、旧来型の経済・政治にしがみ付く斜陽業界重視では未来は切り拓けません。
 実際、新しい産業の芽を摘んでいるのは、これらの旧来型の業界です。今世界も日本も急速に変化しています。少子高齢化、環境汚染に伴う災害の多発、食料危機。これらは、旧来型の経済の帰結です。それを乗り越えるために知恵を出し合い、新技術を創造すべきときに、問題を起こしてきた側の私たちの構造が変わろうとしないのでは、10年後、20年後に、確実に「増える一方の課題」を解消する術を持たないままにこの社会は崩壊の一途を辿っていくでしょう。

 一人ひとりが力を付ける&つながり合う<=>問題を分析し、話し合い、力を合わせ、乗り越える方向に努力する<=>社会を変える・社会が変わる<=>自分たちで豊かさと未来を創造する<=>ピープルパワー&主権在民

 という岐路に、今私たちは立っています。
 利己的な目的のために動く業界・政治家・官僚・メディア・学者が、しかし、これを抑えようと全力で力を注いでいます。彼らのいう「経済のため」「国のため」という文言に踊らされて、かつて日本の国民がやったこと、それこそ戦争でした。このタイミングで、領土問題が生じているのは、決して偶然ではありません。
 私たちは、空虚な言葉に頼るのではなく、具体的に、自分たちの持ち場で、ひとつでも、二つでも、新しい試みを創造的に進めていきましょう。
 一人一人が力をつけ、つながり合い、命と暮らしのために、それが起きている場所で、諦めずに問題を追及し、未来を創造していく。そんな決意を新たにした一日でした。

最後は、未来を担う子どもたちの作品です。
a0133563_21542551.jpg

a0133563_2158223.jpg


この学校の子どもたちと、今年子どもの日&原発ゼロの日を祝うための「緑の鯉のぼり」プロジェクトに参加。その様子は、ブログの以下の記事→
http://afriqclass.exblog.jp/15196531/
http://afriqclass.exblog.jp/15196708/
http://afriqclass.exblog.jp/15206177/
[PR]
by africa_class | 2012-09-23 20:08 | 【311】未来のために

ごめんね、子どもたち。子どもたちも社会の主人公。そして、子どもたちとの約束。

世界と日本の子どもたちのことをずっと考えてきました。
特に、アフリカの。戦争で兵士にされる、傷つく子どもたちのこと。貧困で食べるものに困る子どもたちのこと。身体を売るしか生き延びる道がない子どもたちのこと。学びたいのに途中で断念せざるをえない子どもたちのこと。今でも、この子どもたちのことを何とかできないものかと日々試行錯誤しています。

でも、3・11が起こってから、特に日本の子どもたちのことを考えることが増えました。アフリカよりも何百倍も何千倍も経済的に豊かなこの国で、起きていることを目の当たりにして。その時、最初に頭に思い浮かべる言葉は、「ごめんなさい」という一言。この国の底知れぬ闇とどうしようもない構造、大人たちの利己主義、不正義に隠ぺいに、嘘、取り繕いに、人のせい…そんなものを目の当たりにする度に、子どもたちに「ごめんなさい」と謝っています。謝ってすむわけじゃないけど。

いじめに遭っている子どもたち、虐待を受けている子どもたち、こんな事故が起きてなお避難する権利を認められない子どもたち、留まっても「安全」が連呼され検査を受けることすら阻まれている子どもたち、避難しても自由に親に会えない子どもたち、官邸前に通い声を振り絞って「原発反対!」を唱える子どもたち、一人ひとりの子どもに、この国の一人の大人として「ごめんなさい」と伝えたい。

この国が、この社会が、ここまでひどくなっていたことに、十分気づかなかったこと、気づいてもまだ変えられていないことに、「ごめんなさい」と伝えたい。次から次へと繰り返される、無責任で、嘘つきな大人たちの言動を、他人ごとではなく私たち自身が許してきたことに。自分たちに「どうせ力がない」、悪いのは「えらい人たちだ」という態度をとってきたことに。色々なことに無関心であったことに。あなたたちにこれほどまでの犠牲を強いてなお、気づこうとしない大人の端くれとして。自分のこととして、私はあなたたちに謝りたい。

あなたたちの真っ直ぐな心、不正義を憎む鋭い直感、キラキラ輝く命、あなたたちの深い絶望と傷、あなたたちの迷いや闇や内に秘めた衝動。そんなあなたたちの全体を、私は大切に想う。「守りたい」という一方的な言葉を越えて、あなたたちと共にこの社会を生き、共に変えたいと願うのです。

残念ながら、この国の汚れきってしまった大人たちには、あなたたちが必要です。あなたたちを「関わらせるな」という声も聞こえます。でも、あなたたちは知っている。見ている。感じている。動いている。あなたたちは、生れ落ちたときから、この社会の一員であり、この社会の光からも闇からも影響を受けている。そして、人知れずもがいている。だから、あなたたちはもう関わらされている。しかも一方的に影響を受けるばかりの「子ども」として。

「子どもだから」という一言で、あなたたちが主人公として関わることを、社会は拒絶している。でも、あなたたちは紛れもない主人公だ。あなたたちのいないところで、こっそり、何かを決める時じゃない。あなたたちが、自分で考え、自分で意見を持ち、自分で自分を守れるよう、私は一生をかけて取り組みたいと思う。これまでは大学生のことをそう考えてきた。でも、3・11が起きて、あなたたちと別の形で接するようになって、何歳であろうとも、あなたたちが自分の人生に、社会の主人公になることを応援すべきだと確信するようになりました。

昨夜、11歳の男の子と7歳の女の子に出会いました。
官邸前抗議と同時に行った経産省別館(保安院やエネルギー庁が入ったビル)前の抗議運動でです。遠い国から駆け付けてくれたあなたたち。眠いだろうに、自分の意志でお母さんとやってきた。あなたたちは、一生懸命「原発要らない」の声をあげていた。そして、終わった後、何かを白い風船に書いていた。その場にいたのに、何を書いているのか知らなかった私たち。単に落書きをしていると思っていたの。ごめんね。大人ってそれぐらい鈍感なんだ。どうしようもないね。

Ich hasse Atomkraft! 原発なんて大嫌い!
Ich bin bose! 僕は怒ってる!
Blode Atomkraft!! 原発のバカ!!
Ich hasse das Wasser von Atomkraft! 原発のお水なんて嫌いだ!
Die Welt were besser ohne Atomkraft.世界は原発がない方が良い。

うん、そうだね。君たちの怒りを、私たち、しっかり受け止めたい。あれやこれやで誤魔化すのはもうやめて、最初から「不可能だ」なんていうのではなく、「可能な道を探って」そちらこそに努力したいと思う。

今、国家権力も利権が絡んだ人たちも、すごい時間とエネルギーとお金と智恵を費やして原発を続けようとしている。この時間とエネルギーとお金と智恵のすべてを「原発のない未来」に費やせば、もうとっくに原発は止められていたし、世界で一番の自然エネルギー国として、君たちが大きくなった時には誇りに思える国になっていたはずだった。

だいじょうぶ。あなたたちをがっかりさせ続けるだけの大人になりたくない。一緒に、この国を、社会を、世界を、変えていこう。あなたたちの正義感、正直さ、柔らかい感性と、前向きのエネルギーを、私たち大人にわけてくださいね。

「何のために生きているのか」…あなたたちのまっすぐな瞳の前で問うてください。
「人間にカエレ!」

あなたたちの書いてくれた一言を胸に、今日も、明日も、明後日も、毎日頑張りたいと思います。
[PR]
by africa_class | 2012-07-21 21:03 | 【311】未来のために

【その2】ドイツの子どもたちが描いた「緑の鯉のぼり」(著作権フリー&複製OK)

子どもがさらに沢山の「緑の鯉のぼり」の絵を持って帰ってきました!
その数40以上!
■以下、4年生と6年生の「緑の鯉のぼり」の絵です。
「鯉のぼり」の由来が、「龍になりたかった魚の仲間で唯一滝を上って
龍の門を通過できたのが鯉だった=立身出世のシンボル」にあると紹
介したため、龍の絵を描いてくれた子どもも!
そして、さすがシュタイナー学校。平和のシンボルカラーである虹色に
塗ってくれた子どもが沢山いました。
■シュタイナー教育について(ドイツではヴァルドルフ教育/学校)
色々なサイトがありますが、京田辺スクールのものがまとまってい
るので是非ご一読を。
http://ktsg.jp/index.php?action=pages_view_main&page_id=27

お好きにお使いください~。
a0133563_0402417.jpg

a0133563_041129.jpg

a0133563_0441430.jpg

a0133563_0451359.jpg

a0133563_047248.jpg

a0133563_0485155.jpg
a0133563_0481131.jpg

a0133563_051381.jpg
a0133563_0505815.jpg
a0133563_0503287.jpg
a0133563_0495980.jpg
a0133563_049253.jpg

[PR]
by africa_class | 2012-05-04 00:57 | 【311】未来のために

ドイツの子どもたちが描いた「緑の鯉のぼり」(著作権フリー&複製OK)

5月5日に向けて是非ご自由にお使いください。スキャンするには
大きすぎてカメラで撮ったので少しくらいのが残念ですが・・・。
皆本当に真剣に描いてくれました。
 子どもたちのため、安全で安心な社会の創造のため、ドイツの
ように、日本も脱原発の一歩を踏み出すといいね・・という先生
の呼びかけにみんな頷いていました。
 クラスメートたちは、息子が何故ドイツにいるのか・・・よく知らな
かったそうで、そのことについても今日のプレゼンで深く学び、皆
納得がいったようです。授業の後も息子のまわりに輪を作って話
しかけてくれていました。彼の辛い気持ち、少し分かってくれたよ
うです。普段はドイツ人のふりをしている息子でしたが、今日つい
に、自分のオリジンを皆の前で認め、それを堂々と出すことがで
きました。(私のプレゼンの際に手を挙げてくれた)
 子どもの優しさと、真剣さ、そして創造性、力強さに、逆に励まさ
れた朝となりました。そんな子どもたちの想いを是非、受け取って
あげてください。
 プリントアウトを部屋に飾ってもよし、デモに持参してもよし。
ぜひ、その様子を写真に撮ってメールorTwittくださいね。
a0133563_21401779.jpg

a0133563_2141966.jpg

a0133563_21363079.jpg

a0133563_21374496.jpg

a0133563_21381165.jpg

a0133563_21395972.jpg

a0133563_21404870.jpg

a0133563_21413053.jpg

a0133563_2142939.jpg
a0133563_21414867.jpg

a0133563_21425682.jpg
a0133563_21424277.jpg
a0133563_2142241.jpg

a0133563_21372440.jpg
a0133563_2137485.jpg

[PR]
by africa_class | 2012-05-02 21:52 | 【311】未来のために

「緑の鯉のぼり」をドイツの子どもたちと描きました(描いている様子)

子どもが通うシュタイナー学校6年生の全17名が「緑の鯉のぼり」
を描いてくれました。

「緑の鯉のぼり」は、加藤登紀子さんのアイディアで、国内の全原発
(54基)が止まる5月5日の子どもの日を祝って、家庭や職場、町中
などに緑(エコのシンボルカラー)の鯉のぼりを掲げましょうというア
クションです。
http://greenactive.org/koimidori.html
上記のサイト等にあるものをプリントアウトして掲げるのもいいです
が、せかくなので子どもたちとこの問題を考えながら絵を描くアクシ
ョンを勝手に展開中。皆さんも是非、自分や近所の子どもたちとや
ってみてください!

これらの絵は、5月6日「祝!原発ゼロパレード」で披露します。
思いがけずすごく集まりそうなので(先生は他のクラスにも協力を
依頼)、一緒に持って歩いてくれる人ご連絡ください~。
http://uzomuzo.com/info/1588/
■5月6日(日)集合場所:蚕糸の森公園(http://g.co/maps/ptaua)
集合時刻:14時 集会開始:14時半 デモ出発:15時
■「祝!原発ゼロパレード」コース
決定ルート:蚕糸の森公園~青梅街道を西へ~環七を横断~梅里二丁目左折~松ノ木三丁目左折~五日市街道を北東へ~青梅街道横断~高円寺北口~高円寺中央公園(約3.2km)

a0133563_21122416.jpg

描き始めの様子。この学校は、オランダ国境のそばにあり、高齢
化が進んで廃校になった学校をシュタイナー学校として復活させた
ものです。学校自体は旧い建物なんですが、木やコルク、カラフル
なペンキを使って気持ちのいい空間にしています。
a0133563_21151682.jpg

30分経過・・・大分真剣に!
a0133563_21154638.jpg

皆の先生です!絵もギターも上手くて素敵!私の英語のプレゼン
を完璧なドイツ語にしてくれました。
a0133563_2116546.jpg

うん、いいね~。
a0133563_21173621.jpg

それぞれ個性が光ります。
a0133563_21181242.jpg

さすが、息子と一緒に魚釣りに通っているフェリックス!すごい!
a0133563_2118493.jpg

生き、生きとした元気な緑の鯉のぼりです!
a0133563_21193038.jpg

鯉のぼりファミリーを描いてくれました!
a0133563_2120893.jpg

棒につけて泳がせるというコンセプトをよく理解してくれました!
a0133563_21213428.jpg

私が話せる言語で歌を・・ということで、皆でスペイン語と英語の
歌を歌ってくれました。この学校では、1年生から英語とフランス語
を勉強します。戦争の経験から、異なる文化や言語との相互理解
を重視した教育を行っており、歴史の授業も6年生ですが、まずは
ペルシャ文明から学んでいます。先週はナイル文明。
a0133563_2123474.jpg

先生の趣味が教室のあちこちに。
a0133563_21241385.jpg

[PR]
by africa_class | 2012-05-02 21:24 | 【311】未来のために

海くんの描いた5月5日の原発ゼロを祝う「緑のこいのぼり」

ドイツに着いて2日目の朝。サマータイムのため朝は少し暗く始まり
ますが、夜が長くてうっかりすると8時ぐらいまで外で遊んでしまう
ほど明るいです。日本でサマータイムを導入しないのは、本当にも
ったいない。春先からずっと続く、一日の長さを皆さんにも経験して
ほしい。一度経験すると、病みつきになること間違いなし。そして、
電力需要もぐっと下がるのに。。。去年はあった議論、今年まったく
サマータイムの話題が出ないのは「原発再稼働」を急ぎたいから
でしょうか。

■さて、緑のこいのぼりキャンペーンをご存知ですか?
歌手の加藤登紀子さんが提案したものです。沢山の市民団体が
参加していますが、グリーンアクティブでは次のように紹介してい
ます。http://greenactive.org/koimidori.html
「5月5日は、こどもの日。
鯉のぼりを空に掲げて、
こどものすこやかな成長を願い、祝う日です。
と同時に今年の5月5日は、
日本列島で稼働している原子力発電所が
ゼロになる日でもあります。
日本における原発ゼロのシンボルとして、
緑の鯉のぼりを作りました。」
■東京新聞の紹介記事
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012042002000075.html
■この間、デモも沢山計画されていますが、参加する際、あるい
は参加できなくても是非お家や職場に緑の鯉のぼりを掲げて、
5日5日を祝いましょう!
■ご家庭でプリントする
http://greenactive.org/img/koi/midorikoi_A4_A.pdf
http://greenactive.org/img/koi/midorikoi_A3_A.pdf
■セブンイレブンでプリントする
プリンタ/コピー機のメニューから、「ネットプリント」を選択し、
プリントした鯉のぼりの8桁の番号(例:"みどりのこいのぼりA"
のA4版の場合は61766701)を入力して印刷。

でも、想い想いの緑の鯉のぼりを掲げるのが一番!!絵がうま
いひとも、下手なひとも、緑のこいのぼりを描きながら、子供た
ちに手渡す未来に想いを馳せていましょう。子どもたちはどんな
未来がほしいか考えてみましょう。
 昨夜、海くんが描いた緑のこいのぼり。あまり時間がなかった
ため、急ぎ足のものになりましたが、今日もっと描いてくれます!
著作権フリー(!)これをプリントアウトして、ぜひデモやパレード
へ!!海くんの想いを是非日本の空に(写真送ってくださいね)。
a0133563_1545292.jpg

[PR]
by africa_class | 2012-04-27 15:45 | 【311】未来のために

日本のど真ん中で脱原発を叫びつつ、日本の中山間部で地域経済を応援することの重要性

東京に帰ってきました。
桜が満開・・・いえ散りかけていて驚いています。
兵庫の中山間部では、今から桜が咲こうとしています。
先日宿泊した篠山市天空農園では、夜はゼロ度・・・極寒でした。
東京のペースに慣れないまま、兵庫の山々がすでに恋しいです。

前回書いた「【原発解剖論1】世界の直接的・構造的暴力に密接
に関わる原発:「原発ゼロの日本」の実現の世界的意味」の続き
なんですが、これを実現するためには当然ながら、永田町や霞が
関で脱原発を叫ぶ・・・必要があるのですが、それだけでも限界が
あります。
 というのも、この不平等構造(構造的暴力)において、原発を押
し付けられてきた「地方」の問題が解消するわけではないからで
す。事実、原発立地村では、原発を許容する傾向が強く、再稼働
の議論の中でも「雇用のため」という主張が繰り返されてきました。
 しかし、原発周辺地域の子供の白血病の発症率が他と比べて
10倍近くにのぼる現実、第二の福島原発にならない保障がない
こと、それでも地方からの若者の流出が止まらないこと・・・を考
えると、原発誘致や継続がその答えというわけでもありません。
 原発廃炉には25年近くかかるといわれており、廃炉は一大産
業でもあり、アメリカやフランスの企業はこれをビジネスチャンス
として大急ぎで廃炉技術の向上とパッケージング、売り込みに余
念がありません。つまり、廃炉だけでも地元経済は急激にダメに
なるわけではなく、雇用は確保できるのです。
 むしろ、廃炉にするのかしないのか不明なまま現在のようにた
だ政策を決定しない方が、地域経済にはダメージを及ぼすので
す。廃炉を決定し、廃炉のために世界の英知を結集しつつ、
54基もあるので、世界一の廃炉技術を蓄積していくことが、日本
の今後の先端技術にとっても、世界にとっても、被爆国として、
福島原発事故を起こした国として、「名誉ある地位」を得られるこ
とになります。
 さて、でも廃炉だけで生きていくのもさみしいものがありますし、
なんといっても25年後を見据える必要があります。何より、右肩
あがりの経済成長戦略が無残な形で終焉してしまった日本にお
いて、どのような未来を描いていくのか・・・特に少子高齢化がは
げしく、集落が崩壊しつつある日本の地方をどうしていくのか・・
はまったなしの課題です。
 官僚も政治家もメディアも不勉強なのか、「原発による地域経済
振興」「工場誘致」をいまだに唱えていますが、すでに日本の各地
では新しい動きがどんどんと出てきています。
 このような動きが抱える大きなハザード(障害)としてあげられる
のが、次の点かと思います。
(1)従来型の開発モデルから脱却できないお役所・制度や政策な
どの在り方
(2)電力会社や農協などの独占
(3)地域の利権構造
(4)新しい住民を受け入れない地元共同体
(5)都会の消費者の消費傾向(大型スーパーや大型ホテルを
好む傾向)
 これらの地方での新しい動きにおいて、まず重要なのは、「邪魔
をしない」というスタンスだと思います。(1)~(3)は実は、ハザード
であって、これらのパワーは地域社会においては相当なもので、
「こうすればもっと上手いくのに」というやり方が、これらの規制のせ
いで妥協や折衷案になってしまし、本来のよさを損ねたり、ビジネス
として成立を難しくさせます。
 例えば、茅葺屋根のままでの建物のキープであるとか、かまどや
囲炉裏、五右衛門風呂を使った宿舎の活用などです。一方で、
景観の保護をきちんとするには規制がゆるゆるなケースもあり、
右肩上がりの経済成長路線で急ごしらえされた法制度がミスマッチ
を起こしていることは明らかです。
 また、小水力発電や休耕田での太陽光発電など、すぐに始められ
ないばかりか、送電線を独占電力企業に頼らざるを得ないため、費
用負担が発生してしまう上におうかがいを立てなければならない・・
という問題があります。
 (4)については、地域社会への入り方は、入ってくる者こそ気を付
けるべきですが、同時に地域社会の方も努力が不可欠です。「これ
までのやり方」ばかりを押し付けては、外からの者だけでなく、中の
若い者(家族の息子や孫)だって流出します。実際、過疎化が進ん
だ理由は、単に少子化や働き口がなかっただけでなく、このような
押しつけが若者に嫌がられた結果でもありました。
 では、都会の者が積極的にできることは何か?
(1)関心を持つこと
(2)法制度を変えるお手伝いをすること
(3)電力会社等の独占を解体すること
(4)訪問して励ますこと
(5)消費し続けること
(6)あれば専門性を提供すること
 と思っています。こんな小さな一歩、二歩を、都会の人たちが地域
で頑張る人たちとともにやっていくことが、最終的には自分、自分の
周り、社会、国、世界を変えていくことにつながっていきます。
 どこから手をつけたら・・・・という皆さんは是非日本のがんばってい
る「田舎」にいってみてください。ちなみに、「がんばっている田舎」は
ロケーションとしてあるわけではなく、そこに「がんばっている人がい
るから」あるのです。
 なので、「田舎でがんばっている人」を探していけば、新しい出会い
は果てしなく広がっていきます。時間があればそういう人たちを紹介
したいと思います。
[PR]
by africa_class | 2012-04-11 14:58 | 【311】未来のために