ブログトップ

Lifestyle&平和&アフリカ&教育&Others

afriqclass.exblog.jp

カテゴリ:【情報提供】モザンビーク( 10 )

再び戦争に向かっていくモザンビークと日本の私たち

悲しすぎて、立ち上がれない。
UNCHR(国連難民高等弁務官事務所)は、ついにモザンビーク北部テテ州からの難民の流出を発表した。

2016年1月15日
「マラウイに到着するモザンビーク人の数が急増」
http://www.unhcr.org/5698dbff6.html

マラウィのムワンザ郡に、続々と難民が到着しその登録者数は1297人で2分3は女性と子どもたち。そして、900人が難民登録を待っており、さらにマラウイのより南方に400人近くの難民が到着しているという。そして、これはFRELIMO政府と最大野党RENAMOの間の紛争で生じているとされるが、このブリーフィングの記事に「未確認情報」としてではあるが、家を焼かれた難民らの証言として、政府軍関係者がレナモを匿っていると考えられた人びとを襲っていると書かれている。去年半ばより難民が到着し始めたが、ここにきて加速化した。


実際2015年半ばの時点で、2000人の難民申請者が確認されている。http://www.unhcr.org/pages/49e485806.html


政府軍関係者の襲撃については、Voice of Americaでも報じられている。去年の7月に始まった戦闘で700名以上がマラウイに逃げていたが、難民によるとミリシア(民兵)らによる大量殺戮から逃れているという。そして、新たに設置された難民キャンプに既に2500名が収容されているが、難民らはFRELIMO政府の兵士らがレナモ兵を匿っていると疑う親戚の家々を焼き討ちし親戚を殺していると話している。

2016年1月11日
「モザンビークの難民がマラウイに逃げている」

http://www.voanews.com/content/mozambique-refugees-flee-to-malawi/3139815.html

Refugees are entering daily at the newly established Kapise ll camp in Malawi's Mwanza district. It is home to more than 2,500 refugees. Refugees tell stories about people they believe are FRELIMO government fighters torching their houses and killing their relatives on suspicion of hosting RENAMO fighters. Flora Emberson is one of them.


かと思ったら、1月20日、RENAMO事務局長(国会議員)の暗殺未遂の一報が飛び込んできた。突然、武装集団に襲撃され、現在も重傷で護衛官は殺害されたという…。RENAMOのスポークスパーソンは、政府による「国家テロ」と批判。国家人権委員会は、これを強く抗議し、原因究明と武力紛争への影響を懸念する声明を出している。

http://www.dw.com/pt/secret%C3%A1rio-geral-da-renamo-manuel-bissopo-baleado-no-centro-de-mo%C3%A7ambique/a-18994319


1992年の和平合意から24年。

せっかく平和が訪れ、雨季の今は農民たちが種まきに忙しい時期。

1977年からの戦争で、160万人もの難民が近隣諸国に逃れ、マラウイは最も激しい戦闘が行われたモザンビーク北部に囲まれていたこともあり、小さな国ながら多くのモザンビーク人難民を受け入れた。私が、1994年に国連PKOの政治・選挙部門のスタッフとして赴任した時、丁度マラウィからニアサ州に難民が自力で帰還しているところに出会った。

UNHCRやIOMの手続きを待てば、帰還セット(鍬・バケツ・種・食料)がもらえるというのに、この家族(といっても30名ぐらい)は何ももらうこともせず、とにかく一刻も早く故郷に戻りたいと、移動を開始していたのだった。粥のような薄まったトウモロコシの粉を溶かしたものをすすりながら、「自分たちは農民だ。「難民」じゃない。故郷に戻ったらすぐに種を撒いて自分の手で作った新鮮な食べ物を食べるのだ」と語っていた。もう10年近くも逃げていた人びとの、心の底からの叫びのような声だった。

その後、UNHCRやIOMのトラックで奇麗な服を来てバケツを持って現れた人たちとて、同じことを語っていた。戦時中に延び放題になっていたボサボサの葦のような草を刈り、それを寝泊まりする小屋や貯蔵庫やトイレに仕立て上げ、あっという間に広大な畑にしていった人たち。戦争と暴力への償いや、正義や、報復や、そういうものを求める被害者が多い中で、モザンビークの人びとは「忘却する」という選択をした。

「あれは戦争だった」「戦争が悪いのだ」

そういうことで、コミュニティ内部の対立、経験した凄まじい暴力、餓えに苦しみ、失った命・手・足・・・そのようなものすべてを「忘れる」ことで乗り越えようとした人たち。日々の生活の再建への努力が、それを手伝った。

いい悪いではなく、彼ら・彼女らがそういう選択をしたこと、国としてもそうだったことを、モザンビークを知っている人なら腑に落ちてしまうかもしれない。かといって、本当に「忘れられたのか」といえば、決してそうではなかった。そのことは、十数年経っても決して人びとの心の中から去ることはなかった。

まだ戦後間もない時、マラウイ方面から大きな炎が上がったことを、地域の人びとが教えてくれた。

10年近くモザンビークの難民を受け入れてきた難民キャンプが焼却されたのだという。マラウィの論理からすると、「消毒」のようなニュアンスがあったようで、それはそれで失礼なことだという意見が出されもしたが、モザンビークの元難民たちにとって、それは退路が経たれたような、だからこそ前に向かって歩んでいかなければならない・・・というメッセージのような、仕切り直しの何かを意味したという。


それから24年目を向かえようとする今、20年以上の時を経てマラウィに出来たモザンビークからの難民のための難民キャンプを再開せざるを得ない状態がうまれたという。モザンビークで最も重要な人権・平和活動家であるアリス・マボタ弁護士も急遽ジュネーブに呼ばれ、現在国連で議論をしているところである。

そして、これらのことはどれぐらい日本の関係者、日本の人びとに知られているのだろう。

このブログでも、新聞記事でも、テレビ番組でも、このような事態になる危険性を何度口にしただろう。しかし、それは無駄だった。

モザンビークの貧富の格差は社会的不正義としてではなく、「開発・経済成長がススメば農民も豊かになるから不満も減る」というフレリモ政府側の主張に対し、地下資源と援助への賛同ほしさに、お墨付きを与え続け、前のめりにガンガン投資・援助を注入し続けている。あるいは、目をつぶっているというよりは、積極的にこのような「開発軍事独裁」の道を支援している節すらあるといっては言い過ぎだろうか?


勿論、レナモの襲撃やこのような挑発は許されるものではない。

しかし、モザンビーク政府がこの間やっていることは、平和と民主主義への確かな歩みを、逆行させることであるばかりか、モザンビークの人びとが10年の歳月をかけて勝ち取った独立を通して目指したことすら否定するようなことである。つまり、モザンビークの人びとの主権の回復と土地へのアクセスの保証である。

テテの地図を見ればわかる。

何百万人ものの小農が暮らすこの州面積の大半が石炭の鉱区として多種多様な企業にコンセッションが与えられている。小農は非自発的移転を余儀なくされ、補償はわずかばかり。立派な家が立てられた住民も、結局は耕せる農地が奪われ、鍬も入らないような石ころだらけの「代替農地」を前に、飢える一方である。

ナカラ回廊沿い地域では、2009年に日本・ブラジル・モザンビークの3カ国が構想し奨励した通り、国際アグリビジネスがリ大挙詰めかけ、食用だけでなく飼料・油のための安価な大豆の大量生産のために、広大な土地を次々に奪っている。植林プランテーションのために政府から何十万ヘクタールの使用を許可されていた企業などは、その一部を大豆生産に切り替えている。すでにナカラ回廊沿い地域の何千農民家族が土地を追われ、餓えに直面しているが、これが「ナカラ回廊開発」の行き着く先であった。

「プロサバンナ」に関しては、モザンビーク農民連合の頑張りも有り、3カ国市民社会や国際社会の関与もあって、公式には「小農支援」に転じたことになっているが、あの2009年の構想、2012年10月まで推進されてきた「肥沃な土地・豊富な水・安価な労働力があり、未だ化学肥料の多用や連作による障害・農薬汚染による害虫の耐性が出て来ていない、ナカラ回廊地域に海外投資を入れ、ブラジル・セラードの経験を大いに活用して、大豆・穀物の一大産地にして、日本の支援で改善されるナカラ回廊&港に新たに設置する穀物ターミナルを使って、世界中の市場に供給する」というプログラムは、モザンビーク政府や投資家らにしっかりと継承され、まさにその通りになっている。

有り余っていたはずの未開墾地…がないことは、ようやくJICAも認めたが、今度は小農らが土地不足と森林伐採の主犯だと名指しするマスタープランで、とにかく緑の革命が不可欠でそのためには民間企業とのWIN-WINが必須とされ、民間企業の進出と契約栽培が日本の援助でやはり支援されなければならないという論理が展開される。

しかし、既に民間企業もまた、国際社会における土地収奪への厳しい視線を意識して、「小農との契約栽培」や「外部資材の支援」という名目で、アフリカ中の内陸部の肥沃な土地の地域に入り込んでおり、まずはドナー諸国や国際機関の資金援助を得て活動しつつ、いつの間にか「企業活動の安定のため」と称して大規模な農地の摂取を開始するというパターンが顕在化している。「安くで作って高くで売る」が基本の穀物企業であれば、当然すぎるほど当然な動きであるが、これを前のめりで「小農支援」と称して支援する日本の援助は、確信犯でないのであれば、ナイーブなのか脇が甘いとしかいいようがない。

そして今、権力者として甘い汁を吸うようになった者たちのGREEDのために、国民の圧倒的多数であり、FRELIMOの存在理由であり権力基盤であったはずの小農の犠牲が生まれている。ついに、ナンプーラ州知事は、農民がプロサバンナによる土地収奪に怯えているが心配無用。なぜなら、同州には80万ヘクタールもの未開墾地があるのだ・・・と宣言するに至った。
日本の援助の現実を踏まえずにイケイケドンドンの時代の空気とともに、進められ宣伝しまくられたアイディアは、こうして当事者である日本の援助者らが手を引いた後も、「止まらぬ歯車」として前に前に進められ、2012年10月にUNACが声明で懸念した通りの、「土地収奪・土地なしコミュニティの出現・農薬と化学肥料の汚染」として何より「土地と環境の守護者である農民の主権の剥奪と対話からの排除」が行われる結果となっている。

問題が発生するまでは、「日本の手柄」として繰り返し、広く喧伝されてきたこの援助も、今となっては「受益国政府のオーナーシップ」の影に隠れて、「日本はあくまでも側面支援」を強調する。故に、その責任は、現在も日本の援助関係者は認めておらず、誰がどう果たすのかも明らかではない。どうせ被援助国の「一義的責任」なのだ。


日本が世界に誇るトヨタ生産方式。

私はトヨタの回し者というわけではないし、トヨタという企業のすべてに賛同しているわけではない。しかし、その「生産方式」で言われていることには、沢山のヒントがあると思うのだ。

いつぞやか書いたが、その肝はカンバンではない。

(なぜカンバン方式ばかりが世間に知られ、賞賛されたのか全く意味が分からない。「見える化」のお陰だろうか)

原資現物現場でもない。

むりむらむだでもない。

いや、それらのどれもが重要だが、「改善は永遠なり」なのだと思う。

つまり、到達点がないのだ。

不良品の割合をどこ迄減らすかという「リスクマネージメント」の概念に対して、トヨタは「ゼロを目指す」といって憚らない。その心は、「改善は永遠であり、継続は力」だからだ。終わりなき努力に対して、「0.5ぐらいは仕方ないんじゃないか」という設定自体が間違いなのだ。

つまり理想を大いに皆で掲げ、そこに限りなく近づくことを共通の目標とする。駄目だったら、駄目な理由を考えることが重要。でも、最初から「0.5でいい」と設定すると、駄目だった理由も基準が「0.5から」になりかねない。「0」の理想にひっぱってもらうことが、時に重要なのだ。

勿論、それはしんどい。

労働者にそれを求めるのも、酷ではある。そこに問題が生じる。

しかし、同時にここには「ある組織の学習」のヒントも含まれていると思う。

特に、問題が発生した時、「自分で判断しない」という標語の含蓄は深く広い。また、根本原因を解明するための別チームが駆けつけてくるというのも、示唆するところが大いにある。

なぜなら。

失敗を侵した人には、本当の意味でルートコーズを見極めることができないからだ。自分で判断してしまう。その際には、当然ながら「失敗を認めたくない」という心理が働く。自分は客観だといくら言い張っても、本当の意味でトータル&根本原因をみることはできない。だから、第三者のチームが駆けつける必要がある。

日本の援助機関だけではない。あらゆる組織で、「失敗が認められない」「失敗の当事者が依然として仕切り続けている」場面はないだろうか?政治だってそうだ。原発だってそうだ。そして、良く振り返ってみれば、これはまさに戦前にっぽんと同じなのだった。

戦後70年経ったというのに、戦前に回帰している日本の我々。

モザンビークが戦後24年で、戦争時に戻ろうとしているからといって驚いてはいけないのかもしれない一方で、日本の今は自分でまいた種である一方、モザンビークの現状は我々にも大いに責任がある以上、やはり見過ごしてはならないのだと思う。


だから、「改善は永遠なり」…その一言を、組織のトップたちが、静かに一人、自問自答の思いを込めて呟くだけでもいい。大きく深呼吸をして。そして目の前に拓けてくる景色は、どんなものだろうか?

少なくとも、今の自らの姿ではないのではないだろうか。


かくいう私も、それが不可欠である。

そんなこんなの土曜日の夜。


後日談…

尊敬する人から記事を教えてもらった。

「英国の政治家にとって、アフリカへの援助は我々の理想主義と寛容の賞賛されるべきエンブレムとなった。しかし、もし我々の資金が、本当は助けるべき人たちに害を与えているとしたらどうさろう?」

"The refugee who took on the British government:

For British politicians, foreign aid to Africa has become a cherished emblem of our idealism and generosity. But what happens when our funds harm those they are meant to help?"

http://www.theguardian.com/world/2016/jan/12/ethiopian-refugee-who-took-on-the-british-government

美しい物語のような出だし。流れるような英文が、人びとの物語を紡いでいく。しかし、その紡いでいく物語は、あまりに悲劇の度合いを深めて行く。どこまで悲劇は続くんだ。苦しい。息が詰まるような、理不尽で、許し難い物語。上からの開発計画が、どのようにして人びとの日常を奪っていき、命を奪っていったのか。長老やお父さんたちはどのように、先祖代々の土地と暮らしを守ろうとしたのか。そして、どのように破れ死んでいったのか。残された人たちは、どんな思いで何千キロを歩いて難民キャンプまで辿り着いていったのか。


20年前の話ではないのだ。

我々の「今」の話。


今となっては難民キャンプに「難民」として集うエチオピア南部の人びとの、まだ5年も経過していない物語。なのに、どれほどのものを彼ら・彼女らは、失ってしまったのだろう。故郷で、何十年、何百年と受け継いできた、多くの知恵、命、暮らし・・・それらをもう取り戻すことはできない。戦争による暴力ではない。災害による喪失でもない。「援助者」らに支えられたある開発独裁国家の開発計画によって故郷を追われた人びとの喪失。


そして、これを調査した米国と英国の援助機関(USAID、DFID)は、その調査レポートを隠蔽し続けた。英国議会の介入にもかかわらず。そして、ある日こっそりとDFIDの図書館頁に掲載されたかと思ったら、また消されていた。。。


この記事を教えてくれた人が、私のこの投稿を読んでいたのかどうかは分からない。でも、あまりにも符号する数々のことに、読み進めるのが苦しくなるほどだった。そして、記事の途中のまとめの一言が胸に突き刺さる。


Too big to fail....

失敗するには大きすぎる。


人の、コミュニティの、過去と今と未来における命・暮らしを壊してもなお、援助機関にとってはそれは「失敗」ではないのだ。本当の「失敗」とは、彼らがそれを組織として認めてしまった時に初めて発生する。だから、「失敗」を「失敗」として認めない限り、組織としては失敗ではないのだ。だから、証拠は隠さなければならない。。。その一方で、「成功」は大々的に宣伝されなければならない。


記事を読んで思ったこと。

勿論、利権や様々な連動する問題や関係があるのだろう。

だから、失敗を認められない。

認めたら、大変なことになる…。


しかし、私は思う。

本当は違う、と。

大きすぎるから失敗が認められないのではない。


はっきりしている。

Too small to fail.
(Too small to accept own failure.)
むしろ、ちっちゃすぎるんだ。

人も
組織も

そのことに、気づけるかどうかなのだ。




[PR]
by africa_class | 2016-01-24 06:43 | 【情報提供】モザンビーク

【自壊する日本の外交力】モザンビーク和平後最悪の危機:死者50人(公式)、100人以上(非公式)

阪神淡路大震災から19年。
アルジェリア人質事件から1年。
色々な事を考えた一日だった。体調悪く、再び布団の中で・・・。

あまりセンセーショナルに書きたくないのですが、このこと(モザンビークで起きていること)について、日本のメディアにはまったくでないので・・・。

2000年のモザンビークを襲った大洪水の時のような気持ち。
でもあの時は報道自体が皆無だった。
でも、今回は、モザンビークについて、モザンビークから山のような記事と映像が日本から送られてきた。でも、「問題の核心」がすっぽり抜け落ちていた。

首都マプートの煌びやかなホテルの様子、フラッシュ、立派な政治家・企業家たちの姿。すべては滞りなく、未来を予感させ、美しい。。。その500キロ先のイニャンバネで何が起きようとも。1000キロ先の中部地域で、4000人が難民となって家を追われようと。

モザンビークには問題なんてないのだ。
あるのは、資源と広大な「余った」土地と、気の良いアミーゴ(友達)だけ。
みんな、日本の投資と援助を待っている。
まだまだ貧しいし、教育も必要。そういえば、保健衛生や農業もね。
中国のは搾取で、日本のはそうでないよう気を付けるから大歓迎!
インフラと鉱山開発だけど、
なんせ「人材教育」もついてくるし。
大学間協定も結んだ。
・・・・そんなストーリーが新聞紙面を沸かず。

中身についても色々書きたいけれど、今日のところは「首都の最高級ホテル・ポラナの中と外の現実の違い」にのみ焦点を。

安倍総理が行っている間にも、刻一刻と状況は悪化していましたが、共同声明で「治安強化」等が強調される始末。。。これでは、モザンビーク国内で起きている暴力と抑圧、民主化の後退にお墨付きを与えたようなもの・・・ああ、誰が助言しているのでしょうか。モザンビークにおいてさらに「日本」の名前に傷を残してしまいました。

招かれておいて、大統領が自我持参するのに「いやちがう」とは当然いえず、「はいそうですね」ということになり、声明にまでこれが書かれると、日本が今の状況を「認めた」ということになります。つまり、「紛争の当事者にそのままどうぞやってください。支持してますから」とお墨付きを与えたわけです。

=======================
共同声明
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/page3_000615.html
ゲブーザ大統領は,モザンビ-クにおける現在の政治情勢,特に2013年11月に実施された地方自治体選挙が平和裡かつ公正な方法で行われたと説明した。また同大統領は,モザンビークが地方で治安上の試練
に直面しており,同国政府が対話を通じ秩序回復に努ていることを伝達した。
安倍総理大臣は,粘り強い対話を通じて国家の安定に向けて取り組むモザンビークの努力を支持する旨表明した。
======================

そし、ここにお得意の「対話」という言葉が出てきます。

勿論レナモも批判されるべきですが、そもそもこのような事態に陥ったのは、政治問題、あるいは警察の出る程度の治安問題に、国軍を使って野党党首の拠点を軍事攻撃して野党議員を殺し、党首の「首を取ろうとした」こと(防衛大臣ははっきりそう述べています)。なので、今でも党首は逃亡中。

で、どうやって「対話」????当然ながら、未だにレナモ党首と「対話」は実現していません。そもそも「首取り」に軍隊で来られて、ノコノコ出て来れないのは彼がどんなに問題のある人物でも、それぐらいは理解できるかと。なのに、一方的に会談の日時と場所を指定しておいて、たくさんのメディアを呼んで、「忍耐強く待つ姿を報道させる」・・・ことで、「はい。対話終わり。来なかった方が悪い。せっかく折れて対話の席についたのに。ご招待したのに」・・・という茶番が繰り返されています。

4月からずっと「国際監視団の同席」を求めてきたレナモ側の要求を政府は一切聞かず。この判断をしているのが、現農業大臣(プロサバンナ事業の担当大臣として一躍日本関係者に有名に)で次期大統領候補(自他共に)のパシェコ大臣(レナモ交渉担当大臣)です。そして、何を隠そう、元内務大臣。

そして、国際社会が批判するこの間のゲブーザ政権の軍事対応や「対話問題」に、わざわざ日本のトップが共同声明で「支持」を出してしまった・・・。こういうの「外交力」と呼ばない。国民と諸外国にクレームを受けている為政者と握手をするのはとっても簡単。なんの知恵も工夫も要りません。だって、「交渉」ですらない。

島国だからでしょうか。あまりにわかってなさすぎる。
「初めての訪問」である以上、タイミングが重要だったのに、わざわざモザンビークが独立してもうすぐ40年も経って、あるいは和平合意後順調に進んで22年・・・の、最悪のこの瞬間に!?????!!!
いや、「初めての訪問」ぐらい、関係が薄いから、本当に社会のことが分からないのでしょう。外交の事・・・はさておくとして。

そもそも今回の危機は、ゲブーザ政権が、選挙直前に、自ら戦闘状態を創り出して、「強いリーダー」を「演出」しようとした浅はかな考えによるものでした。

しかし、事態は泥沼化。特に、中部地域では、疑心暗鬼な権力側の不当逮捕や若者の軍への強制徴用、そしてついに先日レナモ政治家の暗殺などがあり、住民のFRELIMO政府への反発は強いものになってきちます。

ほっておいても滅びかけていたレナモを、逆にこれで息を吹き返させることになるかもしれません。幸い、第三政党のMDMが中部中心部を政治的に抑えているのですが、MDMもかなり選挙妨害を受けていたので、共に彼らが手を組むとどうしようもなくまずいことになる可能性が出てきています。

その前に、大統領選挙が10月にあり、おそらく、次の狙いは「非常事態宣言」でしょう。
そうすれば、唯の政府の悪口だけでも取り締まれますから。国家反逆罪とかで。実際、すでにゲブーザの退陣要求を出した研究所所長が検察に取り調べられているところ。その退陣要求を掲載した新聞2紙も同じ目に。しかも元々フェースブックに書いたもの。そんなんで「逮捕できるの?」・・・本来できません。もちろん、人権侵害です。しかし、強権下の国家権力とはそういうものなんです。つまり、このこと一つでも、モザンビークの人権(表現の自由)はきわどいところにきています。肩書きのある著名人ですらこの状態。ましてや一般市民に対して行われる日々の抑圧など・・・。

このように現政権が、どうしようもなくバッド・ガバナンスをやっている最中に、他の外交団がこの政権との距離をおいて、なんとか平和に戻そうと尽力している最中に、モザンビークに初めて日本の首相がノコノコ握手しに出かけて行っている・・・日本外交のセンスがどうしても理解できません。「アミザージ(友好)協定」と呼んでいるらしいですが、本当にアミザージを結ぶべき「真のモザンビーク人」らとではなく、それらの人達を抑圧する政権と、それが今暴力化している最中に「友情を交わす」・・・ということの全モザンビーク的、世界的、歴史的意味を、今一度考えてほしいと思います。

あるいは、これから日本は、そういう権力者とドンドン組むんだよ、資源と市場のために(中国みたいに!)という表明だったの?!恐れ入りました。。。でも違うよね、きっと。

ちなみに、「人材育成」5年間で300人って年間60名。ポルトガル語のクラスの2つ分ぐらい。そして、これ一年間とかディプロマがもらえるぐらいのものではなく、数週間のものですよね?これまでJICAの人材育成事業(研修)に3年関わってきましたが(フランス語圏アフリカの治安・司法部門の人達の平和構築研修)、そしてかなり良い研修ができた自負がありますが、それでも毎年60名を「研修」して、その国の何かが変わる・・・というわけでは当然ありません。

本気で資源の呪いを回避し、汚職を避け、資源開発を地域社会や住民に還元するのであれば、「急いで掘るな」の一言です。国家が公正なる分配を確実にし、モニタリングの主体・仕組みを整えるプロセスを醸成していくしかないのです。

しかし、仕事でモザンビーク事情を把握している人たちは一体何をしているんでしょう。ポルトガル語読めないからこうなるのかな・・。読めても、本当に起きていることころをみようとしない、自分の都合の良いように解釈するため・・・なのか。あるいは、どうでもいいから・現地社会で起きていることなんて?

結局、ゲブーザ政権が「治安」を「維持」してくれればそれでいい・・・・のでしょうね。「臭いものに蓋」・・・そうやって「平和と安定」を語ろうとする。

だからアルジェリア事件のようなことが起こるということを、1年経っても理解がないようです。「危機管理セミナー」を企業と政府はやっているそうですが、なぜこのようなことが起こるかのルートコーズ(根本原因)・土台から理解できていない以上、近い将来の悲劇は避けられないと思います。このような外交が、めぐりめぐってますます日本人を危険に晒すのですが。

「アフリカが危ない」のではなく、「アフリカを危ないところにする外部勢力の一つ」に、日本も声高らかに参入した宣言===が、今回の訪問の一つの結果でもあったと思います。


■地元O Pais紙「モザンビークで政治軍事緊張の288日間で50人が死亡」
”Mais de 50 pessoas mortas em 288 dias de tensão político-militar no país”
Sexta, 17 Janeiro 2014 00:00
http://opais.sapo.mz/index.php/politica/63-politica/28524-mais-de-50-pessoas-mortas-em-288-dias-de-tensao-politico-militar-no-pais.html
「2013年4月4日の最初の軍事攻撃の開始以来、市民・政府軍・レナモ軍の間に50名以上の死者が出ている。ただし、この数字は公式に確認されたものであり、死者数は100人前後と考えられる。1992年の終戦以来、最悪の危機である。これは、10月の半ば、政府軍がアフォンソ・ドゥラカマ(野党党首)が拠点としちたサントゥンジーラを占領してから悪化した。以来、レナモのゲリラ兵が国の中部での攻撃を強化しており、北部と南部に拡大しようとしている。」

そして、この最中に(いやこの最中だから9、わざわざ首都で「ゲブーザ大統領を讃える市民のマーチ」の開催をFRELIMO党の書記が発表。なんか本当に、どこぞやの国に似てきました・・・・。21世紀というのに、真逆をいこうとするモザンビークの為政者たち。当然、snsや独立系新聞で、この情報は「笑いのネタ」となっています。。。。でも、権力者というのは、こういうのを大真面目でやるんですよね。特に、「太鼓持ち」のみなさん。競って権力者に好かれようとする。こうやって、民衆と権力中枢部との乖離がどんどん生まれるから、政治運営はどんどん暴力的・対立的になる。

■O Pais紙 FRELIMO党は土曜日にゲブ-ザ大統領を讃えるため2万人を期待
Frelimo espera cerca de 20 mil pessoas na homenagem a Armando Guebuza no sábado
http://opais.sapo.mz/index.php/politica/63-politica/28526-frelimo-espera-cerca-de-20-mil-pessoas-na-homenagem-a-armando-guebuza-no-sabado.html

ということで、どうだったのか?
政府系は2万人を強調しますが、独立系新聞の建物屋上からの映像をみてみましょう。
http://www.verdade.co.mz/destaques/democracia/43357
10月31日の平和マーチと比べて少ないですね。
この記事のタイトルは、「マーチはゲブーザ大統領の人気のなさを確認してしまった(Marcha de exaltação confirma impopularidade do Presidente Guebuza」

当然、FRELIMO党という40年にわたって権力の座につく政権与党によるマーチ。下部組織も農村から都市の地区まで根をはっており、その動員力は都市部でも農村部でも凄いものがありました。一声かければ集会なんて人集めは容易。逆に集会に行かないとしたら、酷い目に合うことも。その組織的動員力で、しかも基盤の南部でも、この程度の人数???というのは、確かに驚きです。

で、集められた人達の声が面白い。
「ゲブーザ大統領が今年で任期が終わりなのでお別れの会だと聞いてやってきた」という人の声多数。実際、党の書記長はそのように宣伝。しかし、「大統領がいない!どして?わざわざ来たのに!」FRELIMO党員のマーチ参加者の中の声を新聞は紹介しているのですが、「パパ・ゲブーザに、レナモとの紛争を止めろと言いに来た」「平和なしに発展なしといいに来た」が、「大統領がいない!」と。。。

太鼓持ちが大統領の支持をみせるために企画し、次期大統領候補の2名(上述パシェコ大臣など)がその忠誠と後継者ぶりを示すために現れた集会である以上、大統領自ら現れる必要ないのです。が、あまりに盛り上がらず、逆に不人気ぶりを露呈した・・というのがこの新聞の報道。

なお、北部の中心地(ナカラ回廊)のナンプーラ市では、地方都市選挙において、歴史において初めて第三政党MDMが選挙に勝利しています。つまり、FRELIMO市政は反対されたということ。日本の外交関係者らは、何故かまことしやかに、「何度も投票が行われ、投票率がすごく低い状態(20パーセント台)で行われたため野党に有利に働いた」というのですが、これは民意を否定するもの。なんか、与党が勝てば「民意が示された」と主張し、野党が勝てば「といっても一部の意思」あるいは投票率を問題にする・・・・日本と同じですね。

そもそも、ナンプーラ市でMDMが勝利したことの背景。
●歴史的にFRELIMOが弱い地域
●初回の投票用紙が与党に有利に作成されるなど政府や選管への不信感
●都市では、動員力が大きい(行政・学校・病院などの機関の職員は全員与党の党員カードを取得させられている)FRELIMOこそが有利のはず。日本の選挙でも、「組織票」がいつも低投票率の際に決定的に重要。しかし、公的に動員ができるFRELIMO候補者が落選。
●つまり、3回投票を重ねるうちに、組織的動員を回避することは容易になり、本当に政治を変えたい人だけ(真の投票者)が投票に行った。FRELIMO党員カードを持っている人ですら、FRELIMO市政を望んでいたわけではなかった。

ということですね。
日本の選挙分析でもされないような、「低投票率は野党に有利」ということを、日本の外交関係者らが平気で口にすることが、今のモザンビーク情勢の把握のおかしさ、日本・モザンビーク関係が本来望ましい方向にいかない決定的な理由でもあります。

つまり、物事の理解をすべて自分たちの「現政権とのコネクション堅持=資源・援助」という論理でしかみられない。。。。。。狭い関係者らの思い込み、思い付きの理解ばかりが、流布され、検証もされないまま、まことしやかにぐるぐる回る・・・・かつて、UNACを野党だ、一団体だと言い張ったように。

そしてこれも言われていないことですが、深刻なことに、ナカラ回廊沿いにあるプロサバンナの対象地でもあるナンプーラ州のムルプーラ郡(調査団でも調査に行ったモゴヴォラス郡のすぐ横)で機動隊による一般市民3人の殺害がありました。そして人権リーグが国に対し、調査を求めています。すべて同じ銃弾での殺害だったそうです。レナモだといって殺されたようですが、詳細は不明で、少なくとも狩りの一般市民も含まれているようです。

■Vítimas de fuzilamento em Murrupula exumadas
http://www.verdade.co.mz/nacional/43301-vitimas-de-fuzilamento-em-murrupula-exumadas

どこで衝突が起きているかは、以下の地図で確認が可能です。
http://www.verdade.co.mz/

なお、誤解をされてもいけないので。
私は、援助のすべて、人材育成のすべて、農業支援のすべて、投資のすべて、に反対なわけではありません。当然ながら。そのいずれもを、モザンビークで20年にわたって実践してきました。もちろん、とってもとってもミクロな規模で。トライアル&エラーのなかではありますが。

問題は、何故やるのか。

もうこれに尽きると思います。Win-WInって聞こえはいいけれど、本当はとても難しいこと。中国の互恵関係と日本のwin-winは同じノリなんだけど、要は我々も設けないのであれば、あなたたちと関係結びません・・・ということなんです。

民間である以上しかたない・・・そりゃそうだけれど、実は本来は「儲け」は後に来るはずなんです。win-winにも順番(優先)があるはず。そこが見えなくされているから大問題。またこrもいつか書きます。ここが、実はすごく偏っていることを見破られているから、モザンビーク市民社会は怒ってのです。

ということで、何故何のためにやるのか・・・という問いが考え抜かれ、共有され、合意されなければならないおですが、御多分に漏れず日本のあらゆる政策や行為において「何故何のため?」という一番根っこの部分は、最後に回される傾向にあります。だから、上手くいかないすべての責任もまた曖昧にされる。あるいは、問題があっても止められないまま続いてしまう、のでした。

だから、目的が明確になるのが大前提。
その上で、誰とやるのか。
とすると、何をどうやるのか。
だから、いつやるのか。
ひと様の社会で何かをやる以上、当たり前ですが・・・。
[PR]
by africa_class | 2014-01-17 23:05 | 【情報提供】モザンビーク

来年の大統領選候補発表と批判的市民社会の政治弾圧

急ぎ、情報提供。

0. グルエの選挙結果はMDM勝利との主張と報道

Mozambique News & Clippingsの最新号によると、
1票差でFRELIMO候補となっていたグルエ市長選ですが、選挙監視委員会で再開票があり、理由なくMDM(Antonio)票40票がFRELIMO候補者(Jussub)の票とされたようです。この市ではパラレルカウントが全部の投票所で実現しており、パラレル開票でもMDMの勝利となっています。各地で不正が行われたとの報告や報道があがっており、MDMも結果について異議申し立てしていますが、現状で圧倒的多数を占める選挙管理委員会の与党側・寄り構成により、結果が覆ることはなさそうです。(レナモはこの選挙管理委員会の構成が与党に有利すぎるといって選挙をボイコットしていました)

MDM: Jussub 6626 António6679(MDM独自)
PVT: Jussub 6626 António 6678(パラレル開票)
CDE: Jussub 6695 António 6669(郡レベルの選管)
CNE: Jussub 6735 António 6629(国家レベルの選管)

1.大統領候補
http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-entry-64.html
与党FRELIMO党の大統領候補は、現在のゲブーザ政権を継承する3名の大臣・首相経験者の名前がリストアップされており、内2名が内務省大臣や防衛大臣経験者。モザンビークにおける民主主義・言論の自由の危機は悪化する可能性が高いです。

背景の詳細は、12月6日の以下の報告を。
「緊急勉強会「安倍総理が訪問するモザンビークで今起きていること~和平合意破棄後の援助、投資」
http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-entry-62.html

ずっと大統領候補が決まらなかったのに急にきめられたのは何故か?
政権批判が強まったこと、地方都市選挙で思いの外MDMに手こずったこと、ネルソン・マンデラ夫人のグラッサ・マシェル待望論が強まる前に(彼女が南アにいるうちに)、候補を確定してしまいたいこと・・・等理由はあるものと思われますが、現政権の路線を堅持するために、今あらゆる手が打たれています。

2.言論の自由と政治弾圧
モザンビークからの情報で、ゲブーザ大統領を批判していたカステロ・ブランコIESE研究所所長、独立系新聞のCanal de MozambiqueとMediaFaxに対し、政府からのあからさまな弾圧が始まっています。その他、モザンビーク国立大学エドゥアルド・モンドラーネ大学のアフリカ研究センターのTeresa教授への脅迫も広く知られる事態となっています。

以下、詳細記事。
Canal de Mocambiqueに、人権リーグのALice Mabotaの声明あり。
https://www.facebook.com/CanalMoz/posts/572614702807631

続報
CanalaMoz
Canal de Moçambique ouvido hoje na Procuradoria-Geral da República
numero 1107 | Maputo, Sexta-Feira 13 de Dezembro de 2013
記事を要約すると、検察が、Castelo Brancoが、「大統領が国をカオスに導いている」「状況をコントロールしていない」と公に書いたこと、これら2紙が記事を掲載したことを「犯罪」として検挙しようとしているとのことです。これについて現地の批判は高まっており、以上人権リーグは、検察が大統領府の政治アジェンダのために動いていて、本来市民のために仕事をすべきなのにするどころか、政権と与党のために政治弾圧をしていると述べていると書かれています。

3.まとめ
要は、来年の大統領選を前に、政権に批判的な意見をする知識人、市民社会、それを掲載するメディアを委縮させ、声が挙げられないようにしようという意図が明らかです。

モザンビークは残念ながら「開発独裁化」を強めています。
そしてそれを支えているのが、日本・中国・インド・・・という状態。
詳細は、12月6日の報告をご覧ください。


===========================
MOZAMBIQUE 237
News reports & clippings

12 December 2013

tinyurl.com/mozamb
==========================

Criminal action against
Carlos Nuno Castel-Branco

The Maputo city Attorney General's office has opened criminal proceedings against Carlos Nuno Castel-Branco, the highly respected academic and founder and research director of IESE (Instituto de Estudos Sociais e Economicos, Institute of Social and Economic Studies). He is accused of insulting the head of state, President Armando Guebuza, in an open letter published on his Facebook page and subsequently widely republished..

According to Mediafax yesterday, its editor, Fernando Mbanze, and the editor of the weekly Canal de Mocambique, Fernando Veloso, have been told to appear at the Maputo city attorney general's office on Friday morning to answer questions. Both published the open letter.
[PR]
by africa_class | 2013-12-13 10:41 | 【情報提供】モザンビーク

モザンビーク戦争にNo!と平和を求める署名呼びかけ+研究所所長によるファシスト化批判と大統領退陣要求

毎日メールボックスを開ける度に、モザンビークのニュースを読む度に胸が鋭く痛みます。昨日から全国で(中部以外)スムーズな選挙キャンペーンが開始する一方、とんでもない事態が頻発しています。

でも、それへの民衆と知識人らの抵抗、平和と民主主義のための運動は、モザンビークの歴史を日々塗り替えている状態です。心から彼らの無事と安全を祈り、社会的正義が実現するよう願っています。

今日は、モザンビークの人達から回ってきたいくつかの情報を。

まず、「戦争にNo!平和を求める」署名活動にご協力ください。
https://secure.avaaz.org/po/petition/Diga_nao_a_Guerra/?wHKAYfb
右下のPreencha o seu emailにメルアドを入れてAssineをクリック。次画面で名前(フルネーム英語)と国を選択(Japao)してAssineを再度クリックすれば終わり。モザンビークの人びとの平和のために現大統領が尽力することを要求しています。現在モザンビークを中心に、世界の3千人近くが署名。日本からこんなにモザンビークに心を寄せ、平和を求めている人がいると示すためにも是非!!

次に、モザンビーク政府にすら引用されるほど一目おかれた研究所であるIESE(モザンビーク社会経済研究所)の所長であるCastel-Brancoがフェースブック上で大統領に宛てて公開書簡を出しています。現在の政治的混乱、武力衝突、政府の作為の無作為によって頻発する誘拐に対する非難声明です。

エコノミストでかつ冷静沈着なカストロ・ブランコとも思えないほどの強い批判です。

問題の本質を突いているかなり重要なテキストです。
11月4日にFB上で公開され、現在この原稿はMedia FAXという独立系FAX新聞に転載され、かなり広く読まれています。(Maputo, Terça-feira, 05.11.13 *Nº5420)
また、どんどんネット上で転載されており、世界を駆け巡っています。

現在の軍事政治的危機をすごいスピードで招いている現状が、ファシズム直前期と同様だと。そして、ヒトラーやムッソリーニやフランコやピノチェトといった軍事独裁者らなぞらえています。そして、モブツのように投資家らの利益のためにこれをしている、と書かれています。

最後に、現大統領に「さようなら。ゆっくり休んで下さい」と締めくくってます・・・・。

今日首都近郊でポルトガル人、Save the Childrenのスタッフのパートナー(アメリカ人)、その他がまたしても誘拐されています。多くは、先日の平和マーチの報復だと考えられています。批判を行う人への次から次へと「ツナミのような誘拐」への現政権の関与が現地では明白な事実として語られています。カステロ・ブランコの叫びのようなこのテキストに、それは象徴されています。

モザンビークの豊かさは人材の多様性です。
FRELIMOにそれは顕著であり、それが底力でした。
しかし、それすら現政権の強権化でドブに捨てられようとしています。
もはや、FRELIMOメンバーだというのは、カステロ・ブランコがいうように、恥ずべきことになってしまいました。自分たちの仲間の批判すらも耳にするのが嫌で弾圧し続けた結果、もはやFRELIMO党員ですら離れていこうといています。それを引き留めるため、「国が危険だ。だから強いリーダーが必要だろう」という空気を創り出そうとしています(これもCBのオブザベーションと同様)。

日本の総理大臣がモザンビークに来年1月に行くと昨日発表されました。
資源ほしさに。日本の企業役員を沢山引き連れて・・・。
現地で起こっていること、何も知らないのでしょうか?

この大統領・政権と手をしっかり結ぶことが、モザンビーク社会にどのような負のインパクトをもたらすのか?世界の中でどのように受け止められるのか?中国を出し抜こうとして、結局自分たちが批判している中国以下になる。なりふり構わぬ、独裁政権万歳、経済利権至上主義。

短期的に資源が手に入ればそれでいいのでしょうか?
それが世界に示したい日本の対外的な姿?
こうなることを何度も警告してきました。
社会正義を無視し、民主主義を無視し、平和を無視し、それでもとにかく利権を貪ることに専念してきた日本政府と企業。

でも、それは日本国内の姿でもあるのです。
「援助は社会の鏡」・・・残念ながら去年11月に述べたことは、その通りであったことを実証してしまいました。

日本の皆さん、企業や政府やJICAの。本当の本当に、それでいいのでしょうか?
すべてはカネとパワーのため。
自分たちの。
人びとを犠牲にする権力者とつるんで。
人びとを犠牲にする。

でも、歴史が証明していることは、民衆はやられっぱなしではないということ。立ち上がりつつある民衆と知識人たちにエールを。

=====
Por Carlos Nuno Castel-Branco
Carta ao PR

Senhor Presidente, você está fora de controlo. Depois de ter gasto um mandato inteiro a inventar insultos para quem quer que seja que tenha ideias sobre os problemas nacionais, em vez de criar oportunidades para beneficiar da experiência e conhecimentos dessas pessoas, agora você acusou os media de serem culpados da crise política... nacional e mandou atacar as sedes políticas da RENAMO.

A crise político-militar que se está a instalar a grande velocidade faz lembrar as antecâmaras do fascismo. Em situações semelhantes, Hitler e Mussolini, Salazar e Franco, Pinochet e outros ditadores militares latino-americanos, Mobutu e outros ditadores africanos, foram instalados no poder, defendidos pelo grande capital enquanto serviam os interesses desse grande capital, e no fim caíram.

More
[PR]
by africa_class | 2013-11-06 23:52 | 【情報提供】モザンビーク

モザンビーク平和を求める大規模マーチ、大統領辞任を求めるグラサ(初代大統領とマンデラ夫人)

モザンビークのあちこちで衝突が続いています。
同時に、平和を求め、政府批判をする人びとに対し、脅迫と誘拐、殺害などが起こり始めています。
これに対して、市民は10月31日、大規模なマーチを首都マプートで開催しました。
昨日、ナンプーラ市でもマーチが行われた模様です。

首都マプートで市民が呼びかけた平和マーチの様子。
a0133563_884221.jpg

皆白いTシャツを着て参加となっていたそうです。
プラカードには、「No to Violence」や「平和がほしい」というものの他、誘拐を非難したり、政府を批判するものも沢山写っています。特に、内務省批判のものなどもありました。

==
ポルトガル国営放送の記事(10月31日付)
「モザンビークで何千もの人々が集まり、平和を求め、誘拐に反対するマーチを行う」
Marchas pela paz e contra os raptos reúnem milhares de pessoas em Moçambique
http://www.rtp.pt/noticias/index.php?article=692219&tm=7&layout=121&visual=49
何千という人びとが、政府とアルマンド・ゲブーザ大統領に反対し、マプートとベイラをマーチした。このマーチは、暴力を拒否するモザンビーク社会によって横断的に実施された。「暴力反対」「人種差別反対」「汚職反対」「誘拐反対」と書き込まれた白か赤のTシャツを着た人びとが、エドゥアルド・モンドラーネ(初代FRELIMO書記長)の像の前に集まり、通りを行進し、独立広場に向かって行った。

「汚職まみれの警察に反対、政府に反対、人種差別に反対」と参加者らは声を上げた。
「戦争が始まっているだけでなく、どんどん人びとが誘拐され、人びとはパニック状態に陥っている。リビアより酷い状態だ。我々はどうしてこのような、我々を戦争に導くような国家のリーダーたちに我慢しなければならないのか?そんなことごめんだ。我々は平和を求める」と、このプロテストを主催した団体の一人は述べた。
===

このタイミングで、モザンビークの解放闘争を闘い、モザンビーク独立の「母」であり、初代教育大臣、初代大統領Samora Machel夫人、現ネルソンマンデラ元南アフリカ大統領夫人でもあり、国連との仕事も多いGraca Machelさんが、声明を発表し、平和を求め、政府の対応を批判すると同時に、ゲブーザ大統領の辞任を要求しました。(*最後の辞任要求はモザンビーク市民社会からの情報ですが、記事がみつかっていないので保留でお願いします。<11月4日>)

===
先述RTP/LUSAの記事にもあるのですが、誘拐は現在「Tsunami」として表現されており、息子が誘拐されて殺されたお母さんは以下のように述べています。(なお、これらの誘拐事件と誘拐事件の放置には、警察の関与が疑われています)

「サモラ(初代大統領)の時代にはこんなことは起こらなかった。シサノ(第二代大統領)の時だって起こらなかった。今、ゲブーザ(現大統領)の時だけに起こっている。彼(ゲブーザ大統領)は、モザンビークを発展させているという。違う。彼はモザンビークを破壊しているのだ」と述べ、「私はあの子(殺害された)の母です。でも今は泣かない。全てのモザンビークの母親たちに、政府とこの国に反対するストライキを行うことをアピールします」と呼びかけた。
===

もうこの政権がFRELIMO内部の人びとにすら公に支持されていないことがはっきりしました。
マーチには沢山の同党のメンバーも参加したと聞いています。

ゲブーザ政権はひたすら、今回の問題をRENAMOのせいにしていますが、多くの国民は政府の武力行使のせいだと考えています。(もちろんRENAMOの現在の襲撃を支持する人はいませんが。)日本の援助や投資は、現政権関係者の話しか聞かないので、このようなことが分からないかもしれない(あるいは知らないふりができる)と考えているようですが。

すでに政府軍に攻撃されたRENAMO党首デュラカマの拠点は、「軍事基地」ではなかったことが分かったということでした。政府軍が、最大野党党首が暮していたところを軍事攻撃する理由は何もなかったはずです。

そこのことは和平交渉の担当者に指名された首都にあるコミュニティカレッジの学長do Rosarioも次のように述べています。「勿論、武装した政党はモザンビークにあるべきでないが・・・・サントゥジラ(RENAMO党首の拠点)の占領は、「暴力のエスカレーション」であり、RRENAMOのリーダーが暮していただけで軍事基地というわけでもなかったのに、現在は政府軍が占領している。そして、『モザンビークは宣戦布告されない戦争状態にある」と述べた。」(MOZAMBIQUE 233 - News reports & clippings – 4 November 2013
tinyurl.com/mozamb)

勿論、政府側は、「RENAMOが挑発したから」「RENAMOが市民を殺害しているから」・・・と述べていますが、実際は事の発端は政治的な問題であり、あったとして警察が出てくるべき問題であったのが、突然の政府軍による軍事攻撃による1992年の和平合意の一方的破棄(宣言されない)でした。これを受けての現在のRENAMOの残党の攻撃であることは(市民への攻撃はまったく勿論許されず、非難されるべきです)、モザンビーク国民も世界メディアも御見通し。でないと、マーチで何故政府がワザワザ批判されているのか不明かと。でも、日本では「政府見解」だけで物語られ続けるのでしょうね・・・。

後20日で選挙です。今日から選挙キャンペーンが始まります。
一体どうなるのでしょうか。。。

他にも載せたい情報が沢山届いているのですが、取り急ぎこれを。
[PR]
by africa_class | 2013-11-02 08:19 | 【情報提供】モザンビーク

RENAMO襲撃への市民社会、EU・ブラジル政府の懸念と防衛大臣による「テロリスト」声明。日本政府は?

独立系新聞の木曜日24日の記事を一挙訳しておきました。

この背景や他の報道(国内外)は以下に分析を掲載中
→http://afriqclass.exblog.jp/18838938/
この間のモザンビーク政府と農民との土地を巡る対立、日本の援助(特にプロサバンナ)・投資問題は
→http://afriqclass.exblog.jp/i38/

依然懸念されるべき状態です。特に、政府大臣が、軍事襲撃をしながら、今度は野党党首や野党を「テロリズム」と呼び、攻撃の継続を宣言し、部隊をソファラ州に移動させていることは大変問題です。現時点において、この攻撃の説明は、総司令官である大統領によってなされておらず、市民社会組織だけでなく、マプートの外交筋らも声明を発表し始めています。

プロサバンナ事業の「パートナー」であるブラジル政府すら「憂慮」を出しています。日本政府はこのままなにも言わないまま、ゲブーザ政権のこのような国家権力を使った戦闘行為に暗黙の了解を与えてしてしまうのでしょうか?資源がほしいから?

============
Canal Moz
numero 1071 | Maputo, Quinta-Feira 24 de Outubro de 2013

■国防大臣(Filipe Nyussi)がアフォンソ・デュラカマ(RENAMO党首)の追跡は継続すると述べた。Filipe Nyussi diz que perseguição a Afonso Dhlakama vai continuar■
「これらの国防大臣の発言は、この国を内戦に引きずり込みかねない政治軍事的な緊張に対して、平和的解決のいかなる可能性をも捨て去る宣言である。

国防大臣は、メディアに対し、この侵略(征服)は、国内の「テロリズムの中枢」を非活性化させるために不可欠だった」と述べた。(中略)この攻撃を正当化するため、レナモ関係者らが国軍に対し待ち伏せ攻撃をしかけていたための反撃で、国の安定化のためのものだったと、国防大臣は述べた。

■国軍兵士を乗せた12の戦車が国の中部ソファラ州に向かってマプートを火曜日に出発した。
Pelo menos doze camiões, transportando soldados das Forças Armadas de Defesa de Moçambique (FADM),deixaram esta terça-feira a cidade de Maputo com destino à região central do País.

■国の戦争のシナリオに対し、市民社会諸組織がゲブーザ大統領に説明を求める
”Cenário de guerra no País Organizações da Sociedade Civil exigem explicações a Guebuza”

先週月曜日、政府軍がレナも指導者アフォンソ・デュラカマの家を襲撃し、奪取したことを受けて、モザンビークは差し迫った戦争のシナリオを生きている。状況は、社会の多様なセグメントの反応を引き出しており、これは山のようなものになるだろう。

今週の水曜日、市民社会組織が集まり、記者会見を開催し、アルマンド・ゲブーザ大統領に対し、この国で生じている事態についての説明を要求した。「何故国軍が介入したのか、その文脈(背景状況)を明確にする必要がある」と、Centro de Integridade PúblicaディレクターのAdriano Nuvungaは述べた。

また、Liga dos Direitos Humanosの代表であるAlice Mabotaも、「誰のための内部秩序であるのか。軍のためのものでないはず」と述べるとともに、「モザンビーク国家は市民の生活に損害を与える政策を行ってはならない」とし、「Conselho de Estadoに対し、戦争宣言を受け入れないこと」を要望した。

女性フォーラムのAna Sambo(Graca Samoの間違い)は、市民社会は、レナモ拠点の攻撃は公的な秩序と安定への軍事介入であるとし、この攻撃を指示した国軍総司令官としてゲブーザ大統領に対し、「共和国憲法に基づき公衆の平和と秩序を再建するための、すべての取り得る措置を行うよう」要求した。

市民社会は、同様に、前大統領であるジョアキン・シサノ(Joaquim Chissano)の仲介を要求し、すべての国の組織と宗教組織は、政府とRENAMOの間でコンセンサスが達せられるよう努力されるべきと述べた。

■EUは、軍事的緊張に憂慮を表明し、「対話とインクルージョン(包摂)」を要請した
União Europeia preocupada com tensão militar apela ao “diálogo e inclusão”

現在の内戦可能性状況への否認のメッセージが各方面から続いている。ヨーロッパ連合(EU)は、この事態を近くで見守り、ソファラで起きている事態に対し「憂慮」を表明し、「両者による平和的対話とインクルージョン」を要請した。この声明は、ヨーロッパ連合高等弁務官事務所スポークスパーソン Michael Mannによってなされた。EC(ヨーロッパコミッション)の外交安全保障大臣であるCatherine Ashtonは、「EUはモザンビークで起きている事態を近くで見守り、現地で何が起きているのかについて理解に努める」「RENAMOと国軍の間で生じた最近の衝突の報に憂慮している。(中略)市民らの安全保障上の不安に対しても同様である」と述べていると、Mannは認めた。

同スポークスパーソンは、「EUとして、平和と和解を定着させるための政治的プロセスだけが国の持続可能な発展を促進することができると改めて理解している」と述べ、すべての関係者の「平和的な対話とインクルージョン」こそが、「民主化のプロセスを強化し、政治的な違いを解決する唯一の方法である」とアピールした。

■ブラジル政府は、国(モザンビーク)の戦争の方向性に憂慮を表明
Governo brasileiro preocupado com espectro de guerra no País
ブラジル政府は、ソファラで起きている事態に憂慮を表明するとともに、本紙に公式に送られたメモにおいて、「両者の間での違いに対して解決を探ること、民主主義、安定や権利に関わる機関の強化によって行われる対話と交渉の道筋を確保すべき」と述べた。

r
[PR]
by africa_class | 2013-10-26 14:03 | 【情報提供】モザンビーク

モザンビークで1992年の和平合意が白紙に?政府軍が野党拠点を襲撃。市民社会側から見たら違う様相に。

政府軍の襲撃の一報が入って以来、このことについて記事を書こうと思って1週間経過…体調がかなり悪くなかなか原稿化できず、すみません。1992年の和平合意が、実効的意味を持つようになったのは1994年以降のことだったので、丁度20年。このような事態の分析こそ、私の本来の仕事なのですが、逆にだからこそ気合を入れないと書くのがなかなか難しい。

が、そんなことも言ってられない事態に突入しつつあるので急ぎ、モザンビーク国内外の報道を訳し、考えをまとめておきます。さすが、国内の独立系新聞は市民社会の声も伝えており、政府報道や国際報道とはかなり違う様相がみえてきます。私の感覚もこれに近いものがあり、「何故ゲブーザ大統領は今、軍隊を動かしてまで、このような襲撃をやったのか?」という点こそが重要だと思います。

なお「全国が戦争に戻る」ということはまずありませんのでご心配なく。

このブログの読者なら、お気づきのように、私はここ数年、特に過去1年間、このような事態が起こることを哀しみとともに予見し、そのために既に大方の論点はあちこちに書いてきました。プロサバンナの問題も、鉱物資源の問題も、それらと土地の問題も、市民社会の抑圧や脅迫の問題も・・・・残念ながらすべて繋がっています。前述の通り、「何故今?」を問うことで、これらの繋がりははっきり目の前に立ち現れてくるでしょう。

今の政権、その周囲にいる利権者らは、市民や社会を犠牲にしても利権・権力を手中に収め続けることへの強い意志(greed)が顕著であり、かつ豊富な天然資源に目がくらみ権益がほしい外国ドナーや投資家・企業らが(日本を含む)それを支える構造により、もはや周り構わず状態になっています。ゲブーザ大統領が憲法改正で3選を果たそうとしていたのをFRELIMO内部の抗争により阻まれてからは、特に来年の大統領選挙までに、「売れるものは何でも売る」「権力の座を離れるまでに邪魔を排除しておく(返り咲く予定)」「これまでのことを暴露されたり批判されないような体制を構築しておく」・・・ことが目的化しています。

他方、第二期目から顕著になったこのようななりふり構わず国民の財産すべてを切り売りし、反対の者を弾圧する、異論に聞く耳を持たない姿勢は、民衆の多いなる反発を招き、与党内でも顰蹙をかっている状態です。多くの市民社会も、実際はFRELIMOに近い団体や個人が多いにもかかわらず、異議を唱えたり、問題提起をせざるを得ないところまで状況はきています。来月に地方都市選挙が迫り、政権への反発の根強さから、FRELIMO党内にもかなりの不安がささやかれるようになっています。プロサバンナの問題で揺れるナンプーラ州では、今月州知事が訪問したあるプロサバンナ対象郡で農民が一人も集会に現れなかった・・・ほどの事態になっています。

かといってRENAMOが勝つと考えている人は誰もおらず、FRELIMOにせよRENAMOにせよ、本当に恐れている相手はMDMです。来年の議会・大統領選挙でもかなりの議席獲得が予想されており、前回選挙妨害にあったMDMが、今回どのような妨害にあうのかあわないのか、それでもどれぐらい伸ばしてくるかが巷の関心時でした。FRELIMO・ゲブーザ派に「お灸をすえたい」と考えるFRELIMO党員たちも多く、秘密選挙が徹底されれば、これらの党員らがFRELIMOに投票しない可能性も口にされていました。

実の所、2008年にはすでにMDMへの対抗からFRELIMOの「公式野党」として手を組んでいたRENAMOですが、もはやその手法ではどうしようとないというRENAMOの判断があり、そしてその手法により2009年選挙を圧勝で終えたFRELIMOにとってもはや「公的野党」も不要になったためにRENAMOに配慮しない政治運営(特に選挙管理委員会)でポーズとしての交渉すらしない判断が下されていました。

ここら辺のことは以下を。
■舩田クラーセンさやか(2013)「モザンビークにおける民主化の後退と平和構築の課題」『国際政治:紛争後の国家建設』(日本国際政治学会編)、174号、54-68頁。
http://afriqclass.exblog.jp/18711959/
*大学図書館・国会図書館等に入っています。

ということで、FRELIMO・ゲブーザ政権にとっても最大の敵は、「素直な民意(つまり権力者らへの反発)」なのであり、そこに呼応できる可能性が一番高いのは、独立来ずっと権力を握っているFRELIMOでなければ、元武装勢力で野党として機能しなかったRENAMOでもなく、まったく新しい民衆の政党(未来のものを含む)なのです。が、MDMは都市の若者に人気の高い政党で、田舎ではほとんど知られていません。なのでマダマダMDMが政権を取るなどということは考えづらい。それでも、あまりに政権が人気がない上に反発をくらっているので、選挙が近づくにつれ不安が募る。

自分たちの人気のなさと民衆の反発を、強権で押し通したいのが現政権の本音。民衆の反発に乗じてValeの石炭輸送ルートを襲撃したRENAMOをこのまま野放しにしておくのはそれはそれで政治的にリスクが高い。RENAMOが農村部でそういう手法に出続ければ(不満を抱えた民衆の側について行動を起こし続ければ)、それなりに人気を回復する可能性もある。あるいは、MDMやその他の政党が、政権批判でいつの間にか支持を伸ばしている状況もある。

より政権側にとって深刻なのは、今まで自分たちがコントロールしてきたはずの政府より農民組織や市民社会も公然と政権批判をするまでになった点です。2005年に、ゲブーザ大統領自ら介入して分断しつぶし、選挙に利用してきたはずのモザンビーク市民社会組織間の連携や連帯が、どうやら復活しつつある。

ということで、政権は、これらの動きを封じ込めるために、国家の暴力を行使(RENAMOに対し)することで、他の野党や市民社会やメディアへの抑止効果を生み出そうとするだろう・・・と予測してきたのですが、残念ながらこれは当たってしまいました。あちこちにそのような兆候があったのですが、これが起こるだろうと確信していたのは、解放闘争中、そして独立後の戦時中のFRELIMOの常にとってきた戦略戦術がこれだったからです。

*詳細は拙書『モザンビーク解放闘争史』かThe Origins of War in Mozambiqueに。
http://www.africanminds.co.za
正当性を主張するため「敵」を創り出す→「敵と戦い、排除する」→「反対・異議を唱える者をすべて敵と呼ぶ」→「排除できる」→「翼賛しか残らない」→「批判者は敵と呼んで未然に排除」

このコースをFRELIMOは1968年から実行し続け独立(1975年)。1977年の戦争によって、具体的に反対者は「武装盗賊」と呼ばれ排除の正当化が容易でした。和平後の1994年~2002年までは比較的自由な言論・政治空間が形成されてきました。それが、この国の天然資源に目を付けた外国直接投資が流入する速度が増すにつれ、資源争奪戦のためのドナーのガバナンス・民主化軽視が顕著になり、これに乗じてゲブーザ政権の利権ビジネス・強権化はだれも止められないほどに逆行。

日本の大型援助も天然資源に目を付けた投資も、まさにモザンビークが「資源の呪い化」を顕著にし、民主化の後退が各種指標でも明らかになり批判を浴びていたまさにその最中の2009年に開始し、加速化したのです。そして、この1、2年悪化する一方のガバナンスと、社会全体のゲブーザ政権への反感の中で、日本はあえて世界のどのドナーよりも強烈に明確に、この政権を支える宣言をし続けています。(長年この国援助や投資をしている国と違って、ゲブーザ政権二期目に突然大々的に現れた日本は「利己的な資源狙いだろう」と理解されています。)

もはや現地社会で「問題ドナー/投資国」として筆頭にあげられるのは日本である・・・・という現実に、日本の外務省やJICAは自覚的でしょうか?利権争いで中国をはじめとして他国に勝つために行われる数々の威勢のいい援助計画(プロサバンナその中に一つ)・・・一体誰のどのような利益を支えようとしているのでしょうか?

つまり、全体的な構造としては、「資源外交を有利に進めるための大規模開発援助」が、民衆を犠牲にした開発や利権構造を支え、そのことが 強権化を招き、政治問題の解決に国軍を動かすといった行為すら許してしまい、20年以上の和平に水を差している・・・ということです。

この「絵」の中で、プロサバンナ事業は、そして大統領はじめ農業大臣など現政権の要になる人、その「子分たち」に対 し、繰り返し日本政府(JICAサイド)から市民社会や農民組織の排除をさせたり、農村での推進のための宣伝の奨励を 行っている(選挙直前に与党関係者が全部の農村がまわれる予算をつけてしまった)という点で、まったく無関係ではないものとして、現地社 会ではみられています。

排除の論理で使われてきた「批判者らは政権の反対勢力でもあり、なんとか抑え込め」という指示が、JICA関係者らによってモザンビーク 政府関係者らに対して行われてきたことは、モザンビークの市民社会と政府との関係を歪め、民主主義と平和に逆行するものであったことが、 今回はっきりしました。

以下、Verdadeの記事に出てくる今回の政府軍の襲撃と、和平の後退の危機に対し、立ち上がった人達はまさに、与党に近いところにいた人達・団体、しかしプロサバンナにも抗議してきた人達です。independentな有識者として非常に高く尊敬され、決してRENAMO寄りではない点に注目が必要です。

現地社会にここまで手を突っ込んだドナーは、モザンビークの歴史においてなく、日本は、目先の「失点」を自分たちの論理で反転工作するこ とに邁進した結果として、日本の「仮想敵」である中国をはるかに超えて評判を落とし傷を深めただけでなく、現政権の暴力化に手を貸したド ナーとして認識されるであろうことは重要なポイントです。

何度もこのブログで書いているように、一握りの利権者や構造ではなく、民衆の側の権利を守ろうと異議を唱え続ける人びとに対する政府の抑圧は強まる一方です。今立ち上がって闘っている人達の勇気を讃え、この人達をこそ支えなければなりません。

以下の記事にあるように、「今必要なのは国際監視団ではない。モザンビークの市民社会はその役割を果たせることを過去20年において証明してきた」という言葉こそを、ドナーとしての日本やJICA、日本の市民社会がしっかり胸に受け止めるべきでしょう。

何より女たちが最前線に出て、国の平和と情報開示、平和な対話の空間のために闘っていることに、彼女たちの安全な活動を支えるとともに見守るための支援が必要であること、そして彼女たち・彼らの異議申し立てを邪魔したり、弾圧したり、弾圧や分断を計画したり、まったくもってすべきでないことを、強く強く指摘しておきたいと思います。

「国際協力」という名の暴力への加担を、もうやめましょう。
本当の協力は、真の対話から生み出され、民衆の側にたち、批判的な意見を寄せる人たちの声にこそ耳を傾け、そこからスタートするしかないのだと思います。

この政権は暴力や抑圧や小手先の操作で生き延びるかもしれません。
しかし、人類の歴史が示しているように、それは長くは続かないでしょう。人は騙されたようにみえて、黙らされたようにみえて、その実そうでないのです。モザンビークの人びとの150年の歴史が、それを示しています。

私たちの援助や投資がもたらしているこの事態に、しっかり目を見開いて、自分で調べ、自分で考え、議論し、何をすべきか共に考えましょう。

===
1.モザンビークからみて何が起きているのか?
●政府系新聞の報道
●独立系新聞の報道(Verdade、Canal Moz等)
2.国際報道からみて何が起きているのか?


2.モザンビークからみて何が起きているのか?
「ゴロンゴザ山脈での政府軍の行為は違法である」(2013年10月24日)
Acção das Forças de Defesa e Segurança em Gorongosa é ilegal
http://www.verdade.co.mz/destaques/democracia/41135-accao-das-forcas-de-defesa-e-seguranca-em-gorongosa-e-ilegal
モザンビーク政府軍と迅速介入部隊(Força de Intervenção Rápida)はSathunjiraのRENAMOの拠点に攻撃を仕掛け、アフォンソ・デュラカマは「逃亡」したが、これは違法行為であると、市民社会は集まり、現在の軍事政治的緊張を拒絶した

政府は、このような行為が公的秩序維持のために必要だったと正当化しているが、モザンビーク国軍や迅速介入部隊がモザンビーク共和国警察の代わりを担うのは道理に反するとした。また、国内のあの地域で政府軍が動員されるまでに至るどのような状況が生じていたのかという事実関係について疑問が呈された。「我々は戦時下あるいは緊急事態下にあるとは知らなかった」と、女性フォーラムの事務総長Graça Samoと人権リーグ代表のAlice Mabota、公衆統合センター(Centro de Integridade Pública)ディレクターのAdriano Nuvungaをはじめとする20市民社会組織は述べた。

アフォンソ・デュラカマが1年にわたって暮らしていたサトゥンジーラのRENAMO拠点の掌握について、政府は挑発に対する反撃であると述べ、RENAMOはその党首の暗殺だと述べており、市民社会としてだれに原因があるかの判断は不可能であると述べた。しかし、市民社会は、どの程度までの「挑発」されたら、政府軍がRENAMOへの攻撃という結果につながるのかの状況が明らかにさせる必要があると述べた。

「もし政府がRENAMOの武装勢力によって軍人らが攻撃されたからそれに反撃したというのであれば、それが本当かどうか証明する術を市民社会は持たない。しかし、軍人らが一体あそこで、何をしていたのか、何を目的としてあそこにいたのかについて、政府は説明する責任がある」と、LDH(人権リーグ)のAlice Mabotaは述べた。「彼らは、何故わざわざあそこに行ったのか、そこに留まっているのか、この戦闘の原因が何なのか問われる必要がある。彼らは、単に半ダースの人びとの利権を守るためにいたのであって、このような行為がもたらすその後の結果について配慮していない」と続けた。

このようなシナリオに直面した市民社会は、モザンビーク大統領に対し、共和国憲法に基づき、平和と公的秩序と安定の維持のための行為が、平和的手段によるものであるべきで、武装対立の可能性は避けられなければならないとアピールした。しかし、状況が悪化した場合は、「Conselho do Estado (国家評議会)メンバーらは、いずれ行われるかもしれない戦争の宣言に対しては、反対の意を表すべき」と述べ、国家首脳はこれらの声に耳を傾けなければならないとした。

国軍の行為を正当化するために、共和国大統領アルマンド・ゲブーザは、ソファラ州において、「正統防衛」であり、一国内に二つの軍隊があってはならず、レナモの武装勢力に対する明確なほのめかしであった、と「開かれた大統領」集会で述べた。

しかし、最後の点について、Alice Mabotaは、「国家首脳は、モザンビーク国軍の総司令官でもある。このような暴力や武器を使わずにRENAMOを非武装化できたはずだ」と強調した。彼女は、政府が現場で実際に何が起きているのかについての情報を開示しようとしていないことについて、注意をする必要があると述べた。「我々は現場におらず、噂しか耳にしない。一体何が現場で起きているのか分からない。そのため情報操作に気を付けなければならない」と述べた。

CIPのAdriano Nuvungaは、多くの人々は、サトゥンジーラへの抗議とアフォンソ・デュラカマの逃亡は随分前から計画されていたことであり、政府はそれを実行に移すタイミングを待っていただけだと考えていると述べた。「RENAMOとの対話(ダイアローグ)や交渉の行き詰まりといったものは、まったく明確ではない」。

同氏は、RENAMOの政府との間の対話のボイコットといった態度により、国際監視団が必要とは考えないという。彼にとって、「国際社会は確かに武装対立に終止符を打ったが、和平調印から21年間我々はこれを必要としなかった。モザンビーク市民社会こそが、この役割を担うことができると証明してきた。」女性フォーラムのGraça Samoは、現在の緊張が望ましい変化とは反対の方向をもたらす可能性に言及した。「投票に行くのを怖がる人達がいるのに、選挙をすべきだろうか」と問いを投げかけた。

現在のところ、政府とRENAMOの間の交渉は選挙パッケージをめぐるものであるという。CNE(選挙管理委員会)とSTAE(選挙技術管理事務局)に関するものであり、各政党がこれにどのように平等に参加できるかについてのものである。しかし、政府はそんな意志はないという。なぜなら共和国憲法はこれらの機関は議会の議席の比率によってきまると決めており、これを変えられるのは議会のみだからという。

これらの作戦で軍隊を利用したのは、憲法において違法である。何故なら、大統領はこの件について一度も国家評議会(Conselho de Estado)に相談し、その意見に耳を傾けなかったからである。

モザンビーク国軍の元将校 Paulino Macaringueが、6月に、このような状況下において軍は動く必要はないと確認していたところであった。同氏は、あそこで起こったことは犯罪行為であって、モザンビーク共和国警察の管轄範囲であり、国軍のものではないと説明していた。そして、このようなことへの介入があるとしたら、それはモザンビークっ国軍総司令官である共和国大統領にのみ許されている排他的な命令によるものである、と確認していた。

2.国際報道からみて何が起きているのか?
■Reuters ”Mozambique's Renamo chief risks isolation after ending peace pact”(2013年10月22日)
http://www.reuters.com/article/2013/10/22/us-mozambique-renamo-idUSBRE99L0X320131022
●政府軍の襲撃からRENAMO党首は逃れた。
●月曜日、RENAMOはこの襲撃により平和協定を破棄すると述べた。
●近くで警察署へのRENAMOの攻撃が確認されたが、戦争にReNAMOが戻るだけの体力を有すると考える識者はいない。現在のRENAMOの兵力は戦時のゲリラ部隊の残骸に過ぎない。
●デュラカマは、FRELIMOが独立以来政治や経済を独占しているとして、選挙へのボイコットと妨害を呼びかけていた。
●デュラカマは1年前から、この基地に立てこもるようになり、その理由を自らの身の安全が保証されないことを述べた。
●これについてモザンビーク専門家のOpen University上級講師のジョセフ・ハンロンは、「デュラカマは自ら
行き止まりに身を置き、そこから出る術を有さず」。
●米国(重要なドナー)や植民地支配者であったポルトガルは、この更新された暴力について憂慮を表した。ワシントンは、RENAMOとFRELIMOに対し、両者の隔たりを対話で解決するように求めた。
●RENAMOのスポークスパーソンのFernando Mazangaは、「和平は終わった」と述べ、1992年の和平合意を破棄した。
●しかし、彼はRENAMOが反乱を開始するのか、議会の51議席を放棄するのかについては明らかにしなかった。(FRELIMOは250議席を〆る)
●FRELIMOのスポークスパーソンEdmundo Galiza Matos Jr は、RENAMOに議会に留まるよう求めた。
●「モザンビーク国民は平和を求めている」と述べ、党としてRENAMOと選挙プロセスのリフォームを話し合う準備があると述べた。
●「戦争はせっかくこの国が実現した発展のすべてを破壊することになる」「この国には貧困が残っており、まだまだ実現すべきことも多い。政治家らは合意に至るべき」、と多くの一般市民の声を代弁して51才の政府役人は述べた。
●RENAMOによる中部での4月、6月の襲撃は既に警戒すべきレベルになっていた。彼らは11人の兵士と警察官、6人の市民を殺害し、石炭の輸出を一時停止させた。
●しかし、アルマンド・ゲブーザ大統領は、ソファラ州(*RENAMOの強い地域)に部隊を派遣し、デュラカマとその兵士らを封じ込めようとした。
●「RENAMOは、大規模な攻撃を仕掛けるだけの兵力を持たない」とIHSのRobert Besselingはいうが、少なくとも鉄道や道路をhit&runするだけの能力は持っている。
●先のハンロンは軍事的に大きな脅威はないと述べた。「RENAMOは若い兵士をリクルートしていないし、歳を取ったゲリラばかりだから」「南アよりまだモザンビークの方が安全」で、企業らはパニックに至っていないと。
●ブラジル企業Valeはいつもどおり操業を行っているという。
●以上の結果、より小さな政党であるMDM(元RENAMO分派でありベイラ市とキリマネ市の行政を担っている)に有利な状況が生まれていると述べた。議会でMDMは8議席有するが、11月の地方選挙では、FRELIMOとRENAMOの票を奪い議席を大きく伸ばすであろう、とハンロンは述べた。

<=この後、”U.S. says concerned with Mozambique violence, urges dialogue”
http://www.reuters.com/article/2013/10/22/mozambique-renamo-usa-idUSL1N0IC1L320131022

■BBC"Mozambique 20-year peace deal 'ends after base raided'(2013年10月22日)
http://www.africareview.com/News/Mozambique-s-peace-deal-is-over/-/979180/2042472/-/112q1s7/-/index.html
●モザンビークの野党RENAMOは、政府軍が同党のリーダーであるアフォンソ・デュラカマの拠点を攻撃した後、1992年の和平合意を終焉させると発表した。此の襲撃で、デュラカマは逃げた。
●先の戦争では100万人が亡くなった。
●モザンビーク経済は戦争終結後ブームである。
●RENAMOのスポークスマンFernando Mazangaによると、政府軍兵士らは重火器で攻撃をしたという。「平和は終わった。…その責任はFRELIMO政府にある。なぜなら、彼らはRENAMOの批判に耳を傾けようとしなかったから」。同氏によると、「この襲撃は、デュラカマ党首を暗殺するために行われたが、同党首は逃げることに成功した」と述べた。そして、ゲブーザ大統領を批判し、「総司令官の無責任な姿勢こそが、ローマでの和平合意を終わらせた」と述べた。
●和平合意を白紙に戻すという声明は、戦争に戻る可能性を示唆するが、これは過去においては繰り返し否定されてきた。
●防衛大臣Cristovao Chumeは、政府軍が拠点を攻撃した理由は、RENAMO兵士による国軍基地への襲撃に対する反撃だと述べた。 死傷者は不明である。
●FRELIMO政府は、戦争に国を戻そうとしているとRENAMOを繰り返し批判してきた。4月にRENAMOのメンバーは中部の警察署を攻撃し5人を殺害している。300人ほどのRENAMO関係者らが武器をもったままでいる。
●デュラカマは自分のためボディーガードとしてこれらの人達を必要としているといい、ゴロンゴザ山脈の基地に彼らをおいていた。デュラカマは、去年山脈に戻っていた。
●モザンビークは地方都市選挙と来年大統領選挙を行う。
●FRELIMOは1975年の独立以来モザンビークを統治する。

■BBC "Zimbabwe warns Mozambique's Renamo not to resume war"(2013年10月23日)
http://www.africareview.com//News/Zimbabwe-warns-Mozambique-Renamo-not-to-resume-war/-/979180/2044186/-/n9q1sd/-/index.html?relative=true
●RENAMOは、モザンビーク中部のゴロンゴザ山脈にあるデュラカマ(RENAMO党首)の拠点を政府軍が掌握した後、同党の1000人の武装勢力と51名の国会議員は、月曜日(10月21日)和平合意を破棄した。
●南部アフリカはこれに賛同せず。必要とあれば南部アフリカ共同体として軍を派遣することも検討。
●RENAMOは、Maringue(以上基地の35キロ)の警察署を襲撃した模様。
●米国政府は両者(政府とRENAMO)に対し、「この瀬戸際から戻るよう」要請。国務省スポークスパーソンのMarie Harfは、「我々は両者に、この緊張した状況をde-escalate(エスカレートさせない)ために目に見える決定的なステップを取るように励ましている」。
●仲介者によると、RENAMOは戦争に戻りたいと考えているわけではないという。

■何故か産経新聞だけが報道しています。
「野党、和平協定破棄を表明 モザンビーク」

2013.10.22
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131022/mds13102219490003-n1.htm
「モザンビークからの報道によると、内戦時の反政府勢力で現野党のモザンビー ク民族抵抗運動(RENAMO)は21日、内戦を終結させた1992 年の包 括和平協定を破棄すると一方的に表明した。政情が不安定化する恐れもある。協定破棄は、RENAMOのドラカマ党首がいた同国中部の拠点を21日、政 府軍が武力で強襲したためとしている。ドラカマ氏は脱出し、無事とい う。 政府軍報道官は、この拠点を掌握したことを認めた。(略)92年に内 戦が終わり、豊富な天然資源を抱えるモザンビークは近年、経済開発が 進んで いる。(共同)」
[PR]
by africa_class | 2013-10-23 22:18 | 【情報提供】モザンビーク

『モザンビークを知る48章』は2013年4月刊行します(3年遅れてますが・・)、本の構成をご紹介。

やっと、去年度からの一大プロジェクトであった英語本(The Origins
of War in Mozambique: A History of Unity and Division)
が完成し(発刊は2月29日予定)、次に進めます。
 一昨日、『モザンビークを知る48章』の監修者と編集者でMTGを実
施。もうとっくに出版しているはずが、48章中10章以上を担当する私
と後輩のアキヨちゃんが忙しすぎて、2013年4月に出版予定となりま
した。なんとか、TICAD V(第5回アフリカ開発会議)に間に合わせる
予定です。(これ以上何事もなければ・・・)
 モザンビークに関する和書というと、本当にお寒い状態で、唯二名の
邦人研究者として責任を感じております・・・はい。準備を始めてもう3
年が経ってしまいました・・。気づいたら、我々の章立てを参考にして
くれたガーナ本がすでに発刊済み・・・。でも今度こそ、必ず出します。
 ほぼ我が「母国」であるモザンビークの素晴らしい友人や仲間、社会
のことを、一人でも多くの日本の皆さんに知ってもらいたいです。構成
は現在次のようなもので原稿依頼中。いわゆる「ガイドブック」でも「日
本からみたモザンビーク」でもなく、「日本の援助を宣伝する本でもな
く!!!<=意外にこれ回避するの大変なんです・・)、モザンビーク
の地べたをいく我々ならではの視点の読み物を目指しています。
 編集担当は、『アフリカ学入門』でもお世話になった兼子さん。本を
作る上で編集者は本当に大切。最初の読者さんですから。いつも私は
かなり編集者の方の意見を重視します。がんばりましょう。
 ただ、現在のエリアスタディーズのシリーズ本の表紙。正直なところ
イケテない。。。あの黄色が中途半端でいや!『アフリカ学入門』の表
紙を作る際も、「あの黄色だけはやめて!」とお願いしたほど。
なんとかなりませんかね・・・。
 なんでもそうですが「見かけ」は大切です。中身は当然のことなが
ら!というのは、私は何をするにせよ、「狭いサークル」に向けただけ
の発信というのは、ほとんど意味がないと思っているからです。すで
に関心がある人ではなく、その周りにいる方々と是非コミュニケーショ
ンしたい。
 だからこそ、普通の人に特に若者に手に取ってもらえる、小脇に抱え
てもらえるカッコいいものが作りたい!こちらの「想い」を全面展開する
のではなく、皆さんの感覚とフィットするようなものを作りたい。
 『アフリカ学入門』も『モザンビーク解放闘争史』も、カッコいいと思っ
てるんですが(右端のメニューのライフログで観れます。自画自賛です
が、当然私ではなくデザイナーさんが注文に応じてやってくれました)。
 皆さんはどう思います?1年間連載した『英語教育』のコラムも、結
構拘ったコーナーデザインなんです。マイナーなアフリカだからこそ、
少しでも世間に発信する機会を頂いたら最大限届くように頑張りたい
です。http://afriqclass.exblog.jp/12662684/
 個人的にはこれまでいいものを作ってきた自負があるだけに、妥協し
たくないですが・・・シリーズものなんでハードルは確かに高い!

■『モザンビークを知る48章』(2013年4月刊行予定!明石書店)■
第1部 モザンビークらしさとは?
第2部 モザンビークの歴史をたどる 
第3部 新時代の戦後復興を歩むモザンビーク  
第4部 モザンビーク経済発展の課題と可能性 
第5部 モザンビーク社会と暮らしを知る      
第6部 モザンビークと対外関係 
第7部 モザンビークと日本
第8部 モザンビークの魅力に接近       
[PR]
by africa_class | 2012-02-24 16:06 | 【情報提供】モザンビーク

モザンビーク援助についてのNGO「開発と権利のための行動センター」のまとめ

さっきの記事はポルトガル語なので、こちらをご覧ください。
一部ですが、さっきの記事の紹介があります。
 抜粋のみなので、全文は同団体の以下のURLで。特に最後の
指摘は、私がJICAに伝えてきた危惧と同様です。またJICA報告
書自体が指摘しているように、ブラジルの思惑とJICAの狙いとは
乖離していますが、これは計画段階から分かっていたことです。
ブラジルのような広大な土地を有し、大規模農業を行っていた国、
(しかもセラードはまさにそのような場所)が、「小農支援」をしよう
なんて発想を持つわけがないのです。
 なお、このブログ記事を書いている「開発と権利のための行動
センター」ですが、元々は先住民の権利運動をサポートしてきた
団体です。アフリカでここ数年急激に起きている「Land grabb
ing土地収奪」の問題をフォローしている貴重な市民団体です。
■モザンビーク:土地収奪につながるJICAプロジェクト
http://landgrab-japan.blogspot.com/2011/09/jica.html
=========================
モザンビーク:土地収奪につながるJICAプロジェクト
 現在日本政府はブラジル-モザンビーク-日本との三角協力という形で、モザンビークにおける農業開発プロジェクトの実施を計画している。[1]
 「モザンビーク国日伯モザンビーク三角協力による熱帯サバンナ農業開発協力プログラム準備調査 最終報告書」(2010.3 JICA)によると、この地域での「農業開発は、農家の大多数を占める小規模農家の支援と付加価値の高い農業の展開を通じた地域農業の振興を目指して、『アグロインダストリーを起点とした地域農業開発の推進』」を提案する」としている。また「村落レベルの開発モデル構築プロジェクト」の終了時期を2014年と予定している。
 しかしながらブラジルからの投資拡大を狙うモザンビーク政府、また投資先の拡大を狙うブラジル企業の動きは、このようなプロジェクトを上回るスピードで動き、地域農民の土地が奪われる危険性が高まっている。既にブラジル側の要請とモザンビーク政府の賛同を受けて、「商業規模(commercial scale)の農業生産投資をも可能にすべく」、640万hがプロジェクトの対象に加えられている。日本からの円借款や技術協力を利用しつつ、ブラジルを中心とした投資が促進され、農民が土地が奪われていく危険がある。
 8月14日の"Folha de S. Paulo"紙の記事は、モザンビークのパチェコ農業大臣の話しとして、「ブラジルのセラードにおける開発を再現したい」、「北部4州において、6百万ヘクタールの土地を、ヘクタール当たり9ユーロで50年にわたるコンセッションで提供できる」と伝えている。更にこの記事では、ブラジルの生産者や投資家側がモザンビークへの進出に前向きであるこという。グロッソ・綿花生産者協会のアウグスティン氏は「モザンビークは、アフリカの中心にあるマット・グロッソであり、ただで土地が手に入り、環境面での条件も多くはなく、更に中国への船賃も安くすむ」と歓迎の意向を示しているという。今日、マット・グロッソでは、伐採・開墾への許可を得ることはほとんど不可能だという。[2]
 その後、農業大臣は土地のコンセッションについて記事は歪曲されていると打ち消しに躍起になっているようであるが、土地のコンセッションが農業大臣の権限の元にはないという点についての説明に留まり、将来的なコンセッションの可能性を何ら否定するものとはなっていない。[3](中略)
このような記事からわかることは、既にブラジルからアフリカに向けての農業投資の動きは活発であること、そうした中で、日本政府はブラジルからモザンビークへの農業投資促進に向けて協力しているのである。また円借款での道路建設も既に調印済みである。
 JICAの報告書、「モザンビーク国日伯モザンビーク三角協力による熱帯サバンナ農業開発協力プログラム準備調査 最終報告書」(2010.3 JICA)を改めて見直すと600万ヘクタールの土地が狙われている理由が明らかになる。 報告書の8.1の結論部分に次のように記載されている。<ブラジル側(Embrapa)は、本プログラムの対象地域を・・・「中小規模農家増収支援」に加え「商業規模(commercial scale)の農業生産投資をも可能にすべく、上記2)の対象地域(640万ha)を含めることが重要であると考えている.この新たな提案は、その後モザンビーク国農業省からも支持された。」
 プロジェクトの中には、「ナカラ回廊周辺地域総合農業開発計画」を策定するというのも含まれているが、その計画策定前に、「セラードに類似し、機械化農業に適した地域」として640万ヘクタールが組み込まれたのである。こうしてこのプロジェクトは、民間投資によるモザンビークにおける大規模な機械化農業振興のためのプロジェクトとなった。このプロジェクト主催のシンポジウムで農業大臣が600万ヘクタールに言及したのは理由があるだ。
 日本側がどのように考えようと、ブラジルとモザンビークでは大規模な機械化農業による市場向け生産を目指しているのである。そしてこのプロジェクトの計画の枠内では、この動きに対して歯止めをかける仕組みはなく、「村落開発のモデル」を作っているうちに、村落が消え去る危険性すらある。開発と権利のための行動センター青西靖夫
[1]モザンビークにおけるJICAプロジェクト関連情報はこのサイト
http://landgrab-japan.blogspot.com/2011/09/blog-post.html
報告書へのリンクもこのサイトに入れてある。
[2] Moçambique oferece área de três Sergipes à soja brasileira(2011.8.14)
http://www1.folha.uol.com.br/mercado/959518-mocambique-oferece-area-de-tres-sergipes-a-soja-brasileira.shtml
José Pacheco diz que a concessão de 6 milhões de hectares a brasileiros é uma má interpretação(2011.9.9)
http://www.canalmoz.co.mz/hoje/20264-jose-pacheco-diz-que-a-concessao-de-6-milhoes-de-hectares-a-brasileiros-e-uma-ma-interpretacao.html
[3] Pacheco diz que não foi ao Brasil negociar terras
http://opais.sapo.mz/index.php/politica/63-politica/16451-pacheco-diz-que-nao-foi-ao-brasil-negociar-terras.html
及び[2]の2つめの記事
[4]Ministro José Pacheco convida produtores brasileiros a investir na produção de algodão em Moçambique (在ブラジルモザンビーク大使館のWEBサイトに転載されている記事)
http://www.mozambique.org.br/index.php?option=com_content&task=view&id=564&Itemid=9
[5]Missão Empresarial do Brasil para Angola, Moçambique e África do Sul
http://www.mozambique.org.br/index.php?option=com_content&task=view&id=586&Itemid=9
[6]Lavoura estrangeira(2011.9.15)
http://www.anba.com.br/noticia_especiais.kmf?cod=12406689
[7] Brasil amplía presencia en Africa y compra terrenos para cultivos(20106/29)
http://diario.latercera.com/2010/06/29/01/contenido/8_31094_9.shtml
Brasil invade África con sus productos(2010.6.23)
http://www.abeceb.com.ar/noticia/135175/brasil-invade-africa-con-sus-productos.html
[PR]
by africa_class | 2011-09-27 09:54 | 【情報提供】モザンビーク

モザンビークでの日本の援助プロジェクトが問題になっています

新カテゴリー「モザンビーク」を追加しよう、しようと考えていたのですが、
なかなか手が回っていませんでした。2人しかいない日本のモザンビーク
研究者として、あるいは94年からこの国に17年関わってきた者として、
あるいはモザンビークの人びとに自分や我が子を育ててもらった者として、
「モザンビーク」のカテゴリーを追加するのは当然でした。問題はタイミング
だったわけですが、残念な理由でこのカテゴリーを追加しなければならな
くなってしまいました。はあ~。本当にため息です・・・。
 モザンビーク北部の農業支援プロジェクト「モザンビーク国日伯モザンビ
ーク三角協力による熱帯サバンナ農業開発協力プログラム」については、
その準備段階から非常に問題を感じ、担当者その他にはその問題性を指
摘してきました。この援助は、「ブラジルで成功した大規模土地改良プロ
ジェクト<<セラード>>をモザンビークに持ってこよう」という、ものでし
た。ブラジルのセラードの近くで留学生活を送り、モザンビーク北部の農
民たちに寄り添ってきた私には、トンデモナイ!と言わざるえない方法論
のものです。
 当然ながら、それは歓迎されなかったようで、以来この件についての集
まりには、あえて声がかからなくなりました。このような大規模プロジェクト
を喜ぶような「御用」「研究者」ばかりが集められ、プロジェクト推進という
結果先にありきで進められてきました。ブラジルのルラ大統領とモザンビ
ークのゲブーザ大統領が調印したものが、途中で止められるわけがない
のです。もはやこれは援助案件ではなく、政治・外交案件化してしまった
以上、止めたり、規模を縮小するなどということはあり得ません。がしかし、
なぜそれを日本が税金で、何のためにするのか?
 そして、残念ながら、この「研究者」たちは、モザンビークのことを全く知
らない(出張で何度か訪れただけ)、アフリカの専門家ですらない、農業
・農村開発の専門家ですらない・・・方々なのですが、政府機関にとって、
YESをいう「専門家」が、NOをいう「専門家」より重要なのは昨今の原発
問題でも明らかになったとおりで・・。
 私の問題意識はクリアです。このプロジェクトは、JICAのいうように本
当に[小農支援」になるのか?ならないのではないか?むしろ彼らの社
会を混乱させ、彼らの権利を踏みにじることになるのえはないか?という
危惧でした。
 今回、モザンビークに行って、色々な人からこの援助「「モザンビーク国
日伯モザンビーク三角協力による熱帯サバンナ農業開発協力プログラム」
が大変な事態を引き起こしつつあることについて、指摘を受けました。一
日本人として、日本の納税者として、モザンビーク北部の人びととの生活
向上を一途に考えてきたものとして、情けない気持ちでいっぱいです。
 2000年以来、日本の援助をよくする活動を市民団体で行ってきました。
2000年にモザンビークで起きた大洪水を契機として、日本が長年送り
続けてきた農薬の問題が明るみに出て以来、2008年のTICAD IV
(アフリカ開発会議)まで頑張ってきたのですが、変わったものもあれば、
変わらなかったものも多く、いい加減疲れてしまい、援助問題から遠ざか
っていました。また関わるのかと思うと、ホトホト哀しい気持ちでいっぱい
です。どうして、日本の援助はこうなんだろう。役に立ってほしいという以
前に、「Do No Harm(害を及ぼすな)」ということを徹底できないのだろ
う。DO HARM & DO GOODなんていうのは、あり得ません。まずは、
害をおよばさない(No Harm)をクリアして初めて、よいこと(Good)がで
きるはずで、原発問題と構造は同じです。「最悪の事態」の想定がない。
それは、厳しい(NO)ことをいう専門家を遠ざけることによって、井の中の
蛙たちによる「「なあなあ文化」によって繰り返されてきたことなのです。
 以下、ブラジルの新聞(Folha de Sao Pauloという日本でいうとこ
ろの朝日新聞的な主要紙)に掲載された記事を貼り付けます。勿論、新
聞なのですべてが「正確」というわけではないでしょう。しかし、問題の本
質を捉えていると思います。ポルトガル語のままですみません。翻訳手
伝ってくれる人がいればWelcomeです!

http://www.fpabramo.org.br/
“Esta terra ainda vai cumprir seu ideal”
publicado em 23/08/2011
Por Beluce Bellucci

A manchete do primeiro caderno da Folha de S. Paulo de 14/08/2011 “Moçambique oferece ao Brasil área de 3 Sergipes”, para o plantio de soja, algodão e milho a agricultores brasileiros com experiência no cerrado, parece trazer uma grande novidade e oportunidade aos capitais e empreendedores brasílicos. A longa matéria no caderno de economia expõe que estas terras estão localizadas nas províncias de Nampula, Niassa, Cabo Delgado e Zambézia, situadas ao norte daquele país. No mesmo artigo, um consultor indaga, arrogante e desrespeitosamente, “Quem vai tomar conta da África? Chinês, europeu ou americano? O brasileiro que tem conhecimento do cerrado”, responde ele apressadamente. A intenção explicita de colonização nesta passagem não foi contestada pelo jornal ao longo do artigo.
 Pela matéria, fazendeiros brasileiros afoitos descobrem que em Moçambique existe “um Mato Grosso” inteiro para ser produzido, e 40 deles (não haverá um Ali?) se “apressam” a no próximo mês visitarem o país. O ministro da agricultura moçambicano revela que as terras poderão ser cedidas por 50 anos, renováveis por mais 50, ao preço módico de R$27,00 por hectare/ano.
 Cabe inicialmente perguntar: será esse negócio uma grande novidade? e trará tanta oportunidade quanto a noticia faz parecer? O desconhecimento dos brasileiros que procuram o empreendimento reflete o desconhecimento histórico que o Brasil tem da África e faz jus ao conhecimento dos que a divulgam. Não compete encontrar aqui as razões por que “tão boa oferta” somente agora chega ao Brasil nem tão pouco saber quem está por trás desse affaire. Interesses seguramente devem existir dos dois lados, o africano e o brasileiro.
 Mas a quem pode NÃO interessar esse projeto?
 A região em questão possui vegetação diversa onde vivem cerca de 12 milhões de pessoas organizadas em sociedades com histórias, línguas, culturas e formação social próprias. Estão lá os macuas, os macondes, os nyanjas, os chuabos e outros. Foi o principal palco da guerra de libertação nacional de 1964 a 1975, e nos anos 80 da guerra de desestabilização levada a cabo pela África do Sul e pela Renamo. É uma população de resistência e luta. E o que dizem do modelo desse projeto? Que impacto terá sobre essa população? O que pensam outras instituições locais? Quem efetivamente ganha e quem perde produzindo nesse modelo na região? Não falemos em aumento de PIB ou da exportação, mas em nível de vida, em ganhos palpáveis, matérias e imaterias da população.
 A experiência que os fazendeiros brasileiros dizem ter no cerrado, e o jornal repete, é de produção técnica, não de relações sociais de produção. Ela não inclui a experiência no trato com as sociedades africanas, aliás, neste quesito perdemos para todos os outros concorrentes. O brasileiro não conhece e quase não sabe andar na África, pouco se interessou pelo continente, seguramente pelo complexo de culpa da escravidão. Foi preciso uma lei, a no. 10.639 de 9/2/2003, para introduzir essa temática nas escolas brasileiras. Só recentemente expandiu suas representações diplomáticas e vem ampliando a cooperação e presença, pese a demanda, interesse e simpatia que os africanos dirigiam ao nosso país. Mas enquanto ficamos ao longo do último século com retórica e boas intenções face aos africanos, pouco fizemos e conhecemos. Em três décadas de presença na África os chineses se tornaram os maiores parceiros do continente. Antes dos fazendeiros e homens de negócios estiveram os estudiosos, os diplomatas, os estrategistas. Desenvolveram planos de longo prazo e não chamaram as regiões de Shanxi ou de Sergipe. Conheceram a história e respeitaram a soberania dos Estados e seus povos. Muito pode-se criticar sobre a presença chinesa na África, menos que seja aventureira.
 A “novidade”
 Todos afirmam que a África é hoje um continente subdesenvolvido, isto é, com carências alimentares, na habitação, na saúde, na educação, na capacidade produtiva, mas por quê? Como chegou a se subdesenvolver? Deixemos de lado o tráfico de escravos que mutilou sociedades por mais de três séculos (período que a força de trabalho africana era arrastada a produzir nas fazendas brasileiras – possivelmente em terras dos antepassados dos 40 fazendeiros) e nos aproximemos do século 20. O que fizeram os europeus, franceses, ingleses, portugueses e belgas na África? O que foi e como foi o colonialismo africano senão um fenômeno do século 20? Não foram lá essas metrópoles para civilizar e levar deus aos africanos? Não foram lá levar a civilização e ensinar-lhes como e o que produzir e consumir? E muito produziram... Mas como fizeram?
 A colonização levada a cabo pelas potências foram entregues a companhias concessionárias (majestáticas ou à charte na França), que recebiam grandes concessões de terra em troca de pagamento de taxas ao estado colonial, na obrigação de produzirem, e para tal podiam explorar e gerir as populações residentes. Umas desenvolveram a agricultura de exportação (para as metrópoles que viviam a revolução industrial), e até integraram regiões com estradas e ferrovias para escoamento. Outras dedicaram-se à exportação de trabalhadores para as minas dos países vizinhos (caso da Companhia do Niassa). Muito se produziu e se exportou. Criaram-se fortunas com o amendoim, o copra, o algodão, o sisal, o café, o tabaco, a madeira... E onde estão estas riquezas? Nos palácios, estradas e infraestruturas africanas? No sistema de educação, saúde e no nível de alimentação da população negra? O povo africano trabalhou nesse século sob a batuta colonial. Produziu muito no sistema de concessão que agora se quer renovar, e foi esse modelo o que subdesenvolveu a África, trazendo para os africanos a miséria que vivem hoje. E é esse o modelo que agora se quer repetir. Antes dele os povos estavam em melhor situação que após.
 Não são as terras fartas que chamam a atenção dos nossos fazendeiros, mas a existência de uma mão de obra que pode trabalhar a baixíssimos salários. Isso porque ela tem acesso à terra, já que boa parte da terra ainda é comunitária, e garante a própria subsistência. Enquanto esses homens trabalham nas fazendas, suas famílias produzem nas roças tradicionais. E, tendo a subsistência garantida, são impelidos ao trabalho quase gratuito, muitas vezes à força como demonstra a história, nas áreas dos fazendeiros brancos. Ao final do processo produtivo, a exportação, o PIB, os bolsos de poucos políticos e empresários nacionais envolvidos poderão crescer, mas a população continuará vivendo basicamente das suas subsistências e cada vez mais dependente de uma sociedade que a vem dominando culturalmente, através do radio e da TV, com canais globais e religiosos universais, cada vez mais produzidos aqui mesmo na tropicália. O contexto para um novo colonialismo está preparado, e a sua repetição transformará o que foi o drama colonial numa farsa liberal. Na versão colonial do século 20 as sociedades africanas encontravam-se ainda estabelecidas e foram fortemente exploradas nessa articulação com o capitalismo colonial, que a reduziram à pobreza atual. Hoje elas encontram-se fragilizadas, desconfiadas, famintas, e reeditar tal sistema com promessas e perspectivas de que irão melhorar é uma mentira criminosa.
 Convém observar que a mudança desse modelo de exploração para o modelo desenvolvimentista, industrializante, com início no pós Segunda Guerra facilitou as propostas nacionalistas que culminaram com as independências das colônias na década de 60. Mas este assunto merece outro artigo.
 O risco
 Dizem que as terras em Moçambique estão ociosas. Na verdade, estão ocupadas há séculos por populações que a cultivam com tecnologias específicas, para a sobrevivência, num sistema que exige grande reserva natural e rotação. Quando os portugueses chegaram no continente encontraram homens e mulheres saudáveis e fortes. Não eram povos subnutridos nem subdesenvolvidos, mas populações com níveis tecnológicos distintos dos colonizadores. Passados o tráfico e o colonialismo, o que restou foram populações desagregadas, famintas, subdesenvolvidas, fruto das políticas produtivistas de quem “tomou conta da região”.
 O que nós brasileiros queremos com a África? Mandar para lá fazendeiros para remontarem um sistema já conhecido historicamente e vencido socialmente, que produz e reproduz miséria para a grande maioria e lucro para poucos? Ou temos a intenção e alguma expectativa de estabelecer uma relação de cooperação que aponte para uma sociedade onde a vida das pessoas se transformem e melhorem?
 O embaixador moçambicano em Brasília diz que “interessa-nos ter brasileiros em Moçambique produzindo, porque temos grande deficit de alimentos”, e o projeto prevê que será preciso empregar 90% de mão de obra moçambicana. A oferta é para produzir algodão, soja e milho, entre outros, visando a exportação. Sendo o milho o único atualmente utilizado para alimento humano. A Embrapa prepara as sementes com investimentos do Estado brasileiro, e o presidente da Associação Mato-Grossense dos Produtores de Algodão diz que “Moçambique é um Mato Grosso no meio da África, com terra de graça, sem tanto impedimento ambiental e frete mais barato para a China”. O chefe da Secretaria de Relações Internacionais da Embrapa diz: “Nessa região, metade da área é povoada por pequenos agricultores, mas a outra metade é despovoada, como existia no oeste da Bahia e em Mato Grosso nos anos 80.” O projeto oferece também isenção para a importação de equipamentos.
 O que pretende este programa é aproveitar as terras moçambicanas, “de graça”, produzir para exportação, aproveitando-se da mão de obra barata, e a ausência de regulamentação ambiental e sindical. Entretanto, sabe-se já de início, os projetos são de capital intensivo e grande tecnologia, e vão utilizar pouca mão de obra. Os produtos não serão consumidos no país e a renda interna proveniente será a modesta soma de alguns meticais por ano, que ficará com a instituições estatais. Moçambique não é a Bahia, pois a África não é o Brasil. Mas o “Havaí é aqui” e lá.
 Como se observa, são projetos que podem ser viáveis economicamente, mas não são sustentáveis do ponto de vista ecológico e muito menos social.
 Ao se concretizar a proposta em análise, faremos com que o aprofundamento da relação com a África, tão querida quanto necessária, se dê por um empreendimento tipo colonial comandado por fazendeiros (e jagunços) e com a benção dos estados.
 Por desconhecimento da história, despreparo dos envolvidos, falta de objetivos estratégicos, estrutura e planejamento do empreendimento, incluído aí o nosso Estado (pese os avanços recentes), a aventura brasileira na África, nos moldes apresentado, tem muita chance de se dedicar a ir descobrir a roda no cerrado e cair no ridículo, perder dinheiro e criar novos personagens conradianos.
 Mas, se der certo, dará razão a uma anterior parceria entre Brasil e Moçambique, a de Chico e Rui Guerra, por demais conhecida: “Ai, esta terra ainda vai cumprir seu ideal, ainda vai tornar-se um império colonial (...), um imenso Portugal.”
 Entretanto, um outro modelo de cooperação e investimento entre Brasil e o continente africano é possível e urgente de ser pensado. Mas temos que nos preparar internamente para isso, num escopo do que queremos para o nosso povo e das relações entre países.
 É momento de governo, Estado, universidades, empresários, instituições públicas e privadas, como o Instituto Lula, opinarem sobre um novo modelo de parceria entre Brasil e a África, que envolvesse diferentes agentes brasileiros e africanos, inclusive os fazendeiros do cerrado, para encontrar outro ideal a ser cumprido.
 *Beluce Bellucci, economista, doutor em história econômica pela USP. Trabalhou mais de 12 anos em Moçambique, onde coordenou projetos agro-industriais na região de Niassa, Cabo Delgado e Nampula, após a independência em 1975, no ministério da Agricultura e no Banco de Desenvolvimento. Foi diretor do Centro de Estudos Afro-Asiáticos da Universidade Candido Mendes, Rio de Janeiro.
 Texto de 16/8/2011
[PR]
by africa_class | 2011-09-27 09:19 | 【情報提供】モザンビーク