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カテゴリ:【考】民主主義、社会運動と民衆( 21 )

日本の「アフリカ権威主義政治化」現象?〜森友学園問題からの一考察(その1)

お待たせしました。一応「専門」なので、もう少しまとめてからと思っていたらあっという間に時間が経過。
大学を辞める直前にやっていた研究が、「民主選挙下のアフリカの(独裁)権威主義体制の研究」でした。日本国際政治学会にも論文を掲載していただいていたところで、次はモザンビークとルワンダを比較政治学的にアプローチしようと思っていたところ、色々なことが起こったといこともあるし、世界的にはすでに沢山の方が研究されていることもあり(私でなくていいやん)、止めてしまったところでした。

しかし、現代アフリカ政治学のバックグラウンドが今の日本政治の分析に役立つ(かも)時代がくるとは・・・予感あがったものの、思ったより早くきたな・・・というのが正直なところの感想です。

が、まだ日本については(も)勉強不足なので、あくまでも「森友学園問題」で明らかになった情報を、「現代アフリカの独裁・権威主義体制の研究」を踏まえて、考えたことをいくつか記します。ということで、あくまでも私としてこう解釈したという程度の試論的なものなので、頭の体操的にご笑覧いただく程度でお願いします。

で、長い説明が苦手…という方は「まとめ」を作成してくださった方がいらっしゃるので、そちらをどうぞ。
https://togetter.com/li/1092200

多分、先にTwitterに書いたことを貼付けておいて、その上で何故そう考えたのかを説明していくことにします。140文字x何回かの投稿なので、読みづらくてすみません。

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舩田クラーセンさやか@sayakafc
2017-03-19 16:48:12
ちなみに、一連の出来事を踏まえると、これは典型的なネポティズム(縁故主義)。アフリカの独裁/権威主義国によくあった/る政治手法です。つまり権力を握る者(大統領夫人含む)が自分の近辺の者に次々に便宜を図る<=未だこの用語が使われないのが疑問。

↓で、アフリカの国々のネポティズム(縁故主義)はバッドガバナンス(悪い統治)の根幹問題として、西側援助国(日本も)も糾弾。政権交代を前提とする民主化支援(野党支援)に援助を出してたのは、これが背景です。長期政権は腐敗しネポティズムが蔓延るからと。<=今の日本の政権に符合しません?

↓ルワンダ大虐殺の社会背景にはヘイト的国民運動が。これを奨励したのがフトゥ至上主義の与党。危険は「内なる敵(少数トゥチ)」とその同盟者(周辺諸国)からと煽動。世銀IMFによる緊縮財政で暮らしが悪化した民衆の不満を吸収。が、真の狙い=「民主化による政権崩壊回避」←似てますよね。

↓#森友学園 問題で分かったのは、政・官・財・教育・宗教・地域を巻き込んだ「上から下までの一大運動」が既に展開されていたということ。森友=籠池問題だと本質を見失う。この「運動」は、冗談の様だが「戦前戦中社会の復活運動」であり、改憲を頂点に着々と進んでた。運動にとり教育は肝だった。

↓だから収賄的な便宜供与問題だと思込むと見誤る。「トップからボトムまでの戦前回帰運動」として展開され、関わることで縁故者になれ、ネポティズム/縁故主義故に、様々な便宜が図られる。ルワンダ虐殺時に形成された新家産(親分=子分)国家体制に酷似。繋がった人間関係の網が持ち場で運動遂行。

↓「運動」である以上「思想」と「敵」は肝。必ずしも金銭授受の必要なし。ただ「仲間意識=縁故」とそれへの「恩・従」は不可欠で、この体制が「パトロン=クライアント/親分=子分関係」と呼ばれる由縁。親分にくっつけば怖いものなし。後「自分(国と言換え)の為に死ねる子分教育」が必要に=森友

今の日本の現象を説明できるもう一つの政治学用語があります。「公式野党」です。「競争制/選挙制権威主義」の国によくあるのですが、「野党なのに(の機能を使い)大統領や与党の補完的な役割を果たす政党」。どの党と言いませんが!
===

さて、大前提としてお伝えしておきたいのは、「アフリカ=独裁」という訳ではありません。
また「未開=独裁」でもありません。

サハラ以南アフリカの古い社会では、むしろ「民主的な意思決定=コンセンサスビルディング」を重視する政治体制を取っていたケースがほとんどです(勿論例外もあります)。それが、16世紀以降のヨーロッパ世界の進出による奴隷貿易を経て、王政に移行していったり、巨大な権力をもった王が出現したことについては忘れてはならないでしょう。ここら辺のプロセスは、近刊本でも少し触れますが、『アフリカ学入門』第一部第一章を見ていただければ。

また、独立後のアフリカ諸国の「独裁」(一党支配であれ軍事独裁であれ)は、植民地支配と冷戦構造下においてなされた植民地からの独立という文脈で敷かれた体制であり、「植民地国家=白人独裁」とある種の親和性がありました。

さらにお伝えしておかねばならないのは、現在のアフリカ諸国が、この冷戦期(90年代まで)の独立国家体制を現在引き継いでいるという訳でもないということです。

冷戦後の90年代には、アフリカでも「民主化」の圧力が内外から高まり、ほとんどの国で複数政党制に基づく民主的な選挙が導入され、多くの国で政権交代が実現していきます。以来、アフリカ諸国の大半が、民主選挙制度を導入しています。

90年代以来、日本を含む西側諸国は、これを「民主化支援」「ガバナンス支援」と呼び、資金を出して応援してきました。アフリカ諸国自身も、「民主化とガバナンス改善」は、貧困撲滅に不可欠だとして、互いの評価を行ったり、大統領が憲法に反して再選を果たそうという時には「賢人会」を派遣するなど、様々な努力を行ってきました。

世紀の変わり目、2001年にアフリカ諸国の重債務が帳消しされたり、貧困半減を掲げたミレニアム開発目標が世界各国に合意され、進められるようになった背景には、以上のような「自浄努力」があってのことでした。

私は、この時期のアフリカの「民主化・ガバナンス改善・貧困削減」などに、アフリカの政府や市民社会、世界の機関や市民社会とともに関わりました。多くの国が、暴力的な紛争や対立、虐殺などを経ての平和構築の中での民主化の試みということで、すごく前向きなエネルギーに満ちあふれていました。とにかく、市民社会と女性が元気でした。

しかし、2007年ぐらいから急速に時計の針が逆回転していくようになりました。

この背景には、債務が帳消しされ、大型援助が相次ぐ中、地下資源が集中し若者人口の多いアフリカが、「地球上最後のフロンティア」としてアフリカが注目されるようになったことと関係しています。リーマンショック後の世界で行き場を失った世界のマネーがアフリカに集まったこともありますが、中国やインドの進出とそれに負けじと進出を始めた日本や西側諸国、その他諸々の国や民間のアクターたちの流入が、アフリカ政府のガバナンスを一気に悪化させていきました。

「公平で民主的なガバナンスによる健全な発展」という青写真は、あっという間に「資源投資をテコにした経済成長による貧困削減」という日本政府が大好きな青写真に取って変わられて、援助・投資合戦がアフリカ大陸中で繰り広げられました。せっかく帳消しされた債務が、再び急増していき、日本のバブルの時のように、口約束だけで次々に巨額の資金が貸し付けられるという状況が各国で進んでいきます。

そして、地下資源、農地、鉄道、港湾設備、水・・・もう国家の資源・利権で売れるものは何でも、各国エリートらによって、国内外の資本に売られていきました。マジックワードは「民営化」。90年代以降のプロセスが、加速度的に極まったのがこの時期でもあり、そのプロセスで、大統領と政権与党が、権限・権力の集中を強めていきました。

あれほど「民主的ガバナンス支援」に熱心だった欧州諸国も、リーマンショック後の経済低迷に直面する中、自国の投資に有利な条件を確保しようと、ガバナンスを重視しなくなりました。この時期、欧州各政府や委員会などに、この方針転換の問題を指摘しましたが、皆モゴモゴいうようになりました。

そして、当初は民主的に選ばれたはずの野党やその指導者、あるいは何度かの競争選挙も勝ち抜いてきた比較的ガバナンスのよかった政権与党関係者(家族を含む)が、次々に「政治家=起業家」として経済活動のあらゆるシーンをコントロールするようになっていきました。

ただ注意しなければならないのは、この現象は冷戦期の独裁と違っている点です。
というのは、どの国も、一応は複数政党制に基づく民主選挙をしなければならない。
そして選挙監視団もくるので、一応は選挙不正はバレない程度に抑えなければならない。
しかし、汚職への国民の不満は明らかなので、選挙に負けないようにしなければならない。

つまり、競争的な選挙の下で、自分たちの利権を守り抜く体制を構築する必要に迫られたのです。
そこでとられた手法には様々なものがありました。

ここで詳しく書く余裕がないのですが、この体制を政治学上の概念・用語として次の様に呼びます。
Competitive/Electoral Authoritarianism=「競争的/選挙権威主義」という体制です。
この中で日本でも参照できる面白い現象として、以下のものがあります。
1) 不平等な競争の土俵
2) 公式野党
3) メディアの操作

分かり易いので2)から。
2)は、「政府公認野党」というか、表面上は「野党」で「連立政権」には参加しないものの、実際の機能としては「政府パートナー野党」(御用野党)として動きます。彼らが共通の敵とするのが、「本当の野党」で、この野党の躍進を阻むためであればいくらでも手を組みます。ただし、表面上は対立しているように見せかけるので、手を組む際には、かなり隠された形で行われることが多いです。

1) 最後の部分と関わる点ですが、与党が「公式野党」との連携を重視するのが選挙制度や議会運用という、競争の現場(討論や選挙自体)ではなく、その前の条件づくりの部分です。与党の権限と「野党」の賛同を得て作られた与党再選に有利な制度の構築によって、「本物の野党」が政権奪取鵜するのを難しくするのです。

3) これはいう迄もないですよね。選挙の前にはお金が飛び交います。「本物のメディア」は鞭によって懲らしめます。例えば、国家の権限を使って、ラジオ局や新聞社の閉鎖、発刊停止、裁判などあらゆる手法が取られます。あるいは、取るぞとの脅しがかけられます。

飛ぶ交うお金としては賄賂もありますが、読者数が少ないアフリカの新聞では広告収入が大変重要になってきます。その中に、政府の広報、政府系機関や企業の広告などがあります。この撤退をちらつかせたり、あるいは増やしたりということでコントロールがなされます。

いずれも、一見すると、制度上は法を守っているように見えるので、批判が難しくなります。上手い政権ほど、正面衝突を避けて、これらの手法を駆使して、長期権威主義体制を構築していきます。東南アジアの国々が参照されることが多いです。

私の日本国際政治学会の論文は、ゲブーザ政権の二期目(2004年〜2009年)を、この理論を使って分析したものでした。

さて。以上を読んで、なんか日本と似ている・・・と思いませんでしたか?
「競争的権威主義」こそ、「戦前・戦中回帰の現代バージョン」と言えるかもしれません。

ただし、私の2012年時点のモザンビーク政治分析には、本当はやりたかったもものの出来なかった点が残りましたす。それは、「競争的権威主義」の行き着く先でした。勿論、研究というものは起こってからしかできないものです。しかし、私は研究だけをしているわけではありません。予防原則に基づいて、政策提言という観点から警鐘を鳴らしたいと思って活動をしてきました。

特に、日本が巨大なドナー・投資家としてアフリカ、特にモザンビークに大きな影響を及ぼすようになった今はなおさらです。私が注目したのは、都市・農村を含む上から下までの「大政翼賛体制の構築」の進展でした。これは、モザンビークの文脈では、一党支配時(あるいは共産主義時代)にも試みられたものでしたが、ゲブーザ二期目には、その時代よりも上手く機能するようになったように見えました。この理由が、投資や援助、権限や昇進を使った「褒美」によるものです。(共産主義の時代は「鞭」に力点があった)

一応ここまでは、現象としては分析に入れたものの、そこから更に関心がルワンダの政治にいってしまったので、少し深みが欠けたまま現在に至ります。

また、この後2013年4月にモザンビークで武力衝突が再燃するので、「競争的権威主義体制の限界」についてもう少し書き込まないといけないな・・・と思ったまま現在にいたります。この作業は、今後やっていこうと思っています。

で、日本の話はどこ?森友はどこだーーー?
という方々には申し訳ない限りの長い前段。失礼。

さて。「競争的権威主義」がどんなにバッチリ以上の3点セットを上手くやろうとしても、このようにやりたい放題で汚職腐敗が蔓延していくと、人々の不満は高まります。その不満は思いがけないところから噴出していきます。そして「本物の野党」を利する結果となってしまうことがあり得ます。

(例えば、モザンビークの例では、「公式野党」として操ってきたRENAMOが、突如「本物の野党」のような動きをしてしまって、制御できなくなった・・・という問題が生じました。)

そのリスクこそ、政権与党の防ぎたい最大のものです。
で、いくつかの方法が取られます。

さて、この先はモザンビークの話というよりも、ナチス・ドイツ、サラザールやフランコ政権下のポルトガルとスペイン、戦前・戦中の日本、虐殺直前のルワンダ、そして現在のいくつかのアフリカの国々で進行している出来事を参考にした話です。

ただし、繰り返しになりますが、時代は回帰しているようにみえて、大前提が違っている点に注目しなければなりません。それは、「独裁・全体主義」がフリーハンドで出来た時代と異なり、冷戦後90年代以降の世界では、たとえ「アフリカ」でも、「競争的選挙」が大前提となっているという点です。

その意味で、日本で今着々と進む「運動」もまた、それが大前提となってのことなのです。

「競争的民主主義下における権威主義体制の構築」を真に目指すとしたら・・・つまり、「競争的選挙が何度あっても与党が政権の座に留まり続けるにはどうしたら良いのか?」という問いに応えようとするのなら、重要なことは何だろうかというのが、ここから先のお話です。

そして、事例は日本以外のところから引っ張ってきています。

さて。その点において、「本物の野党」あるいは「本物の野党になりうる勢力」潰しは最大のものです。

これは、諜報組織やコンサルティング企業(軍事・諜報・情報・PR<広告代理店>)を使ってやられることが多いのですが、最近分かってきた手法の一つに「co-optation」や内偵者の活用というのがあります。アフリカの多くの政権が、英国やイスラエルの諜報組織やその関係者が作った企業と契約を結んで、盗聴やら何やらの活動を行っていることが、BBCやアルジャジーラによって暴露されています。

この際には、「野党」だけでなく、潜在的に野党になりうる市民社会組織も含みます。
有名な事例としては、南アフリカANC政権が、イスラエルの企業を使って、かつての反アパルトヘイト運動の同志であり現グリーンピース・インターナショナルのクミ・ナイドゥーの通信を傍受していた事件があります。なお、これがバレたのは、イスラエルの元諜報組織のトップが内部対立の末に、全部バラしてしまったしたからです・・・。

(日本で進むあらゆる法制度も、この方向で進められているものと考えて良いかと思います。)

そして、もう一つ同時並行的にやられることが、日本でも戦前・戦中でみられた全国津々浦々、あらゆる組織に入り込んだ「全体主義的体制」の構築です。これは「上からの運動に呼応する下からの運動」として全国的なものとして行われていきます。

これが効果的に進展するには、「共通の敵」と「共通の宗教のような信仰」が必要となります。

20世紀が「ナショナリズムの世紀」であったように、「国家主導型大衆運動」には「ナショナリズム」がつきものでした。そのナショナリズムは、狭い意味の「民族主義」が活用されます。つまり、「我が民族は選ばれし特別な民族」であるという賞賛から始まって、それが「傷つけられている/脅かされる可能性がある」という物語が多用されます。

勿論、経済がよい時、未来に希望が持てる時にはこれは効果がありません。
これが効果をもってくるのは民衆に不満が高まる時です。

そして、その時こそ、「競争的権威主義体制」を牛耳る政権与党にとって危険な瞬間です。
なぜなら、甘い汁を沢山吸って、国家を私物化して、色々な手法を駆使して国民の目を欺いてきたことが、もしかしてバレてしまう危険が高まる時期だからです。あるいは一気に不満の矛先に自分に向かっていく可能性が高まるからです。

そして、「競争的」であろうとなかろうと、古今東西老若男女の「権威主義者」たちは、政権を失うことを異様に怖れます。

それは、自分たちが手を染めてしまったあらゆる汚い手段を熟知しているからです。
政権を失ってしまったら報復されるかもしれない。
あるいは何でも思い通りになるパワーを手放せないという禁断症状故かもしれません。
しかも、これらの為政者らと手を組んでやりたいようにやってきた仲間達も、これが心底怖いです。
なので、強力なスクラムを組んできます。

(話は若干逸れますが、カネや利権、あるいはこのような権力を手放す怖れを抱いた多種多様の人々の集まりの方が、理想のために集まる多種多様な人々の集まりより、結合力は強いです。なので、「野党(連立)がふがいない」と見えるのは、本物志向の野党であればあるほど、理念先行になってしまって合意できないからです。)

高い教育を受けた(多くは外国に通じた)経済・行政のエリートらが御用大衆運動を完全にバカにしながらも、旗ふり役になったり、資金を投じるのは、これらとの同盟が、「競争的権威主義」を継続させるためには不可欠だからです。この「エリート」と「浮かばれない大衆」の結合は、非常に重要な点です。

(今ニュースを見ていても、どうしてエリート財務官僚とあの大阪のおっちゃんたちが繋がるのか分からないかもしれませんが、ここは肝だったりするのです。

でも、あの一家の反乱に見られたように、エリートは本当の意味では大衆を信用していません。というか、お互いをも本当には信用していませんが、金と利権と保身といった共通の守るべき価値があるので結合できるし、お互い弱みを握り合っているのでそう簡単には裏切れない。)

なので、いつ寝返るか分からない民衆の不満の矛先を、国内体制から逸らすため、常日頃から「共通の敵」に向けておく必要があります。そのために手っ取り早いのは、「内なる敵」の存在です。

「内なる敵」、「スケープゴート」は、全体主義や権威主義体制においてほとんど常に現れてきます。

それは、ある人種、ある民族、ある宗教・・とにかく、その国・その社会でマイノリティで、マジョリティの深層心理の中で優越感を刺激する一方、忌み嫌われる何かの要素があればいいのです。あるいは、歴史的には対立がなかったところに、対立の物語を作り出すことでも構いませんが、これらのマイノリティの逆襲もそれなりに怖いので、これらの人々が圧倒的に不利な条件というのが必要です。つまり、国政参加権を持たないとか、圧倒的に数が少ないとか、見た目が違うとか。

さて。
しかし「内なる敵」だけでも不十分です。
特に、政権にとっての危機の時代(経済が悪くて民衆の不満が根強い)には、「内なる敵」につながった「外部の敵」の存在が重要になってきます。「内なる敵」が連れてくる「外部の敵」の物語。これは、相当なインパクトがあります。興味深いことに、ドイツでも、ルワンダでも、日本でも、近隣諸国との関係でこれは利用されました。その際には、歴史的な物語が大々的に使われます。

特に、「国体」「国家」「国民」「国土」が危ないという物語は、かなり効果があります。

その他、「運動」の要にいる人達にとって、利権と優越感(差別意識)は「甘い汁」として機能します。
ここに、ネポティズム(縁故主義)が登場してきます。
そして、パトロン=クライアント関係(親分=子分関係)も。
そして、この説明は力つきたので、又今度・・・・すみません。

一点だけ補足しなければ。
以上のように「アメ」だけでは、不十分だという点です。

法制度の改変や実際の介入によって政治組織や社会組織を鞭で圧迫したとしても、あるいはネポティズムで国の隅々まで同盟者を子分として配置しようとも、個々人の「批判的精神」「自立した個」もまたある日火を吹き、瞬く間に民衆の不満を吸収して政権を打倒してしまう可能性を秘めています。

拡散はメディアのコントロールである程度可能ですが、内面までコントロールしないと安泰とはいえません。なので、内面に浸透するツールが重要になってきます。宗教や信仰、教育です。

したがって、独裁・権威主義体制は、一人ひとりが個として確立しないような、体制の「臣民」として従順なる僕としてしか存在しえないような教育を必要とします。そして、それは個別のある学校の点としての教育であっては効果がありません。全国的な「体制」とならないと意味がないのです。

権力を絶対に失いたくない権力者は、小さな穴すら怖れます。
小さな穴を防ぎきるためには、大きな毛布ですっぽりとそれを覆う必要があるのです。
これが、法制度・警察・教育なのです。
教育なしには貫徹できない。
洗脳に近いことをイメージしてもらえば、大体それで良いかと。

今の大人達をここから従順にするのは無理なので、次世代から始めなければならない。「洗脳」である以上、早ければ早いほど良いわけで、最終的な到達点としては権力側に批判意識をもたず、同化でき、命令にどこまでも従い、いざとなったら自己犠牲してまで体制を支えられる若者が必要となります。

これは、実は「外の敵」に対抗するためではありません。
そのように見せかけて、実際は国内の自らの体制を守る為です。
そして、「内なる敵」も実は単なるイメージのためのものであって、そもそも彼らは政権の脅威ではありません。数が少なすぎ、大多数と違いすぎて力を持ち得ないからです。

本当の敵は、政権奪取しうる「本物の野党(とその可能性をもった勢力)」なのです。

さてさて。
長くなりました。

で、森友でした。
森友があからさまに示してくれた現象は、以上のような「競争的権威主義」と「危機時の独裁・全体主義体制」で採られた手法が相当程度、日本の中で進捗してきたということでした。

これを単なる「収賄」とか「お友達利権」とかの軽い言葉で済ませるのはあまりにナイーブでしょう。あるいは、そういう風に済ませてしまいたい人達がいるのでしょうが、実際はもっと根深く・広い現象として捉えられるべきです。

つまり、2017年の日本では、すでに深刻な形で、以上の恐ろしい社会体制への移行プロセスを邁進してきたということです。すでに、ボタンのスイッチは押されており、上から下までの運動として、これが全国津々浦々で進んでいるということです。

ここには政官財+教育+宗教+メディア+地域社会が密接な繋がりを築いていっている。そして、まだこの運動は、数としてはマジョリティを構成していないものの、国家権力・権限・資源と結びつく形で、「メリット」が大きいために、見かけ以上の力を発揮し続けています。そのことが、社会不安と不況の時代に、大きな魅力となって、大多数の迷える若者や大衆を動員していく可能性が大いに高まっている。

官僚や財界の皆さんは、このような運動を心ではバカにしながらも、利用することのメリットが大きいのでおつきあいして、自分の利権を貪っている状態にあります。でも、運動が崩壊したら真っ先に逃げるのはこの方々でしょう。そして、もう一点注目したいのは、この運動が男性中心に展開しているという点です。

続きは今度。
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by africa_class | 2017-03-23 01:24 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(3):「第5次琉球処分」としての辺野古新基地建設

さて、やっと本題に入ります。
この記事から読む人は、以下もあわせてどうぞ。

■今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(1):
沖縄/琉球、薩摩と私

http://afriqclass.exblog.jp/21839406/

■今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(2):
「Positive Peace(積極的平和)」と「ProActive Peace(積極的平和主義)」の違い、そして沖縄の今の世界史的意義」

http://afriqclass.exblog.jp/21871804/

さて、私が(1)で、現政権による辺野古への新基地建設の強行を「第二次琉球処分」だと書いたところでしたが、「実は「第五次琉球処分」です」というご指摘を読者から頂き、以下の記事を紹介頂きました。月刊誌『まなぶ』と執筆者の新垣毅さんの許可を頂いたので、転載いたします。ご理解ありがとうございます。

どうぞ皆さん、ご一読いただき、どんどん拡散下さい。
その際は、クレジット(新垣毅「沖縄の自己決定権を考える」『まなぶ』2015年10月号より転載)をお忘れなく。

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新垣毅「沖縄の自己決定権を考える」

『まなぶ』2015年10月号より転載


黒船は琉球にも来た

 1854年、米国の遣日全権大使マシュー・ペリーは「黒船」を従えて来日し、江戸幕府と条約を結びます。日本として初めて結ぶ国際条約・日米和親条約です。このペリー来航は、日本が近代国家の道を歩むきっかけとなった大事件としてよく語られています。一方、あまり知られていないのですが、実はペリーは、その4カ月後、琉球国とも修好条約を結びました。琉球国を国際法上独立した主権国家として認識していたのです。

 その後、琉球はフランスとオランダとも、修好条約を結びます。これら3条約こそが、後述するように、1879年の「琉球処分」といわれる、日本の琉球国併合の歴史的意味を左右する重要な要素となるのです。

 今から136年前の1879年3月27日、首里城(現在の那覇市首里)。明治政府の命を受けた松田道之処分官は、琉球国の官員たちを前に「廃藩置県」の通達を読み上げました。随行官9人、内務省官員人、武装警官160人余、熊本鎮台兵約400人を伴っての厳命でした。兵士らは首里城を占拠して取り囲み、城門を閉鎖しました。このとき琉球王国は約500年の歴史に幕を下ろします。これが「琉球処分」といわれる出来事です。

 明治政府はその7年前、天皇の下へ琉球の使者を呼び、琉球藩王の任命を抜き打ちで一方的に実施しました。天皇と琉球の王が「君臣関係」を築いたことにして、天皇の名の下で琉球国の併合手続きを着々と進めました。その後、琉球からさまざまな権利を奪い取る「命令」に琉球が従わないとして、最後は軍隊で威嚇しながら一方的に「処分」したのでした。

 琉球国の国家としての意志を無視して一方的に併合し、国を滅ぼした明治政府のやり方、すなわち「琉球処分」は後々、現在まで、時代の重要な歴史的節目節目で、沖縄に対する日本政府の態度を批判する言葉として生き続けます。

 1952年、サンフランシスコ講和条約の発効により、第2次世界大戦の敗戦国日本は米国の占領状態から脱し、「独立」を果たします。しかしそれと同時に沖縄は日本と切り離され、米ソ対立を中心とする冷戦の前線基地にされます。米軍は沖縄で日本軍が造った基地を再利用しただけでなく、民間住民の土地を銃剣とブルドーザーを使って接収していきました。沖縄島は「浮沈空母」といわれるような米軍基地の要塞となっていきました。沖縄がこのような軍事植民地といわれる状態になったのは、1947年に天皇から米側に伝えられた、いわゆる「天皇メッセージ」がきっかけといわれています。内容はこうです。

 「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう希望する。これは米国に役立ち、また日本を防衛することになる。…米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借―25年ないし50年、あるいはそれ以上―の擬制(フィクション)に基づくべきだと考える」

 それは、日本に主権を残しつつ、ソ連など共産主義圏の脅威に対抗し、沖縄の「軍事基地権」を米国に長期にわたり提供するという内容でした。これは沖縄を軍事基地化したい米側にとって格好の提案となりました。しかし、沖縄にとっては、日本の独立と引き替えに、米軍へ「租借地」として引き渡される屈辱的出来事となりました。後に、沖縄の人々はそれを「第2の琉球処分」と呼ぶようになりました。

 その後も「琉球処分」は続きます。「第3」といわれる出来事は、1972年の「沖縄返還」(日本復帰)です。米軍の統治下に置かれた沖縄では、米兵に女性がレイプされたり、米軍機が小学校に墜落して児童ら18人が死亡したりするなど、人権侵害や米軍機事故が相次いでいました。こうした状況を変えたいと沸き起こったのが、日本への復帰運動です。米軍による権利侵害を前に、さまざまな権利を保障する「日本国憲法への復帰」を志向するようになります。

 ベトナム戦争が激しくなった1960年代後半になると、世界的な反戦運動と連帯し、「反戦復帰」という様相を帯びていきました。ベトナムと沖縄を行き交う米兵の犯罪が凶悪化・多発化しただけでなく、爆撃機をベトナムに送る沖縄は、ベトナムの人々から「悪魔の島」と呼ばれたのです。沖縄戦の経験を持つ沖縄の人々にとって、戦争の加担者となるのはとてもつらいことでした。

 ベトナム戦争を背景に、復帰運動は70年ごろには「基地のない平和な島」を目指し、在沖米軍基地の「全基地撤去」をスローガンに掲げるようになります。

 ところが、日米首脳で合意した沖縄返還協定の内容は、ほとんどの米軍基地がそのまま沖縄に残り、なおかつ米軍が自由使用(やりたい放題)できるものでした。これに、沖縄の知事をはじめ、多くの人々が反発しました。「基地のない平和な島」という願いを無視して軍事植民地を継続させた日本政府の態度は「第3の琉球処分だ」という声が、復帰運動のリーダーたちから上がりました。

■第4の「琉球処分」

 そして今、「第4の琉球処分」と呼べる出来事が進行しつつあります。

 名護市辺野古での新基地建設や米海兵隊のMV22オスプレイ配備をめぐって、沖縄県民は大規模の集会や主要選挙で反対の民意を示し、日本の民主主義制度のあらゆる手段を使って訴えてきました。しかしその民意が政府の政策に反映されるどころか、一顧だにされない状況があります。

 最近、沖縄の主張は強く、強固なものになっています。転換点となった出来事の一つは2013年1月28日の政府への「建白書」提出です。建白書は、米軍普天間飛行場の県内移設断念とオスプレイの配備撤回を求めたもので、沖縄県内市町村全ての首長、議会議長、県議会議長らが署名し、首相官邸で安倍晋三首相に手渡しました。「沖縄の総意」を示した歴史的行動でしたが、政府側は“無視”しました。

 その年の12月、米軍普天間飛行場の「県外移設」を公約に掲げていた当時の仲井真弘多知事が、公約を破り、新基地建設に向けた辺野古沖の埋め立てを承認しました。県民は強く反発します。翌年11月の沖縄県知事選では、「県外移設」を公約する翁長雄志氏が約10万票の大差を付けて仲井真氏を破ります。直後の12月の衆院選では沖縄全4選挙区で、翁長氏を支え「県外移設」を公約する候補者が当選しました。「沖縄の民意」は明確に出たのです。しかし、その直後から日本政府は辺野古での新基地建設作業を強行しました。

 こうした状況を見ますと、沖縄は日本の民主主義制度を享受できない地域なのかと疑いたくなります。このような形の訴えを打ち砕かれたら、沖縄の人々はいったいどうすれば自分たちの未来を担保できるのかという思いが広がっているのです。

 最近の安保関連法案を見ますと、憲法9条の理念がなし崩しにされています。米国の統治下で沖縄の人々が目指した「平和憲法への復帰」という願いも、実現どころか、遠のいているという見方さえできるでしょう。日本が「戦争のできる国」になれば、戦争や紛争で真っ先に標的にされるのは、基地が集中する沖縄です。「基地が有る所が最も危険」「軍隊は住民を守るどころか殺しさえする」―。これらが沖縄の人々が学んだ沖縄戦の教訓です。

 万人余が犠牲になった沖縄戦や、戦後も長期にわたり基地被害を経験してきた沖縄の人々が、子や孫に〝負の遺産〟を残したくないという強い思いから、今、湧き起こっている新たな動きが、沖縄の自己決定権行使を志向する行動です。それは、もはや憲法だけではなく、国際法に訴える形で登場してきています。

■自己決定権とは

 自己決定権は、国際法である国際人権規約(自由権規約、社会権規約)の各第1部第1条では、集団的決定権として「人民の自己決定権」を保障する規定があります。日本語では一般に「民族自決権」と訳されていますが、沖縄では沖縄戦における住民の「集団自決」(強制集団死)を連想する「自決」という言葉が含まれているため「自己決定権」という言い方が一般的です。

 自己決定権は、自らの運命に関わる中央政府の意思決定過程に参加できる権利です。それが著しく損なわれた場合、独立が主張できる権利でもあります。

 国際法学者の阿部浩己神奈川大学教授によると、この自己決定権は今や国際法の基本原則の一つとなっており、いかなる逸脱も許さない「強行規範」と捉える見解も有力だそうです。

 沖縄がいま、直面している大きな問題は名護市辺野古への新基地建設問題です。外交や防衛に関しては、国の「専権事項」とされていますが、それらの意思決定過程に、沖縄住民の民意を反映させようというのが自己決定権の行使です。

 沖縄住民の運命に深く関わる問題が政府の「専管事項」とされているので、全国で叫ばれている地方分権論の枠組みでは限界があります。突発的な衝突を含めて、尖閣諸島で紛争が起きれば、観光産業など経済も含めて真っ先に巻き込まれ、なおかつ影響が大きいのが沖縄です。中国脅威論が扇動されればされるほど、当事者として沖縄の人々の危機感は高まるのです。

 では、沖縄の人々は、国際法でいう「集団の自己決定権」を行使する主体となり得るのでしょうか。国際法で規定する「人民」は、一義的な定義はないようですが、沖縄の場合、客観的条件や自己認識で当てはまる要素がたくさんあります。ウチナーンチュ(沖縄人)というアイデンティティー(自己認識)が強く、米軍基地集中という差別的状況、琉球王国という歴史的経験、固有性の強い伝統芸能や慣習、しまくとぅば(琉球諸語)という言語的一体性、琉球諸島という領域的結びつきもあります。

 

■「琉球処分」の意味

 そこで私が最も強調したいのが、沖縄の人々が持つ「琉球処分」という集団の歴史的経験と、その意味です。先の話に戻りましょう。琉球国が外国と結んだ修好条約が重要となります。

 複数の国際法学者によりますと、3条約を根拠に、琉球国が国際法上の主体であったことが確認できます。すると、「琉球処分」という出来事は、国際法であるウィーン条約法条約第条「国の代表者への脅迫や強制行為の結果、結ばれた条約は無効」とする規定に抵触するので、琉球併合の無効を訴えることができるというのです。加えて日米両政府に対し、謝罪、米軍基地問題の責任追及などだけでなく、主権回復を訴える戦略が描けるとも指摘しています。

 ウィーン条約法条約とは、条約に関する慣習国際法を法典化した条約のことで、1969年に国連で採択され、80年に発効されました。日本は81年に加入しています。琉球併合当時、すでにこの条項についての国際慣習法は成立しており、それを明文化した条約法条約を根拠に、事実上、さかのぼって併合の責任を問うことが可能だというのです。「廃藩置県」の通達が、ここでいう条約と見なせるそうです。

 私がこの3条約と琉球併合の関係に焦点を当てたのは、それらの歴史は決して単なる過去ではなく、現在の沖縄の状況を国際法の中に位置付けることが可能となり、さらに国際法を生かして主権回復や自己決定権行使を主張する議論の地平が開かれるからです。

 私は昨年5月から今年2月まで「自己決定権」をキーワードにした連載「道標求めて―琉米条約160年 主権を問う」を琉球新報の紙面で書きました。開始直後から反響が大きく、読者の励ましの声にも支えられ、百回を数える長期連載となりました。連載は6月に書籍『沖縄の自己決定権―その歴史的根拠と近未来の展望』にまとめ、高文研から出版されています。三つの条約や「琉球処分」の歴史、自己決定権を主張する沖縄の展望について詳しくまとめてありますので、興味のある方は、ぜひ読んでいただきたいです。

 連載の狙いは主に二つありました。一つは、足元の歴史を掘り起こすこと。二つ目は海外の事例から学べる素材を集め、国際社会との連携を模索することでした。歴史を掘り起こすことが時間軸で考える縦糸とすれば、国際社会への取材は思考空間を広げる横糸の関係です。

 海外の取材でも得るものが多かったです。スイスの国連人種差別撤廃委員会やスコットランドの独立住民投票、米国ら独立して20年の節目を迎えたパラオ、そしてEU(ヨーロッパ共同体)の本部があるベルギーを取材しました。

 国連は2008年に「琉球/沖縄人」を「先住民」と認め、2010年には米軍基地の集中は「現代的人種差別」だとして、日本政府に改善を求めています。

 EU(欧州連合)の要・ベルギーの取材では、沖縄が東アジアの「平和・交流の要」になる可能性を念頭に置いて取材しました。国境を超えた地域共同体の本部は小国に置いた方が、大国の利害調整に優位だといいます。日本国内で実現に向けて叫ばれてきた「東アジア共同体」がもしできるのなら、その本部は沖縄にこそふさわしいという確信を得ました。

 人口約2万人しかいない島国・パラオがどうやって大国アメリカから独立を勝ち取ったのか。スコットランドの独立運動とも通ずるのが、市民による粘り強い草の根運動です。何度も挫折しつつも、アイデンティティーの基盤を再構築し、国際世論に訴える運動を継続していました。今の沖縄の課題にも通じます。

 取材を通して率直に感じたのは「沖縄は自立する可能性だけでなく、独立する資格さえ十分持っている。問題はそのビジョンを、現状打開や県民の幸せのためにどう生かしていくかが課題だ」ということでしだ。

■沖縄が目指す将来像

 沖縄の人々にとって、今、大きな課題になっているのは、名護市辺野古の新基地問題だけでなく、沖縄の将来を描く大きなビジョンです。

 沖縄はいま、東アジアにおける「軍事の要」の役割を担わされていますが、そうではなく、琉球王国時代にアジア太平洋地域に展開した交流・交易の歴史的経験を生かし、人や文化、観光・物流などの文化・経済交流を促進してアジア諸国の架け橋となる「平和の要石」こそ、その姿といえます。沖縄の自己決定権追求は、長期的に見れば、決して日本本土への恨みつらみでも、日本との分離を目指す〝離婚〟でもないと思います。むしろ、日本の平和にも貢献する姿こそが重要です。平和の要の役割を担うため、その重要なパフォーマー=主体となるために自己決定権は重要な権利なのです。

 日本はいま、歴史教科書や「従軍慰安婦」問題などの歴史認識問題、尖閣や竹島など領土紛争の火種を抱えています。これらの問題の解決に向け、沖縄は対話の場になれると思います。対話が実現できれば、沖縄だけでなく、日中・日韓をはじめ東アジア全体の平和構築にとって有益です。

 人、モノ、情報のグローバル化の進展に伴い、経済・政治などの分野でEUやASEANのような国境を超えた地域統合が進むなど国家の壁は低くなりつつあります。いたずらに中国の脅威をあおり、ナショナリズム高め、国家間の壁を高めるのは、世界のすう勢に逆行する行為だと思います。摩擦が激化すれば、真っ先に危険なのは沖縄です。

 人やモノ、経済の交流が進めばそれ自体が安全保障になるとの考えもあります。世界は冷戦の東西対立の時代から協調の時代に入り、大局から見れば、東アジアもその世界的潮流の中で信頼関係の構築が求められているのです。

 沖縄には今、アジアからの観光客が街にあふれています。県の総生産に占める基地関連収入の割合は、1950年代には50%を超えていましたが、今は基地に絡む振興費を加えても、わずか5%です。北谷町美浜や那覇新都心地域では米軍跡地利用が成功し、雇用や経済効果は基地だったときと比べて飛躍的に伸びました。基地は沖縄の経済にとってむしろ「阻害要因」との認識が県民の間で広まっています。

 国境が低くなるにつれ、「交流拠点」に向けたチャンスが大きくなっています。米軍基地の跡利用で国際機関を誘致するなど国際情勢を踏まえ、沖縄がどのような東アジアのビジョンと自分らの将来像を提起できるか―。その青写真とともに求められているのが、まさに沖縄の自己決定権の行使なのです。




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by africa_class | 2015-11-26 23:13 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(2):「Positive Peace(積極的平和)」と「ProActive Peace(積極的平和主義)」の違い、そして沖縄の今の世界史的意義

沖縄・辺野古で事態が緊迫しています。
この連載も、もう一歩前に進めないといけません。

元々、辺野古への新基地建設(移転というべきでない)の問題、そしてそれへの沖縄の人びとの抵抗と政府の弾圧については、「私・私達自身の問題」としてずっとフォローしていて、このブログでも何度か取り上げてきました。

■長い夜にブレない生き方について考える〜ガンジーの「ノー」の価値論と「五日市憲法草案」、そして沖縄

http://afriqclass.exblog.jp/21326990/

以下のブログ記事を掲載してから、とても反響が大きく、本腰を入れてやらねばならん…と考え、しかし療養中のため、少しずつ勉強を深めているところです。

■翁長知事の国連人権理事会でのスピーチ&日本政府代表の反論+所感(分析にかえて)

http://afriqclass.exblog.jp/21666952

その勉強のプロセスを、公開しながら進めていくことで、今迄、これらの問題について知らなかった、関心もなかった、無関係だわ・・・と思っていた皆さんにも、一緒に考えていただきたく、この連載を始めました。

■今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(1):沖縄/琉球、薩摩と私

http://afriqclass.exblog.jp/21839406/


深刻な事態が現地で進んでいるのに、亀のようにノロい歩みではありますが、ご容赦下さい。
さて、私は以上のブログ記事(1)で、今回の辺野古への新基地建設の強行が「第二の琉球処分だ」と書きました。

しかし、私が不勉強なことに、沖縄では「第五の琉球処分」と言われていると知りました。
沖縄の人びとが直面してきた、そして現在も直面している現実の一端ですら、分かっていないことを知るに至りました。「知らないですむ」ことこそが、マジョリティの特権です。だから、常に「知ろうとすること」、いつでも耳を傾ける姿勢を持つ事が不可欠です。

「第5次琉球処分」について紹介しようと記事を書き始めて、私は一つ重要なことに気づきました。それは、このことをそのままここで紹介しても、沖縄にいない人びとに十分に伝わらない可能性です。

沖縄の人びとの現実と、それ以外の日本の人びとの現実の、深く断絶した認識の差こそが、現在の暴力的な新基地建設を可能としている背景である以上、このことを十二分に指摘しないと、「ある人たち<=>我々」の問題構造が乗り越えられない…そう思い至りました。

なので、そのことをまず書きます。

今、沖縄以外の日本のどこかに暮らし、沖縄/琉球の出身ではない私たちは、東京から送られてきた機動隊らが、身体をはって新基地建設に抗議する地元の方々(おばあやおじいも含む)を暴力的に取り締まっているか知っているでしょうか?あまりに暴力的な取り締まりだから、沖縄県警に属する若者たちにはできないだろうと、わざわざ凄い税金を使って何百人もの機動隊が沖縄に送られ、高級リゾートに宿泊しながら、毎日地元の皆さんを弾圧しているのです。

「現実に被害を被っている【ある人たち】がいるのに、知らないですませられる」構造こそが、構造的差別、ガルトゥング的にいえば、「構造的暴力」となります。これを、日本では、「フラットな皆同じ」「区別することが差別につながる」「知らせることで差別になる」という奇妙な論理ですり替えがちですが、これは「文化的暴力」と呼ばれるものです。

世界的には、「積極的平和(Positive Peace)」とは戦争のない状態だけでなく、このような構造・文化的暴力のない状態を指し、安倍さんがいう「積極的平和主義(ProActive Peace)」という武力介入の考え方には真っ向から反対するものです。この点は、ガルトウング博士が来日した際に詳しく述べているので、以下の記事をどうぞ。

「積極的平和」の真意 ノルウェーの平和学者、ヨハン・ガルゥングさん
http://www.asahi.com/articles/DA3S11931897.html
「積極的平和、沖縄から提案を」カルトゥング氏が講演
http://www.asahi.com/articles/ASH8Q65QJH8QTPOB003.html

私は、安倍政権によって「積極的平和主義」なる用語が掲げられた時、危ういな…と思いました。為政者が「ポジティブなイメージのある用語」を使って、「まったくその正反対の事」をし始めると、そしてそれがたいしたオプジェクション(異議・抗議・抵抗)にもあわずにスルスル・・・といってしまうと、大変強度の強い暴力が発生することが、現代世界史が教えるところだからです。

原爆の開発も、「戦争を早く終わらせて人命を救うため」でした。
その結果、当時35万人ほどが暮らしていた広島で、4ヶ月以内におよそ14万人の死者が出ました。
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1111638957650/index.html
長崎では、分かっているだけで73,884人、重軽傷者74,909人、行方不明者1,927名います。
http://nagasakipeace.jp/japanese/atomic/record/scene/1103.html
米国では、長年にわたって以上の通説「原爆は米国人の命を救うのに不可欠だった、役に立った」という考え方が主流でしたが、最近これに変化があり、長年にわたる被爆者の皆さんの活動の成果としても、「人道に反する行為だった」と考える人が若者に増えています。

ヨーロッパ諸国による「キリスト教の普及による哀れな原住民の救済」も、結局のところ、植民地支配の隠れ蓑として使われ、「勤勉さを学ぶための矯正のための労働」は、子どもを含む住民らの無償奉仕労働(プランテーション等での奴隷労働)を意味することが非常に多かったのです。

ある国家の為政者、とりわけ強権的な思考・志向の強い者達が、自分を「世界の救世主」的な存在として位置づけ、これを大きな言葉で繰り返し唱え、何らかの政策とともに実行に移そうとする時、甚大な被害が生じることは、現代史だけの特徴ではなく、人類史に繰り返しみられたことです。

為政者らが自分を「救世主的な存在」に位置づけて、人びとを動員する時、「これを阻もうとする者=敵」は勿論のこと、身内における一つ一つの被害は「大きなビジョンに対して小さなこと」として位置づけられ、踏みにじられていきます。しかし、動員される人びとは、自分が踏みつけられる側になり得る、あるいは既に踏みつけられているという現実に気づかず、「強いリーダーに酔いしれる」ことで、自分の苦境やコンプレックスを忘れたいために、これを「他者の問題」としがちです。

あるいは、「大きなビジョンの歯車」として、嬉々としてその役割を果たそうとするかもしれません。「私のような者が、何か素晴らしい歴史の大事の一部として関われる」ことに、自らのこれまでの人生の挫折を払拭する機会と感じるかもしれません。リーダーらが、その素晴らしさを煽れば煽るほど、そのポジティブなイメージや力は、ぐいぐい求心力を強めます。

このような動きに対抗する側にこそ「歴史の大事の運動」としての利と正義があったとしても、「〜にNOという」という運動は、「〜を素晴らしいという」という運動に対して、大衆の理解を得るのは簡単ではありません。社会が危機的になればなるほど、強権的な為政者が登場しやすい状況が生まれます。たとえ、それが為政者ら自身が作り出した危機であっても、いえだからこそ、彼らは批判を回避するために、新たなスローガンを強固に推し進めることで、人びとの目をそらし、批判を交わし、敵は批判者であり、また外にいるのだ・・・という状況を自ら作り出します。その際には、実態以上に、宣伝のための活動に力が入れられます。

このような状況の中では、為政者のスローガンのほうが優勢となり、抵抗者は対抗力を勝ち得ないとすれば、積極的に為政者に協力しない層の人びと(大多数の場合が多い)もまた、「反対しない、異議を唱えない=思い込みの中立の立場」をとり、選挙に行かない、ただ政府が与えてくる仕事をコツコツする…ということ等を通して、結果的に為政者のシステムを支える機能を果たします。

いつかハンナ・アーレントの「全体主義の起源」やアイヒマン裁判の分析を紹介しましたが、これが、ナチスドイツの壮大なる民族抹消プロジェクト「ホロコースト」を可能とした背景です。

■(その2)大学生のスピーチに思う。「名を伏せた者たち」が進める全体主義の今。
http://afriqclass.exblog.jp/21487530/

これらのことを考えると、明らかに武力介入を伴った考え方を包含するにもかかわらず、それを「積極的平和主義」等という言葉で包んで、そしてそれは憲法と真逆の考え方であるにもかっかわらず、政策として強固に推進しようとするときには、いい加減、私たちは自らの国の歴史と他国・世界の歴史から、ピンとこなければならなかったのでした。

しかし、実際はそうではなかった。
なぜなら、この「積極的平和主義」が行き着く戦争や暴力への加担の被害を被るのもまた、直接的には「私たち」ではないから。見知らぬ地域の国の、見知らぬ誰か。部隊の駐留によって日常的な人権侵害に怯える住民ではないから。あるいは、基地の存在によって攻撃の対象となるかもしれないわけではないから。

むしろ、武器輸出で儲けられるかもしれない。新しいビジネスチャンスかもしれない。となれば雇用が増え、消費がアップするかもしれない…いい加減、破綻したトリクルダウン的経済効果を、非正規雇用者の割合が初めて4割になった今も、多くは気づいておらず、「企業が富めば国が富み国民も富む」との幻想を抱いていることには、驚きます。

【朝日新聞】非正社員、初の4割 雇用側「賃金の節約」 厚労省調査
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151104-00000051-asahi-bus_all
厚生労働省が4日発表した2014年の「就業形態の多様化に関する総合実態調査」で、パートや派遣などの非正社員が労働者にしめる割合が初めて4割に達した

1987年には15%にすぎなかった非正規雇用、若者の間ではずっと前に4割となっていたわけですが、その理由が「賃金の節約」という誠にストレートな回答となっており、他方企業の内部留保金は過去最高を更新する中、その矛盾する論理が、トリクルダウン理論などまったく機能していないことを証明しています。

【日経ビジネス】今や300兆円、企業の「内部留保」に課税案が再浮上?http://business.nikkeibp.co.jp/welcome/welcome.html?http%3A%2F%2Fbusiness.nikkeibp.co.jp%2Fatcl%2Freport%2F15%2F238117%2F092400007%2F
「その内部留保の増加が止まらない。財務省が9月1日に発表した2014年度の法人企業統計によると、金融・保険業を除く全産業の期末の利益剰余金は354兆3774億円と1年前に比べて26兆4218億円も増えた。率にして8%の増加である。

純利益は10%も増加。最大の要因は企業が稼ぐ利益自体が大きく増えたこと。1年間の純利益は41兆3101億円と10%も増えた。」


このようなまやかしのスローガン・政治が可能となっている理由。
まさにそれは、あらゆる策略によって自己検閲してしまっている牙を抜かれたメディアのせいであり、「疑問を持ち、自分の頭で考える」機会を十二分に創造してこなかった教育のせいでもあるし、離合集散を繰り返す政党政治のせいでもあります。しかし、根本的には、未だに日本が「同調圧力を使った集団催眠の罠」を自覚的に乗り越えられていないことからきていると思います。どこかで、多くの日本の私たちは、「自由と民主主義」が怖いのです。

自由に考えろといっても、選択肢もあまりないし、あれこれ考えなくとも、強いリーダーに任せておけばいいじゃないか。
「よく国のことを考えている(と思わせる)」政治家や専門家や役人に任せたい。
「せっかく国のためにやってくれている人たち」の足を引っ張る奴は許さん。

という、実態なき「国」その実「一部の特権層の既得権益の存続と発展」を、支えてしまうことになるのです。
だから、2015年の終わりに、日本の人びとこそ、パウロ・フレイレの『被抑圧者の教育学』を手にとってほしい…そう思って以下の記事を書きました。

■今、再び『被抑圧者の教育学』を読む(その1)〜若者/「抑圧なんかされてない」「飼いならされた」あなたへ

http://afriqclass.exblog.jp/21839228

私は、今危機的な状況にある日本の中で、多くの人が沖縄の人びとに学ぶことこそが、もしかして唯一残された希望であるかもしれないと考えています。沖縄の人びとの長い歴史に裏打ちされた経験から紡ぎ出されている「意識」こそが、主体としての権利の能動化、つまり「主権者」としての自覚を育み、踏みつけられても踏みつけられても、日常の近い場で日々のあらゆる闘いを実践し続けているところに、今私たちが真剣に学ばないとしたら、もうとっくに手遅れだけれど、もっと手遅れになると思うからです。

今、沖縄の人びとが実践していることは、「日本の平和と自由と民主主義の最後の砦」を守る行為なのだということを、私たちは決して忘れてはいけないし、知り、そこから学ばなくてはならないと思います。

また、ガルトゥング博士が沖縄にPositive Peaceの拠点としての可能性を見いだしていることの意味は、第二次世界大戦後、とりわけ冷戦期の60年代以降に発展してきた国際平和学の成り立ちと発展からすると、とても納得のいくものなのですが、この点についてはまた別に論じたいと思います。

一言付け加えると、先の戦争で甚大なる暴力を経験した沖縄の人びとが、既に「平和の主体」として自らを位置づけ直し、沖縄という場を「平和の拠点」と転換させることで、自らの尊厳と発展の足場を築き、日本・アジア・世界に貢献しようとされていることは、沖縄内、日本内に留まらず、アジアと今の暴力の連鎖が止まらない世界のあり方にとっても、世界史的な展開としても、大きな意味と意義があるということです。

これはガルトゥング的平和学でいうところの「トランセンドtranscend」であり、AとBの敵対から戦争に発展しがちな紛争を「超越的に転換」することをヴィジョンとして設定し、それに引っ張ってもらう手法です。これは、授業でも色々やりました。つまりAかBの勝利か敗北を目的化しない、かといって妥協を目指すのでもない手法です。

詳細→http://afriqclass.exblog.jp/i23

理不尽な暴力を経験したからこそ、平和や自由、民主主義の価値を知り、その実現のために尽力する崇高なる役割を果たして着た偉人を、私たちは沢山知っています。

他方、理不尽な暴力を経験し続けたからこそ、世界構造や現状を暴力的に転換したいと切望して別の暴力に手を染める人、絶望してこれに追従する人も、私たちは知っています。911やパリ連続攻撃で、それを目の当たりにしました。

その意味でも、沖縄の人びとの非暴力直接行動の実践は、同時代的な世界大の意義を持っており、これはそのような文脈でも理解されるべきなのです。

次に、本題の「第五の琉球処分」について。

今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(3):「第5次琉球処分」としての辺野古新基地建設

http://afriqclass.exblog.jp/21871996/

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by africa_class | 2015-11-26 22:10 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(1):沖縄/琉球、薩摩と私

ツレが日本から大量の荷物を持って帰って来た。
大地を守る会で買った熊本の無農薬玄米、豆腐を作る為のニガリ、お団子を作るためのクズ粉…。しかし、大地で扱っていないため、ぬかと麹を注文し忘れ、昨夜味噌をつくったら、もうなくなってしまった…。麹なしに我が家の料理は貫徹せずなので、苦境だ。

さらに、実家からも大量の荷物が。私の母から息子へのオヤツやパジャマ、私に5本指ソックスと腹巻き(日本でしか買えない!)、そして家族のために「ムラサキ醤油」が…。

これは九州の人にしか分からないと思うが、醤油は甘くなくてはいけない。

千葉出身の若者に「薄口醤油」を買ってきてと頼んだ時に、「え?醤油に濃口と薄口あるんですか?」と驚かれたが…あるんです。関西(特に京都)の人間にとって、「薄口醤油なしの食生活」はあり得ません。さらにいってしまうと、関東の醤油は塩味がキツく、出汁っぽい味がしないのが辛い。

が、鹿児島出身の母と京都出身の父というあり得ない両親のミックスとしては、「ムラサキ醤油」も「薄口醤油」も「濃口醤油」も必要なので、キッチンの棚にはやたら醤油の瓶が並ぶのだが、遊びに来た人に料理の際「醤油とって!」と軽く頼むと、皆驚き、「え?何?これ?どれ?!」となる。

さて、ツレが持って来た90キロの荷物はこれらで終わることがなかった。
(多分、彼の宿泊していたホテルは驚いたことだろう。日本全国からあらゆる小包がたった2泊の客人のために届いたのだから。しかも、ツレがあまりに忙しかったため、わざわざ段ボール箱に梱包してくれたほど…日本のホテル、万歳!)

届いたのは、沖縄県からの小包と、東京の本屋屋からの小包。

その両方の小包に、本が一冊ずつ入っていた。
奇しくも、同じ時代…19世紀末の琉球の話が載っている。


琉球新報社・新垣毅(編)(2015)
『沖縄の自己決定権:その歴史的根拠と近未来の展望』高文研

松下志朗(編)(2008)
『南西諸島資料集(第二巻):名越左源太』南方新社


前者は、このブログの読者の方がわざわざ送ってくださった本。

後者は、ずっと前からほしかった本で、沖縄で起きている事態を見ているうちに、大学時代にやりかけて途中で放り投げてしまったことを、そろそろ少しでも何かを始めた方が追いと思ったからだった。その理由の一つとしては、先日母方の叔父が急逝してしまって、最後の大叔母も長くないかも…さらに叔母が入院…とあって、いよいよまずいと焦ったのもあった。

これまでも、沖縄の皆さんとの交流は、色々なレベルであった。10回は訪ねた大好きな地域。だが、本当の意味で交流らしい交流が始まったのは、実はこの2ヶ月のことであった。ブログに以下の記事を投稿してから、沖縄の多様な層の方々からご連絡を頂き、少しずつであるけれどやり取りをさせてもらっている。

その中で、わざわざ沖縄から『沖縄の自己決定権』を送って頂いたのだった。

2015年9月22日:

翁長知事の国連人権理事会でのスピーチ&日本政府代表の反論+所感(分析にかえて)

http://afriqclass.exblog.jp/21666952

自分でもその反響に驚き、未だにその理由が理解できていないのだが、今度沖縄に行く時に、皆さんとの交流の中で色々教えてもらおうと思っている。

前回2014年は体調のこともあり、5日ほどしかいられず、辺野古も高江も駆け足でしか行けなかったが、出会う人出会う人に沢山の話を聞くことができたことは本当に貴重な経験だった。また、共同編集していた日本平和学会の本の表紙用に高江に掲げられた「命どぅ宝」の写真を撮影でき、以下の協議会で親川志奈子さんのお話を聞けたことは、なんという幸運だったろう。彼女の話は議事録で確認できるので、以下の外務省サイトで是非。

平成25年度(2013年度)NGO・外務省定期協議会
「第3回ODA政策協議会」

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/oda_ngo/taiwa/oda_seikyo_13_3.html
(2)外務省・JICAにおける先住民族に対する政策のあり方について
  【親川 志奈子 Okinawan Studiese 107】
  【和田 充広 外務省 国際協力局 NGO担当大使】

さて、頂いた『沖縄の自己決定論』。あまりに面白くて、一気読みした。
特に、冒頭からの近現代史の部分は、推理小説を読んでいるようなそんな疾走感があって、自分が知っているはずの史実の問題が別の角度からどんどん暴かれていって、ストーンと落ちるものがあった。

歴史や歴史小説が好きな人は日本に山ほどいるので、そういう人にも気軽に手に取ってほしい一冊だ。私の幼少期には、「ヒミコの墓はどこ?」「邪馬台国は奈良か、北九州か?」「豊臣秀吉の隠した財産はどこ?」等という本が、山ほどあったのだが、同じ位の熱意を持って、この本を手に取ってほしい。そういう間口の広げ方は、凄く重要だと思う。

大丈夫。
この本の紹介はそこで終わりではない。

この本は、今、暴力的に辺野古に新基地が作られようとしている正にその瞬間だからこそ、読まれるべき本である。琉球の歴史を十分に知る機会がなかったかもしれないウチナンチュー(沖縄以外にいる人びと、世界のウチナンチューも含む)、そして、とりわけサツマ(鹿児島)の人たち、沖縄以外の人たちに読まれるべきものである。

なぜなら、今歴史が繰り返そうとしている、まっただ中に私たちは生きているから。
そして、私たち一人ひとりが、過去は変えられないとしても、そしてその自覚がないにせよ、今と未来は変えられるだけの力を、本来持っているから。

今なら、未だ間に合う。
この過ちを止めさせるのに。
でも、この後は間に合わないかもしれない。

だから、まず私たちは、かつて沖縄/琉球で何が起こり、それは何故だったのか、現在にどのように繋がっているのかを、どうしても知らなければならないのだ。

琉球「処分」という言葉が指すように、「誰が誰を何の権限を持って処分したのか」、今でもその「処分」という言葉を使い続けることは妥当なのか?なぜ、1世紀以上が経っても、未だにあれをカッコなしで琉球処分と、書き・話すことができるのか?

それ以前に、なぜ薩摩藩がとんでもない重税を琉球の人びとに課し、徴税できたのか?
なぜ、琉球王国内にあった奄美大島は薩摩藩直轄になり、今は鹿児島県なのか?

なぜ、朝鮮半島への侵略と植民地支配は、「併合」等という言葉でもって未だに説明されるのか?
なぜ、安倍総理は今年夏の談話で、戦争の加害はわずかでも言及し詫びたのに、植民地支配についてはまったく言及しなかったのか?

(この点は以下のブログ記事で紹介してます)
http://afriqclass.exblog.jp/21548918/

私たちは何一つ、知らなかった事に、問いすらもとうとしなかったことに、今更気づくのである。
知らないでいられたとしたら、それは支配する側、つまり歴史を記述する側にいたからであり、あるいは被支配を見えなくされていたからである。

この本は、あるいは近現代史を琉球・沖縄の視点で見直した時に、まったく地平が立ち上ってくることに気づくだろう。それはとても苦しいことであるが、同時に、この戦後最悪の政治状況において、一筋の希望でもある。

「知らないでいること」…で責任を逃れようとしがちな私たちである。
特に、都合の悪そうな事実からは、目を背けがちである。


しかし、「知ろうとしないでいること」自体が、「加害」であり「罪」であり、責任を伴うことを(無作為の作為)、今ここで理解しないとすれば、取り返しがつかないことになるだろう。それは、「沖縄/琉球」と自分との関係においてだけのことではなく、このままいくと暴力的支配の構造が日本全体の下から上までにはびこって、再び大規模な愚かな過ちを繰り返すことになるだろう。

このことは、既に別の記事で書いた。
■大学生のスピーチに思う。「名を伏せた者たち」が進める全体主義の今(その1)。
http://afriqclass.exblog.jp/21484478/
http://afriqclass.exblog.jp/21487530/

沖縄の皆さんは身体をはって、これを止めようとしているのに、私たちはあまりに無自覚すぎる。翁長知事が、春先、菅官房長官に対して「問われているのは日本の政治なんではないですか?」という趣旨のことをいっていたが、まさにそうなのだ。問われているのは沖縄ではなく、私たちだというのに、依然としてその自覚すら十分ではない。

でも、今なら間に合う。
しかし、その最後の段階に入りつつあると思う。
そのことの理由は別に書く。
だから、多くの皆さんにこの本を手に取っていただきたく、章立てを紹介する。

『沖縄の自己決定権:その歴史的根拠と近未来の展望』

*沖縄は、なぜいま、「自己決定権」を求めるのか
I. 琉球の「開国」
 1. ペリー来航と琉球
 2. 列強各国・中国・日本と琉球

II. 琉球王国ー「処分」と「抵抗」
 1. 「処分」の起源とその過程
 2. 手段を尽くしての抵抗・急国運動
 3. 「処分」をめぐって

III. 沖縄「自己決定権」確立への道
 1. 国際法から見る「琉球処分」
 2. 「琉球処分」をどう見るかー識者に聞く
 3. データでみる沖縄経済
 4. 経済的自立は可能かー識者に聞く

IV. 自己決定権確立へ向かう世界の潮流
 1. スコットランド独立住民投票を見る
 2. 非核、非武装の独立国・パラオ
 3. 沖縄を問い続ける国連人種差別撤廃委員会

V. 「自治」実現への構想
 1. わき起こる住民運動
 2. 「自治州」から「独立」まで

========

内容については、あまりに息子の作業がうるさいのと、一個記事をあげたばかりなので、今日は無理な感じ。先にこの本を紹介したかったのだけれど(今の緊急性を考えて)、フレイレの書いたことを紹介してからが良いと思った。その理由は、また今度書く。

なお、私がこのブログで、「学者らしく」プレーンな解説に徹するということをせずに、延々と日常や思い出話がおり混ぜているのには理由がある。ウザい人たちが多いだろうが、それがウザい場合は、どうか学術論文や本の方を参照してほしい。あえて、こういう書き方をしているのは、「一私人として、何をどう感じたから、どう書いたのか」の舞台裏まで見せてしまうことで、「遠いどこかの先生のおっしゃるクールな有り難いお話からお勉強しよう」という受動的な読み方をするのではなく、皆さんの隣の誰かの日常的・思考的な試行錯誤を知ってもらうことで、何かもっと身近なレベルから主体的に考えてもらうきっかけに(それが反面教師、あるいは批判であっても)、なってほしいと思うから。

その理由は、先ほどフレイレの『被抑圧者の教育学』の記事で是非。

今、再び『被抑圧者の教育学』を読む(その1)〜若者/「抑圧なんかされてない」「飼いならされた」あなたへ

http://afriqclass.exblog.jp/21839228/

または、以下の投稿。
長い夜にブレない生き方について考える〜ガンジーの「ノー」の価値論と「五日市憲法草案」、そして沖縄
http://afriqclass.exblog.jp/21326990

さて、何故私が「南西諸島史料集」なるものを同じタイミングで手に取ったのか、何故あの「所感」を書いたのかを、紹介しておかねばならない…と思って、書き始めたのだが、さすがに1日二つの記事は書けそうになく、これにて失礼するしかない感じ。まったくすみませぬ。



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by africa_class | 2015-11-16 06:19 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

今、再び『被抑圧者の教育学』を読む(その1)〜若者/「抑圧なんかされてない」「飼いならされた」あなたへ

お待たせしました。
パウロ・フレイレの不朽の名作『被抑圧者の教育学』です。

(誰も待っとらんわい、と聞こえてきそうですが…)
(*時間のない人は最後のメッセージだけどうぞ)

そして、私の我が侭を聞いてくれるのであれば、マリア・ベターニャの「朝の鳥/1977年」を聞きながら読んでほしいのです。意味が分からないとしても。

Pássaro da Manhã/1977 - Tigresa - Maria Bethânia


新訳本を出された三砂先生が、「日本においても、開発・発展・国際協力といった分野に興味を持つ人に取ってはマスターピースと呼ばれるような一冊となっているし、教育、医療、演劇、貧困、差別等の多くの分野で人間の解放と自由について考える人たちに大切にされてきた」と紹介しています(311頁)。

それにしても、前回更新からエライ時間が経ってしまいました。
というのも、またしても体調不良を起す中で、ツレが出張に行っていたり、ゲストラッシュが続き、さらに通い猫のニャーニャに未だ子どもなのに(!)5匹の赤ちゃんがいたことが発覚し、ついでに庭と畑の収穫と冬支度が同時進行し、断片的にしか思考できなかったためです。

しかし、少し元気になると、次々に「前世」の約束が追いかけてくるのは…辛いですね。なのに、新しい約束が、思っても見ない人びと・レベルからプレゼントのように手渡されると、なんとも嬉しさよりも悲しさが募ります。あ〜あ。。。この日本社会での「借金状態」を、なんとか今年度内に片付けたいと心から思っています。皆さん、すみません…。

で、まだ難しいものを書く元気がないのと、息子が突然始めた古家(築100年)の床の研磨がうるさく…でも、耳栓して本の紹介ぐらいできるかな…ということでいくつか紹介を。

底本は、三砂先生の新訳で蘇った以下の本です。
パウロ・フレイレ(三砂ちづる訳)『被抑圧者の教育学』亜紀書房
Paulo Freire "Pedagogia do Oprimido" 1968.


フレイレを少し紹介。
三砂さんのフレイレと本の紹介、翻訳の苦労(ノルデスチ話法とアカデミック記述の合体というらせん構造)、そして先生自身のノルデスチでの母子保健協力の実践が「ヒューマニゼーション」という考えに到達したプロセスを書いた「あとがき」は、とても良いので是非一読を。

1921年ブラジル北東部(ノルデスチ)ペルナンブーコ州レシフェ市生まれ。法学部で法律を学び、弁護士に。その後、地元レシフェ市で文字の読み書きができない貧しい農民たちに、自己変革とそれを通じた社会変革のための「意識化(conscientização)」の手段として、識字教育を奨励し、社会的に大きな変革の兆しをもらたした。その結果、1964年の軍部によるクーデーターで、国外追放となり、亡命生活中にこの本を執筆する。その後、UNESCOで識字教育推進に関わる一方、ブラジルの民政移行に伴い、サンパウロ市の教育長等を歴任し、スラムでの識字時教育を推進。

教育実践、教育学だけでなく、開発、保健医療、政治など多くの分野に影響を与えた。エンパワメントの概念・言葉は、彼によるもの。


なお、この本のタイトルが「教育学」という点で、多くの人はひいてしまう、自分に関係ない本と受け止める可能性がありますが、実は、内容はそれを超えています。私も、学部生の時代に手に取る際に躊躇したのはそれが理由でした。それでも何故読んだかというと、当時どこにいっても多くの人がこの本を言及していた、ブラジル人が書いたものなのに知らない訳に行かない…という消極的な、悲しい理由によるものでした。が、いかんせん、三砂先生も書いてらっしゃる通り、読み進めるのが難しい本…です。そこは、三砂訳が楽にしてくれているので、是非新訳をお手元に。

さて、誰に読んでほしいか?
1. 街角に出始めた(出ようかと思う)若い皆さんに、

本の扉に書いてあるフレイレのメッセージを読めば、今の日本のとりわけ若い皆さん、街角に繰り出した皆さん、繰り出そうか出すまいか悩んでいる皆さんが読むべき本であることが理解されると思います。

「この世界で、引き裂かれている者たち、抑圧されている者たちに、この本を捧げる。そして、引き裂かれている者たちを見いだし、彼らと共に自らをも見いだし、共に悩み、共に闘う、そういう人たちにこの本を捧げる」

2. 日本社会の最前線で活躍するミドルズ、「被抑圧者」なんかじゃないという方々に、


そして、次の文章は、日本社会の最前線で活躍する皆さん、自らの生活に必死で本なんか読んでられねーよ、という皆さん、あるいは私は「被抑圧者」なんかじゃないから関係ない、という皆さんにも、これが必読書であることを示していると思うのです。

(8頁)
コースの参加者が、「意識化することは危険だ」という言い方で、「自由への恐怖」を表すことが、本当にめずらしくなかった。「批判的意識というのは、なんというのかな、それはアナーキーで危険のことのような気がする」


3. 「被抑圧者の意識化なんて、危険だ!」と考える皆さんに


あるいは、週末に起きたパリでの同時多発「テロ」を見て、被抑圧者の「意識化」は危ないことである。過激派思想を生み出すと主張する人たちに、45年前にフレイレがどういっていたか知ってほしいと思います。

9頁)
「不正な状況があるとしても、その状況の下で苦しんでいる人たちがはっきりとその不正の状況を"認識"しない方がよいのではないか」
、となる。

(しかし、)人びとを「破壊的な狂信」にかりたてるのは、意識化ではない。意識化はむしろ逆に、人びとが主体として歴史のプロセスに関わっていくことを可能にし、狂信主義を避けて一人ひとりを自己肯定に向かわせる。


「意識化によって社会的な不満を表現する道がひらかれるということは、こういった不満が抑圧状況のうちにはっきりと現存する、ということを示している」

これは、重要なことです。「自己肯定」を切実に必要とする被抑圧者らが、歴史において、日本でもドイツでも世界でも、どのような破滅行為に邁進していったのか、自分より「劣る他者(集団)」をスケープゴート化することで、いかに「偽りの自己肯定感」を得ようとしたのか。それが、今再び、日本で蘇ろうとしている現実を目の当たりにして、よけいにそう思います。

4. 戦争を経験しなかった今世代の皆さんに
あるいは、「飼いならされてなんかおらん!」と憤慨する皆さんに

私たちが向かうべきは、自己肯定感を持てないような家族・社会・国家・世界のあり方であるにも拘らず、それを社会課題として昇華させないで分断された個人のそれぞれの内面に深く刻み込むことで、支配する者たちの言いなりになる人の群れが準備され続けてしまう。つまり、「飼いならされた人びと」の創出・・・が、この本の最も挑戦しようとしている点です。

その意味では、日本の戦争を経験しなかった世代のあらゆる人びとにこそ、この本は読まれるべきだと思います。

日本は、近現代史において、「権力による飼いならし」は無縁の経験ではなく、その行き着く先が一連の戦争でありました。多くの戦争経験者は、これに気づき、自らの思考を転換させていきました。しかし、その世代の大半は、もはやこの世におられないか、引退されてしまいました。そんな重しがなくなった途端、かつての日本の風潮が戻ってきて、今「飼いならし化」が再び強まっており、気づかない間に社会・日常のあらゆる場面で「刷り込み」が進んでいます。

が、おそらく「飼いならされてる」なんて、失礼な!と憤慨してらっしゃることでしょう。だとすれば、是非この本を批判するために読んでほしいと思います。


===========
が、その前に・・・!
キー概念である「意識化」、そしてその後の「エンパワメント」とは?

この説明は本にないので、ここを理解しないと、全然通じないので、以下私の経験も含めて紹介しておきます。

日本の大学・大学院で国際協力に関心のある日本の学生を教えていると、必ず皆「エンパワメント」という言葉や概念に触れ、首をかしげながらも、惹かれて、やたら多用します。

私は、これを勿論良い事と思って、眺めます。
ただ、質問はします。
「エンパワメントって何?」
そうすると、大抵の場合、フリードマンの引用をスラスラと言ったり、書いたりしてくれます。
その時、フレイレまで遡ってくれるのなら、もう言う事はないのですが、大抵そうではありません。知識として、フリードマンにインスピレーションを与えたということは知っていても、何故そうなのか…までは行き着いていません。

なので、次のような質問を投げかけると、途端に皆立ち止まってしまいます。

「エンパワメントって、あなたの今の状態において、どういう関係性を持つ?」
「あなたはエンパワーされている状態?だとすれば、どういう状態にあるの?その理由は?」

ここでスタックします。
それでいいのです。
日本で「フツー」の学生生活を送ってきた人なら、このような問いに答えるだけの経験をしていないと感じるのが当然ですし、考えたこともなかったというのが一般的なのですから。とても幸運なる育ちをしてきた人といえるでしょう。あるいは、エンパワメントされうる存在として考えた事がないほど辛い人生だった…ということかもしれません。

「途上国の女性、あるいは貧困者のエンパワメント」
の問題に惹かれるものの、何故自分がそのテーマに無性に惹かれるのか分からない日本の女学生は非常に多いです。それらの人たちは、自分は「良い立場にいて」、「エンパワーされなければならないのは自分ではなく彼女たちだ」という前提があります。

その論理の底辺に重要な役割を果たすのが、「経済的な貧困」です。1日1ドル(1.2とか1.5とか2とか)以下で暮らす人びとである以上、これは「エンパワー」された状態とはいえず、だから経済成長による「エンパワメント」が必要だ、と…。(この論理の飛躍については、さすがにあまりないと思っていましたが、最近国際開発分野の博士後期課程の学生の書いたものを読んで、さすがに驚いたため、一応書いておきます)

多くの善良なる日本の若者が、アジアアフリカラテンアメリカの「貧困」問題に関心を寄せ、「貧困者のエンワメント」のために、自分が何かしなければ!と考えていることは、素晴らしいことです。私もかつてそうでした。その想いが、世界の中でも所謂「途上国」にばかり足を運ぶ契機となりました。

しかし、そこで私が気づいたことは、「他者のエンパワメント」を語るには、「deprived(権利剥奪/デパワーされている)状態」を理解しなければならない・・・つまり、その人を取り巻く社会政治経済構造を掴む必要がある、そしてそれは多くの場合不可視化されており、かつ文化・慣習によって本人自身がそれを甘受している状態にある・・・ということでした。そして、その論理でみていったときに、日本の私たちが、果たして「エンパワーされた状態」といえるのか、そもそも自分たちの置かれた政治社会経済の構造下の状況を、「剥奪」と呼ばないまでもどこまで理解しているか…という問いに打ち当たりました。

つまり、フレイレが書いているように、「意識化」(気づき)の問題、つまりは「剥奪されている状態」の構造的な把握と、それを変革せんとする意思を抜きに、エンパワメントは語れないのです。

日本語の「意識化」では、これが上手く伝わりません。
かといって、ポルトガル語さらに意味が伝わりません。
自分なりの言葉で補うならば、
「自己の考え・生活に内包されてしまった社会的・政治的・経済的な構造や矛盾を理解し、それらの構造を変える変革主体として目覚めること」
とでもいいましょうか・・・・。
私も、もう少し考えてみます。

おそらく、私が個人として「世界に出て行って、困っている人を救う」ぐらいの勢いでいたのが(恥ずかしい…)、ガラリと変わったのは、1991年のブラジル・サンパウロのスラムでのHIV/エイズと共に生きる人びとと過ごしたボランティア活動の経験によってでしょう。

今から思えば、本が出て未だ22年しか経っていない時期で、民政への以降直後で、すでにフレイレはブラジルに戻ってきていました。サンパウロ市政は、極めて革新的で、フレイレも教育長を務めましたが、保健衛生分やでは感染者・患者の主権に沿った行政を展開しようとしていました。それを促すだけの市民の運動があったのです。

その後、予算配分を住民が決める方針など、住民主権や自治体の「自治」等先駆的な政策がブラジルの一部の都市で展開していき、最初の世界社会フォーラムをホストするなど、ブラジルの市民・社会運動は、世界的に大きな役割を果たして行くことになりますが、私は本当に偶然にも、ただ「途上国での生活をしたい」&「ポルトガル語が使われている国に留学したい」という単純な理由で、ブラジルに行き当たり、そして民政後の躍動するブラジル社会の様子に触れることが出来たのでした。

ブラジルには、私の居場所がないことを知って、一抹の寂しさを覚えたことは事実ですが、他方でなんともいえない感動を感じました。勿論、当時も今でもブラジルに問題は山積していますが、ブラジル人が解決するだけの主体として既に立ち現れていたし、それが試行錯誤の長い道のりだとしても前に進んでいくものと思われ、そこに私が果たせる役割はないな、と思いました。(勿論、実際は違ったかもしれませんが)

私は、学生たちが大学の有償化政策に反対して行ったデモに参加した時に、特にそれを感じました。言ってること、掲げているプラカードは限りなくラディカルなのに、まったくカーニバルのようなお祭りっぽい、楽しい様子で、老若男女が歩いているのです。勿論、皆がリズムを様々な楽器や即席楽器(コカコーラの瓶や缶を棒やナイフで叩く)で刻み、繰り返し繰り返しシュプレヒコールをしながら練り歩く。

日本でも、原発反対のデモでも当たり前になったあの光景は、1991年のブラジルで既に日常でした。

それを、経済的な成長の成果だ、という人がいます。
日本の援助のお陰だ、とも。
しかし、労働党政権が2003年以来政権の座についている事実を、表面上で理解するとしても、社会に通底する主権意識の定着(意識化/エンパワメントの成果)抜きに、今のブラジル政治・社会は語れないと思います。
そして、その点において、日本の官民がブラジルにしたことは、多くはないこと、時に軍事政権側についていたことを、忘れるべきでもないでしょう。

サンパウロのスラムの集会所で寝泊まりしていた時、そこが集会所であるが故に、あらゆる人がやってきて私と話をするわけですが、いつも彼らは「お前はどう思うんだ?」と聞いてきました。勿論、米国やヨーロッパに行っても、同様の質問をされます。しかし、決定的に違ったのは、その先があったということです。
「お前は、どういう経験から、そういってるんだ?」

当時、20歳か21才でしたが、その言葉に答えるだけの経験など持っておらず、彼らの過酷な人生に比べれば、取るに足らない経験ばかりで、なんと答えていいやら・・・でも、彼らがいわんとしていたのは、経験の過酷度のことではなく、「私が、何故そのように考えるに至ったのか?」という「社会の中で生きる主体としての私の気づき」を問いたくてのことだった、と後々気づきました。

そこから私は、学術的な論文でも、「it is said」を使うのをやめました。そうやって容易な手法に逃げるのを。
「私の言葉」で語ることを、そしてそのために、「私としての経験」を紡いでいくことを、していこうとしました。そして、サンパウロで目の当たりにした、HIV/エイズと共に生きる人びとが、それまで家族・社会・自分自身から疎外され、隠れて生きていたのを、自ら起ち上がり、互いに連帯し、他の人びとと連帯していくプロセスの中で、社会政治を変え、社会全体に夢と希望を与えたプロセスを、決して忘れないようにしようと思ったのです。

これらの当事者運動が様々に勃興し、連帯し、ブラジル社会と政治を変えて行くプロセスがありました。しかし、為政者となった運動主体たちが、どうなっていくのかは、ブラジルでも南アフリカでも、今鋭く問われていますが、それに対抗する運動もまた過去の経験を踏み台に新たに始まっていくのだな、と思う毎日です。

フレイレの実践と本がこれらにどの程度、直接・間接的な影響を及ぼしていたか・・・については、私は十分知りません。ただいえることは、1960年代という重要な画期に、彼が行った様々な実践や本を通じての共有がなければ、ブラジルだけでなく世界の多くの人びとの「エンパワメント」は、もっと時間がかかり、もっと違ったものになった可能性があると思います。

しかし、そのような恩恵について、日本の私たちが十分それを自らのものにしようとしたか、というとここは疑問です。今でも、「エンパワメント」という言葉が、カタカナ以外で置き換えられないように、「意識化」がどうしても「内面的な気づき」に終始した理解で限定されてしまうように、私たちは依然として、「フレイレ前/解放の神学の前のブラジル」と同じ状態にあるといっても過言ではないかもしれません。

その意味で、1日1ドルの「貧困者」が、個人として1日3ドルの収入を得るようになったからといって、「エンパワーされた」といわないことについて理解されないこと、「政治」を抜いたところで貧困と開発の問題を語りたがる日本の関係者の存在は、不思議な事でも何でもないのです。

アフリカの農民組織を、「政治目的のアソシエーション」ではなく「経済理由での結合のコーペラティブに昇華させるのが援助の役割」とおせっかいを焼きたい日本の善良なる援助関係者の皆さんは、フレイレ後に生きる南の農民たちの「意識化」「エンパワメント」の試行錯誤をまったく理解していないばかりか、それを阻害している現実すら見えないことを露呈させています。これは、アフリカ諸国の為政者らにとって、とりわけ農民運動によって権力の座に押し上げてもらったいくつかのアフリカ政権にとって、とても都合の良い事であることもまた、おそらく理解せぬまま、「アフリカ政府(農業省)の要請による、政策による」といって、お墨付きを得た援助と主張されることでしょう。他方のアフリカのいくつかの国の権力者にとっては、口うるさい、しかし人数の多い農民組織を分断し、「デパワー」するために、これら「善良なる援助者らのおせっかい」を利用せんと、「経済だけが目的の農民の結合体」づくりをもっともらしく掲げ、それにカネまでも出させるという試みをやっている訳ですが…。

政府がやることは「政治抜きのこと」であって、政府のやっていることに反対することは「政治」と考える日本では、到底エンパワメントを本当の意味で理解する日はこない可能性があるわけですが、エンパワメントを本当の意味で理解する若者が一人でも増え、自らの社会の変革に取り組む糧となれば、と以下本を紹介します。
(前置きがエライ長くてごめん・・・まあいつものことだが)

が、忠告。
本を図書館で借りる、あるいは買って、全文読んで下さい。
あくまでも、気づいた点の抜粋です。

この本の章を紹介します。
序章
第1章:「被抑圧者の教育学」を書いた理由
第2章:抑圧のツールとしての"銀行型"教育
第3章:対話性について
    ー自由の実践としての教育の本質
第4章:反ー対話の理論


みて分かる通り、ドンドン手強くなっていくのが分かるかと思います。
なので、全部を一度に紹介するのは・・・断念しました。
まだ本調子でない私には、荷が重すぎますので。。。。

今日は、前章の説明をしており、そこで終わりにします。
なお、三砂先生の訳は間違いなくすばらしのですが、やや伝わりづらい点があるので、所々補足を()で入れています。特に、ポルトガル語は主語を省きがちなので日本語と同じなんですが、こういう場合は補足した方が読み手に読みやすいので、いちいち補足しています。

(10頁)
自由への怖れをもっている人の多くは、その怖れを意識しておらず、そんなものは存在しない、として直視しない。心の底で自由を怖れている人は、危険な自由よりも日々の安定に隠れようとする。

しかし、実際には、(…)巧妙なやり方で、無意識のうちに、この自由の恐怖をカモフラージュしてしまう傾向のほうがむしろ強くなっている。(ある人たちは、)自由を擁護するふりをして、自由を怖れないかのようにとりつくろい、作為的な言葉を広げていく。

こういった人たちは・・・自由の守り手であるかのような、深くまじめな雰囲気(を醸し出す)。こうなると、自由というものが、現状維持(されるべきもの)ということに見えてしまう。

だから意識化というプロセスを通じて、(この)現状維持に(は)問題がある、ということが議論され(始め)るようになると、(これらの人たちによって)本来(真の意味で)の自由はつぶされ始める。


この後、セクト主義や狂信性の問題が延々と続きます。
恐らく、全共闘時代の方々でも嫌気がさしてしまうような記述の仕方かもしれません。
しかし、今の日本で何らかの運動や活動をしている人たちには、是非読んでほしいです。これは、所謂「左」でも「右」でも、宗教でも同じです。

もう一点、注意してほしいのは、フレイレが「ラディカル」という言葉を使っている点です。
これを「過激派」と間違って捉えられる危険が出ているので、あえて書いていますが、ここでいうラディカルは「根本的な理解に基づいた革新的な行動」というニュアンスのもので、もっと広がりのあるポジティブなものです。訳が難しいので、三砂先生も「ラディカル」のままで記載されています。

決して、「過激派思想」と混同しないように!それを避けるために、延々とセクト主義批判が展開されています。一点だけ、手がかりになる文章があるので引用しておきます。

(12頁)
セクト主義は狂信性に基づいていて、結局いつも人間の思考を骨抜きにしてしまう。
ラディカルであるといことはセクト主義とは違う。
ラディカルであることは、常に批判されることを怖れず、批判によってより成長していくものだから、創造的(クリエイティブ)なプロセスである。


セクト主義は神話的ともいえる内向きの論理で構成されるため、人間を疎外していく。
ラディカルであることは批判的であることだから、人間を自由に解放する。
自由とは、人間が自ら選んでそこに根をもち、はっきりとした客観的な現実を変革するための努力をし、その状況により深くコミットして行くことではないだろうか?


私は、ここのこの本でフレイレが言いたいことの多くが含まれていると思います。

(15頁)
(右であれ左であれセクト主義は)未来を立ち上げるどころか、両者ともに「安全なサークル」に閉じこもり、そこから外に踏み出すこともなく、自分なりの真理に安住してしまう。未来を作り上げるために闘い、未来の構築のリスクを負う、といった真理とは違う。


最後のメッセージが、私は好きです。
1968年秋に亡命先のチリ・サンチアゴで書かれた序章ですが、今特に街角に出ようかどうか迷ている若い皆さんに読んでもらいたい文章です。

(16頁)
世界と対峙することを怖れないこと。
世界で起こっていることに耳を澄ます事を怖れないこと。

世界で表面的に生起していることの化けの皮を剥ぐことを怖れないこと。

人びとと出会うことを怖れないこと。
対話することを怖れないこと。
対話によって双方がより成長することができること。

自分が歴史を動かしていると考えたり、人間(他者)を支配できると考えたり、あるいは逆の意味で自分こそが抑圧されている人たちの解放者になれる、と考えたりしないこと。

歴史のうちにあることを感じ、コミットメントをもち、人びととともに闘う。

そういうことだけだと思う。


もう一冊どうしても紹介したい本があるので、フレイレ本の紹介(その1)はここまでです。
では、またいつか、次を・・・。



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by africa_class | 2015-11-16 02:45 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

デモから熱意をもって学び始めた若者から学ぶ秋

先月、オランダの研究所で博士候補の学生たち(といっても世界中からきた活動家兼院生たちで、皆相当の年齢だが…)を前にレクチャーした後に案の定体調を崩してしまい、さらにお客さんラッシュと農繁期に突入したところで、突然7匹のネコのママになってしまい、そこに今度はいくつかの研究所からのインタビューとブラジルの大学院の学位論文審査も重なり、バタバタとする毎日だった。

この1ヶ月書こうと思って書き始めて終わらなかったことを、勢いにのせて終わらせようと思う。家族が釣りにいっているこの隙に…。

それにしても、久しぶりに研究所や大学院で先生達や学生たちと触れ合って、「研究」の空気を吸って、「ああ私は本当に研究が好き(だったん)だなあ」と実感する日々である。

***

安保関連法案を巡る攻防が佳境のある日、
教え子からメッセージがきた。

卒業後も関わることの多い彼らだけれど、彼らからのメッセージはいつも心に温かな何かを灯してくれる。そういう時、「大学の先生」をさせてもらったことに感謝の気持ちで一杯になる。子育てもそうだが、彼女ら・彼らの人生のある一瞬を、密度濃く、互いに悩みな がら関わらせてもらえたこと(もらえること)に、有り難さでいっぱいだ。親が、先生が「育てる」のではない。「共に育つ」のだ。親として、先生として、育 ててもらった。依然として足りないままだけれど、確実に彼女・彼らに育ててもらったと実感する毎日だ。

他方、正直にいってしまえば、在学中私はどこかで学生たち(ゼミや外大だけを意味せず日本の他の大学も含む)の社会・政治に対する「受け身」な姿勢に少しばかり残念な感じをいつも持っていた。それ以前に、同業者であった大学の先生や研究者に対しても同じがっかり感を持っていた。

世界・社会の一員として、世界・社会問題や政治にどっぷり浸かりながら、研究や活動をする世界の若者や研究者と交流する機会が多いこともあって、この「断絶感」が腑に落ちなかった。(多分、あまりロールモデルが身近にいないせいもあると思うので、今度世界の"Activist-Scholar[アクティビスト研究者]"について取り上げる)

しかし、多くの人は誤解していたと思うが、そしてこのブログでも度々書いてきたが、私は教室で活動の話をしたことはない。デモや抗議活動に学生を誘ったこともない。あくまでもブログやツイッターで、「ただの一人」としてしかやらないことを鉄則としていた。勿論、イベントの手伝い等は誘ったけれど、あくまでも機会としてであり、講演会等にきて話を聞いて自分で考えてほしいためであった。

自分で気づく。
自分で考える。
自分で行動する。

他人の押しつけや、煽動であってはいけない。

それではまったく意味がない。
本当に意味がない。

だから「主張」ではなく、「問い」を投げかけなければならない。


それにしたって、日本がこんなに社会としても国家としても大変な状況に陥っているのに、どこか「ひと事」な同僚や学生たちを前に、正直なところあきらめ感を抱いていたことも事実だった。「このままいくと大変なことになる」…そう気づいて何年も何年も警鐘をならし続けたのだが、「政治」は遠いところのことで、それに関わることは「中立でなくなる=偏ること/面倒なことになること」という前提は強固だった。

(*日本政府や日本の人がやたら使いたがる「中立」という言葉の問題は、また別のところで。世界的には、「中立性」よりも「公平性」が重要であること、時に「中立性」は被害者を犠牲にすることをどこかで書かなければならないと思っている。)

「皆が気づいた時には遅い」

それが、戦前の日本でも、ナチスが台頭したドイツでも、歴史が私たちに教えてくれたことであり、せめて「学びの館」にいる我々ぐらいは、誰よりも早く気づき、論じ、考え、行動すべきと思っていた。しかし、日本的な同調圧力の強さ、あまりにも影響を受けやすい脆弱な学生を前に、あるいは活動をしながら研究・教育をしているが故に、あえて学会や学内で、踏み込むことは避けた自分がいた。

いや、他の人からみたら「相当踏み込んでいる」ように見えただろうし、実際のところ、学内・学会内で「出る杭」をかって出てはいた。その結果として改善したこともあったし、変わった人もいたし、沢山のリパーカッション(「打たれる」)も受けた。でも、それらのフィールドで、私の主体的な判断として、そこまで踏み込んだわけではなかった。社会活動・運動は別であるが。

学生に対しては、「踏み込む」ことはあえて避けて、私のどうしようもない試行錯誤な「背中をみて」、何か疑問に思って考えるきっかけになればいいな・・・とは思っていた。つまり、「先生アホやな・・・黙っておけば得するのに」とか、「街頭に立って声あげる暇あれば、論文の一つでも書けばいいのに」とか。「先生のアホさ加減」に反発し、疑問に思ってくれれば、これ幸いと思っていた。そして、それが「いま」の気づきにならなくても、「いつか」自分が社会の中で、国家の中で、困ったことに出会った時に考えるきっかけになれば…そう思った。

正直にもう一つ書くと、日本の大学と学術界から一旦身を引いたのは、自分の体調やその他のこともあるけれど、この一方的で身勝手な「がっかり感」からきていた。これは社会に対しても同じだった。「じゃあもっと頑張って変えればいいじゃない」…という20代、30代を突っ走って来た。しかし、心身ともにそれに疲れたのだと思う。

でも、私は間違っていた。
そして、私の浅はかな、勝手な、愚かな考えを、今詫びたいと思う。

これまた1年生の時からもう9年近くつき合ってきた卒業生からのメッセージ。彼は、本当に真面目に勉強に取り組む学生で、いつも一番前の席にいて、質問はしないものの鋭い答案やレポートをいつも提出していた。でもあまりに真面目なんで(すまん)、アフリカに独りで武者修行に行ってとても変わった。率先して皆の面倒をみて(including me)、あれやこれやのイベントを的確に仕切ってくれた。意識がすごく高い学生であったが、でも社会に飛び込む…という点では二の足を踏んでいる感があった。卒業後は、大企業で「フツーのサラリーマン」をしている彼。その彼からの先月のメッセージ。

**
仕事と並行して国会前のデモ活動などにも参加しています。何年か前、舩田先生の家で一晩中話していたことが急速に現実のものとなっていく様子に底知れない恐 ろしいものを感じます。

民主主義とは何か、憲法とは何か、政治とは何か、いかにして生きるか、まさか卒業してから卒論を書いている時以上の熱意で勉強をす ることになるとは思いもしませんでした。

毎日のように流れてくる本当に子供じみた政治関連のニュース(報道されないことのほうが重要になってきましたが) を見るにつれ、自分が生きている社会が如何に未熟なのかを見せつけられて悲しくなります。

ただ、足元のこの社会を変えていく、自分が変わることを諦めるつ もりはありません。なにかわからない大きな力に勝つ方法はわかりませんが、負けない方法は大学時代に教わりました。

学ぶこと、学び合うこと、相手に敬意を 払うこと、語り合うこと、それがゼミの仲間以外とも少しづつですができるようになってきました。また、先生ともお話ししたいです。」
**

なぜ私が詫びているかは、もう分かったと思う。

あわせて、「デモを怖い」「デモなんてやっても変わらない」といっていた若者が変わっていった様子をまとめたとても良い番組を見つけたので、ぜひご視聴を。

■2015年10月11日

「デモなんて」 SEALDsの若者たち/テレメンタリー2015

http://www.at-douga.com/?p=14722

なお、私のところには、「アフリカで社会的起業をしたい」という若者が沢山相談にきたし、実際元ゼミ生の多くもそれをしようと考えているが、彼らのいう「社会」とは、「社会問題」とは一体なんなのか?いつも疑問に思わざるを得なかった。

彼らの頭の中には、「世界/アフリカの貧しい人びと・子どもをビジネスでWin-Winに救いたい」というイメージが強烈にあるのだが、彼らの考える「貧しさ」とは一体何なのかいつも疑問に感じていた。それは、自分の社会の闇にきちんと向き合って得たものではなく、どこか表面的な「どこか誰かの貧しさ」というイメージに振り回されたもののように思えたからだ。そのようなイメージの中で行動する自分もまた、イメージにすぎない。自分の社会の中の闇に向き合うことなしに、その闇と自分との関係を考え・直接的な意味で感じることなしに、どうやって他の社会の闇に主体的に関われるのか?…厳しいようだが、そして今の私がいう権利などないが、かつて「アフリカでの社会的起業」を奨励していた私である以上、書いておかねばならない。

自分の社会で「貧しさ」を考える気はさらさらないのに、「アフリカの貧しさをなんとかするために国際協力したい」という日本の若者が多いことにびっくりする。しかし、実はこれは若者に限らない。「開発の専門家」によくある姿勢だし、「国際開発の研究者」にも同様である。

彼らの眼差しには、「6人に1人の子どもが貧困」状態にある衝撃的な日本の現実は見えないようである。あるいは、地方開発の象徴だった原発が爆発しても、依然として汚染水を地域に地球に垂れ流し続け、「除染」という名の「移染」による廃棄物が積み上がったままでも、子どもの被ばくが放置されても、生活が困窮化する避難者がいても、教訓を学ばないまま原発が再稼働されても、「日本型開発モデル/ガバナンスモデル」は「成功」だとして、検証なしに「国際協力」し続けようという。

ルワンダの虐殺には関心があるのに、日本軍による中国での大量殺戮についてはまったく関心がない。アフリカにおける戦争と平和・平和構築には関心があるのに、日本・沖縄における戦争と平和・平和構築には関心がない。一体私たちは、「どこの誰として」余所の殺戮・戦争・暴力・平和と関わろうとしているのか?

そんな問いに、同業者からも、学生たちからも、たいした反応はなかった。

でも…原発事故の後、若者たちは静かに、悩みながら、深く深く考えていたのだ。私を含む大人達が知覚すらし得ないところで。自ら表明することなく、疑問をあきらめることなく、じっくり考え、社会と政治のあり方を見つめ、大人達を見つめ、そして立ち上がった。

ごめんね。
私もやっぱり「上から目線」でしかなかった。

また、研究者の中には、60年代末から70年代の学生運動に関わった人も多く、だからこそ距離をおいてきたことも事実だろう。それでも、研究者たちも、土壇場で立ち上がった。

私もまた、目で見えるものだけを前提にしていたのかもしれない。
自分の奢ったものの見方を反省するところひとしきりである。


まだ立ち上がっていない若者や研究者の方が勿論多い。
それは、今後もそうだろう。
でも、最前線のすぐ横で眺めていた人びとが立ち上がったことは、最近の日本では非常に珍しいことであり、かつこの末期的な状態の中では大きなことだと思う。

なお、以上のメッセージの中にある「一晩中話したことが現実化する」とは、卒業生たちが泊まりにきたある晩に、即興で一つの短編小説を口述した話のこと。

実は、現実の方がファンタジー化しているために、現実の危機を説明するには、ファンタジーを使った方が良いというのがここ数年の私の結論であった。息子の誕生以来、絵本を読むかわりに、夜な夜な即興で物語を作って聞かせたが、いつも息子は話し始めて数分で寝てしまうので、unfinishedな話ばかり…。しかも、自分も寝落ちしてしまうので、話を覚えておらず、翌日また別の物語を始めてしまう。それと同じ要領で(?)、帰る電車やバスがなくなって泊まっていった卒業生たちと話しながら、即興である物語を紡いだ。

(*なお、私は文章を書く際には二通りのやり方をする。このブログの駄文のように、書きながら考える手法。もう一つは、頭で全体を「書いて」しまってからテキスト化する手法。博士論文は妊娠・産後の最中でPCにまったく向かえなかったので、後者の手法で(この手法は、家族でも自分の目で見る迄意味が分からないらしい…が、見たらなるほどな手法)。この夜は、その折衷バージョンだった。)

その時、集った卒業生たちは「社会ムーブメント」について議論していた。なので、意地悪くも、「社会ムーブメント」がどのような可能性と限界をもっているのか、権力がそれをどう怖れて、どう壊していこうとするのか、その結果何が起こるのか…をその場にいた人たちを登場人物として一気に物語った。

舞台は「ブッククラブ」。
そこに集う6人の若者男女。

日本の歴史を振り返り、社会や人びとのあり方を考えた時に、大きな組織・運動では、運動が進むにつれて主義主張が交錯し分裂してしまうか、権力側に一気に悪用されてしまうので、一人ひとりの気づきと自立&そのような人同士のオープンな連帯(一極集中ではなく、分散型の多種多様な自発的な運動の緩やかなネットワーク)を育むことが必要…ということで、日本の皆が不勉強すぎることもあり「ブッククラブ運動」をすればいいよ、というところから話を始めた。

そして、「でも…」というところから、ファンタジーになっていった…。

いつかちゃんとテキストに落とさないといけないのだけれど、現実がすでに前にいっているので、まあいっか。面白いことに、同じ趣旨で、アンゴラでブッククラブについて分析する記事が出た。

Daily Maverick(南ア)
「分析:アンゴラの政権に脅威をもたらすブッククラブ」

"Analysis: The book club that terrified the Angolan regime"

http://www.dailymaverick.co.za/article/2015-06-25-analysis-the-book-club-that-terrified-the-angolan-regime/#.Vhnvyc55mKJ
Question: How subversive can a book club really be? Answer: It depends on the fragility of your regime. If you are Jose Eduardo dos Santos, then it’s a very subversive hobby indeed. Guns don’t scare the Angolan president – his are bigger anyway – but ideas are a much more dangerous proposition in a state that rests on such precarious foundations. By SIMON ALLISON.

そう。
独裁はブッククラブ的運動は怖いのだ。

でも、権力側による外から中からの破壊・分断、自らの内部崩壊もまた、歴史が教えてくれる教訓。一人ひとりが解放され、気づき、考え、行動できる・・・日本社会では今まで十分には重視されてこなかったし実践されてこなかった「市民になること」を、ここで手にできるか否かが、日本の現在と未来の分岐点となるだろう。

それに気づき、動いている若者・同僚たちに、心からのエールとお詫びを。
前から書いて途中になっている、フレイレの『被抑圧者の教育学』についてそろそろ本格的に書きたい。

そして、若者の不安と解放については、昨日の投稿を。

「今日結婚するメグミちゃん&みなへのメッセージ:脱「草の根ファシズム」のヒントとして」

http://afriqclass.exblog.jp/21727201

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by africa_class | 2015-10-11 19:19 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

翁長知事の国連人権理事会でのスピーチ&日本政府代表の反論+所感(分析にかえて)

*注1(21日夕方):急いで3度ほど聞いただけで、訳したので間違っていたらすみません!録音があればもう少し正確に訳せるのですが…。
*注2:
self-determinationは、「自己決定権」ではなく、国際法上通常使われる「自決権」としています。ただ、沖縄の背景・現状・皆さんの想いにおいては「自己決定権」の方が良いでしょうが(詳細は末尾の「所感」、国連人権理事会総会という場の性格を考えると「自決権」であるべきなのでそう訳しました。またこの点は後日ブログで改めて書きます。
『沖縄の自己決定権』(新垣毅編、高文研)が出ているそうなのでご一読を。>
2015年2月16日の
沖縄国際大学でのフォーラム「道標(しるべ)求めて―沖縄の自己決定権を問う」の動画→http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-238976-storytopic-1.html>
*注3(21日夕方):両者の主張を聞いての私の所感は末尾に入れています。夕食を作りながらなのでまた明日見直します。
*注4(22日3時):私の所感に加筆。安倍政権・日本政府だけでなく、沖縄出身ではない我々の責任にも言及しました。
*注5(22日正午):英文や訳文が出てきました。録画と原文にそって修正すべき点を加筆(青色)しておきました。致命的な訳し間違えはなかったと思います。
*注6:なお、西洋語から日本語に同時通訳的に訳す場合と文章を翻訳する場合では、訳の手順が異なります。テキストの翻訳をする場合は、装飾部分を前にもってきて文章に統合する形で訳すと滑らかですが、同時に訳す場合は間に合わないので2つの文などに切り離して訳します。簡潔さを要求するビジネス英語では、日本語の装飾に次ぐ装飾満載の文章は嫌がられるので、通常においてもこれぐらい切っておくべきでしょう。が、ポルトガル語やフランス語となると日本語と似た状態になりますが。なので、以下は、あくまでも聞き書きの訳ということでこのままにしておきます。日本語文としては成熟さや美しさが欠けています。
*注7(24日午後):どうやら日本政府代表が、「人権理事会での取り扱いはなじまない」と理事会後に(日本のメディアに対して)表明していたようです。この点についての所感をさらに末尾に付け加えました。
また、国連人権理事会年次総会2日目に行われた「島ぐるみ会議」の再反論の全文も掲載しています。

【琉球新報】「人権と関係ないというのは本当に残念」 知事、政府に反論

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249301-storytopic-3.html
*注8(同上):本日、翁長知事が、日本外国特派員協会で記者会見を行っており、日本政府代表の反論についてとてもまっとうで、私たちも学ぶべき事実や論点を披露されています。すべての方に視聴して頂ければと思うので、是非リンク先の動画をご覧下さい→https://www.youtube.com/watch?v=96Gtk9mqLqI
*注9(10月12日)このような話題・分析をより読みたい方は
例えば以下の投稿をご笑覧を。(外務省のサイトから「植民地支配」に関する記述が消えたそうなので、かなり確信犯だと思いますので、改めて分析をします)

「一括掲載:安倍首相談話の分析〜被抑圧者の視点を含む現代国際関係史からの考察」

http://afriqclass.exblog.jp/21548918/


【原典】
動画(沖縄タイムス):http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=133925
原文:http://www.okinawatimes.co.jp/photo_detail/?id=133924&pid=961964
訳文:http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=133924


【琉球新報】自己決定権、人権「しっかり伝えたい」 知事、国連演説へ

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249216-storytopic-3.html
市民外交センターは国連登録NGO。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/peacetax/

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国連人権理事会 年次総会 2015年9月21日 ジュネーブ
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【翁長知事のスピーチ】
議長:次は市民外交センター

議長、ありがとうございます。
私は、翁長雄志、沖縄県知事です。
世界の皆さんに辺野古に関心を寄せてほしい。
沖縄の人びとは、その自決権を蔑ろにされている状態にある。
(この最後の2文はくっつけた方が良い)

第二次世界大戦後、米軍は我々の土地を武力で収用(強制的に接収)し、軍事基地を建設した。
我々は我々の土地を自らの意思で提供したことはない。

沖縄は、日本の0.6%の面積を占めるに過ぎないにもかかわらず、73.8%の米軍基地(在日米軍専用施設)が沖縄に集中する。
戦後70年、米軍基地は、多くの事件・事故を起こし、環境破壊をしてきた。
我々の自決権や人権が蔑ろにされてきた。
我々の国は、国民の自由、(平等が抜けてました)、人権と民主主主義を保証しておらず、そんな国がどうして他の国々と価値を共有できるだろうか。(<=大体あってたかな)

日本政府は現在、新しい基地を、辺野古に、美しい海を汚して(埋め立てて)でも建設(作業を強行)しようとしている。過去1年間、すべての選挙で沖縄の人びとは繰り返し基地建設に反対の意思を示してきたにもかかわらずである。

私は、この新しい基地建設に対し、あらゆる手法を使って阻止する所存(覚悟)である。

今日このような機会を頂き、話ができたことに感謝したい。

【日本政府代表からの反論】
日本政府代表として反論の権利を行使する。
市民外交センターを代表してスピーチした沖縄県知事の発言に反論する。

日本の政府にとって、国家の安全保障は、国民の平和な生活を維持する上で最も重要な課題である。安全保障を巡る状況が急激に深刻化している現在においては、特にそうである。

日本政府としては、米軍駐留による負担を軽減することは最優先課題である。米国政府との協力によって、いくつかの負担軽減策を取ってきた。例えば、今年3月、米軍の施設に使われていた土地51ヘクタールを返還した。また、日本政府は、沖縄の経済振興をするために、沖縄をアジアのハブとして位置づける努力もしている。また、日本政府は、沖縄県との間でハイレベル協議を設置し、この件について話し合ってきている。

米国海兵隊飛行場の普天間からの移設は、米軍の存在(抑止力)を継続的に保証する一方、それに関わるリスクを排除するため、唯一の解決策である。普天間基地は人口集中地にあるからである。

そして、この普天間基地からの移設計画は、歴代沖縄知事によって、1999年、2000年、2013年にエンドース(承認)されてきたものである。また、辺野古での基地建設のための許可は、仲井眞・前沖縄県知事から法的に合致する形で与えられたものである。日本政府は、今後も関連法・制度のもとに、この移設を適切に進めていく。

なお、移設にあたっては、自然・生活への環境インパクトを鑑み、環境インパクトアセスメントもしている。

日本政府は、今後も沖縄への十分な説明を継続していく所存である。

*録画がアップされたようです→https://www.youtube.com/watch?v=oceiZSnYLAc
夕食を作らねばならないのでこれにて失礼。後日正確な訳をアップします。


【両者の演説を聞いての所感】

日本政府代表の「反論」は、翁長知事のスピーチの根幹である「自決権」(「選挙で繰り返し示された民意」)の侵害について、一言も反論できておらず、日本政府が繰り返し国内でやっている説明を繰り返しただけで、国際的には通用しない文言が列挙されているに過ぎません。これでは、人権理事会に集う人権エキスパート達に、次のような印象を与えたと思います。

日本政府は、
「反論になっていない」=「翁長知事の主張をスルーした」
「沖縄の人びとの訴えに不誠実である」=「人権侵害の訴えに真剣に取り組もうとしていない」

具体的には例えば、以下のものです。
1)「負担低減やってる」
<=といって出て来たのは51ヘクタールの返還のみ。

2)「経済振興やってる」

<=これを自決権の反論として使うのであれば逆に人権エキスパート達の反感を買うでしょう。というのも、国連で「自決権」という言葉を使う場合は特にです。当然ながら、戦後の国連は「植民地支配」「他民族支配」「人種差別・隔離政策」に厳しく対応してきた過去があるので、「経済振興しているから自己決定権は後回しで良い」という論理は、コロニアルなものとして受け止められます。
*この場面では決して、決して、決して…触れてはならない言葉でした。

3)「対話してる」
<=じゃあ何故知事が市民社会枠を使ってまで、国連人権理事会総会で演説しなければならなかったのか?に応えておらず、日本政府の「自決権」に対する反論のなさを鑑みても、この「対話の無効性」を明確に示す結果となりました。
*私なら「対話してきたが」として反論材料にしますが。

4)「説明を継続する」
<=出た!…の感がありますが、問題は「説明」ではなく、相手(沖縄)の民意や自決権に対してどう対応していこうとするのか?という検討であって、一方的な感じが否めず、人権や対話の尊重ができていない国であることが逆に露呈してしまっています。

いずれも、「してやってる感」=「上から目線」が濃厚な反論ですね。

内向きな論理でしか反論もできない日本政府…あーーーあ。
この反論させられた外務省職員が翁長知事の言葉を受けて「自分の言葉」を語れないのは日本の外務省・政府のあり方の問題が根底にあるので気の毒ではありますが、国際社会の共感を呼ばない、あまりにも稚拙な反論だったと言えるでしょう。

あえて言えば、この日本政府の反論は、官邸との調整で先にカタマっていたものであり(文言の細部も含め)、その意味で、ベクトルの方向として、日本政府に向けたものであって、国際社会に向けたものではなかったといえると思います。(まあ、日本政府・外務省によくあるパターンですが)

一方、翁長知事の訴えは、かつて植民地支配された国々・人びと、人権を重視する国々・人びとの胸にきちんと届いたと思います。また、彼がジュネーブまできて訴えなければならなかったという事実、そして国連人権理事会の年次総会という場でこれが繰り広げられた時点で、「国際世論に訴えたい」という目的を持って演説に望んだ翁長知事やその周辺の勝利ともいえます。

<=誰でもいつでも話せる場ではないので。

そして、国際的には気づかれないだろうけれど、事情を知る者として「ああ日本政府・外務省らしく、本当に不誠実・不公正で嫌だな」という点は、「基地移転計画が3度歴代知事に承認されている」という部分。

翁長知事の辺野古移設反対の土台を崩そうという論理で出てくるのですが、「辺野古への移設」は仲井眞知事以外に承認された事実はないのに、あえて辺野古という文言を使わずに「基地移転計画」という言葉を主語に使うことで、ギリギリ「ウソ」と言われないように細工しながら、「彼以外の知事は承認してたからやった」かのように反論している点です。

国際舞台でも繰り広げられる不誠実でセコイ日本政府の手法に、本当に悲しくなります。

【所感への加筆】
最後に、「何故国連人権理事会の年次総会でこの案件(辺野古新基地建設)を取り上げることができたのか?」という点について、多分不思議に思っている皆さんは多いと思います。

これは、かなり長いスパンで沖縄の人びと・市民社会が取り組んできた国内外の活動の蓄積の成果です。これ以前に気が遠くなるような活動の数々があったのですが、説明が長くなるのでまた別の機会に取り上げます。

キーワードは、もしかして日本の皆さんには聞き慣れないかもしれない「自決権(self-determination)」があります。しかし、これこそが第二次世界大戦後の世界を、とりわけ国連の場(特に総会)を、大幅に変えてきた論理です。おそらく、皆さんも、世界史の授業や教科書で学んだことでしょう(日本史でほとんど取り上げられないからこそ今回の問題に繋がってくるのですが…この論点も改めてどこかで書きます)。

沖縄の人びと・県政がこの「自決権」を使い始めたことは、世界史的な連続性があり、琉球史・日本の近現代史上、とてつもなく大きな大きな意味があります。

*ただし、「民族自決権」とくくることについては翁長知事は慎重なので、ここは要注意です。これには色々な立場が沖縄の中でもあるので。http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=133383&f=cr

安全保障関連法案を巡る政治のあり方への疑問が、「国民主権」「主権在民」の基本に注目する動きを生み出していますが、沖縄の人びと、そして翁長知事が「国民主権」ではなく、あえて「自決権」という言葉を使っている理由を、日本の政府だけでなく、沖縄以外の人びとが理解しないのであれば、事態はもっと緊迫していくと思います。

現状においては、安倍政権の数々の強権的な振る舞いが一番の問題です。しかし、根本原因には、長年にわたる私たち自身の意識・無関心・無理解・真剣な対応のなさがあります。

大戦時の犠牲、米軍統治もそうですが、その前史である薩摩藩の支配、「琉球処分」、から紐解いていかないと、永遠に理解ができないでしょう。

この点について、知事らが参加したシンポジウムは手がかりになると思います。


【沖縄タイムス】翁長知事、沖縄の苦難の歩み切々 国連でシンポ

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=133935
「琉球処分から説き起こした。…キャンプ・シュワブゲート前での県警による市民の強制排除、海上保安官の暴力を示した。参加者は真剣な表情で見入った。…「反米でも反日でもない。基地をこれ以上造らないでほしい、というのは過大な要求ではない」と訴えた。8月に沖縄を訪問した国連人権理事会特別報告者のビクトリア・タウリ・コープス氏もシンポに出席。「沖縄の人々には自己決定権がある。この不正義を正さないといけない」と、援護射撃した。」

そして、冒頭に紹介した24日の翁長知事の日本外国特派員協会での記者会見は、大変短いのにすべての論点が明確に説明されているので、沖縄や駐日米軍基地の歴史を十分知らない皆さんにはおすすめです。いつもながら、すばらしい通訳者の方が通訳されているので英語の勉強にもなります!
→https://www.youtube.com/watch?v=96Gtk9mqLqI

私は、沖縄出身ではなく、かつ薩摩の関係者として、国連人家理事会総会でこれを訴えなければならなかった翁長知事とその後ろにいる140万もの沖縄の人びとに、深く深くお詫びしたいと思います。と同時に、翁長知事をはじめとする皆さんの決意と勇気に最大限の感謝を述べたいと思います。私たちは、日本国内で沖縄の人びとの叫びを十分に受け止め、この問題を解決できなかった事実を重く受け止め、なんとか責任を果たしていかなければならないと思います。

世界に恥ずかしいのは、安倍政権・日本政府だけでなく、私たち一人ひとりでもあることについて、今一度共に考えて頂ければと思います。


【所感への追加加筆〜日本政府代表による「人権理事会になじまない」発言】
会議後、嘉治氏は記者団に知事の演説について、人権理事会での取り扱いはなじまない、との見方を示していた。」(琉球新報 9月23日)

日本政府代表が本当にそう考えるのであれば、国連人権理事会の場で、正々堂々とそう表明すれば良いのです。しかし、知事演説に対する最も重大な反論であろうこの点について、日本政府代表は理事会議場では一言も触れず、総会が終わった後に日本&沖縄向けに言った点がさすが「二枚舌外交ニッポン」ですね。

なぜ議場で日本政府代表はその点を追求しなかったのか?
それは簡単。
人権「後進国」日本では通る論理かもしれませんが、国際的にはまったく通らないからです。

当然ながら、人権侵害を訴えている人がいる場で、しかもそれを訴えること自体が国連人権理事会に認められている以上、「それは人権侵害ではない」と述べるのは「セカンド侵害」です。

それを分かっていて、あえて議場で発言せず、しかし国内向けにそのように発言してメディアに報道させた点がこれまたセコイ。しかし、このような場外での抑圧的言動は、むしろ日本政府の人権意識の低さ、沖縄の人びとの基本的な権利を尊重する気のなさを露呈しまい、更なる反発を呼ぶ結果となってしまったと思います。

以下、知事の会見でのコメントと2日目に再度理事会総会で市民社会からの日本政府代表への反論全文を掲載しておきます。

【琉球新報】「人権と関係ないというのは本当に残念」 知事、政府に反論

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249301-storytopic-271.html

「翁長知事は22日午後(日本時間同日夜)、国連欧州本部で記者会見し、知事の国連人権理事会での演説について日本政府が「軍事施設の問題を人権理事会で取り扱うのはなじまない」などと批判したことについて、県民は米軍基地から派生する事件事故、環境汚染や騒音などに苦しんできたとした上で、「人権と関係ないというのは本当に残念だ」と反論した。」

【島ぐるみ会議】FB
9月22日国連人権理事会年次総会
https://ja-jp.facebook.com/shimagurumi


***
議長、ありがとうございます。


この場を借りて、先住民の権利に関する分科会において発言をする機会を与えてくださったことに感謝を申し上げます。さらに、国連特別報告者のビクトリア・タウリコープズ氏にも今年8月に我々の故郷、沖縄を訪れてくださったことに心より感謝を申し上げます。


日本政府が発表したコメントのいくつかの点について説明をさせていただきたいと思います。
第一に、沖縄集中する米軍基地負担の軽減策の一環として今年3月に51ヘクタールを返還した、と日本政府は発言されました.しかし、51ヘクタールというのは在沖米軍基地面積のわずか0.2%にすぎません。


次に、日本政府は、基地建設に必要な埋め立てについて、仲井真元沖縄県知事より承認を得て、関係法令に基づき行われていると発言しましたしかしながら、第三者委員会はこの承認手続きについて検証を行い、その手続きが法律上瑕疵があると結論付けました。現翁長雄志県知事は、その承認取り消しに向けた手続きを進めています。建設の継続は法律違反となります。


また、日本政府は経済振興策を負担軽減策の一つであると発言しました。しかし、経済振興策で人権侵害が軽減されることはありません。だからこそ翁長知事は、国連人権理事会で訴えるためジュネーブまで来たのです。


安全保障の重要性により人権の重要性がないがしろにされることがあってはなりません。





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by africa_class | 2015-09-22 00:26 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

三つ葉のトースト、生き延びるということ。そして、愛と若さについて。

病気の残存から1日1個ぐらいしか出来ない。
なので、今日は敷地の奥の森の自生しているヨハネスベリー(ふさすぐり<黒いのはカシス>)を摘みに行って、今ジャムと夕飯を作っているところで、後はストーブがやってくれるため、暇なんでこれを書いている。
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本当はパウロ・フレイレの『被抑圧者の教育学』について書こうとしていたのだけれど、勝手気ままに書いていたら、ぜんぜん違う話(根本は同じだが)になってしまったので、そのままにしておく。

薪ストーブの良いところは、同時に鍋とグリルが使えることだ。なので、同時に夕ご飯も。今夜も手抜きで、庭のハーブで作ったサラダに、ミツバ&トマトトースト、組み合わせ的にとってもあわないと考えられる具沢山のみそ汁。これらを、同じストーブで、寝る前に飲むハーブティ(今は季節側ミントに凝っている)のためのお湯とともに準備中。というか、ストーブが勝手に準備している。

「薪ストーブ」という名前から「薪」ばかりに目がいくが、枝も立派な燃料。そのことに気づいてからは、ストーブでの調理は凄く楽になった。

なお、群生するミツバと翌日冷えてしまった手作りパンをなんとかしなきゃ・・・の一心で編み出したレシピ・ミツバ&トマトピューレ&ガーリック&チーズのトーストはおすすめの一品。子どもが小腹を減らすとこれを出せばボリューム感から満足してくれる。
今日は独りなので、さらに手抜きをして、こんな感じに。
・庭に群生中のミツバを刻んだもの
・昨夜の残りの海の幸&ガーリックトマトソース
・これに細かくちぎったチーズ
を買ってきたパンに載せを、グラタン鍋に並べてぶち込んだだけ。

以前作った時のもの(オーブンに入れる前)
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お味噌汁も具沢山な理由が、去年秋に自分で作った味噌の大豆自体が具沢山…。あまりにしんどくて、でも味噌が手に入らないドイツの田舎なんで、無理矢理味噌を作ったため、機械も踏みつぶすのもやめて、ただ手で潰した(踏みつぶすにはそのための袋を用意したりだし、機械を使うと後洗わないといけないので大変)。その結果、茹でられた大豆くんたちはつぶれきれておらず、ほとんど半分に砕いたぐらいの形態。なかなか味噌らしくならなかったが、10ヶ月を経て良い感じに。なので、みそ汁の味噌自体が大豆のつぶがもりもり…。でも、私こういう味噌実は好き。そこに、買い物に行けない時のために干しておいた今年の夏の収穫物、つまり化け物となったダイコンたちをただぶち込んだ。自慢じゃないが、凄く美味なみそ汁。この1品と玄米でお腹いっぱいになる。

家事はスピードが母からの家訓。
忙しすぎるが丁寧な暮らしがしたいという矛盾する自分と生活を成り立たせるために、「手間自体を愛さない」、「省ける手間は省く」、「今の手間がいざという時の楽さに繋がるのであれば、やる」ということをモットーにしてきた。こういう時に役立つもんだ。

でも、19で家庭を持った私は、どんな忙しくても、レトルトとか冷凍食品とかそういうのに頼ったことはないし、電子レンジも持った事もないし、トースターも炊飯器も持ってないし、まあ人から見たら、「手間やのー」ということはあるだろうが。要は、楽しめる範囲での手間を楽しんでいる。また、暮らしの基本が「循環」であることも、譲れない。これも、私の中では「抵抗の実践」の一形態だから。

さて、本題。
ここまで書いたら、ジャムが出来そうだ。
何の話だったか…。
そうだ、抵抗だ。

私に取って、以上のような日々の暮らしの色々は「抵抗」そのもので、思考と実践の両方を繋ぐもの。当事者性というのを私が持つとしたら、「生活者」というところからしか始まらないから。「学者然」としていた方が、個人的には遥かにメリットがあるけれども、そんなメリットを得て送る人生なんて何の意味もない。墓場にカネもメリットも名声も持っていけない以上、より問われるのは「どう生きたのか?」であって、「何を所有したのか?」ではないから。

死が切実に近かったから、今を生きる・自分らしく生きることに早くから目覚められた。もし、いじめや、自分が必要とされていないとか、自分が生きても何の意味もないと考えている若い人がいたら、いいたい。

そんなこと絶対ないよ、と。
あなたの命には、沢山の意味があるのだよ、と。
生きていれば、必ず本当に大切なことに行き当たる、と。
今、そう感じられないとしても、だったらそう感じられるところまで生きてみよう、と。

私は4つの時に、海に身を投げようとして、ギリギリのところで思いとどまった人間だ。当時、港のある漁村に暮らしていた。なぜ思いとどまったのかは、未だに思い出せない。ただ、「救われた」という実感だけが胸の中に残っている。目の前に横たわる暗い海のあの感じだけが記憶にある。

成人した後、そこを再び訪れた時、あまりにも村がちっぽけで、海も穏やかで浅く、拍子抜けしたことを思い出す。19才のあの時でも、あそこに足を向けるのはとても辛く、当時婚約していた彼に付き添ってもらって初めてそこまで行けたのだった。そういえば、あの彼も元気だろうか。籍こそ入れてなかったものの、彼の家族には本当の娘のように沢山の愛と支援を頂いた。ブラジルでの調査費を出してくれたのは彼のおじいちゃんで、彼のお父さんには学問的なアドバイスを、お母さんには女がプロとして生きることを、沢山教えてもらった。おじいちゃんとお母さんのお葬式に行けなかったことは今でも悔やまれるのだけれど、お父さんに本を送れたのはせめてもの償いかもしれない。お父さんには今年こそ、会いに行きたいと思う。

若さとは厄介なものだ。
とりわけ、幼い頃に刻み込まれた痛みを解消できない間は。
自由に沢山のチャレンジをしたい自分と、同時に愛されることで安心したいという自分の間で揺れ動く10代と20代前半を経験し、それがもたらした多方面の問題に、申し訳ない想いがある。今となっては、その「若さ」を苦笑したり、微笑ましく思えるが、当時はとても深刻だった。23才の終わりに、すべてを捨てて戦後直後のモザンビークに行ったのは、大変な決断だったけれども、心からよかったと思う。

女の子たちが、自己肯定感から男性に愛されることでなんとか自分の不安を埋めたり傷を癒そうとしているのを見るつけ、かつての自分を思い出す。

そんな彼女たちにいえることは、
それもまた仕方ない、ね。
ということ。

もっと強くなんなさい、とおばさんがいうのは簡単だ。
でも、試行錯誤をしてみないと、分からないものだから。
覚えておくべきは、自分の中にはちゃんと力が備わっているという真実。
他人の「愛」のように思えるものに、依存しなくても大丈夫。
あなたは、ちゃんと自分をいつか受け入れられるから。
その時、本当に解放されるのだよ、と。
自分が自分で与えていた呪縛から。

私が、ブレない自分の話であのようなことを書いたのは、そういうことだった。
「長い夜にブレない生き方について考える〜ガンジーの「ノー」の価値論と「五日市憲法草案」、そして沖縄」
http://afriqclass.exblog.jp/21326990

自分の中に軸がない限り、他人がどう思うか、他人に愛してもらえるのか、そこにばかり気が向いていってしまうことについて、私自身が経験をしてきたから。これは息子にも、多分伝わっていないと思うけれど、伝えてみた。「ふーん」としかかえってこなかったけれども。

恋愛は人を成長させる。
だけれど、まずは自分が自分を受け入れられないと、それはどこか誤摩化しになってしまって、本当の意味での自分の人生にはならないことを、頭の隅においてもらえるといいな。

まずは生き延びること。
そして、自分を受け入れること。
そして、その経験をバネに、他の人びとのために役立ててみること。
そして、時に始めた場所に戻ってみること。
愛し愛された人びとに感謝すること。

そんなところ?
偉そうにいえる私ではまったくないけれど、とりわけ私の友人たちは苦笑していることだろう!散々迷惑かけたから・・・。

でも、歳を取るということは何と素晴らしいことか、と納得している間に煮沸消毒していたジャムの瓶も乾いたようなので、ジャムを完成させる。

今日は、リースリング。
甘すぎるから嫌いだった。
安いワイン風で。
でも、ここドイツの風土にとってもあうワインなんだ。
これも年の功かな。
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by africa_class | 2015-07-28 04:30 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

(その2)大学生のスピーチに思う。「名を伏せた者たち」が進める全体主義の今。

ということで昨日の続き。
先に(その1)を読んでね。
http://afriqclass.exblog.jp/21484478/

といっても、ハーブ畑に大量に生い茂ったあらゆる草との今朝の格闘で、今実は疲れ果てている…。いなかった1ヶ月の間に野菜たちも化け物とかしていて、本当はもっと早くに秋野菜を植えなきゃなのにまずは夏野菜とお友達の草たちからなんとかしなきゃ・・・でもしんどい・・・で、ここまで来てしまった。農には、お天気・人手、心身ともの健康と時間が必要だということをつくづく感じる毎日。

しかし、放置がよろしかったのか、野菜も草も、そもそも植えてあった木々も、今は花真っ盛り。天国のように色とりどりの庭。見るだけなら、素晴らしい色合い。絵に描きたいほど。一年のごく僅かな出棺だけのこの眺めを堪能したい。けれども、油断すると種をまき散らすのでまた来年大変なことになる・・・が、今はこの花々に、ハチがぶんぶん、モンシロチョウもぶんぶん。切るに切れない。
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せっかくだから、前から挑戦したかった養蜂を来年はやってみよう。ラベンダー、アジサイ、ディル、アザミ、シロツメクサ、コンフリー・・・の花の蜜を吸ったハチの蜜って、どんな味がするのかな?という興味から。

「ハチ」というと、子どもの頃は怖かった。家でも学校でもすごく脅されていたし。でも、ハチに囲まれて暮らしてわかったことは、ハチもまた彼らの感性と論理があって、こちらが彼らの邪魔をしない&しないオーラを出しておけば、ほっておいてくれるということ。「邪魔しないオーラ」って何?・・・というと、「気を消す」感じ?ぶーんと飛んで来ても、何もせず、ただ気を消す。動きたければ、そーーーと引く感じ。すると、ハチもすっといなくなる。このあうんの呼吸を呑み込むと、ハチさんが群がっている花も少しだけお裾分けさせてもらえる。

またしても、続きのはずが前に進んでないわい。

で、1年以上前に何を書いていたか?・・・というと、日本平和学会に頼まれて『平和研究(早稲田大学出版会)』というジャーナルを編集していた。それは、『平和の主体論』という特集号になったのだけれど、そこに後書きを書かなければならなかった。だから、ナチス時代のドイツで形成された全体主義の問題について、今の日本と重ね合わせた文章を書いた。ハンナ・アーレントを引用しながら。「後書き」は、こう始まる。

 「東日本大震災とその後の東京電力福島第一原発事故から3年が経過した。そんな2013年末、小さな映画館で公開された映画が評判を呼び、異例のロングランとなった。「ハンナ・アーレント」と題されたその映画を、2013年の日本社会が欲した理由は何だったのだろうか。
 ハンナ・アーレントHannah Arendtは、ユダヤ系ドイツ人として生まれ、ナチス・ドイツの迫害から逃れ、アメリカで「全体主義の起源」をはじめとする多くの著書を記した政治哲学者である。
 全体主義体制は、第二次世界大戦あるいは東西冷戦の終焉にいおって、一部を除き「終わったもの」として久しく受け止められてきた。1990年代以降の世界における複数政党制民主主義の急速な拡散、移動手段や通信技術の発達による多様な情報へのアクセスの拡大ーーこのような時代に再び全体主義について考える必然性はどこにあるのだろうか」。

日本平和学会(編)『平和研究ー平和の主体論』早稲田大学出版会
http://www.waseda-up.co.jp/series03/post-711.html
(表紙の写真は、2014年2月にNGO・外務省定期協議会・ODA政策協議会で沖縄に行った際に、沖縄の高江で撮ったもの。モザンビーク農民の土地を奪われる苦しみと不安を、沖縄の人びとはよく理解してくれた。苦悩というのは他者の痛みへの共感と連帯の土台になりうるものなのだ、と改めて尊敬を込めて感じた)

この本が出てすぐ、その「後書き」が、現実に生じたことを先取りしていたため、このブログに駄文を書いていたのであった。そして、布団の中で書いたそれは、誤操作で見事消えてしまった…。でも、それでよかったのかもしれない。物事にはそういう思いがけない出来事があって、それぞれに「意味」があると思う。

で、1年前何故その駄文を書いていたのか?
それは、外務省JICAとNGOの「対話」の記録から、政府側が個人の氏名・肩書きを削除してきたと聞いたからだった。この対話は公開のもので、それまで記録は記名入りで掲載されていた。それが去年5月に突然、名前が消されて、「外務省」とか「JICA」とかの書き方にされていたと聞き、「あっ」と思ったからだった。

この記録をめぐっては、当日全く発言されてもいないことが事後的に書き加えられたり、当日言ったにもかかわらず(そして逐語議事録が提供されているにもかかわらず)「記憶にないから」と削除されることもあるという。さらには、NGO側の発言箇所にまで、丁寧にも、直接修正を加えてくれるというから厄介だ。一般には、こういうことは「記録の改ざん」とされかねないが、これらの機関ではどうもそうではないらしい・・・。違うと思いたいが、あまりに日常化しているということだろうか?こういう細かい芸当が得意な者ほど組織内で重宝され、評価が高いのも、税金で彼らのサラリーを支えている側としては「?」が大きい。

当日発言したことは、後で変更可能で、そもそも誰が話したかすら分からないようにできる・・・税金で支えられている援助事業の公開の話し合いの場で求めること自体が、一般市民には謎だ。透明性を高め、説明責任を果たすのは義務であり、責任であり、「市民の要求によること」でも「追加的なこと」でもないはずなのに?

つまり、自分の発言に個人として責任を持たない、持ちたくない、ということだと受け止めるしかないのだが、他に何か理由があるだろうか。でも、これも一度でも組織に生きたことのある者なら、きっと理解できる論理だろう。つまり、彼らだって可哀想なんだ。

彼らの論理では、このような問題事業を、好きで担当しているわけではない。たまたまそういう役目が回って来ただけで、運悪く担当になって、自分の名前が記録に残るのは迷惑だ。そもそも発言だって、個人の発言というわけではなく、組織のためにしぶしぶやってることだ。なのに、自分の発言としてもらっても困るし、自分の将来にも関わる、そいうことのようだ。これに同情する気持ちがないわけではない。渦中の栗をあえて拾った人もいるし、改善しようと努力している人たちが何人もいるのも知っている。そして、その人たちの努力に率直に敬意を払いたい。でも、だからこそ、名前を伏せるなんてことはあってはいけないと思う。名前を載せるのも憚れるような、そんな「問題事業」を始めたのは誰なのか、どの組織だったのか? 皆が自分の名前を隠して歩く限り、本当の意味で良くはできない。今良くできなとしても、教訓として未来に学ぶ時に、これでは学びようがない。

実際、政府の公開文書からはある種の人たちの名前がごっそり消されている。本当に丁寧にすべてのページから削除されているのだ。その人たちの名前を探して黒く塗るだけでも大変な作業である。これもまた税金である。そんなことをする理由は何なのか?「個人に不利益がある」ということを主張するが、名前が隠されなければならないほどまずいことをしてきたのもそれら本人ではないのだろうか。

そして、このような「自己の責任放棄」こそが、現在のあらゆる日本の問題に通じている以上、個人として同情はするがそれをよしとはできない。また、このような無責任体質によって、現地で人びとが苦しい目にあっているのなら、なおさらである。(それについては、今度は外務省・JICAですらなく、モザンビーク政府の「オーナーシップ」の責任にされている…!)

もう一点興味深いことは、1年前、個人名が削除されるようになっただけでなく、外務省やJICAの個人が良心に基づいて行った率直な発言は、事後的に組織的に削除されたことであった。つまり、個人の発言は許されておらず、組織の方向性に合致した言葉だけを話し、記録に載せることだけが許されるということのようである。

つまり、任期の2−3年がすぎたら、別の者に任務が置き換えられる以上、そこに個性など挟んではいけないのだ。つまり、「置き換え可能な塊」として存在しなければならない。

でも、本当はそうじゃないはずだ。
人は誰だって自分らしく働きたいし、貢献もしたい。
にもかかわらず、「名前を消す」「発言を消す」ことを主張するということは、そういうことを意味する。相手があることなのに、自分は匿名性に隠れる。時間が経ったら次に向かうだけ…人びとの暮らしは続いていくというのに。

この一切合財を最初知った時、何かの手違いかなんかかと思った。しかし、結局「記名を無記名に」するために、何ヶ月も政府側が粘り続けた様子をみて、彼らにとって自分の名前が記録に残るか否かがそんなに重要なことなのだ・・・・ということを、心底驚いたが、理解した、そして、これは、ある特異な例外的なケースではなく、2014年の現実ーー悪化する日本の統治体制の現実ーーとして、ある種の合点がいった。

そして、私が思い出したのが、『平和研究』に書いていたハンナ・アーレントの「自己の無用化」、つまり「誰でもない者による支配」の話であった。

そのシンクロさ加減に、さすがに心臓がぎゅーーーと締め付けられる想いだ。当の本人たちはそんな風にはみていないと思うけれど。2013年全般に問題なかったことが、2014年には重視されていく。この転換というのは、例えば2013年末に秘密保護法が成立し、その後原発最稼働し、安全保障関連法案提出までの流れを歴史的背景として眺めるならば、さほど違和感がないことなのかもしれない。

そして、これは外務省やJICAだけの話では当然ない(そしてこれらの組織の全員がというわけでもないことは、明白だろうが一応記しておく)。これらは、単なる一例にすぎず、広く日本に蔓延している問題なのだ。ここが一番の味噌である。詳細は上述の「後書き」に書いたのだけれど、ここでも少し(大いに?)披露したい。

**

アーレントは、「独裁体制のもとでの個人の責任」で、「なぜ服従したのか」ではなく「なぜ支持したのか」こそが問われなければならず、一人前の大人が公的生活の中で命令に「服従する」ということは組織や権威や法律を「支持した」事を意味し、「人間という地位に固有の尊厳と名誉を放棄した行為である」と断定する。そして、これらの「人間としての尊厳と名誉を取り戻す」ためには、まずは「服従」と「支持」の違いを考えなければならない、と主張する。

つまり、「仕方なく」「組織がそう求めるから」「上が命じるから(命じないから)」という言い訳に対し、「一人前の大人の人間としては不名誉で自己の尊厳を放棄した言い訳にすぎない」ことを痛烈に批判する。そして、結局それは「服従」ではなく、「支持なのだ」と結論づける。つまり、「自分の意志や意図ではないしぶしぶの受け身の行為(=服従)」と本人が認識しようとも、それは組織や全体の中で「積極的な支持」にすぎず、個としての責任が問われることなのだといっているのである。

確かに、消極的な行為であろうと、積極的な行為であろうとも、「従った行為」の果てにはその体制が支えられ、揺るがないという結果のみが立ち現れる。戦後多くのドイツ人は、自分たちも犠牲者であったと強調し、ホロコーストについて問われれば「知らなかった」「何も悪いことしなかった」「直接は何もしていない」・・・ということも多かった。しかし、まさにこの「積極的に支持はしなかった、ただそこにいて従ったにすぎない"one of them"の束」こそが、あのような政治社会体制を可能としていたのである。

そこに目を向けないのであれば、いつまでも自分の責任はないことになり、良心の呵責もないだろう。何より、自分は特定の個人として何もしなかったのでもなく、命令に従ったのではなく、あくまでも圧倒的多数の一人(One of them)にすぎなかったのだらから・・・との論理が可能である。そもそも、もっと責任のあるエライやつらがいたし、奴らの責任は明白だ。その影で奴らはいい目にもあった。皆それが誰か知っている(ヒトラーやその他)。一方、庶民にすぎない、「組織の歯車」にすぎなかった役人の私の名前は、どこにも書かれていない。直接殺戮の現場にいた収容所の看守だったわけでもない、と。

私のドイツの家族もこう口を揃えた。
「いつも気の毒に思っていた。私たちは差別なんて決してしなかったし、密告もしなかった」、と。「じゃあ、助けようとしたの?体制に抵抗しようとしたの?」という問いには、「そんなことは不可能だった」と。「不可能になる前に何かしなかったの?」という問いには、「分からなかった。急に一気にナチスが社会を国家を乗っ取ったから」と。これは、日本の多くの人の感覚と同じだろう。

これをアーレントは「自己の無用化」と読んだ。
「自分が行ったこと(行わないこと)と、その結果は無関係」という多くの人がもっている感覚。「私ぐらい…」「私なんて…」の一言に象徴される。これが庶民レベルで展開する問題もそうであるが、官僚レベルで行われることの影響は深く重い。彼女は、これを「誰でもない者による支配」と呼んだ。

自分を「自己のない=誰でもない者(Nobody)」が、国家や社会の制度部分を担い・回すことによって総体として現れる支配構造、それが全体主義であった。

善良なる市民感情、あるいは「仕事をしているだけだ」との想いをもった官僚感情を前に、それでもハンナ・アーレントは「人としての責任」を問い続けた。そうしない限り、再び全体主義は他者を破滅させるために蘇ると見破っていたからだ。彼女は、マッカーシズムに荒れる米国社会と、ソ連の国家体制、そして何より大虐殺を経験したはずのユダヤ人が作りつつあったイスラエル国家の体制を見ながら、これらの著作を書いた。アーレントは、人間は繰り返し過ちを犯すだろうという確信を持っていたから、筆を緩めず、彼女の考える書くべきことを書くべき手法で書き続けた。仲間からも厳しすぎると非難されても、なんらかの配慮で書くべきことの表現と中身を妥協することで、彼女の考える真理から遠ざけられてしまうことを畏れた。彼女は、まさに筆一本で闘っていたからだ。

アーレントが非難を受けた理由は、ホロコーストが悪の権化のような狂った憎むべき個人によってではなく、「凡庸なる(普通の)個人」によって行われたことを主張したからであった。あのような想像を絶する人類史上まれに見る犯罪が、「凡庸なる悪」という言葉で総括された時に、ホロコーストのサバイバーやその遺族の衝撃は大きかった。さらには、ユダヤ人協会の一部の者が自らの安全のために、体制に協力していたということを指摘したときには、その反発たるや凄まじいものがあった。

しかし、アーレントは、自らの理解、言葉、主張を変えなかった。なぜなら、本質は、人間とその社会の持っている傾向の問題にあって、この理解に行き着かない限り、犠牲者の名の下に(「ユダヤ人だから」)、あるいは「解放者」の名の下に(アメリカ)…今度は次の全体主義が準備されてしまうことが見通せたからであった。

この「誰でもない者(名前のない/伏せられた者)による支配」の根っこにある元凶を、彼女はあぜんとするほど平易なあっけない言葉で示した。つまり、「思考停止」である。

「思考停止」という言葉は、若者の間で長らく流行った言葉だった。
だから、日本ではあどけないニュアンスがある。
しかし、アーレントのいう「思考停止」はもっと根源的なものがある。人間が人間である理由は、人間には思考が可能だからだ・・・という前提において、「思考停止した者」とは「人間の尊厳と名誉を放棄した者」になる。

アーレントの結論はこうだ。
この「思考停止した凡庸なる人」こそが、世界最大の悪であるホロコーストを可能にした。
つまり、思考停止は悪なのだ。「自称普通の人びと」のそのような思考停止こそが、世界最悪の「悪」を招く。

きっと多くの人にはあまりにものあっけなさに、な〜んだ、と思うかもしれない。しかし、アーレントの話はもっと奥行きがあるのだ。

「人間」が「思考停止する」とどうなるかというと、「交換可能な塊」にすぎなくなる。もはや名前のある特定のあなたという人間でなくてもよくなる。労働力であり、官僚であり、全体の中の機能だけが重要となる。となると、「複数制」が否定され、一人が倒れても次が準備されればよく、あなたでなくても別の人でもいい。組織は続き、体制は続いていく。それもこれも、「名のあるあなた」は、「思考を停止し人としての尊厳を捨てて体制を温存させている=支持しているから」である。そして、この体制には、「よそ者」が生み出され、「全体」が優先さsれるが故に排除が目的化する。ナチスドイツの場合は、ユダヤ人や共産主義者等がその対象となった。これらの完全排除が全体の保全のために目的化される。

このプロセスを、アーレントの教え子であるヤング=ブルーエルは次のように説明する。
「全体主義は政治(的空間?)を破壊する統治形態であり、語り・行為する人間を組織的に排除し、最初にある集団を選別して彼らの人間性そのものを攻撃し、そこからすべての集団に同じような手を伸ばす」という(2008)。

つまり、体制にとって、自らの頭で考え、声を上げ、能動的に行為する主体を、ある種のレッテル貼りでその存在自体を排除してしまえば、社会を押さえ込むことができるというのである。

人間に与えられた自分の頭で考える・・・ことに目覚めた人びとが、「交換可能な塊」から脱し、自分の尊厳と名誉と責任において自分の名前で語り始めた時、そこに全体主義が破れる可能性が芽生えるものの、圧倒的多数の「思考停止の交換可能な塊となった人びと」がこれらを「よそ者」とレッテル貼りして完全排除をしていくことで、体制は加速度的に出来上がっていく。

日本においては、立上がる人びとを「左翼」「過激」「プロ市民」「中国からカネをもらっている」等と呼んで。

しかし、この話はそこで終わらない。
なぜなら、「他人事」として傍観していた「凡庸なる人びと」「統治側にいる誰でもない者=官僚」のところにも、全体主義の支配は及んでいくからだ。自分らしいことが、一つずつできなくなっていく・・・そんな不自由な社会が、いつの間にか自分を蝕んでいく。それでも、体制が崩壊するまでは安全だろうと思うかもしれない。しかし、全体主義が行う「よそ者」としてのレッテル貼りは、いつどこで自分や自分の家族に牙を剥くか分からないのだ。今日は統治の側にいる自分が、いつか逆転することすらあり得る。全体主義とは、個々の人間の幸福など目的にしない以上、明日は「我が身」かもしれないのだ。

名前を失い塊となり思考停止することを厭わない人たちが、国の統治を行い、同様なる凡庸な人びとが、これを支持する限りにおいては、犠牲となる人びとを生み出すことを必然とし、人類最悪の犯罪すら可能とするのだ。そして、これは遠い昔の話ではなく、今目の前で進行していることだと考えるのは、私だけだろうか?

エルサレムでアイヒマンは、体制や組織が下した決定を歯車として役割を果たしただけで自分の意志ではなかった以上、自分の責任ではなく、自分が個人としてさばかれるのはおかしいと主張した。彼は、自分の昇進ばかりを気にして、ただ粛々と仕事をこなした。その結果が、大量のユダヤ人の収容所への輸送であった。

それに対して、アーレントは、そのような言い訳をするアイヒマンについて、「(人間)主体としての自己放棄」こそがまさに「全体主義を生み出した悪」なのだと説明した。

映画「ハンナ・アーレント」の最後のシーンに、彼女が学生たちの呼びかけたことがある。

自分自身で思考する。
それが人間を強くする、ということ。
思考の営みは職業的思想家のものではなく、全ての人びとが日々必要とするものであり、他方そうやって得られた思考で関わるべきは「自分」ではなく「世界」に対してである、ということ。

だから、私は、2015年7月の暑い夏に、日本の大学生たちが、「思考停止」を脱して自分たちの頭で考え、「自己無用化、塊化」を避けて、自分の名前を堂々と語り、すべての可視化できる記録に残しながら、自らの言葉で語ったことを、賞賛せずにはいられないのだ。

彼らが失うものがないから・・・などという批判は無用だ。
今の学生がどこまで就職の不安を抱えて生活しているか、大人達はしりもしないから。
今の大学が、学生の活動にどこまで口を挟んでくるかも、知りもしないから。

私たちは、ただ、過去の歴史と、歴史の葛藤から紡ぎ出された豊かな著作と、若い人たちの躍動的抵抗から、頭を垂れて学ぶべきときなのだ。

全体を恐れ、その中に埋没し、隠れている場合じゃない。
今、このクリティカルモーメントにおいて、日本の「人としての尊厳を持つ唯一無比のあなた」が問われている。

「あなた」は、「置き換え可能な塊」なんかじゃない。
「あなた」は、「思考停止」なのかしていない。
自分だってNGOのように自由に発言し、行動したいと考えているのも知っている。
本当は、「あなた」は、素晴らしい独立した考えの持ち主で、自己保身や自己承認のためだけに働いているんじゃなくて、一人の人間として物事を変革できる「力」を持っていることを、私は知っている。
そして、苦しい想いを日々重ねている事も知っている。
行き場のない怒りを抱えているのも知っている。
その少しでも、表に出すことが、今必要なんじゃないのかな?


1年も経ったのに、この話を再び書こうと思った理由は、学生のスピーチだけでない。立教の声明を読んでのことだった。
「「戦争」とは決して抽象的なものではありません。具体的な名前をもった若者たちが戦場で向かい合い、殺し殺されることを意味します。そして、子どもたちを含む多くの戦争犠牲者を生み出し、いのちの尊厳を踏みにじるものです。1945 年までの戦争への反省の上に立って戦後日本が国是としてきた平和主義に逆行し、日本に戦争への道を開く安全保障 関連法案の可決に、私たちは強く抗議し、法案の即時廃案を要求します。 」

ノーベル賞学者の益川教授がこう述べている。
日経:物理学者・益川敏英氏「学問より人類愛せ」(戦争と私)
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO89240270T10C15A7000000/
「虫も殺せないような人が平気で人を殺せるようになってしまうのが戦争だ。組織の中で動いてしまう。だから恐ろしい」 「科学者は放っておいたら自分の研究室で研究している方が面白い。本人にそのつもりがなくても、自分が開発した技術が戦闘機に使われるようなことも起こりうる。それに気付いたら科学者は社会に報告すべきなんでしょうね。でも普通はしない。だから集会や社会に連れ出したらいいんだ。すると、平和が危ういということはすぐに分かるんだから」

学者や科学者だけではない。
援助を含めた政策立案者も遂行者も同じだ。
自分机や会議室の中にある世界で物事を想定している限り。

ここに書きたかった本質が表されている。
国家の政策は、一人一人の生命と幸福と財産を操るほど力を持ちうるものだというのに、その想定される対象には名前と顔がない「女性」「若者」「農民」「貧困者」を対象とする。それを司る側もまたトップ以外は名前なき役人・軍人らの塊によって遂行される。行為自体が、被害を招きかねない複雑なプロセスは軽視され、「戦争(殺し合いにかかわらず)」、「援助(政治を伴うものであるにもかかわらず)」と抽象的に表現される。

だから、決定とプロセスを主権者・主体の側に戻していくしか、方法はないのだと思う。
先人たちの屍と犠牲の上の民主主義の時代に暮らすというのは、そういことなのだ。
私たちは、名前を伏せるどころか、名前を取り戻すところから始めなくてはならないのだ。そんなことを考えた夏の夜長だった。

ハンナ・アーレントについては、以下の参考文献。
矢野久美子『ハンナ・アーレント』中央公論新社。
映画については、以下のオフィシャルサイト。
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/


*なお、ここに書いてあることを本当の意味で理解したら、そんなことはあり得ないはずであるものの、過去に起きた出来事が懸念されるので(あえてここで何が起きたかは書かないものの)、念のため書いておくのですが、この内容を「悪用」しないようにしてください。物事には多様な見方があって、そこに論争があって、そして社会は発展していくものなのです。

おやすみなさい!
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by africa_class | 2015-07-27 00:21 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

大学生のスピーチに思う。「名を伏せた者たち」が進める全体主義の今(その1)。

若い人たちの感性に感銘を受ける毎日だ。
人類の歴史が示してきたように、危機は危機として、圧倒的に構造に下支えされた強いものである一方で、そのような中でも、一筋の希望が生まれる時がある。

「希望には二人の娘がいる。一人は怒りであり、もう一人は勇気である」と、アウグスチヌスが言っていたらしい。「安全保障関連法案に反対する立教人の会」の呼びかけメッセージで知った。
http://rikkyo9.wix.com/home
(↑とても良い文章なので読んでほしい。後でもう一度これを引用予定)

吹けば飛ぶような小さな灯りかもしれない。
でも、人びとと社会に温かな確かな励ましをもたらすに足る灯りを、若い人たちが生み出している。そして、まさに「健全な怒り」から、勇気をもって彼女たち、彼らは立上がったのだ。
そして、「希望」という名の、様々な色と大きさの花を、日本のあちこちで咲かし始めた。

「まっとうな怒り」すら、遠いものになりかねない、感覚が麻痺した「大人」の一人として、ありがとうを伝えたい。あなたたちに、気づかされたよ。そして、励まされたよ。「大人」達も、それに応えないといけないね。

実は、病床の中でも、彼女や彼らのことをこの1年見ていた。

最初は小さな小さな試みだった。
国会前で声をあげ、辺野古でおばあ・おじいと座り込み、多くの大人達の声に耳を傾けた。
沢山の試行錯誤の中で、自らを鍛えていった。
過去の過ちの轍を踏まないように、時に悩んだ。
…そうだった?

日本を出てしまった私に、大学を後にしてしまった私に、何が言えるのだ、との想いの中でも、皆を見ていた。そして、日本の政府や援助(とその主体)・マスコミの劣化を目の当たりにして、実は去年の4月に書いていた文章があった。でも、PCの電源がキレて消えてしまった…。その時は、病気もあって仕方ないのかな、と思ってそのままになっていた。そのことを、改めて書きたいと思う。

その前に、忘れないうちに二つのスピーチを紹介しておこう。いずれも女子学生たちのスピーチ。
ユーモラスで、柔らかで、なのにシャープでクリティカル、そして何より本質を突いている。「怒っています」との一言で始まりながら、感情的な文章ではなく、論理的に話している。

どこぞやのウソ、ごまかし、はぐらかし・・・しかできない方々とは雲泥の差だ。

…と思っていたら、こんな動画がYoutubeにアップされていた。
「【あかりちゃん】ヒゲの隊長に教えてあげてみた」
https://www.youtube.com/watch?v=L9WjGyo9AU8
本物も比較してみよう。
https://www.youtube.com/watch?v=0YzSHNlSs9g

思考も思想も言葉も、街頭でもまれ、鍛えられる。
街に出たあなたたちは、本の中に埋没し机の上でのみ論じる学者よりいも、もっと切実に沢山のものを吸収している。落ち着いたら、また本に戻ればいい。あなたたちが先生たちを路上に引きずり出せばいい。先生達は、あなたたちから学び、あなたたちを支える側にいくべき時がきた。それは先生冥利に尽きる事なんだ、本当は。

結局のところ、教育とは、「共育」ことなのだと思う。政府や文科省の予算配分ばかり気にしている今の大学や大学執行部には分からない真理かもしれない、けどね。第一、彼らが見ている方向はお役所やカネ勘定ばかり。それもこれも、「大学の未来のために」といっているが、自分の雇用や年金への不安が原動力だったりもする。もはや、目の前の学生たちや、社会の課題ではない。今迄だって、どの程度学生を見ていたかという問いはさておき、社会課題に至ってはそれをなんかの競争的経費に繋げられないか?という発想からしか、アプローチできない。そして、政府にたてつくような課題へのアプローチ等は、考えてはならぬのだ。

で、そんな大学や先生を飛び越えて、学生たちは街角に出た。
そして、先生たちのもっとずっと先を歩み始めた。

2015年7月25日
大学3年生の芝田万奈さんのスピーチ
https://www.youtube.com/watch?v=WDbAd1CSDDk&feature=youtu.be

2015年7月15日
大学生の寺田ともかさんのスピーチ
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/253905
「 こんばんは、今日はわたし、本当に腹がたってここにきました。国民の過半数が反対しているなかで、これを無理やり通したという事実は、紛れもなく独裁です。だけど、わたし、今この景色に本当に希望を感じてます。大阪駅がこんなに人で埋め尽くされているのを見るのは、わたし、初めてです。この国が独裁を許すのか、民主主義を守りぬくのかは、今わたしたちの声にかかっています。
  先日、安倍首相は、インターネット番組の中で、こういう例を上げていました。『喧嘩が強くて、いつも自分を守っ てくれている友達の麻生くんが、いきなり不良に殴りかかられた時には、一緒に反撃するのは当たり前ですよね』って。ぞーっとしました。この例えを用いるのであれば、この話の続きはどうなるのでしょう。友達が殴りかかられたからと、一緒に不良に反撃をすれば、不良はもっと多くの仲間を連れて攻撃をしてくるでしょう。そして暴力の連鎖が生まれ、不必要に周りを巻き込み、関係のない人まで命を落とすことになります。 (中略)
  わけの分からない例えで国民を騙し、本質をごまかそうとしても、わたしたちは騙されないし、自分の頭でちゃんと考えて行動します。(中略)
  わたしは、戦争で奪った命を元に戻すことができない。空爆で破壊された街を建て直す力もない。日本の企業が作った武器で子供たちが傷ついても、その子たちの未来にわたしは責任を負えない。大切な家族を奪われた悲しみを、わたしはこれっぽっちも癒せない。自分の責任の取れないことを、あの首相のように『わたしが責任を持って』とか、『絶対に』とか、『必ずや』とか、威勢のいい言葉にごまかすことなんてできません。
  安倍首相、二度と戦争をしないと誓ったこの国の憲法は、あなたの独裁を認めはしない。国民主権も、基本的人権の尊重も、平和主義も守れないようであれば、あなたはもはやこの国の総理大臣ではありません。民主主義がここに、こうやって生きている限り、わたしたちはあなたを権力の座から引きずり下ろす権利があります。力があります。あなたはこの夏で辞めることになるし、わたしたちは、来年また戦後71年目を無事に迎えることになるでしょう。(中略)
  この70年間日本が戦争せずに済んだのは、こういう大人たちがいたからです。ずっとこうやって戦ってきてくれた人達がいたからです。そして、戦争の悲惨さを知っているあの人達が、ずっとこのようにやり続けてきたのは、紛れもなくわたしたちのためでした。ここで終わらせるわけにはいかないんです。わたしたちは抵抗を続けていくんです。
  武力では平和を保つことができなかったという歴史の反省の上に立ち、憲法9条という新しくて、最も賢明な安全保障のあり方を続けていくんです。わたしは、この国が武力を持たずに平和を保つ新しい国家としてのモデルを、国際社会に示し続けることを信じます。偽りの政治は長くは続きません。
  そろそろここで終わりにしましょう。新しい時代を始めましょう。2015年7月15日、わたしは戦争法案の強行採決に反対します。ありがとうございました」

これを丁寧に報じているのは、IWJだけだ。
http://iwj.co.jp/ (会員になって支えよう!)
全文をこおに掲載できるのもIWJのお陰だ。

私たちにIWJがいてくれて本当に良かったと思うし、他のメディアは何をしているのだろうと思う。どうでもよいタレントや有名人のどうでもよいスキャンダルやコメントや会話を垂れ流しにする暇があれば、これらの若者の声をそのまま流した方がよほど意味があると思う。<=制作費もタダだし。お茶の間の皆さんも、きっと興味を持つことと思う。「今時の大学生がこんなことを?」と。

私の研究室の電話には制作会社やテレビ局から「アフリカで何か珍しいことやっている学生紹介してください」というメッセージが山ほどかかってきていた。アフリカに行かなくていい。毎週金曜日に街角、国会前に行って、カメラを回し続ければいいのだ。

でもやらない。「政治」だから、お茶の間で「考えずにただTVの箱(今時、板か)を眺めていたい(と彼らが勝手に思っている)ばかな国民」には、「難しすぎる」と、TV人たちが考えているからだ。いや、ただ政権に睨まれるのが怖いためか?

また前置きが長くなった。
でも、もうこのブログの読者には「今更」だろう。

私が去年4月に書いていたことと、寺田さんのスピーチは密接に関係している。
「私たちは騙されないし、自分の頭でちゃんと考えて行動します。」

この何気ない一言は、実はすごく重要なのだ。
彼女が「自分の頭でちゃんと考え」てした行動とは、「自分の名前で語ること」であった。

この点が、ナチズムによるホロコースト(ユダヤ人や反ナチ等の大虐殺)の本質と関わることであり、再びあのような大罪を人類・国家・社会・一人一人が犯さないために、不可欠なことなのである。

それを成人間もない彼女たちが、軽く言ってのけた、やってのけている。
ごく当たり前に聞こえる「自分の頭で考えて、自分の名前で責任をもって行動する」を、どれだけの人が日々実践しているだろうか?名乗らないで行う数々のこと。

何人の官僚が、自分の頭で考えて、組織に隠れることなく、自分の名前を伏せることなく、責任をもって行動しているのか?

何も役所だけではない。
大学や、高校や、中学校や、小学校の先生だって、どうなのか?
新聞や、テレビや、雑誌の人びとだって、どうなのか?
JICA職員や、開発コンサルタントだって、どうなのか?
大企業のサラリーマンだって、どうなのか?

寺田さんや、柴田さんの勇気に、私たちは感謝しなくてはならない。
なぜなら、この日本の独裁・ファシズム・全体主義的状況の半歩手前の今、まさに「名を伏せた者たちの日々の「仕事」」によって、日本の民主主義は破壊に追いやられているからだ。

続きは、明日かも。
<=やっぱり翌日に。(その2)へ。
http://afriqclass.exblog.jp/21487530/
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by africa_class | 2015-07-26 02:40 | 【考】民主主義、社会運動と民衆