ブログトップ

Lifestyle&平和&アフリカ&教育&Others

afriqclass.exblog.jp

カテゴリ:【食・農・エネルギー】( 3 )

「楽園」から遠く離れてしまった私達として

畑仕事も終わり、翻訳もまずまずで、後数時間で空港に息子を迎えにいかなければならない。

この半年書こうと思って頭で書いていた文章が、なぜか突然溢れ出す。
乳飲み子だった彼を寝かしながら、毎晩頭で書いていた博士論文のときのように。

子が寝ると、そっと起きてPCに向かう。
暖房のない兵庫の山奥の部屋で、頭の中から溢れ出る情景と言葉をキーボードに落としていく。

あのときの情景は、モザンビークのミオンボ林の中を彷徨いながら解放戦争を生きる子どもたちの姿だったり、インド洋に浮かぶダウ船を自由に操る「海の民」の勇敢な姿だったり、ポルトガル人との混血の官使の下、素手で石や砂を集めさせられて鉄道を敷いていく男性たちの姿だったり、和平を祝い舞う女性たちの姿だったり、時空の彼方のものであった。

いま、言葉が頭から溢れ出る瞬間は、畑仕事から戻ってくる瞬間だったりする。
日々変化する何かとふれ合い、語らい合うと、感性の何かが刺激されるようで。でも、畑の中にいる間は「言葉」ではない。「感触」なのだけれど、家にはいった瞬間に、それが言葉になって空に舞い始める。

でも、それを目で見える文字に変換する時間などないほどに、色々なことに追われてきた。だから、一切「文字」にしてこなかった。自分のやりたいことを、自分のためにやることは、依然として得意ではない。これは、19歳のときに誰かと暮らし始め、母になってからずっと感じてきたことだった。

家族がいるということは何よりも代え難い幸せでありがたいことである一方で、自分の思考と言葉を一致させるには時間と空間の工夫がいる。他のことの忙しさもあって、自分のことは後回しが癖となり、どうにも上手くやりくりができなかった。

その上、病気になってから、一つ一つのことに、とても時間がかかる。
いや、やり始めるのに時間がかかるといったほうがよいいかもしれない。
残念に思うことは事実だが、それはそれでよかったのだと思う。

できないからだ・・・もう。
あれこれやりたいと思っても。
同時には。
その上、順番にしても、もう半分以上は確実に生きてしまったから。

そう思ったときに、一度だけの人生を、納得のいくように生きたいと思った。
いやあんた、自由に生きてたやん。
他人はそう思うかもしれない。
でも、私の実感は真逆だったのだ。
そこに人間の難しさと愚かさと闇があると思う。

私はもっともっと知りたいと思ってる。
学びたいことが山ほどあって、それについて語り合いたいと思ってる。

自然の中にいると、無知を自覚させられる。
しかし、この無知の自覚は、不思議なことに、大きな喜びをもたらしてくれる。
ああ、なんと私、人間、ヒト科動物は、本質が掴めないのだろう。
目で見て、耳で聴き、手で触るものでしか判断できないのだろう、と。

ここは楽園。

a0133563_21180733.jpeg
ずっと薪割りコーナーで、皆のいうところの「雑草」が生い茂っていた場所。
今年春にイーちゃんがモザンビークの帰りにきて、ナオミちゃんとマーサちゃんがルワンダから遊びに来てくれたときに、一緒に畑にしたところ。今年は、日本とアフリカから8名が手伝いにきてくれたのだけれど、彼女たちの活躍なしには、畑の面積は広げられなかった。

先日東京からきた古い友人が、この広い畑と森と庭の中を歩き回りながら、このスポットが「楽園」なのだといってくれた。日陰で少しじめじめしているところなのに、ここによい空気が漂っていると。

ただの草むらだった楽園には、皆の想いが詰まっている。
人間だけじゃない。

農業関係の仕事についている彼女たちが驚いたこと。
この元気な野菜たちは、去年タネが出た段階の茎をそのまま刈り取ったレタスと大根とアマランサスを段ボールにぶち込んで放置して乾燥させていたのを、1年経って穂ごとバンバン叩いて蒔いて、土を被せて踏んで、枯れた草をばらばら蒔いただけだったりするのだ。半信半疑の彼女達がやって行ってから1ヶ月後がこれ。

いや、これが正しい方法だといってるんじゃない。
単に、忙しすぎて、きちんとタネを茎とか穂から分けて、叩いて干して・・・ができなかったからだけなのだけれど、これはある種私の中では実験的にやろうとしていたことでもあった。

その命に託してみればいいと。
命が応えようとすればこれに応えるだろうし、応えないとしても、別の命が応えるのだろうと。

そして見事にタネたちはこれに応え、いまとなっては、大根とアマランサスとレタスの草むらとなり、寒さの中で食卓に緑を添えている。(写真は8月頭)


a0133563_21404793.jpeg

カボチャはドイツの固定種。
これは今年は買ったもの。
奥は、モザンビークの農民ママにもらったトウモロコシ。
ササゲとともに、すごい成長ぶりだ。
この話はまた改めて。

でも、森の中で農的営みを試みるというトライアル&エラーは、徐々に私たちをも変えてくれている気がする。
ビオトープでオタマジャクシとなった何万ものカエルが、今は森の畑の中で一生懸命虫を食べてくれるまでに大きくなった。この「王様」は、もう目が合っても逃げたりしない。

a0133563_21443200.jpeg

命が命を支え、新たな命を生み出す。
そんな循環の中に、かつては私達ニンゲンもいたはずだった。

8月の情景と溢れた言葉を思い出しながら、あえて「楽園」から遠ざかろうとしているのは、私達自身なのかもしれないと思った土曜の午後のことだった。

いざ空港へ。




[PR]
by africa_class | 2017-11-04 21:49 | 【食・農・エネルギー】

食に目覚めた17歳の息子とシリーズ(食と農)9巻本の刊行

ずいぶんご無沙汰してしまいました・・・。
今年は畑面積を大幅に広げ、ちょっと頑張りすぎた春から夏を経て、世界のあちこちに出没しつつ、なんとか落ち着きを取り戻しつつあると思ったところで、もう年末・・・。

17歳の息子が日本に行っている間にブログでもと思ってたのだけれど、もう帰国!
しかし、子が成長するスピードの凄まじさの一方で、親の自分が一進一退を繰り広げているのは、なんとも・・・ですが、逆に日々教えられる感じで、私もいつまでもグズグズしてられないな〜と思っている今日この頃です。

それにしても、この3年ぐらいの雑誌遍歴が凄まじい。
最初は、建築雑誌だった。
次に、インテリアデザインの雑誌だった。
そして、写真の雑誌になった。
と思ったら、女性服のファッション雑誌になった。
でも、つい最近はコレにになった。

a0133563_03465120.jpeg

親が親なら、子も子で、とにかく「食」に目覚めたわけです。
で、彼のセオリーでは、「狩猟採取が人間と自然、地球に最も適している暮らしのあり方だ」ということで、森と畑に出没しては採取を愉しんでいたわけですが、さすがに池のコイやフナ100匹にも、ビオトープのカエルさんたちにも、蜂の子さんにも興味はないらしい。

でも、とにかく食べ物にこだわり始めた。
そのこだわりは尋常な感じではなく、亜熱帯ですらないドイツで、亜熱帯か熱帯のものを食べたがった・・・。温暖化はまだそこまでいっていないというのに。

エンゲル係数が急カーブというか直線を描いたところで、父親のまったがかかった。

ある時、当時16歳は哀しそうにつぶやいた。

「自然が豊かなところに暮らす野生動物はいいな・・・」
「目指してるのは、パプアニューギニアとかの暮らしなんだ」
「へ?」
「人類は貧乏になった」
「はあ・・・」
「自然に委ねられなくなった」
「そうね・・・」
「でも、考えてみたら動物園のゾウはいいな」
「へ?!」
「いっぱいタダで果物がもらえるから」
「・・・・さっきまでの話と違うやん!」
「あの果物には農薬ついてんのかな・・・」
「えっと、それは・・・」
「安いもん喰わせてないかな・・・」
「えええーーーーと」
「人間はズルい。ゾウが分からないとも思って!」
「はあ・・・」

翌朝、当時16歳はスコップと鍬をもって自分のためのサツマイモ畑のためにざくざくがんばった。
ここはどこ?というほど、素晴らしいブリティッシュガーデンだった庭は、飢える楽園の野生動物になりたい若いヒト科のオスによって、やや暴力的に「サツマイモ畑」に変貌を遂げさせられていた。

買うカネがなく、納得のいく食べ物がないいなら自給だ。
それは正しい。
ハハが、そんなことは、もう13年もがんばってるやん。

で、結局、サツマイモから蔓を出させて移植したのは、この私。。。
一個やったら、全部やったつもりになるのが、この年齢の特徴でして。
後まで想定して行動してよ、、、、まあ無理か・・・。

しかし、My Foodへのクエストは続く。
学校の給食が耐えられないと言い始めたのだ。
この文句は数年前からずっとだったが、ついに給食を辞め、毎日弁当を持参すると宣言した。

「おべんとう」・・・。
日本の、しかし私のように「スボラ母」にとって、これがどれほどのプレッシャーか!
わざわざドイツくんだりにきて、もう高校も終りかけてる息子にこれを宣言されるとは想いもよらず、身構えた。

「あ、ママちなみに、オレが作るから」
「あ、、、、、そ、そう?」
「だいじょうぶ!(ニコリ)自分で食べたいもの作りたいし」
「そうよね。そうよね」

とりあえず、こういう自主性が出たときは無限に褒めるに限る。
「じゃあ、ママはお弁当箱買おうかな!」
「うん。お願いする。でも特大のものね」

との会話をした後、奴はアフリカに旅立ち、その後日本、そして私が日本に出たので、そのことをすっかり忘れていた。
で、日本からこちらに戻ってくると、本当だった。
17歳1ヶ月の息子は、毎日お弁当のために夕食まで作っていたのだった!!!!

こういうときは、やはり褒めるに限る。
もう褒めて、褒めて、そして頼るに限る。
というか、実際のところ感動して、褒める以外なかったのだ。
だって、世の親は、毎日夜ご飯に何を食べさせるかで、かなり翻弄される。
もちろん、夜に温かいものを食べない伝統的ドイツ家庭以外は・・・。

でも、うちはサッカー・写真少年が作る。
だから、彼がサッカーを終ったり、写真の作業が終らないと、食べられない。

そして、私の翌日のお昼ご飯まで作ってくれるようになった時点で、「これは本気」と理解した。

なんだ。そういうことなんだったら、早くいってよ。
とにかく二人で「食と農」の分野でがんばることを誓った。

なので(展開についていけない方すみません)、今息子は秋休みの2週間を東京で過ごしている。
毎日違うレストラン、バー、カフェ、パブ、フードトラックで、焼き鳥やらケバブやらムール貝やら、パエーリャを売っているらしい。高校2年生17歳。来年は卒業だが、卒業制作がコレだそうだ。
つまり、来年の6月の卒業制作発表会までに、「フードビジネスを興す!」プロセスが卒業制作だと。。。

息子は嫌っているが、シュタイナー学校は、その意味でよかったと思ってる。
本人も内心はそう思っているが、学校がいかんせん狭すぎた。
同じ先生とクラスメートと11歳からずーーーっと一緒というのは、さすがにキツい。

で、フードビジネスのその先は?
というのは、私は聞かない。
だって、その先の人生を生きるのも、責任を負うのも、本人だからだ。

ドイツで大学に入るのは日本どころではない難しさだ。
日本にはあらゆる大学がある。
自分の能力にあわせて行けばいい。
が、ドイツでは、大学受験資格をとるのが至難の業なのだ。
いわゆるアビトウア、バカロレアというやつだ。

で、食に目覚めた野性動物になりたい17歳は、大学はもういいといっている。
いつか行きたくなったら勉強して自分の力で行くよ、と。

なるほど。
大学で教えた私と、今大学で教えている彼の父親は、それ以上は言わなかった。
「I see.」
わかったでもなく、いいねでもなく、それはダメでもなく。
なるほど。

実際のところは複雑だ。
「大学ぐらい出てないと・・・」
の言葉が過らないわけではない。

でも、彼を見つめる。
小屋も解体して立て直せるし、家具も作れるし、器も作れる。
畑も耕せるし、料理もできるし、服も縫える。
写真も撮れるし、編集もでき、ホームページも作れる。
世界のどこでも生き延びられるだけの機転もある。
確かに、「勉強」という意味では適切な学校ではなかったかもしれない。
でも、「生きる力」という意味では、もう準備万端だ。
17歳になったばかりの若者に、そう言えるとすれば、それは素晴らしいことなのだと思う。
自分の17歳時と比べても。

彼の人生だ。
彼に任せよう。
任せられるだけの若者になれるように、そこに全力をあげたはずだったから。
彼が彼の人生を彼の手で切り拓けるように。
2歳で包丁をプレゼンとしたのは、そういう理由だった。
0歳児の彼をアフリカに連れていったのも、それが理由だった。
どんな難しい話でも、彼を子ども扱いしなかったのも、そのためだった。
彼のどんな一言も、彼のものとして、否定しないできたのも、それが理由だった。

そして、食べものが命と社会、自然に関わる重要なものだと言い続けたのは・・・
自分でその場で採った新鮮なものほど美味しいものはないと言ったのも・・・
おそらく私だ。
a0133563_04445732.jpeg
(エビは池からではないが・・。)

彼は彼の世界に羽ばたく。
私達は後ろ姿を眺めながら、無事で健康であってくれれば、ただそれでいい。

人生に苦労はつきものだ。
それが当たり前。
闇雲にいわゆる「幸せ」を追い求めたり、「他人がどう思うか」を基準に考えるのではなく、自分の考えに基づいて失敗しながら送っていけばいいのだ。

なんの話だったか・・・。

そうだ。食と農だ。
で、グローバル化と食農問題。
でも、やっぱりこの話は、My Food, Our Foodから始めないといけないと思ってる。
その理由をいずれは書こうと思うのだけど、今日はこれにて失礼。

玄関のぶどうでワインを仕込まないといけない。
毎年やっているうちに、仕込んで1週間目が最高だと知ってからは、熟成ができないのだけど。
もちろん、熟成ワインは美味しい。
でも、あえて自家製ワインを作るのであれば、ボトルや店で味わえないものをと思う。
これぞヴァン・ナトゥールの極み。
世界でどこにもない、My Wine, Our Wine。

で、伝えたかったことに辿り着く迄に、またしてもこんな長旅をしてしまった。
いいたかったことは一つ。

2018年11月から、食と農に関するシリーズ本を9巻出していきます。
世界最高峰の研究者たちが執筆した一般向けのブックレット。
近畿大学の池上先生と京都大学の久野先生との企画。
明石書店からのシリーズ刊行となります。

お楽しみに!



[PR]
by africa_class | 2017-11-03 05:13 | 【食・農・エネルギー】

畑のカエルに感謝し青ネギの花を食す日、命の循環の一部として生きてみること。

なんだか反響があったようだが、今は農繁期で、あれやこれやであっという間に時間が経った。

この時期は、一日畑に行かないと、違った様子になるというぐらい、自然の命の力はすごい。元はコンテナハウスがあった跡地に、森の土を入れて藁を撒いて、草を刈っては撒いて、色々なものを植えていたら、ミミズが顔を出し、ナメクジが現れ、芋虫やアブラムシがきたと思ったら、てんとう虫が飛んできて、あっと思ったら巨大ナメクジが衝撃的に現れ、今は畑を回るたびに、ガサガサ・・・と何かが逃げる音。よくみたら、カエルちゃんであった。

刈草マルチをしているので、あんまり水やりに神経質にならなくてもいいのだけれど、カエルのことが気になって、井戸水を撒きに行く。

森の朽ち果てた木々を薪割りをして、冬に選定した木々の枝を集め、3食毎日薪ストーブで調理をして半年。森の朽ちた木々の息子の気に入ったものは、彼の木工作品に変身するが、気を削って出てくるおがくずは、着火用の火種となり、その灰は畑の栄養分となり、余すところがない。当然ながら、ここでも生ゴミはコンポストとなり、愛猫ピーさまの落とし物とともに堆肥となっていく。命の循環に感謝して、日々を過ごしている。

深大寺にいたときから思っていたけれど、自然の循環というのはすごいものだ。一つの種をまくと、その成長に伴って次の生き物がやってきて、その生き物を目指して別の命がやってきて、つまり食物連鎖というのか、小宇宙というのか、小さな畑にいても、それを目の当たりにすることができる。農薬を使ってある生き物だけを「守ろう」という考え方の限界を目の当たりにする。

かつて、そら豆にあまりにアブラムシが群がるからせっせと自然農薬をつくって撒いていたが、実際はてんとう虫がきてくれるのが一番効果があって、自然環境を多様化して自然農薬も我慢すると、いつの間にか沢山のてんとう虫がやってくるということに気づくまで3年かかった。

あ、一点伝えておかなければ。自然農薬といっても、殺すためにあるわけではなく、虫さんたちにしばらくどいてもらうため、あるいは近づかないでおいてもらうためのもの、と考えて頂ければ。

庭は、キッチンの目の前にあって、引き戸でそのままベランダから行けたということもあって、キッチンの排水(勿論洗剤など使わず)は、すべて庭に返していた。生ゴミはコンポストに。コンポストの場所を少しずつ変えて、東京の住宅街だというのに、そして元はじゃりだらけの駐車場だったというのに、森の中にいるような匂いのふわふわな土ができた。あの土ではなんでも良く育ち、育ちすぎていない夏の間は、アマゾンのジャングルよりジャングルらしいほどで、カマなしには玄関に辿り着くのもやっとなほど…。そこまで土と生態系を豊かにするプロセスが何より大事なのだ、と気づいた頃に大地震と原発事故が起こった。

昨冬の間育ててた室内のトマトが、ある時アブラムシの大群にやられて(あるいはアブラムシが温かさ故に異様に繁殖し)、さすがに室内なんで天敵がいないため牛乳の残りを薄めてスプレーしたりしていた。でも、結局は春先に外に出したら途端に解決。でも、室内にも、アブラムシに気づいた途端、てんとう虫が一匹うろうろしていたので、彼らの嗅覚(?)というか察知能力はすごいものだ。これって、どんなに隠しても甘いものを家族が見つけてしまうことのようなものか。

それにしても、冬とか春先にトマトを食べようなんて思ったのがいけなかった。
やはり旬のものは旬に食べる・・・という法則。つまり、自然のサイクルで生きているものを食べる、自然にあわせて栽培するのが一番なのだと、実感した。そうは分かっているものの、サラダにやっぱりトマトほし〜と言われると、そしてスーパーで6つが3ユーロのオーガニックトマトを買うのを見ると、そんなん自分で作るわいと思ってしまうのであった。

でも、やはり季節を外して作るものは弱い。
室内でわざわざ作るのであれば、上に書いたような問題も出る。

しかし、これは作り手側の問題ではなく、食べたい側、消費者側の問題の方が大きいと最近は思う。どうしても不足する時に高くなるので作る側はそれにあわせることになる。それに、消費者は年がら年中店にトマトが並んでいてそれで当たり前。日本で作れなければ、どこかから運べば良いと・・・その方が結局安いなどという矛盾。

だから、私は日本の日々食べる人たちに、「消費者」という意識を捨ててもらって、少しでも「作り手」の側にきてほしいと思う。この際、ベランダ鉢植えでもいい。食卓の一つのハーブの鉢でもいい。何か育てて、それを食べてみてほしいのだ。そうすれば、自然の移り変わりの中で、植物を頂くということの意味と手応えが得られると思うから。そこから、何を、どうして、どう食べるのか・・・にいくには、未だ距離が大きいかな。

息子たちの「年がら年中トマト愛」に直面して、そして毎日霜が降りる冬のドイツで、そして円安ユーロ高の、さらに先行きが見えない人生計画の中で、これは抜本的に意識を変えてもらわねばならん、そのためには自分から・・・と思ったのであった。

とはいえ、なかなか回復しないもんで、子どもの頃からはまっていた薬草図鑑の世界に迷い込んだということもあった。原発事故前の深大寺では、相当色々なものに手を出しており、近所の子どもたちを動員して、野川沿いの野草を摘んだりしていたものだったけれど、今から思うとあれは序の口だった。

とにかく、冬寒しのドイツの庭で、何か食べるものがないか・・・週に1度の買い物の外出だってままならない(体調的に)のに、家族の食事を準備しなければならない状態にあったというのもある。ショッピングリストを渡しても、その通りには買ってもらえないし、やっぱり「3ユーロトマト!」がかごに入ってしまうのであった。

庭の「雑草」、いえ「野草」に目がいったのは、これらの理由から。野菜の薄まった緑に対して、野草の緑の濃さを見比べてほしい。この緑の濃さこそが、強さであり、生命の力強さなのだと、今年の冬はことさらに思った。そして、野草たちは、我が家の食卓の救世主であった。ずいぶんと毎日お世話になった。

野草茶、野草カレーなんて序の口。野草天ぷらも、それがオオバコだったり、ウツボ草であったりしても、ごく普通。我が家では、タンポポの葉の炒め物、あきのげしのサラダ、紅花の葉っぱのお味噌汁、タンポポの根っこのきんぴら、オオバコの種のふりかけ、オオバコのお好み焼き、イラクサのピザ・・・どこまでやるんじゃ、というぐらい特に畑に野菜が不足する冬場は重宝し、色々チャレンジした。ただし、野草は冬よりも、春から夏が一番生命力に溢れ、本来の食べごろ(旬)であるが。

それにしても、そんな料理を有り難く食べてくれる14才はなかなかおらんだろう。親が親なら、子も子である。今日は、畑の青ネギとダイコンが放置しているうちに花を咲かせたので、それらとルッコラのサラダを実に美味しそうに食べてくれた。最初は「本当にこの花食べていいの?」と懐疑的だったが、チャレンジ精神旺盛故につい食べてしまってくれた。よしよし。今日も騙されたな。実は私も初めてとは伝えていない!

a0133563_204519.jpg

(ダイコンの花、ダイコンの葉っぱ、ルッコラ、青ネギの花に、去冬に作ったタラゴン・ヴィネガー&バジルオイル、黒オリーブ、軽く干したニンジン、擂った黒ごまを添えて)

ちなみに、ネギの花は大変愛らしく、しかもむちゃくちゃ美味しい。これ発見。何事にもチャレンジが重要。我が家では、根野菜は必ず干してから(30分でも)使うが、これも食べ物の滋養を高めるので、おすすめ。太陽の恵みというのは、限界がないもので、これを深大寺の時のようにお湯に使えていない現状が哀しい。(OMソーラーシステムを入れていた。つまり、空気と水を太陽熱で温めていて、太陽力だけで1年の半分以上はお風呂に入れたのだ。)

ちなみにOMソーラーシステムは、入れるとなると150万円ぐらいかかるが、10年以内で確実に元が取れる。というのも、日本の住民が一番熱源を使うのは「風呂のお湯」であるから!これが、半年以上太陽熱で賄えれば、そして暖房費もシステムで激減させられれば、月1万円程度の余分な負担は10年で確実に元が取れる。その後は、「儲け」ばかり〜。ちなみに、我が家は、電気代は2000円を超えた事はほとんどなく、ガス代は1000円程度。しめて3000円〜程度だった。冬もそう。初期投資にかかるカネをどうするかの問題はある。でも短期と中期、長期で、考えるべし。
http://omsolar.jp/

自然って面倒じゃないですか?
よくそうもいわれる。
そういう部分もあれば、そうじゃない部分もある。

例えば、庭の野草や野菜を食べるのであれば、その日その場で新鮮なものを摘んでこれるし、買いに行く手間も冷蔵庫も使う必要がない。大量に出来たのであれば、乾かしたり、油や酢に漬けたり、冷凍したりしておけば、料理にひと味付け加えるときや、何もないときにさっと彩り・香り・栄養を加えることができる。

生ゴミも自然に返せば、臭い水分たっぷりの生ゴミを保存したり、蠅がたかったり、ましてやそれをお金を出して回収してもらったり、燃やされるところまで運んで、焼却して二酸化炭素と窒素を排出したり(!)、しなくても済む。歩いて数歩のコンポストにいく手間と、ゴミとして出すのと、実はそれほど違わない。違うとしたら、「意識」と「慣れ」の問題なのだと思う。

薪ストーブでクッキングも同様。慣れるまでの時間を過ぎてみれば、薪の形態(針葉樹林か広葉樹林か、太いか細いか)、枝の形態、おがくずの形態(粉か大きめか)・・・等で大体の火加減はできる。しかも、トップだけで4つの鍋が置けて、なおオーブンでパンやケーキも同時に焼ける。同じ熱源(一本の薪)で、どこまでも効率がよいし、さらに部屋全体もあったまるのである。どうして我々は、薪ストーブを調理器具から切り離してしまったのだろうか。(ドイツの場合)

今や、薪ストーブはただの暖房器具。誰もこれで調理などしていない。そもそもクッキングストーブでドイツのメーカーのものはほぼ不存在。我が家のストーブも北イタリア製。なぜなら、イタリアは住宅が外断熱ではない分、冬は寒い。そこで各部屋に薪ストーブがあることも。で、ピザを焼くこともあり、薪ストーブはアパートでも自然と食卓にあるそうだ。ちなみに、日本と違って凄く安い。が、煙突が高い…ドイツ事情。

薪ストーブで調理していると聴くと、大抵の人が「どうせ少しだけでしょ?」と思っているかもしれないけれど、家は一日中ストーブがついていて、そこで何かしらやっている。といっても、調理に使わない時は、灰の中でじっくり堅い広葉樹を燃やすので、寝る前に1本入れて朝までついていることもある。

キッチンの主役に躍り出た薪ストーブでは、コーヒーのお湯を沸かしていることもあれば、フットバス用のハーブや薬草茶を煮出していることもあれば、じっくり遠赤外線効果で昆布から出しを2日かけて取っていることもある。野菜スープは切った野菜と干した野菜を入れた鍋を、ただストーブの上においておけば、いつの間にか出来ている。ご飯も同じ。土鍋をおいておけばいい。まな板も網なども、ストーブの端っこで乾かすし、ふきんもストーブの取手でいつも乾かせるので、ぱりっとしている。こんな優れもの、どうして誰も使わないのだろう。

特に、森に囲まれている日本の農村で、どうしてオール電化のIHクッキングなどという馬鹿げたものが導入されていくのか、実家にいくたびに絶望的な気持ちになる。あらゆる意味で、「里山」の仕組みは理にかなっていた。国土の7割を森林で覆われる日本を外から眺めると、もっと色々な可能性があるように見えるのだが、その「可能性」を実践に変えていくだけの人材すら、奪われた近年だった。外を見た若い人にこそ、日本の農村で面白いことができると思うのは、甘いだろうか。

世界的に見ても、そして自然エネルギーで消費電力の3割を生み出すドイツから見ても、日本は素晴らしく豊かな自然の恵みを、まったく無視しているどころか、ますます外から来た、あるいは危険を冒して作られる高い熱源に頼ろうとしている。しかも、暮らしの中で、自分の手の届く範囲に、自分の使うエネルギー源を持つとしたら、色々なことが自分の手の中に戻ってくる。これまで電力会社に払っていたお金、電力会社が行っている沢山の不正、外で木々の中で過ごす気持ち良さ、炎を見つめることで身体を芯まで温めてもらうおかげで得られる治癒力、家中が薪になるがその落ち着く香り、燃やすと出てくる香ばしさ、ストーブの周りの会話。ただIHで調理していて、これほどの会話は生まれないし、一人で調理するはめになる。

a0133563_2015653.jpg


何よりIHは人間が使うただの道具で終わってしまう。他方、停電したり故障したりすると途端にお手上げ。料理という命をつなぐ家族団らんの源すら、自分でコントロールできなくなる。つまり、道具のはずが、その道具に食をコントロールされているということなのだ。

薪ストーブでの調理は、もちつもたれつの共同作業。その関係はストーブと調理者に留まらず、庭や森の木々達。木々を取り巻く環境。その木々のお裾分けに預かる我々。薪を割る斧と人。このような「関係」を取り戻すことが、「食」と「エネルギー」の可能性なのだと常々思ってきたが、今クッキングストーブを手にして、自分の中でのミッシングリンクが解けた気がしている。

汗をかくが、自分たちの手元に自分たちの生を育むために必要不可欠なものたちを取り戻していく。足りない部分は他に委ね、助け合い・・・なんてことはない。世界各地で人間がやってきたことだった。

「奪わないと生き延びれない」というマインドを、大きな帝国は繰り返し臣民たちに押し付けてくる。「奪わないで生き延びる方法はないのか」を考えさせないように、仕組みができ、教育と広報ができている。食とエネルギーは、自分たちの日々必要不可欠とするもの故に、このように統制されてしまった臣民には、根幹の問題である。故に、「パンのためには他者への暴力は許される」とばかりの、為政者たちの宣伝に、煽動されてしまうのであった。

「ひとつの命への暴力は、すべての命へとつながる。こうして、わたしたちは、この世界の暴力から、ひとり無縁でいることはできない。(『ガンディー 魂の言葉』)」

歴史はそうやって悲劇を繰り返してきた。
だから、食とエネルギーを自分の手に負える範囲に取り戻していくことは、単なる「エコな私に酔いしれる」ためではなく、本当の意味で、自立した自分・社会を取り戻していくために必要不可欠なステップなのかもしれないと考えている。これは何も、自分の敷地内に畑がなくてはならない・・・ということではない。今、日本は空き地・空き家だらけ。課題こそ、工夫を生み出し、考えてもいなかったような次の創造を生み出す、はずなのだ。

ちなみに、我が家の斧は隣の家のおじいちゃんに借りたものだ。
あえて買わない。
おじいちゃんに借りるということで、森の恵みに感謝する薪割り活動への連帯が生まれる。
おいしいクロアチアのガーリックももらえる。
時に、ワインも飲ませてもらえる。
あれ?もらってばかり?

斧が我が家にやってきた理由。
何度いっても、自分の敷地にある膨大な朽ちた木々を薪にしてくれなかった連れが、隣家の実は84才のおじいさまが、毎日元気に薪割りをやっているのを目の当たりにして、そして製材所から薪を買っているということを(家に木がいっぱい横たわってるのに!)呆れられたのを受けて、俄然やる気になってくれた。今では、毎日健康のため薪割りにいそしんでいるのはいいが、満足度が高いのか、それしかやってくれないという問題もある。

a0133563_2356994.jpg


そういえば、芝刈り機も借りっ放しだ・・。
広大な芝生は去年は手動でがんばったものの、今年は春に誰もいなかったこともあり、ほとんど「アフリカの草原サバンナ」状態。つまり、くさぼーぼー。手動ではまったく前に進まず、お隣の軽油芝刈り機の登場。登場といっても、そもそも隣の人が年の半年はクロアチアにトレーラーハウスで行くので、不在時に庭の芝刈りのお手伝いバイトを請け負った息子が、勝手に隣の芝刈りを持参してやっているのだが。ちゃっかり、こちらの家の分のお駄賃も稼ごうとするので、喝を入れておいた。というか、隣にもらうからいいやん!そもそも誰の庭やねん。

本当は他に書きたかったことがあったのに、、、、、、、。
今日は、息子が学校の一大イベント、「演劇」で「蠅の王(Lord of the Flies)」(ウィリアム・ゴールディング)をやってきました。震災・原発事故があって、ドイツにきて早4年。なぜかクラスのリーダーとしてこの劇を仕切り、誰もやりたくない最も台詞の多い悪役を引き受け、見事に「蠅の王」を「え?それ地?」というほど狂気迫る感じで演じたそうな。(「そうな」というのは、未だそこまで体調が回復していないため私は参観できなかった。。。彼の父親とお友達への聞き取りより。今度DVDでじっくり観るのだ)

「環境が人を育てる」というのも一理あるし、「やっぱり本人の意思」というのも一理ある。
自らの意思ではなく、状況の中で、泣く泣くドイツにきた息子が、こんな風に、しっかりとクラスや学校、社会の中で役割を果たしながら、成長していくのが嬉しい。実際は、心の中に秘めた想いや沢山の傷もあるのだと思う瞬間も時にあるが、それでも前に前に一歩ずつ進んでいく若い力をみると、私もがんばろう…という気持ちになる。教えるより教えられることの多い子育てであある。(相変わらず、サッカーのバッグに臭い靴下を溜め込んだままである点は、まだまだ甘いが)

日本の人たちは、すぐ「語学は?」とか「文化的に?」という質問をするのだけれど、問題はそこではなかった。息子をみてて本当にそう思う。むしろ、新しい状況の中で、自分としてどう生きていこうとするのか、その「姿勢」の部分だったと思う。彼は、辛さの中でも、「日本を離れて、ドイツにある自分」というのを、自分なりのやり方で積極的に活かそうとした。その姿勢こそが一番大事であり、かつ他人が教えることも、やってあげることもできないこと。ただ見守り、応援し、共に嘆き、耳を傾ける。それぐらいしかできない。その歯痒さの中で、子は自ら成長し、親もそのことにより成長させていただく。

そういえば3年前にこういう投稿を書いていたようだ。改めて読み返すと本当に感慨深い。
http://afriqclass.exblog.jp/13063647/
息子の魂の鳥は、ずっと私とともに暮らしてきたのだけれど、今は有り難いことに皆が一緒にいる。2011年のあの独り静かな家で泣きながらお風呂に入り、ご飯を食べた日々は、もう終わったのだ。あの時はまだ母恋しだった息子も、今では「うるせーくそばばあ」の毎日。でも、それが嬉しい。成長だから。

a0133563_2015128.jpg

息子の初期の頃(去年)の作品
森で見つけた朽ちた丸太の中の「かたち」を表現したそう。

何はともあれ、「姿勢」こそ、すべての鍵なのだけれど、自分すらままならない1年以上だったから。私が人様に何かいえることなんて何もない。だけれど、自然の豊かさに身を委ねて生きていると思うのは、「姿勢」もまた、日々の命への感謝の中から生まれてくる者なのかもしれない、と思う。

自分を生かせてくれている自然と環境、他の生き物、人びとに、感謝するからこそ、もっと頑張らねばと思うし、自然の本来の生命力に触れることにより、自分の伸びていくべき方向性を教えてもらうことができる。いつかは朽ちる自分の命が、何にバトンタッチされていくのか、どうされていくのか、そんなことを考える上で、農薬なき畑の命の循環から学ぶべき点はあまりに多い。

今年もまた試行錯誤の初夏である。
そして、ほとんど寝て過ごした去年よりも、自然もまた勢いがあるように見えるのは、自分の目の錯覚だろうか。

*ちなみに、絶対自然農薬も駄目といっているわけではなくって(そういうドグマチックなのは嫌い)、使わないでみたら見えてくるもの、気づくことについて、書いてみました。生業として農で生きている皆さまに、私が何か言える立場・経験はまるでなしです!
[PR]
by africa_class | 2015-05-30 07:22 | 【食・農・エネルギー】