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カテゴリ:【食・農・エネルギー】( 2 )

完成間近の国連「小農の権利」宣言、そしてモザンビーク小農の異議申し立て

皆さん、国連人権理事会で2010年から議論されている「小農と農村で働く人びとの権利に関する国際連合宣言(通称、「国連・小農の権利宣言」)」を知っていますか?2ヶ月前に書き始めて終わらなかった投稿を、なんとか今日は完成させます!

【現在、宣言採択に向けた最終調整中】
同理事会では、今年5月に第4回セッションが開催され、宣言のドラフト(草案)の議論が活発になされており、ついに国連総会での宣言採択に向けて急ピッチで修正が続いています。
http://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/RuralAreas/Pages/4thSession.aspx

これは、「国連・先住民族の権利宣言」に続き、「南の国々」に留まらず、世界的に大きな大きな意味をもってくる国際合意となっていくものと思われます。

【画期的な点:「小農」であって「農民」でない点】
この宣言はあらゆる意味で画期的なのですが、一番画期的なことは、宣言タイトルが「小農(peasants)」である点、つまり「農民(farmers)」でない点です。

日本では、一般にも、専門的な方々にも、あまりに馴染みのない用語、議論、前提かもしれません。

私も、元々学問的な関心を持っていたとはいえ、むしろ社会活動の中でこの重要性に気づかされ、そのスピーディな国境を超える動きについて行かざるを得ない状態になり、日々の小農運動やその支援者らとのやり取りの中で理解を深めてきました。なので、まだまだ…な状態ですが、日本でこれに取り組んでいる方がほとんどいないこともあり、一応、現時点での私の理解をシェアーしておこうと思います。

【日本への示唆〜突然の種子法廃止の今だからこそ】
日本でも、TPPやEPA等の多国間・二国間協定の中での農業・農産品をめぐる議論、突然の種子法の廃止、遺伝子組み換え種の侵入可能性、水資源の民営化の問題等、農地集積の可能性等、1990年代からアフリカ・アジア・ラテンアメリカ地域の小農らが直面してきた課題がふってきている状況なので(農協解体など日本特有のものもありますが)、より世界の動きをしっかり認識しておく必要があると思います。それが、破壊的な構造的な傾向であれ、主体による抵抗・ポジティブな動きであれ。

ぜひ、多くの日本の農家の皆さん、NGOの皆さん、学生さんや若い研究者の皆さんに知っていただき、活用できるところがあれば活用していただければと思っています。

【国連「小農宣言」の3つの背景】
この宣言とその背景を理解するには、1990年代に世界のとりわけ南の国々で小農や農村部住民が直面した現実、そしてこの厳しい現実の中から生まれ、世界に広がったトランスナショナル(国境を超える)当事者運動(小農だけでなく、女性、若者、先住民族、伝統的コミュニティの運動)、そして、これを受けて変容していった国際的な議論の場でのディスコース(言説)の展開、これを後追いしていった国際機関の動きを把握する必要があります。

以上を簡単に整理すると、この宣言は、次の3点を背景として国際的な議題(アジェンダ)に上り、議論がなされ、ついに正式な国際規範として合意される一歩手前に至った…と言えるかと思います。

1) 「小農」が世界で占めてきた歴史的・政治経済的・社会的・文化的意味
2) 「小農運動」自身のイニシアティブでこの国際規範形成を導いてきたこと
*特に、La Via Campesina(ビア・カンペシーナ)の16年に及ぶ努力
http://www.eurovia.org/the-time-is-ripe-for-the-recognition-and-protection-of-peasants-rights/
3) 21世紀の現代世界において「小農」が直面する深刻な状況が待ったなしであること。

このことが、この「小農宣言」の骨格(構成)に、如実に反映されています。
この宣言ドラフトは、2007年に国連総会で採択された「国連先住民族の権利宣言」に大変似た部分があるのですが、あれから10年を経た現在ということもあり、さらに前進した部分があります。

*先住民族の権利に関する国連宣言(外務省の仮訳。但し数カ所問題あり)
http://www.un.org/esa/socdev/unpfii/documents/DRIPS_japanese.pdf

【小農宣言ドラフトの構成】
第3回セッションに提出されたドラフトは大変興味深いものです。

その構成を見るだけでも、この宣言の形成の背景や基本的な思想が明らかになります。
誰も訳してくれていないので、仕方ないので仮訳掲載しておきますが、条文中身と国際法に則った訳語に適応させていないので、あくまでも参考程度に見ておいて下さい。

第1部:定義・基本理念
第1条:小農と農村地域で働く人びとに関する定義
第2条:国家の責務
第3条:尊厳、平等、反差別
第4条:ジェンダー平等
第5条:自然資源(のアクセス)に関する主権、開発、食料主権(food sovereignty)に関する諸権利

第2部:実体的権利
第6条:農村女性の権利
第7条:生命、自由、身体、人格権の安全(保証)
第8条:国籍に対する権利、法的存在としての権利
第9条:移動の自由
第10条:思想、意見、表現の自由
第11条:結社の自由
第12条:参加と情報(のアクセス)に対する権利
第13条:生産、販売、流通に関する情報(のアクセス)に対する権利
第14条:正義/司法へのアクセス
第15条:労働の権利
第16条:仕事場での安全と健康への権利
第17条:食べものへの権利
第18条:十分な収入と暮らしへの権利
第19条:土地やその他の自然資源(のアクセス)への権利
第20条:安全で清潔で健康的な環境への権利
第21条:生産手段(のアクセス)への権利
第22条:たね(種子)(のアクセス)への権利
第23条:生物多様性(保全)の権利
第24条:水と衛生に関する権利
第25条:社会安全保障(のアクセス)への権利
第26条:健康に関する権利
第27条:住居に関する権利
第28条:教育と研修(を受ける)権利
第29条:文化に関する権利と伝統的な知識(知恵)
第30条:国連とその他の国際機関の責務

【ドラフトへの日本の皆さんの持ちうる違和感について】
さて、この構成を見て、日本の皆さん〜研究者であれ、国際協力の実務家であれ、政策形成者であれ、NGOの方であれ〜多分とても違和感があると思います。

ここに良くも悪くも日本と世界の遠さ(一部に断絶)が示されています。
「南の国々」つまり「途上国」の小農は、日本の多くの方に、「まずしく低生産の教えてあげなければ(救ってあげなければ)ならない小規模・零細農民」として認識されてきました。あるいは、「地域にはり付いて伝統的な暮らし・生産をしている人びと」に見えるかもしれません。もう少し、色々知っている方なら、「ランドグラブ(土地収奪)の被害者」として認識されているかもしれません。

つまり、いずれにしても、ある種の「客体化」「被害者化」された存在として認識され、位置づけられており、「国際規範形成の最前線をいく主体」としては認識されてはこなかったと思います。

もちろん、これらの人びとの全員がそうというわけではありませんし、主体として、あるいは各国内・世界での現実が厳しいからこそ、このような宣言を必要とするに至った背景があるわけであって、ただやみくもに「すごい!」といっているわけではありません。

これは、私が長らく取り組んできた植民地支配を受ける人びとが反植民地運動を導き、脱植民地化を成し遂げ、独立を達成するプロセスにおきた議論を彷彿とさせます。当時、「植民地支配を受けている人びとが独立の準備ができているか否か?」が、植民地宗主国や国際会議場、そして植民地支配を受ける側の人びとの間ですれ起きました。そのことは、今年出る本に書いているのでまた今度。

いずれにせよ、言いたかったのは、「主体として準備が出来ているか否か」という議論自体が、1948年の「世界人権宣言」と1960年の国連非植民地化宣言(「植民地と人民に独立を付与する宣言」)以降の現代世界において(本来は古代からではありますが、国際法上という意味で)ナンセンスだということです。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.html
http://www.unic.or.jp/activities/peace_security/independence/declaration/

【日本の開発援助、特に農村開発に関係する方にこそ】
さらにいうと、軍事・一党支配体制が終焉した90年代以降のアフリカ諸国ですら、いずれの国も民主的な政治体制を採択しており(その実質的な意味はさておき)、「主権在民」を基本理念とする憲法を有し、これらの人びとは、それが「小農」であれ「貧困者」であれ、これらの人びとは、「国家の主権者」として、国政・自己の決定権を有する存在であるのです。

国連先住民族権利宣言以降、世界的には、開発援助もまた、この点に留意する形で変容しつつあるのですが、その点において日本の援助は、制度上も実態も、何より関係者の意識も、昔のままの状態を引きずっている点については既に何度か指摘してきました。

日本は農村開発に関わる援助案件が大変多いですし、それだけに関係者数も多いです。
だからこそ、これらの基本的な理解、国際潮流の変容に敏感でなくてはならないと思います。

他方、現実には、世界的にも、国政の中でも、社会内でも、パワーリレーション(権力関係)において、小農の皆さんが最底辺に位置づけられてきたことは事実であり、その結果として小農自身がそのメンタリティーと限界を有してきているのも現実です。

【なぜ宣言を作るのか?〜国際規範にひっぱってもらう必要】
しかし、(またしても)だからこそ、外部者が、Status Quo(現状)を追認する、あるいは多くの場合それを増強する形で、援助を行ってはならず、「植民地・人民独立付与宣言」が果たしたように、「先住民族宣言」あるいは今後「小農宣言」が果たしていくように、国際規範にひっぱってもらう形で、これらの人びとが主権を発揮できるような社会づくりに、共に取り組んでいかなければならないでしょう。

まさに、そこがあえて「国連宣言」を作る理由であり、意義なのです。

それは、「規範にひっぱってもらって行動をする」ことを苦手とする今の日本の人びとにとって、なかなか理解しがたく、難しい点であることは間違いありません。でも、戦後すぐの日本の市井の人びとには、これがあったと思います。平和な日本、平和な世界を作っていこうという。(脇道に逸れるので、これ以上はこの点はここに書きません)

そして、日本の私たちにいかに難しくとも、国際合意となると、それを守っていかなっくてはならなくなります。なお、日本は国連人権理事会の理事国として、この「小農宣言」づくりの場にも出席しており、その意味では「知らぬ存ぜぬ」は通らないです。

【ドラフトの特徴】
ここまでで時間を使いすぎてしまったので、後は駆け足で。
では、何故「小農・農村の働く人びと『だけ』権利を宣言?」という疑問への対応です。

ここが分からない・・・とすれば、そこがまさに日本が世界(国際場裏だけでなく、南の国々の人びとの現実)から「遠い」ということを意味しています。非難しているわけではなく、まずはそれを理解しましょう。

私たちは、食べ物やエネルギー資源、一次産品の大半を南の国々に依存しています。その多くは、農村部の住民の暮らしに影響を与える形で生産・輸送されています。それにもかかわらず、私たちがもっともこのことに疎いとすれば、それは私たちが世界の重層関係の中で有利な立場にいることに胡座をかいているからです。そして、そのことに一般の人びとが関心がないだけでなく、その関心を喚起するための努力を、メディアも市民社会も研究者も怠ってきたから、あるいはしてきたが力不足だったからといえます。

さて。
「南国々の農村住民・小農」とは誰か?
これは、この宣言ドラフトの条文と前文に、「反差別」と掲げられていること、そして「平等」「尊厳」という言葉が並び、「権利」「主権」が強調されている点に、これは如実に反映されています。そして、「ジェンダー平等」と「女性」がとりわけ強調されている点にも。

つまり、この宣言の前提に、過去から続く現代世界の重層的な社会構造の中で、小農と農村地域で働く人びとは、その主権者としての権利を剥奪される、あるいは軽視され、最も差別的な扱いを受けてきたし、現在も受けている・・・そして、それは世界人権宣言やその他の国際法・規範に反している(したがって国際的に努力する必要がある)という共通認識によって、この宣言は策定されているのです。

この権利剥奪・差別状況というのは、意識の上での問題だけではありません。現実に、この構造の中で、現在世界の農村部で土地を含む自然資源収奪が多発しているからこそ、今現在のモーメントに、火急に(そのわりに遅いといえ)、この宣言が策定されようとしているのです。その代表事例が、ランドグラブ(土地強奪/収奪)問題です。これについては、別の本を書いているので、又その時に。

すっごい古いですが…こういうのを書いてました。
http://afriqclass.exblog.jp/i38/

いずれにせよドラフトを読んでいただくのが一番です。また翻訳する時間があればしてみます。
そして、第二部の論点も非常に重要な点なので、こちらもまた紹介しますね。

【最後に〜立ち上がる小農たち】
2012年にモザンビークの小農運動と出会い、一緒に活動を開始してから、私自身も学びの連続でした。この出会いの中では、辛いことも多々ありましたが、私を様々なところに導いてくれました。

このことによる学びについては、『世界』5月号に一部書いたので、そちらをご覧下さい。
そして、ついにモザンビークの小農の皆さんが、JICAに異議申し立てを正式に行い、本審査に進んだと聞きました。

*プレスリリース:「日本の政府開発援助/ODA「プロサバンナ」事業の対象地住民 11 名(小農男女)による JICA への異議申立が本審査に進む」
https://www.facebook.com/%E3%83%A2%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%AF%E5%B0%8F%E8%BE%B2%E5%BF%9C%E6%8F%B4%E5%9B%A3-1060343997409346/?hc_ref=PAGES_TIMELINE

モザンビークの独立は、小農が植民地解放闘争を戦うことなしには実現しませんでした。
小農にとって、そのことの意味するところは、あまりに重く深いのです。

この誰にとっても辛い「プロサバンナ」の経験が、モザンビーク北部の小農のみならず、アフリカの・アジアの・ラテンアメリカの小農、そして日本の小農、世界の農村地域で働く人びとの主権と尊厳を、日本の私たち・皆さんが深く深く理解し、共により平等で公正なる社会・世界の形成に尽力するための大切な経験となることを心から願っています。

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              ブラジル・セラードの小農




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by africa_class | 2017-07-23 00:36 | 【食・農・エネルギー】

畑のカエルに感謝し青ネギの花を食す日、命の循環の一部として生きてみること。

なんだか反響があったようだが、今は農繁期で、あれやこれやであっという間に時間が経った。

この時期は、一日畑に行かないと、違った様子になるというぐらい、自然の命の力はすごい。元はコンテナハウスがあった跡地に、森の土を入れて藁を撒いて、草を刈っては撒いて、色々なものを植えていたら、ミミズが顔を出し、ナメクジが現れ、芋虫やアブラムシがきたと思ったら、てんとう虫が飛んできて、あっと思ったら巨大ナメクジが衝撃的に現れ、今は畑を回るたびに、ガサガサ・・・と何かが逃げる音。よくみたら、カエルちゃんであった。

刈草マルチをしているので、あんまり水やりに神経質にならなくてもいいのだけれど、カエルのことが気になって、井戸水を撒きに行く。

森の朽ち果てた木々を薪割りをして、冬に選定した木々の枝を集め、3食毎日薪ストーブで調理をして半年。森の朽ちた木々の息子の気に入ったものは、彼の木工作品に変身するが、気を削って出てくるおがくずは、着火用の火種となり、その灰は畑の栄養分となり、余すところがない。当然ながら、ここでも生ゴミはコンポストとなり、愛猫ピーさまの落とし物とともに堆肥となっていく。命の循環に感謝して、日々を過ごしている。

深大寺にいたときから思っていたけれど、自然の循環というのはすごいものだ。一つの種をまくと、その成長に伴って次の生き物がやってきて、その生き物を目指して別の命がやってきて、つまり食物連鎖というのか、小宇宙というのか、小さな畑にいても、それを目の当たりにすることができる。農薬を使ってある生き物だけを「守ろう」という考え方の限界を目の当たりにする。

かつて、そら豆にあまりにアブラムシが群がるからせっせと自然農薬をつくって撒いていたが、実際はてんとう虫がきてくれるのが一番効果があって、自然環境を多様化して自然農薬も我慢すると、いつの間にか沢山のてんとう虫がやってくるということに気づくまで3年かかった。

あ、一点伝えておかなければ。自然農薬といっても、殺すためにあるわけではなく、虫さんたちにしばらくどいてもらうため、あるいは近づかないでおいてもらうためのもの、と考えて頂ければ。

庭は、キッチンの目の前にあって、引き戸でそのままベランダから行けたということもあって、キッチンの排水(勿論洗剤など使わず)は、すべて庭に返していた。生ゴミはコンポストに。コンポストの場所を少しずつ変えて、東京の住宅街だというのに、そして元はじゃりだらけの駐車場だったというのに、森の中にいるような匂いのふわふわな土ができた。あの土ではなんでも良く育ち、育ちすぎていない夏の間は、アマゾンのジャングルよりジャングルらしいほどで、カマなしには玄関に辿り着くのもやっとなほど…。そこまで土と生態系を豊かにするプロセスが何より大事なのだ、と気づいた頃に大地震と原発事故が起こった。

昨冬の間育ててた室内のトマトが、ある時アブラムシの大群にやられて(あるいはアブラムシが温かさ故に異様に繁殖し)、さすがに室内なんで天敵がいないため牛乳の残りを薄めてスプレーしたりしていた。でも、結局は春先に外に出したら途端に解決。でも、室内にも、アブラムシに気づいた途端、てんとう虫が一匹うろうろしていたので、彼らの嗅覚(?)というか察知能力はすごいものだ。これって、どんなに隠しても甘いものを家族が見つけてしまうことのようなものか。

それにしても、冬とか春先にトマトを食べようなんて思ったのがいけなかった。
やはり旬のものは旬に食べる・・・という法則。つまり、自然のサイクルで生きているものを食べる、自然にあわせて栽培するのが一番なのだと、実感した。そうは分かっているものの、サラダにやっぱりトマトほし〜と言われると、そしてスーパーで6つが3ユーロのオーガニックトマトを買うのを見ると、そんなん自分で作るわいと思ってしまうのであった。

でも、やはり季節を外して作るものは弱い。
室内でわざわざ作るのであれば、上に書いたような問題も出る。

しかし、これは作り手側の問題ではなく、食べたい側、消費者側の問題の方が大きいと最近は思う。どうしても不足する時に高くなるので作る側はそれにあわせることになる。それに、消費者は年がら年中店にトマトが並んでいてそれで当たり前。日本で作れなければ、どこかから運べば良いと・・・その方が結局安いなどという矛盾。

だから、私は日本の日々食べる人たちに、「消費者」という意識を捨ててもらって、少しでも「作り手」の側にきてほしいと思う。この際、ベランダ鉢植えでもいい。食卓の一つのハーブの鉢でもいい。何か育てて、それを食べてみてほしいのだ。そうすれば、自然の移り変わりの中で、植物を頂くということの意味と手応えが得られると思うから。そこから、何を、どうして、どう食べるのか・・・にいくには、未だ距離が大きいかな。

息子たちの「年がら年中トマト愛」に直面して、そして毎日霜が降りる冬のドイツで、そして円安ユーロ高の、さらに先行きが見えない人生計画の中で、これは抜本的に意識を変えてもらわねばならん、そのためには自分から・・・と思ったのであった。

とはいえ、なかなか回復しないもんで、子どもの頃からはまっていた薬草図鑑の世界に迷い込んだということもあった。原発事故前の深大寺では、相当色々なものに手を出しており、近所の子どもたちを動員して、野川沿いの野草を摘んだりしていたものだったけれど、今から思うとあれは序の口だった。

とにかく、冬寒しのドイツの庭で、何か食べるものがないか・・・週に1度の買い物の外出だってままならない(体調的に)のに、家族の食事を準備しなければならない状態にあったというのもある。ショッピングリストを渡しても、その通りには買ってもらえないし、やっぱり「3ユーロトマト!」がかごに入ってしまうのであった。

庭の「雑草」、いえ「野草」に目がいったのは、これらの理由から。野菜の薄まった緑に対して、野草の緑の濃さを見比べてほしい。この緑の濃さこそが、強さであり、生命の力強さなのだと、今年の冬はことさらに思った。そして、野草たちは、我が家の食卓の救世主であった。ずいぶんと毎日お世話になった。

野草茶、野草カレーなんて序の口。野草天ぷらも、それがオオバコだったり、ウツボ草であったりしても、ごく普通。我が家では、タンポポの葉の炒め物、あきのげしのサラダ、紅花の葉っぱのお味噌汁、タンポポの根っこのきんぴら、オオバコの種のふりかけ、オオバコのお好み焼き、イラクサのピザ・・・どこまでやるんじゃ、というぐらい特に畑に野菜が不足する冬場は重宝し、色々チャレンジした。ただし、野草は冬よりも、春から夏が一番生命力に溢れ、本来の食べごろ(旬)であるが。

それにしても、そんな料理を有り難く食べてくれる14才はなかなかおらんだろう。親が親なら、子も子である。今日は、畑の青ネギとダイコンが放置しているうちに花を咲かせたので、それらとルッコラのサラダを実に美味しそうに食べてくれた。最初は「本当にこの花食べていいの?」と懐疑的だったが、チャレンジ精神旺盛故につい食べてしまってくれた。よしよし。今日も騙されたな。実は私も初めてとは伝えていない!

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(ダイコンの花、ダイコンの葉っぱ、ルッコラ、青ネギの花に、去冬に作ったタラゴン・ヴィネガー&バジルオイル、黒オリーブ、軽く干したニンジン、擂った黒ごまを添えて)

ちなみに、ネギの花は大変愛らしく、しかもむちゃくちゃ美味しい。これ発見。何事にもチャレンジが重要。我が家では、根野菜は必ず干してから(30分でも)使うが、これも食べ物の滋養を高めるので、おすすめ。太陽の恵みというのは、限界がないもので、これを深大寺の時のようにお湯に使えていない現状が哀しい。(OMソーラーシステムを入れていた。つまり、空気と水を太陽熱で温めていて、太陽力だけで1年の半分以上はお風呂に入れたのだ。)

ちなみにOMソーラーシステムは、入れるとなると150万円ぐらいかかるが、10年以内で確実に元が取れる。というのも、日本の住民が一番熱源を使うのは「風呂のお湯」であるから!これが、半年以上太陽熱で賄えれば、そして暖房費もシステムで激減させられれば、月1万円程度の余分な負担は10年で確実に元が取れる。その後は、「儲け」ばかり〜。ちなみに、我が家は、電気代は2000円を超えた事はほとんどなく、ガス代は1000円程度。しめて3000円〜程度だった。冬もそう。初期投資にかかるカネをどうするかの問題はある。でも短期と中期、長期で、考えるべし。
http://omsolar.jp/

自然って面倒じゃないですか?
よくそうもいわれる。
そういう部分もあれば、そうじゃない部分もある。

例えば、庭の野草や野菜を食べるのであれば、その日その場で新鮮なものを摘んでこれるし、買いに行く手間も冷蔵庫も使う必要がない。大量に出来たのであれば、乾かしたり、油や酢に漬けたり、冷凍したりしておけば、料理にひと味付け加えるときや、何もないときにさっと彩り・香り・栄養を加えることができる。

生ゴミも自然に返せば、臭い水分たっぷりの生ゴミを保存したり、蠅がたかったり、ましてやそれをお金を出して回収してもらったり、燃やされるところまで運んで、焼却して二酸化炭素と窒素を排出したり(!)、しなくても済む。歩いて数歩のコンポストにいく手間と、ゴミとして出すのと、実はそれほど違わない。違うとしたら、「意識」と「慣れ」の問題なのだと思う。

薪ストーブでクッキングも同様。慣れるまでの時間を過ぎてみれば、薪の形態(針葉樹林か広葉樹林か、太いか細いか)、枝の形態、おがくずの形態(粉か大きめか)・・・等で大体の火加減はできる。しかも、トップだけで4つの鍋が置けて、なおオーブンでパンやケーキも同時に焼ける。同じ熱源(一本の薪)で、どこまでも効率がよいし、さらに部屋全体もあったまるのである。どうして我々は、薪ストーブを調理器具から切り離してしまったのだろうか。(ドイツの場合)

今や、薪ストーブはただの暖房器具。誰もこれで調理などしていない。そもそもクッキングストーブでドイツのメーカーのものはほぼ不存在。我が家のストーブも北イタリア製。なぜなら、イタリアは住宅が外断熱ではない分、冬は寒い。そこで各部屋に薪ストーブがあることも。で、ピザを焼くこともあり、薪ストーブはアパートでも自然と食卓にあるそうだ。ちなみに、日本と違って凄く安い。が、煙突が高い…ドイツ事情。

薪ストーブで調理していると聴くと、大抵の人が「どうせ少しだけでしょ?」と思っているかもしれないけれど、家は一日中ストーブがついていて、そこで何かしらやっている。といっても、調理に使わない時は、灰の中でじっくり堅い広葉樹を燃やすので、寝る前に1本入れて朝までついていることもある。

キッチンの主役に躍り出た薪ストーブでは、コーヒーのお湯を沸かしていることもあれば、フットバス用のハーブや薬草茶を煮出していることもあれば、じっくり遠赤外線効果で昆布から出しを2日かけて取っていることもある。野菜スープは切った野菜と干した野菜を入れた鍋を、ただストーブの上においておけば、いつの間にか出来ている。ご飯も同じ。土鍋をおいておけばいい。まな板も網なども、ストーブの端っこで乾かすし、ふきんもストーブの取手でいつも乾かせるので、ぱりっとしている。こんな優れもの、どうして誰も使わないのだろう。

特に、森に囲まれている日本の農村で、どうしてオール電化のIHクッキングなどという馬鹿げたものが導入されていくのか、実家にいくたびに絶望的な気持ちになる。あらゆる意味で、「里山」の仕組みは理にかなっていた。国土の7割を森林で覆われる日本を外から眺めると、もっと色々な可能性があるように見えるのだが、その「可能性」を実践に変えていくだけの人材すら、奪われた近年だった。外を見た若い人にこそ、日本の農村で面白いことができると思うのは、甘いだろうか。

世界的に見ても、そして自然エネルギーで消費電力の3割を生み出すドイツから見ても、日本は素晴らしく豊かな自然の恵みを、まったく無視しているどころか、ますます外から来た、あるいは危険を冒して作られる高い熱源に頼ろうとしている。しかも、暮らしの中で、自分の手の届く範囲に、自分の使うエネルギー源を持つとしたら、色々なことが自分の手の中に戻ってくる。これまで電力会社に払っていたお金、電力会社が行っている沢山の不正、外で木々の中で過ごす気持ち良さ、炎を見つめることで身体を芯まで温めてもらうおかげで得られる治癒力、家中が薪になるがその落ち着く香り、燃やすと出てくる香ばしさ、ストーブの周りの会話。ただIHで調理していて、これほどの会話は生まれないし、一人で調理するはめになる。

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何よりIHは人間が使うただの道具で終わってしまう。他方、停電したり故障したりすると途端にお手上げ。料理という命をつなぐ家族団らんの源すら、自分でコントロールできなくなる。つまり、道具のはずが、その道具に食をコントロールされているということなのだ。

薪ストーブでの調理は、もちつもたれつの共同作業。その関係はストーブと調理者に留まらず、庭や森の木々達。木々を取り巻く環境。その木々のお裾分けに預かる我々。薪を割る斧と人。このような「関係」を取り戻すことが、「食」と「エネルギー」の可能性なのだと常々思ってきたが、今クッキングストーブを手にして、自分の中でのミッシングリンクが解けた気がしている。

汗をかくが、自分たちの手元に自分たちの生を育むために必要不可欠なものたちを取り戻していく。足りない部分は他に委ね、助け合い・・・なんてことはない。世界各地で人間がやってきたことだった。

「奪わないと生き延びれない」というマインドを、大きな帝国は繰り返し臣民たちに押し付けてくる。「奪わないで生き延びる方法はないのか」を考えさせないように、仕組みができ、教育と広報ができている。食とエネルギーは、自分たちの日々必要不可欠とするもの故に、このように統制されてしまった臣民には、根幹の問題である。故に、「パンのためには他者への暴力は許される」とばかりの、為政者たちの宣伝に、煽動されてしまうのであった。

「ひとつの命への暴力は、すべての命へとつながる。こうして、わたしたちは、この世界の暴力から、ひとり無縁でいることはできない。(『ガンディー 魂の言葉』)」

歴史はそうやって悲劇を繰り返してきた。
だから、食とエネルギーを自分の手に負える範囲に取り戻していくことは、単なる「エコな私に酔いしれる」ためではなく、本当の意味で、自立した自分・社会を取り戻していくために必要不可欠なステップなのかもしれないと考えている。これは何も、自分の敷地内に畑がなくてはならない・・・ということではない。今、日本は空き地・空き家だらけ。課題こそ、工夫を生み出し、考えてもいなかったような次の創造を生み出す、はずなのだ。

ちなみに、我が家の斧は隣の家のおじいちゃんに借りたものだ。
あえて買わない。
おじいちゃんに借りるということで、森の恵みに感謝する薪割り活動への連帯が生まれる。
おいしいクロアチアのガーリックももらえる。
時に、ワインも飲ませてもらえる。
あれ?もらってばかり?

斧が我が家にやってきた理由。
何度いっても、自分の敷地にある膨大な朽ちた木々を薪にしてくれなかった連れが、隣家の実は84才のおじいさまが、毎日元気に薪割りをやっているのを目の当たりにして、そして製材所から薪を買っているということを(家に木がいっぱい横たわってるのに!)呆れられたのを受けて、俄然やる気になってくれた。今では、毎日健康のため薪割りにいそしんでいるのはいいが、満足度が高いのか、それしかやってくれないという問題もある。

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そういえば、芝刈り機も借りっ放しだ・・。
広大な芝生は去年は手動でがんばったものの、今年は春に誰もいなかったこともあり、ほとんど「アフリカの草原サバンナ」状態。つまり、くさぼーぼー。手動ではまったく前に進まず、お隣の軽油芝刈り機の登場。登場といっても、そもそも隣の人が年の半年はクロアチアにトレーラーハウスで行くので、不在時に庭の芝刈りのお手伝いバイトを請け負った息子が、勝手に隣の芝刈りを持参してやっているのだが。ちゃっかり、こちらの家の分のお駄賃も稼ごうとするので、喝を入れておいた。というか、隣にもらうからいいやん!そもそも誰の庭やねん。

本当は他に書きたかったことがあったのに、、、、、、、。
今日は、息子が学校の一大イベント、「演劇」で「蠅の王(Lord of the Flies)」(ウィリアム・ゴールディング)をやってきました。震災・原発事故があって、ドイツにきて早4年。なぜかクラスのリーダーとしてこの劇を仕切り、誰もやりたくない最も台詞の多い悪役を引き受け、見事に「蠅の王」を「え?それ地?」というほど狂気迫る感じで演じたそうな。(「そうな」というのは、未だそこまで体調が回復していないため私は参観できなかった。。。彼の父親とお友達への聞き取りより。今度DVDでじっくり観るのだ)

「環境が人を育てる」というのも一理あるし、「やっぱり本人の意思」というのも一理ある。
自らの意思ではなく、状況の中で、泣く泣くドイツにきた息子が、こんな風に、しっかりとクラスや学校、社会の中で役割を果たしながら、成長していくのが嬉しい。実際は、心の中に秘めた想いや沢山の傷もあるのだと思う瞬間も時にあるが、それでも前に前に一歩ずつ進んでいく若い力をみると、私もがんばろう…という気持ちになる。教えるより教えられることの多い子育てであある。(相変わらず、サッカーのバッグに臭い靴下を溜め込んだままである点は、まだまだ甘いが)

日本の人たちは、すぐ「語学は?」とか「文化的に?」という質問をするのだけれど、問題はそこではなかった。息子をみてて本当にそう思う。むしろ、新しい状況の中で、自分としてどう生きていこうとするのか、その「姿勢」の部分だったと思う。彼は、辛さの中でも、「日本を離れて、ドイツにある自分」というのを、自分なりのやり方で積極的に活かそうとした。その姿勢こそが一番大事であり、かつ他人が教えることも、やってあげることもできないこと。ただ見守り、応援し、共に嘆き、耳を傾ける。それぐらいしかできない。その歯痒さの中で、子は自ら成長し、親もそのことにより成長させていただく。

そういえば3年前にこういう投稿を書いていたようだ。改めて読み返すと本当に感慨深い。
http://afriqclass.exblog.jp/13063647/
息子の魂の鳥は、ずっと私とともに暮らしてきたのだけれど、今は有り難いことに皆が一緒にいる。2011年のあの独り静かな家で泣きながらお風呂に入り、ご飯を食べた日々は、もう終わったのだ。あの時はまだ母恋しだった息子も、今では「うるせーくそばばあ」の毎日。でも、それが嬉しい。成長だから。

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息子の初期の頃(去年)の作品
森で見つけた朽ちた丸太の中の「かたち」を表現したそう。

何はともあれ、「姿勢」こそ、すべての鍵なのだけれど、自分すらままならない1年以上だったから。私が人様に何かいえることなんて何もない。だけれど、自然の豊かさに身を委ねて生きていると思うのは、「姿勢」もまた、日々の命への感謝の中から生まれてくる者なのかもしれない、と思う。

自分を生かせてくれている自然と環境、他の生き物、人びとに、感謝するからこそ、もっと頑張らねばと思うし、自然の本来の生命力に触れることにより、自分の伸びていくべき方向性を教えてもらうことができる。いつかは朽ちる自分の命が、何にバトンタッチされていくのか、どうされていくのか、そんなことを考える上で、農薬なき畑の命の循環から学ぶべき点はあまりに多い。

今年もまた試行錯誤の初夏である。
そして、ほとんど寝て過ごした去年よりも、自然もまた勢いがあるように見えるのは、自分の目の錯覚だろうか。

*ちなみに、絶対自然農薬も駄目といっているわけではなくって(そういうドグマチックなのは嫌い)、使わないでみたら見えてくるもの、気づくことについて、書いてみました。生業として農で生きている皆さまに、私が何か言える立場・経験はまるでなしです!
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by africa_class | 2015-05-30 07:22 | 【食・農・エネルギー】