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カテゴリ:【観察日記】猫ママの子育て( 2 )

この春、初めて「先生」や「親」になる皆さんへ

今年もカモのつがいが池に戻ってきた。
そして、近所では桜が満開のところがチラホラと。
我が家の庭の桜3本は、それぞれ違う調子。
嬉しかったのは、突風で倒れた桜の木が、倒れたままちゃんと花を咲かせてくれたこと。
満開の素晴らしい桜なのですが、天気が悪くて良い写真が撮れません…。

さて、他のことを書くつもりだったのだけれど、一つ伝えておきたくて先にこれを。
この春、初めて「先生」や「親」になる皆さんへのメッセージ。

桜を見ると思い出すのです。
幾度かのこの季節を迎えた時の気持ちについて。
きっと皆さんもそうでしょう。
それぞれに人生のドラマがあって、思い出がある。
心弾む想い出から、辛い別れの思い出まで。
緊張した入社式とか、夢破れた合格発表とか。
大切に育てた子どもたちを送り出した朝とか。
あるいは、未だ小さかった子どもの手を引いて通った学校の門とか。

わーーーっと溢れる沢山の光景や想いに、私もまたいっぱい満たされてしまいます。
池凍る深夜に突然消えたコブが、近くの畑で遊んでいた…との目撃情報をツレがもって帰ってきた時、「生きててよかった」という想いとともに、私もまた一つ学んだなと思ったところでした。

そして、ふっと思い出したのです。
初めて大学の教壇に立った時のことを。
阪神淡路大震災後3ヶ月も経たないあの寒い朝。
神戸からJRに乗って京都に向かったあのときのことを。

震災のために大学院の卒業式もなく、論文の口頭試問すら吹き飛んでしまって、突然震災ボランティア生活に突入して数ヶ月を過ごしていた私は、良くわからないままに修士号しか持っていないのに、大学で非常勤講師の仕事を始めたのでした。

依然として倒壊した建物ばかりの神戸や伊丹、尼崎から電車が大阪に入ると、あっという間に景観が変わっていきました。京都に辿り着くと、もはや震災などなかったかのようで、自分の身の置き場というか、身のこなし方が分からず、夢の中を歩いているような感じがありました。

それは、大学の中でも同じで、震災とはまったく関係なく、自分が学生が終わったのか終わっていないのか良くわからない状態のままに、突然年齢の変わらない大学生を教えるハメになって(しかも下手な英語で・・・)、軽いパニックになっていた。

あまり思い出したくない過去だけに、記憶が定かではないけれど、自分の不安や未熟さを覆い隠すかのように、おそらく私は傲慢な態度で学生たちに挑んだと思う。授業は、「国際関係論」と「異文化コミュニケーション」。もはや何を教えたのかまったく記憶にないのだが、後者については捕鯨について取り上げた記憶がある。

1年教えて、私は勉強しなきゃ・・・と心底思って、フルタイムのお誘いを断り、東京に行って博士課程に進んだのであったが、自分の中が「空っぽだ」という感じばかりが残った1年であった。教えようとしてみて初めて分かった、自分の無知に、その後もずっとつき合ってきたように思う。

それから5年。
母になる直前のある時、関西時代の仲間からハガキがきた。
すでに2人のお子さんのママ。
そこに書いてある一言が、おそらく私をずっと救ってきてくれたと思うので、皆さんに伝えておきたいと思う。

「さやかさんはお母さんになります。赤ちゃんが生まれてきたら、このことを思い出して下さい。つまり、赤ちゃんがゼロ才であるように、さやかさんもお母さんゼロ才だということを。一緒に育てばいいのです。」

その方もまた、この言葉を先輩ママから教えてもらってずいぶん救われたということで、私に贈ってくれた。私がどうにも頑張りすぎる性分だと知ってのことだったと思う。

彼女の教え通り、私は「ゼロ才ママ」として子育てに向かうことができた。
そう思った瞬間に、とても伸びやかな、広がりのある空間にこれたような、そんな気持ちに満たされたことを昨日のように思い出す。

息子もゼロ才。
私もゼロ才。
一緒に育てばいい。

そして、今、
息子は16歳。
私もママ16歳。
一緒に育っているように思う。
とっくの昔に背を追い越され、そして最近はあらゆる意味で追い越された感があるが。

そして、東京外大に着任した春。
私は同じことを誓ったのだった。
「ゼロ才先生」でいいじゃないか、と。

教室を開ける。
新入生が教室いっぱいにいる。
「皆も新入生だけど、私もゼロ才先生なんで、よろしく」と。
そう言った瞬間に、すごく吹っ切れるものがあった。
学生にとっては迷惑極まりなかったろうが。。。

面白いもので、こういう先生だからといってゼミにきてくれた学生もいる。
が、この代の学生には、色々苦労をかけた。
自分も彼らも手探りで、なんというかまったくもって申し訳ない感じがする。

その後、「11歳先生」になってしまって、どこか怠慢になっていたと思う。
まあ、潮時だったのかもしれない。

いつも心に「ゼロ才の自分」を持つことは重要だ。
そこから広がるワクワクとするような可能性に、自分も周りも組織も全体も開かれておくためにも。

ということで。

おめでとうございます。
「ゼロ才ママ」「ゼロ才パパ」「ゼロ才先生」たち。
鎧兜を下し、深呼吸をして、まずはヨチヨチ歩きを。

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by africa_class | 2017-03-21 22:53 | 【観察日記】猫ママの子育て

大雪と子猫の巣立ち、息子の電動ひげ剃りの衝撃とともに。

今年の冬は厳しい冷え込みで、水深2メートルの池も、ビオトープも氷が張りっぱなしだった。
ハリネズミもすっかり冬眠したようで、まったく姿を表さない。
そんな冬だが、息子が自分で電動ひげ剃りを買ってきた。

夜は零下なのに確実に春が近づいている。
鳥たちが忙しいのも、木々がふっくら莟をつけはじめたのもそれを物語っている。

ある時気づいたのは、野良猫用の飲み水を野鳥たちも必要としていること。
ドイツの田舎という意味では、ちっぽけなクラーセン家の池やビオトープであるが、この水がこの近辺を飛び回る野鳥に不可欠なものだったことを知る。

そして、寒い冬の朝に、息子がひげを剃るようになったと思ったら、二匹のオスの子ども猫たちが巣立って行ってしまった。

2年前の夏、生まれたばかりの五匹の子猫は、母猫ニャーニャによって、隣の薪小屋から一匹ずつ口でくわえられ、今は亡き義父のぽんこつBMW(35年もの…)のボンネットに連れて来られたわけだけれど(多分そう)、去勢手術の時に三匹はオスで二匹はメスと分かった。

黒と白の「バットマン」的模様の母猫ニャーニャの子だから、二匹は真っ黒、三匹はまだらで、とにかくいつもじゃれあい、仲が良く、庭や森で刈りを一緒にし、このままずっとこの子たちはこの庭で成長するのだと、いつの間にか思い込んでいた。

甘えん坊の「コブ」は、寂しくなると二階の仕事部屋に、玄関の藤棚を伝って上ってきて、二階の窓の外に座って私に会いにきてくれた子だったが、あまりに外で寝るには寒いだろうと思って夜は家で昼は外でと何日か過ごした後、ある満月の夜に戻ってこなくなった。

そして、メスの子猫たちは外の冷気を嗅いだだけで、「いいわ・・・家にいる・・・」とひるんで、「家猫」になった。母猫ニャーニャはトイレは外、寝るのは家と決めているようで、トイレはとにかく外でしか出来ない。これを尻目に、娘達はすぐにトイレをマスターした。ただし・・・庭の土を最初に入れなければならず、やっぱり土の上でしたいらしく、ある朝、小さい植木鉢の中にやっていた。しかしどうやって?!

そういえば、この家にくる前は、トイレは市販の工業製品を使っていた。
ビーズの大きな玉と下にシートを組み合わせるタイプ。
これが凄く高くて、かつゴミになるのが悩みだった。
しかもパルプ・・・森林伐採。。。
日本では、所謂「ネコスナ」がかつては人気だったが、あれは燃やせない。
猫歴30年を超える中で、色々試してきたものの、確信をもっていえるのは一番いいのは「木屑を固めたペレット」であるという結論。

特に、生ゴミと落ち葉のコンポストがあるというのもあるが、匂いの面でも掃除の面でもこれに勝るものはないとこの3年ほどは思っている。ぜひ、騙されたと思って、一度使ってみてください。猫たちのストレスもずいぶん軽減されると思う。

と、また脇道に逸れました。
3匹のオス猫のすべてが巣立ち(家出?)、息子のように可愛がった愛猫のぴーちゃん(男子)を亡くし、去年の今頃は7匹いた猫が、メス猫のみ3匹になって、色々考えたのは・・・

「人間の息子」とも、「もう長くは過ごせない」という現実。
小さい時は、早く大人になってくれないかと祈るように毎日思っていたのに!
身勝手ですね。

いざ、子猫たちで「巣立ち」を実際に経験してみて、こんな辛いものとは思いもせず。。。
一緒にすごせる時間がカウントダウンになって途端に、ガツーンときた。

「こぶ」がいなくなったのが、息子が3週間のインターンシップでアメリカにいっている時だったからかもしれないけれど、とにもかくにも、3人の家族から息子が旅立つと、こんな感じなのだというのを初めて経験して、一気に年を取った気がしてしまった。世の親もこうだったのか・・・。

救いなのか、どうなのかは不明だけれど、ドイツの学校教育のシステムでは、大学に行くにはアビトゥア(大学入学資格)が不可欠で、学校が終わった後も皆1年は自分で勉強して、試験を受けることになっていて、外国語は2つが必要で、かつ長い論文を書かないといけない。しかも、そもそもドイツ語は母語とはいえない息子にとって、なかなかハードルが高いために、義務教育の12年生を来年終えたら、別の学校で2年は勉強ということなので、3年は家から通うらしい。

ぎりぎりセーフ。
今迄、私の子どもとの関わりのイメージは、「あれもこれもしてあげたい」という欲求を、いかに引き算して、根本的に彼が必要としていることは何なのか…を突き詰めて、それを手伝うことであった。

ツレが完全に「やってあげる型」(つまり足し算ばかり)だったこともあり、私迄そうすれば追いつめるだろうと思って、引き算ばかりに集中してきた、、、、が、ここにきて少しぐらい「足し算」させてもらってもいいのかな、と思うようになった。今更なのだが。

それは、息子がこの前、色々あって疲れ果てた私に、フルコースのディナーを作ってくれたことでそう思ったのだった。すべて自分で考え、作った創作料理。

・ジャガイモと人参、パプリカのソテー
・サーモンのムニエル
・これに、庭のハーブで作ったクリームソース

16歳にして、これはなかなかのものだと親ばかながら関心した。
もう「引き算」「足し算」など考えずに、もっと普通の関係を築いていくべきだと感じた瞬間だった。ある意味、私はツレの「足し算子育て」に子どもが駄目になってしまうのではないかという恐怖を持ちすぎたのかもしれなかった。なにせ、彼自身がそういう風に育てられてきたから、それが「当たり前」すぎて、議論するにもあまりにもエネルギーを使うので、いつしか役割分担と考えるようにしてきた。

家族で価値がまったく違う親を持つ子どもは不幸かもしれないと思いながら。
でも、実際は、それが息子にとってはトレーニングだったかもしれない。
つまり、多文化共生の。
いや、共生していないか。共存?

「重い親」の呪縛、衝突が耐えない異なる価値感の親から、彼自身が軽やかに解放されつつあるのを見て、なんだか私の「親としてどうあるべきか」の問いも、もはや妥当性を欠いた押し付けがましいものなのだと感じるようになった。私もまた、解放されなければならない。いや、私こそが?

こうやって、猫の親がとっくに終えている子離れを、「人間の親」である私は、少しずつ学んでいくのだろう。いや、学んでいかなければならない。

そんなことを思った冬緩むお昼のこと。
勝手口から「たーだいまーー」と聞こえてきたので、これにて失礼。

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by africa_class | 2017-02-15 21:52 | 【観察日記】猫ママの子育て