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<   2009年 08月 ( 8 )   > この月の画像一覧

衆院選終了、そしてアフリカ・・・

やっと日本に帰ってきた。機内で新聞を開いて「みんなの党」という
ものが出来ていたと知り、びっくり仰天。しかも、自民党だった山内
さんが党を辞めて、「みんなの党」から当選しているではないか。
「みんなの党」って何?なぜ平仮名?というヤボな質問を書くには
時機を逸しているだろう。浦島太郎の気分。いずれにせよ、山内さ
んおめでとうございます。
 日本の国政選挙だというのに、私の視点はやはり「アフリカ」・・・
か「NGO(市民社会)」。もちろん国内経済や社会福祉行政の建て
直しは焦眉の課題であるが、当選議員たちが、これまで問題が多
かった日本の外交や国際協力(ODA)にどのようにアプローチする
かを見届けるのはアフリカにとっては大きな問題である。何より、
「親方日の丸」で何事も進めてきた日本政府のやり方が、アフリカ
のガバナンスにおいて悪い影響を与えてきた歴史を振り返るに、
ここでチェンジできるかはアフリカにかかわる日本の一市民として
は重要関心事である。
 そもそも、日本政府や現行諸機関がどうしてこんなに現地の人々
や市民社会を重視しないのか・・・といえば、それは彼らが日本の国
民、市民社会を重視してこなかったから、ともいえる。個人的には、
この10年間、アフリカやODA改革のために活動してきたが、それ
はある意味で日本の政治や統治のあり方、そして何より市民社会
のあり方を問うことに直結してきた。それには、ジャーナリズムのあ
り方も含まれる。なぜ、役人が公式発表する情報をただ「垂れ流し」
するのか?なぜ現場に行かないのか、なぜ現場に近い人の声に耳
を傾けないのか、なぜ政府見解とは異なる情報や意見も並列して載
せないのか・・・常に闘いであった。
<TICAD IVに向けた外務省・NGO協議会の様子>
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 最初は市民社会との対話に及び腰だった政府関係者も、国会議
員も、一進一退を繰り返しながらも、外からのプレッシャーを受け、
2007年にはようやく対話のテーブルにつき、2008年のTICAD IV
とG8サミットではそれなりの成果が出たところではあったが、万年与
党との癒着に胡坐をかいた官の世界が本当の意味で変わることは
なかった。役人一人一人の認識は変わったものの、組織として変わ
ることはできなかったのだ。したがって、政策もしかり。
<自民党NGO小委員会で発表>
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 今回の選挙では、面白いことに、アフリカ外交・国際協力における
市民社会の役割を認め、積極的にバックアップしてくれた議員さん
は、与党であろうと野党であろうと小選挙区で当選している。一番落
選の可能性が大きかった自民党でも、自民党NGO議連会長で色々
骨折りいただいた塩崎恭久元官房長官、アフリカ議連幹事として常
にアフリカ支援に人肌脱いでくれた逢沢一郎元外務副大臣なども、
際どい選挙であったようだが、当選している。市民の声に耳を傾け、
それをサポートする議員として、周知されているからだろう。利益誘
導型政治から、今度こそ脱却してもらいたいものだ。
 一方、野党からは、数十人単位の関係者が小選挙区を勝ち上が
った。一緒に活動している際も、「結局は与党にならないと本当には
変えられない・・・」と常にいっていた彼(女)たち。ある種言い訳につ
かわれていたこのセリフが試されるときが到来している。
 今回期待したいのは、「小泉郵政」選挙で落選していた議員あるい
は議員候補の皆さんである。国際協力NGOや機関の出身者も何人
か初当選している。私の国連時代の同僚だった阪口直人さんも!!
http://www.sakaguchi-naoto.com/
<モザンビーク紛争で焼けた教会>
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 阪口直人さんとは、大学時代のNGO活動で知り合い、後にモザ
ンビークのPKO活動(ONUMOZ)で同僚となった。その後、直人さ
んは当時の衆議院議員・首藤信彦議員の政策秘書となり、ODA改
革のための国会対策で大変お世話になった。温和で優しいけど「力
持ち」の直人さんが、国政の最先端の場で揉まれ、冷静で戦略的な
アドバイスができる人に変貌を遂げているのを目の当たりにしたとき、
さすがの私も驚いたことを昨日のことのように覚えている。
 NGO出身で、民主党のNGO議連・事務局長で、超党派会合で大
変お世話になった西村ちなみさんも再選されており、プレゼントした
深大寺のオレンジ・ダルマが役に立ったかな?
http://www.chinami.net/modules/wordpress/index.php?m=200805
 ピースボート事務局長だったくしぶり真理さんも激戦を制して当選。
ピースボートといえば、創設者辻元清美さんも復活当選した。辻元
さんには、ODA改革の際に質問主意書などでお世話になった。テレ
ビで見るより、ずっと落ち着いた知的な方だが、誤解されることも多か
った。
<TICAD IV市民社会セッション前に>
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 この10年ほどの国会議員とのやり取りで、色々なことを学んだ。
人間の二面性・・・には驚く日々だったが、ブレのない政治家に会う
といつも清々しい思いをしたものだった。その筆頭は間違いなく、岡
田克也さんだろう。どんなに忙しいときも、必ず時間を割いて、一方
的にただ聞くのではなく、的確な直球質問をしてくれ、考えさせてく
れた。そして、TICAD IV本番の際には、わざわざ市民社会セッショ
ンの2時間前に会場に足を運び、アフリカから来た市民社会代表と
車座になって一人一人の話に耳を傾けてくれた。「口先だけの議員」
が多い中、彼ほど真摯に話を聞き、行動してくれた人は他にいなかっ
た。他方、Sisterhoodにおいては、女性議員の皆さんのサポートは
心底ありがたかった。中でも、先の西村さん、社民党の福島瑞穂さん
(一緒にモザンビークまで、しかも自費で来てくれた)もしかりであるが、
なんといっても小宮山洋子さんほど頼もしいお姉さんはいなかった。
いつ、何時でも、自分の信じることを、信じるままに言える人。小沢
代表辞任騒動の際に、遺憾なく本領発揮。格好良かった。その日、た
またま彼女の部屋にいて、じゃんじゃか鳴る電話を気にすることなく、
「女だからできること・・・をしたまでよ」とのたまわった彼女に、心底拍
手喝采。
 とはいえ、野党だからこそ可能だったブレなさでもあった。与党にな
っても、皆さんには引き続き、「人々のための政治(日本に留まらず)」
を牽引していってほしい。アフリカ、市民社会をお忘れなく。
 しかし、残念なのは、福岡の三原議員。間違いなく、全議員の中でも
っともアフリカを愛していた彼の落選は、悲しい。以前秘書さんが、国
内にもっと目を向けてほしいと嘆いていたとおりの結果に、残念な気持
ちに。やはり、国際・アフリカへのコミットメントは、票にはならないのか
?あるいは、自民党だったから?
 アメリカ留学中に人種差別とアフリカン・アメリカンの公民権運動に
遭遇し、ルーツであるアフリカに憧れ、毎年アフリカの人が行かない
ような国々を訪れていた三原さん。いつかまた帰ってきてください。
 
 それにしても、問われるのはこれからの政策形成。政権交代が意味の
あるものになるよう見守って、ときにこれまでどおり叱咤激励していきたい。
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by africa_class | 2009-08-31 22:43 | 【徒然】毎日がアフリカ

アフリカでは組体操が人気?

そうこうしているうちに、首都で調査に励んでいた小町さん到着。
 しかし、やはり頑張りすぎたのか、安心したのか、私の身体がダウン。
学生の皆さんにはしばらく遊んでもらい、ようやく調査のお手伝い開始。
小町ちゃんは文化がテーマ。テーマ選びに難儀した亮くんは、一番モテタ
(?)市場のお兄ちゃんたちをテーマに。
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 インタビューしたオジサンに大切な帽子を贈呈される小町ちゃん。
あの帽子は無事に日本に着いたのだろうか・・・。
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 その後、墓場で繰り広げられた野外劇を楽しむ。私はただ楽しんでるが、
小町ちゃんは微動だにせずに撮影中。シルエットが美しい。
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 夕暮れ時、お母さんたちが踊る。この後、太鼓チームとお母さんチーム
が大喧嘩して大騒動に発展・・・・。世界中どこでもそうだが、お母さんを
怒らせると本当に怖い。迫力満点。迫力がありすぎてその様子は撮影で
きず。恐ろしくなったのか、太鼓チームの青年団は太鼓を持って逃亡。
 いつもは、自分の調査に必死なのと、家族がびったり張り付いているの
で夜のイベントはここ9年ほど参加できなかった。今年は家族が途中か
らサファリに出かけてくれたので、文化的な催しにたくさんいけて大満足。
やはり、文化が分からないと社会は分からんものだ、と再認識。
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 それにしても、若いお兄ちゃんたちのチーム・・・踊りというより、最初は
縄跳び、次に組み体操を音楽にあわせて披露。北朝鮮のマスゲームの
ような雰囲気が濃厚であるが、これどこで習ったんだろう。モザンビーク
で学校を舞台としたイベントがあると、北朝鮮風のマスゲームが披露され
るが、「金日成通り」があるモザンビークのこと。解放闘争期からの長い
つきあいを考えれば、マスゲームは案外北朝鮮由来かも。ということは、
戦前の植民地支配期に日本が朝鮮半島にもたらしたとされているので
最終的な発祥の地は日本だったりして・・・。
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この形やりませんでした?中学校や小学校の運動会で?
青少年の健全な自己表現に役立っているとすれば、とても良いと思い
ますが・・・違和感は捨てがたいものが。
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by africa_class | 2009-08-30 21:30 | 【徒然】毎日がアフリカ

世界遺産の島で子供と遊ぶ

モザンビークには世界遺産がいくつかある。
 有形遺産としては、モザンビーク北部ナンプーラ州にあるモザンビーク島。
19世紀末までは、ポルトガル支配下のモザンビークの首都が置かれてい
た。かつては、インド洋交易において金の積み出し港として重要な役割を
果たし、文化的にも経済的にもスワヒリ世界に統合されていた。モザンビ
ーク最古のモスクがあり、島全体が遺跡と化し、最近は建物の補修も進み
格好の観光地になっている。
 しかし、ポルトガルの支配後は、ここから多くの奴隷たちが、インド洋沿岸
や島嶼部、中東、南北大陸に連れて行かれた。その意味では「奴隷の島」
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 そんな島だというのに、だからというのか、遺跡よりも子供たちとの遊び
に興じてしまった。根っからの天邪鬼さがついつい出てしまう。といっても、
実際に遊んだのは亮くんであったが。
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 モザンビーク島に初めて行ったのは1997年。まだ世界遺産どころか、
観光客もおらず、外国人が泊まれそうな宿は一軒もなかった。そのとき
泊まったのが、現在の市役所の建物・・・。かつては貴族の館だったその
建物は、独立後は博物館になっており、門番の計らいというか小遣い稼
ぎのため、泊まらせてもらったのだった。というのも、島にあった唯一の
宿は、宿と呼ぶにはかなり・・・な、ただ広い部屋にベットらしきものが並べ
られており、モザンビーク男性がたくさん泊まっている・・・ところに寝ろと
いうものだった。トイレはなく、浜辺で用を足せという。これにはさすがの
私も参り、島の子供たちが連れて行ってくれたのがこの「博物館」だった。
博物館には、19世紀のものと思われるベットがただ一つあり、暗闇の中
(もちろん電気はない)それに横たわるのはかなり勇気が必要だった。
 19世紀のトイレやお風呂を使うのもまた、かなりの抵抗があったが、
浜辺に皆と並んでやるよりはマシだったのは確か。とはいえ、午前1時に
ドンドンドンとドアをたたく音が・・・。先客だと主張する男性たちに入られな
いように、ドアを必死で押さえ、なんとか一夜を明かすことができた。
 そのときの旅の連れこそ、米川正子さん(元UNHCR職員/JICA平和
構築専門家)。ヒッチハイクして、トラックの後ろに乗り込み、あっちこっち
を旅したものだった。あれからもう12年が経つというのだから感慨深い。
あの時、「博物館」に連れて行ってくれた少年5人組の内、生き残ってい
るのは2名だけ。一人は交通事故で、二人はHIV/AIDSで死んでしまった。
残った2人の内1名は今では市役所(そうあの「博物館」)のスタッフだとい
う。彼らの末永い幸せを祈り、島を後にする。
 どんな世界遺産の素晴らしい町並であろうとも、結局人との出会いや触
れ合いしか残らないのだ・・・と改めて確認した旅でもあった。
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by africa_class | 2009-08-30 21:23 | 【徒然】毎日がアフリカ

ジャパン・デーinナンプーラ

やっと辿り着いたナンプーラ。モザンビーク北部の中心都市。
駅前には人が溢れ、道路脇に普通に皆さんお店を広げている。
車が近づいても動く気配はまったくなく、100メーター進むのに時間が
かかる。さすが人口がもっとも多い州ではあるが、なぜわざわざ車道
上で野菜を売るの?????まあ、いっか。これもモザンビーク。

長い旅をせっかく終えて大いに飲みたいところが、なぜかホテルはアラブ
系のホテルでお酒がない。気を取り直して、翌日のルリオ国立大学での
レクチャーのPPTを寂しく作る。なぜか学長の思いつきで、8月15日の
終戦日に「ジャパン・デー」を開催することに。首都の日本大使館から取り
寄せた玩具や浴衣でいささか誤魔化しながら、日本文化を紹介する。
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学生のくらいつきぶりがすごい。片っ端から玩具を試すが、一番人気があ
ったのは、なぜか私がタマタマもって来た箸と素麺・・・。そしてついに、怪しい
ポルトガル語で怪しい発表を。さらには、怪しいピンクの浴衣で!!
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学長の趣旨は「発展した日本から学ぶ」であったが、私の趣旨は「経済発展の
プロセスの背後にあるものと、失敗から学ぶ」であった。最後は、今の日本が
必ずしも「手本」となりえないこと、その部分においてモザンビークから学べる点
が多々あるのだということを、自殺率・ホームレス率・若年層の農村離れなどか
ら一緒に考えてみた。
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by africa_class | 2009-08-30 21:13 | 【徒然】毎日がアフリカ

アフリカで列車に乗る

ザンビア西部の調査も終わり、ただ今ヨハネスブルグ空港。
写真がアップロードできるネットに接続できたので写真を披露。

モザンビーク農村部での調査を終え、ニアサ州第二の町(といって
も人口が多いだけで主たる産業といえば、交通の要所としての機能
ぐらいで、道路も舗装されていない)クアンバから、北部の中心都市
ナンプーラに電車で向かった。

ただし、前の晩のうちに車を電車の貨物用の荷台に載せるという作業が。
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無事荷台に載ったものの、今度は紐で車を縛らないといけないという。
ほどなく、暗闇からムキムキマン3人組が登場。足元を見て、高値を要求。
そこでムキムキ3人の中から一人リーダーを選んでもらい、リーダーと
交渉に臨む。(一人ずつに払うと高くなるし)見事、言い値の3分の1で交渉
成立。しかし、逞しいこと間違いなし。
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無事紐と木切れで荷台に縛り付けられるものの、11時間耐えられるか・・・。
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午前5時半出発の電車が、奇跡的に5時半シャープで出発。車窓からは、
美しい景色が流れていく。がしかし、その写真は画像が良すぎて掲載できず。
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電車といえども、30分おきに止まる各駅停車。車で行けば7時間700キロの
距離を、11時間かけて行く。しかし、こんなところで止まるの?と思うほど、原
っぱのど真ん中に列車が止まると、木陰から一気に子供や若者や女性が、特
産物を売りにくる。ミカン、玉ねぎ、ジャガイモ、豆、とうもろこし、トマト・・・だけ
でなく、揚げパンやビール、コカコーラ売りも。
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一番面白いのは、頑丈なビニール袋売り。これが商売になるのか、と一瞬思
ったが、確かに果物や野菜をキロ単位で買うとなると袋は必需品。

しかし、10回は止まったが、その度にそれぞれの名産地(したがって安い)
でコンスタントに野菜・穀物・果物・豆類を買い付けていったオジサンに、
さすがの私も関心。途中眠り呆けていた私たちの足元には、大量のビニール
袋が詰め込まれる。11時間後、オジサンが詰め込む場所がなくなった頃に、
目的地に到着。

列車にたった1本のロープで括りつけた車も無事一緒に到着。
しかし・・・どうやって荷台から降ろすの???!!!!!
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by africa_class | 2009-08-15 13:30 | 【徒然】毎日がアフリカ

2週間の「僻地」での調査を終えて

2週間の村での調査生活が終わりました。(たぶん)
水なし、電気なし、携帯なし、舗装道路なし、お店なしの、テント
生活でしたが、家族も調査補佐の皆さんも全員元気で地方都市
(クアンバ)に来ています。

写真がどうも載らないので臨場感がありませんが、世界で6番目
に貧しいとされているモザンビークの中でも最も「僻地」であり、
アクセスが難しいカーボデルガード州の南西部からニアサ州の
南部の村々での調査でした。

去年から今年にかけて雨がふりすぎたようで、収穫はいいところ
と悪いところに二別されているようですが、おかげで道路のあちこ
ちに大きな水溜りが出来ていて、なかなか大変でした。四駆の車
がかなり高いので二駆の車にするか迷いましたが、四駆トラック
にしておいて本当に良かった・・・と思うほど、水の中を走り抜ける
必要がありました。

写真がアップできるスピードのインターネット接続が得られたら、
また紹介します。明日は朝5時に電車に車を載せて、800キロ
先の都市に出発です。
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by africa_class | 2009-08-13 20:25 | 【徒然】毎日がアフリカ

Sushi@アフリカ

今日はスシ。スシを作る約束をしてしまったので、友人と魚市場へ。
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このビーチの反対側に魚市場はある。
市場といっても、そんな立派なものではないが。
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魚は山ほどある。でも、一番はロブスター!
でも、甲殻類はもう無理。なんせカニ6キロだったんだから。
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近海マグロの冷凍があるというので結局それを買った。
おろすのはもちろん、私ではなく、お兄ちゃん。なかなか上手いが、
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ナイフが切れない・・・ので、所要時間30分。でも、待っている間に
おじさんのお昼ご飯のお魚を味見。とっても美味しい。
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で、スシはどうなったかというと、ほらご覧あれ!今、スシ@家は世界的な
ブームなんで友人の子どもも「巻き」が作れる。普段は英国で留学生活を
送るアンドレアス。14の頃から知っているが、台所に入ったことはなかっ
た。いつも遠巻きにウロウロ。なのに母が作れないスシと聞いて、火がつ
いた。台所でせっせと巻きを作るわが子を見た母は、「料理できるんだ」。
世界のお母さん、わが息子には料理させましょ~。
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アンドレアスいわく、「スシが作れる男はモテる」そうだ。
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by africa_class | 2009-08-02 15:41 | 【徒然】毎日がアフリカ

犬も歩けば「友」にあたる

マプートは巨大なコミュニティのような街だ。
何万人もの人が住み、行き来するというのに、なぜか「友人」に出会える。
友達の多さは豊かさ・・・というのは、「国際関係とアフリカ」の授業で、
ソーシャル・キャピタルや世界価値観統計(幸福度調査)を使って紹介した。

が、実際に実感を持ってそれがいえるのがここ、マプートだ。
12年来の友、マサオ(本名Felix*真面目な男の子だったのでそう命名)
と歩いているといつもそう思う。マサオは、彼が19歳のころから知っている
が、年々身体が大きくなる(横に)とともに、友人の数も増えている。これ、
「仮説」として使えるかも(!?)
だから、彼と街を歩くということは、時間がかかる。しかも、ここはモザンビ
ーク、「こんにちは」で済むはずがない。

でも、彼を通じて、「マプートに暮らす普通のモザンビーク人」に出会える
ことが多い。いずれも、一生懸命働いたり、学んだりしている、とても真面目
で、しかしちょっと遊び心のある人たちだ。まさお君のように・・・。
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今日も、日本大使館で日本語を一緒に勉強していたというおばちゃんと
偶然出会う。文部省で日本担当をしているため、日本のコンサルタントに
お土産をもらったと見せてくれた。でも、ちょっと目がいってない?
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しかし、マサオ。通りがかった別の友人(もちろん美人女性)と話し込んで
いて、私たちを放置。まあ、いつものことだが。マサオは、昔から、「強く美し
く賢い」女性に惚れる男だった。見事、女医さん、しかも軍の女医(!)を
射止めたのだった。現在、二児の父。マサオも奥さんも、働き者で、本職の
後は、夜学に通って、さらにはもうひとつ仕事をかけもちしている。そんな人
はマプートに事欠かないが、彼らのワーカホリックぶりは折り紙つき。
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そんなソーシャル・キャピタル満々のマサオだから、来たばかりの日本人
のケアも篤い。さっそく、「モザンビークの男とは」論を懇切丁寧に解説。
しかも、絵つきで・・・・。しかし、
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この絵本人に似てないか?
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やっぱり、マサオ本人ではないか!
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by africa_class | 2009-08-02 15:28 | 【徒然】毎日がアフリカ