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<   2011年 09月 ( 15 )   > この月の画像一覧

ケニアで活動する教育支援NGOがスタッフ募集

ゼミ生たちもケニアでのインターンなどで御世話になっている「アフリカ地域
開発市民の会(CANDO)」http://www.cando.or.jp/が、事務局長候
補を募集しています。
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東京事務所 事務局長候補(非常勤)募集
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このたび、アフリカでの活動を支える東京事務所の事務局を担う職員(事
務局長候補)を募集いたします。開発協力やアフリカ問題に将来にわたり
かかわっていこうと考え、事業や組織とともに運営していく意欲のある方
の応募をお待ちいたします。
○業務内容: アフリカでの活動を行うために必要な後方支援業務、ドナ
ーへの申請・報告・精算業務、国内での資金調達、経理、総務、NPO法
人業務など。
○募集人数:1名
○応募資格:
・当会の活動原則や事業実施の姿勢について、会報、ホームページ、報
告会等を通じて理解・賛同し、幅広い業務に前向きに取り組める方(当会
会員でない方には、採用決定後に一般会員としての入会をお願いします)
・パソコンのスキル(Excel・Word等)を有する方
・経理の基礎的な知識を有する方
・e-mailにて英語のやり取りができる方
・企業勤務経験またはNGO・NPOのボランティアや職員の経験があるこ
とが望ましい。
○勤務地:  当会東京事務所(台東区谷中)。年1回程度アフリカ出張有
○勤務期間: 2011年12月より(開始時期は要相談)。試用期間あり。
○勤務時間: 平日4日以上、10時から16時をコアタイム事務所勤務。
月1回程度、イベント等による休日出勤あり。
○待遇:  当会規定による
○応募方法:  以下の書類を作成の上、電子メールにて送付のこと。
*履歴書(書式自由。但し、勤務開始可能時期を明記)
*職務経歴書
*志望動機(A4 1枚)
○選考方法: 書類(1次)および面接(2次)。
○応募締め切り:  2011年10月31日
○問合せ・送付先: 担当 佐久間
TEL: 03-3822-1041
E-mail: tokyocando.or.jp
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by africa_class | 2011-09-30 12:49 | 【紹介】アフリカ関連情報

本日13時~FMラジオで福島の活動が紹介されます

火曜日の福島への出張も無事終わり、今日は朝からアンケートに協力し
てくださった未就学児家庭への御礼と避難先情報の発送を学生ボラン
ティアと行いました。
 そして、昨日は、福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクトに助成金
を下さっている三菱商事株式会社CSR担当の方がお越しになりました。
偶然にも、アフリカ経験がおありで、『アフリカ学入門』の第三部第2章
「アフリカで働く」で紹介している「企業人」宮司正毅さんの部下だった
方でした!アフリカ30カ国を訪問されたことがあり、ここまで来ると偶
然とは思えないですね。現在同社で働いている2名の元ゼミ生ともど
も、どうぞよろしくお願いします。
 さて、もうすぐ昨日取材に来られたFMラジオ(ジャパンエフエムネッ
トワーク)で、「福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクト」の活動紹
介があります。詳細は、同プロジェクトのブログに掲載しておきました。
http://fukushimaneeds.blog50.fc2.com/
コーディネーターの斉藤麻友さんと学生スタッフの鈴木敬大くん(住
宅マッチ担当)が出る予定です。お楽しみに!
■ジャパンエフエムネットワーク(JFN)
http://www2.jfn.co.jp/blog/daily/
番組:「デイリーフライヤー」DJ井門宗之 13時~13時半
FM山形、FMふくしま、FM新潟、FM富山、FM石川、岐阜FM、FM三重、
KISS-FM KOBE等でお聞きいただけます。
また、インターネットラジオで、ふくしまFMをリアルタイムで聴けます。
インターネットサイマル放送 http://fukkou.radiko.jp/
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by africa_class | 2011-09-30 12:08 | 【311】子ども・福島乳幼児妊産

世界版SPEEDIで広域汚染確認できます(関東、愛知も汚染)

仲間の間では、かなり前から話題になっていた世界版SPEEDI
(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の予測図。
独立行政法人「日本原子力研究開発機構」の資料です。
http://nsed.jaea.go.jp/fukushima/data/20110906.pdf
これを見ると、原発爆発時の雨や風の条件が、どのように放射性
物質の拡散に影響を及ぼしているかみることが出来ます。あくまで
も予測図ということですが、なぜ愛知県や和歌山県でも汚染が確認
されるのか、静岡や神奈川のお茶が汚染されているのか、東京に
ホットスポットがあるのか、はっきりします。
<=東京全体がカバーされている様子、是非みてみてください。
そして、これは「予測図」で、これを何故使わなかったのか・・・。
そして、この情報、一般の人になぜ知らされていないのか。
腹立たしいです。
今朝の東京新聞の特報部のページに詳しく背景が説明されて
いるので、あわせてご覧ください。そして、私、今日ついに大手
全国紙の購読を止めてしまいました・・。東京新聞を応援する
ことにしました。
Onlineでは探せなかったので、触りだけ紹介します。
■放射能拡散予測・・・提供は先月末、政府対応 また後手」
■すでに広域え汚染深刻化
「厚生労働省が8月末、独立行政法人が作成した放射能拡散予測
情報を、東北や関東などの17都県に提供していた。放射線量の高
い地域で生産される食品の検査を促すのが狙いだが、実は、これら
のデータは5月には一部公開されている。既に広範囲で農水産物の
汚染が深刻化しているだけに、政府の対応は遅きに失した感がある。
提供されたのは、日本原子力研究開発機構と国立環境研究所の
シュミレーション結果。放射性物質が東北地方から中部地方の広い
範囲に各三した様子が一目瞭然。(東京新聞 9月28日朝刊24面)
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by africa_class | 2011-09-28 12:49 | 【311】原発事故と問題

モザンビーク援助についてのNGO「開発と権利のための行動センター」のまとめ

さっきの記事はポルトガル語なので、こちらをご覧ください。
一部ですが、さっきの記事の紹介があります。
 抜粋のみなので、全文は同団体の以下のURLで。特に最後の
指摘は、私がJICAに伝えてきた危惧と同様です。またJICA報告
書自体が指摘しているように、ブラジルの思惑とJICAの狙いとは
乖離していますが、これは計画段階から分かっていたことです。
ブラジルのような広大な土地を有し、大規模農業を行っていた国、
(しかもセラードはまさにそのような場所)が、「小農支援」をしよう
なんて発想を持つわけがないのです。
 なお、このブログ記事を書いている「開発と権利のための行動
センター」ですが、元々は先住民の権利運動をサポートしてきた
団体です。アフリカでここ数年急激に起きている「Land grabb
ing土地収奪」の問題をフォローしている貴重な市民団体です。
■モザンビーク:土地収奪につながるJICAプロジェクト
http://landgrab-japan.blogspot.com/2011/09/jica.html
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モザンビーク:土地収奪につながるJICAプロジェクト
 現在日本政府はブラジル-モザンビーク-日本との三角協力という形で、モザンビークにおける農業開発プロジェクトの実施を計画している。[1]
 「モザンビーク国日伯モザンビーク三角協力による熱帯サバンナ農業開発協力プログラム準備調査 最終報告書」(2010.3 JICA)によると、この地域での「農業開発は、農家の大多数を占める小規模農家の支援と付加価値の高い農業の展開を通じた地域農業の振興を目指して、『アグロインダストリーを起点とした地域農業開発の推進』」を提案する」としている。また「村落レベルの開発モデル構築プロジェクト」の終了時期を2014年と予定している。
 しかしながらブラジルからの投資拡大を狙うモザンビーク政府、また投資先の拡大を狙うブラジル企業の動きは、このようなプロジェクトを上回るスピードで動き、地域農民の土地が奪われる危険性が高まっている。既にブラジル側の要請とモザンビーク政府の賛同を受けて、「商業規模(commercial scale)の農業生産投資をも可能にすべく」、640万hがプロジェクトの対象に加えられている。日本からの円借款や技術協力を利用しつつ、ブラジルを中心とした投資が促進され、農民が土地が奪われていく危険がある。
 8月14日の"Folha de S. Paulo"紙の記事は、モザンビークのパチェコ農業大臣の話しとして、「ブラジルのセラードにおける開発を再現したい」、「北部4州において、6百万ヘクタールの土地を、ヘクタール当たり9ユーロで50年にわたるコンセッションで提供できる」と伝えている。更にこの記事では、ブラジルの生産者や投資家側がモザンビークへの進出に前向きであるこという。グロッソ・綿花生産者協会のアウグスティン氏は「モザンビークは、アフリカの中心にあるマット・グロッソであり、ただで土地が手に入り、環境面での条件も多くはなく、更に中国への船賃も安くすむ」と歓迎の意向を示しているという。今日、マット・グロッソでは、伐採・開墾への許可を得ることはほとんど不可能だという。[2]
 その後、農業大臣は土地のコンセッションについて記事は歪曲されていると打ち消しに躍起になっているようであるが、土地のコンセッションが農業大臣の権限の元にはないという点についての説明に留まり、将来的なコンセッションの可能性を何ら否定するものとはなっていない。[3](中略)
このような記事からわかることは、既にブラジルからアフリカに向けての農業投資の動きは活発であること、そうした中で、日本政府はブラジルからモザンビークへの農業投資促進に向けて協力しているのである。また円借款での道路建設も既に調印済みである。
 JICAの報告書、「モザンビーク国日伯モザンビーク三角協力による熱帯サバンナ農業開発協力プログラム準備調査 最終報告書」(2010.3 JICA)を改めて見直すと600万ヘクタールの土地が狙われている理由が明らかになる。 報告書の8.1の結論部分に次のように記載されている。<ブラジル側(Embrapa)は、本プログラムの対象地域を・・・「中小規模農家増収支援」に加え「商業規模(commercial scale)の農業生産投資をも可能にすべく、上記2)の対象地域(640万ha)を含めることが重要であると考えている.この新たな提案は、その後モザンビーク国農業省からも支持された。」
 プロジェクトの中には、「ナカラ回廊周辺地域総合農業開発計画」を策定するというのも含まれているが、その計画策定前に、「セラードに類似し、機械化農業に適した地域」として640万ヘクタールが組み込まれたのである。こうしてこのプロジェクトは、民間投資によるモザンビークにおける大規模な機械化農業振興のためのプロジェクトとなった。このプロジェクト主催のシンポジウムで農業大臣が600万ヘクタールに言及したのは理由があるだ。
 日本側がどのように考えようと、ブラジルとモザンビークでは大規模な機械化農業による市場向け生産を目指しているのである。そしてこのプロジェクトの計画の枠内では、この動きに対して歯止めをかける仕組みはなく、「村落開発のモデル」を作っているうちに、村落が消え去る危険性すらある。開発と権利のための行動センター青西靖夫
[1]モザンビークにおけるJICAプロジェクト関連情報はこのサイト
http://landgrab-japan.blogspot.com/2011/09/blog-post.html
報告書へのリンクもこのサイトに入れてある。
[2] Moçambique oferece área de três Sergipes à soja brasileira(2011.8.14)
http://www1.folha.uol.com.br/mercado/959518-mocambique-oferece-area-de-tres-sergipes-a-soja-brasileira.shtml
José Pacheco diz que a concessão de 6 milhões de hectares a brasileiros é uma má interpretação(2011.9.9)
http://www.canalmoz.co.mz/hoje/20264-jose-pacheco-diz-que-a-concessao-de-6-milhoes-de-hectares-a-brasileiros-e-uma-ma-interpretacao.html
[3] Pacheco diz que não foi ao Brasil negociar terras
http://opais.sapo.mz/index.php/politica/63-politica/16451-pacheco-diz-que-nao-foi-ao-brasil-negociar-terras.html
及び[2]の2つめの記事
[4]Ministro José Pacheco convida produtores brasileiros a investir na produção de algodão em Moçambique (在ブラジルモザンビーク大使館のWEBサイトに転載されている記事)
http://www.mozambique.org.br/index.php?option=com_content&task=view&id=564&Itemid=9
[5]Missão Empresarial do Brasil para Angola, Moçambique e África do Sul
http://www.mozambique.org.br/index.php?option=com_content&task=view&id=586&Itemid=9
[6]Lavoura estrangeira(2011.9.15)
http://www.anba.com.br/noticia_especiais.kmf?cod=12406689
[7] Brasil amplía presencia en Africa y compra terrenos para cultivos(20106/29)
http://diario.latercera.com/2010/06/29/01/contenido/8_31094_9.shtml
Brasil invade África con sus productos(2010.6.23)
http://www.abeceb.com.ar/noticia/135175/brasil-invade-africa-con-sus-productos.html
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by africa_class | 2011-09-27 09:54 | 【情報提供】モザンビーク

モザンビークでの日本の援助プロジェクトが問題になっています

新カテゴリー「モザンビーク」を追加しよう、しようと考えていたのですが、
なかなか手が回っていませんでした。2人しかいない日本のモザンビーク
研究者として、あるいは94年からこの国に17年関わってきた者として、
あるいはモザンビークの人びとに自分や我が子を育ててもらった者として、
「モザンビーク」のカテゴリーを追加するのは当然でした。問題はタイミング
だったわけですが、残念な理由でこのカテゴリーを追加しなければならな
くなってしまいました。はあ~。本当にため息です・・・。
 モザンビーク北部の農業支援プロジェクト「モザンビーク国日伯モザンビ
ーク三角協力による熱帯サバンナ農業開発協力プログラム」については、
その準備段階から非常に問題を感じ、担当者その他にはその問題性を指
摘してきました。この援助は、「ブラジルで成功した大規模土地改良プロ
ジェクト<<セラード>>をモザンビークに持ってこよう」という、ものでし
た。ブラジルのセラードの近くで留学生活を送り、モザンビーク北部の農
民たちに寄り添ってきた私には、トンデモナイ!と言わざるえない方法論
のものです。
 当然ながら、それは歓迎されなかったようで、以来この件についての集
まりには、あえて声がかからなくなりました。このような大規模プロジェクト
を喜ぶような「御用」「研究者」ばかりが集められ、プロジェクト推進という
結果先にありきで進められてきました。ブラジルのルラ大統領とモザンビ
ークのゲブーザ大統領が調印したものが、途中で止められるわけがない
のです。もはやこれは援助案件ではなく、政治・外交案件化してしまった
以上、止めたり、規模を縮小するなどということはあり得ません。がしかし、
なぜそれを日本が税金で、何のためにするのか?
 そして、残念ながら、この「研究者」たちは、モザンビークのことを全く知
らない(出張で何度か訪れただけ)、アフリカの専門家ですらない、農業
・農村開発の専門家ですらない・・・方々なのですが、政府機関にとって、
YESをいう「専門家」が、NOをいう「専門家」より重要なのは昨今の原発
問題でも明らかになったとおりで・・。
 私の問題意識はクリアです。このプロジェクトは、JICAのいうように本
当に[小農支援」になるのか?ならないのではないか?むしろ彼らの社
会を混乱させ、彼らの権利を踏みにじることになるのえはないか?という
危惧でした。
 今回、モザンビークに行って、色々な人からこの援助「「モザンビーク国
日伯モザンビーク三角協力による熱帯サバンナ農業開発協力プログラム」
が大変な事態を引き起こしつつあることについて、指摘を受けました。一
日本人として、日本の納税者として、モザンビーク北部の人びととの生活
向上を一途に考えてきたものとして、情けない気持ちでいっぱいです。
 2000年以来、日本の援助をよくする活動を市民団体で行ってきました。
2000年にモザンビークで起きた大洪水を契機として、日本が長年送り
続けてきた農薬の問題が明るみに出て以来、2008年のTICAD IV
(アフリカ開発会議)まで頑張ってきたのですが、変わったものもあれば、
変わらなかったものも多く、いい加減疲れてしまい、援助問題から遠ざか
っていました。また関わるのかと思うと、ホトホト哀しい気持ちでいっぱい
です。どうして、日本の援助はこうなんだろう。役に立ってほしいという以
前に、「Do No Harm(害を及ぼすな)」ということを徹底できないのだろ
う。DO HARM & DO GOODなんていうのは、あり得ません。まずは、
害をおよばさない(No Harm)をクリアして初めて、よいこと(Good)がで
きるはずで、原発問題と構造は同じです。「最悪の事態」の想定がない。
それは、厳しい(NO)ことをいう専門家を遠ざけることによって、井の中の
蛙たちによる「「なあなあ文化」によって繰り返されてきたことなのです。
 以下、ブラジルの新聞(Folha de Sao Pauloという日本でいうとこ
ろの朝日新聞的な主要紙)に掲載された記事を貼り付けます。勿論、新
聞なのですべてが「正確」というわけではないでしょう。しかし、問題の本
質を捉えていると思います。ポルトガル語のままですみません。翻訳手
伝ってくれる人がいればWelcomeです!

http://www.fpabramo.org.br/
“Esta terra ainda vai cumprir seu ideal”
publicado em 23/08/2011
Por Beluce Bellucci

A manchete do primeiro caderno da Folha de S. Paulo de 14/08/2011 “Moçambique oferece ao Brasil área de 3 Sergipes”, para o plantio de soja, algodão e milho a agricultores brasileiros com experiência no cerrado, parece trazer uma grande novidade e oportunidade aos capitais e empreendedores brasílicos. A longa matéria no caderno de economia expõe que estas terras estão localizadas nas províncias de Nampula, Niassa, Cabo Delgado e Zambézia, situadas ao norte daquele país. No mesmo artigo, um consultor indaga, arrogante e desrespeitosamente, “Quem vai tomar conta da África? Chinês, europeu ou americano? O brasileiro que tem conhecimento do cerrado”, responde ele apressadamente. A intenção explicita de colonização nesta passagem não foi contestada pelo jornal ao longo do artigo.
 Pela matéria, fazendeiros brasileiros afoitos descobrem que em Moçambique existe “um Mato Grosso” inteiro para ser produzido, e 40 deles (não haverá um Ali?) se “apressam” a no próximo mês visitarem o país. O ministro da agricultura moçambicano revela que as terras poderão ser cedidas por 50 anos, renováveis por mais 50, ao preço módico de R$27,00 por hectare/ano.
 Cabe inicialmente perguntar: será esse negócio uma grande novidade? e trará tanta oportunidade quanto a noticia faz parecer? O desconhecimento dos brasileiros que procuram o empreendimento reflete o desconhecimento histórico que o Brasil tem da África e faz jus ao conhecimento dos que a divulgam. Não compete encontrar aqui as razões por que “tão boa oferta” somente agora chega ao Brasil nem tão pouco saber quem está por trás desse affaire. Interesses seguramente devem existir dos dois lados, o africano e o brasileiro.
 Mas a quem pode NÃO interessar esse projeto?
 A região em questão possui vegetação diversa onde vivem cerca de 12 milhões de pessoas organizadas em sociedades com histórias, línguas, culturas e formação social próprias. Estão lá os macuas, os macondes, os nyanjas, os chuabos e outros. Foi o principal palco da guerra de libertação nacional de 1964 a 1975, e nos anos 80 da guerra de desestabilização levada a cabo pela África do Sul e pela Renamo. É uma população de resistência e luta. E o que dizem do modelo desse projeto? Que impacto terá sobre essa população? O que pensam outras instituições locais? Quem efetivamente ganha e quem perde produzindo nesse modelo na região? Não falemos em aumento de PIB ou da exportação, mas em nível de vida, em ganhos palpáveis, matérias e imaterias da população.
 A experiência que os fazendeiros brasileiros dizem ter no cerrado, e o jornal repete, é de produção técnica, não de relações sociais de produção. Ela não inclui a experiência no trato com as sociedades africanas, aliás, neste quesito perdemos para todos os outros concorrentes. O brasileiro não conhece e quase não sabe andar na África, pouco se interessou pelo continente, seguramente pelo complexo de culpa da escravidão. Foi preciso uma lei, a no. 10.639 de 9/2/2003, para introduzir essa temática nas escolas brasileiras. Só recentemente expandiu suas representações diplomáticas e vem ampliando a cooperação e presença, pese a demanda, interesse e simpatia que os africanos dirigiam ao nosso país. Mas enquanto ficamos ao longo do último século com retórica e boas intenções face aos africanos, pouco fizemos e conhecemos. Em três décadas de presença na África os chineses se tornaram os maiores parceiros do continente. Antes dos fazendeiros e homens de negócios estiveram os estudiosos, os diplomatas, os estrategistas. Desenvolveram planos de longo prazo e não chamaram as regiões de Shanxi ou de Sergipe. Conheceram a história e respeitaram a soberania dos Estados e seus povos. Muito pode-se criticar sobre a presença chinesa na África, menos que seja aventureira.
 A “novidade”
 Todos afirmam que a África é hoje um continente subdesenvolvido, isto é, com carências alimentares, na habitação, na saúde, na educação, na capacidade produtiva, mas por quê? Como chegou a se subdesenvolver? Deixemos de lado o tráfico de escravos que mutilou sociedades por mais de três séculos (período que a força de trabalho africana era arrastada a produzir nas fazendas brasileiras – possivelmente em terras dos antepassados dos 40 fazendeiros) e nos aproximemos do século 20. O que fizeram os europeus, franceses, ingleses, portugueses e belgas na África? O que foi e como foi o colonialismo africano senão um fenômeno do século 20? Não foram lá essas metrópoles para civilizar e levar deus aos africanos? Não foram lá levar a civilização e ensinar-lhes como e o que produzir e consumir? E muito produziram... Mas como fizeram?
 A colonização levada a cabo pelas potências foram entregues a companhias concessionárias (majestáticas ou à charte na França), que recebiam grandes concessões de terra em troca de pagamento de taxas ao estado colonial, na obrigação de produzirem, e para tal podiam explorar e gerir as populações residentes. Umas desenvolveram a agricultura de exportação (para as metrópoles que viviam a revolução industrial), e até integraram regiões com estradas e ferrovias para escoamento. Outras dedicaram-se à exportação de trabalhadores para as minas dos países vizinhos (caso da Companhia do Niassa). Muito se produziu e se exportou. Criaram-se fortunas com o amendoim, o copra, o algodão, o sisal, o café, o tabaco, a madeira... E onde estão estas riquezas? Nos palácios, estradas e infraestruturas africanas? No sistema de educação, saúde e no nível de alimentação da população negra? O povo africano trabalhou nesse século sob a batuta colonial. Produziu muito no sistema de concessão que agora se quer renovar, e foi esse modelo o que subdesenvolveu a África, trazendo para os africanos a miséria que vivem hoje. E é esse o modelo que agora se quer repetir. Antes dele os povos estavam em melhor situação que após.
 Não são as terras fartas que chamam a atenção dos nossos fazendeiros, mas a existência de uma mão de obra que pode trabalhar a baixíssimos salários. Isso porque ela tem acesso à terra, já que boa parte da terra ainda é comunitária, e garante a própria subsistência. Enquanto esses homens trabalham nas fazendas, suas famílias produzem nas roças tradicionais. E, tendo a subsistência garantida, são impelidos ao trabalho quase gratuito, muitas vezes à força como demonstra a história, nas áreas dos fazendeiros brancos. Ao final do processo produtivo, a exportação, o PIB, os bolsos de poucos políticos e empresários nacionais envolvidos poderão crescer, mas a população continuará vivendo basicamente das suas subsistências e cada vez mais dependente de uma sociedade que a vem dominando culturalmente, através do radio e da TV, com canais globais e religiosos universais, cada vez mais produzidos aqui mesmo na tropicália. O contexto para um novo colonialismo está preparado, e a sua repetição transformará o que foi o drama colonial numa farsa liberal. Na versão colonial do século 20 as sociedades africanas encontravam-se ainda estabelecidas e foram fortemente exploradas nessa articulação com o capitalismo colonial, que a reduziram à pobreza atual. Hoje elas encontram-se fragilizadas, desconfiadas, famintas, e reeditar tal sistema com promessas e perspectivas de que irão melhorar é uma mentira criminosa.
 Convém observar que a mudança desse modelo de exploração para o modelo desenvolvimentista, industrializante, com início no pós Segunda Guerra facilitou as propostas nacionalistas que culminaram com as independências das colônias na década de 60. Mas este assunto merece outro artigo.
 O risco
 Dizem que as terras em Moçambique estão ociosas. Na verdade, estão ocupadas há séculos por populações que a cultivam com tecnologias específicas, para a sobrevivência, num sistema que exige grande reserva natural e rotação. Quando os portugueses chegaram no continente encontraram homens e mulheres saudáveis e fortes. Não eram povos subnutridos nem subdesenvolvidos, mas populações com níveis tecnológicos distintos dos colonizadores. Passados o tráfico e o colonialismo, o que restou foram populações desagregadas, famintas, subdesenvolvidas, fruto das políticas produtivistas de quem “tomou conta da região”.
 O que nós brasileiros queremos com a África? Mandar para lá fazendeiros para remontarem um sistema já conhecido historicamente e vencido socialmente, que produz e reproduz miséria para a grande maioria e lucro para poucos? Ou temos a intenção e alguma expectativa de estabelecer uma relação de cooperação que aponte para uma sociedade onde a vida das pessoas se transformem e melhorem?
 O embaixador moçambicano em Brasília diz que “interessa-nos ter brasileiros em Moçambique produzindo, porque temos grande deficit de alimentos”, e o projeto prevê que será preciso empregar 90% de mão de obra moçambicana. A oferta é para produzir algodão, soja e milho, entre outros, visando a exportação. Sendo o milho o único atualmente utilizado para alimento humano. A Embrapa prepara as sementes com investimentos do Estado brasileiro, e o presidente da Associação Mato-Grossense dos Produtores de Algodão diz que “Moçambique é um Mato Grosso no meio da África, com terra de graça, sem tanto impedimento ambiental e frete mais barato para a China”. O chefe da Secretaria de Relações Internacionais da Embrapa diz: “Nessa região, metade da área é povoada por pequenos agricultores, mas a outra metade é despovoada, como existia no oeste da Bahia e em Mato Grosso nos anos 80.” O projeto oferece também isenção para a importação de equipamentos.
 O que pretende este programa é aproveitar as terras moçambicanas, “de graça”, produzir para exportação, aproveitando-se da mão de obra barata, e a ausência de regulamentação ambiental e sindical. Entretanto, sabe-se já de início, os projetos são de capital intensivo e grande tecnologia, e vão utilizar pouca mão de obra. Os produtos não serão consumidos no país e a renda interna proveniente será a modesta soma de alguns meticais por ano, que ficará com a instituições estatais. Moçambique não é a Bahia, pois a África não é o Brasil. Mas o “Havaí é aqui” e lá.
 Como se observa, são projetos que podem ser viáveis economicamente, mas não são sustentáveis do ponto de vista ecológico e muito menos social.
 Ao se concretizar a proposta em análise, faremos com que o aprofundamento da relação com a África, tão querida quanto necessária, se dê por um empreendimento tipo colonial comandado por fazendeiros (e jagunços) e com a benção dos estados.
 Por desconhecimento da história, despreparo dos envolvidos, falta de objetivos estratégicos, estrutura e planejamento do empreendimento, incluído aí o nosso Estado (pese os avanços recentes), a aventura brasileira na África, nos moldes apresentado, tem muita chance de se dedicar a ir descobrir a roda no cerrado e cair no ridículo, perder dinheiro e criar novos personagens conradianos.
 Mas, se der certo, dará razão a uma anterior parceria entre Brasil e Moçambique, a de Chico e Rui Guerra, por demais conhecida: “Ai, esta terra ainda vai cumprir seu ideal, ainda vai tornar-se um império colonial (...), um imenso Portugal.”
 Entretanto, um outro modelo de cooperação e investimento entre Brasil e o continente africano é possível e urgente de ser pensado. Mas temos que nos preparar internamente para isso, num escopo do que queremos para o nosso povo e das relações entre países.
 É momento de governo, Estado, universidades, empresários, instituições públicas e privadas, como o Instituto Lula, opinarem sobre um novo modelo de parceria entre Brasil e a África, que envolvesse diferentes agentes brasileiros e africanos, inclusive os fazendeiros do cerrado, para encontrar outro ideal a ser cumprido.
 *Beluce Bellucci, economista, doutor em história econômica pela USP. Trabalhou mais de 12 anos em Moçambique, onde coordenou projetos agro-industriais na região de Niassa, Cabo Delgado e Nampula, após a independência em 1975, no ministério da Agricultura e no Banco de Desenvolvimento. Foi diretor do Centro de Estudos Afro-Asiáticos da Universidade Candido Mendes, Rio de Janeiro.
 Texto de 16/8/2011
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by africa_class | 2011-09-27 09:19 | 【情報提供】モザンビーク

日本平和学会ニューズレター最新号にエッセイを書きました。

お久しぶりです・・・今、京都にいます。アフリカから帰ってはきたものの、
あまりに忙しい毎日で、なかなかブログも書くことが出来なかったのです
が、少し一息入れられるようになったので、ブログを更新します。
 以下、日本平和学会の依頼で書いたエッセイです。今まで学会活動を
結構サボってきた(!)こともあり、かなり躊躇しましたが、研究者であり
活動家であるということが当たり前の学会ということもあり、思い切って
書いてみました。http://www.psaj.org/
 なお、同学会の秋季研究集会は10月29日~30日広島修道大学で
す。なぜか、事務局主催の部会で報告することになってしまいました・・。
部会:「世界構造の揺らぎ~<アラブの春>を超えて」16時10分~
「2005年以降のアフリカにおける民主化の停滞と最近の変化」
http://www.psaj.org/modules/news/
という報告をします・・・・。そして、勿論、まったく準備はできておらず・・。
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日本平和学会 ニューズレター19号No.4 2011年9月15日
平和研究あれこれ「3・11後の私、私たち~We are the Fukushima」

「どうしてあなたは、福島の子どもたちのことにそんなに一生懸命なのですか?」4月23日、「福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクト」のニーズ調査と関係機関訪問を終え、郡山駅で新幹線に乗る直前、地元NGOの方にそう聞かれた。その時、あまりに驚いてきちんと答えられなかったこの問いについて、今でも考え続けている。
 確かに私は、「アフリカ地域研究者」で、「アフリカの紛争」を専門とし、「東京外国語大学」という福島とは関係のなさそうなところで仕事をする関西人である。しかし、私にとって、今この問題に取り組むのは、ごく当たり前のこと。むしろ、「関係ない」といわれると不思議に思ってしまう。
 まず私は、事故を起こした福島第一原発の電力を、東京電力から買ってきた。次に私は、20年間有権者として、自公政権や民主党政権の原発推進体制を支えてきた。彼らに一票も入れなかったとしても、一市民としてそのような政治が変えられなかったという点で、支えたも同然であった。そして、私は原発に反対しながらも、十分な取り組みをしてこなかった。何より、私は広島原爆投下の日に生まれたのであった。だからこそ、平和のために生きようと、活動し、研究してきたのではなかったか。しかし、原発の問題を平和の問題として十分に考えることをしてはこなかった。そして、日本中に原発が増えていく中、ただそれを眺めていただけだった。たとえ、署名や募金活動に協力したとしても。
 結局、私は今回の原発事故発生の構造部分に、消費者・有権者・市民として実質的に何もしてこなかったことによって、深く関与してきたのである。私にも責任がある。福島原発事故は「私たちの問題」でもある。むしろ、私たちのものであったはずの問題を他地域の人びとに押しつけ続けてきた結果が、この事故であった。
また、私は「子どもは社会の宝」をモットーに、これを実践してきたつもりであった。自分の子どもであろうと、人の子どもであろうと、福島の子どもであろうと、アフリカの子どもであろうと、子どもたちは「私たちの宝」であることに変わりはない。
 アフリカの村のお母さんは、自分の子どもがどこで何を食べたか知らないことが多い。「共食(きょうしょく)」の文化がそうさせるのである。実は、私もそうやって大きくなった。両親・両祖父母が共働きの我が家の夕ご飯は8時であった。いつもお腹をすかせていた私たち姉妹は、親戚でもない隣のおばちゃんの家に勝手に上がり込み、ご飯をもらい、いつの間にか炬燵で眠り惚ける毎日だった。近所のおネエちゃんの家に押しかけては遊んでもらい、毎週のように銭湯に連れていってもらってもいた。私たち三姉妹は、京都のとある漁村の「宝」として、大人たちに包み込まれるように育った。そして、それは特別なことでもなんでもなかった。今になって私たちの面倒をみてくれていた人たちが経済的には貧しい家庭の人たちだったと知ったが、彼らは当たり前に私たちを預かり、食べさせてくれたのである。
 しかし、そのようなコミュニティは現在の日本に、どの程度残っているだろうか。私たちは、自分や親せき以外の子どもに、どれぐらい頻繁にご飯を食べさせているだろうか。いつから私たちは、自分の子どもでない子は「ヨソの子」として扱い、自分の子どもばかりを大切にすることが当たり前の社会に暮らすようになってしまったのだろうか。
 今、福島とその周辺の子どもたちが、私たちの無力ゆえに、私たちの目の前で、危険に晒されている。誰よりももろく、尊いはずの子どもたちの健康と命。それを守ることができる政府も、医者も、専門家も、メディアも、何もしない。何もしないどころか、子どもたちに大人より緩い「基準」を与えて平気でいる。
1990年代初頭以来、日本政府は、「人間の安全保障」を「ウリ」として世界に広めよう…と何十億円ものお金を世界にばらまいてきた。今、その日本は、子どもたちの安全を保障するどころか、奪い続けている。子どもの安全と引き換えに、メンツやカネや既存構造の存続を優先する様は、戦時中の日本と同じではないか。一人ひとりの命よりも国家が優先される時代は終わったと誰もが思っていた。しかし、実際のところ、そうではなかった。私たちの弱さが、それを許してきた。
 2011年3月11日直後にはっきりしたのは、日本という国が、65年を経てなお戦時中の体制から脱却できていないということであった。そんな体制を温存してきてしまった私たちもまた、結果として子どもたちを危険に晒している。しかし、自分たちの無力を嘆く余裕はもはやない。私たちは、今変えないとしたら、この社会を一体いつ変えるのだろうか。いつまで政府のせいにし続けるのだろうか。いつまで自分たちの無力をただ嘆き続けるのだろうか。
 福島のお母さんたちは、この四面楚歌の状況下で今日も闘っている。国家が守らない、社会が守らない子どもたちを、自分が守るしかないという決意でもって、闘っている。政府のいう「安全」宣言を受容するお父さんが多いこともあり、お母さんは子どもたちの安全を守る最後の砦になってしまっている。しかし、人類が経験したことのない未曾有の危機の中で、一人のお母さんにどこまで何が出来るだろうか。お母さんがどんなに望んでも、親戚が県外にいる、経済的に余裕がある、インターネットへのアクセスがあるなどの条件が整わない場合、子どもたちを守る術も限られている。
 そして、せっかく逃げてもなお、自分を責め続けるお母さんたちがいる。あるいは、逃げないことで自分を責めるお母さんたちもいる。しかし、責められるべきはお母さんたちではない。そもそも、「社会の宝」を守る判断を一人ひとりのお母さんたちに押しつけていること自体が問題なのである。だからこそ、お母さんたちの闘いが、福島に残るという選択肢、あるいは出て行くという選択肢の中のものであろうとも、私は徹底的に寄り添いたいと思う。「社会の宝」を必死で守っているお母さんたちに、「ありがとう」と伝えたい。
 しかし、この闘いの真っただ中で、私は静かな運動の胎動を感じてもいる。今、全国各地で、小さな、小さな運動が生まれつつある。それらは、あまりに小さく、組織化されてはいないものの、生活の場から湧き出ている。その担い手は、これまで市民活動を担ってきたNGO関係者、宗教関係者、生協関係者ではなく、「ママ」であることを前面に出してはばからない女性たちなのである。デモなど行ったこともなかった女性が、デモを企画して大勢の人たちを動かしている。NGOなど参加したことなどなかった女性たちが、全国各地で福島からの子どもの疎開プログラムを立ち上げている。女性たちは、PTAの枠組みを越えて、学校運営に口を挟み、市議会を動かし、市長を動かしている。動かない国の政策をしり目に、「ママ」たちは、人びとを、地方行政を、動かし始めている。その運動の根本には、当事者意識と連帯と共感がある。この国を変えるためには、このような市井の人びとの動きこそ決定的に重要な意味を持つであろう。
 国に、専門家に、地方政府に、親族に、義父・義母に、夫に、逆らって福島を後にしてきたお母さんたちの決意。あるいは、福島に留まる決意をして、住民同士連帯し、少しでも危険を取り除こうと奮闘するお母さんたちの努力に、私は未来をみる。このような一人ひとりのお母さんの勇気が、私たちを変える。もはや、自分の責任の問題を超え、私はこの問題に関わることによって、日々勇気をもらっている。だから、今日も福島の子どもたちのことを一生懸命やる。自分のこととして。

福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクト 代表
http://fukushimaneeds.blog50.fc2.com/
東京外国語大学大学院 教員
舩田クラーセンさやか
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by africa_class | 2011-09-25 18:06 | 【311】子ども・福島乳幼児妊産

福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクト会議&合宿終了

この週末、皆さんはいかがお過ごしだったでしょうか?
「福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクト」と姉妹団体の「支援
プロジェクト」は、土曜日に会議、日~月曜日までは合宿を行いました。

詳細はおってご紹介しますが、全拠点のニーズ対応実績は、現在
の時点で、合計110世帯に上ることが分かりました。内訳は以下の
通りです。
●栃木拠点:避難所13世帯 お茶会4世帯、メール16世帯  
       合計33世帯
●首都圏・事務局:合計23世帯、直接4世帯、残りは避難所・イベント
●茨城拠点:10世帯
●新潟拠点:32世帯
●群馬拠点:12世帯

このブログの読者の皆さんにも寄付金を頂くなど大変お世話になって
おります。会計報告については、下記のニーズ対応プロジェクト公式
ブログをご覧ください。
http://fukushimaneeds.blog50.fc2.com/
また、地元の調布経済新聞に活動の紹介をしていただきました。
http://chofu.keizai.biz/headline/782/
あわせてご覧ください。
いつもご協力ありがとうございます!そして引き続きのご支援よろし
くお願いいたします。
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by africa_class | 2011-09-20 15:57 | 【311】子ども・福島乳幼児妊産

福島の使節団が国連前(ニューヨーク)で抗議集会(9月22日)

しばらくぶりになってしまいました。
帰国したものの、大学での会議に次ぐ会議、英語本の調整や原稿、
福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクトの活動調整に追われています。

さて、津田塾大学大学院の先輩で、長年にわたりアフリカの農業協力に
国連(FAO)で携わってこられた泉かおり先輩からの情報です。このブログ
でも活動を紹介した方です。
■アフリカと原発事故(泊原発、8月21日デモ)
http://afriqclass.exblog.jp/13319295/

ニューヨークにいる方は、是非国連前の抗議運動に参加してください。
福島からの使節団も参加されます!!以下、泉さんより。
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私たち、日本から米国に来ている使節団は、福島の真実について報告し、
原発廃止要求をするために、昨日ニューヨーク市に到着しました。
今朝から、NRC(米国原子力規制委員会)と議会議員らに会うために
ワシントンDCに移動し、夜には公開のミーティングを行います。
私たちは、9月22日17時からニューヨークの国連ビル前でデモストレー
ションを行います。
これらのイベントや情報について是非広く拡散ください。
また、もし皆さま方のお友達やお知り合いがニューヨークにいらしたら、
是非参加するようにお伝えください。

==国連前緊急抗議集会「原子力廃止with福島使節団」のお知らせ=
■日時:2011年9月22日17時~
■場所:ニューヨーク市 国連ビル前 Dag Hammarskjold Plaza
(47th Street and 1st Avenue, NYC)
*是非ご参加ください。バナーを持って立っています。
本イベントの詳細については、次のFacebookのページをご覧ください。
http://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=199854033413310&id=100000392788050&ref=notif¬if_t=like#!/event.php?eid=140320216063913
SHUT泊 代表 泉かおり
http://shuttomari.blogspot.com/
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by africa_class | 2011-09-20 15:41 | 【311】原発事故と問題

アフリカ開発に対する日本のアプローチ(エチオピアの事例)

以下、案内がありました。関心のある方は直接参加可能か下記連絡先
までどうぞ。
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GRIPS Development Forum–JICA Seminar
■ テーマ:
"Japan’s Approach to African Development during TICAD IV: The Case of Ethiopia"
■ 日時: 2011年10月17日(月)15:00~17:30
■ 場所: 政策研究大学院大学(GRIPS)1階会議室 1-A & B
■ 目的: 日本政府は2008年5月に開催したTICAD IVにおいて、アフリカの成長支援を柱の一つに据え、産業育成にかかる様々な支援を行ってきています。TICAD V行動計画の中には産業政策の策定支援が掲げられていますが、これを具体化するものとして、2009年よりJICA-GRIPS共同で実施されてきたエチオピア産業支援の取り組みとフェーズ1の成果につき報告を行います。これは、東アジアの開発経験に強い関心をもつエチオピアのメレス首相の要請をうけて、JICAとGRIPSが共同で2年間にわたり実施してきたものです。エチオピアの事例を踏まえながら、TICAD IVのフォローアップや、日本によるアフリカ支援への示唆につき意見交換を行います。
■ 内容:対エチオピア産業支援の2つの柱である「カイゼン」と「産業政策対話」に焦点をあて、JICAから「カイゼン」支援の成果を含め対エチオピア産業支援全般、GRIPS開発フォーラムからは「産業政策対話」を中心に報告します。エチオピアからは、経営工学(生産性向上)の研究者を招聘し、エチオピアにおけるカイゼンの今後の展望についても論じます。また、同じ政策対話というツールについて、日本と韓国のアプローチについても比較し、東アジア的発想に基づく支援のあり方についても整理・提示する予定です。
■ スピーカー: 
(開会の辞) 駐日エチオピア大使館 特命全権大使 マルコス・タクレ・リケ 閣下 
(開会の辞) 外務省国際協力局・アフリカ審議官組織 能化正樹参事官
アジスアベバ大学 准教授 ダニエル・キタウ氏
JICA 産業開発・公共政策部 部長 桑島京子
JICA研究所 企画課 課長 島田剛
GRIPS開発フォーラム 教授 大野健一
GRIPS開発フォーラム 教授 大野泉
■ 言語: 英語(通訳はございません)
■ 会場:
政策研究大学院大学1階 会議室1A&1B
〒106-8677 東京都港区六本木7-22-1
http://www.grips.ac.jp/jp/about/access.html
■ エチオピアとの産業政策対話に関するこれまでの活動については、こちらからご覧になれます。
http://www.grips.ac.jp/forum/af-growth/support_ethiopia/support_ethiopia.htm
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by africa_class | 2011-09-16 19:26 | 【紹介】アフリカ・イベント

アフリカから帰宅、カビと雑草と格闘する毎日

今朝は2度目の洗濯が終わり、米櫃にわいてしまった虫と格闘中。
1カ月半いなかったこともあり、椅子やソファーのカバーにカビが発生。。。
そして、出発前にあれほど抜いたはずの草が庭のすべての野菜を駆逐
してしまい、一面草ぼうぼう・・・。
 今年はそれに加え、竹が奇妙なほど伸びており、竹伐りと草抜きで
月曜日は3時間が経過。でもよく考えると、庭の除染にはよい方法かも。
雑草を乾かして、さらに落ち葉と表土と一緒に捨てれば、菜園の除染に
なりそうな予感。が、しかしそのことが結果として、ゴミ問題に?!なの
で、やっぱり深い穴を掘って埋めるしかないかな・・・と雑草の山を見つ
めながらため息をついているところです。
 アフリカ滞在中に皆に心配された2週間も続いた風邪ですが、ようや
く完治。この暑さと湿り気では、風邪さんもお手上げのようで。昨日は、
炎天下、久しぶりの自転車出勤。アフリカ出発前より体力が落ち、1.5
倍の時間がかかったものの、そしてとっても暑かったものの、なんだか
すっきりしました。やっぱり、玄米食+自転車のゴールデンコンビが一
番ですね。
 今日は、これから4つの会議が1時から5時まで続きます。
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by africa_class | 2011-09-14 11:05 | 【徒然】深大寺日記