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一挙掲載月刊『英語教育』連載コラム「アフリカの中の英語、英語の中のアフリカ」(その3)

今、BBCのメルトダウンの内側 Part3
福島第一原発周辺の避難者らが、SPEEDIの予測が公表されていな
かったため、より線量の高いところへ向かって行ったことについて・・・。
http://onodekita.sblo.jp/article/54621673.html
本当に悔しい。本当に、本当に悔しい。

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『英語教育』2011年1月~2012年1月
連載コラム「アフリカの中の英語、英語の中のアフリカ」
http://www.eigokyoikunews.com/store/eigokyoiku.html
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*文字数が多くて実際はかなり削った原稿ですが、原文のまま掲載
します。特に、最終回に実は大学の新しいコースについて紹介してた
のですが、紙幅の関係で次の部分を結局削除したでした。後1週間
でこれらの16名(1名増員)が入学です!!!!祝合格!
「東京外国語大学でも、今年4月から、アフリカ地域教育に力を入れた定員15名の学群が設置される。新入生15名は、まずは1年間徹底的に英語を身につけつつ、フランス語・ポルトガル語・アラビア語の中から一言語を選択し第二言語として学ぶ。そして、二年次からは、英語と第二言語を身につけ、さらに教養言語としてスワヒリ語をかじることになる。南部アフリカ共同体(SADC)に加盟するアフリカ12か国の大使たちによる英語での連続レクチャーも計画されており、まさに「生のアフリカの中の英語」に触れる機会となる。」

■第十回 サファリでサファリする?
本コラムもだいぶ終わりに近づいてきた。気づいたら、これまで「アフリカの中の英語」についてばかり書いてしまったて、「英語の中のアフリカ」について、ほとんど触れることができないまま! なので、今回は、「英語の中のアフリカ」について取り上げてみたい。
 と書いたまではよかったものの、なかなか思い付かない…。たまたま南アフリカ在住の「英語の達人」が家に泊まっていたので聞いてみた。「やっぱりSafariじゃない?」思わず膝を打った。そう、日本語にもなっている「サファリ」。英語でも、アフリカの国定公園などに行って、テント(といってもラグジュリアスで本格的なもの)に宿泊しながら、広大なサバンナの風景と野生動物の観察をすること全体を「サファリに行く(I go onto Safari)」という。でも、多くの人はSafariという言葉の由来は知らないだろう。
 Safariの元々の意味は、タンザニア・ケニア・ウガンダの3か国の公用語の一つとなっているスワヒリ語(Swahili)で「旅」のこと。当然ながら、野生動物がいようといまいと、移動すること自体がSafari。なので、現地で、「I go onto Safari」というと、「サファリでサファリする」というニュアンスになってしまう。では、スワヒリ語で我々の意図する「サファリ」をなんといえばいいのか? 
 それが、サファリにあたる言葉はないのだ!
 そもそも、アフリカの人びと人たちは、野生動物と共に生きてきた。お祭りの季節が近づいてくると、成人男性たちは連れだって、祭りの「御馳走」である野生動物を捕りに森に行く。数日間森を彷徨って、帰ってくるのは1週間後ということも。棒に逆さになってぶら下がって現れるインパラやガゼルを見て、思わず「可哀想」と口にしたくなるけれど、村の人びとにとっては重要なタンパク源。のしたがってで、野生動物をわざわざ「見に行く」という発想自体がない。
 では、アフリカの人びとにとっての「旅」は? それはやはり、冠婚葬祭で親族などに会いに行く際の移動だろう。かつては家族全員で正装して何十キロの道のりをテクテク歩いていたが、今ではミニバスにスシ詰になっての移動。これこそ、アフリカ的「サファリ」。
 なので、 なので、「サファリ」という言葉言葉はアフリカから来ているとしても、その概念はあくまでもアフリカの外から来たもの。

■第十一回 アフリカで野生動物を「見る」こと
前号では、英語にもなっている「サファリsafari」の意味を、アフリカの人びとの側から考えてみた。本号はその続編。
 「サファリ」と名のついた動物園もあるように、日本で「アフリカ」というと「野生動物」。ドイツでも事情は同じ。だからで、やっぱりそう。日本と同様に、テレビでしょっちゅう野生動物の番組をやっている。なので、私の調査についてきたドイツ人の「ツレ」が初めて私の調査についてきたときは、初めてのアフリカ(!)ということもあり、大興奮。赤茶けたアフリカの大地をヒッチハイクしたトラックを乗り継いで行くこと計2日間。ようやく着いた私の調査地の村がは、国立自然保護区に比較的近かったからだ。こともあり、。期待を高めた彼ツレは、地元の人たちに訊ねた。
 「どこに行けば野生動物が見られますか?せっかくアフリカに来たんですから!のに見ないで帰ったら、家族に笑われるんで!」
 すると、みな一様に怪訝な表情。
 「アフリカ=野生動物」と思い込んでいた彼は戸惑った。
 「ライオン、もしかして見たことないんですか?」
 皆が顔を見合わせた。そして、悲しそうな顔をした。その瞬間、私は悟って止めようとしたものの、時すでに遅し…。
 「『ライオンを見たことがある』なら人たちは、もうこの世にいないよよ。」
 そう。私が毎年調査に行く村のお年寄りたちは、3度の大きな戦争を経験し、戦争の度に、どの戦争の際にも、住民は村や家を捨てて、森の中に逃げなければならなかった。しかし、そこは野生動物たちのテリトリー。つまり、ライオンの棲家。結局、せっかく戦争から逃れても、ライオンに食べられてしまった子供やお年寄りは少なくなかったのであるある。
 申し訳なさそうに頷いたツレ。しかし、そこで彼の質問は終わらなかった。
 「確かに、ライオンは危ないですよね。すみません。でも、ゾウなら…。」
 再び顔を見合わせる村人たち。一方、項垂れる私。この地域一帯では、畑や食料貯蔵庫のサトウキビや穀物、野菜の味を覚えてしまったゾウたちが、毎年村を襲いにくるのであった。そのため子どもたちがは学校にも行かず、畑の見張り番をさせられることも多い。
 つまり、アフリカの自然が豊かな地域の人びとにとっての暮らしでは、「野生動物に遭遇する=危険信号」なのである。
 あれから12年。さすがに、彼も最近はそんな質問をしなくなったものの、代わりに今度はその息子がは双眼鏡でを片手に、まだ諦めずサバンナの向こうを凝視している。やっぱり、カエルの子はカエル。息子の将来の夢は、サッカー選手か自然保護区のranger(自然保護官)。調べてみたら、この言葉元々はドイツ語の「猟兵」の意味だそうな。納得。

■第十二回(最終回) アフリカへの誘い
本コラムも最終回となった。1年間おつきあいいただいた連載を始めた1年前と比べ、新聞等でもアフリカの話題が多くなってきた。また、東京外国語大学でも、今年4月から、アフリカ地域教育に力を入れた定員15名の学群が設置される。新入生15名は、まずは1年間徹底的に英語を身につけつつ、フランス語・ポルトガル語・アラビア語の中から一言語を選択し第二言語として学ぶ。そして、二年次からは、英語と第二言語を身につけ、さらに教養言語としてスワヒリ語をかじることになる。南部アフリカ共同体(SADC)に加盟するアフリカ12か国の大使たちによる英語での連続レクチャーも計画されており、まさに「生のアフリカの中の英語」に触れる機会となる。
 受験生に戻ることができない皆さんには、是非アフリカを一度訪ねていただきたい。「百聞は一見にしかず」がアフリカほど当てはまる地域は地球上に存在しないのではと思うほど、アフリカのイメージと現実はかけ離れている。このコラムでもたくさんのことを紹介したが、やはり一度は、実際にアフリカの大地に抱かれ、直接にアフリカの人びとと触れ合っていただきたいと思う。
 そして英語の達人たる皆さんには、是非アフリカの音楽CD、映画、文学作品に触れていただきたい。日本にいながらにしてアフリカのものが手に入る時代になった。中でもあえてお勧めするならば、映画『Amandla!』を挙げたい。ミュージカルの映画版であるが、アパルトヘイト下の南アフリカで、人びとが諦めることなく、不屈の精神と音楽と連帯の力で抵抗を続けた様子がドキュメンタリータッチで描かれている。ネルソン・マンデラの実際のスピーチも聞ける上に、音楽も素晴らしい。
 文学作品については、本コラムでも紹介したナイジェリア英語文学の系譜を引くチママンダ・ンゴジ・アディチェのHalf of a Yellow Sun(翻訳本『半分のぼ登った黄色い太陽』)をお勧めしたい。1977年生まれの若い女性作家であるが、同書はOrange Prize for Fictionを、2003年に発表されたPurple Hibiscus はBest First Book Awardと Commonwealth Writers’ Prizeを受賞している。ナイジェリアの現地の言語に由来する言葉も多く、最初は読み進めるのが少し大変かもしれない。しかし、後半にかけての躍動、複数のパーソナリティーの物語が大きな戦争という物語に結実していく様は、感動的である。人間の弱さと可能性を痛切に感じる一冊。
 また、アフリカについてもっと知りたい、学びたいという方は、筆者の編書『アフリカ学入門』(2010年、明石書店)をご参照あれ。
 この連載中に、アフリカ、ドイツとの往復を何度も繰り返した。世界を何周かして思うのは、やはり日本にアフリカ的刺激と包容力が不可欠な時代が到来しているということ。世界のどの地域よりも、今の日本には停滞感、諦めが漂っている。これを脱するヒントは「危機の先進地」ぜひ、アフリカにこそあり。ぜひ、アフリカへ。へ。
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by africa_class | 2012-03-28 21:56 | 【記録】原稿・論文

一挙掲載月刊『英語教育』連載コラム「アフリカの中の英語、英語の中のアフリカ」(その2)

このコラムの冒頭は
http://afriqclass.exblog.jp/12662684/

ちなみに、ブログ更新の時間がもったいないので、前から全部
観たかったBBCの「メルトダウンの内側(Inside the
Meltdown)」シリーズを聴きながらです。今Part2。
http://onodekita.sblo.jp/article/54621673.html
が、い番組過ぎて・・・しっかり観ました。本当にお勧めします。

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『英語教育』2011年1月~2012年1月
連載コラム「アフリカの中の英語、英語の中のアフリカ」
http://www.eigokyoikunews.com/store/eigokyoiku.html
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■第六回 公用語を英語に変えたルワンダ
2008年に公用語に英語を加えたルワンダ。ついに2009年には、フランス語圏アフリカとは決別するかのように、コモンウェルス(英連邦)に加盟を果たしている。しかし、何故ルワンダは公用語に英語を加え、英語化しようとしているのだろうか?これについては、ルワンダこのようなルワンダの英語公用語化は、この国で発生した二つの虐殺が関わっている。
 ルワンダには、フツ(約88割八十数%)、ツチ(約1割)(十数%)、トワ(数%)の3つの民族集団が暮らすとされるが、いずれもルワンダ語を話し、集団間の婚姻も進むんでいた。しかし、ベルギーの植民地支配期に、これら集団のカテゴリー化と集団間の格差や分断が生み出され、る。そして、1950年代末の独立移行期に、フツ・とツチの間での暴力が激しさを増した結果、ツチ約2万人が殺害され、20万人が難民となって国外に流出した。
 この一次虐殺の際に多くのツチ難民が逃げた先が隣国ウガンダであった。ウガンダは元英国統治領で公用語は英語。また、英国領東アフリカ地域の学問の中心地であったため、教育に熱心な国として知られる。このウガンダで教育を受けた難民やその子どもたちが、ルワンダへの帰還を目指して立ち上げたのが反(ルワンダ)政府勢力・ルワンダ愛国戦線(RPF)であった。
 1990年、RPF軍は、ウガンダ政府の後押しを受けて武装蜂起し、ルワンダ北部に侵攻を開始する。この危機に対して、フツを中心とするルワンダ政府は、国内的な(特にフツの)結束を獲得するために、国内外のツチをすべてを敵として、その虐殺を組織的にその虐殺に着手したのであった。その結果、1994年にRPF軍がルワンダを制圧するまでの間に、50万人とも100万人ともいわれる数のツチが虐殺された。
 虐殺後に政権を奪取したRPFの幹部はウガンダで教育を受けたために、フランス語が得意ではなく話せず、なかった。そのため、公用語に英語を加えた。わけであるが、さらにフランス語の放逐には別の理由もあった。それは、フランスが虐殺を行った興した旧政権を支援していたことや、虐殺発生についてRPF側にも非があったとフランス政府が総括したことに対する反発である。でもあった。
 国民の間のコミュニケーションはもう一つの公用語ルワンダ語を通じて行われるので問題はないが、英語が出来ない大半の国内で暮らしてきた人びと(その多くがフツ)にとって不利な状況が生まれていることは間違いない。「たかが言語、されど言語」…ルワンダの前途が多難であることは間違いない。
 しかし、国内で暮らしてきた大半の人々は英語ができず、不利な状況に立たされている。虐殺という悲しい歴史は、こんなところにも爪痕を残しているのだ。

■第七回 アフリカ発英文学
私が勤める大学でも、「『アフリカの英語』は『英語』?」と真顔で尋ねる人がいる。本コラムの読者であれば、既にそのような問い自体が成立しないことを御承知のことと思いたいところ。いやいやまだ説得されていないぞ…という方のために、昨今の「英文学」事情について取り上げたい。
 「英語」が「英国という国の言語」から、「英帝国の共通語」であった時代が過ぎ、「英語」という名前の一言語に過ぎなくなって久しい。ただし、グローバル化やインターネットの発達から「世界の共通言語」として脱皮しつつある現在、「英文学」もまた、「英国の文学」だった時代から、「英語で書かれた文学」を指すようになっている。最近のブッカー賞で、英国人以外のアジア・アフリカ出身者の受賞が相次いでいることからも、それは明らかであろう。
 今回紹介したいのはナイジェリア文学である。同国は多くの文学者を生み出してきた。中でも、1986年にノーベル文学賞を受賞したWole Soynika(ショインカ)はあまりにも有名であろう。しかし、今回紹介したいのは、Chinua Achebe(チヌア・アチェベ)である。 1980年代以降、英文学界で重要な位置を占めるポストコロニアル文学/批評において、アチェベが果たした役割はあまりに大きいからである。著書Things Fall Apart(邦題『崩れゆく絆―アフリカの悲劇的叙事詩』)は世界で一千万部以上売れ、英国や米国の小説百選にも選ばれているが、英文学界、あるいは世界文学界への彼の貢献は文学作品に留まらない。
 植民地時代のナイジェリアで生まれ教育を受けたアチェベは、それまでまったく問題にされてこなかった英国文学の根底にある帝国主義・人種差別主義観を鋭くえぐり出す批評を発表し、世界に注目されるようになる。中でも、19世紀末の英国作家ジョセフ・コンラッドのHeart of Darkness(『闇の奥』)の批評は、現在でもポストコロニアル理論において「古典」となっており、英米を中心に世界中の大学で繰り返し読まれている。
 英国文学は、日本でも広く読まれてきた。英国から輸入した学問とともに、文学もまた、日本の近代化において多くの知識人に影響を与え、重要な役割を担ってきた。私たちのアフリカあるいは非ヨーロッパ世界を見る目に、刷りこまれてきた帝国主義・人種差別観を乗り越えるには、私たちもアフリカ文学を必要としているのではないだろうか。

■第八回 英語に生命と活力を与えるアフリカ?
前号では、英文学界においてだけでなく、ポストコロニアル批評においても重要な役割を果たしてきたナイジェリアの文豪チヌア・アチェベを紹介した。今回は、英語の発展へのアフリカ文学の貢献について。アチェベは、1964年にこう書いている。
 「私は英語がアフリカの体験の重みを背負うことは可能だと思っている。しかも、それは、先祖の土地との接触を充分に保ちながらも、新しいアフリカの環境に見合うように変更された新しい英語となるに違いない」
 同様に、同じ時代のアフリカ人作家ガブリエル・オカラは次のように述べている。
 「生きている言語は生物と同様に発展するのであり、英語は死語ではない。アメリカ英語、西インド英語、オーストラリア英語、カナダ英語、ニュージランド英語等が存在するのだ。これらすべては、それぞれの地域の文化を反映しつつ、英語に生命と活力を付け加えている。」
 現在の英文学界でのアジア・アフリカ出身の作家たちの活躍を考えると、なるほとと思える指摘である。そして、これが1960年代という解放直後のアフリカの作家たちの意志表明である点に注目したい。支配され、言語を押しつけられる側から、この言語を飼い馴らし、それを白人たちには不可能な形で豊かにすることで、「主従関係」を覆そうとする主体的な意図が感じられる。そして、実際にこれらの作家たちは、それを成し遂げたのであった。フランス植民地でも、セダール・サンゴールが詩によって、本国知識人たちを脱帽させている。
 しかし、これに対して、ケニア人作家・大学教授のグギ・ワ・ジオンゴは、次のように異議を唱えた。
 「なぜアフリカ人作家は、他者の言語を豊かにするために自分の母語を絞り出す仕事にそこまで脅迫されなければならないのか。」
 そして、1977年、当時すでに国際的な英文学作家だったジオンゴは、突如として英語での創作活動を放棄し、ケニアの一民族語にすぎないギクユ語での創作活動を開始する。なぜだったのか。
 今、ポルトガル語を公用語とするモザンビークにいる。そして、アフリカ人学生のポルトガルで書かれた詩の朗読を聞きながら、ジオンゴの問いの重さを噛みしめている。なぜアフリカ人作家は、他者の言語を豊かにしなければならないのか、と。

■第九回 英語を捨てたグギ・ワ・ジオンゴ
世界的な英文作家のだったグギ・ワ・ジオンゴ(ケニア出身、大学教授)は、1977年にケニアのギクユ語で農民とともに舞台劇『したい時に結婚するわ(Ngaahika Ndeenda)』を創作する。独立後の政治指導者たちが腐敗していく様子を痛烈に皮肉る一方、農民が結束して権力と闘う様子を歌や踊りで表現した作品であった。農民から「遠い」英語ではなく、誰もが理解し、しかも民族独特の哲学や倫理を深く宿したギクユ語での劇は、またたく間に評判を呼んだ。それは、この劇が「一民族語のプロモーション」を超え、文化活動を通じての政治参加という新しい社会運動の可能性を示した巻き起こしたからであった。
 「権力者の言語=英語」を使わなくても、生活の言語を使って政治参加し、政治的な意志表明が出来る。『したい時に結婚するわ』は、誰もが政治に参加できる道を切り拓いたのである。だからこそ、危機感を持ったケニア政府は、民衆を扇動した罪で政治犯としてジオンゴを最高治安刑務所にぶち込んだのであった。この刑務所の独房の中で、ジオンゴは英語での創作を止める決意をする。ジオンゴは語る。
 「白人の言葉を学んだ者はだれもが、いなか者である大多数の者とその粗野な言葉を軽蔑し始める。選び取った言葉の思考方法と価値観を身につけることによって、彼は自分の母語の価値観から、すなわち大衆の言葉から疎外されるのである。つまり、言葉とは、民衆によって造られる価値観を、時代を越えて運び伝えるものなのである。」
 あれから35年以上が過ぎてなお、70年代のジオンゴの問題提起はアフリカ中では有効な意味を持ったままである。確かに、公用語である英語や他の西洋フランス語、ポルトガル諸語を使いこなす人の数も増えた。ヨーロッパの「本国」作家以上に活躍するアフリカ人も増えている。しかし、圧倒的多数の民衆にとって、依然これらの言語は「権力者の言語」のままである。勿論もちろん、同じ国の中に十も二十もの民族語がある現状において、これらの「公用語」の果たすべき役割は大きい。その前提でしかし、ジオンゴのいうように、「われわれの言語の再発見と奪還を求める声」に耳を傾ける必要がある。
 そして、それはアフリカに留まらない。日本でも、「方言」、「少数言語」の地位と役割を考える上で有効な視点なのである。「なぜアフリカ人作家は、他者の言語を豊かにしなければならないのか」「なぜトルストイがしたように国民文学を創造できないのか」というジオンゴの問いは、問われ続けなければならないだろう。
 そして、グローバル化した現在の世界における英語の地位上昇もまた、国際関係内での権力関係を反映している。現在の日本においても、ジオンゴの問いは日本でも有効なのではないだろうか。
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by africa_class | 2012-03-28 21:46 | 【記録】原稿・論文

一挙掲載月刊『英語教育』連載コラム「アフリカの中の英語、英語の中のアフリカ」(その1)

今日はかなり原稿が捗らなかった日なんですが、共著本『現代アフリカ
と国際関係』の担当章の骨子は出来たので、ヨシとしなければなりませ
ん。そして今、今年度の研究成果をとりまとめ中・・・がしかし、あんなに
書き散らしたのに、コラムや巻頭言・・・ばっかりでした。研究成果には
到底なりませんね~。でも一般に向けた発信が2011年は何より重要
だったので、これもヨシとしておこう。(あっ、英語本先月出版したのでし
た・・すでに遠い昔・・・のよう。)
 すでに「斑(まだら)脳」状態なので、今年1年間書き散らしたものを、
このブログでも一挙投稿しておきます。(すでに紹介したものもあるの
ですが、すみません。記録ということで一挙に再掲しておきます)
 まずは、去年1年間追い立てられた連載コラムの紹介。文字通り、
ドイツに、アフリカに、追いかけてきた・・原稿。
 全国の英語の先生(中高大)が読む月刊誌『英語教育』(大修館)の
「アフリカの中の英語、英語の中のアフリカ」というコラムなんですが、
丁度1年が終わったので、全部掲載できます(最新号でなければ掲載
OKということなので)。
 そして、このコラム。書店や編集者の予想を裏切り(!)、読者アンケ
ートで好きなコーナーの上位に選ばれたそうです~。(英語の先生たち
への「挑戦状」として書いたので<今明かす!>、何故かは不明です
が・・・あまりに突拍子もなかったからかも。。。)
 なお、紙面に掲載されたものはワードでないので、提出原稿です。校
正が十分入っていない文章であることを予めお伝えしておきます。本物
については、次のサイトをご覧の上バックナンバーをご注文下さい。
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『英語教育』2011年1月~2012年1月
連載コラム「アフリカの中の英語、英語の中のアフリカ」

http://www.eigokyoikunews.com/store/eigokyoiku.html
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舩田クラーセンさやか(国連PKO活動等に参加後、2004年より東京外国語大学でアフリカについて教える。英語・ポルトガル語・スペイン語・関西弁、そして怪しいドイツ語・マクア語を話す。)
 
■第一回アフリカの中の英語
この新コーナーのタイトルを見て、皆さんが最初に思い浮かべるのは何だろう。「英語の中のアフリカ」といえば、英語に取り入れられるようになったアフリカ起源の言葉や表現の紹介となろうか。例えば、なぜか日本語だと思われがちな、Okra(オクラ)など?では、「アフリカの中の英語」は? 
おそらく、本誌の読者の多くが首をかしげていることだろう。そもそも、アフリカ人の話している「あれ」は、「英語」なのか…ピジン英語に違いない、と?なにせ日本から「遠いアフリカ」である。英語の達人の皆さんであろうとも、アフリカ21カ国の公用語が英語だという事実をご存じないかもしれない。しかし、世界で最も多く英語を公用語とする国が集まっている地域、それはまさしくアフリカなのである。
「そんなことを言っても、実際そんなに使われてないんでしょ?」とのご指摘は、当っていて、その実そうでもない。確かに、人口の6割が農村に暮らす多くのアフリカ諸国では、公用語と指定されていても英語が普及しているとは言い難い状況にある。しかし、あなどることなかれ。公用語が英語ということは、街で見かける標識、お役所の書類から国営放送や新聞、高校や大学での教育言語まで、すべて英語なのである。つまり、都市に居る限り、英語は他の国と同様、普通に使われている。
 ということで、本連載では、これまでナゾに包まれてきた「アフリカの中の英語」を、徐々に明らかにしていきたい。ただし、「そんなことを知って何の役に立つんだ」という方もいるだろう。そんな皆さんに是非お伝えしたい。それは今、世界のビジネスシーンあるいは国際会議の最前線で話される「英語」は、もはや日本で学ぶような米国か英国の英語ではないということを。名古屋で開催された世界生き物会議(COP10)で見られたように、「途上国」出身者が、それぞれの訛りのそれぞれの英語で堂々と演説するのが当たり前の時代なのだ。「英語のグローバル言語化」が進んだ結果、英語の多様性が進み、国際交渉の現場では多様な英語は日々の現実。どんな訛りであっても、その人が言わんとしていることを正確に掴むことこそ、求められている。その観点からすると、「アフリカの英語は英語じゃない」などとは恥ずかしくていえない21世紀である。
 では、「アフリカの英語」って?これについては、次回以降をお楽しみに!

■第二回 英語留学先としてのアフリカ
最近、英語留学先のひとつとして、アフリカ大陸を選ぶ学生が出てきていることをご存じだろうか。依然、数としては少ないものの、文科省の発表では、アメリカへの留学が減る一方、アジア・アフリカ方面への留学が増えているという。留学以外にも、企業やNGOへのインターンシップという形態でのための渡航を希望する学生も増えている。私のゼミ生も、ケニア、ウガンダ、ルワンダといった英語圏、エチオピアやモザンビークといった非英語圏で活躍中(あるいは活躍予定)である。
 長年アフリカにかかわってきたこの私にさえ、数年前には想像できなかった事態である。しかも、アフリカは物価が高く、決して「安上がり」というわけでもない。休学してまで行くとなると、卒業が遅れてしまう。それでもでは、なぜ学生はアフリカを目指すのか?
 それは、社会がもはや「英語だけ」ができるだけの学生を求めてはいないからである。世界は急速に変貌を遂げ、「欧米諸国&日本=勝ち組」vs「途上国=負け組」という構造ではなくなりつつあるのを、若い人たちは敏感に感じている。新興諸国市場への進出に焦る日本企業にとって、英語力は勿論のこと、サバイバル能力や交渉力を有した学生は即戦力として重要である重宝される。日本と同じ豊かな欧米各国への英語留学では、自己変革を余儀なくされるような経験に結びつきづらい。だから、学生はアフリカへ向かうのである。
アフリカ留学には、もうひとつ積極的な意味があると私は考えている。それは、「英語至上完璧主義」からの脱却である。おそらく、受験での挫折が影響しているのだろうが、私の周りには「英語が苦手」という若者が非常に多い。しかし、実際はみな結構英語が出来るのである。思いきって使ってみれば、あっという間に上達しそうなのに、知識はあるのに、使いもせず苦手だと思いこんでいるのである。もったいない。
 そんな呪縛から解き放たれるには、アフリカはとても良い所である。アフリカ人の大半が、バイリンガルどころか、4つ以上、人によっては8つもの言語を操るマルチリンガル。なんといっても、1500もの言語が話される大陸である。このようなスケールで考えると、日本でよく聞く「英語好き」か「英語嫌い」かなんて、なんと小さなことか。の狭さがはっきり見えるのではないだろうか?最終目標を「英語を極めること」に持っていくから、コンプレックスになるそこに行き着けないと駄目という気分になる。3つぐらいの言語の習得を目標としたら、「英語ぐらい」という気分にもなろうというものというノリも可能。そうなればシメたもの。呪縛から解き放たれ、もっと楽しい英語学習も可能かもしれない。
 ということで、若者よ、来たれアフリカへ。

■第三回インビクタス」~3・11後の日本に捧げる詩
今号の草稿を準備したのは、去年末のことだった。3・11が日本を襲うことになるとは夢にも思わなかった時期。そして今、日本が未曾有の危機に直面する中、これを書いている。日本の「インビクタス」たちのために。
インビクタス(invictus)は、「負けざる者」の意味。結核によって障害を負い、大きな挫折と苦しみを抱えながらも、詩の創造によって自らを奮い立たせ、多くの人を力づけた19世紀末の詩人William Ernest Henleyの詩に後から付けられたタイトルである。
 なぜ、これが「アフリカの中の英語」かと言えば、この言葉を現代に蘇らせた人物こそ、南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領だからだ。マンデラは反アパルトヘイト運動の指導者として、27年もの間、監獄に収容された。しかし、この詩を胸に、希望と不屈の精神を決して失わなかったという。そして、1994年、全人種参加の総選挙によって、大統領に就任する。「囚人から大統領へ」…不可能を可能にしたその秘密が、この詩であった。
I thank whatever gods may be
For my unconquerable soul 
(…) I am the master of my fate 
I am the captain of my soul.
神に感謝しよう
負けざる魂を授かったことを
我が運命を決めるのは我なり
わが魂を征するのは我なり (抜粋)
 この詩がさらに世界的に有名になったのは、去年公開されたクリント・イーストウッドの映画『インビクタス~負けざる者たち』による。映画では、黒人を抑圧し、自分を監獄に閉じ込めた白人たちを許し、人種間対立を乗り越えるため尽力したマンデラの姿が描かれている。
 運命に逆らうことはできないようにみえる。失ったものは元に戻らないかもしれない。しかし、「わが魂」は自分だけのもの。「その後」を決めるのは我々自身。
 3・11の前よりももっといい日本に。それこそ、マンデラから学ぶべきインビクタスの心と思う。We are the masters of our own fate.

■第四回 3・11後にアフリカからの届いたメッセージ
今回の震災後、世界中から安否確認や哀悼、そして励ましのメッセージを頂いたが、一番多くのメッセージを送ってくれたのがアフリカの人々だった。私にはそれは驚きだった。というのも、私の普段関わっている人の多くがインターネットへのアクセスを持たないからである。そんな友人たちが、震災発生後すぐにインターネットカフェに向かってくれたのだ。い、メッセージを送ってくれた。しかも、震災発生から3日以内に。
 メッセージは、カメルーン、ブルンディ、モザンビーク、ベナン、ルワンダ、ケニア、南アフリカ、ザンビアなどの国々からで、その多くが英語で書かれていた。半分は英語を公用語としない国々である。メッセージを一人でも多くの日本人に届けようとるため、英語で書いてくれた。
 これらアフリカからのメッセージにはある種の共通した特徴がみられる。「がんばろう」ではなく、必ず「心はそばにあるよ」という共感や「連帯」が表明されている点である。
 今まで、私は、研究や市民活動を通じて、アフリカの人々が苦難に直面したときに見せる思いやりや連帯を、目の当たりにしてきた。アフリカの歌の多重性のように、相手の心のひだに寄り添う人たちの優しさに羨ましさを感じ、力をあわせて苦境に立ち向かう連帯の姿に勇気づけられてきた。
 奴隷貿易、植民地支配、戦争、飢餓、貧困…そんな過酷な毎日を生き抜いてきた人々だからこそのしなやかな知恵(強さ?)。だから、「平和ボケ」の現代ニッポンで育ってきた私が、その仲間に入ることはあり得なかった。そばでそれを見せてもらって感激するだけだった。
 しかし、3・11を経て、アフリカから送られてきたメッセージを読み、私たちは今、彼らに仲間として招き入れられているのだと感じている。象徴的には、ベナンの友人ギュスターブのメッセージがある。
 「あなた方の歩む道のりを照らす力になりたいと望んでいます。そのことを是非記憶に留めてください。」
私たちは、今までアフリカに対して、何かを教える立場にあると思い込んできた。しかし、この複合的危機と苦難に直面して、私たちの歩む道のりを照らす進むべき道を示す力を持つのは、アフリカの人たちなんじゃないか…そんな風にも思えてくる。
 人は一人では生きられない。一国だけでも存在できない。我々は、結局のところ、他者に、社会に、世界に、大きな自然に生かされているのだ、と痛感する毎日である。
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by africa_class | 2012-03-28 21:24 | 【記録】講演・研究会・原稿

卒業おめでとう~!2011年度卒業生に贈る言葉

今、大飯原発の再稼働に関する政府交渉をUstreamで聴いてい
ます。(さっき終わりましたが、手に汗握る凄いやり取りでした)http://www.ustream.tv/channel/iwakamiyasumi5#utm_campaign=ss-post-backlink&utm_source=7259756&utm_medium=social
論文の締切が今日な上に、夜出かけるので時間はないのですが、
気になって進まず、1時間断念して、ブログを更新することに。
これまでの訓練(同時に3つぐらいのことをやる!)により、福島乳
幼児FnnnPの作業やブログ更新は並行してできるのですが、さす
がに論文は厳しいですね・・・。

■昨日卒業した学部・大学院の皆さん
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*ユーリちゃんは来年ですが。
■でも、今年間違いなく一番目立った卒業生はマサイの花嫁でしょう。
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*私も知ってれば、アフリカ服着たのに・・・寒かったのです。
■なんか、青春って感じじゃないですか~??
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*なぜかいつも真ん中にキミちゃんが!

卒業おめでとう!そして、いつでもゼミに遊びに帰って来てね!
そして、追いコンで話したことをお忘れなく。
いなかった人もいるので大体こんなことを言ったよということで掲載
しておきます。

■その前に!是非一読してほしいのが、立教大学の吉岡知哉総長の祝辞です。
http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/philosophy/president/conferment/
私が、多くの授業、そしてゼミ特に卒論を通して、皆に伝えたかった
こと、のほとんど全てがとても深い洞察と説得力、覚悟をもって述べ
られている祝辞です。総長という立場もある中での祝辞。感銘を受け
ました。
 「(前略)高度な研究を行っている専門家や、著名な大学の出身者である政治家への不信が広がる中で、大学という研究・教育機関への信頼が失墜していったのは不思議ではありません。いま私たちは、大学の存在根拠自体が問われていることに自覚的であらねばならないのです。
 では、大学の存在根拠とはなにか。
 一言で言えばそれは、「考えること」ではないかと思います。
大学とは考えるところである。もう少し丁寧に言うと、人間社会が大学の存在を認めてきたのは、大学が物事を徹底的に考えるところであるからだと思うのです。だからこそ、大学での学びについて、単なる知識の獲得ではなく、考え方、思考法を身につけることが大切だ、と言われ続けてきたのでしょう。(中略)
 ところが、東日本大震災とその後の原発事故は、大学がそのような「考える」という本来の役割を果たしていないし、これまでも果たしてこなかったことを白日のもとに明らかにしてしまった。少なくとも多くの人々の目にそのように見えたのに違いありません。大学への信頼が崩れたのはそのためではないでしょうか。(中略)
 また、このような変化の背景に、そもそも「考える」ことの社会的意味を否定するような気分が醸成されてはいないか、という点にも注意しなければなりません。反知性主義が力を得るための条件は東日本大震災以後いっそう強まってきていると思われるからです。(中略)
 さて、これまで述べてきたことからもお分かりのように、「考える」という営みは既存の社会が認める価値の前提や枠組み自体を疑うという点において、本質的に反時代的・反社会的な行為です。(中略)
 それは皆さんが、「徹底的に考える」という営為において、自分が社会的な「異物」であることを選び取った存在だということです。
 どうか、「徹底的に考える」という営みをこれからも続けてください。そして、同時代との齟齬を大切にしてください。
 おめでとうございます。」
 
■私の2011年度卒業生を送る言葉■
卒業おめでとうございます。
みんなはきっと社会の中で重要な役割を果たす人になるでしょう。
それを目指してこのゼミは走ってきんだから(笑)。
でも、忘れないでほしいことは、『偉くなろう』としないこと。
ある意味で、『偉い人』になるのは簡単です。
どんどん自分の地位や利益を追求していけば、『偉い人』になれます。
皆にはそれだけの能力が備わっている。
それを試したくなる人もいるでしょう。
でも、そんな生き方でいいのでしょうか。

自分が『偉くなった』と思った瞬間に、是非立ち止まってください。
そして、『踏みにじられる側』の声に耳を傾けてください。
おそらく、皆が3年あるいは4年前に、このゼミに入ろうと思った理由。
アフリカという、外大では重視されず、むしろ軽視されてきた地域を、
あえて学ぼうとした理由。中には、専攻語の先生たちに反対された
人もいました。「アフリカなんて学んでどうするのか?」と。
それでも、皆がこのゼミに来たのは、世界的な不平等の構造の中
で最底辺に位置づけられ、矛盾を押し付けられてきたアフリカから
世界を考えたいと思ったからでしょう。
あるいは、そんな状況でもイキイキと生きるアフリカの人たちから
何かを学びたいと思ったからかもしれません。

そのことを、一生忘れないでください。
迷ったら、初心を思い出してください。
そして、『偉い人たちの側』でなく、『虐げられている側』に立って
みてください。
そのことは、きっと別の見方・世界を皆さんに教えてくれ、自分の
進むべき道を照らしてくれるでしょう。

だから、私もいつまでも「先生」と呼ばれる仕事を続けるべきでは
ないのかもしれない・・・と思っています。
大学の中で、私は「先生」で皆は「学生」でした。
でも、私が皆から学んだことの方が多かった。
「先生」は「偉い側」の肩書きです。
だからこそ、皆さんの側に立たないと、「裸の王さま」に陥ることに
なります。皆の本音が私がそうなるのをある程度防いでくれたと思
います。私もその意味で、ようやく8年生が終わろうとしているのだ
と思います。
皆さんは私にとって、「先生」であり、「仲間」なんです。

皆さんのこれからの人生に多くの幸がありますように。
そして、必ず押し寄せてくる苦しみや困難に、立ち向かえるだけの
力とユーモアと想像力を身につけていってくれるように願ってます。
でも、あの卒論の苦しさを乗り越えた皆だから、大丈夫ですね。
そして、皆さんには仲間がいます。
仲間は一生の宝です。
そんな宝に巡り合えたことを大切に、自分の道を進んでください。

卒業おめでとうございます。
そして、今後ともアフリカ・ゼミをよろしくね。

(2012年3月19日 深大寺拙宅にて)
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by africa_class | 2012-03-27 13:49 | 【大学】アフリカゼミ(3・4年)

【抵抗について】アンネの日記、アフリカンママ、武藤類子さんに学ぶ「精神の自由(自己の解放)」と愛

前からずっと書きたかった「抵抗」のことがようやく書ける時間の隙間が
出来たので、書いてみます。
 子供の頃からの人生のテーマは平和ではあったのですが、私の幼少
期の生活があまりに「平和」なものではなかったため、「平和」をのんび
りと考える余裕があまりなく、さらには天邪鬼な性格も手伝い、いつも
「平和」を「暴力」と関連付けて考えてきました。いや、もしかして逆だっ
たのかもしれません。「暴力」がそばにあったからこそ、「平和」をめざし
たかったのかもしれません。
 いずれにせよ、「暴力」をどう非暴力化できるのか、またより切実には
まずは自分としてどう「暴力に抵抗できるのか?」と考えて生きてきま
した。そして至った考えは、「平和を主体的に考える」ときには、「暴力
とどう向き合うのか」という問いが重要な問いであり、「暴力との向き合
い方」の一つには「抵抗」が重要な位置を占めているということでした。
 世の中は、「暴力には暴力を」「力には力を」「やられたらやり返せ」
「罪には罰を」・・・という論理が主流派を占めています。あるいは、
「暴力や権力には泣き寝入り」という態度がもう一方の主流を占めて
います。日本ではむしろ後者が一般的でしょうか。
 前者への反論としては、しかし、暴力や力を振るわれる(抑圧され
る)という構造がある以上、「やられる側」の立場にいる人が取れる抵
抗手段は限られています。現在、世界のある種の地域で、爆弾テロ
や焼身自殺がなくならないのは、組織犯罪は別として、そのことと関
連しています。
 司法が独立・中立・公平であれば、「罪には罰を」の論理も機能す
るのかもしれまえん。そして、そうなるように努力すべきでしょう。た
だ、不公平がはびこる社会において、ある罪の被害者は、その罪を
犯した個人や集団、構造だけでなく、それを裁く機関・社会構造・国
家すらも相手に闘わねばなりません。そもそも、「被害者になる」人
は弱い立場にいることも多く、その「弱さ」を乗り越え、罪を糾弾し、
社会と闘う・・・ことを余儀なくされます。
 想像してもらえれば分かりますが、これは容易なことではありま
せん。私もかつて用意なく、正義のために闘い、見事疲れ果て、
かなりのロスも経験しました。その時、おそらく、わが身わが事とし
て感じたのが、「抵抗し続けることの難しさ、重要性」でした。
 正面突破的な「闘い」は、長く続きません。また、新たな火種を
産み落としてしまいます。そのことを知っていながら、ある種闘い
続けてみたこともあるのですが、やはり疲れ果ててしまいます。
他方、「暴力」がなかったことにしてしまう事なかれ主義は、社会
をどんどんまずい方向に導き、関わらなければ大丈夫という傍
観者的なポジションの人すらも、いずれは巻き込んでいくでしょう。
 そんなことをつらつら考えていたときに、私は武装抵抗後のア
フリカの人びとの日常抵抗に出会ったのです。前にも書いたこと
がありますが、例の、①逃亡、②ばれないようにサボタージュ、
③歌や踊りで侮蔑、④宗教に逃げ込む、⑤酔っぱらう・・・等です。
 でも、一番重要なのは、これらのスタイルではありません。
これらの抵抗の底辺に息づく、「精神的には支配されない」という
決意なのです。私流にいうところの、「精神の自由」なのです。
この「精神の自由」こそが、白人の方が優れていると思い込まさ
れてきたはずのアフリカの人びとが、立ち上がり、自由のために
闘う際の基層にあったものです。
 土地を奪われ、家を奪われ、家族を奪われ、生業を奪われ、
言葉を奪われ、文かを奪われ、身体的に暴力を受けようとも、
内に秘めつづけた「精神の自由(自分)」こそ、すべての力の
源泉であった・・・とアフリカの人びとの歴史を学んだきた私は
思うのです。もちろん、これはアフリカ人だけではありません。
 私は、10歳の時にアンネフランクの『アンネの日記』に出会い、
とても納得がいったことを昨日のことのように思い出します。も
ちろん、今となってはアンネやこの本について学術的に論じる
術も身につけてしまったのですが、ここでいいたいのは、その
ような「頭」の話ではなく、「心」の話です。
 当時私は、色々な人の暴力に悩まされていて、ただそれを
ひたすら貝のように頑なになることで乗り切る日々を過ごして
いました。自分が「貝になる」イメージを持つと、何事もスルー
できるもので、自分がどんどん本当に「貝」に近づいていって
いることが怖くもあり、嬉しくもありました。そのまま続ければ、
美味しい貝になったかもしれませんが、私はアンネに出会っ
てしまったのです。
 彼女は、あのような日々においてでも見つけた小さな喜び
をそれは大切に大切に記していました。今読み返すともっと
違った印象を受けるかもしれませんが、当時私がいたく心を
ゆすぶられたのは、そのことについてでした。彼女の生きた状
況と比べれば、たいしたことのない私の状況。なのに私は絶
望していた。彼女もまた絶望していたでしょうが、「生きる」こ
とに価値と希望を見出していた。それは、「小さな喜び」を受
け止める力によってでした。
 「貝」は人間ではありません。
 アンネは最後まで人間でした。
 人間には、どこまでも残虐な力が与えられている一方で、
そういう可能性もまた与えられているのだ・・・それを同じ歳
の女の子が生をもって示してくれているのだ・・・ということに
脳天をかち割られるぐらいの衝撃と感謝を感じたことを昨日
のことのように思い出します。
 私は、ただ貝のように自分を閉ざすのではなく、小さな喜び
を見出すことに力を注ぎたい・・・そう考えるようになりました。
ただそれは容易ではありませんでした。おそらくかなり長い間
心の中でアンネと対話をしたのだと思いますが(この部分想い
出せず)、なぜアンネが小さな喜びを持つことができたのだろ
う・・・という点について、ある日思当たったことがあったのです。
それは、彼女が「愛」を、それでも、信じている・・・という点につ
いてでした。
 人間が人間を、あそこまで大量に組織的に殺す事態が進行
するその最中で、その犠牲者になることが目の前に迫ってい
る中、彼女はまだ「愛」を信じていました。もちろん、彼女がす
べてを知っていたわけではありませんでした。本当に収容所
での出来事をみていたら、あんな日記は書けなかったかもし
れません。
 その前提で、しかし、彼女はやはり愛を信じていたと思うの
です。少なくとも、自分への愛、周囲の人たちへの愛を。ひる
がえって、私は自分が嫌いでした。おそらく、暴力を振るわれ
たり、十分に愛されずに育った子供の多くが、愛仕方を知らず、
自分を嫌いながら大きくなる傾向にあると思います。あるいは、
自分を過剰に愛してしまう傾向が。
 でも、周りを変えることはできませんが、自分が自分を愛す
ことぐらいは出来るはずなんです。逆に言うと、自分を愛さず
に、他者を愛することはきっと難しいでしょう。その愛は、どこ
か一方的で、他力本願で、思い込みのものになりかねませ
ん。なぜなら、愛してもらうことで、自分を愛したいという欲求
がどこかに潜んでいることが多いからです。でも残念ながら、
他人は他人です。人の気持ちなどに頼っていては救われま
せん。
 話がそれましたが、私の中で、「抵抗」と「愛」は相互にリンク
していて、それぞれが「暴力」と「平和」に関わっています。
(学術的に説明していない点ご留意ください)
 アンネの日記を経て、のちにアフリカの人びとの抵抗に出
会ったときに、見えてきたこと。つまり、アフリカの人びとの日
常抵抗が、暴力をすぐにひっくりかえすだけの直接的な効果
をもたなかったとしても、自分の中の尊厳を手放すことなく、
したがって抵抗の炎を絶やすことがなかったからこそ、結局
は主体たることができたということ。そして、それを集団として
shareし、励まし合ったからこそ、のちの運動につながり、
強固な暴力構造をひっくり返すことができたのだということ。
これらに気づいたのです。
 そして、アフリカの人びとの抵抗の中で一番心ひかれたの
が、女性たちの歌や踊りでした。彼女たちも、歌も、踊りも、
歴史の教科書に出てきません。もはや聴くことも観ることも
一緒にやることもできません。しかし、女たちが畑仕事の合間
に紡ぎ出し、一緒に楽しみ、広め、伝承していった歌や踊りは、
私にはアンネの小さな喜びの持っていた力に通じる「抵抗」と
「愛」と直結するものでした。
 良く考えてみれば、私もまたアンネの日記を読んた後、人
間に戻ろうと(貝だったので・・)もがき、苦しみ、でも最終的に
は、おそらく戻れて、自己を解放することができたのだと思い
ます。「自己の解放」は、「精神の自由」とほとんど同じ意味で
使っているのですが、もちろん、今でも課題です。
 ただ、「人任せの愛」でなく、自分を信じ、したがって人間の
可能性を信じたときに(自分ばかりが可能性をもっているわけ
ではありえないので)、愛がどこまでも広がっていくことを感じ
られるようになった「ような」気がします。
 その時、暴力は不思議なことに止んだのです。
 その何(十)年も後に、また「貝」になってしまった時期もあ
ったのですが、時間はかかったものの、人間に戻ってこられ
ました。その時、性犯罪のサバイバーたち、アフリカの女性た
ち、とくにモザンビークの戦争を生き抜いた女性たち、ルワン
ダ虐殺のサバイバーの手記が果たした役割は、とてつもなく
大きかったのです。
 「人間を諦めない」・・・つまり愛は不可欠ですが、同時に、
「自分だけが自由にできる空間である精神の自由」を捨てな
いことの重要性は、3・11後により切実に重要と感じるように
なっています。
 ちなみに、「愛」を語ると日本ではクリスチャンだと勘違いさ
れるのですが(あるいは新興宗教?)、何の宗教も信仰してい
ません。哲学、伝承物語として、いずれの宗教もみています
し、とても参考にせていただいてはいますが。宗教は多くの人
、特に大変な状況下にいる人たちにとって重要と思いますが、
私のような天邪鬼には向いてないのです。

 なお、福島の武藤類子さんもまた、東北に古くから根ざした
「鬼」の踊りを、女性たちに広めてらっしゃいます。Our
Planet TVの武藤さんへのインタビュー番組に出てきます。
番組自体がとてもいいので、全部見て頂ければ。
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1305
 抵抗を通じて「自分」を創造し、「自分」を創造しながら抵抗
をする。抵抗を通じて人とつながり、人とつながって抵抗する。
抵抗の中に、愛と喜びを見出す・・・・そんなことの積み重ね
でしか、何かを変えることはできないでしょう。
 世界も日本も絶望的なほど強いものが強いです。だから
こそ、頭だけで理解したり、口だけを使って議論したりして
も不十分。一過性のものではなく、自分の心や生活や愉しみ
につながっていなければならないでしょう。
 武藤類子さんの様々な試みやメッセージは、その意味で
3・11後を生きる我々に鋭い問いかけと、誘いを投げかけて
くれています。
 武藤類子著『福島からあなたへ』(大月書店 1200円)http://www.otsukishoten.co.jp/book/b97138.html
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by africa_class | 2012-03-23 01:19 | 【311】未来のために

勉強会:アフリカにおけるBOPビジネス:JETROの取り組み(3月27日)

第16回「アフリカ産業戦略勉強会」
■ 日時:3月27日(火)18:30~20:30頃
■テーマ:「アフリカにおけるBOPビジネス、JETROの取組み」
「BOPビジネス元年」といわれる2009年以降、日本ではここ数年、
BOPビジネス推進のために様々な支援策・制度づくりが進んでき
ました。今回は、日本貿易振興機構(JETRO)の取組みに焦点を
あててご紹介します。JETROは2011年度に、アジアとアフリカで
BOPビジネス視察団派遣、および現地パートナーシップ構築支援
を開始、さらに来年度(2012年度)からは、本部に「BOPビジネス
相談窓口」、途上国現地に「海外コーディネーター」を設け、個別か
つ柔軟に日本企業の海外展開を支援する体制をつくっていく予定
です。
 こうした展開をふまえ、今回の勉強会では、まず、オールジャパン
や国際機関、海外パートナーとの連携を視野にいれたジェトロの取
組みについて、同機構でBOPビジネス支援の陣頭指揮をとってお
られる、途上国貿易開発課の根本裕之課長からお話を伺います。
続いて、情報通信分野の専門家で、昨年12月にJETROの東アフ
リカBOPビジネス視察ミッション(ケニア、タンザニア)に参加され
た武蔵大学の松島桂樹教授から、現地視察をふまえた、アフリカ
でのBOPビジネスの可能性についてもお話いただきます。
 そして、新たな段階を迎えた日本のBOPビジネス、そして今後、
支援体制を充実させていくうえで考慮すべきイシュー等について、
皆様と忌憚ない意見交換ができればと願っています。

■スピーカー(各30分程度、テーマは仮題) 
・根本裕之氏(JETRO途上国貿易開発部・途上国貿易開発課 
課長) 
 「JETROのBOPビジネス支援と今後の展望」  
・松島桂樹氏(武蔵大学経済学部 教授)  
 「東アフリカBOPビジネス視察ミッションに参加して」
■皆様との意見交換(1時間程度)
■申し込み方法:
御出席いただける方は、お名前、ご所属先、ご連絡先を明記の上、
3月21日(水)までに、GRIPS開発フォーラム・飯塚
(m-iizuka<@>grips.ac.jp)までご連絡ください。
■会場
政策研究大学院大学1階 会議室1A,1B
〒106-8677 東京都港区六本木7-22-1
a. 都営大江戸線 六本木駅 徒歩5分
b. 東京メトロ日比谷線 六本木駅 徒歩10分
c. 東京メトロ千代田線 乃木坂駅 徒歩6分
http://www.grips.ac.jp/jp/about/access.html
■前回(第1回~第15回)までの勉強会資料・議事録等は下記の
 「アフリカ産業戦略勉強会」サイトからご覧になれます。
http://www.grips.ac.jp/forum/newpage2008/industrialstrategy.htm
以上

宜しくお願いいたします。
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by africa_class | 2012-03-19 14:04 | 【紹介】アフリカ・イベント

朝日新聞Beで非電化発明家の藤村靖之さんが紹介。「愉しくライフスタイルを変える」

伊丹空港。今は取っていない朝日新聞の土曜版に非電化発明家の藤
村靖之さんの紹介記事を発見!!友人から、絶対話が合うからと紹介
されていたのですが、3・11直後でお会いすることができませんでした。
今日は運命的な感じがしたので、共有しておきます。藤村さん自身も、
アトリエのある栃木県那須が放射能の高線量地になってしまったので、
この1年そちらの活動で忙しかったそうですが、ぼちぼち本業を再開さ
れています。

■藤村靖之さん(非電化工房代表)
著者『エコライフ&スローライフのための愉しい非電化』
http://www.flintstone.co.jp/20060924.html
それにしてもサンタさんみたいな風貌の方ですね~。
■非電化工房のサイト
http://www.hidenka.net/jtop.htm
大手電機メーカーを退職して立ち上げた会社。
電気不要で使える「非電化製品」の数々を発明。
一番有名なのが、電気なしで使える冷蔵庫!!!モンゴルに提
供したそう。冷蔵庫の電気代はばかにならないのですごくいいア
イディア。3日に1度晴れなら10度以下になるという優れもの。
そして、一番普及しているのが、この手回しラジオ!!!!
http://www.hidenka.net/hidenkaseihin/radio/radio-3.htm
日本では災害時用に。昨日の京大の寸劇でも登場していまし
たが、京大の人たちは、アフリカの村に持っていくんですね。

私自身は、電化製品を使うのは極力抑えたいので必ずしも藤
村さんの発明品が必要なわけではないのですが、大多数の「
電化製品が不可欠な人たち」にとっては、これらを原発を動かさ
なくても使えることは重要なポイントかもしれません。
 また、電気を大量に使って、CO2を大量に出して、地球を温
暖化させ、原発事故を起こしてしまった私たちが、「電化製品を
使うのはけしからん」とアフリカの人たちにいう権利はあるのだ
ろうか・・・という問いにも、非電化製品は答えてくれる部分があ
るな、と思っています。
 全面的にすべてを頭から否定するのではなく、「こういう人は
これ」「ああいう人はこれ」という選択肢が、エコライフの中にも
増えていくといいですね。
 その点で、藤村さんが注意深くも、「これは社会変革運動では
なく、愉しくライフスタイルを変えてみる文化運動」といっているの
は、なるほどです。
 でも、やっぱり究極を目指したくなる私でした。
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by africa_class | 2012-03-17 16:34 | 【記録】エコの限界に挑戦

学術報告:「紛争後の亀裂社会における地域開発の課題~モザンビークとルワンダの事例を中心として」

手前味噌ですが。もう来週に迫ったので再掲載しておきます。
なお報告会といっても、一般に広くというよりも、学術的な議論の
場となる点について予めご了承ください。(したがって情報収集の
ための参加はご遠慮くださいませ)

=============
関係者の皆さま

2009年度より3年間の予定で取り組んできた研究課題「紛争後の亀裂社会における地域開発の課題~モザンビークとルワンダの事例を中心として」 (科学研究補助金若手A 研究代表:舩田クラーセンさやか)の最終報告会を開催したいと思います。本研究課題には、研究協力者や研究補助者など多 くの皆さんの協力を頂きながら現地調査を実施し、研究を深めてまいりました。まだ十分な検討が必要な段階ではありますが、これまでの調査並びに研 究成果を報告し、専門家の皆さんからご意見を頂くとともに、議論を深めたいと考えています。

■最終報告会「紛争後の亀裂社会における地域開発の課題~モザンビークとルワンダの事例を中心として」
■日時:3月21日(水)16時~18時半
■場所:東京外国語大学 本郷サテライト4階セミナールーム
(住所:東京都文京区本郷2-14-10 TEL:03-5805-3254 )
■アクセス:本郷通り上壱岐坂上交差点前ビル。
東京メトロ丸ノ内線: 本郷三丁目駅(M21) 2番出口下車徒歩3分
都営地下鉄大江戸線: 本郷三丁目駅(E08) 5番出口下車徒歩4分
都営地下鉄三田線: 水道橋駅(I11) A1出口下車徒歩6分
JR線: 御茶ノ水駅 お茶の水橋口下車徒歩7分
場所が大変わかりづらくなっていますので、下記のURLから地図をダウンロードしてお越しください。
http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html
(東京外国語大学本郷サテライト地図)
■式次第
1.研究報告
(1)本研究についての概要説明
(2)モザンビークにおける現地調査報告
 (舩田クラーセンさやか 東京外国語大学大学院総合国際学研究院)
(3)ルワンダにおける現地調査報告:女性/ジェンダーの視点から
 (八尋絵美 東京外国語大学大学院修士課程在籍)
(4)モザンビーク・ルワンダの比較報告:舩田クラーセンさやか
2.ディスカッサント
3.質疑応答
■ディスカッサント
・武内進一 JICA研究所 上席研究員
・米川正子 宇都宮大学 特任准教授
・朴明淑 東京外国語大学大学院修士課程在籍)
・岩崎健幸 日本アフリカ学会会員
■お申込みの上直接会場にお越しください。
お申し込み&問い合わせ先
メール:africa.seminar<@>gmail.com
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by africa_class | 2012-03-17 11:39 | 【記録】講演・研究会・原稿

国際シンポ:グローバルな倫理的消費:フェアトレードの新展開@民博<大阪>3月24日~25日

ツイッターでは書いているのですが、モザンビークから帰国しました。
帰国翌日から校務で大学に缶詰・・・だったり、原稿に追われ、ブロ
グまで手が回りませんでした。
 ファムカフェの皆さんも興味がありそうな話題だと思ったので、掲
載しておきます。近畿大の池上先生には、昔からとてもお世話にな
っており、先生のゼミ生たちがフェアートレードの事業をしていたこ
とを思い出しました。色々ヒントをもらえるかも!!関西なのでハー
ドル高いけど是非。なお、日英同時通訳ありなんで勉強になるで
しょう!こういう会議もUstreamで流してくれたらいいのですが・・。
 なお、事前申し込みが必要なので必ず申込みを。
=====================================
国際シンポ:グローバルな倫理的消費:フェアトレードの新展開
Global Ethical Consumption:
New Dimensions of Fair Trade
=====================================
・日時:2012年3月24日(土)~3月25日(日)
《3月24日》 13:30~17:00
《3月25日》 10:30~17:00
・場所:国立民族学博物館第4セミナー室
・使用言語:日本語・英語 ※同時通訳あり
・定員・参加費:70名・無料
・参加方法:シンポジウム事務局までメールで事前申し込み。
・主催:国立民族学博物館
・後援:日本文化人類学会
・URL: http://www.minpaku.ac.jp/research/fr/20120324-25.html
【申込先・お問い合わせ】
フェアトレード・シンポジウム事務局
suzuki-cr<@>idc.minpaku.ac.jp  
FAX:06-6878-7503
<趣旨>
公正な貿易を目指す「フェアトレード」運動は、近年、急速な拡大を
とげています。本シンポジウムは、「グローバルな倫理的な消費」と
いう観点から、最近のフェアトレードの動向に着目します。コーヒー、
紅茶、カカオなどのフェアトレード生産者の状況を確認しながら、消
費者による生産者の支援がいかにして実現できるのか考えます。
<プログラム>
3月24日(土)
13:30~13:35 開会挨拶 須藤健一(国立民族学博物館長)
13:35~13:50 趣旨説明 鈴木紀(国立民族学博物館)
セッション1:フェアトレード・チョコレートの可能性/座長:鈴木紀
(国立民族学博物館)
13:50~14:50 「甘いチョコレート、苦い現実」上映
14:50~15:15 休憩
15:15~15:30 「グローバルに広がるフェアトレード認証制度」
  高津玉枝(フェアトレード・ラベル・ジャパン理事)
15:15~15:30 「児童労働のないチョコレートをめざして:
ガーナカカオ産地でのACEの経験共有」 白木朋子(ACE理事)
15:45~16:00 「チョコレボ・ガーナプロジェクト」
 星野智子(チョコレボ・インターナショナル代表理事)
16:00~17:00 ディスカッション
3月25日(日)
セッション2:フェアトレードによる農村開発 /
座長:宇田川妙子(国立民族学博物館)
10:30~11:00 「開発方法としてのフェアトレードとそのドミニカ
共和国にとっての重要性:コナカド・グループの事例から」
Marco Coscione (Fundacion Global Democracia y Desarrollo)
11:00~11:10 コメント 鈴木紀(国立民族学博物館)
11:10~11:30 質疑応答
11:30~13:00 昼食
セッション3:小規模生産者にとってのフェアトレード /
座長:池上甲一(近畿大学)
13:00~13:30 「生産者を消費する:フェアトレードと小規模生産者」
  Peter Luetchford (University of Sussex)
13:30~13:40 コメント 箕曲在弘(早稲田大学)
13:40~14:00 質疑応答
セッション4:プランテーション労働者にとってのフェアトレード/
座長:大野敦(立命館大学)
14:00~14:30 「誰にでも公正?インドの紅茶生産におけるフェアトレ
ード農園と雇用労働基準の意味」
 Sarah Besky (University of Wisconsin at Madison)
14:30~14:40 コメント 牧田りえ(立教大学)
13:40~14:00 質疑応答
15:00~15:20 休憩
セッション5:消費者は何をいかに知るべきか /
座長:佐藤寛(アジア経済研究所)
15:20~15:40 「社会に根付くか、日本のフェアトレード」
渡辺龍也(東京経済大学)
15:40~16:55 ディスカッション
16:55~17:00 閉会挨拶 鈴木紀(国立民族学博物館)
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by africa_class | 2012-03-14 20:10 | 【紹介】アフリカ・イベント

国連女性会議での佐藤幸子さん(福島)のアピール文:「福島から世界を変える」

モザンビーク首都マプートを歩き回ってきました。
これまでお世話になった方々に本を贈呈しつつ、この間の社会変化に
ついてのインタビューをしています。雨季のモザンビークは蒸し暑く、さ
すがにバテて最後はタクシーに。でも、タクシーの運ちゃんこそ、世界
のどこでも一番社会変化に敏感なので、色々面白い話が聞けました。

さて、今日3月8日は国際女性デー。国連女性会議(CSW)のための
「子どもたちを放射能から守る会」の佐藤幸子さんに福島からのアピ
ール文です。涙なしには読めませんでした。

「早く気付いて下さい。お金が一番大切なものではないことを。私が、
あなたが、今一番大切にしなければならないものが何なのかを。」

後数日で3月11日がやってきます。是非、追悼と未来に向けた運動
に参加しましょう。全国のイベント詳細は以下のサイトで。
【祈りと一歩】
http://nonukes.jp/wordpress/

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「福島から世界を変える」  佐藤 幸子
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 福島県民の200万人が、原発事故によって人生を変えられてしまいました。自分で選んだわけでもなく、わが身に起こった出来事を1年経とうとしている今でさえ受け入れる事ができずに苦しんでいます。
 山形に避難させた私の子どもたちもそうです。結婚1周年目を迎えたばかりの長女は、福島を離れられないという夫に「このまま福島に住み続けるのなら、子どもは産まない」と宣言、ようやく承諾を得て山形に避難を決めました。しかし、同居を始めたばかりの義父は快く思わず、関係を悪くしてしまいました。 
 中学2年生の次女は、親友と離ればなれになることに抵抗して、転校しても学校へは行かず今もずっと家にいます。小学生のときの同級生に女子がおらず、中学生になって初めてできた女子の友達だったのです。
 18歳の三男は、我が家の農業を手伝いながら、私が経営する福祉事業所でも働いていました。しかし、放射能で汚染された農地で作物を作ることはできず、また労働基準法で決められている「放射線管理区域」では18歳未満は働かせてはいけないことになっているため、当時17歳だった三男を事業主としても「解雇」せざるを得ませんでした。学習障がいのある三男は、普通の会社で働くことはできず、今も失業したままです。
 私の職場でも、若い人、小さい子どものいるスタッフに避難を呼びかけ、3家族が避難しました。残ったスタッフの中には、未だにそのことを受け入れることができないスタッフもおり、職場の中がギクシャクしています。その人にとって個人的に親友でもあった家族だったのです。
 私は、30年間やってきた自然農業をやめざるを得ません。老後を楽しく過ごそうと作り上げてきた、福祉の事業もその存続が危ぶまれています。近くに住んでいた、気の合った農業仲間のほとんどが全国に散らばりました。助け合い楽しくつつましく暮らしてきたこれまでのささやかな幸せは、たかが「電気」一つ作るための「原発」でその全てを奪われたのです。
 事故は起こらないと「安全神話」を言い続けてきた政府と、東電はこの期に及んでその過ちを認めず、これまでは「5重の壁」で守らなければならない程危険な代物が、そこらじゅうにそのまま放置されているのに、こともあろうか今度は「放射能安全神話」を打ち出してくる始末です。福島の子どもたちを守らず、福島県民の苦悩も無視して進める政府は、何を守ろうとしているのでしょうか。経済最優先もここまで来ると、とても人間の心を持っているとは思えません。
 その上、こともあろうか、日本だけだは飽き足らず、世界に原発を輸出するとは世界中の子どものいのちを奪うつもりか?と怒りがますます募ります。
 原爆の悲惨さを隠すためにその被害を小さく見せようとした、アメリカが「核の平和利用」とばかりに日本に原発を輸出した、それと同じことを今日本がやろうとしているのです。「原発はもう収束した、放射能では大した被害はなかった、除染すれば大丈夫」と。
 「原発」のことなど何も知らされずに、貧しい農村では「働くところができる」と一部の金儲けの人々のために受け入れた日本のように、ヨルダン、ベトナムの人々も同じ道を歩いてしまいます。
 こんなことがまかり通る世の中を動かしているのは、誰なのですか?国は誰のためにあるのですか?地球は人間だけが住んでいるのですか?
 人間は、自然なくしてはその生存すらあり得ないはずです。自然をこれほどまでに汚染し続ける原発を世界中に作りまくった1パーセントの金持ちのために、99パーセントの人々と、自然の生き物全てが被害を受けなければならないのですか?いや、考えてみてください、自然は誰にでも平等です。ならば、1パーセントの金持ちにも必ずその被害は及ぶのです。
 早く気付いて下さい。お金が一番大切なものではないことを。私が、あなたが、今一番大切にしなければならないものが何なのかを。この地球は今生きている人間のためだけにあるのではないことを。
 もし、タイムマシーンが存在するとしたら、それはあなたの心の中にある「想像力」です。100年前、1万年前、10万年前の地球はどうだったか?人間は何をしていたか?100年後、1万年後、10万年後の子どもたちに残したいものは何か?それくらいの長い目で考えてみてください。今のこの瞬間の人間の欲望だけで、この大切ないのちを奪ってしまっていいのですか?
 私たちは、過去の様々な困難を乗り越え繋がってきたいのちがあって初めて、今この時代に生まれてきたのです。それに感謝する心を忘れてはいけません。必要があって生まれてきたいのち一つ一つが全て大切なのです。無用に奪っていいいのちなど一つもないのです。
 人類は、これまでスリーマイル島、チェルノブイリを経験してもまだ、原発を止めることができませんでした。本当に悲しいことです。フクシマが起こって、反原発運動をしてきた全ての人々が「なぜチェルノブイリの後に原発を止められなかったのだろうか」と後悔しました。ヒロシマ、ナガサキを経験した人々は、「自分たちが最後の被爆者にしなければ」との思いが届かず後悔しました。
 フクシマはこれらの後悔した人々と繋がり、本当にもう二度と、福島県民の味わった苦しみを誰にも味わはせてはならないと、メッセージを発信しなければならない立場におかれました。福島には、「福」がたくさんありました。「きれいな、水、空気、大地、そこからとれるおいしい食べ物」この「福」を全て奪った原発を決してこのまま、動かし続けてはいけません。
 そのメッセージは、世界中に届けられると信じています。そして、世界中の原発が止まったとき初めて、フクシマはこの苦しみ、悲しみ、怒りを収めることができるのです。それまで、フクシマを風化させてはいけないと覚悟しています。
日本語アピール全文 http://shuttomari.blogspot.com/2012/03/blog-post.html
英語訳   http://shuttomari.blogspot.com/2012/03/from-fukushima-we-change-world-sachiko.html
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by africa_class | 2012-03-08 20:47 | 【311】未来のために