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アフリカ土地問題【データ&ニュース一覧その1】

アフリカで、天然資源・農地・水源をめぐる土地争奪が凄まじい状態になっています。中国、米国、欧州諸国、ブラジル、インド、韓国、その他の外資や企業の流入を、地元政府や関係者が支えている構造で、資源・食料価格の高騰もあり、人びとの土地がどんどん奪われています。人びとの側での抵抗運動も活発化していますが、インドや南米と違って、農民・市民の権利意識も薄く、そうこうしているうちにあっという間に「アフリカ分割」の再来ともいうべき状態が生まれつつあります。
 残念ながらこのような大問題を研究する人が日本にはいません。私の専門というわけではなかったのですが、見過ごせない状態になってきているので、まずは若い人達の研究を促しながら、気づいた情報のクリッピングを行い、皆さんの関心の喚起を行いたいと思います。

■データ
1. http://landportal.info/landmatrix
土地問題に危惧する国際NGO・研究者が設定したデータベース
The Land Matrix

2.International land deals: who is investing and where - get the dataExplore the global database on more than 1,000 land deals covering an area roughly half the size of western Europe
→http://www.guardian.co.uk/global-development/datablog/2012/apr/27/international-land-deals-who-investing-what 報道

2.New international land deals database reveals rush to buy up AfricaWorld's largest public database lifts lid on the extent and secretive nature of the global demand for land
→http://www.guardian.co.uk/global-development/2012/apr/27/international-land-deals-database-africa 報道

■市民社会によるキャンペーンサイト
1. Stop Africa Land Grab (キャンペーン)
http://www.stopafricalandgrab.com/
2. Friends of the Earth (FoE)(国際環境NGO)
http://www.foejapan.org/aid/land/index.html (日本語)
http://www.foe.co.uk/news/land_grab_protest_36293.html (英語)
3. Land grab No!(日本の市民団体)
http://landgrab-japan.blogspot.jp/

■ニュース一覧
1. Tanzania: land rights v biofuel development – in pictures
→http://www.guardian.co.uk/global-development/gallery/2012/jul/05/tanzania-land-rights-biofuel-in-pictures
Biofuels were once seen as a sustainable alternative to some fossil fuels, but evidence shows demand in EU countries for biofuels to run vehicles has led to increased greenhouse gas emissions, rising food prices and more hunger. In the Kisarawe region of Tanzania, more than 19,000 acres of land are being used for a biofuel plantation. ActionAid has been working with affected communities to help them assert their land rights

2.Africa land deals lead to water giveawayAfrica heads for 'hydrological suicide' as land deals hand water resources to foreign firms, threatening environmental disaster
→http://www.guardian.co.uk/global-development/2012/jun/12/africa-land-deals-water-giveaway

3.Land grabbers: Africa's hidden revolutionVast swaths of Africa are being bought up by oligarchs, sheikhs and agribusiness corporations. But, as this extract from The Land Grabbers explains, centuries of history are being destroyed
→http://www.guardian.co.uk/world/2012/may/20/land-grab-ethiopia-saudi-agribusiness

4.Fred Pearce: Land grabbing has more of an impact on the world's poor than climate changeThe science and environment author discusses a growing global threat
→http://www.guardian.co.uk/world/2012/may/20/fred-pearce-land-grab-interview

5.Uganda threatens to expel Oxfam and NGOs over land-grabbing claimsOxfam and the Uganda Land Alliance have been threatened with deregistration by Uganda's internal affairs minister Hilary Onek
→http://www.guardian.co.uk/global-development/2012/may/10/uganda-oxfam-land-grabbing-claims

その他沢山あるのですが、とりあえず今日はこの辺で

■重要な議論
●Putting a price on the rivers and rain diminishes us all
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2012/aug/06/price-rivers-rain-greatest-privatisation
●LettersPrice of everything, value of nothing
http://www.guardian.co.uk/politics/2012/aug/09/ecosystems-financial-value-humanity
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by africa_class | 2012-09-26 20:28 | 土地争奪・プロサバンナ問題

おんなたちへ【抵抗の音楽】(A rose is still a rose by Aretha Franklin)

これもツイットしたのですが、まとめておきます。
かつて若い女だった私の失敗をふりかえって、多分余計なお世話&無駄でしょうが(私も人生をやり直しても同じことをするだろうから)、再録メッセージ&音楽です。

1.他人に愛してもらえれば自分を愛し解放できるか?
 先日、卒業生が遊びに。若い女性(20代後半)の結婚願望について耳にし(彼女のでなく)、依然日本の若い女性は「結婚=ゴール」で、自分の自信なさや不安を他者に補ってもらおうと他力本願中と知る。
 女たちよ、自分の問題を他者が解決できるとの幻想は捨てよう。自分を解放できるのは自分だけ。自分を偽るのを止めよう。かつて若い女性だった私も、「他人に愛してもらえれば、自分を愛せるのに」と思っていた節がある。だから、「愛してもらえないなら、自分も愛せない」気がしてた。(不幸な結婚しかみたことがなかった私は、結婚がゴールとは思ってなかったけど!)
 日本では、結婚の次は、出産が自己承認(解放)の手段だと思う女性も多い。でも、そうやって他者や他者との関係に自分の課題を転嫁し続けることの不健全さで一番苦しむのも結局自分。なので、比べる/他力本願を止め、自分を受け入れ、解放しよう。
 かつて日本では女性は、「なにがしの娘」「なにがしの妻」と呼ばれてきた。そんな風に自己アイデンティティを他人の存在に任せる必要はない。

2.社会の中で女としてどうプロに成長するか?
 卒業生話パート2。働き始めた彼女たちは、「どういう人間(女性)」としてプロの卵として振る舞えば良いのか悩んでる。かつて日本では「かわいこぶりっこ」が求められた。まだその幻想を引きずってる上司も多いよう。が、「かわいいふり」して世界で通用すると思うなかれ。10年後、あなたはもはや「かわいさ」を売ることは出来ない(むしろ気持ち悪い)。10年後になりたい自分像をしっかり持つべき。
 この日本の大企業ですら、もはや「お茶汲み」「エレベーターガール」「受付嬢」に給料を払うことは不可能に。終身雇用制はとっくに崩壊。かつては「お嫁さん候補」として雇っていた女子を雇う余裕がない日本企業の方が多い。そもそも、男性の正社員すら比率的に急速に下がっており、大企業が倒産することも多々。もはや、夫の給料だけで安定した生活が送れる時代ではない。
 民間だけじゃない。控除のカットで主婦切り捨てする一方の国政。急速な労働人口減少に喘ぐ現場…からすると、若い女性たちはプロに育つしかない。自分の未熟さを引き受けつつも、かわいこぶって逃げない。しなやかに、強く成長するしかない。今主婦だとしても、その社会性やマーケティング能力を活かして、身を立てる方法はいくらでもある。今重要なことは、「あきらめない」「自分を信じて」「自分を高め」「社会の中で生きる」こと。
 私の実感では、世界の最前線でやっている企業、社会に根を張って延びている企業のいずれでも、女性は即戦力。そのことに気づいていない日本の企業人事部は、企業を滅びさせるだろう。だから、そんな日本の企業に執着しなくていい。中小でいいし、外資でもいいし、自分で会社を興してもいい。
 今なら、お母さんたちには、是非、地域・国際の政治家になってほしい!!!今すぐでなくてもいいから、地域で経験を積み、勉強もして、この閉塞感漂う、そして子どもの命を蔑にすることを厭わない政治をかえましょう。

3.「女を捨て、男性と同一化したプロになる?」
じゃあ、どんな「即戦力女」になるのか?「女を捨てる=男性と同一化すべき?」←ここが肝心なポイント。私の答えはNo! トップダウン式の旧来手法は、下の白けと委縮を買ってきた。変化にも柔軟対応出来ず、今日本の組織硬直に直結し、激動する世界や高齢化が進み縮小経済の社会に対応ができなくなった。一緒に仕事をする人達の個性が活き、チームとして成果が出るようなファシリテーションが出来る人物こそ、今求められてる。単に「空気を読んで終わり」ではなく、まずは結果を導き出すという目的をはっきりさせて、その方向で空気を読んでファシリテーションすればいい。その点において、「目的に向かってファシリテーション」はまだまだ努力が必要だけれど、女性と今の若い男性は向いている。
 ビジョン形成、プロセスメイキング、タイムラインと担当者決定、フォローアップ・・・これらをプロジェクトマネージメントの根幹に据えて、皆を温かく、時に厳しく、励ましていく。フォローが必要な人には声をかける・・・ほら、出来そうでしょ?
 そのためには、マネージメント、組織化能力を向上させよう。家事と子育てと仕事をこなしている人なら、これはかなり有利。でも、やっぱりソーシャルな活動に関わっていないと、自分の持ち場だけしかみえないことに。若い人なら、部活やサークルや大学での勉強の両立程度ではなく、もっとソーシャルな活動もやってみよう。大丈夫。タイムマネージメント能力がアップするから。

4. それでも社会・家族の壁に泣きたくなる夜に
けれど、けれど、そんな有能なあなたに、報いてくれる社会・家族であるかというと、まだまだそこは課題。若いうちは、若いからこそ難しい。年齢があがってくると、専門性はアップするけれど、「女性として」の目線が気にならないわけではない。「女を捨てる」方式をとらないあなたには、余計そうかもしれない。
 そんなあなたには、以下の曲を。

Aretha Franklin "A rose is still a rose."
http://www.dailymotion.com/video/x3r9f0_aretha-franklin-a-rose-is-still-a-r_music
Lauryn Hillの素晴らしい曲。これをこの年齢&体格のアレサ・フランクリンに歌わせたところがミソ。

?Cause a rose is still a rose
Baby girl, you're still a flower
He can't lead you and then take you
Make you and then break you
Darlin', you hold the power

Now believe me when I tell you
That I've been hurt myself
When he tells you that he loves you
And sees nobody else

And now you're so tough tryin' to
Wear tight clothes and things
Tossin' and flossin'
Tryin' to fill the void heartbreak brings
---
See a rose is still a rose
Baby girl, you're still a flower
He can't lead you and then take you
Make you and then break you
Darlin', you hold the power

Let your life be in the sunshine
Not the darkness of your sorrow
You may see you're all today
When you know it'll come tomorrow

Tough to be, but life ain't over
Just because your man is gone
Girl, love yourself and love to love
?Cause without him your life goes on

Without him your life goes on
Without him your life goes on

ほら、バラはやっぱりバラで、
あなたはやっぱり花で、
彼はあなたをリードしたり、奪ったり、命じたり、壊したりはできない。

あなたこそが力をもっている。

そうだね、アレサねーさん。
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by africa_class | 2012-09-24 16:23 | 【知る】抵抗の音楽

抵抗の音楽【ミュージック・ボックス1~4】:ボブマーレー、マリア・ベッターニャ、シコ・ブアルキ

抵抗の音楽について何度か書いてきました。ツイットで紹介してきたのですが、少しだけ時間があるのでまとめておきます。

ミュージック・ボックスのようにいくつかの音楽を独断と偏見に基づき紹介しています。是非、一度聴いてみてください。ボブ・マーリーのRedemption Song (Song of Freedom)の詳細については、過去ログを(http://afriqclass.exblog.jp/15724514/ )。特に、歌詞の全文を読んでほしいです。

【おススメ抵抗の音楽1】
抵抗のためには自分を解放する必要が。偽りの自分では、時に肩の力を抜かねば、巨悪に立ち向かうパワーが持続せず。だから→ボブマーリー Redemption Song(Song of Freedom) →http://www.youtube.com/watch?v=6KKhHpYb0yU&feature=fvwrel … 曲を聴いた後、自己解放に効く→「私なんてダイッキライ」とシャワーで叫んでみる。皆天邪鬼なんで逆を。何か愛しくなる?

【おススメ抵抗の音楽2】
権力との闘いでイライラしてる貴女におススメ。
出だしにウットリ、でも必ず最後騙されます。
Terez Montcalm "sweet dreams"
http://www.youtube.com/watch?v=ZgCrqqv5TPs
"Everyone is looking for something. Some of them want to use you.....want to abuse you.....Pull your head moving on..........Keep your head moving on......
これも歌詞を全部読んでほしい。不条理に立ち向かうあなたへの応援歌。歌い方が絶対的にオリジナルより歌詞にぴったり。中に入り込んでる。

【おススメ抵抗の音楽3】
今日も闘い疲れた貴女男へ。
ブラジルのMaria Bethânia (カエタノベローゾの妹)。軍政批判の「Cálice(黙っておけの略語)」がタイトル。 http://letras.mus.br/maria-bethania/164682/
Chico Buarqueの歌詞が素晴らしすぎる。直接的な批判ではなく、比喩が沢山多様されながら、権力への批判と抵抗を歌っています。聴き取れない人のために歌詞が載っているサイトを紹介しておきます。De muito gorda a porca já não anda. De muito usada a faca já não corta 「太りすぎてもう歩けないブタ。使われすぎてもう切れないナイフ・・・・」(なんか日本の旧態然としている権力者たちのよう)

 今となっては、MPB (Música Popular Brasileira)は日本では単なる歌謡曲だと思われているかもしれません。でも、MPB創設者たちが生きた60年代は、軍政が始まって音楽が抵抗に使われた時代。そもそも、ブラジルの特にアフロ系の音楽や文化は、「抵抗の精神」が埋め込まれていた。
 私がブラジルに留学した1991年は民主化移行直後でまだ反軍政スピリットがあちこちに。サンパウロの出版社(雑誌)で出稼ぎしてた私の居候先がブラジル音楽を語らせたら止まらない元編集長宅。そこで出会ったのがM.Betanhaだった。二十歳の私の最初の印象は「辛気臭い」…が、なんか骨の髄に響いた。
 当時は、語学力の問題もあったけれど、若すぎて言葉に秘められた抵抗の精神が分からなかった。ながーい権力との闘いを経て、311後の今はより理解が深まった気がする。

【おススメ抵抗の音楽4】
Chico歌はNGだけど(歌わせると少しがっかりする)、寝る前にリラックスして笑いたい人に是非。
Chico BuarqueのAcorda Amor(愛よ目覚めよ)
http://www.youtube.com/watch?v=kMmlXCcRjJc
ノリノリで愛を歌ってるフリしながら、独裁への痛烈皮肉
「私を、私を、私を、ドロボーと呼べ!」
画像を見れば納得します。

世界中の民衆の抵抗に「ズラす」という戦略がある。真正面から対抗しつつも、権力と金にしがみつき続ける既存権力を大勢で「あざ笑い倒す」。「気づいてないん、あんたらだけやで。ハズカシ~」という調子。杉並デモなんかはその典型かと。「エラい人(!)」演じてる野田さんも、下野して「ただの人」になってふりかえってみれば、1年以内にハズカシ~想いをすることでしょう。

「危機が新しいものを生み出すチャンス」としたら、「抑圧と困難は豊かな芸術の土壌を準備する」と思う。危機や困難だけを見て早合点したり、ありきたりの結論(解決)を急がない。歴史は教えるから。苦しいけど、危機・困難と死闘を繰り広げながらも、それを越した先に新しい未来と豊かさがある、と。
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by africa_class | 2012-09-24 15:48 | 【知る】抵抗の音楽

ドイツでのある一日から:生活に密着した「主権在民の具現化」と「社会関係資本」の日々実践の重要性

義母入院もあり休暇を取ってドイツにいます。来年中学生になる息子の進路(日本に帰るか否か)の話し合いも継続中。こちらは急速に秋。昨日は一日中寒空で過ごし、やっぱり風邪を。
ツイッターで書いた意見ですが、分散しているのでまとめ、写真をアップしてみました(ネットの調子が悪いので後でアップします)。

昨日は、ドイツの「主権在民」を自分で具現化するパワー(ピープル・パワー)を感じた1日でした。その根幹にあるのは、「新旧コミュニティ」の重要性、つまり「社会関係資本(ソーシャルキャピタル)」を自ら創り出す、あるいは継続させることの重要性です。昨日1日、子どもの行事に参加したことを基に、大学時代から日本で市民活動を21年やってきて思うところを書いてみます。

(1)マンモス公教育がダメと思ったら廃校を改装しシュタイナー学校を招致(保護者・教員がセルフビルド)
(2)村寄合いの場としてサッカークラブを全村で設置・維持(村人が少年試合ですら応援に)
(3)新興住宅地で地縁作りのため隣人祭り(オクトーバーフェス)

(1)子どもの通うシュタイナー学校のオープンスクールに参加して
シュタイナー教育(日本以外ではヴァルドルフ・シューレ)については
→http://altjp.net/classification/article/94(日本語)
→http://www.iaswece.org/index.aspx(英語/ドイツ語)
世界に1000校あり、ドイツでは公的な教育機関として認められています。

ドイツでも公立学校は問題が多いです。大人数の教育(といっても日本みたいに40人学級は当然ありませんが)、詰め込み方式、没個性教育…これらに問題を感じる大人たちが、あちこちでオープンさせているのがヴァルドルフ・シューレ(シュタイナー学校)です。
 子どもが通う学校は、村の少子高齢化で廃校になった古い校舎を譲り受け、保護者や教師、賛同者たちが自らの手でセルフビルドしたもの。そう聞くと、なんかボロ校舎をイメージしますが、素材は安くても自然素材を徹底。木、コルク、紙、自然塗料(アウロ社)。
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旧い校舎の上に、工作室(木工・裁縫・図工)を増設。木の壁は単なる巾木を貼っただけ。
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天井も断熱材を留めただけ。省けるところは省きます。とはいっても窓枠は断熱性の高い3重窓。機能重視。
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そしてエネルギーも自然エネルギーを中心に。この時天気が悪かったものの、屋根上の太陽光パネルが頑張っています。「見える化」して子どもにも環境教育。
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ドイツらしく機械も使いますが、「手仕事」を重視しているため、「糸をつむぐ・織る」などもします。
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何事も整理整頓なところがドイツ・・・。


(2)各コミュニティにあるサッカー・クラブ
「たかがサッカー、されどサッカー」
子どもがサッカーを始めるまで、サッカーが紡ぐコミュニティの結束についてまったく関心がありませんでした。けれど、地元の深大寺で子どもが地域のサッカークラブに入り(小学校のではなく)、年齢を越えた仲間意識、大人たちの飲み会などをみて、「束縛ではなく、応援したいからする新らしいタイプのコミュニティ」の可能性が見えてきた部分もありました。が、結局大人たちの仲間割れで終わってしまったのを残念に思っていました。おそらく、「新旧コミュニティ」が繋がっておらず、またそれらをうまく繋げるファシリテーターがいなかったせいだと思います。
 ドイツは地方分権化・衛星都市化(核となる地方都市が国中に散らばって同心円状に村々が囲む)があらゆるレベルで進んでおり、日本のように一極集中&長距離通勤は稀です。街中で働いていても、生活水準の高い(広さ・食べ物・安全・コミュニティ)村に暮らす家族が多いです。子育て世代も村から出る人達もいますが、むしろ村に住みたがる傾向もあり、地方分権&衛星都市機能は、村が継続していく重要な背景となっています。
 その前提ではありますが、このような村の暮らしと結束にとって、地域のサッカー・クラブは非常に重要な役割を果たしています。これは子どもが実際にサッカークラブとして、街のものではなく、近隣の村のクラブに入ったことで見えてきた特徴でした。サッカークラブといっても芝生のフィールドと更衣室と倉庫があるだけ。でも、さらに重要な点は、バーがフィールドに面して設置されていることです。休みになると、子どもたちの練習や試合を眺め、お酒やコーヒーを飲み、交流するために村中の人達がやってきます。子どものサッカーをネタに、よくそこまで話が弾むなあ・・・と思いつつも、皆一生懸命。その際に、クラブ運営やコーチ不足のことなど調整していっています。
 そして当然、サッカーだけでなく、コミュニティの課題や祭りの話し合いも出てきます。重要なことは、「男たちに集まる場がある」という点。日本のように、「男飲み」が「居住地を離れた都市の職場で同僚と」となると、地域や家族から遠く離れていきます。「飲みは憂さ晴らし」であっても、地域でやれば、もっと積極的な意義を付与することができます。大手資本(居酒屋チェーン)に回収されないし、地域経済の活性化にも繋がりますし、長時間移動しなくてもいい。気が向いたら、サッカークラブの横の居酒屋に寄って、語り合う。それらの居酒屋は閉ざされた空間ではなく、妻たちも、子どもたちも、しょっちゅう立ち寄る。そこで、家に誘い合い、食事ということも。つまり、「休日・退職後の居場所&活躍の場」、「コミュニティへの定着の機会」が、サッカークラブ&居酒屋という最強コンビで生み出されているのです。
 ちなみに、「村のクラブ」といっても立派なブンデス・リーグ所属組織。1次リーグから10リーグぐらいまであるのですが、この村のクラブは第7リーグ所属。幼稚園生から大人まで、いくつものチームが所属し、お兄ちゃんたちもまた小さな子の試合を観に来ます。

(3)隣人祭り
このような昔からある村のサッカークラブを舞台とする旧コミュニティの一方で、新興住宅街も作られています。そういうところでは、人びとはどのようなコミュニティ創造を試みているのか。これはどこでも・・・というわけではありませんが、年間行事が非常に重要な役割を果たしています。
 ①5月祭り、②10月祭り(日本でお馴染みオクトーバーフェス)、③クリスマス前の祭り(クリスマス・マークト)です。①については、既にこのブログでも紹介しました。基本的に、いずれも農業と宗教にあわせた暦で動いており、その点で日本のお祭りとよく似ています。
 ①は日本で知られておらず、②はバイエルン(ドイツ南部)のものばかりが知られています(あのテントや居酒屋でビールジョッキを手にしている民族衣装の女性たちの姿)が、いずれもコミュニティのお祭りで、①②の時期が近づいてくると、通りにコミュニティのテーマカラーやシンボルの旗や飾りが登場します。
 古いコミュニティなら、集まる場が確保されていることも多いのですが、新興住宅地ではそれもないので、持ち回りで「ガレージを居酒屋として解放」する形が多いようです。昨夜行ったのは、本格的でコミュニティでテントを借りています!このお代は、ビール代にプラスアルファする形で回収します。なにせ、オクトーバー・フェスはビールのお祭り。
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 ここで、同じ年代の者同士、年齢を越えた交流、子育て世代の情報交換、介護情報交換、いろいろなソーシャルな関係づくりが行われていきます。もちろん、真面目な顔をしてというより、音楽はがんがんかかっているし(やっぱり60年代、70年代の・・・)、ビールは次から次へと消えていくし・・・基本は楽しむこと!そして、それぞれが「メイン」「穀物」「サラダ」「デザート」とわりふった手料理を持参し、お皿も自分の家族とゲスト分は各家族と徹底しており、ごみが出ません。これが可能なのは、「近所」でやるから。

===
 という1日を過ごし、以下のようにふり返りました。
昨日であったドイツの人たちは、日々生活で直面する教育やコミュニティ等の問題を、①互いに話し合う場をもち、②行政を動かし(行政は「お上」でなく自分たちのもの)、③動かなければ自分たちで動かす=「暮らしと社会の主人公は私たちだ!」の意識が徹底しており、皆、政治・経済・社会問題に関心&一家言ありました。
 日本の市民社会には、この「根っこ=日々暮らしとの接合=コミュニティ」が欠けていた。暮らしの場を共有しない遠隔の志を共にする者の活動だった。通信革命でバーチャルコミュニティが可能に。私自身それを存分に活かした10年でした。特に、距離と時差のあるアフリカ・日本・世界の市民社会間の連携が促進でき、一緒に政策提言・アドボカシー活動が出来たのも、インターネット(メール、スカイプ、ML)のお蔭でした。
 しかし、2008年のTICAD IVが終わった時に、何かが足りないと思いました。都市中心の活動に終始し、社会的広がりに欠けたように感じましたし、根無し草的な気持ちにもなりました。だから暮らしの場・深大寺コミュニティにコミットすることで新しい市民活動を模索し始めました。
 そんな時に震災と原発事故が発生しました。日本国内でも、この震災によってコミュニティへの注目が喚起されました。また、事故後発生した反(脱)原発・瓦礫運動は暮らしの場での市民活動を、「当たり前」にしていきました。そんな「暮らしの場」と運動の接合点を持たない都市住民には、「金曜日・官邸前」という場(コミュニティ)が誕生した。暮らしの場からは程遠いけれど、ネット上で繋がって終わりでなく、具体的な一人ひとりの人同士の意志と声と温もりとの触れ合い、交流の場が紡ぎ出されました。
 これらの運動・活動の原点は「命を守る」「暮らしを守る」ということでした。これは、とてつもなく単純なもので、かつ強い意志に基づくものでした。ただし、この「命・暮らしを守る」というスローガンは、かつて家族だけ、コミュニティだけに通じるものであり、かつ国家・為政者に絡め取られた時、戦争になりました。それが今、尖閣諸島をめぐる衝突で危機に晒されているとはいえ、国家と利権者が奪う「命と暮らし」に対して、見知らぬ者同士が新コミュニティを立ち上げる契機を提供しています。
 そして、その主役は「お母さん、お父さんたち」であり「おじいちゃん、おばあちゃんたち」であり「おねえさん、おにいさんたち」である。そして、都市に限らず、かつ小さくとも、それぞれの生活の場で生まれています。そのことを、これから先何があろうとも、忘れないでいたいと思います。
 だから思うのですが、今日本各地で起きている地殻変動のような新しい動きを、小さくてどうなるか分からないものであろうとも、寄り添って、応援したいと願っています。そこにこそ日本の未来があると思います。従来の右肩上がり経済成長路線感に基づく利益誘導型政治で何が起こるか、私たちは知りました。原発事故だけでない。あれほどの大々的補助を受けたテレビメーカーが、存続の危機に晒されていることにもそれは明らかです。
 納税者の税金が原資である国の政策・補助金にしがみ付く一方で、「経済が崩壊する」と脅しをかける日本の経済界。そして癒着する政党・政治家・官僚に、私たちの命と暮らし、決定を弄ばれるべきではないと思います。世界はそんな甘くはありません。日本国内にしか目を向けず、自分たちを変えようともせず、相変わらず昔のやり方で、旧来型の経済・政治にしがみ付く斜陽業界重視では未来は切り拓けません。
 実際、新しい産業の芽を摘んでいるのは、これらの旧来型の業界です。今世界も日本も急速に変化しています。少子高齢化、環境汚染に伴う災害の多発、食料危機。これらは、旧来型の経済の帰結です。それを乗り越えるために知恵を出し合い、新技術を創造すべきときに、問題を起こしてきた側の私たちの構造が変わろうとしないのでは、10年後、20年後に、確実に「増える一方の課題」を解消する術を持たないままにこの社会は崩壊の一途を辿っていくでしょう。

 一人ひとりが力を付ける&つながり合う<=>問題を分析し、話し合い、力を合わせ、乗り越える方向に努力する<=>社会を変える・社会が変わる<=>自分たちで豊かさと未来を創造する<=>ピープルパワー&主権在民

 という岐路に、今私たちは立っています。
 利己的な目的のために動く業界・政治家・官僚・メディア・学者が、しかし、これを抑えようと全力で力を注いでいます。彼らのいう「経済のため」「国のため」という文言に踊らされて、かつて日本の国民がやったこと、それこそ戦争でした。このタイミングで、領土問題が生じているのは、決して偶然ではありません。
 私たちは、空虚な言葉に頼るのではなく、具体的に、自分たちの持ち場で、ひとつでも、二つでも、新しい試みを創造的に進めていきましょう。
 一人一人が力をつけ、つながり合い、命と暮らしのために、それが起きている場所で、諦めずに問題を追及し、未来を創造していく。そんな決意を新たにした一日でした。

最後は、未来を担う子どもたちの作品です。
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この学校の子どもたちと、今年子どもの日&原発ゼロの日を祝うための「緑の鯉のぼり」プロジェクトに参加。その様子は、ブログの以下の記事→
http://afriqclass.exblog.jp/15196531/
http://afriqclass.exblog.jp/15196708/
http://afriqclass.exblog.jp/15206177/
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by africa_class | 2012-09-23 20:08 | 【311】未来のために

「領土問題」にみる本質的問題-騙されず、「誰の得か」を分析し、精神的動員に抵抗を

限りなく時間がないのですが、緊急事態なのでツイットしたこととその背景を簡単に掲載しておきます。(なお、私の本当の専門を知らない人が多いのですが<自分でも時々迷子>、私の専門は平和のための戦争研究で、古今東西世界中の戦争を嫌になるほど研究してきました。その成果はThe Origins of War in Mozambiqueに→http://theoriginsofwarinmozambique.blogspot.jp/2012/09/front-cover-of-book.html
 なので、きれいごとで書いているのではなく、何百万人殺される現代の戦争を根源まで問い続けて得た理解です。間違っているかもしれませんが、それを踏まえた今の私の考えです。日本について、この研究蓄積を使う日が来なければいいと願っていましたが、そうもいっていられない事態が生じてしまっています。

この領土騒ぎ。
『現代アフリカ平和・紛争論」の受講生なら、この問題をどう扱うべきか分かるでしょう。この事態を想定して、外大に着任してから毎年この授業をしてきました。アフリカの戦争について学ぶはずの受講生が、「日中戦争における民衆動員」についてレポートを書いているのは、「遠い戦争を身近に」ということと、「いつか」に備えてのことでした。(なお、理論的に言うと「領土争い」は「旧い戦争」の最重要形態ですが、「新しい戦争」と結びついて厄介なものになっていくでしょう)

 今、日本はあらゆる面で、戦争突入直前期(30年代、40年代)の雰囲気が漂っています。そのことに、本来一番抵抗すべきメディアがまったく頼りにならないばかりか、事態を追認させ、悪化させる状況が生まれています。言論の自由が保証されているはずの、大学もまたそうです。植民地支配に加担した御用学者は、戦後反省する、周辺化され、権力と闘うことの意味を追求してきた新しい世代の学者を生み出してきたはずでした。しかし、急速な経済成長にともなって、利権・政治に取り込まれる御用学者が信じられないほどに増えていたことに、311後の日本で気づかされたのでした。

 今、世界経済は19世紀末からの帝国主義時代に限りなく近い様相を示しています。世界に充満する価値観(弱肉強食)、経済至上主義、資源・領土争いもまた、あの時と類似しています。その結果が二度の世界大戦であったにもかかわらず、それぞれの国の権力者も本来批判すべきメディアや市民社会も、民衆も、気付いてか気づかなくてか、時代の空気に呑み込まれています。これは、非常に危ないです。
 
 この空気の中で、今一番動員の危険にさらされている民衆は、間違いなく「日本」の人びとです。一見、政府に動員されているようにみえる中国民衆ではありません。
 世界経済で負け続けている日本、国内的な課題が山積で不満が充満にしているのに、それに応えようとするどころか利用して権力の座を守りつづける(あるいは拡大しようとする)為政者とそれを支える利権構造が、民衆を精神的に動員し、エモーションを刺激して、物理的な動員に向かっていくでしょう。今、そのエモーション刺激の段階に入っています。

●これによって得をするのは誰でしょうか?
●本当に、民衆でしょうか?
●単に現政権だけではありません。
●今、民衆のエモーションを刺激して動員したいのは誰でしょうか?
●陰にいるのは誰でしょうか?
●彼らは、何から民衆の目を逸らさせたいのでしょうか?
●そのことによって、何を実現したいのでしょうか?

 長年平和のために戦争研究をしてきた私の結論は以下です。
 「紛争の種」とは、実は「誰かに何かの目的で創り出される」もの。

 「これは前からあった問題で、起こるべくして起こった」と信じる人達に問いたいのは、「では何故今なのか?」です。 どの社会にも、どの関係にも、問題はあります。しかし、その問題が真に問題化するタイミングは自然の成り行きでは決してありません。「今この瞬間」を創り出している勢力があります。時に、無自覚にやっている場合もありますが、大抵の場合核にいる人達は自覚的で、その追従者は無自覚な場合が多いです。
 そのことを意識せず、誰か(為政者)が創り出している動きに無邪気に乗っかかるのは、問題が乗り越えられないだけでなく、動員へ一直線となり、何かもっと重要なことを踏みにじる契機となるでしょう。

 そして、「領土」だけ見るのであれば、勿論衝突しかない。人間、国同士の関係において、一つしかないものを奪い合った結果は、そのどちらかが正当性を有していたとしても、歴史が証明しているところです。勿論、この場合、一方(日本サイド)だけの話をしているわけではありません。以上のいずれの問いももう一方(今回は中国サイド)にもい当てはまります。「関係」とは、相互に展開していきます。どっちが悪いかでみると、必ず視野が狭まります。両方でみるのがベストですが、まずは日本で、日本関係者にこそ動員される側におり、過去の歴史において精神的動員が容易であることが証明された私たちは、日本サイドを分析してみましょう。

 つまり、勇ましいことを言って片棒を担ぐ前に「誰が何のために領土問題を創り出してるか」を分析しなければなりあません。もっと根深い、大きい、利権が見えてくるはずです。目の前で生じている現象(地図、島周辺、デモ)や「対立者の動き」だけで判断しては危険なのです。それは、この問題を創り出して利を得ようとしている勢力を利するだけでなく、本来したかった「問題解決」には向かわず、よりもっと酷い結果(引き返せない対立構造)を生み出していくでしょう。
 意図的に一問題に視点が集中させられている現状から、一歩引き、争点をズラし、全体像をみようとすべき時はまさに今です。
 懸命な皆さんになら見えるはず。そして、そもそも私たちが北東アジアという引越し不可能なこの地域で、どのような関係を築いて生きていくべきなのかとのビジョンを、あれやこれやの不満や言い訳や諦めを語る前に、考えてみましょう。島や領土が真の問題じゃないことが見えてくるはず。なのに、「領土」という一点で、問題化した人達がいる。その人達は、真の問題解決(超越)も、より発展した関係も、そもそも求めていないのです。求めていたら、こんなにズサンで結果が明らかなやり方を取らなかったでしょう。
 これは戦前、戦争に突入していった際と同様で、かつ当時の構造と同じく、今日本で注目・注意したいのは以下の人達です。

①一番勇ましい事を言っている人たち(特に、政治家や政治政党、業界団体)
②それを報道し、煽るメディアや教育者
③それを背後で操る官僚たち

①誰が、この問題の引き金を引いたのか?なぜそのタイミングでしたのか?②誰が、その行動を支えたのか?なぜ?③誰が、この問題を下手に扱ったのか?鳩山政権が倒れるきっかけとなった「日米関係悪化」を演出したのと同じプレーヤー・構造が、①~③にみられるという点です。その後起こったことは、民主党政権の③官僚主導であり、①民主党内タカ派の主流化と三党合意です。

*なお、鳩山政権と日米関係悪化については、ウィキリークスが流した米国外交文書を精査した朝日新聞が、興味深い記事を書いています。そこには、外務省高官と自民党議員とが、米国政府と打ち合わせながらこの動きを作り出したことが書かれていました。記事は今すぐは探せないので、皆さんで探してみてください。ウイキリークスx朝日新聞は→http://webronza.asahi.com/politics/2011051800001.html

 本来、この続きに「じゃあどうするか?」=トランセンド(紛争超越)について書くべきなのですが、時間がないで、まずはそれぞれが以上の分析をしてみてください。受講生は、「一つのリンゴを二人の飢えてる少年が分ける」グループワーク・・・を想い出してください。一つしかないリンゴを凝視している限り、二人の少年の関係も、「飢えている」という真の問題も解消しないことは、おそらく書くまでもないでしょうが。

●原発事故後にすでに起こっていた現象についての分析
→http://afriqclass.exblog.jp/i26/
●授業での取り組み
→http://afriqclass.exblog.jp/i23/
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by africa_class | 2012-09-16 18:01 | 【大学】アフリカ平和紛争論

今だからレヴィ=ストロース『悲しき熱帯』(1955)を読む:「世界は人間なしに始まったし…」

私は意図的に研究テーマと活動領域を分けてきた。
 不器用すぎて、その両方を同じ脳みそで思考し、深めることが出来なかったから。でも問題意識の根底は同じで、別の価値観があったわけではなかった。ただ、学術的に書く・・・ということについて、私は途方もなく原則に忠実に生きてこようとした。右脳左脳わけて思考し、生きる・・・そんな具合だった。
 私が、活動をしていなかったら、きっともう少し気楽に色々なテーマについて取り組み、書けたのかもしれない。でも、活動をしている以上、「活動的に学術論文を書く」という皆の想定を、徹底的に裏切りたいと思ってきた。天邪鬼だからというのもあるが、自分の思考を徹底的に鍛えるためでもあった。
 学術論文を書くという行為は、私にとって禅寺でやる座禅に似ている。一日中やるわけではないし、毎日できるわけではにものの、そこに行ってそこのルールに従ってその空間・時間を過ごす。そんな風に、農村に向かい、資料庫に潜り、自分の想定が間違ているすべての可能性を検討しながら、書き進める。
 なのに、私は1997年来自分に課してきたこのルールを破ろうとしている。現実の変化のスピードの激烈な速さ、その地球大の影響、思想からリアルポリティックスとドロドロとした利権までの結びつきの強固さ・・・そんな21世紀初頭の世界において、そして311後の権力と人びとの闘いの相克、明らかになった生命の破壊の容易さを身近で目の当たりにしながら、このことを、真正面から考えなければならない。脳内を分けてる場合じゃない、そんな風にようやく自分を説得できるようになった。
 でも、哲学者でもなく、思想家でもない私に、どのような表現でこれを示すことができるのか?小説でもなく、ブログでもなく、学術論文として・・・まだ全く見えないまま。とりあえずは資料を読むところから始めよう。結局、卒論と同じなのだ。

 これまで、人は何故戦争をするのか、を考えてきた。今、人は何故自分が最も優れた生き物だと信じ込み、「経済成長」の名の下に、自然や社会や生きとし生きる者たちを踏みにじってなお、まだ飽き足らずそれを極大化しようとするのか…。鋭い痛みと絶望を抱えながら、日本とアフリカの今を考えたい、と思う。今世界大で「当たり前」になっている「経済至上主義」が、命をどのように破壊しているのか、それを事例だけでなく、思想の問題として取り上げられないものか、ともがいている。また、抽象的な世界という言葉に陥らせず、あるいは日本だけ、アフリカだけを観るのではなく、その両者を包含しつつ、今パーソナル、ローカル、ナショナル、リージョナルを巻き込みながらグローバルに展開しているこの「何か」を見破れないものだろうか・・・と、アフリカで考え続けてきた。答えはないけど、ヒントになる資料を紹介したい。資料のまとめをブログでするのも何だけれど、これが学術と活動を結びつけるパーソナル実験のその1。

1955年に発表されたレヴィ=ストロースによる『悲しき熱帯』(1955年初版 中公クラシックス 川田順造訳)より。*解説はまた余裕のある時。関連する部分だけ書き出しておきます。

・「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」
・「人間は、それ自体が一つの機械、恐らく他のものよりはるかに完成された機械として立ち現れ、原初の秩序の風解を促し、強力に組織されている物質を、絶えず増大していつかは決定的なものになるであろう無活力へと追い遣っているのである」(Ⅱp.425)
・人間は、呼吸し、食物を獲得するようになってから、火の発見を経て原子力や熱核反応機関を発明するまで、人間を再生産する場合を除いて、喜々として無数の構造を分解し、もはや統合の可能性の失せた状態にまで還元してしまう以外、何もしなかった」(Ⅱp.426)
・「個人が集団の中で独りではなく、各々の社会が他の社会の中で独りでないのと同様に、人類は宇宙の中で独りではない。人類諸文化の虹が、われわれの熱狂によって穿たれた空白の中にすっかり呑み込まれてしまう時、われわれがこの世にいる限り、そして世界が存在する限り、われわれを接近不可能なものへと結び合わせているこのか細い掛け橋は、われわれの奴隷化へ向かうのとは逆の道を示しながら、われわれの傍らに留まり続けるであろう」
・「その道を、踏破出来なくとも熟視することによって、人間は人間にふさわしいことを彼が知っている唯一の恩恵を受けることが出来る。歩みを止めること。そして人間を駆り立てているあの衝動、必要という壁の上に口を開けている亀裂を一つ一つ人間に塞がせ、自らの手で牢獄を閉ざすことによって人間の事業を成就させようとしえる、あの衝動を抑えること」(Ⅱp.428)

解説は要らないと思います。
平易でいて難解。
でも、噛みしめて何度も読めば分かる。
この本の最後の一節。

「あるいはまた、ふと心が通い合って、折々一匹の猫とのあいだにも交わすことがある、忍耐と、静穏と、互いの赦しの重い瞬きのうちに」
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by africa_class | 2012-09-14 02:53 | 【311】原発事故と問題

震災・原発事故から18か月。先月福島で行われた意見聴取会での声から

(国際協力の投稿の続きは週末に。今それについて論文書き始めました)
9月11日も終わってしまった。毎月11日をどう過ごすか考え、答えなきままに18か月を迎えてしまった。あの日、逃げるしか何もできなかった自分への怒りと、守るらなければならないものを守ろうとする本能を思い返し、あの日の東京の抜けるような青い空に、不条理と無力感に苛まれる。 まだ見つかっていない多くの皆さんとそのご家族、友人たちに、なんと声をかけられるのか考えても考えても答えがないまま、1年が経った石巻の穏やかな海に問いを投げつけたまま、また半年が経ってしまった。
 当事者ではない私が何を書こうとも無意味だ、と思う。私の当事者性に基づいてこの1年と半年をふり返るのであれば、電力を使う側・原子力政策に異議を唱えなかった有権者として、立ち上げずにいられなかった「関西疎開プロジェクト」や「福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクトFnnnP」や、現在の脱原発関連アクティビティが思い出されるのであるが、もっとプライベートな面でいうならば、それが自分たちの決断であったとしても、まだ小学生の一人だけの息子と17か月も離ればなれになって暮らすことになるだなんて、考えてもおらず、彼が私を必要としているときにそばにいることができなかったという想いばかりが募っていく。

 想いを語り合うことは重要だ。一人称で語り合うことにこそ、2011年3月11日を経た日本の私たちがこの苦難を乗り越えていく重要なカギだと思う。なぜなら、心の奥底の叫びから出た言霊は、嘘や虚構を越える力を持ち、他の人達の心を揺り動かし、何かを変えようとする力となって羽ばたいていく可能性を秘めているから。
 だから私は下手でもいいから自分のことを語る。そして、人が自分の想いを語るのを聴きたいと願う。そして人がそうやって想いを表現した時、その声に耳を傾けてほしいと願う。

 本当は生の声の数々をここに書きたい。でも、それは別の機会に。今日は、このブログでも繰り返し紹介した「国民の意見を聴く」という目的で開催された意見聴取会。当初は予定になかった福島での、より沢山の人びとの、自由な意見を表明する場が実現したが、何故政府(内閣府国家戦略室)はそれを最初から設定しなかったのかと憤る。そもそも、エネルギー問題、原発問題を議論することになったのは、去年の原発事故とその後の被害によるものではなかったのか、と。昨日、まさに原発事故発生のその日に、国民が選んでいない内閣が、国会を無視して、原子力規制委員会の人事を承認してしまった。規制委員会を作らねばならなくなったのは、そもそもは、原発事故が従来の推進者が規制側を牛耳っていて「安全神話」に基づき、危険予防に務めなかったから発生した、という結論に基づいていたはずだった。それが、16万人もの人が故郷に帰れず、留まってなお不安に生活する福島の人たちがいるにもかかわらず、何故か「事故は収束」し、「元の生活」など望むこともできない状態に人びとを追いやったまま、彼ら・彼女らを犠牲にする形で行われてしまった。
 これらのことについて、やはり当事者の皆さんの声を一人でも多くの人に届けなければ、と思い8月2日の東京新聞朝刊に掲載された声の数々を転記したい。

◆福島 怒りの聴取会 「収束」「再稼働」政府不信一色
(東京新聞 朝刊 2012年8月2日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2012080202000203.html
「東京電力福島第一原発事故で計り知れない打撃を受けた福島県で一日、将来の原発比率をどうするか、県民の意見を政府が聴く会が開かれた。将来0%どころか「すべての原発の即廃炉」を求める声が相次いだ。政府は事故収束宣言や原発再稼働など県民の心を逆なでしてきたため、政府への不信感や怒りの声に染まった。(中略)
 聴取会は四時間に及び、原発比率の議論より、政府の姿勢を疑問視する声が目立った。特に、昨年末の「事故収束」宣言や、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働、さらには原子力規制委員会の人事といった一連の政府の対応がやり玉に挙がった。
 福島県の各地では、数多くの人が避難生活を余儀なくされ、放射能の影響も広く残っている。そんな中で政府が「サイト(原発)内に限っては」と前置きをしようと、収束宣言は切り捨てと映ったようだ。「政府ではだれも事故の責任を取っていない」「何の根拠があって収束宣言したのか」など次から次へと批判の声が出た。
 再稼働問題はほぼ全員が問題視した。「あれだけの事故があったのに、もう再稼働させてしまった。失礼だ」「山も森も放射性物質。そんな中で再稼働に踏み切った政府に憤りを感じる」などの意見が出た。
 規制委人事でも「また原子力ムラで固めるつもりなのか」と疑問が出されると、会場から「ふざけるな」の声が一斉に上がった。」

◆ネットに掲載されたのはここまで。2面にはもっと具体的な声が出てくる。それを転記。原発事故から1年半経っても、普通の生活が続けられないほどの迷惑をかけている皆さんに、ここまで言わせないといけない政府の在り方に、そんな構造を支えてきた自分に、憤りが止まらない。何故、加害者の政府に、被害者の福島の人達が訴え続けなければならないのか。繰り返される犯罪的対応。世界中で起きてきたことが、ここでも繰り返されている。しかも現在進行形で。

記事冒頭「ある人は拳を振り上げ、ある人は涙に声をつまらせて脱原発を訴えた。福島第一原発事故の被災地、福島市で1日に開かれた意見聴取会では、福島の人達の怒り、嘆きが渦巻いた。『福島県民は国民ではないのですか』。福島市の女性はこう発言し、政府が事故原因不明なまま事故の収束を宣言した上に、『国民の生活を守るため』と大飯原発を再稼働させたことを憤った。女性は続けた。『私たちは何度も何度も国に捨てられている』(後略)。

●シナリオを討論すること自体が矛盾している。原発は制御できないことを学んだ。(田村市男性)
●0%シナリオを選んだが、思いは一日も早く原発をなくしてほしい。これだけの放射性物質をまきちらし、原発も輸出する。それでどうて国際貢献なのか。(伊達市女性)
●意見を聴く会というが、単なる福島のガス抜きではないか。まず反省すべきは、事故を起こしたあなたたち(政府)だ。事故収束もしていないのに、なぜ再稼働なのか。(福島市男性会社員40代)
●この会をアリバイにしないでほしい。事故は収束していない。首相は「国民生活を守る」と大飯原発を再稼働させたが、私たちは国民ではないのか。(福島市女性50代)
●電力会社の人が「事故で死んだ人はいない」と発言したと聞き、出席する気になった。あんなに元気だったのにっていう人が亡くなり、自ら命を絶った人もいる。(富岡町から避難中男性30代)
●東電のおそまつな対応、政府も東電のいいなりで事故になった。ふるさとを失った苦しみがあなたたちに分かるのか。この会をにわか実績、アリバイづくりにするな。(浪江町から避難中男性農業)
●線量計で測定してから子どもたちを外で遊ばせるようになった。子どもたちには「間違ったら素直に反省し改めなさい」と教えている。大人の潔さを子どもたちに教えるべき。(福島市小学校教諭男性50代)
●首相は大飯原発の再稼働を決める際に、ッ国民の生活を守るといったが、関西電力は原発を動かした途端に火力を止めた。原子力ムラの考えることは理解できない。(福島市男性会社員)
●事故が起きたのにもう再稼働だ。本当に収束したのか。首相は再稼働を決める際に「自分が責任を取る」といったが、今回の事故の責任は誰が取ったというのか。(須川市女性50代)
●即時廃炉を求める。福島は健康に生きる権利を奪われた。最も懸念するのは子どもたちへの影響だ。原発は人権の問題だ。そもそも福島事故の責任はだれが取ったのか。(郡山市市議女性50代)
●安全対策が不十分なまま再稼働を許すとは、脳みそがメルトダウンしているのか。日本はどうしてごめんなさい、って言えなくなったの?(相馬市団体職員男性30代)
●ゼロシナリオを選んだが、この会場で示されているものとは違う。求めるのは、今すぐ原発ゼロを選択することである。原発と命は共存できない。安全神話と決別すべきだ。(福島市労組職員男性50代)
●もっと地元に行って多くの人の意見を聴いてほしい。私も平日のこんな時間来るのは難しかった。多くのことを訴えたい女性はたくさんいる。そうした声を聴いていない。(伊達市生協職員女性40代)
●使用済み核燃料の最終処分問題が解決しない限り、原発はだめ。この問題を解決してから、原発比率の話を考えるべきだ。今回の事故が転換するきっかけとなることを期待。(浪江町から福島市へ避難中の男性)
●長崎で被爆した。原発では労働者が被ばく覚悟で働く。8月に決めるなんて拙速なことはやめ、まずは5%とか中間目標を定め、確実になくしてほしい。(福島市無職男性70代)
●すべて廃炉にすべきだ。ドイツは福島事故後、脱原発を決めた。当事者の日本がなぜできないのか。首相はドジョウに戻って泥をかぶり、すべての原発を廃炉にしてください。(富岡町から福島市へ避難している男性)
●細野大臣は、原発をなくせとの声が圧倒的なのを覚悟の上江で来たのだろう。でも再稼働のアリバイ作りに利用されないかと不安がある。(会津若松市男性)
●電力を完全自由化し消費者が原発由来か、火力由来化、再生エネ由来かを選び比率が決まっていくのがいい。(福島市団体職員男性30代)

以上、新聞に掲載されているのはすべて転記できたと(腕が痛い)。何故かネット上ではこういう意見が読まれることが少なく、外部の人達の勝手な思い込みが流れること多々。まずは当事者の声に耳を傾けよう。

そして、「福島県民は国民ではないのですか?」「捨てられた」と言わしめている背景に、私たちの無関心が、沖縄の基地問題と同様あることを、今一度思い出そう。それが18か月を超えた今日(昨日)に改めて我々が出来ることの最低の一歩。
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by africa_class | 2012-09-12 02:19 | 【311】原発事故と問題

国際協力に関心のある若者の皆さんへ:10年以内に日本の援助産業は斜陽産業へ。だから?(書きかけ)

モザンビークの首都マプート滞在も3日目。
マラリア後の体調不良もようやく一歩前進…と思いたい(未だ身体がだるい)。ドイツに帰った息子の原因不明熱や下痢もおさまり、元気一杯で電話をくれた(安堵)。彼のアフリカ滞在も11回目(12歳)で、本人を含め周りも慣れたものとはいえ、帰国後1週間が過ぎるまでは要注意。
 ここマプートでの調査ネタは、現在のモザンビークの急激な変化(巨大投資や経済成長、政治硬直化)に関する庶民からエリート層までの意識&実態&先行研究調査。今日はモザンビークの援助関係者と民間企業の社長に話を聞く。さて、アポまで1時間あるのでこの間ツイートしたことをまとめようと思います。同時に、今日の昼食を作ってるので、とりあえずツイートに基づく仮の文章で推敲してません。

<=ごめんなさい。お迎えが来たので途中で離脱。

開発援助の10年後を語るにあたっては、背景の歴史展開を説明する必要あり。というのも、何故か学生によくある傾向なのですが、彼らが生きる「今」の状態が、昔からずっとそうであったという前提で物事を理解する傾向が強いからです。全ては「可変」であり、常に変わってきた。「今」も変わっていないようで、変わっている。その変化の表面だけでなく、構造の変化を世界・日本・主体から追う努力を、本件についてもしていきましょう。

なので、まず確認したいのは、日本の現在の開発援助は、いつもこうだったわけではない!、したがってこれからも変わっていくだろう。その方向性としては、10年以内に衰退、20年以内に産業として消滅へ…と予想されるということです。なお、注意してほしいのは、「日本の」と「産業として」という2点です。NGOの皆さんが頑張ってやっていることが不要になるといことではありません。また日本以外のアクターもやらなくなるわけではありません。

1.90年代以降世界における日本の開発援助エージェントの変化
 私が学生の皆さんと同様、国際協力に意義を感じ、国際機関に憧れて、その道に足を踏み入れたのは大学生時代。つまり90年代初頭のこと。当時の日本は、ハワイやLAのホテルやビルを次々に買収し「Japan as No.1」等鼻息荒く、「国際化」が繰り返し叫ばれていました。「経済一流、政治三流」といわれる一方、「経済大国になったのに外交大国になれてない(国連安保理常任理事国になれない)」と揶揄されていました。
 そこで、それまでもっぱら、日本企業(商社、ゼネコン、メーカー)や議員、援助関係者に還流するタイプの政府開発援助(ODA)を、アジアや冷戦期の米国の同盟国中心の援助から、もっと国際協調の中で実施する人道援助(関係の薄い貧困国、アフリカを含む)に変えていかねばという方向に向かっていきました。明治時代からの日本の悲願、「世界に認められる一等国」に、援助を通じてなろうとしたのです。
 つまり、ODAのエージェントは、①日本企業、②国会議員の口利き、③財務省・外務省が重要なアクターで、④JICA、⑤その下請けとしての開発コンサル、⑥JOCVは二番・三番煎じ的な役割を担っていたのです。これは、当時の援助がモノの移動(無償協力)を中心としたものだったことにも起因しています。
 そこに、⑦国連・ファミリー機関などの国際機関への資金供与も、常任理事国入りのためにも、人道援助のためにも重要になっていきます。未だ人道援助を担える日本のNGOの数は極めて少なかったこともあります。
 それが、冷戦後の世界ということもあり世界的にNGOが力を付けてきたこと、阪神淡路大震災があって日本国内でもボランティアやNGOなどが広く認知されるようになったこともあり、国際協力の重要なエージェントとして⑧日本のNGOや国際NGOの日本支部が活躍し始めます。

2.日本ODAのフォーカス地域の変化
 この時点での日本のODAのフォーカスは、ODAがそもそも第二次世界大戦の戦後賠償の代わりとしてアジア地域に供与され始めた経緯を鑑みても、アジアが中心でした。また先述の通り、冷戦構造下の世界で、米国の指示により西側の同盟国や親米国政府を支援するものとして、「ポチ日本」が行ってきたものでした。フィリピン、インドネシアはその核を占めていましたが、アフリカでもコンゴ動乱後に米国の関与で誕生したモブツ政権への多大なる援助(その多くはスイス銀行に消えた)はその好例です。「冷戦期の世界最大汚職人物」のNo1~No3までをこれら三国の当時の大統領<マルコス、スハルト、モブツ>が占めるのは偶然ではありません。
 南米、特にブラジルも重要な援助対象国でした。これは親米軍事政権下にあったということもありますが、そもそも現在のJICAの母体は、ブラジルへの日本人移民のサポート機関として誕生した経緯があるからです。
 しかし、冷戦が終わり、アジアでも南米でも親米政権が倒れ始めると、あるいはそのような枠組みでの援助が不要になってくると、さらに人道援助に国際的な援助の焦点がシフトし始めると、世界で最も多くの人道危機が起こり、人道支援が不可欠なアフリカに注目が集まり始めます。
 が、日本の以上の援助エージェントは、アフリカを知らない。そもそもアフリカには農薬や化学肥料を送るだけの2KR援助、橋や道路整備のインフラ援助、何より機材を送るノンプロ無償がほとんどだっため、「人道支援」に不可欠な社会や人々のことを理解しているエージェントが少なかったのです。唯一の例外はNGOですが、日本からアフリカの支援をしているNGOは多かったものの、規模が小さい。もう一つのエージェントのJOCVですが、これらの多くの人たちは、開発コンサル会社に吸収される、あるいは設立に動き、ソフトコンポーネント向けの開発コンサル会社が乱立していく時代が到来します。
 しかし、日本の援助が本当にアフリカに焦点が移るのは世界から10年遅かったと言えるでしょう。2003年に緒方貞子氏がJICAに来てこれを変え始めましたが、政府として乗り出したのは2008年TICAD IV以降のことでした。微力ながら、これに2004年から4年をかけて、多様なアクターの協力を得て実現しました。(それが良かったのか・・・については忸怩たるものがありますが。それは後半部分で書きます)

3.援助はアフリカの時代、JICAにとっての「フィールド」とは?
その間、JICAは緒方氏の「現場主義」の掛け声のもと、アフリカ各国にフィールドオフィスを設置していき、権限を委譲する形に移行しようとしました。結果、それだけが原因ではなく、前からその傾向が強まっていたのですが、JICA職員は、本部(東京)と現地事務所の間、下請けの開発コンサルとの間の調整機関になり、「官僚」と変わらない仕事(ロジ、アドミン)が中心となってしまったのです。JICAで「フィールド」というと、何故か各国首都にあるオフィスを意味するのはこれが背景です。
 なので、JICA職員で、「フィールドオフィス」在籍中に、本当のフィールド(例えば農村)を訪問することは稀になりました。訪問したとしても、アクションを行うのは開発コンサル。彼らとてそれを望んでいるわけではないのですが。


時間切れ。いか、この間ツイートしたことです。その背景を書こうとしたのですが、また明日に!!!ちなみに、私にはJICAで務める友人や元学生が沢山おり、なんの恨みとかがあるわけでないことを書いておきます!当然ながらTICAD市民社会フォーラム副代表のときは、沢山の仕事や活動を彼らとしています。また、JICAや開発コンサルなどの援助エージェントに良い人がいっぱいおり、例外があることも知っています。でも、時代と構造の全体の流れを掴むと大体以上のストーリーになるのではないか、ということです。勿論私見。

===================
昨日援助業界の人と夜ご飯を食べてビックリ。「援助は明らかな斜陽産業」との認識は未だないよう。国際協力に憧れる学生や若者が私の周辺にも多くいますが、はっきり言います。日本の援助に限って言えば、既に斜陽(衰退)期。政府援助ODAを通じた協力は10年以内に急減、「産業」として成立せず。
理由は簡単です。世界構造は激変し、その中で日本は沈没中だからです。被援助国が援助国になったり、「援助」というものそれ自体の意義が変化。一方、それでも日本の援助の比較優位があれば別ですが、額・質・スピードにおいて効果が低いことが被援助国に承知され、公的な感謝の一方で期待は低いから。
私は、アフリカのため援助の改善と倍増キャンペーンを主導してきましたが、現場(JICA事務所でなく地べた)での効果の低さどころかDo No Harmすら出来てないHarmful援助が一向に改善しない現実に直面し、TICAD IVから4年を迎え、日本の援助に期待するのを止めました。
若い人たちは、国際協力というビジョンを「援助」の縛り(現場を知りもせずその成果に責任を負えない外部者が●●してあげる構造)の中で何ができるか考えるのではなく、まずはニーズを持った当事者である人びとの中に飛び込んで学び、共に成長できる道を探ってほしいと願います。社会的起業ですね。
やれること、やられるべきことは山ほどあり。しかしそのいずれにも援助は手当できてません。ニーズが生じている現場が一人一人、社会という小さな場だからです。その場にJICAや開発コンサルは根差して仕事をしているでしょうか?小農支援を掲げる援助者は小農の暮らしたことあるのでしょうか?
小農の生活・農業を知らずして、勝手に描いた「土壌改良・市場化」支援。40年もアフリカで援助して未だこんなやり方。また、経済成長著しいアフリカで、かつてブラジルがそうであったように、問題は国内の富の偏在・汚職にあり。公正と民主主義の不在こそが問題の核に。援助はそれを改善できる?
アフリカの貧困と格差の問題構造をただ「不足」「援助」というタームで理解する姿勢を止めれば、援助も「使えるツール」になります。が、#プロサバンナ のスキームと同様、「ないところに●●してあげる」の発想である限り変わらない。付け焼刃の開発コンサルの社会調査に何億円払うバカバカしさ。
そもそも援助エージェントの「お客様」は誰か?現構造では、JICAであり、外務・財務省。本来は対象(例小農)であるはず。でもプロジェクト期間のみの表面的付き合い、カウンターパート(政府役人)経由、金は自前でないから回収必要なし、成果はレポート…でお客様の幸福に結び付くわけがない。
ならどうするか?援助の対象として客体化されてきた人たちを「顧客」とするか「ビジネスパートナー」とする事業を日本の若者が興すのをもっとサポートすれば良い。チャレンジファンドを作り、起業支援をする。失敗もあるだろうけど、痛みは事業主・投資家が直に。が。このプロセスで真に学び成功へ。
ということで2010年から準備をしてきた起業塾、2013年度内にはスタートさせる決意。でも社会経験なくいきなり起業はNG。嫌な仕事、嫌な上司に何年かしっかり揉まれ、何よりも段取り・財務管理・事業計画実施・顧客対応・ネゴシエーションを学んで。そして日本の田舎での起業も応援します。
今私たちは「時代の変わり目」にいます。従来のやり方は通用しない時代です。原発も援助産業も明らかに斜陽。でもこれを守ることに多大な金・労力が支払われる。それは新しい産業の芽を潰し未来の可能性を閉ざし、国・社会・人を滅ぼします。新しい芽に力を注げば、世界を先取り。今の日本は逆行中。
「新しい芽」はどこに?答え「どこにでもある」。重要なのは今ニーズをもっているのは誰、どこかを知ること。あなたが何のために(ビジョン)やるのか知ること。何?は後からで良い。私には、日本であれば田舎、あるいは高齢者・保育です。世界であればアフリカ。どちらからでも、往復運動でも。
アフリカや世界に羽ばたきたい皆さんの気持ちよく分かる。私もそうだった。でもその前に!語学や土地事情の勉強以前に、「あなたはどんな人」として生きている?生ぬるいお湯に浸かれる日本を一歩出ると、個人としての「あなた」が問われる。そして人を見分ける力、人との関係の結び方が問われる。
自社会で個として生きず、他社会で意味のある仕事をするのは難しい。エクスパットの立場で良いなら日本を出る必要なし。今日本が直面するチャレンジを素通りして世界で語れることはそう多くはない。今日本の若者は、前のどの世代より試されてる。それをスルーして世界とどう付き合うのか、私には疑問。
なんとなくの情報や感覚で毎日を過ごすのではなく、問いを持ち続け、疑問に感じたらネット情報に依存せず、身体を使って調べ/追求しよう。でトコトン議論しよう。考え抜く&意見をぶつけ合い結論に至る経験なしに世界で勝負出来ません。間違っても良いのでやり切る癖を。そして自分で見抜く力を。
「見抜く力」これは非常に重要です。震災・事故後(本当はその前から)日本では、誰もがこの「見抜く力」を求められているわけですが、これについて取り組んでますか?原発や放射能についてどういう立場でも構わない。でも、徹底して「見抜く力」を身に着ける大きなチャンスだから是非活かしましょう。
「見抜く力」これは非常に重要です。震災・事故後(本当はその前から)日本では、誰もがこの「見抜く力」を求められているわけですが、これについて取り組んでますか?原発や放射能についてどういう立場でも構わない。でも、徹底して「見抜く力」を身に着ける大きなチャンスだから是非活かしましょう。
その際に念頭に置きたいのは「権力/財力」はどこにあってどう動いているのか?という点。戦後世代はフラットな社会に生きているという幻想があるので、「騒ぐ人=声が大きい人=力」という勘違いがあります。見抜くというのは、表面的事象で判断するのではなく、構造と主体の両方から考えることです。
見抜く力の他には、勇気が必要です。勇気なしに世界に飛び込んでも、逆に「日本は良かった」で終わるだけ。で勇気はどうやって育む?小さなことでいいので、今「自分には出来ない」と思っている事柄を、一個ずつ壊していく。バカみたいなことでOK。一日2,3する癖を付ける。必ず自信になります。
あと「時間がない」ことを理由にしがちです。身体で稼ぐ情報収集も、徹底した討論も「時間がない」。はっきり言います。それは言い訳です。「時間とはつくるもの」なのです。つくる気があればつくれるものです。「気」がないだけ、惰性、時間管理の未熟さであることを自覚しましょう。自分も見抜こう。
自分を見抜く…これ本当に重要。自分を出し抜いてない?他人どころか自分に言い訳してない?一番重要な勇気は、間違える勇気、それを指摘してもらい易くする勇気、そしてそれを認める勇気。これなしに自己改善不能。より良い自分/社会には、失敗とそれを愚直に受容し、次に繋げる粘り強さが不可欠。
なんだかお説教じみたツイート集になり失礼。みなの優しい心根、大好きです。でも、もっと頑張れると思うから。おやすみ。

「見抜く力」を身に着けることは決定的に重要です。ただ騙されないためはなく、皆が思っている以上に闇が深く、構造にがんじがらめになってるこの世界で、歯車の一部としてでなく、個としてどう生きるべきか(誰の側にどう立つべきか)を教えてくれます。答えは一つでない。だから見抜き、考え抜く。

しかし見抜く力を身に着けるには「自分を見抜く力」が必要。日本では自分を出し抜いて生きてる人多し。人前で過小自己評価する人は、大抵内面では誇大評価。防衛本能カナ。表面上の自分内の「本当の自分」を知ってて知らないフリ。等身大の自分に出会おう。ダメな奴でいい。知り、変える勇気を持って。
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by africa_class | 2012-09-01 19:34 | 【徒然】毎日がアフリカ