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表現の自由を憂い、エチオピア女性ジャーナリストから学ぶ「人の生は短い。だから私は真実を語る」

日本の「報道の自由度」が今年ついに22位から53位に急落したとの報道がありました。知ってましたか?今日は、その話を手掛かりに、今年「報道の自由賞」を受賞したエチオピアの女性ジャーナリスト・Reeyot Alemu、「本当のことを書き続け」て逮捕された26歳の女性について語りながら、日本における「国民の知る権利」と「表現の自由」の憂うべく現状を共に考えます。

「遠いアフリカ」のことではありません。
そのようにみえて、「日本の私たち」のことです。

彼女はArthur Schopenhauerをこう引用しました。
"life is short.(人の生は短いが)
But truth works far.(真実は遠くまで届く)
Lives long.(そして長く生き続ける)
Let us speak the truth."(だから私たちは真実を語ろう)
(The World as Will and Representation, Volume I)

■英語ですが授賞式の様子(彼女不在のまま)
http://www.youtube.com/watch?v=O1z7d6z-S_w

元NHKの大貫 康雄氏によると、日本のランク急落の背景は次の通り。
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http://no-border.asia/archives/8287
5月3日は「世界報道の自由の日(world press freedom day)」とユネスコ総会で定め、加盟国に報道の自由を促進し、言論の自由の保障を義務付けているが、現状は理想にほど遠い状況だ。毎年、この日に合わせて『ユネスコ・国連教育科学文化機関』が「報道の自由賞」の授賞式を行い、また国際NGO『RFS(国境なき記者団)』が世界179カ国の「報道の自由度」一覧を発表している。

日本は黄色に色分けされたが、1年前の22位から31位下げ53位に急落。(閉鎖的な)記者クラブ制度が依然改革されていないなど、名指しで警告されている。

民主主義(の質、水準)が以前に比べて悪化している国としてイタリア、ハンガリー、ギリシャ、アルゼンチンと共に日本が名指しで警告対象になった。

RFSはまた、昨年の22位から53位に降下した日本について(政府・公的機関の)透明性の欠如、福島第一原子力発電所事故と放射能災害に関する情報公開を尊重する態度はほとんどゼロに等しいと手厳しい批判をしている。さらに問題点として、最後に原子力産業報道で“検閲”(誰によるのかは言及せず)が行われていること、(閉鎖的な)記者クラブ制度が依然として改革されていないことなどを挙げ、以前は良い評価を受けていた国の急降下は警告すべき現象だとしている。

アジア・太平洋地域では、ニュージーランドが最も報道の自由が保障されている国のひとつとして8位、オーストラリアが26 位、パプア・ニューギニアが41 位、台湾が47 位、韓国50 位。
=====

これって深刻な事態では?日本のメディアはどう報道したのだろう?と思って検索にかけてみたのですが、No Boarderの大貫氏のこれしか出てこない・・・。それ自体が示しているものもある。。。批判は耳が痛いとは思いますが、今一度「何のためにメディアがあるのか?」を考えてほしいです。勿論、一番問題は日本政府・公的機関ではありますが、マスコミもまた、耳を傾けるべき指摘は沢山あると思います。

私はアフリカニストなのでアフリカのランクも確認してみると・・・。日本より上位は7か国!
ナミビア(19位)、カーボベルデ(25位)、ガーナ(30位)、ボツワナ(40位)、ニジェール(43位)、ブルキナファソ(46位)、南ア(52位)よりも下位でした。ニジェールやブルキナファソより低いとは・・・いや失礼。そりゃそうかもしれません。
http://en.rsf.org/press-freedom-index-2013,1054.html

でも、残念ながら私、この結果に驚かないかも・・・。
今とても気になっていること。
それは、日本社会が全体として「ものを言いにくい状態」が生まれつつあるという点です。特に、国家権力や権力が行う政策に絡むこと、原発事故直後とは異なり、問題を指摘する人達が声をあげづらい空気が醸し出されつつあるように思います。

多分、多くの日本の人達は、「自然の減少」、つまりいわゆる「風化」や日本得意の「忘却力」によるものと思っているでしょうが、勿論それがある一方で、そうなるように色々なアクションがとられていること・・・には、なかなか気づかないですよね。

今、日本で何が起きているのか?
例えば、異論を述べる人達、道端で声をあげる人達への意図的な逮捕や拘束、裁判や、職場での嫌がらせ等です。モザンビークだけではないのです。既に、「がれき焼却」をめぐっては、私立大学の先生が逮捕される事態までになっています。勿論、この先生は、社会の大きな声によって、釈放され大学にも復帰されていますが、このようなことは先生やその周辺の人達を怖がらせて黙らせるために行なわれた、国家権力や警察による介入だったことは明らかです。

異論に耳を貸せない人達が国家権力を握った時、日本でかつて何が起こったのか?
目で見えなくとも、「全体の空気でなんとなく異論がいいにくい状態」が、なにをもたらしたのか?
声を上げ続けた人達を「非国民」と呼んで、見捨てた社会が行き着いた先はなんだったのか?

何故戦争から70年近く経って、「いつか来た道」を遡っているような不安を感じなくてはならないのでしょうか?あるいは、70年「も」経って、お得意の「忘却力」で全て勝手に忘れたのでしょうか?

私は70年前には生まれていませんでした(多分!)。
でも「あの時代」を過ごした人達が、原発事故後これでもかというほど集会を企画したり、歩いたり、抗議活動にかけつけたりするときに、必ずおっしゃっているのが、「戦後60年以上が経て、こんなに悪い時代は今までなかった。今日本は危ない状態になりつつあります」ということ。あの穏やかでにこやかな瀬戸内寂聴さんの、その強い言葉にドキッとしませんか?
私はします。

そして、戦争の研究をしてきた者として、実際そうだと思わざるを得ないようなことが、まさにこの皆が暮らす日本で日々起きていると感じています。それは、単発に起きているというより、大きな流れにようになってきているように思われるのです。そして、若い人達をはじめ、社会はそれにまったく自覚的ではない。そのような隙間に、色々な法案や試みが進められています。一つずつ、一つずつ、「国民の知る権利」「表現の自由」「報道の自由」「結社の自由」そういったものが、公式・非公式に奪われていっています。

国家や政策の透明性やアカウンタビリティを高めるための市民らの努力が、「特定政治勢力の動き」や「個人的なクレーマ-」と同じレベルに矮小化され、周辺化され、そして忘却されるように仕向けられた結果、得をするのは一体誰でしょうか?

決して社会ではありません。大多数者はそのようなことにより、知る権利を奪われ、国や政策を良くするための積極的な機会を失い、自らの権利を奪われていく一方、ある特定個人や特定の利益集団、国家権力の周辺に群がっている既得権益者だけは生き延び、太っていくでしょう。しかし、最大の犠牲者になり得る大多数者こそが、このような自分の権利を狭めていくシステムを支え続ける傾向にある・・・のが、日本の特徴です。

なぜなら、「お上/大きなもの/権威のあるもの/主流に逆らうべきではない」と子どもの頃より教わってきたから。「既に決まりきったこと」「そうであることと思いこまされていること」を疑問に思い、自分で調べて、考え直し、新しい提案をするというプロセスよりも、「出題者の立場に立ってテストを予想し、回答を想定する」ことに幼少期から繰り返し進められてきた結果、自分の属する組織やシステムを刷新していくことが非常に難しい。その基礎がない。

日本の教育は、批判的精神を育み、調べ、自分の頭で考え、柔軟にオプションを想定し、結論を導くという作業を放棄していると前から思っていましたが、子どもが途中でドイツの学校に行くことになって比べることができるようになった今、特にそう思います。教育の最終工程にいる私たちの責任は限りなく重いと思います。そこに焦点をあわせて、受験というツールによって、教育が組み立てられる日本ですから。

「問いを持つ」・・・・学びにおいてこれほど重要なことはないにもかかわらず、日本では「疑問を持つ」ことよりも「今はとにかく持たない」ことを奨励されがちです。受験でも、日々の生活でも、仕事でも、就職でも。そうやって一人一人が疑問を持たないように生き続けた結果が、今の日本のこの状態です。

「疑問を持ってもどうしようもない」「どうせ変えられない」「面倒なだけ」「辛くなるだけ」「他人と違うことばかりやってられない」「大人にならなきゃ」・・・色々理由はあるでしょう。「今までの当たり前」「どうせ変わらないもの」にチャレンジすることは、勇気がいることでしょう。損をするように思えることも沢山あるでしょう。

でも、皆が皆それから背を向けて、「ちっぽけな自分」の「ちっぽけな利益」ばかりを後生大事に守っているつもりになり、「とりあえず自分の周りはどうでもいい」という態度を続けるのであれば、社会はもっとひどいところになるでしょう。いや、なっていたでしょう。先人たちの誰かが、損をしても、自分の得にまったくならなくとも、一生懸命他者や社会のため(本人たちがそれに気づかず、感謝せず、時にバカだと思っていたとしても)、に行動し続けてくれたから、今狭くともスペースが私たちに残されている。でも、それも「誰かがやってくれる」と胡坐をかき続けた結果、もはや風前のともしびです。

若い人として何ができるのか・・・?
まずは、やはり批判的精神を育み、問い続けること。そして知ることだと思います。知ろうとすること。「一番前」に行く勇気がなくったって大丈夫です。「前でがんばっている人達」を応援することだって、大きな力になります。

とにかく、「問い」を持つことは是非し続けてほしいと本当に思います。そして、小さな輪でもいいから、誰かとその「問い」を共有し、話してみること。そういう積み重ねが、「このままでいいんだろうか」「本当にそうなのか」「何かできないのか」・・・というサイクルになっていって、皆の最初の「問いを持つ」というささやかな試みが、何かの行動につながっていくことになると思います。

さて、またしても前置きが長くなりました。
以前ツイッターで紹介しましたが、今日は、この「世界報道自由の日」の2013年度の受賞者であるエチオピアの女性ジャーナリスト、レーヨット・アレム(Reeyot Alemu)のことを紹介したかったのです。ドイツでは時間がなくてツイッとで終わってしまったのですが、日本でほとんど知られていない女性なので、これを機に是非しってほしいと思います。

■ユネスコ「2013年度世界の報道自由賞」の紹介。
”Ethiopian journalist Reeyot Alemu wins 2013 UNESCO-Guillermo Cano World Press Freedom Prize"
http://www.unesco.org/new/en/media-services/single-view/news/ethiopian_journalist_reeyot_alemu_wins_2013_unesco_guillermo_cano_world_press_freedom_prize/#.UkcG6tKpVRm
Ethiopian journalist Reeyot Alemu wins 2013 UNESCO-Guillermo Cano World Press Freedom Prize

■2012年度「ジャーナリズムにおける勇気賞」受賞の紹介。
http://iwmf.org/honoring-courage/2012-courage-in-journalism-awards/awardees/reeyot-alemu.aspx

先の大貫さんの記事によると、「アレムさんは高校で英語を教えながら週刊紙を出版し、貧困の問題、その原因、政府の腐敗、不正、女性差別などの政治問題、社会問題に鋭い筆を奮い、政府に“テロリスト”として逮捕、投獄された。政府から反政府的言論をやめるよう圧力を受けるが拒否。刑務所は衛生状態が極端に悪く、アレムさんは体調を崩し入院。手術を施されるが翌日、回復しないうちに刑務所に戻されているという」。

酷いです。
本当に。でも、だからこそ知らねばなりません。学ばねばなりません。
彼女が何をしたのか?
そこまでの仕打ちを受けるだけのどんなことをしたのか?

「本当のことを書いた」のです。

多分、のんびり生きてきた日本の学生の皆さんには「へっ?」・・・かもしれません。
しかし、人間の歴史において、ものを書き始めてからというもの、過去においても、現在においても、
権力側にいる人達が一番怖いのは、「嘘を書く人」ではありません。
「本当のことを書く人ほど怖い」のです。

少々訂正。
勿論、民主的な手法によって人びとに力を負託されている人達にとっては、「本当のこと」は痛くもかゆくも、ましてや怖いことではありません。一方、既得権益にしがみつくことでカネや力やメンツが保ってきた人達ほど、「本当のことを書き言う人」は目障りであり、消し去りたい相手なのです。

なぜなら、彼らは知っているから。
自分の「力」に正当性がない、ということを。
自分のやり方が支持されていない、ということを。
だから「嘘で塗り固めたお城」を維持し続けなければならない。
だからこそ、「本当のこと」が、いちいち胸に刺さるのです。
だから「本当のことを語る人、書く人」を黙らせたい。

”Reeyot Alemu: Ethiopia's Jailed Truth Teller”
http://www.thedailybeast.com/witw/articles/2013/04/18/reeyot-alemu-ethiopia-s-jailed-truth-teller.html
■アルジャジーラの英語番組が一番分かりやすい
「ジャーナリズムxテロリズム」
http://www.youtube.com/watch?v=9hEkd3ZTKco
いかに、「テロリズム」という言葉が、権力に本当のことを隠すために利用されているか。


でも、彼らは恐れながら、薄々知っている。
真実はどんなに曲げても、曲げても、歪められ切れないことを。
だから、より一層怖いのです。
これらの不安が、彼らを「本当のことを言う奴を黙らせたい」衝動に導きます。

裸の王様は恥ずかしい。
だから、「裸だ」という人が目障りなのです。
裸なことを認めれば、もっと良い関係が待っているというのに・・・。
裸に気づき、服を着る努力よりも、「裸だ」という人を黙らせることにこそ血道をあげる・・・。

しかし、アレムさんがいったように、
「本当のこと」・・・というのは、どんなに上手く捻じ曲げても、必ず残っていきます。
今消えたように見えても、別の形で必ず残って、必ず表に出てきます。
だから、「本当のことを書く人」を遠ざけて、彼らの権力の「時間」を延ばすことが重要なのです。
でも、いつか彼らは退場を余儀なくされるでしょう。
どんなに権力者らが、それを求め工作しても、真実は人々の目の前に、いつか現れるからです。

そのことを歴史家として驚きをもって見つめてきました。
こんな資料残っているはずないだろう…というところに残っている。
こんな話、聞かせてはもらえないだろう…という話が語り継がれている。
そして、埋もれたこれらの声や資料を、丹念に丹念に掘り起こす人達がいる。
すべては、「過去の過ちを繰り返さないように、よりよい社会と世界のために」と、いつも、どこかで、思って、汗をかいてくれる誰かのお蔭で。

アレムさんは未だ20代だというのに、「本当のこと」を掘り起し、書き続け、このような状態でも意志を曲げず、世界にメッセージを送り続けています。
“I believe that I must contribute something to bring a better future,” Alemu said in an earlier interview with the IWMF. “Since there are a lot of injustices and oppressions in Ethiopia, I must reveal and oppose them in my articles.” Alemu said one of her “principles” is “to stand for the truth, whether it is risky or not.”
http://iwmf.org/honoring-courage/2012-courage-in-journalism-awards/awardees/reeyot-alemu.aspx

権力者は、そのことが怖いのです。
彼女を、どんなカネや力やニンジンでもっても、Corruptできないことが。
彼女を、どんなやり方でも諦めさせられないことが。

彼女は何故諦めないのでしょうか?
想像でしかないのですが、
それは、彼女が誰かにいわれてやっていることではないからだと思います。

ユネスコは彼女をこう讃えました。
“exceptional courage, resistance and commitment to freedom of expression.”
でも、彼女はこう讃えられるためにやっていないと思います。
彼女は彼女の生き方としてやっていることに、誰かが褒章をあげることは真の意味で出来ない。
と同時に、それを他者が奪うことも出来ないのです。

日本政府に「開発の優等生」として讃えられるエチオピアですが、同国に現存する「貧困と格差」に対し声を上げ続けた一人の若い女性が、「テロリスト」と呼ばれて今日も監獄に入れられたままであることを、私たちは目を瞑らず、しっかり知り、そこから学びましょう。
http://allafrica.com/stories/201309051138.html

■受賞にあわせて作られた番組
http://www.youtube.com/watch?v=Ce4fkD7drmA

彼女の監獄からのメッセージ
"Journalists are the voices of the voiceless. That's why I wrote many articles reveals the truth of the oppressed ones. I always stand firmly for my profession."

日本の皆さんに知ってほしい。
そして、今一度考えてほしい。
私たち一人一人の生き方。
共に創造しようとするよりよき未来。
いつもモザンビークの仲間たちがいうように。

More just, democratic and better society & world.
私たちは出来ると思うのです。
立ち止まり、自らの過ちに気づき、笑い、手を取り合って前に進もうとするのであれば。

今日もがんばりましょう。
人生は短い。
だけど、真実は遠くまで。
だから、今日も真実を語りましょう。
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by africa_class | 2013-09-29 03:01 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

卒業祝い:「ちっぽけな自分を笑い、自分を超えたもののために生きる道を閉ざさない」、という生き方

2012年度の卒業生を送り出している時期に色々あり、しっかりと送り出す言葉を書くことができないでいた。もう9月が終わろうとしているこの瞬間、なぜか出張中のオランダのホテルで一言だけでも書いておきたいと思う。

まずは、皆さんこんなに遅くなってごめんなさい。
言い訳にはなりますが、忘れていたわけではなく、ずっとずっとあの時追コンでかけた言葉以上の何かをどのようにまとめて書けばいいのだろう・・・と考えていたら、あれもこれも言いたいのに、一つだけ絞っていうとしたらなんなのだろう・・・と迷っていたら、こんなに時間が経過してしまいました。ごめんね。

ゼミ生との毎年の出会い、そして毎年の送り出し、その繰り返しをしてもうすぐ10年が経過しようとしています。気が付いたら、100人以上のゼミ生との出会いとなりました。そして、そのパートナーたちや赤ちゃんたちや、増えていくファミリーとの沢山の新しい出会いがあります。

2004年には不可能だった、卒業生が後輩の面倒をみる・・・は見事に勝手に主体的に行われるようになり、卒業生の皆さんに心から感謝しています。この場をかりて、「ありがとう」を言わせてください。

皆さんとのどの出会いも、とてもかけがえがなく、時に反省しなければならないことも多々あり、率直にそれをお詫びしたいし、同時に皆があたえてくれた沢山の幸せと笑いを、それがくれた勇気と成長を、どう説明すれば伝わるものか・・・これを書く決意をした今夜にも未だ分からないのです。

でもやっぱり、皆がくれた力に感謝したいと思います。
皆の純粋なまっすぐな、でも不安げな眼差しをみながら教壇に立つと、ああ頑張らなければ、ただ教師としてだけでなく、人として、大人として、社会の一員として、日本の現状の責任者として、世界の一部として、がんばらなければ・・・と思ってがんばれてこれました。

時に(多くの場合?)、それが空回りになったり、やり過ぎになったり、時にやはり独立精神が必要だと不十分に対応したり・・・とおそらく皆の目からみたら色々だったと思いますが、それでも、一人一人のことを一生懸命大切に想い(私なりのやり方ではありますが)、これからも思っていくことを、何よりもまずは知ってほしいと思います。

それは単に私のゼミ生だったからというわけではなく、皆は「不十分だった」「先生は納得してないだろう」などと思っているかもいれないですが、一人一人が、素晴らしい人としての成長を、それぞれのやり方でみせてくれたこと、その成長に少しでも関わらせてくれたこと、そのことへの感謝が根本にあるからです。皆は、なかなかそのことが分からないみたいだけれど、自分が親になったり、先生と呼ばれる立場になれば分かるかもしれません。迷惑をかけたと思っている人も多いけれど、本当に全然そんなことないのです。大人の当然の役割ですから。

皆が良く誤解するようなので、前もっていっておくと、
今だから(卒論を書き終え、提出し、発表し、卒業し、社会人になった)分かると思いますが、私が皆さんに「求めていたもの」は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「何もなかった」のです。

皆は、ずっと私が皆に何かを求めていると信じて頑張っていたようですが。そして、それが日本での子どもの成長の際の「当たり前」なので、自然とそう信じていたかもしれませんが。今となってはこのこと、分かると思います。

私がもし何か求めていたとしたら、それは「皆が人として自分の力と想いで何かを求め、それを自分の責任において求めること」・・・でした。それは求めていたので、以上の記述は正確ではないかもしれません。

確かに、「スキルの向上」は提案してきました。
(勉強もそうですが、生き延びるという意味での)
また、「なぜ学ぶのか」を考え、話し合い、探究する場も提供してきました。

しかし、何をどうゴールとして設定して頑張るか・・・・は皆が探るしかなかった・・・だから、皆卒論が終わるまですごく苦しかった・・・と思います。

私は皆さんの求める「皆の問いへの答え」は持ち合わせているとは1パーセントも思っていないし、そして、それを想定して語ることもできないし、すべきでない・・・と思ってやってきました。勿論、事実誤認とか理解不足、あるいは調べ不足という点は多々あったので、それらの点については大いに情報を提供し指摘してきたつもりです。また、努力せずに結論を導き出すという「行為」については、厳しかったと思います。

でも、皆が自らのテーマを探しだし、自らの問いを立て、自らの手法で、自らの答えを導き出す・・・これのサポートはしても、邪魔はしてはならないというのが私なりの先生としてのルールでした。なので、クラスルームの場で「教え過ぎない」ということを、すごく気をつけてきたつもりですが、うまくいかなかったこともあったでしょう。

勿論、「私の問い」への「私の答え」は、あります。
が、前にも書いたように、授業ではその話はほとんどしてきませんでした。時間の無駄だし、30人いるゼミ生一人一人の多様性に寄り添って話を聞きたいのに、「先生」の話をしては、「真似しなきゃ」と言うことになっても困る・・・と思っていたからです。

むしろ、私の問題意識や考え、それへの行動は、社会「貢献」活動の中で知ってもらえばいいと考えてきました。それを知りたければ、このブログを読んだり、その他企画のイベントに参加すればよいし、知る必要がなければ知らなくていいし、関わりたければ関われば良いし、関わりたくなければ関わらなくてよいし、すべては皆次第であり皆は自由。なので、授業の中ではしてきませんでした。そのような狙いがないとしても、押し付けがましくなるので。

でも、授業の中でもっと話してほしい、教えてほいい・・・という希望が1年が終わると良く出されてきました。実は、白状すると、外大以外の大学では、講演会であったりするので、そういう話をよく学生の前でさせてもらってきました。でも、自分の大学では・・・難しいですね。例外はりくえすとに応え、1年に1度だけ、専門の授業で、何故自分がこのような研究や活動をするに至ったのかの話はしますが、大抵は最後の方で泣いてしまうのでちょっと恥ずかしい。

2012年度卒業生の前でも話しましたね。かなり長い時間。結局、泣いてしまった。あの瞬間何を想像してたかというと、私が私であることができる理由、私が私として生きる手がかりを与えてくれた、モザンビーク北部の農民のママたちの優しさと強さ、哀しみ、辛さ、喜びと温かさ・・・そんなものすべてを想像してしまうと、もう涙がいつも止まらないのです。

1994年・・・戦争直後に反政府ゲリラ勢力を含む元戦場を任地として働いていた時に出会った、あのお母さんたち。布きれ一枚、穴だらけの、骨と皮の、哀しそうな怯えた目の、あのお母さんたちが、どのように日々を生き抜き、その後の戦後を生きて、今に至るのか・・・20年ほとんど毎年のように農村にお邪魔しながら、自分の自らの努力で生活を立て直した姿を目の当たりにしてのことでした。

首都から最も遠いモザンビーク北部の中でもニアサ州は最も援助が届かない州であり、さらに州都から遠くアクセスの悪い元ゲリラ地域の南東部は、文字通り、「人びとが自力で生活再建を行った地域」でした。自分の食べるものもろくに生み出せない、家も自分で建てることのできない無力な私にとって、その姿から学んだことの大きさは説明しようがありません。

「ただ今日を生き抜く」・・・ことの偉大さに、そのことを家族が実現するために与えられているお母さんたちへの責任の大きさに、私は尊敬とともに、すごいものを見せていただいた感謝を感じてきたのです。もし、このお母さんたちとの出会いがなければ、あらゆる意味で今の私はなかったでしょう。

皆さん、「ただ今日を生き抜く」ことの素晴らしさを、心に大切に持ちましょう。何もかもが嫌になる時こそ、このことを思い出してください。

ただ注意が必要です。
「私が今日を生き抜くこと」には、パーソナルなニュアンスがあるかもしれません。
でも、戦後モザンビークで考えたことは、「今日を一人一人が生き抜くこと」の集合体があって初めて家族があり、社会があるということでした。

皆が「今日」を諦めず、「自分」を諦めないことは、すなわち「生命」と「ひと」と「社会」と「世界」を諦めないことなのです。

若い時分にこのことに気づくのはとっても難しいことだと思います。一人暮らしで一人で生きているつもりになっているだろうし、自分ぐらいいなくてもと思っているかもしれません。

すこし厳しいことを書くならば、「自分ぐらい」と思っている人ほど、実は心の奥底で「自分」を強く大事にしすぎていることが多いのだということに、早く気づいてくれるといいなと思います。

逆説的ですが、根っこの部分に後生大事にもっているか隠している「自分」がかわいく、傷つけたくない人・・・が多いのです。

あるいは逆のケースもあります。「自分だけは生き延びればいい」と考えているタイプです。
実は、今このような考えが、世界に蔓延っていると感じています。表面的には、「自分なんて」とリアクション的にいっているけれども、自分(とその感情や気分や利益)がとっても大事で、本音では「自分だけ」を重視している。

経済至上主義が蔓延るポスト冷戦期の社会においては、これはますます強くなって、日本だけでなく、世界中を席巻しています。そして、社会で働き始めた皆さんであれば、それをひしひしと感じていることでしょう。

新入社員の皆さんですから、それは仕方ないことかもしれません。それぞれがまずは社会の中で生きてみる、もがいてみる、その中で考えるしかない・・・実はそう思っています。

でも同時に、もしクラスルームを超えた場所で、もはや学生ではない皆さんに何か送る言葉を贈るとすれば、それは有難迷惑かもしれないとは思うものの、冒頭の一言に尽きるのです。

「ちっぽけな自分を超えたもののために生きる道を閉ざさない」

先述のとおり、「ちっぽけにすぎない自分」にフォーカスしすぎる精神構造、時間の使い方、努力の方向性は、自分にとっても破滅的ですし、皆がそのような状態になると、家族や、組織、社会、世界にとって破壊的です。残念ながら、今日本社会のあらゆる単位において、「自分にフォーカスし過ぎる人たち」が増殖しているように思えます。

長年において日本では、習慣として、家、地域、組織、社会の私物化が当たり前の社会でした。「自分のちっぽけさ」をカバーするために、「家、地域、組織の中の地位」が重視され、それらの私物化が横行して来ました。右肩あがりの時代はよかったでしょう。

しかし、もはや時代は変わりました。日本のわれわれは、あらゆる意味で、その「成功体験」に長年あぐらをかきすぎました。日本の社会のあらゆる単位において、それを私物化している人たちやグループは、仕事と自分を切り分けることができない故に、批判を受け付けられず、家族でも、組織でも、風通しがよく改善が可能なものから遠のいていっています。

日本が「変われない」理由にこれがあります。
そのために、私物化するほどの権力を伝統的にもってこなかった女性や若者は、正面からこの「私物化集団」と闘うというよりも、「離脱」を好んできました。その方法は積極的なものもあれば、消極的、わかりづらいものもあります。その結果として、彼ら彼女らが本来もっていた「変革のエネルギー」は、使われることなく、浪費され、あるいはしぼまされてきました。

新入社員の皆さんは、心当たりがあるでしょう。皆さんに変えられることなんで、何もない・・・と感じていませんか?あるいは、時代の先行きの不透明さから、将来への不安から(持ってて当然です。ほんとうに若い人にとって大きな課題が沢山与えられているのですから)、「自分だけは守らねば」と感じているかもしれません。つまり、私物化グループに皆もいち早く参加しなければならない・・・と感じているかもしれません。

でも将来の不安の出所の根っこの部分は、特に冷戦後、より自由になった社会において、「家」も「地域」も「組織」も変われなかった結果として起きているのです。既に出来上がった「強弱」関係を守ろうとする力の強い側が、ゆらく変動の時期にかたくなに「自分たちは正しく、そのため今まで通りでなくてはいけない」と求めた結果でした。そのために使われたエネルギーと、それへの抵抗は、結局は変革を求める人びとの離脱と、それぞれの単位の腐敗と硬直化、そして崩壊につながっていきました。

多くの「家」をみてください。
「地域社会」をみてください。
多くの政府組織をみてください。
多くの会社をみてください。
そして、この日本の現状を。

今の日本の状態を見回して下さい。上から下まで。すべての単位において、崩壊や綻びでガタガタしています。それは、オリンピックのような「夢」が足りないからとか、景気が悪いから・・・という一言では片付けられません。もはや、今の時代に相応しい変革は、とっくの昔に起きていなければならなかった変革が、どのレベルでも停滞し、場合によって、古いものがただ朽ち果てるのを待つしかない、あるいは破滅的にすべてを使い倒すのを手をこまねいて見ているしかない・・・という状態にあります。

こういう状況のなかでは、一人一人が自己防衛に走り、カネに頼るしか道がないように見えてきます。
他方、そんなカネすら手にできない若い世代は、より自己防衛に走らざるを得ません。とにかく、「上に従う」「大きなものにまかれる」「敗者になってはいけない」「勝者でありつうけなければ」。

「そのためなるべく他の人より早く、上手く、効果的に準備しなければ、損をしないようにしなければ」・・・という焦りが、大学生の皆さんにこれほど漲っている時代は過去にあったのでしょうか?そんな「勝者の道に乗れない」と感じ、自暴自棄になっている人もいるでしょう。

私が皆にいえることは、あまり多くありません。私自身が、そのような社会をみなに与えてしまった張本人の大人の一人だからです。今の大学生の倍近く行きている以上、責任から逃れられません。

それでも、あえていわせてもらえるのであれば、それは、そんな時代でも、「ちっぽけな自分の為に生きる人生のままでいいのか?」ということなのです。今、フレッシュマン・ウーマンの皆さんも、いつかフレッシュではなくなります。その時にこの言葉を思い出してくれればと思います。

「既得権益を守る上の世代」と「不安の中でそれに従わざるを得ない下の世代」で、今の日本社会の風通しの悪さは成り立っています。その連合の中にいれば、台風の目の中にいる静けさを錯覚として与えてしまいますが、その外はむちゃくちゃな被害が生じ続けています。台風のように破滅的パワーをもって。自分たちは良いように思われるのですが、周りが破壊しつくされた後、自分たちだけも本当に無傷で残ることができるのか・・・それは誰にも分かりません。

そもそも、そういう生き方をしているという自覚もないかもしれません。それはそれで仕方ないでしょうし、あるいは私の認識・理解が間違っているかもしれません。

いずれにせよ、「台風の目の外の被害」、そして台風の外に穏やかな世界があるという事実・・・これを忘れないようにしましょう。渦中にいると感じれば感じるほど、「その外はどうなのか」に努力して意識と視線を飛ばすようにしてください。

難しい時には、「自分のちっぽけさ」を笑ってみましょう。
自分の愚かさを、卑下する形ではなく、大いに笑ってみましょう。
大丈夫。誰もみてないから!

そのちっぽけな自分を、次に、もっと大きなもののためにどうにか生かせないか、考えてみてください。日々の生活に追われてそれこそ無理でしょう。「日々生き抜く」といったのに、矛盾していないか・・・そう思うかもしれません。

私がいいたいのは、逆説的ではありますが、「ちっぽけな自分」の愚かさを笑い、そんな愚かな自分だからこそ他の者・ものの役に立てればいいと感じた時に、きっと皆に開ける道はあるはずだ・・・ということなのです。それが、「日々を生き抜くこと」の意味を、限りなく広げてくれるのではないか・・・と思うのです。

「今日はよい一日だった」・・・というために、他人の評価は不要です。あるいは、「ちっぽけな自分にとってどんな良いことが起きたか」を判断基準にする必要もないと思います。むしろ、「ちっぽけな自分を笑い、それを超えたもののために何かしようと生きた」のであれば、結果が伴わないとしても、とても良い一日を過ごしたということなのだと思うのです。

ひとは一人では生きていきません。
誰かに必要とされ、誰かのためにがばんばりたい生き物です。
かといって、誰かが望まないがんばりを、勝手にしてしまう生き物でもあります。
だから、「誰かのために」という時にこそ、その「誰か」の心の声に耳を傾け、立場は違えどともに生きる道を真剣に探っていかなければなりません。

それに気を付けつつ、今日も、明日も、一日を、大いに自分を笑いながら、もっと大きなもののため、気持ちよく健やかに生きる可能性について探究すること・・・、をどこか頭の片隅においていただければと思います。何か、自分が間違っている道に入って行こうとしていると感じた時に、このことを思い出していただければ。

実は、自分が考えている以上に自分も、世界ももっと可能性に満ちている、ということも。

そして、私もそすやって生きていく努力を下手なりにやっていこうと思っています。
いまさらですが、

卒業おめでとう。
皆さんの道のりに沢山の笑いと幸がありますように。
困ったときはいつでもどうぞ。
ドアはいつも開いています。

舩田
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by africa_class | 2013-09-24 07:34 | 【大学】アフリカゼミ(3・4年)

日本の援助(プロサバンナ)と抑圧、言論の自由について考える

現地調査報告概要(ドラフト)にも少し書いたのですが、モザンビークの市民社会や農民組織からは、悲鳴のような声が日々届きます。同国で日本もブラジルと共に援助するプロサバンナ事業に異議を唱えた人達が、プロサバンナ事業関係者らにより、繰り返しの圧力を受けています。

詳細は9月30日の緊急報告会にお越し頂ければ
http://afriqclass.exblog.jp/18634252

その圧力の与え方は直接的なものから間接的なものまで、とってもアカラサマなものから微妙なものまで、多種多様です。モザンビークや日本らしい手法のものも沢山あり、両国を知る者として考えさせられる点が多々あります。

哀しいことに、現地調査「報告記録」には、そのような声が積み上がってしまっています・・・。彼らがこれ以上危険に晒されることを考え、どのように公表するのかについては躊躇がありますが、彼らは「大丈夫。今こそこの不正を世界に知らせて」というので、差しさわりのない程度に列挙しておきます。

というのも、きっと日本の援助関係者はこういうことが現地で起こっていることについて、一部の人を除いて知らないと思われるからです。カウンターパートの政府関係者とだけ話している、あるいは市民社会と表面的にしか付き合いがないと耳にすることもないでしょうから。

それこそが、せっかく去年10月にUNAC(全国農民連盟)が異議を唱えてくれた時に、「ごく一部」「反政府勢力」「農民を代表しない」「こんな立派なポルトガル語をモザンビーク人や農民は書けないから国際NGOの陰謀だ」などといわずに、真摯に耳を傾け、どうしたら良いのか話し合えばよかったのですが・・・。

まだ遅くない、と思います。日本の援助関係者が今表面的な小手先ではなく本当の意味で変われるのであれば、そして抜本的な見直しができるのであれば・・・。ヒトも組織も間違いは冒すものです。私もまた。でも、「批判や教訓を変革の糧にする」ということを肝に銘じれば、変われるはず。まずは、何が起きているのか知って下さい。

「現地社会の異議あるいは疑問がある中で、とにかくプロサバンナを推進する、既成事実化を図る」ということが、いかなる抑圧と分断を現地で引き起こしているかについて、これを機会に是非自覚してほしいと思います。

私には沢山の疑問があります。
日本の国際協力を通してやりたかったのはこういうことだったのでしょうか?農民の支援というのはこういう手法によるものなのでしょうか?異論に丁寧に耳を傾ける努力よりも、なんとか「既成事実」を積み上げるための戦略や活動にばかり努力を注ぎ続けるべきなのでしょうか?

JICAは、いつから「弱い立場の人びと」の側ではなく、抑圧の側に立つ組織になったのでしょうか?国家間の援助の限界がこういう形で出るのであれば、そして援助からtake offする国が急増している以上、今後10年・20年の存在意義は何となるのでしょうか?

JICAは、いつから、現場での人びと共にある地道な信頼醸成活動の積み重ねに最も努力する機関から、大がかりな宣伝本位の事業の体面を保つための「戦略や戦術」にばかりカネを出し奔走する機関になってしまったのでしょうか?

両方やってるよ・・・という声が聞こえてきそうですが、後者が続く限り、現地の人びとにとって前者の評価はとても難しいでしょう。その意味が分からない現場で頑張っているコンサルタントの方多いと耳にしますが、プロサバンナ事業が一方で抑圧を生み出している中で、ある一部分は頑張っているから評価してほしい・・・と思っても、社会的になかなか難しいことなのだと思います。

そもそも、私に疑問なのは、そこまでしてやりたい国際協力とは何だろう・・・という点なのです?
内発的な人びとの努力に寄り添わない援助への批判は90年代に散々行われてきました。今更私がそれをここでふり返る必要もないと思います。

でも、もはや問題は「農民の自発性や内発的発展に資するかどうか」という点をはるかに超えてしまいました。プロサバンナ事業は、それを「何が何でも問題がなかったように取り繕い、推進する」というあらゆる種類の努力によって、その行き過ぎた繰り返しの「圧力」や「活動」によって、モザンビークのもっとも善良で素晴らしい層の人達ーーカネのためではなく自らを犠牲にしてでも底辺の人達の権利と社会の正義と民主主義のために闘う人達ーーを、傷つけ、反発させてしまいました。

プロサバンナ事業は、モザンビーク社会の真の発展に貢献したければ真っ先に仲間として行動すべき人達を、「敵」や「道具」として扱おうとしてしまったのです。そして彼らはそれに気づき、深く傷つき、反発し、不信を抱き、幻滅しています。どうしてこんなことになったのでしょうか?JICAは組織として自覚の上でやっているのでしょうか?あるいは?

これまで私もメールや電話、来日した仲間たちの話でしか「抑圧の実態」を知ることができませんでした。しかし、私だけでなく、今回、一緒に現地調査に行った日本の仲間たちも、自分の目の前でそういう事態を目にしてし、とても危機感をもっています。一援助事業が、現地で人権(言論の自由)侵害を引き起こす事態に、私たちはどうしたらよいのでしょうか?

抑圧を受けた人達を守るため、差しさわりの内範囲で列挙します。時間もないので一部のみですが。

(私や調査団が目撃したもの)
・「私のやることに反対する者には最大限痛い目にあわせてやる」
・「誰がこいつら(外国市民社会)を連れてきたのだ。お前か!」
・「上司が暗殺しろといったらそれに従うお国柄(といって市民社会代表に銃口を象った指で焦点をあてる)」
・「政府のすることに反対というな」「賛成といえ」
・「異論を国外で披露するな」
・「やはりこの公開書簡は外国の陰謀者らによって書かれたんだな。善良なるモザンビークがこんなことを書くわけがないし、農民が書けるわけがない」
*このいくつかはJICA関係者が同席の場で発せられました。内部で共有はあったでしょうか?

(現地での聞き取り、現地からの情報)
・「(プロサバンナ対象地での土地紛争の話をしたら)そんな話をしたら、君たちはどうなるか分かっているのか?」
・「農民組織は排除する。何故なら奴らはプロサバンナに反対するからだ。対話の必要はない」
・組織の上司への圧力と、その上司による圧力(人事担当からの圧力も含む)
・組織に資金提供するドナーを経由した圧力
・密室での会談の要求
・一人だけとのインフォーマルな会談の要求
・市民社会との対話にもかかわらず「個人」をターゲットとしたコミュニケーションのやり取り(個人の携帯への直接的な連絡、一人だけの連絡や名指しの連絡)
・繰り返しのミーティングへの呼び出し
・以上が無理な場合のフォーマルなレターによるミーティングへの呼び出し

ちょっと時間がなくなてきたので、列挙は以上に留めます。
傷害事件とかそういうものじゃないよね・・・という意見の人に尋ねたいのは、日本の援助がそこまでに加担する前になんとかすべきではないのでしょうか?、です。今は選挙前なので、この程度に収まっているのですが、それでもドンドン加速しています。

そこまでして得たい「農民・市民社会の同意」というものを根拠にして進める農業開発援助というのは、何なのでしょうか、という点です。ぜひ、自分の立場や利益、思い入れを脇において、考えてみてください。

国内的にも国際的にも注目が高まっている中、日本政府やJICAの良識と、「ガイドライン」に基づく行動が強く求められています。結局のところ、「組織」というのは「人の集合体」にすぎません。「どうせ変わらない」ではなく、一人一人が変えようとするならば、きっと変えることができるはずです。これ以上の加害に加担せず、過ちを学びに転換すべく、がんばってください。

Transcend(転換)は可能です。詳細は→
http://afriqclass.exblog.jp/i23/

10月に、このTranscendを基本理念としたLukasaをアフリカ・アメリカの専門家や有識者を招いて、日本の仲間たちと開催します。お楽しみに。
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by africa_class | 2013-09-21 18:02 | 【考】土地争奪・プロサバンナ問題

【ご案内】国際開発学会の「原発震災から再考する開発・発展のあり方」部会の報告会

国際開発学会の「原発震災から再考する開発・発展のあり方」部会から案内がありました。とても重要なテーマであるとともに、国際開発や国際協力を問い直すにはとても良い機会だと思います。ぜひどうぞ。

===========================
【テーマ】原発震災より開発・発展のあり方を再考する。

【内容】原発震災であらためて露わにされた、内国的・国際的に展開される不公正な開発政治に、われわれはどう向き合えば良いのでしょうか? 中野洋一氏(原発産業)と松島泰勝氏(琉球開発)のお話を伺いながら考察します。

【プログラム】
① 「原発産業のカネとヒト」
(中野洋一 氏、九州国際大学)
原発産業は日本の巨大ビジネスの一つである。9つの電力会社の年間売上高は約15兆円であり、原発産業には年間約2兆5000億円近い資金が動いている。その原発産業のカネとヒトに焦点をあて、特に「原発マネー」の流れを中心としながら分析する。

② 「新たな植民地主義としての琉球の振興開発体制」
(松島泰勝 氏、龍谷大学)
本報告では、1879年の琉球併合から今日まで続く、琉球に対する構造的差別を明らかにした上で、「復帰」以降の振興開発体制が新たな植民地主義でしかないことを明らかにする。特に米軍基地とリンクした開発政治の分析に焦点を当てる。

【発表者プロフィール】
☆ 中野洋一 氏  国際経済学、特に南北問題、途上国の貧困問題が専門。九州国際大学国際関係学部教授、博士(商学)。現在、副学長。著書は『軍拡と貧困のグローバル資本主義』法律文化社2010年、『原発依存と地球温暖化論の策略―経済学よりの批判的考察』法律文化社など、多数。

☆ 松島泰勝 氏  石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。在グァム日本国総領事館、在パラオ大使館勤務を経て、現在、龍谷大学経済学部教授。NPO法人ゆいまーる琉球の自治代表。「琉球民族独立総合研究学会」共同設立者。主要著書に『琉球独立への道―植民地主義に抗う琉球ナショナリズム』法律文化社。

【日時】9月29日(日)13時半~17時
【場所】甲南大学 西宮キャンパス(阪急 西宮北口駅 至近、メールで詳細をご案内
します。)

http://www.konan-u.ac.jp/faculty/cube/access/index.html

【問い合わせ先】 k_masaki425<@>nifty.com

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by africa_class | 2013-09-21 16:58 | 【考】21世紀の国際協力

【緊急報告会!】9月30日16時~「プロサバンナに関する現地調査報告&緊急声明文発表」@参議院議員会館

お待たせしました。緊急報告会(9月30日(月)16時~17時半)の詳細が決定しました。
締切は28日(土)正午です。座席に限りがあるので急ぎお申込み下さい。

なお、以下関連の過去記事です。
●現地調査写真
http://afriqclass.exblog.jp/18496389/
●現地調査報告概要ドラフト
http://afriqclass.exblog.jp/18496108/
●過去の投稿については以下の引き出しに。
http://afriqclass.exblog.jp/i38/


【転送・転載歓迎】
*********************************************
2013年9月30日(月)16:00~17:30
議員会館内 緊急報告会

日本ODAによるモザンビークの大規模農業開発事業
「プロサバンナ」に関する現地調査報告・緊急声明の発表

http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/activities/ps20130930.html
*********************************************
ザンビーク北部3州 の1400万ヘクタール(日本の耕地面積の3倍)
におよぶ「日本・ブラジル・モザンビーク三角協力によるアフリカ熱
帯サバンナ農業開発計画(略称:プロサバンナ/ProSAVANA)」は
2009年 に合意されました。

しかし、2012年10月、 モザンビーク最大の農民組織(2200組織
加盟)である全国農民連盟(UNAC)がプロサバンナ事業への抗議
声明を世界に向けて発表して以来、多くの現地農民組織・市民団
体および国際的なNGOが、同事業への懸念を表明してきました。
これらの懸念の根幹は、同事業が現地事情や農民・市民社会の
意見をまったく反映しておらず、アグリビジネスによる大規模な土
地収奪(land-grabbing)に道を開くものだという点にありました。

これを受け、日本のNGOや研究者らは、2012年12月 のNGO・
外務省ODA政策協議会を皮切りに、2013年1月より「ProSAVA
NA事業に関するNGO-外務省・JICA意見交換会」を5回 実施し
てきました。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/oda_ngo/taiwa/kyougikai.html
(*議事要旨は下の「プロサバンナ…」のところをクリック下さい)

2013年2月には、UNACの代表、環境NGOの代表が来日し、議
員会館での学習会、記者会見でプロサバンナ事業への懸念を表
明するとともに、現地住民との対話を日本政府に訴えました。

6月に横浜で開催されたTICAD V(アフリカ開発会議)時には、前
述農民連盟に加え、対象地域(ナンプラー州)の市民社会プラット
フォームの代表が来日し、モザンビークの主要農民・市民・宗教団
体23組織による3か国首脳宛て公開書簡「プロサバンナ事業の緊
急停止」が発表されました。同「公開書簡」は、農民組織代表により
安倍晋三総理に手渡されています。
http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/
(*プロサバンナに関する資料、声明などは以上ブログを参照)

以上の事態を受け、日本のNGOや研究者による調査団が8月に
現地を訪問し、農民や政府・援助事業関係者らに聞きとりを行うと
ともに、プロサバンナ事業に関する「(モザンビーク・ブラジル・日本)
3か国市民会議」に参加しました。

同会議にはモザンビークの農業大臣や首相代理も参加し、活発な
やり取りがなされました。また、事業対象3州でプロサバンナ関連
事業の現状、アグリビジネスの進出状況、土地収奪、現地小農の
生産努力に関する調査を実施しました。

現地調査からは、プロサバンナ事業の透明性や説明責任の問題が
大きいこと、マスタープランに関する政府と市民社会の対話が始ま
ったばかりであるのにプラン策定が最終段階にあり、かつ関連事業
が進められ地域社会に混乱を招いていること、アグリビジネスによる
土地収奪が地元農民の生存や生活を脅かしているケースが出てい
ることなどが分かりました。

本報告会では映像も交え、調査結果を報告し、声明を発表します。
ふるってご参加ください。

■日時:2013年9月30日 (月)16:00~17:30 
(質疑応答 17:00~17:30)
■場所:参議院議員会館B107  (入館証70枚まで発行)

【司 会】
津山直子(アフリカ日本協議会理事/動く→動かす代表)

【報 告者】
・ 秋本 陽子(ATTACジャパン)
・ 高橋清貴(日本国際ボランティアセンター)
・ 舩田クラーセンさやか
(東京外国語大学/モザンビーク開発を考える市民の会)
・ 森下麻衣子(オックスファム・ジャパン)
・ 渡辺直子(日本国際ボランティアセンター)

【コ メンテーター】
・ 松本悟(法政大学准教授/メコン・ウオッチ顧問)
・ 若林秀樹(アムネスティ・インターナショナル日本事務局長)

共催:(特活)アフリカ日本協議会、(特活)日本国際ボランティアセンター、
(特活)オックスファム・ジャパン
協力:モザンビーク開発を考える市民の会

■問合せ先 /申し込み先
参加希望の方は、以下を明記の上、9月28日 (土)正午までに
メールもしくはFAXにてお申し込みください。
(FAX:03-3834-6903 /EMAIL: info<@>ajf.gr.jp)
*@マークの<>を削除して送信下さい。
(1) お名前 (2) 当日連絡可能な連絡先 (3)ご所属
※ 当日は、参議院議員会館入口にて入館票をお渡しします。

(特活)アフリカ日本協議会 
電話03-3834-6902/ FAX 03-3834-6903/
Email info<@>ajf.gr.jp  担当:斉藤、津山
http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/activities/ps20130930.html

以上
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by africa_class | 2013-09-18 15:58 | 【考】土地争奪・プロサバンナ問題

現地調査写真:アグリビジネス土地収用、森林大規模伐採、地元農民との生産競合、農民間交流成果

●現地調査報告概要ドラフトの文章は先ほどの投稿をご覧ください。
http://afriqclass.exblog.jp/18496108/
写真は、同ドラフトにつけていたものと、追加分です。
●また、「日本・ブラジル・モザンビーク三角協力による熱帯サバンナ農業開発プログラム(プロサバンナ)」に関する世界的な言論空間での状況については以下の通り
http://afriqclass.exblog.jp/18492008/
●過去の投稿については以下の引き出しに。
http://afriqclass.exblog.jp/i38/

ドラフト概要では、地元農民とアグリビジネスの生産物の競合について書くことができなかったのですが、本報告にはこれを書きます。以下、その点についての写真を追加しています。いずれも、プロサバンナ対象の19郡での調査です。なお、現地が緊迫している状況なので、調査地名・企業名を伏せています。

なお、ヘクタールの単位がなかなかイメージしずらいのですが、以下のザンベジアに進出している会社が収用した3000haとは「山手線の内側の面積の半分ぐらい」だそうです(要チェックですが)。
*なおここ数年でモザンビークが外国投資によって手放した土地面積は2万ヘクタールではなく、色々な数字があるのですが「少なくとも2百万ヘクタール」で誤記しました。失礼!。フランス面積の比喩はBBCの記事からなのですが、アフリカ全体のland dealの規模でした。ごめんなさい~!

以下の通り、モザンビークがここ数年で手放した土地面積をLand Matrix最新データに基づくと、日本の全耕地面積(425万ヘクタール)に限りなく近づいています。マラウイの耕地面積(360ha)を超え、ポルトガルやオランダの耕地面積(109haと104ha)の3倍以上ですね。

・世銀の報告書(2009年:xxxii):2.7百万ヘクタール(2004年~2009年)
・GRAINの報告書(2012年:主要な取り引きの合計):1,583,149ha(2006年~11年)
http://www.grain.org/article/entries/4479-grain-releases-data-set-with-over-400-global-land-grabs
・Land Matrixの2013年度の現時点で土地使用権が確保さた69件の取引の面積合計:3,880,460ha(手計算なので、後で計算し直します。どなたかチェックされたら教えて下さい)
http://landmatrix.org/get-the-detail/by-target-country/mozambique/

Land Matrixの最新のものが、実際にDUAT(使用権)まで得ている数字なので「最低ライン」はこれで良いと思いますが、そのLand Matrixの統計にも「詳細不明」な取り引きが沢山出てきます。また、表に出てこないものもあるので、実際はこれより大きな面積が収用されていると思われます。

なお、この企業は、農地をあきらめた農民に1ヘクタールあたり500meticais (20ドル以下1800円ぐらい?)しか提供しませんでした。新しい農地も準備せず。モザンビーク小農の平均耕作地は1.4ヘクタールですので、いかにこの「補償」が少ないか分かるかと思います。企業の進出にあたっての住民との協議の際には、「十分な補償をする。補償しても農地は準備する」といっていたそうです。

なお、この500mtですが、メイズ1袋が80~100mtなので、5~6.2袋分。一家の1年間の消費分にもなりません。そして、一番下の写真に売っているお母さん、ラッカセイを売っただけ(ごく一部)ですぐに手にできたお金です。

なお、会議でも言われていたことですが、「政府の農業政策や計画、キャンペーンでうまくいったものが一つでもあれば教えてくれ」と詰め寄られ、政府代表はまったく答えられなかったことが印象に残りました。が、実は、これは農村でも繰り返し農民から述べられた点でもあります。農民たちは「政府の新しい事業に疲れて」、なので確実にローカルで売ることができる食料生産に回帰しているということでした。

また重要なのは、「土地を選ぶ目」だと繰り返し耳にしました。そうやって肥沃な土地を選んで作付してきたところにこそ、企業が入り込んでいるor入り込もうとしちれうという現状こそが、「土地を巡る争い」の根幹にあると思います。土地・水に関する多様な情報が、プロサバンナについても蓄積されていますが、これらは地元農民にではなく、投資側に提供されるものであって、地元農民は長年の経験から土地を見つけ出しているというのに、そこに上から「投資」が降ってくる・・・・という構図が出来上がりつつあります。


【写真1-1】2013年8月8日 プロサバンナに関する3か国市民社会会議の様子
パシェコ農業大臣の挨拶の後、ProSAVANAに関して説明する首相代理(国家計画局長)
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*この後、農民や市民社会から沢山の質問と疑問が提示され、結局会議は午前9時から午後8時近くまで続いた。日本とブラジルの在外公館、JICAやABCにも、プロサバンナについて発表する時間と席が設けられたが、代理も含め誰も出席せず。その「対話」姿勢について、モザンビーク社会を落胆させました。

公的な理由は「招待が遅れたから」。でも首相代理や農業大臣ですら出席していた上に、10時間に亘る会議。どれかのタイミングで代理が聴きに来ることは可能だったはず。1年前の地元研究所の学会には、3名ほどの大使館スタッフやJICA関係者が交代で聴きに来ていた。それぐらい「興味がない」ということなのでしょうか。あるいは他の理由が?でもその結果はかなり心象を悪くしてしまったのは、本当に残念。批判に喜んで耳を傾ける政府・JICAに脱皮を期待したいです。あるいはモ国政府が阻んだのでしょうか?聞いたら「違う」といっていましたが。

【写真2-1】ザンベジア州G郡 大豆プランテーション(一部メイズも生産) 
アグリビジネス企業により3000haが開墾。収穫後の様子。
(住民との間で土地問題有。地平線まで続くプランテーション。大規模に森林を伐採)
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実際にど真ん中に立ってみての感想は「大クレーターか惑星に来たみたい」・・・。ビデオも録ったので、いずれ動画でご覧下さい。といっても、これ1000ヘクタール分に「すぎ」ません。

【写真2-2】プランテーションの入口の風景。伐採を免れた森が左に見える。
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【写真2-3】写真2-2で数メートルだけ残された森の中の様子(背後にコミュニティ)
*コミュニティのすぐそばなので薪に切られた様子が確認。そのため、実際に「開墾」のために大規模伐採された森よりも木はまばら。
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【写真2-4】同じコミュニティの穀物庫&製粉所
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【写真2-5】200袋のメイズが積み上がっている。企業はすべて自家生産分を売却済みだが、コミュニティと同じものを生産しているため競合が生まれている。買い取り手を待ったままのメイズ。
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【写真3-1】ニアサ州B郡 ブラジル人による大豆プランテーション500ha
(地元住民との間で約束不履行や労働問題・森林伐採あり 奥の山の麓に元の森林の様子)
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【写真3-2】ニアサ州B郡【写真2】のすぐそばの地元農民の畑(収穫後)1.5ha 
(事例)機械も肥料も農薬も使わず。種は自家採取。子どもはなく夫婦だけで手作業。
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【写真3-3】上記の農民夫婦の今季の収穫の一部(写真はゴマ、ラッカセイ。この他、メイズ、キャッサバ、サツマイモ、野菜を栽培 *十分以上の余剰をローカル市場へ)
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【写真4-1】UPCN(ニアサ州農民連盟*UNAC下部組織)のデモストレーション畑
2006年からブラジルのMST(土地なし農民運動)の有機農業の営農者との農民交流で学んだ手法を地元農民同士で普及。写真はニアサ州農民連盟副代表。自身が農民で普及員。
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【写真4-2】UPCN=MST身近なものを活かしたたい肥作りのデモストレーション
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JICAが思い付く前に、すでにブラジルとモザンビークの農民運動同士で相互扶助は始まっていたのです。そして、これは皆が強調していたことですが、政府のエクステンションを期待しても仕方ない、と。彼らは農民のそばにいないし、農民のメンタリティやニーズも分からないし、何より自分で耕した経験のある人というわけではない。農民同士の方が確実に学べる。だからこそ、農民が普及員として機能することが何より大切・・・という言葉は非常に重要だと思いました。
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by africa_class | 2013-09-03 19:48 | 【考】土地争奪・プロサバンナ問題

【現地調査報告概要ドラフト】プロサバンナ・同対象地域に関する調査報告&要請内容

以下の現地調査報告概要ドラフト(私の)について「参考資料」ということで、NGOから外務省・JICAの関係各位に送付されましたので、皆さんにも公開いたします。あくまでも私の「ドラフト」ということなので、その点予めよろしくお願いいたします。(引用の際は、後日発表の正式なものをお待ちください)

なお9月末に現地調査報告会を東京で開催する予定です。その際に、詳しい報告書を発表しますので、よろしくお願いいたします。

*末尾に調査結果からの現時点の「要請」内容を列挙しています。
*概要についていた注は末尾に一挙記載しています。
*写真は次のサイトに。

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ProSAVANA並びに対象地域に関するモザンビーク現地調査【報告概要・ドラフト】
*2013年9月2日付


本報告は、日本でプロサバンナに関するNGO・外務省(JICA)との意見交換会(2013年1月~現在まで5回)に出席してきた研究者・NGO関係者ら6名によって行われた、モザンビークでの現地調査(2013年7月~8月)の報告概要ドラフトである。包括的な現地調査報告については、2013年9月末の「現地調査報告会」にて発表予定である。

現地調査の結果、深刻な事態が多く明らかになったため、関係機関に役立ててもらうとともに、調査成果を社会に還元するため、報告概要ドラフトを作成し、これを広く公開する。

1.目的:
(1)全般的なモザンビーク社会の現状の把握
(2) プロサバンナ対象地域(ナカラ回廊沿い)において、農業投資(アグリビジネスの進出)が地域社会や環境にどのような影響を及ぼしているかに関する基礎調査
(3)プロサバンナに関する調査
(ア)地元社会の理解の把握(知っているか、いつ誰によってどのような形で知ったのか、何と理解しているかに関して)
(イ)プロサバンナ関連事業に関する進捗の把握
(ウ)プロサバンナに関する議論の把握
(4)プロサバンナ対象地における地元小農の生産努力と収穫に関する調査

2.期間・対象地域
期間:2013年7月24日~8月18日
対象地域:ニアサ州A郡、B郡、C郡/ ナンプーラ州D郡(PDIF視察先)、E郡、F郡/ザンベジア州G郡

3.手法
【1】3か国市民社会会議、北部での市民社会会議での参与型観察・現地新聞・プロサバンナや土地問題に関する文献等の資料収
【2】プロサバンナ対象地域の農村訪問調査(政府関係者、農民組織、農村住民へのインタビュー、農地の訪問)<*3班に分割>
【3】首都並びにプロサバンナ対象地域の都市部での各種アクターへのインタビュー(政府関係者、市民社会関係者、JICA関係者、農民組織関係者、地元ジャーナリスト・研究者)
【4】ProSAVANA Development Initiative Fundの対象案件のモニタリング(JICA関係者による案内、個別訪問)

4.現地調査結果(総論)*文献調査結果も含む。
現政権(特に第二期ゲブーザ政権 )下で推し進められてきたビジネス・投資を中心とする各種政策・事業(投資、鉱物資源開発、農業)が、社会内での顕著な経済格差や不公正を生み出し、社会のあらゆるレベルにおいて不満の高まりは顕著となっている 。流入する投資の一方で、モザンビークは、2013年度のUNDPの人間開発指数では、2011年より順位を落とし、コンゴ(民)並びにニジェールに次ぎ世界最悪となった 。特に、各種メガ投資/開発事業が、地域資源に頼って生きる農村住民の生活を犠牲する事例が後を絶たず、住民側の抵抗も激化しつつあり、地域によっては外国企業との間で暴力衝突も発生し始めている 。現政権関係者の外国投資や利権と結びついた蓄財・汚職や不正、それを批判する(可能性のある)者への弾圧・脅迫は、さらなる不満を招き、元紛争当事者の元反政府ゲリラ勢力で最大野党のRENAMOの武装化を利する状況となっている 。同国では現在、本年11月の地方都市選挙、来年の大統領・議会選挙を控え、急速に政治情勢が流動化しつつある(以上【1】、【2】、【3】)。なお、2010年に同国は、Freedom Houseによって「選挙民主政国(electoral democracy)リスト116か国」から除外され 、Polity Score Projectも権威主義体制に近い「アノクラシー(anocracy)」に分類を変更した 。

プロサバンナの対象地域であるモザンビーク北部地域では、外国企業による植林ビジネス(ニアサ州・ナンプーラ州)、そしてプロサバンナ合意後の2009年以降(特に同事業が本格化した2011年以降)、大豆生産を狙った(国際企業に留まらない)アグリビジネスの進出(全3州)――具体的には土地を求める動き(land rush)――が加速化し、各地で住民との軋轢が生じている(以上【1】、【2】、【3】) 。

これまでの進出企業の傾向として、住民との協議を軽視したり、協議での約束を履行しない傾向が強く、実質的な意味での土地収奪(land-grabbing)が散見され、コミュニティによっては住民が生産活動のみならず生存が厳しい状態に追い込まれる事態も生じている(ナンプーラ州・ザンベジア州)。これに対し、住民・農民の権利を擁護すべき地元政府は、「世界一農民志向の法律」と高く評価される土地法があるにも拘わらず、投資・企業側に立った対応を行っており、住民は泣き寝入りするしかない状態にある(以上【1】、【2】、【3】)。

全体的に、言論空間の自由度は減少しており(前頁参照)、「政府が連れてきたビジネスや政策・事業(援助を含む)」への不満や異議を表明することは日々難しくなり、身の安全を危惧せざるを得ない現実にあることも明らかになった(以上【3】【4】)。その結果、農民や住民自身が自分の権利を守るための意識向上や自衛手段の確立について、地元農民組織・市民社会組織・宗教組織の対応も後手に回っており、場合によっては政治的・社会的・資金的障害に直面している(以上【2】【3】)。

一方、一部ドナーによって、「農民の権利を守るため」と称し「DUAT土地使用権の登記」がプロサバンナ対象地に対し集中的に行われているが、これが「『現在使われていない土地』への投資誘致」を奨励する政府やドナー、組織によって強力に進められていることもあり、その真の狙いについて危惧する懐疑的な農民や農民・市民組織が多い(以上【1】、【2】、【3】)。ドナーや政府、あるいは一部のNGOの間でも、DUATについて短期的な議論がなされる傾向にあるが、企業へのリースは50年単位で可能となるため、「現在使われていない土地」への将来的な土地圧力は決して低くはない。特に、人口増加率が高いモザンビークでは、今後数十年を見据えた土地政策が不可欠であるが、この観点を含めた国民的論議も始まったばかりである(以上【1】【3】)。

現地調査で面談したモザンビーク政府関係者(主として農業省)やJICA関係者のいずれもが、北部農村地域で生じる土地争奪や紛争について十分な理解や認識を有していなかった。その一方で、同地域では、外国投資・企業や政府関係者による土地獲得競争は激しさを増すばかりで、土地は投機の対象となりつつあり、投資と住民・コミュニティとの争いだけでなく、その希少化が住民間やコミュニティ間の争いを熾烈化しつつある。なお、これらの土地獲得合戦は肥沃(森などを含む)で水源に近く比較的道路に近い土地に集中して行われており、「適地」ほどビジネスと地元農民の衝突が生じている(以上【1】、【2】、【3】)。

政府が奨励する政策や事業(企業投資を含む)への異議申し立ての難しさ、異議や疑問を呈した際の政府からの強烈な圧力の問題については、地元市民社会や研究者から繰り返し指摘があった。明確な異議でなくとも、現地調査を行っただけで弾圧を受ける事態も生じている 。そのような困難の中で、本年5月28日にモザンビーク23団体によって「プロサバンナ緊急停止を求める3か国首脳宛公開書簡 」が発表された意味の大きさについて、深刻に受け止めるべきとの主張がこれらの団体関係者から繰り返しなされた(以上【1】【3】。

当該「公開書簡」について、TICAD V時のJICAサイドイベント(2013年6月2日)において「農民は文盲だから誰か(外国人)が書いた」との「陰謀説」がモザンビーク政府関係者からなされたことについて 、起草に関わった北部の農民や市民社会組織関係者から強い抗議がなされる一方(8月7日)、23団体が団結し継続して3か国政府に返答を求めることが意志表明され、8日の会議の冒頭に農業大臣の出席の下、同書簡全文が読み上げられた(8月8日、以上【1】)。

なお、市民社会(UNAC並びにORAM)主催のプロサバンナに関する3か国民衆と政府との対話会議(”Triangular Conference of People-Mozambique, Brazil and Japan: for detain and a deep reflection on ProSAVANA”)には、招待された日本・ブラジルの大使館・JICA/ABCのいずれからも代理も含めた出席はなく(日本大使館・JICAからは招待が遅れたためとの理由が寄せられたが代理出席もなかった)、この点について主催団体等から強い落胆と不満が表明された。

同会議は、モザンビーク国首相代理の国家計画局長と農業大臣の政府関係者7名、北部3州の農民・市民社会代表20名(主要ターゲット郡を含む)、首都近辺の農民・市民社会関係者、モザンビーク研究者、他ドナー、日本・ブラジル市民社会関係者10名、国内外のジャーナリストあわせて200名近くの出席者を得て、朝9時から午後7時半までの長時間にわたって開催され、モザンビーク政府代表と市民社会・農民の間で活発な議論が行われた。ただし、政府側の表面的な説明の不十分さと(1時間を超える発表であったにもかかわらず)と「プロサバンナは始まっていない。未だコンセプト段階」の説明に、市民社会側から多くの強い疑義が申し立てられた。数時間にわたり出され続けた農民や市民社会の質問や問題提起に対し、モザンビーク政府側(局長レベルが2名)は応答しようとしたが、具体的な内容を把握していないことが明らかになり、返答に窮する場面も見受けられた。

以上諸会議や北部地域での調査、報道内容を踏まえると、全体として、モザンビーク社会においては、プロサバンナ関する議論は始まったばかりで、とても2009年の合意から4年、マスタープラン策定の最終段階(当初2013年10月にリリース予定)にあるとは言い難い状況であることが明らかになった(以上【1】【2】)。プロサバンナ対象地での調査からも、「プロサバンナを聞いたことがある人」が、農村部でほとんどいない現実、聞いたことがある人は都市や郡都の政府関係者にすぎないこと、聞いたことがあってもその中身について矛盾する内容を含む理解しかないことが判明した(以上【2】【3】)。

モザンビーク社会としても、北部地域としても、プロサバンナに関する情報への接触、具体的な中身の議論は始まったばかりであるにも拘わらず、①マスタープラン策定が最終段階にある点、②同プランの中身や策定プロセスが問題視され議論されている最中に、パイロットプロジェクト (ProSAVANA Development Initiative Fund:PDIF)やクイックインパクトプロジェクト(Quick Impact Project:QIP)という北部農村に大きな影響を及ぼす事業が進んでいる現実に、農村住民や市民社会、政府関係者の一部にも強い疑問があることが明らかになった。

また、モザンビークの国家としてのガバナンスや政治情勢の悪化問題、北部地域に流入し続けるアグリビジネスやその他の投資事業が、現地社会や住民生活や環境に及ぼす多大な影響について、プロサバンナ関係者や地元政府が把握しておらず、理解もしていないままに、マスタープラン策定やPilot Project (PDIF)が進められている点が、大きな問題として認識された。

特に、「公開書簡」で一旦停止を要請し返答を待機している段階での6月末以降に、以上PDIF(ファンド)の二次募集が進められたことについて、現地市民社会の間から強い反感とさらなる不信感が生み出されている。同様に、「仕切り直し」が約束されていたマスタープランの策定への「市民社会の参加」についても、JICA側からの連絡の在り方に対し市民社会側が反発するなど不信感が根強いことが明らかになった。他方、TICAD V前の約束と異なり、モザンビーク最大の農民組織(全国2200組織の連合組織)であり、プロサバンナ対象地のすべてに支部を置き、当初からプロサバンナに関する議論に深く関与してきたUNAC(União Nacional de Camponeses全国農民連盟)等の重要な地元組織に対し、JICAやプロサバンナ事業関係者からのフォローアップがないことについて(8月8日会議への出席がなかったことも含め)、同組織の「排除や他の市民社会組織からの分断を試みているのではないか」との不信感が蓄積しつつある。

最後に、モザンビーク北部地域の小農の活発で多様な生産努力とその成果を知る機会を持ち、一貫して日本政府やJICAによってなされてきた「モザンビーク小農=粗放で低生産性の農業=貧困」という固定化された認識の問題と、それに基づく事業デザインの限界が明確になった。事業関係者が、これら小農の権利と尊厳、生産努力を、謙虚に踏まえることが何よりも不可欠であるとの認識を強く持った。

5.現地調査結果に基づく要請
以上の現地調査・文献調査から、プロサバンナ事業と同対象地域、モザンビーク社会は、現在深刻な課題に直面していることが明らかになった。
プロサバンナ事業は、目的や対象、内容、アプローチ、手法、期間において、抜本的な見直しが不可欠である。
•特に、あらゆる面において現地小農の主権を中心においた事業への抜本的改革が不可欠である。

以上を踏まえ、
•環境社会配慮ガイドラインのカテゴリーを最上位のAに引き上げ、マスタープラン策定前に対象地の社会環境アセスメントを現地事情に詳しい独立の委員(市民社会関係者)と共に丁寧に実施すること、現地農民組織や市民社会との真摯な対話のための全面的な仕切り直しと透明性・アカウンタビリティの抜本的向上、民主的な運営(批判的な組織ほど積極的に対話の相手とすることを含む)を要請する。
•直ちに、本事業に関わり意見を表明する現地市民・農民団体や個人への脅迫や嫌がらせ、弾圧の防止と人権の保護の手法の検討を要請する。


【4.の注一覧】
・Mail & Guardian (Jan.6, 2012) “Mozambique’s ‘Mr Guebusiness’”. http://mg.co.za/article/2012-01-06-mozambiques-mr-guebusiness/
・投資ブームの一方で貧困が解消されず、人権侵害や社会的排除が社会の不安定化を招く可能性について国連人権委員会ラポターが警告。
Press Release "Magdalena Sepúlveda Mission to Mozambique 8 - 16 April 2013 Preliminary observations and recommendations" (
http://www.ohchr.org/EN/NewsEvents/Pages/DisplayNews.aspx?NewsID=13229&LangID=E
O País (Apr.17, 2013)”Grande parte da população continua a viver na pobreza”.
http://opais.sapo.mz/index.php/sociedade/45-sociedade/24983-grande-parte-da-populacao-continua-a-viver-na-pobreza.html http://hdr.undp.org/en/media/HDR_2013_EN_complete.pdf
・Voice of America (Aug.27, 2013) “Mozambique Villagers Exposed to Open-Pit Coal Mine”.
http://www.voanews.com/content/mozambique-villagers-exposed-to-open-pit-coal-mine/1737927.html; Human Rights Watch (May 23, 2013) “Mozambique: Mining Resettlements Disrupt Food, Water: Government and Mining Companies Should Remedy Problems, Add Protections”.
http://www.hrw.org/news/2013/05/23/mozambique-mining-resettlements-disrupt-food-water
・Reuters (2013年6月19日)“Mozambique's Renamo threatens to paralyse vital coal railway”.
http://www.reuters.com/article/2013/06/19/mozambique-renamo-idUSL5N0EV1SD20130619; (2013年6月20日)“Mozambique: Renamo Threatens to Block Road and Rail Traffic in the Center of Mozambique”. http://allafrica.com/stories/201306201160.html
・ 同団体は、2009年、同国の「政治権利」状況について、1992年の和平後初めて数値を悪化させた(1【最高値】~7【最低値】までの7段階中4と認定)。http://www.freedomhouse.org/
http://www.systemicpeace.org/polity/polity4.htm
・参考文献が多いため多数を掲載するOpen University(UK)サイトを参照。http://www.open.ac.uk/technology/mozambique/land-and-biofuels http://www.open.ac.uk/technology/mozambique/mozambique-reports-and-documents
・土地・環境問題に取り組むモザンビークの調査研究・アドボカシー機関Centro Terra Vivaによる地元警察と政府による調査妨害と人権侵害に関するプレスリリース。”Ilegalidade, coação e intimidação marcam o processo de implementação do projecto de exploração do gás natural pela ANADARKO e ENI, em PALMA(パルマにおけるANADARKOとEMIによる天然ガス開発プロジェクトの導入プロセスにおいて刻み込まれた違法、強制、脅迫)”(Aug. 20, 2013) http://www.ctv.org.mz/
・公開書簡原文は次のサイトhttp://farmlandgrab.org/post/view/22136 日本語訳は次のサイトに掲載http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-entry-27.html
・ JICAサイドイベント「アフリカの成長に向けた回廊開発の歩み」(2013年6月2日)http://www.ticad.net/africa/jicaevents/img/pressrelease/EN_Corridor%20Development%20in%20Africa.pdf 大臣発言関連報道 “Japan Today “At TICAD, clumsy diplomacy mars controversial Japanese aid project in Mozambique” (June 3, 2013) 
http://www.japantoday.com/category/politics/view/at-ticad-clumsy-diplomacy-mars-controversial-japanese-aid-project-in-mozambique
(ドラフト)
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by africa_class | 2013-09-03 18:43 | 【考】土地争奪・プロサバンナ問題

プロサバンナ学術論文一覧(14本)。研究者と利権、「誰のために研究?」を原発事故後に考える

「プロサバンナ(日本・ブラジル・モザンビーク三角協力による熱帯サバンナ農業開発プログラム」については、過去の投稿を→http://afriqclass.exblog.jp/i38/

プロサバンナについて、今年に入ってからすごい量の学術文献が出版されていますので、以下一挙に掲載しておきます。普通、大学のせんせー自ら、先行研究整理(Literature Review)をブログに掲載したりしないと思いますが、論文を書いている研究者(卵)や学生だけでなく、実務者の皆さんにこそ、これらの文献を読んでほしいと思い、あえて書いてみました。

■国際協力の実務の方にこそ国際的な学術論文を
日々国際協力の実務の仕事をしていると、自分の目の前のプロジェクトやプログラムばかりが目に入ってしまい、「日本人村」や「政府関係者村」ばかりの付き合いだとどうしても、仲間同士の「自己正当化・自己弁護」の論理から逃れられないこtこと思います。今回、私はプロサバンナの事例を通して学んでいるのは、これが日本の一援助事業のマター(事象)を超えた問題を包含しているという点です。

ブラジルの「国際協力」の裏にアグリビジネスの利権があり、その背後には巨大なアメリカや多国籍企業のアグリビジネスがあり、その裏にはマネーがうごめいており、そこに米国政府が国内圧力団体と共に深くかかわり、さらにそこに国際/国連機関や多様なドナーが動いている・・・という実態です。

プロサバンナが、G8 New Alliance for Food Security and Nutritionの一事業にリストアップされていることにそれは象徴されています。同アライアンスはこのブログでのその問題について、モザンビークの市民社会や農民組織の批判を紹介してきました。
"Mozambican youth and students denounce G8's New Alliance"
http://www.grain.org/bulletin_board/entries/4689-mozambican-youth-and-students-denounce-g8-s-new-alliance

土地の収奪、タネの支配の論理が埋め込まれています。「食料安全保障と栄養」という名の下に、何故「土地取り引きの容易化」と「タネ」がはいってくるのでしょうか?そして、日本は、アメリカ政府とともに、モザンビークの担当国となっており、土地問題に手をつけることになっています。。。。
http://www.usaid.gov/unga/new-alliance
https://www.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/208211/new-alliance-progress-report-coop-framework-mozambique.pdf

日本というちっぽけな島国の、善意をベースにした「農業開発支援」が、どのようなグローバルな網の目の中で機能し、利用しているつもりが大きな利権システムに呑み込まれ、現場の小さな努力すらもそのようなものを維持することに活用され続けてしまうのか・・・そのことが積もり積もって、支援したかったはずの最底辺の人びとのなけなしの権利すら奪ってしまうのか・・・・よく、よく、一緒に学んでほしいと切に願っています。

■グローバルなシステム:原発利権とアグリビジネスの類似性
「知らなかった・・・世界はこんなところだって」という声をよく耳にするようになりました。今まで私たちは牧歌的に生きてき過ぎました。原発事故が起こり、原発利権の闇の構造がはっきり見えたにもかかわらず、これほどまでの多くの人びとの犠牲と涙をもってしても、その利権を解体することが困難な現状に、私たちは直面しています。私はプロサバンナに関わるようになって、「アグリビジネス村の闇の世界」のカラクリがあるのだと認識するようになりました。

フードレジューム論については京都大学の久野秀二先生。
http://www.econ.kyoto-u.ac.jp/~hisano/documents/agpolicy2010_2.pdf
農薬援助に関わってからいつかしっかりやりたいと思っていながら、怠けていたら、問題の方が向こうから跳びこんできた・・・それもある種の「出会い」なので、頑張ります。

原発事故後だからこそ、理解できること、譲れないことなのです。
皆さんは、平気なのでしょうか?「経済成長」「GDPアップ」という掛け声のために、生命や尊厳、日々の暮らしの場が奪われることは。それも仕方ない・・・ということなのでしょうか?この二つは二項対立的に論じられますが、私は実の所、このような対置(二者択一方式)こそが大問題なのだと最近切に思います。そうやって、民衆は騙されてきました。そのことに、民衆自身が自覚的でなければなりません。そのことはまたどこかで。

■最新かつ読まれるべきプロサバンナに関する論文とレポート
一番おススメは、出たばかりの最新の出版物で以下の2本です。詳細は末尾。
●Nogueira, Isabela & Ollinaho, Ossi (2013)
•Schlesinger, Sergio (2013)

■全先行研究の見取り図:特に多いブラジルの関与について
末尾に列挙したプロサバンナに関する入手できる限りの学術論文のほとんどすべてがProSAVANAの目的(隠されたも含め)と問題について、このブログで紹介してきた主張と同様のものとなっています。Fingermannの論文だけが例外です。これについては後述します。

特に、冒頭に紹介したイザベラの論文は、実証的な手法(3か国のプロサバンナ関係者40名にインタビュー、コミュニティレベルの民族誌的調査を行った)で、特にブラジルの関与や利権について調査した結果として、同様の結論に至っているので是非ご一読下さい。
The authors identify some sound ruptures between discourse and practice, and argue that Brazilian practices, instead of distinguishing themselves from traditional actors, are rather a precise manifestation of the recent development cooperation trend associated with the mainstream response to land grabbing claims.

■プロサバンナにおけるブラジル・アグリビジネスの野心と利権
最初にブラジルのビジネス上の野心の面からアプローチしたのが、Clements&Fernandes(2012)で、この労作の次に、Ferrando(2013)のネオリベラル経済批判をベースにした論文があり、そしてNogueiraらの実証研究がありますが、よりブラジルのビジネス利権がはっきり分かるレポートは、Schlesigner(2013)のレポートです。野心とは「土地」、そして最近は「農業生産システムの支配」です。

Schlesignerは、この直前にMato Grossoの大豆とサトウキビ生産の問題をレポートしたばかりで、その前はブラジルの国際協力の問題を暴いており、本当に多作です。いずれもProSAVANAに関わる論点について触れているので是非ご一読下さい。
・“Cooperação e Investimentos Internacionais do Brasil: a internacionalização do etanol e do biodiesel”。
・“Dois casos sérios em Mato Grosso. A soja em Lucas do Rio Verde e a cana-de-açúcar em Barra do Burges”。
これに加え、Future Agricultureコンソーシアムの研究者らが、2つのアプローチでブラジルの農業開発協力を分析しています。プロサバンナについての分析も掲載されています。あまり結論めいたところは書かれていないのですが、ブラジル関係者の野心と利権の存在については「クロ」判定です。Chivava et al.(2013)とCabral&Shankland(2013)です。

■ブラジルの野心・利権を目覚めさせ、モザンビークに連れてきた日本のプロサバンナ
以上のプロサバンナにおけるブラジル利権に関する論文6本の共通する結論が、これです。日本はどうしてこんなことを仕出かしたのか・・・これがどうも理解できないようです。(そりゃそうだ・・・・)

この点については、私の最初の論文(Funada-Classen 2013ab)が役に立っているようです。ただあれは、2009年の日本の文脈(食料安定供給への強い意欲)とRAI(責任ある国際農業投資)の議論が不十分だったので、近刊の日本語バージョンにはそれをしっかり入れています。

以上から分かることは、三角協力といえ、ブラジルの野心・利権への注目が皆さん強いということです。確かに、プロサバンナ開始後、モザンビークでは急速に彼らの流入が続いていますので、当然といえば当然ですが、「日本語が読めない」・・・ことも非日本語話者のプロサバンナに関する研究を難しくしています。他方、日本関係者はポルトガル語が読めないことが多いので、それはそれで大変なことかと・・・。「言語バリアー」こそ、プロサバンナの問題の根っこにあるとともに、研究の難しさを際立たせています。

■Fingermann(2013)に怒った世界・モザンビークの研究者・市民社会
これは既に以下の論文(Funada-Classen 2013df)に書いたので、詳しくはそれをご覧ください。以上の学術論文を読んでから、Fingermann(2013)を読めばよくわかるのですが、失礼ながらすごくレベルの低い論文です。たった2000字という制約があったとはいえ、あまりに学術論文と呼べる代物ではないものが、モザンビークの見識高い研究所のBulletinから出てしまったので、凄い騒ぎになりました。モザンビークで最も信頼され、尊敬される研究者(別の研究所のトップ)曰く、「これを論文と読んだらモザンビーク学術界が穢れる。彼女のような者をモザンビーク学術界に置くことは学問への冒涜だ」・・・というメールが回ってきました。さすがに厳しい・・・・。

■Natalia Fingermannとは誰なのか?
でもこれには訳があるのです。Fingermannは誰なのか?ということです。彼女は、ブラジル人で、ブラジル最大の投資コンサルティング会社の元投資アドバイザー、プロサバンナのマスタープラン向け報告書・・・あの悪名高い(アグリビジネス中心主義)Report No.2を策定した、ブラジルのFGV(Fundacao de Getulio Vargas)で学び、FGVの奨学金をもらっているのです。
http://br.linkedin.com/pub/natalia-fingermann/25/93b/436

プロサバンナが、市民社会の批判を受け、「小農支援」に方向転換していく過程で、当初プロサバンナの一部となっていた開発ファンドを、ブラジル・世界のアグリビジネス関係者や投資家らが切り離し、日本政府もそれが好都合なので、独立・民間イニシアティブとして「ナカラ回廊ファンド Nacala Fund」が出来たわけですが、それを一元的に担うのが、まさにこのFGVなのです。当初、プロサバンナの一部だったので、既に紹介したとおり、彼らのナカラファンドに関するプレゼンには、ばっちりJICAのロゴが出てきます。去年11月の時点では、JICAも参加可能性を口にしていたので、これは当然というもの。http://www.g15.org/Renewable_Energies/J2-06-11-2012%5CPRESENTATION_DAKAR-06-11-2012.pptx

つまり、Natalia Fingermannが何故このタイミングでこのようなレベルの、しかし、プロサバンナ万歳&プロサバンナ批判をする者は「無責任」で、批判のすべては「神話myth」だという論文を出したのか・・・の背景が分かるかと思います。

■モザンビーク政府と日本のプロサバンナ・アクターらに称賛されるFingermann論文
それを待っていたのが、以上のアクターたち。開発計画省のサイトには称賛の記事が!
http://www.mpd.gov.mz/index.php?option=com_content&view=article&id=211%3Aprosavana-nao-pretende-usurpar-terra-dos-agricultores-diz-iese&catid=50%3Anoticias&Itemid=96&lang=en

ある国家の省庁が、研究所の単なるBulletin記事をトップページで紹介する意図は何でしょうか?
そして、彼女はFGV経由でこの研究所(IESE)に送られた「研究者」です。FGVが、モザンビークの研究業界に入り込もうとしている理由はなんでしょうか?何故開発計画省は、この記事がFingermann一人に書かれたことを知っているにも拘らず、「the researchers」と複数形を使い、かつIESEのプロサバンナへの見解かのような見出し「IESEは述べた」を付けているのでしょうか?

でも驚愕の事実は、日本のプロサバンナ関係のアクターたちが、「この論文が最も中立的な論文で、読まれるべきもの」と回覧中ということです。・・・・皆さんの「中立」とは、どういう意味のものなのでしょうか?
以上から分かる通り、Fingermannは明らかに「利権関係者」です。
多分、日本では原発問題と同様で、
「政府の政策(大きいもの)に批判的な者=偏った者」で、
「政府(お上)の決めたことを同意する者=中立」あるいは、
「お上が決めたことに議論(疑問)はあるべきでなく、それを打ち消す者=中立」
という理解なのでしょうね。

その結果、2011年3月11日に何が起きたのか、を思い出してほしいです。
なお、私は「中立性neutrality」という言葉には与しません。
私が重要だと考えているのは、「公平性impartiality」です。
「永世中立国のスイス」が、ナチスドイツから逃れてきたユダヤ人たちにしたことを思い出しましょう。
権力との関係において、「真ん中を取る」ということは、人権侵害を許すことを意味することについて、人類史が教えてくれることは沢山あります。むしろ重要なのは、「公平に論じる」ということであり、そのためには権力関係の中で「声なき声」の存在(世界構造、社会構造の中ではそれが大半を占めることが多い)にこそ重きを置いて考えることだと、私は思います。

勿論、手法として、権力の側の言い分も紹介するというのは当然として。だから、私の論文では常に検討の対象として、権力の側の言い分・資料を中心に据えています。勿論、私の理解(interpretation)になりますが、同じ資料を使って皆さん自身が皆さんの検討を行って、別の結論を導き出して、論争をしていいのです。そのため、いつも資料の出所、在り処はURLまで示しています。

日本では、「何故か議論があること=問題」と捉えられるのですが、「議論がないこと=問題」ということに、いい加減気づいてほしいと思います。「権力批判なき学術」は、これほど学問のインフレーションが起きている現在において不要かもしれない・・・と最近思います。何故なら、権力のabuse(濫用)にお墨付きを与え、それを強化してしまうからです。

Fingermannの論文の中身、彼女の背後にあるもの、そしてそれを喜び歓迎する人達・・・そこからまた一つ私たちは学ぶことができました。誰の何のために、何の立場に立って研究を行うのか?論文を発表するのか?そのことこそ、私がFingermannだけでなく、これらの皆さんに考えてほしかったところです。

■私のFingermann論文の検証論文がFukushima, ProSAVANA and Ruth Firstな訳
以上、もうその訳はほとんど書きました。私は、ただFingermannを批判したかったのではなく、彼女の背後にいる人達、ブラジルの学術界、そのような論文を許してしまったモザンビークの学術界、それを自分たちのちっぽけな仕事の擁護のために称賛する人たち、世界の研究者らに、今一度考えてほしかったのです。
"Fukushima, ProSAVANA and Ruth First:Examining Natália Fingermann’s 'Myths behind ProSAVANA'", in 国際関係論叢, Vol. 2 No. 2(2013), pp.85-114.
<=近日中にダウンロードが可能になりますので、しばしお待ちを。

■モザンビーク研究者らはどこにいるのか?
Ruth Firstについて書かざるを得なかった理由は、論文を読めば分かると思います。私は、モザンビークの人びとに、「あなたたちの社会、あなたたちの未来、それについて議論しなくていいのか?」を問いたかったのです。以上の先行研究を書いたすべての人が一人を除いて非モザンビーク人です。このことが、プロサバンナが、外から上から降ってきたものであったということを象徴していますが、同時に、モザンビーク学術界の現状を物語っています。

でも、今回私の拙い論文を、お願いしてもいないのに凄い速さで必死に(3日で!)ポルトガル語に下訳したり、校正を手伝ってくれたのはモザンビークの研究者や市民社会の方々でした。そして、何より、Fingermannの論文を掲載してしまったIESE(モザンビークの研究所)が、前例を破って、3号に分けて私の論文を掲載したことからも、彼らの想いは伝わってきます。が、いつの間にか、これらの論文が、モザンビークの独立新聞(オピニオン欄に丸まる)載っていたらしい・・・。まあ、「世に出たら皆のもの」、ではありますが。

■学術論文の役割について
私は学術論文を社会活動と結びつけて考えてこなかったし、両者の間には明確に壁を作って仕事をしてきた人間です。ブログを読んできた人は分かるかも?あるいは、最近なら分からないかも?ですが。私は、戦争を平和のために学ぶ者として、そのことをかなり強く自分の指針にしてきました。
でも、原発事故が起こってそのことを後悔したのです。
何のために分けてきたのか・・・ある種自分の学術的な世界での立ち位置を気にしていたからではなかったか?過去に起きたことを実証してれば安全だったからじゃないか?何故起こりうることを予防する意識がこれほどまでに薄かったのか?社会が研究者に求めていることは、「後追い」の「先行研究批判」に始終する姿勢でよかったのか?あるいは業界や政府のために「お墨付き」を与える??

私は日々進化することにしました。(退化かもしれないけど!)
最初の論文を書いて、それを英語とポルトガル語で出して、一歩を踏み出した時、新たな出会いと新たな挑戦、そして次にやるべきことが見えてきたのです。そのことの大きさに、クラクラしましたが、私の研究成果を待っている人達がいる・・・未だ見知らぬところにいる同じ志の人達と出会えるかもしれない・・・そういう可能性に、正直なところ少し失い始めていた研究への情熱が戻ってきました。

700頁を超える博論を10年かけて書いて、英語で出版した頃から、やるべきことをやり遂げた感があって、どうしても研究に情熱が湧いてこなかったのです。ある種の傲慢さですね。でもそれぐらい打ち込んだので、仕方がなかったのかも。burn-outというか・・・。後は、戦争と平和というテーマの研究蓄積が凄すぎて、一方で何かdetailの罠の袋小路に入っているような気がしてきたからです。特に、「平和構築論」という分野は、技術論的な議論が増えてきていて、人びとの生命や社会の変化のもっと根源のような部分の議論から切り離されてきている気がして違和感を持つようになりました。このことを学問的に挑戦するだけの気力も能力もない自分に嫌気がさしていたところに、原発事故が起こり、広島原爆投下の日に生まれた自分が何故「戦争と平和」に関わる決意をしたのか、なのに「核の問題」を十分生活レベルに広げて考えてこなかったことに、凄く疑問を持つようになったのです。

プロサバンナの問題にここまでコミットすることになったのも、単にモザンビーク北部という私の関わってきた地域のことだからだけでなく、以上のような「人びとの生命と暮らしの権利と権力構造・暴力」の問題をどう考えるべきか・・・検討していた最中だったから。でも、これも生まれたばかりの我が子や家族が博士論文に協力してくれて、真理の追究へのあくなき・妥協なき闘いをやり遂げられたから(ある時点までは)に変わりありません。運動目的の学術を最初からしていたのではできなかったことでした。

■私の本は自由にダウンロード可能
そして今回、同じタイミングで、私の本を世界のどこからでもタダでダウンロードできるようにしてくれたケープタウンの出版社の存在がありました。この本が知っている人、買える人だけの本なのを惜しみ、「アフリカ社会、未来のために残したい本。誰でも必要な人の手に届く」を合言葉に、以下を準備してくれました。

Funada Clasen, Sayaka (2013) The Origins of War in Mozambique: A History of Unity and Division" (The African Minds)
http://www.africanminds.co.za/?products=the-origins-of-war-in-mozambique-a-history-of-unity-and-division
アマゾンで35ドルで買えるようにもしてくれました。(元は1万6千円)
http://www.amazon.com/Origins-Mozambique-History-Unity-Division/dp/1920489975

研究成果を広く、広く社会に還元する方法としての、フリーダウンロードの重要性に、プロサバンナに関わり出した同じ時期に強く認識したのです。自分の研究業績を減らしてでも(フリーにすると出版してくれない)。
長くなりましたが、以下一覧です。

【プロサバンナ関連学術文献一覧】
•Cabral, Lidia & Shankland, Alex (2013) “Narratives of Brazil-Africa Cooperation for Agricultural Development: New Paradigms?”. http://www.future-agricultures.org/research/cbaa/7817-china-and-brazil-in-africa-new-papers#.UdRC_TupVSQ
•Chichava, Sergio, et al.(2013) “Chinese and Brazilian Cooperation with African Agriculture: The Case of Mozambique”, Working Paper 49. http://www.future-agricultures.org/research/cbaa/7817-china-and-brazil-in-africa-new-papers#.UdRC_TupVSQ
•Clements, Elizabeth Alice & Fernandes, Bernardo Mançano (2012) “Land-grabbing, agribusiness and the peasantry in Brazil and Mozambique”, paper submitted to the International Conference on Global Land Grabbing II, Oct. 17-19, 2012.
http://www.cornell-landproject.org/download/landgrab2012papers/Clements_Fernandes.pdf
•――――――― (2013) “Estrangeirização da terra, agronegócio e campesinato no Brasil e em Moçambique”, OBSERVADOR RURAL Nº 6. http://www.omrmz.org/index.php/gallery/publicacoes/114-estrangeirizacao-da-terra-agronegocio-e-campesinato-no-brasil-e-em-mocambique
•Ferrando, Tomaso (2013) “Dr Brasilia and Mr Nacala: the apparent duality behind the Brazilian state-capital nexus”, Social Science Research Network. http://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=2288940
•Fingermann, Natalia N. (2013), “Os mitos por trás do ProSAVANA”, IDeIAS Boletim, No.49, IESE. http://www.iese.ac.mz/lib/publication/outras/ideias/ideias_49.pdf
•Funada-Classen, Sayaka (2013a) “Analysis of the discourse and background of the ProSAVANA programme in Mozambique – focusing on Japan’s role”. http://farmlandgrab.org/post/view/21574
•――――――――― (2013b) “Análise do Discurso e dos Antecedentes do Programa ProSAVANA em Moçambique – enfoque no papel do Japão” http://farmlandgrab.org/post/view/21802
•――――――――― (2013c) "Fukushima, ProSAVANA and Ruth First:Examining Natália Fingermann’s 'Myths behind ProSAVANA'", in 国際関係論叢, Vol. 2 No. 2(2013), pp.85-114.
http://farmlandgrab.org/post/view/22335
•――――――――― (2013d) “Fukushima, ProSAVANA e Ruth First:Análise de "Mitos por trás do ProSAVANA" de Natália Fingermann”, IDeIAS Boletim, No. 51 – No.53, IESE.
http://www.iese.ac.mz/lib/publication/outras/ideias/ideias_51.pdf
http://www.iese.ac.mz/lib/publication/outras/ideias/ideias_52.pdf
http://www.iese.ac.mz/lib/publication/outras/ideias/ideias_53.pdf
or integrated version at the following site: http://farmlandgrab.org/uploads/attachment/Fukushima,%20ProSAVANA%20and%20Ruth%20First%20(pt)%20-%20final.pdf
•―――――――――/舩田クラーセンさやか(2013e)「変貌する世界における経済成長至上主義の席巻と内発的発展―モザンビーク・プロサバンナ事業にみられる開発・援助言説の検証―」大林稔・西川潤・阪本公美子(編)『アフリカの内発的発展』昭和堂 近刊.
•Jaiantilal, Dipac (2013) “Agro-Negócio em Nampula:casos e expectativas do ProSAVANA”, OBSERVADOR RURAL Nº 7.
•Nogueira, Isabela & Ollinaho, Ossi (2013) “From Rhetoric to Practice in South-South Development Cooperation: A case study of Brazilian interventions in the Nacala corridor development program”, Working Paper, Institute of Socioeconomics, University of Geneva. http://www.unige.ch/ses/socioeco/institut/postdoc/Nogueira/NOGUEIRA_OLLINAHO_WorkingPaper_NACALA_CORRIDOR.pdf
•Schlesinger, Sergio (2013) “Cooperação e investimento do Brasil na África - O caso do ProSavana em Moçambique”, FASE, 60p. http://issuu.com/ongfase/docs/caderno_prosavana_fase?e=2143384/4368368
(英語版 ”Brazilian Cooperation and Investment in Africa – The Case of ProSAVANA in Mozambique”)
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by africa_class | 2013-09-03 02:27 | 【考】土地争奪・プロサバンナ問題