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長い夜にブレない生き方について考える〜ガンジーの「ノー」の価値論と「五日市憲法草案」、そして沖縄

たまたま目にしたこの言葉に、しばし立ち止まった。

「きっぱりと、心の底から発した「ノー」という言葉は、単に相手に合わせて、ましてや面倒を避けるためについ言ってしまった「イエス」に比べたら、はるかに価値のある言葉である。(『ガンディー 魂の言葉』)」


今の日本に、不可欠な言葉だと思ったから。
「相手に合わせる」
「空気に合わせる」
そうした方が、日本という国だけでなく、多くの国・社会で、格段に生き易い。

「はい」
とまで言わなくとも、何も
「いいえ」
なんて言わなければ、損することは少ない。

なのにあえて「No」という。
そして、ガンディーは「Yesよりはるかに価値のある言葉である」という。

これは、日本の多くの自分を「フツーの人」と思っている人にとって、理解不能な考え方かもしれない。むしろ、多くの人は辛くても、嫌でも、「YESといっている自分を褒めてほしい」と思うかもしれない。どんなに賛成できなくても、仕事だから仕方ない。どんなに嫌でも、嫌いな上司につき合って飲み会行ってる。笑顔で話してる。私ってエライでしょ?・・・そんな具合に。

そう。貴方はエライ。
その我慢もエライ。
それは褒められなければならない。

でも、それは社会全体を総体として見た時に、本当にそれでよいのだろうか?
あるいは、一度しかない人生を「自分」としてどう生きるのか?という問いを目の前においたときに?

それでも、やっぱりこれでいい。
そう答えるかもしれない。

でも、そうやって、日本社会は、あっという間に、坂道を転げ落ちるように、戦後、いや戦時中から、戦前からも、時に沢山の時に極僅かの人たちが命をはって獲得してきた大切な土台を、失ってしまった。

もはや、「失いつつある」とすらいえないほどに。

それは、日本の人びとが、あらゆる場面で、
それが、職場であれ、家族の中であれ、社会の中であれ、選挙であれ、
「おかしい」と思った時に、それを問わないまま、放置したこと、
「そりゃないだろ」と思った時に、誰かが声をあげてなんとかしてくれるだろう、と放置したこと、
積極的なYesでもNoでもなく、「そのままにしたこと」が、
この結果を生んだのだ。

「そのままにする」って、簡単だ。
「自分は責任を問われない」・・・はずだから。
しかし、本当にそうか?

ナチスドイツにおけるホロコーストも、圧倒的多数者はその論理で知らぬふりであった。隣人がガス室に送られるのを、「きっと安全なところに輸送されたのだ」「私のせいじゃない。私だって苦しんでいるんだ」「ユダヤ人に生まれたのが運の尽きなだけだ」等として、問うことなく、日々の生活を営み続けた。

そんな人びとの束が「社会」であった。
国家と同調する社会。
虐殺マシーンと化した国家を支える人びとの束、社会。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
そういうことなんだ。

日本でもこのようなプロセスに対する深い理解と社会の一員としての痛恨、未来に向けた誓いというものが、それなりにあった70年だった。それが土台にあって、世界に尊敬される日本のメリットを享受してきたのだ。アニメのお陰なんかじゃない。

しかし、そのような土台も蓄積も、あっという間に消えていきつつある。
これは、一体いつどこからどうして始まったのか?

きっと、私たちは、「土台」故に、空気のようなものとして受け止め、それを育み続けることを、怠ってきたということもあるだろう。と同時に、「グリード(貪欲さ)」に塗れた一部の人びとの欲望が、もはや止められないところまできているというのに、そのことに私たちはあまりに無自覚で、あまりにナイーブすぎた。そんなところまでは、ならないだろう。誰かがなんとかしてくれるだろう・・・と思っているうちに、外堀は埋まっていたのだ。

80年前と同様。
日本でも、ドイツでも、他の国々でも起きたように。

そして、今、「嫌だ!」「駄目だ!」という声を上げること自体が、あり得ないほど大変な時代が、再び到来している。70年間の歩みは、あっという間に歴史の針を逆走させ、かつての「あの不安」が、社会に蔓延している。

多くの人が、あの時は仕方なかったという。
しかし、その状況を生み出したのも自分たちだった。
そして、Noという声を上げる人たちを、時に差し出し、時に黙殺したのもまた、仕方なかったのだ、と。
一つの「No」を黙殺し、自分の中の小さな「No」をあきらめていく中で、社会はすべてが「Yes」一色とならなくてはならなくなってしまった。そこに、小さな如何なる「No」もあってはならなくなった時に、起きることははっきりしている。「No」となりうる人びとを殲滅しようとする論理と行動の正当化、そしてその実施である。

あるグループの被害は、しかしいずれ大多数の被害に拡大していく。
そのときもまた、多くの人が、「気づいてみたらもう遅かった」となり、その被害をただ「仕方ないもの」として引き受けていくのであった。

ロシアンルーレットのように、
自分の番にならなければ、
自分の損にならなければ、
考えすぎなければ、
自分のことだけに集中していれば、
なんとかなるだろう、
とも思っている。

あるいは、
「和」という日本の美徳を脅かすものは、けしからん、となるかもしれない。

では、
その「和」とは何か?と問われても、多くの人は答えられない。
それを強調する者ですら。
「和」の裏には、「強者の秩序論理」があって、歴史において少数者が抑圧に活用されてきたことなど、知ってはいけないから。当の強者ですら、意識しないままに、これを利用していることすら多い日本だから。

歴史の学徒として、150年ほどの世界と日本、アフリカの動態を眺めてきた者として、今「戦後」の最もクリティカルなモーメントに生きている、と感じる。前に前に進んできたかの人類が、今再び台頭してきた「グリード」の推進力に魂を持っていかれた一部の人たちによって、「逆コース」に向かおうとしている。これを支えるのが、おこぼれをもらう少数の取り巻き達、Noを言わない事で現状維持が可能と考える「賢い者たち」、薄々気づいているが自分には被害が及ばないだろうと考える圧倒的多数の「静かな人たち」によって、この動きはますます推進力をもって、進んでいっている。

そこで、「No」をいうことは、あまりに危険で、あまりに影響が大きい。
それを取り締まるだけの法的手段、前例まで、ここ数年に蓄積されてしまってもいる。
歴史は、「過ちの教訓」を与えるだけでなく、「どうやったら上手くいくかの教科書」すら提供するものだから。つまり、戦前のやり方を学んだ人たちが、大いに21世紀的にそれを活用しているというのに、人びとの側には、それを乗り越える歴史の参照事例をもたないのだ。

何故なら、日本は戦争に負けるという事によってしか、自らを解放できなかったから。
ドイツも同様であった。

だから、ドイツでは、歴史を学びながら、未来に同じことが起こる可能性を前提として、市民らが何をすべきなのか、法はどうあるべきなのか、国家と社会の関係はどうあるべきなのか、問い続けてきたのだ。

しかし、日本は、解放をただ有り難がり、もう二度としませんという誓いによって、これは守り続けられると思っていた。社会として、歴史に参照事例を持たない私たちは、せめて国家の論理によって消されてきた人たちの試みをもっと知ろうとすべきであった。そこで得られたはずの沢山の教訓と希望は、ごく一部の研究者やグループの読み物の中に書き記されているとはいえ、社会のものにはなってこなかった。NHKの朝ドラや、日曜日の大河ドラマで、これらの人たちが取り上げられたことなど、なかったのだ。

皮肉にも、日本の現在の憲法のオリジンが、日本の皇后によって言及されない限り、知られていないことの現実にこれは表れているし、彼女がこのモーメントに、あえてギリギリの手前のところでこの談話を披露したことの意味に、自分たち市民・市民社会の不甲斐なさに、頭を垂れるより仕方がない想いである。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h25sk.html
「5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」


不思議なもので、彼女はまったくぶれていないのだろうが、世間がぶれてしまっていつの間にか彼女が最先端を歩かざるを得なくなっている。

放射能汚染物質は、ますます海を大地を汚し続けているというのに、そしてそれはどうやって収束するのか皆目誰にも検討がついていないというのに、それを問題とする人がおかしいという空気が日本では生まれている。

おかしなことをおかしい・・・といえない空気。
おかしなことをしている人たちこそが、開き直ってエライかのように振る舞っている空気。
嘘をついても、それを言い逃れさえすれば良い。
嘘も繰り返しいえば、そのうち皆あきらめるか、そんなもんかと思い始める。
かくして、今日も、大人達は平気で嘘をつき、自分で作ったルールを破り、それでも自分たちは正しいのだと主張する。

そんな空気は、いつの間にか子どもたちにも吸い込まれていて、親も教師も子どもたちを制御することすらままならなくなっている。

でも、これは私たちが生み出した社会、子どもたちなのだ。
私たちは、皆もはや何が「正しく」て、何が「間違っているか」が分からない世界に生きている。
なんでも「あり」なんだ。
自分さえよければ、自分がまず重要。
その肥大化した自分が、社会の中でぶつかり合い、そしていつの間にかもっと大きく肥大化した「自分」のために生きる人たちに利用されている。そのことによって、実のところ「自分」は大切にできない社会が生まれているというのに、気づかない。

気づかない、というのは幸せなことだった。
社会がそれなりに回っているときには。
今は、気づかざるを得ない場面が、ますます増えていっている。
しかし、その「気づく」は、それを本来解決するための未来の方向ではなく、それをより極めさせるようなネガティブな守りの方向に、向かっていくようになるだろう。

不安というものの作用とはそういうものだから。
不安とともに生きるのは辛い。
明日ははっきり見えている方がよい。
そして、嘘でも未来は明るいといってほしいものだ。
信じることで救われたい。
Yesということで、相手にも受け入れてほしい。
Noだなんて、もってのほかだ。

不安とは、パワフルなものだ。
そして、底なしである。
それを打ち消そうと人びとがすることの多くが、大抵真逆の効果をもっていたりする。
特に、それが集団心理になった時、不安を解消しようとする行為の多くが、「他者」とこれらの人びとが名付けた個人・集団への暴力を伴うことは、歴史が示して来た通りであった。そして、それを知ってて活用する一部の「グリード」があったことも。

今の日本は、おそらく、その一歩手前にいるのだと思う。

だから、戦後の日本で、今ほど「No」ということに、価値があるモーメントはない、と言い切ることができると思う。それは、道ばたのノーかもしれないけれど、自分の日々過ごす場でのノーかもしれないし、会話の中のノーかもしれない。テレビを消してしまうノーかもしれないし、買い物のときのノーなのかもしれない。

そして、私たちは、その「ノーたち」を、他者に語り始めていくしかないのかもしれない。「やっぱりこれはおかしいよね」「やっぱりこれは受けいられないよね」、そんな言葉を、つぶやいていく。

でも、本当に重要なのは、その「ノーをいえる自分」であって、そこには一つ重要な点がある。
「ノー」といえる自分は、自分をまずは抱きしめてあげなければならない、ということ。

自分が自分として立つ・。
そのためには、自分を受け入れてあげなければならない。
ヒトがどうであれ、自分を愛してあげなければならない。
そのままの自分を。
ヒトと比べての自分ではなく、
なりたかった自分でもなく、
今のどうしようもない自分を。
間違いだらけで、足りないところだらけの自分を。
自分自身にすら隠してしまっている自分を。
どこからか引っ張り出して、抱きしめてあげなきゃいけない。

もう何年もベットの下に落ちっぱなしになって忘れていたウサギの人形のように、
しっかりただ抱きしめてあげなきゃいけない。

そこからしか始まらない。
自分が愛せない私だからこそ、ヒトの愛に依存するのではなく、ヒトの何かを奪うことで不安を満たそうとするのではなく、自分をまずは受け入れることによってこれらの誘惑を乗り越えなければならない。

かつて私がそうじゃなかったなんて、いわない。
自分がそうであったからこそ、書いている。
そのことに気づくのに、とてもとても長い時間が必要だった。
辛い想いも沢山必要だった。
ウサギの人形はいつもそこにあったのに、気づいてあげられなかった。
でも、気づいてしまったら、そしてそれを抱きしめたのなら、もう大丈夫。

その時初めて、自分以外の他者の痛みに、本当の意味で共感できるのだと思う。
ヒトの痛みを自分の痛みと感じ、ヒトの喜びを自分の喜びと感じた時に、得られる世界の豊かさに、圧倒される想いである。

そして、自分が自分の足で立った時に、次に問われてくるのは、その足が一体どこに着地しているのか?ということ。自分の足は一体誰の側に立っているものなのか、ということ。

社会は多様な人から成り立ち、多様な立場と多様な見方がある。
そして、おそらくそのどれもが正しいのだと思う。
しかし、時に、求められているのは、どこに、誰の側に、何故、立つのか?ということに関する決断であり、それについてはやはり試行錯誤が必要なのだと思う。

私は、「負ける側」に立とうと決めて生きてきた。
そして、それを損だなんて、思ったことは一度もなかた。今もそう思ってない。
ただ、それは難しいことであって、とても沢山の努力がいることなのだ、と今痛感している。

「負ける側」から見えてくる世界は凄まじく豊かで深い。
そしてそこからは「勝つ側」もよく見えるし、世界の構造もよく見える。
他方、「勝つ側」にいては、その一部が押し付けてくるものの見方しか見えない。
だから、「負ける側」に軸足を置くことは、すごく豊かな思考のプロセスを提供してくれることなのだ。
アフリカの歴史を学ぶことがそうであったように。

今、沖縄で起きていることは、私にそのことの意味を訴えかけてくる。

「なんでもありの価値観の時代」に生きる私たち世代は、一見すべての価値がフラットにみえるこの世界の欺瞞を、「負ける側」に身を寄せることで知り、ある価値のために闘う人たちから学ぶべきところを学ぶことすらできないで、彼らを「ごく一部の他者」扱いにするのだとしたら、彼らが最前線で闘っている社会の価値の意味を、私たち自身が踏みつけ続け、自分たちの未来を実際のところ閉ざしているということに、今気づかないとしたら、もう本当に手遅れなんだろう、と思う。

今日も地球の片隅で、愛するが故に価値あるノーをつぶやく。
そして、つぶやきながら、大地に感謝して、命の糧を頂く。
その往復運動が、人類の歴史の歩みの中で、いかに世界各地でやられてきことなのだと、いつかもっと具体的な形で皆に知ってもらえる方法はないか、と考える夜である。

息子達がサッカーの試合で遅い夜に〜。
あ、、、帰って来た・・。
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by africa_class | 2015-06-10 04:35 | 【311】未来のために