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デモから熱意をもって学び始めた若者から学ぶ秋

先月、オランダの研究所で博士候補の学生たち(といっても世界中からきた活動家兼院生たちで、皆相当の年齢だが…)を前にレクチャーした後に案の定体調を崩してしまい、さらにお客さんラッシュと農繁期に突入したところで、突然7匹のネコのママになってしまい、そこに今度はいくつかの研究所からのインタビューとブラジルの大学院の学位論文審査も重なり、バタバタとする毎日だった。

この1ヶ月書こうと思って書き始めて終わらなかったことを、勢いにのせて終わらせようと思う。家族が釣りにいっているこの隙に…。

それにしても、久しぶりに研究所や大学院で先生達や学生たちと触れ合って、「研究」の空気を吸って、「ああ私は本当に研究が好き(だったん)だなあ」と実感する日々である。

***

安保関連法案を巡る攻防が佳境のある日、
教え子からメッセージがきた。

卒業後も関わることの多い彼らだけれど、彼らからのメッセージはいつも心に温かな何かを灯してくれる。そういう時、「大学の先生」をさせてもらったことに感謝の気持ちで一杯になる。子育てもそうだが、彼女ら・彼らの人生のある一瞬を、密度濃く、互いに悩みな がら関わらせてもらえたこと(もらえること)に、有り難さでいっぱいだ。親が、先生が「育てる」のではない。「共に育つ」のだ。親として、先生として、育 ててもらった。依然として足りないままだけれど、確実に彼女・彼らに育ててもらったと実感する毎日だ。

他方、正直にいってしまえば、在学中私はどこかで学生たち(ゼミや外大だけを意味せず日本の他の大学も含む)の社会・政治に対する「受け身」な姿勢に少しばかり残念な感じをいつも持っていた。それ以前に、同業者であった大学の先生や研究者に対しても同じがっかり感を持っていた。

世界・社会の一員として、世界・社会問題や政治にどっぷり浸かりながら、研究や活動をする世界の若者や研究者と交流する機会が多いこともあって、この「断絶感」が腑に落ちなかった。(多分、あまりロールモデルが身近にいないせいもあると思うので、今度世界の"Activist-Scholar[アクティビスト研究者]"について取り上げる)

しかし、多くの人は誤解していたと思うが、そしてこのブログでも度々書いてきたが、私は教室で活動の話をしたことはない。デモや抗議活動に学生を誘ったこともない。あくまでもブログやツイッターで、「ただの一人」としてしかやらないことを鉄則としていた。勿論、イベントの手伝い等は誘ったけれど、あくまでも機会としてであり、講演会等にきて話を聞いて自分で考えてほしいためであった。

自分で気づく。
自分で考える。
自分で行動する。

他人の押しつけや、煽動であってはいけない。

それではまったく意味がない。
本当に意味がない。

だから「主張」ではなく、「問い」を投げかけなければならない。


それにしたって、日本がこんなに社会としても国家としても大変な状況に陥っているのに、どこか「ひと事」な同僚や学生たちを前に、正直なところあきらめ感を抱いていたことも事実だった。「このままいくと大変なことになる」…そう気づいて何年も何年も警鐘をならし続けたのだが、「政治」は遠いところのことで、それに関わることは「中立でなくなる=偏ること/面倒なことになること」という前提は強固だった。

(*日本政府や日本の人がやたら使いたがる「中立」という言葉の問題は、また別のところで。世界的には、「中立性」よりも「公平性」が重要であること、時に「中立性」は被害者を犠牲にすることをどこかで書かなければならないと思っている。)

「皆が気づいた時には遅い」

それが、戦前の日本でも、ナチスが台頭したドイツでも、歴史が私たちに教えてくれたことであり、せめて「学びの館」にいる我々ぐらいは、誰よりも早く気づき、論じ、考え、行動すべきと思っていた。しかし、日本的な同調圧力の強さ、あまりにも影響を受けやすい脆弱な学生を前に、あるいは活動をしながら研究・教育をしているが故に、あえて学会や学内で、踏み込むことは避けた自分がいた。

いや、他の人からみたら「相当踏み込んでいる」ように見えただろうし、実際のところ、学内・学会内で「出る杭」をかって出てはいた。その結果として改善したこともあったし、変わった人もいたし、沢山のリパーカッション(「打たれる」)も受けた。でも、それらのフィールドで、私の主体的な判断として、そこまで踏み込んだわけではなかった。社会活動・運動は別であるが。

学生に対しては、「踏み込む」ことはあえて避けて、私のどうしようもない試行錯誤な「背中をみて」、何か疑問に思って考えるきっかけになればいいな・・・とは思っていた。つまり、「先生アホやな・・・黙っておけば得するのに」とか、「街頭に立って声あげる暇あれば、論文の一つでも書けばいいのに」とか。「先生のアホさ加減」に反発し、疑問に思ってくれれば、これ幸いと思っていた。そして、それが「いま」の気づきにならなくても、「いつか」自分が社会の中で、国家の中で、困ったことに出会った時に考えるきっかけになれば…そう思った。

正直にもう一つ書くと、日本の大学と学術界から一旦身を引いたのは、自分の体調やその他のこともあるけれど、この一方的で身勝手な「がっかり感」からきていた。これは社会に対しても同じだった。「じゃあもっと頑張って変えればいいじゃない」…という20代、30代を突っ走って来た。しかし、心身ともにそれに疲れたのだと思う。

でも、私は間違っていた。
そして、私の浅はかな、勝手な、愚かな考えを、今詫びたいと思う。

これまた1年生の時からもう9年近くつき合ってきた卒業生からのメッセージ。彼は、本当に真面目に勉強に取り組む学生で、いつも一番前の席にいて、質問はしないものの鋭い答案やレポートをいつも提出していた。でもあまりに真面目なんで(すまん)、アフリカに独りで武者修行に行ってとても変わった。率先して皆の面倒をみて(including me)、あれやこれやのイベントを的確に仕切ってくれた。意識がすごく高い学生であったが、でも社会に飛び込む…という点では二の足を踏んでいる感があった。卒業後は、大企業で「フツーのサラリーマン」をしている彼。その彼からの先月のメッセージ。

**
仕事と並行して国会前のデモ活動などにも参加しています。何年か前、舩田先生の家で一晩中話していたことが急速に現実のものとなっていく様子に底知れない恐 ろしいものを感じます。

民主主義とは何か、憲法とは何か、政治とは何か、いかにして生きるか、まさか卒業してから卒論を書いている時以上の熱意で勉強をす ることになるとは思いもしませんでした。

毎日のように流れてくる本当に子供じみた政治関連のニュース(報道されないことのほうが重要になってきましたが) を見るにつれ、自分が生きている社会が如何に未熟なのかを見せつけられて悲しくなります。

ただ、足元のこの社会を変えていく、自分が変わることを諦めるつ もりはありません。なにかわからない大きな力に勝つ方法はわかりませんが、負けない方法は大学時代に教わりました。

学ぶこと、学び合うこと、相手に敬意を 払うこと、語り合うこと、それがゼミの仲間以外とも少しづつですができるようになってきました。また、先生ともお話ししたいです。」
**

なぜ私が詫びているかは、もう分かったと思う。

あわせて、「デモを怖い」「デモなんてやっても変わらない」といっていた若者が変わっていった様子をまとめたとても良い番組を見つけたので、ぜひご視聴を。

■2015年10月11日

「デモなんて」 SEALDsの若者たち/テレメンタリー2015

http://www.at-douga.com/?p=14722

なお、私のところには、「アフリカで社会的起業をしたい」という若者が沢山相談にきたし、実際元ゼミ生の多くもそれをしようと考えているが、彼らのいう「社会」とは、「社会問題」とは一体なんなのか?いつも疑問に思わざるを得なかった。

彼らの頭の中には、「世界/アフリカの貧しい人びと・子どもをビジネスでWin-Winに救いたい」というイメージが強烈にあるのだが、彼らの考える「貧しさ」とは一体何なのかいつも疑問に感じていた。それは、自分の社会の闇にきちんと向き合って得たものではなく、どこか表面的な「どこか誰かの貧しさ」というイメージに振り回されたもののように思えたからだ。そのようなイメージの中で行動する自分もまた、イメージにすぎない。自分の社会の中の闇に向き合うことなしに、その闇と自分との関係を考え・直接的な意味で感じることなしに、どうやって他の社会の闇に主体的に関われるのか?…厳しいようだが、そして今の私がいう権利などないが、かつて「アフリカでの社会的起業」を奨励していた私である以上、書いておかねばならない。

自分の社会で「貧しさ」を考える気はさらさらないのに、「アフリカの貧しさをなんとかするために国際協力したい」という日本の若者が多いことにびっくりする。しかし、実はこれは若者に限らない。「開発の専門家」によくある姿勢だし、「国際開発の研究者」にも同様である。

彼らの眼差しには、「6人に1人の子どもが貧困」状態にある衝撃的な日本の現実は見えないようである。あるいは、地方開発の象徴だった原発が爆発しても、依然として汚染水を地域に地球に垂れ流し続け、「除染」という名の「移染」による廃棄物が積み上がったままでも、子どもの被ばくが放置されても、生活が困窮化する避難者がいても、教訓を学ばないまま原発が再稼働されても、「日本型開発モデル/ガバナンスモデル」は「成功」だとして、検証なしに「国際協力」し続けようという。

ルワンダの虐殺には関心があるのに、日本軍による中国での大量殺戮についてはまったく関心がない。アフリカにおける戦争と平和・平和構築には関心があるのに、日本・沖縄における戦争と平和・平和構築には関心がない。一体私たちは、「どこの誰として」余所の殺戮・戦争・暴力・平和と関わろうとしているのか?

そんな問いに、同業者からも、学生たちからも、たいした反応はなかった。

でも…原発事故の後、若者たちは静かに、悩みながら、深く深く考えていたのだ。私を含む大人達が知覚すらし得ないところで。自ら表明することなく、疑問をあきらめることなく、じっくり考え、社会と政治のあり方を見つめ、大人達を見つめ、そして立ち上がった。

ごめんね。
私もやっぱり「上から目線」でしかなかった。

また、研究者の中には、60年代末から70年代の学生運動に関わった人も多く、だからこそ距離をおいてきたことも事実だろう。それでも、研究者たちも、土壇場で立ち上がった。

私もまた、目で見えるものだけを前提にしていたのかもしれない。
自分の奢ったものの見方を反省するところひとしきりである。


まだ立ち上がっていない若者や研究者の方が勿論多い。
それは、今後もそうだろう。
でも、最前線のすぐ横で眺めていた人びとが立ち上がったことは、最近の日本では非常に珍しいことであり、かつこの末期的な状態の中では大きなことだと思う。

なお、以上のメッセージの中にある「一晩中話したことが現実化する」とは、卒業生たちが泊まりにきたある晩に、即興で一つの短編小説を口述した話のこと。

実は、現実の方がファンタジー化しているために、現実の危機を説明するには、ファンタジーを使った方が良いというのがここ数年の私の結論であった。息子の誕生以来、絵本を読むかわりに、夜な夜な即興で物語を作って聞かせたが、いつも息子は話し始めて数分で寝てしまうので、unfinishedな話ばかり…。しかも、自分も寝落ちしてしまうので、話を覚えておらず、翌日また別の物語を始めてしまう。それと同じ要領で(?)、帰る電車やバスがなくなって泊まっていった卒業生たちと話しながら、即興である物語を紡いだ。

(*なお、私は文章を書く際には二通りのやり方をする。このブログの駄文のように、書きながら考える手法。もう一つは、頭で全体を「書いて」しまってからテキスト化する手法。博士論文は妊娠・産後の最中でPCにまったく向かえなかったので、後者の手法で(この手法は、家族でも自分の目で見る迄意味が分からないらしい…が、見たらなるほどな手法)。この夜は、その折衷バージョンだった。)

その時、集った卒業生たちは「社会ムーブメント」について議論していた。なので、意地悪くも、「社会ムーブメント」がどのような可能性と限界をもっているのか、権力がそれをどう怖れて、どう壊していこうとするのか、その結果何が起こるのか…をその場にいた人たちを登場人物として一気に物語った。

舞台は「ブッククラブ」。
そこに集う6人の若者男女。

日本の歴史を振り返り、社会や人びとのあり方を考えた時に、大きな組織・運動では、運動が進むにつれて主義主張が交錯し分裂してしまうか、権力側に一気に悪用されてしまうので、一人ひとりの気づきと自立&そのような人同士のオープンな連帯(一極集中ではなく、分散型の多種多様な自発的な運動の緩やかなネットワーク)を育むことが必要…ということで、日本の皆が不勉強すぎることもあり「ブッククラブ運動」をすればいいよ、というところから話を始めた。

そして、「でも…」というところから、ファンタジーになっていった…。

いつかちゃんとテキストに落とさないといけないのだけれど、現実がすでに前にいっているので、まあいっか。面白いことに、同じ趣旨で、アンゴラでブッククラブについて分析する記事が出た。

Daily Maverick(南ア)
「分析:アンゴラの政権に脅威をもたらすブッククラブ」

"Analysis: The book club that terrified the Angolan regime"

http://www.dailymaverick.co.za/article/2015-06-25-analysis-the-book-club-that-terrified-the-angolan-regime/#.Vhnvyc55mKJ
Question: How subversive can a book club really be? Answer: It depends on the fragility of your regime. If you are Jose Eduardo dos Santos, then it’s a very subversive hobby indeed. Guns don’t scare the Angolan president – his are bigger anyway – but ideas are a much more dangerous proposition in a state that rests on such precarious foundations. By SIMON ALLISON.

そう。
独裁はブッククラブ的運動は怖いのだ。

でも、権力側による外から中からの破壊・分断、自らの内部崩壊もまた、歴史が教えてくれる教訓。一人ひとりが解放され、気づき、考え、行動できる・・・日本社会では今まで十分には重視されてこなかったし実践されてこなかった「市民になること」を、ここで手にできるか否かが、日本の現在と未来の分岐点となるだろう。

それに気づき、動いている若者・同僚たちに、心からのエールとお詫びを。
前から書いて途中になっている、フレイレの『被抑圧者の教育学』についてそろそろ本格的に書きたい。

そして、若者の不安と解放については、昨日の投稿を。

「今日結婚するメグミちゃん&みなへのメッセージ:脱「草の根ファシズム」のヒントとして」

http://afriqclass.exblog.jp/21727201

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by africa_class | 2015-10-11 19:19 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

今日結婚するメグミちゃん&みなへのメッセージ:脱「草の根ファシズム」のヒントとして


この週末、メグミルクが結婚するという。

卒業式で素肌にマサイの毛布をまとって卒業証書をもらったメグミちゃん。北海道で高校の先生をしている。
「先生、天職です!毎日幸せです!」
そんなメールをいつかくれた。心の底から嬉しかった。

メグミちゃんは、高校生の時訪れたケニアのスラムで、大変な生活の中でも、子どもたちが笑顔だったことがあまりに衝撃で、「なぜ笑顔なのか?」を問いとして抱いたままゼミにきた。

その子どもたちの「笑顔」は心からのものか?
たまたま出会った子どもたちだけがそうだったのか?
訪問先に秘密があるのか?
訪問の仕方(間に入った人)との関係は?
そもそも「笑顔」とは何か?
誰がそれを「笑顔」と定義するのか?

きりのない突っ込みは可能だけれど、そして本人にも誰にも言わなかったけれど、その問いはすごく良いものだと思った。卒論テーマとして学問的に良いと思ったのではない。学術的には上記のように前提を特定していく必要があって、社会か学的に追求するには困難な問いである。でも、一年生の時からずっとこれを唱えてきた彼女に4年目の夏がきても異論を口にすることはなかった。

(そもそも、学生のテーマ選択は本当に自由。ここに口を挟むのは絶対にやってはいけない。勿論変えた方が良いテーマであることは多い。でも、変更もまた学生の選択であって、大げさかもしれないけれど彼女ら・彼らの一生に関わることである以上、そこは重要。これは執筆途中の大学1年生向けの本で詳しく説明したい。いつか…)

なぜか?
私には、その問いが彼女の人生の中で、あるいは彼女と共に教室にいる学生たちの人生にとって、とても重要な問いに思えたからだ。そして、この社会が切実に必要としている観点が含まれている。何より、私がゼミでやろうとしていたことと、実はとても合致していた。

そして、メグミちゃんは、卒論を通してというよりも、その問いと、彼女がその問いを発するに至った背景と、そしてそれを乗り越えようとする前向きな姿勢によって、自分と周りを解放していった。「解放」という言葉が、この点についてはとてもしっくりくる。結局は、これは「自己と他者の解放」の話なのだ。

私のゼミにはなぜか「何か」を抱えた学生たちが集う傾向があった。
ただ明るいのではない。
ただ「良い子」なのではない。
ただ斜めにみているのではない。
表面でみえるものとは別の「何か」…を抱えた若者たち。

考えてみれば、ゼミ生だけでなかった。
今の日本の若者というのは、そういうものなのかもしれない。「何か」を抱えながら、迷いながら、右往左往しながら、しかし、表面上は「フツーの若者」らしくふるまっている。あるいは、いつの時代もそうなのかもしれない。

ただ、今の若者は、中学校の窓ガラスが、先輩たちが投げた机で破れていた…なんて時代のすぐ後に中学校に入った私たち、あるいはバブル最後の時期でイケイケドンドンな時代の空気を吸った者たちとは、何かが違っている。昭和なお父さん、おじいちゃんが鎮座した「イエ」が押し付ける規範としがらみを、肌で感じ、覚えている世代と、現在の若者とは何がが。

一見無限の「自由」の中の不自由さや古びた拘束力と、たった独りで内面において闘うことを余儀なくされた若者たちの、苦しさ。誰に対しても、親はもとより、「友達」とも本音を語らないことが当たり前となった彼ら。

若い人たちが自分の本音を友人たちにも語らなくなったのはいつからなのだろう?
「いじめ」は誰の身にも、いつでも、起こりえる。
そんな不安が、若者たちが自分の本当の考え・想いすら隠してしまうほどに、それ故に無関心・無気力にさせてしまうほどに至ったのは、いつからのことだろう。

みな、どこか悲しい目をしていた。
そして、不安そうな目を。
自信満々にみえても。
何かを暴かれるのを怖れているような、そんな目を。

大学に着任して3年目。
私は、ゼミで学問を「教える」のを止めた。
手順は教える。
書いたものを学問的に批評する。
しかし、ゼミの機能として、「場」の創造を優先させようと決意した。

そのことは既に何度も書いた。
書いてなかったことは、「新しいソーシャルネットワークの場」あるいは「社会関係資本を育む(あるいは実感してみる)場」としての試行錯誤の部分について。

勿論、そういう「場」が苦手な学生も多く、違和感をもったまま、あるいは嫌な思いを抱いて卒業していった学生もいただろう。勿論、ゼミに入る前から何度も説明し、「このゼミには入らなくていい」と宣伝し、すでにゼミ生になっている人たちに相談するように提案してきた。それでも、あうあわない…はあるので、そこの部分は完全には私の責任というわけではないが、ある種実験的な部分があったのは事実で、その点では申し訳なかった。

ゼミではすべてをpeer(相互)にやることを前提とした。
言うは易し、機能させるには横軸と縦軸がうまく噛み合ないといけない。その意味では、初期のゼミ生たちの頑張りがなければ本当の意味でネットワークとして機能しなかったろう。

それでも一声かけなければならない場面は当然沢山あった。
毎年繰り返し言った言葉。
それは、他でもない、「頼ることを覚えること」であった。
そのことが「自分を「解放」してくれるだろう」ということ。

実は、日本のどの年代の人にも言えることだが、「信頼関係」「助け合いの関係」を想定する場合、自分は「助けてあげなければならない主体」であって、「助けられる側」とは考えない傾向が強い。ある時期、なぜか各地の「市民大学」(多くの場合9割方退職された方々の集い…)に呼ばれることが多く、そこでの社会関係資本を数える参加型ワークでも確認したが、受講生の圧倒的多数が「〜してあげる」「手伝ってあげる」という言葉や行動については思い至るが、では「自分が頼る側である」という意識は希薄で、「頼れる人」をカウントしてもらったら極端に少なかった。

究極的には、「他人/親戚に頼るぐらいだったら我慢する/お金を払ってでも/死んだ方がまし」ぐらいの勢いなのだ。これは、老若男女そうだった。頼る先も、若者も年配者も直系、一等(二等)親まで。「迷惑をかけたくない」「面倒をかけたくない」…そういう方があまりに多かった。

社会がそういう人ばかりだとどうなるか?
「頼り頼られる助け合い、信頼関係」など夢のまた夢。
義務かおつきあいでしか、関係ができない。

となるどどうなるか?
つまり、「ボーリングを一人でする」ことになる。
社会関係資本(ソーシャルキャピタル)論の創設者ロバート・パットナムいわく、「コミュニティの崩壊」、そして「草の根民主主義の衰退」である。
(このことは、また別の機会に書きたい。)

そして、不安のままの孤立は、自信喪失と他者への不信を生み出し、自己解放からも遠ざけ、かたくなな自分を作り出す。それは、いつかの日本の「草の根ファシズム」を再び出現させるだろう。

そして、それを喜んで創出・悪用するのは、あの時も現在も、豊かな民主主義の土壌を育むことなどまったく求めていないどころか、それを自分たちの収奪のために潰すことを厭わない権力者たちなのだ。翼賛体制を再び構築するのに好都合な社会が、不安と相互不信、疎外の中で生み出されている。

だから、権力者らのこのような悪巧みを乗り越え、一人ひとりが自分として解放され、互いを支え合い主体的によい社会にしていくためには、「自分の殻を破って頼ってみること」が必要なのだ。

しかし、「頼ること」は難しい。
「頼られる人になること」よりも。

実はこれは重要なポイントだと今でも思っている。何故なら、「頼られる人/頼りがいのある人になろう」とすることは、道徳的にも社会的規範としても教わる。だから、少々無理すればできる。でも、「頼ること」を奨励する場面はほとんどなく、「頼ること」を普通にあるいは奨励してくれるようなロールモデルもいない。したがって、多くの人が「頼り方」を知らない!(そういう私もそうだったが…)

だから、多くの日本の人にとって、「頼ってみる」「自分を投げ出してみる」・・・ことが何より未知の世界であり、考えが及ばず、やり方も分からず、やろうとしても苦痛なだけの行為であった。

でも、頼ってみた経験がなければ、頼らられる(頼ってもらう)ことの意味は本当には理解できない。身を委ねたことがなければ、身を委ねる側の気持ちは分からず、だから身を委ねてもらうこともできない。「頼り頼られ」という言葉がさしているように、まずは「頼り」である。だから、「頼ってみて」・・・を繰り返し、繰り返し、言い続けた。それでも、頼れないでいる。それぐらい、「頼ってはいけない」という思い込みはパワフルなのだ。それでも、頼ることを体感しないまま卒業してしまった学生が、数年経って突然「頼る」宣言をして驚くこともあったので、「頼ること」の重要性は言い続けなければならないかもしれない。

ゼミは「野生動物保護区」と呼ぶほど多様な生態に満ちあふれていて、よくできたもので、必ず「おせっかいさん」的な学生が一人はいて、皆の面倒をよくみてくれる。だから、そのオーラがついつい頼ってしまう雰囲気を作り出すこともあり、でもそういう学生は学生で自分は頼れないでいることもあるため、そこも根深いものがある。

メグミちゃんの問いは、そのまま私がお金だけでは測れない資本である「社会関係資本」=「頼り頼られる関係」の価値を、体験としても、実験としても、学問としても、ゼミのみんなで共に考えるよい機会を提供してくれたと思う。留学に行く一人ひとりに歌を贈ってくれたメグミちゃんの「無限のgivingな心」の根っこにあった寂しさは、もう癒されただろうか。

人生の伴奏(走)者を得て、きっとこれからも沢山の歌を多くの人に届けてくれることと思う。そして、かつてのメグミちゃんたちのような気持ちを抱える沢山の若い人たちに、暖かい光を灯してくれることだろう。


メグミちゃん、おめでとう。
と同時に、すべての(元)学生に、おめでとう&ありがとうを。
(この記事は、メグミルクをねたにしているけれど、実際は一人ひとりに向けたものです)

若き日に頼ることを教えてくれたモザンビーク北部農村のママたちに、あわせて感謝したいと思う。

なお、最近30代に突入したという卒業生たちから立て続けにメールをもらった。

みんなで仕事や色々な悩みを話しました。抱えている問題は別々のようで、実は根本はなんだか同じなように思えてきました。これからどのように生きて行きたいかを、30代になった私たちは20代とは違う視点で考えるようになってきたのかなと思います。色々ありますが、大変な時もそのままの自分の姿を見せられる友人がアフリカゼミでできたことが嬉しいです。」

違った場所(時に国で)まったく異なる仕事や人生を歩んでいる卒業生たちが、こんな風におり触れて、本当の自分の姿で、自分の悩みや想いや希望を、語り合っている…ことは、本当に嬉しい。「大学」という場は、学問を探求する場でもあると同時に、やはり一生涯の仲間を育む場所でもあるのだということを、改めて感じている。

「人」は二人の人が背中合わせになって初めて「ひと」になる。一人で生きられないからこその人であり、社会であり、世界であり、地球であり、生命であるのだということを、紅葉深まるドイツの秋を眺めながら噛み締めたい。

「頼よる関係」…は自然との関係においてもそうだ。
現代において、人は自然を制服しているつもりかもしれないが、結局はどの大災害でも自然を前になす術がない現実を目の当たりにしている。自然が人を頼るのではなく、人が自然に頼っているのだ。そのことを一瞬足りとも忘れてはならないと思う。知らず知らずに頼っている自分を発見し、それを受け入れるところから、きっと本当の関係が見えてくるし、だからこそその関係を本当の意味で育むことができると思う。(ここは少し言葉足らずだけれど、今太陽が出て来たので畑仕事に!これにて失礼・・・)

最近の日本に再び蔓延しつつある「草の根ファシズム」が、本当の意味の「草の根民主主義」によって乗り越えるには、まずはこの一人ひとりの不安と孤立(疎外)を脱することが不可欠であって、そのためには信頼でき異論を唱え合える開かれた仲間同士の連帯へと向かっていかねばならないと思う。

その意味でも、みなの経験は希望なのだと知ってほしい。
そして、一人でも多くの人を巻き込んでいってほしい。
路上でがんばる若者たちが、こういうプロセスを経て連帯の力を得たことにエールを送りたい。
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(木こりのツレの置き土産があるが、それは気にせず…日陰はもう寒いので、太陽にあわせて薪割りの場所を移動しているのです)

本当は別のゼミ生のメッセージについて取り上げようと思っていたのだけれど、畑でこのことを思い出して先に書いておいた。続けて、別の学生のメッセージについて。
「デモから学んだ若者から学ぶ秋」
http://afriqclass.exblog.jp/21729533


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by africa_class | 2015-10-10 22:49 | 【大学】アフリカゼミ(3・4年)