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今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(3):「第5次琉球処分」としての辺野古新基地建設

さて、やっと本題に入ります。
この記事から読む人は、以下もあわせてどうぞ。

■今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(1):
沖縄/琉球、薩摩と私

http://afriqclass.exblog.jp/21839406/

■今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(2):
「Positive Peace(積極的平和)」と「ProActive Peace(積極的平和主義)」の違い、そして沖縄の今の世界史的意義」

http://afriqclass.exblog.jp/21871804/

さて、私が(1)で、現政権による辺野古への新基地建設の強行を「第二次琉球処分」だと書いたところでしたが、「実は「第五次琉球処分」です」というご指摘を読者から頂き、以下の記事を紹介頂きました。月刊誌『まなぶ』と執筆者の新垣毅さんの許可を頂いたので、転載いたします。ご理解ありがとうございます。

どうぞ皆さん、ご一読いただき、どんどん拡散下さい。
その際は、クレジット(新垣毅「沖縄の自己決定権を考える」『まなぶ』2015年10月号より転載)をお忘れなく。

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新垣毅「沖縄の自己決定権を考える」

『まなぶ』2015年10月号より転載


黒船は琉球にも来た

 1854年、米国の遣日全権大使マシュー・ペリーは「黒船」を従えて来日し、江戸幕府と条約を結びます。日本として初めて結ぶ国際条約・日米和親条約です。このペリー来航は、日本が近代国家の道を歩むきっかけとなった大事件としてよく語られています。一方、あまり知られていないのですが、実はペリーは、その4カ月後、琉球国とも修好条約を結びました。琉球国を国際法上独立した主権国家として認識していたのです。

 その後、琉球はフランスとオランダとも、修好条約を結びます。これら3条約こそが、後述するように、1879年の「琉球処分」といわれる、日本の琉球国併合の歴史的意味を左右する重要な要素となるのです。

 今から136年前の1879年3月27日、首里城(現在の那覇市首里)。明治政府の命を受けた松田道之処分官は、琉球国の官員たちを前に「廃藩置県」の通達を読み上げました。随行官9人、内務省官員人、武装警官160人余、熊本鎮台兵約400人を伴っての厳命でした。兵士らは首里城を占拠して取り囲み、城門を閉鎖しました。このとき琉球王国は約500年の歴史に幕を下ろします。これが「琉球処分」といわれる出来事です。

 明治政府はその7年前、天皇の下へ琉球の使者を呼び、琉球藩王の任命を抜き打ちで一方的に実施しました。天皇と琉球の王が「君臣関係」を築いたことにして、天皇の名の下で琉球国の併合手続きを着々と進めました。その後、琉球からさまざまな権利を奪い取る「命令」に琉球が従わないとして、最後は軍隊で威嚇しながら一方的に「処分」したのでした。

 琉球国の国家としての意志を無視して一方的に併合し、国を滅ぼした明治政府のやり方、すなわち「琉球処分」は後々、現在まで、時代の重要な歴史的節目節目で、沖縄に対する日本政府の態度を批判する言葉として生き続けます。

 1952年、サンフランシスコ講和条約の発効により、第2次世界大戦の敗戦国日本は米国の占領状態から脱し、「独立」を果たします。しかしそれと同時に沖縄は日本と切り離され、米ソ対立を中心とする冷戦の前線基地にされます。米軍は沖縄で日本軍が造った基地を再利用しただけでなく、民間住民の土地を銃剣とブルドーザーを使って接収していきました。沖縄島は「浮沈空母」といわれるような米軍基地の要塞となっていきました。沖縄がこのような軍事植民地といわれる状態になったのは、1947年に天皇から米側に伝えられた、いわゆる「天皇メッセージ」がきっかけといわれています。内容はこうです。

 「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう希望する。これは米国に役立ち、また日本を防衛することになる。…米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借―25年ないし50年、あるいはそれ以上―の擬制(フィクション)に基づくべきだと考える」

 それは、日本に主権を残しつつ、ソ連など共産主義圏の脅威に対抗し、沖縄の「軍事基地権」を米国に長期にわたり提供するという内容でした。これは沖縄を軍事基地化したい米側にとって格好の提案となりました。しかし、沖縄にとっては、日本の独立と引き替えに、米軍へ「租借地」として引き渡される屈辱的出来事となりました。後に、沖縄の人々はそれを「第2の琉球処分」と呼ぶようになりました。

 その後も「琉球処分」は続きます。「第3」といわれる出来事は、1972年の「沖縄返還」(日本復帰)です。米軍の統治下に置かれた沖縄では、米兵に女性がレイプされたり、米軍機が小学校に墜落して児童ら18人が死亡したりするなど、人権侵害や米軍機事故が相次いでいました。こうした状況を変えたいと沸き起こったのが、日本への復帰運動です。米軍による権利侵害を前に、さまざまな権利を保障する「日本国憲法への復帰」を志向するようになります。

 ベトナム戦争が激しくなった1960年代後半になると、世界的な反戦運動と連帯し、「反戦復帰」という様相を帯びていきました。ベトナムと沖縄を行き交う米兵の犯罪が凶悪化・多発化しただけでなく、爆撃機をベトナムに送る沖縄は、ベトナムの人々から「悪魔の島」と呼ばれたのです。沖縄戦の経験を持つ沖縄の人々にとって、戦争の加担者となるのはとてもつらいことでした。

 ベトナム戦争を背景に、復帰運動は70年ごろには「基地のない平和な島」を目指し、在沖米軍基地の「全基地撤去」をスローガンに掲げるようになります。

 ところが、日米首脳で合意した沖縄返還協定の内容は、ほとんどの米軍基地がそのまま沖縄に残り、なおかつ米軍が自由使用(やりたい放題)できるものでした。これに、沖縄の知事をはじめ、多くの人々が反発しました。「基地のない平和な島」という願いを無視して軍事植民地を継続させた日本政府の態度は「第3の琉球処分だ」という声が、復帰運動のリーダーたちから上がりました。

■第4の「琉球処分」

 そして今、「第4の琉球処分」と呼べる出来事が進行しつつあります。

 名護市辺野古での新基地建設や米海兵隊のMV22オスプレイ配備をめぐって、沖縄県民は大規模の集会や主要選挙で反対の民意を示し、日本の民主主義制度のあらゆる手段を使って訴えてきました。しかしその民意が政府の政策に反映されるどころか、一顧だにされない状況があります。

 最近、沖縄の主張は強く、強固なものになっています。転換点となった出来事の一つは2013年1月28日の政府への「建白書」提出です。建白書は、米軍普天間飛行場の県内移設断念とオスプレイの配備撤回を求めたもので、沖縄県内市町村全ての首長、議会議長、県議会議長らが署名し、首相官邸で安倍晋三首相に手渡しました。「沖縄の総意」を示した歴史的行動でしたが、政府側は“無視”しました。

 その年の12月、米軍普天間飛行場の「県外移設」を公約に掲げていた当時の仲井真弘多知事が、公約を破り、新基地建設に向けた辺野古沖の埋め立てを承認しました。県民は強く反発します。翌年11月の沖縄県知事選では、「県外移設」を公約する翁長雄志氏が約10万票の大差を付けて仲井真氏を破ります。直後の12月の衆院選では沖縄全4選挙区で、翁長氏を支え「県外移設」を公約する候補者が当選しました。「沖縄の民意」は明確に出たのです。しかし、その直後から日本政府は辺野古での新基地建設作業を強行しました。

 こうした状況を見ますと、沖縄は日本の民主主義制度を享受できない地域なのかと疑いたくなります。このような形の訴えを打ち砕かれたら、沖縄の人々はいったいどうすれば自分たちの未来を担保できるのかという思いが広がっているのです。

 最近の安保関連法案を見ますと、憲法9条の理念がなし崩しにされています。米国の統治下で沖縄の人々が目指した「平和憲法への復帰」という願いも、実現どころか、遠のいているという見方さえできるでしょう。日本が「戦争のできる国」になれば、戦争や紛争で真っ先に標的にされるのは、基地が集中する沖縄です。「基地が有る所が最も危険」「軍隊は住民を守るどころか殺しさえする」―。これらが沖縄の人々が学んだ沖縄戦の教訓です。

 万人余が犠牲になった沖縄戦や、戦後も長期にわたり基地被害を経験してきた沖縄の人々が、子や孫に〝負の遺産〟を残したくないという強い思いから、今、湧き起こっている新たな動きが、沖縄の自己決定権行使を志向する行動です。それは、もはや憲法だけではなく、国際法に訴える形で登場してきています。

■自己決定権とは

 自己決定権は、国際法である国際人権規約(自由権規約、社会権規約)の各第1部第1条では、集団的決定権として「人民の自己決定権」を保障する規定があります。日本語では一般に「民族自決権」と訳されていますが、沖縄では沖縄戦における住民の「集団自決」(強制集団死)を連想する「自決」という言葉が含まれているため「自己決定権」という言い方が一般的です。

 自己決定権は、自らの運命に関わる中央政府の意思決定過程に参加できる権利です。それが著しく損なわれた場合、独立が主張できる権利でもあります。

 国際法学者の阿部浩己神奈川大学教授によると、この自己決定権は今や国際法の基本原則の一つとなっており、いかなる逸脱も許さない「強行規範」と捉える見解も有力だそうです。

 沖縄がいま、直面している大きな問題は名護市辺野古への新基地建設問題です。外交や防衛に関しては、国の「専権事項」とされていますが、それらの意思決定過程に、沖縄住民の民意を反映させようというのが自己決定権の行使です。

 沖縄住民の運命に深く関わる問題が政府の「専管事項」とされているので、全国で叫ばれている地方分権論の枠組みでは限界があります。突発的な衝突を含めて、尖閣諸島で紛争が起きれば、観光産業など経済も含めて真っ先に巻き込まれ、なおかつ影響が大きいのが沖縄です。中国脅威論が扇動されればされるほど、当事者として沖縄の人々の危機感は高まるのです。

 では、沖縄の人々は、国際法でいう「集団の自己決定権」を行使する主体となり得るのでしょうか。国際法で規定する「人民」は、一義的な定義はないようですが、沖縄の場合、客観的条件や自己認識で当てはまる要素がたくさんあります。ウチナーンチュ(沖縄人)というアイデンティティー(自己認識)が強く、米軍基地集中という差別的状況、琉球王国という歴史的経験、固有性の強い伝統芸能や慣習、しまくとぅば(琉球諸語)という言語的一体性、琉球諸島という領域的結びつきもあります。

 

■「琉球処分」の意味

 そこで私が最も強調したいのが、沖縄の人々が持つ「琉球処分」という集団の歴史的経験と、その意味です。先の話に戻りましょう。琉球国が外国と結んだ修好条約が重要となります。

 複数の国際法学者によりますと、3条約を根拠に、琉球国が国際法上の主体であったことが確認できます。すると、「琉球処分」という出来事は、国際法であるウィーン条約法条約第条「国の代表者への脅迫や強制行為の結果、結ばれた条約は無効」とする規定に抵触するので、琉球併合の無効を訴えることができるというのです。加えて日米両政府に対し、謝罪、米軍基地問題の責任追及などだけでなく、主権回復を訴える戦略が描けるとも指摘しています。

 ウィーン条約法条約とは、条約に関する慣習国際法を法典化した条約のことで、1969年に国連で採択され、80年に発効されました。日本は81年に加入しています。琉球併合当時、すでにこの条項についての国際慣習法は成立しており、それを明文化した条約法条約を根拠に、事実上、さかのぼって併合の責任を問うことが可能だというのです。「廃藩置県」の通達が、ここでいう条約と見なせるそうです。

 私がこの3条約と琉球併合の関係に焦点を当てたのは、それらの歴史は決して単なる過去ではなく、現在の沖縄の状況を国際法の中に位置付けることが可能となり、さらに国際法を生かして主権回復や自己決定権行使を主張する議論の地平が開かれるからです。

 私は昨年5月から今年2月まで「自己決定権」をキーワードにした連載「道標求めて―琉米条約160年 主権を問う」を琉球新報の紙面で書きました。開始直後から反響が大きく、読者の励ましの声にも支えられ、百回を数える長期連載となりました。連載は6月に書籍『沖縄の自己決定権―その歴史的根拠と近未来の展望』にまとめ、高文研から出版されています。三つの条約や「琉球処分」の歴史、自己決定権を主張する沖縄の展望について詳しくまとめてありますので、興味のある方は、ぜひ読んでいただきたいです。

 連載の狙いは主に二つありました。一つは、足元の歴史を掘り起こすこと。二つ目は海外の事例から学べる素材を集め、国際社会との連携を模索することでした。歴史を掘り起こすことが時間軸で考える縦糸とすれば、国際社会への取材は思考空間を広げる横糸の関係です。

 海外の取材でも得るものが多かったです。スイスの国連人種差別撤廃委員会やスコットランドの独立住民投票、米国ら独立して20年の節目を迎えたパラオ、そしてEU(ヨーロッパ共同体)の本部があるベルギーを取材しました。

 国連は2008年に「琉球/沖縄人」を「先住民」と認め、2010年には米軍基地の集中は「現代的人種差別」だとして、日本政府に改善を求めています。

 EU(欧州連合)の要・ベルギーの取材では、沖縄が東アジアの「平和・交流の要」になる可能性を念頭に置いて取材しました。国境を超えた地域共同体の本部は小国に置いた方が、大国の利害調整に優位だといいます。日本国内で実現に向けて叫ばれてきた「東アジア共同体」がもしできるのなら、その本部は沖縄にこそふさわしいという確信を得ました。

 人口約2万人しかいない島国・パラオがどうやって大国アメリカから独立を勝ち取ったのか。スコットランドの独立運動とも通ずるのが、市民による粘り強い草の根運動です。何度も挫折しつつも、アイデンティティーの基盤を再構築し、国際世論に訴える運動を継続していました。今の沖縄の課題にも通じます。

 取材を通して率直に感じたのは「沖縄は自立する可能性だけでなく、独立する資格さえ十分持っている。問題はそのビジョンを、現状打開や県民の幸せのためにどう生かしていくかが課題だ」ということでしだ。

■沖縄が目指す将来像

 沖縄の人々にとって、今、大きな課題になっているのは、名護市辺野古の新基地問題だけでなく、沖縄の将来を描く大きなビジョンです。

 沖縄はいま、東アジアにおける「軍事の要」の役割を担わされていますが、そうではなく、琉球王国時代にアジア太平洋地域に展開した交流・交易の歴史的経験を生かし、人や文化、観光・物流などの文化・経済交流を促進してアジア諸国の架け橋となる「平和の要石」こそ、その姿といえます。沖縄の自己決定権追求は、長期的に見れば、決して日本本土への恨みつらみでも、日本との分離を目指す〝離婚〟でもないと思います。むしろ、日本の平和にも貢献する姿こそが重要です。平和の要の役割を担うため、その重要なパフォーマー=主体となるために自己決定権は重要な権利なのです。

 日本はいま、歴史教科書や「従軍慰安婦」問題などの歴史認識問題、尖閣や竹島など領土紛争の火種を抱えています。これらの問題の解決に向け、沖縄は対話の場になれると思います。対話が実現できれば、沖縄だけでなく、日中・日韓をはじめ東アジア全体の平和構築にとって有益です。

 人、モノ、情報のグローバル化の進展に伴い、経済・政治などの分野でEUやASEANのような国境を超えた地域統合が進むなど国家の壁は低くなりつつあります。いたずらに中国の脅威をあおり、ナショナリズム高め、国家間の壁を高めるのは、世界のすう勢に逆行する行為だと思います。摩擦が激化すれば、真っ先に危険なのは沖縄です。

 人やモノ、経済の交流が進めばそれ自体が安全保障になるとの考えもあります。世界は冷戦の東西対立の時代から協調の時代に入り、大局から見れば、東アジアもその世界的潮流の中で信頼関係の構築が求められているのです。

 沖縄には今、アジアからの観光客が街にあふれています。県の総生産に占める基地関連収入の割合は、1950年代には50%を超えていましたが、今は基地に絡む振興費を加えても、わずか5%です。北谷町美浜や那覇新都心地域では米軍跡地利用が成功し、雇用や経済効果は基地だったときと比べて飛躍的に伸びました。基地は沖縄の経済にとってむしろ「阻害要因」との認識が県民の間で広まっています。

 国境が低くなるにつれ、「交流拠点」に向けたチャンスが大きくなっています。米軍基地の跡利用で国際機関を誘致するなど国際情勢を踏まえ、沖縄がどのような東アジアのビジョンと自分らの将来像を提起できるか―。その青写真とともに求められているのが、まさに沖縄の自己決定権の行使なのです。




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by africa_class | 2015-11-26 23:13 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(2):「Positive Peace(積極的平和)」と「ProActive Peace(積極的平和主義)」の違い、そして沖縄の今の世界史的意義

沖縄・辺野古で事態が緊迫しています。
この連載も、もう一歩前に進めないといけません。

元々、辺野古への新基地建設(移転というべきでない)の問題、そしてそれへの沖縄の人びとの抵抗と政府の弾圧については、「私・私達自身の問題」としてずっとフォローしていて、このブログでも何度か取り上げてきました。

■長い夜にブレない生き方について考える〜ガンジーの「ノー」の価値論と「五日市憲法草案」、そして沖縄

http://afriqclass.exblog.jp/21326990/

以下のブログ記事を掲載してから、とても反響が大きく、本腰を入れてやらねばならん…と考え、しかし療養中のため、少しずつ勉強を深めているところです。

■翁長知事の国連人権理事会でのスピーチ&日本政府代表の反論+所感(分析にかえて)

http://afriqclass.exblog.jp/21666952

その勉強のプロセスを、公開しながら進めていくことで、今迄、これらの問題について知らなかった、関心もなかった、無関係だわ・・・と思っていた皆さんにも、一緒に考えていただきたく、この連載を始めました。

■今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(1):沖縄/琉球、薩摩と私

http://afriqclass.exblog.jp/21839406/


深刻な事態が現地で進んでいるのに、亀のようにノロい歩みではありますが、ご容赦下さい。
さて、私は以上のブログ記事(1)で、今回の辺野古への新基地建設の強行が「第二の琉球処分だ」と書きました。

しかし、私が不勉強なことに、沖縄では「第五の琉球処分」と言われていると知りました。
沖縄の人びとが直面してきた、そして現在も直面している現実の一端ですら、分かっていないことを知るに至りました。「知らないですむ」ことこそが、マジョリティの特権です。だから、常に「知ろうとすること」、いつでも耳を傾ける姿勢を持つ事が不可欠です。

「第5次琉球処分」について紹介しようと記事を書き始めて、私は一つ重要なことに気づきました。それは、このことをそのままここで紹介しても、沖縄にいない人びとに十分に伝わらない可能性です。

沖縄の人びとの現実と、それ以外の日本の人びとの現実の、深く断絶した認識の差こそが、現在の暴力的な新基地建設を可能としている背景である以上、このことを十二分に指摘しないと、「ある人たち<=>我々」の問題構造が乗り越えられない…そう思い至りました。

なので、そのことをまず書きます。

今、沖縄以外の日本のどこかに暮らし、沖縄/琉球の出身ではない私たちは、東京から送られてきた機動隊らが、身体をはって新基地建設に抗議する地元の方々(おばあやおじいも含む)を暴力的に取り締まっているか知っているでしょうか?あまりに暴力的な取り締まりだから、沖縄県警に属する若者たちにはできないだろうと、わざわざ凄い税金を使って何百人もの機動隊が沖縄に送られ、高級リゾートに宿泊しながら、毎日地元の皆さんを弾圧しているのです。

「現実に被害を被っている【ある人たち】がいるのに、知らないですませられる」構造こそが、構造的差別、ガルトゥング的にいえば、「構造的暴力」となります。これを、日本では、「フラットな皆同じ」「区別することが差別につながる」「知らせることで差別になる」という奇妙な論理ですり替えがちですが、これは「文化的暴力」と呼ばれるものです。

世界的には、「積極的平和(Positive Peace)」とは戦争のない状態だけでなく、このような構造・文化的暴力のない状態を指し、安倍さんがいう「積極的平和主義(ProActive Peace)」という武力介入の考え方には真っ向から反対するものです。この点は、ガルトウング博士が来日した際に詳しく述べているので、以下の記事をどうぞ。

「積極的平和」の真意 ノルウェーの平和学者、ヨハン・ガルゥングさん
http://www.asahi.com/articles/DA3S11931897.html
「積極的平和、沖縄から提案を」カルトゥング氏が講演
http://www.asahi.com/articles/ASH8Q65QJH8QTPOB003.html

私は、安倍政権によって「積極的平和主義」なる用語が掲げられた時、危ういな…と思いました。為政者が「ポジティブなイメージのある用語」を使って、「まったくその正反対の事」をし始めると、そしてそれがたいしたオプジェクション(異議・抗議・抵抗)にもあわずにスルスル・・・といってしまうと、大変強度の強い暴力が発生することが、現代世界史が教えるところだからです。

原爆の開発も、「戦争を早く終わらせて人命を救うため」でした。
その結果、当時35万人ほどが暮らしていた広島で、4ヶ月以内におよそ14万人の死者が出ました。
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1111638957650/index.html
長崎では、分かっているだけで73,884人、重軽傷者74,909人、行方不明者1,927名います。
http://nagasakipeace.jp/japanese/atomic/record/scene/1103.html
米国では、長年にわたって以上の通説「原爆は米国人の命を救うのに不可欠だった、役に立った」という考え方が主流でしたが、最近これに変化があり、長年にわたる被爆者の皆さんの活動の成果としても、「人道に反する行為だった」と考える人が若者に増えています。

ヨーロッパ諸国による「キリスト教の普及による哀れな原住民の救済」も、結局のところ、植民地支配の隠れ蓑として使われ、「勤勉さを学ぶための矯正のための労働」は、子どもを含む住民らの無償奉仕労働(プランテーション等での奴隷労働)を意味することが非常に多かったのです。

ある国家の為政者、とりわけ強権的な思考・志向の強い者達が、自分を「世界の救世主」的な存在として位置づけ、これを大きな言葉で繰り返し唱え、何らかの政策とともに実行に移そうとする時、甚大な被害が生じることは、現代史だけの特徴ではなく、人類史に繰り返しみられたことです。

為政者らが自分を「救世主的な存在」に位置づけて、人びとを動員する時、「これを阻もうとする者=敵」は勿論のこと、身内における一つ一つの被害は「大きなビジョンに対して小さなこと」として位置づけられ、踏みにじられていきます。しかし、動員される人びとは、自分が踏みつけられる側になり得る、あるいは既に踏みつけられているという現実に気づかず、「強いリーダーに酔いしれる」ことで、自分の苦境やコンプレックスを忘れたいために、これを「他者の問題」としがちです。

あるいは、「大きなビジョンの歯車」として、嬉々としてその役割を果たそうとするかもしれません。「私のような者が、何か素晴らしい歴史の大事の一部として関われる」ことに、自らのこれまでの人生の挫折を払拭する機会と感じるかもしれません。リーダーらが、その素晴らしさを煽れば煽るほど、そのポジティブなイメージや力は、ぐいぐい求心力を強めます。

このような動きに対抗する側にこそ「歴史の大事の運動」としての利と正義があったとしても、「〜にNOという」という運動は、「〜を素晴らしいという」という運動に対して、大衆の理解を得るのは簡単ではありません。社会が危機的になればなるほど、強権的な為政者が登場しやすい状況が生まれます。たとえ、それが為政者ら自身が作り出した危機であっても、いえだからこそ、彼らは批判を回避するために、新たなスローガンを強固に推し進めることで、人びとの目をそらし、批判を交わし、敵は批判者であり、また外にいるのだ・・・という状況を自ら作り出します。その際には、実態以上に、宣伝のための活動に力が入れられます。

このような状況の中では、為政者のスローガンのほうが優勢となり、抵抗者は対抗力を勝ち得ないとすれば、積極的に為政者に協力しない層の人びと(大多数の場合が多い)もまた、「反対しない、異議を唱えない=思い込みの中立の立場」をとり、選挙に行かない、ただ政府が与えてくる仕事をコツコツする…ということ等を通して、結果的に為政者のシステムを支える機能を果たします。

いつかハンナ・アーレントの「全体主義の起源」やアイヒマン裁判の分析を紹介しましたが、これが、ナチスドイツの壮大なる民族抹消プロジェクト「ホロコースト」を可能とした背景です。

■(その2)大学生のスピーチに思う。「名を伏せた者たち」が進める全体主義の今。
http://afriqclass.exblog.jp/21487530/

これらのことを考えると、明らかに武力介入を伴った考え方を包含するにもかかわらず、それを「積極的平和主義」等という言葉で包んで、そしてそれは憲法と真逆の考え方であるにもかっかわらず、政策として強固に推進しようとするときには、いい加減、私たちは自らの国の歴史と他国・世界の歴史から、ピンとこなければならなかったのでした。

しかし、実際はそうではなかった。
なぜなら、この「積極的平和主義」が行き着く戦争や暴力への加担の被害を被るのもまた、直接的には「私たち」ではないから。見知らぬ地域の国の、見知らぬ誰か。部隊の駐留によって日常的な人権侵害に怯える住民ではないから。あるいは、基地の存在によって攻撃の対象となるかもしれないわけではないから。

むしろ、武器輸出で儲けられるかもしれない。新しいビジネスチャンスかもしれない。となれば雇用が増え、消費がアップするかもしれない…いい加減、破綻したトリクルダウン的経済効果を、非正規雇用者の割合が初めて4割になった今も、多くは気づいておらず、「企業が富めば国が富み国民も富む」との幻想を抱いていることには、驚きます。

【朝日新聞】非正社員、初の4割 雇用側「賃金の節約」 厚労省調査
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151104-00000051-asahi-bus_all
厚生労働省が4日発表した2014年の「就業形態の多様化に関する総合実態調査」で、パートや派遣などの非正社員が労働者にしめる割合が初めて4割に達した

1987年には15%にすぎなかった非正規雇用、若者の間ではずっと前に4割となっていたわけですが、その理由が「賃金の節約」という誠にストレートな回答となっており、他方企業の内部留保金は過去最高を更新する中、その矛盾する論理が、トリクルダウン理論などまったく機能していないことを証明しています。

【日経ビジネス】今や300兆円、企業の「内部留保」に課税案が再浮上?http://business.nikkeibp.co.jp/welcome/welcome.html?http%3A%2F%2Fbusiness.nikkeibp.co.jp%2Fatcl%2Freport%2F15%2F238117%2F092400007%2F
「その内部留保の増加が止まらない。財務省が9月1日に発表した2014年度の法人企業統計によると、金融・保険業を除く全産業の期末の利益剰余金は354兆3774億円と1年前に比べて26兆4218億円も増えた。率にして8%の増加である。

純利益は10%も増加。最大の要因は企業が稼ぐ利益自体が大きく増えたこと。1年間の純利益は41兆3101億円と10%も増えた。」


このようなまやかしのスローガン・政治が可能となっている理由。
まさにそれは、あらゆる策略によって自己検閲してしまっている牙を抜かれたメディアのせいであり、「疑問を持ち、自分の頭で考える」機会を十二分に創造してこなかった教育のせいでもあるし、離合集散を繰り返す政党政治のせいでもあります。しかし、根本的には、未だに日本が「同調圧力を使った集団催眠の罠」を自覚的に乗り越えられていないことからきていると思います。どこかで、多くの日本の私たちは、「自由と民主主義」が怖いのです。

自由に考えろといっても、選択肢もあまりないし、あれこれ考えなくとも、強いリーダーに任せておけばいいじゃないか。
「よく国のことを考えている(と思わせる)」政治家や専門家や役人に任せたい。
「せっかく国のためにやってくれている人たち」の足を引っ張る奴は許さん。

という、実態なき「国」その実「一部の特権層の既得権益の存続と発展」を、支えてしまうことになるのです。
だから、2015年の終わりに、日本の人びとこそ、パウロ・フレイレの『被抑圧者の教育学』を手にとってほしい…そう思って以下の記事を書きました。

■今、再び『被抑圧者の教育学』を読む(その1)〜若者/「抑圧なんかされてない」「飼いならされた」あなたへ

http://afriqclass.exblog.jp/21839228

私は、今危機的な状況にある日本の中で、多くの人が沖縄の人びとに学ぶことこそが、もしかして唯一残された希望であるかもしれないと考えています。沖縄の人びとの長い歴史に裏打ちされた経験から紡ぎ出されている「意識」こそが、主体としての権利の能動化、つまり「主権者」としての自覚を育み、踏みつけられても踏みつけられても、日常の近い場で日々のあらゆる闘いを実践し続けているところに、今私たちが真剣に学ばないとしたら、もうとっくに手遅れだけれど、もっと手遅れになると思うからです。

今、沖縄の人びとが実践していることは、「日本の平和と自由と民主主義の最後の砦」を守る行為なのだということを、私たちは決して忘れてはいけないし、知り、そこから学ばなくてはならないと思います。

また、ガルトゥング博士が沖縄にPositive Peaceの拠点としての可能性を見いだしていることの意味は、第二次世界大戦後、とりわけ冷戦期の60年代以降に発展してきた国際平和学の成り立ちと発展からすると、とても納得のいくものなのですが、この点についてはまた別に論じたいと思います。

一言付け加えると、先の戦争で甚大なる暴力を経験した沖縄の人びとが、既に「平和の主体」として自らを位置づけ直し、沖縄という場を「平和の拠点」と転換させることで、自らの尊厳と発展の足場を築き、日本・アジア・世界に貢献しようとされていることは、沖縄内、日本内に留まらず、アジアと今の暴力の連鎖が止まらない世界のあり方にとっても、世界史的な展開としても、大きな意味と意義があるということです。

これはガルトゥング的平和学でいうところの「トランセンドtranscend」であり、AとBの敵対から戦争に発展しがちな紛争を「超越的に転換」することをヴィジョンとして設定し、それに引っ張ってもらう手法です。これは、授業でも色々やりました。つまりAかBの勝利か敗北を目的化しない、かといって妥協を目指すのでもない手法です。

詳細→http://afriqclass.exblog.jp/i23

理不尽な暴力を経験したからこそ、平和や自由、民主主義の価値を知り、その実現のために尽力する崇高なる役割を果たして着た偉人を、私たちは沢山知っています。

他方、理不尽な暴力を経験し続けたからこそ、世界構造や現状を暴力的に転換したいと切望して別の暴力に手を染める人、絶望してこれに追従する人も、私たちは知っています。911やパリ連続攻撃で、それを目の当たりにしました。

その意味でも、沖縄の人びとの非暴力直接行動の実践は、同時代的な世界大の意義を持っており、これはそのような文脈でも理解されるべきなのです。

次に、本題の「第五の琉球処分」について。

今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(3):「第5次琉球処分」としての辺野古新基地建設

http://afriqclass.exblog.jp/21871996/

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by africa_class | 2015-11-26 22:10 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

【とりあえず】一連のパリ襲撃とその後(Aftermath)を受けて今考えたこと:これまでの研究からの所感

やらなきゃいけないことは山ほどあり、かつ始めた2つの話を続けなければとも思うが、自分がこれまで専門(War/Conflict & Peace Studies)として研究してきたことを踏まえると、今これを書いておかないと…と思い、急遽ブログを立ち上げる。とりあえず、この間twittしたことを貼付けておく。息子がサッカーに行ってるこの隙に。

11月13日金曜日夜にパリで起きた一連の襲撃について、じっくり考える余裕がない中で、一連の情報のRTと所感を書いてきた。投稿日時は、大体のもので、パリ時間です。

一番重要なことは、このような事件が「新しい現象ではない」ということ。
日本は今迄牧歌的に過ごせてきたので、「新しいもの」に見えるかもしれないのだけれど、そして安倍政権の外交・安保政策の転換により「差し迫ったもの」のように見えるかもしれないのだけれど、冷戦期からの現在までで、ヨーロッパを含め、世界で起きてきた現象。

何よりも、911後に行われたアフガン戦争、そしてその後のイラク戦争の後の世界においては、常態化しつつある現象といえるわけです。これは、NY、ロンドン、マドリッドといった私たちに身近な街で起きていただけでなく、中東でもアジアでもアフリカでも起きていたことで、私たちがそれらの事件を忘却していたか知ろうともしていなかっただけで、2001年以降の世界の現実だったのです。

でも、それもまた冷戦期、あるいは脱植民地化のプロセスで、世界各地で起こっていたことに根っこがあります。世界各地における戦争に限らない暴力化は、勿論遡ろうと思えばどこまでも遡れるわけですが、第二次世界大戦期に発達の端緒があり、その後冷戦で「発展」し、911で「進化を遂げた」といっても過言ではなく、「テロ」と呼ばれる事件は必ずしも、「東側」「解放勢力」「反体制勢力」「過激派」によるものだけではなかったのです。冷戦期は、アメリカや西側諸国の警察・軍・その他が関与するものは大変多く、前者による「テロ」が自分の存在をアピールするためにこれを誇示する一方で、後者のそれは隠されなければならないため、世間には広く知られないままできたのです。

巷では「陰謀論」というレッテル張りをして、これらの歴史的事実から目をそらせたい人もいるようですが、アメリカの凄いところなんですが、これらの「暗殺」「政権転覆事件」「テロ」等の秘密行動の記録を、時期がきたら広く公開し、政府自ら記録編纂をして本にまとめたりしているのです。なので、「ないところに陰謀説を持ち込んでる」というのは、まったく当たらず、そういうことをいう方々は、不勉強としかいいようがありません。

実際、日本で国際関係やアメリカ外交史を専門にしているような人たちでも、ここら辺の「負の歴史」にはまったく関心を寄せず、表で語られている歴史だけを集めて、アメリカの外交政策を没批判的に持ち上げる人がいるんですが、「栄光なるU.S.A」にどこまでも忠誠なその姿は、可哀想なほど。アメリカ外交を見るのであれば、その外交の結果を見なくてはならず、その際にアメリカからのみ見たところで、本当に見た事にならんのですが。確かに、アメリカは広いですけど、世界はもっと広いんですが…と言いたい。

植民地支配の歴史を、植民者からのみ見て分析するのがおかしいように。
被植民者の側からもまた、見なければならないわけです。
つまり、相互作用の中で見なければならない。

アメリカの政治家たちですら、イラク戦争を正当なる戦争などとはもはや言わなくなったのに、なぜか日本の「国際関係」専門家の一部は、未だに「正しかった」等と言い続けているのは、なんとも衝撃的なことで、本来に本の学術界がこれらの「専門家」に挑戦しなければならないのに、日本の学会は予定調和的な場所なので、「エライ先生」たちにただの学術論争ですら挑むことが不可能な現状がある。象牙の塔ですね。

学術界がしっかりしないので、こういう人たちを為政者たちは喜んで「活用」し、あたかも「学術的にお墨付きを得た」とする余地を生んでしまっている。学術界内では論争しないのに、そうなればなったで、先生達は出て来た「政策」に対し、これまた「専門家」として新聞やテレビで文句をいったり書いたりするわけです。でも、決して大元の「大専門家」を批判したりはしない。そんなはしたないことだし、お世話になったこともあるし、何よりそんなことしたら村八分だから。

話が脇に逸れました…。
私が、各種学会の理事や委員を降りた理由はこれです。
中で頑張らなかった訳ではないですが、中から変えるのは無理だという結論です。
今後の展望については、また書きます。

さて、アメリカとその同盟国が世界で何をしてきたのか?その理由は何か?そして、その結果、世界の各地の人びとからどう見られているのか、これを理解しないで、911後の世界の危機は語れないし、悪の連鎖は断ち切れません。

が、アメリカとその同盟国の一部、そしてその背後にあるものは、そもそものところ本当に「平和な世界」「中東の平和」を目指しているのか?…そこはまた、議論の余地があるところです。これもまた陰謀論的な意味でではなく、実際の世界大の軍事産業の問題を分析から排除して、「政治」「外交」だけをみても、本当のところは分からないのです。

私たちの世界は、冷戦が終わった時に、これらあらゆる困難を乗り越えるだけの可能性を手にしていました。
しかし、それがあっという間に消えていってしまった。
湾岸戦争、アフリカで多発した紛争の数々、旧ソ連の諸国や旧ユーゴ…。
そこで再びナショナリズムや領土の問題が生じたわけですが、勿論内部要因は非常に重要である一方、もう一度思い出さなければならないのは、ダレがどのようにこれに関わったのか?
武器はどこからどのようにきたのか?

これらの紛争は、現在にも繋がるアクターたちの出現・発展・連携を生み出していきました。
そして、今があります。

勿論、今回のパリ攻撃は、手法・規模・場所という点で、今迄よりも危機感を高めるような事態であるものの、このようなことはフランスや同盟国、その他に予想されていたわけで、実際に起きてしまったとはいえ、各国、特にシリア戦争に関与しているフランスであれば、それなりの予防策とプランがあったはず。突然起こったように見えて、実際は起こりうるものとして対応されてきていたはずで、ではその前提で、なぜこのような発生の仕方、対応の仕方なのか…というところが、報道されていないだけに重要になってきます。

特に、13日金曜日の夜に連続の被害が発生して、夜中の間中はその全容を明らかにする事に追われていて、犯行声明が出たとしても、依然として全容解明に追われる中で、週末中の日曜日にシリアで報復のための軍事攻撃が行われ、月曜日に「憲法改正と大統領権限の強化」と大統領が主張するとしたら、何かがおかしいのです。

一番の問題は、911と同様、個々の被害が生じた犯罪(程度が大きいとはいえ)を、「国家」が乗り出してきて、「戦争」という形に持ち込んで対応することです。「遠い街でのテロ被害」と「原因と考えられる遠くの紛争状況」とを同一のものと捉えて、後者に介入すれば前者が解決すると考えるのは、あまりにナイーブです。両者の首謀者が同じとしても、別個の現象であり、別個に扱われる必要があります。

勿論、以上はISILや犯罪者らの擁護ではありません。
重要なことは、いつも「紛争と平和」の授業でいったことですが、目で見える「点」だけにフォーカスしてはいけないこと。
「ある事件」「あるアクター」「ある結果」だけに注目するのではなく、何故その「事件」は、そのタイミングで、そこで、そのアクターで、そのような形で発生し、その前には何が起きていたのか、そしてそれを取り巻く状況はどのようなものであったのか、その結果のリアクションが示していることは何なのか、これら一連のことでメリットを受けたのは誰なのか、デメリットを受けたのは誰なのか、

このような時間・空間軸の広がりと複合的な視点の中で、理解しようと務めないといけません。また、「誰の声が報道され、誰の声が報道されないのか」・・・そしてそれは何故かも、しっかり見極めないといけません。

世界が複雑化したのではありません。
冷戦期の世界は、ある程度いつもこうでした。
私たちが、前よりも多くの情報を手にし、多角的に考えるきっかけを手にしたという幸運の一方で、もっと身近にこれらのことを考えなければならないほど暴力行為のただ中に自ら身を投じていってしまう政権を持ってしまったという不幸によるものです。

もうサッカーから帰って来たので、文章を見直す暇もなく、、、これにて失礼します。

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11月13日金曜日深夜
劇場内の死者は118名だったので、合計140人の犠牲者が出ている模様。
<=報道によってばらつきがあったが、実際の死者数は120名だったが、病院で亡くなっている人もいるので増えていく可能性がある。

心からご冥福をお祈りします…。本当に悲しく、悔しい。そして、この後起こりうる様々な暴力的な反応に。それは更なる暴力を確実に生むから。911とその後の対テロ戦争が何をもたらしたのか。暴力の連鎖を断ち切らないと。

11月14日土曜日午前
私も昨夜から考えていました。同時進行するシリアでの空爆による無差別殺戮の死者、パレスチナの若者たちの処刑…我々はなぜ同じように嘆き悲しみ弔わないのか、と。命・死の重みを同じに受け止める先に、この仕組まれた分断と暴力を乗り越えるヒントがあると思います。

11月14日土曜日午前
こういう時に勇ましく言ったりやったりするんでなく、日常を紡ぎ続けるのもすごく大事。一人ひとりが平和を望み、命を想い・育み・悼む普段/不断の努力、向こう側の誰かの苦悩・嘆きと喜びに共感し輪を広げる試み、鋭い批判と深い洞察で見抜く力こそが、絶望の淵の希望だと…。

11月14日土曜日夜
パリ攻撃が、報復やフランス/西欧社会の不安定化だけを狙ったものだと捉え、反撃の為大掛かりな暴力を準備するのであれば、911後のプロセスを悪い形で上書きすることになるだろう。首謀者とその背後にいる人々・構造にとってこの「反応」を引き出す事こそが目的。更にこれを期待する産業がある。

11月15日日曜日午前
ああ…思った通り、フランスは挑発に乗り、シリアを報復攻撃…。ISILの拠点を攻撃というが、子どもだって女性たちだって住んでいる。これこそが、パリ襲撃事件の狙いであり、まんまと策略に嵌る。テロ再発を予防したいのであれば、報復は戦略として妥当でないのは明らか。

11月15日日曜日午前
結局、フランス政府が守りたいのは「市民」ではなく、「メンツ」であったことが露呈。世界の我々も、「フランス国家に連帯」ではなく、「パリの犠牲者を含めた理不尽な加害・犯罪の犠牲者に哀悼と連帯」であるべきだった。フランス国家に被害者としての正当性だけを与える事に。

11月16日月曜日夕方
ほらね、どんどんきてる→「フランスオランド大統領は「大統領権限を強化するため、憲法の一部改正を求める」と」 911後のアメリカと同じだが、展開が非常に早い。未だ3日目なのに。事件の背景要因分析・対策検討すら不十分のまま、なし崩し的。

11月16日月曜日夕方
本当に仏市民を守るのを優先するならまず原因特定が必要。急ぎの安易な復讐は新たな危険を招くだけ。これ程急ぐのは対ISILではなく、仏国民や国際世論が好意的な内にやりたい放題に着手しておきたい。その心は「(パリ攻撃は)仏政権のシリア攻撃のせい」との批判を回避。

11月16日月曜日夕方
これに騙されるフランスの議員や市民は、新たな犠牲を覚悟するしかない。最も古い民主主義国の市民としての力量が試されている。為政者がナショナリズムを煽る時、大抵よからぬ政治的意図がある。自らの問題の隠蔽か、挑戦者を抑え込みたい。戦争に向かった時と今の日本がそれ。

11月16日月曜日夕方
あるいは、見えないところで準備されていた「何か」のせいという可能性は払拭できない。冷戦期から現在まで、世界で起きる「事件」の背後には、表面上で見えるより、もっと複雑で多様なアクターが関わるより大きな意図や利害が作用していることが多い。これが例外とは言切れず。






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by africa_class | 2015-11-17 03:39 | 【学】戦争/紛争/暴力・平和論

今、共に「沖縄の自己決定権」について知り、考える(1):沖縄/琉球、薩摩と私

ツレが日本から大量の荷物を持って帰って来た。
大地を守る会で買った熊本の無農薬玄米、豆腐を作る為のニガリ、お団子を作るためのクズ粉…。しかし、大地で扱っていないため、ぬかと麹を注文し忘れ、昨夜味噌をつくったら、もうなくなってしまった…。麹なしに我が家の料理は貫徹せずなので、苦境だ。

さらに、実家からも大量の荷物が。私の母から息子へのオヤツやパジャマ、私に5本指ソックスと腹巻き(日本でしか買えない!)、そして家族のために「ムラサキ醤油」が…。

これは九州の人にしか分からないと思うが、醤油は甘くなくてはいけない。

千葉出身の若者に「薄口醤油」を買ってきてと頼んだ時に、「え?醤油に濃口と薄口あるんですか?」と驚かれたが…あるんです。関西(特に京都)の人間にとって、「薄口醤油なしの食生活」はあり得ません。さらにいってしまうと、関東の醤油は塩味がキツく、出汁っぽい味がしないのが辛い。

が、鹿児島出身の母と京都出身の父というあり得ない両親のミックスとしては、「ムラサキ醤油」も「薄口醤油」も「濃口醤油」も必要なので、キッチンの棚にはやたら醤油の瓶が並ぶのだが、遊びに来た人に料理の際「醤油とって!」と軽く頼むと、皆驚き、「え?何?これ?どれ?!」となる。

さて、ツレが持って来た90キロの荷物はこれらで終わることがなかった。
(多分、彼の宿泊していたホテルは驚いたことだろう。日本全国からあらゆる小包がたった2泊の客人のために届いたのだから。しかも、ツレがあまりに忙しかったため、わざわざ段ボール箱に梱包してくれたほど…日本のホテル、万歳!)

届いたのは、沖縄県からの小包と、東京の本屋屋からの小包。

その両方の小包に、本が一冊ずつ入っていた。
奇しくも、同じ時代…19世紀末の琉球の話が載っている。


琉球新報社・新垣毅(編)(2015)
『沖縄の自己決定権:その歴史的根拠と近未来の展望』高文研

松下志朗(編)(2008)
『南西諸島資料集(第二巻):名越左源太』南方新社


前者は、このブログの読者の方がわざわざ送ってくださった本。

後者は、ずっと前からほしかった本で、沖縄で起きている事態を見ているうちに、大学時代にやりかけて途中で放り投げてしまったことを、そろそろ少しでも何かを始めた方が追いと思ったからだった。その理由の一つとしては、先日母方の叔父が急逝してしまって、最後の大叔母も長くないかも…さらに叔母が入院…とあって、いよいよまずいと焦ったのもあった。

これまでも、沖縄の皆さんとの交流は、色々なレベルであった。10回は訪ねた大好きな地域。だが、本当の意味で交流らしい交流が始まったのは、実はこの2ヶ月のことであった。ブログに以下の記事を投稿してから、沖縄の多様な層の方々からご連絡を頂き、少しずつであるけれどやり取りをさせてもらっている。

その中で、わざわざ沖縄から『沖縄の自己決定権』を送って頂いたのだった。

2015年9月22日:

翁長知事の国連人権理事会でのスピーチ&日本政府代表の反論+所感(分析にかえて)

http://afriqclass.exblog.jp/21666952

自分でもその反響に驚き、未だにその理由が理解できていないのだが、今度沖縄に行く時に、皆さんとの交流の中で色々教えてもらおうと思っている。

前回2014年は体調のこともあり、5日ほどしかいられず、辺野古も高江も駆け足でしか行けなかったが、出会う人出会う人に沢山の話を聞くことができたことは本当に貴重な経験だった。また、共同編集していた日本平和学会の本の表紙用に高江に掲げられた「命どぅ宝」の写真を撮影でき、以下の協議会で親川志奈子さんのお話を聞けたことは、なんという幸運だったろう。彼女の話は議事録で確認できるので、以下の外務省サイトで是非。

平成25年度(2013年度)NGO・外務省定期協議会
「第3回ODA政策協議会」

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/oda_ngo/taiwa/oda_seikyo_13_3.html
(2)外務省・JICAにおける先住民族に対する政策のあり方について
  【親川 志奈子 Okinawan Studiese 107】
  【和田 充広 外務省 国際協力局 NGO担当大使】

さて、頂いた『沖縄の自己決定論』。あまりに面白くて、一気読みした。
特に、冒頭からの近現代史の部分は、推理小説を読んでいるようなそんな疾走感があって、自分が知っているはずの史実の問題が別の角度からどんどん暴かれていって、ストーンと落ちるものがあった。

歴史や歴史小説が好きな人は日本に山ほどいるので、そういう人にも気軽に手に取ってほしい一冊だ。私の幼少期には、「ヒミコの墓はどこ?」「邪馬台国は奈良か、北九州か?」「豊臣秀吉の隠した財産はどこ?」等という本が、山ほどあったのだが、同じ位の熱意を持って、この本を手に取ってほしい。そういう間口の広げ方は、凄く重要だと思う。

大丈夫。
この本の紹介はそこで終わりではない。

この本は、今、暴力的に辺野古に新基地が作られようとしている正にその瞬間だからこそ、読まれるべき本である。琉球の歴史を十分に知る機会がなかったかもしれないウチナンチュー(沖縄以外にいる人びと、世界のウチナンチューも含む)、そして、とりわけサツマ(鹿児島)の人たち、沖縄以外の人たちに読まれるべきものである。

なぜなら、今歴史が繰り返そうとしている、まっただ中に私たちは生きているから。
そして、私たち一人ひとりが、過去は変えられないとしても、そしてその自覚がないにせよ、今と未来は変えられるだけの力を、本来持っているから。

今なら、未だ間に合う。
この過ちを止めさせるのに。
でも、この後は間に合わないかもしれない。

だから、まず私たちは、かつて沖縄/琉球で何が起こり、それは何故だったのか、現在にどのように繋がっているのかを、どうしても知らなければならないのだ。

琉球「処分」という言葉が指すように、「誰が誰を何の権限を持って処分したのか」、今でもその「処分」という言葉を使い続けることは妥当なのか?なぜ、1世紀以上が経っても、未だにあれをカッコなしで琉球処分と、書き・話すことができるのか?

それ以前に、なぜ薩摩藩がとんでもない重税を琉球の人びとに課し、徴税できたのか?
なぜ、琉球王国内にあった奄美大島は薩摩藩直轄になり、今は鹿児島県なのか?

なぜ、朝鮮半島への侵略と植民地支配は、「併合」等という言葉でもって未だに説明されるのか?
なぜ、安倍総理は今年夏の談話で、戦争の加害はわずかでも言及し詫びたのに、植民地支配についてはまったく言及しなかったのか?

(この点は以下のブログ記事で紹介してます)
http://afriqclass.exblog.jp/21548918/

私たちは何一つ、知らなかった事に、問いすらもとうとしなかったことに、今更気づくのである。
知らないでいられたとしたら、それは支配する側、つまり歴史を記述する側にいたからであり、あるいは被支配を見えなくされていたからである。

この本は、あるいは近現代史を琉球・沖縄の視点で見直した時に、まったく地平が立ち上ってくることに気づくだろう。それはとても苦しいことであるが、同時に、この戦後最悪の政治状況において、一筋の希望でもある。

「知らないでいること」…で責任を逃れようとしがちな私たちである。
特に、都合の悪そうな事実からは、目を背けがちである。


しかし、「知ろうとしないでいること」自体が、「加害」であり「罪」であり、責任を伴うことを(無作為の作為)、今ここで理解しないとすれば、取り返しがつかないことになるだろう。それは、「沖縄/琉球」と自分との関係においてだけのことではなく、このままいくと暴力的支配の構造が日本全体の下から上までにはびこって、再び大規模な愚かな過ちを繰り返すことになるだろう。

このことは、既に別の記事で書いた。
■大学生のスピーチに思う。「名を伏せた者たち」が進める全体主義の今(その1)。
http://afriqclass.exblog.jp/21484478/
http://afriqclass.exblog.jp/21487530/

沖縄の皆さんは身体をはって、これを止めようとしているのに、私たちはあまりに無自覚すぎる。翁長知事が、春先、菅官房長官に対して「問われているのは日本の政治なんではないですか?」という趣旨のことをいっていたが、まさにそうなのだ。問われているのは沖縄ではなく、私たちだというのに、依然としてその自覚すら十分ではない。

でも、今なら間に合う。
しかし、その最後の段階に入りつつあると思う。
そのことの理由は別に書く。
だから、多くの皆さんにこの本を手に取っていただきたく、章立てを紹介する。

『沖縄の自己決定権:その歴史的根拠と近未来の展望』

*沖縄は、なぜいま、「自己決定権」を求めるのか
I. 琉球の「開国」
 1. ペリー来航と琉球
 2. 列強各国・中国・日本と琉球

II. 琉球王国ー「処分」と「抵抗」
 1. 「処分」の起源とその過程
 2. 手段を尽くしての抵抗・急国運動
 3. 「処分」をめぐって

III. 沖縄「自己決定権」確立への道
 1. 国際法から見る「琉球処分」
 2. 「琉球処分」をどう見るかー識者に聞く
 3. データでみる沖縄経済
 4. 経済的自立は可能かー識者に聞く

IV. 自己決定権確立へ向かう世界の潮流
 1. スコットランド独立住民投票を見る
 2. 非核、非武装の独立国・パラオ
 3. 沖縄を問い続ける国連人種差別撤廃委員会

V. 「自治」実現への構想
 1. わき起こる住民運動
 2. 「自治州」から「独立」まで

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内容については、あまりに息子の作業がうるさいのと、一個記事をあげたばかりなので、今日は無理な感じ。先にこの本を紹介したかったのだけれど(今の緊急性を考えて)、フレイレの書いたことを紹介してからが良いと思った。その理由は、また今度書く。

なお、私がこのブログで、「学者らしく」プレーンな解説に徹するということをせずに、延々と日常や思い出話がおり混ぜているのには理由がある。ウザい人たちが多いだろうが、それがウザい場合は、どうか学術論文や本の方を参照してほしい。あえて、こういう書き方をしているのは、「一私人として、何をどう感じたから、どう書いたのか」の舞台裏まで見せてしまうことで、「遠いどこかの先生のおっしゃるクールな有り難いお話からお勉強しよう」という受動的な読み方をするのではなく、皆さんの隣の誰かの日常的・思考的な試行錯誤を知ってもらうことで、何かもっと身近なレベルから主体的に考えてもらうきっかけに(それが反面教師、あるいは批判であっても)、なってほしいと思うから。

その理由は、先ほどフレイレの『被抑圧者の教育学』の記事で是非。

今、再び『被抑圧者の教育学』を読む(その1)〜若者/「抑圧なんかされてない」「飼いならされた」あなたへ

http://afriqclass.exblog.jp/21839228/

または、以下の投稿。
長い夜にブレない生き方について考える〜ガンジーの「ノー」の価値論と「五日市憲法草案」、そして沖縄
http://afriqclass.exblog.jp/21326990

さて、何故私が「南西諸島史料集」なるものを同じタイミングで手に取ったのか、何故あの「所感」を書いたのかを、紹介しておかねばならない…と思って、書き始めたのだが、さすがに1日二つの記事は書けそうになく、これにて失礼するしかない感じ。まったくすみませぬ。



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by africa_class | 2015-11-16 06:19 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

今、再び『被抑圧者の教育学』を読む(その1)〜若者/「抑圧なんかされてない」「飼いならされた」あなたへ

お待たせしました。
パウロ・フレイレの不朽の名作『被抑圧者の教育学』です。

(誰も待っとらんわい、と聞こえてきそうですが…)
(*時間のない人は最後のメッセージだけどうぞ)

そして、私の我が侭を聞いてくれるのであれば、マリア・ベターニャの「朝の鳥/1977年」を聞きながら読んでほしいのです。意味が分からないとしても。

Pássaro da Manhã/1977 - Tigresa - Maria Bethânia


新訳本を出された三砂先生が、「日本においても、開発・発展・国際協力といった分野に興味を持つ人に取ってはマスターピースと呼ばれるような一冊となっているし、教育、医療、演劇、貧困、差別等の多くの分野で人間の解放と自由について考える人たちに大切にされてきた」と紹介しています(311頁)。

それにしても、前回更新からエライ時間が経ってしまいました。
というのも、またしても体調不良を起す中で、ツレが出張に行っていたり、ゲストラッシュが続き、さらに通い猫のニャーニャに未だ子どもなのに(!)5匹の赤ちゃんがいたことが発覚し、ついでに庭と畑の収穫と冬支度が同時進行し、断片的にしか思考できなかったためです。

しかし、少し元気になると、次々に「前世」の約束が追いかけてくるのは…辛いですね。なのに、新しい約束が、思っても見ない人びと・レベルからプレゼントのように手渡されると、なんとも嬉しさよりも悲しさが募ります。あ〜あ。。。この日本社会での「借金状態」を、なんとか今年度内に片付けたいと心から思っています。皆さん、すみません…。

で、まだ難しいものを書く元気がないのと、息子が突然始めた古家(築100年)の床の研磨がうるさく…でも、耳栓して本の紹介ぐらいできるかな…ということでいくつか紹介を。

底本は、三砂先生の新訳で蘇った以下の本です。
パウロ・フレイレ(三砂ちづる訳)『被抑圧者の教育学』亜紀書房
Paulo Freire "Pedagogia do Oprimido" 1968.


フレイレを少し紹介。
三砂さんのフレイレと本の紹介、翻訳の苦労(ノルデスチ話法とアカデミック記述の合体というらせん構造)、そして先生自身のノルデスチでの母子保健協力の実践が「ヒューマニゼーション」という考えに到達したプロセスを書いた「あとがき」は、とても良いので是非一読を。

1921年ブラジル北東部(ノルデスチ)ペルナンブーコ州レシフェ市生まれ。法学部で法律を学び、弁護士に。その後、地元レシフェ市で文字の読み書きができない貧しい農民たちに、自己変革とそれを通じた社会変革のための「意識化(conscientização)」の手段として、識字教育を奨励し、社会的に大きな変革の兆しをもらたした。その結果、1964年の軍部によるクーデーターで、国外追放となり、亡命生活中にこの本を執筆する。その後、UNESCOで識字教育推進に関わる一方、ブラジルの民政移行に伴い、サンパウロ市の教育長等を歴任し、スラムでの識字時教育を推進。

教育実践、教育学だけでなく、開発、保健医療、政治など多くの分野に影響を与えた。エンパワメントの概念・言葉は、彼によるもの。


なお、この本のタイトルが「教育学」という点で、多くの人はひいてしまう、自分に関係ない本と受け止める可能性がありますが、実は、内容はそれを超えています。私も、学部生の時代に手に取る際に躊躇したのはそれが理由でした。それでも何故読んだかというと、当時どこにいっても多くの人がこの本を言及していた、ブラジル人が書いたものなのに知らない訳に行かない…という消極的な、悲しい理由によるものでした。が、いかんせん、三砂先生も書いてらっしゃる通り、読み進めるのが難しい本…です。そこは、三砂訳が楽にしてくれているので、是非新訳をお手元に。

さて、誰に読んでほしいか?
1. 街角に出始めた(出ようかと思う)若い皆さんに、

本の扉に書いてあるフレイレのメッセージを読めば、今の日本のとりわけ若い皆さん、街角に繰り出した皆さん、繰り出そうか出すまいか悩んでいる皆さんが読むべき本であることが理解されると思います。

「この世界で、引き裂かれている者たち、抑圧されている者たちに、この本を捧げる。そして、引き裂かれている者たちを見いだし、彼らと共に自らをも見いだし、共に悩み、共に闘う、そういう人たちにこの本を捧げる」

2. 日本社会の最前線で活躍するミドルズ、「被抑圧者」なんかじゃないという方々に、


そして、次の文章は、日本社会の最前線で活躍する皆さん、自らの生活に必死で本なんか読んでられねーよ、という皆さん、あるいは私は「被抑圧者」なんかじゃないから関係ない、という皆さんにも、これが必読書であることを示していると思うのです。

(8頁)
コースの参加者が、「意識化することは危険だ」という言い方で、「自由への恐怖」を表すことが、本当にめずらしくなかった。「批判的意識というのは、なんというのかな、それはアナーキーで危険のことのような気がする」


3. 「被抑圧者の意識化なんて、危険だ!」と考える皆さんに


あるいは、週末に起きたパリでの同時多発「テロ」を見て、被抑圧者の「意識化」は危ないことである。過激派思想を生み出すと主張する人たちに、45年前にフレイレがどういっていたか知ってほしいと思います。

9頁)
「不正な状況があるとしても、その状況の下で苦しんでいる人たちがはっきりとその不正の状況を"認識"しない方がよいのではないか」
、となる。

(しかし、)人びとを「破壊的な狂信」にかりたてるのは、意識化ではない。意識化はむしろ逆に、人びとが主体として歴史のプロセスに関わっていくことを可能にし、狂信主義を避けて一人ひとりを自己肯定に向かわせる。


「意識化によって社会的な不満を表現する道がひらかれるということは、こういった不満が抑圧状況のうちにはっきりと現存する、ということを示している」

これは、重要なことです。「自己肯定」を切実に必要とする被抑圧者らが、歴史において、日本でもドイツでも世界でも、どのような破滅行為に邁進していったのか、自分より「劣る他者(集団)」をスケープゴート化することで、いかに「偽りの自己肯定感」を得ようとしたのか。それが、今再び、日本で蘇ろうとしている現実を目の当たりにして、よけいにそう思います。

4. 戦争を経験しなかった今世代の皆さんに
あるいは、「飼いならされてなんかおらん!」と憤慨する皆さんに

私たちが向かうべきは、自己肯定感を持てないような家族・社会・国家・世界のあり方であるにも拘らず、それを社会課題として昇華させないで分断された個人のそれぞれの内面に深く刻み込むことで、支配する者たちの言いなりになる人の群れが準備され続けてしまう。つまり、「飼いならされた人びと」の創出・・・が、この本の最も挑戦しようとしている点です。

その意味では、日本の戦争を経験しなかった世代のあらゆる人びとにこそ、この本は読まれるべきだと思います。

日本は、近現代史において、「権力による飼いならし」は無縁の経験ではなく、その行き着く先が一連の戦争でありました。多くの戦争経験者は、これに気づき、自らの思考を転換させていきました。しかし、その世代の大半は、もはやこの世におられないか、引退されてしまいました。そんな重しがなくなった途端、かつての日本の風潮が戻ってきて、今「飼いならし化」が再び強まっており、気づかない間に社会・日常のあらゆる場面で「刷り込み」が進んでいます。

が、おそらく「飼いならされてる」なんて、失礼な!と憤慨してらっしゃることでしょう。だとすれば、是非この本を批判するために読んでほしいと思います。


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が、その前に・・・!
キー概念である「意識化」、そしてその後の「エンパワメント」とは?

この説明は本にないので、ここを理解しないと、全然通じないので、以下私の経験も含めて紹介しておきます。

日本の大学・大学院で国際協力に関心のある日本の学生を教えていると、必ず皆「エンパワメント」という言葉や概念に触れ、首をかしげながらも、惹かれて、やたら多用します。

私は、これを勿論良い事と思って、眺めます。
ただ、質問はします。
「エンパワメントって何?」
そうすると、大抵の場合、フリードマンの引用をスラスラと言ったり、書いたりしてくれます。
その時、フレイレまで遡ってくれるのなら、もう言う事はないのですが、大抵そうではありません。知識として、フリードマンにインスピレーションを与えたということは知っていても、何故そうなのか…までは行き着いていません。

なので、次のような質問を投げかけると、途端に皆立ち止まってしまいます。

「エンパワメントって、あなたの今の状態において、どういう関係性を持つ?」
「あなたはエンパワーされている状態?だとすれば、どういう状態にあるの?その理由は?」

ここでスタックします。
それでいいのです。
日本で「フツー」の学生生活を送ってきた人なら、このような問いに答えるだけの経験をしていないと感じるのが当然ですし、考えたこともなかったというのが一般的なのですから。とても幸運なる育ちをしてきた人といえるでしょう。あるいは、エンパワメントされうる存在として考えた事がないほど辛い人生だった…ということかもしれません。

「途上国の女性、あるいは貧困者のエンパワメント」
の問題に惹かれるものの、何故自分がそのテーマに無性に惹かれるのか分からない日本の女学生は非常に多いです。それらの人たちは、自分は「良い立場にいて」、「エンパワーされなければならないのは自分ではなく彼女たちだ」という前提があります。

その論理の底辺に重要な役割を果たすのが、「経済的な貧困」です。1日1ドル(1.2とか1.5とか2とか)以下で暮らす人びとである以上、これは「エンパワー」された状態とはいえず、だから経済成長による「エンパワメント」が必要だ、と…。(この論理の飛躍については、さすがにあまりないと思っていましたが、最近国際開発分野の博士後期課程の学生の書いたものを読んで、さすがに驚いたため、一応書いておきます)

多くの善良なる日本の若者が、アジアアフリカラテンアメリカの「貧困」問題に関心を寄せ、「貧困者のエンワメント」のために、自分が何かしなければ!と考えていることは、素晴らしいことです。私もかつてそうでした。その想いが、世界の中でも所謂「途上国」にばかり足を運ぶ契機となりました。

しかし、そこで私が気づいたことは、「他者のエンパワメント」を語るには、「deprived(権利剥奪/デパワーされている)状態」を理解しなければならない・・・つまり、その人を取り巻く社会政治経済構造を掴む必要がある、そしてそれは多くの場合不可視化されており、かつ文化・慣習によって本人自身がそれを甘受している状態にある・・・ということでした。そして、その論理でみていったときに、日本の私たちが、果たして「エンパワーされた状態」といえるのか、そもそも自分たちの置かれた政治社会経済の構造下の状況を、「剥奪」と呼ばないまでもどこまで理解しているか…という問いに打ち当たりました。

つまり、フレイレが書いているように、「意識化」(気づき)の問題、つまりは「剥奪されている状態」の構造的な把握と、それを変革せんとする意思を抜きに、エンパワメントは語れないのです。

日本語の「意識化」では、これが上手く伝わりません。
かといって、ポルトガル語さらに意味が伝わりません。
自分なりの言葉で補うならば、
「自己の考え・生活に内包されてしまった社会的・政治的・経済的な構造や矛盾を理解し、それらの構造を変える変革主体として目覚めること」
とでもいいましょうか・・・・。
私も、もう少し考えてみます。

おそらく、私が個人として「世界に出て行って、困っている人を救う」ぐらいの勢いでいたのが(恥ずかしい…)、ガラリと変わったのは、1991年のブラジル・サンパウロのスラムでのHIV/エイズと共に生きる人びとと過ごしたボランティア活動の経験によってでしょう。

今から思えば、本が出て未だ22年しか経っていない時期で、民政への以降直後で、すでにフレイレはブラジルに戻ってきていました。サンパウロ市政は、極めて革新的で、フレイレも教育長を務めましたが、保健衛生分やでは感染者・患者の主権に沿った行政を展開しようとしていました。それを促すだけの市民の運動があったのです。

その後、予算配分を住民が決める方針など、住民主権や自治体の「自治」等先駆的な政策がブラジルの一部の都市で展開していき、最初の世界社会フォーラムをホストするなど、ブラジルの市民・社会運動は、世界的に大きな役割を果たして行くことになりますが、私は本当に偶然にも、ただ「途上国での生活をしたい」&「ポルトガル語が使われている国に留学したい」という単純な理由で、ブラジルに行き当たり、そして民政後の躍動するブラジル社会の様子に触れることが出来たのでした。

ブラジルには、私の居場所がないことを知って、一抹の寂しさを覚えたことは事実ですが、他方でなんともいえない感動を感じました。勿論、当時も今でもブラジルに問題は山積していますが、ブラジル人が解決するだけの主体として既に立ち現れていたし、それが試行錯誤の長い道のりだとしても前に進んでいくものと思われ、そこに私が果たせる役割はないな、と思いました。(勿論、実際は違ったかもしれませんが)

私は、学生たちが大学の有償化政策に反対して行ったデモに参加した時に、特にそれを感じました。言ってること、掲げているプラカードは限りなくラディカルなのに、まったくカーニバルのようなお祭りっぽい、楽しい様子で、老若男女が歩いているのです。勿論、皆がリズムを様々な楽器や即席楽器(コカコーラの瓶や缶を棒やナイフで叩く)で刻み、繰り返し繰り返しシュプレヒコールをしながら練り歩く。

日本でも、原発反対のデモでも当たり前になったあの光景は、1991年のブラジルで既に日常でした。

それを、経済的な成長の成果だ、という人がいます。
日本の援助のお陰だ、とも。
しかし、労働党政権が2003年以来政権の座についている事実を、表面上で理解するとしても、社会に通底する主権意識の定着(意識化/エンパワメントの成果)抜きに、今のブラジル政治・社会は語れないと思います。
そして、その点において、日本の官民がブラジルにしたことは、多くはないこと、時に軍事政権側についていたことを、忘れるべきでもないでしょう。

サンパウロのスラムの集会所で寝泊まりしていた時、そこが集会所であるが故に、あらゆる人がやってきて私と話をするわけですが、いつも彼らは「お前はどう思うんだ?」と聞いてきました。勿論、米国やヨーロッパに行っても、同様の質問をされます。しかし、決定的に違ったのは、その先があったということです。
「お前は、どういう経験から、そういってるんだ?」

当時、20歳か21才でしたが、その言葉に答えるだけの経験など持っておらず、彼らの過酷な人生に比べれば、取るに足らない経験ばかりで、なんと答えていいやら・・・でも、彼らがいわんとしていたのは、経験の過酷度のことではなく、「私が、何故そのように考えるに至ったのか?」という「社会の中で生きる主体としての私の気づき」を問いたくてのことだった、と後々気づきました。

そこから私は、学術的な論文でも、「it is said」を使うのをやめました。そうやって容易な手法に逃げるのを。
「私の言葉」で語ることを、そしてそのために、「私としての経験」を紡いでいくことを、していこうとしました。そして、サンパウロで目の当たりにした、HIV/エイズと共に生きる人びとが、それまで家族・社会・自分自身から疎外され、隠れて生きていたのを、自ら起ち上がり、互いに連帯し、他の人びとと連帯していくプロセスの中で、社会政治を変え、社会全体に夢と希望を与えたプロセスを、決して忘れないようにしようと思ったのです。

これらの当事者運動が様々に勃興し、連帯し、ブラジル社会と政治を変えて行くプロセスがありました。しかし、為政者となった運動主体たちが、どうなっていくのかは、ブラジルでも南アフリカでも、今鋭く問われていますが、それに対抗する運動もまた過去の経験を踏み台に新たに始まっていくのだな、と思う毎日です。

フレイレの実践と本がこれらにどの程度、直接・間接的な影響を及ぼしていたか・・・については、私は十分知りません。ただいえることは、1960年代という重要な画期に、彼が行った様々な実践や本を通じての共有がなければ、ブラジルだけでなく世界の多くの人びとの「エンパワメント」は、もっと時間がかかり、もっと違ったものになった可能性があると思います。

しかし、そのような恩恵について、日本の私たちが十分それを自らのものにしようとしたか、というとここは疑問です。今でも、「エンパワメント」という言葉が、カタカナ以外で置き換えられないように、「意識化」がどうしても「内面的な気づき」に終始した理解で限定されてしまうように、私たちは依然として、「フレイレ前/解放の神学の前のブラジル」と同じ状態にあるといっても過言ではないかもしれません。

その意味で、1日1ドルの「貧困者」が、個人として1日3ドルの収入を得るようになったからといって、「エンパワーされた」といわないことについて理解されないこと、「政治」を抜いたところで貧困と開発の問題を語りたがる日本の関係者の存在は、不思議な事でも何でもないのです。

アフリカの農民組織を、「政治目的のアソシエーション」ではなく「経済理由での結合のコーペラティブに昇華させるのが援助の役割」とおせっかいを焼きたい日本の善良なる援助関係者の皆さんは、フレイレ後に生きる南の農民たちの「意識化」「エンパワメント」の試行錯誤をまったく理解していないばかりか、それを阻害している現実すら見えないことを露呈させています。これは、アフリカ諸国の為政者らにとって、とりわけ農民運動によって権力の座に押し上げてもらったいくつかのアフリカ政権にとって、とても都合の良い事であることもまた、おそらく理解せぬまま、「アフリカ政府(農業省)の要請による、政策による」といって、お墨付きを得た援助と主張されることでしょう。他方のアフリカのいくつかの国の権力者にとっては、口うるさい、しかし人数の多い農民組織を分断し、「デパワー」するために、これら「善良なる援助者らのおせっかい」を利用せんと、「経済だけが目的の農民の結合体」づくりをもっともらしく掲げ、それにカネまでも出させるという試みをやっている訳ですが…。

政府がやることは「政治抜きのこと」であって、政府のやっていることに反対することは「政治」と考える日本では、到底エンパワメントを本当の意味で理解する日はこない可能性があるわけですが、エンパワメントを本当の意味で理解する若者が一人でも増え、自らの社会の変革に取り組む糧となれば、と以下本を紹介します。
(前置きがエライ長くてごめん・・・まあいつものことだが)

が、忠告。
本を図書館で借りる、あるいは買って、全文読んで下さい。
あくまでも、気づいた点の抜粋です。

この本の章を紹介します。
序章
第1章:「被抑圧者の教育学」を書いた理由
第2章:抑圧のツールとしての"銀行型"教育
第3章:対話性について
    ー自由の実践としての教育の本質
第4章:反ー対話の理論


みて分かる通り、ドンドン手強くなっていくのが分かるかと思います。
なので、全部を一度に紹介するのは・・・断念しました。
まだ本調子でない私には、荷が重すぎますので。。。。

今日は、前章の説明をしており、そこで終わりにします。
なお、三砂先生の訳は間違いなくすばらしのですが、やや伝わりづらい点があるので、所々補足を()で入れています。特に、ポルトガル語は主語を省きがちなので日本語と同じなんですが、こういう場合は補足した方が読み手に読みやすいので、いちいち補足しています。

(10頁)
自由への怖れをもっている人の多くは、その怖れを意識しておらず、そんなものは存在しない、として直視しない。心の底で自由を怖れている人は、危険な自由よりも日々の安定に隠れようとする。

しかし、実際には、(…)巧妙なやり方で、無意識のうちに、この自由の恐怖をカモフラージュしてしまう傾向のほうがむしろ強くなっている。(ある人たちは、)自由を擁護するふりをして、自由を怖れないかのようにとりつくろい、作為的な言葉を広げていく。

こういった人たちは・・・自由の守り手であるかのような、深くまじめな雰囲気(を醸し出す)。こうなると、自由というものが、現状維持(されるべきもの)ということに見えてしまう。

だから意識化というプロセスを通じて、(この)現状維持に(は)問題がある、ということが議論され(始め)るようになると、(これらの人たちによって)本来(真の意味で)の自由はつぶされ始める。


この後、セクト主義や狂信性の問題が延々と続きます。
恐らく、全共闘時代の方々でも嫌気がさしてしまうような記述の仕方かもしれません。
しかし、今の日本で何らかの運動や活動をしている人たちには、是非読んでほしいです。これは、所謂「左」でも「右」でも、宗教でも同じです。

もう一点、注意してほしいのは、フレイレが「ラディカル」という言葉を使っている点です。
これを「過激派」と間違って捉えられる危険が出ているので、あえて書いていますが、ここでいうラディカルは「根本的な理解に基づいた革新的な行動」というニュアンスのもので、もっと広がりのあるポジティブなものです。訳が難しいので、三砂先生も「ラディカル」のままで記載されています。

決して、「過激派思想」と混同しないように!それを避けるために、延々とセクト主義批判が展開されています。一点だけ、手がかりになる文章があるので引用しておきます。

(12頁)
セクト主義は狂信性に基づいていて、結局いつも人間の思考を骨抜きにしてしまう。
ラディカルであるといことはセクト主義とは違う。
ラディカルであることは、常に批判されることを怖れず、批判によってより成長していくものだから、創造的(クリエイティブ)なプロセスである。


セクト主義は神話的ともいえる内向きの論理で構成されるため、人間を疎外していく。
ラディカルであることは批判的であることだから、人間を自由に解放する。
自由とは、人間が自ら選んでそこに根をもち、はっきりとした客観的な現実を変革するための努力をし、その状況により深くコミットして行くことではないだろうか?


私は、ここのこの本でフレイレが言いたいことの多くが含まれていると思います。

(15頁)
(右であれ左であれセクト主義は)未来を立ち上げるどころか、両者ともに「安全なサークル」に閉じこもり、そこから外に踏み出すこともなく、自分なりの真理に安住してしまう。未来を作り上げるために闘い、未来の構築のリスクを負う、といった真理とは違う。


最後のメッセージが、私は好きです。
1968年秋に亡命先のチリ・サンチアゴで書かれた序章ですが、今特に街角に出ようかどうか迷ている若い皆さんに読んでもらいたい文章です。

(16頁)
世界と対峙することを怖れないこと。
世界で起こっていることに耳を澄ます事を怖れないこと。

世界で表面的に生起していることの化けの皮を剥ぐことを怖れないこと。

人びとと出会うことを怖れないこと。
対話することを怖れないこと。
対話によって双方がより成長することができること。

自分が歴史を動かしていると考えたり、人間(他者)を支配できると考えたり、あるいは逆の意味で自分こそが抑圧されている人たちの解放者になれる、と考えたりしないこと。

歴史のうちにあることを感じ、コミットメントをもち、人びととともに闘う。

そういうことだけだと思う。


もう一冊どうしても紹介したい本があるので、フレイレ本の紹介(その1)はここまでです。
では、またいつか、次を・・・。



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by africa_class | 2015-11-16 02:45 | 【考】民主主義、社会運動と民衆