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4月9日(土)に「最終講義」を行います。

第一弾広報が届いたので共有します。

卒業生たちの提案力・行動力・結束力の凄さを思い知る今日この頃です。一応日時・場所・プログラムぐらいはお伝えしておいた方が良いだろうということで、共有しておきます。ゼミ生同士のネタ出しの結果がとても楽しかったです。あくまでもゼミは彼ら主体なんで、私はお手伝いに徹っします。「東京鬼ごっこ」というアイディアもあったようで、実際はこれが一番やりたいかもですが、次回企画で…。

「拡大ゼミ」では、悩める若者同士の素晴らしい出会いになるといいですね。社会と自分・他者との関わりについて考えるワークになるようですよ〜。(元ゼミ生らで案を練ってます)

私は講演の方を主担当。
そこは、音楽・映像・写真を使いつつ、世界史的展開の中におけるちっぽけな自己の奮闘を数々の過ちを含め、赤裸々に語ろうかと思っています。世界と日本にこういう「アホ」がいたと思ってもらえるだけでも、皆の日々とこれからの奮闘に何か寄与できることがあれば…。なので、学術=活動=日常=空想が螺旋状にぐるぐる渦巻く話になっていくこと間違いないので、学術トークを期待される方はまた別の機会に。

(第一弾広報)
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元東京外国語大学 舩田クラーセンさやか先生 最終講義

1.主催
東京外国語大学アフリカゼミナール&院生(2004年〜2014年)有志一同

2.日時 
2016年4月9日(土)
・一般向け最終講義:15時30分〜18時30分
・懇親会(どなたでも参加可能):19時〜21時

3.場所 Goblin. 代官山
東京都渋谷区恵比寿西1-33-18 コート代官山 B1F
(代官山駅から徒歩3分、中目黒駅から徒歩5分、恵比寿駅から徒歩7分)
URL http://goblinspace.jp/goblin-daikanyama/

4. タイムテーブル
13:00 拡大ゼミナール
     (若者向けの内容となります ※自分が若者と思う方はご参加いただけます)
15:00 一般向け講演会受付開始
15:30 一般向け講演会開始
18:30 一般向け講演会終了
19:00~ 懇親会

5.参加費
講演会・拡大ゼミ参加費 :2000円(学生:1000円)
懇親会参加費 :4000円(学生:2000円)
講演会+懇親会:5500円(学生:3000円)
※差し入れ・お酒持ち込み歓迎

6.参加申し込み
下記フォームよりお申し込みください
(4月8日まで受け付けておりますがお早めにお申し込みください)
https://ssl.form-mailer.jp/fms/fe25f1fa418312

7.ご質問
下記アドレスまでご連絡お願いします
Mail: africa_seminar2016@yahoo.co.jp
========

(以下は更新なし)
2013年度の終わり、病気が悪化し、ゼミを途中で放り投さざるを得なくなってもうすぐ2年が経過しようとしています。病気休職したものの、ちっとも病状が良くならない苦しい1年間を経て、思い切って大学を辞めたのが2014年度の終わり。ゼミ第9期生、10期生、11期生には、本当に迷惑をかけ、最後まで論文指導のできなかった大学院生達には本当に申し訳ない思いで一杯でした。

でも、京大からお越しになった島田先生、坂井先生の素晴らしいご指導のもと、皆立派に成長し、巣立っていくこととなりました。一番しんどい時に、休むこと&辞めることを快く認めてくださった先生たち(これにはアフリカだけでなく、ポルトガル語教員の仲間達も含まれますが)、学生の皆さんに、心から感謝申し上げます。

そして、長い冬にもようやく春のような兆しが訪れ、日によってばらつきがあるものの、後一歩というところまできました。ふりかえってみると、とにかく全てが止まった・停滞の2年でしたが、家族と友人、仲間達に支えられ、なんとか苦境を乗り越えることができそうなところまできました。みんな、本当にありがとう。

2年前にも、1年前にも、とてもやろうと思わなかった「最終講義」。
でも、これから先、当面日本で教えることもないだろうと思った時に、やはりケジメをつけたいなあと思うようになりました。現在、2016年4月9日に開催の方向で、元ゼミ生たちが準備してくれています。

元ゼミ生たちが私のあれやこれやの我が侭に協力してくれているのですが、私の中では途中で立ち去らなくてはならなかったゼミ生たちと「最後のゼミ」を、先輩たちの助けを借りながらやりたいと思っています。そして、ゼミ生以外の若い人たちと語らい合う空間も、お願いしました。ただそれは、「私=>若者」ということではなく、「アフリカゼミファミリーpresents」という形でできないかな、とお願いしています。

ファミリーといえば、私が大学に着任した時4才だった息子は今年16才。すでに、185センチを超える、足のサイズ29センチの大男(おっさん)となりました。初期ゼミ生たちにはあまりに衝撃でしょう。小さな頃から息子と遊び戯れてくれていたゼミ生たちは、結婚も出産もとにかく早く、続々と「孫」が産まれています。先日も、三期生から産んだ翌日に喜びの声を届けてもらい、若い人と関わる仕事というのはなんと幸せな仕事だったのだろう、と実感しているところです。そして、今日は家族同然の四期生(が出たのは何期じゃ・・・)彼から、結婚のお報せが。

そんなファミリーにも同窓会として是非活用してほしいものです。
ただ、後半は一般向けの講演会を予定しています。

というのは、私あえて授業で一方的にしゃべるというスタイルを排除してきたもので、本当は伝えたいこと沢山あったのだけれど、まったく伝えないできたからです。このことは既に何度か書いたので、繰り返しませんが、「問い」を投げかけて、共に考える方式をとっていたので、「先生さぼってるー」感が否めませんでした。なんか、授業構成も内容もすでに押しつけである以上、中身の進行まで押し付けるのはなんか「アカン」という重しがありまして、1年に一度だけゼミ生対象に講義しただけで11年を終えてしまったのです。

なので、これまた我が侭なんですが、「一方的に話す機会」を勝手に設けてほしいとお願いして、一般公開部分は一方的に講義します!といっても、多分無理なんで、後ろの方はざっくばらんなオープンなやり取りができたら、あるいは懇親会を設けてもらえれば、とこれまた注文をつけてしまったところ。

まあ、学生時代から「企画もの」については、びしばし指導していたので、大丈夫だよね?
とこれまた勝手に押し付けてごめん。
でも、参加した皆が後悔しないような、なんか未だかつてない楽しいものにしたいと思っています。

詳細は、会場とりが難航しているらしいので、それが決まったらまた告知します。とりあえず、4月9日の午後から夕方は是非私たちと共にお過ごしくだされば嬉しいです。若者で関心がある人は、「拡大ゼミ」を午後の早い段階でやると思うので、楽しみに。(ゼミ生でなくとも、外大生でなくとも、もはや学生でなくても、「若者」と思えば大丈夫)。





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by africa_class | 2016-01-27 22:20 | 【記録】講演・研究会・原稿

再び戦争に向かっていくモザンビークと日本の私たち

悲しすぎて、立ち上がれない。
UNCHR(国連難民高等弁務官事務所)は、ついにモザンビーク北部テテ州からの難民の流出を発表した。

2016年1月15日
「マラウイに到着するモザンビーク人の数が急増」
http://www.unhcr.org/5698dbff6.html

マラウィのムワンザ郡に、続々と難民が到着しその登録者数は1297人で2分3は女性と子どもたち。そして、900人が難民登録を待っており、さらにマラウイのより南方に400人近くの難民が到着しているという。そして、これはFRELIMO政府と最大野党RENAMOの間の紛争で生じているとされるが、このブリーフィングの記事に「未確認情報」としてではあるが、家を焼かれた難民らの証言として、政府軍関係者がレナモを匿っていると考えられた人びとを襲っていると書かれている。去年半ばより難民が到着し始めたが、ここにきて加速化した。


実際2015年半ばの時点で、2000人の難民申請者が確認されている。http://www.unhcr.org/pages/49e485806.html


政府軍関係者の襲撃については、Voice of Americaでも報じられている。去年の7月に始まった戦闘で700名以上がマラウイに逃げていたが、難民によるとミリシア(民兵)らによる大量殺戮から逃れているという。そして、新たに設置された難民キャンプに既に2500名が収容されているが、難民らはFRELIMO政府の兵士らがレナモ兵を匿っていると疑う親戚の家々を焼き討ちし親戚を殺していると話している。

2016年1月11日
「モザンビークの難民がマラウイに逃げている」

http://www.voanews.com/content/mozambique-refugees-flee-to-malawi/3139815.html

Refugees are entering daily at the newly established Kapise ll camp in Malawi's Mwanza district. It is home to more than 2,500 refugees. Refugees tell stories about people they believe are FRELIMO government fighters torching their houses and killing their relatives on suspicion of hosting RENAMO fighters. Flora Emberson is one of them.


かと思ったら、1月20日、RENAMO事務局長(国会議員)の暗殺未遂の一報が飛び込んできた。突然、武装集団に襲撃され、現在も重傷で護衛官は殺害されたという…。RENAMOのスポークスパーソンは、政府による「国家テロ」と批判。国家人権委員会は、これを強く抗議し、原因究明と武力紛争への影響を懸念する声明を出している。

http://www.dw.com/pt/secret%C3%A1rio-geral-da-renamo-manuel-bissopo-baleado-no-centro-de-mo%C3%A7ambique/a-18994319


1992年の和平合意から24年。

せっかく平和が訪れ、雨季の今は農民たちが種まきに忙しい時期。

1977年からの戦争で、160万人もの難民が近隣諸国に逃れ、マラウイは最も激しい戦闘が行われたモザンビーク北部に囲まれていたこともあり、小さな国ながら多くのモザンビーク人難民を受け入れた。私が、1994年に国連PKOの政治・選挙部門のスタッフとして赴任した時、丁度マラウィからニアサ州に難民が自力で帰還しているところに出会った。

UNHCRやIOMの手続きを待てば、帰還セット(鍬・バケツ・種・食料)がもらえるというのに、この家族(といっても30名ぐらい)は何ももらうこともせず、とにかく一刻も早く故郷に戻りたいと、移動を開始していたのだった。粥のような薄まったトウモロコシの粉を溶かしたものをすすりながら、「自分たちは農民だ。「難民」じゃない。故郷に戻ったらすぐに種を撒いて自分の手で作った新鮮な食べ物を食べるのだ」と語っていた。もう10年近くも逃げていた人びとの、心の底からの叫びのような声だった。

その後、UNHCRやIOMのトラックで奇麗な服を来てバケツを持って現れた人たちとて、同じことを語っていた。戦時中に延び放題になっていたボサボサの葦のような草を刈り、それを寝泊まりする小屋や貯蔵庫やトイレに仕立て上げ、あっという間に広大な畑にしていった人たち。戦争と暴力への償いや、正義や、報復や、そういうものを求める被害者が多い中で、モザンビークの人びとは「忘却する」という選択をした。

「あれは戦争だった」「戦争が悪いのだ」

そういうことで、コミュニティ内部の対立、経験した凄まじい暴力、餓えに苦しみ、失った命・手・足・・・そのようなものすべてを「忘れる」ことで乗り越えようとした人たち。日々の生活の再建への努力が、それを手伝った。

いい悪いではなく、彼ら・彼女らがそういう選択をしたこと、国としてもそうだったことを、モザンビークを知っている人なら腑に落ちてしまうかもしれない。かといって、本当に「忘れられたのか」といえば、決してそうではなかった。そのことは、十数年経っても決して人びとの心の中から去ることはなかった。

まだ戦後間もない時、マラウイ方面から大きな炎が上がったことを、地域の人びとが教えてくれた。

10年近くモザンビークの難民を受け入れてきた難民キャンプが焼却されたのだという。マラウィの論理からすると、「消毒」のようなニュアンスがあったようで、それはそれで失礼なことだという意見が出されもしたが、モザンビークの元難民たちにとって、それは退路が経たれたような、だからこそ前に向かって歩んでいかなければならない・・・というメッセージのような、仕切り直しの何かを意味したという。


それから24年目を向かえようとする今、20年以上の時を経てマラウィに出来たモザンビークからの難民のための難民キャンプを再開せざるを得ない状態がうまれたという。モザンビークで最も重要な人権・平和活動家であるアリス・マボタ弁護士も急遽ジュネーブに呼ばれ、現在国連で議論をしているところである。

そして、これらのことはどれぐらい日本の関係者、日本の人びとに知られているのだろう。

このブログでも、新聞記事でも、テレビ番組でも、このような事態になる危険性を何度口にしただろう。しかし、それは無駄だった。

モザンビークの貧富の格差は社会的不正義としてではなく、「開発・経済成長がススメば農民も豊かになるから不満も減る」というフレリモ政府側の主張に対し、地下資源と援助への賛同ほしさに、お墨付きを与え続け、前のめりにガンガン投資・援助を注入し続けている。あるいは、目をつぶっているというよりは、積極的にこのような「開発軍事独裁」の道を支援している節すらあるといっては言い過ぎだろうか?


勿論、レナモの襲撃やこのような挑発は許されるものではない。

しかし、モザンビーク政府がこの間やっていることは、平和と民主主義への確かな歩みを、逆行させることであるばかりか、モザンビークの人びとが10年の歳月をかけて勝ち取った独立を通して目指したことすら否定するようなことである。つまり、モザンビークの人びとの主権の回復と土地へのアクセスの保証である。

テテの地図を見ればわかる。

何百万人ものの小農が暮らすこの州面積の大半が石炭の鉱区として多種多様な企業にコンセッションが与えられている。小農は非自発的移転を余儀なくされ、補償はわずかばかり。立派な家が立てられた住民も、結局は耕せる農地が奪われ、鍬も入らないような石ころだらけの「代替農地」を前に、飢える一方である。

ナカラ回廊沿い地域では、2009年に日本・ブラジル・モザンビークの3カ国が構想し奨励した通り、国際アグリビジネスがリ大挙詰めかけ、食用だけでなく飼料・油のための安価な大豆の大量生産のために、広大な土地を次々に奪っている。植林プランテーションのために政府から何十万ヘクタールの使用を許可されていた企業などは、その一部を大豆生産に切り替えている。すでにナカラ回廊沿い地域の何千農民家族が土地を追われ、餓えに直面しているが、これが「ナカラ回廊開発」の行き着く先であった。

「プロサバンナ」に関しては、モザンビーク農民連合の頑張りも有り、3カ国市民社会や国際社会の関与もあって、公式には「小農支援」に転じたことになっているが、あの2009年の構想、2012年10月まで推進されてきた「肥沃な土地・豊富な水・安価な労働力があり、未だ化学肥料の多用や連作による障害・農薬汚染による害虫の耐性が出て来ていない、ナカラ回廊地域に海外投資を入れ、ブラジル・セラードの経験を大いに活用して、大豆・穀物の一大産地にして、日本の支援で改善されるナカラ回廊&港に新たに設置する穀物ターミナルを使って、世界中の市場に供給する」というプログラムは、モザンビーク政府や投資家らにしっかりと継承され、まさにその通りになっている。

有り余っていたはずの未開墾地…がないことは、ようやくJICAも認めたが、今度は小農らが土地不足と森林伐採の主犯だと名指しするマスタープランで、とにかく緑の革命が不可欠でそのためには民間企業とのWIN-WINが必須とされ、民間企業の進出と契約栽培が日本の援助でやはり支援されなければならないという論理が展開される。

しかし、既に民間企業もまた、国際社会における土地収奪への厳しい視線を意識して、「小農との契約栽培」や「外部資材の支援」という名目で、アフリカ中の内陸部の肥沃な土地の地域に入り込んでおり、まずはドナー諸国や国際機関の資金援助を得て活動しつつ、いつの間にか「企業活動の安定のため」と称して大規模な農地の摂取を開始するというパターンが顕在化している。「安くで作って高くで売る」が基本の穀物企業であれば、当然すぎるほど当然な動きであるが、これを前のめりで「小農支援」と称して支援する日本の援助は、確信犯でないのであれば、ナイーブなのか脇が甘いとしかいいようがない。

そして今、権力者として甘い汁を吸うようになった者たちのGREEDのために、国民の圧倒的多数であり、FRELIMOの存在理由であり権力基盤であったはずの小農の犠牲が生まれている。ついに、ナンプーラ州知事は、農民がプロサバンナによる土地収奪に怯えているが心配無用。なぜなら、同州には80万ヘクタールもの未開墾地があるのだ・・・と宣言するに至った。
日本の援助の現実を踏まえずにイケイケドンドンの時代の空気とともに、進められ宣伝しまくられたアイディアは、こうして当事者である日本の援助者らが手を引いた後も、「止まらぬ歯車」として前に前に進められ、2012年10月にUNACが声明で懸念した通りの、「土地収奪・土地なしコミュニティの出現・農薬と化学肥料の汚染」として何より「土地と環境の守護者である農民の主権の剥奪と対話からの排除」が行われる結果となっている。

問題が発生するまでは、「日本の手柄」として繰り返し、広く喧伝されてきたこの援助も、今となっては「受益国政府のオーナーシップ」の影に隠れて、「日本はあくまでも側面支援」を強調する。故に、その責任は、現在も日本の援助関係者は認めておらず、誰がどう果たすのかも明らかではない。どうせ被援助国の「一義的責任」なのだ。


日本が世界に誇るトヨタ生産方式。

私はトヨタの回し者というわけではないし、トヨタという企業のすべてに賛同しているわけではない。しかし、その「生産方式」で言われていることには、沢山のヒントがあると思うのだ。

いつぞやか書いたが、その肝はカンバンではない。

(なぜカンバン方式ばかりが世間に知られ、賞賛されたのか全く意味が分からない。「見える化」のお陰だろうか)

原資現物現場でもない。

むりむらむだでもない。

いや、それらのどれもが重要だが、「改善は永遠なり」なのだと思う。

つまり、到達点がないのだ。

不良品の割合をどこ迄減らすかという「リスクマネージメント」の概念に対して、トヨタは「ゼロを目指す」といって憚らない。その心は、「改善は永遠であり、継続は力」だからだ。終わりなき努力に対して、「0.5ぐらいは仕方ないんじゃないか」という設定自体が間違いなのだ。

つまり理想を大いに皆で掲げ、そこに限りなく近づくことを共通の目標とする。駄目だったら、駄目な理由を考えることが重要。でも、最初から「0.5でいい」と設定すると、駄目だった理由も基準が「0.5から」になりかねない。「0」の理想にひっぱってもらうことが、時に重要なのだ。

勿論、それはしんどい。

労働者にそれを求めるのも、酷ではある。そこに問題が生じる。

しかし、同時にここには「ある組織の学習」のヒントも含まれていると思う。

特に、問題が発生した時、「自分で判断しない」という標語の含蓄は深く広い。また、根本原因を解明するための別チームが駆けつけてくるというのも、示唆するところが大いにある。

なぜなら。

失敗を侵した人には、本当の意味でルートコーズを見極めることができないからだ。自分で判断してしまう。その際には、当然ながら「失敗を認めたくない」という心理が働く。自分は客観だといくら言い張っても、本当の意味でトータル&根本原因をみることはできない。だから、第三者のチームが駆けつける必要がある。

日本の援助機関だけではない。あらゆる組織で、「失敗が認められない」「失敗の当事者が依然として仕切り続けている」場面はないだろうか?政治だってそうだ。原発だってそうだ。そして、良く振り返ってみれば、これはまさに戦前にっぽんと同じなのだった。

戦後70年経ったというのに、戦前に回帰している日本の我々。

モザンビークが戦後24年で、戦争時に戻ろうとしているからといって驚いてはいけないのかもしれない一方で、日本の今は自分でまいた種である一方、モザンビークの現状は我々にも大いに責任がある以上、やはり見過ごしてはならないのだと思う。


だから、「改善は永遠なり」…その一言を、組織のトップたちが、静かに一人、自問自答の思いを込めて呟くだけでもいい。大きく深呼吸をして。そして目の前に拓けてくる景色は、どんなものだろうか?

少なくとも、今の自らの姿ではないのではないだろうか。


かくいう私も、それが不可欠である。

そんなこんなの土曜日の夜。


後日談…

尊敬する人から記事を教えてもらった。

「英国の政治家にとって、アフリカへの援助は我々の理想主義と寛容の賞賛されるべきエンブレムとなった。しかし、もし我々の資金が、本当は助けるべき人たちに害を与えているとしたらどうさろう?」

"The refugee who took on the British government:

For British politicians, foreign aid to Africa has become a cherished emblem of our idealism and generosity. But what happens when our funds harm those they are meant to help?"

http://www.theguardian.com/world/2016/jan/12/ethiopian-refugee-who-took-on-the-british-government

美しい物語のような出だし。流れるような英文が、人びとの物語を紡いでいく。しかし、その紡いでいく物語は、あまりに悲劇の度合いを深めて行く。どこまで悲劇は続くんだ。苦しい。息が詰まるような、理不尽で、許し難い物語。上からの開発計画が、どのようにして人びとの日常を奪っていき、命を奪っていったのか。長老やお父さんたちはどのように、先祖代々の土地と暮らしを守ろうとしたのか。そして、どのように破れ死んでいったのか。残された人たちは、どんな思いで何千キロを歩いて難民キャンプまで辿り着いていったのか。


20年前の話ではないのだ。

我々の「今」の話。


今となっては難民キャンプに「難民」として集うエチオピア南部の人びとの、まだ5年も経過していない物語。なのに、どれほどのものを彼ら・彼女らは、失ってしまったのだろう。故郷で、何十年、何百年と受け継いできた、多くの知恵、命、暮らし・・・それらをもう取り戻すことはできない。戦争による暴力ではない。災害による喪失でもない。「援助者」らに支えられたある開発独裁国家の開発計画によって故郷を追われた人びとの喪失。


そして、これを調査した米国と英国の援助機関(USAID、DFID)は、その調査レポートを隠蔽し続けた。英国議会の介入にもかかわらず。そして、ある日こっそりとDFIDの図書館頁に掲載されたかと思ったら、また消されていた。。。


この記事を教えてくれた人が、私のこの投稿を読んでいたのかどうかは分からない。でも、あまりにも符号する数々のことに、読み進めるのが苦しくなるほどだった。そして、記事の途中のまとめの一言が胸に突き刺さる。


Too big to fail....

失敗するには大きすぎる。


人の、コミュニティの、過去と今と未来における命・暮らしを壊してもなお、援助機関にとってはそれは「失敗」ではないのだ。本当の「失敗」とは、彼らがそれを組織として認めてしまった時に初めて発生する。だから、「失敗」を「失敗」として認めない限り、組織としては失敗ではないのだ。だから、証拠は隠さなければならない。。。その一方で、「成功」は大々的に宣伝されなければならない。


記事を読んで思ったこと。

勿論、利権や様々な連動する問題や関係があるのだろう。

だから、失敗を認められない。

認めたら、大変なことになる…。


しかし、私は思う。

本当は違う、と。

大きすぎるから失敗が認められないのではない。


はっきりしている。

Too small to fail.
(Too small to accept own failure.)
むしろ、ちっちゃすぎるんだ。

人も
組織も

そのことに、気づけるかどうかなのだ。




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by africa_class | 2016-01-24 06:43 | 【情報提供】モザンビーク

【案内】グローバル化における社会正義と研究者/グローバルな農地収奪と規制レジーム

グローバル・レジューム転換の第一線で大活躍のジュン・ボラス先生が、2月21日開催の京都国際シンポジウム(二つ目の案内をご覧下さい)のために、日本にいらっしゃいます。この機会に、以下のようなイベントが東京大学でも開催されます。こんな貴重な機会は滅多に(二度と?)ないかもしれないので、いずれのイベントもぜひお見逃しなく!

私も、先生に同行して帰国します。


(転載・転送歓迎)
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【サトゥルニーノ・ジュン・ボラスISS[社会科学国際研究所]教授講演会】
グローバル化における社会正義と研究者-南と南、南と北、運動と研究を繋ぎ続けて-

http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-entry-185.html
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【日時】2016年2月20日(土)13時〜15時
【場所】東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム1
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_17_j.html
【使用言語】英語
【参加人数】60名
【参加方法】2月18日(木)正午迄に、下記のサイトでお申込み下さい。
https://ssl.form-mailer.jp/fms/b05ea46d411961
お名前、 ご所属、ご連絡先(メールアドレス)、ご要望等をご記入下さい。
【参 加 費】500円(資料代 *学生無料)
【主催】
・「有機農業とコミュニティの進化」(科研代表:中西徹、科学研究費補助金・基盤研究(B))
・ 「グロー バル土地収奪下における持続可能な地域発展のためのアフリカ小農主体の国際共同調査研究」プロジェクト(代表者:大林稔、助成:トヨタ財団研 究助成プログラム)
【共 催】
モザンビーク開発を考える市民の会、国際開発学会社会連携委員会
【式次第】
(1) 趣旨説明  受田宏之(東京大学教授)
(2) 講演 サトゥルニーノ・ジュン・ボラス(ISS教授)
“Land politics, agrarian movements, and scholar-activist work, then and now: limits, possibilities & challenges”
「土地政治、農民運動、学者=活動家と してのこれまでの活動:限界と可能性、 そして挑 戦」
(3) ディスカッサント 
清水奈名子(宇都宮大学准教授 / 日本平和学会理事/ 福島原発震災に関する研究フォーラム・メンバー)
舩田ク ラーセンさやか(明治学院大学国際平和研究所研究員/ 元東京外国語大学准教授)
(4) オープンディスカッション
(5) 閉会挨拶  佐藤寛(国際開発学会前会長)

【研究会趣旨】
今回来日されるサトゥルニーノ・ジュン・ボラス(Borras)教授は、食と農をめぐる議論・運動の世界的第一人者であり、「フードレジーム論」「食料主権」「土地収奪(ラ ンドグラブ)を含む土地問題」「小農運動の抵抗」といった国際理論の最前線で、多様な役割を果たしてきました。アジア・アフリカでの実証調査をもとにその成果を理論化しつつ社会に還元する一方、世界大で 運動と研究、教育、実務を繋ぐ数々のシンポジウム・集会や出版活動を企画するなど、その検証力、構想力、フットワークとネットワークには目を見張るものがあります。

ボラス教授は、自他ともに認める「Scholar=Activist(学 者= 活動家)」であり、「Activist-Scholarship(活動家—学者 的営み)」という言葉を掲げ、世界の貧困者・小農の側に立場を置いて活動を繋いでこられました。現在オランダ・ハーグの社会科学国際研究所(ISS)で 農 地・農民研究を教える一方、数多くの国際学術ジャーナルや出版企画に携わっています。この原点は、1980年代から関わり続けるフィリピンや世界の農村での社会運動への深い関与 があ り、1900年代には国際小農運動であるビア・カンペシーナ(La Via Campesina)の設立に尽力しています。

今回、ボラス教授をお迎えして講演会とラウンドテーブル(円卓会議)を開催する理由は、原発事故後の日本においてこそ、先生 の提唱する「活動家—学者的営み/学者=活動家」という生き方について知り、学ぶ機会があればと考えたためでした。

2011年3月11日の東日本大震災とそれに引き続いて起きた原発事故は、日本に暮らす多 くの人びとにこれまでの「常識」を問い直す契機となりました。

「客 観性」「中立」「第三者」といったポジショニングを重視する日本学術界に対し、あえて「活動家としての主観的自分」にポジションを置 きながら、「実証性」「厳密さ」「公正さ」「批判性」「主権/当事 者 性」をもとに研究・教育・社会活動を行うボラス教授から、原発事故後の日本の研究者が学べる点は多いと考えます。また、日本の市民や運動 の担い手も、先生の越境的活動を通じて、どのように研究者や世界との結びつきを創造し、共によりよい未来を紡いでいけるのか、ヒントが得られることと思います。

鋭い批判的精神を持ちながら、常に笑顔と優しさ、ウィットを絶やさない先生のお人柄に、一人でも多くの方に触れて頂く機会となれば幸いです。

主催者一同

* なお、ボラス教授は、翌2月21日に 「京 都国際シンポジウム:グ ローバルな農地収奪と規制レジーム~日本と極東の視点から~」にて、「土地収奪」 に関する研究発表を行われます。是非、あわせてご参加下さい。詳細→http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-entry-186.html

【略歴】Saturnino Jun Borras(サトゥルニーノ・ジュン・ボラス)教授
フィ リピ ン出身。オランダ・ハーグの社会科学国際研究所(International Institute of Social Studies:ISS、エラスムス大学ロッテルダム校)教 授。中国農業大学(北京)兼任教授。Journal of Peasant Studiesの創刊者であり編集長としても活躍。

国際的な土地問題政策に関するネットワークLand Deal Politics Initiatives (LDPI)の共 同 コーディネイターを務めるとともに、次の国際学術ジャーナルや出版企画の編集に携わる。Journal of Peasants Studies、Canadian Journal of Development Studies、Journal of Agrarian Change、Alternatives Sud、Routledge-ISS Book Series on Rural Livelihoods、Routledge Critical Agrarian Studies Book Serie、ICAS (Fernwoood) Book Series: Agrarian Change and Peasant Studies。

ジャー ナル論文:
・Borras, S.M., Franco, J.C., Isakson, R., Levidow, L. & Vervest, P. (2015). The rise of flex crops and commodities: implications for research. Journal of Peasant Studies.
・Edelman, M., Baviskar, A., Borras, S.M., Kandiyoti, D., Holt-Gimenez, E., Weis, T. & Wolford, W. (2015). Introduction: critical perspectives on food sovereignty. Journal of Peasant Studies, 41 (3).
・Borras, S.M., Franco, J.C. & Monsalve, S. (2015). Land and food sovereignty. Third World Quarterly, 36 (4).
本:
・Edelman, M. & Borras, S.M. (2015). Political Dynamics of Transnational Agrarian Movements (book for release in late 2015). Halifax: Fernwood.
・Borras, S.M. (2008). Competing Views and Strategies on Agrarian Reform ¿ volume 1: International Perspective. Honolulu, Manila: University of Hawaii Press, Ateneo de Manila University Press. Winner, National Book Award (Social Sciences), Philippines, 2009.
・Borras, S.M. (2007). Pro-Poor Land Reform: A Critique. Ottawa, Canada: University of Ottawa Press.



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by africa_class | 2016-01-16 07:16 | 【記録】講演・研究会・原稿