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Thanksgivingに新書のスケルトンを終えて:「欲望という名の列車」から降りることについて

年内に原稿を提出しなければならない新書のスケルトンが終った。
奇しくも、Thanksgivingday(ドイツ語風に全部くっつけてみた)。欺瞞に満ちた「勝者」の歴史の語りが、今年も繰り返されようとしている最中に。

「歴史」は、後にしてきたものだと思いがちだ。
しかし、実際は違っている。
「失敗/過ちの歴史」はあっという間に忘れられるというのに、「栄光の歴史」は繰り返し、繰り返し蘇り続ける。だから、歴史家の仕事には終わりがない。

歴史は今の写し鏡であり、今歴史をどう見るかによって将来をも規定する。
2017年末の日本と米国を見ながらそんなことを思う。
とりわけ、Thanksgivingの今日、日本の政治家たちがおかしな伝統や歴史認識を持ち出してきたことを眺めながら。

私たちはあっさりと歴史を忘れるというのに、自分たちのご都合主義に彩られた歴史解釈は手放そうとはしない。
だから、「歴史」は繰り返す。

今日は、北米の先住民族の辿った歴史を、征服した側の白人が語り直す日だ。
被征服側となった先住民族の側の物語は、メインストリームの語りには決してならない。少しばかり「良識派」のメディアがこの白人の創り出した物語を批評する記事を出したとしても。歴史が全体としてどのようなものとして動いたのか、征服者と被征服者の間で本当のところは何が繰り広げられたのかの話はされない。あれから何世紀経とうとも。

今書いている本は、途中からなんだかおかしくなっていった。

最初は今風に書いた。
テキストとして。
教科書的な。

でも、ブラジルの先住民族のお母さんの叫ぶような声が、テキスト的な出来事や解説の行間や文字間から、ぬるっぬるっと顔を出し始めてしまい、もはや止めようとしたところで勝手に話し始めてしまった。だから、そのまま自由に語ってもらった。

時に、長いものを書いているとき、そういうことがある。
博論のときはそうだった。

寒い兵庫の山奥で確かに聴いたアフリカの森を急ぐ住民の声。
ざわめき。
悲鳴。
押し殺したため息。
凍らした心。

最後の一文を書き終えた後、どうしたのだろう?
無限の多様なうめき声を、耳にしながらも、ただ呆然と眺めるしかできなかった。
いや、そこから遠く離れなければと必死だったかもしれない。

弾けなかったピアノは今でも弾けない。
でも、少しずつこうやって書けるようになっているとしたら、それでよいのだと思う。

職業としてテキストを書かなければならなくなって、耳にしていたはずの「ざわめき」を封印してしまう技術を身につけなければと必死だったように思う。普通の人は違うのかもしれない。器用な人は行き来できるのかもしれない。でも、私は大方の想定と違って、とても不器用な人間なのだ。そして、おそらく必要以上に真面目すぎる。だから、その融合も、行き来も、折衷も難しかった。

もう自分のための論文は書かない。
つまり、「業績」にもう一本を加えるのための論文も本も書かない。

要らないからだ。
そのつもりで入った研究や大学の世界。
分かっていたことなのに、いつの間に絡めとられてしまっていた。

ベルトコンベアーのようにあれもこれも書いて、書いてといわれて。
書きたいと思わないことを、
私が書くのではなくてもよかったことを、
ただ書き散らしてしまった。

最初は練習だった。
必要不可欠な。
そして、今も必要ではあるのだろう。
本当は。能力不足だから。
でも、最後は苦痛で仕方がなかった。
魂がそこにないままだったから。
いただいたお題、そのストーリーに魂を見出せなかったから。

いちいち論文に魂なんて込めなくていいよ。
私も他人にはそういっていたかもしれない。
でないと終らないから。
終らないと皆困るから。

でも、やはり人生は一度きりだと思う。
魂を込めるものと向き合える時間が、あとどれぐらいあるのか分からない。

小さな声がつぶやく。
モウ ナニモイラナイ。

大きな声でいってみる。
モウ ナニモイラナイ。


その途端に、書きたいことが山のように溢れるのだから、自分のあまのじゃくぶりに驚いてしまう。

大学2年生のとき、北東部ブラジルの干ばつに翻弄される家族の過酷な物語を読んだ。
Vidas Secas(干ばつ暮らし/乾いた生活/グラシリアーノ・ラモス、1938年)
ポルトガル語の購読の授業の教材だったので、かなりイヤイヤ読んだ記憶がある。まさか十数年後に自分が同じようなことを若者に押し付ける側になるとは・・・思っても見なかった20歳のときのこと。

まだ辞書片手に(しかもポルトガル語・英語辞書しかなかった時代)、遅々として進まない翻訳(というか想像の何か)。でも、小説から漂う過酷な自然との闘いを繰り広げる人間のチッポケさ、なんといっても喉の乾き、皮膚の乾き、暑さ・・・そういったものが言語の違いを超えて迫ってきたのを昨日のことのように思い出せるのは不思議だ。使われていた単語、表現、文章は一切思い出さないというのに。

今日、新書のスケルトンを書きながら、私の脳裏にあった情景はそれだった。
ブラジル北東部、セラード地域の広大なる大豆畑のただ中を、ひたすら車を走らせたときに触れたあの乾いた空気。灼熱の太陽。

と同時に、目をつぶると、次の瞬間、赤茶けた道から離れて、奇妙な形をした木々の間をいくと、湿った空気が鼻の中をくすぐるのが感じられる。あの乾燥した空気から一瞬にして隔離されたかの。砂漠を歩いて歩いてオアシスに到着した瞬間の、あの感じ。砂漠をそこまで歩いたことないのに。セラードの森だ。

森の中を歩きながら、子どもたちがどの果物がどう美味しいのか一生懸命話してくれる。
突然、森の中にバレーボールのポールとネット。
なぜか恥ずかしそうに年長の子がいう。
「神父さんの提案で」
「あ、そうなんだ。確かに横にチャペルがあるね」
手作りの、柱が8本にヤシの葉っぱで編んだ屋根の簡易チャペル。その前には十字架がある。
もぞもぞ年長さんがする。

同行していた若い男性が口を開く。
「土地を奪いにいきたビジネスの奴らからコミュニティを守る為にです」
「え?」
「ここをコミュニティが大切に使って活用しているということを見せることで、一方的にブルトーザーで壊しにくくしています」

こののどかに見える森の中にも危険が迫っていた。
「若い男達がいないのに気づきましたか?」
「確かに」
「ビジネスの奴らが雇ったギャングに脅されてみな出て行かざるを得なかったんです」
「あなたは?」
「コミュニティを守るために残っています」
「だいじょうぶ?」
「毎晩寝るところは変えてます。雇われているギャングは隣町の若者たちです。カネが皆の心を狂わせてるんです」

Vida Secaとは180度異なる豊かな緑の木陰で、彼はささやくように話す。
川沿いの森の民に見送られて向かった先は、隣州の先住民族の会議であった。

果てしなく続く赤茶けた大地。
延々と続くむき出しの。
喉の乾きが辛い。
バスが止まるたびに水を買う。

先住民族会議には200人を超える周辺地域の先住民族が集っていた。
4日間毎日会議だ。
大学キャンパスに野営をし、野外テントで議論をする。
キャンパスの庭でたき火をしながら調理をしている様は「さすがブラジル」としかいいようがない。
主催者いわく。
「なんで?公共の場だから公共の目的のために使えばいいだけ」

朝から晩まで、先住民族の老若男女がマイクをもって、時にもたないまま話を続ける。

汚染された水を飲み、自分より若い人達が癌で次々亡くなっていくと訴えるおばあちゃんたち。

清廉なる水は命の源だった。
それが今人びとの命を奪う汚れたものになっていると。
森と暮らしを守らんと立ち上がった男たちが、
手足を切り取られた姿で川に投げ捨てられていると。

小さな小さなしなびたおばあちゃんが、杖で地面をつつきながら叫ぶ。
「ついに白人たちは植民地支配を完成させようとしているのだ」
足踏みをしながら。
「森を殺すことで、私たちを殺そうとしている」
ドンドン。
「水を汚すことで、私たちを殺そうとしている」
地鳴りがする。
「私たちの勇敢なる息子たちを八つ裂きにして、先住民族を根こそぎ終らせようとしている」
低いうねりのような声がする。
「おのおばあが命をかけて、あんたらから森と水と息子を守る。弓矢に毒を盛って」
足踏みが止まらない。地響きのような。

このおばあちゃん独りではなかった。
女性たちが語る悲劇と決意は、議事進行役の年配の男性たちを困らせるほどの勢いだった。

女性たちの前に無言で並ぶ政府の役人や学者たちは、皆色が白い。
南部やサンパウロの訛で話している。

先住民族担当官に女性が詰め寄る。
「あんたたちを信頼した私たちが間違いだった」
「あんたたちがやったのはなんだったのか?」
「就任してから、一度だって私たちのコミュニティにきやしない。私たちのリアリティを知ろうともしない。」
「忙しい、忙しいって、何をやってるかと思ったら・・・
あの業者とご飯を食べることじゃないか!私たちを殺しにくるあいつらと」

会場となった野外のテントには風がびゅうびゅう吹き荒れる。
森を失ったこの地では、どんな風も容赦なく打ち付けるのだ。
おばあちゃんによると「自然の叫び」なのだそうだ。
自然の叫びは止まる事を知らない。
もう誰も自然の叫びを止められないところまできてしまった。

「欲望という名の止まらぬ列車」に、私たちは乗り合わせている。
ただし、その「欲望」は1%の人びとのものである。
それ以外は今日・明日の命をかけてその列車に振り回されんとしている。

この列車に乗りたくないといっても、列車は道行く先々のすべてのものを根こそぎ網にかけて引きずり続ける。

私たちはどうやったらこの列車を止めることができるのだろうか?
もう止められないのだろうか?
止めることで、別の何かが引き起こされるのだろうか?

だとしても。
たった一個のカタマリにすぎない私が応答する。
まずは降りてみること。
たった一人にすぎないとしても。

木々のところにいく。
迷ったときはいつもそうするように。


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by africa_class | 2017-11-24 08:10 | 【徒然】ドイツでの暮らし

ブラジル・セラード日系農場と住民の水紛争:ニッケイ新聞を見ながら思ったこと

新書の執筆が佳境でして、なかなか色々手がまわっておりません。が、今日は、オランダに派遣されてきたゼミ4期生(だっけ?)が遊びにきてくれるので、放置しぱなっしの家の掃除を・・・と思ったら、田舎の家…手がまわらない。諦めたところです。欧州に現在2名、アフリカに3名、東南アジアに1名、米国に2名、オセアニアに2名、中東に2名、あと所在不明の人多数、その他諸外国と行ったり来たりの皆さんですが、日本国内でも北海道や島根にもいて、いつか皆を尋ね歩く旅をしたいなと思っています。もちろん、東京&首都圏で大活躍の皆さんも大いに応援しています。

このブログで紹介しているブラジル・セラード(バイーア州西部)で起きている日系農場と地域住民の水をめぐる紛争ですが、少しずついろいろ情報が出てきています。

その中に、サンパウロで発行されているニッケイ新聞の記事があります。
「ブラジル=五十嵐農牧を500人が破壊」
(2017年11月17日)

記事は、日系人である五十嵐氏が興した企業(五十嵐農牧畜株式会社として紹介)を全面的に支持する立場から書かれています。住民たちを「破壊目的の抗議グループ」とよんでいます。

サンパウロには、二つ日系新聞(日本語で刊行されている日刊紙)があり、一つがこの「ニッケイ新聞」。もう一つが、「サンパウロ新聞」です。

私は、ブラジルに留学していたとき、「ニッケイ新聞」の出している月刊誌でアルバイトをしていて、連載記事と写真を担当していました。また、ニッケイ新聞が出していた本の編集なども手伝っていました。

月から木まで遠いミナスジェライス州の大学で勉強し、木曜日の深夜バスで8時間かけてサンパウロに向かい、朝着いたらすぐに、日本人街を通って、新聞本社ビルに向かうのですが、毎回自分が映画の中のワンシーンを歩いているような、すごく不思議な感覚でいました。一度、リベルダーデ界隈に入れば、もうポルトガル語は必要ありません。日本語で話し、日本語で編集し、日本食を食べて、日本のカラオケで歌う。

日本人が留学生以外には日系人を含めまったく見当たらない町で、ブラジル人ばかりの中で暮らし、一日中ポルトガル語の嵐の暮らしでは(当時のパートナーの英語はさておき)、ほっとするような空間と時間でしたが、時に疑問を持たなかったわけでもありません。そのうち、サンパウロの下宿先を日本人の編集長のところから、ブラジル人のところに変えてからは、少しバランスを取りながら日系コミュニティとおつきあいさせていただけるようになりました。

アメリカの大学の先生と書いていた本の関係で、日系コロニア(ブラジルの日本人・日系人コミュニティ)について学ぶようになり、色々な人にインタビューし、農村部に足を運んで調査をして、その歴史や社会に魅了されました。どこにいっても優しく接してもらって、日本からわざわざ女独りで留学になんてきて、ブラジル人だけのところで暮らすなんて…と何度もビックリされました。軍政が終ってすぐの1991年とあっては、特に農村の皆さんにとって「コロニア外は怖いところ」というイメージが強かったように思います。日本から直接きた若い日本人は「価値が高い」から、もらいて沢山あるよと何度もおすすめいたただいたものです。

当時、私は、心やさしき日系コロニアの皆さんの語りたがらない歴史を調べていました。所謂「勝ち組」「負け組」についてです。最初は、ただ本のために材料を集めていたのですが、ミナスのブラジル人社会、サンパウロのリベルダーデ周辺の知識人社会や商売の皆さん、農村部のコミュニテイの皆さん、サンパウロのブラジル人社会、これらを行き来するようになって、次第に日系コミュニティ内部の多様性と亀裂、そしてコミュニティ外との接触と断絶に関心が移るようになったからです。

その後、ブラジルの北東部、アマゾン、ブラジリア、南部を訪問し、ブラジルのスケールの大きさと多様性に圧倒されるとともに、日系コロニア内部の表現のあり方が気になっていきました。つまり、昔からそこに住んでいた先住民族の皆さんを「カボクロ」と呼び、『カボクロだから出来ない」「カボクロだから盗む」「カボクロとは結婚させない」…これらの表現に、若かった私は打ちのめされてしまいました。

カボクロとは蔑称で、『世界大百科事典』では次のように説明されています。
https://kotobank.jp/word/%E3%82%AB%E3%83%9C%E3%82%AF%E3%83%AD-1155471
「現代のブラジルで,おもに下層の,無知な田舎者を指す。トゥピ語のcaá‐bóc(〈森から出て来た者〉の意)から出た言葉で,もともと混血者の意味はない。古くはインディオ自体や,特に白人社会に接触し,奴隷化され,キリスト教になじんだインディオを指し,やがては白人の土着した者や白人とインディオの混血者をも意味するようになった。元来軽蔑の意があるが,ナショナリズムが強まる風潮の中でブラジル国民性を代表させる語にも用いられる。」

私が暮らしていたミナスのアパートは、貧困層の人びとが暮らす地域にあり、仲の良い友人たちは北東部出身のアフリカ系の皆さんや先住民族をバックグランドにする人が多かったのです。貧しいながらも助け合って暮らす住民たちの中で送った日々は、その後私をアフリカに導いていきます。

日本に戻ってから、文献調査を開始し、国会図書館の移民資料室に通い、日系人の協会に行き、外務省の昔の担当者の方に会いに行って資料をいただき、先生方を尋ね歩き、なんとか卒論を終え、その卒論を土台に本のブラジルの章を完成させました。大学院1年生のことでした。奇しくも入管法の改正で数多くの日系ブラジル人、ペルー人が日本に入ってきた時期で、ブラジルでお世話になった恩返しにと思って、小学校に教育補助に行き、教育委員会のお手紙を翻訳し、これらの人びとを取材したメディアの通訳やコーディネイトをして、なんとか少しでも日本=南米の人的関係を発展させられたらな・・・と思っていました。

でも、ブラジルの日系移民研究に戻ることはありませんでした。
津田塾大学の博士課程に進んだ時、そこが移民研究の拠点でもあったことを知り、先生方に勧められもしたのですが、私にはどうしても「カボクロなんて」の表現に反発する気持ちを抑えることはできないと、その時はもうはっきり自覚していました。

私は、物事を見る時には、相対する視点で見ようとします。
「鳥の目」<=>「虫の目」
「森」<=>「一本の木」
「今・現在」<=>「人類史」
「権力」<=>「被抑圧者」
「常識」<=>「非常識」

実際は、これらは相対するものではなく、混じり合っているわけですが、意識的に自分の思考のプロセスとして、このような視角を取入れようとしてきました。上手く行かないことも多いのですが。でも、立場を取る必要があるときには、この思考プロセスは失わないものの、「虫」「一本の木」「人類史」「被抑圧者」の側に軸足を置くことを決めています。これは、そうでなければ、この人生をまっとうする意味がないと、すごく小さい時に決めてしまったからです。

世の中、どんな素晴らしい(とされる)社会でも国でも、「虫」「被抑圧者」の側の論理で物事がまわることは殆どあり得ません。これは歴史においてもそうで、今もそうで、これからもそうでしょう。このような側に立つことは勇気がいるし、損もする。決して大多数側にはなれない。でも、だからこそ、自分一人ぐらいはその立場に立とうではないか、そう決めたのが4歳のあの時なのです。

それから、迷いはしなかたものの、自分の無知・足りなさ・傲慢さ・修行の足りなさ・弱さによって、そうできなかったことも多いことは事実です。「先生」などという職業はそれに輪をかけてしまった。まだそれが乗り越えられていないのも自覚があります。でも、完璧がないとも知っています。自分の足をおきたいところを自覚して、少しでも役に立てればいいなと今は思います。そのためにも、学ぶことがまだまだ沢山ある!

このコレンチーナの「事件」をニッケイ新聞がそのように報じたい理由はよく分かります。そして、農場側・農場主・アグリビジネス経営者側からみたときに。でもどうでしょうか?この事件を、とくに人類史の中に位置づけ直したときに、見えてくる風景は劇的に異なります。

その風景こそを紹介するのが私の役目かもしれない、そう思っています。


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by africa_class | 2017-11-19 00:01 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

【続報】ブラジル・セラードの日系農場とコミュニティ紛争:大規模集会

土曜日の住民大規模集会をお伝えするはずが、少し時間が空いてしまいました。

下記の記事の続報です。


ブラジル・セラードの日系農場とコミュニティ紛争:水問題でついに住民占拠へ

http://afriqclass.exblog.jp/237974421/


といっても現地から届いた写真を紹介するだけになります。

すみません・・・。


でも、間違いなく、皆さん驚きます。

というか、この私でも、自分の目を疑ったほどの、、、凄い人の群れでした。

特に、バイーア州西部といえば、本当に奥地。

そこにこんな数の群衆が連帯のために結集するとは。


このマーチは、膨大なる水の「収奪」をしているという「イガラシ農場」を占拠し、灌漑設備を破壊したコレンチーナのコミュニティの住民への連帯を示すために、街の人達だけでなく、周辺地域や全国から集まった民衆の様子だそうです。

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すでにFBなどで掲載済みの写真だそうですが(なので絵文字が)、とにかく凄い人です。道の奥の奥まで群衆。。。おそるべしブラジルの民衆パワー。皆さん、思い思いのプラカードを掲げていたり、手にもって歩いているのが、さすが民衆行動の本場ならではの雰囲気です。


この女性は、「私たちのセラードを大豆かジャガイモのために引き渡すのはもう沢山!」と掲げてらっしゃいます。表情の厳しさに、本気度がひしひしと伝わってきます。「もう沢山!」は赤字…。


皆さんが思う「ぶらじ〜る、ブラジル!私のぶらじる〜」というあの脱力感溢れる音楽の雰囲気とは異なるブラジルの姿がここにあります。といっても、皆普通に歩いたりせず、スローガンをリズムにのって、サンバのステップで歩いたりすることもあるので、そこはブラジル風味。でも、「やるときゃやるのよ!」が、やっぱり私のブラジル社会運動の印象。


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しかし、この農場が日本人移民が設立した企業によって運営されている日系農場であることを考えると、とても複雑な気持ちになります。


例えば、このお兄ちゃんたちのプラカード…。「そのジャガイモ、日本で植えろ!」のスローガンが、日の丸とともに描かれている。現在の会社のオーナーは2世。ブラジル人なのだけれど、やはり日本の背景が付きまとうのかと残念な気も。でも、一方的に水を奪われる側にしてみれば、どうしてもこのような感情をもってしまうのでしょうか。

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こちらのお姉さんたちもまた沢山のプラカードを掲げてらっしゃる。


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でも、最後の女性のイメージが一番パワフル。

手作りの水がめを頭に乗せた女性の、この決意溢れる表情も、胸に迫ります。

なんて書いてあるか分かります?


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「喉が乾いたまま死ぬより、銃弾で死んだ方がましだ」


それぐらいの危機的状況の中でコミュニティの人びとは暮らしており、やむにやまれずの行動だったことが、ここにもはっきり示されています。


その頭上を警察のヘリコプターが威嚇しながら旋回。


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この矛盾と対立は、ここだけの話ではありません。
スケールが大きくなり、目立っただけで、セラード地域で日常的に起きていることです。

それをもたらしたセラード農業開発に私たちの国・援助機関が関わっていたこと、そして現在も関わっていることについて、決して忘れてはならず、皆さんにぜひもっと関心をもってもらいたいと思っています。

この詳細は以下の記事を。

アマゾン周辺地域まで伸びるアグリビジネス:日本が関わるMATOPIBAを知っていますか?

http://afriqclass.exblog.jp/237969424/



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by africa_class | 2017-11-16 07:17 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

ゴビンダさんのマリーゴールドが思い出させてくれたこと:春がいつか必ず訪れることを信じて

寒いです。雨は降っていないのだけれど、毎朝霜が降りているため、ついに畑の周りを彩っていたマリーゴールドが凍ってしまいました。

嫌なことを思い出してしまったので、今日は畑と森の中でせっせと冬支度をしていたところです。そのとき、凍ったマリーゴールドをどうしようかと思って(種を採ろうと思ってたのに間に合わなかった)、ふと「ゴビンダさん」のことを思い出しました。

東電OL事件で、えん罪によって15年間も刑務所に入れられていたネパールのゴビンダ・プラサド・マイナリさん(51)。再審無罪確定後、初めてネパールから来日し胸中を語ったインタビュー記事が、上記のHuffpostに掲載されました。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/11/12/touden-ol-15years_a_23274952/

記事の抜粋です。

「当時のことを話し始めると、マイナリさんは目を真っ赤にした。計15年間、身柄を拘束された拘置所や刑務所で、精神安定剤や睡眠薬を手放せなくなった。支えは「自分はやっていない」という思い。面会の支援者や弁護士、家族から届く手紙にも励まされた。

 小さなことに心の安らぎを見いだした。拘置所の窓から聞こえたハトのつがいの甘い鳴き声が愛のささやきのように感じられ、妻を思った。刑務所では、運動に出るグラウンドで、マリーゴールドの花が咲いているのを見つけ、看守に見つからないように1輪摘んだ。ポケットの中に隠して房に持ち帰った。マリーゴールドはネパールの祭りで首飾りをつくる花。房の中でこっそり香りをかぎ、ひとり故郷のことを思った。」


私も子どもの時、辛いとき、野の花、あぜ道の草に癒されました。

その匂いを嗅ぎ、虫を眺め、花びらや葉っぱの様子を眺めているうちに、すーーっと嫌な気持ちが和らいでいくのを感じました。頭上に飛ぶ鳥を見ては、鳥はいいな、自由にどこにでも行けて…と羨ましく思っていました。


決して自由がなかったわけではないのです。時間も与えられていたし、物質面では不自由がなく、他人から見ると羨ましい環境にいたと思うのです。けれども、日常的な暴力と権利侵害の現場に、行く所をもたない形でいるしかなかった子どもにとって、申し訳ないけれど、家は刑務所のような空間としか思えなかった。


私が、小学校にあがるまで、家の中でほとんど言葉を発しなかったのは、そういう理由だったのですが、なんからの障害か病気だといって親がいたく心配して先生たちに相談していたことを、後になって知ったときには、唖然としたものでした。つまり、そんなに理解されていないんだと。幼稚園のときから、誕生日もクリスマスもプレゼントは要らないからお金を頂戴といって家出のためのお金を貯めていたことも、家出セットを押し入れに隠していたことも、家族に話せたのは随分後のことでした。


親は親なりに頑張っていたと思うけれど、私が感じていた現実はそういうものでした。


その後、突然家族が崩壊してしまって、ポカーンと自由な空間が出来たので、もはや家出の必要はなくなったのだけれど、それまではちょこちょこと近場で家出をしたり(誰も気づかず)、祖父母のところに逃れたり(親には遊びに行くと)をしていました。最終的には、せっかく19歳で本格的に家を出て、新しい生活を始めたというのに、またしても、しかし今度は自分の選択によって、自由な空間を失ってしまったことに、後悔し続けた二十数年でした。


チェーン(鎖)を断ち切るということは、なんと難しいことなのだろう?

自分の中の弱さに何度も打ちのめされ続けたこれまででした。


今、このことを、すべてではないものの、ある程度笑いながら家族とできるようになったことを、嬉しく思います。いろいろあったけれども、それもすべて何らかのgift(ギフト)だったのだと、今では思えることが多くなりました。


マリーゴールドを見ながら、そんなことをつらつら思い出し、考えたのでした。

自然の中にいると、本当に色々なことが頭に訪れます。

ただ手を動かしているだけだというのに、流れるように想いやコドバや考えが訪れては消えていく。


雲のように。

風が強いときは、早く流れる。

風が弱いときは、ゆっくりと。

自然に翻弄されながら、身体も思考もゆらゆら揺れる様を、真冬の寒さの中ですら感じることができて、ただただ大声で感謝したくなります。


ゴビンダさんのようにいわれのない罪の責任を負わされて15年間も牢屋に閉じ込められていたとすれば、どんなに辛いことでしょうか。選択肢がなかったとはいえ、よく我慢できたなと本当に思います。


私だったら…。

胸に迫る苦しさを開放するため、凍ったマリーゴールドのもっていたはずの香りを求めて手のひらに花びらをおいて匂いを嗅いでみたのでした。


かすかに残るマリーゴールドの香り。

甘いような、不思議な香り。


この記事を読むまで、マリーゴールドがネパールのお祭りで使われる聖なる花だと知らなかったです。


マリーゴールドというか、タゲッテ(Tagetes)として知られている。

畑のお友達。


センチュウよけになるので、大根や人参などの横に植えます。

また、アブラムシよけになり、植物を元気にしてくれるので、畑のあちこちに植えているのですが、おいしいようでナメクジ様の大好物。油断すると全部食べられるので、大きくなってから移植しなければならなず手間がかかります。


子どもの頃のことを思い出すのは骨の折れる仕事。
今日はもう十分してしまったので、前に進みましょう。
幸い温室のマリーゴールドは生き延びているので、花びらを一片拝借して、枕元に置こうと思います。写真は温室(といっても何もヒーティングはないのですが)の中のトマトと一緒に植えているマリーゴールド。

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凍ってしまったマリーゴールド。。。

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そんな寒さでも、ドイツ生まれのふだん層は2年目の冬になるのに、こんなにがんばっている。すでに沢山の種も採らせてくれ、その横から出てきた脇目から、さらに新しい芽がドンドン出てきているという健気さ。負けてられないね。

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どんなに寒い夜も冬も、ただ生き延びることが、いつかの春につながると、実感を込めて思います。

春は遠いかもしれない。
でも、かならずくる。

もし、かつての私のように閉塞感ただよう辛い状況にいる人がいれば、いつか春がくることを信じて生き延びてほしい…ただただそう思います。

4歳のとき、真っ黒な日本海の水を眺めていた私のところに、ふと訪れた「何か」もそんな一言だったのかもしれないと、あり得ないものの、そう思うときがあります。自分の中の命の輝きを、そっと抱きしめてみてください。




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by africa_class | 2017-11-15 02:25 | 【徒然】ドイツでの暮らし

解禁:自家製ヴァン・ナトゥール2017(自然派ワイン)

ワインを作るようになって3年目の冬がやってきた。
日本とドイツとその他の地域を行ったり来たりの数年なのだけれど、秋から冬にかけてのこの時期は、収穫期であることもあるし、クリスマス前ということで、ドイツに滞在することが多い。本当は、ドイツは5-6月が一番最高だということを、皆に伝えておきたいところだけれど、その話はまた今度。

この家に越してきたとき、勝手口に伸び放題のブドウの老木があって、風情はあるものの、剪定めんどくさそうだと思った自分を恥ずかしく思う。しかも、駐車場のジャリの一角に、申し訳程度に囲われた花壇から伸びている一本の老木。

肥料も水もなーんにもあげないままに最初の秋が過ぎた。
そして、大量になるブドウを眺めつつも、あの時は病気すぎてブドウを収穫しようという発想すら起こらず、家族が「ブドウがやばい。大量になってる」といっても、「鳥さんたちにあげればいい。いつも人間が食べなければと思う発想が間違っている」などと高尚なことを言い放っていた。ベットから…。

2年目の秋に、元学生たちがお手伝いにきてくれたので、「そうだワインを作ればいい」と思い付いた。ブドウを収穫してもらって、ひたすらブドウの実と枝を分けて、ボウルの中にぶち込む。そして、ブドウを素手で潰し、砂糖を入れて軽く蓋を閉める。

どぶろくづくりで培ったノウハウと『現代農業』の投稿記事を頼りに、見よう見ねで作ってみたのだけれど、なんか上手くいかない。やっぱり細部は自分の経験で培っていかなければならないのだと納得し、砂糖の配分、ぶどうの甘さ、混ぜる回数、室温などをボウルごとに変え、さらにボトルごとにラベリングして、味見をしてはノートに記すの繰り返しをした。

病気のわりに頑張ったが、そのうち面倒になってしまって、3年もののワインボトルが何個もリビングに貯蔵されたままの状態にある。

毎朝アルコール度をあげていくワインを味見するのは、そのうち辛くなって、じゃあ夜やればいいのに…夕方以降は病気のせいか起き上がれない傾向があって、味見もそのうちしなくなった。ノートも今となってはどこにいったのだろうか…という雑さ加減が、初年度の前半だった。

しかし。
恐るべし当時14歳が、母の情熱が萎え、すべてを放置していることに心を痛めたのか何なのか、ネット先生を通じてお勉強の上、こうのたまった。

「ママさあ、砂糖あかんっていつもいってたやん?」

ここはドイツ。
育ちは東京。
でも、我が家の共通語は関西弁だ。

「えっと・・・そうだけど・・・」

動揺する私。
子どもの矛盾を鋭くつくときの勝ち誇った表情、イキイキとした視線は、病気のときは辛い。

「だいじょうぶ。ママ」

勇気づけるような笑顔で語る彼。
丸顔だったはずなのに、いつの間にか父親に似て・・・

卵だ。

「砂糖入れなくてもちゃーんと発酵するんだって」
「するの?」
「するんだけど、その場合、完熟のあまいブドウじゃないといけないって」
「あまいよ、ブドウ」
「いや、ママは早く取りすぎたんだよ。もっと黒くなってから取らないと」
「黒いよ?」
「ママーーー、だいじょうぶだよ」

そうだった。
闘病中の私に、誰が教えたわけでもないのに、彼はいつもいつも同じ台詞を私にかけ続けてくれたのだった。その一言がどれほど私を救っていたのか、今になってぼんやりとしてきているのだけれど、決して忘れないために書いておかなければならない。

何年も「ママ、だいじょうぶだよ」を繰り返してくれた12-15歳までの息子よ、母は君の優しさを一生忘れないよ。そして、その間、君がすべてのことを我慢して、耐えてくれたことに、心から感謝したい。あの時、君は父親といつも衝突してて、窓ガラスがいっぱい割れたのだけど(内緒ね)、それは私にぶつけられない想いを、そんな風に解放せざるを得なかったということを、母は分かっていた。でも、どうすることもできなかった。情けなかったね・・・。親として。

話はワインだった。
ということで、14歳のワインを作ってもらうことにした。
そしてまたしても、ネット先生は、正しいということを私たちに証明してくれることになる。

私の収穫より1ヶ月も遅く収穫した彼のブドウは丸々と太り、真っ黒に光り輝いている。
「ママ、このブドウ食べれるよ。すごく甘い」
ワインの源としか考えてなかったために、一切果物としての価値を認めなかった私にとって、その一粒はやや勇気がいるものだった。でも、確かにびっくりするぐらい美味しく、普通に日本で買っていたような果物の味だったのだ。

そしてワインが飲めない彼は、せっせと私を呼んでは味見をさせ、砂糖なしでワインが出来ることを証明してくれた。そして、白ワインと赤ワインを完成させた。彼の言ったとおり、私のワインより美味しかった。

翌年から、私はビン詰めをやめて、味噌の壷を使って、砂糖なし+完熟ブドウでワインが出来ることを確認し、とにかく出来立て1週間ぐらいのものを愉しむことに戦略を切り替えた。なぜなら、しっかりとした味のオーガニック・ワイン(ヴァン・ナトゥール)が400円ぐらいで買えるヨーロッパにあって、あえて自家製で楽しみたいとしたら、発酵中のものだよねという結論に行き着いたから。

ただし、味噌樽、ボウルを総動員して作ってそのまま放置してしまって、お酢になってしまったり、酵素になってしまったものもある。お酢は調理に使い、やや出来の悪いやつは畑の活性剤に使い、酵素になったやつはどうしようかと迷って1年が経過してしまった。

で、今年は庭の木々に色々な病気が発生して、ブドウの葉っぱにもうつったのだけれど、今迄にないぐらいの量のブドウがなるわなるわ。。。確かに春先に米のとぎ汁を豆乳パックで育てた乳酸菌をあげたのだけれど、それ以外はしていない。とにかく誇張なしで100キロ以上はできているので、いま3度に分けてワインにしているところ。

で、1度目のワインが丁度できたところなので、解禁してみた。
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これは未だ発酵中(ブドウの皮も種もはいったまま)のもので、仕込んで1週間目のものの上澄みを掬ってグラスに。奥に見えているものは、息子が14歳のときに作ってくれた買い物かご(地域の伝統的工芸品)とモザンビークの農民にもらった豆を今日収穫したままに。なんで籠おいたかというと、その裏に、ツレの私物がてんこ盛りできれいじゃなかったので。

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底からかき混ぜて10分置くと、発酵が進んで泡あわが出てくる。
これが一番おいしいのです。
無濾過ワイン。
これが飲みたくて、ワインを作ってるようなもの。

あまりに美味しいのでもう3杯も飲んでしまって、仕事がまったく捗らない。
本当は、ブドウの木の写真など紹介しようと思っていたけれど、それはまた今度。

そして、ワインづくりのコツもいつかのせますね。
でも、気が向いたらブログなので…そこはすみません。
誰も教えてくれなかったけど、重要なのは、白くしぼんだ実と小さな枝を一緒に入れることです。

テーブルは、息子が15歳のときに作ってくれたオークの木のワインボトルかけ。実はこれが私の仕事机なのです。この机の下にバスクで買ったイランの手作りカーペットがあり、その上にマサイの毛布があって、その毛布の上で、ネコのお母さんであるニャーゴ様が横になっているわけです。

しかし、遅いな、17歳の調理人。。。あとは、17歳のメインディッシュだけなのです。

今日は自動車学校の日。
いつか、彼の運転する車に乗せてもらえる日がくるのかなと思ってたけど、もう目前。それも不思議です。

すでに、チキンの骨+庭のハーブ・スープと玄米は炊けており、畑の野菜もとってきた。薪ストーブだと、鍋に材料を入れてストーブトップに載せておくだけで、調理をしているという感じではなく、1分クッキングなのです。私から薪ストーブを取り上げたら、もはや調理できないかもしれない。

そうだ。御犬様のお墓にお供えをしてきました。
週末に遊びにきてくれる元ゼミ生のあなたが、気になってるといっていたので写真のせておくね。
自家製ワインとお墓があなたのお越しを待っております。
(息子から質問。「また、シャケとかカニとか背負ってくるの?」)

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あ、もどってきた。では、また。



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by africa_class | 2017-11-14 04:40 | 【徒然】ドイツでの暮らし

こっそり共有:17歳の料理(その1)

今日、日本に暮らしていたときの近所のご夫婦が、はるばる遊びに来られた。亡くなった御犬様のお骨とともに。。。

御犬様は、ドイツの出身なので、ドイツの土に還りたいだろうということで、お骨はいま、リンゴの木の下に丁重に埋まっている。

そこには、ウサギのルル様や、交通事故で轢かれていたハリネズミ2匹、ネコどもにやられたネズミ様や、モグラ様もいらっしゃって、寂しくはなかろうと思うものの、果たしてお犬様は本当にドイツに戻ってきたかったのか、どうかについて考えあぐねている。

分骨なのでいいのだが、見ず知らずの私たちやその他の動物様たちとのいきなりの遭遇である。嫌な想いをしないでもらえるよう、お花がない季節なので、ドングリと松ぼっくりを、明日お供えしようと思っている。

息子は7年ぐらい会っていないこともあり、いきなり「おっさん」が出てきたので、たいそう驚かれたが、月日が経つのはなんと早いことだろうかと改めて思った瞬間だった。

しかし、一番驚かれたのは見かけではなかった。
17歳の彼が毎日、夕食と自分の翌日のお弁当を作っていると知って、唖然とされた。日本のお母さんたちにとって、「お弁当はお母さんが作るもの」のようだ。

スミマセン・・・。
誰に謝ってるのか分からないが、とにかく謝っておいた。

ドイツの小さなこの空間に突然日本がきたので、とりあえず日本式をやっておいて外れはない・・・カナ?日本にいても日本の人らしくない私だから、どうせやってみても付け焼き刃だが。もちろん、息子は、それを見逃さない。非常に怪訝な顔をして私をみるので、急いで付け加えた。

「昨日のご飯の写真を見せてみたら!」
気まずい時にはスマホがある。
これは万国共通。
どうよ、と思いはするが。

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17歳による「ヤキトリご飯2017 Nov 12 1st dish」
・カヤクご飯(サバの薫製+人参+白ネギ+高野豆腐+椎茸)
・焼き鳥
・サツマイモのフライ
・庭の野菜
・椎茸の串焼き(肉を食べない私用)

もちろん、盛りつけも自分。
立体的に見せることを最大限に。

でも、これで終っておらず、これもついてきた。

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17歳による「ヤキトリご飯2017 Nov 12 2nd dish」
・ジャガイモ&チーズのオーブン焼き(トッピングはザクロ)

で、これで終わりではなかった。
なぜなら、母は肉を食べないから…。

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17歳による「ヤキトリご飯2017 Nov 12 3rd dish」
・ワイルドサーモンとリネンシードパウダーの「つくね」
<=これに、母が作った味噌汁がついてる。

いや、私はサバの薫製でいいといったのだけれど、とにかく「つくね風」に作るのをマスターしたいということで、おまかせしたところ、これが出てきたのが、夜11時20分のことであった。

そして、ドイツでは直接照明は少ない。間接照明が普通。しかし、夜ご飯ともなればキャンドルライトが普通。とくに、冬のこの時期は。なので、、、闇鍋のような薄暗さで見えないかもだけれど。

しかし、せっかくの土曜日の夜を情熱をもって注いでできたものを、私たちはただ胃袋に収めてしまって、なんとも申し訳ないやら有り難いやら。

あまりに嬉しいので、褒めて褒めて褒めちぎって、それでも足りないからむぎゅっとしようとすると、さすがに17歳に毛嫌いされてしまった。

さて、元ご近所さんご夫婦から聞かれた。
「息子はご飯作らないし、作っても自分の分だけ。どうしたらこういう息子になるのかしら?」
ちなみに息子さんは30代。
時々こういう質問がくるのだけど、いつも答えに戸惑う。
一応、いつもの説明をする。
つまり、

1)2歳でMy包丁をプレゼント
2)台所はオープンキッチンで、料理はいつも一緒にしていた
3)どんなに散らかしても怒らず、なるべく独りでできるように手順を一通り一緒にした
4)原材料を一緒に確認し、入手するところから重視した
5)味噌づくりも、「母は力がないから出来ない」なとど言って、彼に踏んでもらったり、潰してもらう「担当」を任せてきた
6)安全に料理ができるようになると、一品から任せた

あとは、言わなかったけど、これも重要だったかもしれない
7)冷蔵庫の中身から「何か」をひねり出す作業を一緒にできるときはした
8)買い物から一緒に参加してもらって、食材から料理を想像する作業を一緒にやって、それを料理に反映させるようにした

そして、私が料理本やクックパッドをみて調理をしないことも重要なポイントなのかもしれない。

すると、即座に聞かれたことがあった。
「いつも褒めてた?褒めて育てた?」

そう。ばっちり褒めてた。
自分でやるときはいつも褒めてたけど。
でも、後片付けができない。
だから、「その時その瞬間」ではなく、後で改めて「後片付けまで入れて料理だね」ということをさらりといってたら、そのうち、自分で工夫して後片付けしやすいようなボウル遣いなどもするようになった。

と説明すると、やっぱり褒めて育てるのって重要だよね、という話になった。
ちなみに、3人のお子さんは皆さん立派に育ってらっしゃるので、別に何か心配があるわけではなさそう。ただキッチンを任せられないのが哀しいのだそうだ。

いや、そこにはコツが。
つまり、「任せられる」のは、誰だってイヤ。
義務っぽくなるのは、母だって。
だから、「自分からしたくなる」ような環境づくりにMAXの力を注げばいいのである。

つまり?

・母や父が頑張りすぎない。
・部分的にでも、一緒にやりつつ、その部分の彼らの工夫を褒める
・彼らのタッチが料理を変えるんだという実感を感じてもらう
・そのためには、りょうりにるーるを設けない
・むしろ毎日が実験!・・・創意工夫ありのアートなんだ!
ぐらいの勢いでやる
・成果物を振り返ってニンマリできるように写真化する
・彼らの頑張りを世間に発信する
<=イマココ

といっても、17歳は別にもうそんなこといわなくても、勝手に展開しているので、彼が食にどうして拘るようになったのかの話のほうが実は彼のモチベーション的には重要なのだが、それはまた今度。

頭出ししておくと、
「ケンコウ」「カンキョウ」「チャリーン」の三点。
おそるべし17歳。

とはいえ、部屋の掃除はからっきしダメ。
荷造りもダメ。
忘れ物多し。
この間日本に戻る時、荷造りしたバックを一つ忘れたまま旅立ってしまった。
故に着替えがなくて困った、コマッタ。
そういうときだけ子どものフリをするのも、どうかと思うが。

さて。
客人が帰った後も彼のQuestは続いた。
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17歳の「日曜サラダランチ2017」 Nov. 13 1st dish
・ザワークラウト+玉ねぎスライス+庭野菜+サバの薫製+酢漬けサーディンのサラダ

サワークラウトは私が庭のキャベツ(2期目)を10月頭に浸けておいたもの。なんかそれを使ってやりたいといっていたので、ただタッパーを渡したら、こうなって出てきた。

二品目は昨夜のツクネ。
そういえば、ツクネやフィッシュケーキは、彼が毎日のようにあれやこれやで工夫している。
舞台裏もお見せしてしまおう。
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これも、リネンシードの粉とワイルドサーモンを団子にしている。
味付けはカレー風味。
といっても所謂カレー粉を使うわけではない。
自分でスパイスを調合してる(が再現不可能らしい)。



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17歳のある時の夕食2017 Nov.
・リネンシード&ワイルドサーモンのフィッシュケーキ
・サツマイモと人参と大根の茹でたもの
・庭の野菜

写真が全体的にぼやけててすみません。
このように日々がんばる17歳でした。

下でお料理の音がするのを聞きながらこっそり書いたブログ。
彼に言わないでね。

なお、うちでヤキトリが可能なのは、薪ストーブですべてクッキングしているからです。

あ、下のは庭の野菜と鱈と卵とサツマイモで作った「私風ポルトガル料理」です。
これは本当はジャガイモで作るものなのですが、息子の依頼によりサツマイモで作ってみたら、こちらの方が断然美味しいです。お試しあれ。

赤と黄色のトマトは9月末に緑のものを収穫して、段ボール+バナナで完熟させたもの。
1.5ヶ月忘れていたので、しなびてしまいましたが、美味でした。
黄色のトマトはかなり立派に出来たので、種を採っておきました。

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Bom apetite !




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by africa_class | 2017-11-13 04:37 | 【徒然】ドイツでの暮らし

ブラジル人神父ら22名の市民社会メンバーがジンバブエで投獄:ブラジル民衆運動とアフリカ

ただ今、ブラジルから連絡があり、全員が釈放され、ブラジル領事館にいるようです。(2017年11月10日現在)


ブラジルのラジオに流れた解放された鉱山被害運動MAMの女性リーダーのお父さん(国会議員)の感謝メッセージを聞きました。これがブラジルの政治史を振り返りながら、現在のジンバブエの政治社会状況を懸念する内容で非常に面白いのですが、娘の活動を「誇りに思う!」「この機会で彼女がいかに世界の皆とともに歩んでいるのかはっきりわかった」とのメッセージを発していて、人道支援をしていたり報道のためにイラクにいて人質になった日本の方々が集中バッシングを受けたあのときを思い出して、「あっ!これは本当に重要なメッセージ」と思いました。余裕があれば(ないが)、全文を訳したいと思います。


あと、お父さんのメッセージで、アフリカ中の大司祭やヴァチカンとルーラ大統領が直接ムガベ大統領とその周辺に働きかけたことを知り、さすがブラジル…おそるべしブラジル社会運動…と改めて思いました。(2017年11月12日現在)


昨夜、ブラジル人神父ら22名の中南米の市民社会メンバーがジンバブエで投獄された、ヘルプー!という情報が駆け巡り、夜中まで(ブラジルとの時差で…)、アフリカ<=>ブラジル<=>ドイツで、対応に追われていました。

すでに、BBC Brasilが第一報を流しています。


このブログとの関係では数点指摘しておきます。


【中南米の社会運動の活性化】

1)アフリカに先行して加速度的に進んだブラジルや中南米における鉱物資源開発やアグリビジネス投資による土地収奪問題は、住民や市民の側での主権者意識を目覚めさせるとともに、抵抗運動を育んだ。

2)これらの当事者・社会運動(労働者やその他)、それを支える教会、市民社会、学術界の連携は、時に国家権力をも掌握し、労働党政権や先住民族出身者の大統領選出などの動きを生み出した。

3)中南米における、社会運動と国家・政府・与党との結合は、多くの先進的な法制度や国家事業をもたらし、国際レベルでの各種の権利宣言の採択(先住民族に関する権利、開発の権利、現在の小農と農村で働く人びとの権利など)を実現した。

4)他方で、市民社会スペースの国家権力による介入の余地を生み出したり、選挙でこれらの連携先が負けると、報復に社会運動の弾圧が行われるなどの出来事が生じている(ブラジルの今)


【ブラジル社会におけるカトリック教会の役割】

1)以上の流れにおいて、「解放の神学」、カトリック教会が果たした役割は非常に大きいです。

2)軍事政権下で唯一、ある程度の自由がきいたのが教会でした。

3)そこで、おおくの運動が教会二庇護される形で進められました。

4)中でも、土地収奪と闘う教会の運動は、先駆的な試みを多様に駆使し、世界的に大きな影響を及ぼしました

5)土地紛争のデータの統計化、分析の一方で、社会の隅々にある教会のネットワークを通じて、危機が迫ったり、権利が剥奪された人びとに即座に対応しています

6)教会は住民と学者たちや様々なアクターの繋ぎやくもしています。

7)また住民のエンパワーメントのためのセミナーをあらゆる方法で行っており、問題だけでなく、その先(アグロエコロジーや食料主権の実現)のための活動も活発に行っています

8)何より、教会組織は世界組織でもあります。世界と連携しながら、情報を世界に発信し、また世界の支援を受けるなかで、自らの経験交流を各地に広めています。

9)最後に、ブラジルのカトリック教会が土地問題に深くコミットするようになったのは、セラードに日本とJICAがもたらしたPRODECERとの闘いによってでした。


【中南米の経験をアフリカへ】

1)以上の1990年代から一歩ずつ駒を進めてきた中南米における社会運動の経験は、ポルトアレグレでの世界社会フォーラムで、一気に世界に知られるようになりました。

2)そこで、アフリカ市民社会運動との交流も始まっていたのですが、その段階では「繋がっているだけ」という傾向がありました。

3)しかし、これまた皮肉にも、三角協力として開始したプロサバンナ事業、そしてモザンビーク北部でのVale社(三井物産)の石炭開発事業が、ブラジルとモザンビークの民衆同士を繋げる大きな役割を果たしました。

4)ポルトガル語同士ということもあり、これまでにない動きが生み出されています。


*この様子は、以下のFBでも紹介されています。

http://bit.ly/2vimdhk


5)特に、鉱物資源開発と大規模アグリビジネスの土地占領に抵抗する人びと同士で、大西洋を越えた連携が進んでいっています。


【今回の事件】

BBCの報道によると、次のとおりです。

1)この流れの中で、ジンバブエで金やダイヤモンドの鉱物資源開発に苦しむコミュニティのエンパワメんとのために、ブラジルと中南米から経験交流に22名が訪れていたそうです。

2)ブラジルからは、セラードでの農業開発、とりわけPRODECERとの闘いで最前線にたって頑張ったカトリック神父さん、ロドリゴ・ペレ神父(土地司牧委員会CPT)、鉱山被害運動(MAM)の2名の代表が地元コミュニティを訪問していたようです。

3)この中には、3名のブラジル人の他、南ア、ザンビア、ケニア、ウガンダなどの市民社会メンバーも含まれるようです。

4)コミュニティが鉱物資源開発のために退去を押し付けられていたそうです。

5)そのコミュニティをサポートしようと訪れていたところ、中国人の鉱山主が警察に通報し、警察はバスでやってきて全員を拘束。

6)現在、投獄されている模様。

7)駐ジンバブエのブラジル大使館やその他の大使館は、ジンバブエ政府に釈放を強く働きかけているところ。


Frei e ativistas brasileiros são presos em zona de mineração de diamantes no Zimbábue

http://www.bbc.com/portuguese/internacional-41950575


<=来年の総選挙を睨み、ジンバブエの政治・社会状況が急速に悪化している中で、このことが浮き彫りにしている沢山の問題についても、この記事は詳しく述べているので、ぜひご一読下さい。


【ブラジル市民社会から世界への緊急署名活動:声明】

本日、ブラジル時間2時までに署名を集めているそうです。

*団体署名となります。


Today, November 10, 2017, three comrades were arrested in Zimbabwe: Frei Rodrigo Peret, a militant of the Pastoral Land Commission of Uberlandia, Minas Gerais state, Maria Julia Gomes Andrade and Jarbas Vieira, the later two members of the Movement of People Affected by Mining (MAM) and members of the secretariat of the Committee in Defense of the Territories Facing Mining.

The group of Brazilians were participating in an exchange activity of the Brazil and Latin America Dialogue of Peoples and were arrested with 22 more people from five African countries who were part of the same delegation. They are detained at the central police station in the town of Mutare, which lies 270 kilometers from the capital, Harare, on the border with Mozambique.

The allegation for the arrest of the group is that they were violating a privately-owned area belonging to a Chinese mining company who exploits diamonds in the region, however, the activity was carried out in a community where about 6,000 people live.

THE BRAZILIAN EMBASSY IN ZIMBABWE ha
s already been activated, and is in contact with local police to gather more information. The Human Rights Division of the Ministry of Foreign Affairs in Brasilia is also following the case. The head of the Africa Department of that ministry has also been notified.

There is great concern with the situation of political instability in Zimbabwe. Several organizations and militants are mobilizing their networks to provide support and solidarity to their peers and the whole group.

【実は他人事ではない】

いま、「儲け至上主義」の世界の各地で生じていることですが、住民やコミュニティの権利を奪う側のビジネスと結託する各国政府の傾向が強まっています。そして、それに対抗しようとする住民や市民社会の側に多大な負担と犠牲が強いられています。


このような中で、市民社会のスペースは急速に狭まっていっています。

これは、日本でも感じられていることであり、モザンビークでもそうですが、そのほかでも同時進行している状態にあります。


これを受けて、国連人権理事会では次の様なガイドブックを策定しています。

http://www.ohchr.org/Documents/AboutUs/CivilSociety/CS_space_UNHRSystem_Guide.pdf


いずれにせよ、1%のための政治経済社会が国内だけでなく世界大で形成されつつあります。

99%がそれに気づかないよう、互いに反目しあい、足を引っ張り合い、権利が剥奪されても諦め、単純安価な労働者として考える余裕も抵抗する力も失い、むしろ大政翼賛の一こまを担うようにと、あらゆる方法での精神的働きかけがなされているところです。


日本はすでにこれが上手くいったケースとなりつつあります。

そのような中でブラジルから学ぶべき点も多いのですが、だからこそ弾劾後の政権や世界の権力者たちが、ブラジルの民衆運動にターゲットを絞って弾圧に協力しあっている可能性が感じられます。


続報がきたらお知らせします。


写真は、セラード農業開発の拡大(MATOPIBA)に反対する先住民族や教会の皆さんのマーチの様子です。

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by africa_class | 2017-11-11 19:12 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

ブラジル・セラードの日系農場とコミュニティ紛争:水問題でついに住民占拠へ

 今日は土曜日。のんびりした空気がここドイツの田舎では漂っているのに、ブラジルとアフリカから矢継ぎ早に寄せられる情報に翻弄されているところ。
 さて。ブラジルからの緊急情報のリサーチをしている間に、さらにSOSの情報がブラジル経由で寄せられて、ややてんやわんやですが、現時点で寄せられた情報、調べたことを共有しておきます。

これはその前の投稿で紹介したMATOPIBA地域で起きていることです。
詳細は以下をまずご覧下さい。

アマゾン周辺地域まで伸びるアグリビジネス:日本が関わるMATOPIBAを知っていますか?

http://afriqclass.exblog.jp/237969424/

1. この1週間で起きたこと&その背景
末尾のソース(記事)によると、次のようなことが11月2日から現在まで起きているそうです。

【概要】
1)地理:ブラジル北東部バイーア州バレイラス地域のロザリオ郡コレンチーナ市
2)現場:「イガラシ(五十嵐)社(Lavoura e Pecuária Igrashi)」が所有するリオ・クラーロ農場(地元住民は「イガラシ農園」として言及)
3)日付:11月2日に発生
4)リオ・クラーロ農場を500-1000人の住民らが占拠し、農場の灌漑設備を破壊

【背景】
1)この地域はバイーア州最西部地域で、日本・JICAのPRODECERを経て、大規模開墾大豆を含む輸出向け穀物生産が拡大し続けてきた
2)水の大量利用により住民が生活に頼る水が不足
3)これについては、裁判や請願を含む様々なアクションがとられてきたが、行政はアグリビジネス側に立った
4)このたび、「イガラシ農場」での新たな灌漑設備の完成によって、さらに水が枯渇した
5)関与しているのは日本企業である

*コミュニティの弁護士によると、企業が1日に使う水量は1億リットルで、3万人が暮らすコレンチーマ市の300万リットルの何十倍にも上る。

【何が起きたのか?起きているのか?】
1)ついに周辺コミュニティの住民が立ち上がり、農場を占拠し、灌漑設備を破壊

*女性たちは、「私たちは誰も傷つけたくない。ただ生きていくために不可欠な水を取り戻したいのだ」と語る。

2)警察が出動
3)コミュニティと住民の権利を支援する運動が拡大
4)捜査開始に対して、全国から非難
5)今日全国から集まった人びとが集会を予定

2. 問題となっている「日系企業」(イガラシ社)とは?
報道と現地からの情報で、この企業が「イガラシ(五十嵐)社(Lavoura e Pecuária Igrashi)」であることが分かります。そして、現地の皆さんからは、日本のマネーが関わっているとの情報がくるのですが、明確ではありません。また、背景はあまり明確ではありません。そこで、日本語・ポルトガル語でのサーチをした結果、次のことが分かりました。

なお、「イガラシ社」のサイトは「現在メンテ中」と出ます。
http://www.igarashi.com.br/

【戦後日本人移民によるイガラシ社の設立と北進】
1)戦後、日本からサンパウロ州イビウにやってきた五十嵐氏
2)その後、サンタカタリーナ州に拠点を移す
3)1970年に会社を創業し(本社クリチバ)、種芋の栽培に取り組む
4)日本のセラード農業開発協力(PRODECER)の北進に伴い、
5)1992年にゴイアス州に農場(Fazenda Rinção de Alice)を開設
6)1995年にバイーア州にRio Claro農場を開設
*そのほか、Chapada Diamantinaにも農場を有する。

【イガラシ社の土地保有面積】
1)バイーア州に35,000ha
2)ブラジル全土、全体で50,000ha
*ちなみに、東京都面積は200,000haなので、その4分の1の広さ
3)今回問題になっている農場は、2500haぐらいのもののようです
(NGO情報による)

【何を生産しているのか?】
NGOの情報やメディアの情報、FB情報を踏まえると、
1)種芋やジャガイモを重視しつつ、
2)豆類、トウモロコシ(メイズ)、小麦など
3)これをセンターピボット方式で生産

【現在の所有者】
1)五十嵐氏と日系二世のお母さんの子どもであるNelson Yoshio Igarashi氏
2)北東部の農場、サンパウロ、クリチバを自家用ヘリコプターで飛び回っている、そうです。

【日本との関わり】
1)日本政府・政府系機関と日系移民の関係の強さを考えると無関係ということはないと思います。
2)農水省の助成をもらってブラジル・セラードのアグリビジネスの現状を日本との関係で調査をした筑波大学他の調査結果をみると、極僅かに選ばれた企業の一つが五十嵐農場となっています。ですので、一定の関係があると思われますが、詳細は不明です。
3)また、五十嵐ファミリーが、農場を北部に広げていくプロセスと日本のPRODECERへの関与(時期・場所)がある程度重なっているので、なんらかの関係はあったものと思われます。
4)特に、PRODECER II(1983年ー1993年)に対象となったのが、ゴイアス州とバイーア州のこの地域であったことも注目したいところです。が、直接関係があったかは不明です。

*しかし、いずれも現段階で推測にすぎず、この関係については、今後のリサーチが必要です。(私も忙しいので、誰かやってほしい・・・)

3. コミュニティ・住民はどのような被害を受けているのか?
なかなかメディアにはのらない情報なので、ここが一番重要かもしれません。
現地から詳細なるレポートとパワーポイントが届きました。
が、今それを全部紹介する余裕がないので一部だけ。

【イガラシ(サンタクラーロ)農場と灌漑】
1)水利用権を2015年1月27日に獲得
2)2,539haの自社農場のため大規模な灌漑設備を完成させた
3)「イガラシ農場」は、1日14時間182,203m2/一日の水を
4)サンフランシスコ川からくみ上げている。
5)周辺地域のコミュニティは水へのアクセスが困難な状況に陥っている

【住民・NGO等から提供のあった写真】
1)センターピボット方式の農業生産とは?
現在、この地域一体では次のようなパッチワーク状態にあるそうです。
真ん中あたりに丸が沢山並んでいますが、これがセンターピボット方式の生産様式です
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2)「イガラシ農場」で工事中の灌漑設備の写真

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3)結果として、水位が劇的に下がった川べりでは、このような状態が生まれているそうです。周辺は、伝統的に「川べりに暮らす人びと」のコミュニティが形成されており、暮らしが続けられないほどの打撃を受けているといいます。

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4. Water grabbing(水収奪)はLand grabbing(土地収奪)

日本でも少し「ランドグラブ」が注目されるようになった(かな?)のですが、ランドグラブ=土地の収奪だけを含むものではなく、特にアグリビジネスによる土地占領は、水の収奪と一体になって進みます。

理由は簡単。
農業には水が不可欠だからです。

日本では、ブラジルのセラードを「不毛の大地」だなどとよんで、まるで重要ではない扱いをしてきましたが、実際はアマゾンよりも生物多様性に富み、かつ南米中の大規模河川の源流がセラードに集中し、まさに「南米の水がめ、水のゆりかご」となっています。

そのセラードで水をぐんぐんアグリビジネスが使い、農薬で汚染したために、多種多様な問題が生じています。それは、地元社会に最も強烈な影響を及ぼすのですが、遠く離れたサンパウロで水がアクセスできなくなるほどに深刻となっています。

実は、米国でも、オーストラリアでも、水不足で農業生産ができないほどになってきているのですが、この背景には、気候変動・異常気象による深刻な干ばつだけでなく、地下水をくみ上げすぎたこと、さらに塩害が起きていることが影響しています。

つまり、今世界では、水と土地の収奪は同時展開していると考えるべきでしょう。
これについては、また紹介します。

最後に、この問題となっている地域で、アグリビジネスの地下水汲み上げにより、地面の陥没も各地で起きているとの写真を紹介しておきます。これらは、現在の工業的な大規模農業生産が、いかにコミュニティだけでなく地球を蝕んでいるのかを如実に示しています。

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今日の続報を待ちましょう。

【参考サイト】
破壊中の動画が地元新聞のサイトに掲載されています。
http://www.correio24horas.com.br/noticia/nid/destruicao-em-fazenda-causa-prejuizo-multimilionario-veja-video/

すでにこの「イガラシ農園」に対して住民が、以前から訴えをおこしていたようです。
https://www.jusbrasil.com.br/topicos/83367407/fazenda-igarashi

声明
http://cptba.org.br/cptba_v2/nota-cansado-do-descaso-das-autoridades-o-povo-de-correntina-reage-em-defesa-das-aguas/

支援の運動
https://www.noticiasagricolas.com.br/noticias/meio-ambiente/202211-cientistas-de-esquerda-fazem-mocao-a-invasao-da-fazenda-igarashi-em-correntinaba.html#.WgSpOUdpFsM

警察が捜査開始
http://g1.globo.com/jornal-nacional/noticia/2017/11/policia-investiga-invasao-de-fazenda-e-vandalismo-no-oeste-da-bahia.html



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by africa_class | 2017-11-11 18:12 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

アマゾン周辺地域まで伸びるアグリビジネス:日本が関わるMATOPIBAを知っていますか?

 やっぱり畑に出て作業をしていたら、ブラジルから緊急連絡…。時差があるので、なるほどな、というところなのですが。

 日本が深く関わるブラジル・セラードの皆さんから緊急情報が寄せられています。今週の土曜日に何が起こるか分からない…ということで、日本も関係している可能性があるので拡散してとのことです。

 でも現地の情報をただ貼付けても、おそらく基本情報が日本語でよめる形になっていないので、よく分からない…と思うので、まずはこの地域で、日本との関係で今起きていることについて、背景を歴史と日本の関与に焦点を絞って紹介しておきます。


 なお、緊急連絡があった事件については、直接関係があるか不明なので、別個の記事にしておきます。


【歴史的背景:大豆を求める日本との関わり PRODECER→ProSAVANA/MATOPIBA】

 JICA(日本国際協力機構)の前身の国際協力事業団が、ブラジル・セラードを「不毛の無人の大地だ」と主張して農業開発協力(PRODECER)を行ったこと、その結果については、すでに詳しく紹介してきました。PRODECERには第一期、第二期、第三期まであり、大豆のプランテーション栽培の対象地は、どんんどん北上し、アマゾン周辺地域までいったことについても紹介したかと思います。

 その後、「PRODECERの成功をアフリカに」と称し、「緯度が同じで農学的環境が類似する」との想定でモザンビーク北部にProSAVANA事業が持ち込まれたことについても、このブログで紹介しました。しかし、モザンビークでの粘り強い反対運動に直面する中で、元々計画されていた「大豆フロンティア」をブラジルのアマゾン周辺地域に伸ばしていく政策が、より強固に推し進められるようになったことについては、未だ紹介していなかったかもしれません。この計画を、関係者らはMATOPIBA(マトピバ)とよんでいます。

 ジルマ政権の末期に、農場主協会のトップでもあったカーチャ・アブレウが農務大臣になり、MATOPIBAを国家政策として正式に採用し、日本の農水省大臣との間で、これを推し進める二国間合意文に署名しています。2016年2月のことでした。この前段に、安倍首相のブラジル訪問時(2014年7-8月)の声明があります。


その際に、PRODECER、ProSAVANAを賞賛し、このMATOPIBA実現のためのインフラ整備を約束しています。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/la_c/sa/br/page3_000872.html


 MATOPIBAは、セラード地域の中でも、PRODECERが「十分」には包含できなかったマラニャオン、トカチンス、ピアウイー、バイーア州をターゲットにした計画で、この地域はより深い森林に覆われ、アマゾンへの移行地帯であるとともに、数多くの先住民族やアフリカ解放奴隷の逃亡コミュニティ、伝統的なコミュニティが自然に頼って暮らす地域です。

 MATOPIBAは、ナカラ回廊におけるProSAVANA事業と同様に、内陸から港迄の一次産品輸出網を確保するというインフラ整備と農業開発が連動した計画で、アマゾンを横切る河川を使った運搬ルートなども念頭におかれています。この北部穀物輸送ルートの調査研究を行ったのがJICAです。


【セラードを守るための住民の運動】

 MATOPIBAについては、ブラジル内でかなり大きな反対運動が起こっています。ブラジルの主要な社会運動組織や当事者団体(先住民族、解放奴隷コミュニティ、女性運動、小農運動、土地なし農業労働者運動、教会)や市民社会組織(環境団体、人権団体)、そして大学・研究者・研究所が加わる形で、活発に活動を繰り広げています。


<セラードを守る全国キャンペーン・サイト>

http://semcerrado.org.br/

この中に、MATOPIBAに関するリーフレットが2つ掲載されています。

http://semcerrado.org.br/wp-content/uploads/2017/01/Folder-Matopiba-Cr%C3%A9dito-CIMI.pdf

http://semcerrado.org.br/wp-content/uploads/2017/01/Infogr%C3%A1fico-sobre-MATOPIBA-Cr%C3%A9dito-CPT.pdf

*必ずしも正確ではない点が部分的にあるのですが、現地からの視点ということで。末尾に表紙の写真を貼付けますが、見るだけで哀しくなります。


【MATOPIBAのその後】

 日本政府・JICAは、輸出型・官民連携の大豆生産・輸出を目指したProSAVANA初期計画の失敗を受けて、農業開発そのものには政府としては関わってはいません。といっても、分かっている範囲ですが。また日本の企業も当初は農場買収などでこれに参画しようとしていたものの、事業失敗の中で巨額の債務を抱え、現在はvalue chainのコントロールに焦点を移しつつあります。

 そして、ジルマ政権の崩壊と、アブレウ農務大臣の失脚を受けて、前政権の計画であるMATOPIBAは政治・外交の舞台から消えているように見えますが、実際のところはこの地域での土地収奪は、より内陸奥深くに伸張しつつある鉄道・道路などの交通網の整備に伴って、激しさを増しています。ここにきて、大豆などのだけでなく、ユーカリ植林も増えてきています。

 なにより、ジルマ前大統領の弾劾後に政権を奪取したテメル大統領は、農務大臣にブラジルの「大豆王」でありアグリビジネスの帝王と呼ばれるブライロ・マッジ氏を選ぶ一方、小農の農業を支援するためにルーラ政権時に創設された農業開発省を潰し、アグリビジネス優先の農業政策を強く打ち出しています。

 これらの結果、2014年頃から、ブラジル各地で、土地や水をめぐる紛争が激化しています。中でも、MATOPIBA地域を含むセラードやアマゾン周辺地域は、最も激しい紛争が起こっており、土地と森を守ろうとする先住民族のリーダーや市民社会組織のリーダーらが、次々に暗殺されています。ブラジルは、土地と森を守るために殺された人が世界で最も多い国となっています。


国際NGO・グローバルウィットネスの報告書

https://www.globalwitness.org/en/campaigns/environmental-activists/how-many-more/


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by africa_class | 2017-11-10 04:41 | 【考】土地争奪・プロサバンナ/マトピバ

試訳:「小農と農村で働く人々の権利に関する国連宣言」のドラフト(前文)

 今日はあまりに寒く、畑仕事をする気持ちが盛り上がらなかったため、関心のある人とない人といるでしょうが、趣味と実益を兼ねて、昨日紹介した「小農の権利に関する国連宣言」のドラフト文の前文だけ仮訳しておきました。

 つかったドラフトは、201736日に、国連総会に提出されたドラフトで、総会文書(A/HRC/WG.15/4/2)となります。https://documents-dds-ny.un.org/doc/UNDOC/GEN/G17/051/60/PDF/G1705160.pdf?OpenElement

 が、国連関連の宣言文で一番面倒なのが、「前文」なので、ここを避けて通りたい気持ちは山々だったものの、ここを飛ばすと意味がなくなるので、耐えに耐えて訳しました。

 途中までは、あるお方が下訳をして下さっていたので(感謝!)早かったのですが、その後は辛かった。一般向けには分かりやすく訳し直す必要がありますが、まずはそのままに近いバージョンでシェアしたいと思います。また、日本語の校正をかけていないので、最後まで訳せたら見直しします。誤訳など気づいた人は教えてね。

 また、「小農と農村で働くその他の人々」が正確な訳ですが、下訳者が「小農民と農村で働く他の人々」とされていたので、「小農民」を「小農」にして訳してあります。でも、「小農と農村で働く人々」でもいいかなと思っています。

(*なお、下訳者の方は農民団体の方なのですが(知る人ぞ知る)、お名前の掲載は遠慮したいとのことなので、残念ながら私のみの名前となっています。格調高い素晴らしい訳で、私の稚拙な訳が恥ずかしいほど・・・)

 ちなみに、読み始めてぞっとして、最後まで読んでぎゃーーというと思いますが、前文は「ピリオド(。)」が、最後の最後までなく、ずーーーと「コンマ(,)」と改行で文章が連なっていきます。なので、この宣言文の前文は、2.5頁全部が一つの文章…という悲惨なものとなっています。

 で、recalling,reaffirming, recognizing, convinced, concerned, alarmed, noting, という始まりが延々と続いて、recallingなんて4連発なわけですが、これらのどれを使うかで、国際的な意志の強さが変わってくるので訳もあまり弄れません。

 国際的な抗議文書であれば、condemnを使うかどうかが焦点になってきます。 そこを、notingとかに弱められることがままあります。このcondemnnotingかのたたかい・・・を延々と水面下あるいは議場で行うのが、国連外交だったりするわけで、なんともまあ・・・。

*****

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作業部会の議長兼報告者による提案

小農と農村で働くその他の人々の権利に関する国連宣言(案)

(試訳:舩田クラーセンさやか[2017年11月10日版])

<前文>

国連人権理事会は、

 国際連合憲章、世界人権宣言、あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する条約、市民的及び政治的権利に関する国際規約、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約、女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約〔女性差別撤廃条約〕、発展の権利に関する宣言、全ての移住労働者及びその家族の構成員の権利の保護に関する国際条約、児童の権利に関する条約〔子どもの権利条約〕および、普遍的または地域レベルで採択された他の関係する国際条約に明記される原則の実現の促進を希望しつつ、

 すべての人権は、普遍的かつ不可分、関連し合い、依拠し合い、相互に補完し合い、同じ土台の上で、等しく重視されつつ、公平かつ公正に扱わなければならないことを確認し、一範疇の権利の促進と保護によって、他の権利の促進と保護を締約国が免れてはならないことを想起し、

 小農と農村で働く他の人々と、これらの人々に属し、彼らが生計のために依拠する土地、水、自然資源、領域との間の特別な関係および関わり合いを認識し、

 世界のあらゆる地域の小農と農村で働く他の人々による、世界の食料と農業生産の基盤を構成する過去、現在、未来の開発/発展と生物多様性の保全・改善に対する貢献、そして持続可能な開発のための2030アジェンダを含む国際的に合意された開発目標を達成するのに不可欠である食料主権の確保における貢献を認識し、

 小農と農村で働く他の人々が貧困と栄養不足に著しく陥っていることを懸念し、

 また、小農と農村で働く他の人々が環境破壊と気候変動がもたらす被害を受けていることを懸念し、

 農村生活におけるインセンティブの欠如や重労働を理由に、世界で小農の高齢化が進み、ますます多くの若者が農業に背を向けていることを懸念し、とりわけ農村の若者に対して、農村における経済の多様化と、農場労働以外の機会の創出の必要を認識しつつ、

 ますます多くの小農と農村で働く他の人々が毎年、強制的に退去、立ち退きを強いられていることに危機感を感じつつ、

 小農女性と他の農村女性が、経済の非貨幣部門における労働を通じてのものを含め、彼女らが家族の経済的なサバイバル(生存)における重要な役割を果たしていながら、借地権や土地の所有権、土地、生産資源、金融サービス、情報、雇用、社会的保護への平等なアクセスをしばしば拒まれ、さらには、頻繁に様々な形式や表現の暴力の犠牲となっていることを強調し、

 いくつかの要因により、小農および農村で働く他の人々、小規模漁民、漁業労働者、牧畜民、林業従事者、その他の地元コミュニティの声が反映され、人権および土地保有権が擁護され、それが依拠する自然資源の持続可能な利用が確保されることが困難になっていることを強調し、

 土地、水、種子、その他の自然資源へのアクセスが、農村の人々にとってますます困難になっていることを認識し、生産資源へのアクセスの改善と適切な農村開発への投資の重要性を強調しつつ、

 小農や農村でく他の人々が、生系が自然のプロセスとサイクルを通じて適応し再生するエコシステムの生物学的かつ自然的な能力を含む母なる地球と調和するとともに、それを支援する農業の持可能な践を促し担うという努力が支援されるべきであることを確信し、

 農業漁業およびその他の活労働者の多くに与えられる、生活金および社会的保をしばしば欠く、有害で取的な条件を考し、

 土地や自然源の問題に取りむ人々の人を促し擁護する人、体、機関が、さまざまな形迫や身体的一体性への侵害(暴力)を受けるリスクが高いことを念し、

 小農や村でくその他の人々が、暴力、虐待、取から直ちに救や保を求めることができないほど裁判所、警察官、察官、弁士へのアクセスが困難となっていることに注目し

 食料品に関する投機を懸念し、人の享受をなうフードシステムの寡占や不均衡な流通が増していることを受けて

 人々の食料主権へ利を保するためには、この宣言でめられている諸利を尊重し、擁護し、促することが不可欠であることを認識し、

 先住民族の利にする国連宣言を踏まえ、先住民族の小農や村部でく先住民族を含む先住民族が、自らの内的事項ならびに地元事柄にする自己を有することを確認する一方、 当該宣言のいずれの記述も、国家、人々、体、または個人に対して、国連憲章に反するいかなる行を行う利を暗示するものではなく、また主国家および独立国家の土保全または政治的一を全面あるいは部分的に解体またはなうことを許可するものでも促すものでもないことを強調し、

 開発/発展利が、すべての個人とすべての人々にとって、譲渡不可能な人権の一部を成し、これらの人々が、人権に関わるすべての権利と基本的自由が完全に具現化される経済的、社会的、文化的、政治的な展(のプロセス)に参加し、貢献し、それを享受することができる権利を有することを再確認し、

 これらの人々が、人する国際規約方に関連する条項の対象者であり、自然が自身にもたらすウエルネスと源のすべてにする十分かつ完全な主を行使する権利を有していることを想起し、

 また、労働切な労働する国際労働機関ILO)の規約告の広範なる体制(body)を想起し、

 食べ物への権利、土地の権利、自然源へのアクセス、その他の小農利に関する国連食糧農業機構(FAO)による広範なる取り組み、特に「食料と農業する植物遺伝資源にする国約」、ならびにナショナルな食料安全保障の文脈における「土地森林漁場利の任あるガバナンスにするボランタリガイドライン」、食料安全保障と貧困撲滅の文脈における「可能な小漁業保するためのボランタリーガイドライン」、食料および農業のための植物遺伝資源にする国際条約」、ナショナルな食料安全保障の文脈における「適切な食料への権利の漸進的な実現を支援するためのボランタリーガイドライン」を想起し、

 農地改革と開発する世界会議」とそれによって採択された「小農憲章」の果を踏まえ、農地改革と開発のための切な国家略の策定の必要性と国家開発戦略全体への合が強調されたことを想起し、

 小農と村でくその他の人々の人をより一層保し、この問題する既存の国権規範と基の一した解用を行う必要性を信し、

 小農村でくその他の人々の利について、次の宣言を厳粛採択する。


***

最後まで読もうとしてくださった皆さん、ありがとうございます。

27条まであるので、続きがどこまで訳せるか分かりませんが、とりあえずこの宣言文の傾向については朧げながら理解できるかと思います。

当初のドラフトからの変化について、色々気づいた点を書きたいところですが、これはまた今度・・・。


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by africa_class | 2017-11-10 00:36 | 【国連】小農の権利宣言