ブログトップ

Lifestyle&平和&アフリカ&教育&Others

afriqclass.exblog.jp

12才でキャンドル作家、14才で木工作家になった息子から、「好きこそものの上手なれ」

先日15才(中3)になった息子の最新作(末尾)。
別にシュタイナー学校に行っているからといわけではない。
お友達の多くは、ネットゲームに嵌っている。

ただ、前から大好きだった木工に本格的に目覚めたきっかけは、クリスマスバザーに学校に木工のアーティストが来て、木ろくろを体験して、実際に木工の作品がどんどん売れるのを目の当たりにしたから。関西人なもんで、「売れる」ということは、彼の中で非常に大切。

この半年で3500ユーロ(50万円)ぐらいは売ったが、ほとんど大型機械と材料代に消え、未だ借金が3万円ぐらい残っている。しかし、さらに大型の機械がほしいそうだ(まずは300ユーロ、5万円弱返してね)。今日は彼に最後の2枚の写真を掲載するように頼まれただけだったんだけど、彼の作品の変遷を紹介してしまおう。

まず12才の時にキャンドルを製作し始めて、それを販売し始めた。
a0133563_03145511.jpg
一緒に作っていた友人とキャンドルを作って、地元の自然食品の店2つで販売したのだけれど、こういうの二人だと上手くいかない。ましてや当時小学校6年生!結局、息子がほとんどを製作し、上手くなってしまった。だと二人ではやれない…なので開店休業中。ごめんなさい。
http://kidscandle.exblog.jp/

せっかくキャンドル専用の小屋もあるのに、キャンドルを置く台を木で作りたくなった。
2013年春、こんな風に作ってみた。
a0133563_03214003.jpg
でも物足りない。
森に転がっている腐った木を使って作りたいといった。
2013年クリスマス、小さな木ろくろをパパにプレゼントでもらって、作り始めた。

a0133563_03193782.jpg
そして、朽ちた木への愛は続き、ボウルはとにかくよく売れた。
(しかも材料代ただ!)
a0133563_03271937.jpg
が、ロクロを回すのに飽きたのか、雨ざらしになっていた板で家具を作り始めた。板をじーーーと見て、何を思ったのか、ワインラックをデザインした。

そして、このデザインと雨ざらし感を気に入った26才の青年が購入してくれた。彼のアパートの壁。ドイツはレンタルの家・アパートでも、平気で壁に穴があけられる。というのも、入居時に全員が壁をはったり塗り直すから。それにしても、彼の写真ぶれとんな…。

a0133563_03360981.jpg
この青年は続けて、テーブルを注文してくれた。
地元の製材所にいった。桜の木の肌があまりに奇麗で、テーブルにしかしたくない、と。ちょっと割れ目があったんで、見よう見まねで…蝶ちぎりを入れてみた。

彼の技術はすべて日本から買ってきた本とYoutube。じっといくつも動画をみて、納得いくまでみて、それからそれを試してみる。当然、失敗が多い。練習してから本番に向かうことができない子どもなもんで、失敗を積み重ね、今では少し学んだ…と思いたい。

右奥の窪みは、私のアイディアで、他の作品で彫刻刀で削ったもの。そもそも、夜はパンしか食べないドイツ人。せめて盛り上がるお皿を、と思って、チーズやハムやスモークサーモン、プチトマトやキュウリを載せるオブジェを製作してクリスマス商品として売ってみたら、これが結構売れた。その応用編として、青年は、この窪みをこのテーブルにもほしい、と。
a0133563_03332010.jpg
この後も家具に燃えに燃えたが、家具って売るのが難しい。ギャラリーがあるわけでも、Web販売しているわけでもないから。要請に従い、パンフレットを作ってあげたが、本人的にはWebがないと嫌らしい。ふーん、勝手にせい。

自然食品の店で売ってくれるので小物の方が売りやすい。
なので、結局作っては途中で放り投げる感じの家具が、家のあちこちに…。まあ、大変な田舎なのでスペースはあるんで、いいけど。いつか完成させてね。

せっかく、自然食品の店が、彼の作品コーナーを正式に作ってくれるというので、その棚の注文が入った。なのに、なんか気乗りしない。というか、斬新すぎるデザインをしたはいいが、強度の問題で壁にぶち当たったまま、解決できず、毎年恒例のアフリカに行ってしまった。その残骸は今でもリビングに放置されている…。
a0133563_03464542.jpg
彼の愛する野生動物たちの写真。本人曰く、人間より動植物の方が好き、だという。そういう彼が撮る猛獣たちは、どこかかわいい。が、どうやって撮ったの、これ?と思っていたら、いつの間にか、さらに借金してズームレンズを買っていた。だから、早く棚完成させなきゃ、息子よ。

そういえば、アフリカに出発する直前、5月のこと。急に色のついた作品を作りたがるようになった。春に日本に帰った私が、染色の本を買い込んできたのをみて、「色」に目覚めた。春なので、庭中がいろ、色、彩で、ぱっと明るくなったからか。で、花びらを集めた。しゃくなげの赤は特に気に入ったらしい。
a0133563_05165813.jpg
で、染めてみた。その前に、染色の本を読んで、他の作業も必要だと分かり、試行錯誤の結果、定着をよくするために、栗の実の皮を集めて煮出した液体に豆乳を加えたものに漬けてからやった。豆乳は牛乳だった方が良かったと思う。なのでかなり淡い色になった。ただ、桜の木のボウルには桜色が良いかもしれない。もう一度染め直して、それからウォルナッツオイルがいいかな。

でも、こういう色好きな人もいるかな。
a0133563_05153145.jpg
本人のイメージは、もっと鮮やかな色だったようで、これまでの自然(食用)オイルを離れて、色鮮やかなオイルを使いたがった。ほっておいたら、いつの間にか自分で注文した英国の塗料が届いた…。いや、父親がしたのだろう。化学物質過敏症の私が反対するのを知っているので。

色が先かデザインが先か聞くのを忘れたが、アフリカの土鍋がモチーフと思われる。彼の中には、日本・アジア・アフリカ・ヨーロッパの不思議なものたち(現代に限らない)のフォルムが、何層にも蓄積している。

a0133563_03523493.jpg
土台にあるのは、その前に嵌っていた家具作りの一貫で製作したベンチ。実は、このベンチ…何を思ったのか、ある日トップに葉の彫刻が表れた。本人曰く、「いつも思ってたんだけど、ただのツルツルとかの表面ってつまらんやん」。ああ、、、そうよね。でも、ベンチって、座るもんやん???どうせやるんやったら、テーブルにしてーな…は呑み込んだ。自由な発想って、とにかく大事。この歳になると特にそう思う。もはや、そんな自由さ、枯渇してるもんで。

でも、ベンチに彫刻してる間あったら、棚完成させてよ…で小物作って売ってよ…でないと借金かえってこんやん(ついでに利子つけてね!)と思いつつも、これも呑み込み、本人に任せる、まかせる。

同じ系列の塗料で、黒だけで塗ってみた作品。とっても渋い、素敵なものが出来た。これは、彼が尊敬して止まない私の長年の友人・モザンビークの建築家にお土産として持参したらしい(私は行ってないんで)。谷崎の陰影礼賛をポルトガル語に訳したほどだから、彼は大喜びしてくれたそうな。

ただ、この写真…ぶれるね。今迄私が撮っていた写真を初めて自分で撮るようになった。が、どうもピンぼけする。その上、ライティングがダメらしい…。で、今度は商品撮影の本を日本で買って来て、ああだこうだ言い始めた。特別なスクリーンだとか白いライトが買いたいと言い張るが、他のもので代用できるはずとここは譲らないでおいた。なんせ借金返してね、まず。

a0133563_05044082.jpg
とにかく、本人はWebを作りたい。
が、買ったWeb製作のためのソフトが全て日本語。マニュアルも日本語…。読めない。漫画以外の日本語は…。ふりがな打ってないし。でも、根性でなんかやってる。最初は手伝って!!!と毎日拝まれたが、超音痴の私には無理と悟ってくれたのか(obviousか)、自力でなんとかがんばっている。とにかく、かっこいい写真がほしい。が、銀行にカネはゼロ…棚を作らないので作品が載せられず、作品が売れないから、カネもない。悪循環!なのに、Webと撮影に嵌っている…。

ようやく悪循環に気づいたのか、白い画用紙を使って、あれやこれや試し始めた…。なんか写真上手くなってきたから、今度はもっと本格的な、機能的なボウルではなく、アーティなボウルが作りたくなった…そうな。で、塗料ではなく、柿渋のような、でももっと濃くでる方法は…と色々検索しているうちに出会ったのが、「アンモニア」。

ここまで来ると、もはや結果しかつき合えない。
で、以下の写真をメールで送ってきて、「ブログに載せといて」…とのことなので、載せてみました。なんか、凄い高度なことになっている…。


a0133563_02532018.jpg


a0133563_02583514.jpg

どこまで進化するのか、彼は。
好きこそものの上手なれ。
読めない日本語も、なんか読んでしまうところは、やはり卒論指導と一緒で「目的」がはっきりしていた方が、後は手段として割り切ってがんばれるものだ。

それが手段を目的化すると、まっったくつまらない。
そんなことを息子で実証してどうするんだ、、、と思うが、まあそのうち彼が反論するでしょう。
ひとまず、以上どうぞ、ご覧あれ。

そうそう、こんなことばっかりやってるわけではなく、ちゃんと毎日学校にも、週3回サッカーも通っています。が、友達と遊ぶ時間、ネットゲームをする時間なんかはないねえ。まあ、こんな趣味の15才、ドイツといえどもいるわけではないので、話題がまったくあわない。日本にいても同じだったろうけれど、本人は当初それを気に病んでいたものの、今となっては忙しすぎてそれどころではない感じ。まあ、時々お友達とお泊り企画をやっているんで、まあほっておいてもいいかな。

それより、卒業生にこのArtセンスはどこからきたの?と質問された。それはずばり、小さい頃から「ほんまもんごっこ」をしていたのです。

雑誌や本、写真集、博物館に美術館、町や森を散歩しても、海に行っても、いつもどれ(何)がどういいのか/悪いのか、彼と一緒に語り合ってた。同じ風景でも、時間が違って、太陽の光の加減が違っていたらもっとこうだよね、ここの感じがもう少しこうだったらどうだっただろう…などと、二人の会話の「ごちそう」部分は、いつもそこだった。勿論、彼が「いい」と思うものと、私が「いい」と思うものは、いつも一緒だったわけではなく、そのポイントも違っている。だけど、それぞれの「いい」と思うポイントの理由を尋ねあうのが、凄く重要だったんだな、と今ふりかえって思う。

その時、所謂西洋っぽいものを見る事は少なかったかもしれない。もっと自然なもの、根源的なもの、素朴なもの、そういうものにとても惹かれていたのだけれど、その後日本の伝統的な手の込んだものや骨董に嵌り始めて、もう少し彼も私も惹かれるものの範囲が広がったように思う。今、ヨーロッパにいるから、こちらのデザインも大分興味がわいて来たよう。

でも、根っこの部分では、シンプルなものへの愛が濃いようだ。本人曰く、「ママ、今時代はミニマリスティックなデザインがいいんだから」と。じゃあ、君の部屋をミニマリスティックな感じになるように片付けてよ。というと、どこぞやに消える息子であった。

さらに、子どもの頃ずっとテレビがなかったもんで、彼は沢山の絵を描いていたし、牛乳パック等の不要品で色々作ってたし、毛糸で編み物もしていたし、泥だんごで恐竜を作ったり。頭の中のイメージを、そのまま手で作り出す…そういう時間を沢山過ごした。

ドイツに5年生の時に来たばかりのときは、アルファベットも読めず、高校に入る直前で勉強も大変で、かつマンモス公立校で辛かったと思う。でも、秋に移ったシュタイナー学校は、そういう彼が積み重ねて来たアートを中心に据えたプログラムで、彼は自分の居場所を見つけ、自由に羽ばたいていった。・・・羽ばたきすぎて、先生と喧嘩しすぎて、学校に呼び出されること多しだが。

まあ、まだ15才。
すべてを辞めて、別の道に行ったっていい。
それにしたって、ある程度勉強は…必要だよね。
がんばれ、15才。

部屋掃除してね。

===
そうだ。
私と息子の会話は、大体2才ぐらいから現在まであまり変わっていないことについては、留意点かもしれない。政治の話も、社会問題も、とにかく彼と話してきた。勿論、話の深さや表現の仕方は年々変わって行ったが。なぜ2才かというと、その頃から彼が「どうして?」を連発するので、一つ一つお互いに「どうして」を言い合っていったら、普通に社会問題や政治問題に行き着いていったからだったのだ。

どうして、皆電車に乗ると携帯ばかりみるの?
どうして、アフリカの子どものお洋服は破れているの?
どうして、新宿に段ボール敷いて寝ている人がいるの?
どうして、コンビニの電気は明るいの?
どうして、農薬のついた食べ物は安いの?
どうして、ドイツの空港では皆タバコすってるの?

子どもの「どうして?」はするどい。
「どうしてでもいいじゃん」「いつか分かるよ」と答えれば楽かもしれない。でも、子どもの「どうして」にきちんと向き合うと、すごく勉強になる。こちらも「どうして?」と聞くと、さらに素晴らしい深い会話となるのだ。

大抵の親や周りの大人達は、「こんな小さい子と何話してんの?」という顔をしたし、口にも出した。けれども、息子以外のお友達で試してみても同じだったが(そして最近、教え子の3才の息子さんに試してみても同じ結果だったが)、子どもたちは2−3才ぐらいから「なぜか」を語ることができるのだ。そして、その「なぜ」はとっても独創的で、本質的で、素晴らしいことが多い。とにかく、目から鱗が落ちる事多々。

ただ、こちらが、「なぜ」に関する勝手な「正解」を押しつけ(る姿勢すらみせ)さえしなければ。重要なのは、こちらが答えを知っていて、あっちが知らない…という前提を決して持ち込まないこと。その時点で、純粋な子どもたちは親や大人が想定する答えを探り、それにあわせた「正解」を口にしようとがんばってしまう。あるいは、反抗期なら、その真逆を身体いっぱい表現しようとする。そのどちらもが子どもらしい反応であり、それ自体を否定するわけではないが、大人としてもう少し違ったリアクションがあり得ることを頭の隅にでもおいておいてほしい。

子どもには、すごく早くから色々なことを見抜き、自分で考える力がある。ただ、それを言語として表現して外に伝えるのが、とても難しい。だから、彼らの言葉や何やらの表現を待たず、こちらの答えを即座に押し付け続けると、子どもたちも「そういうものかな」という思考停止に流れていってしまう。だから、「どうして?」という何気ない一言、そしてそれへの彼らなりの表現をじっくり待ち、どんな答えも否定しないで耳を傾けることが凄く重要。大抵、「どうして?」の後にも、「どうして?」が続いていくが、子どもの思考というのは長続きしないし、飽きてしまう事も多いので、「今日はここまでで、今度また聞かせてね」と伝えておくと、実はその子はその後も何らかの形でずっと考え続けていることが多い。

子どもたちのそんな粘り強さを、面倒くさがって「はいおしまい」としないで、持続的に発展していく方向にベクトルを向けられないものか。子守り代わりにテレビやDSや携帯ゲームやIpadを与えている限り、そこは難しく、彼らが知的楽しみを自分中に見いだせるようにするには、親や大人達もまた、自分の中の知的楽しみを、子どもとともに発見していかねばならない。

その意味で、子どもに教えるどころか、教わること多しなのだ。




[PR]
# by africa_class | 2015-08-17 04:02 | 【徒然】ドイツでの暮らし

一括掲載:安倍首相談話の分析〜被抑圧者の視点を含む現代国際関係史からの考察

安倍首相談話が発表された。
タイトルはとても良い。
「終戦70年。歴史の教訓から未来への知恵を学ぶ」
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2015/0814kaiken.html

なのに、何だ…。
「歴史の教訓」の把握のしぶりがおかしい。
世界史の展開にそのすべての理由を求める始末…。
「主語がないからお詫びがない」と騒がれているようだが、それもそうだが、その前提となる「何故謝らなければならないようなことになったのか?」の原因分析が、まったく他人事。しかも、歴史的事実を、都合のよいところだけピックアップして、「だから日本は世界の潮流に乗ってしまって、途中で道を踏み誤ったんだけど、それも経済のブロック化で追い込まれたからだよ〜」となっている。

詳細はまたテキストにしたいが、とりあえずつぶやいたことだけ貼付けておく。

この談話の土台となった「21世紀構想懇談会 報告書」
2015年8月6日
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/21c_koso/
なるほど「20世紀=帝国主義」から始まっていてこれ自体は妥当だが、日本の帝国主義・植民地支配に関する検討が一切ない…。

この分析は今度にして、以下談話だけみたところの分析。


【安倍首相談話1】アジア・アフリカの被植民地支配者の視点から20世紀の国際関係史を振り返ってきた者として、こんな談話が世界に発信されたのが今も信じられない。誰も助言せず?日露戦争の5年後に日本がしたのは朝鮮併合。なのに「日露戦争は、植民地支配の下の…人々を勇気づけました」とだけ。

【安倍首相談話2】中国や南洋諸島も植民地支配していったプロセスは完全オミットし、突然「満州事変」「国際連盟からの脱退」が言及。背景に世界文脈を述べても良いが、首相談話として最も肝心な主語と動詞がナイ。日本が誰に何をした結果何が生じ、何を問題と認識し、談話する?

【安倍首相談話3】日本によるアジアの植民地支配の歴史を全く言及せず、「戦場になったアジア」へのお詫び、「将来も侵略/植民地支配せず」を述べているだけ。「植民地支配は他もやったからやったまで」と。「あの時殴ったけど、みんなもしたよね」とこの期に及んで、何それ?

【安倍首相談話4】「アジア・アフリカの人びとに勇気を」は「植民地支配者側ではない同じ有色人種」と受け止められたから。が、すぐに支配者側に転じたし、日本が「抑圧された有色人種の真の解放者」でなかったのは歴史事実。アパルトヘイト下南アで「名誉白人」にしてもらってた。

【安倍首相談話5】1961年以降、国連決議(経済制裁含む)が何度もなされた南アに対し貿易国No1になったのも日本。70年遡らなくともつい最近91年のこと。アフリカの解放において、日本は常に支配者側に。百年前「支配下のアフリカに勇気を与えた」なんて傲慢すぎる。

【安倍首相談話6】アフリカの解放を中国が支援の最中、日本は植民地・アパルトヘイトの支配者側に立った。歴史事実として、日本政府が「有色人種の解放」を率先したことはなく、他のアジア人の犠牲を強いても「欧米諸国」に同一化しようと。今のヘイト問題の根っこが見える談話。

【安倍首相談話7】結局、弱き者の犠牲の上で自らの「繁栄と(見せかけの)平和」を得ようという、戦前と冷戦期の日本政府の行動パターンは、底堅い連続性を持って安倍政権に継承されていることが、嫌中・韓やヘイトの煽動、安保法案、この談話からも明確に。米国は熟知の上利用。

【安倍首相談話8】彼の「ブレーン」の世界史認識も誤り。前パラで「アフリカ」を入れておいて、「第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり植民地化にブレーキがかかった」は、歴史事実ですらない。アフリカにおいてはWWI中・直後から実効統治が進み人びとの苦難が。

【安倍首相談話9】「植民地化にブレーキ」の後は、「国際連盟の不戦条約=新国際秩序」で、「日本はこの「挑戦者」となり進むべき針路を誤り戦争への道へ」とある以上、どう読んでも「日本も植民地保有帝国として列強へのクラブ参加」を否定しておらず、過ちは「戦争」のみ。大日本帝国への憧憬か。

【安倍首相談話10】「国際秩序の挑戦者となった過去を胸に刻み、自由、民主主義、人権の基本的価値を堅持し」←戦前、国内でこの3点が弾圧され、声が挙げられなくなった先に「国際秩序挑戦」があった。なのに「経済ブロック化」だけが原因指定。今まさに日本内で3点を弾圧中。

【安倍首相談話11】「戦場の陰には深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちが…」では、日本語としてもヘン。「戦場の陰」って何?「戦場」は場所に過ぎず、「女性を傷つける」主語になり得ず。「戦争の陰」のはずで、それでもあまりに曖昧だが、未だ責任が示唆。あまりに姑息だ。

分析するつもりなかったが、あまりに衝撃すぎた。誰だ、こんな助言したのは。都合のよい偏った世界史(20世紀)認識。「被害者の側に寄り添う」ようでいて、実際のテキスト全体の内容は、そうなっていない。国際的な信用を失う書きぶり。公式見解では皆、本音いわんだろうが…。


[PR]
# by africa_class | 2015-08-15 06:20 | 【考】21世紀の国際協力

倫理Ethicsと道徳Moralについて、他者に影響を及ぼすことが前提の開発援助から考えてみる。

夏は忙しい。
夏野菜や果実を収穫し、草を刈り、冬野菜を植え、水やりも頻繁に…。
しかも、収穫は同時一斉なので、ジャムにしたり、ソースにしたり、オイルやビネガーに漬けたり、乾燥させたり、しかも化け物のような大きさなので、茎や根っこ等の処理にも困る。そんなところに、息子の学校が始まり、早起きする彼にあわせて(かつドカ食いが戻って)、何度も食べ物を供給し続ける…・となると、何も捗らない。そろそろ仕事もしなければ、ということでバイトの仕事が山のように積み上がる。

が、文句はいえまい。
子どもたちがサッカーに行き、水やりも終わり、猫たちも餌を食べ、薪ストーブが勝手に調理をしているので、先日以下の記事を書いている時に付け加えたかった「倫理Ethics」について、あくまでもメモ書き。

■敗戦直前に燃やされた陸軍資料、そしてマフィゴ代表の死とプロサバンナ。12団体「緊急声明」から考える

http://afriqclass.exblog.jp/21539066/

あえて「道徳Moral」という言葉を使わなかったのは、使ってもいいのだが、個々人について 書いてはいるものの、やはり個々人の集合体である「政府」「JICA」「開発コンサルタント企業」等、それなりのグルーピ ングの中でやっている業務に関する話だから。やってもやらなくてもいい個人の趣味や遊びではなく、集団の仕事としてやっている。

だから、「倫理 Ethics」はどうなっているんですか?
「倫理綱領」はないんですか?…・となる。
何故なら、個々人の「道徳モラル」は最低・最後・最大の砦で あるものの、そこまで行き着く前に組織の倫理綱領というものが明確であれば、防げるものが沢山あるから。

人も組織も過ちを犯す。だから予防のために、あるいは問題が起きてしまった時に問題を拡大・悪化させないための前持ったルールと方策の明文化が不可欠。そして、それをそこに所属する者個人個人が守らなければならない、、、という自覚を持つ必要がある。これは、とっても立派なJICA「環境社会配慮ガイドライン」があるのに、どうしてプロサバンナ事業にみられる不正に満ちた行為が継続するのか…という問いの答えの一つとして重要な論点だと思う。勿論、これほど大規模で強い社会的影響を及ぼすプラン(事業まで想定されていた)作成が前提となっているのにカテゴリがAではなく、Bにされてしまっていたことも関係していないわけではないが、個々人の名前が消された状態で事業が遂行されるに至って、「倫理要綱」の問題に行き当たった。

倫理要綱は、どの組織にあるえわけではない。多くの学術組織は、パワハラ、アカハラ、セクハラの問題に直面して、そして最近ではSTAP細胞やらが起こったために、急ぎでここら辺を整備している。
最も大きな学術グループである、日本学術振興会には、「科学の健全な発展のために-誠実な科学者の心得」というテキストが準備されている。
https://www.jsps.go.jp/j-kousei/rinri.html
実に122頁。
キーワードは、「誠実さ」「健全さ」「公正さ」。
な〜んだ、という感もあるだろうが、具体的に読むと分かりやすい。

このように急ぎ整備されている諸学会の「倫理綱領」。日本国際政治学会(http://jair.or.jp/documents/code_of_ethics.html)にこれを導入するきっかけは、若手からの強い要望があったと聞く。そして、それに横やりを入れた「重鎮」がいたということも。ここに、「倫理要綱」をめぐる政治力学が如実に反映される。

つまり、倫理要綱整備の根っこにあるのは、「パワー」の問題なのである。(1)そのような要綱を整備しない限り、長年にわたって培われてきた可視化されにくい権力構造の中で生じる不正・不公正・人権侵害・ハラスメントを、明文化することで抑止する。そして、(2)問題が顕在化した時にこれに対応する際の指針とする(例えば学会退会要請等の処罰)。

つまり、個々人の「道徳モラル」に頼ることの限界と危険が、明確に認識されている点が重要である。日本のあらゆる場面で、可視化されづらい構造・文化における「パワー」の問題は、組織や個人を腐らせてきたが、近年これが悪化しているように思う。個々人にも、所属組織にも、余裕がなくなってきたからだろうか。ここら辺は深く考察したいところだ。

日本文化人類学会(http://www.jasca.org/onjasca/ethics.html)や日本社会学会(http://www.gakkai.ne.jp/jss/about/ethicalcodes.php)、日本政治学会)には早い段階から「倫理綱領」はある。しかし、援助・開発研究を行う研究者・実務家の集まりである国際開発学会にないのが、大きな疑問である。日本アフリカ学会にないのは、それぞれが属するディシプリンの倫理綱領を使うからだろうか?やっぱり、集合体として持っていた方が良いと思う。評議員を辞任した私が言う事ではないが。これらの学会が、すでに準備していたら、失礼。

もし、日本の研究者同士ですら、このような不可視化された難しさがあったとしたら、開発援助研究、あるいは開発援助の実務においてはいかに?所謂「途上国」と呼ばれる国々で、「専門家」「援助国の研究者」として調査や実務をする側にいるとして、これらを「される側」との関係には、明らかにパワーの問題が生じる。「される側の農民や住民」の場合は、さらにこれに、ローカルなパワーの問題が覆い被さることになる。しかも、日本の援助は、相手国政府を通じて行うものである以上、日本の援助者が「される側の農民や住民」の側に直接与することは構造上よしとされていない。

日本の援助関係者は、しかし、これに無自覚・無頓着なことが多い。「善意」でやっている…という前提だからか、あるいは現地政府関係者としかやっていないからか。外務省に至っては、「援助は政治とは関係ありませんから!」「政治分析の話は個別の援助事業の議論に不要なんです。そういう話を持ち出すことそのものが政治です!」…と仰せになるほど…。ここら辺については、高橋清貴さんのコラムが参考になる。

***********

会報誌『Trial&Error』

ODA ウォッチ: プロサバンナ事業 第9 回(2014年10月20日)
「政治力学に無垢を装う「開発」の虚構のなかで」
http://www.ngo-jvc.net/jp/perticipate/trialerrorarticle/2014/11/20141113-2.html
JVCさんの以下のサイトには、他の記事や情報も満載。
http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/advocacy/prosavana-jbm.html
**********

このような当然として存在する「パワー」の問題を、「見えない、見ないように」している現状こそが、今回のプロサバンナ事業をめぐって延々と起きていることの根っこにあることを、是非これを機会に深く分析し、検討し、話し合い、教訓として将来に活かしてほしいと思う。きっと、そのようなプロセスを経て、よくなるものもあると思う。それが、たとえそれぞれの現在の組織に活かされないとしても(本当は活かしてほしいが、限界があるのも知っている。私とて、外大を本当の意味では変えることができないまま後にした以上)、関わった一人ひとりの「次」に活かされることを切に望んでいる。

なお、多くの場合、「パワー」は持っている側には見えないものだ。また、その把握も解決も、「パワーの構造」がある以上、本当の「公平さ」を実現するには、「持たざる側」の訴えの方にこそ力点を置かねばならない。この「当たり前」が、日本では、人の理解においても、社会や組織の理解に根付いていない。大学のパワハラ・セクハラ事例に関わってみても、実感としてそう思う。だから、「セカンドレイプ」のようなことがずっと起こり続けている。これは、「慰安婦」問題についても同様である。もしかして、私たちの社会は、「弱者の訴え」に対する理解を、以前よりもっとずっと失っているのかもしれない。

原発事故やSTAP細胞の件は、研究者の倫理について世論の注目を喚起したが、「不祥事」への対策の方が先行してしまって、その後それに呼応するだけの制度整備やプラクティスが、学術界を超えて起こっているとは言えないのが、本当に残念だ。

他者に多大な影響を及ぼすことが前提の開発援助において、Ethicsの重要性は今一度注目されていいと思う。

なお、日本の開発援助研究は、しがらみの多いインナーサークルでやられることが多く、とても残念に思う。「レポート」ではなく、学術を標榜する以上、日本文化人類学学会の倫理要綱第9条は参考になると思う。これは、日本の開発援助者にとっても、重要な理解であると思う。

************
9条 (相互批判・相互検証の場の確保)
われわれは、開かれた態度を保持し、相互批判・相互検証の場の確保に努めなければならない。また、他人の研究を妨害してはならない。
*************

相互批判・相互検証なしに、前進なし。
それを封じ込めるような風潮があるのが、嘆かわしい。
日本の大学や研究が、1部を除き、世界的な評価を獲得できない理由は、まさにこの点にある。各種学会内あるいは業界内、つまりムラ、にある「予定調和」を創造的破壊していく若者の到来が望まれて久しい。同時に、そのような若者をWelcomeする度量が、それぞれの組織・重鎮にほしい(倫理要綱整備&遵守を)。

安保関連法案にみられるように、日本国家も末期症状。
声が挙げられるべき場所は国会前だけではない。
新しい風は、日本の学術界にも、その他にも必要とされている。
SEALDsが、日本の大学の先生たちを街角に誘導し、目覚めさせたように。

気骨のある若者、是非。


なお、倫理規定を一括集めているサイト
http://www.geocities.jp/li025960/home/topics/c04.html

ドイツでは、原発を完全に止める結論に至るにあたって、「倫理」は非常に重視された。それは、キリスト教の国だからというだけでもない。ここは、また深めたいと思う。

追伸:
「思考や善行によっては愛は生まれない。思考の全過程を否定することから行為の美が広がり、それがすなわち愛なのである。それがなければ真理の祝福はない」(by Krishnamurti


[PR]
# by africa_class | 2015-08-13 02:18 | 【考】土地争奪・プロサバンナ問題

敗戦直前に燃やされた陸軍資料、そしてマフィゴ代表の死とプロサバンナ。12団体「緊急声明」から考える

*JICAへのNGOのインタビューで(8月末)、「農民招聘はキャンセルになった」とのことでした。どこかで誰かが頑張ったのでしょうか。その見識と努力に敬意を示したいです。ただ、もっと早く具体的に招聘にうつる前に止めていれば、マフィゴさんも急逝することなどなかったのではないか…と残念でたまりません。(2015年9月2日)

今日、本当は別のことを書きたかったのですが、残念ながら今、私たちの税金を使ってJICA・外務省がモザンビークで行っていることがもたらしている現実が酷すぎて、書かざるを得ません。おそらくそれぞれの組織内部の人も全てを知らされているわけではないと思うので、このブログで書いておきます。

マフィゴ代表の遺族とUNACへの連帯メッセージは以下のサイトで9月10日まで募集中。
https://docs.google.com/forms/d/1c--v5-ruK4VuQBCiFVq_WMKhbNISilVQro_ALLzpxlY/viewform?usp=send_form

少し書きましたが、マフィゴ代表はプロサバンナと無関係に亡くなった訳ではありませんでした。詳細は、昨日発表された、この記事の最後に貼付けさせてもらう外務大臣、JICA理事長宛に緊急声明「プロサバンナ事業における農民の分断と招聘計画の即時中止の要求」をご一読下さい。また、起草者の方にもらったメッセージを貼付けますので、それもあわせてご一読下さい。(末尾)

本当はこの話は、土曜日に以下の記事を書く時に書きたかったことでした。

「プロサバンナの衝撃的な出来のマスタープランを材料として、大学1年生の基礎ゼミをする。」

http://afriqclass.exblog.jp/21527387/
しかし、マフィゴさんを静かに悼みたかったので、今日の今日まで書けませんでした。

関係者の皆さんは、「自分のせいじゃない」と思いたいと思います。でも、本当にそうでしょうか?「組織」のせいですか?「モザンビーク政府」のせいですか?「外務省」のせいですか?「今の政治」のせいですか?「過去のレール」のせいですか?「反対する農民の自業自得」ですか?「他のドナーはもっと酷いことやっている」ですか?「自分たちは精一杯やっている」ですか?「知らなかった」のでしょうか?「関係ない」のでしょうか?本当に?

何度も書きますが、ナチスドイツがホロコーストをやれたのも、日本が戦争に突き進んだのも、一人ひとりが「組織の論理」を「やるべきこと/やってはいけないこと」の倫理よりも優先し、それが束になって推進力になり、破綻するしか止める方法がないところまで自らを導いた結果ではなかったでしょうか。私たちの国は、本当の意味では、自らの植民地支配も戦争も、真の意味での原因追求や検証・考察や総括を行わないまま、1947年に開始した冷戦構造の中の「逆コース」によって、「臭いものに蓋」をしてきました。

例えば、NHKスペシャル「原爆投下 活かされなかった極秘情報」(2011年)
http://www.nhk-ep.com/products/detail/h17419AA
是非視聴下さい。Dailymotionでやっています。
政府・軍がどのように米国の原爆開発や米軍機の接近の情報を隠蔽したり、使わなかったのか、そして敗戦が濃厚になるとどのようにして一切合財の資料を燃やし続けたのか、今のいままで黙っていた皆さんが、90近くになって口を開き始めた。その理由は、また日本が同じような道を歩もうとしているとの危機感からでした。最後の5分で、上司の命令で、彼らの過ちがすべて書かれている資料を燃やし続けたある証言者が言います。
「それが、日本なんです」…そして悲痛な表情でいうのです。
「だから繰り返します」と。

日本の援助もまた、日本政府全体の戦前・戦中・戦後の底辺にある変わらない姿勢・流れの中に位置づけられるのではないか…とある時思うようになったのですが、その疑念を何度も何度も払拭しようとしてきながら、20年経過して、「それが、日本の援助なんです」に行き着きつつあります。沢山の素晴らしい個人の皆さんとの出会いと交流を経て、その方一人ひとりの素晴らしさは脇に置いても、なお、やはり今起きていることが指し示している根本的な問題を軽視も無視もできない気持ちになっています。皆さん自身はどうなのでしょうか?

皆さんは、「人としての生き方」として、納得されているのでしょうか?皆さん方の子どもたちに恥ずかしくない生き方をされているのでしょうか?これまで行って来たことは、皆さんの名で堂々と言えることですか?あるいはお名前が出てくる資料を、胸を張って日の下にさらすことができるでしょうか?あるいは、今日もどこかで部下に黒塗りをさせるのでしょうか?自分の責任を逃れるため?組織を守るため?あるいは、自分は関わらなかったと思いたい?一体、何のためにそんなことに時間と労力を割いているのでしょうか?それも我々の税金です。

そして、それらの資料の一切合切は私たち国民のものです。
皆さんのメモですら、そうなのです。本来は。この国でなければ。

日本が過去から学び(必ずしも悪いことばかりでない)、未来の日本と世界の大人達に、その教訓を引き渡していくために、不可欠なものです。今いろいろあって出来ないとしても、いずれ歴史の検証を受けなければならないものです。それは、時代が変わり、もっと公正なる目線でそれら資料を再検証できるかもしれないし、違った視点で見る事によって隠れていた可能性が発見できるかもしれないからです。

「燃えカスであっても粉々にして、灰になるまで潰せ」
と命令を受けた方の時代、70年前と、今の日本はどれぐらい違っているでしょうか?

さて、今日頂いた、この声明の起草者の想いに耳を傾けて下さい。
そして、じっくり声明を読んで頂ければと思います。

【起草者から】
農民を分断する「農民招聘」計画の問題に対処していたUNAC(全国農民連合)のマフィゴ代表は、テテ州の自宅から問題が起こっていたザンベジ州の現地まで空路、陸路で10数時間かかるところを往復し、二度目に行って協議にあたっていた最中に体調が急に悪くなり、病院に運ばれましたが、同日8月5日に急逝されました。

「小農の父」と慕われて、全国の農民、そしてモザンビーク社会、国際的にも広く尊敬されていたマフィゴさんの突然の死に、悲しみが広がっています。

プロサバンナ事業の問題が、マフィゴさんの心身に負担をかけ無理を強いていたことを考えると、日本の私たちは、悲しみだけでなく、悔しさと、ご家族やモザンビークの人々に申し訳ない気持ちで心が痛む日々です。

マフィゴさんは2013年に二度にわたり来日し、日本政府に農民の意見を尊重した計画にするよう訴え、農民運動の精神を私たちに示してくれました。

そのような状況の中で出された緊急声明です。拡散いただき、一人でも多くの方にこの問題と要求を知っていただければと思います。


【緊急声明】
==============
岸田文雄外務大臣殿
田中明彦JICA理事長殿


【緊急声明】
プロサバンナ事業における
農民の分断と招聘計画の即時中止の要求


2015年8月10日

政府開発援助(ODA)「プロサバンナ事業(日本・ブラジル・モザンビーク三角協力による熱帯サバンナ農業開発プログラム)」を強行するために、モザンビークの農民を分断させようとする外務省・JICAの試み、および「農民招聘」計画は、モザンビークの民主主義と発展の礎を後退させる軽挙な行為です。私たちは異議を唱え、その即時中止を求めます

***

 これまで、同事業に対して、その裨益者となるべき現地のモザンビーク農民から強い反対の声が上がったことを受け、同事業の主たる援助国である日本の納税者である私たちは、外務省・JICAと協議の場を設け、農民の声を伝える努力をしてきました。しかしながら、外務省・JICAは表向きには「対話」を重視する素振りを見せながらも、その一方で反対する農民組織を分断するような工作を行っています。

 現地からの情報によると、外務省・JICAは現在、UNAC(全国農民連合)の加盟組織であるザンベジア州アルト・モロクエ郡農民連合の代表(与党関係者)を、プロサバンナ事業の一環として、農業副大臣らとともに、8月中に日本へ招聘することを計画だといいます。しかし、7月に来日したUNAC代表団の外務省・JICAとの協議、および7月24日の日本のNGOと外務省・JICAの意見交換会においても、「農民招聘」はもとより、農業副大臣の来日計画についての説明は一切ないまま、現在に至っています。

 UNACは、モザンビークを代表する広範なる市民社会組織とともに、3カ国政府に対し、プロサバンナ事業の「一時停止と抜本的な見直し」を一貫して要請してきましたが、政府側が事業強行のためにこのような声を押しつぶす行為を繰り返したことを受けて、昨年より全国プロサバンナ反対運動が立ち上がるに至っています。しかし、それに対し3カ国政府は、UNACの加盟組織(全国で2400組織が加盟)に焦点を当て、プロサバンナの関連事業により融資や資材(水ポンプ・製粉機)供与を利用した「一本釣り」活動と、それによる農民の分断を画策してきました。

 この中には、製粉機の貸与を強要されたナンプーラ州モポ郡農民連合の例があります。最終的に同農民連合は受け入れを拒否しましたが、アルト・モロクエ郡農民連合は製粉機の貸与を受け入れました。同連合の代表は与党の熱心な党員であり、日本に招聘することによって「UNAC加盟団体の中にもプロサバンナ事業に『賛成農民』がいる」と宣伝し、事業推進の糧とする意図は明白です。実際、他の農民たちの説得で来日を取り止めないよう、モザンビーク政府が身分証を預かっているほどです。

 UNACはモザンビーク農民を代表する組織として政府も認める存在であり、これまで様々な農業政策の形成プロセスや事業実施に携わってきました。1987年に設立されたUNACが、援助事業に反対の声をあげるのはこれが初めてです。反対に至る過程では、地域レベルおよび全国的な検討と協議が長い時間をかけて積み重ねられてきました。このことを無視して、分断を助長するような介入行為を援助国である日本が行ってよいのでしょうか?この外務省・JICAの試みについて、次の三つの観点から強い異議を唱えます。

 第一に、プロサバンナ事業を強行するために引き起こされる人権侵害や農民の分断が、現地の民主主義を後退させ、農民を危険にさらしていることです。モザンビークが独立を獲得したのは40年前で、その後も外国の介入によって生じた武力紛争により16年にわたり国が二分され、100万人の死者がでました。1992年の和平合意後、日本を含む国際社会は同国の平和と民主主義の定着に貢献し、当事者団体の勃興、市民社会の活発な活動に根ざした民主的なガバナンスが前進しつつありました。しかし、プロサバンナ事業が合意された2009年頃より、モザンビーク政府のガバナンスは急速に悪化し、国内外の批判にも関わらず、政府与党による人権侵害は後を絶たない状態になっています。プロサバンナ事業の強行は、現地政府を農民組織と対峙させ、非民主的ガバナンスを助長し、反対する農民への人権侵害を多発させてきました。今回の「農民招聘」はそれを追認し、農民らはより危険にさらされます。

 第二に、現地の農民の分断を図るような試みは、政治的考慮を欠き、もっとも忌むべき行為です。プロサバンナ対象地域は、武力紛争において最も激しい戦場となった地域であり、現在も与野党の勢力は拮抗し、対象19郡中7郡で野党が勝利し、与党の勝利は5郡に留まっています。そのような政治状況下で、UNACは党派を超えた農民の連帯・独立組織として、農村社会において重要な役割を果たしてきました。同事業がUNAC内外の与党関係農民を使って行っている分断行為は、農民による主体的な平和主義を壊すものであり、援助国として最低限のモラルを日本政府が欠いていることを国内外に示すことになります。また平和主義を標榜するODAをその目的から外れて使うことであり、二重の意味で私たち主権者に対する説明責任を欠いています。

 三に、「開発」の視点に立っても、こうした農民の分断工作は、稚拙極まりないものです。人口の大多数を占める小規模農民は、モザンビークの経済や社会の礎であり、将来を担う主役です。その小規模農民を縦横につなげ、主体的かつ積極的にモザンビークの農業と農民の生活の安定を図ろうとしているのがUNACです。他の援助国政府・機関もUNACをモザンビークの農民を代表する組織として尊重し、協議・協力しています。そのUNACが、プロサバンナに異議を唱えるからといって、分断し、力を削ぐような試みを行うことは、開発を阻害する「反開発」的行為に他なりません。とりわけ、「農民の組織化」が農業開発の肝として認識されている昨今にあっては、まさに時代に逆行するものです。

 今回、外務省・JICAがプロサバンナの「賛成派」としてUNAC加盟組織の代表を日本に招聘する計画は、モザンビークの非民主的ガバナンスを助長するとともに、「分断の歴史」に苦しめられてきた農民や社会に動揺を与え、混乱や紛争をもたらす恐れがあります。また同国の開発の主体となる農民やその運動を弱体化させるものです。そのような企みのために、私たちの税金によって支えられるODAを使うことは到底許されることではありません。

 以上の理由から、私たちはプロサバンナ事業がこの間行ってきた農民分断のあらゆる試みと今回の「農民招聘」に異議を唱え、これらを即時中止することを要求します。

特定非営利活動法人 アフリカ日本協議会
特定非営利活動法人 日本国際ボランティアセンター
特定非営利活動法人 オックスファム・ジャパン
モザンビーク開発を考える市民の会
No! to Landgrab, Japan
ATTAC Japan
NPO法人 AMネット
ムラマチ・ネット
ウータン・森と生活を考える会
NPO法人 地産地消を進める会
特定非営利活動法人 WE21ジャパン
農民運動全国連合会



[PR]
# by africa_class | 2015-08-11 20:08 | 【考】土地争奪・プロサバンナ問題

プロサバンナの衝撃的な出来のマスタープランを材料として、大学1年生の基礎ゼミをする。

この話題は久しぶり。ちょっと色々ご無沙汰していたから。
でも、「モザンビーク小農の父」アウグスト・マフィゴさん(UNAC・モザンビーク全国農民連合代表)が、火曜日に急逝されたこともあり、そしてそれがプロサバンナ事業をめぐる様々な不正の中でもとんでもない問題と関わっていることが明らかになって、やはり書かずにはいられない。ただし、今日はその不正…については、書かない。皆に尊敬された素晴らしい闘志であった「農民の父」の死を悼みたいから。
後日書いた詳細は→http://afriqclass.exblog.jp/21539066

「私たちは、ゆっくり、確実に、一歩ずつ発展したいんです」
政府のプロパガンダしか報じなかったNHKが撮ったインタビューでのこのメッセージが、急に思い出される。
今日は彼の話はここまでにしたいと思う。悲しみと悔しさで、涙が止まらなくなるから。なお、NGO有志で、ご遺族とUNACの皆さんへの日本からの連帯メッセージやカンパを呼びかけています。もしよろしければ。
http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-entry-170.html

で、マスタープラン…。(こっから厳しくなります。関係者の皆さん、すみません。でも耳に痛い話に耳を傾けてこそ、前進はあると思います。権力・カネを握った側、援助して「あげる」側にいる限り、見えないもの、見たくないものを見る機会を提供するのが、このブログの役割の一つなんで。反論があれば、是非。互いに切磋琢磨できれば。後、周知の事実と思い説明不足でしたが、この問題も、コンサルの問題という訳でなく、元々の誤った想定に基づく事業立案・推進・強行、TORの設定等、まずはJICA・外務省の問題なので皆さん誤解なきよう。)

プロサバンナ事業の3本の柱の2つ目として、2011年度から始まり、現在まで4年の歳月をかけて作られたもの。日本が最大の拠出国で、これまで5億円以上のお金が使われ、他のレポート等はすべて英語版があるのに、そしてこのマスタープランの素案は、日本のコンサルタントが英語で書き3カ国政府が合意したものなのに、その後モザンビーク政府が調整した完成版(公開版)については、ポルトガル語版しかない・・・という。あまりに不透明なので、繰り返し繰り返し要請をして、ようやく出て来たのが、日本語(参考訳)。
http://ajf.gr.jp/lang_ja/activities/prosavana_mp_jp.pdf

でも、これもおかしい。何故日本語訳が英語訳に優先されるのか?そもそも英語版で作成され、微調整されたとしても合意された内容・文言は英語版である。そちらに手を入れる方が絶対コストも時間もかからない。さらに言ってしまえば、ポルトガル語から英語の翻訳の方が簡単でかつ単価は安いし、日本の関係者は皆英語が読める。日本語(参考訳)が、2015年6月に突然出てくる2ヶ月前には、JICAや外務省の責任者たちは胸をはって「良いマスタープランになりました」と宣伝し、あちこちで説明を行っていた。しかし、コンサルも、JICAでこの事業の関係者らは一部を除きポルトガル語が出来ない。なのにどうやって最終版の内容を把握したの?・・・普通に考えれば、英語版は「ある」。それでも、英語版は「ない」と言い張る。じゃあ、確実にあると分かっている元のバージョンを公開してみたら(正誤表を付けて)?という呼びかけに対して出て来たのが、日本語(仮訳)…。

そして、もう一つ重要な点として、英語であれば、世界のより多くの専門家の意見が得られる、というもっとずっと大きなメリットもある。それでなくとも、世界的に不透明な事業として散々批判されてきたのに、そのような批判を払拭する良い機会なはずではないのか?…それが普通のリアクションというもの。それほどまでにして、事業に関わる人たちですら読めないポルトガル語版、日本人以外は読めない日本語版しか公開しない時点で、「ああ、やっぱり世界的な専門家には読まれたくないのね」…とあらぬ疑惑をかけられてしまうことを引き受けてまでも、やはり英語版は「作成しない」らしい。でも、世界の皆さんもgoogle訳でマスタープランを読んでおり、よけいに「??」を募らせてしまっている。プロサバンナを世界的に宣伝してきたのは、日本政府・JICA自身であって(OECD/DAC釜山会議等、「クリントン国務長官に褒めてもらった!」とJICA年次報告に)、その最大成果のはずの「マスタープラン」を世界に発表する気すらないのは何故?間違った理解のまま、世界に受け止められる事の方が、日本の国際イメージとしてもまずい。あるいは、「本物」を発表した方が国際イメージがより下がる、ということ?!当然、日本政府はお得意の、「モザンビーク政府が拒否」との説明で、都合の良いときの「オーナーシップ論」に逃げ込んでいる。「JICA環境社会配慮ガイドライン」を熟読を。この件はまた今度。

さて、それほどまでに、国際的に理解されることが望まれていないらしいマスタープランくん。5億円もかけて(実際はそれを超えているが)作ったのだから、もっと胸を張って良いはずだ。

大学の先生をしたり、論文査読や入試審査をする立場で給料をもらってきた以上、この力作、出て来た以上は、公平なる目で、「取るところを取る」つもり(正当に評価すべきは当然する!)で読み始めた。しかし、最初の1章で…衝撃が大きすぎた。

このマスタープラン、ポルトガル語で204頁の超大作。現地の関係者ら(行政官ら)ですら、全文は目を通さず、30頁程度のキレイ話のみの要約の、さらに11スライドパワポぐらいしか把握していないという。そんな状態で、サイトに全文を発表してから20日後に農村レベルで公聴会をしたもんだから、凄い騒ぎになった。当然ながら、この急がれた手法で皆が思った事は、農民たちに内容をちゃんと理解してほしい訳じゃないのよね…と。最も事前の時間を取らなきゃいけない農村部を、真っ先に実施なんてあらゆる意味でおかしい。

で、やはり公聴会では、反対や疑問を唱えそうな農民は排除され、政府職員や与党関係者が過半数を超えただけでなく、制服・武器携帯した警察までが同席し、勇気を振り絞って異論を口にした農民たちは、その後政府関係者からストーキングされ、プロサバンナのカウンターパートに「賛成に転ずる、と一軒ずつ家を廻って宣伝してこい」と命令され、拒否すると「投獄するぞ」と脅迫を受ける事態に…。→http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-entry-152.html
つまり、「プロサバンナってステキ!農民は大歓迎!早く始めてね〜」という声を集め、それを宣伝に使い、事業を推し進める材料とすることが目的だった。詳細は、現地社会の広範なる層から各種の声明が出ている→http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-category-16.html

天然資源(土地を含む)の切り売りで儲ける政府関係者のガバナンス悪化で、民主主義が後退し、人権状況が悪化するモザンビークで、こんなことを黙認したり(奨励したと思いたくないが…)することが、何をもたらすのか理解できないのかな?あるいは、理解していても強行突破のためには目をつぶる…流れ?それとも、自分が信じたい情報しか頭に入らないため?結局、現地に出張でしか行った事のない、現地の新聞も読めない外務省担当者が、「世銀報告では数値は悪くなっていない」…から大丈夫だ、と。一同、「せ、せ、、せぎーーん?!?」。

本来在外公館や外務省・JICAのやるべき仕事だが、彼らが読めない新聞を日本の市民社会が翻訳し、資料を整理し、分析まで提供してあげても、「ありがとう。別の見解もあるけど、こういう状況がある(とされいる)のね」、ということもできず、「良い数値」をどっかから探して来て「だから大丈夫」の根拠に…。要は、現地や日本の市民社会に反論できれば良い?あるいは、強行突破故に、実態など把握する気がないということ?又は「現地政府は上手くやっていて、支援や投資は問題ない」というストーリーが崩されてしまっては、せっかく安倍首相が現地に日本企業を大勢連れて行って、巨額の援助(700億円!)と投資をすると決めたのに、と?まあ、日本政府は、同国で武力衝突が起きている最中に、中国とインドと同様、抗議や非難声明を発表しなかった唯一の国だし、ね。しかも、その最中に、のこのこと首相が出掛けていっているし。うーーむ。

で、マスタープラン。日本の7名の研究者・NGO関係者で行った内容面の分析は、「第12回プロサバンナ意見交換会(外務省・JICAとNGOの間)」で、披露されAJFのサイトに掲載されている→
http://ajf.gr.jp/lang_ja/ProSAVANA/12kai_shiryo/ref9.pdf

ここでは、私の衝撃だけ。さっきの世銀報告書の話。多様な資料の一つとして参照するとしても、それだけを根拠に「=人権状況は悪化してない」と結論するのは、「議論の作法」「基本のキ」としてまず「?」。うちのゼミでそんな発表や反論する学生がいたとしたら、ぼこぼこにされていただろう←「大学1年生向けの本」で詳しく説明するので乞うご期待。

日本では、「政府が●といえば正しいんだ」「著名な先生(学術的正当性を持った人という訳ではない)がそういっているから間違いない」…という主張がされがちなだけでなく、許容されやすい。主張の信憑性を高めるために一つでももっともらしい論文や機関の名前を引用しておけば、まあいいだろう…そういうことになりやすい。しかし、本来は、先に主張がくるべきではないのだ。まずは、状況把握があり、分析があり、結論がある。したがって、嫌いでも、多様な資料に当たらなくてはならない。その際には、権力を持っている側の言い分ばかりを見ていると、確実に見誤ることになる。

で、MPの驚きは、次のようなストーリーの全面展開!
1)ナカラ回廊地域の農業のすべての問題は現地小規模農民の農業のあり方のせい!
2) 特に、森林伐採と土地不足は、「移動・休閑」農業のせい!
3)小農はあちこちで「休閑」農業はダメ、「定着農」を!
4) 当然生産性は上がらないから品種改良種子・化学肥料・農薬等を購入(「緑の革命」)できるよう支援してあげる!
5)15年後の30年迄に4割の小農(160万人)が「近代農業に転換」が目標さ。

で、デキル学生ならイライラして次の問いを投げるだろう。
1) 回廊の森林伐採と土地不足とは、具体的にはどの様な現象?
2) その実態と原因はどのように調査され、分析された?
3) 地域の小農が営む農業とは?移動・休閑農に一括りできる?
4) 以上の1)〜3)のために前提として使われた調査メソッドは何?
5) 調査法を導き出すための先行研究の整理は?((森林伐採、土地不足、現地農民の営農形態)
6)各調査の結果はどうで、何に基づきどう分析?
7) 抽出課題の解消に取りうる手法はいくつ、どんな?
8) それら手法の内一つを選ぶ際の、基準は?
9)その際に参考事例研究はどれで、批判は把握され、論争をどう踏まえ、結論としてこの手法を導き出した?

まあ、学部生でも思い付く問い。もう少しデキル学生なら「権力/アクター分析」「時代設定」を重視するだろう。でも、これらの一項目も全く触れられていないのが、このマスタープラン!参考文献一覧もついてなければ、注も200頁に10個以下。つまり、根拠をもった論理展開がまったくなされていない。本来の展開は、次のようなものであろう。学術である必要はない。
1) 先行研究の整理(テーマ、地域、リサーチ手法を含)
2) リサーチの実施と結果の取り纏め
3) リサーチ結果を踏まえた課題の整理
4) 3)迄を示しながらの原因分析手法の検討と分析
5) 説得的な原因分析に基づく多「解決」手法の検討
6) 多様な手法検討を経た説得的な「解決」手法の提示
7) その上での、具体的なプロジェクトの提案
*1)2)は不開示のインテリムレポートにある可能性が高いが、MPでは3)も4)も5)も6)もない。突然1結論・1手法が示され7)に飛ぶ。TOR、PDMやSWOT分析の問題は別の機会に。
 
こうなると文書としての「クレディビリティ(信頼性)の著しい低さ」、を自ら認めてしまうことになる。百歩譲って政治文書なら仕方ないが、これは政治文書なのか?(<=実際に、現地の研究者・市民社会の皆さんは、ただの政治文書だから読む価値すらなし…と考えている)。でも、それでは納税者として腑に落ちない。だって、マスタープランの予算の大半は、「調査」に使われたはずだからだ(レポートは不開示問題については今度)。5億円で、政治文書を作られても。それならそうと最初からいえば、農民や市民社会も納得はしないが、期待もしない。対話の成果として作ったからそんな根拠ありません、という反論もあり得そうだが、であればどのようなものが「対話の成果」なのか明示すればいいわけで、多様な意見のどこをどう、何故反映するのかについての考察も不可欠である。

結局、調査をしようがしまいが、結論は先に決まっていた。「小農の今の農業のやり方がダメなんだ」「だから我々の考える援助と投資が必要なんだ」
・・・・これも安倍政権下の日本の農政の議論の仕方だから、日本の役人には違和感ないのかな。だったら「農民主権」とか言わないでほしい。紛らわしいから。「援助をしてあげる善良な僕らは、君たちよりずっと知ってて、分かってるんだ。だってブラジルのセラードやタンザニアでがんばったんだから。君たちは分からないようだから、僕たちが全部教えてあげるよ!大丈夫、まかしとけ〜。君たちのやり方を完全に変えればいいんだ。なにせ、君たちのやり方だと「靴も履けない」からね。土地も奪われないように、登記手伝ってあげるね(実際は登記しなくても権利あるのに)。そうだ、そうだ、今の農民組織上手くいってないよね、だから僕たちがやってあげる(すでにある反対派の農民組織には分断工作するけど)」みたいな・・・・風にしか、モザンビークの農民組織には感じられない。

さてMP。「結論先にありき」は、過去に出て来たMP関連文書でも明白。批判の都度、微妙に表現が変わっていくものの、根っこの結論は強固な一貫性を持って来た。つまり、「現地農民は何も知らない、海外投資と『緑の革命』で救済してやらねばならない対象」。この点の変遷を議論の正確性のため列挙しておく。
1. 当初(2012年秋のUNAC批判開始以前)は、農民らが「持て余している」土地を「投資に使ってもらう」ことが前提。(もっと最初は、誰も使っていない土地がたんまりあって、投資を待っている・・・という前提だったが!)<=この主張はJICAサイトに沢山残っている。
2. 批判を受けて、今度は、
a) 農民がうろうろするから土地が足りない!という話になり、
b) 農民は決まった土地のみで生産をし、緑の革命型の農業に転換、
c) そのために土地の権利を登記するのを手伝ってあげる。
d) 余った土地は、「土地銀行(Land Reserve)」として集めて、
e) 投資家にあげようね、という話だった。

<=GRAINのリークと分析声明→https://www.grain.org/article/entries/4703-leaked-prosavana-master-plan-confirms-worst-fears
3. この路線がリークされてしまって大騒ぎになったから「投資家」「土地銀行」の件、「非自発的住民移転をさせるクイック・インパクト・プロジェクト」が消された「コンセプトノート」なるものが、2013年9月に突然発表。a),b),c)だけが残り、d)とe)が消えた。分析→http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-entry-68.html
「土地不足と森林伐採は小農の農地拡大で起こっている!」・・・が強調されるようになったのもこの時期。しかし、まさに同時期に植林・アグリビジネス(特にプロサバンナの構想に呼応した大豆大規模生産)で何万ヘクタール単位で土地が奪われていっている事実は?(教えても長らくJICAは否定した)。また、森林の大規模伐採をやっているのは誰?・・・現農業大臣がザンベジア州の州知事時代に中国企業と組んで違法伐採・輸出に関与していたと、Africa Confidencialにすっぱ抜かれているのも、教えたが??勿論、こういうことは一切書かれていない。注にも、ね。悪いのはすべて小農だから。さらに、小農がうろうろしない緑の革命型の多投入農業は、「持続可能」で「環境保全型」の農業なのだという。へ?
4. 批判に「応えるため」、「農民主権」「家族農業」「小農支援」等の言葉がちりばめられているマスタープランが出来上がったが、前提はまったく変わらず・・・・a), b), c)の展開だけが、さらに強調。そして、「緑の革命」への転換は、当然ながら、普通の小農はできない。自家消費用の穀物の種や肥料を買っていたのでは、ほとんどの小農、つまり女性たちは、債務を負うことになる。なので、今度は机の上の分類上小農を3つの階層にわけ、大多数の「典型的小農」とカテゴライズされる人たちではなく、「中核農民」というおかしな用語(原語ではEmergent Farmers、しかし英語ではCore Farmers)を用いて、要は政府与党に近いそこそこの規模の土地を確保してクレジットにもアクセスできる中規模農民に近い極僅かな農民にターゲットを絞って支援、となった。まあ、今風にいえば、JICA的「成果」が見えやすいよね、こういう人たちに限れば。ここら辺は、詳細なる分析をモザンビークの皆さんがしているので譲りたい。

このMPには、さらに不思議が満載。さっきも少し書いたが、あまりにキータームの定義(その定義の根拠となる議論の提示)がないか、ズサンで、これにも衝撃を受ける。詳細→http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/ProSAVANA/12kai_shiryo/ref8.pdf
これを瑣末なことと考えているとしたら、国際感覚なさすぎ。いずれのタームもかなり論争があり、国際的なアリーナでの論争を経て一定の定義に至ってる。しかし、MPでの使い方はほとんどそれらの真逆→例)「緑の革命=持続可能でエコ」。「ゾーニング=アグロエコロジカル」…驚き。「家族農業」はFAOを少し出しただけで、後は家族単位の農業経営のことに…国際家族農業年(YIFF)で強調された社会政治経済的文脈で全く捉えていない。一番の極め付きは「農民主権」。「栽培作物の選定は農民が行う」という当たり前のこと(じゃなきゃ植民地支配でしょ!)についてのみ適応。実際のプロサバンナのプラクティスが、農民の主権・基本的人権を踏みにじり続けている点は?(詳細は以上)

で、今回大学1年生向けに良い材料を提供してもらったと思っているのは、さっきの世銀報告書と類似の次の点。
ポルトガル語版を読んでの、考察を詳しく書く。英語版が出て来ない理由が見えてくるかもしれない。これ世界に出したら、そりゃ…。全面根拠なしか根拠が「?」な主張だけ。逆にポルトガル語でOKというのは、ポルトガル語圏の市民社会や専門家たちなら気づかないということ?あるいは、私が知らないだけで、日本の開発調査案件のマスタープランって、普通にこんな感じ?…違うよね。あるいは、コンサルさんたちも苦しいところで、先に結論(TOR)が与えられていたので、止むなくこういうのを引っ張って来た…。多分そうだろう。

その意味では可哀想だ。もっと悪い組織・人たちは別にいる。が、先日書いたように、各々の責任が問われるのだということを、ナチスドイツのホロコースト後の世界に生きる私たちは自覚しなければならない。未だ若い学生の皆さんには、学生としても社会人としても真似せず、以下を反面教師にしてほしい。ああ、、内容に入る以前の話で、あまりに情けない。

MPで 唯一、根拠が注に参考文献として示されているのが、この文章→「家族農民の大半は気づいていないが、現在の自らの農業のあり方が、大規模な深刻な環境破壊を誘発する可能性が高い。これは、世界の他の地域で実証されていることである」。
・・・MPが基礎を置く「農業開発の課題とその原因」が、この1文に全て集約され、しかも「各地で実証されている!」と太鼓判が押されている(ちなみに日本語訳にはこの注はない)。
  ヘ?2008年以降のグローバル現象(農業投資による土地・水・森林強奪)を踏まえてRAIとかいってるんだとしたら、何故そこはオミットしてしまう!?時代区分的にも、規模面でも謎過ぎる。でも、そんな風に言い切れるだけの根拠が注の2文献ね。じゃあ調べてみよ。が…見ての通りURLがわざわざ飛べない状態。しかも英語の原文タイトルがなく元の論文に行き着けず。さらには出版年がナ・・イ。
・FAO, Florestas e crises em Africa – Mudanças no Cultivo de pousio emAfrica, http://Equipa de Estudo.fao.org/docrep/r5265e/r5265e06.htm,
・Rajiv Ranjan and V.P. Upadhyay, Problemas Ecológicos devido ao cultivo de pousio, htttp://Equipa de Estudo.iisc.ernet.in/currsci/nov25/articles 12,htm
 
本来のあるべき記述の作法は次の通り。()にポルトガル語訳を入れてもいいが。
-FAO (1980), “Changes in shifting cultivation in Africa”, FAO Forestry Department.(http://www.fao.org/docrep/r5265e/r5265e06.htm)
-Rajiv Ranjan and V. P. Upadhyay (1999) “Ecological problems due to shifting cultivation” (http://www.iisc.ernet.in/currsci/nov25/articles12.htm)
 常識的な引用の仕方をすれば一目で分かるが、FAOの論文は1980年(35年前)、R&Uは16年前のもの!当然ながら、その後膨大な数の関連の研究があり、これらの論文の主張に反対する研究も数多くある(いずれもが実証研究)。特に、後者は、発表後すぐさま批判の的となっている。なのに、あえて「実証済み」として、この論文(16年以上前のインド!)を「根拠」として自己正当化するところが謎だ。時々、院の入試でこの手のペーパーがあるが、その段階で「事実への誠実性」の欠落した学生は、どんなに指導をしても論文が書けないし、論理的・説得的に議論もできない。

確かにR&U(1999)は、 熱帯雨林の消失の「元凶」として、移動農耕や人口増加率のいずれか(あるいは両方)を挙げている。しかし、これはあまりに単純化された精度の低い分析だとして、すぐ後のGeist&Lambin(2001)に一刀両断されている。つまり、原因分析においては、「経済・制度・国家政策要因の複合的要因」を、地域の固有性に基づき実証的に検討すべき・・・と152の事例研究を根拠として示されているのである 。
Helmut J. Geist & Eric F. Lambin (2001) “What Drives Tropical Deforestation? A meta-analysis of proximate and underlying causes
of deforestation based on subnational case study evidence”, CIACOLouvain-la-Neuve 2001, LUCC.
その後は、この手法を採用する研究が大半で、最近になればなるほどRanjanらのような主張は学術的根拠を失っており、引用すらされない。だから、執筆者たちは、35年前のFAOと16年前のこの論文しか示せなかった?そして、それを隠そうとした?<=なんか推理小説になってきた。

2001年論文は、森林伐採や土地利用に事例研究の際に不可欠な検討すべき原因を、「経済」「政策・制度」「技術」「文化(社会政治)」「人口動態」に分けて各項目2から6つのチェックリストを列挙している。この論文にすべて賛成という訳ではないが、この程度のチェックリストを踏まえて分析されていないとおかしい。また、2001年に批判された1999年の論文の主張に与するのであれば、当然2001年の研究の否定から入られなければならず、1999年論文の方が優れていたからあえて引用したというのならば、それはどの点についてなのか示さなければならないし、是非知りたい。

万が一にも、「主張が先にあって、それにあう論文を後付け的に探した」「この論文しか知らず」・・・であれば、そしてそれを隠そうとしていたのであれば、マスタープランの中身以前に、「事実把握への誠実さ、健全性」において深刻すぎる問題を抱えている人たちのもの、と言わざるを得ず、MP全体のクレディビリティはゼロ以下となる。結局やっぱりプロサバンナ、ね・・・・との結論しか導けないことに。これを胸を張って宣伝している外務省・JICAは確信犯なのか、何なのか。<=学術的に分析した点は今度。
[PR]
# by africa_class | 2015-08-08 02:03 | 【考】土地争奪・プロサバンナ問題

大学1年生向けの本:執筆秘話(その1)

家族が来襲し忙しい。
昨日はトマトになんとか支柱を立てた…。私がいない間に勝手にトマトの横にキュウリを植えるという不思議をされてしまったので、キュウリをなんとかせねばならぬ・・・。トマトと共に植えるべきは(コンパニオンプランツ)、ニラ、バジル、パセリだと伝えたのに・・・大きく葉っぱを広げたキュウリのせいでパセリも枯れ枯れ。

3月に外大を辞めた。その理由は色々あって既に書いた。
http://afriqclass.exblog.jp/21252293/
書いてないことの一つに、教室に留まらない、国内に留まらないもっと広い層の学生と色々したいなあ、と感じるようになったこともあった。勿論、外大の教員をやりながらも不可能ではないけれど、目の前の学生に全力投球してしまう私としては、物理的にそういうシチュエーションから自分を切り離すことは必然だった。

なので、今、日本の大学1年生向けに本を書いている。
ずっと前に着手して、卒業生が出る度に「いつかその本を贈呈するね」と約束して早8年が経過。本腰を入れたいと思うのようになった。が、他に既に出版社が決まっている学術書や一般書があって、それをやらないでやってる場合か・・と良心の呵責もある。ブログ書いてる場合じゃないが・・・学術はやっぱもっと気合いと良い体調が必要。これを万一みてる関係者・・・すまん。気持ちが向かないと、やっぱりなかなか一事が万事片付けられない(言い訳だけど)。なお、「大学1年生向け本」は未だ出版社を探してないから、関心があればご連絡を。

私が作ろうとしている大学1年生向けの本は、「大学で学ぶ」のは何故なのか、それはということはどういうことなのか、その先に何を見据え、何をどうしておくべきなのか・・・についてのもの。誰もなかなか教えてくれないテクニカルな部分も、何故そうなのかも含めて紹介しようと思っている。なので、「スピリット(精神)」「メンタル(心)」「アプローチ(心構えを含む)」「アクション(行動)」「レヴュー(振り返り)」があって、「自分と社会/歴史との関係性(連続性)」を重視したものとなっている。

このような本を作ろうと思った背景を少し紹介しておく。それは、日本以外の国々での大学(院)教育や研究・学術の位置づけに触れてきたことと関係している。

例えば、今ヨーロッパのある国の大学院生たちが私のレクチャーを企画してくれている。音頭をとってくれているのがブラジル人の博士課程の学生だというのも嬉しい。2年前に英語やポルトガル語で論文を発表するようになってから、世界の色々な国の若者から沢山の問い合わせがくるようになった。中には厳しいコメントもあるが、彼女・彼らのそういう率直さが凄く嬉しい。しかし、下手な英語・ポルトガル語での執筆を支えてくれているのも、ボランティアでプルーフリードしてくれる若者たちだ。そういう風にコレクティブに学術論文が「つくれる」のも素晴らしい。自分の書いたものが「社会のもの」になる感覚は、日本の学術界の要望に応えて書き散らした論文や原稿では得られなかったものだ。勿論、そこで先輩たちに鍛えてもらったから今日がある。

忘れもしない、1999年…初めてアジア研究所の依頼で書いた論文の酷さ…。日本語は支離滅裂で論理的一貫性は欠落し、とにかく何がいいたいのか分からない…。せっかく機会をもらったのに、たった2ページが書けない。。。穴があったら入りたい程のものを、研究所の皆さんが本当に丁寧にコメントくれ、修正案を示して下さった。中にはほとんど同い年の研究者もいて、正直自分の出来なさ加減がショックだった。彼は今でも理路整然として素晴らしい論文を書く。皆さまのお陰で一応学術論文のイロハに従って書けるようになったものの、言いたい事は山ほどあるのに、短いものにまとめる能力がないのは、相変わらずだ…。成長しないんだね、私。

でも、現場が好きで実務(国連PKO)からこの業界に入り、学者になるつもりが全くなかった私としては、そして修士までディシプリン教育をまったく受けられなかった外大出の私としては、こういう先輩たちの支援と励ましがなければ、とてもじゃないけれど研究者として人を教えるなどという立場には立てなかった。だから、日本の学術界の、特にアフリカ学会の、こういうコレクティブに仲間を育てるスタイルは本当に重要だし、今後も続けられるべきものである。

が、この年齢になって、記憶から消したりたいパーツを思い起こしてみれば、実際はもっと前に沢山の人に沢山のことを教わっていた事実にふと突き当たった。あまりにも拒否感が強すぎて完全に忘れ去っていた多くの出来事…。本当は、「ゼロ」なんかではなく、本当に多くの人びとに多くのことを教えてもらっていた。このような「自動記憶抹消」とそれを思い出すことの苦痛といった衝動から逃れるのにも、実に20年近くの歳月が必要だったのだね。

実は、先日書いたブログに出てくる「お父さん」は米国のとある国立大学の現代史の教授で、私は彼の同僚である中南米現代史の先生と、20才の若さで何故か共同研究をしていたのだ。そのきっかけは何だったかすら記憶にないが、私が日本人で英語とスペイン語とポルトガル語を「(怪しくも)話せて」、その前年にメキシコに行って、次にブラジルに留学に行くと聞きつけて、ペルーのフジモリ大統領の伝記を書いていた彼が、もう一人の社会学者との3人での共同研究と本の企画を持ってきたのだった。要は日本語が読める人が必要だったんだね。

あんまり気乗りしないままに(その後も同様、だって学者になるつもりがまるでなかった)、「でも約束したから」という理由と出版社の契約書にサインしてしまったからというだけの理由で、何年か共同研究し、学部の卒業論文をそのテーマで書いて、それを英語にして、その時期に日本に急速に流入していた日系人の調査をして、で本が出来た(The Japanese in Latin America, Illinois University Press)。が、まるで学問のイロハを分かっちゃいなかったし、あまりに中途半端な感じだったので、イリノイ大学からくる印税の小切手を一度も換金しないで現在に至ってしまった。

あの最中は自覚がなかったが(そして今の今まで)、でも、今振り返るとこの経験は凄く自分の中に根をおろしていたことに驚く。

彼は、アメリカの公文書館に行っては1990年初頭に50年ルール(通常30年ルール)で開示され始めた、本来は厳しく開示が限定されていた軍や警察の資料を、山というほど入手して、片っ端から読んでいた。そもそも大学2年生の私にはその意味がよく分からず、彼の知的興奮と眼鏡の奥で光り輝く好奇心を眺めながら、現場であるラテンアメリカでの現地調査を重視しない彼を批判的な目でみていた。でも、彼は在米のペルーから連れてこられて収容された日系人へのインタビューを開始していて、もう一人の共著者である社会学者と地道にインタビューを積み重ねていた。その際に聞き取った調査票の束を前に、彼は途方に暮れていて、取ってきたもののデータ整理できない自分を嘆いていた。「彼はこの本を完成させないと准教授から教授になれないんだよ・・・彼が少しでも怠け者の自分を乗り越えたら素晴らしい学者になるのに」、とお父さんはおっしゃっていた。

確かに彼は「(学問に)怠け癖」がある人だった。3人の子どもたちと遊ぶのが何より好きで、遊びといっても走る・泳ぐ・飛ぶ・・・だった。そして、よく子どもたちに本を読んでいた。そのまま寝てしまうことも多々あった「よきお父さん」であった。

でも、彼はマラソン選手だった。
そして、彼は学問の社会的意味に拘った。
だから、自分の昇進よりも(つまり本を書くよりも)、もっとがんばったのは、自分の学術的なリサーチの成果を社会運動に提供することだった。アメリカにおいて、日系人の収容はよく知られているが、ベルー等の南米にいた日系人が米国に連れて来られて収容所に入れられていた事実は当時知られていなかった。

今でこそNHKでもドキュメンタリーが放映され、以下のように当時の事を語るインタビューが視聴できる。
http://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/624/
http://www.discovernikkei.org/ja/interviews/profiles/32/

でも、当時はそういう状況ではなく、彼の研究もまた補償運動の皆さんと二人三脚であった。微力ながら、私もお手伝いしたりした。1999年にビル・クリントン大統領が謝罪をして補償を約束するまで、現代史を共に生きる歴史家として、彼が果たした役割は大きかった・・・と、今頃になって思う。

しかし、ブラジルにスラムでの貧困の問題をスラムの中から考え・研究するために行きたかった私としては、なんともコミットするほどに心が動かなかったのである。歴史アプローチよりも、社会学的アプローチに関心があり、究極的には過去のことではなくアクチュアルな平和と暴力の関係に切り込みたかった。アメリカ社会に関心がなさすぎたせいもあったかもしれない。冷戦が終焉するしないのあの時期、中南米からみたアメリカは「介入者」として見えたし、まだ「唯一の大国」としてブイブイいわしていたころで、「ああ、やだな・・・」と思ってしまう何かが蔓延していた。なにせ、1989年夏、18才の大学1年生夏に独りで向かった先がインド、そして当時は第三世界とよんで間違いのないスペインとポルトガルだった・・・という始末。

彼があれほどのこだわりと粘りを見せたのは、彼自身がアイルランド移民二世だったこともあるという。自分の問題意識に根ざした研究は、すぐには花を咲かせず、社会運動に没頭したとしても、必ずいつの日が大輪を咲かせる日がくるもんだ、ということも彼から学んだと思う。

賛成できないことが大半のアメリカであるが、底力のように凄いところは、色々なものを呑み込みながら、プロとコン(賛成と反対)がぶつかりあうことをよしとして、物事を前進させようという気概がある点である。だから、見せてもらって公開文書には、ばっちり個人名も残っているし、その人が在職中にとっていたメモ用紙までそのままファイルに残されている。というか、ファイルごと残っているのだった。軍とか警察とか、安全保障関係のものほど、きちんと整理されて公開されている(隠されているのもあるだろうが、かなりの程度30年、50年ルールを過ぎたものは公開)のである。そして、それらの記録の詳細を知らなくても、司書の人に相談すれば凄くがんばって色々リストを出し、資料を出してくれる。そういう経験を、大学2年生程度の私が出来た事自体、感謝してもしきれない。

実はそれから18年ほどが経過した4年前に、ワシントン郊外の米国アーカイブに行って冷戦期の米国の対世界戦略とアフリカ政策関連の文書を調べている時、もう退職した先生が会いに来てくれた。私は自分の本を渡しながら、先生との共同研究がいかに私に大きな影響を与えたのか、あの時は自覚がなさすぎて、ただ世界の現場に行きたい一心で十分感謝できなかったけれど、今日ここに自分があるのは先生のお陰だとすごく強調したら、先生ときたら、「でも僕のお陰というより、君は息をせずに25メートルのプールが往復できたからね。つまり、我慢強いから」・・・だった。

先生には、先生の子どもたちと私のあの競争が凄まじい印象だったらしい。私も未だ若く、そういうことにこだわりをもってた・・・。でも、私が息をせずに長時間潜れる理由は別にあった。幼子の私が海に身投げしようと考えた理由とも絡むがそこはさておき。あの子たちももはや家庭をもって各地で活躍している。でも、先生は照れくさかったんだと思う。先生のこういうひょうひょうとした、利己心の薄い、故に「怠け者」なところは、心底尊敬する。先生は、アンデスの山々が似合う先生だった。

もう一つ先生との共同研究で学んだのは、当時日本では未だワープロ全盛期にあって、「インターネット?メール?それなに?」の時代に、メールでやりとりしながら共同研究を進めるということが当たり前のものだった点だ。そして、先生が米国中南米歴史学会のメーリスで、ある学説やある新刊本について、コメントを書くと他の人たちがそれをさらにコメントして、一つの学説が、遠隔で、でもリアルタイムでどんどん鍛えられていくのを、目にしたことも刺激的だった。(と同時に意味が分からなかった。どうして、一つのメールを全員が読めるのか・・・どうして今書いたメールがどこでも後でも見れるのか・・・など。説明されても一向に分からなかった。。。)

今ドキの学生なら驚かないだろうが、なにせ当時「ポケベル」の時代。ポケベルに「カイシャ」と出ると、公衆電話に走って会社に電話した時代なのだ!携帯なんて自動車用のものしかない時代。その原理がどうしても理解できない私は、先生が、何故パソコンを常に立ち上げていて(これもワープロ世代には驚きだった)、そこに入ってくるメールを気にして仕事をしていたのか・・・横目で眺めていた。正直、そんな箱の中、顔が見えない相手とのやりとりに時間使ってる場合かよーーー天気いいから子どもたちとプール行きたい・・・の心境だった。思えば、彼との年の差は20才以上。子どもたちとは6才だった…。しかも相手は博士で、准教授。こっちはただの英語もろくに出来ないアジア人の日本の学部生だった。なのに、本当に一点の曇りもなく、対等に接してくれた。アメリカには時々そういう人がいる。公平な人びとが。

他方、お母さんとプロテスタントの教会にいって、哀れな東洋人(赤子的)と扱われた時には心底腹が立ったし(まあそれぐらい英語が出来なかったから仕方ないのだろうが)、「白人として哀れな有色人種には優しく接しなければならない」という押しつけのようなものを嗅ぎ取って嫌気がさした。聖書を学ぼうの会も、正直辛かった。日本の植民地支配はあからさまな人種差別に基づいたものであったことが多いが、20世紀後半のヨーロッパのそれは時にそれが家父長的な様相を身にまとっていた。キリスト教の普及という正当化の論理が使われていたこともあろうが。どちらがどうではなく、そういうものの根っこにある人種差別意識というのは、私の中で強い印象を与えた。

その経験から、米国の人種差別とブラジルのそれの違いについて意識するようになっていった。アフリカンビートへの関心から、おのずとアフリカンアメリカンの歴史に、そして北東部ブラジルのコミュニティに、しまいにアフリカまで辿り着いたのだが、これらすべては偶然ではなかったように思う。アフリカに行くつもりがこれっぽっちもなかった私が、ブラジルで学んだポルトガル語のお陰で、国連の仕事でアフリカ(モザンビーク)に行けたことは、偶然であったが今思えば必然だったのかもしれない。

だから若い頃に、「自分はこうだ」とか「これが好きだ」「これしか興味がない、したくない」という考え方はしない方が、可能性が広がって、自分のちっぽけな脳みそでは思いもよらなかったような機会に恵まれると思う。

抹消していた記憶が戻ってくると、洪水のようだ。
あの夏、先生の家の芝生に水を撒いた後の青々しい匂いとか、プールで飛び散った水滴がキラキラと輝いた感じとか、あの3人の子どもたちの歓声とか、昨日のことのように思い出す。なのに、どの子の名前も、その顔も思い出せない…。

あの共同研究の中で、私は「論争」というものを学んだ。
全ての事柄には論争があるのだということを。
そして、それは決して悪いことではなく、多様な角度で眺め、多角的に議論することで、物事は前進していくのだということを。それに慣れるのは容易ではなかった。日本人にとって「和をもて尊しとなす」のが当たり前である以上、相手が間違っていると思っても、おかしいと思っても、それはのみこんでしまうのが美徳であった。若い女性ともなれば、なおさらのことであった。

しかし、クリティカルな目線、実証に基づいた議論は、それが誰であれ当然のこととして受け入れられる世界に、少しばかりの間であるが、浸ることができ、そのことの重要性と可能性の一端を垣間みることができた。そこがカクテルパーティであろうとも、招かれた知人宅のバーベキューの場であろうとも、「あなたはどう思う?」「どうして?」・・・そう聞いてくれる大人達に、どれぐらい考え・語る機会をもらったことだろう。

でも、彼はあれやこれや「教え」たりしなかった。ただ一緒に執筆していただけだった。私の書くものにまったく口を出さず、「ブラジル・日本担当」というだけが決まり事だった。最初は戸惑った。何から手をつけていいかもわからず、膨大な参考文献リストの海の中で溺れそうだった。でも、英語文献で書かれていることと、日本語文献で書かれていることのギャップに気づいた私は、英語文献ではほとんど書かれていない明治期の日本の移民史にはまっていった。今から思うと、英語文献の世界で「自分だけができること」を追求した結果だったかもしれない。

明治の日本人がどうやって外に目を向けて海を渡っていったのか?また、冷戦終了直後の「国際化」を叫ぶ日本にあって、若者として、一人一人のライフヒストリーや声に心惹かれたというのもあった。国会図書館には膨大な量の資料があって。移民文庫については資料室があった。全体の閲覧室の無味乾燥な雰囲気と比べ、その空間が居心地良かったというのもある。休みになると関西から出ていって、朝から閉館までひたすら資料を読んだ。外務省に移住課があって、そこの皆さんにもインタビューに行き、資料を借り、日系人協会でもやはり同様だった。

私が最も惹き付けられたのは、これら「戦前移民」たちの手記や俳句や和歌であり、送り出した側(日本政府関係者)の会議の議事録であった。そして、英語文献をよみながら、そして彼と議論しながら、戦前の日系移民が新大陸への他からの移民と決定的に違っていたことについて思い至ったのであった。
つまり、「出稼ぎ」という言葉に示されている戦略である。

米国や中南米側からみたときに、「移民(移住者)Migrants」と一括りにされてしまう彼らが、実は「いつかは日本に帰るつもりの出稼ぎ者/人(sojourners)」であったこと、その結果ホスト国と日本と自分たちとの関係が、他の国や地域からの移民と著しく違う点であったこと、そして、そのことが第二次世界大戦直前から最中、そしてその後に及ぼした影響の大きさ・・・これらは日本人であればある程度推測できることが、英語の学術界では十分に理解されていないことが私には逆に驚きだった。

そこから私の関心はブラジルで生じた「勝ち組」「負け組」の衝突に向かって行った。この現象を、英語世界の人たちに分かる形で提示したい・・・と思ったのである。(大学の卒業論文は結局これをポルトガル語で書いたものであった。しかし、その100ページを超える大作も、引っ越しの際にどこぞやに行ってしまい、もはや幻のものとなってしまった…)。

また、日本向けには、初期の南米出稼ぎ者が、必ずしも困窮した人たちがいったわけではなく新天地で自分を試したいという野望を持った人たちが多かったことなどを突き止め、先行研究を引用しながら、一人一人の環境や想いを歴史的動態に繋げようと試みた。私が稚拙な英語で送るそれらのレポートを、彼は丹念に読んでは質問を返してくれた。それに基づいてさらにリサーチを進めていった結果、当初の予定とは大幅に逸脱する章立てとなってしまった。

結果、当初3人で書いていたこの本が2人の本となっていった。何故ならもう一人は南米をフィールドとする社会学者で、日本の歴史なんか興味ないのに本がどんどんそっちの方向に行くのに耐えられなかったからだ。出版社からも、日本の部分が長過ぎるとクレームがきたのに、彼は「ある歴史条件の中で、人が海外に向かい、滞在者となった後、移民になっていくプロセス」への私のこだわりにつき合ってくれた。本の表紙の写真を彼が提案してくれたときに、そのこだわりをいかに彼が共感し、共有してくれていたのか分かって、すごく感動したことを覚えている。

学部を終え、大学院に通いながら1年ほど追加で調査・執筆して、私の役目を終え、私はこれで一生学問と関わることもないな、という確信とともに、そして当時のパートナーに指輪を返し、戦争を終えたばかりのモザンビークに旅立った。その後も、本の最終化のプロセスであれやこれやがあったのだけれど、そのパートナーとのあれやこれやのもめた時期でもあったため、一切合切を記憶から抹消してしまっていた。。。今思えば、若かったなー。そこまで一生懸命忘れようとする必要はなかったのに、と。

でも、以上の色々を今日まで忘れてしまっていた理由には、本当の意味では自分のものに出来ていなかったことだったからということもあると思う。見よう見まねで、ただ流れに身を任せ、本を書いた。もはや恥ずかしくて読み直すことすらできない本を・・・。この本は、そのほとんどを担った彼のお陰で米国の学術本の選書トップ50に選ばれ表彰され、未だに米国中南米史学会から招待がくる。でも、それは本当の意味では私の実力ではないし、内実を伴ったものではなかった。その申し訳なさから、4年前まで彼に連絡を取ることすらできなかった。

人生というのは予期しない曲がり角を準備してくれるものだ。
モザンビークからかえった24才の私は、国連の次の仕事に行くか迷っていたのだけれど、自分のどうしようもない英語能力や専門知識の欠如をなんとかせねばんと考え、米国の大学院に行ってなんか学位ぐらいは取っておいた方がよいかな、などと考えていた。まあ、よくあるパターンの発想だ。それで修士論文を英語で書いておいた方がよいなということで、これまたどうしようもない英語でつらつら書いて出した途端に、阪神淡路大震災にあったのだった。

続きはまた今度・・・。
[PR]
# by africa_class | 2015-07-30 21:52 | 【大学1年生向け】基礎ゼミにかえて

三つ葉のトースト、生き延びるということ。そして、愛と若さについて。

病気の残存から1日1個ぐらいしか出来ない。
なので、今日は敷地の奥の森の自生しているヨハネスベリー(ふさすぐり<黒いのはカシス>)を摘みに行って、今ジャムと夕飯を作っているところで、後はストーブがやってくれるため、暇なんでこれを書いている。
a0133563_16405262.jpg


本当はパウロ・フレイレの『被抑圧者の教育学』について書こうとしていたのだけれど、勝手気ままに書いていたら、ぜんぜん違う話(根本は同じだが)になってしまったので、そのままにしておく。

薪ストーブの良いところは、同時に鍋とグリルが使えることだ。なので、同時に夕ご飯も。今夜も手抜きで、庭のハーブで作ったサラダに、ミツバ&トマトトースト、組み合わせ的にとってもあわないと考えられる具沢山のみそ汁。これらを、同じストーブで、寝る前に飲むハーブティ(今は季節側ミントに凝っている)のためのお湯とともに準備中。というか、ストーブが勝手に準備している。

「薪ストーブ」という名前から「薪」ばかりに目がいくが、枝も立派な燃料。そのことに気づいてからは、ストーブでの調理は凄く楽になった。

なお、群生するミツバと翌日冷えてしまった手作りパンをなんとかしなきゃ・・・の一心で編み出したレシピ・ミツバ&トマトピューレ&ガーリック&チーズのトーストはおすすめの一品。子どもが小腹を減らすとこれを出せばボリューム感から満足してくれる。
今日は独りなので、さらに手抜きをして、こんな感じに。
・庭に群生中のミツバを刻んだもの
・昨夜の残りの海の幸&ガーリックトマトソース
・これに細かくちぎったチーズ
を買ってきたパンに載せを、グラタン鍋に並べてぶち込んだだけ。

以前作った時のもの(オーブンに入れる前)
a0133563_1628350.jpg


お味噌汁も具沢山な理由が、去年秋に自分で作った味噌の大豆自体が具沢山…。あまりにしんどくて、でも味噌が手に入らないドイツの田舎なんで、無理矢理味噌を作ったため、機械も踏みつぶすのもやめて、ただ手で潰した(踏みつぶすにはそのための袋を用意したりだし、機械を使うと後洗わないといけないので大変)。その結果、茹でられた大豆くんたちはつぶれきれておらず、ほとんど半分に砕いたぐらいの形態。なかなか味噌らしくならなかったが、10ヶ月を経て良い感じに。なので、みそ汁の味噌自体が大豆のつぶがもりもり…。でも、私こういう味噌実は好き。そこに、買い物に行けない時のために干しておいた今年の夏の収穫物、つまり化け物となったダイコンたちをただぶち込んだ。自慢じゃないが、凄く美味なみそ汁。この1品と玄米でお腹いっぱいになる。

家事はスピードが母からの家訓。
忙しすぎるが丁寧な暮らしがしたいという矛盾する自分と生活を成り立たせるために、「手間自体を愛さない」、「省ける手間は省く」、「今の手間がいざという時の楽さに繋がるのであれば、やる」ということをモットーにしてきた。こういう時に役立つもんだ。

でも、19で家庭を持った私は、どんな忙しくても、レトルトとか冷凍食品とかそういうのに頼ったことはないし、電子レンジも持った事もないし、トースターも炊飯器も持ってないし、まあ人から見たら、「手間やのー」ということはあるだろうが。要は、楽しめる範囲での手間を楽しんでいる。また、暮らしの基本が「循環」であることも、譲れない。これも、私の中では「抵抗の実践」の一形態だから。

さて、本題。
ここまで書いたら、ジャムが出来そうだ。
何の話だったか…。
そうだ、抵抗だ。

私に取って、以上のような日々の暮らしの色々は「抵抗」そのもので、思考と実践の両方を繋ぐもの。当事者性というのを私が持つとしたら、「生活者」というところからしか始まらないから。「学者然」としていた方が、個人的には遥かにメリットがあるけれども、そんなメリットを得て送る人生なんて何の意味もない。墓場にカネもメリットも名声も持っていけない以上、より問われるのは「どう生きたのか?」であって、「何を所有したのか?」ではないから。

死が切実に近かったから、今を生きる・自分らしく生きることに早くから目覚められた。もし、いじめや、自分が必要とされていないとか、自分が生きても何の意味もないと考えている若い人がいたら、いいたい。

そんなこと絶対ないよ、と。
あなたの命には、沢山の意味があるのだよ、と。
生きていれば、必ず本当に大切なことに行き当たる、と。
今、そう感じられないとしても、だったらそう感じられるところまで生きてみよう、と。

私は4つの時に、海に身を投げようとして、ギリギリのところで思いとどまった人間だ。当時、港のある漁村に暮らしていた。なぜ思いとどまったのかは、未だに思い出せない。ただ、「救われた」という実感だけが胸の中に残っている。目の前に横たわる暗い海のあの感じだけが記憶にある。

成人した後、そこを再び訪れた時、あまりにも村がちっぽけで、海も穏やかで浅く、拍子抜けしたことを思い出す。19才のあの時でも、あそこに足を向けるのはとても辛く、当時婚約していた彼に付き添ってもらって初めてそこまで行けたのだった。そういえば、あの彼も元気だろうか。籍こそ入れてなかったものの、彼の家族には本当の娘のように沢山の愛と支援を頂いた。ブラジルでの調査費を出してくれたのは彼のおじいちゃんで、彼のお父さんには学問的なアドバイスを、お母さんには女がプロとして生きることを、沢山教えてもらった。おじいちゃんとお母さんのお葬式に行けなかったことは今でも悔やまれるのだけれど、お父さんに本を送れたのはせめてもの償いかもしれない。お父さんには今年こそ、会いに行きたいと思う。

若さとは厄介なものだ。
とりわけ、幼い頃に刻み込まれた痛みを解消できない間は。
自由に沢山のチャレンジをしたい自分と、同時に愛されることで安心したいという自分の間で揺れ動く10代と20代前半を経験し、それがもたらした多方面の問題に、申し訳ない想いがある。今となっては、その「若さ」を苦笑したり、微笑ましく思えるが、当時はとても深刻だった。23才の終わりに、すべてを捨てて戦後直後のモザンビークに行ったのは、大変な決断だったけれども、心からよかったと思う。

女の子たちが、自己肯定感から男性に愛されることでなんとか自分の不安を埋めたり傷を癒そうとしているのを見るつけ、かつての自分を思い出す。

そんな彼女たちにいえることは、
それもまた仕方ない、ね。
ということ。

もっと強くなんなさい、とおばさんがいうのは簡単だ。
でも、試行錯誤をしてみないと、分からないものだから。
覚えておくべきは、自分の中にはちゃんと力が備わっているという真実。
他人の「愛」のように思えるものに、依存しなくても大丈夫。
あなたは、ちゃんと自分をいつか受け入れられるから。
その時、本当に解放されるのだよ、と。
自分が自分で与えていた呪縛から。

私が、ブレない自分の話であのようなことを書いたのは、そういうことだった。
「長い夜にブレない生き方について考える〜ガンジーの「ノー」の価値論と「五日市憲法草案」、そして沖縄」
http://afriqclass.exblog.jp/21326990

自分の中に軸がない限り、他人がどう思うか、他人に愛してもらえるのか、そこにばかり気が向いていってしまうことについて、私自身が経験をしてきたから。これは息子にも、多分伝わっていないと思うけれど、伝えてみた。「ふーん」としかかえってこなかったけれども。

恋愛は人を成長させる。
だけれど、まずは自分が自分を受け入れられないと、それはどこか誤摩化しになってしまって、本当の意味での自分の人生にはならないことを、頭の隅においてもらえるといいな。

まずは生き延びること。
そして、自分を受け入れること。
そして、その経験をバネに、他の人びとのために役立ててみること。
そして、時に始めた場所に戻ってみること。
愛し愛された人びとに感謝すること。

そんなところ?
偉そうにいえる私ではまったくないけれど、とりわけ私の友人たちは苦笑していることだろう!散々迷惑かけたから・・・。

でも、歳を取るということは何と素晴らしいことか、と納得している間に煮沸消毒していたジャムの瓶も乾いたようなので、ジャムを完成させる。

今日は、リースリング。
甘すぎるから嫌いだった。
安いワイン風で。
でも、ここドイツの風土にとってもあうワインなんだ。
これも年の功かな。
[PR]
# by africa_class | 2015-07-28 04:30 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

(その2)大学生のスピーチに思う。「名を伏せた者たち」が進める全体主義の今。

ということで昨日の続き。
先に(その1)を読んでね。
http://afriqclass.exblog.jp/21484478/

といっても、ハーブ畑に大量に生い茂ったあらゆる草との今朝の格闘で、今実は疲れ果てている…。いなかった1ヶ月の間に野菜たちも化け物とかしていて、本当はもっと早くに秋野菜を植えなきゃなのにまずは夏野菜とお友達の草たちからなんとかしなきゃ・・・でもしんどい・・・で、ここまで来てしまった。農には、お天気・人手、心身ともの健康と時間が必要だということをつくづく感じる毎日。

しかし、放置がよろしかったのか、野菜も草も、そもそも植えてあった木々も、今は花真っ盛り。天国のように色とりどりの庭。見るだけなら、素晴らしい色合い。絵に描きたいほど。一年のごく僅かな出棺だけのこの眺めを堪能したい。けれども、油断すると種をまき散らすのでまた来年大変なことになる・・・が、今はこの花々に、ハチがぶんぶん、モンシロチョウもぶんぶん。切るに切れない。
a0133563_7201727.jpg


せっかくだから、前から挑戦したかった養蜂を来年はやってみよう。ラベンダー、アジサイ、ディル、アザミ、シロツメクサ、コンフリー・・・の花の蜜を吸ったハチの蜜って、どんな味がするのかな?という興味から。

「ハチ」というと、子どもの頃は怖かった。家でも学校でもすごく脅されていたし。でも、ハチに囲まれて暮らしてわかったことは、ハチもまた彼らの感性と論理があって、こちらが彼らの邪魔をしない&しないオーラを出しておけば、ほっておいてくれるということ。「邪魔しないオーラ」って何?・・・というと、「気を消す」感じ?ぶーんと飛んで来ても、何もせず、ただ気を消す。動きたければ、そーーーと引く感じ。すると、ハチもすっといなくなる。このあうんの呼吸を呑み込むと、ハチさんが群がっている花も少しだけお裾分けさせてもらえる。

またしても、続きのはずが前に進んでないわい。

で、1年以上前に何を書いていたか?・・・というと、日本平和学会に頼まれて『平和研究(早稲田大学出版会)』というジャーナルを編集していた。それは、『平和の主体論』という特集号になったのだけれど、そこに後書きを書かなければならなかった。だから、ナチス時代のドイツで形成された全体主義の問題について、今の日本と重ね合わせた文章を書いた。ハンナ・アーレントを引用しながら。「後書き」は、こう始まる。

 「東日本大震災とその後の東京電力福島第一原発事故から3年が経過した。そんな2013年末、小さな映画館で公開された映画が評判を呼び、異例のロングランとなった。「ハンナ・アーレント」と題されたその映画を、2013年の日本社会が欲した理由は何だったのだろうか。
 ハンナ・アーレントHannah Arendtは、ユダヤ系ドイツ人として生まれ、ナチス・ドイツの迫害から逃れ、アメリカで「全体主義の起源」をはじめとする多くの著書を記した政治哲学者である。
 全体主義体制は、第二次世界大戦あるいは東西冷戦の終焉にいおって、一部を除き「終わったもの」として久しく受け止められてきた。1990年代以降の世界における複数政党制民主主義の急速な拡散、移動手段や通信技術の発達による多様な情報へのアクセスの拡大ーーこのような時代に再び全体主義について考える必然性はどこにあるのだろうか」。

日本平和学会(編)『平和研究ー平和の主体論』早稲田大学出版会
http://www.waseda-up.co.jp/series03/post-711.html
(表紙の写真は、2014年2月にNGO・外務省定期協議会・ODA政策協議会で沖縄に行った際に、沖縄の高江で撮ったもの。モザンビーク農民の土地を奪われる苦しみと不安を、沖縄の人びとはよく理解してくれた。苦悩というのは他者の痛みへの共感と連帯の土台になりうるものなのだ、と改めて尊敬を込めて感じた)

この本が出てすぐ、その「後書き」が、現実に生じたことを先取りしていたため、このブログに駄文を書いていたのであった。そして、布団の中で書いたそれは、誤操作で見事消えてしまった…。でも、それでよかったのかもしれない。物事にはそういう思いがけない出来事があって、それぞれに「意味」があると思う。

で、1年前何故その駄文を書いていたのか?
それは、外務省JICAとNGOの「対話」の記録から、政府側が個人の氏名・肩書きを削除してきたと聞いたからだった。この対話は公開のもので、それまで記録は記名入りで掲載されていた。それが去年5月に突然、名前が消されて、「外務省」とか「JICA」とかの書き方にされていたと聞き、「あっ」と思ったからだった。

この記録をめぐっては、当日全く発言されてもいないことが事後的に書き加えられたり、当日言ったにもかかわらず(そして逐語議事録が提供されているにもかかわらず)「記憶にないから」と削除されることもあるという。さらには、NGO側の発言箇所にまで、丁寧にも、直接修正を加えてくれるというから厄介だ。一般には、こういうことは「記録の改ざん」とされかねないが、これらの機関ではどうもそうではないらしい・・・。違うと思いたいが、あまりに日常化しているということだろうか?こういう細かい芸当が得意な者ほど組織内で重宝され、評価が高いのも、税金で彼らのサラリーを支えている側としては「?」が大きい。

当日発言したことは、後で変更可能で、そもそも誰が話したかすら分からないようにできる・・・税金で支えられている援助事業の公開の話し合いの場で求めること自体が、一般市民には謎だ。透明性を高め、説明責任を果たすのは義務であり、責任であり、「市民の要求によること」でも「追加的なこと」でもないはずなのに?

つまり、自分の発言に個人として責任を持たない、持ちたくない、ということだと受け止めるしかないのだが、他に何か理由があるだろうか。でも、これも一度でも組織に生きたことのある者なら、きっと理解できる論理だろう。つまり、彼らだって可哀想なんだ。

彼らの論理では、このような問題事業を、好きで担当しているわけではない。たまたまそういう役目が回って来ただけで、運悪く担当になって、自分の名前が記録に残るのは迷惑だ。そもそも発言だって、個人の発言というわけではなく、組織のためにしぶしぶやってることだ。なのに、自分の発言としてもらっても困るし、自分の将来にも関わる、そいうことのようだ。これに同情する気持ちがないわけではない。渦中の栗をあえて拾った人もいるし、改善しようと努力している人たちが何人もいるのも知っている。そして、その人たちの努力に率直に敬意を払いたい。でも、だからこそ、名前を伏せるなんてことはあってはいけないと思う。名前を載せるのも憚れるような、そんな「問題事業」を始めたのは誰なのか、どの組織だったのか? 皆が自分の名前を隠して歩く限り、本当の意味で良くはできない。今良くできなとしても、教訓として未来に学ぶ時に、これでは学びようがない。

実際、政府の公開文書からはある種の人たちの名前がごっそり消されている。本当に丁寧にすべてのページから削除されているのだ。その人たちの名前を探して黒く塗るだけでも大変な作業である。これもまた税金である。そんなことをする理由は何なのか?「個人に不利益がある」ということを主張するが、名前が隠されなければならないほどまずいことをしてきたのもそれら本人ではないのだろうか。

そして、このような「自己の責任放棄」こそが、現在のあらゆる日本の問題に通じている以上、個人として同情はするがそれをよしとはできない。また、このような無責任体質によって、現地で人びとが苦しい目にあっているのなら、なおさらである。(それについては、今度は外務省・JICAですらなく、モザンビーク政府の「オーナーシップ」の責任にされている…!)

もう一点興味深いことは、1年前、個人名が削除されるようになっただけでなく、外務省やJICAの個人が良心に基づいて行った率直な発言は、事後的に組織的に削除されたことであった。つまり、個人の発言は許されておらず、組織の方向性に合致した言葉だけを話し、記録に載せることだけが許されるということのようである。

つまり、任期の2−3年がすぎたら、別の者に任務が置き換えられる以上、そこに個性など挟んではいけないのだ。つまり、「置き換え可能な塊」として存在しなければならない。

でも、本当はそうじゃないはずだ。
人は誰だって自分らしく働きたいし、貢献もしたい。
にもかかわらず、「名前を消す」「発言を消す」ことを主張するということは、そういうことを意味する。相手があることなのに、自分は匿名性に隠れる。時間が経ったら次に向かうだけ…人びとの暮らしは続いていくというのに。

この一切合財を最初知った時、何かの手違いかなんかかと思った。しかし、結局「記名を無記名に」するために、何ヶ月も政府側が粘り続けた様子をみて、彼らにとって自分の名前が記録に残るか否かがそんなに重要なことなのだ・・・・ということを、心底驚いたが、理解した、そして、これは、ある特異な例外的なケースではなく、2014年の現実ーー悪化する日本の統治体制の現実ーーとして、ある種の合点がいった。

そして、私が思い出したのが、『平和研究』に書いていたハンナ・アーレントの「自己の無用化」、つまり「誰でもない者による支配」の話であった。

そのシンクロさ加減に、さすがに心臓がぎゅーーーと締め付けられる想いだ。当の本人たちはそんな風にはみていないと思うけれど。2013年全般に問題なかったことが、2014年には重視されていく。この転換というのは、例えば2013年末に秘密保護法が成立し、その後原発最稼働し、安全保障関連法案提出までの流れを歴史的背景として眺めるならば、さほど違和感がないことなのかもしれない。

そして、これは外務省やJICAだけの話では当然ない(そしてこれらの組織の全員がというわけでもないことは、明白だろうが一応記しておく)。これらは、単なる一例にすぎず、広く日本に蔓延している問題なのだ。ここが一番の味噌である。詳細は上述の「後書き」に書いたのだけれど、ここでも少し(大いに?)披露したい。

**

アーレントは、「独裁体制のもとでの個人の責任」で、「なぜ服従したのか」ではなく「なぜ支持したのか」こそが問われなければならず、一人前の大人が公的生活の中で命令に「服従する」ということは組織や権威や法律を「支持した」事を意味し、「人間という地位に固有の尊厳と名誉を放棄した行為である」と断定する。そして、これらの「人間としての尊厳と名誉を取り戻す」ためには、まずは「服従」と「支持」の違いを考えなければならない、と主張する。

つまり、「仕方なく」「組織がそう求めるから」「上が命じるから(命じないから)」という言い訳に対し、「一人前の大人の人間としては不名誉で自己の尊厳を放棄した言い訳にすぎない」ことを痛烈に批判する。そして、結局それは「服従」ではなく、「支持なのだ」と結論づける。つまり、「自分の意志や意図ではないしぶしぶの受け身の行為(=服従)」と本人が認識しようとも、それは組織や全体の中で「積極的な支持」にすぎず、個としての責任が問われることなのだといっているのである。

確かに、消極的な行為であろうと、積極的な行為であろうとも、「従った行為」の果てにはその体制が支えられ、揺るがないという結果のみが立ち現れる。戦後多くのドイツ人は、自分たちも犠牲者であったと強調し、ホロコーストについて問われれば「知らなかった」「何も悪いことしなかった」「直接は何もしていない」・・・ということも多かった。しかし、まさにこの「積極的に支持はしなかった、ただそこにいて従ったにすぎない"one of them"の束」こそが、あのような政治社会体制を可能としていたのである。

そこに目を向けないのであれば、いつまでも自分の責任はないことになり、良心の呵責もないだろう。何より、自分は特定の個人として何もしなかったのでもなく、命令に従ったのではなく、あくまでも圧倒的多数の一人(One of them)にすぎなかったのだらから・・・との論理が可能である。そもそも、もっと責任のあるエライやつらがいたし、奴らの責任は明白だ。その影で奴らはいい目にもあった。皆それが誰か知っている(ヒトラーやその他)。一方、庶民にすぎない、「組織の歯車」にすぎなかった役人の私の名前は、どこにも書かれていない。直接殺戮の現場にいた収容所の看守だったわけでもない、と。

私のドイツの家族もこう口を揃えた。
「いつも気の毒に思っていた。私たちは差別なんて決してしなかったし、密告もしなかった」、と。「じゃあ、助けようとしたの?体制に抵抗しようとしたの?」という問いには、「そんなことは不可能だった」と。「不可能になる前に何かしなかったの?」という問いには、「分からなかった。急に一気にナチスが社会を国家を乗っ取ったから」と。これは、日本の多くの人の感覚と同じだろう。

これをアーレントは「自己の無用化」と読んだ。
「自分が行ったこと(行わないこと)と、その結果は無関係」という多くの人がもっている感覚。「私ぐらい…」「私なんて…」の一言に象徴される。これが庶民レベルで展開する問題もそうであるが、官僚レベルで行われることの影響は深く重い。彼女は、これを「誰でもない者による支配」と呼んだ。

自分を「自己のない=誰でもない者(Nobody)」が、国家や社会の制度部分を担い・回すことによって総体として現れる支配構造、それが全体主義であった。

善良なる市民感情、あるいは「仕事をしているだけだ」との想いをもった官僚感情を前に、それでもハンナ・アーレントは「人としての責任」を問い続けた。そうしない限り、再び全体主義は他者を破滅させるために蘇ると見破っていたからだ。彼女は、マッカーシズムに荒れる米国社会と、ソ連の国家体制、そして何より大虐殺を経験したはずのユダヤ人が作りつつあったイスラエル国家の体制を見ながら、これらの著作を書いた。アーレントは、人間は繰り返し過ちを犯すだろうという確信を持っていたから、筆を緩めず、彼女の考える書くべきことを書くべき手法で書き続けた。仲間からも厳しすぎると非難されても、なんらかの配慮で書くべきことの表現と中身を妥協することで、彼女の考える真理から遠ざけられてしまうことを畏れた。彼女は、まさに筆一本で闘っていたからだ。

アーレントが非難を受けた理由は、ホロコーストが悪の権化のような狂った憎むべき個人によってではなく、「凡庸なる(普通の)個人」によって行われたことを主張したからであった。あのような想像を絶する人類史上まれに見る犯罪が、「凡庸なる悪」という言葉で総括された時に、ホロコーストのサバイバーやその遺族の衝撃は大きかった。さらには、ユダヤ人協会の一部の者が自らの安全のために、体制に協力していたということを指摘したときには、その反発たるや凄まじいものがあった。

しかし、アーレントは、自らの理解、言葉、主張を変えなかった。なぜなら、本質は、人間とその社会の持っている傾向の問題にあって、この理解に行き着かない限り、犠牲者の名の下に(「ユダヤ人だから」)、あるいは「解放者」の名の下に(アメリカ)…今度は次の全体主義が準備されてしまうことが見通せたからであった。

この「誰でもない者(名前のない/伏せられた者)による支配」の根っこにある元凶を、彼女はあぜんとするほど平易なあっけない言葉で示した。つまり、「思考停止」である。

「思考停止」という言葉は、若者の間で長らく流行った言葉だった。
だから、日本ではあどけないニュアンスがある。
しかし、アーレントのいう「思考停止」はもっと根源的なものがある。人間が人間である理由は、人間には思考が可能だからだ・・・という前提において、「思考停止した者」とは「人間の尊厳と名誉を放棄した者」になる。

アーレントの結論はこうだ。
この「思考停止した凡庸なる人」こそが、世界最大の悪であるホロコーストを可能にした。
つまり、思考停止は悪なのだ。「自称普通の人びと」のそのような思考停止こそが、世界最悪の「悪」を招く。

きっと多くの人にはあまりにものあっけなさに、な〜んだ、と思うかもしれない。しかし、アーレントの話はもっと奥行きがあるのだ。

「人間」が「思考停止する」とどうなるかというと、「交換可能な塊」にすぎなくなる。もはや名前のある特定のあなたという人間でなくてもよくなる。労働力であり、官僚であり、全体の中の機能だけが重要となる。となると、「複数制」が否定され、一人が倒れても次が準備されればよく、あなたでなくても別の人でもいい。組織は続き、体制は続いていく。それもこれも、「名のあるあなた」は、「思考を停止し人としての尊厳を捨てて体制を温存させている=支持しているから」である。そして、この体制には、「よそ者」が生み出され、「全体」が優先さsれるが故に排除が目的化する。ナチスドイツの場合は、ユダヤ人や共産主義者等がその対象となった。これらの完全排除が全体の保全のために目的化される。

このプロセスを、アーレントの教え子であるヤング=ブルーエルは次のように説明する。
「全体主義は政治(的空間?)を破壊する統治形態であり、語り・行為する人間を組織的に排除し、最初にある集団を選別して彼らの人間性そのものを攻撃し、そこからすべての集団に同じような手を伸ばす」という(2008)。

つまり、体制にとって、自らの頭で考え、声を上げ、能動的に行為する主体を、ある種のレッテル貼りでその存在自体を排除してしまえば、社会を押さえ込むことができるというのである。

人間に与えられた自分の頭で考える・・・ことに目覚めた人びとが、「交換可能な塊」から脱し、自分の尊厳と名誉と責任において自分の名前で語り始めた時、そこに全体主義が破れる可能性が芽生えるものの、圧倒的多数の「思考停止の交換可能な塊となった人びと」がこれらを「よそ者」とレッテル貼りして完全排除をしていくことで、体制は加速度的に出来上がっていく。

日本においては、立上がる人びとを「左翼」「過激」「プロ市民」「中国からカネをもらっている」等と呼んで。

しかし、この話はそこで終わらない。
なぜなら、「他人事」として傍観していた「凡庸なる人びと」「統治側にいる誰でもない者=官僚」のところにも、全体主義の支配は及んでいくからだ。自分らしいことが、一つずつできなくなっていく・・・そんな不自由な社会が、いつの間にか自分を蝕んでいく。それでも、体制が崩壊するまでは安全だろうと思うかもしれない。しかし、全体主義が行う「よそ者」としてのレッテル貼りは、いつどこで自分や自分の家族に牙を剥くか分からないのだ。今日は統治の側にいる自分が、いつか逆転することすらあり得る。全体主義とは、個々の人間の幸福など目的にしない以上、明日は「我が身」かもしれないのだ。

名前を失い塊となり思考停止することを厭わない人たちが、国の統治を行い、同様なる凡庸な人びとが、これを支持する限りにおいては、犠牲となる人びとを生み出すことを必然とし、人類最悪の犯罪すら可能とするのだ。そして、これは遠い昔の話ではなく、今目の前で進行していることだと考えるのは、私だけだろうか?

エルサレムでアイヒマンは、体制や組織が下した決定を歯車として役割を果たしただけで自分の意志ではなかった以上、自分の責任ではなく、自分が個人としてさばかれるのはおかしいと主張した。彼は、自分の昇進ばかりを気にして、ただ粛々と仕事をこなした。その結果が、大量のユダヤ人の収容所への輸送であった。

それに対して、アーレントは、そのような言い訳をするアイヒマンについて、「(人間)主体としての自己放棄」こそがまさに「全体主義を生み出した悪」なのだと説明した。

映画「ハンナ・アーレント」の最後のシーンに、彼女が学生たちの呼びかけたことがある。

自分自身で思考する。
それが人間を強くする、ということ。
思考の営みは職業的思想家のものではなく、全ての人びとが日々必要とするものであり、他方そうやって得られた思考で関わるべきは「自分」ではなく「世界」に対してである、ということ。

だから、私は、2015年7月の暑い夏に、日本の大学生たちが、「思考停止」を脱して自分たちの頭で考え、「自己無用化、塊化」を避けて、自分の名前を堂々と語り、すべての可視化できる記録に残しながら、自らの言葉で語ったことを、賞賛せずにはいられないのだ。

彼らが失うものがないから・・・などという批判は無用だ。
今の学生がどこまで就職の不安を抱えて生活しているか、大人達はしりもしないから。
今の大学が、学生の活動にどこまで口を挟んでくるかも、知りもしないから。

私たちは、ただ、過去の歴史と、歴史の葛藤から紡ぎ出された豊かな著作と、若い人たちの躍動的抵抗から、頭を垂れて学ぶべきときなのだ。

全体を恐れ、その中に埋没し、隠れている場合じゃない。
今、このクリティカルモーメントにおいて、日本の「人としての尊厳を持つ唯一無比のあなた」が問われている。

「あなた」は、「置き換え可能な塊」なんかじゃない。
「あなた」は、「思考停止」なのかしていない。
自分だってNGOのように自由に発言し、行動したいと考えているのも知っている。
本当は、「あなた」は、素晴らしい独立した考えの持ち主で、自己保身や自己承認のためだけに働いているんじゃなくて、一人の人間として物事を変革できる「力」を持っていることを、私は知っている。
そして、苦しい想いを日々重ねている事も知っている。
行き場のない怒りを抱えているのも知っている。
その少しでも、表に出すことが、今必要なんじゃないのかな?


1年も経ったのに、この話を再び書こうと思った理由は、学生のスピーチだけでない。立教の声明を読んでのことだった。
「「戦争」とは決して抽象的なものではありません。具体的な名前をもった若者たちが戦場で向かい合い、殺し殺されることを意味します。そして、子どもたちを含む多くの戦争犠牲者を生み出し、いのちの尊厳を踏みにじるものです。1945 年までの戦争への反省の上に立って戦後日本が国是としてきた平和主義に逆行し、日本に戦争への道を開く安全保障 関連法案の可決に、私たちは強く抗議し、法案の即時廃案を要求します。 」

ノーベル賞学者の益川教授がこう述べている。
日経:物理学者・益川敏英氏「学問より人類愛せ」(戦争と私)
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO89240270T10C15A7000000/
「虫も殺せないような人が平気で人を殺せるようになってしまうのが戦争だ。組織の中で動いてしまう。だから恐ろしい」 「科学者は放っておいたら自分の研究室で研究している方が面白い。本人にそのつもりがなくても、自分が開発した技術が戦闘機に使われるようなことも起こりうる。それに気付いたら科学者は社会に報告すべきなんでしょうね。でも普通はしない。だから集会や社会に連れ出したらいいんだ。すると、平和が危ういということはすぐに分かるんだから」

学者や科学者だけではない。
援助を含めた政策立案者も遂行者も同じだ。
自分机や会議室の中にある世界で物事を想定している限り。

ここに書きたかった本質が表されている。
国家の政策は、一人一人の生命と幸福と財産を操るほど力を持ちうるものだというのに、その想定される対象には名前と顔がない「女性」「若者」「農民」「貧困者」を対象とする。それを司る側もまたトップ以外は名前なき役人・軍人らの塊によって遂行される。行為自体が、被害を招きかねない複雑なプロセスは軽視され、「戦争(殺し合いにかかわらず)」、「援助(政治を伴うものであるにもかかわらず)」と抽象的に表現される。

だから、決定とプロセスを主権者・主体の側に戻していくしか、方法はないのだと思う。
先人たちの屍と犠牲の上の民主主義の時代に暮らすというのは、そういことなのだ。
私たちは、名前を伏せるどころか、名前を取り戻すところから始めなくてはならないのだ。そんなことを考えた夏の夜長だった。

ハンナ・アーレントについては、以下の参考文献。
矢野久美子『ハンナ・アーレント』中央公論新社。
映画については、以下のオフィシャルサイト。
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/


*なお、ここに書いてあることを本当の意味で理解したら、そんなことはあり得ないはずであるものの、過去に起きた出来事が懸念されるので(あえてここで何が起きたかは書かないものの)、念のため書いておくのですが、この内容を「悪用」しないようにしてください。物事には多様な見方があって、そこに論争があって、そして社会は発展していくものなのです。

おやすみなさい!
[PR]
# by africa_class | 2015-07-27 00:21 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

大学生のスピーチに思う。「名を伏せた者たち」が進める全体主義の今(その1)。

若い人たちの感性に感銘を受ける毎日だ。
人類の歴史が示してきたように、危機は危機として、圧倒的に構造に下支えされた強いものである一方で、そのような中でも、一筋の希望が生まれる時がある。

「希望には二人の娘がいる。一人は怒りであり、もう一人は勇気である」と、アウグスチヌスが言っていたらしい。「安全保障関連法案に反対する立教人の会」の呼びかけメッセージで知った。
http://rikkyo9.wix.com/home
(↑とても良い文章なので読んでほしい。後でもう一度これを引用予定)

吹けば飛ぶような小さな灯りかもしれない。
でも、人びとと社会に温かな確かな励ましをもたらすに足る灯りを、若い人たちが生み出している。そして、まさに「健全な怒り」から、勇気をもって彼女たち、彼らは立上がったのだ。
そして、「希望」という名の、様々な色と大きさの花を、日本のあちこちで咲かし始めた。

「まっとうな怒り」すら、遠いものになりかねない、感覚が麻痺した「大人」の一人として、ありがとうを伝えたい。あなたたちに、気づかされたよ。そして、励まされたよ。「大人」達も、それに応えないといけないね。

実は、病床の中でも、彼女や彼らのことをこの1年見ていた。

最初は小さな小さな試みだった。
国会前で声をあげ、辺野古でおばあ・おじいと座り込み、多くの大人達の声に耳を傾けた。
沢山の試行錯誤の中で、自らを鍛えていった。
過去の過ちの轍を踏まないように、時に悩んだ。
…そうだった?

日本を出てしまった私に、大学を後にしてしまった私に、何が言えるのだ、との想いの中でも、皆を見ていた。そして、日本の政府や援助(とその主体)・マスコミの劣化を目の当たりにして、実は去年の4月に書いていた文章があった。でも、PCの電源がキレて消えてしまった…。その時は、病気もあって仕方ないのかな、と思ってそのままになっていた。そのことを、改めて書きたいと思う。

その前に、忘れないうちに二つのスピーチを紹介しておこう。いずれも女子学生たちのスピーチ。
ユーモラスで、柔らかで、なのにシャープでクリティカル、そして何より本質を突いている。「怒っています」との一言で始まりながら、感情的な文章ではなく、論理的に話している。

どこぞやのウソ、ごまかし、はぐらかし・・・しかできない方々とは雲泥の差だ。

…と思っていたら、こんな動画がYoutubeにアップされていた。
「【あかりちゃん】ヒゲの隊長に教えてあげてみた」
https://www.youtube.com/watch?v=L9WjGyo9AU8
本物も比較してみよう。
https://www.youtube.com/watch?v=0YzSHNlSs9g

思考も思想も言葉も、街頭でもまれ、鍛えられる。
街に出たあなたたちは、本の中に埋没し机の上でのみ論じる学者よりいも、もっと切実に沢山のものを吸収している。落ち着いたら、また本に戻ればいい。あなたたちが先生たちを路上に引きずり出せばいい。先生達は、あなたたちから学び、あなたたちを支える側にいくべき時がきた。それは先生冥利に尽きる事なんだ、本当は。

結局のところ、教育とは、「共育」ことなのだと思う。政府や文科省の予算配分ばかり気にしている今の大学や大学執行部には分からない真理かもしれない、けどね。第一、彼らが見ている方向はお役所やカネ勘定ばかり。それもこれも、「大学の未来のために」といっているが、自分の雇用や年金への不安が原動力だったりもする。もはや、目の前の学生たちや、社会の課題ではない。今迄だって、どの程度学生を見ていたかという問いはさておき、社会課題に至ってはそれをなんかの競争的経費に繋げられないか?という発想からしか、アプローチできない。そして、政府にたてつくような課題へのアプローチ等は、考えてはならぬのだ。

で、そんな大学や先生を飛び越えて、学生たちは街角に出た。
そして、先生たちのもっとずっと先を歩み始めた。

2015年7月25日
大学3年生の芝田万奈さんのスピーチ
https://www.youtube.com/watch?v=WDbAd1CSDDk&feature=youtu.be

2015年7月15日
大学生の寺田ともかさんのスピーチ
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/253905
「 こんばんは、今日はわたし、本当に腹がたってここにきました。国民の過半数が反対しているなかで、これを無理やり通したという事実は、紛れもなく独裁です。だけど、わたし、今この景色に本当に希望を感じてます。大阪駅がこんなに人で埋め尽くされているのを見るのは、わたし、初めてです。この国が独裁を許すのか、民主主義を守りぬくのかは、今わたしたちの声にかかっています。
  先日、安倍首相は、インターネット番組の中で、こういう例を上げていました。『喧嘩が強くて、いつも自分を守っ てくれている友達の麻生くんが、いきなり不良に殴りかかられた時には、一緒に反撃するのは当たり前ですよね』って。ぞーっとしました。この例えを用いるのであれば、この話の続きはどうなるのでしょう。友達が殴りかかられたからと、一緒に不良に反撃をすれば、不良はもっと多くの仲間を連れて攻撃をしてくるでしょう。そして暴力の連鎖が生まれ、不必要に周りを巻き込み、関係のない人まで命を落とすことになります。 (中略)
  わけの分からない例えで国民を騙し、本質をごまかそうとしても、わたしたちは騙されないし、自分の頭でちゃんと考えて行動します。(中略)
  わたしは、戦争で奪った命を元に戻すことができない。空爆で破壊された街を建て直す力もない。日本の企業が作った武器で子供たちが傷ついても、その子たちの未来にわたしは責任を負えない。大切な家族を奪われた悲しみを、わたしはこれっぽっちも癒せない。自分の責任の取れないことを、あの首相のように『わたしが責任を持って』とか、『絶対に』とか、『必ずや』とか、威勢のいい言葉にごまかすことなんてできません。
  安倍首相、二度と戦争をしないと誓ったこの国の憲法は、あなたの独裁を認めはしない。国民主権も、基本的人権の尊重も、平和主義も守れないようであれば、あなたはもはやこの国の総理大臣ではありません。民主主義がここに、こうやって生きている限り、わたしたちはあなたを権力の座から引きずり下ろす権利があります。力があります。あなたはこの夏で辞めることになるし、わたしたちは、来年また戦後71年目を無事に迎えることになるでしょう。(中略)
  この70年間日本が戦争せずに済んだのは、こういう大人たちがいたからです。ずっとこうやって戦ってきてくれた人達がいたからです。そして、戦争の悲惨さを知っているあの人達が、ずっとこのようにやり続けてきたのは、紛れもなくわたしたちのためでした。ここで終わらせるわけにはいかないんです。わたしたちは抵抗を続けていくんです。
  武力では平和を保つことができなかったという歴史の反省の上に立ち、憲法9条という新しくて、最も賢明な安全保障のあり方を続けていくんです。わたしは、この国が武力を持たずに平和を保つ新しい国家としてのモデルを、国際社会に示し続けることを信じます。偽りの政治は長くは続きません。
  そろそろここで終わりにしましょう。新しい時代を始めましょう。2015年7月15日、わたしは戦争法案の強行採決に反対します。ありがとうございました」

これを丁寧に報じているのは、IWJだけだ。
http://iwj.co.jp/ (会員になって支えよう!)
全文をこおに掲載できるのもIWJのお陰だ。

私たちにIWJがいてくれて本当に良かったと思うし、他のメディアは何をしているのだろうと思う。どうでもよいタレントや有名人のどうでもよいスキャンダルやコメントや会話を垂れ流しにする暇があれば、これらの若者の声をそのまま流した方がよほど意味があると思う。<=制作費もタダだし。お茶の間の皆さんも、きっと興味を持つことと思う。「今時の大学生がこんなことを?」と。

私の研究室の電話には制作会社やテレビ局から「アフリカで何か珍しいことやっている学生紹介してください」というメッセージが山ほどかかってきていた。アフリカに行かなくていい。毎週金曜日に街角、国会前に行って、カメラを回し続ければいいのだ。

でもやらない。「政治」だから、お茶の間で「考えずにただTVの箱(今時、板か)を眺めていたい(と彼らが勝手に思っている)ばかな国民」には、「難しすぎる」と、TV人たちが考えているからだ。いや、ただ政権に睨まれるのが怖いためか?

また前置きが長くなった。
でも、もうこのブログの読者には「今更」だろう。

私が去年4月に書いていたことと、寺田さんのスピーチは密接に関係している。
「私たちは騙されないし、自分の頭でちゃんと考えて行動します。」

この何気ない一言は、実はすごく重要なのだ。
彼女が「自分の頭でちゃんと考え」てした行動とは、「自分の名前で語ること」であった。

この点が、ナチズムによるホロコースト(ユダヤ人や反ナチ等の大虐殺)の本質と関わることであり、再びあのような大罪を人類・国家・社会・一人一人が犯さないために、不可欠なことなのである。

それを成人間もない彼女たちが、軽く言ってのけた、やってのけている。
ごく当たり前に聞こえる「自分の頭で考えて、自分の名前で責任をもって行動する」を、どれだけの人が日々実践しているだろうか?名乗らないで行う数々のこと。

何人の官僚が、自分の頭で考えて、組織に隠れることなく、自分の名前を伏せることなく、責任をもって行動しているのか?

何も役所だけではない。
大学や、高校や、中学校や、小学校の先生だって、どうなのか?
新聞や、テレビや、雑誌の人びとだって、どうなのか?
JICA職員や、開発コンサルタントだって、どうなのか?
大企業のサラリーマンだって、どうなのか?

寺田さんや、柴田さんの勇気に、私たちは感謝しなくてはならない。
なぜなら、この日本の独裁・ファシズム・全体主義的状況の半歩手前の今、まさに「名を伏せた者たちの日々の「仕事」」によって、日本の民主主義は破壊に追いやられているからだ。

続きは、明日かも。
<=やっぱり翌日に。(その2)へ。
http://afriqclass.exblog.jp/21487530/
[PR]
# by africa_class | 2015-07-26 02:40 | 【考】民主主義、社会運動と民衆

モザンビーク農民の声に触れて、今日感じたこと、そのまま

ドイツに戻って来た。
生命に家も畑も敷地も覆われていた。
命の内に秘めた力に、ただただ圧倒され、自分のちっぽけさ加減に無力感に教われる。
でも、近づいてこれらの生命に触れてみたら、その躍動的で深く渋い輝きに心を奪われた。

命とはウソのないものだ。
ウソと誤摩化しに塗れた東京での日々を後にして、その真理がじわりと心の中の温かな明かりを灯す。
農民の声がこだまする。

私たちのことを勝手に知らないところで決めないで。
私たちの「農民」の名のもとに進めないで。
あの人達には心がない、と。
心で聞くことができない、と。
私たちはただ自分のこれまでやってきた農業を続けたいのです、と。

そして、モザンビークに帰られたその朝、私たちにこう告げた。
「私たちは農民です。だからたとえ投獄されようとも、殺されようとも、闘いは続くのです。私が殺されても、他の者が続けるでしょう」と。

想いも寄らぬ一言に、私は訳す事すらできなくなった。
命を育んできたママであり農民である彼女の、そんな決意と一言に、驚き、圧倒され。
そんな想いをさせてしまった「援助」という名の「支援策」に、それを税金で支えている日本の市民として、ただただ申し訳なく、頭を垂れたままで。

経済成長の名の下に、進めてきた数々の開発政策。
その結果、どんな日本が今誕生したのだろうか。
命が育まれるのが困難な、幸せを感じることよりも不安を感じることの多い社会に。
頼る者が誰もいない砂漠に。
かといって独力では生き延びられないコンクリートジャングルに。

別の道を辿ることを放棄し続けて来た私たちの目の前に広がる廃墟と化した農村コミュニティ。
なのに自分たちが来た道が正しいと、モザンビーク農民に押し付ける。
それでも、コスタさんたちは笑顔だ。
どんな厳しい局面でも、持ち前の機転と笑顔を忘れない。
立派な農民たちを前に、「スーツ組」は何か感じてくれたのだろうか。
自分の腕一本で生活を支え、子どもたちを学校にやってきた農民の自信。

こういう農民こそを応援するのが、我々の援助ではないのか?
彼らを様々な工作で困らせたり、脅したり、内部分裂するようにバラマキをしたり、そういうことのために使われるために「援助」、税金があっていいのか。

彼らがプロサバンナに批判の声を上げた2012年10月以来、日本国内のダムや原発やそういった公共事業でやられてきたのと同じ論理で、「反対派崩し」「賛成派創出」が繰り広げられてきた。行政・JICAには当たり前のことなのかもしれないが、モザンビーク農民からは考えられないことばかりの連続だった。「国際協力」のはずの案件で、農民を貶めるような数々の出来事。

ガバナンスの悪い、民主主義が後退し、軍事主義が台頭するアフリカの国で、そんなことがどのような帰結を導き出すのか、考えてみれば分かることである。農民らは暗殺すら畏れる事態になっている。その責任をどう取るのか?これまで通り、「受益国の一義的責任/オーナーシップ」を隠れ蓑にするだけなのだろう。それを承知で進められた数々の「推進事業」。これも税金で出ている。

今の日本の農政や政治のあり方と援助も地続きなのだろう。
70年前、日本は世界に尊敬される国になろうとした。
そして今、その決意と努力のすべてを投げ捨てて、世界や隣人に嫌われ・戦争しても自分の利益だけを確保すればよいとの利己的な貪欲さを全面展開する国になろうとしている。
いつかきた道ではない。
なぜなら、あの時十分な形で民主主義も自由も情報もなかった。
今、私たちは先人たちの加害と犠牲と努力によって、前提の上ではすべてを手にしている。
しかし、それを一切内実化する努力を怠り、いつの間にか制度すら内部から切り崩され、どんな道理のあわないことにも囚われの身として黙認せざるを得ない一歩手前になっている。

土地に生きる農民たちの自信と決断の潔さとは、真逆の自信のなさと不安のなかに生きて。

モザンビークの農民はいう。
だいじょうぶ。明日の食べ物は土地と自分で生み出せる。
もちろん、足りないものもたくさんある。
でも、一方の私たちはそんな満ち足りているのか。
彼らの笑顔に、そんな一言を突きつけられているように感じたのは、私だけだったろうか?


***********
TBSのNEWS23で農民の声が紹介されたので。
2015年7月21日
「日本の大規模ODA、モザンビークの農民らが中止訴え」
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2545734.html
「アフリカのモザンビークで日本政府が進めているODA=政府開発援助の大規模開発プロジェクトについて現地の農民たちが来日し、中止を訴えました。いったい、何が起きているのでしょうか。」
****************


****2015年7月9日********
まったく書く余裕がないので、とりあえずTwittしたことを貼付けておきます。
私は、「教師の仕事」についても、本来「必要とされなくなること」が目標であるべきと思っている。「先生として求められること」に喜びをおきすぎることが、その目的を考えるに、いかに不健全なことか!親もそうだ。ただし、親というのは年を取るから分かりやすい。かつて威張っていた親も、いつか弱々しく、小さくなり、子どもたちに頼らなければならない。そうやって新旧交代の機会がある。


申し訳ないが、日本の「援助産業」はもはや末期的。そもそも援助が要らない世界の構築、援助者の仕事・稼ぎ・栄誉がなくなることが目的でないのか?そのためにどうすればいいかこそ、本来知恵を絞るべき点。要るといってもらうためにあらゆる工作を積み重ねて来た結果が、これだ。

7 分: @sayakafc 「日本の援助者」であれば平気なのかも?土地に暮らし自分の手で暮らしを支え、課題に直面しつつも共に乗越えんとする農民たちに「オルタナティブを出せ」と。他の人の社会に勝手にやってきて、当事者に何て台詞?日本のあなたの暮らしはそんな立派?援助で支えられる生活なのに?

17 分: モザンビーク独立40周年を迎えた。半分以上の歳月を北部の農民らと共に歩んできた。が、その21年の経験をしても「ホンマモン」の人から学ぶことが多く、自分の無知を恥じる。「センセー」「第一人者」と呼ばれることを捨て去り、ただ裸の私・Sisterとしてある時に得る理解は、次元が違う。

26 分: 明学講演会では、農民たちが作っている食べ物の多様性、それらを作り続けるためにどのような総意工夫をしているのか、どう調理するのかまで、沢山の写真とともに農民自身が説明。最後にエステバンさんが問うた。「JICAは私たち農民が貧しくて救わなくてはならいという。本当か?」と。胸に沁みた。

31 分: @sayakafc 今日がその最後の機会。参議院議員会館にて16時〜18時「「なぜ、現地農民は異議を唱えるのか?」日本の農業開発援助(ODA)・プロサバンナ事業に関する現地報告と声明発表。申込み締切は9日午前10時迄。未だ間に合う→http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/

33 分: @sayakafc 訳していて涙が出そうな瞬間、実はそんなにない。でも今日、農民たちの心の底からの経験に裏打ちされた一言一言に、切なく申し訳なく、他方感動。当事者ならではの本物の言葉。援助や開発を本や頭でしか理解していない若者、先達にこそ、聞いてほしい。「援助くれ!」以外の声を。

36 分: 明学での講演会終了。モザンビーク北部でコスタさんやアナパウラさんが営む農の姿に沢山の人に触れてもらい、本当に良かった。また、何故彼らが「小農支援」のはずの援助事業に反対を唱えるのか、凄く明確な話に目から鱗だった。本来は支援がほしいと言いたいところを、胸に迫る。明日その最後の機会
[PR]
# by africa_class | 2015-07-09 01:38 | 【考】土地争奪・プロサバンナ問題

長い夜にブレない生き方について考える〜ガンジーの「ノー」の価値論と「五日市憲法草案」、そして沖縄

たまたま目にしたこの言葉に、しばし立ち止まった。

「きっぱりと、心の底から発した「ノー」という言葉は、単に相手に合わせて、ましてや面倒を避けるためについ言ってしまった「イエス」に比べたら、はるかに価値のある言葉である。(『ガンディー 魂の言葉』)」


今の日本に、不可欠な言葉だと思ったから。
「相手に合わせる」
「空気に合わせる」
そうした方が、日本という国だけでなく、多くの国・社会で、格段に生き易い。

「はい」
とまで言わなくとも、何も
「いいえ」
なんて言わなければ、損することは少ない。

なのにあえて「No」という。
そして、ガンディーは「Yesよりはるかに価値のある言葉である」という。

これは、日本の多くの自分を「フツーの人」と思っている人にとって、理解不能な考え方かもしれない。むしろ、多くの人は辛くても、嫌でも、「YESといっている自分を褒めてほしい」と思うかもしれない。どんなに賛成できなくても、仕事だから仕方ない。どんなに嫌でも、嫌いな上司につき合って飲み会行ってる。笑顔で話してる。私ってエライでしょ?・・・そんな具合に。

そう。貴方はエライ。
その我慢もエライ。
それは褒められなければならない。

でも、それは社会全体を総体として見た時に、本当にそれでよいのだろうか?
あるいは、一度しかない人生を「自分」としてどう生きるのか?という問いを目の前においたときに?

それでも、やっぱりこれでいい。
そう答えるかもしれない。

でも、そうやって、日本社会は、あっという間に、坂道を転げ落ちるように、戦後、いや戦時中から、戦前からも、時に沢山の時に極僅かの人たちが命をはって獲得してきた大切な土台を、失ってしまった。

もはや、「失いつつある」とすらいえないほどに。

それは、日本の人びとが、あらゆる場面で、
それが、職場であれ、家族の中であれ、社会の中であれ、選挙であれ、
「おかしい」と思った時に、それを問わないまま、放置したこと、
「そりゃないだろ」と思った時に、誰かが声をあげてなんとかしてくれるだろう、と放置したこと、
積極的なYesでもNoでもなく、「そのままにしたこと」が、
この結果を生んだのだ。

「そのままにする」って、簡単だ。
「自分は責任を問われない」・・・はずだから。
しかし、本当にそうか?

ナチスドイツにおけるホロコーストも、圧倒的多数者はその論理で知らぬふりであった。隣人がガス室に送られるのを、「きっと安全なところに輸送されたのだ」「私のせいじゃない。私だって苦しんでいるんだ」「ユダヤ人に生まれたのが運の尽きなだけだ」等として、問うことなく、日々の生活を営み続けた。

そんな人びとの束が「社会」であった。
国家と同調する社会。
虐殺マシーンと化した国家を支える人びとの束、社会。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
そういうことなんだ。

日本でもこのようなプロセスに対する深い理解と社会の一員としての痛恨、未来に向けた誓いというものが、それなりにあった70年だった。それが土台にあって、世界に尊敬される日本のメリットを享受してきたのだ。アニメのお陰なんかじゃない。

しかし、そのような土台も蓄積も、あっという間に消えていきつつある。
これは、一体いつどこからどうして始まったのか?

きっと、私たちは、「土台」故に、空気のようなものとして受け止め、それを育み続けることを、怠ってきたということもあるだろう。と同時に、「グリード(貪欲さ)」に塗れた一部の人びとの欲望が、もはや止められないところまできているというのに、そのことに私たちはあまりに無自覚で、あまりにナイーブすぎた。そんなところまでは、ならないだろう。誰かがなんとかしてくれるだろう・・・と思っているうちに、外堀は埋まっていたのだ。

80年前と同様。
日本でも、ドイツでも、他の国々でも起きたように。

そして、今、「嫌だ!」「駄目だ!」という声を上げること自体が、あり得ないほど大変な時代が、再び到来している。70年間の歩みは、あっという間に歴史の針を逆走させ、かつての「あの不安」が、社会に蔓延している。

多くの人が、あの時は仕方なかったという。
しかし、その状況を生み出したのも自分たちだった。
そして、Noという声を上げる人たちを、時に差し出し、時に黙殺したのもまた、仕方なかったのだ、と。
一つの「No」を黙殺し、自分の中の小さな「No」をあきらめていく中で、社会はすべてが「Yes」一色とならなくてはならなくなってしまった。そこに、小さな如何なる「No」もあってはならなくなった時に、起きることははっきりしている。「No」となりうる人びとを殲滅しようとする論理と行動の正当化、そしてその実施である。

あるグループの被害は、しかしいずれ大多数の被害に拡大していく。
そのときもまた、多くの人が、「気づいてみたらもう遅かった」となり、その被害をただ「仕方ないもの」として引き受けていくのであった。

ロシアンルーレットのように、
自分の番にならなければ、
自分の損にならなければ、
考えすぎなければ、
自分のことだけに集中していれば、
なんとかなるだろう、
とも思っている。

あるいは、
「和」という日本の美徳を脅かすものは、けしからん、となるかもしれない。

では、
その「和」とは何か?と問われても、多くの人は答えられない。
それを強調する者ですら。
「和」の裏には、「強者の秩序論理」があって、歴史において少数者が抑圧に活用されてきたことなど、知ってはいけないから。当の強者ですら、意識しないままに、これを利用していることすら多い日本だから。

歴史の学徒として、150年ほどの世界と日本、アフリカの動態を眺めてきた者として、今「戦後」の最もクリティカルなモーメントに生きている、と感じる。前に前に進んできたかの人類が、今再び台頭してきた「グリード」の推進力に魂を持っていかれた一部の人たちによって、「逆コース」に向かおうとしている。これを支えるのが、おこぼれをもらう少数の取り巻き達、Noを言わない事で現状維持が可能と考える「賢い者たち」、薄々気づいているが自分には被害が及ばないだろうと考える圧倒的多数の「静かな人たち」によって、この動きはますます推進力をもって、進んでいっている。

そこで、「No」をいうことは、あまりに危険で、あまりに影響が大きい。
それを取り締まるだけの法的手段、前例まで、ここ数年に蓄積されてしまってもいる。
歴史は、「過ちの教訓」を与えるだけでなく、「どうやったら上手くいくかの教科書」すら提供するものだから。つまり、戦前のやり方を学んだ人たちが、大いに21世紀的にそれを活用しているというのに、人びとの側には、それを乗り越える歴史の参照事例をもたないのだ。

何故なら、日本は戦争に負けるという事によってしか、自らを解放できなかったから。
ドイツも同様であった。

だから、ドイツでは、歴史を学びながら、未来に同じことが起こる可能性を前提として、市民らが何をすべきなのか、法はどうあるべきなのか、国家と社会の関係はどうあるべきなのか、問い続けてきたのだ。

しかし、日本は、解放をただ有り難がり、もう二度としませんという誓いによって、これは守り続けられると思っていた。社会として、歴史に参照事例を持たない私たちは、せめて国家の論理によって消されてきた人たちの試みをもっと知ろうとすべきであった。そこで得られたはずの沢山の教訓と希望は、ごく一部の研究者やグループの読み物の中に書き記されているとはいえ、社会のものにはなってこなかった。NHKの朝ドラや、日曜日の大河ドラマで、これらの人たちが取り上げられたことなど、なかったのだ。

皮肉にも、日本の現在の憲法のオリジンが、日本の皇后によって言及されない限り、知られていないことの現実にこれは表れているし、彼女がこのモーメントに、あえてギリギリの手前のところでこの談話を披露したことの意味に、自分たち市民・市民社会の不甲斐なさに、頭を垂れるより仕方がない想いである。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h25sk.html
「5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」


不思議なもので、彼女はまったくぶれていないのだろうが、世間がぶれてしまっていつの間にか彼女が最先端を歩かざるを得なくなっている。

放射能汚染物質は、ますます海を大地を汚し続けているというのに、そしてそれはどうやって収束するのか皆目誰にも検討がついていないというのに、それを問題とする人がおかしいという空気が日本では生まれている。

おかしなことをおかしい・・・といえない空気。
おかしなことをしている人たちこそが、開き直ってエライかのように振る舞っている空気。
嘘をついても、それを言い逃れさえすれば良い。
嘘も繰り返しいえば、そのうち皆あきらめるか、そんなもんかと思い始める。
かくして、今日も、大人達は平気で嘘をつき、自分で作ったルールを破り、それでも自分たちは正しいのだと主張する。

そんな空気は、いつの間にか子どもたちにも吸い込まれていて、親も教師も子どもたちを制御することすらままならなくなっている。

でも、これは私たちが生み出した社会、子どもたちなのだ。
私たちは、皆もはや何が「正しく」て、何が「間違っているか」が分からない世界に生きている。
なんでも「あり」なんだ。
自分さえよければ、自分がまず重要。
その肥大化した自分が、社会の中でぶつかり合い、そしていつの間にかもっと大きく肥大化した「自分」のために生きる人たちに利用されている。そのことによって、実のところ「自分」は大切にできない社会が生まれているというのに、気づかない。

気づかない、というのは幸せなことだった。
社会がそれなりに回っているときには。
今は、気づかざるを得ない場面が、ますます増えていっている。
しかし、その「気づく」は、それを本来解決するための未来の方向ではなく、それをより極めさせるようなネガティブな守りの方向に、向かっていくようになるだろう。

不安というものの作用とはそういうものだから。
不安とともに生きるのは辛い。
明日ははっきり見えている方がよい。
そして、嘘でも未来は明るいといってほしいものだ。
信じることで救われたい。
Yesということで、相手にも受け入れてほしい。
Noだなんて、もってのほかだ。

不安とは、パワフルなものだ。
そして、底なしである。
それを打ち消そうと人びとがすることの多くが、大抵真逆の効果をもっていたりする。
特に、それが集団心理になった時、不安を解消しようとする行為の多くが、「他者」とこれらの人びとが名付けた個人・集団への暴力を伴うことは、歴史が示して来た通りであった。そして、それを知ってて活用する一部の「グリード」があったことも。

今の日本は、おそらく、その一歩手前にいるのだと思う。

だから、戦後の日本で、今ほど「No」ということに、価値があるモーメントはない、と言い切ることができると思う。それは、道ばたのノーかもしれないけれど、自分の日々過ごす場でのノーかもしれないし、会話の中のノーかもしれない。テレビを消してしまうノーかもしれないし、買い物のときのノーなのかもしれない。

そして、私たちは、その「ノーたち」を、他者に語り始めていくしかないのかもしれない。「やっぱりこれはおかしいよね」「やっぱりこれは受けいられないよね」、そんな言葉を、つぶやいていく。

でも、本当に重要なのは、その「ノーをいえる自分」であって、そこには一つ重要な点がある。
「ノー」といえる自分は、自分をまずは抱きしめてあげなければならない、ということ。

自分が自分として立つ・。
そのためには、自分を受け入れてあげなければならない。
ヒトがどうであれ、自分を愛してあげなければならない。
そのままの自分を。
ヒトと比べての自分ではなく、
なりたかった自分でもなく、
今のどうしようもない自分を。
間違いだらけで、足りないところだらけの自分を。
自分自身にすら隠してしまっている自分を。
どこからか引っ張り出して、抱きしめてあげなきゃいけない。

もう何年もベットの下に落ちっぱなしになって忘れていたウサギの人形のように、
しっかりただ抱きしめてあげなきゃいけない。

そこからしか始まらない。
自分が愛せない私だからこそ、ヒトの愛に依存するのではなく、ヒトの何かを奪うことで不安を満たそうとするのではなく、自分をまずは受け入れることによってこれらの誘惑を乗り越えなければならない。

かつて私がそうじゃなかったなんて、いわない。
自分がそうであったからこそ、書いている。
そのことに気づくのに、とてもとても長い時間が必要だった。
辛い想いも沢山必要だった。
ウサギの人形はいつもそこにあったのに、気づいてあげられなかった。
でも、気づいてしまったら、そしてそれを抱きしめたのなら、もう大丈夫。

その時初めて、自分以外の他者の痛みに、本当の意味で共感できるのだと思う。
ヒトの痛みを自分の痛みと感じ、ヒトの喜びを自分の喜びと感じた時に、得られる世界の豊かさに、圧倒される想いである。

そして、自分が自分の足で立った時に、次に問われてくるのは、その足が一体どこに着地しているのか?ということ。自分の足は一体誰の側に立っているものなのか、ということ。

社会は多様な人から成り立ち、多様な立場と多様な見方がある。
そして、おそらくそのどれもが正しいのだと思う。
しかし、時に、求められているのは、どこに、誰の側に、何故、立つのか?ということに関する決断であり、それについてはやはり試行錯誤が必要なのだと思う。

私は、「負ける側」に立とうと決めて生きてきた。
そして、それを損だなんて、思ったことは一度もなかた。今もそう思ってない。
ただ、それは難しいことであって、とても沢山の努力がいることなのだ、と今痛感している。

「負ける側」から見えてくる世界は凄まじく豊かで深い。
そしてそこからは「勝つ側」もよく見えるし、世界の構造もよく見える。
他方、「勝つ側」にいては、その一部が押し付けてくるものの見方しか見えない。
だから、「負ける側」に軸足を置くことは、すごく豊かな思考のプロセスを提供してくれることなのだ。
アフリカの歴史を学ぶことがそうであったように。

今、沖縄で起きていることは、私にそのことの意味を訴えかけてくる。

「なんでもありの価値観の時代」に生きる私たち世代は、一見すべての価値がフラットにみえるこの世界の欺瞞を、「負ける側」に身を寄せることで知り、ある価値のために闘う人たちから学ぶべきところを学ぶことすらできないで、彼らを「ごく一部の他者」扱いにするのだとしたら、彼らが最前線で闘っている社会の価値の意味を、私たち自身が踏みつけ続け、自分たちの未来を実際のところ閉ざしているということに、今気づかないとしたら、もう本当に手遅れなんだろう、と思う。

今日も地球の片隅で、愛するが故に価値あるノーをつぶやく。
そして、つぶやきながら、大地に感謝して、命の糧を頂く。
その往復運動が、人類の歴史の歩みの中で、いかに世界各地でやられてきことなのだと、いつかもっと具体的な形で皆に知ってもらえる方法はないか、と考える夜である。

息子達がサッカーの試合で遅い夜に〜。
あ、、、帰って来た・・。
[PR]
# by africa_class | 2015-06-10 04:35 | 【311】未来のために

畑のカエルに感謝し青ネギの花を食す日、命の循環の一部として生きてみること。

なんだか反響があったようだが、今は農繁期で、あれやこれやであっという間に時間が経った。

この時期は、一日畑に行かないと、違った様子になるというぐらい、自然の命の力はすごい。元はコンテナハウスがあった跡地に、森の土を入れて藁を撒いて、草を刈っては撒いて、色々なものを植えていたら、ミミズが顔を出し、ナメクジが現れ、芋虫やアブラムシがきたと思ったら、てんとう虫が飛んできて、あっと思ったら巨大ナメクジが衝撃的に現れ、今は畑を回るたびに、ガサガサ・・・と何かが逃げる音。よくみたら、カエルちゃんであった。

刈草マルチをしているので、あんまり水やりに神経質にならなくてもいいのだけれど、カエルのことが気になって、井戸水を撒きに行く。

森の朽ち果てた木々を薪割りをして、冬に選定した木々の枝を集め、3食毎日薪ストーブで調理をして半年。森の朽ちた木々の息子の気に入ったものは、彼の木工作品に変身するが、気を削って出てくるおがくずは、着火用の火種となり、その灰は畑の栄養分となり、余すところがない。当然ながら、ここでも生ゴミはコンポストとなり、愛猫ピーさまの落とし物とともに堆肥となっていく。命の循環に感謝して、日々を過ごしている。

深大寺にいたときから思っていたけれど、自然の循環というのはすごいものだ。一つの種をまくと、その成長に伴って次の生き物がやってきて、その生き物を目指して別の命がやってきて、つまり食物連鎖というのか、小宇宙というのか、小さな畑にいても、それを目の当たりにすることができる。農薬を使ってある生き物だけを「守ろう」という考え方の限界を目の当たりにする。

かつて、そら豆にあまりにアブラムシが群がるからせっせと自然農薬をつくって撒いていたが、実際はてんとう虫がきてくれるのが一番効果があって、自然環境を多様化して自然農薬も我慢すると、いつの間にか沢山のてんとう虫がやってくるということに気づくまで3年かかった。

あ、一点伝えておかなければ。自然農薬といっても、殺すためにあるわけではなく、虫さんたちにしばらくどいてもらうため、あるいは近づかないでおいてもらうためのもの、と考えて頂ければ。

庭は、キッチンの目の前にあって、引き戸でそのままベランダから行けたということもあって、キッチンの排水(勿論洗剤など使わず)は、すべて庭に返していた。生ゴミはコンポストに。コンポストの場所を少しずつ変えて、東京の住宅街だというのに、そして元はじゃりだらけの駐車場だったというのに、森の中にいるような匂いのふわふわな土ができた。あの土ではなんでも良く育ち、育ちすぎていない夏の間は、アマゾンのジャングルよりジャングルらしいほどで、カマなしには玄関に辿り着くのもやっとなほど…。そこまで土と生態系を豊かにするプロセスが何より大事なのだ、と気づいた頃に大地震と原発事故が起こった。

昨冬の間育ててた室内のトマトが、ある時アブラムシの大群にやられて(あるいはアブラムシが温かさ故に異様に繁殖し)、さすがに室内なんで天敵がいないため牛乳の残りを薄めてスプレーしたりしていた。でも、結局は春先に外に出したら途端に解決。でも、室内にも、アブラムシに気づいた途端、てんとう虫が一匹うろうろしていたので、彼らの嗅覚(?)というか察知能力はすごいものだ。これって、どんなに隠しても甘いものを家族が見つけてしまうことのようなものか。

それにしても、冬とか春先にトマトを食べようなんて思ったのがいけなかった。
やはり旬のものは旬に食べる・・・という法則。つまり、自然のサイクルで生きているものを食べる、自然にあわせて栽培するのが一番なのだと、実感した。そうは分かっているものの、サラダにやっぱりトマトほし〜と言われると、そしてスーパーで6つが3ユーロのオーガニックトマトを買うのを見ると、そんなん自分で作るわいと思ってしまうのであった。

でも、やはり季節を外して作るものは弱い。
室内でわざわざ作るのであれば、上に書いたような問題も出る。

しかし、これは作り手側の問題ではなく、食べたい側、消費者側の問題の方が大きいと最近は思う。どうしても不足する時に高くなるので作る側はそれにあわせることになる。それに、消費者は年がら年中店にトマトが並んでいてそれで当たり前。日本で作れなければ、どこかから運べば良いと・・・その方が結局安いなどという矛盾。

だから、私は日本の日々食べる人たちに、「消費者」という意識を捨ててもらって、少しでも「作り手」の側にきてほしいと思う。この際、ベランダ鉢植えでもいい。食卓の一つのハーブの鉢でもいい。何か育てて、それを食べてみてほしいのだ。そうすれば、自然の移り変わりの中で、植物を頂くということの意味と手応えが得られると思うから。そこから、何を、どうして、どう食べるのか・・・にいくには、未だ距離が大きいかな。

息子たちの「年がら年中トマト愛」に直面して、そして毎日霜が降りる冬のドイツで、そして円安ユーロ高の、さらに先行きが見えない人生計画の中で、これは抜本的に意識を変えてもらわねばならん、そのためには自分から・・・と思ったのであった。

とはいえ、なかなか回復しないもんで、子どもの頃からはまっていた薬草図鑑の世界に迷い込んだということもあった。原発事故前の深大寺では、相当色々なものに手を出しており、近所の子どもたちを動員して、野川沿いの野草を摘んだりしていたものだったけれど、今から思うとあれは序の口だった。

とにかく、冬寒しのドイツの庭で、何か食べるものがないか・・・週に1度の買い物の外出だってままならない(体調的に)のに、家族の食事を準備しなければならない状態にあったというのもある。ショッピングリストを渡しても、その通りには買ってもらえないし、やっぱり「3ユーロトマト!」がかごに入ってしまうのであった。

庭の「雑草」、いえ「野草」に目がいったのは、これらの理由から。野菜の薄まった緑に対して、野草の緑の濃さを見比べてほしい。この緑の濃さこそが、強さであり、生命の力強さなのだと、今年の冬はことさらに思った。そして、野草たちは、我が家の食卓の救世主であった。ずいぶんと毎日お世話になった。

野草茶、野草カレーなんて序の口。野草天ぷらも、それがオオバコだったり、ウツボ草であったりしても、ごく普通。我が家では、タンポポの葉の炒め物、あきのげしのサラダ、紅花の葉っぱのお味噌汁、タンポポの根っこのきんぴら、オオバコの種のふりかけ、オオバコのお好み焼き、イラクサのピザ・・・どこまでやるんじゃ、というぐらい特に畑に野菜が不足する冬場は重宝し、色々チャレンジした。ただし、野草は冬よりも、春から夏が一番生命力に溢れ、本来の食べごろ(旬)であるが。

それにしても、そんな料理を有り難く食べてくれる14才はなかなかおらんだろう。親が親なら、子も子である。今日は、畑の青ネギとダイコンが放置しているうちに花を咲かせたので、それらとルッコラのサラダを実に美味しそうに食べてくれた。最初は「本当にこの花食べていいの?」と懐疑的だったが、チャレンジ精神旺盛故につい食べてしまってくれた。よしよし。今日も騙されたな。実は私も初めてとは伝えていない!

a0133563_204519.jpg

(ダイコンの花、ダイコンの葉っぱ、ルッコラ、青ネギの花に、去冬に作ったタラゴン・ヴィネガー&バジルオイル、黒オリーブ、軽く干したニンジン、擂った黒ごまを添えて)

ちなみに、ネギの花は大変愛らしく、しかもむちゃくちゃ美味しい。これ発見。何事にもチャレンジが重要。我が家では、根野菜は必ず干してから(30分でも)使うが、これも食べ物の滋養を高めるので、おすすめ。太陽の恵みというのは、限界がないもので、これを深大寺の時のようにお湯に使えていない現状が哀しい。(OMソーラーシステムを入れていた。つまり、空気と水を太陽熱で温めていて、太陽力だけで1年の半分以上はお風呂に入れたのだ。)

ちなみにOMソーラーシステムは、入れるとなると150万円ぐらいかかるが、10年以内で確実に元が取れる。というのも、日本の住民が一番熱源を使うのは「風呂のお湯」であるから!これが、半年以上太陽熱で賄えれば、そして暖房費もシステムで激減させられれば、月1万円程度の余分な負担は10年で確実に元が取れる。その後は、「儲け」ばかり〜。ちなみに、我が家は、電気代は2000円を超えた事はほとんどなく、ガス代は1000円程度。しめて3000円〜程度だった。冬もそう。初期投資にかかるカネをどうするかの問題はある。でも短期と中期、長期で、考えるべし。
http://omsolar.jp/

自然って面倒じゃないですか?
よくそうもいわれる。
そういう部分もあれば、そうじゃない部分もある。

例えば、庭の野草や野菜を食べるのであれば、その日その場で新鮮なものを摘んでこれるし、買いに行く手間も冷蔵庫も使う必要がない。大量に出来たのであれば、乾かしたり、油や酢に漬けたり、冷凍したりしておけば、料理にひと味付け加えるときや、何もないときにさっと彩り・香り・栄養を加えることができる。

生ゴミも自然に返せば、臭い水分たっぷりの生ゴミを保存したり、蠅がたかったり、ましてやそれをお金を出して回収してもらったり、燃やされるところまで運んで、焼却して二酸化炭素と窒素を排出したり(!)、しなくても済む。歩いて数歩のコンポストにいく手間と、ゴミとして出すのと、実はそれほど違わない。違うとしたら、「意識」と「慣れ」の問題なのだと思う。

薪ストーブでクッキングも同様。慣れるまでの時間を過ぎてみれば、薪の形態(針葉樹林か広葉樹林か、太いか細いか)、枝の形態、おがくずの形態(粉か大きめか)・・・等で大体の火加減はできる。しかも、トップだけで4つの鍋が置けて、なおオーブンでパンやケーキも同時に焼ける。同じ熱源(一本の薪)で、どこまでも効率がよいし、さらに部屋全体もあったまるのである。どうして我々は、薪ストーブを調理器具から切り離してしまったのだろうか。(ドイツの場合)

今や、薪ストーブはただの暖房器具。誰もこれで調理などしていない。そもそもクッキングストーブでドイツのメーカーのものはほぼ不存在。我が家のストーブも北イタリア製。なぜなら、イタリアは住宅が外断熱ではない分、冬は寒い。そこで各部屋に薪ストーブがあることも。で、ピザを焼くこともあり、薪ストーブはアパートでも自然と食卓にあるそうだ。ちなみに、日本と違って凄く安い。が、煙突が高い…ドイツ事情。

薪ストーブで調理していると聴くと、大抵の人が「どうせ少しだけでしょ?」と思っているかもしれないけれど、家は一日中ストーブがついていて、そこで何かしらやっている。といっても、調理に使わない時は、灰の中でじっくり堅い広葉樹を燃やすので、寝る前に1本入れて朝までついていることもある。

キッチンの主役に躍り出た薪ストーブでは、コーヒーのお湯を沸かしていることもあれば、フットバス用のハーブや薬草茶を煮出していることもあれば、じっくり遠赤外線効果で昆布から出しを2日かけて取っていることもある。野菜スープは切った野菜と干した野菜を入れた鍋を、ただストーブの上においておけば、いつの間にか出来ている。ご飯も同じ。土鍋をおいておけばいい。まな板も網なども、ストーブの端っこで乾かすし、ふきんもストーブの取手でいつも乾かせるので、ぱりっとしている。こんな優れもの、どうして誰も使わないのだろう。

特に、森に囲まれている日本の農村で、どうしてオール電化のIHクッキングなどという馬鹿げたものが導入されていくのか、実家にいくたびに絶望的な気持ちになる。あらゆる意味で、「里山」の仕組みは理にかなっていた。国土の7割を森林で覆われる日本を外から眺めると、もっと色々な可能性があるように見えるのだが、その「可能性」を実践に変えていくだけの人材すら、奪われた近年だった。外を見た若い人にこそ、日本の農村で面白いことができると思うのは、甘いだろうか。

世界的に見ても、そして自然エネルギーで消費電力の3割を生み出すドイツから見ても、日本は素晴らしく豊かな自然の恵みを、まったく無視しているどころか、ますます外から来た、あるいは危険を冒して作られる高い熱源に頼ろうとしている。しかも、暮らしの中で、自分の手の届く範囲に、自分の使うエネルギー源を持つとしたら、色々なことが自分の手の中に戻ってくる。これまで電力会社に払っていたお金、電力会社が行っている沢山の不正、外で木々の中で過ごす気持ち良さ、炎を見つめることで身体を芯まで温めてもらうおかげで得られる治癒力、家中が薪になるがその落ち着く香り、燃やすと出てくる香ばしさ、ストーブの周りの会話。ただIHで調理していて、これほどの会話は生まれないし、一人で調理するはめになる。

a0133563_2015653.jpg


何よりIHは人間が使うただの道具で終わってしまう。他方、停電したり故障したりすると途端にお手上げ。料理という命をつなぐ家族団らんの源すら、自分でコントロールできなくなる。つまり、道具のはずが、その道具に食をコントロールされているということなのだ。

薪ストーブでの調理は、もちつもたれつの共同作業。その関係はストーブと調理者に留まらず、庭や森の木々達。木々を取り巻く環境。その木々のお裾分けに預かる我々。薪を割る斧と人。このような「関係」を取り戻すことが、「食」と「エネルギー」の可能性なのだと常々思ってきたが、今クッキングストーブを手にして、自分の中でのミッシングリンクが解けた気がしている。

汗をかくが、自分たちの手元に自分たちの生を育むために必要不可欠なものたちを取り戻していく。足りない部分は他に委ね、助け合い・・・なんてことはない。世界各地で人間がやってきたことだった。

「奪わないと生き延びれない」というマインドを、大きな帝国は繰り返し臣民たちに押し付けてくる。「奪わないで生き延びる方法はないのか」を考えさせないように、仕組みができ、教育と広報ができている。食とエネルギーは、自分たちの日々必要不可欠とするもの故に、このように統制されてしまった臣民には、根幹の問題である。故に、「パンのためには他者への暴力は許される」とばかりの、為政者たちの宣伝に、煽動されてしまうのであった。

「ひとつの命への暴力は、すべての命へとつながる。こうして、わたしたちは、この世界の暴力から、ひとり無縁でいることはできない。(『ガンディー 魂の言葉』)」

歴史はそうやって悲劇を繰り返してきた。
だから、食とエネルギーを自分の手に負える範囲に取り戻していくことは、単なる「エコな私に酔いしれる」ためではなく、本当の意味で、自立した自分・社会を取り戻していくために必要不可欠なステップなのかもしれないと考えている。これは何も、自分の敷地内に畑がなくてはならない・・・ということではない。今、日本は空き地・空き家だらけ。課題こそ、工夫を生み出し、考えてもいなかったような次の創造を生み出す、はずなのだ。

ちなみに、我が家の斧は隣の家のおじいちゃんに借りたものだ。
あえて買わない。
おじいちゃんに借りるということで、森の恵みに感謝する薪割り活動への連帯が生まれる。
おいしいクロアチアのガーリックももらえる。
時に、ワインも飲ませてもらえる。
あれ?もらってばかり?

斧が我が家にやってきた理由。
何度いっても、自分の敷地にある膨大な朽ちた木々を薪にしてくれなかった連れが、隣家の実は84才のおじいさまが、毎日元気に薪割りをやっているのを目の当たりにして、そして製材所から薪を買っているということを(家に木がいっぱい横たわってるのに!)呆れられたのを受けて、俄然やる気になってくれた。今では、毎日健康のため薪割りにいそしんでいるのはいいが、満足度が高いのか、それしかやってくれないという問題もある。

a0133563_2356994.jpg


そういえば、芝刈り機も借りっ放しだ・・。
広大な芝生は去年は手動でがんばったものの、今年は春に誰もいなかったこともあり、ほとんど「アフリカの草原サバンナ」状態。つまり、くさぼーぼー。手動ではまったく前に進まず、お隣の軽油芝刈り機の登場。登場といっても、そもそも隣の人が年の半年はクロアチアにトレーラーハウスで行くので、不在時に庭の芝刈りのお手伝いバイトを請け負った息子が、勝手に隣の芝刈りを持参してやっているのだが。ちゃっかり、こちらの家の分のお駄賃も稼ごうとするので、喝を入れておいた。というか、隣にもらうからいいやん!そもそも誰の庭やねん。

本当は他に書きたかったことがあったのに、、、、、、、。
今日は、息子が学校の一大イベント、「演劇」で「蠅の王(Lord of the Flies)」(ウィリアム・ゴールディング)をやってきました。震災・原発事故があって、ドイツにきて早4年。なぜかクラスのリーダーとしてこの劇を仕切り、誰もやりたくない最も台詞の多い悪役を引き受け、見事に「蠅の王」を「え?それ地?」というほど狂気迫る感じで演じたそうな。(「そうな」というのは、未だそこまで体調が回復していないため私は参観できなかった。。。彼の父親とお友達への聞き取りより。今度DVDでじっくり観るのだ)

「環境が人を育てる」というのも一理あるし、「やっぱり本人の意思」というのも一理ある。
自らの意思ではなく、状況の中で、泣く泣くドイツにきた息子が、こんな風に、しっかりとクラスや学校、社会の中で役割を果たしながら、成長していくのが嬉しい。実際は、心の中に秘めた想いや沢山の傷もあるのだと思う瞬間も時にあるが、それでも前に前に一歩ずつ進んでいく若い力をみると、私もがんばろう…という気持ちになる。教えるより教えられることの多い子育てであある。(相変わらず、サッカーのバッグに臭い靴下を溜め込んだままである点は、まだまだ甘いが)

日本の人たちは、すぐ「語学は?」とか「文化的に?」という質問をするのだけれど、問題はそこではなかった。息子をみてて本当にそう思う。むしろ、新しい状況の中で、自分としてどう生きていこうとするのか、その「姿勢」の部分だったと思う。彼は、辛さの中でも、「日本を離れて、ドイツにある自分」というのを、自分なりのやり方で積極的に活かそうとした。その姿勢こそが一番大事であり、かつ他人が教えることも、やってあげることもできないこと。ただ見守り、応援し、共に嘆き、耳を傾ける。それぐらいしかできない。その歯痒さの中で、子は自ら成長し、親もそのことにより成長させていただく。

そういえば3年前にこういう投稿を書いていたようだ。改めて読み返すと本当に感慨深い。
http://afriqclass.exblog.jp/13063647/
息子の魂の鳥は、ずっと私とともに暮らしてきたのだけれど、今は有り難いことに皆が一緒にいる。2011年のあの独り静かな家で泣きながらお風呂に入り、ご飯を食べた日々は、もう終わったのだ。あの時はまだ母恋しだった息子も、今では「うるせーくそばばあ」の毎日。でも、それが嬉しい。成長だから。

a0133563_2015128.jpg

息子の初期の頃(去年)の作品
森で見つけた朽ちた丸太の中の「かたち」を表現したそう。

何はともあれ、「姿勢」こそ、すべての鍵なのだけれど、自分すらままならない1年以上だったから。私が人様に何かいえることなんて何もない。だけれど、自然の豊かさに身を委ねて生きていると思うのは、「姿勢」もまた、日々の命への感謝の中から生まれてくる者なのかもしれない、と思う。

自分を生かせてくれている自然と環境、他の生き物、人びとに、感謝するからこそ、もっと頑張らねばと思うし、自然の本来の生命力に触れることにより、自分の伸びていくべき方向性を教えてもらうことができる。いつかは朽ちる自分の命が、何にバトンタッチされていくのか、どうされていくのか、そんなことを考える上で、農薬なき畑の命の循環から学ぶべき点はあまりに多い。

今年もまた試行錯誤の初夏である。
そして、ほとんど寝て過ごした去年よりも、自然もまた勢いがあるように見えるのは、自分の目の錯覚だろうか。

*ちなみに、絶対自然農薬も駄目といっているわけではなくって(そういうドグマチックなのは嫌い)、使わないでみたら見えてくるもの、気づくことについて、書いてみました。生業として農で生きている皆さまに、私が何か言える立場・経験はまるでなしです!
[PR]
# by africa_class | 2015-05-30 07:22 | 【食・農・エネルギー】

突然、東京外国語大学を辞める、ということ。

気づいたら最後の投稿から1年が経過していた…ようだ。

そして、3月31日で大学を辞めた。
あまりに突然な決断だったので、自分でもビックリしている。
3月に入っていきなり決めて、なんとか滑り込みで2014年度で東京外国語大学を後にした。
あまりに病気が治らないので、これは原因を絶つしかないと年末に思い至ったのだが、あまりに体調が悪く、辞める事自体がストレスすぎて、ある日「辞める!」との衝動に突き動かされるまで、とてもじゃないけれど無理だった。

それにしても、ゼミ生、卒業生ら延べ50人近くのヘルプがなければ、今でも研究室を片付けていたかもしれない…心からダンケ!正直、1年ぶりに研究室の扉を開けた時、目眩がして、どうしようか…と倒れそうになったほどだったが、あの「研究室」がもうないというのも、不思議な感覚だ。

「ゼミのお父さん」こと「マコンデのお面」が睨みを利かせていた、ありとあらゆる魔物の棲む空間!

モロッコで買った香木や、ザンジバルの海の塩の塊や、ボスニアの破裂した後の地雷や、ポルトガル植民地時代のコインや、海の底で眠っていた近世のビーズのネックレスや、子どもたちの写真や、ルースファーストのポスターや、息子の描いた数々の絵や、奈良の山奥の寺で撮った写真や、早くに亡くなってしまった尊敬する先生のお連れ合いのお手紙や、ゼミ生たちが記念に贈ってくれたお茶のセットや、世界のあらゆるお茶やコーヒーの、不思議な匂いのする空間。

「あれ」はもうないのだ。
でも、しっかり私の中に焼き付いている。
2004年から2015年まで存在した、自分と自分の歩んだ道が詰まった空間。

今でも懐かしいのは、実は2015年その時点の最後の姿ではなく、2004年に着任したてのある昼の様子。
自分の山ほどの資料が棚に納まり、世界中のものがそこかしこに陳列され、大きな青いソファーで寝転がって、授業の合間に昼寝していた(!)あの春のことだった。広い窓からは、桜と調布飛行場が見えて、なんとのどかなんだろ・・・と感激したものだった。着任早々は誰もドアをノックせず、勝手に入ってくることもなく、なんといい気分だったろう。自分の「城」ができたみたいで、凄く嬉しかった。が、それも10日間しか続かず・・・だった。そして、その10日間以降は、あまり思い出したくないことの方が多い日々だった。

ポルトガル語教員として着任したはずの私が、何故か大学院でその時始まった英語で紛争や平和構築を外国人の院生に教えるコースの担当とされ、新設コース故の無理難題と混乱を、結果として、一切合財引き受けてしまった。そもそも、紛争と平和構築の専門家がポルトガル語教員の新任の私しかいないところで、そんなコース始めるなんておかしなことだったのだが、「カネほしさ」というのだろうか。あの時、そして今も、大学というところは、キャッチーで新しくみえる何かをしなくてはならない「競争的事業主体」に成り変わってしまった。(その後、コースには専門家の先生たちを苦闘の末そろえることができたのでもう大丈夫だが)。

それだけでも、てんやわんやなのに、そして語学教員としての授業コマ・ノルマの多さにも辟易していたのに(なんと合計週9コマ!)、「競争的経費」という名の「文科省大学飴と鞭計画」のメンバーとして、あれもこれものプロジェクトに入れられてしまった。エクセルとパワポが使えて、NGOをしていた・・・というだけで。でも、日系ブラジル人をはじめとする日本の外国人児童の学習補助ほど、外大と外大生が社会に貢献できる事業はなかったので、これもまたよしとしよう。

今だから書けるが、着任して1年経過して「事件」が発生した後、毎日大学を辞めたいと思って働いてきた。だけど、始めたことはやり遂げる、しかも大きく成長させて、バトンを託す人を見つける/育ててから抜ける・・・のが信条だった私には、「辞める」という選択肢は限りなくなかった。自己否定に繋がるような気がしたからだ。結果的に、続けて、バトンたっちまで、いずれのプロジェクトもコースもやってしまったが故に、「あの人が被害者のはずがない」「鉄のように強い女だ」「ほら元気じゃないか」とかいって、組織的いじめがずーーと続く結果となった。

今となっては、そんな環境で、そんな気持ちを抱えながら、どうやって10年も過ごしたのか検討もつかない。病気になって分かったのは、最後はやはり自分の心と身体を優先すべきなのだ、ということ。倒れてしまったら、死んでしまったら、元も子もない。<=気づくの遅すぎ…。

ということで研究室。
「あれがない」ということは、この先に道が拓けていくのだ。
そのことは、断捨離的に、なんともいえない潔さと、嬉しさを感じる。

それにしても、石の上にも3年というが、実に11年。
気づいたら、着任した2004年4月から、11年の歳月が経っていた。自分でもよく頑張ったと褒めてあげたい。(駄目?)

大学の書類には、「次の職場」というのを書く欄があって、当然普通は定年退職でない限り(といっても最近は再雇用という制度もあるそうだが)、「次の大学」を見つけてから辞めるもんだ。
そして正直にいってしまえば、この間、色々な日本の大学から有り難いお誘いを受けて来た。年収は軽く3倍にも(!)なるポスト、教授ポスト、コース長等…有り難いにもほどがある。

相談したら、息子がいった。
「ママ〜今迄貧乏しすぎた〜!数年働いて辞めればいいじゃん!」

いや息子よ。
生き延びるためのカネのために一生懸命働くのは仕方ない。でも、カネ儲けのために働くなんて!(カネ儲けのために働くのであれば、わざわざ20年以上もNGOとかNPOとかいくつも作ってないわい!)

「だから僕はお小遣い1ユーロもないんじゃないか!だから僕自分で木工作品作って売ってるんじゃない!」
「おお素晴らしい〜。その調子、その調子。」
15才になる息子は、がくっと肩を落として、今日も注文された机を自然食品のお店のお兄ちゃんに売りに行った。しめて150ユーロなり。が、息子としては、10万円ぐらいほしいそうだ。カネがほしいというより、自分の作ったものの価値をもっとちゃんと認めてほしいそうなのだ・・・。

自分の人生の道を早く切り拓くって、素晴らしいことだ。
ひと事のように聞こえるかもしれないが、親は子どもに「やってあげること」を減らして「本人がやれること」を増やす後押しをする…が、「親育て・子育ての基本」だと考えている私には、これは重要なポイントだ。大学での教育も、たいした事はしなかったが、それだけは出来たと思う。無責任に聞こえるかもしれないが、よくある「放任主義」とこれは違う。

最初に彼ら、彼女らが考える場(時間・空間)を創造する。
ここから出てくる問いや想いに耳を傾ける。
自分で答えを導いていくのを待つ。
時に、一緒に考える。
そして、一歩を踏み出すのを励ます。見守る。
時にそっと、時にどん、と押す。
こけたら手を差し伸べる。
でも、こけるまで我慢する。
こけたところで一緒に考える。
また立上がるまで一緒にそこにいる。
立上がったら、見守る。
一歩でも半歩でも前に踏み出すまで…。
でも、せっかちなもんで、つい口を出し、手を出し、前を歩いてしまった。。。修行が足りん!

話は脇に逸れたが、カネのために大学で働いたことはなかった。
カネのためなら民間に行けばいい。
外資かなんかのマネージメントで働けばいいだけ。
なにも日本で一番給料の安い大学に行く必要はなかったのだ〜。
しかも、独立行政法人化後ゆえに、月5万円も約束より低い給料となった(博論が終わらず半年着任をのばした私が悪かったのだが)。5万円x12万円x10年間=600万円!
あこぎな話でんな〜。すまん。

そんなカネあったら、市民活動に投じていたものを、とつい思うのだ。有り難いことに、共働き世帯だったため、給料の半分以上は市民活動に消えた11年でもあった。おっと、それは内緒だった。家族には!(今でもこれは内緒話で、自分の休暇には大盤振る舞いが、普段はケチな連れには決していえないことだ)

でも、2004年4月のあの春、私は日本の大学で役に立ちたいと願い、学びたいと願った。
そして、この11年間、一度もそのことを後悔したこともなければ、一瞬たりとも気を緩めて仕事をしたこともなかった。つまり、私はとても、とても、大学での仕事にやりがいを感じ、言葉に言い尽くせないほど幸せだった。

何が幸せって、そこに学生たちがいた。
はにかみと懐疑心の向こうにある、キラキラした瞳の、世界に出て行かんとする若者たちとの出会い。
素直すぎて危うい、疑うことを未だ理解していない、大人になりきれない、磨けば(鍛えれば)光る原石のような。
優しくて、優しさ故に、遠慮してしまって、もはや自分の意見が何かすら見失った、迷い子のような。
人の役にたちたくて、でも行動を起すことに慎重な。
でも、時にするどい切り返しを、ばんばんしてくる熱いあの子たち。
お互いに頼ることを学び、一生の仲間を自分たちでつくっていった。

東京外国語大学に「アフリカ」という大陸がなかった時代に、
一ポルトガル語教員にすぎなかった私とともに、
「アフリカ」の名前を刻み込んだ先駆者たち。

大学に着任した時、一階のガレリアに世界地図の模型があった。
今でも覚えているけれど、それにはアジアと南北アメリカとヨーロッパと中東だけがあった。
そして、アフリカの位置にアフリカがなかったのだ!

「アフリカなんて就職できない人を増やしてどうするんだ?」
「外大の偏差値が下がる」
「フランス語がおかしくなる」

教授会で普通に行われる糾弾の度に、この私でもめげそうになったが、ある時から反論しないことにした。
なぜなら、これら先生たちの学生自身が、アフリカに出会い、変わっていき、これら先生たちの心を揺り動かしてしまったから。学生たちは、大いにすてきに暴れた。昼休みにゲリラ的にイベントをやったり、学内展示がつまんなかった外語祭で、物販からパフォーマンスから、講演会まで、あらゆることに取り組んだ。
大学の中だけでなく、外にも出て行った。

そして、アフリカを学ぶ場がなかった東京で、「アフリカここにあり!」というほどの実績を積み重ねていった。
2004年時点で、「可哀想なアフリカ」だったのが、彼らの活躍のお陰で、「なんか面白い?アフリカ」、「アフリカ本当に知らなくていいの?」に変わっていった。それが、大学を動かしたのだ。

2013年、東京外国語大学にアフリカコースが出来た。
15人定員のコースで、「学部のアフリカの社会科学のコース」としては日本で初であった。
英語圏アフリカとフランス語圏アフリカの先生たちも着任した。
もう思い残すことはなかった。
なのにすぐに離れる決意をしなかったから病気になったのかもしれない。
(ちなみに、何故ポルトガル語教員がアフリカ?!と疑問に思っているあなた様。世界で最も多い数のポルトガル語を公用語とする国がある地域は、アフリカですよ!実に5カ国。)

東京外国語大学で、彼女・彼らと過ごした濃厚で充実した11年間を、30代から40代半ばという人生の中でも重要な時期を過ごしたあの一時代を、決して忘れることはないだろう。(といっても5足のわらじを履いていたので、他の活動も含めてのことではあるが...これはもうやらないけど。わらじは二つでいい。人間には足は二つしかないから。その当たり前も気づけてよかった。)

2008年だったか9年だったかに、「日経ウーマン」という雑誌のインタビューを受けた時、「大学には10年しかいるつもりがなくって、「次」を考えたい」といった時、インタビューをしてくれた人がとても驚いたのに、正直私の方が驚いたのを昨日のことのように覚えている。私にとって、それはごく自然なことだったから。あまりに驚いたからか、それを記事の最後の台詞としてくれた。

人生10年置きに見直してる。
たった4回分しかしていないけれど、10才、20-24はモラトリアム、24才、34才、44才、それぞれで、それまでの10年を見直して、生き方を見つめ直して、次の展開を考えてきた。だって、人生は一度きりだから。しかも、60才まで後15年しかない!・・・としたら、もっと自分の中の可能性の幅をもっと試して、色々なことに挑戦したいじゃない?

まだ出会っていない「自分」に、出会ってみたいと思う。

自分はこういう人間で、この仕事をして、これまでこうだったから、これかもこうだよね・・・という生き方は楽かもしれないけれど、それで墓に入る時に自分の人生を振り返った時、それでいいの?というと、私は「違う!」と思ってしまうたちだったのだ。

だから、あえて自己点検のためもあり、10年おきという期限を区切って、考えることにしてきた。毎日を猛スピードで生きてきたこともあって、一旦立ち止まることが余儀なくされる時間を、どうやっても確保する仕組みにしておこうと考えたというのもある。

とはいえ、11年。
なので、予定から1年余分になってしまった。
少し欲が出てしまったのだ。
未だやり残したことがあるんじゃないか…そう思ってしまった。
できたてホヤホヤのなコースのスムーズな出だしを、見届けたいという欲が出てしまったのだ。
でも、それもまた人生。
あの時、投げ出さなくてよかったとも思う。

また、大学の仕事というのは、若い学生との継続的な仕事であるが故に、途中でいきなり辞めるということは、他大学に行くのであっても難しい。他の先生には難しくないのかもしれないが、「実験的教育(自分を含め)」を志してきた以上、ポーンといなくなるということもできなかった。背中を押したのは、意外にも「病気」だった。

だから、今となっては「病気」にもすごく感謝している。
「病気さん」が私のところに訪れてくれなければ、私は今でも東京外国語大学にいたかもしれない(ひー)!
惰性によって…。

また、残してしまう学生たちに、やはり「申し訳ない」という気持ちには打ち勝つことができなかった。
でも、よく考えたら、「私がいなきゃいけない」というのは私の勝手な思い込みで、私がいないことによって彼らが得たものも多かったはずだったのだ。否、そちらの方がきっと大きかった!

病気になった理由は、まさに大学の「お陰」であるが、今となってはそれについても感謝している。30代から40代初めの「学習」としては、それはそれで良かったと思う。つまり、「日本の古い組織というのは組織のためにあるのであり、その組織の上に立つものはいつの間にかその論理にがんじがらめになる。たとえ、かつて「素晴らしい研究者」であった人でも」ということ。そして、大学といえでも、「お役所」的組織に、限りなくなってしまった現在の哀しい姿を、外大の一員としてではなく、外から眺められることに、心から感謝している。
あのままいたらもっと腐っていたかもしれない。
自分の弱さもあって。

日本はどこに行こうとしているんだろう。
日本の大人たちはどこに行こうとしているのだろう。

サバティカルの半年間と病気の1年間、日本の外にいたこともあって、そのことをずっと考えてきた。
こういう日がくると思っていた。

だから、アフリカの紛争と平和論の授業だというのに、2006年からは、日中戦争における民衆の動員の手法や尖閣諸島の問題を具体的に学生たちにワークしてもらい、何回もの授業を潰して内在する危うさを表面化させ、それを赤裸裸な形で目の前において、皆で議論し、「戦争に民衆を向かわせるシステムのからくり」を理解してもらったのだった。

学生たちのレポートは素晴らしい出来だった。「外大」故に、日本のことを知らず、受験故に「日本の現代史」を十分学習してこなかった若者たちだ。自分で調べ、書いた、日本の過去…それを互いに添削コメントし、チーム内で発表し、「いかにすれば民衆は最も効果的に戦争に動員できるのか?」という恐怖のテーマでチームの考えをまとめていった。その上で、「どうすればこのような動員に抗うことができるのか?」を話し合い、提案してもらった。それを、皆の前で、模造紙に書いた結論を示しながら、次々と発表するチームの学生たち。「遠いアフリカ」から「遠い日本の過去」を学び、「今・自分の立ち位置」を考える…そんなおかしな授業に、真剣に、毎年取り組んだ学生たち。あの授業は、私の中で実は一番好きな授業だった。

そして、仲間達と勝手に編み出したルカサという手を使った「暴力空間」を創出し、それを「平和化」するワーク。尖閣問題をやった時に、皆が自分の中のナショナリズムの強さに驚き、立場をスイッチした時に、相手国の人の気持ちに気づき、それを可視化し、ガレリアに1週間展示した。あれも、私の中では手応えを感じた授業であり、ああいう参加型学習が1.5時間の細切れでしかできないことが非常に残念だった。

いずれにせよ、私が若い頃をのほほーんと過ごせた日本とは劇的に違うものになっていく・・・そんな予感があった2006年ぐらいから、こういうことを延々と学生たちとしていたのだ。おかしな、オカシナ、奇想天外な、、、そんなセンセーと授業に、よくついてきてくれた学生がいたもんだ。まあ、外大なんで、私もある種の「異文化経験」だったのだろう。

そして、2011年3月11日の大地震とそれに伴った原発事故。
人びとの自覚が強まるが故に、権力側はそれを押さえ込もうとあらゆる手を打ってくるだろう…そう気づいた。だからこそ、あれやこれやの活動に今迄以上に身を投じていたのもそのためだった。

しかし、2015年5月の現在、このドイツで思うことは、日本が踏み込んではならぬ泥濘に、ついにどっぷりと足を踏み入れてしまって、皆その事実を理解しているのに、足を取られてしまって身動きできない状況にいるということを、自分の無力感とともに見つめている。

今自分ができることは何なのか?
少なくとも、日本のどこぞやの大学に戻って、また別の10年をすることではない。
日本にこだわるからこそ、今日本にいてはいけない、とも思う。
やることはやった。
できることもやった。
しかし、私の力を沢山のことが超えていた。

今、私は日本から遠く離れた場所で、もう一度日本の過去と今と未来を、真摯に考えなければならない時期にいると感じている。

その日がくるであろうことはずっと分かっていたものの、こんな風にくるとは思っていなかった。
色々な学会で重要な役回りにきて、色々なことができるだけの実績や経験も積んで来たはず・・・の40才半ば。でも、突然病気になり、起き上がることも、思考をまとめることも、そもそも本をまともに読むこともできなくなってしまい、大学の研究室に足を踏み入れることも、大学の校舎に近づく事もできなくなった時、私は一旦すべてを捨てるという選択肢しか、持てなくなったのだ。

そして、それがなんと素晴らしくよかったことか〜!
といっても、性格上、全部を一気に気持ち良く捨てることができない私は、専門家の先生たちや同僚たちや学生たちや仲間達の厳しくも温かい励ましを受けて、2年近く一見無駄な時間をのたうちまわりながら、しかしようやく一歩踏み出すことができたのだった。それもこれも、家族と皆のお陰である。

基本的に関西人的厳しいコメントで有名な舩田家の人びとが、この1年間は何もいわなかったのは奇跡だったのかもしれないが、救われた。連れや子どもは苦しかったろうが、耐えてくれた。大学の同僚や学生や活動の仲間達にはすごくすごく迷惑をかけたが、信じられないほど広い心で協力してくれた。

病になって、本当の仲間の素晴らしさを、専門家のありがたさを、そして自分の中に残っていた大切な力のことを、本当の意味で知ることになった。この経験を、40代半ばにできたことを、感謝してもしきれない。

「次」をワクワクするような気持ちで眺めている。
未だ十分体力も気力も知力も戻ってきていないので、一歩ずつ、時に数歩戻っていくだろうけれど、今唯一無二の自分の人生を、毎日感謝しながら生きている実感を手にしている喜びを、どうやって伝えれば良いだろうか?

雨降って地固まる。
苦しんだ分だけ豊かさを知ったような気もする。
苦しみの中でも人は種を撒き続けるものなのだ。

若い頃は苦しまないのが幸せだと思っていた。
今は違う。

苦しみと幸せは隣り合わせで、それでいいんだ。
人生は思った以上にもっと芳醇なものであって、自分ももっと肥やせるはずなのだ。
今の自分に満足してしまうのであれば、NEXTはないから。

でも、自分の幸せは自分の手の中にあることも事実。
苦しみは人を停止させる。
でも、だからこそ、きっと学びが大きいのだ。

いつかそのことをもっと上手いやり方で伝えられる日がくればいいな、と思う。
今はすべてに感謝の毎日を過ごしている。

a0133563_383357.jpg

[PR]
# by africa_class | 2015-05-22 04:53 | 【徒然】ドイツでの暮らし

【中東学会主催】ガザの事態をめぐる緊急研究集会(8月8日3時ー)

ガザの事態をめぐる緊急研究集会開催のご案内

 パレスチナのガザ地区全域に対するイスラエルの攻撃開始(7月8日)、地上戦突入(7月17日)以降、ガザでは深刻な状況が続いています。いま何が起きているのを知り、事態の性格・背景を考察し、分析・批判のためのことばを鍛えていくために、日本中東学会では下記の要領で緊急研究集会を開催することになりました。
 報告者・発言者はいずれも研究者であると同時に、さまざまな交流・支援の現場、あるいはパレスチナとイスラエル、日本の市民を架橋する市民の対話の場で、長年活動してきた経験を持っています。現在の事態をどう捉え、われわれは何をすべきなのか、専門家の知見に学びながら、市民として共に議論し、考えていく機会にしたいと考えます。
 暑い盛りの開催となりますが、みなさまの積極的なご参加をお待ちしております。

緊急研究集会「ガザの事態をめぐって」

日時:8月8日(金)午後3時~6時半
会場:東京大学東洋文化研究所3階大会議室(東京大学本郷キャンパス)
(参加費無料、事前申し込み不用)

※東洋文化研究所へは下記をご参照ください。
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_12_02_j.html
最寄駅:東京メトロ丸ノ内線/都営大江戸線(4番出口)
本郷三丁目駅東大・懐徳門から入って、緑の小道を抜けた右手、正面玄関に唐獅子像のある建物

司会・総合コメント:臼杵陽(日本女子大学)
報告1:岡真理(京都大学)
「ガザ ジェノサイド/スペィシオサイド/ポリティサイド」
報告2:田中好子(パレスチナ子どものキャンペーン事務局長)
「ガザの現状と支援のあり方」
発言:(予定)
 小林和香子(国際協力機構;元JVCエルサレム代表)
 田浪亜央江(成蹊大学アジア太平洋センター/(ミーダーン)パレスチナ・対話のための広場)
  〔その他、交渉中〕
総合コメント、全体討論

主催:日本中東学会
共催:科学研究費基盤研究(A)「アラブ革命と中東政治の構造変動に関する基礎研究」
緊急集会についてのお問い合わせは、東京大学東洋文化研究所 長沢栄治研究室まで
nagasawa[at]ioc.u-tokyo.ac.jp( [at]を@に置き換えてください。)
[PR]
# by africa_class | 2014-08-05 01:43 | 【考】人間の安全保障

2013年度優秀論文の紹介ー「ルワンダにおける健康保険の拡大」

長い間ご無沙汰しておりました。今見たら実に3か月ほど空いていたのですね。卒業生らに「ブログ更新して下さい」とお願いされ、ぼちぼち。。。

あれからあまりに症状が悪化してしまい、そして大学をお休みするにあたっての段取りやなんやらで、落ち着かない日々が続いてきました。今も起き上がれたり、起き上がれなかったりなのですが(これも布団の中からですが)、あまりに社会から断絶したままだとそれはそれで症状の改善にもならないので、ぼちぼちブログに駄文などを書き連ねつつ、気晴らしをし、療養に専念したいと思っています。

そして是非とも掲載しなければならないまま、ずっと放置せざるをえなかった情報のいくつかを今日アップできそうならしてみます。これをがまんするのも、また心身ともに悪い影響を及ぼすので。

まずは、2013年度のゼミ指導教員が推薦する優秀卒業論文の紹介です。3月にはやっておきたかったのですが、PCに向かうことすらままならなかったので・・・。

■この制度についての説明:
http://www.tufs.ac.jp/education/yushuronbun/yushuronbun_menu.html

■2011年度から毎年推薦し、以下の論文が掲載されています。
(このブログでも紹介した通り)
2011年度
http://www.tufs.ac.jp/education/yushuronbun/yushuronbun23.html
2012年度
http://www.tufs.ac.jp/education/yushuronbun/yushuronbun24.html
2013年度
http://www.tufs.ac.jp/education/yushuronbun/yushuronbun25.html

このゼミでは、学生・教員・院生・ゲスト等の評価を総合して足したものの順番で推薦者が決まります。本当に推薦されるべき優秀論文は毎年4つは出てくるのですが(12名前後の執筆者から)、去年から推薦できるのは「1名まで」になったので、残念です。年々レベルが上がっていることに驚きます。

後輩たちは一対一で上の学年の卒論執筆の添削、書評、評価の担当をするので、卒論の最終工程のイメージが湧き、そのことは凄く勉強になるのだと思います。特に、全員が当たり前のように英語や原語の論文を漁って、それらを活用するということは「前提」になっているのは良いと思います。互いの突っ込みも、自分にはねかえってくるので、モチベーションとしてもとても良い。Peer Educationを目指してきましたが、そういう場を設け継続させていくことに専念すれば、若い人達は勝手に展開するものなのですね。

■2013年度の優秀論文の概要と推薦理由を皆さんに紹介します。
瀬戸さんは、3年時に1年間ルワンダで現地企業(佐藤さんの)でインターンとして働きました。その後、モザンビーク開発を考える会の事務局でもインターンをしてくださり、就活もあり、卒論もあったので本当に忙しい毎日を、きちんと全部両(3)立させて、活躍してくれました。

卒業論文は超大作で、中身も手堅く、濃く、評価に参加した全員が一致して、ぶっちぎりの最優秀論文として選ばれています。文献調査では英語を含む70を超える文献を網羅しており、かつ現地調査も実施しています。

後輩たちから「驚異wonder?」としてみられる瀬戸さんも、入ゼミ当時は普通の2年生修了者でした。その後の色々な「悔しさ」が、彼女の原動力となり、バネとなり、大躍進になったことを、何度でも強調しておきたいです。

人間の発展には、時に「才能」が必要な部分もありますが、多くの場合「自分の不十分さへの真摯な、しかし前向きな理解」と「努力」が根っこに必要であるということを、若い皆さんには伝えたいです。今出来なくても、「出来ないからダメだ」とか「出来ない私がダメだ」とかそのようなマインドではなく、「何故出来ないのか」「どうやれば改善できるのか」を周りへの相談とともに明らかにして、前向きに取り組んでいく・・・そんなことが必ず未来に繋がるということを、瀬戸さんを通じて改めて学びました。

なおみちゃん、おめでとう。そして、ありがとう。
今頃の紹介になってしまい、申し訳ない。

そして、それ以外の卒業生の皆さんにも、最後まで放り投げず頑張った一人一人に、表彰状を送りたい気持ちです。百本ノックを見事に打ち返し続けましたね。やりきった部分も、やり残した部分もあると思いますが、いつも言いますが、「やり残したこと」については人生の様々な場面で問い続けていってくれればと思います。(私も未だにそんな感じです。)

今年卒論の指導が出来ない皆さんには大変申し訳なく・・・でも、先生方や先輩たちが熱烈しっかりサポートするということなので、どうぞよろしくお願いいたします。


============
2013年度優秀卒業論文

学生氏名:瀬戸菜穂実
学生の所属コース:地域国際コース(フランス語専攻)
卒業論文(研究題目):「ルワンダにおける健康保険の拡大―政府の貧困削減政策に注目して」

推薦理由:
本論文は、経済成長の一方で依然として深刻な貧困に悩むアフリカで、大多数を占める貧困者の医療サービスをどのように保障していくのかという現代的課題に基づき研究され、執筆されたものである。

事例として、健康保険加入率が低調なアフリカにおいて驚異的な加入率を誇るルワンダを取り上げ、依然貧困者が多い同国でなぜこれが可能だったのかについて歴史的・政治的背景を含め明らかにすることで、他のアフリカ諸国の課題を明らかにするだけでなく、虐殺後のルワンダの固有性を浮き彫りにしている。

その意味で、本論文はただ単に、「保険加入者を拡大するにはどうすればいいのか」といった一面的で制度設計的な視点を超え、地域研究の手法に基づき、ルワンダ国家と社会の今について健康保険を事例として描き出すことに成功しているといえる。

日本ではアフリカの健康保険に関する研究、とりわけ事例研究はほとんどなく、またルワンダの研究においても健康保険を通じての考察は皆無であった。その意味で、本論文の貢献は先駆的な取り組みとなっている。なお、執筆者は、本論文の執筆に当たって、一次資料として英語文献20本(内ルワンダ政府の資料は17本)、二次文献として日本語文献11本、英語文献55本、フランス語文献1本を参考にし、丹念な先行研究の検討と整理を行った。これに留まらず、資料上の制約を乗り越え、より実証的な論文とするため、現地調査を実施し、その成果を採り入れた論文となっている。

その結果、健康保険の加入率の拡大が虐殺後のルワンダの貧困削減政策並びに強権化と連動して生じていること、その財政的持続性に疑問があること、また助成が受けられない貧困層の中でも最貧困層以外の層は保険システムから離脱せざる得ない実態を明らかにした。このような深みで健康保険の分析を行った先行研究は皆無であり、本論文は学部卒業論文をはるかに超えるレベルの論文となっている。なお、本論文は、指導教員だけでなく、11名の卒業論文に関する相互審査を経て最優秀論文として選ばれたものである。

最後に、執筆者は、2011年から1年間にわたり、ルワンダの企業においてインターンとして同国各地で保険衛生分野の事業に従事した経験を有する。その際に育んだ問題意識を、学術的問題関心に昇華させ、多様な資料や手法を用いてこの問題に取り組み続けたその姿勢は評価に値する。

=================-

ただ当然この論文にも課題は多々あり、やはりルワンダの固有性の部分における深い政治的な分析や、そもそもこの分野に特化した援助の背景にあり得る狙い、、、とりわけルワンダでこの分野の援助を前のめりに行ったアメリカ政府の真の狙いなどの分析は、今後も課題として残っていくでしょう。しかし、すべてを一つの論文(しかも学部論文)に期待しないことも重要で、これが基礎研究となって他の人が研究調査を積み上げていけばいいわけで、2013年度から要約しかHP掲載されなくなったのは誠に残念なことです。
            
[PR]
# by africa_class | 2014-05-26 19:31 | 【大学】アフリカゼミ(3・4年)

【2月20日19時~@IWJ CH8 「終わらない原発震災の被害―北関東の被災者・福島県からの避難者調査から」

体調が悪く皆さまにはご心配をおかけしています。
一個ずつ病床からノロノロ片付けているところです。
今は基礎ゼミ論文26本の採点地獄中ですが、例年のようにサクサクいかずとても困っています。が、なんとか・・・後10本まできました。学生にとっても3度目の提出<したがって私にとっても3度目の採点と添削・コメント>なので大変だったと思いますが、1年生とは思えないよい論文になりつつあります。

さて、下記の通り、2月8日に明治学院大学で開催しました報告会とパネルディスカッションの様子が、明日20日の19時からIWJで配信されることになりましたので、ご連絡します。

震災そして原発事故から3年が経過 しようとしています。勝手な風化に心を痛めています。福島にいらっしゃるご家族、帰られたご家族、避難されているご家族、それぞれ本当に 辛い状況であることは変わりなく、長期化により事態は悪化しています。まずは、何が起きているのか共に学びましょう。

その上で、このことを「他人事」とせず、「自分事」として、長きにわたる取り組みをやっていきましょう。団体としては、FnnnP(福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクト)としての活動は今年度いっぱいとなりますが、当然ながらメンバーそれぞれの地域や自身の活動は今後も継続していきます。現在、インターンが、活動のふり返りと今後の引き継ぎ先、ご挨拶などを満載したニューズレターを作成中ですが、完成したら皆さまとも共有しますので、詳しくはそちらをご覧ください。

この問題は長く長くつきあっていくことなので、一歩ずつやていきましょう。ドイツでは、今でも毎年ウクライナから保養の受入を毎年やっています。

さきほど、広島の友人が、福島やその周辺・関東からの避難や保養を希望する家族受入れのシェアハウスをつくっていると聞きました。とても勇気づけられました。他県でお子さん二人を抱えて避難中のお母さんからも、不登校だった息子さんが少しずつ学校に行くようになったとのメッセ―ジを頂き励まされました。誰にとっても大変な毎日だと思いますが、子どもたちのために独りで抱え込まず、支え合いましょう。

辛いことの多い日々ではありますが、支え合って前を向いて歩いていければ・・・と私自身改めて思いました。いつも、皆さんに勇気づけられます。感謝。

では、明日は是非IWJを!

===============================
「終わ らない3.11原発震 災の被害 ―北関東の被災者・福島県からの避難者調査から考える―」
アンケート報告会とパネル ディスカッション 画像記録配信のご案内
===============================

[配信日時] 2014年2月20日(木) 19:00~
[配信URL] http://www.ustream.tv/channel/iwj8

【日 時】 2014年2月8日(土)13:00~16:30
【場 所】 明治学院大学白金キャンパス 本館1201教室

【主 催・共催】
宇都宮 大学国際学部附属多文化公共圏センター 福島乳幼児・妊産婦支援プロジェクト
群馬大 学社会情報学部附属社会情報学研究センター
茨城大 学人文学部市民共創教育研究センター
明治学 院大学国際平和研究所(PRIME)


【プロ グラム】 
第1部 北関東 地域の被災者・福島からの避難者調査報告 13:00~14:50
司会: 齋藤百合子(明治学院大学)

①茨城 県内被災地域 「茨城 県震災直後の食行動と甲状腺検査意向調査」(原口弥生 茨城大学)
②群馬 県内被災地域 「放射能に関する意識・行動調査」(西村淑子 群馬大学)  
③栃木 県内被災地域 「乳幼児保護者アンケート」(清水奈名子 宇都宮大学)  
④福島 県からの避難者アンケート
(高橋若 菜 阪本公美子 匂坂宏枝ほか 宇都宮大学  原口 弥生 西村淑子)

第2部 パ ネル・ディスカッション 15:10~16:20
「終わ らない被害と被災者の権利を考える」

司会: 重田康博(宇都宮大学)

<パネ リストのご紹介>
● 伊藤和子(いとう かずこ)
弁護 士。国際人権NGOヒュー マンライツ・ナウ事務局長。日弁連両性の平等に関する委員会委員。国際人権問題委員会委員。UN Women アジ ア太平洋地域アドバイザー。国際人権法学会。ジェンダー法学会理事。

● 手塚 真子(てづか まこ)
栃木県 那須塩原市在住。栃木県北部の放射能汚染問題への対応を進めるため、「那須塩原放射能から子どもを守る会」を立ち上げ、現在も代 表として活動中。 

● 大山 香(おおやま かおり)
福島県 富岡町出身、栃木県宇都宮市在住。福島市からの自主避難者として、「とちぎ暮らし応援会」の訪問支援員、「栃木避難者母の会」代 表として活動中。

● 村上岳志(むらかみ たけし)
福島県 福島市出身、新潟県新潟市在住。新潟市域の避難者自治会、新潟市避難者支援協議会、広域災害避難者支援機構FLIPのそれ ぞれ代表を務め、避難者、支援者の両面で幅広く活動中。
 他
[PR]
# by africa_class | 2014-02-19 17:45 | 【311】子ども・福島乳幼児妊産

拙稿「ネルソン・マンデラの時代」(『現代思想』2月13日発売)で書いたこと

しばらくぶりです。ドクターストップがかかり、カメのようにノロい状態です。なんとか1年生から5年生までの卒業や進級に絡むことも目前、ゼミ合宿も終え、今季を無事に乗り切る(というのか?!)一歩手前まできたら、さすがに糸が切れたようで。

来週発売の『現代思想ーネルソン・マンデラ特集』(2月13日発売)2014年3月号の紹介をしておきます。(各種ネット書店では予約販売中のようです)

沢山の南アフリカ研究者や関係者が書く中、私なんぞが出る幕ではないのと、あまりにもの体調と忙しさだったのでお断りしようと思っていたのですが、依頼してくれたのが授業を熱心に取ってくれていた卒業生というこもあって、思い切って頑張りました。

時まさしく都知事選の真っただ中。この間の市民社会やメディアの在り方、権力の側の動きをみるにつけ、アフリカの解放闘争と戦争の研究を通じて学んできたことの一端を紹介したいと切に思うようになりました。詳しいことは勿論、来週発売の『現代思想』をお買いもとめいただく一方、少しだけ書いたことを紹介しておきます。(なお校閲前の原稿なので日本語がおかしいです・・・)

また右側バナーでも紹介している『ネルソン・マンデラー私自身との対話』を是非あわせてご一読ください。私の本の英訳をしてくれた長田雅子さんの日本語訳です。分厚いですがすらすら読めるマジックだ~。

================
『現代思想ーネルソン・マンデラ特集』(2014年3月号)
「ネルソン・マンデラの時代とモザンビークと南アフリカの解放闘争」
舩田クラーセンさやか
===============
ネルソン・「マディバ」・マンデラ元大統領は、モザンビーク人にとって、隣の国の元大統領を超えた意味を持っていた。そのため、マンデラの訃報は、モザンビーク社会にも深い悲しみをもって迎えられた。新聞各紙は一面でこのニュースを取り上げ、葬儀の模様も各紙のソーシャル・ネットワーク(SNS)ツール上で、リアルタイムで取り上げられるなど、関心の高さを窺わせた。しかし、モザンビークの人びとが、彼をここまで尊敬する背景には、南アフリカとモザンビークの同時代的な歴史が関わっていた。

本稿では、ネルソン・マンデラの自伝『ネルソン・マンデラ――私自身との対話』(2012年、原著は2010年)、そして拙書『モザンビーク解放闘争』(2007年)などに基づきながら、彼が活躍した第二次世界大戦後から現在までの、同時代の南アフリカとモザンビークの関係性をふり返る。そのことによって、彼が生きた時代、彼の役割を全アフリカ、あるいは全世界的な意義の中に浮かび上がらせることができればと考える。

本稿では、まず同時代を生きモザンビークと南アフリカの解放運動指導者であり初代大統領と結婚したグラッサ・マシェル(Graça Machel)の紹介を行い導入とする。次に、南アフリカの反アパルトヘイト運動のモザンビーク解放闘争への影響を示す。そして、二つの闘争が運命共同体となって展開していく様子を明らかにする。その結果、アパルトヘイト政権の軍事介入を含む攻撃を受け、他大な犠牲を出すことになった独立前後のモンビークの状況を示す。その上で、アパルヘイト体制や冷戦構造の崩壊から、1994年に両国の人びとが共に新しい時代を歩み始めたことを紹介する。これを受けて、このような歴史的展開において、重要な役割を果たした南アフリカの指導者マンデラとモザンビークの指導者マシェルーーつまりグラサの夫たちーーの共通点と相違点を検討することで、同時代の二国間の闘争の実態を浮き彫りにする。最後に、西側諸国の一員として冷戦期を過ごした日本の関与について批判的に検討を加えるとともに、マンデラの訃報を受けて、一人の人間としての生き方について考えることを共有する。

はじめに
1. モザンビークと南アの二人の大統領と結婚したグラッサ
2. 南アフリカの反アパルトヘイト運動のモザンビーク解放闘争への影響
3. 運命共同体となったモザンビークの解放闘争と南アの反アパルトヘイト運動
4. アパルトヘイトの犠牲になるモザンビーク
5.1994年:南アフリカでの初の黒人政権樹立とモザンビークの初の複数政党制選挙
6. マンデラ元大統領とマシェル元大統領の相違点と共通点
おわりに

a0133563_1250204.jpg


6. マンデラ元大統領とマシェル元大統領の相違点と共通点(抜粋)
グラサにとって、マンデラと再婚した理由はパーソナルなものだろう。しかし、両国の歴史をふり返った時に、見出されるマンデラとマシェルの共通点と相違点は、両国の闘争の共通点と相違点を浮き彫りにする。
(・・・)
1968年に暗殺された初代書記長エドゥアルド・モンドラーネ(Eduardo Mondlane)亡き後のFRELIMOを束ね、闘争を勝利に導いたマシェルは共産主義者であった。一方のマンデラは共産主義者ではないと否定してきたが、その思想的共通性と違いはどのように理解されるべきであろうか。

両者共に、高い理想を持った自分に厳しく稀有なリーダーシップの持ち主だった。アフリカの伝統、抵抗のヒーローらを賞賛しながら現代の闘いを進める手法も類似していた。また、闘争の手段としての暴力を許容する戦術家であった。自己犠牲を厭わず、利権を嫌い、率先して自らの模範を示した。

他方、大きな違いといえば、キリスト教徒(カソリック)であったものの、後に弾圧するところまで至るマシェルとキリスト教を手放さずその中に解放の論理と為政者への攻撃の論理を見出していくマンデラの違いは大きかった。闘争への理解のない者を容赦なく再教育キャンプ送りにしたマシェルの革命は路線と、「元の敵」を受けいれる寛容を説いたマンデラの姿勢は、とりわけ大きな違いだったといえる。

しかし、ここで思い出したいのは、マシェルとマンデラが直面した闘い、あるいはANCとFRELIMOの闘いは、その暴力の密度において大きく異なっていたことである。もちろん、どちらの闘争が苦しいものであったのかをここで論じるものではない。しかし、1964年から10年間に及ぶ国土の半分近くを巻き込んだ植民地解放戦争、16年間に及ぶ全土に拡大し国民の3分の1が故郷を追われ100万人を失った独立後の紛争において、その指導者であり軍事司令官としてマシェルが直面した課題は、抜き差しならぬものであった。1962年から90年までの27年間を牢獄での暮らしを余儀なくされたマンデラであったが、日々生きるか死ぬかの只中の国民と共に何をどう判断するのかについて、マシェルが抱えた困難を、今なら彼がどうふり返るのかを知ることはできない。マシェルにとって、「誰が敵なのか」を見破ることの意味は、個人的なものを超えていた。軍事部門を立ち上げ、初代司令官となったマンデラではあったが、すぐに監獄に収監されたことが彼の認識にどのように影響を及ぼしたのか、及ぼさなかったのかもまた、知ることはでいない。

それでも、日本ではあまり知られていないことであるが、マンデラが最後まで武闘闘争を放棄しなかったことは、その寛容さ故に付きまとう「非暴力主義者」とのレッテル貼りからも、十分認識しなければならない。「暴力が手段として使われるか否かは、支配者が暴力を放棄するかどうかによる」との前提は、ANC内でマンデラが、FRELIMO内でマシェルやモンドラーネが主張したことであった(マンデラ, 2013; 舩田クラーセン, 2007)。他方、マシェルが、「真の敵」であるアパルトヘイト政権と妥協して不可侵条約を結び、非公式ではあったものの「真の巨大な敵」である米国に自ら出向いたことに示される、その柔軟性を記憶に留める必要もある。つまり、両者は、「人びとの解放」というより高い目標のためなら、自らの主義主張やメンツを捨て、最適な手法を選ぶだけのプラグマティズムと柔軟性を持った戦術家であったという点である。

また、「人びとの解放」に込めた想いが、単に「アフリカ人/黒人が指導者になればいい」という考えに基づかないものであった点も重要な共通点であろう。これは、ANCとFRELIMOの共通点でもあるが、「人種主義の打倒」は植民地支配やアパルトヘイト体制が崩壊すれば終わるのではなく、マシェルにとっては「人による人の搾取とその構造の一掃(舩田, 1997)」、マンデラにとって「人種や信条に関係なく、すべての南アフリカ人が平等、平和、調和のうちに暮らす民主的な南アフリカ(マンデラ, 2012)」といった社会変革を伴わなければ意味がなかった。

そのためには、両者は、国民の意識の向上や覚醒がなければ、本当の意味での社会変革は不可能であることを熟知し、闘争の長期化に覚悟があった。これは、両者が共に中国共産党あるいは毛沢東の「耐久戦」の概念や、アルジェリア戦争における政治教育の重要性に感銘を受けていることにも示されている(舩田クラーセン, 2007; マンデラ, 2012)。

アフリカの多くの独立の父が利権と腐敗に手を染めていく中、これらの二人が死を含めた自己犠牲を厭わず、人びとの中に入り、人びとに奉仕する稀有なリーダーであろうとしたことは、その結果発生した多くの過ちの一方で記録に残されるべき点である。興味深いことに、グラッサに限らず、両者が愛した女性らは自律した同志ともいる女性たちだった。(・・・)マンデラもマシェルも、「女性の解放」をスローガンとして闘争の中心に置いただけでなく、私生活でもそれを実践していた点に、「アフリカの解放」の理解の深さと覚悟が見て取れる。(・・・)

おわりに
このように相違点もあるが共通点も多い2つの国の元指導者と、彼らが生きた時代をふり返ることで、日本でほとんど知られることのない南部アフリカの現代史を示そうとした。日本は西側諸国の一員として、解放を求める南アフリカやモザンビークの人びとの側ではなく、それを抑圧する南アフリカのアパルトヘイト政権やNATO加盟国のポルトガル政府を支え続けたことを忘れてはならない。特に、南アフリカとの関係においては、国連決議で経済制裁が合意されている最中の1987年から、日本の同国との貿易総額は世界一となった。そのことは、モザンビークの紛争を長引かせることにもつながった。ANCは1960年に非合法化されており、日本ではテロ組織として認識すらされていたのである。

去年末、マンデラ元大統領の訃報に触れて功績を讃え、豊富な天然資源目当てにモザンビークを訪問するという日本の為政者や企業関係者、そして日本市民は、このような歴史的背景を忘れてはならない。 

最後に、筆者が忘れられない光景を紹介する。モザンビークのマプート空港でのこと。マンデラが滑走路に降り立つのに気付いた。空港ビルまでたった30メートルの距離なのに、一歩一歩がとても重く、歩き通すのに10分もかかった。しかし、彼は送迎車や車いすに乗ろうとせず、むしろ出迎えたグラサを支えるかのように腕を組んで背筋をしっかりと歩いていた。当時園児だった息子は、マンデラが誰かも知らないままに、その姿に魅せられ、「あの人はすごい人でしょ?」を連発し、彼のことを簡単に説明すると感激のあまり大きく手を振った。それに対して、マンデラは立ち止まり、息子に向かってあの闘争の握りこぶしを突き上げてくれたのである。横ではグラッサが優しく微笑み、息子に手を振ってくれた。

たとえそれが幼児でも、人を一人の人格として敬うあの姿勢に、自分の胸に手を当て、自分はそうしてきただろうかと問うた日を昨日のように思い浮かべる。年配者としての優しさを分け与えるのは容易である。しかし、彼は幼児ですら自らと同等のものとして受け止め、その魂に語りかけるという人であった。そして、何歳になろうとも傲慢さを捨て、自分を鍛えるということにおいて、休むことを知らない人であった。

モザンビーク人のSNSの多くが「安らかに休んで下さい」と括られていた。マディバに休んでもらうには、私達自身が彼の教えてくれた多くのことを学び続け、伝えていくしかないだろう。

(詳細は『現代思想』を)

*ちなみに、私は武装闘争の支持者ではありません。ここで一番重要なポイントは「暴力的な構造」があるという現実の直視であり、その「暴力的な構造」を支える民衆である私たちがいるということです。それを変革するには、「暴力的な構造を支える私たち」がまずはその構造を自覚し、意識的に変える覚悟を持ち、実際に行動によって変えていく必要こそがあったというのが個人としては一番言いたい事です。

*他方、あの時代のモザンビークや南アフリカにおいて、彼らがとった手法や手段を、私は「いい悪い」という立場にないとも思っています。その構造を押し付けてきたのは我々自身であるから。なので、私の研究もこのような原稿も、まずは構造がどうであり、運動や指導者はどう変遷していったのかを掴み、それを皆さんに提示し、共に考えることだと思っています。
[PR]
# by africa_class | 2014-02-07 13:16 | 【記録】原稿・論文

日本人がアフリカ研究することの意味。空気読めるけど読まず、自由に書き続ける今日的意義

とにもかくにも、この3週間は卒論と採点、学年度末の授業のことと、メディアに追いかけまくられる日々と、報告書や論文の完成で、体調が悪いことを差し引いても、ちょっと「ない」状態が続きました。多分一息つけるまで後数歩・・・となりましたが、締切を伸ばしただけの原稿が後4本・・・。むりだ・・・が、もう延期無理ですよね?!出版目前のマンデラ元大統領追悼本のみ先にやります。やっぱり教え子がいつの間にか編集者になって連絡くれると、断れないもんで。
 子どもの頃、「売れっ子作家になって締切に追われる姿」を夢想しましたが、「なんかちゃう」上に、カネにまったくならん。投入する努力に対して、割の合わない言論生活。これで食べていくことは無理ですね~。

でも、そんなもんなのでしょう。
むしろ、「書きたい事を書ける喜び」
そして、「それを読んでくれる人がどこかにいてくれる喜び」
に感謝しています。

そういうことはカネにならない。
だから自由なんだ、と今更ながらしみじみ有難く感じています。

この間ありとあらゆる圧力や嫌がらせもありましたが、カネや名声、業界のために生きてきたわけでなく、生きていくわけでもない以上、結局のところ気にせず書き続けることができました。

学生にいつもいっていますが、「空気は読めた方がいいけれど、あえて読まないことも重要」なのです。私は、前からそれを実践してきましたが、ますますそう思います。若者にはやや高度なので、日本の大人の皆さん、ぜひ積極的に「空気をよめるが、よまん」を実践してください。そうすれば、社会や組織が風通しがよくなり、続く若者が深呼吸できるスペースが広がります。自分のために「よまん」のではないのです。

私、どうしても誤解されがちな損な性格なんでしょうが、「自分のためにやっていること」ほとんどありません。勿論、「他人の為にやってやってる」という傲慢さは問題です。まわりまわって「自分のため」になるもんですが。だから犠牲とも思っていませんが。「自分のために生きる」んであれば、もっとのんびり楽しく生きてるし、そもそも権力や権力構造と闘ったりしませんし。専門家然、先生然として生きた方が、金銭的にも名声とか肩書きとか、得るものが多いわけです。

好き好んでではないですが、他に立ち上がる人がいなければ、やはり不正義を前に知らぬふりをして生きることは、一度きりの人生において、私がしたい生き方ではありません。「器用に世渡り上手」に生きれないわけではないですが、そうやって現状や現在の構造を支え続けて人生を終わるのは、私のしたい生き方ではないのです。他人から「バカやなあーーアイツ」でいいんです。なので、葬式では、アメリカ南部の黒人霊歌を楽しく歌ってて送ってください。そして、皆の生き方や社会の在り方の問題、夢やビジョンを語り合って、見知らぬ人や旧知の人と出会い、連帯を紡ぎ出す場にしてくれればいいのです。

と、何故かゼミ生の結婚式続きだったので、そんなことを卒業生に伝えました。会の仕切はユーリちゃん、会計はトモミちゃん、ロジがエミちゃんと決まっています。まあ、長生きするんで皆も元気で長生きね。

結局、一番息苦しい人達のために、率先して上の人が頑張らないと、権力:パワーというものはいつも虎視眈々と自由を狭め、仕舞に奪おうと狙っているものです。それが、国家であれ、社会であれ、組織であれ、大学であれ。うるさい奴は抹消・・・の方が楽なんです。だったら、皆でうるさくなろう!?

「独立して或る」ということが、いかにも難しい昨今の日本や世界で、言論の自由を守るために、それが出来るはずの大学にいる皆さんは、もっとそのことに自覚的であってほしいと思います。社会は、ただ大学で授業したり入試するために皆さんを支えているのではなく、学会という狭いサークルで発表したりその組織運営に専念することだけでもなく、皆さんの暮らすもっと広い社会への不断で普段の不動の寄与にこそ期待をしているのだ、と。

でも、日本の大学も、合議制や教授会権限をはく奪する動きが加速化しており、また全体として「空気読む」場となってしまい、もはや言論の自由の砦ではなくなりつつあるのは事実だと思います。でも、いえだからこそ、頑張りどころなんだと思います。

そもそも、アフリカの大学も研究所も、すごい圧力の中言論の自由を守ろうと命がけの先生たちがいる。モザンビークもそう。私達、そのことを忘れているかもしれない。

その意味で、インターネットの時代は本当に有難い。
こうやって、書いた瞬間にネットに掲載され、見ず知らずの人達に読んでもらえる。急ぎ書いている駄文なので、いつもしかし・・・ごめんなさいーーー状態なのですが。そこはご愛嬌。

プロサバンナの報告書に感激してくれたマスコミの方や同業者から、出版を強く勧めていただいたのですが、私のモットーは「情報と知識と分析は社会に属する」ですので、日本の出版物がネット上になかなか掲載されない現実に歯がゆさを感じており、やはり誰でも自由にアクセスできて、自由にいつでもダウンロードして読めることに重点を置きたいと思うのです。

●だから私の博論の英語版はケーブタウンの出版社が22ドルでソフトカバーに、そしてただでダウンロード可能にしてくれました!でも、これも日本の出版社の協力あってこそ。
http://www.africanminds.co.za/?dd-product=the-origins-of-war-in-mozambique-a-history-of-unity-and-division

●そして、今回のProSAVAN市民社会報告
================
立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点に掲載中
2014/01/15 
「ProSAVANA市民社会報告2013ー現地調査に基づく提言【暫定版】」
http://www.arsvi.com/i/ProSAVANA_findings_cso_tentative.pdf
================

他方、紙の本や冊子になっている意味はすごくあると思うし、紙の新聞大好きです。なので、基礎のテキストや資料はネットからダウンロードでき、教科書的なものや手元においておきたいもの、あるいはプレミアムをつけたものを紙で提供できればと思っています。

今本の構想いろいろあるのですが、4年前から着手している『モザンビークを知る●章』すら終わらせていないので、順番に・・・・。体調が万全であればなんとかなった多くのことを、諦めるか、延期するしかなく、忸怩たる思いです。その最中に、色々入ってくるので、リスケに次ぐリスケ。編集者さん、、、、執筆者の皆さん。。。。すみません。

さて、日本人の私が何故日本にいてアフリカ研究や教育や調査や発表を行うのか・・・私は丁度20年前にモザンビークでの国連活動から帰国して考えたのはそういう問いでした。今でもこれに疑問がないわけではありません。特に、アフリカ人の若者の教育を10年携わって来て思うのは、「日本の者としての私のポジションの自覚をどこに持ち・置くのか」なしに、あまりに甘い・・・と。

これを学会や同僚や色々な人に投げかけてきたんですが、皆どこか「他人事」でした。無理もありません。日本とアフリカの関係があまりに希薄で、アフリカ社会への影響が目に見えない以上、「何をそんなに気負って」という理解が当たり前だったんです。が、その時もそれからも、本当は日本の影響は決して小さくありませんでした。2000年にモザンビークの援助で許与して大量在庫になった農薬の問題に関わってから、それを如実に感じてきました。

そして、今、安倍首相の訪問で、いよいよ、日本のアフリカ研究者や関係者は、自らの立ち位置を問い直す機会が訪れていると思います。

私は、自分の研究者としての技能を、それが未だ未熟なものであるという自覚のうえで、しかし、モザンビークの農民と民衆の現在と未来のために役立てる覚悟で日々を送るようになりました。博士論文を書いていたとき、それを日本語や英語の本にしているときも同様でしたが、途中、日本社会にアフリカを広める活動、あるいは業界に頼まれた論文をコナスことに必死になってしまい、初心を少しばかり忘れていたように思います。

私は、これらの仕事を、日本の非モザンビーク・アフリカ人として、やろうと奮闘しています。その点において、私の中で、不十分ではあるものの心に残った仕事は、原発事故と水俣のことを踏まえて、ブラジルのセラード開発とモザンビークのプロサバンナについて書いた以下のものとなりました。

モザンビークの研究所から原稿依頼を受けた時、私は初めて、自分が何故研究者となろうとしたのか・・・の意義を理解しました。実務の世界に飛び込んでいた私が、世界構造や国家と現場の人びとの声や暮らしの相克を他者が分かるように示すことこそが使命と思って学術世界にきたものの、それが出来ている実感がなかっただけに、20年を経て、ようやく「その時」が来たのだな、と思ったわけです。

それは私の議論が正しいということではなく、モザンビークや世界、日本について自らが調べ、書いてきたことを、モザンビーク社会で参照し、議論してもらうこと・・・(それが正しくても間違っていても)に貢献できるところまで来たことについてです。それは、しんどいことでもあります。自分の一言一句が、当事者にどう受け止められているのか・・・研究者同士以上に厳しく問われるからです。でも、そのようなクリティカル・レヴューに基づくクリティカル・ディスカッションこそが、互いの思考を鍛えますし、オープンに物事を徹底的に議論してよくするきっかけを作りますし、何より、それこそが「学問の意義」なのです。

当たり障りのない二番煎じのことを言ったり、書いたりすることが学問なら、それは不要です。火中の栗を拾わないのであれば、社会に研究者が貢献できる幅は狭いです。勿論、リアクティブになれということではなく。わたしも20年深い谷底に潜って、それから今言論をやっているわけで、あと少ししたらまた潜ることになると思います。自己検証が必要ですし。

そして、私に論文を書くように勧めてくれ、掲載してくれた研究所の所長は、今、独裁化一歩手前のモザンビークの国家権力との闘いを繰り広げています。脅迫も日々続いています。そして、もう一つの研究所の方では、論文を掲載するかどうかに当たって、止めるように政府から強い圧力があったと聞いています。

それでも、これらの研究所も研究員たちも、そしてその周囲の市民らも、身体をはって私の論文を訳し、校正し、記載してくれました。「学問とは、ポレミカルイシューに材料を提供するものだ」と。同時代にこの「生きづらい時代」を生きる、しかし前よりも今よりも少しでもよい社会を・・・との想いで頑張るモザンビークの、世界の、日本の研究者、市民社会、農民の皆に、日々学ぶばかりです。

この間、かつでは農薬問題、それからTICADパス問題、そして今回のプロサバンナ事業・・・へのアドボカシー活動で、失うものも多かったのでしょうが、ただ研究者然として遠巻きに見ていたとしたら得られない数々の仲間、そして深い批判的な理解を、自問自答の毎日を得ることができたことに、心より感謝しています。

何よりも、私は「愛」と「信頼」の社会的意味を、再び学んだのだと思います。いつの間にか、独りよがりで生きていたかもしれない・・・・勝ち馬に乗って・・・・自分に急ブレーキをかけ、社会や国家や強い者に虐げられる側に徹底して寄り添う苦悩と喜びに、ヒトが「人=つまり支えあって生きる」意味、ウブンドゥの精神を、ただの軽いノリのタスケアイではなく、もっと深く、辛く、広がりのある連帯を、知るようになりました。

これが愛であり、哀しみであり、希望であり、絶望であるのだと、生物と人類の長い歴史とこれからの、根っこの部分なのだと、そう思うようになりました。

これからもよろしく。

●古いものは英国のOpen Univ.のサイトにまとめてくれています。
http://www.open.ac.uk/technology/mozambique/
1番目の論文"Analysis of the Discurse and the Background of ProSAVANA"
http://www.open.ac.uk/technology/mozambique/sites/www.open.ac.uk.technology.mozambique/files/files/ProSavana%20Analysis%20based%20on%20Japanese%20source%20%28FUNADA2013%29.pdf
2番目の論文”Fukushima, ProSAVNA, Ruth First"
http://farmlandgrab.org/uploads/attachment/Fukushima%20ProSAVANA%20Ruth%20First%20%28IR%20Final22July2013%29.pdf
これは、モザンビークのIESE研究所の依頼で書いた論文の英語版で、ポルトガル語は以下のサイトに3本に分けて掲載中。
http://www.iese.ac.mz/?__target__=publications_ideias

●最新のものはモザンビークの研究所(Observatorio de Meio Rural)に英語とポルトガル語で掲載中。
http://omrmz.org/
"Post-Fukushima Anatomy of Studies on ProSAVANA"
mrmz.org/index.php/95-publicacoes/observador-rural/168-observador-rural-nr-12-post-fukushima-anatomy-of-studies-on-prosavana-focusing-on-natalia-fingermann-s-myths-behind-prosavana

あとは、プロサバンナに関するポータルはこちらに一括あります。
http://farmlandgrab.org/cat/show/827

==
以下が、モザンビークの研究所のエディターが書いたこの論文の紹介です。
これまた長い論文ですが、渾身の力作です。
(が、途中古いファイルと入れ替わっていて今調整中ですが)
ぜひ、ご一読下さい。

東電福島第一原発事故と水俣病の話をどのように参考にしたのか・・・2000年の農薬問題と、自分が留学していたブラジル・セラード地域のこと、そして20年間通い続けたモザンビーク北部でのプロサバンナや土地収奪をどう見ているのか・・・色々思考してみました。

"Post-Fukushima Anatomy of Studies on ProSAVANA"
By Sayaka Funada-Classen

Documento de Trabalho
Observador Rural
Numero 12 Dezembro 2013

Women rice farmers association, Mozambique. (Photo courtesy of IFDC)
This text is part of a debate about ProSAVANA and deals mainly with the article “The myths behind the ProSavana” (“Os mitos por trás do ProSavana”) written by Natalia Fingermann, published by the Instituto de Estudos Sociais e Económicos (IESE), series IDeIAS, Nº 49, on 29 May 2013. The reader can access this article from IESE's webpage.

The text we now publish in the Observador Nº 12 do OMR is more than just a debate between the two authors. Based on a detailed analysis of the ProSavana documents and on field research, Sayaka Funada-Classen deals with several areas, such as:

The evolution of the philosophy and speeches about the ProSavana.
The positions of the three involved parties (the governments of Mozambique, Brazil and Japan).
The possible incoherence and incompatibilities for implementing fundamental aspects of underlying the ProSavana.
The aspects to take care and alerts for precaution that should be considered when implementing the project.


Sayaka Funada-Classen also analyses the possible relations of the ProSavana and other mega-projects being implemented in the area of the Nacala corridor.
Due to the importance of the theme, the OMR publishes this text as a contribution to the important debate about the ProSavana. Although the project is at the final stages of preparation, the author calls for the principle of "precaution approach" that enables to foresee future damages, considering also similar case-studies (comparative method).

Click here to download - Post-Fukushima Anatomy of Studies on ProSAVANA: Focusing on Natalia Fingermann’s "Myths behind ProSAVANA" (PDF)

(Em portugues)

Dr. Sayaka Funada-Classen is currently an Associate Professor at Tokyo University of Foreign Studies (TUFS) and has been working and doing research in Northern Mozambique since 1994. She has been chairperson of Needs Response Project for Fukushima’s Pregnant Women and Infant Children (FnnnP), since April 2011.

Her previous works on ProSAVANA: “Analysis of the discourse and background of the ProSAVANA programme in Mozambique – focusing on Japan’s role – and “Análise do Discurso e dos Antecedentes do Programa ProSAVANA em Moçambique – enfoque no papel do Japão – are available at http://farmlandgrab.org/post/view/21574 in English, and http://farmlandgrab.org/post/view/21802 in Portuguese. - See more at: http://farmlandgrab.org/post/view/23049-post-fukushima-anatomy-of-studies-on-prosavana-focusing-on-natalia-fingermanns-myths-behind-prosavana#sthash.WwkixBXh.dpuf
[PR]
# by africa_class | 2014-01-24 15:15 | 【記録】原稿・論文

国際平和研究学会2014年8月inトルコの発表申込み期限延長(2月15日迄)

私の専門は一応、アフリカの平和と紛争、平和構築・・・だったのですが、学位は国際関係学博士(アフリカ地域)、ここのところ領域が凄まじく広がってしまい、皆さん不思議に思ってらっしゃることでしょう。

が、私の中では、アフリカの農民、農業、農村開発の問題、あるいは援助や開発や投資の問題、民主主義の問題、アフリカ・日本間交流、市民社会のキャパビル、原発事故や大規模災害の問題、環境問題と我々の暮らしや食の問題、植民地支配の歴史、ジェンダーの問題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すべて繋がっているのです。

でも、問題は、ひとの身体も時間も有限であるということ。
どんなに頑張っても頭が一個で、身体も一個で、時間は皆と同じ24時間しかない。

しかも、去年3月末からずっとPTSDで戻りしたせいで、ちっとも前にすすまん。なので、今まで同時進行でいくつもやってきたことを諦め、優先順位をつけてやっているのですが、一番脇においやったのが「平和構築研究」でした。この前もブログに書いた気がしますが、今の平和構築研究って、あまりに沢山やられたせいかと思うのだけれど、世界的に壁にぶち当たっていると思うんです。いや、私の不勉強かな。

私としては、平和・紛争研究が時間をかけてでも深めないといけないのは、「その後」ではなく「予防」だと思っていて、そこのことと以上の「生活者の日々の暮らし」と「国家権力、グローバルなレジューム」の相克は、深く深く切り込む必要がある点だと思っているのです。プロサバンナ事業の問題は、私には、或る意味でど真ん中のイシューでもあるのです。

が、平和学会から本(ジャーナル)の編集を頼まれ、会員の皆さんから理事に選出していただき、企画委員になったのですが、すみません。なかなか貢献が出来るほどの体力が戻っておらず、細々とやらせてください・・・。哀しいですが、前ほど器用にできない日々です。なので、是非期待しないでください。本の編集まではがんばりますが。

そして、何故か国際平和研究学会の大会のコンベンナー(Conveners/企画者)にもなっており、今年夏のトルコの大会の或る委員会の担当をしています。なんでこんなことになったのか・・・・一昨年の大会で発表した後、前企画担当者に、「後はよろしく」といわれて「NO」といわなかったら、いつの間にか担当になっていた・・・というあまりにアバウトやろ、それ・・・な状態です。多分、男性ばかりの企画担当者にアジア人女性を入れたかったのではないかと勘繰っている私。

どうでもよい前置きでしたが、とにかく募集期限を延長しました。この体力なんで実際に私も参加するかは不明ですが、企画までは参加します。是非どしどし応募してください。(既に数百人規模の応募なんで通るかわかりませんが・・・)がんばれ!

http://ipra2014.org/

==============================
25th IPRA GENERAL CONFERENCE CALL FOR PAPERS
DEADLINE FOR PROPOSALS: FEBRUARY 15th 2014

25th IPRA GENERAL CONFERENCE on the OCCASION of 50th ANNIVERSARY of IPRA
Uniting for Peace: Building Sustainable Peace Through Universal Values

ISTANBUL, TURKEY - August 10-14 2014

During the Cold War, ideological confrontations and inter-state conflicts were seen as most dangerous threats against peace and security, and with the end of the Cold War, it was expected that all these threats would disappear. Unfortunately, however, the end of the Cold War witnessed the emergence of new conflict patterns and the world faced new global challenges, new security threats. Since the end of the Cold War, the world has been going through a series of interrelated intra-state conflicts rather than inter-state conflicts. New generation threats for peace and security and conflicts appeared immediately as intra-state conflicts with ethnic conflict in the Balkans, political turmoil in Caucasus, Central Asia, Middle East and recently with the emergence of protests and search for better democracy and peace as in Northern Africa countries.

According to the 1994 UNDP human development report, the seven dimensions of human security are economic security, food security, health security, environmental security, personal security, community security and political security. However, with the emergence of new security threats and new generation conflict patterns across the globe, human rights, human security, humanitarian intervention, democracy, prosperity and peace building initiative have become new values and policies both for states and international organizations. All these are post-Cold War concepts that are inter- related and overlapping, and when they are undermined, sustainable peace cannot be established.

As we observed from the beginning of history that conflict potential and conflicts are inevitable and will be available forever, only the conflict patterns can change. If so, we need to learn to which extent intra-state conflicts can be managed properly and to which extent conflict escalation across national frontiers, and also their escalation into violence, can be prevented. However, there are mistakes as well as success stories as regards to how states and International/regional organizations manage and / or prevent inter-state and intra-state issues / conflicts.

It is in the context of further contributing to the scholarly debates involving post Cold War political ideology, geopolitics, international and regional cooperation in efforts to resolve or prevent the growing intra-state and cross-border conflicts that IPRA has decided to be the focus of the 25th IPRA General Conference to be organized on the Occasion of the 50th Anniversary of IPRA and hosted by the Sakarya University in Istanbul, TURKEY, between August 10-14 2014. On the 50 th Anniversary of IPRA, the venue of 25th IPRA General Conference is significant and timely since Turkey is in the middle of three continents and also currently surrounded by conflict zones in Syria, Iraq, Lebanon, Israel-Palestine etc . Also, Istanbul is a link between Europe and Asia.

We welcome paper, poster and panel proposals from all peace researchers related to the following IPRA Commissions. Interested participants have the option of suggesting new panels or sessions.

IPRA COMMISSIONS
1. Art and Peace Commission

2. Conflict Resolution and Peace Building Commission

3. Development and Peace Commission

4. Eastern Europe Commission

5. Ecology and Peace Commission (EPC)

6. Forced Migration Commission

7. Gender and Peace Commission

8. Global Political Economy Commission

9. Indigenous Peoples' Rights Commission

10. Internal Conflicts Commission

11. International Human Rights Commission

12. Nonviolence Commission

13. Peace Culture and Communications Commission

14. Peace Education Commission

15. Peace History Commission

16. Peace Journalism Commission

17. Peace Movements Commission

18. Peace Negotiations and Mediation Commission

19. Peace Theories Commission

20. Reconciliation and Transitional Justice Commission

21. Religion and Peace Commission

22. Security and Disarmament Commission

23. Sport and Peace Commission

24. Youth and Peace Commission

25. Peace Tourism Commission
[PR]
# by africa_class | 2014-01-21 08:59 | 【考】人間の安全保障

アフリカ留学・インターン説明会(1月29日12時~)byゼミ4年生企画

毎年恒例のゼミ4年生主催の企画です。
今年度は、マラウイ(留学)、ルワンダ(留学・NGOインターン)、マダガスカル(留学)(企業インターン)、モザンビーク(留学・NGOインターン)、ザンビア(NGOインターン)に6名が旅立ち、皆無事元気で帰ってきました。しかも、とても大きく、たくましく、ユーモラスなって!!

コミュニケーション能力が高くなったこと、機動力が高くなったこと・・・それもアフリカのお蔭。私の持論は、日本の若者は、生きる力がマダマダ弱く、「アフリカを救ってやろう」という以前に自分を救ってあげて・・というもので、いきなり接するアフリカとの接し方が、「援助者として」というのは、とっても問題があると思ってきました。

なので、ODAのお金で日本の若者を育てるのは、正直いってアフリカの皆さんと日本の納税者に失礼と思っており、自分で授業・レッスン料を払ってでも、若いうちにアフリカに行くべし・・・あくまでも「学徒」あるいは「インターン」として。。。その上で協力隊でいくもよし、と考えて、日本の若者のアフリカへの武者修行を10年ほどお手伝いしています。

「ただの裸の何も持たない、あげられない、しかし先進国からのシロイ若者」として、アフリカ社会の懐に抱かれ、時に苦労し、時に哀しみ、時に後悔し、しかし沢山の笑いと沢山の愛と沢山の優しさと沢山の学びを経験してきてください・・・と願っています。

その先に、初めて自分の限界を知り、自分の可能性を知り、自分をしるから故に、相手を知ることができ、本当の関係作りがあるのだと思います。

もちろん、色々な事情で始めていく時にもう「援助者」となってしまった・・ということもあると思います。かくいう私のように!!!!でも、それを捨て去るのにとても苦労するし、以上のようなことを是非念頭において、自問自答しならが成長しましょう。

以下、さくらから。
なお、外大生向けの企画です。
が、なかなかこういう機会ないと思うので、学外者も一応受け付けますが、オブザーバー参加としてください。

なお、私が編集した『アフリカ学入門』に、色々な解説やといわせ先んど掲載中です。
http://www.akashi.co.jp/book/b67746.html
ぜひどうぞ。

=================================
この度、アフリカゼミ4回生主催の【アフリカ留学・インターン説明会】を開催致します。


日時: 1月29日(水) 12:00~12:40
場所: 106教室
講演者:
・南 (モザンビーク・留学)
・井上(マダガスカル・企業インターン)
・加藤 (ルワンダ・留学&NGOインターン)

※アフリカコースの1・2年生を中心とした外大生向けに行います。

※教室は3限の時間も確保してありますので、講演後の質疑応答および相談の時間と致します。
※入退室は自由です。
================================
[PR]
# by africa_class | 2014-01-21 07:00 | 【募集】インターン・ボラ

現場の人びとのニースにマッチしたJICAの援助inアフリカについて仲間に聞いてみました。

じゃあ、「日本の対アフリカ支援で褒めるべきものはないのか?」という声が聞こえてきます。
そして、メディアから「現場の人びとのニーズにマッチした援助はJICAはできないのか?」という質問も。

朝日新聞へのインタビューでも、「それなりに評価されてきた」と述べて、それが掲載されたので、じゃあ「それなりにはどの援助?」ということ・・・でもちゃんと確認(自分の目で)しているわけではなく、列挙するのに躊躇があったので、信頼する元TICAD市民社会フォーラム(TCSF)の仲間たちに同じ質問を投げてみました。

TCSFは、「アフリカの開発はアフリカ民衆が主役」「アフリカ市民社会が政策形成の真ん中に」をビジョンとして、開発コンサルタント、JICA、JBIC、NGO、研究者らと共に2004年に結成した特定非営利活動法人でした。100名を超える会員、有給スタッフ延10名、延30名を超える研究員やインターンに支えられ、多岐にわたる活動を繰り広げ、2008年のTICAD IVにつなげて2009年に活動を閉じました。私は、TCSFの副代表としてがんばっていたわけですが、活動は他団体に引き継ぎちょっと休んでいました。

あの時与野党の国会議員、外務省、JICA、JBICにも、いかにこのことが重要かすごく密度濃くやり取りして、それなりの共感と理解を得ていたのですが、活動を閉鎖してからのフォローアップがあまりに足りなかったのだ、と今反省を込めてふり返っています。勿論、時代状況が変わってきたこともありますが。

なので、今回情報を寄せてくださった人の中にJICAの方のものや、開発コンサル(元)や、研究者のもの、NGOの方のものがあります。すぐに返事くれたので嬉しいかったです。NGOのものは沢山あるので、あえてJICAのものということで聞いたところ・・・。

あ、その前に。これらの情報について、必ず皆さん「JICAの評価は高くないですが」「JICAでは宣伝されていませんが」とおっしゃいます。つまり、「現地の人々のニーズにあった援助」として長年現場に通う専門家の皆さんが評価する援助が、JICAの組織としての評価が低いということ????????????のようで、ここは深めていく必要がありそうです。

といっても、自分で現場いって調査していないので、あくまでも参考ということで、今後検証していければ。

●「アフリカ障害者メインストリーミング(自立生活) コース」もすごく良い事業です。
障害者団体の次世代リーダー向け研修を2002年からほぼ毎年実施しています。
2010年度にはケニア・マラウイ・南アでフォローアップ研修を行いました。
このフォローアップ研修から、当初マラウイでの自立生活センター設立支援事業 をJICAとヒューマンケア協会のパートナー事業として計画され、後 に南アでの プログラムに計画が変更され事業が開始されています。

●「ザンビア大学獣医学部」
1980年代半ばに、日本の無償資金協力による獣医学部の施設建設と、北海道大学獣医学部を中心とする日本の大学からの10年以上にわたる技術支援を受けました。当時は、ザンビアには獣医学部はなかったので、獣医師の多くが外国人でした。同獣医学部設立により、ザンビア人獣医学部教官の育成と学部学生への教育を同時に進め、それらは日本人専門家と欧州等の専門家が行いました。また、それらザンビア人教官の学位取得のため、日本等に留学させました。

現在では、ザンビア大学獣医学部の教官は全員がザンビア人となり、ザンビア農業省や牧場等で働く獣医師は、同獣医学部出身者で占められています。近年は、鳥インフルエンザといった人獣共通感染症対策なども重要になっていますので、獣医師の育成のみならず、これら感染症対策での獣医学部の貢献も評価されています。南部アフリカで獣医学部を有しないナミビア等からの留学生も見られ、他国からも評価されています。

●日本のアフリカ援助の評価、とくにJICAによるプロジェクト援助の評価となるとなかなか難しいですが、私見では、次のものは現地のニーズにも合い、良い効果をもたらしたものといい得るのではないか、と思います。

ケニアのジョモ・ケニヤッタ農工大学の建設と運営 - 農工分野での技術者不足が課題であったケニアで、無償資金協力による支援から始まり、設立から15年後に5番目の総合大学に格上げされ、人材育成の地道な努力が実を結んだ。

●エチオピアは優良種子プロジェクトです。
農業改良普及員と農家のグループが一緒になって、圧倒的に量的に不足している品質 のよい種子を自分たちで生産し、地域内で流通させたり、または播種量を減らす試み を行うことによって必要な種子を調達しています。農家自身が判断し、選択を広げていく試みにJICAの技術協力が貢献している好事例だとおもいます。
http://www2.jica.go.jp/ja/evaluation/pdf/2012_0800822_2_s.pdf

ザンビア
http://www.pavidia.org.zm/documents/ESAfricaSeminar.pdf

●JICAニジェール緑の推進協力プロジェクトは、現地の人たちには比較的良い評価を受けていたと思います。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hakusyo/01_hakusho/ODA2001/html/topics/tp00006.htm

また、JOCAのマラウイ農民自立支援プロジェクトも現地の評価は高いです。
http://www.joca.or.jp/activites/oversea/malawi/



僕も少し手伝っている、「アフリカ障害者メインストリーミング(自立生活) コース」もすごく良い事業です。
障害者団体の次世代リーダー向け研修を2002年からほぼ毎年実施しています。
2010年度にはケニア・マラウイ・南アでフォローアップ研修を行いました。
このフォローアップ研修から、当初マラウイでの自立生活センター設立支援事業 をJICAとヒューマンケア協会のパートナー事業として計画され、後 に南アでの プログラムに計画が変更され事業が開始されています。
[PR]
# by africa_class | 2014-01-18 13:52 | 【考】21世紀の国際協力

【自壊する日本の外交力】モザンビーク和平後最悪の危機:死者50人(公式)、100人以上(非公式)

阪神淡路大震災から19年。
アルジェリア人質事件から1年。
色々な事を考えた一日だった。体調悪く、再び布団の中で・・・。

あまりセンセーショナルに書きたくないのですが、このこと(モザンビークで起きていること)について、日本のメディアにはまったくでないので・・・。

2000年のモザンビークを襲った大洪水の時のような気持ち。
でもあの時は報道自体が皆無だった。
でも、今回は、モザンビークについて、モザンビークから山のような記事と映像が日本から送られてきた。でも、「問題の核心」がすっぽり抜け落ちていた。

首都マプートの煌びやかなホテルの様子、フラッシュ、立派な政治家・企業家たちの姿。すべては滞りなく、未来を予感させ、美しい。。。その500キロ先のイニャンバネで何が起きようとも。1000キロ先の中部地域で、4000人が難民となって家を追われようと。

モザンビークには問題なんてないのだ。
あるのは、資源と広大な「余った」土地と、気の良いアミーゴ(友達)だけ。
みんな、日本の投資と援助を待っている。
まだまだ貧しいし、教育も必要。そういえば、保健衛生や農業もね。
中国のは搾取で、日本のはそうでないよう気を付けるから大歓迎!
インフラと鉱山開発だけど、
なんせ「人材教育」もついてくるし。
大学間協定も結んだ。
・・・・そんなストーリーが新聞紙面を沸かず。

中身についても色々書きたいけれど、今日のところは「首都の最高級ホテル・ポラナの中と外の現実の違い」にのみ焦点を。

安倍総理が行っている間にも、刻一刻と状況は悪化していましたが、共同声明で「治安強化」等が強調される始末。。。これでは、モザンビーク国内で起きている暴力と抑圧、民主化の後退にお墨付きを与えたようなもの・・・ああ、誰が助言しているのでしょうか。モザンビークにおいてさらに「日本」の名前に傷を残してしまいました。

招かれておいて、大統領が自我持参するのに「いやちがう」とは当然いえず、「はいそうですね」ということになり、声明にまでこれが書かれると、日本が今の状況を「認めた」ということになります。つまり、「紛争の当事者にそのままどうぞやってください。支持してますから」とお墨付きを与えたわけです。

=======================
共同声明
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/page3_000615.html
ゲブーザ大統領は,モザンビ-クにおける現在の政治情勢,特に2013年11月に実施された地方自治体選挙が平和裡かつ公正な方法で行われたと説明した。また同大統領は,モザンビークが地方で治安上の試練
に直面しており,同国政府が対話を通じ秩序回復に努ていることを伝達した。
安倍総理大臣は,粘り強い対話を通じて国家の安定に向けて取り組むモザンビークの努力を支持する旨表明した。
======================

そし、ここにお得意の「対話」という言葉が出てきます。

勿論レナモも批判されるべきですが、そもそもこのような事態に陥ったのは、政治問題、あるいは警察の出る程度の治安問題に、国軍を使って野党党首の拠点を軍事攻撃して野党議員を殺し、党首の「首を取ろうとした」こと(防衛大臣ははっきりそう述べています)。なので、今でも党首は逃亡中。

で、どうやって「対話」????当然ながら、未だにレナモ党首と「対話」は実現していません。そもそも「首取り」に軍隊で来られて、ノコノコ出て来れないのは彼がどんなに問題のある人物でも、それぐらいは理解できるかと。なのに、一方的に会談の日時と場所を指定しておいて、たくさんのメディアを呼んで、「忍耐強く待つ姿を報道させる」・・・ことで、「はい。対話終わり。来なかった方が悪い。せっかく折れて対話の席についたのに。ご招待したのに」・・・という茶番が繰り返されています。

4月からずっと「国際監視団の同席」を求めてきたレナモ側の要求を政府は一切聞かず。この判断をしているのが、現農業大臣(プロサバンナ事業の担当大臣として一躍日本関係者に有名に)で次期大統領候補(自他共に)のパシェコ大臣(レナモ交渉担当大臣)です。そして、何を隠そう、元内務大臣。

そして、国際社会が批判するこの間のゲブーザ政権の軍事対応や「対話問題」に、わざわざ日本のトップが共同声明で「支持」を出してしまった・・・。こういうの「外交力」と呼ばない。国民と諸外国にクレームを受けている為政者と握手をするのはとっても簡単。なんの知恵も工夫も要りません。だって、「交渉」ですらない。

島国だからでしょうか。あまりにわかってなさすぎる。
「初めての訪問」である以上、タイミングが重要だったのに、わざわざモザンビークが独立してもうすぐ40年も経って、あるいは和平合意後順調に進んで22年・・・の、最悪のこの瞬間に!?????!!!
いや、「初めての訪問」ぐらい、関係が薄いから、本当に社会のことが分からないのでしょう。外交の事・・・はさておくとして。

そもそも今回の危機は、ゲブーザ政権が、選挙直前に、自ら戦闘状態を創り出して、「強いリーダー」を「演出」しようとした浅はかな考えによるものでした。

しかし、事態は泥沼化。特に、中部地域では、疑心暗鬼な権力側の不当逮捕や若者の軍への強制徴用、そしてついに先日レナモ政治家の暗殺などがあり、住民のFRELIMO政府への反発は強いものになってきちます。

ほっておいても滅びかけていたレナモを、逆にこれで息を吹き返させることになるかもしれません。幸い、第三政党のMDMが中部中心部を政治的に抑えているのですが、MDMもかなり選挙妨害を受けていたので、共に彼らが手を組むとどうしようもなくまずいことになる可能性が出てきています。

その前に、大統領選挙が10月にあり、おそらく、次の狙いは「非常事態宣言」でしょう。
そうすれば、唯の政府の悪口だけでも取り締まれますから。国家反逆罪とかで。実際、すでにゲブーザの退陣要求を出した研究所所長が検察に取り調べられているところ。その退陣要求を掲載した新聞2紙も同じ目に。しかも元々フェースブックに書いたもの。そんなんで「逮捕できるの?」・・・本来できません。もちろん、人権侵害です。しかし、強権下の国家権力とはそういうものなんです。つまり、このこと一つでも、モザンビークの人権(表現の自由)はきわどいところにきています。肩書きのある著名人ですらこの状態。ましてや一般市民に対して行われる日々の抑圧など・・・。

このように現政権が、どうしようもなくバッド・ガバナンスをやっている最中に、他の外交団がこの政権との距離をおいて、なんとか平和に戻そうと尽力している最中に、モザンビークに初めて日本の首相がノコノコ握手しに出かけて行っている・・・日本外交のセンスがどうしても理解できません。「アミザージ(友好)協定」と呼んでいるらしいですが、本当にアミザージを結ぶべき「真のモザンビーク人」らとではなく、それらの人達を抑圧する政権と、それが今暴力化している最中に「友情を交わす」・・・ということの全モザンビーク的、世界的、歴史的意味を、今一度考えてほしいと思います。

あるいは、これから日本は、そういう権力者とドンドン組むんだよ、資源と市場のために(中国みたいに!)という表明だったの?!恐れ入りました。。。でも違うよね、きっと。

ちなみに、「人材育成」5年間で300人って年間60名。ポルトガル語のクラスの2つ分ぐらい。そして、これ一年間とかディプロマがもらえるぐらいのものではなく、数週間のものですよね?これまでJICAの人材育成事業(研修)に3年関わってきましたが(フランス語圏アフリカの治安・司法部門の人達の平和構築研修)、そしてかなり良い研修ができた自負がありますが、それでも毎年60名を「研修」して、その国の何かが変わる・・・というわけでは当然ありません。

本気で資源の呪いを回避し、汚職を避け、資源開発を地域社会や住民に還元するのであれば、「急いで掘るな」の一言です。国家が公正なる分配を確実にし、モニタリングの主体・仕組みを整えるプロセスを醸成していくしかないのです。

しかし、仕事でモザンビーク事情を把握している人たちは一体何をしているんでしょう。ポルトガル語読めないからこうなるのかな・・。読めても、本当に起きていることころをみようとしない、自分の都合の良いように解釈するため・・・なのか。あるいは、どうでもいいから・現地社会で起きていることなんて?

結局、ゲブーザ政権が「治安」を「維持」してくれればそれでいい・・・・のでしょうね。「臭いものに蓋」・・・そうやって「平和と安定」を語ろうとする。

だからアルジェリア事件のようなことが起こるということを、1年経っても理解がないようです。「危機管理セミナー」を企業と政府はやっているそうですが、なぜこのようなことが起こるかのルートコーズ(根本原因)・土台から理解できていない以上、近い将来の悲劇は避けられないと思います。このような外交が、めぐりめぐってますます日本人を危険に晒すのですが。

「アフリカが危ない」のではなく、「アフリカを危ないところにする外部勢力の一つ」に、日本も声高らかに参入した宣言===が、今回の訪問の一つの結果でもあったと思います。


■地元O Pais紙「モザンビークで政治軍事緊張の288日間で50人が死亡」
”Mais de 50 pessoas mortas em 288 dias de tensão político-militar no país”
Sexta, 17 Janeiro 2014 00:00
http://opais.sapo.mz/index.php/politica/63-politica/28524-mais-de-50-pessoas-mortas-em-288-dias-de-tensao-politico-militar-no-pais.html
「2013年4月4日の最初の軍事攻撃の開始以来、市民・政府軍・レナモ軍の間に50名以上の死者が出ている。ただし、この数字は公式に確認されたものであり、死者数は100人前後と考えられる。1992年の終戦以来、最悪の危機である。これは、10月の半ば、政府軍がアフォンソ・ドゥラカマ(野党党首)が拠点としちたサントゥンジーラを占領してから悪化した。以来、レナモのゲリラ兵が国の中部での攻撃を強化しており、北部と南部に拡大しようとしている。」

そして、この最中に(いやこの最中だから9、わざわざ首都で「ゲブーザ大統領を讃える市民のマーチ」の開催をFRELIMO党の書記が発表。なんか本当に、どこぞやの国に似てきました・・・・。21世紀というのに、真逆をいこうとするモザンビークの為政者たち。当然、snsや独立系新聞で、この情報は「笑いのネタ」となっています。。。。でも、権力者というのは、こういうのを大真面目でやるんですよね。特に、「太鼓持ち」のみなさん。競って権力者に好かれようとする。こうやって、民衆と権力中枢部との乖離がどんどん生まれるから、政治運営はどんどん暴力的・対立的になる。

■O Pais紙 FRELIMO党は土曜日にゲブ-ザ大統領を讃えるため2万人を期待
Frelimo espera cerca de 20 mil pessoas na homenagem a Armando Guebuza no sábado
http://opais.sapo.mz/index.php/politica/63-politica/28526-frelimo-espera-cerca-de-20-mil-pessoas-na-homenagem-a-armando-guebuza-no-sabado.html

ということで、どうだったのか?
政府系は2万人を強調しますが、独立系新聞の建物屋上からの映像をみてみましょう。
http://www.verdade.co.mz/destaques/democracia/43357
10月31日の平和マーチと比べて少ないですね。
この記事のタイトルは、「マーチはゲブーザ大統領の人気のなさを確認してしまった(Marcha de exaltação confirma impopularidade do Presidente Guebuza」

当然、FRELIMO党という40年にわたって権力の座につく政権与党によるマーチ。下部組織も農村から都市の地区まで根をはっており、その動員力は都市部でも農村部でも凄いものがありました。一声かければ集会なんて人集めは容易。逆に集会に行かないとしたら、酷い目に合うことも。その組織的動員力で、しかも基盤の南部でも、この程度の人数???というのは、確かに驚きです。

で、集められた人達の声が面白い。
「ゲブーザ大統領が今年で任期が終わりなのでお別れの会だと聞いてやってきた」という人の声多数。実際、党の書記長はそのように宣伝。しかし、「大統領がいない!どして?わざわざ来たのに!」FRELIMO党員のマーチ参加者の中の声を新聞は紹介しているのですが、「パパ・ゲブーザに、レナモとの紛争を止めろと言いに来た」「平和なしに発展なしといいに来た」が、「大統領がいない!」と。。。

太鼓持ちが大統領の支持をみせるために企画し、次期大統領候補の2名(上述パシェコ大臣など)がその忠誠と後継者ぶりを示すために現れた集会である以上、大統領自ら現れる必要ないのです。が、あまりに盛り上がらず、逆に不人気ぶりを露呈した・・というのがこの新聞の報道。

なお、北部の中心地(ナカラ回廊)のナンプーラ市では、地方都市選挙において、歴史において初めて第三政党MDMが選挙に勝利しています。つまり、FRELIMO市政は反対されたということ。日本の外交関係者らは、何故かまことしやかに、「何度も投票が行われ、投票率がすごく低い状態(20パーセント台)で行われたため野党に有利に働いた」というのですが、これは民意を否定するもの。なんか、与党が勝てば「民意が示された」と主張し、野党が勝てば「といっても一部の意思」あるいは投票率を問題にする・・・・日本と同じですね。

そもそも、ナンプーラ市でMDMが勝利したことの背景。
●歴史的にFRELIMOが弱い地域
●初回の投票用紙が与党に有利に作成されるなど政府や選管への不信感
●都市では、動員力が大きい(行政・学校・病院などの機関の職員は全員与党の党員カードを取得させられている)FRELIMOこそが有利のはず。日本の選挙でも、「組織票」がいつも低投票率の際に決定的に重要。しかし、公的に動員ができるFRELIMO候補者が落選。
●つまり、3回投票を重ねるうちに、組織的動員を回避することは容易になり、本当に政治を変えたい人だけ(真の投票者)が投票に行った。FRELIMO党員カードを持っている人ですら、FRELIMO市政を望んでいたわけではなかった。

ということですね。
日本の選挙分析でもされないような、「低投票率は野党に有利」ということを、日本の外交関係者らが平気で口にすることが、今のモザンビーク情勢の把握のおかしさ、日本・モザンビーク関係が本来望ましい方向にいかない決定的な理由でもあります。

つまり、物事の理解をすべて自分たちの「現政権とのコネクション堅持=資源・援助」という論理でしかみられない。。。。。。狭い関係者らの思い込み、思い付きの理解ばかりが、流布され、検証もされないまま、まことしやかにぐるぐる回る・・・・かつて、UNACを野党だ、一団体だと言い張ったように。

そしてこれも言われていないことですが、深刻なことに、ナカラ回廊沿いにあるプロサバンナの対象地でもあるナンプーラ州のムルプーラ郡(調査団でも調査に行ったモゴヴォラス郡のすぐ横)で機動隊による一般市民3人の殺害がありました。そして人権リーグが国に対し、調査を求めています。すべて同じ銃弾での殺害だったそうです。レナモだといって殺されたようですが、詳細は不明で、少なくとも狩りの一般市民も含まれているようです。

■Vítimas de fuzilamento em Murrupula exumadas
http://www.verdade.co.mz/nacional/43301-vitimas-de-fuzilamento-em-murrupula-exumadas

どこで衝突が起きているかは、以下の地図で確認が可能です。
http://www.verdade.co.mz/

なお、誤解をされてもいけないので。
私は、援助のすべて、人材育成のすべて、農業支援のすべて、投資のすべて、に反対なわけではありません。当然ながら。そのいずれもを、モザンビークで20年にわたって実践してきました。もちろん、とってもとってもミクロな規模で。トライアル&エラーのなかではありますが。

問題は、何故やるのか。

もうこれに尽きると思います。Win-WInって聞こえはいいけれど、本当はとても難しいこと。中国の互恵関係と日本のwin-winは同じノリなんだけど、要は我々も設けないのであれば、あなたたちと関係結びません・・・ということなんです。

民間である以上しかたない・・・そりゃそうだけれど、実は本来は「儲け」は後に来るはずなんです。win-winにも順番(優先)があるはず。そこが見えなくされているから大問題。またこrもいつか書きます。ここが、実はすごく偏っていることを見破られているから、モザンビーク市民社会は怒ってのです。

ということで、何故何のためにやるのか・・・という問いが考え抜かれ、共有され、合意されなければならないおですが、御多分に漏れず日本のあらゆる政策や行為において「何故何のため?」という一番根っこの部分は、最後に回される傾向にあります。だから、上手くいかないすべての責任もまた曖昧にされる。あるいは、問題があっても止められないまま続いてしまう、のでした。

だから、目的が明確になるのが大前提。
その上で、誰とやるのか。
とすると、何をどうやるのか。
だから、いつやるのか。
ひと様の社会で何かをやる以上、当たり前ですが・・・。
[PR]
# by africa_class | 2014-01-17 23:05 | 【情報提供】モザンビーク

【紹介】『ProSAVANA市民社会報告2013ー現地調査に基づく提言』【暫定版】が昨日発刊

補足です。下記の報告書ですが、なんと二つあわせて7千回のダウンロードとなっているそうです。この業界的には、すごいベストセラー状態(!)。ぜひ、ご一読ください。

===========
1枚に2頁を掲載した縮小バージョン
http://www.arsvi.com/i/ProSAVANA_findings_cso_tentative_s.pdf
フルバージョン
http://www.arsvi.com/i/ProSAVANA_findings_cso_tentative.pdf
===========

昨日、9月から延々と日本のNGO・研究者で取り組んできた報告書が完成し、既に発表されています。10月末の発刊予定でしたが、一次資料・二次文献の議論の採り入れ、先行研究との比較、フォローアップ調査(マプート・ナンプーラ、12月4日ー6日)も含めた結果、かなり時間がかかりました。

とても実証的で中身のある報告書になったと思います。
ぜひご一読下さい。

要約が送られてきたので以下に貼り付けてあります。
http://mozambiquekaihatsu.blog.fc2.com/blog-entry-73.html
是非併せてお読みください。

================
2014/01/15 
ProSAVANA市民社会報告2013ー現地調査に基づく提言【暫定版】
http://www.arsvi.com/i/ProSAVANA_findings_cso_tentative.pdf
================

目次
本報告の狙いと構成1
プロサバンナ事業とは?1

第1章 現地調査の目的・手法・背景3
1-1. 現地調査の目的3
1-2.現地調査の手法3
1-3. 調査対象(地・組織・人)のデータ4
 1-3-1. 対象地4
 1-3-2. 調査対象組織・人9
1-4. 現地調査に至るまでの背景12
 1-4-1. プロサバンナ事業の背景と概要・特徴12
 1-4-2. モザンビークにおける土地問題の悪化と市民社会の懸念13
 1-4-3. 現地農民・市民社会組織による抗議の声14
 1-4-4. 日本やモザンビークの市民社会と日本政府・JICAとの対話14
 1-4-5. モザンビーク・日本政府の説明15
 1-4-6. ProSAVANA-PDレポートのリークと23組織の「緊急停止」要求15
 1-4-7. 「公開書簡」後のモザンビーク市民社会関係者への圧力20
1-5. まとめ20

第2章 モザンビーク北部の土地争奪の現状とプロサバンナ事業21
2-1. 土地争奪・収奪(Land rush/ land grabbing)の現状21
 2-1-1. 土地収奪の現状21
 2-1-2. 現地調査で明らかになった現状とその背景分析25
 2-1-3. 事業対象地に見られるアグリビジネスによる大豆生産と小農の生産27
 2-1-4. プロサバンナ事業を踏まえた考察28
  (a) マスタープラン策定事業にみられるアグリビジネスへの土地提供の狙い28
  (b) プロサバンナ対象地拡大にみられたブラジルの狙い30
  (c) プロサバンナ事業のQIPsにみられる大土地獲得の志向31
 2-1-5. プロサバンナ事業が土地を巡るものになった背景~日本政府の役割32
  (a) プロサバンナ事業に関する3か国合意文書(2009年9月17日)32
  (b)プロサバンナ事業の締結前夜の状況33
  (c)プロサバンナ事業に関するJICAのサイト37
 2-1-6. モザンビークにおける大農とは誰か?41
  (a)統計:モザンビークにおける農家の規模41
  (b)モザンビークの「大規模な農地」取得者とは?42
  (c)プロサバンナ事業の「大農」は誰なのか?43
 2-1-7. プロサバンナ事業による地域住民の土地収用と移転可能性43
  (a)マスタープラン策定レポートにみられる住民の権利擁護の意識の欠如43
  (b)モザンビーク政府に丸投げされた責任と日本援助におけるガバナンス問題45
2-2. 土地登記の実施状況と課題45
 2-2-1. 土地登記の現状46
  (a) DUATとは?―現在の土地登記範囲を超える土地の権利46
  (b)「将来的な」土地利用の可能性と阻害要因としての「デマケーション」46
 2-2-2. 現地調査で明らかになった分析と背景50
 2-2-3. プロサバンナ事業を踏まえた分析51
2-3. 本章のまとめとプロサバンナ事業への示唆53

第3章 プロサバンナ関連事業(PDIF・QIPs、その他事業)の実態55
3-1. PDIF(第一期)の実施実態 (契約栽培を中心に)56
 3-1-1. PDIFとは何か56
 3-1-2. 調査結果・分析・検討58
  (a) 調査結果のまとめ58
  (b) 契約栽培における小規模農家への高いリスクの軽視59
  (c) 大規模な農地を囲い込む企業を「小農支援」のため融資するPDIF60
  (d) 創り出される主従の関係~PDIF融資先社長夫人と契約農民の会話から61
  (e) 比較研究で示される契約栽培の問題とプロサバンナ事業の課題62
3-2. PDIF(第一期、第二期)の実施実態(アカウンタビリティーを中心に)62
 3-2-1. GAPIとIKURU:アカウンタビリティー問題62
 3-2-2. 第二次募集をめぐる不透明性の問題63
 3-2-3. 協同組合のケース:知らないままのレポート記載と「QIP=PDIF」の実態64
3-3. クイック・インパクト・プロジェクトの実態65
 3-3-1. クイック・インパクト・プロジェクト(QIPs)とは何か65
 3-3-2. 調査結果・分析・検討66
  (a) 公共セクタープロジェクト 「中規模・大規模投資のための土地バンク計画」67
  (b) 民間セクタープロジェクト68
3-4. 本章のまとめとプロサバンナ事業への示唆69

第4章 モザンビーク農業をめぐる議論と小規模農民の営みと展望72
4-1. 農業政策の推移と繰り返される国家主導型政策の失敗72
 4-1-1. 農業政策の推移~上からの政策、農民らの主体的な抵抗・離脱・組織化73
  (a)植民地末期の小農重視の農業政策(1950年代後半-1974年)73
  (b) 政府主導型共同村・協同組合生産方式の失敗と新たな試み(1977-87年)73
  (c) 和平後の主体的な生産努力(1992年-)、主体的な組織化の兆し74
  (d) PROAGRI(1999-2004年)の失敗~対立する利害と小農軽視75
  (e) バイオ燃料作物栽培奨励の失敗:ジェトロファ&サトウキビ77
  (f) 投資偏重の国家政策PEDSA-PNISAへの農民らの懐疑79
  (g)ローカル・レベルの開発基金FDD政策と上意下達体制の農村部での構築80
 4-1-2. 小農の主体的な組織化と土地の私有化促進への抵抗83
  (a) 小農の主体的な組織化83
  (b) 権利擁護のための下からの農民組織化と1997年土地法策定84
  (c)2001年の土地私有化への揺り戻しと農民の抵抗87
4-2. グローバル・レジュームによる農業政策への介入の課題と抵抗88
 4-2-1. G8ニューアライアンスによる土地とタネの独占並びに内外の批判88
 4-2-2. G8ニューアライアンスに狙われるタネ91
  (a)種子をめぐる国際的議論と政策・国際条約92
  (b)「食料安全保障」言説の問題と「食料主権」の重要性95
  (c) 日本の援助にみられる「食料安全保障」概念の問題~PRODECERの事例97
  (d)日本がすべきでないこと、すべきこと99
4-3. 小農世界と自律的発展、そして政策的選択100
 4-3-1. 小農の自律的な発展を実現する政策とは100
  (a) 土地法と小農の権利100
  (b)UNACにおける意思決定プロセス102
 4-3-2. モザンビーク農業・食における小農世界103
 4-3-3. モザンビークにおける食の多様性と「食の主権」104
  (a)プロサバンナで語られる「食料安全保障」104
  (b)統計に表されない北部農村の食と農の世界106
  (c) 豆類・穀類・イモ類の豊かさ107
  (d) 高い栄養価を誇る在来作物(穀物・豆類)109
  (e)豊かな自然が提供するタンパク源と家族養鶏の重要性113
  (f)「飢え」を緩和する野生の果物・キノコ116
  (g)換金作物にもなる穀物、果物、野菜、その他119
  (h)市場化されない「葉物」の重要な役割119
  (i)「食料安全保障」概念の限界と「食料主権」120
4-4. モザンビーク北部小農の農的営み121
 4-4-1. 暮らしの中の農と食、リスク分散の重要性121
  (a) アフリカにおける暮らしの中の農、リスク分散の重要性121
  (b) 農民の主体的取り組みに関する先行研究122
  (c) 各作物の多様な品種と食との関係(キャッサバ、サツマイモ、モロコシ、トウモロコシ)123
 4-4-2. 地域で営まれる農の創意工夫125
  (a) 畑での多様な作物・種の活用125
  (b) モザンビーク北部小農にとっての「よい土地」の重要性126
  (c)どのように農民は「よい土地」を見つけているのか126
  (d) 民族土壌学的知見からの妥当性127
 4-4-3. アグリビジネスに狙われる農民の「よい土地」とプロサバンナ事業の問題129
4-5. 調査で明らかになった小農の農的営みと将来展望130
 4-5-1. 小農自らの内発的発展の試み130
  (a)モザンビーク北部小農の多様な生産努力130
  (b)政府のエクステンション<農民同士の学びの重要性133
 4-5-2. 小農自らが語る将来展望と「支援」のあるべき姿135
  (a)されるべきではない支援135
  (b)家族農業支援のための国家計画を政策として実現するための支援137
  (c)どのような中身の支援が求められているのか?138
  (d)農民のアソシアチズムを応援する139
  (e)農民による内発的な共同生産の試みを応援する142
4-6.本章のまとめとプロサバンナ事業への示唆~これまでの農業に「挑む」プロサバンナの課 題143
 4-6-1. これまでの農的営みの否定143
 4-6-2. 小農に及ぼすリスクに関する配慮や記述の欠落と農民らの不安143
 4-6-3 プロサバンナに欠落する女性/ジェンダーの視点144
 4-6-4. 権力関係の分析の不在と小農の権利はく奪145
 4-6-5. 農民の主権を中核に据えた政策形成の支援145

第5章 モザンビークの農民・市民社会の参加とコンサルテーションの実態149
5-1.何のためにコンサルテーションを行うのか?149
 5-1-1. 当事者の自決権と意思決定プロセスへの参与の権利149
  (a)JICA環境社会配慮ガイドライン~適切な合意形成・意味のある参加149
  (b)国際人権規約~人びとの自決権・天然の資源への固有の権利150
  (c)受益国への適応151
  (d)自由権規約19条~現地ステークホルダーの情報アクセスへの権利152
 5-1-2. FPIC (自由意思に基づく、事前の、十分に情報を与えられた上での合意)153
  (a)FPICからみたプロサバンナ事業153
  (b)進むFPICの国際規範化とプロサバンナ事業への示唆155
 5-1-3. JICA環境社会配慮ガイドラインに基づく点検156
5-2.プロサバンナ事業における当事者の参加とコンサルテーションに関する認識157
 5-2-1. 全国組織並びに「三カ国民衆会議」出席者らの声(首都)157
  (a)三カ国民衆会議(2013年8月8日)での声157
  (b)モザンビーク政府・プロサバンナ事業のアクターからの圧力159
 5-2-2. 北部での聞き取り結果(各州全体のレベル)160
  (a) ニアサ州全体で活動する農民組織・市民社会組織(リシンガ市)160
  (b)ナンプーラ州全体で活動する農業・農村開発市民社会ネットワーク162
  (c)カソリック教会の危機感と土地委員会の結成163
  (d) ザンベジア州グルエ郡都全体の農民組織代表164
5-3. 現地調査で明らかになった現状の背景と分析165
 5-3-1. 農民・市民社会・宗教組織の参加・コンサルテーションの実態166
  (a) 第1回ステークホルダー会議にみられる「形式的な参加」172
  (b)現地農民・市民組織に危機感をもたれた官民投資合同ミッション173
  (c)マスタープラン策定とコンサルテーション173
  (d) UNACによるプロサバンナ事業に関する調査と抗議声明175
  (e) プロサバンナ開発基金 (PDIF)と連携先「農民組織」の実態176
 5-3-2. 全国最大農民組織UNACのコンサルテーションからの排除とそのプロセス178
  (a) 2012年10月抗議声明への日本政府・JICAの反応180
  (b)UNAC下部組織UPCN(ニアサ州農民連合)のJICAセミナー招へい180
  (c) UPCN帰国後のモザンビーク社会の受け止めと「公開書簡」182
  (d)プロサバンナ事業の「対話プロセス」から排除されるUNAC183
 5-3-3. PPOSC-Nによる協議のボイコットとコンセプト・ノートの問題187
  (a) PPOSC-Nによるボイコット187
  (b) いつの間にか作成されていたコンセプト・ノートと断行される「討論会」188
  (c) コンセプト・ノートの問題と悪化するモザンビークの人権・政治状況189
 (d) 再び悪用される「対話」と「対話の強要」190
5-4. 農村部でのコンサルテーションの実態191
 5-4-1. 農村部での聞き取り調査結果192
  (a)農村部(マジュネ郡)192
  (b)農村部(リバブエ郡、メグブリ郡、ナンプーラ郡)195
  (c)農村部(グルエ郡リオマ地区)196
 5-4-2. 現地調査結果のプロサバンナ事業への示唆198
  (a)大多数の農民に届かないプロサバンナ事業のコンサルテーション198
  (b)一貫性のない矛盾する説明、開示されない報告書や資料199
  (c)モザンビーク北部農村におけるプロサバンナ事業の政治性199
  (d)「賛成する農民・団体もいる」との説明への現地市民社会の反論201
5-5. 本章のまとめ201
 5-5-1. 返答なきままの「公開書簡」と信頼醸成の失敗201
 5-5-2. 切り離されるナカラ・ファンドとG8ニューアライアンスとその実態と利益相反201
 5-5-3. JICA環境社会配慮ガイドラインにもとづく点検・評価206
 5-5-4. 日本での対話の蓄積207
 5-5-5. 「JICAの意志決定」と当事者との合意208

結論と提言(緊急声明)210
「プロサバンナに関する緊急声明」(2013年9月30日)213
参考文献一覧217

報告書に使われている写真(調査に同行した写真家の提供)
peter steudtner - panphotos
a0133563_11114100.jpg

a0133563_1113981.jpg

[PR]
# by africa_class | 2014-01-16 03:27 | 【考】土地争奪・プロサバンナ問題

卒論発表会2013年度(1月21日14時30分~)@外大

今年も素晴らしい卒業論文が揃いました。
年末は特に私も家族も卒論にうなされましたが、11名の力作です。
大半が多数の英語や原語の文献、そしていくつかは現地調査に基づくものです。
「問い→仮説→実証→結論」の手順を踏まえた、チャレンジ論文。
それぞれらしい、「魂」のある論文ばかりとなりました。

発表会を来週火曜日に行います。
ぜひ、起こし下さい。

==========================
アフリカ政治経済ゼミナール 卒業論文発表会2013
==========================

■2014年1月21日(火曜日)14時30分~17時30分
(*途中出入り自由です。延長が予想されます)
■東京外国語大学(府中キャンパス)研究講義棟1階100教室
■学内:参加自由、学外者:事前にご連絡下さい。
africa.semiar<@>gmail.com
■Peer education/reviewを採り入れているので、聴衆にも評価に加わって頂きます。

【農業】
○「構造調整後の小農支援政策の小農に対する影響―マラウイの事例から―」
○「日本の女性農業者の地位向上の歴史と残された課題」
○「サブ・サハラアフリカの農民組織形成の背景とその役割
―モザンビークの農民運動ネットワークの事例から―」

【経済】
○「ナイジェリア映画産業の課題―ノリウッドの事例から―」
○「南アフリカにおける中国製品流入の影響―繊維・衣料産業の事例から―」

【政策】
○「ジェノサイド後のルワンダにおける経済政策の有効性―コーヒー産業の事例から―」
○「ルワンダにおける健康保険の拡大ー政府の貧困削減政策に注目して」

【紛争】
○「コートディヴォワール共和国で2002年に内戦が起こった原因―市民社会を中心に考える―」

【教育】
○「カメルーンにおける二言語公用語政策の役割ーバイリンガル教育を切り口に」
○「レソトにおける高学歴失業ー外部依存の雇用と教育のミスマッチ」
○「アフリカにおける中等教育の課題―ガーナ共和国を事例に―」
[PR]
# by africa_class | 2014-01-16 02:57 | 【大学】アフリカゼミ(3・4年)

【緊急】安倍・ゲブーザ共同声明への批判声明プロサバンナ主要地ナンプラ州2百市民社会組織

安倍総理の訪問、モザンビーク大統領との共同声明に、かなり強い批判が、プロサバンナ事業の主要対象地(19対象郡の内10が集まる)ナンプーラ州市民社会プラットフォーム(PPOCS-N)から今日付けプレスリリースでされています。

現地ではこの訪問の最中も戦闘が続き、戦闘は中部から南部へ拡大し、イニャンバネ州の一部地域では住民がパニックに陥っており、野党政治家が一昨日に暗殺されています。

【日本語訳が届いたのでそれを貼り付けます】
■ポルトガル語原文は→
http://farmlandgrab.org/post/view/23026
■英語文は
http://farmlandgrab.org/post/view/23022-nampula-civil-society-rejects-japan-mozambique-accord-demands-response-to-open-letter-on-prosavana

同プラットフォームはナンプーラ州の200を超える市民社会組織、農民組織、コミュニティ組織、宗教組織の連合体で、これまでプロサバンナ事業関係者らが、「事業パートナー」にしたいと願い、何度も対話を要請してきたネットワークです。

今回、UNAC(全国農民組織)ナンプーラ支部もこのプレスリリース起草に関わっているようです。

現在、ナンプーラ州の農村部では、同プラットフォームの反対により、「対話」は行われておらず、これは「公開書簡」への返答がなく、この間の情報操作や分断工作が酷く(9月30日プレスリリース参照)、かつ9月に出されたコンセプトノートが酷いものだったから・・・とのことでした。しかし、これについて、外務省・JICAは、「対話は進んでいる」の一点ばりでした(第6回、第7回意見交換会)。

その事の意味を無視したまま行われた今回の共同声明への不信感が募っているようです。
いずれにせよ、以下原文(ポルトガル語)です。

かなり強烈です。真剣に怒っているようです。
ナンプーラは最も政府からの圧力が強い場所で、かつこのプラットフォームには沢山の政府系の組織が入っています。それでも、ここまで・・・書いています。
身の危険を顧みず書かれた声明であることが分かります。

●日本政府の「寛大な支援」は、我々の意見では、コロニアリズムの継続である・・・とあります。
●最後に、再度の「公開書簡」への返答と、家族農業セクターの真の強化、キャパシティビルディングのためのプログラム、効果的な支援を、要求しています。

安倍総理・ゲブーザ大統領の声明や二国間協定
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/page3_000615.html

========================
ナンプーラ州市民社会組織プラットフォーム
日本国安倍晋三首相のモザンビーク訪問に関するプレス・リリース

ナンプーラ市民社会プラットフォームは、2009年に課題ごとの、また分野横断的な市民社会組織(CSO)の共同の取り組みのための調整機関として、さらには州の発展につながる取り組みに向けた公共セクター並びに民間セクターとの交流を推進するために設立された。

わが国は、この1月11-12日(土・日)に日本国安倍晋三首相の訪問を受け、メディアの注目を浴びた。そしてメディアが最も注目したのは、インフラストラクチャーおよび農業開発プロジェクトに向けた6億7200万USドルの借款供与の表明であった。その見返りとして、日本国首相はモザンビーク政府へ日本の民間セクターによる投資をサポートすることを求めた。2人の首脳は、ナカラ回廊におけるProSAVANA農業開発プログラムを称賛した。しかし、ProSAVANA事業に対するこの見方は、このようなプログラムの結果として、土地の権利の保障・食料主権・栄養の安全保障・地域コミュニティの文化的統合が脅かされ、環境そして将来世代に影響が及ぶことを指摘し強く警戒の声を挙げてきた、UNACに結集するナカラ回廊の農民組織、各地の市民社会組織および研究者たちの見方と衝突する、と我々は考える。

現在の商品作物のモノカルチャー(単一)栽培を基本とする新自由主義的な農業のあり方が引き起こす被害を念頭に置き、次の点を指摘する。

2013年6月、モザンビーク、ブラジル、日本の国家首脳に対し、ProSAVANA事業の停止と再考を求める公開書簡を送ったが依然返答はない。

ナンプーラ州において市民社会プラットフォームは、農業省州事務所により提供されたProSAVANA事業のコンセプト・ノート分析の結果として、このコンセプト・ノートを拒否した。また、このような特定の方向性で書かれたコンセプト・ノートではなく、農民組織との参加型の手法による協議に基づき、市民社会および専門家や研究者も交え、コンセプト・ノートのドラフトが作成し直されるべきであると勧告してきた。

この分野において経験を積み知識と見識に基づいてこのプログラム(ProSAVANA事業)に対して提言および批判を行ってきた著名なモザンビーク人研究者たちに対し、何の注意も配慮も向けられてこなかった。

我々は、日本の「寛大な支援」は、今なお続く植民地主義の表れであり、6億7200万USドルを提供し活用させることによって、モザンビークにおける国際資本の利益を擁護することをもくろみ、他方では負の影響へ注目を促す全ての試みを見えないものにしようとしていると考える。

したがって、我々は、今回の来訪にあたって結ばれた両国首脳と政府による協定も宣言も認めることはできない。改めて、「公開書簡」への回答を要求するとともに、家族農業セクターを真の意味において能力向上させ、強化し、効果的に支援するプログラムの策定と実施を求めるものである。

ナンプーラ市 2014年1月13日   
ナンプーラ州市民社会組織プラットフォーム
(翻訳、アフリカ日本協議会 斉藤龍一郎)
[PR]
# by africa_class | 2014-01-13 23:24 | 【考】土地争奪・プロサバンナ問題

〚紹介〛現地NGOから安倍総理訪問についての非難声明。英語版。

以下、届きました。
急ぎ共有しいます。長いため未だ完全に読めていません・・・。

Position of ADECRU on the Visit of Prime Minister of Japan in Mozambique


The Japanese Prime-Minister is officially visiting Mozambique in the next days from 11th to 13th of January 2014. According to the presidency of Republic of Mozambique through the press release circulated on 24 December 2013, the visit will focuses on the assessment of the political and diplomatic relations between the two countries, besides identifying new ways towards a consolidation. By the same way, as it mentioned in the press release, some judicial instruments and cooperation agreements in the education, energy and agriculture area will be celebrated.


The academic action for the development of Rural Communities – ADECRU denounces and strongly rejects the dangerous and imperial agenda of visit of the Japanese prime-Minister, Shinzo Abe, and the Japanese foreign policy for Mozambique and Africa, masked in diplomatic maxim “enforce and consolidations of political and friendly relations between the two people, supposedly, brothers” and translated into programs like ProSavana and New Alliance for Food Security and Nutrition in Africa”. In that which is the first expansionist visit of high level from a governor of that Asiatic country to Mozambique, Shinzo Abe will also visit Ethiopia and Ivory Coast, two African countries curiously covered by the so-called “New Alliance in Africa”.


On the contrary, the final version released by Mozambican authorities, the visit of the Niponic Prime Minister in our country, together with 50 enterprises, must be seen in a large context of operationalization of the last and violent phase of effective structural adjustment of 21th century. Through the historic reasons behind the deafest suffered in the second world war and, nowadays, the hegemonic dispute in the Asia between Japan and Chine, this country is been obligated to change its policy and foreign agenda that during decades contributed for the development of agriculture and other sectors of Mozambique, turning over to serve imperial interests of the United State and other potencies.


Nowadays, the niponic authorities turn to be “bodily agents and global imperialism advancer agents” in the context f current process of penetration, occupation and domination of African continent which consist precisely in corporative capture and colonial subjugation of the continent and African people with the new effective front of attack against their sovereign, cultural diversity and biodiversity, transforming African in an open mercantile platform for the entry and free circulation of seed genetically modified and of great transnational corporations of extractive industry and agribusiness, owner of global food industry.


The dangerousness of Japanese policy and presence in Mozambique and in Africa, in the last 10 years, is expressed and translated in its humiliating subjugation and colonial alliances with G8 countries and agencies namely: World Bank, United nations for Agriculture and Food (FAO) World Food Program, Japanese International Cooperation Agency (JICA), United Sated Agency for International Development (USAID), Found for transnational cooptation for Agribusiness such as: Cargil, Itochu, Syngenta, Monsato, Yara, African Cashew Iniciative, Competetive African Cotton Iniciative, Corvuns International, AGCO, Nippon Biodiesel Fluel co.Idt, Vodafone, SAMBMiller and many others.


Japan is an officially member of a group of 8 countries colonially regarded as the most developed countries in the world known as G8, where also integrate the united State, Germany, France, Italy, Netherland and Russia. the G8 in convince with the government of Mozambique, giants transnational cooperation and multilateral financial institutions above mentioned are implementing an agricultural program so-called “New alliance for Food Security and Nutrition in Africa”.

The new Alliance stems from an agreement signed by some countries and financial institutions and multilateral organizations international in 2009 at the G8 summit of L’Aquila, Italy, after having been presented for the first time by the Government of the united State of America, under the leadership of President Barack Obama with this initiative, the G8 argues that want to cooperate with African government to release 50 million Africans in poverty, 3.1 million of which in Mozambique between 2012 and 2011. Six African countries, of the 20 planned have already joined the New Alliance: Burkina Faso, Ivory Coast, Ethiopia, Ghana, Mozambique and Tanzania.


In Mozambique the operationalization of the New Alliance for Food is under the leadership of the World Bank, World Food program, Japanese International Cooperation Agency (JICA) United State Agency for International Development (USAID) and major transnational corporation of Agribusiness such as: Cargill, Itochu, Syngenta, Monsato, Yara, African Cashew Initiative, Competitive African Cotton Initiative, Corvuns International, AGCO, Nippon Biodiesel Fuel co.ldt, Vodafone, SAMBMiller, etc. The strategy of the entry of the “New Alliance in Africa” is based on capture of the program of comprehensive Development of Agriculture in Africa (CAADP), with the aim to give some legitimacy to the action of G8. In Mozambique this intervention is supported by the argument to align the financial and technical support of countries member of the G8 for agriculture in Mozambique with priorities of Investment Plan of the CAADP of the country, referred as National Plan of investment for Agrarian Sector (PENISA)


In an colonial triangular partnership contested by respective people, the Japan is also under leadership of implementing other giant agribusiness program so-called ProSavana Program, launched, officially, in April 2011 which stems from a triangular partnership of the government of Mozambique, Brazil and Japan with the objective of, purportedly, promoting the development of agriculture in the tropical Savannah of Nacala corridor, in the north of the country.


The ProSavana program is in the process f running through the component

“Quick Impact Projects” without any public discussion, presentation and approbation of the environmental assessment impact, one of principal and indispensable demands of Mozambican legislation for the implementation of such kind of project, normally, given the category A”, as denounced in open chatter, by Mozambican civil society in May in Toquio (TICAD V).


Through the 5th Annual General Assembly, held in December last, on the advance of agribusiness and the impact of expansion of monocultures of trees in the Niassa, Manica, Nampula, Sofala and Zambeze provinces, ADECRU concluded that the current policies and agrarian programs and of development of Mozambique like ProSavana and New Alliance for Food Security and Nutrition are responsible for expropriation land grabbing, human rights violation, the violence and criminalization of members, communities leaderships and movements and social organizations that denounce and reject. By the same way, ADECRU give responsibility to the government and Japanese State for the increased pression on land, imminent risks of resettlement of people and destruction of their livelihood, to access water, cultural patrimony and other socio environmental conflict particular caused in the Corridor Development of Nacala.


“The right to land is not associated with valorisation of different ways of living and producing” in the communities acknowledging the contribution of people and rural communities which have given the conservation of ecosystems and biodiversity; the recognition of natural resources as good and collective patrimony for currents and on coming generations . We argue and reaffirm that the right to land, water, healthy, education, housing, and safe food are sprightly linked, and the government and the state are the principal guarantor.


We warm for the dangerousness of imperialist programs like ProSAvana and New Alliance that will destroy the peasant systems of cultivation and the pluriactive character of famer families. The Nacala Found and New Alliance for Food Security and Nutrition from G8 while instruments operators of ProSavana, represent a destruction of peasant agriculture. The silence of the government of Mozambique, Brazil and Japan on the answers of legitimate and sovereign demand from the rural communities of Nacala corridor, from peasants, social movements and civil society organization of Mozambique, Brazil, Japan is alienation and capture of the people sovereign.


The Academic Action For the Development of Rural Communities – ADECRU, denounces and rejects the implementation of ProSavana and the so-called New Alliance due the following reasons:
· The policy outlined to “save” Mozambique and whole Africa represent an imperialist imposition, drawn up in the major centres of decision-making and neo-liberal and neo-colonialist alliances.


· The bases, founded and the strategies of the pact doubly harmful ProSavana and new Alliance send us back to the colonial past slavery in which Mozambique and Africa have remained for over 500 years of domination and oppression, therefore paving great huddles for realizations of human rights, social and environmental.


· The ProSavana and New Alliance represent the most abusive and aggression ways of exploration and return in Mozambique of mercantilist cooperation, hidden assumptions in philanthropic to liberate Africa from famine and misery, ignoring the failures of several initiatives of genus implemented in the past by the same multilateral agencies and imperialist potencies.

· The poSavana and New Alliance fosters and eases the reform of the legal framework on the land, bringing in the renting of land and subsequently its privatization under the pretext of improving the transparency and efficiency in administration and policy of land, legitimizing the land grabbing, seculars patrimony and means of sustaining of the communities and people.

· The ProSavana and new Alliance speeds up the issue of rights of use and utilization of land (DUATs) through the elimination of communities consultations to promote the investment of Agribusiness.


· The ProSavana and New Alliance force the change of national policies on fertilize rand seeds to enable entry of Genetically Modified Organism (GMOs) and certification of the same by multinational such as Mansato;


· The Japan and the G8 through it cooperation and agencies, want ensure the control of the principal geostrategic and agroecological regions of Mozambique, in possession of more than 70% of the potential of natural wealth and subsoil of the country, located in the Corridor of Development of Beira, Nacala and valley of Zambezi’


· The priority of ProSavana and New Alliance is to attend the private companies, national international major producers of commodities and banks with a focus in the corridor of development to make them regions of flow of capital and export of primary products of global markets, deepening this way the serious problems related to land grab, involuntary displacement and resettlement of millions of people, environmental degradation and socio-environmental conflicts.

· The Prosavana and New Alliance will fatally contribute to great impoverishment of the population and rural communities; by require the extensive and intensive use of land, water, energy and mechanization alienated.


· The ProSavana and New Alliance are constitutive parts of the decisive step of improvement and continuous strengthening of the strategy for the implementation of the structural adjustment policies on the Africa continent. its conception and matrix are directly linked to the development model adopted by Mozambican Government, which prioritizes the attraction of Foreign Direct Investment (FDI) and large projects at the expense of internal investment and interest of large majorities of farmers and rural communities, that is why the Academic Action For The Development of Rural Communities (DECRU) Argue:


· That the African people are capable of being authors and protagonist of policy for its self-using development and that respond to the priorities, dreams, aspirations and theirs requirements.

· Which African countries increase the budget of the State for the agricultural sector by more than 10% in compliance with Maputo Declaration of 2003.


· That the Mozambican Government prioritizes the food sovereign, sustainable agriculture and agroecology as the solutions sustainable for the reductions of hunger promoting proper nutrition.

· That the Mozambique government adopts policies for agricultural sector focused on support to agriculture peasant, whose priorities are based on access to rural credit, public services of agrarian extension, micro-systems of irrigation and valorisations of native seeds and resistant to climate changes, rural infrastructures connected to the creation of productive capacity and policies of supporting and encouragement to rural marketing.


· The suspension of current process of reform of the legal framework on land. Seed and fertilizer headed by the World Bank and JICA; The urgent detention of ProSavana e New Alliance in Africa.
· That the land is not privatized regardless of the circumstances and pressures that are to be exercised on the Mozambique government, since the land represent the major conquest and the main patrimony of the Mozambican people.



ADECRU demand that the President Armando Emilio Guebuza and the Japanese Prime-Minister, Shinzo Abe, announce publically, in Maputo, the detention of ProSavana and the New Alliance as answer to the legitimate and sovereign demands of people of Mozambique, Brazil and Japan. that the prime minister of Japan assume, publically, all responsibilities for the harmful consequences of currents Japanese programs which promote the land grabbing, destruction of patrimonies and the livelihood of the communities in the Corridor of Nacala. We also demand that to two head of States to set up a broad mechanism of democratic dialogue and both member of the government should be criminally responsible for promoting actions of manipulations and intimidation to activist, leaders of civil society organizations and social movement that are against ProSavana and New Alliance.


Acknowledging the weakness and connivance of African and the institutions of Mozambique Government to cope with this onslaught of the government of Japan and G8 against the sovereign of the people, the Academic Action for the Development of Rural Communities (ADECRU) convokes all the movements of peasants, environmental and social, rural communities, people of the good and people of the whole Africa for a broad mobilization, organization and constructions of national popular movement and continental to fight in defence of their rights and interest relating to c and control of land, water, goods and cultural patrimonies and common historic. Also, calls for a resistance vigorous and firm all the affected against the “ProSavana and New Alliance for Food Security and Nutrition in Africa” and against all the social and environmental injustices.

ADECRU assume from this moment the commitment to use all national and international indispensable legal means to break dawn the implementation of ProSavana and New Alliance in Mozambique. We reaffirm our unconditional engagement for the imperious priority of harding the fight in defence of land and natural resources while patrimonies of people, for the genuine agrarian reform and for guarantee and protection of communities, population and peoples’ rights.


Maputo, 09th de January de 2014

ADECRU
[PR]
# by africa_class | 2014-01-11 00:44 | 【考】土地争奪・プロサバンナ問題

【和訳】ガーディアン紙の #プロサバンナ事業 に関する記事。ニトリ社の大土地収用も報道。

ガーディアン紙が元旦にプロサバンナに関するかなり大きな記事を掲載しています。
日本企業のニトリ社の土地収用についても書かれています。

いずれにせよ、以下記事を全文AJFの斉藤さんが訳されていますので、ご活用下さい。

http://www.theguardian.com/global-development/2014/jan/01/mozambique-small-farmers-fear-brazilian-style-agriculture

=========================
Mozambique's small farmers fear Brazilian-style agriculture
Programme to increase crop output by bringing in large-scale agribusinesses is displacing traditional farming populations

モザンビークの小規模農民たち、ブラジル・スタイルの農業に不安
大規模アグリビジネス導入による生産拡大プログラムが在来農業に従事する農民
を住み慣れた土地から追い立てている
========================
Amos Zacarias Nampula, Mozambique, for IPS, part of the Guardian
development network
theguardian.com, Wednesday 1 January 2014 13.00 GMT

モザンビークの高齢小規模農民であるRodolfo Razãoは、2010年に10ヘクタールの土地の公的な使用認可証を獲得したにもかかわらず、7ヘクタールしか使えないでいる。残りの土地は、この国の 北東部で約10,000ヘクタールを使って大豆、トウモロコシ、豆類を生産する南アの企業に占拠された。

彼は、住んでいるナンプーラ州モナポ地区の関係当局に訴えて回ったがどこでも訴えは聞き入られなかった。78歳の彼は、これ以上時間をかけること はできない。

50歳の寡婦であるBrígida Mohamadは、7人の子どものうち一人の土地がとある企業によって侵食されていることに懸念を抱いている。「息子は、どこにも作物を育てる土地がない んです。私たちの畑は売り物ではないのに」、と彼女は、生涯を過ごしてきたモナポの村、NacololoでIPSの記者に訴えた。

これらは、ブラジル(ABC)と日本(JICA)の国際協力機関の後押しを受けている日伯モザンビーク三角協力による熱帯サバンナ農業開発協力プ ログラム(ProSAVANA)に関して小規模農民たちのなかに広がる不安の理由を明らかにすることにつながるケースである。

ブラジルで開発された熱帯農業技術に触発されたProSAVANAは、ブラジルの熱帯サバンナであるセラードと同様の農業に関する潜在力を持つモ ザンビーク中部・北部に広がる1,450万ヘクタールのナカラ回廊での農業生産を拡大することを目指している。

この回廊の450万人の居住者のうち80%は農村部に住んでおり、農業近代化によって人口の多くを失ったブラジルや他の国々の農村部よりもずっと 人口密度を高くしている。

しかし、この回廊のいくつかの地域、人びとが自給農業に頼って散在しそれぞれに平均1.5ヘクタールの農地を耕している地域では、2kmを通って も一軒の家も見ないこともありうる。

キャッサバがこの地域の食事の基本となっている。小規模農民は、また自家消費用にトウモロコシ、カボチャ、ヒマワリ、サツマイモを、商品作物とし て綿花、タバコおよびカシューナッツを作っている。

この回廊をインド洋に面したナカラ港から輸出する農産物の穀倉地帯に転換するという構想が在来農業に従事する農民を追い立てることになる巨大な農 場での大規模な高収量生産を目指す企業を惹きつけ、土地をめぐる紛争が頻発することになると予想される。

Mohamadは、これらの巨大投資者たちがやってきたことは恐ろしいことだ、と言う。彼女は、ProSAVANAによって直接もたらされる変化 だけでなく、このプログラムの影響で加速すると見られる様々な変化に反対している。

ProSAVANAのコーディネーターであるCalisto Biasは、IPSに対して、農民たちが土地を失うことはないと語った。彼によれば、このプログラムの主要な目的は回廊に暮らす農民たちを支援し生産技術 を向上させることだ。

しかし、モザンビークの環境団体・リバニンゴ(Livaningo)の自然資源担当であるSheila Rafiによれば、投資者たちが、新たに地域の人々に企業のために作物を生産するという雇用主−被雇用者の関係を持ち込み、また単一作物栽培によってそれ までの「自給に必要なもの全てを少しずつ作る」というやり方が壊されてしまうことから、地域コミュニティの生活のあり方に混乱が生じると言う。

ProSAVANAのミッションの一つとして、投資とバリューチェーンを活用して就労を増やすことがうたわれている。また、農業省が開設したウェ ブサイトによれば、生産性と生産量を急速に高めるという観点から農業を近代化し多様化することもミッションの一つだ。

しかし、最大の不安、最も脅威となるのは、土地強奪だ。多くの人々が、DUATと呼ばれる土地常用を根拠とした「土地使用権」を獲得することで土 地を守ろうとしている。しかしこの認可証は実際には保証にならない、と地域の農民がIPSに語った。

モザンビークの法律では、全ての土地は国家に属しており、販売したり抵当に入れたりすることはできない。農民たちは、政府に対し最長50年の DUATを申請することができるだけだ。

先月、Nacololoの約250人の農民が地域のチーフの家の周りに集まり、南ア企業Suniが約600ヘクタールの土地を強奪したと語られて いることについての説明を求めた。

ナンプーラ市から230kmのマレマ地区も混乱の最中にある。日本のニトリ・ホールディング・カンパニーといった巨大アグリビジネスがこの地域に 入っている。ニトリは、20,000ヘクタールの土地で綿花栽培をする権利を与えられており、対象地に住む人々はほかのところへ移住することに なっている。

そのほかに、ブラジル、モザンビーク、ポルトガルのジョイント・ベンチャーであるAgromoz (Agribusiness de Moçambique SA)が、10,000ヘクタールの土地に大豆を栽培している。

政府からの情報がないことが、何が起きているのかに関する混乱をさらに大きなものにしている。「我々は、ProSAVANAというプログラムあ ることを、メディアや市民社会組織から聞いているだけだ。政府はまだ我々に何の説明もしていない」とRazãoは言った。

ナンプーラ州小規模農民集団(the Nampula Provincial Nucleus of Small-scale Farmers)代表のCosta Estevãoは、「我々は開発に反対しているのではなく、小規模農民に裨益する政策を求めているのだ。また、ProSAVANAに関する説明を求めてい る」と語った。

2011年に結ばれた、日本の輸入市場とブラジルのノウハウそしてモザンビークの土地を結びつける三者協定はすでに喧々諤々の論議を引き起こして いる。3カ国の市民社会団体が、ProSAVANAを拒否し、あるいは変革を求めて抗議の声をあげている。

ブラジルのCSO・Faseの国際協力担当ダイレクターで、8月にマプトで開かれた「ProSAVANAに関する三カ国民衆会議(the People's Triangular Conference onProSavana)」の主要な参加者であったFátima Melloは、ブラジルは「紛争の最中のモデルを輸出」したいのです、と語った。

食料安全保障にとって重要な家族農業を守ろうとする活動家たちによれば、アグリビジネス、輸出向け単一作物栽培そして巨大企業を優先するこの開発 モデルの行きつくところは、数百万の土地なし農民、農村からの人口流出、苛烈な土地紛争、森林伐採、そしてそれまでになかった殺虫剤と除草剤の使 用だ。

この開発モデルの根幹に、1978年にブラジル中部で開始され今もProSAVANAに示唆を与えているセラード開発のための日伯協力(he Japan-Brazil Co-operationProgramme for Development of the Cerrado)がある。

ナカラ回廊の農民たちに伝えられることになる技術はブラジルからきている。

2011年に始まり2016年まで行われるProSAVANAの第一段階プロジェクトとして、ブラジル政府の農業研究機関Embrapaは、モザ ンビーク農業研究所(Mozambique's Institute for Agricultural Research (IIAM))で農業指導員と研究所スタッフのトレーニングを行っている。

また、ナカラ回廊の農村地区と十分な可能性のある作物を評価するマスタープランおよび指導とモデル提示といった、このプログラムの他の分野におい ても、ブラジル人の参加は必須だ。

「プロサバンナ事業の広がりと大きさは、憲法で我々に保障された情報・協議・参加へのアクセス権の行使という点において、法律を遵守しておらず、 民主的で透明で幅広く深い公衆(農民男女、家族、民衆)との討論を欠いている」と、モザンビークの23の市民社会組織および運動体そして43の国 際的な団体が署名した公開書簡は言う。

マプトで5月23日に署名され、ブラジル、日本そしてモザンビークの指導者たちに宛てらたこの公開書簡は、法の定める環境への影響評価を求めた。

署名者たちは、プログラムの緊急停止、影響を受ける全ての社会セクターとの公的な対話、家族農業とアグロエコロジーの優先そして食料主権に基づく 政策を求めた。

彼らはまた、プロサバンナ事業のために割り当てられた人的資源や資金の全てを、持続可能な「家族農業支援国家計画」の制定と実施に再配分すべきと 言った。

(和訳、アフリカ日本協議会 斉藤龍一郎)
[PR]
# by africa_class | 2014-01-10 19:28 | 【考】土地争奪・プロサバンナ問題

モザンビークで戦闘広がり避難民4千人以上、現地NGOの安倍総理訪問批判声明

モザンビークでは依然戦闘が続いています。
特に新年になってから戦闘が激しくなり、中部から南部に広がってきました。
http://www.verdade.co.mz/
地図をご覧ください。
http://www.verdade.co.mz/tema-de-fundo/35-themadefundo/43065-guerra-alastra-se-para-o-sul-de-mocambique
最新情報はこちら。
http://opais.sapo.mz/index.php/politica/63-politica/28385-homens-armados-da-renamo-controlam-troco-entre-gorongosa-e-vunduzi.html

中部地方のゴロンゴザ郡では、既に4千人の避難民が発生しています。
人びとは嘆いています。(1月9日付)
地元記事「ゴロンゴザの避難民4千人がテント等を受け取る」
”Cerca de 4 mil refugiados recebem mantimentos e tendas em Gorongosa ”
「十分すぎるぐらいに恥ずかしい事態だ。我々は政府に対し、この紛争が終結するよう要請する。犠牲になるのは我々民衆である。二人のリーダーたちがリラックスしている間に!」
http://opais.sapo.mz/index.php/sociedade/45-sociedade/28402-cerca-de-4-mil-refugiados-recebem-mantimentos-e-tendas-em-gorongosa.html
“É uma situação bastante embaraçosa. Pedimos ao governo que encontre soluções para pôr fim a este conflito. Quem sofre somos nós, o povo. Os dois líderes, estão relaxados!”, reclamou.

この最中に、和平について何も声明を出して来なかった3か国の一つ(中国・インド)の日本の首相が、モザンビークに現れます。。。。本当に誰もアドバイスしてあげていないのでしょうか・・・。

モザンビーク社会にどう思われるのか?
と書いている間に、モザンビークのNGOから安倍総理の訪問を批判する声明が届きました。


かなり批判的な内容となっています。
ポルトガル語のままですみません。
訪問を「危険な帝国主義的なもの」と冒頭に表現し、プロサバンナ事業や栄養と 食料のためのG8ニューアライアンスの批判が出てきます。

訳す暇がないので、グーグル翻訳なので英語にすれば読めると思います。
(しかし、、、、長いですね。。。。それぐらい怒ってるんでしょう。)
誰か和訳を・・・。

http://adecru.wordpress.com/2014/01/09/posicao-da-adecru-sobre-a-visita-do-primeiro-ministro-japones-a-mocambique/#more-196

========================
Posição da ADECRU sobre a Visita do Primeiro-Ministro Japonês à Moçambique
9 Jan
========================

O Primeiro-Ministro Japonês, Shinzo Abe, efectua, nos próximos dias 11 à 13 de Janeiro de 2013, uma visita de Estado à Moçambique. Com esta visita, argumenta a Presidência da República em comunicado de imprensa distribuído no dia 24 de Dezembro de 2013, pretende-se avaliar o estágio das relações políticas e diplomáticas entre os dois países além de identificar novas formas para sua consolidação. No âmbito desta visita também serão assinados instrumentos jurídicos e acordos de cooperação nas áreas de educação, energia e agricultura, refere ainda o comunicado.

A Acção Académica para o Desenvolvimento das Comunidades Rurais – ADECRU denuncia e repudia amplamente a agenda perigosa e imperial da visita do Primeiro-Ministro Japonês, Shinzo Abe, e da política externa japonesa para Moçambique e África, mascarada na máxima diplomática de “reforço e consolidação das relações políticas e de amizade entre os dois povos, supostamente, irmãos” e traduzida em programas como: o ProSavana e “Nova Aliança para a Segurança Alimentar e Nutricional em África”. Naquela que é a primeira visita expansionista de alto nível de um governante daquele País asiático à Moçambique, Shinzo Abe escalará também a Etiópia e Costa do Marfim, dois países africanos curiosamente abrangidos pela chamada “Nova Aliança em África”.

Contrariamente a versão oficial divulgada pelas autoridades moçambicanas, a visita do Primeiro-Ministro nipónico ao nosso País, que se faz acompanhar por uma delegação de mais de 50 empresários, deve ser vista dentro de um contexto mais amplo da operacionalização da última e violenta fase de ajustamento estrutural efectiva do século XXI. Por razões históricas decorrentes da derrota sofrida na segunda Guerra Mundial e, actualmente, da luta hegemónica na Ásia entre Japão e China, este País tem sido obrigado a mudar a sua política e agenda externa que durante décadas contribuiu para o desenvolvimento da agricultura e outros sectores de Moçambique, passando a servir os interesses imperiais dos Estados Unidos da América e de outras potências.

Nos últimos tempos, as autoridades nipónicas converteram-se em “agentes físicos e de avanço do imperialismo global’ no âmbito do actual processo de penetração, ocupação e dominação do continente africano que consiste na captura corporativa e subjugação colonial do continente e dos povos africanos com a nova e efectiva frente de ataque contra a sua soberania, diversidade cultural e biodiversidade, transformando a África numa plataforma mercantil aberta para entrada e trânsito livre de sementes geneticamente modificadas e das grandes corporações transnacionais da indústria extractiva e do agronegócio, proprietárias da cadeia da indústria alimentar global.

A perigosidade da política e presença externa Japonesa em Moçambique e em África, nos últimos 10 anos, expressa-se e traduz-se nas suas humilhantes subordinações e alianças coloniais com os países do G8 e respectivas agências com destaque para: o Banco Mundial, a Organização das Nações Unidas para Agricultura e Alimentação (FAO), Programa Mundial de Alimentação, Agência Japonesa de Cooperação Internacional (JICA), Agência Norte-americana para o Desenvolvimento Internacional (USAID), Fundos de Pensão Europeus e grandes corporações transnacionais do agronegócio tais como: Cargill, Itochu, Syngenta, Monsato, Yara, African Cashew Initiative, Competitive African Cotton Initiative, Corvuns International, AGCO, Nippon Biodiesel Fuel co.ldt, Vodafone, SAMBMiller, entre outras.

O Japão faz parte do grupo dos oito Países com economias colonialmente consideradas mais desenvolvidas do mundo, conhecido por G8, que também integra Estados Unidos Da América, Alemanha, Reino Unido, França, Itália, Canadá e Rússia. O G8 em conivência com o Governo de Moçambique, gigantes corporações transnacionais e instituições financeiras multilaterais supracitadas estão a desenvolver um programa de agricultura designado “Nova Aliança para a Segurança Alimentar e Nutricional em África”.

A Nova Aliança resulta de um acordo assinado por cerca de 40 estados e instituições financeiras e organizações multilaterais internacionais em 2009 na cimeira do G8 de L’Aquila, Itália, depois de ter sido apresentada pela primeira vez pelo Governo dos Estados Unidos da América, sob a liderança do Presidente Barack Obama. Com esta iniciativa, o G8 argumenta que pretende cooperar com os Governos africanos para libertar 50 milhões de africanos da pobreza, 3.1 milhões dos quais em Moçambique entre 2012 e 2022. Seis países africanos, dos 20 previstos, já aderiram a Nova Aliança: Burquina Faso, Costa do Marfim, Etiópia, Ghana, Moçambique e Tanzânia.

Em Moçambique a operacionalização da Nova Aliança é liderada pelo Banco Mundial, Programa Mundial de Alimentação, Agência Japonesa de Cooperação Internacional (JICA), Agência Norte-americana para o Desenvolvimento Internacional (USAID) e grandes corporações transnacionais do agronegócio tais como: Cargill, Itochu, Syngenta, Monsato, Yara, African Cashew Initiative, Competitive African Cotton Initiative, Corvuns International, AGCO, Nippon Biodiesel Fuel co.ldt, Vodafone, SAMBMiller, etc. A estratégia de entrada da “Nova Aliança em África” assenta-se na captura do Programa de Desenvolvimento Abrangente da Agricultura de África (CAADP), com o objectivo de dar alguma legitimidade a acção do G8. Em Moçambique, essa intervenção é sustentada pelo argumento de alinhar o apoio financeiro e técnico agrícola dos países membros do G8 com as prioridades do Plano de Investimento do CAADP do País, referido como Plano Nacional de Investimento do Sector Agrário (PNISA).

Numa parceria triangular colonial publicamente contestada pelos respectivos povos, o Japão também lidera a implementação de outro gigantesco programa de agronegócio denominado Programa ProSavana, lançado, oficialmente, em Abril de 2011 e que resulta de uma parceria trilateral dos Governos de Moçambique, Brasil e Japão com o objectivo de, supostamente, promover o desenvolvimento da agricultura nas savanas tropicais do Corredor de Nacala, no Norte do nosso País.

“O Programa ProSavana já está a ser implementado através da componente “Quick Impact Projects” sem nunca ter sido realizado, discutido publicamente e aprovado o Estudo de Avaliação de Impacto Ambiental, uma das principais e imprescindíveis exigências da legislação moçambicana para a implementação de projectos desta dimensão, normalmente classificados como de Categoria A”, conforme denunciado, em Carta Aberta, pela sociedade civil moçambicana em Maio de 2013 durante a realização da Conferência Internacional de Desenvolvimento em Tóquio (TICAD V).

No âmbito dos debates da V Assembleia-Geral Anual, havida em Dezembro último, sobre o avanço do agronegócio e os impactos da expansão das monoculturas de árvores nas províncias de Niassa, Manica, Nampula, Sofala e Zambézia, a ADECRU concluiu que as actuais políticas e programas agrárias e de desenvolvimento de Moçambique como: o ProSavana e Nova Aliança para Segurança Alimentar e Nutricional são responsáveis pela expropriação e usurpação de terras, violação de direitos humanos, a violência e criminalização de militantes e lideranças comunitárias e de movimentos e organizações sociais que as denunciam e rejeitam. Igualmente, a ADECRU responsabiliza o Governo e Estado Japoneses pela crescente pressão sobre a terra, riscos iminentes de reassentamento forçados das populações e destruição de seus meios de vida, ao acesso à água, patrimónios culturais e todos os conflitos sócio ambientais causados particularmente no Corredor de Desenvolvimento de Nacala.

“O direito a terra está indissociado da valorização das diferentes formas de viver e produzir” nas comunidades, reconhecendo a contribuição das populações e comunidades rurais que têm dado a conservação dos ecossistemas e biodiversidade; do reconhecimento dos recursos naturais como bens e patrimónios colectivos para as gerações actuais e vindouras. Defendemos e reafirmamos que os direitos à terra, água, à saúde, educação, habitação e alimentação adequadas estão directamente ligados, sendo o nosso Estado e Governo seus principais garantes.

Alertamos para a perigosidade de programas imperialistas como o Prosavana e Nova Aliança que irão destruir os sistemas de produção camponeses e o carácter pluriactivo das famílias camponesas. O Fundo Nacala e a Nova Aliança para Segurança Alimentar e Nutricional do G8 enquanto instrumentos operacionalizadores do Prosavana, representam a destruição da agricultura camponesa. O silêncio dos Governos de Moçambique, Brasil e Japão na resposta as demandas legítimas e soberanas das comunidades do Corredor de Nacala, dos camponeses e camponesas, movimentos sociais e organizações da sociedade civil de Moçambique, Brasil e Japão, para a detenção do Programa ProSavana, espelha o grau de conveniência, arrogância e alienação e captura da soberania dos povos.
(続きは本文サイトを)
[PR]
# by africa_class | 2014-01-10 07:57 | 【考】土地争奪・プロサバンナ問題

安倍総理が訪問する「アフリカの光と影ーモザンビークを中心に」

今日から安倍晋三総理が中東アフリカ諸国を訪問。
アフリカはモザンビーク、エチオピア、コートジボワール。
資源、中国けん制、国連安保理の理事国入りのための票目当てと・・・。

安倍首相、中東アフリカ歴訪へ 資源確保狙う
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140109/plc14010907520003-n1.htm?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

安倍首相がアフリカへ 国連安保理入りへ票固め
http://www.huffingtonpost.jp/2014/01/08/shinzo-abe-non-permanent-security-council-japan_n_4563105.html?ncid=edlinkusaolp00000003

いずれにせよ、「何かと引き換え」であることは間違いない。
故に、「手土産」を持参される。

人材育成施設:エチオピアに1号…首相歴訪合意へ
http://mainichi.jp/select/news/20140109k0000m010087000c.html
次は、モザンビーク向けの何かが発表されるだろう。
現地新聞の報道では、「インフラ、農業、教育」の分野の協力の文書締結といわれている。

しかし、かつて『外交』に書いたけど、日本の「見返り外交」がアフリカにおいて成功したことはなかった。その理由は単純明快。アフリカ諸国にとって、「日本とだけ仲良くする」理由は何もないから。

「『ODA見返り論』からの脱却を」『外交』「国際援助の新戦略:アフリカ」2012年3月12号
http://afriqclass.exblog.jp/14976062/

あるアフリカ大使がそっと囁いた。
「どうして日本の政府関係者って、『中国か日本かみたいな選択がそもそもあると思いこんでるんだろうね』」と。
その心は、「両方と付き合うにきまってるじゃないか」。
そして、「中国と日本が競争しあってくれるのは大いに結構。選択肢が増えるし、条件もよくなる。でもだからといって、我々の外交や政策において『どちらか一方のみを選択』なんてことは、そもそもあり得ない」、と。

かなりの本音。
でも、これでもまだ建前。
本当のところ、アフリカにおいて、日本が中国と同じレベルで競争することがいかに不可能か、両国の現状、世界情勢を勘案し、アフリカと長年付き合って来れば容易に分かること。(だから中国がいいといっているわけではない)。が、これはこれで一大テーマなのでこの点についてはまた今度。

今アフリカで起きていること、モザンビークで起きていることは、世界と連動している。この日本社会の変化とも。そのことに思いを巡らせて書いたのが、先月(2013年12月)に出たばかりの「神奈川大学評論」最新号の原稿。一部だけ紹介しておくので、是非最新号の「アフリカ特集」を手に取っていただきたい。豪華執筆者らによる沢山の面白い原稿が集まっています。

====================================
『神奈川大学評論』第76号「特集 アフリカの光と影」
2013年12月発行
http://www.kanagawa-u.ac.jp/publication/criticalessay/
===================================
「アフリカの開発と経済~モザンビークから」
アフリカの今と日本の私たち:天然資源と食、そして援助


舩田クラーセンさやか
(東京外国語大学大学院 准教授)

1. はじめに

「光が強いほど影が濃くなる」
自然の当然の摂理であるものの、「言い得て妙」と最近感じることが多い。

今、世界で最も脚光を浴びる地域である一方、依然多くの問題を抱えるアフリカ。なかでも、モザンビークは空前の投資ブームを迎え、来年1月には安倍晋三首相が日本の総理大臣として初めてモザンビークを訪問する。

今、アフリカで何が起きているのだろうか。本稿では、「アフリカの今」を、「光と影」の両方を踏まえ、日本との関係を軸に検討する。事例として取り上げるのは、今日本で最も注目を集めるアフリカの国・モザンビークである。

2.「成長しないアフリカ」から「世界の成長株のアフリカ」へ
(1)急速に経済成長するアフリカ

アフリカ(本稿ではサハラ以南アフリカ)が「成長しない大陸」と呼ばれて久しい。実際、統計(一人当たりGDP)をみてみると、アフリカ経済が成長しない間に、他の「途上国」地域(ラテンアメリカ、中東北アフリカ、東南アジア)が「追い抜」いて行く様子が顕著である。現在でも、講演会で聴衆に聞くと「アフリカ=貧しい」以外のイメージが出てこないことも多い。

しかし、2002年来、アフリカの実質GDP成長率は、世界水準を超え続けている(IMF, 2009)。この傾向は、2008年9月のリーマンショック以降も続いており、毎年10%近くのGDPを記録し続ける国も多い。GDPがマイナス基調か1%以下が続く「成長しなくなった日本」からは、驚くべきことであろう。アフリカといっても、サハラ以南だけでも49か国ありこれらを一括りで論じるべきではないが、傾向としていえることは、高い成長率を示す国の多くが天然資源の豊っかな国である。

(略)

(2)アフリカを必要とする日本

このように急激に重要度を増すアフリカを狙い、日本企業は「多様で豊富な資源の輸入元としてのアフリカ」と並び「最後の巨大市場としてのアフリカ」にも目を向け始めている。しかし、統計をみて明らかなように、輸出入のいずれにおいても「日本の出遅れ感」は否めない。JETROの各種の統計が示すように、2003年以降に急増するアフリカの輸入の多くがEU諸国からのものとなっており、伸びが顕著な取引は中国やアフリカ諸国同士のものとなっている(JETRO, 2010)。

特に、中国の対アフリカ輸入総額の伸びは留まるところを知らず、この傾向は外交・経済において中国をライバル視する日本の官民にとって「脅威」と捉えられている。

実際、2013年6月に横浜で開催されたTICAD V(第5回アフリカ開発会議)の表のキャッチフレーズは「躍動のアフリカと手を携えて」であったが、真の狙いとして「中国に対抗したアフリカ首脳の取り込み」があったことが報道等でも確認することができる。なかでも最も注目されたのが、モザンビークであった。

(略)

3.日本の官民の脚光を集めるモザンビーク~エネルギー・食料危機
(1)資源開発と二国間投資協定

 これを象徴する出来事がTICAD V初日の6月1日、日本・モザンビークとの間で提携された二国間投資協定(「投資の相互の自由化,促進及び保護に関する日本国政府とモザンビーク共和国政府との間の協定」」であった。

外務省がその意義を強調するように、これは「(サハラ以南アフリカ諸国)との間で初めて署名された投資協定」であり、モザンビークで「世界最大規模の天然ガス田が発見されるとともにアフリカ最大といわれる石炭資源が存在」し、同国が「我が国民間企業による開発が進んでいる資源国」だから締結したという(外務省サイト)。

実際、新日鉄住金は、ブラジル企業のヴァレ(Vale)社や多国籍企業リオ・ティント(Rio Tinto)社が操業する同国中北部テテ州で石炭の採掘権を獲得している。一方、三井物産は米国アナダルコ(Anadarko)社と組み、同国北端インド洋沖に発見された世界最大級の天然ガス田の権益を獲得している(日経新聞2012年5月16日)。

(略)

日本が、モザンビークの天然ガスに大きく注目する理由は、東日本大震災の影響も大きい。元々、日本の海外へのエネルギー源依存度は、96%(原発を除くと84%)であった。2011年の原発事故の発生は、日本にエネルギー源の多角化を求めさせ、アフリカへの関心を高めさせることとなった。

(2)日本向け農作物の生産地としての注目

 日本の官民にとってのモザンビークの魅力は「天然資源」に留まらない。石油や資源価格の高騰だけでなく、2008年に穀物価格が急上昇したことは、食料自給率(カロリーベース)が4割にすぎない日本にとって深刻な危機をもたらした。特に、100%近い量を輸入に頼るトウモロコシと大豆、そして8割を超える小麦の安定的供給は、「国民生活の安定に不可欠」として、外務省や自民党内に「対策室(本部)」が立ち上げられるほどであった(NHK, 2010)。この危機の中で、政府関係者が注目したのがブラジル、そしてモザンビークであった。

(略)

食料価格の高騰を受け、世界的にアフリカへの農業投資が注目される2009年9月、日本・ブラジル・モザンビークの三か国は、「世界の食料安定供給のため使われていない広大な未耕地を有効活用するため」、プロサバンナ事業を行うことを合意する(調印文書)。

これをJICA World(2010年)は、「ブラジルと協力してモザンビークで大豆生産を援助」と発表し、事業の主眼が大豆などの輸出作物にあることが強調されていた。紙幅の関係で詳細を紹介できないが、本事業の形成過程を検討した結果、同事業の狙いが、①国際的プレゼンス向上、②日本への大豆、③モザンビークやブラジルとの連携の強化が目的だったことを明らかにしている(舩田クラーセン, 2013)。

4. モザンビークにおける貧困と格差、狙われる土地、そして政治暴力
(1)広がる格差と社会不満

 世界でも日本でも、眩いばかりのスポットライトを集めるモザンビークである。しかし、光の下に生み出されている影は、濃く、そして光をも陰らせるようになりつつある。

TICAD Vの二か月前の2013年4月、モザンビークを国連人権委員会の「絶対的貧困報告者」のセプルヴェダが訪問した。彼女は調査を終え帰国する際の記者会見で、「2011年だけで34億米ドル(261新事業と97既存事業)の投資があり、同国は世界で最も早く成長する10か国の一か国となっている」が、貧困者の数は増えてさえおり、「モザンビークの幅広い層の人びとが、過去20年間得てきた利益が公平に分配されるべきと感じていること」を強調した(Sepúlveda, 2013)。

今年の国連開発計画(UNDP)『人間開発報告書2013』も驚くべき結果を発表している。つまり、世界(187か国)で最も人間開発上問題のある国の第二位(185位)としてモザンビークがリストアップされているのである。

2008/9年のモザンビークの貧困率は54.7%であり、2002/3年の54.1%から増えるなど貧困削減は停滞し、貧困人口も990万人から1千170万人に増加している(MDGレポート2010)。貧富の格差を示す数値として開発されたGINI係数は、民衆の不満から社会の不安につながりやすいとされる0.4を超えている(統計によっては0.45)。

さらに注目すべきは、2008年以降にみられる民主化の明確な後退である。2010年、FreedomHouseなどは同国を「選挙民主政」のリストから外し、「アノクラシー国」として掲載している。さらに、ゲブーザ大統領の二期目(2009年)以降、政権全体のガバナンスは悪化の一途を辿り、不透明な投資案件が次から次へと明らかになっているほか、住民の生活を犠牲にした資源開発、それを批判する住民や市民社会への弾圧などが社会不満を高めている。

なお、ゲブーザ大統領とその家族の国家資源を活用した蓄財ぶりは、「Mr Guebusiness」と揶揄されるほど国際的にも知られるほどとなっている(Mail&Guardian, 2012年1月6日)。

この結果、首都マプートでは、2010年9月に住民らの暴動が発生し、3日間にわたって首都機能が停止した。10人が死傷したこの暴動の原因は、直接的には食料価格高騰への貧困層の不満とされているが、根底には現政権やその周辺への強い不満があった。

その直後に起きた北アフリカ地域での「アラブの春」は日本でも有名であるが、その前にサハラ以南アフリカ各国で、広がりゆく貧富の格差や不正に対する民衆の不満が爆発的に広がっていったのである。ただし、モザンビークの場合、民衆の不満は都市部だけのものではなかった。

(2)農民の手から次々に収奪される土地

独立直後の1977年から16年間の武力紛争で百万人もの死者を出したモザンビークでは、人びとは1992年来の和平と安定を大切に生きてきた。全土が焦土と化した国を建てなおしてきたのはこのような人びとの弛まぬ努力であった。しかし、ゲブーザ政権の二期目以降の急速な海外投資の流入は、ごく一部の権力中枢の懐を多いに潤したが、大多数者を置き去りにしただけでなく、彼らの命と暮らしすらも犠牲にし始める結果となっている。

(略)

ランドグラッビングについては・・・・なかでも、モザンビークは世界5位に位置づけられ、216万ヘクタールが取引されている。なお、日本の全農地面積は456万ヘクタールで、モザンビークではその二分の一近くの土地が数年で投資家の手に渡ったことになる。世界銀行はこの現象について「ガバナンスの脆弱な国で起きている」と総括している(World Bank, 2010)。

 これらの多くの土地は、①鉱物資源開発、②バイオ燃料作物、③植林プランテーション、④大規模輸出用作物栽培のために、タダ同然の金額で外国企業に譲渡されている。このプロセスについて、モザンビークを事例として検討する。

新日鉄住金が進出する「アフリカ最大の石炭埋蔵量」を誇るテテ州、特に進出先のモアティーゼ郡には、多くの外資が進出し、地域の大半が鉱区に呑みこまれている様子が分かる(Human Rights Watch, 2013)。ヴァレ社では、2000家族の移転がなされ、これに抗議する住民らの運動は、今年6月には同社の石炭輸送路封鎖に至り、同社は操業一時停止に追い込まれた(Reuters, 2013年5月23日)。これに対し、警察が暴力的な介入を行う等予断を許さない状態が続いている。

三井物産が進出するインド洋沖の近くのカーボデルガード州パルマ市でも、住民との間で衝突が起きているが、その調査を実施しようとした研究者が警察に拘留されるなどの事態も生じている(Terra Vivaサイト)。

(略)

(3)小農らによるプロサバンナ事業への反発と強権化への抵抗
 このような流れの中で、「日本の耕地面積の3倍もの熱帯サバンナが広がるモザンビーク」への、援助と投資を組み合わせたプロサバンナ事業が華々しく打ち上げられたが、これに対し現地小農らの強い反発が表明された。

モザンビーク最大の農民組織(2,200組織の連合)であり、小農の権利を擁護するために1987年に結成されたUNACは、2012年10月11日にプロサバンナ事業に対し抗議声明を発表する(UNACサイト)。その後、この抗議にはモザンビーク社会を代表する女性・宗教・農民・開発NGOなど23団体が合流し、ついにTICAD V直前の2013年5月28日。「プロサバンナ事業の緊急停止」を求める公開書簡が、日本・ブラジル・モザンビークの首脳(首相・大統領)に宛てて発表される(Farmlandgrabサイト)。

これは、独立から38年間もの間同一政党が権力を握るモザンビークにおいて歴史的に例のない事態であり、先述の通り強権化しつつあるゲブーザ政権に対する社会の最初の明確な抗議として記されることとなった。

(略)

プロサバンナ事業は、日本では援助事業として捉えられがちであるが、モザンビーク社会では、現政権の二期目を象徴する「国民不在」「投資偏重」の「国民の権利を犠牲にしてでも私利を追求する国政」の象徴的事例として広く理解されてきた。

実際、ゲブーザ大統領のファミリー企業はブラジル企業と組み、同事業対象地(ザンベジア州グルエ郡)にて3000ヘクタールもの土地を取得し大豆生産に乗り出している。この土地を耕していた200を超える農民が得たものは、1ヘクタール当たり1600円程度の「補償金」であった(筆者の現地調査)。

このように、「農民不在の大規模農業開発事業」は、援助の問題を超え、モザンビーク政府の非民主的な政策形成、投資偏重の開発戦略の証左として現地社会では受け止められているのである。

現在、JICA等の日本政府関係者らは、「プロサバンナ事業=小農支援であり、土地収奪を行わない」と強調するが、農民らに抗議されるまで同事業と連携して立ち上げられることになっていたナカラ・ファンドは、同じ対象地(ナカラ回廊)で「30万ヘクタールの土地確保」を打ち上げ世界から投資を集めようとしている。

同事業の立案形成から現在まで主導権を握り続ける日本政府にとって、当初の想定を超える事態が次々に生じている。しかし、現地市民社会が求めるように、事業の中断も抜本的な見直しもできない理由として、日本政府関係者は非公式の声として次のように語っている。

「事業を中断したり見直すということは、他の投資案件でも中国の進出を許すことになる」。

これは、本年10月21日にモザンビーク国軍が最大野党党首の拠点を軍事攻撃し、22日に同党が和平合意を破棄するという政治・軍事的危機に対し、20を超える援助国の中で唯一日本、そして投資国の中でも中国が、ゲブーザ政権に対し声明を発表していないことに象徴されている。

一方で、モザンーク市民社会は国内各都市で大規模な平和マーチを実施し、政権への批判を強めている。

5.おわりに
以上、モザンビークの事例を通じて、「アフリカの光と影」の現在、そして日本との関係――とりわけ私たちの暮らしに不可欠な「食」「エネルギー」との関係――を明らかにしようと試みた。

「光」が全体を照らさず、ごく一部だけ輝かせ、闇を深めている様子は、アフリカだけのものではない。

ここ日本でも急速に貧富の格差が拡大し、「子どもの貧困」がOECDに加盟する先進国35カ国中9番目に高いとの結果が発表されている(UNICEF, 2012)。しかし、日本の一人当たりGDPはこれらの中で4番目に高いのである。つまり、豊かさは子どもに還元されていないことになる。

日本が今アフリカに対して行う援助や投資のアプローチの根本に、自国内での不平等の格差を「経済成長さえすれば」という論理で放置してきた昨今の現実が横たわっている。

モザンビークをはじめとする、アフリカの民衆の苦悩に日本も関わっている現実を知る一方で、彼女ら・彼らの苦闘から日本が学ぶべき時代が到来している。今鋭く問われているのは、3・11後の私たちがここ日本でどのような暮らしを紡いでいきたいのか、共にどのような世界を構築していきたいのかなのである。
[PR]
# by africa_class | 2014-01-09 09:09 | 【記録】原稿・論文

手作りのクリスマスプレゼントinドイツ

日本で限りなく悪かった体調も、日本を離れ、家族のもとでは大いに改善。やれやれ・・・です。

クリスマスというと日本では商業主義の発露。
でも、我が家ではなるべく手作りを大切にしたい・・・と話し合ってきました。
が、肝心の父親がこれを守れない・・・。
毎年買いすぎるプレゼントにいつも喧嘩。
が、さすが我が子はこれをしっかり守って、今年はほとんどすべてのプレゼンとが手作り!

去年末は義父が突然亡くなり、クリスマスを祝うという気分でなかったこともあり、今年のクリスマスは息子が1か月前から準備していました。

義父への悼辞
http://afriqclass.exblog.jp/16727188/

ドイツで「クリスマスとウサギ」というと、食卓にシチューとなって現れるもの。
我が家では、「6年前のクリスマスにやってきたウサコへのプレゼントの話」。
今年は、息子は室内用の新しい小屋をウサギに作ってあげてプレゼント。
色々な工夫のある小屋となりました。
(が、私の寝ている部屋においてあるのは・・・ですが)

沢山のものを作ってくれたのですが、ハーブ用の室内花壇のアイディアはとっても素敵。
a0133563_183478.jpg

現物はよりシンプルでしたが。

手作りキャンドルに手作りキャンドル台。
a0133563_110456.jpg

右が父親用。白くペンキで塗ってあり、左が私用。自然な感じにするためにわざわざ木のチップを貼り付けている。キャンドルも父親のものは分厚いやつで、私のは細いキャンドル。

猫にも沢山の手作りの品々が。

私からは工作用の材料を。
彼が大好きな江戸時代のデザインが沢山掲載されている本とともに版画の板を。

プレゼントを開けたその夜のうちに、いきなり版画を開始。1時間後の様子。
a0133563_1141786.jpg


翌朝一緒に墨を付けてみました。
a0133563_1172674.jpg


しかし、クリスマスを楽しむ直前の1時間前まで家は爆発後のような状態・・・。
狭い家に4名なので仕方ないとはいえ・・・依然大変な状態です。。。
a0133563_1195072.jpg


この最中に、11名の卒論執筆者の論文を読む日々ですが、今年は進みが遅いので年末年始が恐ろしい状態・・・。家族いわく、「毎年のことじゃないか」と。すみません・・・。今、卒論提出が止まり、かつ子どもたちが凧揚げにいったのでこんなどうでもいいブログを書いていますが。
[PR]
# by africa_class | 2013-12-28 01:28 | 【徒然】ドイツでの暮らし