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薪クッキングストーブと木工作品:森の木々への母と息子のパッションから

恵みの雨がしとしと。
サッカーを2日1度するTeen男子の家庭としては、晴天でないのは悲しいものだが、緑がシャキッと蘇っていくのを見るのは愉しい。昨日はこの1週間毎日しなければ…と思いながらまたしても寝込んでいたため出来なかった冬野菜の種まきをようやくした。久しぶりの雨に濡れた土の匂いは、素晴らしく心を落ち着かせてくれる。よく出来たもので、クローバーがこんもり茂っている土ほど良い香り。自然農法でよく使われるクローバーだが、マメ科故に根粒菌が窒素を固定してくれ、土壌が豊かになる。クローバーではないものの、似た葉っぱ(しかし黄色い花)をつける草があるところも同じ。これなんだろう…。

一つひとつ、すべてが勉強の毎日だ。
春も夏も1年に1度しか来ないものだから、後元気なうちに何度の春と夏を経験できるのだろう…と考えると、過ぎてしまった何度かの春と夏が切ないぐらいに愛おしい。もっと大切に、充実した春や夏を過ごせばよかった。あれも作ってみればよかった…などと考え始めるのはよそう。

はかなくも、たくましい命を今日もいただきながら、そんなことを思う。

普段は所謂「雑草」も抜き取るまではしないために、またザーサイでもレタスでも丸ごととるなんてしないために、「命を奪った」感は少ないのだが、丸ごと使うタンポポだけは、「奪った」感が拭えない。勿論、そこかしこに広がっているから「足りない」感はまったくないのだが。

そういえば、息子は家で食べる自家製レタスキャベツとスーパーで見るそれらが同じものだと長い間思わなかったらしい。というのは、自家製のものは、丸ごととって食べたりしない。いくつかのものの外側の葉っぱを少しずつ少しずつ収穫して食べるために、お互いをリンクさせることができなかったのだ。「冷凍カット野菜」が袋に入った状態しかみたことのないアメリカの少女が、ドイツで丸ごとあったニンジンを見て驚いたように…。

自給自足をすると、同じ時期に同じ種類の作物を作ることの無駄、丸々収穫してしまうことの問題に直面する。モザンビーク北部のお母さんたちは、品種を使い分けて収穫時期をずらしているのに納得する。勿論、我々には冷凍庫と冷蔵庫、オイルにビネガーに砂糖という保存に使えるものが身近にある。でも、そんなに何でも一気にできると困ってしまう。

去年、3本の木に洋梨が2百個もなって、本当に困った。
洋梨コンポート洋梨タルト洋梨ジャム洋梨のビューレ…あらゆるもので保存を試み、最後は地下室に貯蔵してみたが、1ヶ月もたなかった。あれは悔しかった。が、最後は洋梨カレーを作ったのだが、これがウソみたいに化けてくれて、何も言わなかったら、「水っぽいジャガイモウリ?」な感じ。カレーリンゴを入れるというところから発想したのだけれど、「ものは試し」だと実感したところ。リンゴよりも洋梨の方が断然美味しかった。日本では超高級品の洋梨。しかも、日本の洋梨には農薬がついてることが多いが、完全無農薬の洋梨はとっても貴重。だけれど、一度になる…のがたまらない。しかも地上3メートル以上も上に…。

リンゴの木も古く木登りしないと届かない場所にリンゴがなる。
選定の仕方を考えれば良かったんだろうが、何せ前の住民が植えたものだからどうしようもない。なので、とりあえず消費量の多いリンゴを、色々な品種の苗を入手してみた。息子の生物の先生が農家なので、無農薬のリンゴの木がタダで手に入った。
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下草刈りを何度言ってもしてくれないので、この後自分でやったのだけれど、こっちの鎌と日本の鎌の概念が違いすぎて今でも鎌がなく、大きなハサミのようなもので草刈り…つまり効率悪し。

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で、これらのリンゴと木登りして子どもたちがとったリンゴ。右側の5つはすでに虫食いにあってた。でも大丈夫!リンゴは用途がとっても広いので、とりあえず喰われた部分だけとって、小さくしてみた。薪ストーブに火がついていたので、とりあえず条件反射で黒砂糖と煮始めた。

病気療養が1年半以上も続く私が、なんとか家の家事をこなせているとしたら、とにもかくにもこの薪ストーブのお陰。どんな料理も「切る・ぶち込む・混ぜる・放置する」…だけだからだ。後は、土鍋と土瓶、Fisslerの鍋のお陰かな。Fisslerの鍋では、本当にごく僅かな水ですべてが蒸せる。

Fisslerのステンレス鍋
https://www.fissler.jp/jp/products/pots/pot_top.html
Fisslerを使った無水調理の方法
https://www.fissler.jp/jp/cooking_tips_culinary_trends/study_of_dry/brief_study_of_dry.html

このポイントは、「美味しさ」「ビタミンを壊さない」だけでなく、無水(というが極僅かな水での)調理ということは、あっという間に調理が終わるということ。つまりエコなのだ。他の鍋では入れた野菜の上まで水を入れて煮ないと煮れない。となると入れた水を沸騰させるのに時間がかかり、その分の余分なエネルギーがかかる。

ジャガイモを丸ごと煮るのに普通の鍋でかかる20-30分が、この鍋では10分程度。ほうれん草なら完全無水で2-3分という優れもの!初期投資は高いが、我が家では20年間同じ鍋。全然古びないし、後20年は余裕でいけるだろう。これまで使った20年で計算しても年2千円。普通の鍋でかかる水代・ガス(or電気)代を考えれば、楽々元が取れる。一家に1つあれば十分。Fisslerの圧力鍋が日本では人気だが、実は我が家はステンレス鍋で全て貫徹。なので、圧力鍋を買うかステンレス鍋を買うか迷ったら、出番の多い後者をおすすめしたい。(*が、我が家は肉をまったく食べなが魚は食べる「エセベジ」なので、圧力鍋の出番がそもそもない…という特異な事情もある)

でも、やっぱり薪クッキングストーブが全ての根幹である。
なので、今日も雨な上に昨日農作業をしすぎて身体が言うことを聞かないので、ずっと前から書きたかった薪クッキングストーブの話。

前にも書いたが、ドイツでも戦後薪ストーブは部屋を温めるためだけに使われ、台所で使うなどということはまったくなくなってしまった。万一あっても、ほとんど飾り的な役割かやはり暖房と温かいお湯を常に沸かしておくためにあって、これだけで調理のすべてをこなす人はほぼいない。なので、ストーブや煙突の専門家が我が家にきては驚くのだった。
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去年の冬に台所に入れてから、冬でも、春でも、夏でも。
外が35度を超えても、調理は薪ストーブのみ。といっても、ドイツの家は外断熱で石の家なので家の中は冷蔵庫のように涼しい。なので問題なし。

しかも、ドイツのキッチンといえばIHばかり。つまり電気!!!となると、土鍋も使えないし、コトコト煮るのも難しい。焼き魚なんてもってのほか!でも、一番原がたったのはケーキやパンを電気で焼かないといけないこと!!!敷地内・外に森が広がる田舎に住んでいるのに、バイオマスを使わないなんてあり得ない。いつまでここにいるか分からないものの、とにかく心身の健康のためにも(!)薪クッキングストーブを買ってみよう。ということで買ったのがこれ。このストーブは北イタリア製。展示品を買ったので1500ユーロ(19万円)ぐらい。でも、煙突がそれを超えるのが痛い…。

が、こちらは電気代が非常に高いので(月1万円ぐらい *ただし、高く感じるのは我々が日本でOMソーラー&ガスで月2千円も払えば十分以上だったからもある)、クッキングのすべてのプロセスから電気を省くと1.5年で元がとれる計算。しかも、セントラルヒーティングを動かさなくとも1階は温まる。なので煙突代を含めても、3年で楽々元はとれるのだ。

でも薪ストーブはとにかく煙突が全て。二重構造の長く上に延びた煙突を年に2度しっかり清掃しないと、火事になるのを覚えておいて下さい。ドイツの家は石の家なので総簡単には火事にならないものの、日本は木星だし、家が密集しているので、とにかく煙突でケチらないことが何より重要。清掃は専門の業者に任せた方が良い。ドイツは法律があって、年に2度専門家に掃除してもらわないとストーブを設置できない。そもそも、煙突とストーブの監査役がいて、彼のOKが出ない限り使えないというのも凄いが、それだけのものであるとまずは理解してほしい。その大前提さえこなしてしまえば、後は愉しい薪ストーブライフ。使い方のコツはまた今度。

今日は、食べ物の話。
で、大量の虫食いリンゴをどうしたのか?
ベリーのソースと同じことだけれど、果物を煮る時重要なのが、コレ。でも、日本では知られていないことが多い。ドイツでは、わざわざケーキコーナー等にもっと細かい奴が売ってある。これは、私の自家製…というか、去年剥いて食べた後の無農薬オレンジの皮を捨てずに切って天日乾燥させたもの。
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ただの甘さを超えたさわやかな上品な味にしてくれる。
問題は、無農薬のオレンジを入手することが難しい点…。
甘夏とかはっさくとかでも良いので是非近所に木があったら、譲ってもらおう。大抵収穫せずに木にならせたままのお宅が多いので。

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で、シナモンを入れてほっておけば、薪ストーブが勝手に焦げもせずに3時間後これを作ってくれた。1日冷蔵庫に入れたので見てくれは悪いが、すっごく美味で、子どもに珍しくとっても褒められた。

■「リンゴの?」の作り方
(1)リンゴを一口サイズに切る
(2)熱湯をほんの少し鍋の底に敷いた上にリンゴ黒砂糖を入れる
(3)木べらで焦げないように軽くかき混ぜる
(4)蓋をして5−10分して水分が出てきたら、
(5)シナモンスティックを入れて一回混ぜて、蓋をしておく
(6)20分ぐらいしたら、干したオレンジの皮を入れて混ぜて蓋
(7)後は放置
<=しっかり形が残ってシャリシャリしたのが良ければ20分ぐらい加熱し後は保温調理
<=上記は途中で忘れてしまったので…3時間ぐらい加熱した状態のもの

これだけだと超甘いので、以下のものの上にちょっとのせる程度が良いと思う。
バニラアイスクリーム
*甘くない生クリーム
ヨーグルト
クッキー

この「リンゴの?」の素晴らしいのは、家中甘酸っぱい素晴らしい幸せな香りに包まれること!薪ストーブでこれを作る利点は、「砂糖が焦げないこと」に尽きる。ガスでもIHでも、色々試して来たが、どんなに弱火でも鍋の中身は長時間放置すると焦げるもんだ。けっこう頻繁に混ぜないといけない。なので「完全放置」は不可能だった。

しかし、薪ストーブなら薪の大きさで火加減だけでなく、火が持つ時間を調整できる!この場合、大きい薪を一本入れて下の空気孔を少しだけしめておくと、1.5時間はことことと煮ることが可能。薪が燃え尽きても、ストーブ自体は温かいので、そこから余熱調理が1時間ほどできる。スープやソース、煮込み料理が好きなのに、無精者には、ここが最大のポイント!

ああ、薪ストーブに行き着くまで、何度鍋を焦がしたろう…。
日本は家が狭いのとキッチンがリビングだったので仕事も何もかもそこでしていたので「鍋を忘れる」ことは稀だったが、それでもゼロではなかった…。なので、煮込み料理は「保温クッカー」を使っていた。つまり、10分ガスレンジで加熱したカレーを、そのまま保温クッカー(ただの大きな魔法瓶をイメージしてくれれば)にぶち込んで6時間。

サーモス社のシャトルシェフ
http://www.thermos.jp/product/list/shuttlechef.html
これもお値段ははるが、子どもが大好きなカレーシチューを作るには、fisslerステンレス鍋でもそれなりに時間がかかる。何より、「翌日のカレーの方が美味しい!」という皆の実感の根拠は、じっくり煮込む方が美味しいというのが理由。なので、前夜あるいは朝に5-10分程度調理して、後はシャトルシェフに入れておけば帰宅時にまだほのかに温かくて、少し温めるだけのおいしいカレーが完成する。我が家は、炊飯器もポットも電子レンジもない家なので、土鍋でご飯を炊くのだが時間がないだろうという日は朝のうちにシャトルシェフでご飯を炊いておいた。

が、これ日本から持ってくるのを忘れた…。こちらではキッチンはキッチンなのでどうしてもずっとはいられない。なにせ布団から基本的に出るのが難しい状態が続いたので、鍋を弱火にして放置…焦げた匂いで気づく、、、という恐ろしい事態が何度も生じた。なので、病気の者にはとっても向いている調理具としては、薪ストーブを超えるものはない。

日本では、シャトルシェフを使ってヨーグルトも自家製していた。長らく牛乳を使ったヨーグルトを家で作っていたが、ドイツには豆乳ヨーグルトがあって、家でも作れるんじゃないか…と狙っていた。丁度、「リンゴの?」を作った時間帯がお昼と夜の間だったため、ご飯を作るには時間が早すぎたので、みそ汁の出汁を取るのと、豆乳ヨーグルトパン粉を作ることにした。(といっても、いずれもただぶち込み、放置…)

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これまた写真が横になっているが…。

豆乳ヨーグルトの作り方
うちは牛乳を飲まない家なので、基本は豆乳で。
ただし、牛乳を使って、普通の市販のヨーグルトでも同じ要領で自家製ヨーグルトが作れる。まあ、日本では「ヨーグルトの素」となる粉が売っているが…。

(1)自然色品の店にある豆乳ヨーグルトを買ってくる
<=牛乳ヨーグルトでも、自然食品の店にあるものの方が菌が強いのか、作りやすい。
(2)その食べ尽くした後の容器に新しい豆乳を入れてよく振る
<=不安な人は、4分の1ぐらい残したものを活用
<=この時点でバニラ味の豆乳を入れるとバニラ味のヨーグルト
(3)それを煮沸消毒した瓶いっぱいに詰めて振る
(4)ストーブの端っこの保温コーナーに置くだけ
(5)約7時間ぐらい放置すると、良い感じにとろとろになる
(6)ただ冷蔵庫に入れて、少し冷やすのと少しかためる
ベリーソースや上の「リンゴの?」をかけて食べると、とっても美味で上品なデザートに。

バニラ入りの豆乳が売っていない場合は、
<=バニラビーンズを豆乳に入れて少しの間温める
*薪ストーブがない場合は、
(1)鍋に70度ぐらいのお湯を入れる
(2)その中に瓶ごと入れておく
(3)適宜熱いお湯を足して温度を保つ
(4)20分ぐらいしたらバスタオルと毛布でくるんで5時間ほど放置する
<=この時、保温クッカーがあればそれを活用

で、薪ストーブのトップには、いつも土瓶に薬草茶、お湯、そして昆布が入った水の鍋がのっている。基本和食なので、出汁にはいつも出番がある。前の日から水につけてストーブの上においておけば素晴らしい出汁が。ちなみに、昆布はやはり「日高昆布」が一番よい出汁がとれる。粘りがあるし。しかも、出汁をとった後でも、厚みがあって旨味は残っていて、これを刻んで他のものに使っても未だ美味しい。
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焼きおにぎりだって、トルティーリャ(メキシコの)だって、お好み焼きだって焼ける。しかも、真ん中のリングを取ると、直火で中華鍋も熱せる優れもの。
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けれど重要なのは、身近に里山や森があるということ。薪を買ってもいいけれど、枝ぐらいは集めたいもんだ。でも、日本中の山林は荒れ果てている状態にある。多くのご家庭で、すでに薪ストーブは使われていないし、自分で薪割りをする余力もない事も多い。荒れ放題の山林が、生物多様性を減じさせ、野生動物の食べ物を減らしてしまって、里に降りてくることも多くしている。タダで薪や枝を頂く代わりに、山の手入れをしてあげるときっと喜ばれると思うのだが。
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腐っていた木々をチェーンソーで伐った後、森の木々は元気になったし、下に生えてくるものが多様性を帯びるようになったと息子がいう。

家から200メートルのこの森にきたのは初めて。それすらなかなか出来ないような状態なので。でも、息子が、森の木を伐ったら、光がさすようになって色々な生き物が元気になってる!と興奮して話にきて、かつこの苔のような不思議な緑のぶったいとその横の植物が、どうしても気になってみてほしいという。・・・ので、ついてった。
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通れるように丸太の橋を…。しかし結局落ちたので意味ないが。
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元々とウサギ小屋だった納屋は、現在森の薪でいーーーーぱい。この後さらに2人の男達はがんばった。こういうのはさすがに私にはまったく無理だ。
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森の中で朽ちたり腐った木々は薪になるだけでなく、息子の木工の材料にも。そして出てくるおがくずが、薪クッキングストーブの着火の材料になる。使い捨ての着火マンなんて要らない。マッチがあれば。

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森の木で器を製作中。
やりたいの分かるけど、注文の品…未だだったよね…。
かなり言い訳していたが、やっと半年前の注文の品である棚を完成させた。
スケッチブックの手書きの「へ?」というものしか見ていなかっただけに、出て来たものをみてそれなりに驚いた。

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上にも棚を付けてと言われたので、自然食品の店のスペースをみて、柱などをよける形でスペースを活用した方が良いなと思った息子は、以下のようなデザインに。前よりずっといい。

で、この棚皆に喜ばれ、250ユーロでお買い上げ頂いた!
今迄で一番沢山のお金を払ってもらった。あまりに嬉しかったのか、さっき一枚ずつ数えて一人ニヤニヤ…していたが、130ユーロはすぐに父に没収…の憂き目をみた。借金ね。私への300ユーロは…この棚の上におく商品をなんとか終わらせるところから。しかし、棚が出来た途端に満足感があるのか、途端に器の作業が止まった。
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なお、このアクロバティックな棚、納品したらぴったりはまったそうな。
測ってもいないんだけど、ちゃんと頭に焼き付けたから…と。
あかんやろ、それ。。。。
結果オーライすぎる。
人生そんな甘いもんちゃいまっせ、にいさん。

そういうところが修行が足りなすぎる…正直なところ、ちゃんとした修行をしてほしい。でも、こういうのも本人の自覚に任せるしかないと思っている。

というのも、私はピアノで辛い想いをしたからだ。
高度成長期、女の子はピアノを習うものという呪縛が母世代にあったようで、とにかくピアノを姉妹全員が習わされた。田舎だったもので、ピアノのあるお宅に、都会からピアノの先生が通うというスタイルで、一人30分ずつしかレッスンの時間がない。しかも、その先生はやたら厳しく、間違えると手を叩くのだ。まだ10才にもなっていないのに、間違えると叩かれる。この恐怖でピアノが弾けなくなってしまった。しかも、先生は誰一人ピアニストになれそうにない田舎の私たちに、それはそれは英才教育をしようとした。何度も何度も基礎を叩き込んで、それが終わるまで次に進めない。曲に親しむことができないまま、機械的に指が正確に動く迄何度も何度も同じところをさせた。なので3年生になる頃には相当弾けたが、嫌で嫌で仕方なくて姉がやめるついでに私もやめた。

母は怒ってピアノに鍵をかけ、その鍵をどこかへやってしまった。
家が貧しかった母はどんなに欲しくてもピアノを買ってもらえなかった。だから、授業の終わった音楽教室で独学でピアノを覚えた人だった。だから、私を身ごもって高校の体育の教師を続けられなくなったため、辞める時の退職金で、念願のピアノを買った。それだけに、母は傷ついたのかもしれない。「もうピアノなんか弾かなくてもいい!」そう怒って、鍵を隠した。

何年か経って、たまたま家の裏に声楽とピアノの先生が引っ越して来た。そこから聞こえる音色に、ある時雷にうたれたようにピアノが弾きたくなった。プロになれるわけもないし、なりたいわけもないから、ただ自分が弾きたい音楽を弾けるようになりたい…。そう思ったのだ。しかし、ピアノの鍵はないし、母はもう絶対ピアノは習わしてくれないという。

そのお宅には可愛い3才の娘さんと産まれたばかりの赤ちゃんがいた。特に、上の娘さんは私になついている。ひらめいた・・・(そう当時からひらめいたのです)。子守りとピアノのレッスンを交換したらいいんじゃない?親に相談もせずに、先生のところに直談判に行った。中学校1年生のころのことだった。今考えるとええ度胸しとんな〜という気がするが、実は先生も困っていたのだ。レッスンの間、誰も子どもたちの面倒をみてくれないので、ピアノの部屋に子どもたちをおいてレッスンで集中できない。かといって中学1年生に頼むか?というのもあるが、何故か先生は任せてくれた。それを大学に入ってブラジルに行くまで続けた。6年間になる。

結局、ピアニストになるような技巧も才能もない私だが、自分の弾きたい曲を弾くという願いはかなえることができた。その経験があって、息子に「基本をおさえてからやってほしい」という想いを持ちつつも、「奏でたい音を奏でられることが原動力と持続力なんではないか」と思って、余口を挟まないように努力している。ただ、作品の出来上がりについては、消費者としてまったく容赦なく批評するが…。どうすればよくなるかについては、本人の自覚を待つのみ。辛いが…。

一応、紙に色々デザインは書いているのだが。偉いアバウト…。
デザインブックというか、スケッチブックは家具や器やなんやらのデザインだらけ。最近は、「時計が作りたい」と言い出した…。
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で、死ぬほど沢山の時計のデザインを描いていらっしゃる。ついに、おじいちゃんの懐中時計まで分解してしまった…。

彼の愛読雑誌がこれ。
建築・家具の雑誌。高いので買ってあげられない…ので、売り上げからせっせと買っている。確かに、広告に時計がよく出ているものの…そこ?しかも今?やっと専用の売り場が出来たのに?!
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「家具」というと、2年前ウサギを家の中で飼うために作った小屋が最初だった。
そして、去年引っ越してから最初の作品はこれだった。半分壊れた日乾し煉瓦を集めて来て、納屋に捨てられていた防水シートをハサミでジョキジョキして作った小さな池。この中に小さなコイがいる。
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そこから木工へどんどん向かっていったのは、木々に囲まれていたことが大きいと思う。

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木への愛は半端じゃない…と本当の意味で理解したのは、彼のカメラのデータをもらった時だった。なんせこのこぶの写真が何十枚とある。
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こんな風に、違った種類の木の板の表情だけでも200枚は撮っている。
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で、あのコブはこうなった。
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やっぱりパッションが必要だ。
自分の心のど真ん中に。
あなたのパッションは?

声をかけても振り向けないほど没頭してしまう「何か」を、大切にできるといいですね。



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by africa_class | 2015-09-04 07:14 | 【徒然】ドイツでの暮らし

畑のカエルに感謝し青ネギの花を食す日、命の循環の一部として生きてみること。

なんだか反響があったようだが、今は農繁期で、あれやこれやであっという間に時間が経った。

この時期は、一日畑に行かないと、違った様子になるというぐらい、自然の命の力はすごい。元はコンテナハウスがあった跡地に、森の土を入れて藁を撒いて、草を刈っては撒いて、色々なものを植えていたら、ミミズが顔を出し、ナメクジが現れ、芋虫やアブラムシがきたと思ったら、てんとう虫が飛んできて、あっと思ったら巨大ナメクジが衝撃的に現れ、今は畑を回るたびに、ガサガサ・・・と何かが逃げる音。よくみたら、カエルちゃんであった。

刈草マルチをしているので、あんまり水やりに神経質にならなくてもいいのだけれど、カエルのことが気になって、井戸水を撒きに行く。

森の朽ち果てた木々を薪割りをして、冬に選定した木々の枝を集め、3食毎日薪ストーブで調理をして半年。森の朽ちた木々の息子の気に入ったものは、彼の木工作品に変身するが、気を削って出てくるおがくずは、着火用の火種となり、その灰は畑の栄養分となり、余すところがない。当然ながら、ここでも生ゴミはコンポストとなり、愛猫ピーさまの落とし物とともに堆肥となっていく。命の循環に感謝して、日々を過ごしている。

深大寺にいたときから思っていたけれど、自然の循環というのはすごいものだ。一つの種をまくと、その成長に伴って次の生き物がやってきて、その生き物を目指して別の命がやってきて、つまり食物連鎖というのか、小宇宙というのか、小さな畑にいても、それを目の当たりにすることができる。農薬を使ってある生き物だけを「守ろう」という考え方の限界を目の当たりにする。

かつて、そら豆にあまりにアブラムシが群がるからせっせと自然農薬をつくって撒いていたが、実際はてんとう虫がきてくれるのが一番効果があって、自然環境を多様化して自然農薬も我慢すると、いつの間にか沢山のてんとう虫がやってくるということに気づくまで3年かかった。

あ、一点伝えておかなければ。自然農薬といっても、殺すためにあるわけではなく、虫さんたちにしばらくどいてもらうため、あるいは近づかないでおいてもらうためのもの、と考えて頂ければ。

庭は、キッチンの目の前にあって、引き戸でそのままベランダから行けたということもあって、キッチンの排水(勿論洗剤など使わず)は、すべて庭に返していた。生ゴミはコンポストに。コンポストの場所を少しずつ変えて、東京の住宅街だというのに、そして元はじゃりだらけの駐車場だったというのに、森の中にいるような匂いのふわふわな土ができた。あの土ではなんでも良く育ち、育ちすぎていない夏の間は、アマゾンのジャングルよりジャングルらしいほどで、カマなしには玄関に辿り着くのもやっとなほど…。そこまで土と生態系を豊かにするプロセスが何より大事なのだ、と気づいた頃に大地震と原発事故が起こった。

昨冬の間育ててた室内のトマトが、ある時アブラムシの大群にやられて(あるいはアブラムシが温かさ故に異様に繁殖し)、さすがに室内なんで天敵がいないため牛乳の残りを薄めてスプレーしたりしていた。でも、結局は春先に外に出したら途端に解決。でも、室内にも、アブラムシに気づいた途端、てんとう虫が一匹うろうろしていたので、彼らの嗅覚(?)というか察知能力はすごいものだ。これって、どんなに隠しても甘いものを家族が見つけてしまうことのようなものか。

それにしても、冬とか春先にトマトを食べようなんて思ったのがいけなかった。
やはり旬のものは旬に食べる・・・という法則。つまり、自然のサイクルで生きているものを食べる、自然にあわせて栽培するのが一番なのだと、実感した。そうは分かっているものの、サラダにやっぱりトマトほし〜と言われると、そしてスーパーで6つが3ユーロのオーガニックトマトを買うのを見ると、そんなん自分で作るわいと思ってしまうのであった。

でも、やはり季節を外して作るものは弱い。
室内でわざわざ作るのであれば、上に書いたような問題も出る。

しかし、これは作り手側の問題ではなく、食べたい側、消費者側の問題の方が大きいと最近は思う。どうしても不足する時に高くなるので作る側はそれにあわせることになる。それに、消費者は年がら年中店にトマトが並んでいてそれで当たり前。日本で作れなければ、どこかから運べば良いと・・・その方が結局安いなどという矛盾。

だから、私は日本の日々食べる人たちに、「消費者」という意識を捨ててもらって、少しでも「作り手」の側にきてほしいと思う。この際、ベランダ鉢植えでもいい。食卓の一つのハーブの鉢でもいい。何か育てて、それを食べてみてほしいのだ。そうすれば、自然の移り変わりの中で、植物を頂くということの意味と手応えが得られると思うから。そこから、何を、どうして、どう食べるのか・・・にいくには、未だ距離が大きいかな。

息子たちの「年がら年中トマト愛」に直面して、そして毎日霜が降りる冬のドイツで、そして円安ユーロ高の、さらに先行きが見えない人生計画の中で、これは抜本的に意識を変えてもらわねばならん、そのためには自分から・・・と思ったのであった。

とはいえ、なかなか回復しないもんで、子どもの頃からはまっていた薬草図鑑の世界に迷い込んだということもあった。原発事故前の深大寺では、相当色々なものに手を出しており、近所の子どもたちを動員して、野川沿いの野草を摘んだりしていたものだったけれど、今から思うとあれは序の口だった。

とにかく、冬寒しのドイツの庭で、何か食べるものがないか・・・週に1度の買い物の外出だってままならない(体調的に)のに、家族の食事を準備しなければならない状態にあったというのもある。ショッピングリストを渡しても、その通りには買ってもらえないし、やっぱり「3ユーロトマト!」がかごに入ってしまうのであった。

庭の「雑草」、いえ「野草」に目がいったのは、これらの理由から。野菜の薄まった緑に対して、野草の緑の濃さを見比べてほしい。この緑の濃さこそが、強さであり、生命の力強さなのだと、今年の冬はことさらに思った。そして、野草たちは、我が家の食卓の救世主であった。ずいぶんと毎日お世話になった。

野草茶、野草カレーなんて序の口。野草天ぷらも、それがオオバコだったり、ウツボ草であったりしても、ごく普通。我が家では、タンポポの葉の炒め物、あきのげしのサラダ、紅花の葉っぱのお味噌汁、タンポポの根っこのきんぴら、オオバコの種のふりかけ、オオバコのお好み焼き、イラクサのピザ・・・どこまでやるんじゃ、というぐらい特に畑に野菜が不足する冬場は重宝し、色々チャレンジした。ただし、野草は冬よりも、春から夏が一番生命力に溢れ、本来の食べごろ(旬)であるが。

それにしても、そんな料理を有り難く食べてくれる14才はなかなかおらんだろう。親が親なら、子も子である。今日は、畑の青ネギとダイコンが放置しているうちに花を咲かせたので、それらとルッコラのサラダを実に美味しそうに食べてくれた。最初は「本当にこの花食べていいの?」と懐疑的だったが、チャレンジ精神旺盛故につい食べてしまってくれた。よしよし。今日も騙されたな。実は私も初めてとは伝えていない!

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(ダイコンの花、ダイコンの葉っぱ、ルッコラ、青ネギの花に、去冬に作ったタラゴン・ヴィネガー&バジルオイル、黒オリーブ、軽く干したニンジン、擂った黒ごまを添えて)

ちなみに、ネギの花は大変愛らしく、しかもむちゃくちゃ美味しい。これ発見。何事にもチャレンジが重要。我が家では、根野菜は必ず干してから(30分でも)使うが、これも食べ物の滋養を高めるので、おすすめ。太陽の恵みというのは、限界がないもので、これを深大寺の時のようにお湯に使えていない現状が哀しい。(OMソーラーシステムを入れていた。つまり、空気と水を太陽熱で温めていて、太陽力だけで1年の半分以上はお風呂に入れたのだ。)

ちなみにOMソーラーシステムは、入れるとなると150万円ぐらいかかるが、10年以内で確実に元が取れる。というのも、日本の住民が一番熱源を使うのは「風呂のお湯」であるから!これが、半年以上太陽熱で賄えれば、そして暖房費もシステムで激減させられれば、月1万円程度の余分な負担は10年で確実に元が取れる。その後は、「儲け」ばかり〜。ちなみに、我が家は、電気代は2000円を超えた事はほとんどなく、ガス代は1000円程度。しめて3000円〜程度だった。冬もそう。初期投資にかかるカネをどうするかの問題はある。でも短期と中期、長期で、考えるべし。
http://omsolar.jp/

自然って面倒じゃないですか?
よくそうもいわれる。
そういう部分もあれば、そうじゃない部分もある。

例えば、庭の野草や野菜を食べるのであれば、その日その場で新鮮なものを摘んでこれるし、買いに行く手間も冷蔵庫も使う必要がない。大量に出来たのであれば、乾かしたり、油や酢に漬けたり、冷凍したりしておけば、料理にひと味付け加えるときや、何もないときにさっと彩り・香り・栄養を加えることができる。

生ゴミも自然に返せば、臭い水分たっぷりの生ゴミを保存したり、蠅がたかったり、ましてやそれをお金を出して回収してもらったり、燃やされるところまで運んで、焼却して二酸化炭素と窒素を排出したり(!)、しなくても済む。歩いて数歩のコンポストにいく手間と、ゴミとして出すのと、実はそれほど違わない。違うとしたら、「意識」と「慣れ」の問題なのだと思う。

薪ストーブでクッキングも同様。慣れるまでの時間を過ぎてみれば、薪の形態(針葉樹林か広葉樹林か、太いか細いか)、枝の形態、おがくずの形態(粉か大きめか)・・・等で大体の火加減はできる。しかも、トップだけで4つの鍋が置けて、なおオーブンでパンやケーキも同時に焼ける。同じ熱源(一本の薪)で、どこまでも効率がよいし、さらに部屋全体もあったまるのである。どうして我々は、薪ストーブを調理器具から切り離してしまったのだろうか。(ドイツの場合)

今や、薪ストーブはただの暖房器具。誰もこれで調理などしていない。そもそもクッキングストーブでドイツのメーカーのものはほぼ不存在。我が家のストーブも北イタリア製。なぜなら、イタリアは住宅が外断熱ではない分、冬は寒い。そこで各部屋に薪ストーブがあることも。で、ピザを焼くこともあり、薪ストーブはアパートでも自然と食卓にあるそうだ。ちなみに、日本と違って凄く安い。が、煙突が高い…ドイツ事情。

薪ストーブで調理していると聴くと、大抵の人が「どうせ少しだけでしょ?」と思っているかもしれないけれど、家は一日中ストーブがついていて、そこで何かしらやっている。といっても、調理に使わない時は、灰の中でじっくり堅い広葉樹を燃やすので、寝る前に1本入れて朝までついていることもある。

キッチンの主役に躍り出た薪ストーブでは、コーヒーのお湯を沸かしていることもあれば、フットバス用のハーブや薬草茶を煮出していることもあれば、じっくり遠赤外線効果で昆布から出しを2日かけて取っていることもある。野菜スープは切った野菜と干した野菜を入れた鍋を、ただストーブの上においておけば、いつの間にか出来ている。ご飯も同じ。土鍋をおいておけばいい。まな板も網なども、ストーブの端っこで乾かすし、ふきんもストーブの取手でいつも乾かせるので、ぱりっとしている。こんな優れもの、どうして誰も使わないのだろう。

特に、森に囲まれている日本の農村で、どうしてオール電化のIHクッキングなどという馬鹿げたものが導入されていくのか、実家にいくたびに絶望的な気持ちになる。あらゆる意味で、「里山」の仕組みは理にかなっていた。国土の7割を森林で覆われる日本を外から眺めると、もっと色々な可能性があるように見えるのだが、その「可能性」を実践に変えていくだけの人材すら、奪われた近年だった。外を見た若い人にこそ、日本の農村で面白いことができると思うのは、甘いだろうか。

世界的に見ても、そして自然エネルギーで消費電力の3割を生み出すドイツから見ても、日本は素晴らしく豊かな自然の恵みを、まったく無視しているどころか、ますます外から来た、あるいは危険を冒して作られる高い熱源に頼ろうとしている。しかも、暮らしの中で、自分の手の届く範囲に、自分の使うエネルギー源を持つとしたら、色々なことが自分の手の中に戻ってくる。これまで電力会社に払っていたお金、電力会社が行っている沢山の不正、外で木々の中で過ごす気持ち良さ、炎を見つめることで身体を芯まで温めてもらうおかげで得られる治癒力、家中が薪になるがその落ち着く香り、燃やすと出てくる香ばしさ、ストーブの周りの会話。ただIHで調理していて、これほどの会話は生まれないし、一人で調理するはめになる。

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何よりIHは人間が使うただの道具で終わってしまう。他方、停電したり故障したりすると途端にお手上げ。料理という命をつなぐ家族団らんの源すら、自分でコントロールできなくなる。つまり、道具のはずが、その道具に食をコントロールされているということなのだ。

薪ストーブでの調理は、もちつもたれつの共同作業。その関係はストーブと調理者に留まらず、庭や森の木々達。木々を取り巻く環境。その木々のお裾分けに預かる我々。薪を割る斧と人。このような「関係」を取り戻すことが、「食」と「エネルギー」の可能性なのだと常々思ってきたが、今クッキングストーブを手にして、自分の中でのミッシングリンクが解けた気がしている。

汗をかくが、自分たちの手元に自分たちの生を育むために必要不可欠なものたちを取り戻していく。足りない部分は他に委ね、助け合い・・・なんてことはない。世界各地で人間がやってきたことだった。

「奪わないと生き延びれない」というマインドを、大きな帝国は繰り返し臣民たちに押し付けてくる。「奪わないで生き延びる方法はないのか」を考えさせないように、仕組みができ、教育と広報ができている。食とエネルギーは、自分たちの日々必要不可欠とするもの故に、このように統制されてしまった臣民には、根幹の問題である。故に、「パンのためには他者への暴力は許される」とばかりの、為政者たちの宣伝に、煽動されてしまうのであった。

「ひとつの命への暴力は、すべての命へとつながる。こうして、わたしたちは、この世界の暴力から、ひとり無縁でいることはできない。(『ガンディー 魂の言葉』)」

歴史はそうやって悲劇を繰り返してきた。
だから、食とエネルギーを自分の手に負える範囲に取り戻していくことは、単なる「エコな私に酔いしれる」ためではなく、本当の意味で、自立した自分・社会を取り戻していくために必要不可欠なステップなのかもしれないと考えている。これは何も、自分の敷地内に畑がなくてはならない・・・ということではない。今、日本は空き地・空き家だらけ。課題こそ、工夫を生み出し、考えてもいなかったような次の創造を生み出す、はずなのだ。

ちなみに、我が家の斧は隣の家のおじいちゃんに借りたものだ。
あえて買わない。
おじいちゃんに借りるということで、森の恵みに感謝する薪割り活動への連帯が生まれる。
おいしいクロアチアのガーリックももらえる。
時に、ワインも飲ませてもらえる。
あれ?もらってばかり?

斧が我が家にやってきた理由。
何度いっても、自分の敷地にある膨大な朽ちた木々を薪にしてくれなかった連れが、隣家の実は84才のおじいさまが、毎日元気に薪割りをやっているのを目の当たりにして、そして製材所から薪を買っているということを(家に木がいっぱい横たわってるのに!)呆れられたのを受けて、俄然やる気になってくれた。今では、毎日健康のため薪割りにいそしんでいるのはいいが、満足度が高いのか、それしかやってくれないという問題もある。

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そういえば、芝刈り機も借りっ放しだ・・。
広大な芝生は去年は手動でがんばったものの、今年は春に誰もいなかったこともあり、ほとんど「アフリカの草原サバンナ」状態。つまり、くさぼーぼー。手動ではまったく前に進まず、お隣の軽油芝刈り機の登場。登場といっても、そもそも隣の人が年の半年はクロアチアにトレーラーハウスで行くので、不在時に庭の芝刈りのお手伝いバイトを請け負った息子が、勝手に隣の芝刈りを持参してやっているのだが。ちゃっかり、こちらの家の分のお駄賃も稼ごうとするので、喝を入れておいた。というか、隣にもらうからいいやん!そもそも誰の庭やねん。

本当は他に書きたかったことがあったのに、、、、、、、。
今日は、息子が学校の一大イベント、「演劇」で「蠅の王(Lord of the Flies)」(ウィリアム・ゴールディング)をやってきました。震災・原発事故があって、ドイツにきて早4年。なぜかクラスのリーダーとしてこの劇を仕切り、誰もやりたくない最も台詞の多い悪役を引き受け、見事に「蠅の王」を「え?それ地?」というほど狂気迫る感じで演じたそうな。(「そうな」というのは、未だそこまで体調が回復していないため私は参観できなかった。。。彼の父親とお友達への聞き取りより。今度DVDでじっくり観るのだ)

「環境が人を育てる」というのも一理あるし、「やっぱり本人の意思」というのも一理ある。
自らの意思ではなく、状況の中で、泣く泣くドイツにきた息子が、こんな風に、しっかりとクラスや学校、社会の中で役割を果たしながら、成長していくのが嬉しい。実際は、心の中に秘めた想いや沢山の傷もあるのだと思う瞬間も時にあるが、それでも前に前に一歩ずつ進んでいく若い力をみると、私もがんばろう…という気持ちになる。教えるより教えられることの多い子育てであある。(相変わらず、サッカーのバッグに臭い靴下を溜め込んだままである点は、まだまだ甘いが)

日本の人たちは、すぐ「語学は?」とか「文化的に?」という質問をするのだけれど、問題はそこではなかった。息子をみてて本当にそう思う。むしろ、新しい状況の中で、自分としてどう生きていこうとするのか、その「姿勢」の部分だったと思う。彼は、辛さの中でも、「日本を離れて、ドイツにある自分」というのを、自分なりのやり方で積極的に活かそうとした。その姿勢こそが一番大事であり、かつ他人が教えることも、やってあげることもできないこと。ただ見守り、応援し、共に嘆き、耳を傾ける。それぐらいしかできない。その歯痒さの中で、子は自ら成長し、親もそのことにより成長させていただく。

そういえば3年前にこういう投稿を書いていたようだ。改めて読み返すと本当に感慨深い。
http://afriqclass.exblog.jp/13063647/
息子の魂の鳥は、ずっと私とともに暮らしてきたのだけれど、今は有り難いことに皆が一緒にいる。2011年のあの独り静かな家で泣きながらお風呂に入り、ご飯を食べた日々は、もう終わったのだ。あの時はまだ母恋しだった息子も、今では「うるせーくそばばあ」の毎日。でも、それが嬉しい。成長だから。

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息子の初期の頃(去年)の作品
森で見つけた朽ちた丸太の中の「かたち」を表現したそう。

何はともあれ、「姿勢」こそ、すべての鍵なのだけれど、自分すらままならない1年以上だったから。私が人様に何かいえることなんて何もない。だけれど、自然の豊かさに身を委ねて生きていると思うのは、「姿勢」もまた、日々の命への感謝の中から生まれてくる者なのかもしれない、と思う。

自分を生かせてくれている自然と環境、他の生き物、人びとに、感謝するからこそ、もっと頑張らねばと思うし、自然の本来の生命力に触れることにより、自分の伸びていくべき方向性を教えてもらうことができる。いつかは朽ちる自分の命が、何にバトンタッチされていくのか、どうされていくのか、そんなことを考える上で、農薬なき畑の命の循環から学ぶべき点はあまりに多い。

今年もまた試行錯誤の初夏である。
そして、ほとんど寝て過ごした去年よりも、自然もまた勢いがあるように見えるのは、自分の目の錯覚だろうか。

*ちなみに、絶対自然農薬も駄目といっているわけではなくって(そういうドグマチックなのは嫌い)、使わないでみたら見えてくるもの、気づくことについて、書いてみました。生業として農で生きている皆さまに、私が何か言える立場・経験はまるでなしです!
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by africa_class | 2015-05-30 07:22 | 【食・農・エネルギー】