本日、岡田克也外務大臣に、NGOの皆さん3名とお会いしてきました。
連休中にアフリカに行って、TICADフォローアップ会議を主催されると
いうことで、事前に市民社会の声が聞きたいということでした。さすが、
民主党NGO議連のトップですね。
TICAD IVのときには、野党の一議員というお立場ではありましたが、
超党派のTICAD=NGO懇談会の議長もしてくださり、いつも変わらぬ
協力をいただきました。TICAD IVの際には、我々が主催した市民社会
セッション開始の2時間前からお越しくださり、アフリカの市民社会の代
表たちと、忌憚のない意見交換をされていたのが印象に残っています。
あれから2年。月日が経つのは早いもので、民主党政権が誕生し、
外務大臣という外交とODAの総責任者となった岡田議員が、今度は
TICADの采配を握られることになっています。野党を市民社会の一員
と定義する学者もいますが、その意味では感慨深いですね。
大臣になって、激務の日々というのに(しかも文字通り激務。少し
前の外務大臣というとそんな忙しい仕事ではなかったのですが)、初
心を忘れず、NGOの意見に耳を傾けようと努力されている姿に、安堵。
権力を握るとブレる人は非常に多いからです。「口だけ・・・」の政治家が
山ほどいることを、身をもって知っているので。特に、長年政権について
きた某党の皆さんは、「国民に選ばれた代表」ということをお忘れでは・・
・というぐらい聞く耳もたずでした。政権交代が視野に入るようになって、
初めて慌てて態度を変えた議員は与党も野党も多かったのです。政策
提言とNGOの地位向上のため、永田町に通った10年で私なりに気づ
いた法則は、
「横幅が広ければ広いほど、市民の声を吸収する能力は低い・・・」
ということ!な~んて、かなり失礼?でも、本当に怖いぐらい、これ当
たってたのです。
無駄口はこの辺で。会合のファシリテータとして参加してきたのですが、
官僚が保身に走らず、批判的な意見も、改善のためのすばらしい材料
だということで感謝できる日はいつ来るのかなあ、とつくづく思いました。
今トヨタの名前は地に落ちているので、あまり模範としては取り上げられ
ない今日この頃ではありますが、それでも世界中の製造業の皆さんがト
ヨタのカイゼンを勉強しに来て(連れはそのようなカイゼンワークショップ
を組織する仕事をしてる)、もっとも感動するのは「そこ」なんです。
つまり、「問題が発生したら、それを見つけた人に感謝する」ということで
す。そして、見つけた人と問題を発生させた人は外して、問題の分析チ
ームが多角的に調査を行い、それをどう改善につなげるかを提案し、そ
の提案がいかされるというプロセスが埋め込まれています。ですので、
問題を指摘した人には、「Thank you」というのですが、大体の人はこ
の点にとても驚くそうです。そうですよね。問題にふたを締めたい、問題
は存在しないことにしたい、あるいは問題はないと思い込んでいる人に
は耳の痛い話ですから。
トヨタはしかし、世界で最も強くなろうと焦り、一番大切なお客様への奉
仕を忘れ、世界でもっともすぐれていたはずの精神(カイゼン)まで失っ
てしまっていました。
だから、権力・おごりは怖いです。どんなに素晴らしい制度も、ちょっと
したことで腐敗する「生き物」なんですね。だからこそ、外部者の(調査
機関)、あるいは当事者の(お客様)の批判的な意見というのは、非常
に重要なのです。それは、日本のお役所もまったくそうで、地域社会で
まちづくりに関わっても、国政の場でも、本当にそう思います。だから、
NGOが外務省の課題を述べたからといって、感情的になる必要はない
のです。だって、それに真摯に取り組んで、よりよい制度になり、効果が
高まれば、現地の人びとも、納税者も、皆ハッピイになるのですからね。
あとは、いつも思うのですが、日本の文化の中に、「議論」という名のコ
ミュニケーションを楽しむ習慣が本当にないのだな・・・と再確認しました。
これは、やっぱり関西人に生れついたからかもしれませんが、皆が「そう
そう」ということばかりを言うのであれば、別に忙しい時間を割いて会う必
要はなくないですか?
もちろん、交流とか親睦は重要ですが、立場が違うことに重要性がある
(権力とそれをチェックする市民社会という)政府とNGOがなあなあ②な
る必要はまったくありません。それによって損するのは、本来救われてい
るべき現地の人びとですし、市民社会の独立性です。その意味で、異な
る意見同士を戦い合わせることは、政府・NGO間の関係上いつまでも変
わらず重要ですね。
いずれにせよ、「政府とNGOの対等なパートナーシップ」が、どちらの側
にも難しいんだなあ、と改めて思いました。パートナーシップや連携は簡
単なことで、むしろ「対等」が一番チャレンジなんだなというのが最近の結
論です。これは夫婦間、職場にもいえることで、「パートナーシップができ
てる」とやたらいう人ほど、危ういこと多くありません?だって、それは簡
単なことでは本来ないから。他人の男と女が一緒に暮らすとか、上下関
係のある職場でどうやってとか。大体において、弱い側にとっては対等と
みえないものが、強い側に対等と決めつけられていることが多いのです。
その象徴的発言が、
「~してあげてるのに」
「こんなにやってるのに・・・」
聞いたことありませんか?こういう発言が出るようだと、要注意ですね。
親と子どもの会話にありがちですね。早く子どもに自立してほしいといい
ながら、発せられるこの重いセリフ。そして埋めがたいギャップ。恋人間
にもありますね。
もちろん親子の場合、上下関係は重要ですが、NGOと政府においては
不要ですし、むしろ現状においてあるということを打破する必要がありま
すね。そんなことをつらつらと思った夕方でした。
でも、自分のことを棚に上げてはいけない。
授業の中で、私もやっぱり学生の皆さんの声に謙虚に耳を傾けて、改善し
ていかねばなりません。実は、大学に着任したときからそれを課題としてき
たのですが、なかなか自分としてもそれが出来たといえた年はありません
でした。授業アンケート(無記名)などもやってきましたが、どこか批判を恐
れてなかったというとそれはそうではなかったと思います。(この私ですら
!)でも、それって怖がることなんにもないのですよね。結局、メンツだけの
問題で、実際がそうであれば、やっぱり反省して改善すればいいだけだし。
で、去年ぐらいから意識的に批判を寄せやすい形式を取り入れているので
す。(気づいてた?)
そして、今年はかなりそれができつつあり(あくあでも私~見てですが)、
そうすると学生との対話もますます面白くなってきて、教えるのも楽しく
なってきて、良い循環に入ってきました。
何いわれるんだろおう。批判されたら嫌だな・・・なんて思っているとしん
どいことで、コミュニケーションを楽しめるのが一番いいですね。
結局、私なんてちっぽけど、失敗も多いし、どうしようもない奴で、でも進
化したいと思ってるし、何らかの形でみなさんの役に立てたら、こんな嬉
しいことはない・・・という境地に達しつつあります。でも、だから全員にい
い顔したいということではなく、本気で向かってくる人に対してはという意
味なんですが。そこのところが、なかなかみなさん伝わらないようで。
「客」なんだから、座ってれば「サービス」されて当たり前というか。文句
いうか、受け身かしかない・・・人も多いのです。「やってもらって当たり
前」の「甘えの文化」はゆゆしき問題ですね。自分が自分の学びと成長
の当事者であり、最高責任者であるという自覚は、今の時代なかなか
育みにくいのでしょうか?私も時に厳しく(もう十分って?)、時に優しく
そこは見守りたいです。
いずれにせよ、批判を謙虚に受け止め、次に活かし、前よりも、今より
も、ずっとずっとバージョンアップしていきたいと思っている今日この頃。
「継続は力になり、改善は永遠なり」(byトヨダサキチ)
自分に満足してしまわないこと。
おわりがあると思わないこと。
人のせいにしないこと。
努力は人にではなく自分で報いてあげること。
そんなことを自分にもう一度問うた夜です。
みなさん、お疲れ様です!
はじめの第一歩。懲りないことが肝心です。がんばってください。
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