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国際政治学会ニューズレター巻頭言

日本国際政治学会のニューズレターに書いた巻頭言が掲載
されたので貼り付けます・・・が、かなり読みづらいので、More
をクリックしてくれれば、全文を読めるようにしました。
ちょっと刺激的・・・すぎたか。まあ、後の祭りですが・・・。
「アフリカは『国際社会』に含まれないのか?~人びとの
『熱狂』から考える~」
ルワンダで調査を行っていた最中に書いたので、こんなノリに。
でも、普段から考えてきたことですが。
国際政治学会ニューズレター巻頭言_a0133563_1547046.jpg




アフリカは「国際社会」に含まれないのか?
~人びとの「熱狂」から考える~
                  
今、アフリカ・ルワンダにいる。昨夕訪ねた「ジェノサイドの丘」に
吹く冷たい風が、この1週間聞き取った人びとの話に、妙なリア
リティを与えて迫ってくる。数日前には、比較研究のため滞在し
ていたモザンビークで、食料価格高騰に端を発した若者の暴動
が死傷者を出しているという。
 暴力を拡大し、暴力の中で高まる人びとの「熱狂」。このアフリ
カの市井の人びとの「熱狂」に対して、国際政治学はどうアプロ
ーチしてきただろうか。中でも、「国際社会」を研究の射程に入れ
てきた本学会の会員は、このような「熱狂」をどう見つめ、どう分
析し、どう解説するだろうか。「向こう側」の人びとの心情の吐露
として?「国際社会」が対処しなければならない困った出来事と
して?「国際社会」のミッションを妨害するものとして?あるいは
「先進諸国」によって構成される「国際社会」の活動対象として?
 確かに、「国際社会」は、「世界の困り事」に一致団結して取り
組む「責任ある母体」として、それらの平和化に頭を悩ませ、人
びとの「熱狂」に途方に暮れ、対処を試みてきた。最近では、「保
護する義務(R2P)」も提唱されている。そのような「国際社会」の
中に、アフリカを位置づける人はほとんどいないだろう。むしろ、
アフリカは「国際社会」の枠外に配置され、対象化されてきた。
しかし、問いたい。このような「熱狂」に、「国際社会」はすでに関
与してきたのではなかったか、と。となれば、「国際社会」という
世界大の社会からアフリカやその人びとが排除される論理は何
か、と。
 ルワンダでの1994年のジェノサイドも、16年に及んだモザン
ビークの武力紛争も、お互いに対する殺戮であったように見えて、
実際にはその時代の国際関係の中でのみ起りえたことであり、
武器や通信機器の供与に始まり軍事訓練に至るまで、諸外国の
関与なしには、暴力の組織化と続行は不可能であった。またすで
に明らかな通り、これらの暴力を、植民地化、そして冷戦のただ
中で進行した脱植民地化プロセスに位置づけることなく理解する
ことはできない。したがって、アフリカの人びとの「熱狂」もまた、
重層的で複雑に絡み合う国際関係と世界史的動態の中で説明さ
れなければならないはずである。
 しかし、アフリカは「国際社会」に含まれるどころか、それに対
置され、「国際社会」の統合性と主体性を支える役目を負ってきた。
ここアフリカでよく囁かれるように、「国際社会が国際社会であるた
めには、『アフリカ』が必要なのだ」。アフリカの人びとの「熱狂」もま
た同様に。
 そもそも、現在の我々は、人びとの「熱狂」を、「遅れた地域」に
特有なもの、民族(「部族」)的なもの、あるいは一国内のものとし
て捉える傾向にある。しかし、このような「熱狂」を、「国際社会=先
進諸国」の我々も経験してきたのではなかろうか。しかも、それは
一国的なものに留まらなかった。かつての日本での「熱狂」ですら、
当時の国際関係の中で生じたことであった。それは歴史上の出来
事で、現在は起り得ないと断言できるだろうか。では、9・11直後の
合衆国で見られたあの「熱狂」は?
 21世紀を迎えた現在、アフリカの農村や街角で生み出される人
びとの「熱狂」もまた、世界大の関係性の中に位置づけないのであ
れば、十分な分析が得られるとはいい難い状況が生まれている。逆
に、我々が世界に実存するはずの一地域を客体化し続けるのであ
れば、もはや世界の全体像を把握することは不可能となりつつある。
それがたとえアフリカの市井の人びとの「熱狂」であろうとも、「国際
社会」がすでに内包するものとして、我々と同じ地平に位置づけると
き、国際関係の理解に新しい地平が切り拓かれるだろう。このことは、
「国際社会」⇔アフリカ地域、国外⇔国内、国際⇔地域に分断され
てきた、我々の学問にも、大きな刺激をもたらすに違いない。
 我々が無意識的に排除してきたアフリカを「国際社会」の一部とし
て取り入れることは、今まで知っているつもりであった世界とその歴
史を、新しい光の中で捉え直す機会を与えることになろう。さらには、
「彼らの熱狂」が、我々自身に潜む「熱狂」の危険に気づきをもたら
し、何度呟いても十分すぎることのない「Never again」という一言
を立ち上らせ、過去から学ぶことができるはずの生物としての人間
の原点を、我々のもとに再び取り戻させてくれるのではないだろうか。 
(東京外国語大学大学院)
by africa_class | 2010-10-07 15:52 | 【記録】原稿・論文
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