今京都にいる。でも、京都らしいところにはまったく行けてない。
昨日、京都大学アフリカ研究資料センターのアフリカ地域研究会で発表をしてきた。お題は、「和平から18年後のモザンビーク社会の今、そして私たち~北部農村における社会関係資本調査から」ということで、かなりチャレンジングなネタにあえて挑戦。
しかし、平日のお昼間ということもあり、ほとんど人は来ないだろうとたかをくくっていたものの、部屋いっぱいの参加者。しかも、一般市民であろう方々、アフリカ研究界の重鎮の面々、院生・学生・・・がそれぞれ2割~3割という、不思議な聴衆の前での発表となり、さすがの私も、どのレベルの何に力点を置いていいか戸惑った。
しかも、京大のアフ研で、「社会関係資本」なんて概念を使って研究発表なんて、やめときゃよかった・・・というのは、後の祭り。でも、自分の今までやってきたある種「手堅い」アプローチに、少し違ったものを取り入れてみてもいいんじゃないか、と思って、あえてやってみている。まだ、色々検討すべき点はあるけれど。
モザンビークの対象社会が、母系制から父系制に移行しているのではないか・・・というのが、現在のところの観察であるが、それをあえて社会関係資本で見る必要はない・・・のは、確かにそう。もっと、権力関係で見たり、相続で見たり、できるはず。はい、そうです。
でも、個人的には、やってみて良かったと思ってる。これで何かを説明しきれるとは思わないものの、トライアルという意味では。普段、質的インタビューを中心に調査をしてきた私としては、今回、質問票を使って量的調査を少しばかりやってみて思ったのは、やっぱり両方を組み合わせると、結構面白いところまで分かるな・・・ということだった。
まだ、調査結果を、きちんと歴史的なプロセスや個々人の背景を含めてまとめられていないので、その部分はまったく紹介できなかったものの・・・。という意味で、あえて社会関係資本調査をしてみたことに後悔
はないものの、そこから先については、まだまだ検討が必要かな。
モザンビークには16年も通っているので、今さら社会資本もないだろう・・・と思わないでもないけれど、ルワンダという社会を調査する際には、かなりこのアプローチは役に立った。後、半年ぐらいツラツラ考えてみて、調査に協力してくれた人、一人ひとりの顔を思い出しながら、彼・彼女らを取り巻く人間・社会関係を再度念頭において、結果を眺めてみよう。楽しみだ。しかし、その時間が一体いつ取れるのか・・・・。
ここのところ、プロジェクトの事務や教育、講演会、学内会議にばかり時間を取られていて、なかなかしっかり研究のことを考える時間がなかった。だから、久しぶりの研究者との密接な交わり、嬉しかった。京大の先生方が気を使って、あまり厳しいコメントをしてくださらなかったのが、心残りだけれど・・・。学生ではなくなるというのは、そういう点で寂しいもの。
率直に、真正面から、厳しいコメントをいただけるのは、もうないんだ。
後は、言葉の端々に出てくるニュアンスや、言われないことの奥に、あるであろうコメントを推測しながら、高度なやり取りをする道しかないんだ・・ということが、今さらながらに寂しく感じる。
学部のゼミでの、学生同士の厳しいコメントの応酬を聞いて、少し羨ましく感じる今日この頃。もはや「若手」ではないことに、ようやく気づいた次第。今さらだけれど~。
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