ツラツラと考えたことを、忘れないうちに学会公開講座から・・・。
3人の発表者のペーパーを読み、そして報告を聞かせてもらい、国際関係論(国際政治学)とNGO(/社会運動/市民社会)研究が交差する地平での研究がとても望まれていることを、改めて確信。
ポスト冷戦後の現象・・・というには、ここ数年の変化は、すさまじいものがある。もしかして、私がアフリカを見ているからかもしれないが。それでも、何かの変化が(日本で想像する以上の)激烈なスピードで
起っている気がしてならない。
この先世界がどのような方向に向かっていくのか…もちろん学問はそれを予言するためにあるものではないが、研究者として、過去をしっかり見据え、現在に至る関係の糸のからまりを分析・検証し、何か社会に対してフィードバックする必要が、ますます出ていると思う。
また、そのような期待が社会の側からもあると。
一体、私たちの生きている世界はどのような世界なのか。私たちはその中でどのように位置づけられるのか。私たちは、どこに向かおうとしているのか、私たちはそこで無力なままなのか、無力なままでないとしたらどんな世界を指向すべきなのか・・・
そんなことを考える上で、このようにNGO/社会運動/市民社会に焦点を当てることは、非常に意味があると思う。また、日本に引きつけて考えると、野党が政府になり、政府が野党になり、他方世界の変化のスピードは緩むことなく、外交においてすべてが混沌としてきた現状で、日本そして私たちの将来を考える上でも、もはや政府・政策だけをみていては、見誤る可能性も出ているのではないか・・・とも思える。
他方、だからこそ、しっかりとした理論の部分での議論、実証的な事例研究、政府・政策の研究の蓄積が、必要とされていると感じた。実証研究は骨が折れるけれど、これをおろそかにすると、新しいアプローチというのは、えてして屋台骨から崩れてしまうから。
勿論、これは自分自身の課題でもある。NGO活動にどっぷりと浸からざるを得なかった10年。同時に博士論文や他の論文が書けたのは、自分の研究テーマと活動を分けてやっていたから。時代とテーマが違っていた。徹底して実証主義のアプローチで論文を書いていた私にとって、自分の活動までいちいち同じ目線でやっていたら、きっと頭と心がパンクしたと思う。
しかし、今回機会をいただいて、色々かんがえてみて、なんだか活動と研究が交差する接点が見えてきた。60年代の国際関係と解放運動、そして人びとについて研究をしてきた者として、21世紀頭の現在を、同じアプローチで見ることも可能かもしれない・・・と思いあたった・・・ものの、なにせ時間がない。
なぜかというと、NGO活動と研究だけだったらよかったのだけれど、もっとたくさんの草鞋をはいているから・・・。
明日は、国際交流基金プロジェクトだけでなく、まずは地域社会への奉仕。調布市の地区同士が対抗して戦う運動会の補助。研究者、活動家、地域住民、子どもの母親、学校の教員・・・色々なアイデンティティ
があるけれど、「海くんのお母さん/近所のおばちゃん」が、一番心地よいアイデンティティであることは間違いない。あと、畑の中の自分??
とはいえ、住民でいるのも、ある種闘いであることは間違いない。詳しくは、深大寺ライフのブログをどうぞ。http://jindaiji1.exblog.jp/
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