この間、色々な若者からメールをもらってきました。
アフリカのとある国で青年海外協力隊として働きつつ、何もできないもど
かしさでいっぱいの青森出身の元ゼミ生のチエちゃん。4月から就職が
決まっているのだけれど、なんとか被災者の皆さんのために活動したい
というゼミ生のカツラちゃん、イサジや他大学の学生のシホちゃん。関西
疎開プロジェクトのために夜行バスに乗ってきてくれた元ゼミ生のトモミち
ゃんや、会社を説得してボランティアに許可をもらったユウちゃん。かつて
阪神淡路大震災のときに、ボランティアとして長きにわたってヘルプしてく
れた元大学生で3児の母になったイノリちゃん。福島原発の近くにいる妊
産婦と乳幼児のサポートに協力してくれているゼミ生のヤマ、おしめも買い
に走ってくれたよね。故郷のためにとボランティア・リーダーをかって出て
くれているケンゴくん。この騒ぎの中で、日本のために何かをやりたい、や
らねば・・・と後ろ髪を引かれながら、アフリカに旅立ったイノッチやハルカ
やアッコ。せっかくの卒業のお祝いができなかった今年度卒業のゼミ生の
エリちゃん、ルイくん、イサジ、カツラちゃん、ゼット、たまちゃん。
福島の子どもたちのミルクのために、夜中にドンキーホーテに駆けつけた
ノブちゃん。英語スペイン語の翻訳もしてくれたね。AMDAの寄付呼び掛け
のために文面をいじり続けたメグちゃん。そして、現在AMDAの現地活動を
リアルタイムで流している。アフリカからのメッセージを、翻訳して、ツイッタ
ーに流し続けているケータくん。放射能汚染に怯えて過干渉気味の親との
バトルで疲れた学生さん。
みんな、みんな、「今」この瞬間を、忘れずに生きてください。世界の誰
もが経験したことのない種類の、未曾有の複合的危機を、今私たちは生き
ています。被災地以外では、一見「いつもの」日常があるように思えます。
物資の不足や停電の危険以外は、3・11の前と何が変わったのか?とも
いうべき日常が。その点で、やはり日本は先進国なんです。
でも、根底において、私たちは本当に大きな変革に直面しています。そ
のことに皆うすうす気づいていて、それで不安になっているのかもしれま
せん。3・11以前の社会の閉そく感、孤独感を脇において。
阪神淡路大震災の後の瓦礫の山をみて、燃える空をみて、そして、全国
から集まってくる何万というボランティアと対面して、やはり同じような感じ
を抱いたのですが、今もっと大きな危機に、もっと大きな連帯の中で、今
度は責任ある大人として直面していることを実感しています。
そして、今回のチャレンジは、阪神淡路大震災時の「災害」という枠組み
を大きく超え、私たちに大きな問いを突き付けているような気がします。そ
の多くは、一見二項対立的なものです。「自然と人間」「科学と人間、自
然」「市民、社会、政府」「新しい価値観」「人間の安全保障と国家の安全
保障」「情報と権力」「経済成長と豊かさ」「孤族と家族のきずな」・・・。いず
れも、相反するものとして語られてきましたね。3.11以前なら、ごく少数
の哲学者とか研究者とかモノ好きだけが語り合っていた大きな物語を、
今、市井の人々が語り合っています。分かりづらく、答えがなく、苦しいこ
とですが、ここで思考や試行、行動をストップしてはいけません。ここに、
学ぶべきことが、これまで学ぶべきで学ばなかったことが、たくさんつま
っているからです。 もっと前に私たちが学んでおけば起こらなかったこ
とが起こってしまいました。「大きなものに任せておけば大丈夫」という
時代はとっくに去ってしまっているのです。あるいは、そんなことは一度
も実は実現していなかったのでしょう。
就職氷河期という時代に苦闘している皆さんには、分かりやすい話か
もしれません。皆さんが、誰よりも、敏感に人の苦しみに寄り添い、それ
ぞれなりのやり方で、それらの問いの前で、不安に想いながらも立ち止
まり、そして一歩、二歩を踏み出そうと一生懸命頑張っていることに、そ
れが表れているかもしれませんね。
危機が人を育てる・・・といいますが、本当ですね。
と同時に、何人かの学生さんのメールを読んで、中には「明確な、Yes
かNoかの答え」を誰かに言ってほしい・・・と強く求めているように感じま
した。しかし、私には、皆さんに「明確な答え」をあげることはできません。
これまでの授業でもそうだったように、私は私の意見を持っていますが、
それは私のものであって、皆さんは皆さんの答えを探すしかないのです。
一つだけ私がいえることがあるとしたら、自分で動き、自分で感じ、自分
で考え、自分で語り、自分で疑問に持ち、自分で立ち向かい、自分で判
断し、自分で説明し、自分で責任を持ち、自分で人につながっていく・・・
ことによって、答えを見つけていけばいいんじゃないかな、という点です。
結局、いつも、授業で皆が悩みながら進んできた、「あれ」と同じこと。
答えは、皆さんの中にあるのです。「自分で立つ」ことの重要性が、今
ほど求められていることは、なかったかもしれません。
でも、答えは一つではありません。なぜなら、人間は過ちを犯すからで
す。私もです。だから、私がいうことを真に受けてはいけません!(という
先生も珍しいらしく、元ゼミ生のユウミちゃんは、これに衝撃を受けてモノ
好きにもゼミに入ったといいますが・・。)皆さんもまた、過ちを犯すでしょ
う。でも、それを恐れてはならないと思いますし、堕性や単なる思考停止
が皆さんの過ちを上回るとも思えません。
すでに成人。自分は自分で守りましょう。自分の決断は自分の決断で
す。でも、そのために汗をかきましょう。漠然とした不安や自信は、危機
の時代において不必要、無駄です。持つべきものは、直感に疑う力(批判
的精神)と全体を見渡す力と些細なディーテルへの継続的関心(森と木
の両方をみれる力)、分析能力と、真理への誠実さ、決断力です。そして
、何より柔軟性。自分でも持ち得てないものばかりリストアップ・・・自分も
獲得したいということなので、そこは大目に見てね。
今、皆さんが試されています。「個」としての成長は、このような試練の
中で磨かれていきます。
そして、「個」は所詮は「輪」の一部です。皆さんの先にある社会に、今
目覚めたのであれば、Active Agent(積極的主体)・・・(授業等でよくい
うあれですね)「当事者」として、一歩でも二歩でも踏み出しましょう。自分
のちっぽけな不安など、きっと吹き飛んでいきます。今、何をすべきなの
か友や仲間と語りあいましょう。そこから新しいものがきっと生れてくるは
ずです。そして、その経験は、一生涯皆さんの中の宝になるだけでなく、
社会に大きな可能性をもたらすはずです。15年もすれば、皆さんは中核
的人材になっているでしょう。20年もすれば、社会のリーダーが生まれて
いるでしょう。
私たちはあまりにも多くのものを失い、今まさに考えてみなかったような
ものまで失おうとしています。その悲しみと喪失、怒りと憤りを、決して忘れ
てはならないと思います。と同時に、だからこそ、一歩でも二歩でも前に進
まなくてはなりません。失われた命のそばにいる人たちではない私たちだ
とすれば、私たちができることは、3・11よりももっとよい社会を創り出すこ
とでしかないのです。
それは、私たちが放棄してきた責任に本気で取り組み、若い皆さんが自
らの機転と柔軟さと創造力を存分に発揮することだと思います。被災地に
行くことは重要ですが、それだけではありません。一人ひとりの皆さんが3
・11後を生きているわけで、その世界において皆さんは「当事者」です。
その自覚をもってやれる限りのことをしてみてください。
壁に当たると思いますが、その時には相談してください。私も相談させて
ください。いつも皆さんの一言にハッとさせられています。参考になるかも
しれないので、16年前、阪神淡路大震災のとき、大学生ボランティアとし
て出会ったイノリちゃん、現在私の編集者の今日の一言です。イノリちゃん
が私の原稿に励まされたといってくれましたが、私はイノリちゃんのメール
にひどく励まされ、これを投稿しています。16年前と16年後のイノリちゃ
んと社会と世界、その間の16年間のイノリちゃんと社会や世界を想いつ
つ・・・。
「神戸中央区ボラに参加してよかった。
16年後、こんな風に思える人間が、
今きっとどこかで生まれつつあることを信じて。 」
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