私がアフリカにいる間も、福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクト
http://fukushimaneeds.blog50.fc2.com/の活動は止むこと
なく続けられています。今日、一通りすべてのメールのやり取りに目
を通して、必要なメールを送り終えて、福島の子どもたちのサポート
のための多岐にわたる活動、皆さんの活躍を胸が熱くなる気持ちで
います。
明日で3・11から半年となります。事態が好転しないまま、不安を
募らせる方も多く、団体としても、福島のNPOネットワークと連携し、
福島に残っている未就学児家庭へのアンケートを、地元子育てネッ
トワーク団体27団体とともに実施を予定しています。
先日、福島の郡山にいるパートナー団体の方から久しぶりにメー
ルをいただきました。私たちの活動が「早い段階(個人的には十分
早かったとは思いませんが)」で開始したことを評価され、あの段階
で、私たちの警鐘に政府や専門家やマスコミやNGOが応えていれ
ば、これほどまで の問題にならなかったのに悔しいとおっしゃって
いました。
逆に、私の方では、早い段階に問題の本質を理解していながら、
政策や論調を変える力を持てなかったことに、自分の力の限界に
悔しさと憤りを感じな いわけにはいかない気持ちです。
サポート活動に力を入れる一方、もっと政策部分に切り込む力を
持つべきだったという後悔が頭から離れません。この気持ちを原動
力に、粘り強くがん ばりたいと改めて思いました。
私たちの活動は、困窮者の救済ということではなく、「奪われた当
然の権利(生命と健康の保全)の回復」を同じ市民の立場からやっ
ているわけです が、ますますその立場の重要性を感じます。
(ただ、サポートの優先順位という意味では、困窮性や緊急性は考
慮に入れるべき点だと思っていますが)
この1週間ほど、ルワンダ南部で虐殺のサバイバーと虐殺者の側の
家族に朝から晩までインタビューをしていました。私たち(「国際社会」
)が何もしなかったことが、このような惨事をもたらしたことを、一人ひ
とりに詫びています。
そして、かけがえのない一人ひとりの生命と健康が、政府や政策、
社会の雰囲気によっていかに簡単に奪われてしまうのかについて、
痛感しています。そして、虐殺に反対の声をあげて殺された人たち、
けがをした人たちについての話も聞き、どんなときでも民衆の側の
立場に立って、勇気をもって声をあげることの重要性 を、改めて感
じています。
3.11は私たち一人ひとりの理解と行動、力のすべてを問いなおし
ている・・・そう感じざるを得ません。
と同時に、一人の人間の無力さを痛感します。
だからこそ、仲間こそ、何よりも重要だと、ここ日本から遠いルワ
ンダで、仲間たちのメールを読みながら心の底から思っています。
ルワンダの2週間の調査だけ一緒にいられる息子とも、毎日そんな
話をしています。彼の発する、「どうして?」「どうして?」「どうして?」
の問いに、一つ一つ私なりの「答え」を語っている毎日です。まだ11
歳ではありますが、すべての話に一生懸命耳を傾け、彼なりに悩み、
恐れ、でも何とか自分が出来ることはないかと必死に考えているよ
うです。
かつてこの国を支配したドイツの人間として、ホロコーストを行った
国の人間として、近隣諸国での植民地支配や戦争を行った国の人
間として、彼が発する一つひとつの「なぜ?」に、両親ともに一つひ
とつ答える中で、私たち自身の責任を痛感しています。
いつか、彼が大きくなったときに、社会や世界がもう少しましなとこ
ろになるように、まずは我々が頑張らなきゃなと思っています。