長くてすみません。第二問の学生の推測です。
これも、当たっている部分もあるものの、かなり外れている
ものもありますが、面白いです。
活動にお金がないからというのは、なるほど。想定していた
推測ではないですが、それは一理あります。が、質問の意図
はもう少し違ったところに・・・。むしろ、皆さんの「できる範囲
でやるのがボランティア」という定義へのアンチテーゼとして
出した質問です。
で、大体の答えが、これまた「外れ」です!
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2、なぜ寝る間も惜しんで持ち出しも前提で行っているのか
母親として持っている知識や物があるので-今まで、福島の災害のような緊急援助が必要な現場を見てきていて、どう行動すべきか知っているので-人として何かしたいと考えているので(ある種のボランティア精神?)
補助金が払われるわけでもなく、支援体制が充分なわkではないから。
福島で起きた問題が先生にとって「他人事」ではなく、一人の市民としての当事者意識を持っているから。
ボランティア相互的な関係が求められるものであり、どちらかだけがGiveしているわけではなく、お互いに何かを得ながら共生していくものなのではと思いま す。舩田先生は”ボランティア”という枠組みで活動しているわけではなく、共生し、私生活の一部として活動していらっしゃるのかなと考えました。だからこそ自分の寝る時間なども惜しんで活動できるのかなと思います。
社会で起きている問題は社会の一員である個人も担わなければならない。社会に守ってもらっている分、私たち個人も社会にできることはするべきである。普通の人であればこのような意識は低いと思う。しかし、船田先生は当事者意識が人より強いのではないだろうか。また、誰かを救いたいという一方的なエゴではなく、社会の一員として助け合うのはお互い様だと考えているからだと思う。そして、何よりもボランティアというものに心の底から惹かれているからだと思う。先生が国際協力にいつ出会ったのかはわからないけれど、学生時代からこのようなことをずっと考えてきているのには情熱が必要だと思う。情熱を持つ対象は人それぞれである。船田先生の場合は、情熱を持ち続けるだけのバイタリティと行動力、これらの力を十分に発揮するステージが国際ボランティアという場所だったということではないだろうか。また、巨額のお金を使うことができるのは、家族という受け皿がしっかりしているからだと思う。絶対的貧困にあり、一日に家族を食べさせるのがいっぱいの人に寝る間も惜しんでお金を使ってボランティアすることはできない。自分の生活がある程度のレベルで保障されているからこそ行える仕事だと思う。私の疑問は自分一人の命と引き換えに大勢の命を救うことができると言われた場合、船田先生は自分の命をささげるのか否かということだ。自分ができる範囲内でのボランティアでは当事者意識や市民社会という点が抜け落ちていて甘いかもしれない。しかし、だからといって自分の情熱のために自分の命まで懸けられる人はそういないと思う。強い自分の哲学と情熱があるからこそ、船田先生はボランティアに従事できているのだと考える。
ありがとう、と「自分がしたことに対しての見返りを求めて行う活動」ではなく、かつ「自分がやりたいから」という理由だけで行っている活動ではないから。
決してしてあげているのではなく、当事者としての意識があるからと考えられる。今回の原発事故で大変な目に遭っている乳幼児・妊産婦のことを他人事と捉えるのではなく、自分自身も当事者としての意識を持っているから、寝る間も惜しんで、持ち出しも前提でやることができる。
1の答えと同様に自分自身も彼女たちの立場であったことがるため(被災し・していない関係なく一人の母として)そして今も母として子どもがいる立場であるため、部外者としてではなく当事者意識を持って取り組んでいるから。困ったときは周りの人のサポートが必要で、そのサポートは常に得るだけのものでなく与えることもできる。
この非常事態において何かしなければならないし、だまって見ていられないという性分がおそらく大半かと思われる。これは性分なので説明のしようがない。しかし、一人でも多くの人が弱者に対して関心を寄せる、目を向けることによって社会のしくみを変えることができると信じている面もあると思う。現代社会のなかで失われつつある人と人とのつながりの大切さを人材育成も含めて次世代に伝えていくことが先生の使命だと考えているから、取り組めるのではないかと考える。
→当事者意識が強いから。(自分がやらなくてはという責任感が強いのではないか。)→やりがいを感じているから。
先生は、その活動が好きだし、充足感も得ているから。自分の好きなこと、興味のあることには誰でも打ちこむもので、先生のそれが、誰かのサポートをすることだったりするのではないかと思います。
それは、アフリカへの支援活動や学校の授業の準備がありながらも、先生が福島の女性たちに代わってできることであると考えるからだ。今回の福島第一原発の問題では、福島の女性たちだけでなく、その外側にいる人々の協力が不可欠でその人々がどれだけ当事者意識を持って活動するかで福島の人々の励みと日本社会の方向性につながると思う。実際に私も3回宮城県石巻市を訪れ、泥かきや家屋の片づけ、仮設住宅の集会所のお手伝いをさせてもらったが、日々時間が経つにつれてニュース番組でも取り上げられることが少なくなりつつある。東北の現状は日本国内で起こっていることであり、現在もそれは変化しながらも続いていることであり、それがよい方向へ変化していくためには東北の人々だけでなくまずは日本国民である私たちも彼らとともに復興に向けて動き続けることが不可欠であると感じた。
先生自身が、お子さんと離れて暮らしており(ブログからの勝手な推測ですが…)乳幼児や妊産婦さんの気持ちに寄り添う思いがとても強く、多くのものをその活動に取られてしまっても、先生自身は、そのことで救われる部分もあるのではないかと考えます。遠くに離れて暮らす家族の応援もあり、その家族に対する気持ちを表現しやすいプロジェクトなのではないかと考えます。
一般的には、こうした支援活動(ボランティアと呼ばれるものだが)は、「自分の仕事とは別に」行われるものだと定義される。自分の仕事とは別となると、自分の日常生活に支障をきたさない程度に支援をするという意味だともいえるが、その支援する時間を日常生活から出さなければならない。支援活動をするとき、必ず何かを犠牲にしなければならなくなるのである。先生は、乳幼児・妊産婦のサポートをする必要性を上述の設問1で書いたように感じていて、その活動に社会的意義を感じているのではないだろうか。だからこそ、時間やお金や労力を使ってサポートしているのだと思う。その人たち一人一人のニーズに応えるという「その個人またはその家族」を対象にした活動ではあるけれども、それは結局社会をサポートすることにつながると考えているのではないだろうか。子供を育てることに時間とお金と労力がかかるのは前提である。だから、社会のものともいえる子供をもつ家族をサポートしていくのに持ち出しを前提として活動しているのではないだろうか。先生にとって、当たり前という感覚でいるのかもしれない。
先生の活動の背景には「達成感」や「自己満足」を超えた何かがあるのだと思います。それは使命感とも義務感とも違う気がしますが、なんと呼んでいいのは正直わかりません。私はこれまでの自分のボランティア活動を「達成感」や「自己満足」の枠の中でしかやってこなかったし、やってこられなかったと思っています。自分で経験したことのない気持ちならばわからなくて当然かもしれませんが、とにかく私が知っている感情とは違うと思います。そこにはこれまでのアフリカでの活動や研究全般で得た経験が大きく影響していると思います。授業中のお話やブログの内容を踏まえると自分の時間をたくさん使って活動に取り組まれているのは明らかですが、それは「自己犠牲に酔っている」というのとも違う気がします。きちんとした答えは出ないのですが、「自己満足」でも「自己犠牲」でもない何かがそこにはあるのだと思います。
長期的に取り組むべき課題であることに間違いはないが、それでも早く手をうつ・早い支援やサポートというものが現場では求められている。1日でも早い解決に達するために、削れる時間をぎりぎりまで削って取り組むべきではないか。また、サポート活動の中で必要経費をどこかへ申請して得ようする場合、町や県、国などに申請する場合が多いと思われるが、申請から認定、実際にお金がおりてくるまでには、相当の時間がかかるし、そもそも認定されないことも多々ある。そのため、活動経費含めその他諸々自前になることは想定できる。それでも、「自分のやるべきこと」と思うのならば、自己負担も惜しまないのではないだろうか。私自身、3月から数回宮城県へ行き復興支援活動に参加させて頂いている。当たり前だが、交通費・現地での食費、宿泊費は自己負担である。周囲から、「なんでそんな得にならないことをやるのか」「自分のお金や時間を犠牲にしてやる意味はあるのか」と聞かれたこともある。しかし、「こんな犠牲払って辛い」と思ったことはない。それは、活動自体が苦に感じないということもあるが、家も家族も無事だったのに、同じ日本にいながら、家も家族も失った人たちを遠くから見ているだけ、という方が耐えられなかったからだ。微力なのは分かっているが、少しでもプラスになるのなら続けていきたい。また、原発被害というのは何も福島県だけの問題ではない。津波のように被害が明確に分かるわけではないが、目に見えないからこそ恐ろしいし、日本に住む我々の問題といえる。すなわち、我々自身もこの問題の当事者といえるからではないか。
その活動を待っている、それに生活が懸かっている人々が大勢いることを理解しているからであると推測する。また授業だけでなく学生の指導などで社会人よりも忙しいため、このサポートに割ける時間は通常ならば多くはないと考えられるが、なんとか時間を生み出して取り組むことで、サポートメンバーの意欲も向上し、支援者からの承認も得やすくなるから(認められやすくなるから)である。
まず、福島で起きた原発事故は福島だけの問題ではなく、原発に頼ってきた日本とそのことに対して、こういった事故が起きるまで懐疑的にならなかった私たちにも問題がある。ゆえに、私たち一人一人が向き合っていかなければならないことだから。また、子どもを育てるのは親の役目であるとともに、地域社会や日本全体で将来を担う子どもたちを育てていく必要がある。したがって、お母さんたちが子育てするうえで厳しい状況に置かれていたら、それを助ける義務が同じ日本に住む私たちにはあるため。
「せずにはいられない」という思いから活動をしているのではないかと思います。
活動すると同時に、交流をもつ人々から勇気や元気をもらうことで、舩田先生は先生自身でいられるのではないでしょうか。先生の帰る場所や生活の糧になっているのが上記問い1などの活動を含めたボランティアなのではないかと考えます。
嫌々やっているものでもなく、むしろ好きでやっていることなので寝る間も惜しみ、睡眠不足もそれほどまでに苦痛とは感じずにいられるのではないでしょうか。
②出産時の大変さを自分も経験しており、地震後の状況が優れない中での妊婦の支援が必要だと感銘を受けたから。
船田先生にとっては、ボランティアというのはライフワークなのではないかと考えました。寝る間も惜しんで、持ち出しも前提で、となると相当な自己犠牲精神が必要となりますが、そこまでしてでも得るものがあるから、そしてそのニーズのある人々のためになら頑張れるのではないかと思いました。
寝る間を惜しんでも、持ち出し前提でも、それらの活動を自分自身がやりたいと考えるから。やりたくなければ、やらないと思う。
子どもはこれからの未来へ向けての希望であり、その宝を守り手助けしたいという願いがあり自分の人的ネットワーク等を出来る限り用いて対応したいと考えているから。
自分のことに使う時間は惜しまない。福島の乳幼児と妊産婦を自分のこととして考えるからこそ、寝る間を惜しみ、持ち出しも前提でやっているのだと考える。
これは個人の考え方によるが、舩田先生が、乳幼児・妊産婦へのサポートを最も重要な責務だと考えているためだ、と考える。乳幼児や妊産婦には、より早く、また継続的な支援が必要とされている。これは、例えば妊産婦であれば、一人ひとり出産時期なども異なるため、いつどんな問題が起きるのか分らず、常にその対応を考える必要がある。このように、迅速で継続的な対応が必要となる活動であるため、寝る間もなく、持ち出しも多くなる活動であるが、この問題の解決のためには、自分の時間を惜しまずに使うという覚悟のもとで、この活動を行っているのだと考える。
自分の子供であれ、他人の子供であれ、みんなのものである「子供」を守り、サポートすることは睡眠時間が無くなろうが、「不利益」をこうむろうが、先生の中でそれだけのpriorityがある。
活動をやらずにはいられないほど、自分のこととして問題を捉えているから。
1、と同様に自身が同じ立場にあった際、寝る間も惜しんで持ち出しもしてサポートされた経験があるから。
必要だから。何をするにもどんな人と関わると関わるにしても自らの財産や時間、体力などを捧げて活動しないと組織は成り立たないと思います。支援の対象者(受け手)は無料または少額の出費で様々なサービスを受けられますが、支援する側は支援する人と対象者の2倍資金も労力も用意する覚悟がないとボランティアはできないと思います。
自分の行動が日本の未来につながるから?
一般的にボランティアと呼ばれる活動は、個人の余裕に基づいて行うものではなく、苦境に置かれている人がいると知ったならばなるべく早くその状 況から人々を救わなくてはならないと考えているから。また、自分に与えられるものがあるならば、それを持っていない人に分けるということは当然の行為であると考えるから。
船田先生は第三者であるというよりも、自らも妊娠・出産・子育てをした(している)本人として活動をおこなっているからだと考える。時と場所が変われば、被災した乳幼児・妊産婦と同じ立場に立つ可能性が大いにうるため、他人のこととしてではなく、自分のこととして活動を行っているので、寝る間も惜しみ、持ち出しも前提で行っているのだと考える。
私だったら「人の為に」そこまでできないと思います。ですが、自分が当事者の一人であれば、または誰か親しい人がそのような境遇に置かれてい たら、そうすることに疑問を持たなくなるのではないかと思います。舩田先生が、ご自身も当事者であり、福島の乳児や妊産婦をご自身のコミュニティの一部? と考えていらっしゃるからだと思います。
自分を必要としている人がいるから。人生は短いので今しかできないことは睡眠時間を割こうともやるべきと感じているから。「ありがとう」の一言があるから。(精神的な報酬として)同時平行でいろいろなことに手を付けているから、24時間では足りない。
「怒りを一人でため込んでも健康に悪い上に、非生産的なので、actionを起こしている」から。 「ただ感情的になっているだけで終わるならば、結局子どもたちの健康問題を放置することになるので、活動によって、一人でも多くのお子さんたちの役に立ちたいと」願っているから。
そこにいる人に対してボランティア・被ボランティアを超えた関係を築いていらっしゃるから。
活動を行う意義を見出したうえで、活動しているからであると考える。福島の活動でも、原発の影響が乳幼児・妊産婦に与える影響を理解したうえで、福島の人々のニーズを把握し、活動の必要性を感じているからだ。さらに、このような活動をすることで、さまざまな人に出会えたり、自己成長になるというメリットも感じでいると思う。
自分が妊婦を経験した経験から大変さをしっているから、妊婦が放射能に汚染されてしまうことによってうまれてくる子どもにも影響があると考えるから、 3、そこにニーズがあり、だれもやっていないから。
1の理由に対する情熱や信念がそうさせているのではないか。