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国際ボランティア論受講生へのお返事(1)~人間だから、生きることについて

本当は昨日書くはずが、「義母」が倒れてしまったので今日になり、
さらにこれから飛行場に行くので簡単にしか書けなくなってしまいま
した。とりあえず子供たちがサッカーから帰ってくるまで書いてみま
す。
 また、ブログでの質問に答えてくれた津田の学生さん、ありがとう。
それも踏まえながら、お返事を書きます。が、かなりの程度、恥ずか
しい話になりますが、そもそもこのブログでとっても個人的なことも
含めて書いているのは、結局のところ「教育」とは「何かを教える」こ
とではなく、「反面教師」的な部分も含めアカラサマにして、それぞれ
に考える材料を提供することだ・・・と考えているからです。それは、
ゼミ生が教えてくれたことで、「私みたいになりたい」とか「私のよう
にはやれない」・・・と口にするのを聞いて、これでは絶対いけない!
と思ったからです。もちろん、もはやそんなこというゼミ生いません
が!!!!
 なお、初めに断っておきますが、私は何の宗教・政治団体にも
属していません。垣根なく色々参考にしてきましたが。
 で、以下の3つの質問に対する私なりのお返事です。
1.なぜ福島の乳幼児・妊産婦のニーズ対応をしているのか?
2.なぜ寝る間を惜しんで、持ち出し状態で活動をしているのか?
3.なぜこれをボランティアと呼ばないのか?
==
 いずれの問いの答えもただ一言で表せます。
 「人間だから」
 な~んだ、、、、とがっかりきていると思いますが、それ以上でも
それ以下でもありません。授業の冒頭で皆さんに聞きました。
「目の前にアフリカの子供が川で溺れていたらどうする?」と。
「ほぼ全員が飛び込んで助ける」と答えました。なぜですか?
多くの人が答えに窮しました。これがキリスト教の人であれば、
宗教的な答えをすぐに口にしたに違いありません。儒教の人で
あれば、道徳的なことを口にしたかもしれません。伝統社会に
生きる人なら、なんらかの伝統を口にしたでしょう。
 良くも悪くも現在の日本社会には、このような問い、生きていく
ための基本の基本となるような宗教・道徳・社会集団上の規範
がありません。だからこそ、私たちは直観で色々なことを口にす
るのですが、直観故にそれ以上ではありません。今日は助ける
けど、明日は助けないかも・・・水が深かったら助けないかも・・・
など、各種の条件を考え始めます。
 私はこの点について、ずっと考えてきました。宗教的にも、世
界の多様な文化や伝統を学んでも、結局のところ、行き着いた
のは、「人間だから」の一言でした。
 どんな社会でも、人が人を助けるのは当たり前です。特に、困
っている人を助けるのは。それを身を以て経験してきました。
「いつ助けるのか」「どう助けるのか」は多様でも、「助ける」こと
自体は当たり前としたら、それは人間が人間だから・・・と思いま
す。
 なので、私は、皆さんが指摘するように、「女である、日本人で
ある、子供がいる、教師である、学者である、専門家である、当事
者である・・・」以前に、「人間である自分」を重視したいと思います。
 もちろん、お返事はこれで終わりません。
 「人間である自分」が、「何のために生きるのか?」について考
えたいと思います。私は幼い頃身近な人の暴力に苦しんできて、
4、5歳の頃に海に飛び込もうと考えました。その時、踏みとどま
ったのは、人生を捨てるぐらいなら、この人生を使えばいいじゃな
いか・・・とも思いました。以来、何のために生きるのか?を考え
て日々を送ってきました。
 日本にも世界にも来世や死後の世界を信じる人がいますが、
私は人生は一度きりと考えています。次があってもいいけれど、
それをあてにして「この」人生を無駄にすべきとは考えていませ
ん。同様に、宇宙に地球のオルタナティブを求めて、巨額の宇宙
開発費を投じて、現在の地球の課題(貧困や飢餓、環境問題)
を軽視する「ロマン」には否定的です。
 私たちは、有限の命、有限の世界・地球・・・を抱えているから
こそ、自分の生き方・社会の在り方に取り組むことができます。
それが人間だと思います。他方、人間は、互いを憎し合い、殺し
合い、動物世界の頂点に立って動植物を貪り食い、かけがえの
ない有限の地球を日々痛めつけ、破局を招く技術を「先端」技術
として有難がっています。
 人間は尊い生き物である一方、地球史上最悪の傲慢な醜い
生き物でもあります。私もその一部です。
 でも、私が自分も含めた人間に絶望しないのは、人間には、
「変える力」がある・・・と信じているからです。信じる・・・というの
はとにかく信じるという意味ではなく、「物事のあくまでも前提とし
て信じようとしている」ということです。
 私は、戦争や貧困や暴力の中で、絶望の中で闘いをやめなか
った多くの人たちのことを学んできました。これらの人たちがいな
ければ、社会も世界も地球も、もっともっと悪いところになってい
たでしょう。そして、それは何も著名な人、特別な人たちではなか
ったのです。歴史に名を残さなかった多くの「普通」の人たちです。
 そのような人たちの歴史を一つ一つ掘り起こしながら、その人た
ちとの対話(勝手な)の中で、人間の限界と可能性を学んできま
した。
 私たち人間は愚かです。でも、私たち人間に開かれた可能性を
すべての生命の上に君臨していると思い込み、実際そのような
立ち振る舞いをしている人間だからこそ、最大限使わなければ
ならないと思います。謙虚になることから始めることも含め、その
ように自分たちを変えられる可能性を、全生物のためにも願いた
いと思いますし、それが務めとも思います。(時遅し・・・になりつ
つあるとはいえ)
 このような存在の人間として、そして一生がどこで終わるかわ
からない人間として、何のために、どう生きるのでしょうか?
 もちろん、それぞれの考えがあり、私は皆さんの分まで答え
ようなんてこれっぽちも思っていません。それぞれが人生の目
的を考えればいいことですし、そんなこと考えたくなければそれ
で構わないと思います。ただ、私は、以上に述べた人間の愚か
さ、限界と可能性を踏まえ(現状においては愚かさの方が大きい
故に)、
 「自分が属し有限でもある社会・世界・地球がよくなるために
生きていきたい」と考えています。
 その際、「よくなる状態」あるいは何をターゲットにするか・・・
については、私は「平和」をライフワークにしようと考えてきま
した。それは、偶然にも私が広島原爆の投下日に生まれたこ
とや暴力を経験してきたこととも関係していますが、その「平和」
は単に「戦争のない状態」を意味するのではなく、ガルトゥングが
いうような「構造的暴力のない状態(社会的不公正がない世界)」
をもターゲットにしています。
 私が肉食を止めた理由も、そこにあります。
 次に、「どう生きるか」についてですが、皆さんの指摘の中で、
「仕事」「専門」「私生活」などの言葉が使われていました。Job
(報酬のある仕事)とWork(ライフワーク)の違いの指摘もあり
ました。私にとって、これらには垣根はありません。すべては、
「人間として生きていく」上で、同じことなのです。
 皆さんの定義によると私のJobは大学教員としての職になり
ます。しかし、私の中でこれはworkなのです。なぜなら、結果
的に生活の糧を得ていますが、Jobとして報酬を目的とするの
であれば民間企業で幹部として働いた方がずっとお金になる
からです。そして、私が皆さんのレポートをあそこまで添削した
り、コメントをつける理由は、これがjobだからではありません。
私が「完璧主義者」だから、細かい点も添削していると思った
津田の学生さんもいましたが、そうではありません。
 ここまで書いたところで子供たちが帰ってきました。続きは、
また日本で~。
by africa_class | 2012-01-08 20:36 | 【大学】国際ボランティア論
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