明日はゼミ合宿なものの朝は比較的ゆっくり目なんで続きを書きます。
人として生きる際に考えるべき、What and Whyの次のHowの続
きです。How の中に、市民社会の一員としての自覚の話がありまし
た。それは、ボランティア論を考える上でも、生きていく上でも、当事者
論と同様に非常に重要なポイントだと思います。
私はかつて大洪水があったモザンビークの被災者の方々の支援の
ためのNGOを設立し、シングルマザーの支援を行っていました。当時
博士課程の学生で、妊婦・・・関西に住んでいました。いろいろ限界は
あったものの、阪神淡路大震災のボランティア仲間たちが手伝ってく
れて140万円ほどを集めて現地の友人とともにサポートをしていまし
た。大きな金額ではありますが、現地で何かやろうとすると限界のあ
る金額でもあります。
そんな最中、日本が何十年にわたって供与した農薬が野ざらし、
雨ざらしになっているという情報を現地NGOから得ました。調べて
みると、戦争中に戦争が最も激しい地域に向けて出荷されている。
しかも同じ農薬が何年も同じ額だけ送り続けられていました。年間
10億円近くのお金が何年も。
140万円の直接届ける支援も重要。でも、それでサポートできるの
は10世帯未満。一方、この数百億円もの税金による「国際協力」を
正し、人々の役に立つように変革できればどれほど多くの人をさぽー
とできるか・・。そう考えたのです。
当時は、アドボカシー活動という言葉が日本で定着していなかった
時代です。これについて取り組むことは正直言って躊躇がなかった
わけではありません。しかし、モザンビークに関わっている数少ない
日本人の一人として、またすでに国際協力を仕事としていて政府に
問題提起すらできない人たちと比べて自由である身として、何もし
ないという選択肢は自分の中ではなく、またやるからにはこの援助
を変えるところまでやらないのであれば、家族のためにも意味がな
い・・・と考え、相当やりました。結果、日本の援助の歴史において
かなり珍しい出来事とされているのですが、農薬援助そのものを
ストップさせることに成功しました。(世界中に対するもの)
その後、問題は農薬援助、農業援助というカテゴリーのものだけ
でなく、対アフリカ政策でもある・・・と考え、今度はアフリカ政策を
本当にサポートを必要としている人たちの役に立つものに変えるた
め、TICAD市民社会フォーラムを立ち上げました。これも、大変で
したが、業界的にはかなりの成果をあげることができました。
しかし、政府の担当者が変更になる、与党が変わる、マスコミの
関心が下がると一緒、市民社会がしっかり協力しあい続けない・・
などの理由で、せっかくの「成果」も元通りになったり、現場そのも
のには大きなインパクトを及ぼせない現実を目の当たりにしました。
2009年で団体を閉じるまではとにかく頑張り続けるしかなかた
のですが、それ以降に「国際協力」あるいは「アフリカ」について
私が決断したことは、これからはODAにあまり付き合っても仕方
ない。もっと自分が信じる、オルタナティブをどんどん実践して、
新しい方法をみせていけばいいかな、と思ったのです。
そのときのキーワードは、「おもろい」かどうか。なぜなら、おも
しろいことには人は参加したがるからです。そして、そこにマーケ
ットがあることを意味することが多いです。以来、せっせといろいろ
な形でオルタナティブを、国際協力についても、日本の社会問題
についても、示してきたつもりです。
この話はまたしっかり描きますが、政府の監視・提言は不可欠
です。しかし、このようなオルタナティブづくりがあってはじめて
バランスがとれるのではないか、と思いました。
反対もするけど、新しいものを創りつづけていく。それこそが、
社会変革の原動力になりうると、今は思っています。