アフリカはザンビアに行ってルカサワークショップをした仲間た
ちが、帰ってきて教えてくれた一言が私の中に残っています。
"We must not forget about our gifted hands."
(私たちは、神から与えられたこの「恵みの手」を忘れては
ならない)http://spacepeace.exblog.jp/
私たちは、頭を動かし、口を動かし、文字を書いているかも
しれませんが、本当の意味で「Gifted hands」の価値を認
め、感謝し、使っているといえるだろうか・・・そんなことを思い
出させてくれた一言です。私が、ルカサワークショップなるも
のを使い、プロモートしてきたのはそのためでもあります。
このことは実は子どもに教えてもらったことです。
テレビのない家で育った息子は、自分の部屋にいつも私がリ
サイクルしようと思って取っておいた牛乳パックや魚のトレー
を隠していて、暇なときそれを使って沢山の作品をつくていた
のですが、それが思ってもみないようなモノに化ける姿をみて
、自分が到底マネできない子供たちの創造力に感銘を受けて
きました。

海くん保育園時代の作品。
何かを誰かが教えたわけでは決してなく、自分で思い付いて
作っていたのですが、本人はもう忘れているかもしれません。
しかし、小学校に入って「図工」の時間が始まって、このような
自由な感性、ヒラメキ、大胆さはどこかへ行ってしまいました。
4年生になるとDSにはまり、書く絵もどこか漫画ちっく。もはや
Gifted handsを使うことも稀になりました。手は使っていた
けれども、「恵みの手」として使っていたわけではなくなったの
です。
この一人で暮らすには大きすぎる家で、彼のこれまでの作品
に囲まれて暮らしていますが、やはり小学校の作品よりもその前
のものの伸びやかさが私にはホッとできます。もちろん、どれも
彼のもの。愛おしいのは間違いないのですが。
そして、先週嬉しい写真が届きました。
釣りの道具を自分で作ったといっていたのですが、まさかこんな
に本格的とは思っておらず・・・。

最後の完成品をみてびっくり。

親ばかなのは間違いないのですが、彼がGifted handsを失っ
ていなかったどころか、別の使い方を開始したことに感激でした。
モノが溢れた世の中。
不足こそが、欠乏こそが、何かを創り出そうとする力を呼び覚
まし、それがGifted handsにつながった瞬間、人間が人間と
なるのだ・・・そう実感した出来事でした。火を使うことで人間に
なったおサルさん。だから、Gifted handsのことを忘れないよ
うにしましょう。